明るさ過敏,目の疲れ,読書の苦労の正体を探りに筑波大学に行ってきた話(3)


子ども時代から続く明るさ過敏やら眼精疲労やらの意味不明な症状が、じつはアーレンシンドロームという光の感受性障害にあるのではないか!?ということがわかって、専門機関に行った体験記。

前回の第二回では、スクリーニング検査を受けてみたら、思ったより症状が強いみたいで、なんと、わたしが描く絵の色使いの傾向にまで影響を及ぼしていたらしい、という衝撃の事実が明らかになりました。

明るさ過敏,目の疲れ,読書の苦労の正体を探りに筑波大学に行ってきた話(2)
筑波大学でアーレンシンドロームのスクリーニング検査を体験

それだけでも十分驚きだったのですが、今回、色つきレンズのフィッティングに行ってみて、さらに唖然とするような事実が発覚。もうこれまでの自分の人生に対する理解が根本から覆されるような発見に、動揺を隠せません。

自分でもまだ心の整理が十分ついていないのですが、とりあえず順を追ってお話ししたいと思います。

もうすぐ雨は上がるから

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色つきレンズのフィッティング

まずは、今回フィッティングした色つきレンズとはなんぞや?という点を説明しますと…

アーレンシンドロームというのは、光の感受性障害ですが、人によって、光のどの波長、つまりどの色に過敏性があってまぶしく感じているのかは違います。

アーレンシンドロームによるまぶしさや読みにくさを改善するには、特定の色つきレンズをかけて、過敏な波長の光をシャットアウトする必要があるのですが、当然ながら、苦手な色の波長が異なれば、それをシャットアウトするレンズの色も変わってきます。

そして、苦手な色の波長は、わたしは赤が苦手、あなたは緑が苦手、といった単純なレベルではなく、色が無限にあるように、苦手な色も本当に人によって千差万別、必要なレンズの色は一人ひとり違うようです。

アーレンシンドロームの専門書のアーレンシンドローム: 「色を通して読む」光の感受性障害の理解と対応にはこんなことが書かれていました。

すなわち、それぞれの人には、その人のためのある1つの適した色があることがわかりました。

その後、これらすべての人に、それぞれの人に合う有色フィルムを使い、長時間、文章を読むことができるようになったり、読みも効率的に行うことができるようになったりしました。(p24)

この文章は、前回 試した有色フィルム、つまり本の紙面などにかぶせて苦手な色を軽減するカラーセロファンみたいなもののことですが、「その人のためのある1つの適した色」があると書かれています。

さらに、メガネのレンズのほうについてもこんな説明が。

多くのレンズ会社の専門家はレンズに色をつける腕はもっています。彼らは魅力的な色を提示したり、あなたの好きな色を選ばせてもくれるでしょう。

彼らはさらにこう言うのです。

「もし蛍光灯の光に問題をもっているとすれば、ピンクが一番よい」と。

あなたが他に何も学んでいないのなら、SSS[※光の感受性障害のこと]のある人すべてに共通の色はないということに気づかないでしょう。

各個人が本当に必要なのは、その人それぞれに最適な色なのです。(p154)

必要なのは「その人それぞれに最適な色」「その人のためのある1つの適した色がある」

なんか、すっごくロマンチックじゃないですか??

光の感受性障害そのものはロマンチックというより、日常で色々苦労するのでやっかい極まりないですが、それを解決するには、一人ひとり別々の、たった1つの、その人だけの色を用いる必要があるのです。

わたしは、一人ひとりにそれぞれの個性がある、というのを、よく色鉛筆や絵の具にたとえます。前の記事で書いたみたいに、だれもがユニークなカラーを持っていて、互いに補い合えると思っています。

つい自分と人を比べて落ち込んでしまう人に読んでほしい「色鉛筆の話」

けれども、アーレンシンドロームでは、それが単なる比喩ではなくて、本当に、その人だけの色があるのです。最初にこのことを知ったとき、医学的な話なのに、とても詩的だなーと思いました。

そして、わたしの色は何色なんだろうなーと…。検査を受ける前から、アーレンシンドロームの可能性が高そうだと感じていたので、自分だけの色との出会いを楽しみにしていたのでした。

そうして、前回の記事で書いたように、スクリーニング検査によって正式にどうやらアーレンシンドロームらしい、ということになったので、二回目の面談の今回は、色つきレンズのフィッティングをしてもらうことに。

前回の予想では、青みがかったグレーになるのでは?ということでしたが、さてどうなるか。

ところで、今回の色つきレンズのフィッティングには、なぜか?主治医の先生がついてきてくださることに。ずっとわたしのADHDや感覚過敏などを診てくださっていたので、興味を持たれたようです。

ただ、わたしはアーレンシンドロームっぽいとはいっても、まだどれくらい症状が出ているのか未知数。レンズ合わせをしてみても、どの色も大して変わらないや、なんて拍子抜けなことになって、無駄にご足労をおかけしてしまうんじゃないかと気がかりだったり…。

楽しみな反面、不安も入り交じる中、再びはるばる筑波大学まで向かうことにしたのでした。

色とりどりのレンズを試着

主治医の先生と合流して、面談時間を待つ待合室。前回のときは本を読みあさっていたわたしですが、今回は、先生が興味深い話をいろいろとしてくださってすぐに時間となりました。

早速、面接室にて、色つきレンズのフィッティング開始。

専門家の先生が持ってきたのは、でっかいカバン。画材入れみたいなカバンで、中には、色とりどりのメガネのレンズが。

思わず、「わー、すごい! きれい!」と月並みな表現ながら感動してしまう。高価な木箱に入ったパステルセットとか色鉛筆セットみたいでわくわくします。

なんでも、全部で15色あるらしく、単に色でフィッティングするだけではなくて、まず一番マシになる色を見つけて、次にその色にさらに別の色を重ねて、さらにもう一枚別の色を…と何重にもすることで、見やすい色をフィッティングするということでした。

原始的なやり方とは言われていたけれど、エラトステネスのふるいみたいなもので、確実といえば確実ですよね。本当は、検査機器か何かで、感覚過敏を測定できればいいんだろうけど、まだそこまでは医学が追いついていないので。

目の前には真っ白の紙やら色つきの紙やら、パソコンの画面やらを置いて、いざどの色だと見やすくなるのかのフィッティングを始めます。

…このときはまさかあれほど大変だとは、まだ夢にも思っていなかったのでした…(笑)

最初のレンズはまさかの真っ黒…

まず最初はピンク色っぽいレンズから。何もないよりかは少しは見やすくなるものの、その後、色々なカラーを試していったものの、見やすいのか見にくいのか全然わからず。

一瞬、ちょっと見やすいかな、と思うものでも、ネオンを見ているような明るさがちらついてよくわからない。

一応のところ、意外にも暖色系のものがちょっと見やすいような気が。暖色系というと、いつもかけている明るさカット用のメガネの色ですが、確か前回、暖色系はあまりよくないとわかったはずだったような…。

どれも一長一短でよくわからない。というより、どれをかけてもまぶしくて明るさが目に染みて、チカチカするので、目が疲れてきてしまって判断がにぶってしまう。

最初のときはちょっといいかな、と思ったピンク色も、あとで色々試してからもう一度かけてみると、やっぱりまぶしくてチカチカする。

短時間のうちに次々に色のフィルターを変えて、どちらが見やすいか違いを判断しようと意識するので、神経を使うし、どれが正常なのかもこんがらがってくるんですよね。

専門家の先生によると、一枚目のレンズだけで劇的に見やすくなったりはしないので、あくまで、どれが比較的見えやすいか、というレベルで判断してほしいとのこと。

色々と試しましたが、最終的に、色の入っていないグレーを試してみたところ、これが一番ましな様子。一番見やすかったようなピンクと比べてみましたが、変に色が入っているより、シンプルなグレーのほうがまだ見やすい。

そこで、今度は、グレーの度合いを変えてみましょう、ということになって、徐々に濃いグレーのレンズに変えていく。

まずはちょっと濃いグレー。こっちのほうが見やすいけど明るい。

次にもっと濃いグレー。より見やすいけどまだまぶしい。

それで、さらに濃いグレー。いや、グレーというよりかはほぼ黒。さすがにこれは視覚障害者の人がかけているような色だけど…と恐る恐るかけてみると…。

見やすい。

明らかに暗いけど見やすい。でもまだ明るい、ということで、「もっと暗いのはないんですか?」と聞くと、これが一番暗いとのこと。

横で見ていた主治医の先生が「そんな真っ黒で見えるの?」とびっくりするぐらい黒い。でもまだ明るいという…。

さすがに自分でもドン引きするくらいの黒さだったので、「もしかしてフィッティングしている部屋が明るいので、黒いほうが見やすいと感じてしまうのかも」と言ってみる。

すると、カーテンを閉めて、部屋をちょっと暗くしてもらえましたが、やっぱり比較してみると、一番暗い真っ黒けのレンズが一番見やすい。

にわかには信じられないというか、主治医の先生も目を丸くしているし、自分自身も意外な展開すぎて、どうなるんだこれ?と先がまったく読めなくなってきました。真っ黒にしてもまだ明るいとかどういうこと??

次のレンズは薄いグリーン??

残念ながら、さらに黒いレンズはなかったのですが、専門家の先生によると、ここから先は多分、もっと黒くすればいいのではなくて、何かの色にまぶしく反応しているので、カラーレンズを加えていけばいいのだろう、ということでした。

未知の領域に足を踏み入れすぎて、心なしか動揺しているわたしは、ちょっと水を飲んで休憩。というか、次々にレンズを替えていると、たった30分くらいでも神経が相当疲れるのです。

普段はできるだけ意識しないようにしているまぶしさを意識して、どっちがまぶしいか判断しようとするし、ちょうどポケモンショックの画面みたいに、明るさが次々に切り替わるわけだし。

少し休んで、第二ラウンド。今度はさっきの真っ黒レンズの上に別の色をかぶせていきます。

また最初の色から重ねていくのですが…どれを重ねてもパッとしない。けれども、さきほどは単にまぶしさの違いだけを見ていたのが、色みの違いが気になるようになってきた。

さまざまなカラーを試しましたが、どうも、赤みがかった色になると見にくい気が。かといって青みがかった色でもちょっと刺激を感じる。

といっても真っ黒のレンズの上にかぶせているだけなので、もはや自分が何色を試しているのかもわからない状態でした。ただひたすら神経を研ぎ澄ませて、見やすいかどうかを答えて、専門家の先生がメモを取っていく。

まったく自分ではわからない未知の領域に入って、わたしはもう頭で考えるのはやめて、ただ感覚だけを頼りに答えていく。先入観なしに、ただありのままの感覚だけを感じるように。

なんだか見えない敵と心の目で闘っているような状態。自分が何と闘っているのかもわからない。心眼を研ぎ澄ます精神修行かなんかだろうか、と思うレベル。これを続けていたら、明鏡止水の心とかを会得できるんじゃないだろうか(笑)

そうやっているうちに、明らかに他と見え方が違うレンズを発見。ちょっと明るくて見にくいものの、視界がなんとなく楽になるような…。

どう見え方が違うのか聞かれましたが、言葉でうまく表現できない…。明らかに他と違う、ということは言えるので、部屋の中に色んなものを見回したり、主治医の顔を見たりするのですが、確かに今までのより見やすい。

色で言うと、ある意味、海底2万マイルの窓から見るような世界というか、古びた潜水服をかぶって見回すような独特な視界で、一瞬なんだこれはと思うレベルなのですが、なんともいえない落ち着きみたいなのがあるのです。

しかし、まったく問題ないかというと、そうではなく、黄色い紙面がまぶしく見える。

さらに、第二ラウンドに入ってからずっと気になっていたのですが、どの色にしても視界にRGBノイズみたいなのが混ざるんですよね。

RGBノイズとは何かというと、細かい赤、青、緑のドットみたいなノイズのこと。真っ白な紙か黄色がかった紙と、そこに印刷した黒の文字しか見ていないはずなのに、黒の文字が三原色のドットで滲んでみえるのです。

これは今回に始まったことではなく、家でも部屋を暗くすると視界のRGBノイズが混ざるのが気になっていてて目の通常の機能のうちの一つなのか、と思っていたんですが、このフィッティング中はちょっと気になりました。

そんな黄色の明るさやRGBノイズが気になるものの、比較的見やすいのが二つあって、後で取り分けたのを見せてもらうと、薄いグリーンと、ちょっと濃くしたグリーンでした。なぜグリーン??

その二色はどちらも一長一短だったのですが、じっくり比較して室内の様々なものを見比べて、あえて言えば一方のほうが明らかに見やすいとわかりました。薄いほうだったか濃いほうだったかは忘れました(笑)

最後のレンズは濃いブルー!?

もはやいったいどういうことなのか、まったくわからない領域でしたが、真っ黒レンズとグリーンを重ねた状態でもまだまぶしい、ということを訴えると、それはおそらく、まだ苦手な色が入っているからだろう、ということで、第三ラウンドへ。

いよいよ、最後の闘い…というか、もう引き返せないポイント・オブ・ノーリターンまで来たというような感じ。

専門家の先生の説明によると、三つ目のレンズを試しているうちに、見えやすさのピークが来るので、そこで終了と。本当にそんな瞬間がやってくるのだろうか…と疑問に思いつつも、いよいよ終わりが見えてきたフィッティングを続けます。

また最初の色から三枚目を重ねて見やすさを比較していく。このレベルになると、違いがかなりはっきりわかって、どれだと見にくくなり、どれだと見やすくなるかがわかってきました。

特に、目の前に真っ白な用紙と、黄色っぽい用紙の本が並んでいるんですが、レンズによってはどちらも見にくくなるか、片方だけ見やすくなるか、なんですよね。

今までは、曖昧な答えも多く、かなり悩んでから答えることも多かったのですが、最後に来て、はっきり違いがわかってきて、スムーズに色をしぼりこんでいく。

このあたりではたと気づいたのが、今まで気に留めていなかった黄色さが、じつはまぶしさだったのではないか、ということ。これまではごく自然なものと思っていたのですが、かなり暗いメガネをかけているうちに、それが見にくさやまぶしさの一種ではないかと感じ始めました。もしかすると、最適なレンズにすれば、これもなくなるのではないかと。

いつもなら、気にしすぎだろうと無視してしまうようなありふれたものです。でも、今は、これこそが問題となっているアーレンの症状ではないか、と思い始めていました。それで、腹をくくって、そんなささいに思える点にもこだわり、少しでもまぶしさを感じるなら、まだまぶしい、とはっきり伝えました。

いくつか試すうちに、専門家の先生もピンと来たのか、何色かを飛ばして、青みがかったレンズを選んで、試してみるようにと渡されました。

その薄い青を試してみると、確かに見やすい。でもちょっとまだ明るくて何か足りない。それで、その周辺の紫などを試すことになりましたが、かえって赤みがかると見にくくなってしまう。

それで、先ほどのブルーの一段階濃い色を試してみることに…。すると…。

ひと目で感じました。見やすい!

今までまだまぶしかった黄色い紙面が、もう眩しくない。目を見開いて、部屋中のものや、蛍光灯や、周りの人の顔を見ても、まぶしくないし、目を開いたままちゃんと見れる。目は疲れていて判断力がにぶっていますが、それでも明らかに違うと思う。

真っ黒なグレーにグリーンと濃いブルーを重ねているので、ものすごく濃いメガネになっていて、確かに視界が暗すぎるような気もするんですが、けっこう見やすい。

ただ、やはりちょっと濃すぎるような気はしたので、グレーを一段階落としてもらったんですが、そうすると明るくて見にくい。やはりグレーは最大限に濃くなければダメみたい。

また、別の色も一応試してみましょう、ということで、順番飛ばして試していなかったグリーンに変えてくださったのですが、それだと視界がグリーン一色になってしまって毒々しいというか人間の視界とは呼べないレベルで見るに堪えない。

不思議なことに、こんなに濃い色なのに、真っ黒にグリーンとブルーを足した状態だと、ちょっと暗すぎるかな、という意外には色みの違和感はないのです。視界が青みがかっているといった違和感は不思議とまったく感じない。本当に見やすくて落ち着いている感じです。

ちょっと暗すぎるかな、というところは、主治医の先生はしばらくかけて慣れてくると大丈夫ではないか、とおっしゃる。

確かに、その状態で持ってきた本を読んでみると、暗すぎるどころか、ほぼ違和感なく読みやすいんですよね。

うーむ…これは…こんなに真っ黒なレンズつけて、まともに見えるなんて常識では考えられないのだけど、実際にかけてみるととても自然に見えるという…。

気になっていたRGBノイズもほとんど問題ないし、なんだか体の緊張がとれるような、リラックスできるこの視界…。ついに答えが…見つかったのか…?

完璧にはまったピース

あまりのことにしばし呆然として、まるで狐につままれているようで、本当にこれで納得して良いのか当惑していると、続きは次回にして、改めて別の機会にもう一度確認しましょうか、とのこと。

さすがに今日は一時間もぶっ通しで見え方に意識を集中したので、確かに一旦仕切り直しがよさそう。

今回のフィッティングの結果について、わたしの主観が入っているようだったか、それとも一貫性があったか尋ねると、グリーンとブルーというのは一貫していた様子。

途中でさも色がわかっていたように書きましたが、この時点で聞くまで自分では何の色を試しているのかおぼろげにしか把握していませんでした。

そして、グリーンとブルーということは、その補色である黄色や赤色に過敏性があるんだろう、ということでした。いや、正確に言うと、青緑だから、補色はオレンジである。

ここでハッとしました。そうだ、前回のスクリーニングテストでまぶしかったのはオレンジだった。わたしの先入観では黄色かと思っていましたが、テストではオレンジだとわかったんでした。

今回のレンズの色合わせでは、わたしは途中からまったく思考が働いていなくて、見にくい色がオレンジだとかいうこともすっかり忘れていましたが、最後の最後に残ったのが、オレンジの補色の青緑というのは必然というか宿命というか。

これこそがまさしく、自分に合った唯一の色との出会いなのだと思いました。

そして、前回の記事でも触れたように、この色が、冒頭の絵など、わたしが神秘的な絵でよく用いる暗い青緑であることは偶然の一致とは思えません。

そういえば、前回の予想では、マクロスのマックスみたいな、グレーの入った青いメガネになるのでは?ということでしたが、色的には近かったものの、最終結果は、ほぼ真っ黒の、見た目には、青緑が入っていることなどわからないような色のレンズに。

アーレンシンドロームの本に、専門家の支援を受けずに自分でレンズの色を選んだら最適な色がわからないと再三再四注意されていましたが、確かにそうだわーと納得しました。

自分で選んだら、せいぜい最初の15色を選ぶくらいのところまでしかいかない。そして最初の15色の段階では、わたしは明るさに惑わされていたのか、よく使っている暖色系のブルーライトカットのフィルターのせいか、ピンクが比較的見やすいように感じていたのです。

あそこで、見かけ上の見やすい色にだまされるのではなく、本当に見やすい色にたどりつくには、途中で未知の領域に足を踏み入れ、自分では心眼鍛える修行か! とか投げやりになりながらも、的確に導いてくれる専門家の助けなしには無理だったと思います。

アーレンシンドロームの本を読んで、知識としては色々と取り入れているつもりだったけど、実際に体験してみると、まったくの予想外。度肝を抜かれたのでした…。

もしかしてすべては視覚認知から…?

ここまで来て、実は前回から薄々と感じていたのですが、ある仮説の信ぴょう性が増してきました。

というのは、じつは、わたしの別の症状も、実はこの光の感受性障害から来ているのでは?ということ。

それは相貌失認。つまり、人の顔が見分けられないし、印象にも残らないという症状。

まさかとは思っていたけれど、今回の結果を目の当たりにすると、もはや突拍子もない仮説とはいえない。

つまり、わたしが人の顔がわからないのは、人の顔の色がオレンジ系統で、じっと見ることができなかったせいではないのだろうか…。

あまりにも意外すぎる話ですが、そのことを持ちだしてみると、同席していた専門家の先生も主治医も、その可能性はあるかもしれないとの雰囲気。ここまでのフィッティングの経過を見ていると、そう思わざるをえなかったのでしょう。

明らかにわたしが一番見やすかったレンズの色は相当特殊だし、それは裏を返せば、普段から相当まぶしさを感じながら、無理をして見ているということ。

わたしは人の顔が印象に残らないのですが、まぶしすぎるものに対しては焦点をぼかして、おおざっぱに認知することで対処してきたので、人の顔もそのように見えていたのでしょう…。

信じがたい気もするけれど、これには先例があって、前にアーレンシンドロームについて初めて知った、ということで引用した認知心理学者の山口真美先生の別の本顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 – 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)には、視覚のせいで発達がおかしくなる話が書かれていました。

その本によると、自閉症の子どもは、生まれつき視覚が非常に鋭くて、細部に注目しすぎてしまうため、顔全体を見ることができず、顔認識が育たず、相貌失認を抱えることが多いのだとか。

絵の人物の顔の描き分けができない原因? 人の顔が見分けられない相貌失認のわたしの日常
リアルで顔を覚えられないのが絵の人物の描き分けにも影響している?

わたしは自閉症ではないし、細部に注目するようなタイプでもないですが、自閉症とは別の、明るいオレンジ色への過敏性を問題を小さいころから抱えていて、そのせいで顔を見分けられなかったのかもしれません。

こんなことがあり得るのだろうか…と思いながらも現時点では否定できないし、かなり説得力があるように感じます。

さらに、すっかり日が暮れて視界が楽になった帰り道、主治医の先生と話したんですが、わたしが夜型になりやすいのは、明るさ過敏のせいで夜のほうが楽なのと、家の中の照明程度の明るさでも神経が興奮して、なかなか鎮まらないからなのかもしれない。

さらにいえば、とても疲れやすいのも、常に明るさ過敏で、ごく普通の照明のところにいても、神経が緊張してしまうからなのかも。

主治医の先生も、一連のフィッティングの様子を見ていて、「相当過敏性があるのに、無理してやってきたんだね」というようなことを言っていました。実際には、多分過敏性が強すぎて、感覚を解離させて鈍麻させているので、自分の気づかないところで神経疲労や相貌失認などに出ていたのではないかと。

もっといえば、その相貌失認のせいで、親しい人の顔もわからないから、人より強い愛着の混乱が生じやすかったり、その結果として空想傾向が強くなったり、感覚過敏から解離するために不注意優勢型のADHDみたいになったりして、芸術的な傾向の成長へと結びついたのかもしれない…。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

思いもよらない進化を遂げる

すべてがすべて光の感受性障害で説明できるとは思いたくありませんが、あの衝撃の結果を見せつけられると、あれほどの感覚過敏を解離させて生きてきたのだから、それ相応の影響がドミノ倒しのように生活全体に及んでいても不思議ではない。

敬愛する脳神経科学者オリヴァー・サックスの火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)に、こんな記述があったのを思い出します。

発達障害や疾病の破壊力はたしかに恐ろしいが、同時にそこに創造性が見られる場合もある。

ある道が閉ざされ、ある行動様式が不可能になったとき、神経系はべつの道、べつの様式を見出し、思いもよらなかった発達、進化を遂げるかもしれない。(p33)

わたしの今の色々な能力は、前に書いたように、明らかに後天性のものです。わたしは間違いなく、もともと大きな才能を持っていたようなタイプではありませんでした。

わたしは、どちらかというとずっと、ほかの大多数の子とは違う扱いづらさを抱えていただけでした。10代までのわたしは度を過ごす行動で周りの人を困らせることのほうが多かった。

でも、20代ごろになって、少しずつ独特さが個性や才能として結実してきたと思っています。わたしに才能があるとすれば、それは先天性の「天才」ではなく、後天的な「適応」だと思います。

その点について、この本には、神経学者のL・S・ヴィゴスキーのこんな言葉も。

障害をもつ子供たちは質のちがった、独特な発達の仕方をする……健常児と同じレベルに達した視覚障害や聴覚障害の子供は、べつの方法、べつのコース、べつの手段でそこまで発達している。

教育者としてとくに大切なのは、子供を導くべき独特の道筋を知ることである。

この独特の道が、障害のマイナスを補償作用のプラスに変える。(p34)

そう、もともとのわたしは独特の道筋を歩む子どもだった。それが大人になってようやく、さまざまな幸運な出会いなどもあって「補償作用のプラス」に傾いてきていると思います。

そのおおもとが、もしかしたら、光の感受性障害だったのかもしれない。最初に光の感受性障害によってわたしの発達というロケットの打ち上げ方向が変わって、その傾いた軌道の上にわたしの人生があり、今ようやく、他の人たちには想像もつかない、まったく別の目的地の惑星が見えてきたのかもしれない…そんなことを感じました。

本当にそうなのか、それとも、別の要因を見落としているのかはわかりません。それは、これからさらに調べていく必要があるでしょう。

前回のスクリーニングでも相当びっくりしましたが、まさか今回さらに度肝を抜かれるとは思っていなかったです。自分で色々情報を集めてわかっていたつもりでしたが、本当に何もわかっていなかった。

でも、主治医の先生には無駄足をかけるどころか、とてもおもしろいものをお見せできたと思うのでよかったです。

まだこれからレンズの最終調整や発注、そして情報交換など色々と続きがありそうなので、これからどうなっていくのか、先の見えない旅路を楽しんでいきたいと思います。

▼続きを書きました

明るさ過敏,目の疲れ,読書の苦労の正体を探りに筑波大学に行ってきた話(4)
感覚過敏から気づいたことと2回目のレンズのフィッティング
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