二人は必ずめぐり逢う We Will Definitely be able to Meet Again.

この広い星の上
ぼくらがめぐり逢えたのは

偶然なんかじゃないよって
ぼくはいつも思うんだ

たとえ幾千 幾万の
世界があったとしてみても

ぼくらは必ずめぐり逢い
きっと笑顔で抱きしめ合う

ぼくがそこにいるのなら
君も必ずそこにいて

命の燃える日の限り
同じ時間を過ごすだろう

たとえ別れが来ようとも
何も恐れることはない

きっと必ず逢えるから
広い世界で何度でも

ぼくと君との物語
決して終わらぬ物語

きっとめぐり逢う二人のイラストを描きました。どんな世界でも、必ず出逢うことのできる二人の絵です。

■偶然と必然

わたしは特にマルチバース理論(多元宇宙論)とか、運命論を信じているわけではないのですが、数年前にふと思って書き留めていたのが、今回の詞の元になる考えでした。

人生には、偶然として片付けられない、というより偶然として片付けたくない出来事があると思うのです。現実的な話をしてしまえば、どんな運命的に思える出来事でも、統計を取ってみれば偶然の確率の範囲内に帰結するかもしれません。

たとえば ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? という本によると、統計学者ウィリアム・フェレーの話が出てきます。彼によると、第二次世界大戦中のロンドンへの空爆は、地図に表すとはっきり偏りが生じるので、何らかのパターンがあると信じられていました。しかし厳密な統計分析をしてみると、完全なランダム分布だったのです。

フェレーは、「訓練されていない人の目には、ランダム性が規則性に見えたり、クラスター(群れ)を形成するように見えがちである」と指摘しています。(p171)

ほかにも有名な本を分析してみたら暗号が仕込まれていたとか、夢で見た内容が現実になったとかいうのは、一見パターン(必然的なもの)に見えて、実は統計的には偶然の範囲内であることが知られています。

もちろん、あまりにも低い確率のことが重なって起きるようなら必然を信じることも道理にかなっています。たとえば、宝くじに一回当たるのは偶然ですが、何十回と当たるとしたら裏に作為的な必然があるはずです。

すべてのことは偶然だと言うのも(不可知論)、すべてのことは必然だと言うのも(運命論)、どちらも極端であって、じっくりと一つ一つを見極めていかなければならないと思います。

■それでも必然だと思いたいこと

このように何かの出来事を、感傷的に必然だと言ってしまうのは、あまり良くないことです。それでも、あくまで感傷にひたって、ときには必然を信じたくなることだってあります。

もしたとえ別の時代に生まれていたとしても、また全く異なる世界に生まれていたとしても、二人は磁石のようにお互いを引きつけあい、きっと出逢うのだとしたら、それはとてもロマンティックです。

中には戦乱の世に生まれて、苦しみのさなかに死ぬこともあるかもしれない、あるいは今この世界より幸せな時代に生まれて、満ち足りて過ごすこともあるかもしれない。でも、どこにいようと、二人は必ず出逢うことになっているのです。

運命的な出逢い、という言葉はおとぎ話の世界だけのものであることは知っている、でもそんなおとぎ話の世界に足を踏み入れて夢を見ていたい…そんなふうに思います。

現実的な見方で考える、というのは大切ですが、人間には夢を見る能力だってあるのです。反実仮想が現実をより豊かにするのだとしたら、何から何まで現実主義である必要はないのではないかと思います。

二人の出逢いは必然だった、という夢を信じて、現実をより豊かにできるのだとしたら、わたしはそれを信じてみたいと思います。

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