写実画と記号絵の違い―なぜリアルな絵は難しいのか


アルな絵を描くのはとても難しい…。そう思ったことはありますか。

ときどき、写真のようにリアルな写実画を描くスキルを持った人がいます。今にも動き出しそうなデッサンを描く人もいます。そうした技術を身につけるのが難しいのはなぜなのでしょうか。

ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)という本は、そのヒントを教えてくれます。

リアルな絵が得意な視覚優位な人

先日、視覚優位の人と聴覚優位の人の絵の違い、という論題について扱いました。その中で、ひとつの解釈の仕方として、視覚優位の人は三次元のリアルな絵が得意で、聴覚優位の人は二次元イラスト的な絵を好む、という話をしました。

絵に表れる視覚優位と聴覚優位の特徴―色と線の見え方
生まれつきの脳の認知特性が絵の描き方にも関わっているという話

今回考える、なぜリアルな絵は難しいのか、という疑問は、この話題の延長線上にあります。

そもそも、視覚優位、聴覚優位とは何なのでしょうか。それは、何かを考えるとき、映像で考えるか、言語で考えるかの違いである、ということを以前に説明しました。

視覚優位の人は、小説を読むとき、場面を一つ一つ映像に変換しながら読むので、早く読むことはできません。聴覚優位の人は、単語と単語の論理的なつながりから、あくまで文字情報として場面を理解していくので、読むスピードは早くなります。

視覚優位と聴覚優位とでは記憶の仕方も違います。たとえばピクニックに行ったとき、視覚優位の人は、楽しんだ景色や友だちの姿を映像としてそのまま記憶します。しかし聴覚優位の人は、ちょうど絵日記をつけるように、何が美しく、どんな経験をしたのが楽しかった、という記号情報に変換して記憶します。

このような特性から考えると、視覚優位の人は、画像など視覚情報を理解する能力に長けているといえます。他方、聴覚優位の人は、文字などの言語情報を理解かる能力に長けています。

ところで、リアルな絵を描くというのは、見たものをそのまま描く、ということです。そうすると、画像などの視覚情報を理解する能力に長けている視覚優位の人が有利となります。これにはどのようなメカニズムが関係しているのでしょうか。

見たものをそのまま描く能力

わたしたち人間は、目で見える物のありのままの姿を見ている、と考える人もいるでしょう。特に視力の良い人であれば、目で見えるものがすべてだ、と感じるかもしれません。

しかし、そうではありません。わたしたちが見ているのは、情報が削り取られ、コンパクトに変換された世界なのです。どういう意味でしょうか。

例えば、風景をカメラで写すと、確かに風景のありのままの姿が記録されます。その記録は正確で、見えるものすべてを反映しています。

しかしわたしたちの記憶についてはどうでしょうか。目をつぶって、今見ていた風景を想像してみてください。細部まで正確でしょうか。きっとそうではないでしょう。

目を閉じる前に見ていたもののうち、特に目立っていた部分や色は思い描けるかもしれませんが、視界に映っていたほとんどの枝葉末節のものは、記憶から省かれていることに気づくでしょう。わたしたちの視覚情報は写真と比べると、はるかに不正確なのです。

わたしたちが、リアルな絵を描くのが苦手な理由はここにあります。

写実画を描くには、目に見える光景のうち、目立つ部分もそうでない部分も、そのまま等しく紙に写し取らなければなりません。

しかしわたしたちが何かを見るとき、重要でない情報を無意識のうちに省いてしまっているので、見たままを描くのが難しいのです。

しかし、ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)によると、目で見た風景を、情報が省かれることなく、そのまま写真のように記憶している生き物がいると書かれています。それはチンパンジーです。

チンパンジーは、画面上に散らばった数字を記憶する、ずば抜けた能力を持っているそうです。その理由はこう説明されています。

彼らがこのような能力をもつのは、数字が散らばった画面を写真のように映像で記憶しているからだと考えられている。直観像記憶や映像記憶と呼ばれるものだ。(p46)

まさに、写真と同じように、目に見えるあらゆるものをそのまま記憶しているというのです。視界に映ったもののうち、目立つ部分もそうでない部分も等しく記憶しています。

チンパンジーは目に見えるものをそのまま、ありのままに認知しているわけですから、もしチンパンジーが写実画を描くという概念を持っていたなら、極めてリアルな絵を描くことができるのかもしれません。

では、なぜ人間には、そのような能力がないのでしょうか。それは、別の能力と引き換えに、映像で記憶する能力を失ったからです。

言語化する能力と記号絵

人間が見たものを写真のように記憶できない理由、それは、物事を言語化して考える能力だと言われています。

わたしたちは言語をもったことによって、目に入るものをつねにカテゴリー化し「何か」として見ようとする記号的な見方をしている。

つまり目に入るものをそのまま認識しているつもりでも、無意識に言語のフィルターを通して世界を見ているのだ。(p47)

わたしたちの脳には、幾層ものフィルターが備わっていると言われています。情報を濾過し、取捨選択するためのフィルターです。

そのようなフィルターの中には、わたしたちの脳を守っているものもあります。あまりに多くの情報に接すると、情報の洪水に圧倒されて、パニックになってしまうからです。

実際に、そのフィルターがうまく機能していないのが、自閉症だと言われています。

たとえば発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)によると、たくさんの感覚で頭が埋め尽くされてしまい、フリーズやパニックが引き起こされる「感覚飽和」の状態について書かれています。情報が多すぎるため、うまくまとめ上げることができないのです。(p57)

興味深いことに、自閉症の人の中には、視覚優位の人が多く、中にはデッサンや写実画が得意な人もいます。そして言語的なコミュニケーションは苦手です。たとえば、以下の記事に書いている、自閉症の少女ナディアはその一例です。

言葉にできないからこそ感情を絵で表現する作家たち
感情を言葉にできない自閉症や不登校の子どもの芸術療法

そのような人たちは、言語能力の代わりに、普通の人より多くの視覚情報を扱い、見たものをそのまま描く能力に長けているのです。

他方、この世の大多数を占める普通の人たちは、情報に圧倒されてパニックやフリーズを起こしたりすることはありません。情報は程よく取捨選択されて、言語化、カテゴリー化されています。

ちょうどそれは、パソコンに保存する動画データのようなものです。デジカメで写した動画を、高画質のままパソコンに保存していると、容量が圧迫されて、パソコンがフリーズしたりすることも多くなるでしょう。

しかし画素数を減らして圧縮ファイルにしたり、動画ではなく写真にして保存したりすれば、パソコンが重くなることもなくなります。わたしたちの脳は、視覚情報を変換圧縮し、ある意味では劣化させて保存しているのです。

このことを示しているのは、写実画と対極にある記号絵(シンボル画)の存在です。

わたしたちが絵を描くとき、普通は写実画ではなく記号絵を描いています。たとえば、「家」を描くとき、自分の住んでいる家のようなリアルな家を描くでしょうか。いいえ、多くの人は三角形の屋根と、四角い窓のデフォルメされた家を描くでしょう。それが記号絵です。

人間を描くとき、自分や家族のリアルな顔を描く人はいません。たいていニコニコと笑っている顔文字のような簡略化された記号絵を描きます。

これは、わたしたちが家や顔を見るとき、その画像情報が圧縮され、言語化、カテゴリー化されていることを示しています。言語能力とは、見たものをシンボル化して記号として保存することなのです。

なぜリアルな絵は難しいのか

ここで再度、本題について考えましょう。なぜリアルな絵は難しいのでしょうか。

それは、わたしたちが何かを見るとき、見たものをそのまま写真のように記憶しているのではなく、記号、シンボルとして記憶しているからです。

視覚情報すべてをそのまま認識しているのではなく、情報のフィルターにかけて濾過し、重要でない部分は省いてしまっているからです。特に、聴覚優位の人はその傾向が強くなります。

リアルな絵を描くには、これら、無意識のうちに省いてしまっている重要でない視覚情報を、意識的に認知する必要が生じます。記号、シンボルとして物を見ようとする脳の自然な働きを制限して、あたかもチンパンジーのような脳の使い方をしなければなりません。

この本にはこう説明されています。

記号的な表象を描くには、自分の描く線にモノの形を見出す記号的な見方が必要だ。

一方でモノを写実的に描くときには、その記号的な見方を一時的に抑制しておいて、見たモノのありのままの形や線の二次元的布置としてとらえる必要がある。

…デッサンは、手技的な訓練なのだと思われがちだが、むしろ記号的な見方を抑制して、直観的なモノの見方を身につける認知的な訓練でもありそうだ。(p57)

リアルな絵を描くのが難しいのは、単に筆を上手に扱うスキルが関係しているだけではなく、脳の使い方が関わっているからなのです。普段とは異なる脳の使い方、すなわち、言語を操る人間の日常の姿とは異なる、別の脳の扱い方をする必要があるのです。

このような、特殊なスキルが必要だからこそ、わたしたちは、写実画をリアルに描ける人に憧れを持つのかもしれません。

わたしは写実的に描くのが得意ではありません。美術学校に通った経験もないので、デッサンの訓練をしたこともありません。この記事のために写実的な絵を探してこようと思いましたが、冒頭に載せた絵心教室の鯉くらいしか、載せられるものは見当たりませんでした。

どうにも苦手意識があって、楽しくもないので、写実的な絵の練習は怠ってばかりなのですが、今回の記事を書いて、脳の使い方の幅を広げるという意味で、ときどき挑戦してみるのも悪くないかな、と思っています。

写実絵を描くのは、一種の脳トレのようなものです。リアルに描けないと、「下手だ」と感じて嫌になってしまうかもしれませんが、もっと気楽な気持ちで、頭の体操として、取り組んでみるとよいのかもしれません。

▼そもそも写実画=リアルな絵なのか、という論議はこちら

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