アメリカ人は「物」を見て日本人は「背景」を見る―絵の注目ポイントは文化によって違う


なたは絵を見るとき、「物」や「人物」にまず目を向けますか? それとも「背景」との調和に注目しますか?

もしあなたが絵を描く人であれば、あなたは「物」や「人物」のみで描くほうが得意でしょうか。それとも、「背景」のある絵を描くほうがしっくりきますか?

こうした絵の見方や描き方は、個人個人の好みの問題だと思われがちです。しかし、実際には、生まれ育った環境や文化の影響を強く受けていると考えられています。

それがわかるのは、国籍が違えば、絵の見方も異なる、という研究があるからです。たとえ同じ絵を見せられても、日本人とアメリカ人とでは、どの部分に最初に注目するか、そしてどの部分に興味をもって見続けるか、ということが違うとわかっています。

どうして、文化によって絵の見方が異なるのでしょうか。

この記事では、なぜ「つい」やってしまうのか 衝動と自制の科学心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界という二冊の本に基づいて、3つのステップから考えてみたいと思います。

1.見ることは学ばなければならない

文化や国籍による絵の見方の違いを理解するために、まず知っておかなければならないことがあります。

わたしたちのほとんどは、「目で見ること」はごく当たり前のことで、みんな同じように世界が見えているのだと思っています。

ところが、それは大きな誤解です。「目で見ること」は、実に多様な情報を統合し、処理している奇跡的な能力であり、訓練なしで身につくようなものではありません。

この「目で見ること」の訓練は、幼児のころに学習されます。幼児の時期の柔軟性に富んだ脳で学習しなければ、もはや「目で見ること」を学ぶことはできません。

たとえばインドのS.Kという人は、生まれつき盲目でしたが、29歳のとき手術を受け、見えるようになりました。ところが、それは彼にとって大きな問題をもたらしました。

なぜ「つい」やってしまうのか 衝動と自制の科学には、彼の直面した問題についてこう書かれています。

彼の脳は図形全体の輪郭を認識することができなかった。図形の断片ひとつひとつを、それ自体で全体だと思ったのである。

…光線と影に合わせて各面の明るさがそれぞれ異なっている3次元の図形、例えば立方体や角錐などを見せると…[彼は]複数の物体を目にしていると報告した。

面のひとつひとつが一つの物体に相当していたのだ…まるで世界が崩れ、たくさんのばらばらな破片と化してしまったかのようだ。(p117)

いったい、どういうことでしょうか。もう少し簡単な例を挙げてみましょう。

わたしたちは誰でもお湯をわかす「やかん」は見たことがあると思います。やかんは、横から見たとき、正面から見たとき、上から見たときで形がまったく違います。しかしわたしたちはどの角度から見てもそれ同じやかんだとわかります。

そのようにできるのは、わたしたちは幼いときに視覚の能力を習得し、三次元モデルを理解できるようになったからです。もしそれができていないと、正面から見たやかんと、横からみたやかんが同じものである、ということを認識できません。目で見えてはいても、理解できないのです。

このように「見ること」は学ばないと習得できない能力です。そうすると、育った環境によって、学び方も変化するので、絵の見方に文化的な違いが出るとしても不思議ではないことがわかります。

2.古代の人間は写真を認識できなかった?

次に、文化によって絵の見方が変わる可能性を示唆する、興味深い例を考えてみましょう。

わたしたちは、写真に映っている友だちを見るとき、それが実際に存在する友だちの一面を切り取ったものだとわかります。

しかし写真は2次元、目の前の人物は3次元です。

先ほどのやかんの例を考えると、一面だけ切り取った2次元の映像と、全体を意識できる3次元モデルとは、脳の処理が異なっている可能性があります。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界という本によると、古代の人は、写真を理解できなかったのではないか、ということが書かれています。

表象の認識には、ある種の学習、つまり記号体系や伝統的表現法の理解が、物の認識の場合以上に必要だろう。

だから、写真に触れたことのない原始文明の人々は、写真がほかのものの表象であることを認識できないかもしれないと言われている。(p22)

実際に脳卒中などの後遺症で、3次元のものは理解できるのに、2次元の写真や絵を理解できなくなる人がいるそうです。

絵を見る能力を失ったある女性についてこう書かれています。

絵を見せて何の絵かと尋ねると、絵を絵として認識することにも苦労し、文字の欄や何もない余白を、私が質問している絵だと思って見ることもあった。

そのような絵の一枚について、「とてもエレガントなVが見えます。ここに小さい点が二つ、それから楕円形があって、そのなかに小さな白い点がいくつかあります。それが何なのかわかりません」と言った。

私がヘリコプターだと教えると、恥ずかしそうに笑った。

(Vは荷物用のつり索で、ヘリコプターは難民のために食糧を降ろしているところだった。二つの小さな点は車輪で、楕円はヘリコプターの本体だ)。(p18)

この女性は、写真に映っている2次元の物体を認識できませんでした。ところが、立体的なものはしっかり認識でき、日常生活を送ることはできました。果物や野菜、プラモデルなどははっきりわかったのです。

このことから、3次元の物は理解できても、2次元の絵や写真の認識が失われてる場合があるのだとわかります。

古代の人は、もしかすると、この女性と同じような知覚をしていたのかもしれません。古代の文化では、2次元の物を認識する知覚機能は育たなかっつた可能性があります。

そうすると、やはり文化や時代、生まれ育った環境によって、絵の見方が異なる場合があるというのは確からしいと思えます。

3.アメリカ人と日本人の絵の見方の違い

いよいよ本題に入りましょう。

ここまで考えてきたように、絵を見る、という能力は、子どものころに学習する能力の一種です。そして文化によって、学習の仕方が異なることが実際の実験によって確かめられています。

なぜ「つい」やってしまうのか 衝動と自制の科学によると、アルバータ大学の増田貴彦と、ミシガン大学のリチャード・ニスベットは、川の中を泳ぐ魚のアニメーションを日本人とアメリカ人に見せました。すると次のことがわかりました。

研究の結果わかったのは、アメリカ人が最も鮮やかな、または最も速く泳ぐ魚に真っ先に目を向けたのに対し、日本人は目にしたものとして魚に言及する前に川を挙げる者が多く、水は緑色で水底には石が転がっていたと述べた。

全体的に、日本人はアメリカ人に比べて背景についての情報が65%多く、背景と前景の関係について述べたのは2倍多かった。(p125)

別の研究では、ヨーロッパ系アメリカ人と、中国人の大学院生を対象に、さまざまな写真を見せ、画像のどこを見るか、アイトラッカーを用いて調査されました。

すると、アメリカ人は、写真の中の物体に目をやるのが早く、中国人は物体と背景に交互に目を向けたそうです。

このことから、ミシガン大学のジュリー・ボランドらはこう述べています。

大事なのは、異なる文化の人間は、同じ刺激に対して違ったように注意を向けるということだ。(p127)

なぜこのような違いが生じるのでしょうか。

ひとつの可能性として、アメリカ人は、個人主義の文化で育つため、物に目を向けるようになり、アジア人は調和を重んじる文化で育つため、背景に目を向けるようになるのではないかと推測されています。

歴史をひもといてみても、西洋と東洋では、さまざまな概念の捉え方に違いがあります。

アリストテレスは、何かが水に沈むのは、「物」に重さがあるからだと考えました。しかし中国では水という「環境」のほうに注目し、西洋より早く、潮汐や磁力についての理解が進みました。

また時間について、西洋では、「自分」が前進するため時間が進むとされました。しかし、東洋では「川」のように時間が向こうから流れて過ぎ去っていくと考えられていました。

もちろん、アメリカ人がみな必ず物に注目するというわけではなく、日本人がみな必ず背景を重視するわけではありません。あくまで集団としての傾向です。

個人個人には、さまざまな認知の特性があって、それによって複雑で多様な個性が生まれている、ということは以前に取り上げました。

絵に表れる視覚優位と聴覚優位の特徴―色と線の見え方
生まれつきの脳の認知特性が絵の描き方にも関わっているという話

また男性と女性でも、目の動きや物の見方が異なるという研究もあります。(p168)

しかし集団としては、個々人の物の見方、そして絵の見方には、かなりの程度、生まれ育った文化の影響が見られ、それが好みの個性に関係している可能性があるでしょう。

あなたが、もし日本ではなくアメリカに生まれていたら、あるいは平成ではなく縄文時代に生まれていたら、たとえまったく同じ遺伝情報を持っていたとしても、今のあなたとはまったく違う絵の好みや認知を持つ人になった可能性もあるわけです。

さらにいえば、同じ日本に生まれていたとしても、個性や違いを尊重する家庭で育てられたか、それとも調和や一致を尊重する家庭で育てられたかによって、絵の見方や好みに違いが出るのかもしれません。

わたしの絵の特徴

わたしの絵は、最初は「物」や「キャラクター」だけを描きはじめましたが、かなり初期のころから「背景」がしっかりある絵を描いているので、どうやら日本人らしく背景を気にするタイプのようです。

ぼくらのまち Our Hometown
ここがぼくらのふるさと、ホームタウン

今となっては、背景のない絵はまったく描きませんし、背景がないと、どうにも落ち着かない気持ちになります。しかし背景だけの絵、つまり風景画はまったく描かないので、単に背景を重視するタイプではないようです。

むしろ、「人物」と「背景」を同程度に尊重するタイプだと思います。だから、自分の絵に限って言うと、人物は背景とセットで描いた場合のみ、一つの作品になると考えています。

そうした点からすると、日本人らしい感性は持ちつつもアメリカ人的でもあるという感性、つまり欧米化が進む現代の日本社会に生まれた若者らしい絵の好みなのかなー?とも思います。

先ほどの研究では、アメリカに留学中の中国人の大学院生が、物体と背景に交互に目を向けた、とされていましたが、それと似ているかもしれません。根はアジア系でありながら、アメリカの文化の影響も受けているということでしょうか。

多様な個性というのは、突き詰めれば、生まれ持った生物学的な特性(脳の認知など)と、生まれ育った環境(家庭・文化・国・時代)などの相乗効果で生じているはずですが、こうして分析してみると、ちょっと興味深くなりますね。

もちろん、どんな個性にも優劣はなく、それぞれが自分の特徴を発揮することが、多様で柔軟性のある文化を形作ることにつながると思います。いろいろな絵の好み、いろいろな絵の見方、いろいろな絵の描き方があるからこそ、創作するのは楽しいことなのです。

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