空想のファンタジー世界(パラコズム)の創作に必要な2つの要素


自の地理、歴史、言語、文化。ファンタジーの空想世界を作る人の想像力は際限がありません。たとえば、ナルニア国ものがたりなどの作品を読むと、非常にリアルに設定された世界観に、思わずのめりこんでしまいます。

オリジナルの世界を空想する能力は、ファンタジー小説だけではなく、絵画や劇、映画などとも関係しています。作家のなかには、自分の思い描いた世界を描写することに精力を傾けてきた人が大勢います。

そうした奔放な空想能力の背景には、どんな下地があるのでしょうか。創作しない人からすれば、作家の空想力は天性のもの、ずば抜けた才能のように感じられますが、それにはどんな背景があるのでしょうか。また、一見空想的な人というと、自分の殻に閉じこもった孤独な人を想像しがちですが、本当にそうなのでしょうか。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)という本に、少しおもしろいことが書かれていました。

ファンタジー世界を創るのに必要なのは知識

ファンタジーを空想するとなると、必要なのは、奇想天外な発想力や、独創的な想像力だと思われがちです。しかし、単に想像力があるだけでは、ファンタジーは作れません。そのことは、以下のような例で説明されています。

新しい因果関係の知識を得ると、以前なら想像もつかなかった可能性を思い描けるようになるのは、大人の科学者も同じです。この逆に、自由奔放なSF映画でも、制作当時の知識にどうしても制約されるところがあります。

未来都市を描いた『ブレードランナー』に、主演のハリソン・フォードが画面つき公衆電話をかけるシーンがあります。脚本家は、未来の公衆電話には画面があると思ったのでしょうか。未来を描いた作品には、どこか時代遅れなところが出てきてしまうものですが、その訳は、未来の知識がないのに未来の可能性を想像するからです。(p67)

この例からわかるのは、想像や空想というものは、既存の知識を土台に膨らますものだ、ということです。たとえば、魔法を使うファンタジー世界について、子どもが空想する場合を考えてみてください。

子どもは、世の中について、何も知らない状態で、魔法を空想するわけではありません。たとえば、自分では火を起こせないことを知ります。空を飛べないことに気づきます。そのような現実世界の知識があるからこそ、杖から火がほとばしったらどうだろう、空を飛べたらどうなるだろう、と想像をめぐらすことができるのです。

同様に、ファンタジー世界を創作する作家の場合も、現実の世界に関する知識があるからこそ、現実にはない要素を付け加え、普段ありえないようなことが起こる魅力的な世界を想像できます。

ファンタジーやSFは、まったく荒唐無稽なのではなく、リアリティを感じさせる要素が含まれているので、共感し、のめりこめると言われています。基本的な要素はこの世界と地続きです。たとえば、人間の心の働きや、物理法則はほとんど現実世界と変わりません。ハリー・ポッターの世界で言えば、鉄道も学校もあります。しかし一見この世界と似ている場所に、枠から外れた要素が散りばめられているので、リアリティと魅力が生まれるのです。

その点について、この本ではこう書かれています。

知識と想像力はまったく別のものとして扱われたり、対立するもののように思われていることすらあります。

ですが因果マップに関する最近の研究は、それとは正反対の事実を示しています。世界の因果関係を理解することと、反事実を思い描くことは表裏一体です。

わたしたちの想像を羽ばたかせ、創造性を発揮させている力の源は知識です。

複数の出来事のつながりがわかるから、そのつながりを変えたらどうなるかが想像できる。この世界を知っているから、別の世界を創造できるのです。(p67)

このような点を考えると、ファンタジーを創作する人は、自分の殻に引きこもって、現実逃避している人とは違う、ということがわかります。しっかり現実世界とも向き合って、綿密に情報収集し、この世界のことをよく理解している人こそ、ファンタジーを創作できる作家なのです。

空想の友だちという創造性

次に求められる素質というのは、他の人の心を自分の想像でありありと描き出せてしまうような、高い共感力です。

以前に書いた記事の中で、オリジナルの世界を創作するような人は、子どものときから持続的空想を続けている、ということを説明しました。彼らが創るファンタジー世界は、突然ぽっと出てきたものではなく、長年空想を続けた愛着のあるユニークな世界観だというものです。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

ところで、持続的空想を続ける、ということは、その世界に登場する人物について思いをめぐらす、ということでもあります。人物がまったく存在しないオリジナルの空想世界というのは、まずありえないでしょう。おそらく、空想世界が最もリアリティを持つのは、登場人物によってストーリーが展開していく時です。

このとき、登場人物は、自分とはまったく異なる複数の人かもしれませんが、それぞれの人の人格をイメージし、会話を組み立てています。しかし操り人形のようにそれを動かしているかというと、そうではないようです。むしろ、作家は、それぞれの人物が自分の意志で行動し、それを観察しているかのように感じるといいます。

この本では、そのような心の働きと関係しているのは、幼少期の空想の友だち、イマジナリーコンパニオンと呼ばれる存在だといわれています。イマジナリーコンパニオンは、60%以上の子どもが持つと言われている架空の友だちで、会話したり、ごっこ遊びをしたり、時にはケンカしたりもできるそうです。

この存在は、大人になるにつれ、ほとんどの人が忘れてしまうのですが、小説家のような作家は、覚えている割合が高いといいます。文学賞を受けた作家からアマチュアまで50人を対象とした調査についてこう書かれています。

興味深いのは、約半数は幼児期の空想の友だちを覚えていて、その特徴もいくらか答えられたことです。対照的なのは一般の高校生で、幼い頃は多くが空想の友だちをもっていたのでしょうが、今もそれを覚えていると答えた生徒はわずかでした。(p93)

なぜ小説家は空想の友だちのことをよく覚えているのでしょうか。はっきりしたことはわかりませんが、おそらく、単に記憶力がいいわけではないようです。考えられるのは、普通の子どもたちより、空想の友だちとの関わりが深く、その期間も長かったのではないか、という理由です。

つまり空想の友だちだけではなく、彼らが存在する空想の世界をも創っていたというわけです。これをパラコズム(Paracosm)といい、子どもが創る独自の言語、地理、歴史をもった空想世界のことを指します。

そのような空想豊かな人は、大人になってからも、ちょうど空想の友だちをイメージするのと同じやり方で、小説やマンガや映画の登場人物について創作しているのです。

パラコズムを創る子どもの特徴

最初に考えたところでは、ファンタジーを創る人には、現実的なところがあるということでした。パラコズムを創る子どももそうなのでしょうか。その可能性はあります。

たとえば、空想の友だちを持ちやすいのは、テレビや本をあまり見ない子どもだそうです。他人のファンタジーに浸ると、自分のファンタジーを持ちにくいのかもしれません。(p77)

また、友だちがいないから空想の友だちを持つかというと、そうでもないのです。むしろ空想の友だちを持つ子どもは人懐っこいといいます。周囲の人たちのことを人一倍気にかけてしまうので、いない人のことまで考えてしまうのかもしれない、と言われています。病んだ心の妄想ではないのです。

空想の友だちを持つ子どもは、「心の理論」、つまりコミュニケーションや共感の能力が高いとも言われています。現実の人間について感情移入できるからこそ、空想の人格を思い描くこともできるのです。(p88)

とはいえ、過去の記事で持続的空想について取り上げたときには、その背景に孤独やストレスがあるのではないか、とする説明も紹介しました。実際、一人っ子や上の子はイマジナリーコンパニオンを持ちやすいそうです。これらはどちらかが正しいというわけではなく、どちらも正しいといえるでしょう。

つまり、一人でいることを気にしない子どもではなく、周囲の人のことを人一倍気にかけてしまう子どもだからこそ、他の人より寂しさを感じやすいのかもしれません。人の気持ちに敏感だからこそ、あれこれと想像がふくらんでしまうのだ、とも考えられます。

そのようなわけで、ファンタジーの世界を創作するような人は、自分の殻に閉じこもった孤独な人ではなく、外の世界にいろいろと興味を持つ人、人間の心に人一倍 興味がある人である、といえそうです。

わたしの場合

正直なところ、わたしの空想世界は、かなりあいまいです。パラコズムのように独自の言語などはなく、日本語を話していますし、地理、歴史も適当にしか考えていません。本当にファンタジーの空想力豊かな人とは比べることもできません。

その理由は、現実の世界に関するわたしの知識が、あまり豊富でないことが関係しているでしょう。たとえば、建物や動物や文化についてもっと詳しければ、ファンタジーは豊かになるのかもしれません。

とはいえ、わたしは空想の友だちのことをよく覚えています。空想の友だちを持ちやすい性格だったかというと、確かに内気ではありませんでした。外交的と呼ばれるほど活発ではありませんでしたが、いろいろなことに興味を持つ子どもでした。友だちはそれなりにいましたが、同時に孤独感もありました。

小学校から高校の間は、小説を書くことに凝っていて、推理小説を書きまくっていました。そのとき、幾人ものオリジナルのキャラクターを作りました。オリジナルの人物を作り、彼らの言動を創作する、というのは、やはりコミュニケーションに関心があるからこそ可能なのだと思います。

その当時のことが、今描いている絵に反映されているかというと、あまりそういうことはありません。当時のキャラクターは小説の中に封印されたままです。どちらかというと、今回の話題は、小説を書く人に当てはまるのであって、絵の創作とは少し違います。

でも、わたしが風景画やアニメのキャラクターの絵ではなく、オリジナルの人物が登場する絵を描き続けていることには、こうした下地があると思うのです。人物がつむぐストーリーに興味があるからこそ、だれかが冒険する絵を描くのだと思います。

このように、ファンタジーを創る人にとって、知識と共感力は、大きな意味を持ちます。オリジナルの空想世界を支えるのに不可欠な要素として、記憶にとどめておきたいと思います。

子どものころからの空想傾向についてはこちらの記事でも扱っています。

子どもの4%が持っている「空想傾向」 とは? 絵が描けるのは描きたい世界があるから
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