絵を描くことを楽しみたいなら「上手い」という褒め言葉を捨てよう


たしたちは、他人や子どもの絵を見ると、すぐ「上手だね―」と褒めてしまいがちです。心の底からそう言うときもあれば、内心「下手だな―」と思いつつ、お世辞として、「上手いね」と言うこともあるでしょう。

どちらにしてもすぐこの褒め言葉を使ってしまいがちなのですが、それはよくない、ということが、絵に関するいろいろな本で書かれていました。絵を「上手だね」と褒めてしまうと、絵を描くことから楽しさを奪ってしまい、絵が嫌いな人が増えてしまうというのです。どういうことでしょうか。

大人になると絵が嫌いになる理由

子どもは基本的に絵を描くことが好きです。幼児期には9割以上の子どもが、絵が好きと答えるそうです。では子どもはなぜ絵を描くのでしょうか。

子どもが絵を描くときという本の中で、美術教育研究者の磯部錦司さんは端的にこう述べています。

子どもたちにとって、描くという行為は、まずはそれ自体が楽しいものなのです。「感じる」という欲求を充足させてくれるその行為は、「生きる喜び」として映るのです。

では、人はなぜ大人になるにつれて、絵を描かなくなるのでしょうか。ある調査によると、大人の70%は絵を描くのが嫌いになったことがあるそうです。その理由については続きでこう推察されています。

しかし、大人になるにしたがって、そうでなくなっていくというのはなぜでしょうか。

一つは、大人に近づくほど、はじめにイメージが優先し、描く行為自体を楽しむことより、イメージを表すことが目的となり、その意識によって描こうとするようになってしまうということです。(p17)

子どものころは、描くことそのものを楽しんでいますが、大人になると、イメージを表すことが目的となるのです。これは言い換えれば「上手い」「下手」の概念が出てくるともいえます。イメージを「うまく」表現できるか、できないかが関係してくるのです。

「上手」という褒め言葉を捨てた人たち

絵を描くことに、「上手」「下手」という概念が入ってくると、絵を描くことが嫌いになり、コンプレックスを抱く子どもが出てきます。この本によると、絵を嫌いになってしまう理由としていろいろなものが挙げられていますが、どれも「上手い」「下手」という二極化に基づくものです。

絵を嫌いになったある人はこう言いました。

私の隣で描いている友達に「上手に描けているね」と誉めているのに、先生は、私に対しては「もっとここをこうしたほうがいいよ」と注文をつけてくるだけだった。

この人は、直接、絵が「下手」だと言われたわけではありません。でも、隣の子が「上手」と言われたのに、自分はそう言われなかったことから、自分は「下手」なのだと感じとったのです。「上手」という褒め言葉は暗に他人と比べていて、ほかに「下手」な人がいる、という前提の上で成り立っていることが分かります。

別の人はこう言いました。

「こういうふうに描きなさい」とか先生にいわれて、自分の描きたいような絵が描けなかった。自分の絵より先生の絵みたいに思った。

絵を教える先生の側に、こんな絵は「上手」で、そうでない絵は「下手」という先入観があることがわかります。自分の描いた絵を修正されると、やっぱり自分は「下手」なんだ、という意識が植え付けられてしまうのでしょう。

絵で仕事をするようなプロのイラストレーターたちにとって、「上手い」か「下手」かが重要なのはわかります。多くの客はイラストの「上手さ」によって絵を判断するので、製品の売れ行きなどにも関わってくるでしょう。最新のアニメのパッケージが、子どもの絵のようなのびのびとした絵で描かれていたとしたら、「なんて下手なんだ」と判断されて、売れなくなってしまいます。

しかし、わたしたち個人の趣味や、子どもたちの描く絵にまで、そのような商業主義を持ち込む必要があるのでしょうか。芸術というのは、答えがないからこそ、多くの人の心を惹きつけます。それが「上手」「下手」の二極でしか判断できないとしたら、学校のテストや仕事の成果と同じになってしまいます。

この競争社会からの癒やしを求めて絵を描いている人にとって、「上手」「下手」という評価でしか絵を鑑賞できない文化には、何の安らぎもありません。そこには、子どもが絵を描くときに感じる、純粋な楽しさはまったく感じられません。

それで、生徒に絵を純粋に楽しんでほしい、と思う教師や芸術家は、「上手」という褒め言葉を捨てているそうです。

芸術がなぜ認知症を改善するのか。 (コミュニティ・ブックス)を書いた金子健二さんは、認知症の年配の人や不登校の子どもにアートセラピーを施していた人です。彼は、自分のポリシーをこう綴っています。

私たちは「上手」「下手」というほめ方は一切いたしません。「上手」「下手」という言い方は、とても人を傷つけます。特に「上手ですね」なんて言われてしまうと、却って今度はプレッシャーを与えられてしまいます。(p48)

 子どもが絵を描くときにもこう書かれています。

直接に「下手だね」と評価する大人はいないと思いますが、私たちが、安易に、「上手ね」「うまく描けたね」としばしば口にしているこの言葉には注意を払う必要があるように思います。

なぜなら「上手」と評価することは、その対比したところにある「下手」という評価を植えつけているからです。問題なのは、その観点でしか評価できない大人の見方や言葉です。

「そんな観点でしか私の存在を認めていないのか」ということを、子どもは見抜いてしまっているのです。(p98)

もし、わたしたちが、絵を見るとき、「上手」「下手」という感想しか持てないとしたら、それは子どものときから、そのように評価するよう、刷り込まれてしまっているのでしょう。

子どものときから、周りの大人にかけられてきた「上手」「下手」という言葉に慣れ、賞や成績といった形で絵を評価されることが当たり前になっていたために、それ以外の方法で、絵を鑑賞することを知らないのです。

わたしが今も絵を描けている理由

幸いにも、わたしは、だれかから、上のように言われた記憶はありません。絵が上手いね、と言われた記憶も、下手だねと言われた記憶も子どものころにはありませんし、先生や大人から恥をかかされたり、批評されたりすることもありませんでした。

唯一記憶に残っているのは、小学校のころに、廊下に貼ってもらった、地球に虹がかかっている絵 ( このころから虹の絵を描いていたのです笑)を、算数の先生が見て、賞をもらえてもいいのに、と言ってくれたことです。わたしもその絵は傑作だと思っていたのですが、賞がもらえることはありませんでした。それ以外には、だれかから絵の品評をいただいた記憶はありません。

(ところで、最初に「ぼくらのきょうりゅうマーチ」の絵を載せたのは、絵を見てくれた人が、子どもの賞を取りそうな絵と言ってくれたことを思い出したからです笑)

わたしの場合、絵をだれかに否定されたりする辛い経験がたまたまなかったからこそ、今まで絵を描いてこれたのだと思います。その逆に、絵を「上手だ」と言われてプレッシャーをかけられることもなかったので、今こうしてのびのびと描いているのでしょう。

しかし、だからといって、絵を描くことが嫌いになった人たちの気持ちがわからないことはありません。わたしの場合、その人たちと同じようなできごとを、学生のときの書道の授業で経験したからです。

当時、わたしたち学生は、書道、美術、音楽のどれかを選択しなければなりませんでした。しかし美術はひとクラスしかなく、倍率が高いと言われていました。わたしは絵を描くことが好きだったので、もちろん美術を第一希望にしたのですが、第二希望には書道を選びました。音楽はまったく楽器ができないというコンプレックスがあったので選びませんでした。

残念ながら、わたしは書道に決まりました。もっともこれを残念といってよいのかわかりません。美術の先生がどんな人だったのかは知りませんが、もしあのとき書道で経験したようなトラウマになるような授業を美術で経験していたとしたら、絵を描くことが嫌いになっていたでしょう。

書道の授業は、それはそれはひどいものでした。有名な書道家の先生が講師でしたが、人格に問題がある人で、自分のやり方以外を絶対に認めようとはせず、意に沿わない生徒を容赦なくこきおろしました。うちの学校は有名な進学校だったのですが、あまりにひどい人選でした。名前は覚えていません。

その先生は、「下手」な作品を見つけると、それを取り上げて、みんなに見せて、心が澄んでいないから、このような字になるのだと力説しました。わたしがそのような被害に遭ったかどうかは覚えていないのですが、隣の子が習字の「上手い」子だったので、比較材料としてけなされたことがあったように思います。

わたしはそのような授業の中でも、自分なりの表現をすることをそれなりに楽しんでいましたが、お世辞にも書道が好きになったとはいえません。中にはトラウマになった子もいたのではないだろうかと思います。それと同じようなことが美術の授業でも行われたら、絵を描くことを嫌いになったとしても無理はないでしょう。

わたしが絵を描くことが嫌になった時期

絵を否定されたり、けなされたりするひどい経験はせずに育ったわたしですが、あまりの忙しさのため絵を描く時間はなくなり、その後再び絵を描き始めたのは不登校になってからです。このサイトにも、当時の絵を何枚か載せていますが、なかなか荒っぽいものです。

当時はそのような絵を描いて、周りの人にあげていましたが、幸いにも、みんな(少なくとも表面的には)喜んでもらってくれました。そこでもやはり絵を否定されることはありませんでした。

しかしネット社会になって、SNSで絵を描くようになってからはそうではありませんでした。わたしは初めて、人から絵を無情に評価されるというのを経験しました。特に絵が点数付けされたり、人気度やランキングが出たりするようなSNSではそうでした。

そのとき、はじめて絵を描くことが嫌になりました。正確には、絵を描きたいと思うのに、恐怖で描けなくなりました。当時のことは以下のエントリに書いています。

 比較的早く立ち直ることができましたが、結局、そのSNSに絵を投稿するのはやめました。現在絵を載せているSNSもありますが、不特定多数の人に評価されるような環境は作らないようにしています。

中には、それなりの評価が得られていたSNSもありましたが、そちらにも絵を投稿するのをやめました。たとえ良い評価であっても、絵の魅力が数字に換算されてしまうのは、わたしの精神衛生にとっても、描いたその絵にとってもよくないと感じたからです。自分では良い絵だと思っているのに「どれくらい数字が集まった絵」として記憶に残ってしまうのは嫌です。最後のころは、数字を集めるのが目標にすり替わっていたりもしました。

そうしたSNSのデメリットについては以下にまとめました。

お絵かきSNSのメリット・デメリット
お絵かきSNSを使うときによく考えたいこと

追記:友人がこの記事の感想をくれたので気づいたのですが、大事なことを書き忘れていました。上のメリット・デメリットの記事には書いている点ですが、SNSを通していろいろな方に絵を褒めていただいたことは、プレッシャーなどではなく、すばらしい励みになっていました。そうした温かいコミュニケーションはとても嬉しかったです。

「上手」とも「下手」とも言わない

 そのように世間の荒波にいろいろとさらされて、わたしも、自分の絵が「下手だ」と悩んだり、「上手」になるにはどうすればいいのだろう、と考えてしまった時期がありました。つい最近まで、このサイトの雑記にも、そういうことを書いてきました。

しかし、薄々と、絵を「上手」「下手」で考えてしまうのは、愚かなことだと気づきつつありました。

そんなとき、今回取り上げた二冊の本を読むことになったのです。金子健二さんの芸術がなぜ認知症を改善するのか。 (コミュニティ・ブックス)、そして磯部錦司さんの 子どもが絵を描くとき

この二冊の本を通して、もう「上手」「下手」という考え方はやめようと思いました。それには以下のような点が含まれます。

■「うまい」と言わない
他人の絵を見るとき「うまい」「上手」と褒めることをやめよう。もっと豊かな褒め言葉を探そう。

■「へた」と言わない
自分の絵を評価するとき、「下手」と言わない。「下手」というコンプレックスは捨てる。

■比べない
自分の絵と他人の絵を比べるのをやめる。それぞれの良さを認める。

これは、意識しないとなかなか難しく、ときどき以前の癖で、「うわー、上手な絵ですね!」とか「わたしは絵が下手なんで」とか言ってしまいそうになります。無意識のうちに、他人の絵と自分の絵を比べて、優劣を考えてしまうこともあります。

それは、これまでそうした文化の中で育ってきたからであり、なかなか意識を変革することは難しいかもしれません。そもそもわたしたちの生きている社会自体、成績や収入などの数字で、人間の優劣を判断するよう、価値観を押し付けるところなのですから。

逆に言えば、「上手」「下手」という二極思考を捨てれば、世の中の見方がずいぶん変わるということです。さまざまな人種、さまざまな個性、さまざまな価値観を受け入れやすくなるでしょう。人が二人いるとき、どちらのほうが優れていると考えるのではなく、それぞれにどんな良さがあるか、と考えられるようになります。

絵の「上手」「下手」から始まって、ずいぶんスケールの大きな話になりましたが、「上手」「下手」という価値観を捨てる最大の理由は、そうしたほうが楽しいからです。子どものころのように絵を楽しく描きたいなら、子どものころの価値観に立ち返れば良いのです。

わたしがこれまで経験したことの中には、辛いものもありましたが、こうした教訓を得られたことを思うと、貴重なものだったと感じます。学んだ教訓を忘れず、これからも、自分らしく、のびのびと絵を描いていきたいと思います。

▼のびのびと描くには

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