あれからどれほど経ったのだろう
幾千、幾万、時が流れたここは はるか時のかなた
二人で歩んだ歴史の最果て苦しいことも辛いことも
離れ離れになった日も今なら笑って話せるね
こうして一緒にいるんだから燃え盛る火に囲まれ
凍てつく吹雪をくぐりぬけただひたすら手を取り合って
傷だらけで歩んだ日々想像さえもできなかった
はるか未来のこの場所君と二人で辿りついた
時のかなたの安息の地
はるか時のかなた、果てしない時空の先にある、名も無き場所にいる二人を描きました。
はるか時のかなたで見る夢
この絵を描こうと思ったきっかけはよくわからないのですが…、わたしは時々、今の生活は全部夢なんじゃないかなーと思うことがあって、それが元になっていると思います。
目が覚めたら、はるか未来の別の世界にいて、実は長い長い悪夢を見ていただけだった。本当は愛する家族と平和な生活を過ごしていんだ。 …というような。
わたしは現実の生活に現実感があまり伴っていなくて…逆に夢の中の世界のほうがリアルだと思えることも多くて、夢の中で夢を見たり、不思議な世界が広がっているのを感じたりするので、そんな風に思ってしまうのかもしれません。
このあたりは医学的に言うと、「解離」と呼ばれるらしく、詳しいことは以前の記事、芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源に書いてあるので説明はそちらに譲ります。
わたしの絵のアイデアは、何かひねり出すというよりは、どこからともなく湧いてくることが多くて、夢と現実のはざまに生きているせいなのだろうな、と常々思っています。
脳はもう一つの宇宙に例えられたりもしますから、わたしの頭の中に別次元の世界があるのかもしれませんね(笑)
補色を用いた幻想的な配色
いつもは虹色の鮮やかな配色をすることが多いですが、今回の絵は、はるか時のかなたの未知なる世界ということで、季節感も現実感もない、幻想的な配色にしようと思いました。
幻想的な配色といっても色々あると思いますが、全体的に青みがかった色にすると、神秘的だったりノスタルジックだったりと、いくらか幻想的な感じが出るのでは?と思っています。
それでこの絵は、青紫を基調として、それをひきたてるために補色の山吹色を入れて、補色対比の配色にしています。補色対比を強調するため、いつもの虹色で使う赤や緑はあまり使っていません。といっても、最終的に見栄えを重視して、いつもの虹色寄りになってしまいましたが…(笑)
今回の絵は珍しくほぼ正方形ですが、最初の段階では、いつものサイズの用紙(左半分のみ)で描いていました。しかしもう少し広く描きたいということで、用紙を二倍にして、右半分を追加して、木の上の方や舞い散る花びらなどを描き足しました。
正方形にするとハガキに印刷できないので普段はためらいがちなのですが、この絵の場合は何倍もいい絵になったので、キャンバスサイズを追加してよかったです。
この頃は、絵の技術が頭打ち状態で、そろそろ何か新しい試みをしないとなーとマンネリ感を感じていたのですが、いつもと違う色調や、いつもと違うキャンバスサイズに描いてみるのもなかなか楽しいですね。