なぜエリート層はピカソの絵を飾り、大衆はラッセンを愛するのか―芸術と脳の処理


「なんで、あんな意味がわからない絵のために何億も払うのだろう」

少しでも芸術に親しんだ人であれば、だれでもそんな感想を抱いたことがあるかもしれません。裕福な人々や専門家が一見理解しがたい絵を褒めはやし、一般の人が置いてきぼりにされる、といった芸術のパラドックスは、マンガなどでよく風刺されています。

たとえば古くはピカソの絵に大金がつぎ込まれましたし、今では現代アートが絶賛されることもあります。しかし、正直なところ、(専門家に鼻で笑われるのを覚悟して言えば)わたしには、それらの芸術が、簡単に理解できるもののようには思えないのです。

しかし、エリート層の人たちがそれらの絵を好むポイントは、まさにそこに存在しているという仮説を立てている学者もいます。

裕福な人や美術の専門家がピカソをほめはやす一方で、庶民の間では、ラッセンの絵がもてはやされたり、大衆マンガが飛ぶように売れたりするのには、どちらも同じ理由、「認知のしやすさ」が関係しているというのです。心理学者マイケル・S・ガザニガによる本、人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線から見てみましょう。

人は認知しやすいものにポジティブな評価をする

わたしたちが、ある芸術を美しいと感じ、別の芸術には心を動かされないのはなぜなのでしょうか。

ノルウェーのベルゲン大学のロルフ・レイバー、ミシガン大学のノーバート・シュワルツ、カリフォルニア大学のピョートル・ウィンキールマンら3人の心理学者は、人がある芸術を美しいと感じる場合、それは認知のしやすさによってそう感じているのではないか、と考えています。

簡単な例で考えてみましょう。友だちから、本を読むよう勧められて、何冊か貸してもらいました。

一冊目を開くと、細かい文字が500ページも並んでいる本でした。(今回紹介しているガザニガの本はまさにそんな本です 笑) あなたはきっと見るだけでため息が出て、本を閉じて脇に置くでしょう。

二冊目を開くと、なんと外国語で書かれた本でした。あなたはそれを見なかったことにして脇に積みます。

三冊目は、図が入って、文字が大きく、読みやすい本でした。あなたは、間違いなく三冊目から読み始めるに違いありません。

この三冊の本の場合、ポジティブな感情を感じるのは、きっと

1. 図入りで読みやすい日本語の本
2. 細かい文字の日本語の本
3. 外国語で書かれた本

の順番でしょう。場合によっては、ポジティブな感情を持つのは一つ目のみで、あとの二冊にはネガティブな感情しか沸いてこないかもしれません。ひと目見て、認知しやすく、受け入れやすいもの、つまり脳が処理しやすいものにはポジティブな感情を抱きやすく、逆にすぐ理解しがたいものにはネガティブな感情を抱きやすいのです。

絵の認知しやすさを決める5つのポイント

絵の場合でも、これと同じことがいえます。わたしたちは、認知しやすい絵を好み、ポジティブな評価を下します。

認知しやすく、脳が処理しやすい絵には、たとえば次のようなものがあります。

1.リアルな絵

リアルな絵とは、わたしたちが普段、目で見ているものを、見える通りに、そのまま描いた写実的な絵のことです。いわば、写真のような絵のことです。

もともと絵に写実主義はありませんでした。写実的でリアルな絵が登場したのはルネサンス以降です。それ以来、写実的な絵は、ほとんどの国の文化に根づき、高く評価されるようになりました。

美術の学校を受験するには、写実的なデッサンを描けることが求められますし、子どもたちは、アニメのような絵ではなく、写真のような絵を描いたときに、「うまいねー」と褒められます。

リアルで写実的な絵が、このように広く受け入れられたのは、それが、わたしたちが普段見ている映像に近いため、だれもが認知しやすかったからでしょう。

写実的な絵こそがリアルで上手だと思ってしまう理由
多くの人が共感しやすい絵が上手とみなされる

2.自然の風景

リアルな絵と並んで、特に人気が高いのは、牧歌的な風景、動物たち、自然豊かな場所を描いた風景画です。そうした絵が人気がある理由については説明は不要でしょう。わたしたち人類は、もともと自然の中で生きてきたので、無機質な絵より、自然の風景画のほうが認知しやすいのです。

また自然界にはフラクタルと呼ばれる図形がよくみられます。フラクタルとは、木の枝のように、ある部分を拡大しても同じような図形がみられることです。山、雲、支流に分かれる川、葉脈、雪の結晶など、自然界はフラクタルからできています。そのため、フラクタルを取り入れた絵やデザインは、多くの人に好まれやすいことがわかっています。

オレゴン大学の物理学者リチャード・テイラーは、目は、私たちを取り巻く自然界のフラクタルに、美的に「調整」されているのだろうかと考えた。…彼の研究グループが調べてみると、人はフラクタル密度が1.3のスカイラインを含む景色を好むことがわかった。

…これが事実なら、このフラクタル密度で建築や物をデザインすれば、人間の精神にとって好ましいものとなり、都市の景観が与えるストレスも減るかもしれない。(p326)

3.対称性

わたしたちは、対称性のある絵を好ましく思う傾向があります。左右対象だったり、点対称だったりすると、バランスがよいと感じます。これは、対称的なもののほうが、情報が少なくて認知しやすいからかもしれません。

あるいは、左右対称でない、というのは自然界では、健康リスクと関係があるので、無意識のうちに不快感を示し、避けようとしてしまうのかもしれません。たとえば、体が左右対称でないなら、何かの病気によって損なわれていることを示唆します。

4.コントラスト

またわたしたちは、適度なコントラストのある絵を好みます。輪郭線がぼやけた絵や、色の境目がはっきりしない絵は、あまり好まれません。これは、わたしたちの危険を感じる意識と関係があるかもしれません。

昼間にだれかと出会うと、コントラストがはっきりしていて、輪郭も顔もはっきり見分けられます。友人であることがわかり、にっこりします。しかしコントラストが弱まり、ものがはっきり見えなくなる たそがれ時にだれかと出会うと、友人かどうか容易に見分けられません。警戒することが必要です。

5.慣れ親しんだ文化

最後に、わたしたちは、自分が子どものころから慣れ親しんだ文化の絵を好みます。たとえば、わたしたちは、アメコミのキャラクターを見ても、あまり好きにはなれないかもしれません。逆に、アメリカの人たちは、日本のマンガのデフォルメされたキャラクターをなかなか受け入れにくく思うかもしれません。

認知のしやすさ、脳の処理しやすさというのは、リアルな絵、フラクタル、対称性、コントラストといった人間の脳にもともと備わっている特徴だけでなく、生まれた後に、どのような文化に慣れ親しんだか、ということとも関係しているのです。

大衆が愛したラッセンの絵は認知しやすかった

こうした特徴を見ると、大衆に愛されたクリスチャン・ラッセンの絵が、なぜ人気が出たのかがよくわかります。クリスチャン・ラッセンの絵は、イルカなどの海洋生物をリアルに描くスタイルが特徴で、だれでも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

▼ラッセンの絵(クリックで画像検索)

Lassen

彼の絵は、まず第一にリアルなタッチで書かれています。独特の癖がなく、見たままを描いているので、だれでも抵抗なく受け入れられます。

また、彼の絵は自然豊かな風景を題材にしています。もともと自然とともに生きていたわたしたちにとって、生き物がたくさんいるラッセンの風景は、安心感を感じます。

そしてラッセンの絵は、はっきりとした色のコントラストも特徴です。ぼやけているところ、わかりにくいところはありません。さらに、月が真ん中に配置されているなど、一部の絵では対称性も取り入れています。

このように、ラッセンの絵には、脳の処理しやすさに関わるさまざまな特徴が含まれていて、そのために彼は大衆に好まれる画家になることができたのです。

しかし同時に、彼の絵は美術の専門家や、裕福な人たちからはあまり好まれませんでした。それはなぜでしょうか。

エリート層は認知しにくいピカソの絵を好む

ハーバード大学の心理学者、スティーブン・ピンカーは、芸術の好みには、ステータスの心理も関わっていると指摘します。

スティーブン・ピンカーは、芸術は美学の心理だけではなく、ステータスの心理とも結びついていると述べている。

芸術を理解するためにはこの二つを分けて考える必要があるのに、これまで長い間繰り広げられてきた多くの空しい論争はそれを怠ってきた。

ステータスの心理は、何がエリート芸術と考えられるかに大きな影響を及ぼす。

豪邸やランボルギーニと同様、壁に掛けられたピカソの原画には実用的な価値はないが、それは、あり余るほどのお金を持っていることを表す指標となる。(p293)

簡単に言えば、ピカソを壁に飾っていれば、エリートであることの証明になる、ということです。なぜなら、庶民は、理解しにくく、脳が認知しにくいピカソの絵を壁に飾らないからです。

▼ピカソの絵(クリックで画像検索)

Picasso

エリート層が、自分は庶民とは違うのだ、ということを示したければ、大衆が好むものを好むわけにはいきません。大衆が好んで飛びつくもの、つまり、前項で考えたラッセンの絵画のような、「受け入れやすいもの」、脳が処理しやすいものを愛するわけにはいかないのです。

むしろ、大衆が受け入れないもの、理解しがたく思うものを賞賛することにより、自分は大衆とは違うのだ、ということを誇示できます。

「その辺の無知な人々は、この芸術の良さが理解できないようだけど、わたしは違う。わたしはこの芸術のすばらしさを理解できるセンスを持っている。もともとの生まれからして、愚かな人たちとは違うのだ」という優越感にひたれるのです。

ではエリート層の人たちは、自分は一般人とは違うのだ、ということをひけらかそうとして、実際には理解してもおらず、意味もわからない芸術を、無理にすばらしいと褒めているのでしょうか。服が見えないのに、見えるふりをしている裸の王様なのでしょうか。

そうではないようです。すでに述べたように、脳の処理しやすさは経験によっても形作られます。エリート層の人たちは、大衆と異なっていなければならないという思いから、常に、新しいもの、最先端のものを探しています。そしていち早くそれに馴染みます。

すると、まだ庶民がその最先端のものを理解できないでいるうちに、それらの芸術に対する認知しやすさが脳に生じ、心の底から、ピカソはすばらしい、現代アートは美しいと思うようになるのです。

学者が、一般人にはわからないような専門用語を並べ立てて悦に入るのも、これと同じような現象だといえます。学者は専門用語の意味を理解しないで使っているわけではありません。確かに彼らは自分の述べていることを理解してはいます。しかし高慢さのため、それを簡単な言葉で説明することは拒むのです。

わたしは、ピカソや現代アートの芸術としての価値を批判するつもりはありません。一般に受け入れやすいものだけが芸術なのではなく、理解しやすいものだけに価値があるわけではありません。しかし、それらが、エリート層の富と才能のステータスのシンボルとして扱われてきたことは否定できません。

もっともこの事実は、口にすることがタブーとされているようです。

エリート芸術のステータスという側面に対する心理的な反応は、芸術を扱う学識者や知識人の間では禁断のトビックになっているとピンカーは言う。

…しかし彼らにしてみれば、モーツァルトよりもポピュラー歌手のウェイン・ニュートンを好んだり、一般に知られていないような文献を知らずにいたりすることは、蝶ネクタイ着用の晩餐会にボクサーパンツ一枚の姿で出席するのと同じくらい破廉恥なのだ。(p293-294)

もっと広い見方をしよう

このように、脳の処理しやすさと、わたしたちが何を美しいと感じるか、ということは深く関係しています。同時に、どんな芸術を愛するか、ということは、ステータスシンボルともなっています。

そのため、大衆は、脳が処理しやすいリアルな絵や馴染みある絵を好み、現代アートや新しい表現のようなものはわけがわからないといって退けます。

逆に専門家やお金持ちなどのエリート層は、自分は大衆とは違うのだ、ということを誇示するため、新しい美術に早くから慣れ親しむ一方で、大衆受けするポピュラーな芸術を見下します。

わたしは、はっきり言って、どちらももったいないと思うのです。

すぐに受け入れられる、脳が処理しやすい芸術というのは好感が持てますし、なかなか理解しにくい考えさせられる芸術というのも味わいがあります。

自分には合わない、わからない、とすぐ退けてしまったり、庶民の文化だと鼻で笑ったりせず、どちらにも親しんでみたほうが、自分の見方が広がるのではないでしょうか。

いろいろなタイプの芸術に触れ、それぞれの良さを探していくうちに、感性は豊かになり、アイデアの幅も広がるでしょう。

わたし自身、すでにそのような広い見方を持てている、というわけではありません。しかし、これから、ぜひもっと広い視野を持って、芸術をはじめ、世の中のいろいろな文化に親しみ、心を豊かにしていきたいと思いました。

今回紹介した本、人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線の第六章「芸術の本能」には、このような人間の脳と芸術についての話がいろいろと書かれているので、興味のある人は読んでみてください。ただし最初に例として挙げた500ページの難解な本のたぐいだということをお忘れなく。

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