夢を見たんだ きみの夢を
透き通る ガラスの海
言葉にならない 鮮やかな色光が 散りばむ 道の先に
手を取り合って 歩いていったそこはどこか 見知らぬところ
知らないけれど 懐かしい場所きっとこことは違う世界
時の彼方の はじまりの道いつかぼくらが たどり着く場所
わたしとあなたが 生まれたところ
時のかなたのガラスの海を歩く二人の絵を描きました。
夢の中の現実にはありえない色
「ふたりの時間」シリーズの新しい絵ですが、雰囲気からわかるように、先月描いた「はるか時のかなたで」の続き?みたいな作品です。
わたしは、たまに現実にはありえない色の夢を見ます。えもいわれぬ鮮やかな夢です。あまりに美しすぎて、起きたときには、どんな色だったか忘れてしまいます。きっとこの世界には無い色なのだと思います。
…こんなことを描くと、なんだかスピリチュアルですが、そういう話をしたいわけではありません(笑) 少し参考になるものとして、この前読んだ、脳神経科医のオリヴァー・サックス先生の見てしまう人びと:幻覚の脳科学 に、サックス先生が「本物の藍色」を見た話が書かれていました。
サックス先生は、若いころ、刺激を求めて解離性の薬物LSDの中毒になったことがあるそうです。(そのころはまだ合法だったとか 笑)
これを服用して20分後、白い壁に向かって叫んだ。
「いま藍色が見たい―いますぐ!」
すると巨大な絵筆から投げつけられたかのように、純粋な藍色をした、巨大な洋ナシ形の震える染みが現われた。
輝く崇高なそれは私を歓喜で満たした。それは天国の色であり、私が思うに、中世イタリアの偉大な芸術家ジョットが生涯をかけて出そうとしたが出せなかった色だ。
天国の色は地上では見ることができないから実現できなかったのだろう。
しかしかつて存在したのだと私は思った。それは古生代の海の色、かつての海の色だ。(p133)
サックス先生はいたって論理的な文章を書かれる科学者ですが、きっと、この体験は、こう表現するしかなかったのだと思います。わたしも気持ちがよくわかります。
わたしは麻薬中毒者ではないので、起きながらそんな色を見たことはないですが、おそらく解離傾向が強いためか、夢の中ではときたま見るのです。LSDなどの解離性の薬物は、起きながら夢を見るようなものなので、おそらくサックス先生が見たものとわたしが見ているものは似たようなものだと思います。
夢を見ているときは、前頭前野のブレーキが外れて理性がなくなり、感情が自由に飛び回ります。夢の中では、どんなにおかしなことでも大真面目に受け止めてしまうのはそのせいです。そして理性のたがが外れた感情はびっくりするほど鮮明になります。夢の中ではごく普通のことにものすごく感動したりします。
それは色の場合も同じです。夢の中で、わたしたちは記憶から色を再現しているわけですが、感情のリミットが外れているので、美しい色に異常に感動することがあります。それがサックス先生の「本物の藍色」なのでしょう。
さらにいえば、それはあれりふれた色に大げさに感動しているわけではありません。わたしたちの色の認知は、脳内のドーパミンレベルによって変化します。芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察によると、ドーパミンが多いほど、青色は鮮やかに感じます。(p81)
解離性の薬物の使用時には、ドーパミンのバランスが変化するので、普通はありえない鮮やかな青色などを見ることになります。色は、光とわたしたちの認知の両方が合わさって完成するので、ドーパミン過多のときに見る青は、現実にはありえないとはいえ、間違いなく神経学的には存在する色なのです。
わたしが夢の中でときどき見る色も、それと同じく、起きているときには再現できず、カメラに収めることもできないものの、確かに色彩認知の観点で見れば、非常に特殊な状況下でのみ存在しうる色だということなのでしょう。
しかし…科学的にみれば、おそらくそういうことなのだろう、と理解してはいても、「天国の色」とか「古生代の海の色」だとか表現したサックス先生の気持ちはよくわかります。あれはどこか始まりの場所、そしていつかたどり着く場所の色なのだ、と何の疑問もなく感じてしまいます。そして、その場所こそ本物の現実で、今この世界は作り物なのだと思ってしまったり。そんなことを言い出すとイデア論みたいですが(笑)
その色をぜひこの絵で表現したかったのですが…やはり、この世界には存在しない色なんですね。
いつも、そんな夢を見るたびに「この色を写真に、いや絵に写し取らなければ!」と夢の中で思うのですが、決してこの世界に持ち帰ってくることはできないのです。
▽追記:この話題について詳しくまとめました。