言葉にできないからこそ感情を絵で表現する作家たち


言葉を話すことは、人間にとって、最も簡単な自己表現手段のひとつです。多くの人は、労せずして、言葉で感情を言い表せるようになります。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと…それらを言葉に変換することによって、多くの人は精神的な安定を得ています。

しかし、すべての人が、感情をうまく言葉にできるとは限りません。障害によって、言葉を話せない人がいます。言葉は話せても、自分の感情を言い表すのが苦手な人もいます。

そうした人の中には、言葉の代わりに、芸術、つまり絵や音楽によって、気持ちを発散させている人がいるかもしれません。

感情を心の中に貯めこむこと、特にネガティブな感情を抑圧することは、身体的な害をもたらすと言われています。感情をうまく言葉にできない人の場合、芸術は、唯一とも言える感情の発露になるかもしれません。

この記事では、言葉にできないからこそ、絵として描き表した、2つの例を見てみたいと思います。ひとつ目は障害によって言葉を話せない自閉症、二つ目はネガティブな感情を抑圧していた不登校の例です。その後、わたし自身の経験を振り返ります。

1.自閉症の少女ナディア

自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐という本には、有名な自閉症の少女ナディアの話が出てきます。ナディアは、子どものとき優れた絵の才能を発揮しましたが、言葉の習得とともに失いました。

もう一つはナディアの物語である。ナディアはウクライナからの移民の子どもで、1967年にイギリスのホッティンガムで生まれている。

九ヶ月で数語を話したが、その後ことばが消失し、…三歳半ごろから、なんの練習もしないのに、突然優れた描画能力を発揮するようになった。

…七歳で自閉症の学校に入学し、…言語能力が發達し、計算能力も身についたが、一方で、この頃までに、彼女の描画スキルは著しく低下していった。彼女の躍動感あふれる馬の絵は、平板で稚拙な級友の女の子の顔の絵に変化してしまったのである。(p47)

ナディアの場合の能力の変化は、複雑な脳機能が関係しています。彼女は一種のサヴァン症候群と考えられていますが、サヴァン症候群では、脳のある部分が働かないことにより、別の部分の「たが」が外れることによって生じると考えられています。

ナディアは、言葉を話せないとき、躍動感のある馬の絵を描くことができました。そのためには見たままを描くという技術が必要です。本来であれば視覚情報は、脳のフィルターによって、自動的に取捨選択されて、シンボル的な意味情報だけが残ります。馬を見たとき、大部分の視覚情報は切り捨てられて、言語的な「馬」というテンプレートに変換されるのです。

しかしナディアの場合は言葉が話せませんでした。そのため、視覚情報の自動的な取捨選択や切り捨てが行われず、見たままを認知することができたのかもしれません。あとはそれを紙に写し取れば良いだけでした。言葉を話せないことが、写実的な絵を描く才能につながったのです。

しかし言葉を話せるようになると、見たものの視覚情報が取捨選択されて言語的な情報に変換されるようになり、見たままを描き写すことはできなくなりました。

彼女の絵は、結果として稚拙になったと表現されることが多いのですが、それは大人の規準による身勝手な評価だと思います。ある種の能力を失ったのは事実であるにしても、描き方が変わっただけで、ナディアは引き続き絵を描くことを楽しんでいたのです。

ナディアの場合は写実的な絵でしたが、自閉症の子どもの中には、別の形で優れた描画能力を発揮する子どももいます。以下のニュースでは、自閉症のため言葉を話せない5歳の少女、英レスターシャー州に住むアイリス・ハルムショウ(Iris Halmshaw)が取り上げられています。

CNN.co.jp : 「5歳のモネ」が描く作品、世界が注目 – (1/2) はてなブックマーク - CNN.co.jp : 「5歳のモネ」が描く作品、世界が注目 - (1/2)

英レスターシャー州に住むアイリス・ハルムショウさんは、3歳の時から絵画の制作を始めた。それ以外の方法で人とコミュニケーションをとることはできない。

母のアルベラ・カータージョンソンさんは言う。「娘は最初の1枚から紙を色で満たした。それもでたらめではなく、考え抜かれていた」「娘は興奮してうれしそうだった。私たちは娘の世界に通じる鍵を見つけ、娘と意志疎通する手段を見つけた」。

両親が娘の様子に気付いたのは2歳の時だった。いつまでも言葉を話さず、ほとんど目を合わせようともしない。医師は自閉症と診断した。

有効な治療法はほとんどないと告げられたが、両親はあきらめなかった。そして行き着いたのが芸術療法だった。

 どの作品も抽象的ですが、色使いが素敵です。彼女にとって、絵を描くことは言葉とは別の自己表現手段なのだと感じさせられます。言葉にできない思いは、芸術を通してコミュニケーションできる場合があるのです。

2.不登校の女の子

言葉にできない思いを芸術療法で表したもう一つの例があります。

芸術がなぜ認知症を改善するのか。 (コミュニティ・ブックス)には不登校の女の子がアートセラピーで、自分の言い表せない感情を絵にして描いた話が載せられています。

彼女は最初のうち、ほとんどの時間話を聞くことだけで過ごしました。「最近頭にきたこと、ある?」と聞いたら「ない」と言います。「何かイライラしたことない?」と聞いても「ない」と言うのです。…何を聞いても「ない、ない」としか答えてくれませんでした。

…その子は、今の気持ちを表現する絵として、形も何もなくて、グレーとほんの少し水色や茶色が入った、ほとんど色味を感じない絵を描きました。

…その次に描いたのが、血がドロドロ流れているところです。血がドロドロ流れておどろおどろしい絵でした。でもアートのすごさは、たとえ血がドロド ロと流れているようなおどろおどろしい絵であっても、あるいは形がない、色もほとんど感じられない絵であっても、それをほめることができることです。(p28-29)

 この女の子は、自分の思いを言い表すことはできませんでした。最近の研究によると、不登校の状態というのは、著しく脳機能が低下しており、ひどい場合は脳の血流低下や萎縮が見られることがわかっています。そのような理由から、感情を言葉にするような高次脳機能が働かなかったのではないかと思います。

しかし感情を芸術として描き表す、というアプローチは成功しました。感情を色や形にたとえるとどうなるかと尋ねられたとき、彼女は、血がドロドロ流れているような苦悩の絵を描いたのです。

感情を適切に認識できない、表現できない状態というのは、医学的には失感情症(アレキシサイミア)と言います。失感情症の状態では、封じ込められた感情が、身体化されて、心身症として現れることがあります。精神科では、身体表現性障害や転換性障害として知られているものです。それだけにとどまらず、がんや神経難病にも抑圧された感情が関わっていると言われています。

そのような、言葉で表現できない感情を抱えてしまっているとき、芸術療法という形で発散することは、心身をリラックスさせる効果があります。もやもやした感情を紙に写し取ることで、体の外に追いやることができるのです。

 言葉にできないから描きたい

わたしの場合は、どうなのか、と考えてみると、わたしは、自分の思考を言葉にするのは得意ですが、自分の感情を言葉にするのは苦手です。

わたしのブログを見ている人なら分かるとおり、わたしは日常的なことをあまり文章に書きません。わたしがEvernoteでつけている日記は項目の記録のようなものです。「今日は誰々と会った」「今日は何々をした」というできごとは書くのですが、感想を書くのはとても苦手なのです。特に、だれか他人に自分の気持ちを話すことはあまりありません。

それに対し、絵を描いたり、詩を書いたりという趣味は、言葉にできない感情を形にする手段ともいえます。絵は言わずもがなですが、詩にしても、文章にできないものを単語で表現しているといえます。そうした意味では、マインドマップも文章にできない思考を発散するツールとしてよく使っています。

わたしは子どものころからよく絵を描いていたそうですが、本格的に描くようになったのは、不登校になってからでした。絵は決して上手くありませんでしたが、言葉にならない自分の世界を表現できることに喜びを得たので、今に至るまで描くことはやめませんでした。わたしの絵は芸術療法的側面が強いのです。

わたしの言語能力は、ロジカルに偏った部分的なものですから、おもに感情面を表現する手段として、絵を描くことは何にも代えがたく重要なのです。表現する内容によって、これは文章がふさわしい、これは絵がふさわしい、といった具合に使い分けていけば、自分の能力をうまい具合に活かせるのかな、と感じています。

有名人を引き合いに出せば、夏目漱石は、小説を描く傍ら、趣味として絵も嗜んでいました。もっとも絵の腕はそれほどではありませんでした。わたしは、どちらの腕もたいしたことはありませんが、言葉にできない感情を表現するツールとしての絵は大切にしていきたいと思っています。

自閉症の女の子のように、文字通り言葉が話せないから絵を描くにしても、不登校の女の子のように、感情を表現できないから絵に写し取るとしても、言葉にできないから絵を描きたいというのは、作家が絵を描く理由の一つといえるでしょう。

▼わたしの不登校の経験談

不登校だったわたしに絵がどのように役立ったかはこちらをご覧ください。

不登校だったわたしの人生が絵を描くことで変わった話―手に入れた5つのもの

▼自閉傾向のある人の絵の特徴

自閉症・アスペルガー症候群の絵の傾向についてはこちらをご覧ください。

▼芸術の精神安定・抗うつ効果

芸術がもたらす心の癒やしについてはこちらをご覧ください。

 

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