絵を描くことが嫌になったら「心理的に安全な環境」を用意しよう


れまでずっと、楽しんで絵を描いていたはずなのに、絵を描くのが楽しくなくなった、辛くなった、嫌になった。そうした経験は、大勢の絵を描く人が体験してきたことです。

絵を描くことが本当に好きな人の場合は立ち直って再び描き始めるでしょうが、子どもや学生は、一度絵を描くことが嫌になったら、生涯そのままかもしれません。

これまで、何度か、絵を描く情熱を失ったり、絵を描くのが楽しくなくなったときに役立つ幾つかのアドバイスを紹介してきました。

今回紹介する、表現アートセラピー―創造性に開かれるプロセスという本もまた、それらのアドバイスと同様の点を、噛み砕いた言葉で説明していました。

どうやったら絵を描く楽しさを取り戻せるのでしょうか。そのカギは「心理的に安全な環境」にあるといいます。

心理的に安全な環境とは?

この本は、ナタリー・ロジャースという熟練のアートセラピストによって書かれた本です。彼女は、自由な創造に必要な「心理的に安全な環境」をこう説明しています。

心理的に安全な環境―さまざまな感情や反応、課題を自由に探求できると感じられる環境―が創造的になれる最高の環境です。このような環境は、受容、共感、批判のない心理的援助の有無にかかっています。(p24)

これはどういう意味でしょうか。

わたしたちは、日夜、周囲の視線にさらされて生きています。

「自分の行動は人にどう思われるだろうか」
「この仕事は評価してもらえるだろうか」
「果たして上手くできただろうか」

そんな不安を考えながら、仕事や社会と向き合っています。それはストレスや緊張の源となります。ストレスは何も悪いものではなく、ある程度は必要です。しかし度が過ぎると体調を崩し、人生が楽しくなくなります。

芸術を楽しむときにも、こうした不安やストレスが、創造性を制限してしまうことがあります。自由に創造するためには、人からどう思われるか、上手くできるか、といったことを考える必要のない、「心理的に安全な環境」が必要というわけです。

この本を読んで、わたしは、この「心理的に安全な環境」には特に3つの側面があると思いました。

1.外からの評価のない環境

一つ目の要素についてはこう書かれています。

外からの評価のない環境を提供することは、安全な環境を作ってゆくうえでも重要です。競争、成績、評価が常にある社会で、私たちは働き、競っています。

どんな種類の批判や評価も、最小限か皆無である環境にいることは、本当にすばらしいし、新鮮です。解放され、活力が生まれます。鳥を鳥かごから放つようなものです。(p25)

誰かから、批判されたり、評価されたりすることのない環境が大事だと書かれています。

でもちょっと待ってください。だれかから評価されるからこそ、張り合いが生まれるのではないでしょうか。

確かにそうです。でも、その評価とは、温かいコメントであるべきです。ここで問題とされているのは、競争や成績といった評価です。

絵の「上手さ」を比べる環境、絵に点数をつけてランク付けする環境、絵の出来不出来が成績となって表れる環境は、創造性を抑えつけ、絵を描く楽しみを奪ってしまうのです。それはある種の専門学校かもしれませんし、イラスト系SNSかもしれません。そうした環境からは、時には距離を置くことも必要です。

でも、ある人たちは次のように言うかもしれません。切磋琢磨して、競争しないと絵は上手くならない。温かいコメントをくれる人と馴れ合っていたら、成長しない。

そう感じる人は、絵を比較し、絵の上手さがものを言い、点数やランク付けで絵を評価する環境で努力すればいいと思います。特に、絵を仕事にしたいと思っている人は、そうせざるを得ないでしょう。

しかし一つ覚えておくべきなのは、上達したいなら、まず続けることが必要だということです。厳しい環境で挫折してしまっては元も子もありません。それよりは、温かい環境を作って地道に続けるほうが、長い目で見れば近道になることもあるでしょう。

それに、厳しい環境で成功するのは、才能のあるほんの一握りの人だけであり、多くの人は苦痛や挫折を味わうというのを、忘れてはなりません。

もしストイックに「上手くなる」ことにさほどこだわりがなく、絵を楽しむことを目的として描いているなら、厳しく評価されることのない「心理的に安全な環境」を用意したほうが、のびのびと創造性を発揮できるでしょう。

2.内なる批評家と知り合いになる

最初の点は、外部からの批判を遠ざけることでしたが、わたしたちはもうひとつ、内部からの批判にもさらされます。

「なんてわたしの絵は下手なんだ」
「わたしには上手に描けっこない」
「今さら頑張ってもムダだ」
「わたしの絵なんて誰も好きになってくれないだろう」
「わたしなんか描いても描かなくても同じだ」

そんな言葉が自分の中から聞こえてくるとしたら、見方を変える必要があります。

内なる批評家が感情や行動を支配しないように、私たちはその批評家と知り合いになることができます。

辛辣な批判から離れる一つの方法は、単にそれを認め、立ち去るように伝えることです。

「ああ、自分に批判的になっている。このまま自分に厳しくし続けることもできるが、この課題のプロセスに戻ることもできる」

…あるいは「批評家さん、あなたはこの課題の後の方で役立つでしょう。今ではなく」と言い聞かせることも可能です。(p33)

わたしたちは、この批評家がいるおかげで、自分の絵のよくない部分に気づくことができ、上達することができます。

でも、この内なる批評家は、時に口うるさくなり、必要以上に口出しする場合があります。

そもそもわたしたちが子どものころは内なる批評家はいなかったのです。わたしたちは、自分の絵が上手いかどうか、人に好きになってもらえるかどうかなど、考えることもなく、自由に創造性を発揮していました。

それで、子どものときと同じように、楽しく描くことに没頭したいなら、この批評家には、少しだまっていてもらい、立ち去ってもらうという訓練をする必要があります。これが「心理的に安全な環境」を手に入れる二つ目の要素です。

3.他の人の絵を批判しない

最後に「心理的に安全な環境」に求められる三つ目の要素は、自分が他の人の絵を見る側になったとき、どうコメントするか、ということです。

内なる批判者は、自分の絵に口うるさいだけでなく、他人の絵にもいろいろとケチをつけたり、斜に構えた姿勢で品評したりすることがあります。

たとえば絵を使って、相手を「分析」しようとしてしまうことがあります。

二番目の体験は、私がインターンをした家族来クリニックのスタッフ会議のときでした。情緒障害の子どものケースを担当していました。

アートセラピストは、メラニー・クラインの理論をかざして、この子の描いた赤い消防車は、性的攻撃性の象徴だと主張しました。

私はその子に同情しました。「たぶん彼は、単に消防車が好きだったのだろう」と私は考えました。(p146)

相手がどういう気持ちで絵を描いたのか考えるのは有益なことです。でも、それが行き過ぎて、絵に込められた言外の意図を「分析」しようとするなら、それは妄想でしかありません。

絵を見るときは、すなおに自分の感じたことを伝えればいいのであって、解釈や論評を考える必要はないのです。専門家による絵画の分析は有益な場合もありますが、それを日常に持ち込む必要はありません。

また、以前の記事で書いたように、「上手」という言葉ではなく、もっと豊かな表現を用いて感想を述べることができます。自分の感性を磨けば、「上手い」以外の感想が思い浮かぶようになるでしょう。

「上手い」「下手」というのは、杓子定規な基準に当てはめて評価しているだけであって、自分自身の心の感想を述べているわけではありません。

このように、一緒に絵を描いている人たちに対して、批判的にならず、すなおに振る舞うことも、「心理的に安全な環境」を構築する手立ての一つです。

創造性は遊びから生まれる

心理学者のカール・ユングは、創造性についてこう述べたそうです。

ファンタジーのダイナミックな原理は遊びであり、それは子どもの属性であって、そのため仕事と矛盾するように見える。

しかし、ファンタジーと戯れることがなくては、どんな創造的な仕事も、決して生まれて来ないのである。(p29-30)

創造性というのは、子どもの遊びのような気持ちで取り組むことによって生まれることがわかります。

子どものとき、遊びに熱中しながら、自分は上手くやれているか、などと考えた人がだれかいるでしょうか。あるいは、他の人にどう評価されるかを気にかけた人がいるでしょうか。

むしろ、余計なことは、何も気にせず、創造性をフル活用し、ひたすら楽しんでいたのではないでしょうか。「心理的で安全な環境」とは、そのころの遊びの空間を再現することです。

著者はこう述べます。

私たちの多くは、安全ではない環境で、創造的であろうと努力してきました。正しいとか間違っていると先生が判断を下す教室やスタジオで、アート材料が提供されました。

あるいは、私たちがダンスし、歌った後で直され、評価され、成績をつけられてきました。

批判されない支持的な空間で、いろいろな材料と共に探求し、実験する機会を与えられることは、多くの人びとにとって全く新しい体験となります。

このような場の設定によって、深く没頭し、正直で無邪気になれます。(p28)

「心理的で安全な環境」を用意すれば、子どものころのように、没頭し、無邪気になれます。そのようにして絵を描くようになれば、絵が嫌になったり、絵に疲れたりした気持ちから解放されるでしょう。

わたしの場合、絵を多くの人に見てもらいたい、高く評価してもらいたい、上手くなりたい、と思っていたころは、常にストレスにさらされていました。

絵を描くことは趣味であったはずなのに、苦行のようになっていました。

しかし、「心理的に安全な環境」を用意して、その中にとどまるようになってからは、のびのびと描けるようになりました。

そのことで絵が上達する機会は失われてしまったのでしょうか。ある面ではそうかもしれません。

しかしすでに述べたように、絵に疲れてやめてしまうよりは、ずっといいと思うのです。

それに、無理をして絵を描けば、技術は身につくかもしれませんが、そこに豊かな創造性は見られないと思います。どこか硬い、生気のない絵になるでしょう。

それに対し、絵が好きだ、という気持ちがこもっている絵は、たとえ技術が伴わないとしても伸びやかで、時にはだれかの心をつかむ魅力があるでしょう。

そうした絵を描くために、そして絵を好きでいつづけるために「心理的に安全な環境」を用意することの大切さを心に留めておきたいものです。絵を描く環境を変えた当時はこの本に書かれていることなど知らなかったのですが、今となっては正しい選択だったんだな、と思いホッとしています。

▼ディズニー映画のピクサーの取り組み

今回書いたような「心理的に安全な環境」を用意するといったアドバイスを、世界最高のクリエイティブな企業の一つであるピクサーは実際に実践しているそうです。詳しくはこちらをご覧ください。

ディズニー映画のピクサーが実践している、創造性を伸ばす8つのクリエイティブな秘訣

▼絵を描くのに疲れた時は

以下の記事も参考にどうぞ。

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