芸術の批評はあてにならない―踊るシヴァ神と彫刻家ロダンの話


だれかから絵の評価をもらって一喜一憂したことがありますか。良い褒め言葉をもらって飛び上がるほど嬉しかったこともあれば、批判的な言葉をもらってがっかりしたこともあるかもしれません。

絵を見てくれる人の意見に耳を傾けることは、もちろん、上達の助けになる場合もあります。しかし芸術の世界では、他人からの評価はあてにならない、という話がごまんとあるのも事実です。

フィンセント・ファン・ゴッホの絵は、生前一枚だけしか売れませんでしたが、今や本屋の芸術の棚に行けば、ピカソとゴッホの本ばかりです。アメデオ・モディリアーニも、生前はほとんど評価されなかったのに、今や美術の教科書に載っています。

そのような話の中に、踊るシヴァ神の話を付け加えてみてもいいかもしれません。

踊るシヴァ神と彫刻家ロダン

踊るシヴァ神とは、古代インド美術の傑作とされている一体の像です。別名ナタラージャとも呼ばれます。どんな像かは実物を見ていただくのが早いので、Googleの画像検索の結果をどうぞ。

ナタラージャ

この像を見て、どんな反応を抱くかは人それぞれでしょう。実際、歴史上の二人の人物が、この彫像を見て、正反対の反応を示したことが知られています。

まず一方は、19世紀のナチュラリストで著述家のジョージ・バードウッドです。彼はインド美術を単なる工芸ととらえ、神々の多くが腕をたくさん持っていることに拒絶反応を示しました。そして踊るシヴァ神のことを「多腕の怪物」と呼びました。

これは何も珍しい反応ではないかもしれません。踊るシヴァ神を初めて見る当時の人たちの中には同様の感想を持った人も多いでしょう。異文化や解釈しにくい芸術に慣れた現代人であっても、そのような感想を抱く人もいるかもしれません。

その一方で、この踊るシヴァ神に対して、まったく正反対の感想を持った人もいました。同じく19世紀を代表する彫刻家とされるオーギュスト・ロダンです。

チェンナイの州立博物館には、12世紀のものとされる踊るシヴァ神が保存されています。脳のなかの天使という本によると、19世紀から20世紀への変わり目のころ、一人の年配の白人がそこを訪れました。

博物館の警備員や利用者が驚く中、その年配の白人は涙を流し始め、一種のトランス状態になって、踊るシヴァ神の踊りをまねることまで始めました。周りに人だかりができ、警備員が身柄を拘束しようという時になって、人々は彼がロダンであることに気づきました。

彼はのちに解説文を執筆し、踊るシヴァ神のことを人類の最も偉大な作品の一つと呼んだそうです。(p335-336)

このできごとは、芸術についての、わたしたちを惑わせる本質を伝えています。ある人にとっては感涙ものの偉大な芸術でさえ、別の人にとっては気持ちの悪い怪物でしかないのです。ある人にとっては傑作で、何億もの値段がつく絵画でさえ、別の人にとっては邪魔な落書きでしかないこともあります。

偉大な作品でさえそうなのです。そうであれば、芸術に対する評価や批判に対して、一喜一憂するのは、まるで嵐の海に翻弄されるようなもので、どうしようもなく気まぐれである、ということになります。

芸術を仕事にして、大金を稼ぐために、どうしても大衆に受け入れられなければならない、という場合は話は別ですが、少なくとも趣味で絵を描いたり、個性を活かして小規模なクリエイターとして活動したりしている場合であれば、気まぐれな評価に翻弄されるのは無意味なことのように思えます。

これは他人の意見に耳を傾けるべきではない、と言っているわけではありません。道理にかなった範囲で意見を聞き入れ、上達の助けにすることは大切です。

しかし人の意見に過度に気を取られて、絵の評価を逐一気にするよりは、自分の描きたい絵をどんどん描いて腕を磨くほうが、より多くの作品を創れるでしょうし、より自分の作品に愛を込めることもできるのではないか、と思います。

以前に書いたように、絵の評価というものは、いかに自然で受け入れやすいか、ということにある程度依存しています。共感しやすいものが人気が出るのです。

写実的な絵こそがリアルで上手だと思ってしまう理由
多くの人が共感しやすい絵が上手とみなされる

インドで大人気の踊るシヴァ神であったとしても、全く別の文化が広がる19世紀のイギリスでは共感されずに「怪物」呼ばわりされることだってあります。

ゴーギャンの絵はセザンヌに言わせると「支那の切り絵」にすぎなかったのです。ピカソの晩年の作品はダクラス・クーパーによると、「狂った老人の支離滅裂な落書き」でした。

芸術をだれかに評価してもらうというのは、それほど難しいことですし、人からの評価は時代や文化や、そのときの相手の精神状態や趣味嗜好によってさえ、大きく変化してしまうのだ、ということがいえるでしょう。

どっちがプロの絵?

芸術の評価は混沌としているので、プロの絵描きが描いたのか、ただの子どもが描いたのか、見分けがつかないことさえあります。

たとえば以下の記事では、20枚の絵について、子どもの絵かプロの絵か、クイズ形式で判定することができます。プロの批評家でさえ、全問正解するのは不可能でしょう。これは芸術的だ、これは芸術的でない、と仕分ける批評家の目は絶対ではないのです。

現代アートでなくても、美術についてまったく知らない異文化の人たちに、絵画の巨匠たちの絵を自然な感性で批評させたら、評論家とはまったく違った好みになりそうです。

20枚の絵画クイズ : 子どもの絵?現代アート?さあどっち!? : カラパイア はてなブックマーク - 20枚の絵画クイズ : 子どもの絵?現代アート?さあどっち!? : カラパイア

 また、以下の記事では、7歳の自閉症の少女ナディアと、天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた馬のデッサンが比較されています。だれが描いたかを伏せて、どちらが上手いと思いますか?と尋ねるとナディアの絵のほうが上手いと大半の人は言うそうです。

Imagine you had a machine, a helmet of sorts that you could simply put on your はてなブックマーク - Imagine you had a machine, a helmet of sorts that you could simply put on your

  もちろんナディアはただの子どもではなく、自閉症ゆえに脳の社会性が損なわれ、絵を描く能力にあたる部分が活性化していました。上の比較画像の一番右側には、定型発達の8歳児が描いた絵がありますが、そちらがレオナルド・ダ・ヴィンチの絵より上手いという人はまずいません。

興味深いことに、脳を経頭蓋磁気刺激(TMS)という技術で刺激すると、ナディアと同じような脳の状態を創りだせるそうです。そのようにして脳に磁気を当てられた人は、アイデアが豊かになったり、リアルな絵を描けるようになったりするそうです。この実験は日経サイエンスなどでも取り上げられました。

ある日「天才」が目覚める 脳が秘める無限の可能性  :日本経済新聞 はてなブックマーク - ある日「天才」が目覚める 脳が秘める無限の可能性  :日本経済新聞

 普通の人に解かせると平均5%以下の人しか正解しない「9点一筆書き連結問題」が、TMSで脳を刺激すると33人中14人が正解したという研究もあります。これは10億分の1の確率なので、TMSには実際に隠れた脳の能力を目覚めさせ、アイデア豊かにする効果があると言われています。こうしたアイデアの豊かさはクリエイターが求めてやまないものです。

もしこうした装置のようなサヴァン・ヘッドギア、天才ヘルメットが実用化レベルまで技術開発されたら、ますます天才画家と見分けがつかない素人の絵がちまたにあふれるのかもしれません。

評価の高い絵より自分らしい絵を求めて

結局のところ、人からの評価というのは限界があります。美術の批評は、その狭い世界の中だけのものです。本来の芸術は唯一の正解がある数学のようなものではありません。

多くの人は、子どもの絵と抽象絵画の区別がつきませんし、ピカソやゴッホの絵でも単にテレビですごいと言われるから上手いと思っている人も少なくないでしょう。こうした現象は心理学的に言えば「ハロー効果」です。

かくいうわたしも、ピカソやゴッホは芸術家として尊敬していますが、作品の好みでいうと、彼らの絵より、近所のフリーマッケットで出品しているハンドメイド作家さんの絵のほうが好きだったりします。

無論、自分の評価もあてにならないということを覚えておくのも大切です。自分が気に入らない絵のことを、大好きだと思っている人もいます。ですから、他人の芸術作品を取り立てて悪く言うべきではありません。

人からの評価を求めて絵を描くというのは、塩水を飲んで喉の渇きを癒やそうとするようなものです。しょっぱい思いをして、さらにのどが渇くだけだと思います。

わたしは一時期、人から評価のもらえる絵が描きたくて、版権・キャラクターもののイラストばかり描いていました。確かに、見知らぬ人たちから、ほんの少しばかり ちやほやされましたが、描いていてむなしさがありました。

それよりは、自分の好きな絵を、のびのびと描くほうが楽しいと思うのです。人からの評価を求めて絵柄を変えてしまうよりは、自分らしい絵を描き続けて個性を磨いたほうが、自分にとっても作品にとっても幸せだと感じます。

もちろん、こうした選択をしたわたしにとって、絵は一生趣味のままでしょうから、プロになりたい人にまで、そうするようにとはお勧めしません。

それでも、わたしは、今好きな絵をのびのびと描いていられることが幸せですし、リアルにもネット上にも、絵を見てくれる知人が少数ながらいることで、とても報われていると思うのです。

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