絵の人物の顔の描き分けができない原因? 人の顔が見分けられない相貌失認のわたしの日常


なたは絵やマンガを描くとき、人物の顔の描き分けが得意なほうですか?

わたしは見ての通り(笑)、描き分けどころか、基本的にみんな同じ顔で、単に髪型とか服装などで人物の個性を出しています。

これまでのところ、人物の顔の描き分けなどができないことに特に不便を感じていませんし、そもそも問題意識すら持っていなかったのですが、今日、病院の診察のときに、そのことが話題になって気になり始めました。

診察で先生と話していたのは、わたしがリアルで人の顔を見分けられない相貌失認(そうぼうしつにん)症というのを持っていて、そのことで引越し後、ものすごく苦労している、ということを打ち明けたときでした。

相貌失認とは、人の顔が見分けられず覚えられない症状のことです。心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、まったく顔認識できない重いレベルの人はだいたい50人に1人、比較的軽いレベルの人は10人に1人くらいの割合でいるそうです。(p126)

まさかそこから絵の話になるとは思わず、思わぬ展開になったので、この記事ではまず、そのときのやりとりを、記憶に残る範囲で書きたいと思います。

それから、相貌失認とは何か、相貌失認持ちの人はどんなところで苦労しているのか。絵やマンガで人物を描くことと関連しているのか、ということを考察してみましょう。

ようこそ物語の世界へ1.3

「絵で人物の顔を描くときはどうなんですか?」

わたしが通っている病院の先生は、ADHDを見てくださっている方で、ご自身もADHDなので、色々と苦労話を理解してくださいます。今日は たまたま、引っ越し後の苦労ということで、相貌失認の話になりました。先生には、以前にも相貌失認の話はしたことがあって、わたしが先生の顔を見分けられるようになるまで5年かそれ以上かかったことも知っておられます(笑) 

まずわたしが話したのは、引っ越して新しい人間関係の中で、相貌失認がひどくネックになって、かなりストレスを感じているということでした。

先月、新天地に引っ越してから、数十名くらい新しく顔見知りになった人がいるのですが、何度自己紹介されても、何度こちらから名前を尋ねてメモ帳に記録しても、顔をまったく覚えられず、見分けられない方がほとんど。一部特徴ある顔の人は把握できているのですが、似た年代の人が多数いたりすると、区別がつかなくなります。

わたしの相貌失認は今に始まったものではなく、昔からずっとですが、前に住んでいたところでは、かなり長い間付き合っていた人が多く、時間はかかったものの、ある程度は見分けられるようになっていました。

重症レベルの相貌失認の人は、家族の顔すら見分けられないそうですが、わたしはそこまでひどくなくて、1年以上繰り返し会っていれば次第に見分けられるようになります。ただし、顔がわかるようになるというよりは、他のさまざまな特徴によって見分けられるようになるようです。

ここまで苦労している以上、軽症ではないと思いますが、おそらく中等症レベルでしょう。

そんな話をしていると、先生がふとひとこと。

「絵で人物の顔を描くときはどうなんですか? 」

先生はわたしの絵をよく知っておられますが、絵で顔を描き分けるのはできるのか、という質問でした。わたしはこれまで、自分の相貌失認と絵とを結びつけて考えたことがなかったので、びっくりして、

「えっ…そうですね、絵を描くときは、顔を描き分けたりはしないですね、だいたいみんな同じ顔なので…」

と自分で言ってハッとしました。「みんな同じ顔」。それってわたしの相貌失認の症状と同じじゃないですか。

後ほど解説しますが、相貌失認の原因はいくつかあるようで、中には、人の顔を「人」と認識せず、「物」と捉えてしまう人もいるようです。顔を見ているときの脳の活動を調べると、物を見ているときのように働いているとか。

わたしの場合は、人の顔を物のように認識したりすることはないのですが、「みんな同じ顔」なんですね。先生に説明するときには、ちょうど外国人の顔と同じ、というとよくわかってもらえました。普段身の回りの人の顔が見分けられる人でも、アフリカ人とかヨーロッパ人の顔を見ると、「みんな同じ顔」に見えたりしますよね。後で説明しますが、相貌失認の人は、自分と同じ人種の人であっても、あたかも外国人の顔を見ているように「みんな同じ顔」になってしまいます。

確かに、わたしの描く絵の登場人物は、「みんな同じ顔」。髪型や服装を変えることで個性を出しています。これって、言われてみれば、リアルで人づきあいするとき、「みんな同じ顔」に見えて、髪型や服装やその他の手がかりで、相手はいったい誰なのかを判断しているわたしの日常と同じなんですよね…。これまで気づきませんでした。

さらに…

「感情の描き分けはできるんですか?」

「それはできますね。みんな同じ顔だけど、感情は色々と表現できます」

ここでもやっぱり自分で説明しつつ、奇妙な一致に驚きました。顔の違いはわからなけれど感情は読み取れる。それもまたわたしのリアル日常の相貌失認の特徴です。

同じ相貌失認の人でも、アスペルガーなどの自閉傾向が入っている人だと、相手の微妙な表情を読み取れず、理解できないようです。しかしわたしはそういうタイプではないので、むしろ感情を読み取るのは得意です。相手の微妙なニュアンスを察知しすぎてしまうほど。

実際に、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、相貌失認の人は表情にむしろ敏感だと書かれています。

ほとんどの相貌失認症患者は顔の表情には敏感なので、顔そのものを識別できなくても、幸せそうか悲しそうか、親しげか冷淡かはひと目でわかる。(p129)

そしてその反対の例として、アスペルガー症候群の人が挙げられています。

そうしたことを話し合っているうちに、もしかすると、わたしが二次元の人物の顔を描き分けていなくて、みんな同じ顔でも全然気にしていないのは、三次元のリアルライフで、人の顔がみんな同じに見えているせいではないのか、という疑問が湧き上がってきました。

人物の顔を描き分ける必要を感じない?

絵やマンガで人の顔が描き分けられない人は、人の顔が見分けられない相貌失認のせいなのか?

端的に言えば、この疑問の答えは「ノー」だと思います。近年のマンガなどを読んでいても、登場人物の顔を描き分けていない作家はけっこう多いです。顔はみんなほとんど同じで、髪型や服装などで違いを出してごまかしている作家はけっこういると思います。それらの人がみんな相貌失認だとは思えません。

人物の顔を描き分けられない主な原因は画力不足だと思います。あるいは、デフォルメ調のマンガだと、人物の顔を描き分けると無駄にリアルになりすぎて、絵柄にそぐわない場合もあるでしょう。顔を描き分けるために、いろんな顔のパーツを使ったり、しわやほりの深さを表現し始めると、顔の主張が強くなりすぎてしまうかもしれません。

でも、わたし自身のことを思うと、そもそも普段から顔を見分けられず、「みんな同じ顔」に見えているせいで、顔を描き分ける必要さえ感じたことがない絵描きさんもいるのではないかなーとふと思いました。描き分けたいが画力がない、あるいは描き分けたいが絵柄にそぐわない、ではなく、そもそも描き分ける必要を感じない

わたしの場合、普段の人間関係では、顔の印象がほとんどまったく残りません。その人と何を話したかとか、どれくらいの年代の人で、どんな雰囲気があって、どこで話したかは覚えていますが、顔を思い浮かべようとするとまったく出てこないのです。長年知っている家族の顔あたりは一応思い浮かべることができますが、ここ数年で知り合った人はほとんど無理です。

普段、顔の印象が残らず、一人ひとりの顔の違いが重要とも思えず、服装などの雰囲気で相手が誰なのか判断しているから、絵を描くときもほとんどそんなイメージで登場人物を描き分けていたのでしょうか。

顔が見分けられない「相貌失認」の原因は何か?

最初に触れたように、わたしのような、他人の顔が見分けられず覚えられない人は、程度の差こそあれ、人口の10人から50人に1人の割合で存在しているようです。学校のひとクラスに1-3人くらいはいるかもしれません。

相貌失認の原因については諸説ありますが、原因はひとつだけでなく複数あるようです。わたしが調べた範囲だと、次のようなタイプがありました。

ここからはしばらく、ちょっと専門的な相貌失認の話になって絵の話からは外れるので、興味のない人は読み飛ばして先に進んでください。

(1)そもそも人の顔が人だと認識できないタイプ

1つ目のタイプは、先ほども触れた一番重いタイプの相貌失認の人たち。たぶん自分の家族、配偶者や子どもの顔さえわからないような人たちです。生理学研究所の研究によると、この人たちは人の顔を「物」として脳で処理してしまうとのこと。

正常な顔認識に必要な脳内ネットワークを解明 – 生理学研究所 はてなブックマーク - 正常な顔認識に必要な脳内ネットワークを解明 - 生理学研究所

研究の結果、通常の向きの顔では物体認識に関わる脳部位が抑制を受けて「物ではなく顔とはっきり分かる」のに対し、逆向きの顔では抑制が行われていないため に「顔を物としても処理してしまう」曖昧な状態になっている可能性が示されました

(2)顔の細部に注目しすぎてしまうタイプ

2番目のタイプは、顔全体を見ることができず、顔の一部のパーツ、つまり細部に集中しすぎてしまい、違いを見分けられない人たち。

前にこのサイトの記事でも扱ったように、おそらく、これはアスペルガー症候群などの自閉症の傾向と関係しています。有名な「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルや、記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキーも相貌失認でしたが、このタイプだったのかもしれません。

このタイプの相貌失認については、顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 – 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)という本で詳しく解説されています。

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このタイプの人は、顔の細かい違いまでがあまりに見えすぎてしまうために、たとえば同じ人であっても笑っている顔と怒っている顔などが別のものに見えてしまい、顔認識が一致しないそうです。

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学によると、ソロモン・シェレシェフスキー自身がこう言ったといいます。

「シェレシェフスキーはよく、『人の顔が覚えられない』とこぼした。

『人の表情はとても変わりやすい。人の印象は、たまたまその人に会ったときの、相手の気分や状況によって違う。人の顔はたえず変化している。

ぼくを混乱させ、顔を思い出すのを困難にしているのは、顔にはいろいろ異なった表情があることだ』」。(p98)

細部まで見えて、顔認識が正確すぎると同一人物が検出できなくなるのです。

(3)大雑把すぎて「みんな同じ顔」に見えるタイプ

3番目のタイプは2番目のタイプと真逆です。2番目は、細部に注目しすぎてしまうあまり、つまり顔認識が精密すぎるために人の顔が見分けられない人たちでしたが、3番目のタイプは、顔認識の精度が大雑把すぎて、全然違いを検出してくれないようです。つまりわたしの相貌失認のタイプです。

ここまで挙げた3つのタイプのうち、いずれの場合も遺伝的要素と環境の両方が関わっているのでしょうが、特に3番目の顔認識が大雑把すぎる人たちは、幼いころの生育環境が深く関わっているのかもしれません。

というのは、先ほど、相貌失認の状態は外国人の顔が「みんな同じ」に見えることと似ていると書きましたが、普通の子どもは、幼いころに自分の身の回りの人たちを見分けられるように脳の顔認識システムが発達します。そのおかげで、自分の国の人や同じ人種の人は見分けられるようになるわけです。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界にはこう書かれていました。

自民族のなかで育てられた中国人の赤ん坊にとって、白人の顔はみな相対的に「同じに見える」。

生まれつきの、おそらく遺伝的に決まっている顔認識の能力があって、その能力は生後1年か2年で焦点が絞られるので、私たちはよく見かける種類の顔を見分け るのが特にうまくなるようだ。

出生時にすでに存在する「顔細胞」が完全に発育するためには、経験が必要なのである。(p118)

しかし、その時期に身の回りの人たちとの関係が希薄だと、身近な人たちを見分ける脳の機能が育まれる機会が失われてしまい、同じ人種の人を見ても、外国人を見る場合と同じように、「みんな同じ顔」に見えるようになってしまうのではないかと思われます。

愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)という本によると、脳の顔認識システムには、いわゆる愛情ホルモンと言われるオキシトシンが関わっているそうです。子どものころに愛情を十分に注がれる機会がなく、オキシトシン受容体が脳に不足したまま育つと、顔認識も苦手になってしまう可能性があります。

ある実験では、オキシトシンまたはプラセボを投与した後に、顔写真を数十枚見せる。翌日別の数十枚の顔写真と交ぜたものを見せて、見覚えがあるかどうか答えてもらう。

すると、オキシトシンを投与された人では、より正確に見分けられたのである(Rimmele et al.,2009)。(p122)

考えてみれば、幼い子どもが他人の顔を見分けるようになるのは、母親や父親を見分ける必要が生じるからです。母親から愛情を注がれると、同じ人種や民族の中で、だれが母親なのかを見分ける必要に迫られます。それで、愛情ホルモンであるオキシトシンが分泌されるとともに、母親などの身近な人たちを見分けられる脳のシステムが発達するのです。

生後1-2年の脳の発達の感受性期に、何らかの原因で愛着関係が育まれないと、身近な人たちの顔を見分ける能力が育たず「発達性相貌失認」と呼ばれる状態になります。子どものころに顔認識能力が発達しなかった、ということで「発達性」と呼ばれているわけです。

先ほどの愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)の続きにはこうありました。

ロシアの文豪のドストエフスキーは、妻の回想によれば、顔を覚えるのが苦手で、何度も会っている相手に「どなたでしたっけ」と言ったりして、相手を立腹させることがよくあったという。そのため、周囲から驕っていると誤解されたりした。

…母親を早くに亡くし、横暴な父親にスパルタ式に育てられた彼の子ども時代の過酷な経験も、オキシトシン・リッチな環境に彼を置かなかったことだろう。(p122-123)

おそらく発達性相貌失認だったと思われる人の中に、ここまで何回か引用してきた心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界の著者、脳神経科医のオリヴァー・サックス先生がいます。サックス先生は、身近な人の見分けはつくものの、顔を覚えるのが非常に苦手で、わたしの症状とかなり近いようです。

サックス先生は、豊かな共感性をもった医師でしたからアスペルガーではありません。自他共に認める非常に広い興味範囲と連想能力の持ち主でしたから、「細部」に注目する人の真反対、つまり「全体」をおおまかに見過ぎる、顔認識の大雑把な人だったのではないかと思います。

どうしてサックス先生が「発達性相貌失認」になったのかというと、はっきりしたことはわかりませんが、まず遺伝的なベースはあったのでしょう。サックス先生は母親が軽度の相貌失認だったと述べています。ちなみにわたしの母親も軽度の相貌失認なのでよく似ています。(p128)

また、子育てがクールでさばさばしているタイプの母親は、自分自身もそのように育てられたせいで、あまり愛情を注ぐことに積極的ではないようです。そのせいで、親子代々、相貌失認のような傾向が生じることがあるかもしれません。

それに加えて、サックス先生の場合、おそらくは子どものころの疎開経験が関係していると思います。サックス先生はタングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代や、道程:オリヴァー・サックス自伝といった著書で、幼いころに親と引き離されたせいで、おとなになった今でも人を信頼したり、安心感を感じたりするのが難しいと述べています。

おそらく子どものころにオキシトシンが十分に分泌されなかったのでしょう。サックス先生は同性愛者というセクシャルマイノリティでもありますが、性的アイデンティティの混乱も、こうした背景が関係しているように思います。

わたしの相貌失認の苦労話

サックス先生の場合は家庭環境や子どものころの疎開が原因で、親との愛着を育む機会が損なわれたのでしょうが、わたしの場合も、色々ややこしい家庭環境だったのでオキシトシン受容体が十分作られなかったのでしょう。

サックス先生と同じように、人に共感することは得意なのに、人が怖いとか、心から信じられないといった信頼感の欠如がありますが、相貌失認と安心感の欠如は複雑に絡み合っている気がします。

というのは、脳の発達の感受性期に愛情を十分に示してもらえなかったのでオキシトシンが不足して顔を見分ける能力が発達しないだけでなく、そのせいで親しい人の顔がわからず、人といても安心感が感じられない、という悪循環が起こってしまうからです。どちらが先かというより、両方がからみ合って悪循環を引き起こします。

いわば「発達性相貌失認」の人の日常は、外国人に囲まれて生活しているようなものです。普通の人でも、海外生活を始めて、外国人に囲まれて暮らすと、まわりの人たちの顔が見分けられず、不安になったり心細くなったりするものでしょう。

わたしたち相貌失認の人の場合は、同じ日本にいて、日本人に囲まれているのに、周りの人たちが「みんな同じ顔」の外国人にように見えて、慢性的な不安感を感じるわけです。

顔を見分けられないと、よく遭遇するのが、見知らぬ人から挨拶されるという場面。子どものころから、相手は親しく話してくるのに、だれかわからないことがよくあります。引っ越し後の現在は、毎日のようにそんなことがあります。

一応、長年相貌失認と付き合っているわけなので、話しているうちに相手の声の感触や雰囲気から誰なのかわかることもありますが、あまり親しくない人だとそううまくいきません。

お世話になった人の顔もわからないので、向こうから話しかけてくれても、お礼を言わずに失礼な対応をしてしまうこともよくあります。逆に多分この人だと思ってお礼を言ってポカーンとされることがしばしば。反応で間違ったと気づくわけです。

そんなことが毎日毎日起こると、どれほどストレスになるか、想像してみてください。持ち前のADHD気質で積極的にコミュニケーションしていますが、時々人づきあいが嫌になることもあります。

診察のとき、先生は「でも、相貌失認の人たちは、きっと色々うまくやっていく工夫があるんだろうね」と言ってくれたのですが、サックス先生など、相貌失認の先輩たちのアドバイスは、たいてい、相貌失認の人が苦労を重ねるうちに、自分で自然に実践するようになっていることなんですよね。

たとえば顔の特徴を探すとか、人の大勢いるところに出て行かないとか、知り合った人の写真を撮るとか、顔を覚えられないことをしっかり伝えておくとか、有能な友人に一緒にいてもらうとか。でも、それら全部実践しても、失敗だらけなのです。

はっきり間違いないのは、自分の頭の顔認識システムより、Googleフォトなどの顔認識システムのほうが、よっぽど精度が高いということ。Googleフォトは、適当に写真をアップロードするだけで同一人物を検出してくれますが、相当精度が高くて驚きます。

プライバシーの問題からGoogleグラスが普及しなかったというニュースがありましたが、わたしたち相貌失認の人には、Googleの顔認識システムと連携するGoogleグラスのようなウェアラブル端末が本当に必要とされていると思います。

たとえば視覚障害者用に、ステッキに顔認識を仕込んだ機器なども開発されているようですが、もっとそうしたものが日本でも普及して、アプリなどで簡単に連携できたらなーと思うこの頃です。

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結局、人物の顔の描き分けはわたしにできるのか

このように生まれてこのかた、人の顔がほとんど印象に残らないわたしにとって、人物の顔を描き分けられないことに相貌失認の影響が出ているのかもしれない、という先生の発想は、本当に考えさせられるものでした。

そもそも、わたしは普通に顔認識できる世の中の9割以上の人たちにとって、人の顔の違いというのがどう見えているのかがよくわからないので、顔を描き分けるということの意味がよくわかっていないかもしれません。男女や年齢の違いを描き分ける、というだけなら理解できますが、一人ひとりの顔の違いなど、たとえアニメのキャラクターであっても意識したことがありません。

それは、生まれつき色の見えない人が色について理解できないのと似ているかもしれません。

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実際、わたしはテレビドラマや映画を全然見ないのですが、髪の毛の色などで区別してあったりするアニメと違って、テレビドラマはだれがだれなのかわからないことが多いからです。最後まで見ても、登場人物が把握できません。やっぱり「みんな同じ顔」に見えます。顔の印象がまったく残らないからです。

だから、おそらく、絵やマンガの登場人物で、細かく顔の描き分けがなされていたとしても、わたしの頭では印象に残らないのではないかと思います。そうすると、せっかく描き分けられていてもそれに気づかず、自分自身が人物の顔を描き分ける必要があるとも感じないでしょう。色が見えない人がカラーのマンガを読んでも色の大切さに気づけないのと同じです。

結局わたしの絵の登場人物は、わたしが普段3次元のリアルでそうしているように、2次元でも、みんな同じ顔で服装や髪型で違いを出すというところから抜けられないのだろうと思います。

重度の相貌失認ではないので不可能だとまでは言いませんが、かなり無理があるように思います。スマートフォンのアプリが、ハードの限界を超えた機能は決して扱えないように、人間の場合も自分の脳の能力の枠を超えることはできないのですから。

今回の話題についてまとめると、顔の描き分けができない人の中には、(A)画力が足りない人、(B)あえてデフォルメしている人、(C)普段から顔の違いがわからない人 がいるのではないか、ということでした。そして(C)の人はそもそも顔を描き分けるという意味を永久に理解できないのではないか、ということを考えてみました。

この話はこれで終わりなのか、もっと発展する余地があるのかは今のところわかりません。今回の記事では、3次元の顔認識と、2次元の顔認識をある程度同列に扱いましたが、たとえば、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると画家のチャック・クロースは3次元だと相貌失認ですが、2次元の写真になると顔の見分けがつくそうです。そのあたりももっと突き詰めていけば、興味深い発見があるかもしれません。(p128)

今日のところはとりあえず、今まで考えたこともなかった、相貌失認と絵の人物の描き分けの関係という意外な指摘を受けたので、思ったことを取り急ぎ記事にしてみた次第です。

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