夜のとばりの鏡像世界―光が眩しすぎたから創られた もうひとつの物語(2)


が強ければ、くっきりとした陰ができる。光がまぶしければ、それだけ暗い世界が慕わしくなる。そんなテーマのもとで、書き始めたアーレンシンドロームをめぐるシリーズ記事のセカンドシーズン。

第一回となった前回は、アーレンの当事者の集まりに行ったときの感想と、わたしの3つのBの難しさという心理的な感受性の強さについて書きました。そして、わたしにって夜の時間が、夢や芸術という心の避難所として機能していたことに触れました。

アーレンの当事者・専門家の集まりに参加して感じた夜の世界の役割

今回の第二回では、現実世界の文字通りの明るさを暗くするためにやってみたこと、照明器具の買い替えやパソコンの輝度を限界を超えて暗くしてみたことなどを書きます。

その結果またもや浮かび上がってきた、意外な発見がありました。じつはわたしは昔からアーレンのせいで暗い場所を求めてさまよっていたのではないか、そして、もしそれがなければ、全然違う性格になっていたのではないか。

今回は、昼と夜のはざま、薄明かりのトワイライトゾーンをめぐるお話です。

深海図書館

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照明器具を暗くしてみた

わたしは今まで、部屋の照明は、通常の蛍光灯を使用していました。一時期、暖色のほうが、副交感神経を活性化させてリラックスできる、というような知識をどこからか得たので暖色系の電球色にはしていましたが、特に楽になった印象はありませんでした。

確かに、暖色系は体が寝る準備をする夕暮れの色なので、リラックスするのを助ける、というのは話としてはわかります。おそらく、その情報を得たのは、NHKのためしてガッテンか何かだったと思います。かなり昔の、まだテレビが家にあって、時々見ていた時期のことですね。

今となっては、テレビなど大衆向けのメディアは社会の多数派に当てはまる情報を中心に報道していることを承知していますが、当時は自分がADHDだとも少数派だとも気づいていませんでした。

それにADHDだとわかった後になってさえ、まさか黄色やオレンジ色あたりに特に感受性が強いアーレンだなんて思ってもみませんから、暖色系の電球色が楽にならないとは気づいていても、ほかにどうこうしようとも思わなかったのです。

光をたてまつる現代社会

わたしが生まれ育った時代は、電球は、きれいで明るいほうがいい、という信仰が科学的真理のように たてまつられてる世界です。

わたしの親は近視ですが、祖母から暗いところで本をずっと読んでいたから目が悪くなったとよく言われていました。

暗い照明は目に悪いというのが一般的な通念ですし、家電メーカーはこぞって、明るくてきれいではっきり見える照明を宣伝しています。家電量販店に行けば、隅から隅まで明るい照明が照り輝いていて、いかに明るさが無条件に良いものだと信じられているかがわかります。

エジソン以来、電球の発明というのは、いわば科学の発展の象徴となってきました。人類は電球のおかげで、室内でも自由に作業できるようになり、夜も働けるようになりました。文明化とは、24時間社会の登場そのものでした。

光を無条件に良いものとみなし、どこもかしこも明るい照明で満たしていく現代社会は、どことなく古代の拝火教を思わせます。炎を神聖視して たてまつっていたゾロアスター教は、蛍光灯やLEDの光をもって夜を征服せんとする現代の文明人たちの光信仰に生まれ変わったのでしょうか。

わたしも そのただ中で育ったので、まさか光を暗くして過ごせばいいなどと思わなかったのです。先天性白皮症でもないのにカーテンを閉めて、暗い部屋で過ごすなんて、あからさまに異常者とみなされますし、自分でも心理的な抵抗がありました。

でも、明らかに、光を盲目に崇拝する社会なんておかしかったのです。たとえば概日リズム睡眠障害になる子どもたちは、おそらく普通よりも夜の光害に敏感な炭鉱のカナリアのようなものでしょう。光を信仰している人たちは、まぶしすぎて目がくらんでいるのか、光害が健康に及ぼす影響なんてものは見えていません。

何かを盲目的に信奉して社会全体がそれに追従するのは危険ですし、抗生物質による耐性菌にしても、大気汚染による呼吸器疾患や温暖化現象にしても、いずれはその害を刈り取ることになります。

多くの人はいざ事態が深刻化するまで気づきませんが、たまたまわたしは、人工的な光で満ちた現代社会には相容れない体質を持っていて、それがアーレンだったということなのでしょう。

ちなみに現代の24時間社会を拝火教に例えるのはわたしのアイデアではなく、どこかの本で読んだ覚えがあるのですが、出典健忘です。海外の体内時計の専門家の本ではないかと思ったのですが…。

調光できるシーリングライトを買う

さて、先月になって、ようやくわたしはアーレンだとわかり、前回の記事に書いたとおり、アーレンの人は薄暗い照明のもと(薄暮時)だと目が悪くなるどころか、かえって視力がよくなることも知りました。

アーレンと分かる前から、今まで使っていた照明が明るすぎることに気づいていましたし、メガネが完成するまでまだ時間がかかるので、この機会に照明を買い換えることにしました。

どんな照明が良いか、専門家の先生に尋ねてみたのですが、残念なことにこれといって情報がないらしい。人によって症状が色々なので、暗くすればいい人もいれば、色味を変える必要のある人もいるのでしょう。

それで、とりあえず、わたしが買おうと思ったのは、明るさを調光できるタイプの照明器具。

そういえば、疲労医学のほうで、エコナビスタシステム(快眠健康ナビ)というのがあって、その機能のひとつに、時間帯によって光の強さを調光してくれるというものがあったのを思い出したからです。

調べてみると、調光できるタイプの照明器具は色々と発売されているっぽい。家族にも協力してもらって、自分なりに選んでみたのが、パナソニック LEDシーリングライト調光・調色タイプ~6畳 HH-CA0620AZという手頃な価格の照明器具でした。

価格がそこそこ安いので失敗してもいいかなと思えましたし、5%刻みで微妙な調整が可能そうでした。また、調色機能もついているので、暖色か寒色かを選べるのもいいかなと。

照明を調光・調色してみて

そうして買ってみたシーリングライト(間接照明)。取り付けは簡単でした。

早速リモコン操作で調光と調色。かなり自由に明るさ、色味を調整できます。

しかし…明るさの最低ラインが思ったより高く。よくよく説明を見ると、50%程度までしか落とせないんですね。最低レベルでも、まだ少し明るいかなーという印象がありました。

調色は完全な白だとまぶしく感じてしまうので、少し暖色寄りの中間レベルに。かなり微妙な調整ができるのはありがたいです。

最初は明るいと思いましたが、一時間くらい過ごしてみると、とても楽なことに気づきました。

以前の照明器具よりは段違いに楽で、心身ともにリラックスできますし、常夜灯よりは明るいので生活に支障はありません。

一応、常夜灯の機能もついていて、そちらも6段階調節できるので、寝る前はそちらに切り替えるのもありかなと。

ただLEDなので、すべての波長の光が含まれているわけではなく、バソコン画面など見にくくなってしまうものも。メガネが届いたら、照明は明るさを上げて、メガネを使ってパソコン作業したほうがよさそうです。

ほかにも自分一人でない時は、明るさを上げて運用する場面もありそうなので、その点でも調光できるのはよいと思います。

パソコンの輝度もさらにカットする

使っているパソコンのほうは、OSはWindowsですが、これまでも輝度は最低にして、その上フリーソフトのf.luxで暖色系Fフィルターをかけてブルーライトをカットしていました。

それだけではまだ明るいので、JINS PC(JINS SCREEN)のメガネの一番色の濃いNIGHT USEタイプも常時装着。

本当は暖色系にするのではなく、フリーソフトのD-Filterを使って、もっと輝度を下げたかったのですが、部屋の照明が明るいせいで、輝度を下げると相対的に見にくくなってしまうのです。

しかし、今回照明器具を暗くできたことで、D-Filterを再度引っ張り出してきて、輝度を最低よりもさらに下げてみました。

本来はひとつのソフトでできたほうがいいのですが、今のところ、色味はf.lux、明るさはD-Filter、という同時使用で、スクリーンを見やすく調整しています。

D-FilterはポップアップするプレビューウィンドウやIMEの変換ウィンドウなど、一部領域にフィルターがすぐにかからないという問題があります。また、明るさは下げられるものの、コントラストを上げられないので、暗くすればするほどもやっとした画面になるのも不便。

今のところはこの2つで暗くするしかないとはいえ、メガネが届いたら、メガネのほうで明るさをカットしたほうが、コントラストがはっきりして見やすくなると思われます。

ちなみにiOSのほうは、本体設定で、明るさ最低まで下げれば十分暗くできますし、最近ではディスプレイの色味も設定できるようになり、もともと視認性の高いフォントであるなど文字も読みやすいので、とても優秀です。

トワイライトを求めてさまよっていた

こうして、部屋の照明は暗くなり、それに伴って、パソコンの輝度もさらに暗くなりました。

照明を変えてみて感じるのは、こんなに楽になるのに、なんで今まで気づかなかったのだろう、ということ。

まず家の中での疲れがかなり減りました。今までだと家の中でもときどき横になって休んでいたのが、それなりにリラックスできるように。パソコン作業の疲れもかなり緩和されました。もちろん光過敏だけで疲れているわけではないでしょうが、かなり大きな要因を占めていそうなのに、なぜ今まで気づけなかったのか。

さっき書いたように、照明は明るくて当然、という世の中のアタリマエに惑わされていたこともあるでしょうが、それにしても気づくのが遅かった。

思い返せば、昔から、変な傾向はあったのです。もともとわたしは勉強机で勉強ができず、そんな変な所でばかり勉強していました。

部屋を真っ暗にして手元のスタンドライトだけつけて勉強していたり、お風呂の中のほうが集中できたり、廊下の明かりのほうが落ち着いたりと。

なぜそうした場所のほうが集中できるのか、当時は単に、雑踏のあるカフェのほうが集中できるとか、お風呂でアイデアが思いつくとか、そうしたよくある話の延長線上にあるものだと思っていました。

なぜ勉強机で勉強できなかったのか

今になってはっきりわかるのは、それらの場所の共通点は照明が暗めのところだったということです。

そういえば、高校入学前にUSJに行ったとき、列に並んでいる待ち時間に春休みの因数分解の宿題をやっていたのですが、あのとき妙にはかどったなーという記憶も。あの通路もかなり暗かった。

前の記事に書いたように、わたしの日常生活では、明るさはあまり意識されていませんでしたから、ずっと理由がわからなかったのですが、勉強机などの普通の環境では無意識のうちに明るさに気が取られて集中できなかったということだったのでしょう。

まあ、それだけでなく、まじめにじっと椅子に座っているのが苦手だったので、HSPとしての他の感覚過敏も関係してたのでしょう。今でもこうした記事を書くときは寝そべったりしていますし。

このような出来事を振り返ると、やはり、この一連の記事のタイトルどおり、わたしにとって昔から「夜」の暗がり、光がまぶしすぎるからこそ必要だったもうひとつの世界が大きな役割を果たしていたことがわかります。

今、部屋の照明を調光して、ちょうど夕暮れ時の薄明かりのような明るさになっていますが、パソコンのコントラストが見づらいことを除けば、すごくリラックスできて楽です。

こうした明かりは、いわゆるトワイライト(字義:はざまの光)と呼ばれる状態の薄明かりでしょう。先日のアーレンの人の視力の研究では、薄暮視が冴えているとのことでしたが、この薄暮というのがまさにトワイライトです。

そして、無意識のうちに、トワイライトを求めてさまよっていた結果、行き着いた先が、真夜中に勉強することだったり、お風呂で暗記したり、廊下で宿題をしたりすることだったのです。

実はインドア派ではなかった!!

わたしの行動原理が、昔から、光を逃れてトワイライトを求める、ということであったのだとしたら、気になることが。

わたしは今でこそインドア派で、家の中で絵を描いたり本を読んだり文章を書いたりしている人ですが、本当に始めからそんな性格だったのでしょうか。

なぜそんなことを言い出すのかというと、わたしの友人関係を見ると、インドア派が少ないからです。

特に、サイクリング、バイク、サーフィンなど、活動的なスポーツを趣味にしている人がものすごく多い。

ある友人は、休みの日は一日かけてサイクリングで隣の県まで遠出しますし、別の友人はバイクで大阪-東京間を野宿しながら旅するほど。主治医の先生も本格的なサイクリングが趣味ですし、まわりを見れば見るほど、そんなタイプの人がやけやたらと多い。

前回の記事で、わたしによく似ていると書いた、敬愛するオリヴァー・サックスも、パワーリフティングのカリフォルニア州記録を樹立したり、バイクで大陸横断したりするような人なので、同じタイプの人です。

極めつけはうちの親で、出会ったころはバイクでツーリングするのが趣味だったと聞いていますし、やっぱり自転車で2日かけて海まで行ったり、マラソンで熱中症になったりと活動的すぎる。

そしてわたしも、学生のころはマラソン大会大好きで、わりと上位に入ったこともあれば、本気で練習しすぎて足首を痛めてしまい、それでも本番で完走したことも。

子どものころはうちの親に連れられて八ヶ岳やら槍ヶ岳やら富士山やらを制覇していましたし、大人になって体調を崩してからもモンゴルまで行って山に登ったりしました。

家の中でも、Wii SportやWii Fitなど、体を動かすゲームが大好きで、かなり高レベルまでやり込みましたし。

じ つ は…

実はわたしって、本来ものすごく活動的でスポーツマン的な性質なのに、アーレンシンドロームがあって、外に出ると疲れてしまうので、インドア派みたいになってしまっているだけではなかろうか…?

メガネができたらもっとアグレッシヴに?

それはたとえば、タマネギみたいなものかもしれない。中身は同じなのに、光のせいで表面だけ色が変わっちゃっているのです。

表面的には、HSPとしての感覚過敏が強すぎて不注意優勢型ADHDみたいに見えるけど、中身はアグレッシヴな多動型ADHDがタマネギの芯のようにはまっているのではないだろうか。

もっと言えば、以前の記事で書いたように、ADHDとはHSSまたはHSPといった生まれつきの感覚過敏の強さで変わるものであり、わたしは たまたま過敏すぎたので刺激を避ける傾向が強くなっただけではないだろうか。

これはマッサージにたとえるとよくわかる。まず鈍感な人はマッサージなんて効かない。ちょっと敏感な人はマッサージが痛気持ちよくて癖になる。敏感すぎる人は痛すぎてマッサージを避ける。

同じように、普通の人は刺激を求めない。ちょっと過敏な人は、痛気持ちいい刺激を求めるので多動型のADHDになっていく。それよりさらに敏感な人は、刺激を避けるので不注意優勢型のADHDになるのではないだろうか。

そして、もしそうだとすると、わたしの場合、アーレンのメガネや耳栓で、屋外でも刺激をカットできるようになれば、もう少し多動寄りなアグレッシヴさが表面化するのかもしれません。

もちろん、ずっと刺激に敏感で過ごしてきたので、その中で作られた幼少時からの性格はあまり変わらないと思いますが、行動様式が親やまわりの友人たちに似てくる可能性がありそうです。

もともとの感化過敏自体が変わるわけではなく、メガネをかけても限度があるでしょうが、何か変化があれば、それはそれで面白そうだし、楽しみだな、と思います。

また、光を避けてトワイライト(光のはざま)を求めるというこの行動様式は、前回の記事で書いた、現実と夢(空想世界)のはざまに生きているような感覚とよく似ています。表面的な行動だけではなく、心理的な面でもトワイライトに居場所を見いだしていたのだとすると、わたしのこれまでの価値観や考え方の理解が深まるのではないか、と思い始めています。

さて、次にやろうと思っているのは、耳栓をグレードアップすることです。

以前から、WESTONE TRUユニバーサルイヤープラグ レクリエーショナル スモーク WST-TRU-UNI-WR20-SMKを使っていましたが、アーレンのフィッティングを始めてから、ちょっと音過敏が強くなって今のバージョンではシャットアウトしきれず。

それにどうやら感覚過敏こそが、わたしが疲れたり、睡眠リズムが狂ったりする原因の本体ではないか、ということがわかってきたので、今こそアップグレードする時かなと。

具体的には25000円くらいで、耳型を取ってぴったりフィットする耳栓をつくれて、内部のフィルターを用途に合わせて換装できるっぽいので、それを作ろうかと考えています。

それでは第二回はここまで。また進展があれば、続きを書くことにしましょう。

▼続きを書きました

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