2019年11月の道北暮らし自然観察日記

10月はこちら。

2019年10月の道北暮らし自然観察日記
2019年10月の自然観察日記

12月はこちら。

2019年12月の道北暮らし自然観察日記
2019年12月の自然観察日記

>道北暮らし自然観察日記の一覧に戻る

2019/11/03日

トドマツを覆うモジゴケと這うツルアジサイ

友達が川釣りに行くというので、一緒に連れて行ってもらいました。場所は士別市の岩尾内湖。管理事務所のあたりから遡上していきます。

川床を歩いて遡上する、なんて、1年前のわたしなら考えもしなかったような行為ですが、この夏にかなり慣れました。自前のウェダーで11月の冷たい川の流れもなんのその。

川床は岩や石がゴロゴロしていて、かなり滑りやすく、時々大きな穴もあったり。ちゃんと一歩一歩安定している地面かどうか確かめながら進みます。これって雪の中を歩くのと似てる。

川の中央部は流れが早く、水量も多くて危険だったので、川岸に沿いながら、木の枝や根をつかみながら進みます。すっぽ抜けることもあるので過信は禁物ですが。

いかにもヒグマが出そうな川でしたが、友人の熊鈴は100均製でぜんぜん鳴らない。わたしのいつもの森歩き用の鈴持っていってよかったよ…(苦笑)

道中、自然観察をしながら、と思いましたが……

わからないですねー、川岸の植物は葉っぱしかない。樹木は枯れ枝しか残っていない。コケ類や地衣類や菌類は知らない種類ばかりしかない。全然わかりませんでした。

この夏、そこそこ勉強して覚えたはずだったけれど、まだまだひよっこだと思い知らされました。最近頭のほうの疲れが出て勉強サボってたしね。

今日見かけたキノコ類、名前を調べてこれかなー?と思ったのはオレンジ色のつぶつぶビョウタケ、赤く張り付いたアカウロコタケ、朽木にでーんとくっついてたツガサルノコシカケあたりか。違うかもしれませんが。

奥の方まで進むと、トドマツ林がありました。トドマツはアイヌ語でフプ(はれもの)の木。樹皮のかさぶたみたいなとこを潰したら、とてもいい香りの樹脂が出てきます。

このトドマツ、幹がモジゴケだらけで感動しました。今日のお気に入りの写真はこの、象形文字のごとき素敵なモジゴケです。

モジゴケってそんなに珍しい地衣類ではないんですが、こんなにびっしり樹皮を覆っているのを見たのは初めてでした。さすが山奥。いや、家の近くの山でも奥まで入れば普通にあるだろうけど。

まわりの黒いブツブツはサネゴケかな? 調べ方からしてわからない(笑)

あと、ふと思ったのは、写真にも映ってますが、ツルアジサイのツルってすごいなーと。電信柱みたいな樹木に這って登るだけじゃなくて気根でちゃんと接着してるんですね。

人間なんて、電柱わざわざ建てないといけないし、電気コードを接着する手間もかかるのに、自然界は勝手に木が伸びて、勝手に配管が張り巡らされるのだ。なんて効率的なんだろう。

こんな川床を3時間くらい歩きました。寒いかなーと厚着していきましたが、滑らないよう必死に歩いているとかえって汗をかいてしまったぐらいでした。

友人はところどころ釣り竿を垂らして見事、27cmのニジマスを釣っていました。

友人はこの川の名前も知らなかったようだったので、帰宅してから、Google Mapsで調べてみる。拡大すると「尾内川」の表記が。岩尾内湖から流れるから「尾内」なのかと思ったけど、尾内川で検索しても情報が出てこない。

怪訝に思って国土地理院の地図のほうを見てみたら、「岩尾内川」の名称でした。そちらで検索したら国の資料とか出てきますね。たぶんGoogleが間違っていると思われる。

今回は行かなかったけど、途中で分岐していて、右の沢川と左の沢川もあるらしい。川が交通網だったアイヌは全部の河川に名前をつけてましたからね。

もう雪が降りそうなので、今年の川散歩はこれで終了になりそうだけど、友人とは来年も一緒に探検しようと約束を取り交わしました。来年こそは行きたいと目星をつけている奥地があるので楽しみです。

2019/11/04月

田舎の夜道は危険なのだろうか?

筋肉痛です。2周間前にSwitchのリングフィットアドベンチャーを買って、欠かさず筋トレしてるんですが、そこへ昨日の遡上の負荷が重なって、体じゅう痛いです(笑)

リングフィットのほうは、毎日10分ずつくらいなので、感想がっつり書くほどやっていないのですが…。だって毎日サイクリングしているし、川床歩いたりもしているわけですし。

ただ、わたしはどうしても腕の筋肉がないので、腕を使う筋トレは非常に疲れます。下半身だけ自信があってもバランス悪いので、これからもリングフィットアドベンチャー頑張ろう。

ところで、今日ふとネットで見かけた話に、「都会より田舎のほうが凶悪犯罪が多くて危険」というものがあったのでその話を少し。

田舎だからといって、夜道をひとりで歩いたり、窓を開けて寝たりしたら、犯罪被害に遭いやすく、とても危険だと書いてありました。

最近読んだ木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学でも、文化地理学者カロライン・フィニーのいう「恐怖の地理学」についての記述がありました。

凶悪犯罪や性犯罪の多くが、自然環境の中で行われてきたので、人種や性別によっては自然の中に出ていくの危険だという認識が根強いといいます。

彼らにとって森は、小川は、山は、多くの同朋が姿を消した場所だ。これもまた、森の見られていない部分、聞かれていない側面だ。

ひっそり流れる小川には、白人たちが命を奪った黒人の遺体をいくつも沈めた。

…近年科学者を対象に行った調査によると、屋外の調査現場は、女性研究者の26パーセント、男性研究者の6パーセントが性的暴行を被ったという、「害悪に満ちた」フィールドなのだ。

赤ずきんちゃんの寓話はある意味、暴力と恐怖の地理学を地で行く絵解きだ。加えてこのおとぎ話は、家父長的価値観を強化する。女の子は安全でいたければ森になんか入ってはいけない。(p230)

まあ、それは事実だと思います。

ただ、日本では、山ガールなどの文化に見られるように、そのへんは比較的安全だという指摘もありました。(p338)

それに、アイヌ文化では、森に入って山菜摘みをするのは女性たちの仕事だった、という事実はどうでしょう。アイヌ文化では女性の権利が巧みに守られていたことも知られています。

アメリカと日本(北海道)の森がずいぶん違う可能性もあります。北海道の森にはカムイなるヒグマがいて、遭遇したときに生理的に闘争・逃走反応が起こりにくい女性のほうが危険が少なかったのかもしれない。

それはそれとして、さっきの記事の場合、「田舎」とはどの程度の田舎を想定して書かれていたのだろう、とふと思いました。

うちの近所は、夜道には街灯がほとんどないので、自分の自転車のライトを消したら何も見えなくなりします。

研究でも示されていますが、街灯がある場所のほうが犯罪被害は多いです。真っ暗だと犯人も見えないので獲物を狙えません。

うちの近所は基本的に車移動で、隣家の間隔がとても広いので、夜道を人が歩いていることはめったにないです。危険だからではなく、そんな物好きな人がいないという意味で。

わたしが夜道をサイクリングするときは、たまに車とすれ違いますが、相手は暗すぎてライトと反射材しか見えていないはずです。わたしが車に乗っている側のときの視点ではそうです。

わたしが夜道で怖いのはむしろ野生動物のほう。月明かりもない曇りの日や、霧が濃い日は、真っ暗すぎて少し怖い。木の葉がこすれる音や、木の実が落ちる音が響くとビクッとしたりする。

経験上、野生動物が出ないとわかっている範囲を走っていますが、それでもわざと音を鳴らしてこちらの存在を伝えなきゃと感じることがあります。

前に読んだクマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)の情報では、夜中のほうがクマなどに襲われにくい可能性もあります。

クマは自分が優位に立って安全だと感じているときは人を襲うような生き物ではないので、夜行性のクマにとっては夜は人間を襲う必要がないんです。

個人的には、夜出会いかねない野生動物としては、なんとなくシカのほうが怖いイメージ。エゾシカは本当にでっかいし、クマと違って光に向かって突っ込んでくるなんて話も聞くので。

わたしはもともと夜目が効く上、あんまり気にせず真っ暗な道をスイスイ走れます。それでもたまに見えなくて道を外れかるので注意は必要ですが。

真っ暗でもだいたい道を記憶していて、細い道も自転車で入っていけます。暗闇が怖いのは最初だけで、何度か行き来しているとすぐ慣れます。

でも、毎日近所を探検している人でないと、そんなの不可能です。地元民でもそんな物好きな人いないし。

それに、冬はマイナス10℃や20℃になる場所だから、夜道に誰かいるほうがおかしいし、犯罪者もそんなところに張り込んだら死ぬでしょう。

うちの小さな町で凶悪犯罪が起きたなんて近年では聞いたことないし、地元民の半分以上の世帯がドアに鍵をかけていないと言われるくらいですからね。(うちはかけてますが)

その記事には、夜道を軽装で、イヤホンをつけてスマホを見ながら歩いたら危険だ、と書いてありましたが、真っ暗な雪国をそんなかっこで出歩けません。重装備で五感研ぎ澄ませて自転車こいでます。

たぶん、わたしが読んだ記事の犯罪の多い「田舎」って、こういう辺境の地を想定しているわけじゃないと思うんですよねー。普通の田舎に住んだことがないのでわかりません。

まあ、こんなことを書いていながら、何か事故や犯罪に遭ってしまう可能性がないわけではないんですが…。

ひとつ言えるのは、わたしはこの辺境の地が大好きで、世の中の喧騒から離れていられる生活をとても気に入っているということです。本当にここ日本なんだろうか。

2019/11/05火

畑にハクチョウの親子がいた

ちょっといつもより遠出して、サイクリングしていたら、道路脇の畑にハクチョウの群れを発見。

先週写真に撮った場所の近くですが、前回は車。今回は自転車なので小回りがききます。おかげで、そこそこ近くまで接近して写真を撮れました。私有地なのでこれ以上近づけませんが。

前回の写真では豆粒みたいで、解像度の粗いネッシーの写真みたいに、ほんとにハクチョウ? ビニール袋じゃないの? てな状態でしたが、今回は間違いなくハクチョウです。灰色っぽいのはまだ子どもでしょうね。

近づけば、あのニャウニャウいう鳴き声も響いていました。どんな擬音に書き表せばいいかよくわからない(笑)

気温はだいたい5℃くらい。やっとこさ日中も下がってきて、サイクリングしやすくなりました。-10℃から0℃くらいが澄んだ空気で呼吸しやすくて好きです。

それ以上寒くなると鼻が凍ってくるのが難点。路面は低ければ低いほど走りやすいですが。

2019/11/06水

道北地方、2019年の初雪

ついに初雪が降りました! 稚内ではすでに11/2に初雪が観測されていたそうですが、旭川含む道北地方では今日の早朝が初。

その後、追って昼以降札幌などでも観測されたとのこと。北海道のほぼ全土で初雪になったということですね。

ということは、相当な寒気が流れ込んできたということになり…

この写真のありさまですよ。もう昨日までの秋の景色はどこ行ったんだ?と思うほど、たった一夜にして真冬の景色になってしまいました。

写真は自動車で岩尾内湖のあたりを走っていたときのものですが、吹雪と積雪でまっしろ。スタッドレスタイヤに替えておいてよかったです。

このとき通った道は、夕方になって、通行止めになっていました。初雪にしては、いきなり本気出して降りすぎですよね(笑)

だけど、やっぱりわくわくしてしまう初雪。地元出身の人たちは冬が来るとげんなりしていますが、本州育ちのわたしにとって雪は格別。

いよいよやってきた道北に引っ越して二度目の冬。去年は「冬の厳しさを知らない無謀な本州人がいきなり引っ越してきた」と生温かい目で見られてましたが、今年はもう経験者。

半年間厳しい冬が続こうが、除雪や運転が大変だろうが、雪は大好きです。醜い人工的な町の風景が一面の雪で覆われて、幻想的な世界になると、いつもうっとりします。今年の冬はどんなことに挑戦しようか、どんな自然観察を楽しもうか、今からとても楽しみです!

2019/11/07木

D・G・ハスケルの「木々は歌う」を読み終える

昨日は久々に吹雪のなか運転したせいで、神経を使って疲れました…。

その雪は、山間部や北向き斜面では残っているものの、都市部ではほぼ溶けてしまいました。まだ根雪になるには暖かいですよね。

先々月ごろから記事内でよく引用している、生物学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルの木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学の中をやっとこさ読み終わったので感想を。

なかなか味わい深かった、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 の著者の新作ということで、期待感が強かった本書。

「ミクロの森」はテネシー州の原生林の一角を1年間観察し続けた自然観察日記だったのに対し、「木々は歌う」は世界中さまざまなところの樹木を観察したエッセイ集。

どちらの本も、科学者であり、詩人でもある著者が、豊富な専門知識と鋭敏な感性がいかんなく発揮されている…のですが、「木々は歌う」はちょっと期待はずれだったかも。

どうも内容がかなり難解で頭に入ってこないのです。そんなに難しいことを書いているわけではないので、たぶん訳者の文体が原因と思われる。

「寿(ことほ)ぐ」とか「顰(ひそみ)に倣う」とか、日常的ではない表現や言葉遣いが次々に飛び出す翻訳で、良く言えば格調高いのですが、悪く言えば読みにくいです。

もともとの原文がどうだったのかはわかりませんが、この文体のせいで、著者がキザなナルシストに思えてしまいます。

ポンデロサマツの音に気づいた女の子を「敏い子供だ」なんて評するところとか。

「ミクロの森」のほうは、わたしがとても心動かされた「植物の叡智の守り人」の翻訳者が訳していたおかげなのか、とても読みやすく感じたのですが…。

翻訳だけでなく、内容のほうも、冗長で変に理屈っぽく感じちゃうんですよね…。もっと単純に感動すればいいところを変に哲学的になっているような。

「木々は歌う」というタイトルなので当然といえば当然なのですが、やたらと音楽に例えたがるところもキザっぽく感じたり。やっぱり翻訳者ではなく著者自身の問題なのだろうか。

日本文化に触れているところも多いのですが、なんだか深読みして変に持ち上げているような気も。それを深い感性の表れととるか、肩に力が入りすぎていて読みづらいととるか微妙なところ。

わたしはどちらかというと、ジョン・ミューアみたいに、もっと単純に自然界に感動して喜んでいる人の著作のほうが好きなのかもしれない。

だから、せっかく期待していた「木々は歌う」ですが、途中からななめ読みになってしまいました。

それでも、世界のあちこちの雰囲気をイメージできたからよかったかな。

天空のセイボの上の生態系、海岸線の砂地に生えるサバルヤシ、中東の緊張したエルサレムのオリーブなどなど、人々の生活と木々の暮らしを重ね合わせて描くエッセイとして充分に楽しめました。

2019/11/08金

雪に映える紅葉

昨日はいったん雪融けしましたが、今日になって、改めて雪が降り続いています。この暖かい時期特有の、結晶が目に見える大きなボタン雪が舞う光景はとても神秘的です。

暖かいといっても、気温はぎりぎりマイナス。道北内陸部らしい乾燥した気候もあいまって、すでに雪質はかなりサラサラ、雪だるまを作れない、砂のような雪です。

すっかりあたり一面降り積もって、もうブーツが足首まで埋まる深さになりました。誰も踏み入れていない雪野原を歩く感触が楽しくて、ついつい用事もなく公園を散歩してしまいます。

そんな公園で見かけたのは、まだ散り終わっていないモミジの紅葉。

雪化粧した地面にはらりはらりと落ちた紅葉の葉っぱのコントラスト。なんて美しく映えるんでしょう。秋と冬の境目ならではのこの味わい深さです。

モミジだけじゃありません。公園には、ツルウメモドキの実やセイヨウメギの実も見られました。こちらもまだ落ちていない赤い実が、まっしろな雪に映えますね。

まだまだ雪の降り始めなので、白と黒の世界ではなく、あちこちに色が残っています。これから冬が深まるにつれ、色が少なくなっていくので、しっかり目に焼き付けておきたいところです。

レイチェル・カーソンの伝記を読み始めた

そうそう、図書館で、ポール・ブルックスの伝記レイチェル・カーソン を見つけたので読み始めました。古い翻訳と体裁なので、ちょっと読みづらいですが面白いです。

まだ読み始めたばかりですが、自然と共に育ったカーソンの感性とか、作家としての信念のあり方などは、わたしも共感できるところが多そうです。

先に最後のほうを読んでしまいましたが、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」とレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が比較されているのが、なるほどなと。

ダーウィンが慢性疲労症候群になって、カーソンがガンで早逝したのは、お互いたった一人で当時の支配的世論に戦いを挑んで、大パッシングに遭ったという重すぎる荷があったのかも。

今、気候変動問題で、グレタ・トゥーンベリさんが似たような立場にありますが、レイチェル・カーソンの時代から人間が何も変わっていないんだな、と思って失望しました。

結局、自然界を愛する敏感な人はいつだって危機を感じ取って自然を守ろうとするけれど、鈍感な商業主義的な人たちは、絶対に環境破壊を認めない。

今やカーソンの時代よりもっと悪化しているのは科学的には自明だけれど、どれほど環境が悪化しようと、人はすぐ慣れる生き物だから、鈍感な人は「何も問題はない」と言うわけで。

もし自然界を愛する心が、敏感さのような遺伝的特性や幼少期体験によってのみ培われるものだとしたら、鈍感な人はどれだけ証拠を提示しようが説得できないでしょう。

そもそもカーソンをパッシングしていた人たちは、カーソンの本を読もうともしないで攻撃していたとのこと。

ちょうど昨日もこんなニュースがあったけれど、きっと不毛でしょう。科学的に根拠があるかどうかの問題じゃないんですよね。反対する人はまず調べようともしない。

【気になったニュース】

やるなら、今だ。気候変動の緊急事態宣言に、科学者1万10​​00人以上が賛同 | ギズモード・ジャパン

敏感な人と鈍感の人の生物学的な割合が逆転でもしない限り、地球を守ろうとする戦いは常に劣勢で勝ち目がないんじゃないかな、という気持ちは拭えません。

とはいえ、わたしがこの本を読みたいと思ったのは、レイチェル・カーソンがどんな性格の人だったのか、どんな生い立ちだったのか、といったことを知りたかったからです。

じっくり読み進めて、またぜひブログ記事としてまとめたいですね。

2019/11/18月

マツの葉が風を梳く吹雪の後に

ちょっと色々と忙しい日が続いて、自然観察日記の余裕がありませんでした。

いや、忙しさを言い訳にするのは良くないかも。やっぱり根気が続かないのかなあ…。わたしの昔からの欠点です。

この一週間、こちらでは大雪が降りました。道北のあちこちで、一日で40cm近く積もって、気象庁のランキング上位に入っていたほど。

吹雪の夜に、近くの公園まで散歩に行ってみると、もう膝丈くらいまで積もっていました。誰もいない雪原をズボズボ歩くことほど楽しいことは、この世にそうそうありません。

吹雪の風がけっこう強かったので、マツの葉が風を梳く音が響き渡っていて、思わず足を止めました。

マツの葉が奏でる音は世界各地で地域差があるそうです。うちの近所のマツは、まるで獣の叫び声みたい。でも恐ろしくはなく、威厳が感じられる唸り声です。

翌日の朝、車がスノーモンスターになっていました。

おかげで、早速、本格的な雪かきが必要になって、肉体労働を頑張っていました。自動車社会に生きている以上、最低限は雪かきしないといけませんからね。

幸い、このあたりは隣家との間隔がとても広い上、雪が乾燥していて軽いので、危険な屋根の雪下ろしをする必要はまったくありません。勝手に全部、庭に落ちていきます。

屋根に積もった雪が、ある臨界点を超えて、ズサーと雪崩のごとく落ちていく様子は迫力があります。家の中にいても、まるで地鳴りのような轟音を立てて滑り落ちていきます。

これだけ雪が積もってしまえば、もう根雪になって、地面は圧雪になるので、自転車のタイヤも、早々とスパイクタイヤに換装してしまいました。

自転車のタイヤを交換するのは重労働です。タイヤをホイールから剥がして、スパイクタイヤをはめ込むのは、雪かきどころじゃないほど握力が求められます。

わたしは握力がないので、自分でタイヤを交換していて、もう無理かと諦めかけました。でもはめたタイヤをなじませて引き伸ばしてなんとか完遂。

その代償で、両手の平が筋肉痛です。親指の付け根の膨らんでいる部分の筋肉。こんなところが筋肉痛になったのって初めてです。道北の暮らしは初めての体験がいっぱい。

だけど、そのスパイクタイヤを換装した自転車で、雪道をサイクリングしたら、そんな苦労なんて吹っ飛ぶというものです。

夜中に走れば、ほかの車も人間もめったにいません。除雪はちゃんとされているので走りやすい。貸し切り状態の素晴らしいコース! なんて贅沢なんでしょう。

貸し切りだからといって、スイスイ走れるわけではなく、雪道だから、ところどころバランス感覚が試されますが、そのオフロード感がまたいいのです。冒険してるって感じ。

いよいよ、わたしの大好きな冬がやってきたので、これから数ヶ月間、楽しみつくしたいと思います。

遊ぶだけじゃなくて、ちゃんと本読んだり自然観察したりもしないといけないけど、果たしてやる気が出るのやら。遊ぶことだけなら自信ありますが。

とりあえず、ここ一週間は、全身あちこち筋肉痛が絶えません。少しゆっくりする日を見つけたい…。

2019/11/23土

シナノキの実とウサギの足跡

また少し暖かくなって雪が溶け始めています。雪がサラサラじゃなくなって、固くなっているので、普通にブーツで公園の中まで入っていけます。

ふと見かけたシナノキの実。夏の自然観察のころ、シナノキは一度も取り上げなかったですね。

秋ごろなら、もっとたくさん緑色の実がついていたんでしょう。さすがに今はもう、ほとんど落ちてしまい、少しだけ実が残っていました。

茶色にくすんだ実は、表面がちょこっともふもふした毛が生えていて、なんだか可愛らしいです。帽子飾りのアクセサリーについてそうな。

実の上についている枯れ葉みたいなのは、調べてみたら葉じゃなくて「苞」らしいです。言われてみれば、シナノキの葉はもっと丸っこいカツラみたいな形なので形が全然違いますね。

植物観察をやってると、苞は萼や托葉と並んで、よく目にする擁護ですね。ミズバショウの花びらに見えるような部分と同じ。

シナノキの実は、この苞をパラシュートのように広げて、風を利用して舞い降りるらしいです。あまり距離は飛べそうにないけれど、親の真下に落ちずにすむということかな。

シナノキは、アイヌ語「ニペシニ」(木の繊維=ニペシのとれる木)から来ている名前なので、もともとアイヌや北海道に馴染み深い木らしいです。

外国では「リンデン」と呼ばれ、花を使ってハーブティーを楽しめるのだとか。来年はぜひその時期に試してみたいですね。

公園の雪原には、ウサギの足跡もたくさんありました。姿は見えませんでしたが、もうすっかり真っ白な冬毛になっていることでしょう。

冬に見かける足跡は、ほとんどがエゾユキウサギとキタキツネ。どちらも見分けやすい。町中だとニンゲンとイヌもいますけど(笑)。

ちょっと山にいけば、エゾシカやエゾタヌキの足跡もあるかな? あまり見かけないのは、エゾクロテンやエゾシマリス。よーく目を凝らして見分けてみたいですね。

2019/11/25月

なんで雪の中だとこんなに元気なのか

今日は、1日に歩いたり自転車で走ったりした距離の合計が10kmを超えていました。

夏場は一週間に10kmだったりするのに、冬はなんでこんなに楽しいんでしょう。もっとうろうろしてもいいかなーと思ってるくらいです。

昼間は大きな雪がちらりちらりと降っていて、肉眼でも結晶の形が見えました。写真に撮ろうとしているうちに吹雪いてきてしまって、うまく撮れなかったのが残念。

ところどころ結晶ぽい形は見えてますが…。去年みたいに雪のひとひらを撮れればうまくいっただろうけど、重なりすぎてダメですね。

その吹雪のなか、町内の図書館まで歩いていったのですが、雪の中を歩くのがとても楽しかった! 地面も程よくクッションが効くので歩きやすい。

雪に映えるナナカマドの実の赤が美しかった。

サイクリングもいいですが、歩くのも気持ちいいなーと思いました。今年の冬は、自転車でどこか出かけて、スノーシューで歩きながら自然観察する予定。

それにしても、どうして、冬場、特に雪の中をうろうろしているときはこんなに調子がいいのか。

実を言うと、ここのところ、調子の良し悪しの差がはっきりしすぎています。

家の中にいたり、都市にいたり、誰かと会話したりするときはとても体調が悪くて疲れる。しかし、雪の中を散歩なりサイクリングなりしていると、一時間でも二時間でも疲れ知らず。

いったいこれはどういうことなんでしょうか。仮説は色々と立てられるけれど、あまりに劇的に違いすぎるので、困惑します。

この自分の特性を何かに生かせないものか。とりあえず近いうちに冬芽や樹皮の観察に出かけようか。

生活のしがらみみたいなのを全部捨てて、ひたすら毎日、雪の中を探検するだけの生活を送りたいです…。

雪原で天体観測

夜は、雪原と化した近くの公園を歩きながら、冬の星空を観察していました。夏場とはまったく違うたくさんの星。以下、今日観察しながら学んだこと。

・一番目立つオリオン座。天の赤道を移動する星座なので、北極星と合わせて考えることで、天球の東西南北がよくわかります。ベルト部分の一番右の星(ミンタカ)が天の赤道の真東から昇り、真西に降りていく。
・オリオン座の右上に牡牛座、そしてプレアデス星団がある。ぼんやりと星雲のように見える星の集まり。
・オリオン座の左上に馭者座。左上の明るい星カペラが特徴。
・オリオン座の左下に最も明るい星シリウス。オリオン座の左の方には双子の明るい星カストルとポルックス。ちょっと下にプロキオン。
・まだ北東の空にハクチョウ座が見えていた。カシオペア座と北斗七星も見えるので北極星の位置がわかりやすい。

星を覚えるのは、位置関係が大事なので、やっぱりまずは北極星を見つけることですね。それからオリオン座を探せば、天球の形がわかるので、頭の中で星座同士の位置関係を把握しやすくなります。

植物や樹木と違って、星座は種類が多くないし、見た目が大きく変化するわけでもない。鳥のようにあちこち居場所が変わるわけでもない、ということで、比較的とっつきやすい自然観察です。

もっと生活をシンプルにしたい

上に書いたこととも共通しますが、もっと生活をシンプルにしたいです。

頭が混乱するんです。やることがたくさんあったり、自分に合ってないことをやったりすると。

最近とくにそれが顕著で、家で何か頭脳労働をしていると、どんどん頭が混乱してきて、気持ちが消極的になって、あれもできてない、これもできてないという焦燥感に襲われます。

でも、外の美しい雪の中を歩いていると、ただ歩いているだけ、それだけで、悩みなんか全部ふっとんでしまい、とても幸せな気持ちになります。いったいこれはなんなんでしょう?

ここ最近の生活で、自分の事業仕分けを進めています。自分が幸せになれることを優先して、そうでないものは全部切り捨ててシンプルにしています。

たとえばブログの構造をシンプルにして、メッセージボックスもなくしました。誰かからメッセージをもらうことが、自分の喜びではなく負担になっていると気づいたから。

SNSの人間関係もなくしてしまいました。リアルの人間関係は役立つけれど、SNSの人間関係は、根本のところで役に立たず、時間が取られるだけだと気づいたので。

昔はゲーム好きでしたか、今は興味があるゲームがあっても、買わないようにしています。家の中でゲームしてると、当座は楽しいかもしれないけれど、自然を楽しむことから遠ざかってしまうので。

さらにできることがあるとすれば、電子機器をできるだけ少なくして、持ち物をシンプルにできればいいかも。

だけど、どうしても、わたしの中で、昔の生活に未練を感じる部分もあります。それが体調を悪くしているのだとわかっていてさえも。

そこをなんとか変えていきたい。かつての習慣に引っ張られるのではなく、身体が楽になることを新しい習慣にしていきたい。

2019/11/26

冬越しするシラカバの雄花

今日はよく晴れた日。路面が溶けていて自転車で走りにくかったですが、公園まで樹木観察に行ってきました。

あちこちでひときわ目立っていたのは、まだ豆が鈴なりに実っているイヌエンジュの木。

青々とした豆が実っているのを見たのは夏頃でしたが、雪が降ってもまだ落ちていないんですね。すっかり色を茶色くなりましたが。

先日書いたシナノキの実もたくさん実っていました。前回撮った写真よりも、実が多くてわかりやすい。

上についているのが葉っぱではなく苞葉であることも、この写真ならわかりやすいと思います。

実をつけている枝は、苞葉の裏の葉脈とつながっていることがわかります。単独の葉っぱではなく、実の付属品なんですね。

ヤマモミジらしき翼果がまだ残っている木もありました。

カエデらしいタケコプターのような左右対称の形ではなく、左右の羽が分離して、片方だけ落下しているものもあります。

調べてみたら、カエデの翼果って、タケコプターの形では飛ばないのだそう。左右分離して片方だけ落ちてやっと、風に舞うことができるんだとか。

そして、他に見つけたのが、このシラカバの花らしきものですが…。

見てすぐに、ああ、これはシラカバの花だな、と思って、それだけで帰ってきてしまったんですが、帰宅後、図鑑で調べてみて混乱。

シラカバの花が咲くのって、そういえば4月か5月ごろ。今ごろついているってことは花じゃなくて実なの?

結論から言えば、これは雄花なので、実ではありません。疑問を解決してくれたのは、シラカバの一年の移り変わりを写真で掲載してくれていたサイト

シラカバの雄花は、6月ごろに芽生え、言ってみればつぼみ状態のまま冬越しして、翌年の春に花粉を飛ばすという意味で「開花」し、落下するようです。つまりは、年中ほとんどの時期に雄花がついているということになります。

一般のサイトや図鑑では、単に、5月に開花、としか書いていなかったりするので、全然意味がわかりませんでした。通年じっくり観察するって大事ですね。

このような形の花は、猫のしっぽみたいな「尾状花序」と呼ばれ、カバノキ科の樹木に共通しているようです。シラカバなどのカバノキ属のほかに、ハンノキ属もそうですね。

今回見つけたこの花も、ハンノキ属の可能性(ケヤマハンノキなど)もありましたが、樹皮の感じとか、花の付き方からして、たぶんシラカバだと思いました。

もっと生活をシンプルにしたい2

昨日の話の続き。

自分の生活を振り返ってみると、抱え込まなくてもいい余計な荷物があるのでは?と気づきます。ひとつはネット上の人間関係。

一時期、ネットにしか自分の居場所がなかったせいで、SNSにどっぷり浸かって、人間関係を広げたりしていましたが、今となっては意味を見いだせなくなりました。

ネット上の(またはリアルでも、じかに顔を合わせない)人間関係は、互いにとって気休め、気晴らしにはなるけれど、ある一定以上は進展することのない浅い関係で終わりがちです。

そこにつぎ込んだ時間は報われることがなく、ある日突然消えてしまうことも多い。時間の投資としては、まったく将来性がない目先だけの関係に思えます。

もちろん、SNSでやり取りしたことや、ブログにメッセージをもらったことは嬉しかったけれど、今思えば実りのないことに時間を費やしていた感がぬぐえない。

そのぶんの時間と体力を、リアルでの人間関係の構築に使っていれば、もっと有意義な進展があったのは確かでしょう。だから、思い切ってやめてしまうことにしました。

わたしはもともと、人間関係にあまり喜びを見いだせない性格なので、人間関係が広がれば広がるほど、ストレスが多くなってしまっている、と自己分析しました。

HSPの人はたいがいそうですが、友達の量より質のほうが重要です。(確か岡田先生のビアトリクス・ポターの評論で少数の友情を重んじたとかいう説明がされてましたよね)

ネット上で交流を広げるより、リアルの限られた範囲の人間関係に集中するほうが幸せだと気づきました。

今まで、それをわかっていながら、ネット上の人間関係も細々と続けていましたが、マルチタスクは頭を混乱させるだけ。未練を振り切って、生活をシンプルにすることに決めました。

2019/11/28金

いろいろな冬芽を観察

先日に引き続き、雪が積もった公園で冬芽の観察。

これがまた楽しい。冬はサイクリング日和だと思っていたけれど、歩いて自然観察する楽しさを発見しつつあります。

公園の樹木は、夏場に観察して名前をだいたい調べていたので、そのおかげで、冬芽の同定も、なんとなくはできます。

まずは、このあたりで最も多い木のひとつであるミズナラの冬芽。

このタケノコみたいなのが冬芽です。実物は写真の感じよりもっと小さくて、小指の先ほどの大きさ。

タケノコみたいに見える理由である、表面のうろこ状のものは芽鱗と言って、芽を保護するためについているカバーのようなものです。

樹木の種類によって、芽鱗があるもの(鱗芽)と芽鱗のないもの(裸芽)に分かれ、さらに鱗芽によって、芽鱗の数がさまざまです。ミズナラは芽鱗が覆いけど、たった一枚だけのものもある。

こうした特徴から、何の木か見分けられるんですね。これは面白い。

続いて発見したのはトゲトゲの若木。若い頃トゲトゲしているのはウコギ科の仲間。公園の中だったので、ウコギ科でも、たぶん一般的なハリギリだと思うんですが。

恐ろしいまでにトゲトゲです。バラなどの比較にならないほど。幼木のころはシカから樹皮を守る必要があるからトゲトゲしてるんでしょうか。

濃い紫色のでっかい頂芽、そして、やはり濃い紫色の脇芽と、その下に刻まれているV字型の葉痕(葉っぱが落ちた跡)。

写真で確認できるとおり、芽鱗は3枚くらいでしょうか。ミズナラの冬芽とはえらい違いですね。タケノコには見えません。

図鑑と照らし合わせても、ハリギリで間違いなさそうです。

続いてはとてもわかりやすいキタコブシ。もふもふの冬芽です。

キタコブシはじめ、モクレンの仲間は毛皮を着たような冬芽がとても目立っていて、冬芽のことなんて何も知らない去年も目につきました。

雪融けと共に春一番で花を咲かせるので、実質、冬芽はつぼみみたいなものということになる。このもふもふのカバーが割れると、中から花びらが出てくる。

そういえば、雪の降り始めのころ、公園で不思議な形の実の殻を見つけてなんだろう?と思っていましたが、キタコブシの実でした。多数の丸い実がつく房のような形の殻です。

次に見かけたのは…なんだろう?

ミズナラのように芽鱗の覆い冬芽ですが、タケノコ型じゃなくてタマゴ型。何より、わずかに枝先に残っている葉っぱはミズナラのようなギザギザではない。

サクラ属であることは間違いなさそう。はっきりと同定はできませんでしたが、たぶんエゾヤマザクラかなー? 

寒さに弱いソメイヨシノは道北にはないはずだし、そもそもソメイヨシノだったらもっと冬芽が毛深い。また、エゾノウワミズザクラは山の中にしかなさそうだし、冬芽はタケノコ型に近い。

最後に写真に撮ったのはこれ。背の低い低木でした。樹木の冬芽は高いところにあることが覆いので、必然的に低木、若木などの観察が多くなりますね。

サクラの冬芽とよく似ているけれど、芽鱗の先がぴろっとヒゲのように伸びているのが特徴。冬芽だけでなく、乾燥した実のようなものも見られます。

あまり自信はないけれど、夏場にここで見た植物といえば、オレンジ色や黄色の花を咲かせるレンゲツツジのような気がする。

図鑑と比べたら実がちょっと違うような気もするけれど、図鑑の写真ってある一時期を切り取っただけだから、なんとも言えない。ツツジ科の何かなのは間違いないと思うけど。

今日の自然観察はこんな感じ。雪原を歩きながら、冬芽を見つけて写真に撮るのって理由はわからないけれど、とても楽しいです。いいカメラがほしくなっちゃいます。

そういえば、今朝、とてもぐっすり寝ているときに、海の中の海嶺をダイビングする、浮遊感のある色彩豊かなリアルな夢を見ました。

なぜか夢の中で、ダイビングのときの呼吸リズムと、サイクリングのときの呼吸リズムが似てることに気づいて、もっと呼吸法を身に着けたいと思いました。

わたしは道北の暮らしを気に入ってますが、海をダイビングする夢も捨てがたい。

だけど今は海の汚染がひどくて、海岸線などゴミだらけだから、海の近くに住むとストレスがひどいかも。川にちょっとゴミが浮いてるだけで怒り心頭状態になってしまうくらいなので。

環境破壊の問題に警鐘を鳴らしたさきがけが海洋生物学者のレイチェル・カーソンだったことからしても、海は破壊が見えやすいから、わたしは森にとどまっていたほうがいいのかも。

2019/11/29金

雪の結晶を撮る

散歩していたら、いつの間にかすっかりカラマツが落葉してしまっていることに気づきました。ほんの一週間くらい前までは、まだ金色のふさふさした葉が残っていた気がするのに。

今日はまた、結晶が肉眼で見える雪が降っていたので、撮影にチャレンジしてみた。そのまま撮るとこんな感じで、こんもり重なり合ってしまう。

なんとなく結晶は見えるものの、はっきり形は確認できない。それで、降ってきたばかりのひとひらを撮影するべく粘る。

ただのスマホのカメラにしては、そこそこうまく撮れたんじゃないでしょうか。

もっと高性能な一眼レフカメラや接写レンズなら、はっきりくっきりだったかもしれませんが、スマホだとこれが限界か。なかなかうまくピントが合わないです。

と思って、ちょっと調べてみたら、スマホ用マクロレンズなるものが100均で売ってる? 関東でこのレベルのものが撮れるなら、ここならもっとはっきり撮れるかも。ぜひ探して試してみたいです。

2019/11/30土

川辺を歩くキタキツネの動画

近くを流れる天塩川の川岸を、キタキツネが散歩しているのを発見。

キタキツネが町の中を歩いているのは別に珍しくはありません。足跡もあちこちで見つけられます。野良犬みたいなもの。

だけど、普段は車から目撃することが多いから、動画が撮れない。今回は歩いているときに発見できたおかげでじっくり撮れました。

この日は、いつものように雪道でサイクリングしていましたが、一日に走った距離が7kmを超えていました。

合間合間に公園で雪原を歩き回ったりもしているから、けっこうな運動量だったかも? 積もった雪の上をラッセルしながら歩くのって、ただ歩くより体力を使うものです。

そうそう、体力つけようとリングフィットを続けています。

世間ちまたでキツイと言われているスキルがいくつかありますが、ワイドスクワットとかマウンテンクライマーの足系はそんなにキツくないです。サイクリングのおかげか。

腕の筋肉を使うスキルは最初のころとってもキツかったですが、今はそうでもない。

今いちばんキツイのは腹筋系ですね。レッグレイズや船のポーズがかなり腹筋にくるので、頑張って回数こなせるようになりたいです。ベントオーバーが好き。

【気になったニュース】

地球が「臨界点」超える危険性、気候科学者が警鐘 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

私の実感に近いニュース。気候変動のニュースって、よく温暖化などひとつの問題だけを危惧しているけれど、そもそももっと複雑で多数の問題が臨界点に差し掛かっているのだと思う。

このニュースでは30とされているが、ほかにも人体内部の生態系とか社会構造とか、さまざまな分野で危急の事態になっている、あるいはすでに臨界点を超えていると思う。

環境破壊に関しては、現実の被害が予測モデルを上回っているし、世界は倫理ではなく既得権益でまわっている。行動経済学からして人は長期ではなく短期の利益のために動く。

この状況で「もう臨界点を超えた」ではなく「臨界点を超える危険性」なんて言えるとは、科学者もロマンチックになったものだと思う。

この報道に限らず、あらゆるニュースが現実から目を背けて一片の希望を残そうとしているように思える。

11月の自然観察日記はここまで。

自然観察それ自体は楽しいのですが、今後の方向性とか生活スタイルに大いに悩んだ今月でした…。というか今でも悩みの渦の中にいる。

自分のやっていきたい方向性がよくわからない。

体調がひどく悪いわけではなく、生活に苦慮しているわけでもない。それらはかえって上向いている実感がある。

それなのに、本を読んだり、文章を書いたり、絵を描いたりするという今までの活動に身が入らない。だからどうしていいかわからない。

まあこれは仕方ない。だって今まで10年以上やってきた生活とまったく違う環境に身を置いているのだし。すぐに切り替えられるものでもなかろう。まだ1年だ。

とにかく必要がないと判断したものを順番に削ぎ落としていくことで、最後に自分にとって必要なものがわかるのでは?という期待のもとに、生活のシンプル化を進めています。

今は、目の前にある、できることを一つずつやっていくだけですね。そのうちきっと、自分の新しいやり方が見つかるでしょう。

11月の自然観察日記はここまで。

12月はこちら。

2019年12月の道北暮らし自然観察日記
2019年12月の自然観察日記

>道北暮らし自然観察日記の一覧に戻る

投稿日2019.11.04