2019年10月の道北自然観察日記です。屋外でスケッチするのはもう寒いので、文章と写真メインになります。
9月はこちら。
11月はこちら。
もくじ
2019/10/01火
カラハナソウ(唐花草)
昨日の続き。森の中で見つけたカラハナソウ。森の入り口付近にあった鈴のようなツル植物。
入り口付近の林道脇だったので、てっきり外来種かと思ったが、おそらく在来種のカラハナソウかと。あるいは外来種のセイヨウカラハナソウの可能性もあるが、見分けは難しそう。
セイヨウカラハナソウは、別名ホップといい、ビールの苦味や香りの原料として使われている。在来種のカラハナソウだと、その用途にはちょっと弱いらしい。
スケッチしたカラハナソウの松かさのようなものは、はたして実なのか、それとも花なのか、よくわからなかった。調べてみると、毬花(まりばな/きゅうか)と呼ばれているものだった。
カラハナソウは雌雄異株で、雄花と雌花は別々に咲く。雌花はこの毬花に変化し、これが受粉して実になるという。つまり、花でもなく実でもないのが毬花だということになる。
ビールづくりでは、受粉すると香りが損なわれるということで、雌花だけを栽培して、未受粉の毬花を使うらしい。でも、今回見たのは野生種であって、当然受粉しているはずなので、「実」というのが正しかったのだろう。
カラハナソウについて調べようにも、ビールの情報ばかり出てきて、お酒を飲まないわたしは嫌になってしまう。しかし、北海道には昔からカラハナソウが自生していて、アイヌに利用されていた。
アイヌはカラハナソウを「コサ」と呼んで、例のごとく根を食用にしていた。アイヌはあらゆる植物の根を食べてみたんだろうか。
また果実を発酵させて麹を作ったともいう。あの松浦武四郎もごちそうになったという記述が。
また、牧野富太郎によると、カラハナソウの名前は、実のついた穂、つまり今回スケッチしたものが唐花という中国から渡来した模様に似ることからついた名前らしい。調べてみたら、似ているような似ていないような。
葉っぱが特徴的で、スケッチにも描いたように、わりと普通のギザギザのある葉だが、中には3から5枚に裂けて手のひら状になる葉がある。図鑑でみると、スケッチしたのよりもっと盛大に裂けている桑の葉みたいなのも。
近縁種に、カナムグラというつる植物があり、そちらも松かさ状に実をつけるが、そっちはさらに5から7枚に裂けるという違いがある。つる植物を見た時は、見分けるヒントになりそう。
さすがに、昨日の疲れが出ていまして、朝からぐったりしています。以前よりかなり元気になったとはいえ、普通の人ほどには動けず、反動がありますね。
夕方ごろ、ようやく調子がましになってきたので、普段行かない川向こうまでサイクリングしてきました。もう一年間住んでいるけれど、行ったことのない道がたくさんあって、探検しがいがあります。
ここ数日、よく晴れていて暖かいおかげで、夜も星がきれいです。せっかくの満天の星空なんだから、星空観察スポットに出かけようかと思いつつ、シカやクマを恐れて二の足を踏む。
まだ初心者ドライバーですから。あまり焦らず、今はまだ自宅周辺で見れる天の川を楽しんで、星座や星を見分けられるよう練習しておきましょう。
2019/10/02水
ツルリンドウ(竜胆)
また昨日の続き。カラハナソウと同じ、森の入り口付近で見つけた、地面を這っていたつる植物。地面で赤い実をつけているさまは、あたかも前に見たツルコケモモのようだった。
白い花の帽子をかぶった面長の赤い実が特徴的。赤い実の形はコボウズオトギリに似ていて、とても目立つ。
調べてみると、ツルリンドウの実だった。帽子としてかぶっている花はツルリンドウの薄紫色の花が枯れた後だったようだ。
葉っぱがとても特徴的で、3本の縦の葉脈が走っている、いわゆる三行脈。クスノキ科の葉っぱと同じタイプ。ハート型で三行脈のつる植物と覚えていれば花がなくてもわかるかな。
だけど、もっと葉が細くて、葉脈が1本から3本ほどの、ホソバノツルリンドウという変種もあるらしい。やっぱり難しい。
また、本州のほうには高山種として、ちょっとだけ変化したテングノコヅチと呼ばれるタイプがあるらしい。見た目はそんなに変わらないようだけど、名前がとてもおもしろい。実の形を例えたんだろうか。
今日は、ここ最近の体験記を整理していました。いい天気だったのに、もったいないことしたかも…。だけど、インプットだけじゃなく、アウトプットも大事ですからね。
というわけで今日書いた記事。
ここのところ、本州の台風の影響なのか、意外なほど暖かい日が続いています。先日、もうすぐ氷点下かと思うほど冷え込んだので、毛布を出しましたが、また毛布がいらない夜に逆戻り。
だけど、天気予報を見たら、来週の木曜以降はまた冷え込んできて、いよいよ0℃を下回りそうな感じです。こうやって三寒四温を繰り返しながら、冬になっていくんでしょうね。(三寒四温は秋に使うべき言葉じゃないけれど)
2019/10/03木
エゾイラクサ(蕁麻)
まだこの前の続き。記事のほうでも書いたけれど、不用心にも何も考えず触れてしまったエゾイラクサ。手袋をしていてよかった。
スケッチではうまく描ききれないし、写真でも今ひとつうまく伝わらないが、このイラクサの茎から数珠状に(いい言葉がみつからない)垂れている実の房がとても美しくて、触らずにはいられなかった。
最初、こんな実を垂らす植物はいったいなんだろう、と思って、ヤマブキショウマかと疑ったが葉が違う。
後で調べてみると、なんとイラクサだった。イラクサの花は、葉腋という、葉っぱの脇の下みたいなところから出るのか。
この葉っぱが、なぜかシソの葉によく似ていて、頭の中でこんがらがっていた。どこかで見たような、でも違うような…。
ネットで調べてみても、シソと混同されることがあるとわかる。別に近縁の植物ではなさそうだが…。
ちなみに、春頃に見たオドリコソウの葉っぱも、これまたイラクサに似ている。(いわゆる鋸歯のある網状脈の葉) 当時は花だけ見ていて気づかなかったが、かなりそっくりで花がないと見分けがつかないかも。
イラクサにも種類があって、今回のスケッチみたいに葉が対生しているのは普通のイラクサ属、互生しているのはムカゴイラクサ属で、花の付き方なども違う。
イラクサの最大の特徴は、触れると痛いこと。中国ではイラクサは「蕁麻」と呼ばれており、それが転じて「蕁麻疹」になったといわれる。
トゲがあるようには見えないが、細かいうぶ毛のような中空の刺毛があり、触れるとギ酸などが注射されてしまうらしい。
けれども、イラクサはおいしい山菜として各地で食べられている。東北地方ではアイコと呼ばれているし、イギリスではネトルと呼ばれ、ハーブとされている。アイヌもモセと呼んで、茎や葉をゆでて食べたそうだ。トゲは茹でると溶けるんだとか。
また、イラクサ(モセ)の内皮から繊維をとって、糸(ハイモセ)にして、衣服を編んだという。
アイヌの糸といえばオヒョウの内皮が有名だし、他にツルウメモドキなども使われていたが、イラクサの内皮はもっと柔らかで、サハリンアイヌに愛用されたという。
ムカゴイラクサ(「小さいイラクサ」と呼ばれた)のほうも、やっぱり繊維に利用されたらしい。こっちのほうが繊維が強く、足袋など強度のいるものに使われたとされていた。
2019/10/04金
ニガキ?(苦木)
今日は久しぶりの大雨だったが、レインコートを着て気になっていた木をちょっと観察してきた。あまり近寄れず、図鑑やネット上の写真と比較しただけなので自信がないが、ニガキだったのではないか、と思う。
樹木はぜんぜん覚えていなかったわたしだが、まず道北に多いシラカンバを覚えた。これは幹が白いので簡単だ。いや、白いだけでいえば、ダケカンバとかドロノキもそうなんだけど。
その次に覚えたのは、ミズナラとハルニレだった。どちらも身近に多いし、樹皮や葉っぱのギザギザが特徴的で覚えやすい。
またマツとヒノキ(ヒバ)など針葉樹の葉っぱも初めて理解した。まだ細かい見分けはできないが。
そして、秋になって実がついてくると、オニグルミを覚えた。このとき初めて、羽状複葉という葉の付き方の意味を調べてみた。もともと1枚の葉っぱだったのが羽のように複数枚に分かれたのをいう。
だが、羽状複葉=オニグルミかと思っていたら、どう見てもオニグルミの幹でない羽状複葉の木が多いことに気づいた。しかも複数種ある。これらの木はいったいなんなのか。
とくに気になっていたのは、いつものサイクリングルートにある、幹がなめらかなのに羽状複葉の木。幹がゴツゴツしているオニグルミと明らかに違う。
それで、北海道に生えている羽状複葉の木を調べてみたところ、代表的な種としてはニワトコ、ナナカマド、ヤチダモ、オニグルミ、ハマナス、キハダ、ウルシ、ニガキ、エンジュなどがあった。
葉っぱの付き方で分けると、
ヤチダモ、キハダ、ニワトコは対生。
オニグルミ、ナナカマド、エンジュ、ハマナス、ウルシ、ニガキは互生。
問題の木はオニグルミに似てるので互生のほう。ナナカマド、ハマナスのような赤い実はない。エンジュのようなマメ科の葉ではない。となると、ウルシやニガキではないか、ということになる。
さらに、今は紅葉のシーズンだが、葉が赤色ではなく黄色に染まっていたので、紅葉するウルシではなく、黄葉するニガキではないか、となる。幹もすべすべしていて特徴が一致している。
このへんの樹木の同定の仕方は、下記が参考になるので覚えておきたい。
何の木か調べる方法:ケヤキとハゼノキ・ナナカマドの葉の形や付き方などの特徴で見分ける | グリーン&インテリア -何気ない日々をおもしろく-
さて、そのニガキであるが、ニガキという木があることは初めて知った。ニガキ科の樹木で、日本に自生しているのは、在来種ニガキと外来種ニワウルシ。
後者はウルシという名がついているが、ウルシ科ではない。ニガキとウルシは木の特徴がよく似ていてまぎらわしい。幹もすべすべしているので、今回の木も、ウルシ科のヌルデかと思っていたが、葉が黄色かったのでニガキだと思った。
だが、似てはいても、ウルシ科はかぶれるのに対し、ニガキ科はかぶれない。
ニガキはその名のとおり、苦いのが特徴で、アイヌ時代から胃薬に使われていた。また天然素材の農薬として、無農薬農家に注目されているらしい。
まだ樹木類は全然自信がないのだけど、こうやって推理して同定するのは楽しい。見分け方のコツを覚えて、もっと身近な木の正体がわかるようになりたい。
樹木を覚えるのに役立つネット資料
というわけで、今日は一日中大雨でした。にもかかわらず、レインウェアを着て、サイクリングに三回も出かけてしまいました。
雨の日は雨の日で、独特な気持ちよさがあることに気づいてしまい、以前より抵抗なく外出しています。レインウェアのおかげ。
でもさすがに長時間サイクリングしていたら服が濡れて冷えてしまうので、気をつけないと。
インターネットで樹木類を調べていたら、妙に使いやすく詳しいページを見つけたので、元をたどってみれば、なんと帯広市のネット資料でした。
「川」と書いてありますが、普通に山の植物なども載っています。地元種に限定してある上に、見分け方、アイヌの伝承などもしっかりまとめてあって、これは便利! 鳥や虫もこれで覚えたらいいかも。
また、北海道の樹木については、森林管理局の資料が、見分けるポイントを簡潔なイラストで解説してくれていて、素人にはわかりやすいです。
2019/10/05土
地元の樹木標本資料
そろそろ樹木を覚え始めようかと思い、まずは地元の歴史資料館に行って、地域の樹木標本を見てきました。それによると、
■マツ科
カラマツ
トドマツ
アカエゾマツ
エゾマツ
トウヒ
■マメ科
エンジュ→たぶんイヌエンジュ?
■ニレ科
ハルニレ
オヒョウニレ
■クルミ科
クルミ→オニグルミ
センノキ→ハリギリのこと
紀州ザクラ→? さすがにクマノザクラではない
■カバノキ科
シラカバ
マカバカバ→たぶんウダイカンバ
ハンノキ
■ミカン科
キハダ
■カエデ科
イタヤカエデ
■ヤナギ科
ハクヨウ→ドロノキのこと
■バラ科
ナナカマド
山ザクラ (赤ザクラ)
シュウリ→たぶんシウリザクラ
サンチン→クロミサンザシみしくはエゾサンザシ
カタスギ→アズキナシのこと
■モクセイ科
ハシドイ
ヤチダモ
■カツラ科
カツラ
■モクレン科
コブシ→キタコブシ
ホオノキ
■ブナ科
ナラ
■クワ科
クワ
■シナノキ科
シナノキ
などがありました。明らかにこれで全部ではないし、これ以外の種のほうをよく調べてきた気もします。
でも、一応地元でよく知られている種なので、知っておくに越したことはない。ハクヨウとかサンチンとか聞いたことのない名前がたくさんあって混乱しましたが、調べてみたら地域特有の別名なんですね。
2019/10/06日
エゾイタヤ?(板屋楓)
前からずっと気になっていた名寄市の街路樹について。
名寄市にはいろいろな街路樹が植えられているが、その中に、春頃に枝を全部無残にばっさり切られてしまっていたのがある。(つまり試し切りされた巻藁みたいな姿になる)
地元の人は「あれでも生えてくるから」と言うし、実際に生えてきたのだが、あんまりな気がする。枝を刈り込むのが面倒だから、財政節減でやっているのかもしれないがひどい。だから名寄は好きになれない。
その街路樹の種類がなんだろうか、と思って通りかかるたびに眺めていた。
電柱のようになってしまった幹から、柔らかいツルのような枝がぴょこぴょこ伸びてきて、手のひら状の葉っぱが出ている。葉の付き方は対生。
手のひら状の葉っぱで、葉が対生というのは、カエデ属、キリ、カンボクぐらい。だからカエデ属と判断したけれど、カエデ特有の種をつけてないし、葉もまだ緑色のまま。いったいこれはなんだ?
名寄市の別の場所を通っていたとき、もう少しまともに手入れされている大きな同じ街路樹を見つけた。そちらは、端の葉がちょっと紅葉しかけていた。ということはこれはやっぱりカエデ?
おそらくはイタヤカエデの街路樹なのだろう、と思うが、樹木の見分けはド素人なので、まだ確信が持てない。剪定があまりにひどすぎるせいで、実を結ばなかったのかもしれない。
イタヤカエデってこんなに紅葉が遅いんだろうか、と思って調べたら、去年は釧路気象台が10/14に紅葉を初観測したというニュースを発見。そんなものなのか。だとしたらまだ緑でもおかしくなかろう。
名寄市としては、春や夏は電柱のように殺風景でも、紅葉の時期に葉っぱが伸びていて赤く色づけば、それでいいということなのか。そうすれば剪定が一度で済むから。
ウルベシ橋の紅葉
連日の雨のはざまの、ちょっと晴れた日。早く紅葉を見に行かないと、すぐに霜が降りたり、雪が降ってきたりしそう、ということで、ちょっと遠出してきました。
上に書いたように、イタヤカエデはまだ紅葉していないようですが、シラカバやホウノキなどはもう葉を落としてしまっているので、山肌を見ると、枯れ木が目立ってきたんですよね。
わたしは一種類だけの紅葉が見たいんじゃなくて、山全体がさまざまな色の錦繍のように紅葉・黄葉しているのを見たい。去年引っ越してきた10月末はもうだいぶ葉が落ちていたので、今がベストです。
目指すは紅葉スポットで知られる美深町のウルベシ橋。「ウルベシ」とはどういう意味なのか調べましたが「雨竜からの峠道沢」の意味らしく、「雨竜」は「鵜がたくさんいる川」だと言われていました。
確かにウルベシ橋からの紅葉は美しかったですが、山肌の一部が人工林になっていて残念。それよりも道中の名もない景色のほうが、ずっとすばらしい紅葉でした。何時間も車で紅葉の中を走って、すっかり秋の景色を堪能できたので満足です。
数ある樹木の紅葉の中で、何が一番気に入ったかというと、意外にも、ブドウ科ツタの真紅の紅葉でした。
遠目に見ると、ツタ以外にも、ツタウルシとかノブドウとかの紅葉も混じっていそうですが、いずれにしてもツル状に絡みつく紅葉が美しい。まるで木にかかるネックレスのようです。
近くには、実が沢山なったタラノキも見かけました。
【気になったニュース】
解説:気候変動、IPCC最新報告書の要点は? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
「その兆候は、科学者だけでなく自然界に注意を払っている者なら誰の目にもはっきりと見て取れる」「証拠はもう山ほどあります。何十年にわたる観測の結果、気候変動は本当に多くの種に影響を与えていると自信をもっていまは言えます」といった表現。
本当にそのとおりなんですけどね。問題は「自然界に注意を払っている者」がろくにいないことでしょう。
自然の変化を見ようとも感じようともせず、自分たちの作り出した都市とデジタル空間に引きこもって、現実から目を背けている者たち。陰謀論を広めて気候変動への取り組みを妨害する。
このような人間が圧倒的な多数派をしめている人類社会は、変化できず、滅びてしまうしかないでしょう。
2019/10/07月
ネグンドカエデ(トネリコバノカエデ)
推理ミスの話。
人を待っている間、近所の公園で、樹木の名前を当てる腕試しをしていた。
奇数羽状複葉の葉っぱで、対生していて、幹が縦に割れている木があり、1枚の翼のある実がたくさん垂れ下がっていた。
頭の中で最近の知識をもとに推理する。このあたりで羽状複葉の対生といえば、ヤチダモ、アオダモ、キハダ、ニワトコあたり。この葉っぱと幹からすると、これはヤチダモだ。
ところが帰宅後、ヤチダモの実を調べてみると、写真に撮った実とどこか違う。ヤチダモの実は左右対称だが、写真に撮った実は左右非対称だった。
降参して、Google Lens先生のお世話になると、ネグンドカエデ、通称「トネリコバノカエデ」だとわかった。
なんとカエデの一種だった……。昨日書いたように、カエデが対生することは知っていたが。
またカエデ属は、手のひら状の葉だと思いがちだが、普通の葉と同じ形のヒトツバカエデや、三枚の複葉になるミツデカエデがあることは知っていた。
だが、まさか羽状複葉のカエデがあるなんて。
「トネリコバノカエデ」の名前にあるように、トネリコによく似ている。ヤチダモはトネリコ属なので、いい線行ってたはずなのに……。
トネリコバノカエデの羽状複葉は、スケッチした部分もそうだが、多くは3枚か5枚程度。だから、ヤチダモよりアオダモに似ているかもしれない。だが、中には7枚とか9枚というのもあるようで、そうなるともうヤチダモっぽい。
自生している種ではなく、北アメリカ原産。公園などに植樹されるらしい。もともと園芸種に弱いし、公園で自然観察したのが失敗だった。
だけど、こんな例外もある、というのを知れたのはよかった。わたしなんかよりよっぽど年季の入ったプロでも、カエデとは容易に信じられないと書いているほどだから、仕方ない(笑)
追記 : 驚いたことに、このトネリコバノカエデの真横にヤチダモが立っているのを後日発見した。観察したときは、どちらも同じ木かと思っていたので見逃したのだった。
幹の雰囲気、葉の色合い、そして垂れ下がっている実は、どれも遠目にはそっくりだった。
だが、近づいてよくよく観察してみると、トネリコバノカエデは羽状複葉が3枚から5枚なのに対し、ヤチダモはもっと葉が多かった。葉の形も、トネリコバノカエデは一部三つに裂けているカエデっぽい葉もみられた。そして実の形は当然違っていた。
でも、その二本の木は、同じような見た目で、ヤチダモのほうが一回り大きかったので、葉も実も上のほうにあってよく見えなかった。それで、たぶん同じ木だから小さいほうを観察すればいいや、と考えてしまったのだった。
チョウセンゴミシ(五味子)
いつもの森の中に行ったところ、真っ赤な実をいくつか見つけた。前回見たマムシグサと同じ色だが、近づいてみると、明らかに違う種類だった。
そのうちの一つは、ブドウの房のように垂れ下がっているツル性の植物だった。調べてみると、マツブサ科のチョウセンゴミシというらしい。
そもそもマツブサというのを知らなかったのだが、ブドウによく似た実がなるようだ。マツブサの実はブドウ色、チョウセンゴミシや同属のサネカズラの実は赤色。
道北ではチョウセンゴミシのみ、道南より南ではマツブサ、関東以南にサネカズラがある。というわけで、当分は、たぶんチョウセンゴミシしか見る機会がないだろう。
実はブドウに似ていても、葉っぱはマツブサ、チョウセンゴミシともに楕円形で、ブドウの葉とは全然違うので見分けがつく。
ゴミシという名前は、5つの味(酸っぱい、甘い、苦い、辛い、しょっぱい)がすることからついた。わたしは食べてないからわからないけど。(まだ食べれるほど同定に自信ない)
イワツツジの実が七色の味がする、と紹介されたことはあるが、ゴミシは五色の味がするということか。
昔から漢方薬として重宝され、お茶やお酒にもされていたとのこと。
ツルを折ると、独特の香りがするらしいが、これは、「マツブサ」が枝を折るとマツの香りがすることから名付けられたのと同じだろうか。試してないのでどんな香りかわからない。
ミヤマガマズミ(莢蒾)
チョウセンゴミシの近くで見かけた、別の赤い実。一見、この前観察したズミかと思ったが、葉の感じが違う。
ズミはバラ科らしく葉は互生でもっと楕円形だった。それに対し、こちらは葉は対生で、ハート型に近い卵型をしている。
また、赤い実も、よく見てみれば、付け根の柄の部分が短い。サクランボの近縁種のズミは当然ここが長いわけで、全然違うといえた。
帰って調べてみると、ミヤマガマズミだった。種類としては、この前見た、オオカメノキ(ムシカリ)と同じスイカズラ科になる。
北海道には、ただのガマズミと、ミヤマガマズミ、ヒロハガマズミが自生しているが、それぞれ葉っぱで見分ける。しかし、ここ道北にあるのはミヤマガマズミのみ。
スイカズラ科には、オオカメノキやガマズミを含めて赤や紺色の実が多く、セイヨウニワトコ(エルダーベリー)とか、クロミノウグイスカグラ(ハスカップ)も含まれる。
だけど、最初に見たのがオオカメノキの実だったもので、あれは上向きについていたから、こんな下向きに垂れ下がるつややかな実になるとは思わなかった。
鳥が好むほか、人が食べても大丈夫らしく、昔の子どもたちはこれをおやつ代わりに食べていたとか。霜が降りるころに、甘酸っぱい味になるという。
ガマズミの枝は弾力性があって折れにくいので、工具の柄に使ったり、縄代わりにもしたらしい。ガマズミの「ガマ」は工具の鎌から来ているという説もある。
漢字の莢蒾(キョウメイ)は漢名。キョウメイが「カメ」になり、ズミと結び付いたという説もあるらしい。だとしたら、仲間にオオカメノキがあるのはその名残かもしれない。
雪虫(トドノネオオワタムシ)が飛び始めた
昨日の夜からちょっと体調が悪く、ずっと熱っぽく頭痛がしていました。
でも一晩寝ると、ちょっと戻ったので、今日は一週間ぶりに森に行ってみました。森の中を歩いているうちに、かなり体調が回復してよかったです。
森の中はすっかり秋。ハリギリの巨大な手形のような葉が一足先に落葉して、地面を彩っていました。
驚いたのは、森の中をたくさんの雪虫が舞っていたことです。意識して目の焦点をあわせてみると、まるでクリオネが飛んでいるようにも見えます。ホタルの雪バージョンともいえるかも。
風に揺られてただよっているので、顔にまとわりつくメマトイ虫のようなうっとうしさはありません。うまく指先にとまらせてみると、白い綿毛が覆われた羽虫なのがわかります。
たくさんの雪虫が舞っている様子は、まるで妖精の森に迷い込んだような不思議な光景です。
雪虫が飛ぶと初雪が降ると言われるそうですが、折しも、こんどの日曜くらいに道北の平野部で初雪が降るかも、と天気予報で言っていました。
森の中では、ノボリリュウタケも見つけました。あまりにグロテスクな姿だったので若干引きましたが、よく確かめたら、先日教えてもらったノボリリュウタケでした。実は食べれるらしい…。
2019/10/08火
ハナノキ(花楓)
おとといの推理ミスだった、トネリコバノカエデの公園のすぐ近くに、別のカエデがあった。こちらはネームプレートがかかっていて、「ハナノキ(ハナカエデ)」と書かれていた。
本当にカエデなのか確かめてみると、葉は3つに裂けているか、まったく裂けていないかのどちらかで、形としてはウリカエデの葉に近い。
葉の付き方は対生でカエデ属らしかった。でも教えてもらわないと わからないレベル。
調べてみると、まだ葉が出ていない春に真っ赤な花を咲かせるという。写真をもとにスケッチしてみたが、来年は実物を見てみたい。
その前にもう少し黄葉しそうだし、探してみたら種も観察できるかもしれない。
もともとは長野などの木曽川付近の、ごくごく限られた地域にだけ自生する希少種らしい。北海道に自生しているような木ではないので、どこからか移植されたようだ。
近くの湖の紅葉
今日は近所のバイオマス発電所の見学に行ってきました。
カーボンフリーのクリーンなエネルギーとして注目されているらしく、海外でもオーストリアのギュッシング村のような成功例があるらしい。
もちろん見学ではメリットばかり強調されますが、現実はあまりうまく行っていないようですね。
バイオマス発電8割動かず 林業人手不足、燃料輸入頼み :日本経済新聞
その後、雨が降っていたのに、無謀にも近くの湖まで、初めての道をサイクリング。すばらしい紅葉を楽しめましたが、アップダウンが激しく、距離も往復15キロくらいあって疲れました。
本当は、もっとあちこちを探検したり冒険したりしたいですが、今できるのはこれが精一杯。それでも、昔を思えば、こうして走り回る体力があるだけ嬉しいです。
【気になったニュース】
痩せゆく土壌と弱体化する農作物──食料供給の危機に立ち向かう研究者たち|WIRED.jp
前に読んだ、デイビッド・モントゴメリー の土と内臓 (微生物がつくる世界) や、土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話に一致する内容ですね。
簡単に言うと、農業は長きにわたり、土と微生物の重要性を軽視してきた。特に鋤でたがやすというのは人類史上最悪の発明の一つであり、土を耕すと微生物のコミュニティが撹乱されてしまう、という話。
本では「不耕起」と呼ばれる耕さない農業が研究されていましたが、記事の内容も一致しています。単一栽培ではなく複数の種類をバランスよく栽培し、草マルチなどで日差しから守り、土に有機物を戻す ことで豊かさを保つ。
それが自然に近い持続可能な農法なのだと思います。
2019/10/09水
アマチャヅル(甘茶蔓)
この前、森で見かけたツル性の葉っぱ。独特な形だなぁと思って観察してみると、葉の付き方が奇妙で、いわゆる鳥足状複葉だと気づいた。
マムシグサを調べたときに、鳥足状複葉について学んでいたので、「これはたぶんアマチャヅルだ」と気づくことができた。
だが、帰宅後調べてみたら、アマチャヅルには、見た目がそっくりな他人の空似である、ヤブガラシという種があるらしい。
かたやウリ科、かたやブドウ科なのに、葉の形、鳥足状複葉、そしてツル性であることまでそっくりだという。
見分けるポイントは、ツルが出ている場所。アマチャヅルは、葉の付け根の脇(葉腋)からツルが出る。ヤブガラシは葉の付け根の真逆から対生するようにツルが出る。
撮った写真を拡大してみたところ、わかりにくいもののアマチャヅルだと判明した。
ほかにも、ヤブガラシのほうが茎が赤く、葉が分厚いことからも判別できる。生える場所も違って、どちらかというと森の中に生えるのはアマチャヅルのようだ。
また、どちらも実がなるのだが、面白いことに、アマチャヅルの実にはハチマキ状の模様や、顔のような点々があるという。いつか見てみたいものだ。
アマチャヅルは薬効成分が豊富で、お茶やら、薬やら、洗剤やらと利用されてきた歴史があるという。ヤブガラシも負けじと食用や生薬にもなった。
にもかかわらず、どちらも、旺盛な繁殖力ゆえに雑草あつかいされ、駆除に関する情報ばかり出てくるのは、なんとも悲しいことだ。
環境破壊を嘆く
今日はかなり取り乱してしまいました。どうもこちらに引っ越して来てから、以前より感情の起伏が大きくなっています。前は失感情症だったのに、今は喜怒哀楽が激しくなってきた。
取り乱したと言っても、誰かに当たったりしたわけじゃなくて、一人で感情がたかぶって泣いてしまいました。
こんな自然がきれいなところなのに、住んでいる人たちの中には、自然を破壊したり、関心がなかったりする人があまりに多いことに怒りがこみあげてきて。
ここの雪はすごく美しいのに「雪は嫌いだからいらない」と公言する人がいます。除雪するのが大変だからと。
確かに冬は厳しいけど、アイヌの人たちは、雪が降ったらソリで移動できるし、普段行けない場所もかんじきで入っていけると言っていました。それを勝手に倭人が入ってきて、自動車を乗り回すようになったから、除雪が必要になっただけなんです。
それなのに、後から入ってきた連中が自分の都合で、この美しい自然に文句を言うなんて、自分勝手すぎやしませんか?
それだけじゃない、自動車乗り回して、野生動物を轢いて殺したり、道ばたや川にゴミを平然と捨てたりする人が多い。いや、絶対数は多くないのかもしれないけれど、目立って仕方ない。
自分が住んでいる場所も大切にできず、この地球の価値さえもわからないような連中は死んでしまえばい、と本気で思います。
大気汚染にまみれた都会にワンルームで暮らして満員電車に押しつぶされて、病気になって死んでしまえばい。そうすれば、ちょっとはありがたみがわかるかもしれないから。
こんなわけで感情がひどく高ぶってしまい、夜の公園で月明かりの下、こらえきれずに泣いてしまいました。こんなこと初めてかもしれない。
でもそうやって泣いてからあたりを見回すと、淡い月明かりの下にそよぐマツの木の影が、本当に美しくて、ため息が出ました。
わたしはちっぽけな人間の環境破壊に気を取られて、怒りのあまり、もっと大きな大自然の美しさが見えなくなってしまっていました。気持ちのもやもやはまだ残っていますが、泣いて少し落ち着きました。
ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球や、木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学
の中で、生物学者のハスケルが、いつも行く場所でサラマンダーが乱獲されたのを見て怒り心頭に発して、病院で点滴投薬を受けるほどになった話を思い出しました。(p209)
あるいは、グレタ・トゥンベリさんの演説もそんなのだったのかも。自分が好きな自然を破壊されたときは怒りに我を忘れるものなんです。
【気になったニュース】
心理学者監修リラックス用VR『Instacalm VR』配信開始―湖のほとりで癒やされる | Game*Spark – 国内・海外ゲーム情報サイト
わざわざVRで作られた世界に入らないと、こんな風景を見られない人が世界に多いのは可哀想なことです。わたしは外を散歩すれば、いつでもこんな風景に出会えるし、しかも視聴覚だけでなく、五感すべてで味わえるというのに。
医師にも解明できない謎の疾患 自ら病名突き止め治療法編み出した患者の体験談(The Guardian) – Yahoo!ニュース
非常に興味深いニュース。わたしがずっとやってきたこともこれと近いのだけど、ここまで本格的にはできませんでした。
前に、あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた でも、自分の子どもが自閉症様の症状を呈した母親が、論文を読み解いて病気を解明したエピソードがあったのを思い出しました。
もしわたしが英語圏の人間で論文を読み解けるだけの知力があれば、同じことをしていたでしょうね。
残念ながら、わたしは語学にはまったく自信がない上、論理的に緻密な思考もできないタイプなので、内分泌方面から、自分の病状を分析することはついぞできませんでした。
わたしは細かく分担するより、広く全体を俯瞰するタイプなので、疾病研究の歴史や、症状に影響する環境、といった観点から考えました。こういう分け方は好きじゃないけれど、いわゆる理系じゃなく文系なんですよね。
そのせいで、このニュースの人のように、自分の症状を医学的にはっきり解明できたわけではないけれど、幸いにも回復するための手がかりは得られたので、よしとしましょう。
2019/10/11金
秋の巻積雲
せっかくのとてもいい天気で、ぜひ森に散歩しに行きたかったのだけど、頼まれごとの期限が迫っていて、余裕がありませんでした。残念でもったいないけれど仕方ない。
というわけで、これから数日間はスケッチはおやすみして、写真での自然観察日記が主になります。これを機に過去の自然観察日記も、あまりスケッチにこだわらず写真を追加していこうかな。
見上げた近くの空には、とても珍しい雲が広がっていました。巻積雲と巻層雲の合いの子みたいなものでしょうか。本州に迫っている台風とも関係あるのでしょうか。
2019/10/12土
クサソテツの胞子葉
昨日に同じく忙しい日でしたが、今日はちょっと近くの林道を散歩しに行けました。
ノブドウやコクワの実がたくさん実っていておいしかったです。また、以前観察日記に描いたツルウメモドキがたわわに実っていて、とても鮮やかでした。
春に見かけた山菜のコゴミ(クサソテツ)が、立派な編み細工のような胞子葉をつけていました。オオウバユリの実と同じく、まるで伝統工芸品のよう! 自然の産物とは信じられないアートです。
調べたことのないツル性植物を見つけて、なんだろうと思ったものの、やっぱり余裕がなく。遠目には先日のカラハナソウに似ているけれど、実の付き方がかなり違っていました。
また後日調べたいけれど、写真撮るのを忘れた。そんなぐらい忙しいです(苦笑) あと数日、これが続きそうな予感。
そろそろ日もかなり短くなってきましたが、息を呑むほど鮮やかで立体的な夕焼けが見られました。ちょうど去年の今頃も、こんな夕焼けだったのを思い出します。
2019/10/14月
初霜が降りる
本州の台風の影響で道北は急激に冷え込み、早朝の気温はついに氷点下に突入しました。おかげで、今シーズン初めて霜が降りました。
そのせいで、うちの庭に植えてあったトマトやナスタチウム、秋明菊などが、すっかりしおれて枯れてしまいました。たった一度の霜で、完全にしなびてしまうとは恐るべし。
ところが、オダマキとか、グラジオラスは、そんなに傷んでいないようにも見えました。ロゼット状になっているキク科植物も。耐寒性がそれぞれ違うんですね。
霜が降りるということは、水が氷になって細胞が内側から破壊されるということですが、植物によっては糖分を増やすなどして評点を下げることで防衛します。
ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球では、在来種のほうが、こうした備えを取りやすいとのことでした。
冬支度の完了までには、何日も、何週間もかかる。適切な段階を踏んで環境に順応すればどんなに寒い日でも耐えられる木の枝も、季節はずれの霜が降りれば枯れてしまう。
在来の植物が霜にやられることはめったにはない―自然淘汰のプロセスが、生息地の季節のリズムを教えたからだ。
だが外来植物はその土地について何も知らないから、冬に大々的に淘汰されることが多い。(p38)
移住者より昔からの住民のほうが季節の対処を知っているのは、人間も植物も同じです。(うちの庭の花はどれも外来種ばかりですけれどね)
秋もすっかり深まってきて、近くの公園の池が、ちょうど引っ越してきたころと同じような、色とりどりの景観になりました。
夏場はあれほど茂っていた下草や芝ももう枯れて嵩が減ってしまい、草刈りしなくても歩きやすくなっています。
自然観察日記のイラストが滞ってしまっていた忙しさの原因がやっと完成しました!
こちらの絵を作成していたので、自然観察日記の絵はお休みしていたんです。なんとか完成させられてよかった。明日から、また自然観察日記のスケッチを再開しようと思います。
2019/10/15火
キハダ(黄蘗)
車で出かけた景色のいい山の上に立っていた立派な樹木。
高い枝に拡がる葉っぱは、もうしおれてきていたが、目を細めてよく観察することで奇数羽状複葉だと判別できた。そして、葉の付き方は、クルミにような互い違いではなく、左右対称、つまり対生であるように見えた。
そして、特徴的だったのが、黒い紫みがかったブルーベリーのような実がたくさんなっていることだった。
だとしたら、この木はなんだろう?
前に奇数羽状複葉の木をたくさん調べたが、北海道に限定してまとめるとこんな感じだった。
奇数羽状複葉で互生・・・クルミ(オニグルミやサワグルミ)、ナナカマド、ハマナス、ウルシ科(ウルシやヌルデ)、ニガキ科(ニガキやニワウルシ)、マメ科(イヌエンジュやハリエンジュ)。
奇数羽状複葉で対生・・・トネリコ属(ヤチダモ、アオダモ)、キハダ、ニワトコ、カエデの一種(三枚葉の種類およびネグンドカエデ)
つまり、奇数羽状複葉の時点で、かなりしぼられる。今回のは奇数羽状複葉で対生なので、トネリコ属、キハダ、ニワトコ、カエデ属のいずれか。
答えは実を見れば明らか。この中でブルーベリーみたいな実をつけるのは、キハダだけだ。
でも、わたしはなんと、キハダの実を見たのはこれが初めてで、知識がなかったものだから、その場では「?」だった。
消去法でいくとキハダしかないけど、キハダってミカン科でしょ? ブルーベリーみたいな実のはずがない。きっと知らない木だろう。そう考えてしまった。
帰宅後、キハダの実を調べてみたら、ぜんぜんミカンっぽくなかった。香りや味はミカンに似ているらしく、まだ緑色のときは似てなくもないけど、サイズが全然違う。キハダの実ははるかに小さい。
アイヌは香辛料として使ったというから、サンショウに近いのでは?と思って調べてみたら、サンショウもミカン科だった。なるほど、植物は奥が深い。
ちなみに、サンショウも北海道に自生しているらしく、奇数羽状複葉だった。しかし葉の付き方はキハダが対生なのに対し、サンショウは互生でややこしい。しかし、葉っぱに油点というつぶつぶ?があるみたいなのですぐ判別できそうか。
ニガキとクルミ
相変わらず、クルミの若木とニガキの木の見分けがよくわからない。クルミは樹皮が縦に避けていて、ニガキはつるつるしているという違いで見分けれると思っていたが、そう甘くもないようだ。
地元のネイチャーガイドさんにその話をしたら「ニガキ? なにそれ? 聞いたことがない」と言われた。その人によると、このあたりに生えている奇数羽状複葉はみんなクルミだという。
そのガイドさんはあまり信用していない(レベル5くらいで、自分とどっこいどっこいの知識しかないと思っている)が、改めて調べてみると、わたしがニガキだと思っていたのはクルミの若木だったようだ。
北海道森林管理局のページによると、ニガキの幹は「始めは平滑で、のちに縦に裂ける、暗褐色」なのに対し、オニグルミは「暗灰褐色、深く縦に裂ける、若木は灰白色で平滑」なのだった。若木ならどちらも平滑で、色もよく似ている。
このあたりのクルミの木は、サワグルミは道南が北限なので、ほとんどがオニグルミだろう。というか日本に自生しているクルミはほとんど全部オニグルミらしい。
だけど、ネット上を見ても、特にニガキとクルミの見分け方みたいな情報はないので、そもそも似ていないのだろうか? ニガキの実物を見たことがないのでよくわからないのだ。
誰も教えてくれる人がいないから、仕方なく、さらに調査して、見分けるポイントをまとめてみた。
・花や実があればすぐ区別はできる
・葉…クルミは葉柄がほぼない。ニガキは葉柄がある。これで見分けがつく! ちなみに他の奇数羽状複葉の木のうち、ウルシは葉柄が赤く、ヌルデは葉と葉の間に翼がある特徴的な葉で見分けられる。
・樹皮…クルミは縦に裂けるが、ニガキも大木になると縦に裂ける。ニガキはすべすべしているが、クルミも若木のころはすべすべしている。ただし、クルミは縦に軽く割れ目が入っていることが多い…?
というわけで、一番簡単に見分けられそうなポイントは葉柄の有無のようだ。これで一度でもニガキを同定できたら、全然違うものだったんだ、とわかるのかもしれない。
余談だが、地元のネイチャーガイドもそうだけど、木にかかっている名札などもかなり適当である。
近所の公園に「ケヤマハンノキ」の名札がかかっている木があるが、明らかに間違っていた。また「エンジュ」の名札はたくさんあるが、全部イヌエンジュだった。「エゾノコリンゴ」だと案内されていた木は、三つに避けた葉があったのでズミだった。
自然観察を初めて身にしみて感じたのは、他人の説明や同定を鵜呑みにしてはいけない、ということである。よほど経験豊富な趣味人(キノコマニアとか)以外は、かなり怪しい知識でガイドしていると思う。
もちろん、一番大事なのは同定することではなく自然を楽しむこと。しかし、間違った知識を押し付けられてはたまったものじゃないので、他人に頼らず、しっかり自分で調べないといけない。
牧野富太郎植物記〈1〉野の花にも「だれ一人として名を教えてくれる人もいませんでしたし、名をしらべるに必要な書物もありませんでした」と書いてあったので、そういう宿命なのかもしれない。(p5)
ヌメリスギタケモドキでキノコ狩り
今日は天気もよかったので、家の近くの山に車で登って、町全体を見渡してみました。冬の真っ白な時期にも訪れたことがありますが、今回は紅葉した山々の遠景を楽しめました。
途中の道路では、立派な角を持つ大きなエゾシカが道路脇の牧草地を走っていて、思わず車を停めて写真を撮ろうかと思いました。場所が悪くて撮影できず残念。
帰りに川沿いを散歩していたところ、ふっさふさになったキタキツネが散歩しているのも見かけました。あちこちに野生動物が出没します。さすが道北。
その川沿いの散策路に、ヤナギの林があるのですが、ヤナギタケの別名もあるヌメリタケモドキをたくさん発見! 今まで見た中で、一番状態が良く、何個か採って帰りました。
まさか自分が、山菜やキノコを見かけて採ってくる日が来ようとは。素人がキノコ採りはちょっと危険ですが、ヌメリスギタケモドキは同定しやすく、食感もとてもおいしいのでお気に入りです。
今日見かけた記事。
ファストフードで体内に「永遠の化学物質」の危険 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
わたしは基本的にファストフードは食べませんが、それでも生活用品や水を通して摂取してしまっているんでしょう。マイクロプラスチックもそうですが、どう生きていても逃れられませんね。個人で気をつけられる範囲を超えていて、もうどうしようもない。
2019/10/16水
秋は虹の季節
今日はずっと雨が降ったりやんだりでしたが、そのおかげで、久々に虹が見れました! うっすらとですが、二重の虹になっています。
去年、引っ越してきたころも、こうやって毎日のように虹が架かって、とてもびっくりしたのを思い出しました。まるで道北に来たのを歓迎してくれているかのようでした。
それから、しばらく虹の出ない季節が続きましたが、一年めぐって、また同じように虹が現れるようになりました。この時期は太陽の角度とかが虹の条件に合うんでしょうか。
虹が出るのは本当に一瞬。長くて5分、短くて1分もないかもしれません。雨が止んだら戸外にダッシュして、空を確かめる毎日になりそうです。
2019/10/18金
空想ではなく本物の自然を描くということ
今日は、先日完成した絵のお披露目でした。地元の友人たちがとても喜んでくれて、頑張って描いた甲斐がありました。
じつはこの友人たち、去年引っ越してきてすぐのころにも絵をプレゼントしたんですが、そのときはポカーンとしていて、リアクション薄め。あまり喜ばれていないようでした。
絵をプレゼントしても喜んでもらえない、という経験は、もう何度も味わってきた道です。描き始めたころは、下手な自己満足の絵を押し付けては周りを困らせてしましたっけ。
だけど、ここ数年、なかなかコンスタントに喜ばれるようになっていたので、上達を実感していました。ようやくわたしも、人にプレゼントして喜ばれる絵が描けるようになってきたかな、と。
それが去年のその経験で、自信がまた地に落ちました。
知り合ってすぐだから困惑していたのかも。
いや、それだけでなく、そのときプレゼントした絵が、最近の絵の中では全体の色や構図のバランスが悪い絵だったこともあったかもしれません。今見ても、なんか無理やり描いたようで納得いかない絵なんですよね。
しかし、この一年、交流を重ねて親しくなり、わたしという人間もなんとなく理解してもらって、今回の絵のお披露目を迎えました。
幸いにも、このたびの絵は、とても喜んでもらえて、絵を描いていて、よかったなと思えました。
わたしは人からの評価(外的報酬)によって創作しているわけではなく、内なる意欲(内的報酬)によって創作しているタイプですが、それでも誰かに喜ばれると嬉しいものです。
今回の絵は何がよかったか。ひとつには、道北の一年の四季を盛り込んだ絵だったから、地元の人たちにとっても、実感が湧く絵だったのかもしれません。
この一年、ほとんど絵は描いていないけれど、進歩したところがあるとすればそこです。単なるイメージ(空想)ではなく、実体験に基づく本物の自然を描けるようになったということです。
いや、まだ「描けるようになった」というほど進歩してはいません。だけど、今までふわふわしていた空想の絵が、実体験に根ざした地に足のついたものになろうとしている、ということです。
この一年、自分はどこへ進むべきか悩んできました。自分の病気について調査し、解き明かすという当面の目標がなくなったからです。
悩んだ末に見つけたのは、自然界を知るアマチュア博物学者、また自然界を絵に描ける作家を目指すということでした。
今日の喜びを胸に、また日々その目標へと向かって、地道に歩んでいきたいです。
2019/10/20日
霧が濃い夜
ここのところ、非常に忙しい仕事が続いて、自然観察がなかなかできていません。
今日も、朝早くから外出して、大勢の人たちとやりとりして、帰ってきたのは夕方ごろ。でも、それだけの体力がついたことは嬉しい。
けれども、わたしの体調回復は、あくまで自然と関わっていることが前提条件だということは忘れていません。忙しい日でも、ゆったりと自然の中をサイクリングする習慣は欠かしません。
今日みたいな日は、それができるのは夜遅くになるけれど、自分と対話し、体の緊張や疲れをリセットできる大切な時間です。
今晩は、いつもに増して霧が濃く、自転車で走っていて「五里霧中」でした。
写真だとそれほどでもなく見えますが、自転車で走っていると極めて視界が制限されているように感じました。
信号機にの明かりはボケているわけではなく、周囲のもやに反射しているせいで、ぼんやりと広がっています。
そのせいで、町中の明かりがいつも以上に大気に散乱していて、幻想的な雰囲気です。
雪国ならではの街路灯のナトリウムランプが散乱して、遠くかに見ると、まるで町が火事でもあるかのように赤い光が空まで漏れ出ていました。
わたしは光過敏で白色光が苦手なので、この雪国ならではのナトリウムランプの街路灯の色合いが大好きなのですが、調べてみたら不気味だと思う人もいるんですね。
夜中でも明るい光がいいとか、白い光じゃないとダメとか言う、文明に汚染された間違った価値観が、ここ道北まで忍び寄ってこないことを願います。
2019/10/21月
プレアデス星団
今日の昼間の仕事は椅子の解体。手の関節がガクガクになるくらいの重労働で、疲れ切ってしまいました。
でも、よく晴れた夜だったので、自転車で星を見に行ったところ、近所の公園で「プレアデス星団」(すばる)を見ることができました。
下のほうが白んでいるのは町の明かりです。さすがに町中の公園でしかないので、光害は強い。それでも、夜に自転車で安全に行ける貴重な観測スポットなんです。
写真右上に見えている、星の集団がそうですね。肉眼で見ると、星というよりはもやのように見えます。昔の人たちは星雲を見て、それが星の集まりだとわからず雲だと考えたのを思い出します。
でも、手持ちの10倍の双眼鏡を使って見てみると、プレアデス星団の星の一つ一つがくっきり見えました。10倍程度の双眼鏡なんて役に立たないと思っていたら、思わぬ収穫にびっくりでした。
写真だと星が写りすぎていてわかりにくいですが、写真左に冬の星座の馭者座が見えています。そのとなりにプレアデス星団がある牡牛座。
プレアデス星団の見つけ方は、オリオン座が見えていれば、それを基準に探せば簡単。三ツ星を右に伸ばしていくか、オリオン座の赤い星ベテルギウスと牡牛座の明るい星アルデバランをつないだ先か。
だけど、この時は、時間が早くてオリオン座が低い位置にあり、また空の下の方は街明かりで星があまり見えなかったのとで、オリオン座を使った探し方は使えませんでした。
代わりに、比較的見つけやすい五角形の星座である馭者座を手がかりに、その右隣にあるプレアデス星団を探すことができました。
子どものころ、星座の本を読んで名前は知っていたプレアデス星団。すばるという和名も有名。だけど、実際に天空に見たのはこれが初めてでした。
今まで知識だけだったのが、経験が伴ってホンモノになるのは、いつだってとても嬉しいものです。
【気になったニュース】
函館で雪虫が大量発生したとのことでした。まるで本物の雪が吹雪いているかのようですね。
雪虫の仲間ですが…アブラムシで視界かすむ 函館で大量発生 市民うんざり:北海道新聞 どうしん電子版
うちの近所では一週間くらい前は多かったですが、もうそんなに見かけなくなりました。まだ雪は降っていません。
代わりにイトトンボ?カゲロウ?のような虫をよく見かけます。羽を折りたたみできるトンボのような虫です。まだ虫の仲間はほとんど見分けがつかないのでこれから覚えないと。
2019/10/22火
星空観測
今日もまた忙しかった。今回は清掃のお仕事で、昨日かなり腕を痛めてしまったところに、掃除機をかけたりして疲れました…。
でも、昨日に続き、とてもよく晴れていたので、山間のダムまで、また星を見に行きました。さすがに近所の公園より星がよく見えます。
残念ながら、この時間帯は、すばるはまだ低い位置にあり、そのの方向は見えませんでした。けれども、満天の天の川を見ることができて満足です。
一番最後の写真は、くっきりと夏の大三角形が写っていますね。
天の川の上を飛ぶ二羽の鳥、はくちょう座のデネブとわし座のアルタイル、そしてその右側にある琴座のベガを結ぶ、直角三角形のような大三角です。
都会にいるころは、星の名前も星座も、聞いたことはあっても見たことはないものばかりでしたが、今では実際の星空を見ながら覚えていけるのはとても嬉しいです。
過去の何千年もの長きにわたり、まだテレビなどの娯楽がなかったころ、人々は毎夜星空を眺めては、その移り変わりを調べ、記憶していたのだろうと思いを馳せることができました。
2019/10/23水
樹木が色づく順番と、そこから学べる多様性
久々に時間ができて、近くの森までサイクリングしてきました。道中、ニガキと勘違いしていた例のオニグルミの若木がたくさん並んでいて、有名な葉痕を観察できました。
葉痕というのは葉っぱが落ちた付け根部分にできる痕です。オニグルミは羽状複葉なので、葉っぱの集合体の枝みたいな部分がばっさり落ちるんですね。それが落ちた痕が残ります。
この葉っぱが落ちた痕が、図鑑によっては「猿の顔」に似ていると表現されているのですが…
猿にみえるでしょうか。見えると言えば見えるし、別の何かのような気もするし。ロールシャッハ・テストみたいなものですから、先人の比喩に惑わされず、素直にイメージしてみるほうがいいかもしれません。
わたしには…アルパカに見えますね(笑)
こんなふうに、クルミの葉はもうすっかり落ちてしまっています。道路脇の紅葉は見事ですが、もう終わりが近そうです。
去年引っ越してきたときはもう秋の終わりでしたが、今年は季節全体を楽しめました。
気づいたのは、樹木によって色づく順番があるということ。
いち早く黄色く色づきはじめるのは、シナノキとオニグルミでしょうか。その2つの木は、黄葉というより、黄色く葉枯れするようなイメージで、もうすでに葉が散って丸裸です。
シラカバも同じく黄葉する木ですが、葉がついている期間が長く、まだ美しい白い幹に映える黄葉を楽しませてくれています。
同じくいち早く赤く紅葉するのは、ウルシ、ツタ、そしてサクラなどかと思います。全体的に黄色い葉が多い時期に、これらの紅葉した葉はアクセントカラーを添えてくれます。
中でも忘れてはいけないのが、ナナカマド。葉だけでなく、真っ赤な実をぶらさげて、非常に長い間、紅葉をたたえています。
それらに遅れて、今になってやっと見頃を迎えている木もあります。
遅れて黄葉する木の中でひときわ目立っているのがミズナラ。
黄色くなり始めるのは早いですが、シナノキやオニグルミみたいに葉を落とすことはなく、そのまま赤みを深めて橙色に染まっていくのが見事です。紅葉と黄葉の中間色として、山に虹色のグラデーションを作り出してくれています。
同じく遅れて黄色く染まる樹木がイチョウ。黄葉の代名詞的存在ですが、意外と遅いですね。でもイチョウは街路樹として見られるだけで、山には自生していないので主役にはなりません。
同じように遅れて赤く色づくのは、なんといってもカエデでしょう。
前に書いたように、あまりに色づくのが遅いせいで、本当にカエデ?と思っていた並木がありました。でも、今すっかり赤く色づいています。
イチョウとカエデといえば、都会育ちのわたしにとっては、秋に色づく木々の代表選手だったのですが、まさかこんなにスロースターターだとは知りませんでした。
道北に引っ越して初めて、秋の本当の美しさを知りました。いかに都会では、自然林を構成する多彩な木々の黄葉・紅葉を目にする機会がないか、ということですね。残念な話です。
これらに加えて、日本では唯一の落葉するマツであるカラマツの黄葉もあります。秋のはじめごろ黄緑色になって、そこから少しずつ少しずつ黄色を帯びてきて、もうすぐ落葉しはじめそうです。
これら多彩な木々が、それぞれ時間差で色づくことで、常緑樹の緑、カラマツの黄緑、落葉樹の黄色、ミズナラの橙色、ナナカマドやカエデの赤色が出そろい、えも言われぬ虹色の織物が山々を覆うのです。
この樹木の色づく壮大な劇から学べるのは、自然界は多様性を軸としてなりたっている、ということです。
ただ気温に反応して色づくだけなら、赤か黄かの一色に、すべてが同時に色づいてもいいはず。実際、人間が作った人工のイチョウ並木や紅葉狩りスポット、そして春のソメイヨシノの公園などはそうですね。
だけど、それら人工林と違って、自然林で覆われた山は、多種多様な樹木が色も形もタイミングもさまざまに異なる色づき方をするので、一色だけに染まることはありえません。
刻一刻と毎日、山の色づき方は変化しつづけ、虹色のグラデーションを織りなしてから、この壮大な劇は幕を下ろすのです。
人間もまた、自然界と調和して生きたいと思うなら、この多様性を見倣うべきでしょう。
みなが規律正しく一色に染まるから美しいのではなく、それぞれが自分の個性を発揮しながらも、全体としてひとつの絵、ひとつの劇としてまとまるからこそ美しいのです。
2019/10/24木
牧野富太郎植物記(1)第一章を読んだ
地域の図書館に牧野富太郎植物記があったので、頑張って読もうかと思い始めたところ。最近まで彼の名も知らなかったが、植物に親しみたいなら牧野富太郎から学べることは多いと知った。
だが、いつもの遅読と読書嫌いのせいで、返却期限までに読みきれず、第一章の終わりまでのみ(全体の半分くらい)。
牧野富太郎の植物記は堅苦しいところがなく、伝承や俳句といった歴史や文化の側面を教えてくれるので、読んでいて楽しい。(それなのに読むのが遅いのはひとえの読書嫌いのゆえ)
第一巻は、春の七草と、早春のスプリングエフェメラルがメイン。今年になってじかに見て覚えた植物も数多く、親しみがわく内容だった。
とりわけ、序文「植物はわが友」は、昨日も引用したけれど、自然観察を志す者として何度も読み返したい内容だった。
この本では、植物の名前の由来が色々書かれているが、今はもう廃れた文化が繁栄されていて面白い。スミレが大工の墨斗(すみいれ)の形から来ているなんて、今の人にはもうわからないだろう。
これとよく似た話に、別の調べ物をしているときに見つけた「矢柄投げ」がある。相撲の非公式の決まり手のひとつだがWikipediaでは身体が地面と平行の矢のようになることに由来するとされている。
だけど、これを古書をひもといて調べた方がいて、もともとは「矢柄」ではなく「八柄」であり、江戸時代の八柄鉦という大道芸に由来するとされていた。
Wikipediaはわたしは普段から信用していないが、こうも簡単に間違いがたくさん入り込んでいることに気をつけないといけないと感じた。
過去の文化が風化して、間違った知識が主流になってしまうことは、出典元を示さずコピペで情報が拡散されるこのネット時代には、いとも容易に起こってしまうのだと思う。
出典元を確認せず、誤った情報がさも事実のように広まってしまう恐ろしさについては、同じブログの雷電の禁じ手のエピソードも興味深い。
うちのブログだって間違いだらけだと思うし、間違った知識が広まってしまうことは防ぎようがない。
だが、せめて、どれほど正しく見える知識でも間違っている可能性が常にある、だから知識を誇るのは無意味で、いつも謙虚でないといけない、ということは自覚しておきたいと思う。
2019/10/25金
知性と感覚のバランスをとって自然観察する
公園にサイクリングに行って、樹木観察を楽しんでいた。
今まで気づかなかったエゾノコリンゴの名札がかけてある木を見つけたので近寄って観察してみたが、先が裂けている葉があったので、ズミではないかと思った。
かと思えば、ズミの名札がかけてある木も見つけた。こちらは先が裂けている葉がなく、エゾノコリンゴかもしれなかった。もしかして名札が逆?
若葉の季節に来れば、葉の巻き方でわかるだろうか。ズミは二つ折りの若葉で、エゾノコリンゴは端から巻き込む若葉らしい。
だけど。
こういう分類学的な目で自然界を観察するのは、いかにも頭でっかちで無益なことに思えた。
生物には交雑によって混ざりあったり、小進化という無限の適応があったりするのだから、目録を作って細分化するのは不可能だといってもいい。
それよりも、いま目の前の木になっている実のつややかな美しさとか、秋の公園の物寂しい雰囲気に浸って、感性を磨くことのほうが大事なのでは?
いや、本当に大事なのは、バランスをとることだと思う。適度に分類するのは、観察眼を鍛えることになるから、自然観察にとっても、芸術にとっても、大切なことだ。
だけど、それにあまりに気を取られすぎて、全体の雰囲気を楽しんだり、空気を感じ取ったり、美しさを味わったりすることができなくなったら、頭でっかちの学者でしかないのだ。
知性と感覚のバランスをとり、どちらもまんべんなく働かせることによって、感性や創造性が育っていくのだと思う。
2019/10/26土
複葉の落葉はまるごと落ちる
近くの公園を散歩していたら、イチョウかと見まごうばかりに黄色く色づいたトチノキの葉が落葉しているのを見つけた。
今年覚えたとおり、トチノキはホオノキと似た大きな葉っぱをしているが、ホオノキは1枚ずつの葉が輪状についているのに対し、トチノキは手のひらみたいに5枚で1セットの複葉だ。
その証拠に、今日見たトチノキの葉は、5枚つながったまま落葉していた。ナナカマドとかクルミみたいな羽状複葉の葉も、たくさんの葉が集まって1枚なので、落葉するときはまるごと落ちる。
圧巻なのはタラノキで、2回羽状複葉なので、大量の葉がばっさり根本から落ちるように見える。それらすべてで合わせて1枚の葉なのだが。
葉がばっかり落ちるせいで、タラノキの紅葉は見るのが難しいと言われるが、今年は何度も虹色に色づいたタラノキを見れて嬉しかった。
タラノキみたいに2回以上の羽状複葉で落葉する木って何があるんだろう?
2回羽状複葉だけなら、ナンテンとかジャケツイバラとかあるらしいし、それ以上だとシダ類があるけれど。
2019/10/27日
隣町に出かけた帰り道に、今シーズン2回目の虹を見ました。肉眼だと、山の手前側に浮かび上がっていて、とても色鮮やかだったんですが、写真には映らないですねー。
落ち葉がかなり堆積してきたので、来年の庭の畑の腐葉土にしようと思って、林道から落ち葉をたくさん集めて取ってきました。
昨年も、「土と内臓」の本の著者のアドバイスに従って、引っ越してきてすぐに、有機物を畑に戻す方法を試してみました。
そうしたら、そのおかげか、落ち葉を大量に埋めておいたところは、ズッキーニや豆などがよく実ったんですよ。来年もそれを期待しています(笑)
2019/10/28月
層雲峡に行ってきたけど地元のほうがいい
道北に住んでいるなら、外せない観光名所、上川町の層雲峡。一度は行っておかないと話の輪に加われないので、オフシーズンの今に行ってみました。
層雲峡とは、アイヌ語のソウウンベツ(滝のある川)から来ていて、「峡」と名付けられているように、奇岩が立ち並ぶ国内有数の峡谷です。正式名称は「大雪山国立公園層雲峡渓谷」。
自動車からでも、道中、堂々たる迫力の奇岩群が競りたっているのが見えます。地元の人に、この岩だけはぜひ見てくるように言われました。
そのあと、黒岳ロープウェイで、大雪山連峰の黒岳の5合目ので登りました。それ以上登るためのリフトもあるんですが、ちょうど整備中の期間で使えませんでした。残念。
わたしの住んでいる地域がまだ紅葉がそこそこ残っているので、黒岳も紅葉が見れるかな?と思っていたんですが、見事にすべて散った後でした…。以前見に行ったモンゴルの荒野の岩山みたいな遠景。
完全にオフシーズンですが、それでも中国人観光客が大勢いました。紅葉が一番きれいなころはマイカー規制がかかるくらいですからね。
そんな時期には絶対行きたくないので、物寂しい枯れ木の侘び寂びを味わうことにしましょう。わたしは艶やかな紅葉より、こっちのほうが好きかもしれない。
5合目は寒いかなと思いましたが、全然コートなどいらないくらいでした。旅行客の方々は分厚いダウンを着込んでいましたが、あれだと汗をかくんじゃないかな。今年はやはり暖冬かも。
5合目にある資料館には、当地で見れる高山植物の写真がたくさん飾ってありましたが、名前を知らないものばかり。勉強のために花が見れる季節にも来たいけれど、混んでないスポットはないだろうか。
帰りは、有名な層雲峡温泉に浸かってきました。層雲峡温泉は単純硫黄泉。
知らなかったんですが、単純硫黄泉は硫化水素泉とは別物なんですね。温泉らしい硫黄の香りがするのは硫化水素泉のほうで、層雲峡の単純硫黄泉はほぼ無色透明、匂いもほんのわずかです。
わたしは硫黄らしい温泉が好きだから期待していましたが、ただのお湯みたいな温泉でちょっとがっかりでした…。湯船は気持ちよかったですけどね。
帰りに上川町の道の駅みたいなスポットである森のガーデンに寄りました。そこに熊牧場があったのでちらっとのぞいてみましたが、牢獄みたいなところに閉じ込められていて可哀想でした。
うちの町だったら、ヒグマはみんな山の中を自由に歩き回っているのに、ここでは死ぬまで牢獄の中。かつては神の使いと呼ばれた動物になんとむごいことか。
わたしは観光地は好きじゃないですが、上川町に来て、その思いをまた強めることになりました。確かに層雲峡は美しいんだろうけど、売り物にされた自然はやっぱりだめだと思う。
そこからまた数時間かけて帰宅しましたが、その道中の紅葉や、山道の景色がとても美しかったです。
住んでいる町に帰ってきて近所の公園に寄ったら、とても落ち着いてリラックスできました。観光地じゃないから、人は誰もいないけれど、町がちゃんと整備してくれているこの公園。
そこから望む景色は層雲峡ほどの絶景ではない。でも人と自然の調和が感じられて、心底落ち着く日常の景色でした。やっぱり有名観光地より地元が一番だなぁと思ってしまいました(笑)
だけど、一応、観光地に一回は行っておくことも、話のタネに必要ですからね。次は来年、旭岳ロープウェイのほうにも行ってみたいなと思いました。
2019/10/29火
行者の滝
たまたま近くを通りかかったので、西興部村の行者の滝に行ってみました。まったく予定になかったけど、国道から砂利道を4.5キロほど走ったところだからすぐかなーっと。
今の時期だと、キツネやヒグマが出てくるのでは?とも思いましたが、頻繁に人の手が入っているようで、何もいませんでした。
道北に住んでアウトドアしていると、舗装されていない林道や砂利道をよく走りますが、きれいに掃除されているほう。落ち葉もしっかり掃かれていて、毎日掃除しているのかな?
砂利道を進むんだ先に、車を10台乗り入れても停められるくらいの広場になっていました。行者の滝はすぐ目の前で、歩く必要はありません。
国道からかなり森の中に進んで、携帯電話の電波も圏外。人里離れた静けさの中にたたずむ行者の滝は、水量はほとんどないけれど、なかなか味わい深い。春の雪融けのころならもっと豪華かな。
広場には「行者の滝」と掘られた石碑のほか、いくつもの碑が並び立っていて、よく見ると滝のてっぺんにはしめ縄まで飾られていて、しめやかな雰囲気があります。
滝の手前の川べりまで階段で降りれるようになっていて、そこから見上げる滝は立派。あまりに静かで、滝と風の音しか聞こえないから、クマが出てきそうでちょっと怖い。
この広場から、さらに奥に進めば、赤岩の滝4km、黒岩の滝5.2kmとの立て札がありましたが、日が傾いてきたので、行く暇なく。冬の日暮れは早い。
2019/10/30水
秋のハクチョウ渡来
車で走っているとき、道路脇の畑にハクチョウ発見!
道北では春と秋に渡来するハクチョウ。二週間くらい前から、運転しながら空を飛んでいるところを何度か目撃していましたが、写真に撮れたのは初めて。
遠くの畑だったので、スマホのカメラだと、最大ズームに拡大してもこれがやっと。なんとなくハクチョウだとわかるからいいかな。
ハクチョウの群れの中にちらりと見える小さなグレーのかたまりは、もしかするとハクチョウの子ども? 近くで見れるところがあればいいんだけど、そろそろ次の場所に飛んでいきそう。
2019/10/31金
アイヌ民族の実用性を重んじた自然観
今日もまた虹が出ていました。見るタイミングがよかったので、完全な半円形でした。わずか1分も立たないうちに薄れて消えていきましたが。
わたしたちは虹を美しい空の現象と見なしますが、アイヌは虹を不吉なものと見なしていました。
今日は、カラー版 1時間でわかるアイヌの文化と歴史 (宝島社新書) という本を読んでいました。この本には虹のことは出ていませんが、アイヌがどうしてそのような捉え方をしていたのかがなんとなくわかります。
道北で自然観察をする中、アイヌ民族の自然観に触れる機会がよくありました。気づいたのは、アイヌは美的感覚より実用性を重視するということでした。
前にも書きましたが、わたしが気に入っているのはヨブスマソウです。倭人はこの植物の三角形の葉をコウモリに見立てましたが、アイヌはただ茎が中空であるという実用性に注目して名付けました。
この本では暦の呼び方違いも指摘されています。倭人は睦月、如月といった風情を重んじましたが、アイヌは「〇〇をする月」「〇〇が採れる月」といった実用性から名前をつけています。(p146)
アイヌの地名もしかり。大きな川、濁っている川、川が合流するところ、など実用的な特徴をとらえた名前をつけます。川は通行路なので重視しましたが、山や湖の扱いは適当です。(p32)
倭人が俳句などで季節の移り変わりを美しく滋味深く描写し、風流を重んじたのと対照的に思えます。
ではアイヌは美しさや芸術に関心がなかったのかというとそうではなく、音楽や踊りも発達していました。しかしリアルな絵を描いたり、人形を作ったりするのはタブーでした。(p120)
アイヌはとても敬虔な民族で、神々に囲まれて生きていると考えていました。美しいもの、香ばしいものは魔に付け狙われると考えました。だから、美しいものはわざと醜い名前で呼びました。
神々の中で暮らしているので、たとえ誰も見ていないときでも、正しい心を持っていれば報われるし、悪いたたくらみをすれば祟られます。
アイヌの命名法が風情や美的感覚ではなく、ひたすら実用性を重んじているのは、こんな信仰心が関係していたのかな、と思いました。
アイヌ語の名称は意味を知ると味気ないものが多いですが、その背後にある深い精神世界を考えると興味深いものです。
「1時間でわかる」とのたまう本なので、内容は入り口程度ですが、項目別にわかりやすくまとまっていて、絵や写真の資料もとても多く、勉強になる良書でした。
10月の自然観察日記はここまで。
11月はこちら。