脳科学で分析する絵画の歴史―絵は5つの段階で進化してきた

なたは美術の時間に倣った絵画の歴史を覚えていますか?

今の自分の描く絵には、そんな過去の画家たちの歴史なんて関係ない、と思って、すっかり忘れてしまった人もいるかもしれません。しかしこれから見ていくとおり、実際には、アニメであれ、漫画であれ、二次イラストであれ、過去の画家たちの歴史抜きでは、決して語ることができません。

美術の時間に倣ったことは、あくまで芸術表現としての絵画の歴史ですが、見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンスという本の著者の神経心理学者、岩田誠教授は、少し違った視点から、西洋絵画の歴史を分析しています。教授は、脳科学の観点からみると、絵はおおまかにいって3つのステップで進歩してきたと述べています。(p131)

今回の記事では、その3つのステップのうち、3つ目を少し細かくわけて、5つの段階として考えて、美術の歴史を振り返ります。

絵を描くことは、どのように進歩してきたのでしょうか。それは、どんな経緯を経て、現在のわたしたちが描く絵と結びついているのでしょうか。

【じっくり絵心教室】胸像

(それぞれのところに参考に載せているサムネイルは、Google画像検索にリンクしてあります)。

1.心象絵画の時代(ルネサンス以前)

■自分の心の中のイメージに基づく絵
■構図は平坦で、大事なものが大きく描かれる
■色には象徴的な意味がある

最初の段階は、ルネサンス以前の絵画です。洞窟画から、古代エジプト美術、ナスカの地上絵、キリスト教美術、そのほかの古典的絵画など、非常に長い時代にわたって、絵は、「心象絵画」(マインドペインティング) というタイプの発展を遂げていました。(p134)

「心象」とは、心の中のイメージのことです。もともと絵は、いわゆる写実的なものではなく、心の中のイメージを描く手段だったのです。

絵の歴史は、当初、宗教や伝説、まじないなどと関係していました。神や精霊、神話など、目に見えないものを可視化することが、かつての絵画の主な目的でした。

見たままを描くわけではないので、構図は平坦で二次元的ですし、近くにあるものが大きく描かれるということもなく、神のように大事なものが巨大に描かれます。そして色は、現実の色みに忠実なわけではなく、イメージにふさわしい色が象徴的に用いられます。

アルタミラ洞窟の壁画など、初期の洞窟絵画は、動物の姿を描いていますが、それでも決して写実的ではなく、遠近法や陰影といった技法はどこにも見られません。洞窟絵画の意味については諸説ありますが、人目に触れない場所に描かれていることから、宗教的なメッセージだったと考える学者もいます。

今でも、わたしたちが資料なしで、自分の心の中のイメージを描くとき、それは古くから脈々と続いてきた心象絵画(マインドペインティング)の手法にのっとっています。特に、子どもが最初に描き始める大きな頭の人間や、家や電車などのシンボル画は、まさに心象絵画の代表といえるでしょう。

▼ルネサンス以前の絵

before renaissance

2.網膜絵画の時代(ルネサンス以降)

■ある視点から見た対象を見えるままに描く
■遠近法や陰影といった技法が登場
■目に見えるとおりの色使い

長らく続いた心象絵画の時代を大きく変えたたのが、ルネサンスによる芸術革命です。これまで宗教との関わりが深かった美術が、メディチ家など裕福な資産家の後押しによって、美術、芸術として独立した意味を帯び始めます。絵は、単に神や伝説を描く手段ではなく、身の回りのあらゆることを表現する手段として認識されはじめます。

特に画期的だったのが、遠近法と陰影の技法の開発です。遠近法を開発したのは建築士フィリッポ・ブルネッレスキだといわれています。陰影をつけて自然な立体感を出す「スフマート」はレオナルド・ダ・ダヴィンチが開発したとされています。どちらも今のわたしたちにとっては当たり前かもしれませんが、当時まで、そのような技法はほとんど存在していなかったのです。

こうして生み出された、絵の新しいスタイルが網膜絵画(レティナル・ペインティング)です。(p137)

これまで、絵は「心象」、つまり心の中のイメージを描くものでしたが、レオナルド・ダ・ヴィンチらは「網膜」すなわち目に映った映像をそのまま描く「リアル」で「写実的」な絵画の道を開きました。

画家たちは空想で描くのではなくモデルを使った模写をするようになりました。たとえばデューラーの版画「裸婦を描く画家」には、当時の画家が木枠のスケールを使って座標を確認しながら絵を描く様子が描かれています。

▼遠近法が取り入れられたルネサンスの絵

renaissance art perspective

網膜絵画は、大きくわけて二種類にわけられます。

1.視線を固定しない

ひとつ目は、視線を固定しない網膜絵画です。そのタイプの絵は、全体がくまなく写実的に描かれていいて、近くも遠くも、はっきりと描写されています。

カメラの写真のように、わたしたちの目は近くを見ているときには遠くはぼやけているはずですが、そうした表現は取り入れられていません。あたかも、近くを見た場合、遠くを見た場合など、さまざまな視線を複合したような絵画になっているわけです。

2.視線を固定する

ふたつ目は、視線を固定した網膜絵画です。代表的なのは、レンブラントの絵で、中心だけ明るくはっきりしていて、まわりは暗くぼやけています。これは、わたしたちの目の機能を忠実に表現したもので、何かに焦点を合わせると、周囲はぼんやりする現象をよく表わしています。

レンブラントのヴィネッティングや、カメラの口径食(ケラレ)は、視線を固定して、一箇所だけに焦点を合わせた場合の写実的な表現なのです。

レンブラント・ファン・レインの絵

Rembrandt Harmensz. van Rijn

3.脳の絵画の時代(写真登場以降)

■視覚情報の一部を強調して描く
■写真で写せないものを描写する
■最新の科学や哲学を取り入れた主義主張

時代はさらに進んで19世紀。ついに科学の進歩は、写真という革命的な道具を世に送り出します。ルネサンス以降、写実的な絵画で生計を立ててきた画家たちは、アイデンティティの危機に直面します。

目に見えるものをそのまま描く場合、写真に勝る方法はありません。もはや、画家はかつての心象絵画に戻るしかなのでしょうか。

いいえ、新時代の画家たちが選んだのは、昔に戻ることではなく、さらに先へと進むことでした。カメラが写実的な映像を記録できるなら、さらにもっと先、カメラが記録できないリアルさを描きだすことにしたのです。

その時代の絵は、脳の絵画(セレブラル・ペインティング)と呼ばれています。なぜなら、画家たちは、単に目に見えるものをそのまま描くのではなく、目に見えるものの意味を考え、脳で分析し、情報を選り分けつつ描くことにしたからです。

画家たちが発見したのは、目に見える映像というのは、さまざまな要素にわけられる、ということでした。それは、色、線、運動、形、空間的位置関係、向きなどです。わたしたちの視覚というのは、さまざまな情報を統合したものなので、それらをバラバラに分解し、ある特定の情報だけ強調するのはどうだろうか、と考えました。

これは当時の認知科学を先んじる、非常に先進的な考えでした。現代になって、ようやく脳科学の進歩が明らかにしたところによると、確かにそれらの情報は脳の異なる場所で別々に処理され、統合されていたのです。

色を強調する絵

脳の絵画の先陣を切ったのは、クロード・モネなど印象派の画家たちです。印象派は、視覚情報のうち、脳のV4野で認識される「色」を強調することにしました。ニュートンは、白色光がさまざまな色からなっていることを発見しましたが、印象派の画家たちも、光の中に含まれるさまざまな色の成分を描くことで、写真より明るく美しい瞬間を描き出しました。(p157)

たとえば、クロード・モネは、輪郭、つまり線の情報は意図的に省き、色を強調して、鮮烈な印象を与える「印象・日の出」を描きました。オーギュスト・ルノワールは、さまざまな色の反射光を組み合わせて描くことで、輝くような淡い光の表現に成功しました。ジョルジュ・スーラは、さまざまな色を隣りあわせて別の色を合成する点描という画期的な手法を編み出しました。点描は今でもモニターや印刷物の表現に使われています。

▼オーギュスト・ルノワールの絵

pierre-auguste renoir

運動を強調する絵

イタリアの未来派の画家たちは、印象派とは異なり、視覚情報のうち、脳のV5野で認識される「動き」を強調しました。(p159)

たいていの場合、写真は静止画ですが、たまに素早い動きのためにぶれて残像がついた失敗写真が撮れることがあります。未来派はまさに、そうした素早い動きを絵に表すよう努めました。

たとえば、一時期未来派の影響を受けていたマルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体No.2」では、形や色は曖昧で、激しい動きだけが、描き表されています。

▼マルセル・デュシャンの「階段を降りる裸体No.2」

marcel duchamp2

線を強調する絵

そして、その反対に、色の情報をすべて欠落させ、線によって絵を描き、動きを表現しているのが、絵画から独立した一分野として大いに栄えることになった漫画でしょう。漫画は、写真はもちろん、映像でも表現できない描写が可能です。

漫画はたいてい無彩色のグレースケールで描かれますが、輪郭線という形や動きが強調され、連続する絵によって、写真には存在しないストーリーを生み出すことに成功しています。

4.空間や時間の破壊(ピカソ以降)

■空間や時間のつながりをバラバラにする
■文脈を再構成する
■目に見えるもののさらにその先を描く

続く絵画の革命は、アインシュタインが相対性理論によって、時間と空間の絶対的地位を打ち砕いたころ、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックによってキュビスムが開発されたことで生じました。

空間を省いた絵

写真はある瞬間の特定の空間を取り出すものですが、ピカソは、空間も時間も絶対的なものではないと考えました。それで、意図的に空間の情報を欠落させた絵を描きます。これは、脳の視覚情報を処理する部分のうち、形を認識する腹側経路のみを強調し、空間を認識する背側経路を省いたものと言われています。(p56)

ピカソの「3人の学士たち」などの絵は、形はしっかりと描かれていますが、空間的な位置関係がわかりません。ピカソの描いた肖像画は、視点が固定されているのではなく、一つの絵にさまざまな視点が組み込まれています。どの方向から見ているか、という空間的な向きがはっきりしていないのです。

▼パブロ・ピカソの絵

Pablo Picasso

形を省いた絵

その逆に、「キュビスムの先」を目指したピエト・モンドリアンは、脳の背側経路で認識される空間・向きの情報だけを強調しし、腹側経路で認識される形の情報は省いた絵を描きました。これは抽象画の先鞭をつけるものとなりました。(p160)

▼ピエト・モンドリアンの「しょうが入れのある静物2」

Still Life with Gingerpot 2

時間を再構築した絵

さらに、わたしたちの視覚は、時間的な要素も含んでいる、ということを認識し、時間的要素を分解したのがシュルレアリスムの画家たちです。サルバドール・ダリをはじめ、シュルレアリスムの画家たちは、夢や幻覚のような時間的つながりに脈略のない世界を描くことで、現実のものを描いているのに現実にはありえない、という異様な印象を与えることに成功しました。(p163)

▼サルバドール・ダリの絵

Dali

5.さらなる感覚体験を求めて

■豊かな多様性
■五感を取り入れた絵画
■デジタル技術の活用

こうして、心象→写実→視覚情報の分解、と進んできた絵の歴史は、20世紀に入って爆発的な多様性を見せ、さまざまな広がりを生んでいきます。

完全に抽象化されたワシリー・カンディンスキーらの抽象画、描くことに動きを取り入れたジャクソン・ポロックのアクション・ペインティング。さらには映画やアニメ、デジタルの技術を活用したCG、3Dなど、絵画は多種多様な分野に枝分かれしていきます。

▼ワシリー・カンディンスキーの絵

wassily kandinsky

▼ジャクソン・ポロックの絵

Jackson Pollock

興味深いことに、絵画の歴史は、科学の進展と常に関係してきました、数学が幾何学的な遠近法を構築するとともに、見たままを描くリアルな絵が生まれ、カメラの登場とともに、一方では映像美術が、一方では印象派をはじめとする脳の絵画がうまれます。そして相対性理論の発見とほぼ同時にキュビスムが生まれ、デジタル機器の発明とともにCGが登場しました。

科学と芸術は一見まったく別のものであるかのように思えますが、実際には、互いに影響を及ぼしあってきた文化であり、ときには芸術家が科学者に先行することさえありました。

今回参考にした本 見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンスの著者、岩田誠教授はこう書いています。

私自身は、神経心理学という脳科学の分野に興味をもってきた人間であるが、ふと気がついてみると、脳科学においてここ20年ほどまえから明らかになってきた視覚認知の脳機構の仕組みが、すでに画家たちの直感によって何十年も前かにあきらかにされていたことに驚かされたのである。(p189)

いいかえるなら、視覚的思考という精神活動において、画家たちは問題発見型の思考過程を中心とし、神経科学者たちは、問題解決型の思考を行ってきたといえよう。

神経科学者たちは、つねに、独創的な画家たちの轍をたどるという、後追いの立場に甘んじてこざるを得なかったのである。(p185)

絵画の歴史を振り返って

こうして絵画の歴史をたどると、今のわたしたちの絵は、過去の美術の進歩の上に成り立っていることがよくわかります。

たとえばわたしの絵のスタイルでいうと、イメージを中心に描いているのは、初期の心象絵画時代の手法に倣っていますが、遠近法や陰影といったルネサンス以降の技術を取り入れていますし、色のグラデーションや明るさを強調しているところは印象派と似ていて、それらを描く手段は最新のデジタル機器を用いているのです。

つまり、わたしの絵は、今の時代に生まれたからこそ描けるわけであり、過去のどの時代に生まれても、あるいは過去のどの歴史が欠けていても、決して描けないほど、昔の画家たちの偉業に多くを負っているということがわかります。

わたしは、この歴史の中では、おこがましいかもしれませんが、自分は印象派に似ているなと実感します。写実画があまり好きではなく、明るい光と色を強調した絵を描きたいという思いは、当時の彼らの気持ちと重なるところがあるかもしれません。子どものころ、古典美術や抽象画には特に惹かれなかったのですが、モネやルノワールの絵を見たとき、その美しさに感動したのを思い出しました。

絵画の進歩を振り返るにつけ、その多様性と、画家たちの飽くなき努力に感嘆せずにはいられません。

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