絵は努力か才能か―芸術家の創造性には遺伝と環境どちらが大切か


の世界で成功できるかどうか。それは持ち前の才能によるのでしょうか。それともたゆまぬ努力によるのでしょうか。これは絵のみならず、音楽や演劇など、さまざまな芸術全般に関して、人々の心を悩ませてきた疑問です。

才能が大切だと考える人はこう言います。あの芸術家が大成功したのは、わたしとは異なる才能を生まれつき持っていたからだ。もし才能ですべてが決まるのであれば、わたしが今ごろから努力したってなんの意味もないだろう。

努力が大切だと考える人はこう言います。若いころからたゆまぬ努力を続ければ、だれでもプロになることはできる。要はやるかやらないかだ。あきらめなければ、必ず夢は達成できる。

この2つのどちらがポジティブな考え方かというと、多くの人が後者だと言うのは明らかです。ですが、現実的に考えて、芸術の世界が努力の量だけで決まるほど単純なものではない、というのは、だれもが薄々と感じていることでしょう。子どものときから音楽に親しみ、さまざまな楽器を弾けるようになったからといって、モーツァルトのようになれるわけではないのです。

そうであれば、やはり才能なのでしょうか。

わたしは、問題はもっと複雑であると考えます。努力か才能か、という二極論で答えが出るようなものではないのです。詳しく考えてみましょう。

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生得論―芸術家は生まれつき遺伝的な才能を持っている

才能、という言葉は、別の言い方に置き換えれば、生まれつき遺伝的な能力を持っている、ということを意味しています。

おさなごころを科学する: 進化する幼児観という本にはこんな文脈があります。

発達心理学において重要な問題の一つが遺伝と環境の問題です。ある心の特性の発達において、遺伝的要因が重要なのか、環境的要因が重要なのか、という論争のことを指します。

…この問題について、アメリカの心理学者ビンカー博士はその著書「人間の本性を考える」の中で、現代人の多くは、研究者に限らず、基本的に環境的要因を強調する傾向にあり、遺伝的要因の重要性を述べたとたんに激しい反発を招くと嘆いています。(p5)

最初に取り上げたように、遺伝による才能、という考え方は、どこかネガティブです。成功が約束されているのは一部の選ばれた人だけというニュアンスを伝えるからです。

それに対し、環境によってだれもが成功できる、という考え方は、多くの人に夢を与えてくれます。

しかし、「激しい反発を招く」のを承知で、はっきり断言しなければならないのは、芸術家や作家の創造性には、間違いなく遺伝的要因が関わっている、ということです。その点を少なくとも4つほどの面から例証したいと思います。

わたし自身、そのような才能を持ち合わせていないので、あまり認めたくない部分ですが、目を背けるわけにはいきません。わたしは努力すれば何でも実現できるという非現実的な夢物語は支持しません。才能について考えることは、才能がないと考えている人にとっては辛いことですが、才能一辺倒の話に終わらせるつもりはないので、どうか最後まで読んでいただけたらと思います。

1.共感覚―脳の過剰結合の遺伝子

芸術の分野における才能の必要性を示すものとして、たとえば、先日取り上げた「共感覚」に関する問題があります。共感覚は、色や音、数字など、複数の感覚が互いに重なりあって感じられる特殊な感覚のことです。

詩人や作家は、非常に豊かな比喩を用い、想像力豊かに考えますが、それは、一般の人たちと異なる共感覚を持っているおかげである可能性があります。詩人・小説家・芸術家の3人に1人が共感覚を持っているという事実は、明らかに共感覚が才能として作用している可能性を示しています。そして共感覚は遺伝するものとして知られています。

共感覚は、脳の配線の過剰結合か、あるいは本来なら遮断されている配線の抑制システムの低下かのどちらかによって生じるようです。こうした過剰結合は幼少期のてんかん発作の結果として生じることもあり、次項で取り上げる精神疾患の遺伝子とも関係している可能性があります。

あなたも共感覚者?―詩人・小説家・芸術家の3人に1人がもつ創造性の源
文字や数字に色がついて見えたりする共感覚と創造性

2.精神疾患への脆弱性―統合失調症の遺伝子

次に挙げるのは、芸術家は、豊かな創造性と同時に、精神疾患への脆弱性を持つことが多い、という事実です。

フィンセント・ファン・ゴッホやアーネスト・ヘミングウェイ、三島由紀夫、太宰治のように、精神的に不安定で、自殺などに至った作家・芸術家はそれなりに多いですし、ベートーヴェンやゴーギャンのように、うつ病・統合失調症、てんかんなどの精神疾患と付き合いながら創作を続けた著名な芸術家は数知れません。

これは、芸術家たちが創作するストレスを抱えていたせいで病気になりやすいということでしょうか。それとも、もともと精神疾患になりやすい人が、芸術家としても成功しやすいのでしょうか。証拠が示すところは後者です。

さまざまな研究が示すところによると、創造性の遺伝子は、統合失調症や双極性障害の遺伝子と関連があります。

創造性の遺伝子、統合失調症や双極性障害の遺伝子と同じルーツかもしれない | Medエッジ はてなブックマーク - 創造性の遺伝子、統合失調症や双極性障害の遺伝子と同じルーツかもしれない | Medエッジ

日経 サイエンス 2013年 06月号 天才脳の秘密によると、ハンガリーの精神科医ケーリ(Szabolcs Kéri)は、創造的な人と統合失調症の人には共通するneuregulinlという遺伝子の変異があることを突き止めました。この遺伝子がある人は、統合失調症になりやすい反面、豊かな創造性を示します。

昔から天才と狂気は紙一重、と言われるように、創造性と病気は近い関係にあることがわかっています。創造性の豊かな人は、脳のフィルターが弱く、常識では思いつかないような発想を得ますが、そのフィルターが弱すぎると、幻覚や幻聴が生じたりするのです。

つまり程よく精神疾患的であるものの、病的ではない絶妙な位置にいる人が芸術家として大成しやすいということになります。それは才能と呼んでも差し支えのないものでしょう。

3.努力の才能―発達障害、自閉症の遺伝子

以前に取り上げたことのある究極の鍛錬という本は、才能ではなく努力が大切だ、ということを声高に主張する本です。モーツァルトもタイガー・ウッズも、子どものころからの英才教育と鍛錬に次ぐ鍛錬のおかげで大成したのであって、もともと才能があったわけではないと述べています。

ところが、その本でさえ、芸術やスポーツの特定の分野に関わる遺伝的要因はまだ見つかっていないが、「努力の才能」というものはあるかもしれないと認めています。

「努力の才能」とは、単純で飽きやすい訓練に没頭し、何千回となく繰り返すことのできる才能です。この本によると、芸術家やスポーツ選手として大成する前に必ず「10年の沈黙」が見られることは以前にも取り上げました。

創造的な作品を描きたいなら少なくとも10年は続けよう
どんなに有名な作家でも「10年の沈黙」がある

プロになるような人は、10年以上、だれにも認められないとしても、ひたすら努力を繰り返し、黙々と腕を磨いて、汗と涙を流しているのです。成功する人が少ないのは、これほどの努力を続けられず、早々と音を上げてしまう人が多いからにほかなりません。

では、音を上げてしまう人と、努力を惜しまない人とは何が違うのでしょうか。単に根気が違うだけですか。性格が違うのでしょうか。ある意味ではそうです。しかし厳密にいうと、それら根気や性格も、ある程度遺伝子によって決まっており、それこそが「努力の才能」なのです。

この「努力の才能」は自閉的な要素と言い換えてもよいでしょう。自閉症ではないものの、自閉症に似た要素を遺伝子として持っている場合に、単純な繰り返しの訓練にも黙々と取り組む根気強さが生じます。そのことは、先日、アスペルガー症候群について取り上げた話の中で説明しました。歴史上の偉人の多くが、自閉的要素を持っていた、と言われるのも不思議ではありません。

この場合もやはり、自閉的ではあるものの、病的ではない絶妙な位置にいる人が、芸術などの世界で大成しやすい、ということになります。

4.既存の教育の枠に合わない―学習障害の遺伝子

これは3番目の点とも関係していますが、芸術家として成功する人の中には、学校教育が苦手だった、学習障害があった、といった話が散見されます。学校の勉強が苦手で、授業中も絵ばかり描いていたような子どもが、将来マンガ家になったりするのです。

これも、単に勉強そっちのけでほかのことをやっていたから上手くなったのではなく、そもそも勉強に合わず、芸術が得意な脳の構造をしていたためである、と考えるのが筋の通ったことのように思えます。

というのは、上の記事でも取り上げたように、ギフテッドー天才の育て方 (学研のヒューマンケアブックス)という本によると、米国では、そのような子どもの一部は、才能と弱点を併せ持った2E児として特別教育の対象となっているからです。

一般的な学校の教育で落ちこぼれになったり、不登校になったりするような子どもは、能力が低いのではなく、学校教育が苦手なだけである場合があります。学校教育の枠内で成績は低くとも、別の分野ではずば抜けた能力を発揮するのです。

たとえばアインシュタインも、エジソンも、かの有名なスティーブン・スピルバーグも学習障害(LD)がありました。学校で良い成績は取れなかったのです。レオナルド・ダ・ヴィンチも識字障害で鏡文字を書いていたことが知られています。

このような学校教育で学習障害を示す子どもたちの多くは、聴覚的な情報の処理に問題があり、視覚的な手がかりを用意してあげれば、呑み込みが早いことが知られています。たとえばマインドマップなどの特殊なツールを使えば、スムーズに理解できる視覚的思考の脳を持っているのです。

絵に表れる視覚優位と聴覚優位の特徴―色と線の見え方
生まれつきの脳の認知特性が絵の描き方にも関わっているという話

言葉ではなく、映像で考える、というこのような能力を持っている子どもたちは、うまく才能を育てることができれば、芸術や建築、デザインなどの分野で目覚ましい働きを見せることがあるそうです。

経験論―成功する人は環境にも恵まれている

ここまで遺伝的な才能について述べてきました。読んでいる方の中には、どれも当てはまるものがなくて、がっかりした人がいるかもしれません。あるいは、精神疾患や発達障害、不登校などの経験を思い出して、自分では弱点と思っていたものが強みになる可能性もあるのだ、と感じていただけたかもしれません。

どちらにしても、遺伝的要因は大きなウェイトを占めるとはいえ、それだけで、芸術家は成功するわけではありません。むしろもっと多くの運に恵まれることが必要になります。

■恵まれた環境が必要

天才の脳科学―創造性はいかに創られるかという本によると、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが芸術家として成功したのは、ルネサンス期という時代背景と、メディチ家のようなスポンサーがいたことを抜きにしては語れない、とされています。

歴史上、女性の芸術家や作家が少ないのは、女性は創造性に劣っているからでしょうか。そうではありません。多くの才能豊かな女性がいたはずですが、だれにも知られないまま、生涯を終えてしまったのです。詩人のエミリー・ディキンソンのように生前は注目されることもなかった人が大勢いたのでしょう。

どのくらい多数の天才が、創造的な性質をもって生まれながら、育ちが整わないばかりに実現できずに終わったのだろうかとも考えた。

たとえば人間の半数は女性であるのに、その天才が認められた女性は極めて少ない。…女性が生まれつき男性より創造性が低いとは信じられない。

しかし話は男女の違いに止まらない。人種、偏見、貧困、戦争、教育の欠如など幾多の障害が創造性の発芽を抑えてきたのだ。(p9)

心理学者のミハイ・チクセントミハイによると、創造性は単なるひと個人の性質ではありません。世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方という本にはこうあります。

一方、チクセントミハイもまた、“クリエイティブな場所”というものが存在すると述べている。チクセントミハイはクリエイティビティを関係概念として理解している。

やや専門的な言い方になるが、クリエイティビティを個人の心理内的性質としてではなく、人、分野、場所相互の関係に基づくものと考えているのだ。(p58)

つまりどういうことかというと、あまり創造的でない人であっても、創造的な人たちが集まる会社に勤めていれば、隠れた才能を開花させるかもしれません。優れた画家は、ほかの作家や詩人などとの交流を通して、偉大な画家へと成長するかもしれません。つまり場所や交友などの環境が、創造性の成長に大きく関係しているということです。

■恵まれない環境も必要

では、恵まれた環境、たとえばお金持ちだったり、大都市に住んでいたり、両親や家族が健康であったりすることなどが、成功に寄与するのでしょうか。ある程度はそういえます。貧しい発展途上国に住んでいる才能ある人は、先進国の才能ある人より開花する確率は何倍も低いでしょう。

しかしあながち恵まれた環境が良いとも言えない研究もあります。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本によると、こんな記述があります。

創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害をもたないものが、偉大な創造を行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう。技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は生まれにくいのである。

なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命を懸けるまでには必要性をもたないからである。(p185)

この本では、夏目漱石や太宰治、ジャック・ルソー、アーネスト・ヘミングウェイなどの作家について、彼らが不幸な子ども時代を送ったことが書かれています。家族に恵まれず、死別したり疎まれたりして、心に深い愛着の傷を負っていたのです。

ところが、そのような心の傷は、彼らが創作したいという強い衝動をもたらしました。心から湧き出るこの悲しみを綴りたい、自己表現したい、という切なる思いが、創作の原動力になったのです。人が何かに挑戦したり、創作したりする背景には、満たされない思いを満たしたいという欲求があります。

画家の場合でも、心を安定させ、解放するためにキャンバスに向かう人がいます。たとえば不登校の子どもを対象にしたアートセラピーでは、言葉にならない思いを絵として表現することが癒やしにつながることを以前の記事で述べました。癒やしたい心があればこそ、絵を描き続けたいと思う人もいることでしょう。

言葉にできないからこそ感情を絵で表現する作家たち
感情を言葉にできない自閉症や不登校の子どもの芸術療法

ですから、この場合も、遺伝的な才能に関する部分で述べたことが当てはまるように思えます。少し不幸な境遇であるものの、貧困や病気ほどひどくはない絶妙な環境で育ったために、ハングリー精神に富み、優れた交友や職場を得た人が、創造性を発揮しやすいのではないでしょうか。

たとえ才能にも環境にも恵まれていないと感じても

さて、以上が、芸術家において、生まれつきの遺伝的性質や恵まれた環境の果たす役割についての論議です。最初に提起した、努力か才能か、などという単純な問題ではないことがお分かりいただけたと思います。

結論を言うと、芸術の世界で大成功するには、努力も才能も必要なのです。さらに努力できるような環境も不可欠です。

そうであれば、才能にも環境にも恵まれていないわたしはどうすればいいのでしょうか。わたしが絵なんて描いていることには、なんの意味もないのでしょうか。

わたしはそうは思いません。ここまで考えてきたことが意味するのは、「わたしは世界的に有名な作家になれそうもない」ということだけです。

わたしが創作を楽しんだり、アイデアを形にすることを喜んだりすることには、何の障害もないのです。

芸術の分野で大成功することは、一部の限られた人だけのものであるのに対し、芸術を楽しむことは、わたしたちすべてに開かれた扉なのです。

■子どもの絵のことを考えてみよう

芸術の分野は、本質的に言えば、順位付けしたり、優劣を競い合ったりするものではない、ということは、以前の記事でも繰り返し書いてきたとおりです。芸術が楽しいかどうかは、他の人から高く評価されるかどうか、高い技術を持っているかどうかに依存しているわけではありません。

絵を描くことを楽しみたいなら「上手い」という褒め言葉を捨てよう
絵を「上手い」と褒めると、絵が嫌いになる人が現れるという話

子どもの描く絵を考えてみてください。子どもは、だれかに見せようとして絵を描き始めるわけではありません。ただ描きたいから、表現することが楽しいから画用紙に向かい続けるのです。

展覧会に貼りだされるかどうかを気にして絵を描く子どもがいるでしょうか。いいえ。お母さんが喜んで冷蔵庫に貼ってくれるだけでも子どもは大満足です。

子どもは自分の描く絵が、高い水準にないからといって嘆いたりはしません。子どもの絵を「下手」だと評価する大人もいますが、描いている子ども自身にとっては大切な絵なのです。

■だれもが「才能がある人」

才能のある人の絵はすばらしい、高い技術のある人の絵は上手い、と考えるのは、芸術に向き合う人にとって、非常に愚かしく、浅はかな考え方です。そう考える人は、絵の本質も、芸術の意義も理解していないと言って間違いありません。

そもそも、才能のあるなしで、人を分けようとするのが間違っています。途中で、学習障害(LD)の子どもの話を取り上げました。彼らは、学校教育という枠内では落ちこぼれだとされますが、別のものさしで測れば、高い能力を示すということを説明しました。そのような子どもはみな天才だとまではいいませんが、だれでもどこかに才能があるものです。

それと同様のことがわたしたちすべてに言えるわけです。わたしたちは「才能のある人」と「才能のない人」という二つのグループに分けられるわけではありません。わたしたち皆が「才能のある人」なのです。しかしその方向性が違っていて、一人ひとりの才能はさまざまに異なっているため、プロの世界という限られた枠内では、一部の人しか成功しないだけなのです。

わたしは、天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界という本の著者ダニエル・タメットの言葉に同意します。彼はこう述べています。

ぼくは、才能とはその語源の意味の通りだと思っている。つまり「talent」がラテン語の「talenta(重さ)」からきているように、人をある特別な方向へと押しやる重みが才能なのだ。だれもがある種の才能を持って生まれ、献身的に懸命に努力することでその才能が実を結ぶ。

…才能はひとえに懸命な努力の成果だという主張は、人々を誤った方向に導きかねないとぼくは思う。才能を環境という完全に無作為なもののせいにしてしまうのは、遺伝のせいにするよりはるかに非人間的だ。

…しかし実際は、ぼくたちひとりひとりがこの世界に貢献できるかけがえのない美しいものを持っていることを知れば、だれもが自信を抱くことができる。(p73-74)

この言葉のとおり、わたしたちは皆、一人ひとりに美しい才能を持ち合わせています。たとえば絵を描くなら、それぞれの才能が表れたすばらしい絵になります。ある人の才能は、万人に好まれる人当たりの良い絵を生み出し、別の人の才能は、少数の人に大きな感動を与える個性的な絵を生み出します。

わたしたちはだれでも自分の才能を活かして、芸術を楽しむことができますし、自由奔放に世界を広げることができます。その方向性が異なっているだけです。本来、芸術の世界には、それら方向性がまったく異なる作品をさえ受け入れる抱擁力があります。

ですから、たとえ大きな成功に結びつくような才能や環境に恵まれていないと感じても、わたしたちは縛られて身動きが取れなくなるわけではありません。自信をなくして芸術をあきらめる必要もありません。

自分のペースで、笑顔を絶やさずに、芸術の道を歩きつづければいいと思います。度を超えた成功を高望みしたり、大きな野心を抱いたりしないかぎり、さまざまな風景を楽しみ、道行く仲間の作家と語らいながら、十分な満足を得られるはずです。

絵を描くことを楽しむ道はすべての人に開かれているのです。

▼才能は生まれか育ちかに関する研究
この記事で扱った話題について、こちらの記事では別の観点からさらに掘り下げています。最新の遺伝子研究によると、「遺伝か環境か」という問いはナンセンスになりつつあるという見解も紹介しています。

 

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