脳神経科学者が教える魅力的な絵を描く10の法則―好かれる絵の特徴


かれる絵を描く10の法則。このタイトルを見て興味深く思いましたか? それとも胡散臭く感じたでしょうか。

はっきり言って、脳科学者なんて、芸術のことなんてこれっぽっちもわかっていないし、テレビに出てハッタリをかましているような人種だと思っている人もいることでしょう。

今回紹介する脳神経科学者のV.S.ラマチャンドラン博士は、カリフォルニア大学の脳認知センターの所長で、10代で書いた論文が科学誌ネイチャーに載ったという天才的な人物です。彼は幻肢痛の画期的な治療法を発見したことでも知られていて、今やそれがスタンダードになっています。

確かに、芸術の科学的法則なんて、胡散臭く感じるというのは事実であり、これから述べるようにラマチャンドラン博士もそれを認めています。

しかし人間の考えや活動というのは、すべて脳の神経伝達の結果であり、たとえ芸術であろうと、神経学的基盤が存在することは事実なのです。つまり、脳の構造の研究が飛躍的に進歩してきたことにより、ほんの少し、なぜピカソやゴッホ、モネなどの優れた芸術家の作品が、なぜ魅力的なのか、というその秘訣がわかってきました。

ラマチャンドラン自身が認めるように、まだ脳科学は始まったばかりで、彼の述べる芸術の10の法則は、仮説にすぎません。検証や理論の発展は、これからの科学の進歩にかかっているでしょう。

それで、絶対的な真理であるというよりは、面白いエッセイを読むような気楽な気持ちで、「好かれる絵を描く10の法則」を読んでいただけたら幸いです。

窓を開ければすぐそこに

芸術と科学は相容れるものなのか

ラマチャンドランは、芸術の法則を説明するにあたり、それが一見、矛盾するような試みであることを認めています。

芸術の科学を認めることは可能だろうか? 科学と芸術は根本的に相反しているように思える。

一方は、一般的原理と整然とした説明の探求であり、もう一方は個性ある創作力や精神を賛美するものであるから、芸術の科学という考えそのものに、言葉の矛盾があるように思える。

しかし、それでも、芸術を科学することには意味があるとして、こう続けます。

し かし私は、人間の知覚と脳に関する私たちの知識は、いまや十分に高度になっているので、芸術の神経基盤について知的に推論することは可能であるし、ひょっ としたら芸術体験についての科学的理論を構築することもできるかもしれないという点を、読者のみなさんに納得してもらうことを、この章と次の章の目標とし ている。(p274)

しかしながら、芸術を科学的に説明するのが、もし可能であるとしても、そうするのは、何か 冒涜的なこと、つまり、本来科学が踏み込んではいけない領域である、ということはないでしょうか。つまり、本来、個性や自由さが重視されるべき芸術の世界 が、数学的な法則や画一性をもって縛られ、みんなが同じような絵を描くよう強制されてしまう、といった窮屈な事態になりはしないでしょうか。

ラマチャンドランは、そのようなことは杞憂であり、科学によって芸術が縛られることはない、ということを、このようなたとえで説明しています。

人文学や芸術を専門とする学者のあいだに、いつの日か科学が彼らの分野を乗っ取り、彼らの仕事を奪うのではないかという恐怖が広まっている。…それは全くの見当違いだ。

シェイクスピアに対する正しい評価や認識は、あらゆる言語の根底に普遍文法やチョムスキーの言う深層構造が存在しても、そこなわれない。

あ なたが恋人に贈ろうとしているダイアモンドも、もしあなたが彼女に、これは炭素でできていて、太陽系が誕生したときに地球の深部でゆっくりつくられたもの だと告げても、その輝きやロマンスを失うことはない。

それどころか、そのダイアモンドの魅力はいっそう高まるはずだ。(p306-307)

そのようなわけで、芸術の科学的な法則を探すことは、芸術を縛るというより、むしろ芸術の魅力をよりいっそう理解するのに役立ちます。

脳神経科学者が教える魅力的な絵の10の法則

で はこれから、ラマチャンドランが発見し、仮説として提唱している、魅力的な絵、好かれる絵の特徴、共通して用いられている10の法則を見ていきましょう。 それぞれの項目をわかりやすく説明するため、僭越ながら、わたしがこれまでに描いた絵を例に持ち出すこともありますが、十分に法則を実践できていないこと はご容赦ください。

書いている内容は、ラマチャンドラン博士の脳のなかの天使という本のp273-344、およびp424に基いています。かなりわたしなりに噛み砕いて説明しているので、より正確に知りたい方は、本書を参考にしてください。

1.統一感を出す (グループ化)

一つ目は、統一感を出し、「グループ化」することです。グループ化が魅力を感じさせる、という点は、21世紀の変わり目ごろに、ゲシュタルト心理学者が提唱した概念です。たとえば、わたしたちは、次のようなものに魅力を感じます。

■同じ色がキャンバス全体にわたって繰り返し用いられている絵。(色を循環させる)
■色が統一されたファッションコーディネート。(だいたい同じような色のグラデーションが使われていて、一部のみ差し色があるコーデ)

これらは「色の統一性」ですが、ほかにも「形の統一性」など、さまざまな点で、統一感のある絵が魅力的に見えます。

ド イツのマックス・プランク研究所による動物実験では、サルもグループ化を心地よく思うことが発見されました。断片しか見えない状態のライオンを見ると、サ ルの脳内では、多数の細胞が並行して発火しました。そして断片がグループ化されてライオンの姿がはっきりわかると、脳細胞の発火が完全に同期しました。

つまり、断片しか見えないとき、脳は統一感を探り出そうとして活発に働き始め、ついに統一性を発見すると、「見つけた!」と感じて喜ぶのです。こうした発見の快感は一般に「アハ!体験」と呼ばれています。

たとえば、わたしのこの絵は、水族館の表現なので、「色の統一性」を出すために、全体を青みがかった色でまとめています。

2.誇張する (ピークシフト)

2つ目は誇張することです。これは動物の学習に関して、「ピークシフト」という言葉で表現されます。たとえばわたしたちは、次のようなものに魅力を感じます。

■有名人の特徴がデフォルメされた似顔絵、戯画。
■男性らしさ、女性らしさを誇張したキャラクター。

もちろん、なんでもかんでも誇張すればいいわけではなく、そのものの魅力的な部分や目立つ部分をはっきり見極めて誇張することが必要です。

ノー ベル賞受賞者のニコラス・ティンバーゲンは、動物にもピークシフトの法則が効果的であることを発見しました。セグロカモメのヒナは、赤い斑点がついている 母親のくちばしを、さかんにつついてエサをねだります。じつはヒナは、母親をしっかり見ているわけではなく、単に赤い斑点のついた長いものを見せるだけで も反応することがわかりました。

しかしそれどころか、端に赤い線を三本つけた長い棒を見せると、ヒナは本物のくちばしよりも激しくそれをつ つき出したのです。赤い斑点ではなく、赤い三本線? 一見違うもののように思えますが、セグロカモメのヒナにとって、赤い三本線は赤い斑点の「誇張」であ り、より魅力的に見えたのでしょう。

同様に、パブロ・ピカソやヘンリー・ムーアといった芸術家が成功したのは、まずどこを誇張すればいい か、つまり人々が注目する、いわゆる「赤い斑点」とは何かを見極める鑑別眼に優れていたからでした。そして、それを誇張し「赤い三本線」にするセンスも持 ち合わせていたのです。

わたしの絵もそうですが、子どもや女の子の目を実際よりかなり大きく描くというのは、少女漫画などで多用される誇張の一種です。目がかなり大きいほど、(冷静に考えると不自然すぎる大きさであっても)、大多数の人にとってはかわいく見えるのです。

3.めりはりをつける (コントラスト)

3つ目はめりはりです。色や形のめりはりが効いていることを「コントラスト」といいます。わたしたちは、適度なコントラストがあるものに魅力を感じます。たとえば…

■ほんの少し差し色(アクセントカラー)があるコーデ。
■はっきりくっきり見える絵

コントラストは適度でなければなりません。アクセントカラーが多すぎると統一感が損なわれますし、コントラストが強すぎる絵や配色がきつすぎる絵はギラギラして見にくくなります。(これはハレーションと呼ばれます)

適 度なコントラストが目に心地よいのは、見分けやすいからです。たとえば夕暮れ時は、すべてのものが暗く、あやふやになり、見分けにくくなります。出会う人 が誰かわからないので、「誰そ彼(だれですかあなたは?)」という意味の「たそがれ」と呼ばれるくらいです。目の前のものが何なのか見分けられないと危険 なので、わたしたちは警戒します。

同様にコントラストが低すぎて、くっきりはっきり見えない絵は、わたしたちを緊張させたり、困惑させたりするので、なかなか魅力を感じられません。

一 方で、コントラストが高すぎることもまた、自然界では危険を意味します。毒のある動植物が、どれほど、けばけばしい色をしているかを考えるとわかります。 自然界では、コントラストが高すぎるのも低すぎるのも、危険を示すサインなので、わたしたちは適度なコントラストの絵を好むのです。

以下に、冒頭に挙げたわたしの絵のコントラストを変えたものを3つ掲載します。

▼高すぎるコントラスト

窓を開ければすぐそこに2

▼低すぎるコントラスト

窓を開ければすぐそこに3

▼適切なコントラスト

窓を開ければすぐそこに1 

4.省略する (単離)

4つ目は省略です。単純な輪郭やいたずらがきのようなスケッチでは、意図的に多くの部分が省略されています。これは「単離」とも呼ばれます。わたしたちは、次のような絵が好きです。

■線だけで描かれた絵 (マンガなど)
■線がない絵 (ゴッホやモネの印象画など)

線だけで描かれた絵は色が省略されています。フルカラーのマンガより、ほぼ白黒のマンガのほうが読みやすく、落ち着くという人は多いでしょう。これは色が省略されていて、脳が処理する情報が減るので、マンガの内容に集中しやすくなるためです。

あるいは、線が描かれていないゴッホやモネのような印象主義の絵が好きな人もいるでしょう。線がなければ、色の微妙な風合いに集中できるからです。

以前の記事で取り上げたように、 線は一次視覚野で認識され、色や立体感はもっと後の処理過程で認識されます。つまり、脳の使う部位が違うのです。わたしたちの脳は、リソースが限られてい るので、すべて刺激されるより、ある部分は刺激され、別の部分は休ませてもらえるほうが、絵の鑑賞に集中でき、より深い感動を味わうことができます。

ですから、あらゆる技法や要素を「全部乗せ」した絵は、あまり魅力的とはいえません。あくまで、シンプルに、ターゲットをしぼった絵のほうが、好まれやすいといえます。

以 下のわたしの絵では、近くの木ははっきり描いていますが、遠くの風景はかなり省略して描いています。もし遠くの木の枝や山の木々の一本一本まで描いていた ら、遠近感が損なわれたり、情報が過剰になったりするでしょう。大事なところはしっかり描き、枝葉末節は省略するわけです。

地は実り豊か1.3

5.想像の余地を持たせる (謎解き)

5つ目は、想像の余地があるということです。一から十まで説明されているような絵より、想像をふくらませる余地がある絵のほうが魅力的です。これは、絵にかぎらず、次のような例にも示されています。

■映画のハリー・ポッターより、原作小説のほうがわくわくした。
■今のリアルなゲームより、昔のドット絵のゲームのほうが好き。

技 術の進歩により映画やゲームはよりリアルに、より繊細になっています。しかし、それが必ずしも魅力的かというとそうではなく、やっぱり本で読むほうが好き な人や、昔の限られたグラフィクのほうがいいという人もいます。それは想像の余地があるからです。言葉数の少ない詩や短歌が魅力的なのも同じ理由によりま す。

想像の余地がある、というのは、とりもなおさず、発見があるということでもあります。統一性とグループ化に関する部分で「アハ!体験」について述べましたが、想像の余地がある作品は、もしかすると、こうなのだろうか…と謎解きする機会があります。自分なりの答えを発見すると「アハ!体験」が生じて嬉しくなります。

この絵の物憂げな顔の女性は何を思っているのだろう、なぜこんなに寂しげなのに、優しい雰囲気が漂っているのだろう…。ミステリアスな絵は一から十まで説明されていないことがかえって、魅力を引きたてています。だからこそ抽象画には根強い人気があるのです。

以下の絵は、文字情報がなくても、絵の中のモチーフや表情を手がかりにして、どういう情景なのか想像できるように工夫したつもりですが、どうでしょうか。

いつかこの足で1.1

6.不自然でない (偶然の一致を嫌う)

6つ目の要素は、不自然さがないことです。見慣れないもの、自然にはありえないものは、なかなか好まれません。脳は「偶然の一致」を好みません。たとえば、悪い例としては、こんなものが該当します。

■雪が降っている絵なのに、降る雪がやたらと規則正しく並んでいる
■一枚の絵の中の複数の人物の表情やポーズが同じ

こ うした一致は不自然であり、現実にはありえないことです。雪は、不規則にパラパラと降るものですし、人物のポーズは一人ひとり違っていて当たり前です。た とえば、軍国主義の兵士たちが完璧に足並みそろえて行進している様子がテレビで報道されたりしますが、一糸の乱れもない一致はどこか不自然で、奇妙に感じ る人も多いでしょう。整然としていることは、美しい場合もありますが、あまりに不自然な整然さは気持ち悪いのです。

ちなみに、自然界の中のランダムな配置は、実はフラクタルの法則に沿っていたりしますが、そのような整然さは目に心地よいものです。

以下の絵のように、雲の配置や水しぶきなども、ランダムな配置であることが大切です。

7.秩序正しさ

7つ目の要素は、秩序性で す。つまり規則正しさです。あれれ? 今、整然とした規則正しさは不自然だと言ったばかりではないでしょうか。確かに、自然にはありえない規則正しさは 「不自然」なので好まれません。しかし、自然界にあまねく見られる秩序正しさのほうは、「不自然」ではないので、むしろ多くの人に好まれます。たとえば次 のようなものがあります。

■ふさわしい直線が用いられた絵。(たとえば室内の絵で、タンスの輪郭が歪んでいたり、壁にかけられた額縁が傾いていたりすると不自然です)
■透視図法が正確な絵。(遠近感を出すための透視図法が正しく用いられていない絵は、いつも目に見える風景と異なるので不自然です)

自然界は、ランダム性が見られるといっても、根底にはしっかりとした法則があり、規則正しいものなので、物理学者はロケットを飛ばせますし、飛行機だって墜落しません。わたしたちが見る景色も、奥のものが大きく、手前のものが小さく見えたりすることはありません。

そうした根本の自然の法則を無視した絵を描いてしまうと、見る人は混乱してしまい、印象が悪くなります。

この絵のように、建物などの直線は、秩序正しいことが大切です。

8.対称性

8番目は対称性です。これもまた、一見、脳は不自然な「偶然の一致」を嫌うことと矛盾しているように思えるかもしれませんが、そうではありません。たとえば、わたしたちは、次のような絵は気持ち悪くて落ち着かないのではないでしょうか。

■顔の目の位置が左右でずれている絵
■椅子の足を一つ描き忘れている絵

わ たしたちの身の回りの自然界は、一見すると、対称的なものは少ないように思えます。たとえば小川を挟んで、左右の木が本数も形も対称に生い茂っていたら、 それは「不自然」です。左右対称な風景画を描く人などほとんどいません。(あるとすれば富士山の日の出くらいでしょうか)

しかし、自然界に は対称なものも、数多くあります。たとえば人の顔です。ほくろや髪型は非対称でも、基本的に人の顔のパーツは左右対称です。心理学の実験では、参加者たち にランダムな顔をたくさん見せたところ、もっとも対称性の高い顔が、もっとも魅力的だと判断されました。

自然界において、対称性が損なわれているのは、病気などのサインだと考えられています。健康が損なわれると、顔や体が非対称的になるので、見た人は、無意識のうちに警戒してしまうのだろう、というわけです。

おおまかにわけると、人間は、風景に関しては「対称性がない」ことが自然だと感じ、物や生き物に関しては「対称性がある」ことを自然だと 感じるようです。実際に、風景を見るときと物を見るときでは、脳の使う回路が異なっているそうです。風景は「どこ」に関する回路(一次視覚野→頭頂葉) で、物は「なに」に関する回路(一次視覚野→側頭葉)で処理されると言われています。「どこ」回路は非対称を好み、「なに」回路は対称性を好むのでしょ う。

下の絵では、トリケラトプスなどの「人物」は左右対称ですが、人物の配置やポーズといった「風景」は非対称です。

9.比喩表現(メタファー)

9番目は比喩表現、つまりメタファーです。5番目の要素で、「想像の余地がある」ことを挙げましたが、メタファーはそれと密接に関連します。絵にさまざまな意味が含まれているとき、想像の余地が膨らむからです。たとえば次のような例があります。

■モチーフに複数の象徴的な意味がこめられた絵。(たとえばルネサンス期の宗教画など)
■マンガの文字の装飾表現。(たとえば「ブルブル」という言葉が、震えるような破線で書かれている)

こ のように、絵のモチーフや文字に、本来の意味に加え、さらに別の意味が込められている場合、わたしたちは、作品に深みを感じたり、よりその世界に没頭でき たりします。また、さまざまな象徴的なメタファーが統一性をもって組み込まれているなら、作品のテーマが理解しやすくなるという効果もあります。

下の絵はたくさん比喩表現を込めた絵です。砂時計とその影にご注目ください。

10.共鳴 (シンフォニー)

最後の10番目の法則は、共鳴(シンフォニー)です。すなわち、ここまでの9つの法則のうち、一つだけでなく複数をうまく組み合わせて使うなら、効果が強められ、より魅力的になる、ということです。

も ちろん、すでに述べたように、無節操な「全部乗せ」はよくありません。あらゆる楽器を同時に奏でても、不協和音にしかならないのと同じです。しかしよく選 んだ楽器を組み合わせたオーケストラは、たった一つの楽器を奏でるよりも、はるかに美しいシンフォニーを生み出します。

芸術家の多くは、こ こまで挙げた要素の全部ではないにしても、複数を組み合わせて、わたしたちの心に訴えかける作品を描いています。たとえばモネの風景画は、色の「誇張」、 「想像の余地がある」ミステリアスさ、不必要な線の「省略」が合わさって、独特な印象派の絵を確立しています。

▼いろいろな法則を活用した絵は、美しいシンフォニーのよう。

芸術の科学的法則を知ることの意義

ここまで考えてきた10の法則をまとめてみましょう。

好かれる絵を描く10の法則
1.統一感を出す (グループ化)
2.誇張する (ピークシフト)
3.めりはりをつける (コントラスト)
4.省略する (単離)
5.想像の余地を持たせる (謎解き)
6.不自然でない (偶然の一致を嫌う)
7.秩序正しさ
8.対称性
9.比喩表現 (メタファー)
10.共鳴 (シンフォニー)

これら10の法則を意識することにはどんな意義があるのでしょうか。

10の法則を知れば、だれでも、プロの芸術家になれるのでしょうか。そんなことは、もちろんありません。この10の法則を提唱したラマチャンドラン自身も、美術に関しては鑑賞専門で、自分で絵を描いたりはしません。

それは、スポーツ選手が、どのような筋肉の使い方をし、どのようなスキルを使って好成績を上げているのかを調べる科学的な研究と同じです。科学的な研究は、達人のスキルの秘訣を明らかにできますが、だれかにそのスキルを身につけさせることはできません。

同様に、誇張(ピークシフト)の役割について知ることは、ピカソの絵がなぜ売れたのかを理解する助けにはなりますが、ピカソのようなピークシフトを見つける目を身につけることにはつながりません。

あくまで、芸術に関する科学的法則は、芸術のすばらしさの秘密を理解することに役立つのであって、芸術家の努力を無に帰してしまうようなものではないのです。

とはいえ、絵を描くクリエイターの立場からしても、芸術の科学的な法則を知ることには十分な意義があります。絵を描くとき、どこを工夫すればいいのか、というポイントを知っているのと、何も知らないでただ好きなように描くのとでは、表現の幅が違ってきます。

ス ポーツ選手は、闇雲にトレーニングしても、記録が伸びにくく、行き詰まります。しかし科学的知見に基づく最新のトレーニングに通じていれば、的確な訓練が できます。現に、オリンピックなどのスポーツの世界記録は、どんどん更新され続けていますが、それはわずか数世代のうちに人間の能力が変わったからではな く、潜在能力を引き出す科学的な方法(生活の管理やトレーニング法)の研究が進んだからです。

そのようなわけで、芸術と科学は、最初に懸念 したように相反するものではなく、むしろ補い合うものです。考えてみれば、自然界は、芸術的な美しさと、数学的な規則正しさとが互いに強め合って、わたし たちの目に訴える魅力を放っているのではないでしょうか。芸術、科学、文学、数学といった壁は自然界のどこにもありません。むしろすべてが密接に関連して います。芸術家が科学について考えるのは、まったく自然なことなのです。

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