なぜクリエイティブな人は男らしさも女らしさも兼ね備えているのか―創造性はジェンダーフリー


術作品の奥深さをはかる物差しの一つは、どの程度広い範囲の人たちの心に訴えられるか、ということです。表現力豊かな芸術は、性別を問わず、さまざまな年代や背景、文化の人の心をつかみます。

世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方という本によると、創造性やフロー理論について研究している心理学者、ミハイ・チセントミハイは、創造的な人の特徴の一つは、男性的でもあり、女性的でもあることだ、としています。(p59-61)

男性的でもあり女性的でもあるとは、昨今の「草食系男子」などにみられる「中性らしさ」のことではありません。それは、ある場面では男らしく振る舞うことができ、別の場面では女らしく振る舞うこともできるという柔軟で豊かな特性のことです。

チクセントミハイは、著書クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学の中でこう述べています。

この両性具有的な傾向は、時折、純粋に性的な観点から理解され、その結果、同性愛と混同されてしまう。しかし、心理的な両性具有性はより広い概念であり、ジェンダーとは関係なく、攻撃的であると同時に慈しみ深く、繊細であると同時に厳格であり、支配的であると同時に従順であり得るという、一人の人間の能力を意味する。

心理的に両性具有的な人は、事実上、自分の反応のレパートリーを倍増させ、世界との交流においては、より豊かで多様な見方で好機に対処できるのである。したがって、創造的な人々が、自分のジェンダーの長所ばかりでなく、もう一方のジェンダーの長所を持つ傾向にあったとしても、それは驚くことではない。

…彼らは自分のジェンダーには一般的でないこれらの特質を持つ一方で、自分のジェンダーに一般的に特有とされる特質も保持していた。(p80)

なぜクリエイティブな人たちは、男性的な部分と、女性的な部分を両方とも合わせ持つのでしょうか。それがどのように、創作に役立つのでしょうか。最近の脳科学の発見も参考にしつつ考えてみたいと思います。

男らしさ女らしさとは何か

そもそも、まず問うべきは「男らしさ」あるいは「女らしさ」とは何であるか、ということです。

わたしたちはあまり疑問を抱かずに、「男らしさ」「女らしさ」を受け入れています。

たとえば、男の子が泣くと「男なんだから泣いちゃだめ」と叱られることがあります。この場合、「男らしさ」とは、人前で感情を表さず、毅然としている、ということなのでしょう。

また女の子が、チャンバラごっこをしたり、靴を脱ぎ散らかしたりしていると、「男勝り」とみなされて、「もっと女の子らしくしなさい」と言われるかもしれません。この場合、「女らしさ」とは、おしとやかにして、強く主張したり争ったりしないことを指しています。

しかしながら、大きな疑問も生じます。男の子が人前で泣いたり、女の子が自由奔放に振る舞ったりすることは本当に間違っていることなのでしょうか。

言い換えれば、男の子は必ず男らしくなければならず、女の子は必ず女らしく振る舞うべきなのでしょうか。

「男性脳」「女性脳」はほとんど存在しない

一般に、男性と女性は、脳の仕組みが違っていて、男性は好戦的かつ理知的、女性は協調的かつ感情的などと分類されることがよくあります。

つまり、男らしさ、女らしさ、というものは、生まれつき脳の構造として決まっていて、それぞれ得意なこと、苦手なことがあるのだ、というわけです。

このような「男性脳」「女性脳」というステレオタイプは、いわゆるテレビなどで活躍する「脳科学者」などによってまことしやかに説明されてきました。

それを聞いた人たちは、「なるほど、だから、わたしと夫とでは、こんなに意見が合わなかったり、感情をわかってもらえなかったりするのね」、などと自分の経験に照らして納得してきました。

しかし、この「男性脳」「女性脳」というのは、神経神話、すなわち非科学的なゴシップのようなものである、ということが最近の研究では明らかになっています。

MRIなどの技術開発に携わった小泉英明博士は、著書脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス)の中でこう述べています。

男女の脳でまったく差がないということはなく、明らかに一部の差はあるでしょう。でも、それが男脳、女脳というほど決定的なものではない可能性があるのです。(p164)

この本の説明によると、脳は初期の胎児の状態では、すべていわゆる「女性脳」です。しかし男性ホルモンが分泌されてくると、脳が変化していきます。

しかし男性ホルモンがどの程度分泌されるかは人によってさまざまです。女性でも男性ホルモンが多めの人もいれば、その逆もあるでしょう。脳は人それぞれ異なっていて、男性脳、女性脳と二分できるわけではないのです。

以下の記事では、男性脳、女性脳がほぼ存在しないことが確認されたという近年の研究について紹介されていました。

「男性脳」「女性脳」は存在しない?:英国の研究結果 « WIRED.jp はてなブックマーク - 「男性脳」「女性脳」は存在しない?:英国の研究結果 « WIRED.jp

完全な“男脳”と”女脳”は ほぼ存在しないことが判明(イスラエル研究) : カラパイア はてなブックマーク - 完全な“男脳”と”女脳”は ほぼ存在しないことが判明(イスラエル研究) : カラパイア

※ちなみに芸術の分野でよく使われる「右脳人間」、「左脳人間」という概念も脳科学的には正しくないので、このサイトでは、そうした内容は書いていません。どんな人の場合でも右脳と左脳は協調しながら創造性を発揮しています。

脳よりも大きな文化の影響

では、男性と女性の脳がそれほど違わないのであれば、何が「男らしさ」「女らしさ」を生み出しているのでしょうか。さきほどの本はこう述べます。

たとえば親が子どもに話しかける言葉を統計的に調べている研究があります。

これによると、やはり女の子には親が女性らしい言葉で話しかけるのですね。逆に男の子には女の子と同じような話し方はしませんし、男の子らしい遊びをさせるよう促したりする。これは統計的なデータです。

そういう環境で子どもを育てると、女の子には女の子らしさが自然と身につきます。男の子は男の子らしくなります。

それは言ってみれば親が与えた環境で、子どもが無意識のうちに学習していった結果です。

女の子はおままごとが好きで、男の子はチャンバラが好きになったりするのは、小さいころの環境で刷り込まれた部分が大きいわけです。これがいわゆるジェンダーですね。(p163)

わたしたちが「男らしさ」「女らしさ」と考えているものの大部分は、生物学的な脳の影響ではないのです。それは、文化と社会が作り出した人工的な鋳型「ジェンダー」でしかありません。

マサイ族の男性、カージ族の女性

このような説が本当であるかどうか調べたのは、その問題、経済学で解決できます。の著者、ウリ・ニーズィーと、ジョン・A・リストです。

彼らは、行動経済学者として、男女の経済格差の問題に取り組みました。

一般に、女性がよい仕事につけないのは、男性に比べて競争心に欠けるからだ、と説明されています。確かに先進国の調査では、女性は仕事につく際、男性ほど競争的でないことが明らかになっていました。ではそれは生まれつきの脳の構造によるのでしょうか。

彼らは真実を調べるため、大胆な調査に乗り出しました。世界で最も女性が強い民族と、最も男性が強い民族のところへ行ってみたのです。

世界で最も女性が強い民族、それは母系社会のカージ族です。そこでは、女性がすべてを仕切っていて、男性は女性の家にお婿へ行き、財産も与えられず、常に抑圧されて過ごしています。

一方、世界で最も男性が強い民族とはマサイ族です。そこでは、女性は単なる「もの」でしかなく、家財道具のようなものであり、一人の人間としての権利は与えられていません。

そのような対照的な二つの民族それぞれに競争的なゲームをさせたところ、どうなったでしょうか。

マサイ族の男性はもちろん競争的でしたが、カージ族の女性も負けず劣らず競争的で、むしろ、よりアグレッシブでさえあったのです。

逆に、カージ族の男性は、おとなしくて自己主張に乏しく、マサイ族の女性と同様、「女々しい」性格でした。

明らかに、「男らしさ」「女らしさ」は文化や社会が生み出すものであり、もともと生まれつき備わっているものではないのです。

創造的な人はなぜ男らしく女らしいのか

ここで、最初の疑問に立ち戻りましょう。なぜ創造的な人は、男性らしくあると同時に女性らしくもあるのでしょうか。

これまで考えたところによると、男性らしさ、女性らしさとは、文化や社会が作り出した、ステレオタイプにすぎませんでした。

そうすると、男性らしくも女性らしくもある人というのは、文化や社会の常識やルールにとらわれない人、と言い換えることができるでしょう。

そして創造性、クリエイティビティとは、すなわち、常識にとらわれない発想、既存の概念を打ち崩す力のことをいいます。

男性でありながら女らしさも兼ね備えている人、あるいは女性でありながら男らしさも兼ね備えている人は、既存の文化や社会の常識にとらわれない人であり、だからこそ豊かな創造性を発揮できるといえるのです。

さまざまな視点と豊かな発想

男性らしさも女性らしさも備え持っていることは、どのような場面で創造性に寄与するのでしょうか。

一つには、そうした人たちは、さまざまな観点から物事を見ることに長けていて、男性的な視点と女性的な視点を切り替えられるので、枠にとらわれない発想をしやすくなります。

これはたとえば、小説などの創作にはとても有利に働く能力です。

小説を描くには、当然ながら自分と同性の登場人物だけでなく、異性の登場人物も描けなければなりません。

そのような場合、男女どちらの視点も兼ね備えていれば、とても深みのある心情描写ができます。勇敢でたくましい人物から慈愛に富んだ繊細な人物まで、登場人物のレパートリーは相当広くなることでしょう。

以下の記事では、冒頭で紹介した心理学者ミハイ・チクセントミハイの別の本から、チクセントミハイが男性らしさ・女性らしさと創造性との関わりについて述べた次のような言葉が引用されています。

創造性あふれる人は男らしさと女らしさを併せ持つ | ライフハッカー[日本版] はてなブックマーク - 創造性あふれる人は男らしさと女らしさを併せ持つ | ライフハッカー[日本版]

創造性を持つ人は、こうした男女の役割の固定観念にとらわれない傾向があります

若者たちを対象として、男らしさや女らしさを評価するテストでは、創造性と才能にあふれる少女は他の少女よりも支配的でたくましく、創造性に優れた少年は他の少年に比べて繊細でやさしい傾向にあることがわかっています。

こうした結果は、何度も繰り返し出ているものです。

この言葉の元になっている記述は、冒頭で引用したチクセントミハイの著書、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学に見られ、このように書かれています。

あらゆる文化において、男性は「男性的」に育てられ、文化が「女性的」とみなす気質的な面を無視し、抑圧するように方向づけられる。一方、女性はその逆を期待される。

創造的な人々は、いくぶん、こうした厳格な性役割の固定観念から自由である。

若者たちに対して男性性/女性性のテストを実施すると、創造的で才能のある少女たちは他の少女たちよりも支配的でたくましく、創造的な少年たちは他の少年たちよりも繊細で攻撃性に乏しいことが、繰り返し見出される。(p80)

小説、絵画などの芸術はもちろん、創造的な仕事はどんなものでも、さまざまな観点から考えられる柔軟性と、常識に縛られない自由な発想とが求められます。

男らしくもあり女らしくもあることは、あらゆるクリエイティブな場面で役立つ才能といって差し支えないでしょう。

女らしくもあったアンデルセン

歴史上のクリエイティブな偉人たちの物語をひもとくと、確かに、男らしさと女らしさを兼ね備えていたと思われる人たちが多くいます。

そのうちの一人はハンス・クリスチャン・アンデルセンです。

アンデルセンは男性の童話作家ですが、今に残るその作品群からは、彼が女性らしい感性も備え持っていたことがよくわかります。

人魚姫、マッチ売りの少女、おやゆび姫といった女性が主人公の童話も数多くあり、少女時代にアンデルセンの童話を読んで夢を膨らませた人も多いかもしれません。

実際に、アンデルセンの残した手記などを見ると、性同一性障害というほどではないものの、自らのうちの女性らしさを自覚し、悩んでいたことがわかります。

たとえば、彼の作品の一つ、ただのヴァイオリン弾き (アンデルセン小説・紀行文学全集)の中に出てくるナオミは、ドレスアップし、男装して口ひげまでつけました。これはアンデルセン自身の性的なあいまいさに関する葛藤の現れかもしれません。

アンデルセンはあまり自由な価値観が育っていない社会、文化で育ったため、自分の中の女性らしさに困惑しました。

しかし男性らしくも女性らしくもあったことにより、現代まで語り継がれ、性別を問わず愛される文学を創造できたのは注目に価します。

創造性はジェンダー・フリー

人類の歴史は、残念ながら、男性が主導権を握り、女性は抑圧を強いられるという悲劇を繰り返してきました。

かつて女性は男性に比べて能力が劣るとまことしやかに論じられ、その証拠として、歴史上の偉人たちはほとんど男性で占められていることが引き合いに出されてきました。

しかしそれは勘違いも甚だしいものであり、単に女性たちは、置かれた環境のせいで、才能を開花させる機会に恵まれなかっただけなのです。

以前の記事にも引用しましたが、天才の脳科学―創造性はいかに創られるかの中で、女性の脳科学者として成功したナンシー・アンドリアセンはこう書いています。

どのくらい多数の天才が、創造的な性質をもって生まれながら、育ちが整わないばかりに実現できずに終わったのだろうかとも考えた。

たとえば人間の半数は女性であるのに、その天才が認められた女性は極めて少ない。…女性が生まれつき男性より創造性が低いとは信じられない。

しかし話は男女の違いに止まらない。人種、偏見、貧困、戦争、教育の欠如など幾多の障害が創造性の発芽を抑えてきたのだ。(p9)

しかし今や、人間の脳の研究が進むにつれ、男女の能力差に関する俗説は誤りだと明らかになりました。脳科学の証拠は、脳の男女差はほとんどないことを証ししています。

興味深いことに、歴史上最もIQの高い人物としてギネスブックに載っているマリリン・ボス・サヴァントは女性です。(もちろんIQが賢さの指標として使われていたのもまた科学の誤りです)

また、解離性同一性障害、いわゆる多重人格の研究において、男性の患者が女性の人格を同時に抱え持っていたり、その逆の場合もあったりすることがわかっています。

もし男性の脳が「男性脳」なら、女性のように感じ、考え、行動するもう一人の人格など存在できるはずがないのです。

「男らしさ」「女らしさ」というのは、男性中心の社会が作り上げてきたジェンダーにすぎません。

本来は、男性は男らしくさえあればよいのではなく、女らしい感性も兼ね備えているべきであり、女性もまたしかりです。

人間の脳は、確かに性差はいくらかあるものの、基本的にはジェンダーフリーであり、創造性もまたそうなのです。

わたし自身も、昔から、そのときどきで女らしいと言われたり男らしいと言われたりしてきましたが、創造的な人についてチクセントミハイの見解を知った今では、心なしかうれしく感じています。

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