2019年12月の道北暮らし自然観察日記

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2019/12/02月

凍った池にキツネの足跡

いつの間にか12月になってしまった…。せっかくの冬があと3ヶ月で終わってしまう…。冬のあいだしかできないことって多いので、もっと積極的にならないと。

とか言いながら、12月に入ってからの二日間は気温が高く、雪になりきってない雨が降ってしまい、地面が溶けてひどいことに。じゃりじゃりでまともにサイクリングできない。

仕方なく、近くの公園の中を散歩していました。キツネの足跡はよく見かけるけど、人間の足跡は…、この何日か前のやつ、きっと自分のだよな(笑)

雪原の足跡は輪郭を見れば、いつごろの足跡かわかります。今日ついたばかりの足跡なら、エッジがはっきりしてて、雪片がポロポロしている。

でも時間が経ってると、上から雪が降って半分埋まってたり、エッジが溶けてまろやかな形状になってたりする。

ずっと雨まじりの雪が降ってる公園を散歩している人なんてわたし以外にはもちろん誰もいなくて、たくさんあるキツネの足跡も、時間が経っているように思えました。

こうして雪原の足跡を観察していると、昔、推理小説を書いたとき、足跡トリックを使ったのを思い出します。一度つけた足跡をもう一度後ろ向きに歩いて片道分をごまかすとか。

当時は自信満々で書いてたけど、実際に雪原歩いたら、あんなの無理だとはっきりわかりますね。机上の空論のトリックはだめだ。

公園の凍った池の上にも足跡が。一直線だから、これも多分、キツネですね。肉球跡がはっきりしているし、雪が上から積もってないのでかなり新しい。

それにしても、キツネが歩けるってことは、もうかなりしっかり凍ってる?

試しに岸にある岩を支えにして、片足を氷に降ろしてみましたが、全然割れる気配はありませんでした。だけど、さすがに全体重をあずける勇気はない。マイナス10℃くらいなら大丈夫でしょうが。

ヤマグワの冬芽

公園にあった木の中で、まだ冬芽の観察をしてなかったヤマグワの写真を撮ってみました。冬芽がちっこすぎてピントが全然合わない。

雪の輝きのせいで逆光になってしまったこともあって、はっきりディテールが撮れなかった。

葉っぱは互生なので、冬芽もジクザグについている。てっぺんの冬芽は頂芽ではなく、先の枝が落ちた後の仮頂芽でいいのかな?

図鑑によると、冬芽の根本の部分に葉痕や落枝痕がある。写真でもなんとなく映っている。形は円形か半円形。だけど、ちゃんと観察できてない。

この木は夏の間にヤマグワだとわかってたからいいけど、森でいきなり見かけて判断するのは難しそうだな…。もっと経験を積まないと。

2019/12/03火

吹雪の夜に公園を冒険する

これはいったいどこ…?

もちろん、ただのうちの近所の今日の風景。

今日明日と日本海側大荒れの天気予報ということで、別に海のそばでもないけれど、ブリザードが吹き荒れています。

ブリザードの定義は風速約14m/s以上、視界150m以下らしいけど、それくらいはあるんじゃないだろうか?

と思って調べたら、昨日は平均風速が6mくらい、最大瞬間風速は18mくらいでした。瞬間的にのみ、ブリザードっぽい吹雪だったってくらいかな。本物のブリザードには及びもつかない。

でも、目に映る風景はまるで異世界。

さすがにこの吹雪の中、車や自転車で出かけるのは無理があるので、徒歩で買い物に行きました。重装備で行ったので寒くはありませんでしたが、風上側に歩くときは顔に吹雪が打ち付けてきて、ほとんど何も見えなかったです。

足元は昨日までの暖かさのせいで(気温が高いと雪が一回溶けて氷になってしまう)凍ったわだちと、その上に降り積もった今日の粉雪のせいで、かなり不安定。表面はやわらかく、底はガタガタでした。

よく知っている近所の道だからいいものの、知らない場所だったら街の中で遭難しそう。昔の人たちはどうやって道を見つけていたのやら。

道端の溝を雪が覆って、まるでバルハン砂丘のような形になっているのを発見。バルハン砂丘と同じように、風がずっと一方向から吹き続けて、砂ならぬ雪をこんな風洞のような形状に仕上げたのだ。

夜になっても相変わらずの吹雪。サイクリングはできないので、また徒歩で近くの公園まで外出しました。こんな吹雪の中、歩きに出かける物好きはわたしぐらいのもの。誰一人見かけません。

すっかりあたり一面、粉雪で覆われた道は、まるで砂漠を歩いているかのよう。去年、「白い砂漠」をはじめて体験して、歩くときの感触にびっくりしたのを思い出しました。あれから一年経ったんだなあ。

去年に比べて進歩しているのは、防水防雪のブーツとズボンを装備していることです。去年は家の周りをただ歩き回ってるだけだったけど、今年はスノーシューなしでも雪が分厚く積もった公園に侵入できるのだ。

完全装備のおかげで吹雪の夜の公園に侵入。いつもの公園だけど、ものすごい音で木が震えている。一歩一歩、しっかり足元を確かめながら歩く。見慣れた丘が月明かりの雪原に変わっている。

いや、もしかしたら、これこそ本来の姿なのかもしれない。きっと人がここに町や公園を作る前、ここはずっと雄大な雪原や樹木生い茂る丘だったのだろう。

家のすぐ近所なのに、なんて非日常な景色なのだろう。すっかり冒険家になった気分で、公園の端へと歩き続ける。歩いても歩いても先が見えない。

公園の入り口の雪はふくらはぎくらいまで積もっていた。丘の斜面を歩いていると、風向きがはっきりわかる。

風上側の斜面は、ほとんど雪が積もっておらず、植物が見えている。しかし風下側は吹き溜まりになっていて膝丈まで積もっている。

以前読んだ本に「砂丘では風上側の斜面を歩くように」と書いてあったが、こういうことなのだ。風下側は吹き溜まりになっていて容易に崩壊しうるから。

普段よく歩いている道を一周するルートは、ほとんど街灯の光が届かない暗い場所も通る。地形を知っているから、そこそこ注意すれば普通に歩けるけれど、これが初めての道なら大変だ。

ふと立ち止まって、吹雪がマツを震わせる轟きに耳を澄ます。自分以外の誰かがいないか確かめる。誰か、というのは動物のこと。キツネくらい普通にいそうだが、足跡もない。さすがに吹雪の夜に出歩いたりはしないか。

暗闇の中に揺れたミズナラの枝が、一瞬、人影に見えて、ドキッとした。もしこんな夜中に、視界不明瞭な吹雪の中で誰かに出くわしたらホラーだ。幸い、わたし以外に、こんな日に出歩く物好きは近所には住んでいないようでよかった。

ちょっと好奇心から、いつものルートを外れて、普段行かない方向を目指して歩いてみたら、突然雪がものすごく深くなって、腰までズボズボっと沈んでしまった。

落とし穴に腰まではまるなんて体験は人生で初めてだった。よく知っている公園だからいいものの、知らない場所だったら雪の下に何が埋まっているのかわからない。

これがクレパスの穴でなくてよかった。探検家はこうやって油断して死んでしまうのだろうか。

何歩かそのまま進もうとしたけれど、ずっと雪が深いままだったので、あきらめて引き返すことにした。雪のかべをよじのぼって、もとのルートまで戻る。

暗がりを抜けて、街灯、そして町の信号の光が見えたとき、なんとなくホッとした自分に気づいて驚いた。普段はそうした人工物が大嫌いなのに。大自然の脅威を味わったあとでは、人家の明かりさえ愛おしく思うものなのだ。

そこからは街灯の明かりがあったので、また少しルートから逸れて、公園のはずれの空き地も通ってみた。夏は雑草が生えているだけの空き地だけど、冬は畏怖をかきたてる雪原に早変わりする。

ここでもまた、突然雪が深くなっている場所があって、腰まで沈んでしまった。ただ今回は明かりがあって出口もはっきりしていたので、そのまま一歩一歩気をつけて雪をかきわけて前進し続けた。

無事に道路に出たので、ちょっと遠回りして町中を散歩しつつ家に帰った。相変わらず吹雪で真っ白だった。

ちょっとした冒険をした気分になったけれど、家のすぐ近所、5分もかからない場所をぐるぐる歩いていただけ。安全な場所で、こんなに面白い体験ができるなんて。どんな遊園地よりもゲームよりも楽しかった。

うちの近所には公園だけじゃなくて、もちろん本物の山もあるけれど、さすがに家のそばで遭難しうるので、吹雪の夜に冒険はできそうもない。

2019/12/04水

スキーは目的と手段が逆転している

友人と近所のお店で昼食をとりながら談笑。山のふもとの川のそばにあるお店で、窓からシラカバの並木が見えるのがいかにも北海道らしい。

友人は栃木県出身ですが、数年前にこっちに仕事で引っ越してきた人です。でも来年、また転勤して北海道を去ることになったのでした。せっかく知り合ったのに、さみしくなります。

その友人と、こちらでの生活で印象に残った点について色々と会話したのですが、話題に上ったひとつがスキー。スキー場が近くにあるけれど、あまり滑らなかったとのこと。

本州にあるような広大なスキー場だと、さまざまなコースがあって楽しめるのに、こちらのスキー場はどれも狭くて飽きてしまうと話していました。

わたしは残念ながら、まだスキーが滑れないので、大口を叩ける立場にありませんが、それでも同意したくなりました。

スキーやボード好きな地元の人たちは、パウダースノーの滑り心地が楽しいのだと話します。たぶんすばらしい快感なんでしょう。だけど、同じところを繰り返し滑るだけで楽しさが保つようには思えないんです。

比較するのは変かもしれませんが、昔、ゲームのマリオカートを遊んでいて、同じコースを周回する退屈さを感じたことがあります。

もっと脇道に入りたい、複雑なルートを探検したい、という気持ちが満たされないからです。そうした欲求が満たされるブレスオブザワイルドみたいなゲームは心底楽しいものでした。

娯楽としてのスキーも、これと同じ窮屈さを感じます。わたしが感じている窮屈さを、友人にはうまく伝えられませんでしたが、今さっき、これを一言で表現できることに気づきました。

「目的と手段の逆転」です。

わたしはサイクリングやスノーシューが好きですが、それは単に自転車に乗ることや歩くことが好きだからではありません。

それを使って、どこにでも行けるから楽しいんです。自転車やスノーシューはあくまでも移動手段です。

もし決められたコースしか行けなかったら、なんとつまらないことでしょう。そうではなく、自転車でどこでも走っていけて、自転車で入れない場所はスノーシューで入っていけるから楽しいんです。

スキーもそれ自体が楽しむ目的ではなく、あくまで移動の手段であれば、なんと楽しいことか、と思います。

わたしが昔、お世話になったおばあちゃんは樺太出身でしたが、スキーでシラカバの木立を駆け抜けながら学校に通っていたといいます。

名寄市に「スキー競技発祥の地」の立て札があるのですが、それによると、当初は、冬の郵便配達などに便利だからと導入されたそうです。スキーはもともと娯楽ではなく移動手段でした。

今でも、冬山を踏破する人たちは、山スキーを活用して道なき道を滑走したりします。舗装された道路がない降雪地帯を探索するのに、スキーの技術はうってつけでしょう。

わたしも、そのようにスキーなら、ぜひ学びたいしやってみたいとおもいます。このあたりだと、スキー場以外でも、友達の牧草地で滑ったりする人もいるらしいので、現実的かも。

わたしにとって大事なのは、あそこにある木はなんだろうと近づいて自然観察し、星空を眺める絶好のスポットを探し、あの丘の上からどんな景色が見えるのだろう、と感じたときにそこまで行けるかどうかなのです。

決められた箱庭やコースの中だけで楽しむのではなく、行ってみたいと思った場所にどこでも行けること。

自転車にしてもスノーシューにしてもスキーにしても、本来、便利な移動手段であるものなのに、それ自体が、娯楽という目的になってしまうのはつまらないです。

2019/12/05木

ビーグル号航海記(上)を読み終える

先月からずっと格闘していたダーウィンのビーグル号航海記の上巻をやっと読み終えました。

オリヴァー・サックスが著書で絶賛していたし、わたしはダーウィンに興味があるので、ぜひ読んでみたいと思っていたのでした。

ところがいざ読み始めると、難解でまったく読み進められない。ダーウィンの博物学的知識が広すぎるんです。知らないこと、思い描けないことが次々に出てくるものだから、数ページ読んでは疲れてしまうありさまでした。

そこで、もうわからないところはわからないと割り切って、ななめ読みすることにしました。上巻だけでも500ページもの大作なので、それくらいの思い切りが必要でした。

理解しにくい細部にこだわらず、ささっと読み進めるようになると、ダーウィンと足並み揃えて旅行しているような気分になり、どんどんのめりこみました。

上巻では、おもにブラジルからマゼラン海峡あたりまでの、南アメリカ大陸の東側の様子が書かれています。それぞれの土地の文化、地相、虫、植物、動物など。博物学ぶりがいかんなく発揮されます。

印象に残ったのは、ダーウィンの感受性でしょうか。たびたび虫や動物に感情移入しては、人々の扱いに嘆いています。また各地の文化の残酷な側面についても心を痛めています。

といっても、ダーウィン自身、博物学者として動物を殺したり標本にしたり解剖したりすることには抵抗はなさそうでした。あくまで、人であれ動物であれ、生きたまま苦しめるようなやり方に抵抗を感じるようです。

わたしはこれまでダーウィンは生物学者だと考えていましたが、ビーグル号航海記では、地質学者また昆虫学者としての側面のほうが色濃く出ていると感じます。

どこの地に行っても、大地の岩石の特徴を観察して、その土地のなりたちを推理するのがダーウィンの常でした。ここに至って、なぜダーウィンが進化論を思いついたのかがよくわかりました。

ダーウィンはどの大地でも、奇妙な特徴を見つけたとき、悠久の時間の観点から広くとらえようとします。かつてはここは海の中だったのかもしれない、はかり知れぬ年月をかけて地盤が隆起し沈下したのだろうと。

悠久の時をもってすれば、今、自分たちが見ているありさまとはまったく異なる大地の姿が移ろい変わっていくことも可能だ、という発想を生物に当てはめたとき、それは進化と呼ばれるのでしょう。

インディオやフエゴ族など先住民に関する記述は、ところどころ読んでいて不快な表現も出てきます。非文明的であるとか下等であるとか、ひどく見下すような言い方です。

それでも、上下巻合わせて読むと、おそらくダーウィンは当時の人にしては、かなりバランスのとれた広い考え方をしていただろうということもわかります。

どんな民族が相手でも誠意を尽くして接そうとしていますし、良いところを見つけたらそこも記述しています。

ただ、当時の大英帝国の価値観のもとで育ったダーウィンは、先進国としての尊大さに、深いところで影響されていたということでしょう。

それに、わたしがこう書けるのは、実際に現地に行っていないからです。本当に現地人と交流し、その破天荒な暮らしぶりを目にしたら、ダーウィンのように唖然とするだろうに決まってます。

ビーグル号航海記の感想はまた別記事にまとめるので、とりあえず、メモ程度までに。

2019/12/06金

ビーグル号航海記(下)も読み終わる

昨日に次いで、気持ちが乗っていたので、ビーグル号航海記の下巻も読み終えることができました。

読み終わった一言目に言いたいのは、上巻より下巻のほうが読んでいてはるかに楽しかったということです。

上巻は、人や動物の残酷な扱いに関する不満や、先住民に対する複雑な感情の話題が多かったですが、下巻は、純粋に大自然を楽しんでいて、ダーウィンが生き生きとしています。

下巻で扱われているのは、南アメリカ大陸の西側、つまりチリから、ガラパゴス諸島、太平洋を超えてニュージーランドやオーストラリアなどの話題で、内容も変化に富んでいます。

上巻では人々の暮らしぶりの惨めさに困惑していたダーウィンでしたが、下巻で出会う人々にはかなり好印象を持っていたらしき記述も多いです。

何より、アンデス山脈など、各地の大自然を探検して、山に登ったり、ジャングルを踏破したりしながら、崇敬さを覚えるような風景に感動している描写が繰り返し出てきてすがすがしいです。

概して、上巻はいくらかネガティブ寄り、下巻はポジティブ寄りな印象を受けて、下巻のほうが楽しめました。

全体的にやはり地質学的な推理が多く、有名なサンゴ礁の考察にかなりの紙幅を割いてもいます。しかし、動物や植物の話題も多彩で、理解しにくい部分はやはりあれど、読んでいて飽きません。

特に印象に残ったのは、結びに旅を振り返っている部分で、自分にとって世界一周旅行がどれほど楽しかったか、博物学を志す者へのすすめが熱く語られています。

世界のあらゆる場所で主に見られるのは植物であるから、まず最低限、植物については詳しくないと旅を楽しむのは難しい、というアドバイスもありました。わたしも引き続き学んでいきたいです。

ダーウィンの晩年の慢性疲労症候群については、訳者が脚注で、旅行中にかかったと思われる寄生虫のシャーガス病によるのではないか、と書いていました。十分ありえることに思えます。

慢性疲労症候群の多くは、何かしらのウイルスの潜伏感染や、腸内細菌の撹乱がもたらす免疫異常が関係していると思っているので、中には細菌や寄生虫が発端となっているケースもあるでしょう。

しかし、免疫系は他のストレスやトラウマなどの影響も受け、幼少期の生育環境によって変化したりもするので、単純にそれだけが原因だとは決めつけられないでしょう。

むしろ、もともと生い立ち中のストレスやトラウマによって形成された免疫系や腸内細菌の弱さのようなものがあり、そこへ感染などの外的要因が合わさって発症する、といった複合的要因があるのではないかと思います。

あまり科学的根拠のない感想を言わせてもらうと、ビーグル号航海記を読むと、ダーウィンが晩年、慢性疲労症候群になってしまったのはさもありなん、と思えてしまうのです。

ダーウィンは好奇心に導かれて世界中を冒険し、探検することが何よりも喜びだという人間でした。それなのに、種の起源の出版以降は学問の論争に閉じ込められ、あちこちから批判され、がんじがらめにされました。

嵐の海や、南米のジャングルで自然観察するのを喜びとする人が、そんな窮屈な世界に閉じ込められてしまったら、慢性疲労症候群になってしまうのも当然だと、わたしには思えてしまいました。

シャーガス病がどうかを抜きにして考えたとしても、誰だってそうなるでしょう。

わたしにしても、今ある程度大自然を探検できる環境にいるからそこそこ元気なのであって、都会に閉じ込められたら、以前の体調に逆戻りです。

嵐の海に輝くセントエルモの火、太古の南アメリカ大陸を闊歩していた巨大哺乳類の化石、ポリプのような合体生物、馬の肩まで波にさらされるような道のり、枝がからまりあって地面が浮いているジャングル、馬が埋まって進めなくなるような積雪、竜巻のようなイナゴの群れ、ガラパゴス諸島の原始の無垢のゾウガメや鳥、各地で出会った恐ろしくも魅力的な民族たち。

ビーグル号航海記は冒険と発見で満ちあふれていました。わたしはそこまで大胆な冒険ができる立場にいないけれど、ぜひその片鱗でも体験していきたいです。

2019/12/07土

根深い症状が改善していることに気づく

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざどおり、しんどかったころのことって、良くなってしまえば、めったに思い出さないものです。

人間は今を生きるように造られているからそれはいいことです。過去の苦しみの記憶にとらわれて抜け出せなくなってしまうのがトラウマですから、忘れるのは正常です。

でも、かつての自分の状況を忘れてしまうと、いかに自分の体調が良くなったかも気づけなくなってしまいます。だから、ふと思い出したこの機会に書いておきます。

去年、引っ越してきたころのわたしは、道北の自然のただ中にいると、体調がかなり楽になったものの、どうしても改善しない症状がいくつかありました。

ひとつは、両足の太もものあたりの重だるい麻痺です。両足が鉛のように動かない感覚が、たびたび現れました。また、体の中の異物感にも長年、悩まされてきました。

この2つは、引越し後も改善の気配がありませんでした。わたしのトラウマ的な身体記憶の、かなり根深いものだったと思います。

足の麻痺は、かつて逃げたい状況から逃げられなかった無力感が保存されていたものでしょう。体の異物感は、おそらく内蔵や筋肉のいびつな過緊張が部分的に記憶されていたものかと思います。

それらはずっと改善しないものと思っていたんですが、最近、ふと、ほとんど気にならなくなっていることに気づきました。

いずれも、たまーに復活します。そのときに「ああ、そういえば、以前はこの症状にずっと苦しめられていたんだっけ」と気づくわけです。

よくよく考えてみれば、以前は、四六時中それに苦しめられていたはずです。ところが今では、たまに思い出すかのように現れる程度。明らかに改善しています。

自分の体調に注目していると、どうしても、常に、「今できていないこと」「今しんどいこと」という不満点にとらわれがちです。生きている限り悩みはなくなりません。

たとえば今だと、普通の人ほどの体力はなく、疲れると昼寝してしまうこと。やっぱり自分は体力ないなーと思い知らされます。

だけど、その裏で、いつの間にか消え去ってしまい、改善したことにすら気づいていない症状ってけっこうあるものなのです。

それを、たまたま思い返したこういう機会に意識的に記録することで、着実に良くなっていることを実感できます。

以前は寝ても覚めても続いていたあの症状が、今では日々の合間に感じるくらいの頻度に低下していることを。

化学物質過敏症やアトピーの転地療法で症状が改善した、と実感するのは、だいたい一年半くらい経ってからだと聞きます。わたしも今で一年少し。

初期の劇的な改善以降の歩みは遅々としていますが、それでも着実に変化していっていることを感じたのでした。

2019/12/08日

ホワイトアウトの中を自動車で走る

地元のイベントで、冬の雪山の森の中をスノーシューで探検する会があったので、自前のスノーシューを持って参加してきました。

詳しい話は別記事に書こうかと思いますが、とても新鮮で楽しかった。わたし一人だと、どうしても山奥まで侵入することがはばかられて、近くの公園の散歩とかになりがちなので。

今日は、ものすごい吹雪で、名寄市でホワイトアウトして、12台が玉突き事故を起こしたというニュースがあったほど。

ちょうどその時間帯に、わたしもイベントに参加すべく、ホワイトアウト気味な国道を疾走していたので、後でニュースを知って背筋が寒くなりました。

免許取ってからまだ一年も経ってない初心者マークで、ホワイトアウトを走らなきゃいけないんだから過酷だ。昨冬に、教習所でこういうときの対処法を教えてもらっていたのが役立った。

まず、視界が悪いときはハザードつけながら走ること。今日もすれ違った対向車の二台に一台くらいがハザード点灯していました。

対向車がハザードつけてるってことは、これからいく道がホワイトアウトしているという意味なので、身構えました。危険だからといって、引き返したり止まったりできる道ではなかったので。

現に、例の玉突き事故は、前の車が停止していたせいでぶつかったみたいなので、ホワイトアウトのときは、止まってしまうのは危険です。低速でハザードつけて走るのがいい。

また、教習所では「電柱と矢羽根が見えているうちは大丈夫」という心構えを教わったし、実際にそんな道を教習のときに走ったこともあります。

だから、ホワイトアウトっぽい道路でも、パニックになったり慌てたりせずにすんだ。練習したことがある、っていう自信は尊い。ほんと、いったいどんな秘境の教習所なんだここは。

国道では、左右が田んぼで吹きさらし状態のところは吹雪がきつくてホワイトアウト気味でしたが、矢羽根と轍(わだち)に集中して走ることで、比較的安全に走れたと思います。

だけど、今思えば、これも運が絡むとしか言えない。

恐ろしい話なんですが、わたしの前を走ってた車が二台いて、先頭の車はゆっくり走ってたんですが、二番目の車はそれを追い抜かしていったんですよ。

しかもホワイトアウトしてる上り坂で。思わず「いや、あほか!」と運転しながら叫びましたとも。

たぶん地元の車じゃないと思うんです。いつも走っている人ならあそこがゆるい上り坂だと知っているから。

ところが、走り慣れてない人だったから、ホワイトアウト気味で先のほうが見えず、上り坂だと気づかずに抜かしたんじゃないかな。あれで対向車が着てたら正面衝突。

ああいう意味不明な車がいたら、いくらこっちが気をつけてても限度がありますよね。ホワイトアウトの日は外出しないのが一番です…。

マイナス15℃でも寒くない

今冬一番冷え込んだ日でした。最低気温はマイナス15℃から16℃くらい。

夜中にサイクリングをしたとき、町中に設置してある温度計が、マイナス14.6℃を指していました。

去年、初めての冬にサイクリングしていたときは、マイナス二桁に乗ると、怖くて外出を躊躇したものです。

しかし意を決して重装備で外出すると、意外とマイナス二桁でもサイクリングできることがわかりました。いやむしろ、マイナス二桁になったほうが路面が安定してすばらしく走りやすいことを発見しました。

それで、冬中ずっと、サイクリングし続けました。自動車学校のストレス発散がてら、一日に5km以上走り回ることもざらでした。

最初、マイナス5℃で走ったとき、これ以上寒くなったら無理だろう、と思いました。でもマイナス10℃に挑戦してみるといけました。

マイナス10℃を走れたときは、マイナス15℃になるときっと無理だろう、と思いました。でも挑戦してみると、案外大丈夫でした。

去年走った最低気温はマイナス21℃くらいだったかと思います。さすがにそのときは厳かに張り詰めているような空気に気圧されて、町内を一周するだけで引き上げてきました。

だけど、道北は、冷え込む時はマイナス30℃まで下がる土地。旭川や朱鞠内ではマイナス40℃以下を記録したこともある。もっと寒さに強くなることが必要でした。

そして、今年、二回目の冬。今日初めて、マイナス二桁の夜をサイクリングしました。

気づいたのは「あれ? 去年みたいに寒くないぞ」ということ。

昨年は、マイナス10℃以下を走るときは、鼻があまりに寒かったので、バイクに乗る人がつけるようなマスクを必ず装着していました。それなしではとても走れませんでした。

ところが、今日は、マスクなしでも大丈夫でした。家を出てすぐこそ、冷たいと感じましたが、すぐ慣れて汗ばんできたくらいです。

何が変わったのか。寒さに慣れたとか、筋肉量が増えたとか言いたいところですが、多分違います。服装が賢くなったんです。

去年は、都会に住んでいたころの名残で、上下にフリースとダウンのコートを着込んで、ブーツを履いて、という出で立ちでした。

しかし、今年は、夏頃から、mont-bellに通って、極寒地対応のインナーウェアなどを買い揃えていました。

今のわたしの服装はこう。

mont-bellの厚手のスーパーメリノウールのインナーを二枚重ねで着る。その上に風を通さないゴアテックスのレインウェア。これが基本。

あとは、気温に合わせて、中にフリースをはさんだりして調整。首周りにタオルを巻いておくと、保温や吸汗になっていい感じ。

注意点として、このゴアテックスのレインウェアは夏用です。冬用の温かいのも売ってますが、今のところ夏用で十分です。

ゴアテックスは風よけ雨よけ目的だけにして、保温性は中に着るもので調整するほうがいい。気温に合わせて適宜調整しないと蒸れたり汗をかいたりして、かえって体が冷えるから。

この服装をするようになってからは、全然寒くなくなりました。今日もマイナス二桁の雪山を三時間くらい歩いたけれど、全然問題なかった。

確かに筋肉がついたのはあると思う。特に下半身。みんなが辛い辛いと言う筋トレのマウンテンクライマーが苦にならないくらいには。

だけど、上半身や腕の筋肉は貧弱だし、まだまだ普通の若者ほど体力はないので、やっぱり着てるもののおかげなのだと思います。

昨冬は、寝ている間に冷えて朝起きると肩がこわばって痛くなっていることがよくありましたが、今年はmont-bellのインナーをパジャマ代わりにしているおかげで、ぬっくぬくです。調べてみたら、同類けっこういました(笑)

もちろん、この服装は値段が高い。だけど、マイナス二桁の地域の住んでいると、服選びは、日々の体調のコンディションに直結するからケチるわけにはいきません。必要な投資だと割り切る。

ともあれ、勝負はまだこれからです。まだたったマイナス15℃ですよ。ここからさらに15℃は下がるんです。マイナス30℃を制してこそ、道北の住人として一人前になったといえるでしょう。

2019/12/11水

トチノキの巨大な冬芽

公園を散歩しているときに見つけた、巨大な冬芽。ミズナラやサクラの冬芽は小指の爪の先ほどの大きさですが、これは親指より太いくらい。とにかく大きい、そして粘っこい。

なんだろう?と思いましたが夏の記憶を手繰り寄せて、ここにあったのはトチノキだったと思い当たりました。秋には地面にたくさん栃の実が落ちていました。

今まで見た一番大きな冬芽といえばオニグルミ。オニグルミといえばたくさんの小さな葉っぱがひとつの大きな葉を構成している複葉。トチノキも複葉。

あれだけ大きな1セットの葉を収めているから、こんなに冬芽が大きいのかな。

写真にも映っていますが、冬芽のすぐ下に大きな半月型の葉痕があります。維管束痕は5つだろうか。ここに大きな葉っぱがついていた証拠です。

家に帰って調べてみたら、やっぱりトチノキで合っていました。樹脂で粘り気がある大きな冬芽でとてもわかりやすいとのことでした。オニグルミの冬芽と同じく、一度見たらもう忘れません。

それだけでなく、この冬芽は花芽でもあるそうで、春にはあの手のひらのような葉と大きな花が一緒にここから出てくるそうです。道理で大きいはずだ。

公園にはほかにも、すっかりカラカラになったマユミの実がありました。秋に観察したからマユミだとわかるけど、今見たら、殻の独特の桃色がもうないから、なんだかわからない。

色からすると、一見、近縁のツルウメモドキ(殻が橙色)のようにも見えますが、殻の数を数えてみたら、4つに分かれていました。

3つに分かれるのがツルウメモドキ、4つがマユミ、5つがツリバナ。確かにこれはマユミです。

ほかにもズミらしき実がたくさんなっていましたが、もう黒ずんでしぼんできていました。いよいよ冬らしくなりつつあります。

レイチェル・カーソンの伝記を読み終える

前々から読み進めていたレイチェル・カーソンの伝記のうち、一冊を読み終えました。まだ前回のダーウィンの伝記もまとめていないし、ほかにやることが山積みで辛い。だけど簡単に感想メモ。

レイチェル・カーソンというと「沈黙の春」の印象が強いですが、本当は自然保護活動家ではなく、もともと自然好きだったロマンチックな作家さんです。

子どものころは山と森に囲まれて暮らし、ビアトリクス・ポターの絵本を愛読し、自然に親しみましたが、一度は海を見たいとずっとあこがれていました。

作家としての文才があって戦記物の作文が雑誌に掲載されたりもしましたが、成績がものすごくよかったこともあって、科学者の道を歩み、海洋生物学者になりました。

そのかたわら、作家としての夢も捨てず、文学的な科学エッセイという新たな分野を切り開きました。

だから、レイチェル・カーソンの本当の代表作は、「潮風のもとに」「われらをめぐる海」「海辺」などの科学エッセイなのです。

しかし、彼女がただの科学エッセイ作家で居続けることを時代が許しませんでした。科学者だった彼女は一般の人たちがまだまったく知らない環境破壊の事実を知ることになり、それを明らかにできるのは自分しかないという使命感を抱くようになりました。

こうして、歴史を変える本「沈黙の春」が執筆されましたが、それは化学薬品業界と真っ向から戦争をするようなものでした。もともと体の弱かった彼女にとって心労は相当だったでしょう。

わたしも沈黙の春を読んだことがありますが、あまりレイチェル・カーソンらしさが出ている本ではなかったと思います。自由にのびのび書いた本ではなく、まさに戦いのためにガチガチに防備を固められた本でした。

だから、遺作である「センス・オブ・ワンダー」を読んだとき、レイチェル・カーソンのイメージが変わったものです。環境保護運動の女神から、自然好きで感受性豊かな物柔らかな人へと。

彼女の本当の人となりが出ているだろう先の三冊は、まだ読んでいないので、今後ぜひ読んでみたいところです。

わたしが今回の本で印象に残ったのは、彼女が「沈黙の春」を書いた1962年には、まだ「環境破壊」という概念は知られておらず、その認識さえなかったということ。

それまではたかが人間が、地球を破壊できるなんて、誰も思っていなかったようです。もし「沈黙の春」がなければ、環境破壊に気づくのが数年か十数年遅れたかもしれないとも。

今では、誰もが環境破壊のことを知っていて、世界中で若者たちがデモに参加し、それ意外の人々も異常気象の脅威にさらされていることを思うと隔世の感があります。

レイチェル・カーソンは、その際立った感受性ゆえに、炭鉱のカナリアとしていち早く警告を発しましたが、鈍感な大多数の人たちは警告を無視して突き進み、もはや人類はポイント・オブ・ノーリターンを越えてしまったと思えてなりません。

2019/12/15日

北海道で相次ぐ地震だけどここは無事

ここ数日、北海道で地震が相次いでいます。道北の最北端の豊富町や幌延町で震度5弱、そして道南のほうで震度3。

道北の豊富町はけっこう近いので、びっくりしました。震源地の浅い局地的な地震だったので、うちは特に何の揺れもありませんでしたが。道南のほうは全然知らない地名なのでわかりません。

もともとわたしが住んでいるあたりは、日本では珍しく地震がめったにない地域です。ひずみがたまっている地震空白地帯というわけでもなく、そもそも歴史上地震があったという記録がほとんどないらしい。

だから、地震に関してはそんなに心配していませんが、この異常気象。何が起こっても不思議ではありません。一番心配なのは夏の山火事かな。去年も雄武町で燃えてたし。

でも、災害という意味では比較的少ない場所です。先日、温泉に行った時、地元の年配者の方たちが、

「お金も家もあってもなんもならん。寿命で死んでしまったら終わり」「でも内地のほうは大変だってね、家みんななくなってしまって」「家なくなったらここに引っ越してきたらいいのに」

なんて会話をしていたくらいには平和です。「こんな災害の少ない地域に災害が起こるようになったら世も末」なんて言う人も。

だけど、そもそも毎冬、豪雪が降ったり、マイナス30℃になったり、ホワイトアウトしたりしている時点で、他の地域からしたら災害レベルな気がしなくもないですが、そこをツッコんだら負けです。

【気になったニュース】

慢性疲労症候群のニュースがあったので、一応メモ。

神戸新聞NEXT|医療ニュース|激しい倦怠感や痛み継続「慢性疲労症候群」の薬開発へ

慢性疲労症候群の診断に有用な血中バイオマーカーを発見-三重大ほか – QLifePro 医療ニュース

だけど、正直いって、もうどうでもいいというか、当事者意識がひどく薄れてしまったので、記事にしようという気さえ起きないのが本音。

2019/12/16月

ハルニレとズミの小さな冬芽

先日はトチノキの巨大な冬芽を発見しましたが、今日見かけたのは、ハルニレとズミの小さな冬芽でした。

まずハルニレの冬芽。写真だと大きく見えますが、実物は本当に小さい。今まで見た冬芽で一番小さいかもしれない。ピント合わせに苦労しました。

冬芽の形はサクラとかミズナラに近い。いわゆる長卵形というやつ。

小さすぎて見つけるのにちょっと苦労しましたが、写真に撮ったように、芽の下に葉痕があります。維管束痕は3つ。

引っ越して来て樹木観察を始めたころ、あまりに初心者すぎて、最初、ハルニレとミズナラの区別に迷いました。葉がギザギザという点しか見ていなかったから。

だけど、今となっては、葉の付き方が全然違うなーと思います。それは冬芽を見たら一目瞭然。ミズナラは枝先に芽が集まっていますが、ハルニレはジグザグについている。それは夏の葉の付き方そのものでした。

近くにあった別の木は、この前も見かけたズミ。ズミはまださくらんぼみたいな実が残っているので見分けやすいです。赤色だった実は黒くなってしなびています。

ズミの冬芽も探してみましたが、ものすごく小さい! サクラの仲間のバラ科だから、そこそこ大きいのかなと思っていたので意外でした。

葉痕もちょっと探した限りではよくわからず。帰宅後調べてみたら、厚みの薄い三日月型の葉痕が飛び出しているという、ちょっ変則的な形らしいです。また今度観察してみよう。

ここ数日、友人たちに送る年末恒例の手紙を準備していてものすごく忙しいです。ネット上の活動やSNSを縮小しましたが、やっぱり正解だったと思っています。

結局、大事なのは、じかに知り合っているリアルの友人関係であり、その維持のためには時間も労力もいります。ネット上の関係は上辺だけで深みがなく役に立ちません。

時間と体力は限られていますから、重要なことを取捨選択して、エネルギーを振り分けていかないといけないと痛感します。

2019/12/19金

家のすぐ近くにオオウバユリとイケマ発見

大自然のただ中に住んでいる、とは言っても、住んでいるのはあくまで小さな町のはずれ。

まわりを自動車が通るし、整備もされているので、家の周りは外来種ばかりだと思っていました。夏の自然観察も、家から最低5分くらいかけて森に出かけていました。

ところが今日、自転車でわずか1分のところに、オオウバユリを見つけました。こんな近くにあったのか!

もうすっかり種はこぼれ落ちてしまって、すっからかんのパックンフラワーですが、なかなか立派なオオウバユリ。近辺を見回すと、かなりの本数が群生していたので、来年も花が咲くでしょう。

そのまわりには、ミズナラなどの樹木や、イタドリやエゾニュウの枯れた茎が背丈以上の高さまで立ち並んでいましたが、見慣れないツル植物が絡みついていました。なんだろう?

どうやら、なにか紡錘型の種が弾けた後のようです。でも、こんな形の種ができるツル植物なんて知りません。

仕方ないので、写真を撮って帰って、ダメもとでGoogle Lens先生に聞いてみました。すると、「ガガイモ」ではないかと出た。

このあたりでガガイモといえば、「イケマ」です。アイヌ語で「それ(神を指す婉曲表現)の足」を意味する名前。検索してみたら、やっぱりそうだった!

イケマは夏場に見ましたが、これも森の中に行かないとないものだと思っていました。こんな家の近所にあったのか。

もっと観察したいところでしたが、実は、今日わたしがここに来たのは、遠方の友達とスカイプで話すのに、景色を見せてあげようと思ったから。

いざ会話がはじまると、なんと1時間以上話しこんでしまい、その間ずっと、わたしは氷点下の雪の中にいました。

防寒着を着込んでいるとはいえ、話し終わったらすっかり体が冷えてしまっていたので、慌てて家の帰りました。冬至が近くて、短い日が暮れかけていましたし。

またこんど、改めてここを訪れて、じっくり色々観察してみようと思いました。なんといっても、自転車で1分の近場なんですから。

2019/12/20金

ナナカマドの冬芽を知る

家の真ん前にたくさん生えているナナカマド。だけど、ナナカマドだしなーと言って、まともに観察していなかったナナカマド。

今朝、早朝に散歩にでかけたとき、雪に覆われた公園で、赤い実がまばらになっている木を見つけました。なんだろう、と思って冬芽を調べました。

赤い唐辛子みたいな形の冬芽。芽鱗は大きくて3枚くらいか。冬芽の下に葉痕があって、維管束痕は5つ。と、冬芽観察のセオリーをおさえました。

すぐ周りの地面には、ハリギリのトゲトゲの幼木が何本も、魔法使いの杖のように刺さっていました。かといって、この木がハリギリの親木というわけでもありません。

帰宅してから調べたら、なんのことはない、どこにでもあるナナカマドじゃないですか! いつでも見れると思って、今までちゃんと観察していなかったナナカマド。

ナナカマドというと、雪が降っても赤い実がたわわなイメージがあったので、まばらな実だと結びつかなかったようです。

でも、冬が進むにつれて毒素が抜けるので、小鳥たちがついばんで食べ始めます。

だから、数が少なくなるのは当然なのに。というか昨日、街路樹のナナカマドの実がだいぶ少なくなったと会話してたのに。

まだまだ自然観察駆け出しすぎますね…(笑)

まぶたのけいれん、乾燥、積雪不足

数日前から、まぶたのけいれんが現れて、なかなか治ってくれません。昔から目が弱いので、疲れたり、刺激が多すぎたりするとけいれんしがちです。

そういえば、去年も、この時期けいれんが治らなかったんでした。原因は十中八九、雪のまぶしさでしょう。

わたしは明るさ過敏なので、夏はもちろん、雪の中を歩く冬はなおのことサングラス必須です。でも、サングラス越しでも雪の降り始めは目に刺激が強すぎるのでしょう。

もう一つ、夜中の乾燥がひどくて、朝起きるとのどがカラカラになっている問題がありました。うちはFF式ストーブなので、エアコンと同じく、部屋の中が乾燥してしまいます。

いよいよ本格的な冬がやってきて、朝方マイナス二桁まで冷え込むと、ストーブが稼働しぱなっしになるので、乾燥もひどいようです。

前から使っている気化式の加湿器では加湿能力が足りず、濡れバスタオルとか色々試したあげく、仕方なく強力なスチーム式を購入しました。電気代が高くなるから二の足を踏んでいたのだけど。

使ってみたら、さすがはスチーム式、タイマーをセットして未明に起動するだけで、すっかりのどは潤いを取り戻しました。睡眠の質も改善されて、朝起きるのが楽になりました。

ここに引っ越してきて、体調がよくなっているといっても、元来の虚弱体質、こまめにケアしたり、生活環境を整えたりするのは大事だな、と改めて思いました。

【気になったニュース】

北海道 異例の雪の少なさ(浜崎慎二) – 個人 – Yahoo!ニュース

昨日のニュースですが、北海道でも、異例の積雪の少なさとのこと。記事でも書かれていますが、降る量が少ないのではなく、溶ける量が多いせいです。

ここ道北でも例外ではなく、家の近所のスキー場が、この前の雨で雪融けして禿げてしまいました。

大部分が雪で覆われているだけ、本州などの雪不足スキー場よりましですが、それでもこんなに積雪が少ないのは珍しいようです。スノーシューなしで公園を簡単に歩けるくらい少ない。

深層意識で記にしてしまっているのか、温暖化のせいでうちの町に雪が降らなくなる、というタイムリーな悪夢を見てしまったほど。

さっきのニュースの写真に載っている札幌市内の写真は、わたしが見た悪夢そのものです。うちの町がこんなアスファルト丸出しの冬になってしまったら耐えられない。

先日の雨のときは、地元育ちの年配の人が、「12月に雨が降るなんて信じられない。今までなかったことだ」と言っていました。異常気象と温暖化のせいでしょうか…。

今年はこれから寒くなって雪も積もってくるようですが、わたしが見た悪夢が近い将来、現実にならないことを祈るばかりです。

2019/12/22日

冬至の日に星空観察

今日は冬至、一年で最も短い日だったので、暗くなるのも早い、ということで、冬の星空を見に行きました。

家の前でもかなり見えますが、せっかくなら、と山の上のほうまでドライブしましたが、残念なことに曇ってしまって何も見えませんでした。

あれ?さっき家の前では晴れていたのに、とふもとに帰ってくると、やはり晴れています。たった1kmも離れていないかという距離なのに、山の上は雲につつまれているのです。

仕方なく、満天の星空はあきらめて、町の公園の中から夜空を見上げてみることにしました。

都会に比べたら、確かによく見えるけれど、ちょっと明るすぎて物足りないですね。それに、やはり冬だから、積もった雪が光を反射して、夜空が明るくなってしまいます。

でも、有名な星はそこそこ見えています。中央少し右に、固まって光るプレアデス星団(すばる)、その垂直下方向に牡牛座のアルデバラン。

中央少し左に映っているのは、五角形のぎょしゃ座で、一番明るいのがカペラですね。上のほうにあるのはペルセウス座。

冬至の日に日が暮れてすぐに見に行ってしまったので、冬の代表的な星座であるオリオン座はまだ登ってきていません。

自分で言うのも変ですが、わたしが星座や星の名前がわかるようになる時が来ようとは…。環境の力というのは本当に大きいものです。

2019/12/23月

氷爆を見に行くが沢に阻まれる

最近、この近くで氷爆、つまり凍った滝がふつうに見れると聞いきました。

一度も見たことがなく、ぜひ見てみたいと思ったので、夏場に川を遡行して見た滝の場所に、スノーシューで行ってみることにしました。

家のすぐ近所ですが、途中から道がないので、スノーシューで森の中を歩かなければなりません。冬だから道がないというより、夏も道がなくて川を遡行したので似たようなものです。

氷が浮いている川は澄み切っていて、川床の色とりどりの小石が光り輝いていました。

森の手前には、川から流れてくる水を利用した小さな農業用溜池がありました。そこも表面に氷が張っていて、ちらほらと雪が降り積もって、面白いモザイク模様になっていました。

しばらく川沿いに歩いて、それから森の中に入っていきました。しかし、困ったことに、森に入ってすぐ、川から枝分かれしている沢に出くわしてしまいました。

ストックでつついてみましたが、雪の下にそこそこ広い範囲で広がっている様子。水は凍っていなかったので、ジャンプして飛び越えるのは無謀に感じました。

周辺の地面も不安定だったし、ちょっと日が落ちてきたしで、今回はあきらめることに。次回違うルートから挑戦してみます。

まだ川がすっかり凍るほど冷え込んでないので、もっと寒くなってからのほうがいいかも。冬至を過ぎたばかりで日が短いので、早い時間帯のほうがいいですね。

帰り道で、見たことのない冬芽を発見。とても特徴的な形で、ナナカマドにも似ていますが…うーん、シウリザクラかなぁ? ちゃんと調べてみないとわかりません。

右巻き・左巻き問題のイケマの種を飛ばす

川からの帰りがてら、この前、オオウバユリとイケマを見かけた道に寄ってみました。

改めて眺めてみると、とんでもない量のイケマが茂っていました。なんで気づかなかったんだろう。

まず、一帯に茂っているのは、ほとんどがイタドリでした。そのイタドリの硬い竹のような茎に、ツル植物のイケマが盛んに巻き付いていて、高い場所で種をつけていました。

トウモロコシの高い茎に巻き付いて実をつけるエンドウマメさながらの見事な共生関係。自然界にはこういった例がよくあるのでしょう。

イケマの巻き付き方は、すべて同じ方向で、いわゆるZ巻きでした。Z巻きというのは、横から見たときの巻き付き方がZの文字の真ん中と同じく「/」になっているもの。

反対語はS巻きで、横から見たとき、Sの文字の真ん中と同じく「\」になっているもの。

たとえば、ネジバナは両方が半々の確率でありますが、イケマはZ、ヘクソカズラはSだそうです。

右巻き左巻きで説明しているのが多いので、最初のころはそれで覚えようとしていましたが、上から見た場合なのか、下から見た場合なのかで真逆なので、混乱しがちです。

右巻きは横から見たとき「ミ」の字(つまりS巻き)、という説明もあって一度はそれで納得したんですが、国際的には定義が逆らしいです。ややこしすぎる。

だから、SかZかで区別して、「ミ」とは逆のほうが右巻きだと覚えるしかなさそうです…。つまり、Zが右巻き、Sが左巻きですが、図鑑によって定義は違うので実物を見るのが一番。

さて、そのZ巻きイケマですが、実のカラをいくつか見ていると、種がまだぎっしり詰まったのを見つけました。その詰まり方のまた整然と美しいこと。

パラシュートのついた種が、ひとつひとつ、ぎっしり折りたたまれてパッケージングされています。

人間の作った工業製品も、高品質のものであれば、同様にきれいにパッケージングされていますが、自然界のパッケージングはビニールではなく、すべて簡単にリサイクルできる素材なのです。

このイケマの種ひとつひとつを取り出して、上から落としてみると、風に乗って、見事にパラシュートのごとく飛んでいきます。

きっとどこか新しいところで芽吹き、またイタドリやエゾニュウに絡みついて、高い場所まで登って実をつけるのでしょう。

2019/12/24火

ヤチダモの冬芽?

スチーム式加湿器を入れるようになってから朝の目覚めが途端に良くなり、8時ごろ起きられるようになりました。

今日の朝の散歩で見かけたのはこの冬芽。

同じようなのがたくさん立ち並んでいる中の一本。かなり特徴的な形をしているのですぐ同定できそうなんですが…。

ネットで画像検索して見た限りでは、ヤチダモが近そうでした。でもちょっと違うような気がするんですよね。

近くの公園の中なので、地域固有種のヤチダモじゃなくて、公園樹として植えられている外来種かもしれない。

冬芽図鑑を図書館に返してしまって手元にないので、また借りてきたら改めて調べてみます。

夕方にも散歩に行って、もうひとつ見かけたのは、たぶんハリギリの幼木と思われるトゲトゲした木が集まって生えているところ。

たくさん生えていますが、周りに親が見つからないような気が…。公園内に限らなければ、いくらでもハリギリはありますけれど。だとしたらさっきのも公園外から飛んできたヤチダモかなぁ。

夕日に舞う雪がとても美しかったです。

2019/12/25水

ついに氷爆にたどりつく

今日は曇り。気温はマイナス10℃。

ちょっと雪がちらついていましたが、気にするほどではなかったので、一昨日、途中までしか行けなかった氷爆を見に行ってきました。

この前の道(川の右岸)は、途中で沢に阻まれて行けなかったので、今回は反対側(川の左岸)を伝っていくことにしました。

地理的には、川の右岸が裾なのに対し、左岸は山です。

だから、右岸のほうは比較的平らなのに、川から分岐した沢が流れているんですね。

逆に、左岸のほうを行けば、山の斜面で急ですが、沢に邪魔されることもなく歩くことができそうでした。

山の斜面の雪の上は、あまり崖側を歩きすぎると、実は地面が存在しない雪庇だったりします。近所の低地とはいえ、崩落したら2mくらいは落下して怪我しそう。

だから、植物が生えているところを踏んで、ストックを突き刺して地面があるかどうか確かめながら、慎重に歩きました。今年は雪が少ないとはいえ、場所によってはストックが1mくらい刺さりました。地面の上を歩いている。

幸い、雪は小振りで、自分の足跡が残っているから帰り道を見失う心配はないし、何より、基本的には川沿いを歩いているので迷うこともありません。

案の定、沢はなかったですが、途中で山の斜面に阻まれました。

途中で、鹿が歩いた足跡を見つけましたが、エッジがはっきりしておらず、数日前のものに思えました。鹿は冷たい水をものともせず、川を越えて対岸まで渡っていました。

川の表面は部分的に凍っているようでしたが、わたしが恐る恐る踏んで圧力をかけてみると、バキバキと音を立てて割れました。底のほうはまったく凍っていないので、この装備では川を渡ることはできません。

仕方なく、雪の斜面を登って迂回することに。スノーシューのつま先で斜面を蹴って突き刺すようにして登ります。

雪の斜面は、簡単に登れそうに見えても、近づいてみると急なことが多く、できるだけ緩やかなルートを求めて、かなり迂回しました。

しばらく歩いたところでGPSで地図を確認してみると、滝がすぐ近くにあることがわかりました。確かに崖の裏側から、ごうごうと水音が聞こえてきます。

斜面の樹木につかまりながら覗き込むと、滝が凍って氷爆になっているのがちらりと見えました。ということは、この斜面を降りて川沿いに歩けば、滝はすぐそこのはず。

しかし、この斜面がくせもので、かなり急です。慎重に降りようとしても滑ってしまうのは目に見えています。少しためらいましたが、幸い、斜面はそれほど高くなく、下は平らです。

そこで、スノーシューを横向きにして、雪をラッセルしながらゆっくり滑り落ちていくことにしました。ラッセルした雪が足元にたまっていくので、いい滑り止めになりました。

そこからは、とても平坦な川岸を歩くだけで、滝に到達しました。

生まれてはじめて見た氷爆は、氷の神殿のようでした。ネット上の写真で見るような、何十メートルもあるような立派な滝ではないし、高い山の上にある荘厳な滝でもない。

だけど、ごうごうと流れる水のに凍りついた氷柱が鍾乳洞のように垂れ下がり、積もった雪が覆いかぶさっているさまは、十分すぎるほど絶景でした。

さらに滝の近くに近づきましたが、途中から雪の下が岩場になって、見えない岩と岩の隙間に足をとらわれそうだったので、無理はしないことにしました。

帰り道は、少し気持ちに余裕ができたので、植物観察もしながら帰りました。

この地衣類だらけの幹についているサボテンみたいなコケのこんもりした塊は何?

ちょっと画像検索してみた感じではサヤゴケか? もっとじっくり観察してこればよかった。

こちらは前にも見たことがある、オオカメノキの冬芽かな? オレンジ色の裸芽が、雪の白さによく映えて目立ちます。

ほかにも、ダケカンバの褐色の肌とか、トゲトゲのハリギリが大人になる途中?の若木など、面白いものがたくさんありました。

もっと観察したかったけど、帰りの体力も残しとかないといけません。

さっき滑り落ちてきた斜面をどう登ろうか、と思いましたが、ラッセルして降りてきたおかげで、つま先を簡単に突き刺して登れました。こういうのも経験と慣れですね。

帰り道、歩きながら木々を眺めていましたが、まだまだひと目ではわからない種類のなんと多いことか。冬のうちにもう少し勉強したいです。

雪の森をスノーシューで歩くのは、わたしにとってはちょっとした冒険でしたが、滝までの距離は、迂回ルートを含めても1kmもなかったのではないでしょうか。

ここがすばらしいのは、本格的な山登りがまったく必要ないことです。平地でもマイナス10℃なので、近所の川にあるふつうの滝が凍ってしまいます。

だから、わたしのように、ただスノーシューで歩くだけの人でも、ちょっと歩けば、簡単に氷爆を見れるわけです。

楽しかったのは、どこを歩いて目的地に行こうか、と考えているとき。どこを歩くのも自由だけど、歩ける場所はどこなのか考える楽しみ。沢に阻まれたら、そこを渡るか山を登って迂回するか考える。

北海道の川には、アイヌ語の名前がついていますが、支流には「ポン(小さい)」とか「モ(静かな)」とか形容詞がついている川がよくあります。つまりアイヌにとって渡りやすかったということ。

きっと、夏にしても冬にしても、こうして歩きやすい道を探しながら、山や川を歩いていたのだなあと思うと、いま自分が同じような経験の一端を味わえたことが感慨深いです。

にしても、こうやって山の中をスノーシューで歩くと、けっこう足に来ますね。毎日サイクリングしまくっていても疲れたので、昔の人たちはとんでもなく強い足腰だったんだろうな。

2019/12/28土

樹氷と樹霜と粗氷と雨氷と霧氷

昨夜サイクリングしたときは、午後21時ですでにマイナス14.6℃。

天気予報によると、朝にはマイナス18℃くらいになると言われていたので、ダイヤモンドダストが見れるかも?と早起きした。

けれども、朝7時半に出てみたら、マイナス13.6℃しかなくてがっかり。空が曇っていたので、放射冷却が起こらず、気温が下がらなかったようだ。

仕方ないので、散歩がてら樹霜を観察して写真を撮ってきた。

枝の下側にも氷がついているので、単に降ってきた雪がついたわけではなく、霧が凝結して霜になっていることがわかる。

今までずっと勘違いしていたのだけど、こういう現象は「樹氷」というよりは「樹霜」らしい。用語の区別が難しく、説明されているサイトを参考にすると、次のようになる。

霧氷と雨氷、樹霜、樹氷とは?それぞれの違い | お天気.com

霧氷と樹氷 | Clash On !!!

■霧氷…ぜんぶの総称

■樹氷…枝を覆う結晶の集合で白い。風に吹かれて羽毛のような形になり、木を覆うまでに成長することもある。柔らかくてすぐ落ちる。

■樹霜…枝についた霜。細かい氷の結晶で白い。柔らかくてすぐ落ちる。樹氷に含まれることもある。

■粗氷…枝を覆う氷。氷の粒が大きく半透明。比較的硬い。

■雨氷…枝を覆う氷。膜状について透明。硬い。

こうやってまとめてもよくわからないと言えばよくわからない。

簡単に言うと、枝に霜のような結晶がついているレベルのは樹霜で、もっと豪華で木が覆われてしまうほどのものが樹氷。

白い霜ではなく、透明または半透明に凍っている場合は粗氷や雨氷ということでいいのかな。

めんどくさければ、総称である「霧氷」で呼べばいい。

わたしが樹氷を知ったのは地元の人がそう呼んでいたからだった。調べたところでは厳密には「樹霜」だと思いましたが「樹氷」でも間違っているわけではないかと。

しかし、「樹氷」は半ばブランド化されている蔵王のスノーモンスターに当てはめられることが多く、定義が変わってしまっているので、「樹霜」のほうが適切に思えた。

とはいえ、これらは全部、霧氷で総称されることからもわかるように、互いにつながりのある現象で、明確に線引きすることはできない。

大事なのは、細かく定義したり分類したりすることではなく、自然の現象の美しさを感じ取り、驚嘆する心なので、呼び名はあまり気にしなくていいかもしれない。

【気になったニュース】

わたしたちの惑星は、気候変動の「ティッピングポイント」に近づきつつある|WIRED.jp

わたしの実感に近い記事。たいていのニュースは、ひとつひとつの要素を見て、危険だ異常だ、と騒いでいるけれど、このニュースに書かれているように現実は複合的だ。

数え切れない個々の要因が、どれも臨界点に達している上に、互いに影響しあっているので、何かひとつの対策を講じれば良いというものではない。ある点では良かれと思った対策が、別の点では破綻をきたすこともありうる。

2019/12/31

インフルエンザ罹患

年末にインフルエンザにかかって、そのまま年末年始は寝込むことになりました。

友人の歓迎会&送別会に出席したところ、主役の方がインフルエンザだったようで、わたし含め、多数の感染者が出てしまいました。注意していた中だったので、仕方ないことです。

翌日にはすでに体調が崩れ始め、状況から、どうもインフルエンザではないか、と疑い始めました。寝込むことに備えて、あらかじめ自転車でスポーツ飲料やアイスクリームの買い出しにいきました。

その次の日、熱が上がりだして、すぐに地域の病院に行きました。38.2℃ありましたが、残念ながら、その時点では検査に出ませんでした。

症状の推移から、医師はおそらくインフルエンザで間違いない、と言っていましたが、解熱剤と咳止めのみ処方されて帰宅。

その夜に急激に熱が上がり、おそらく39℃後半から40℃に達したと思われます。あまりにしんどくてピーク時の熱を測ることはできませんでした。

明け方、解熱剤の効果が出てきて、かなり体が楽になった、と感じたときにようやく熱を計測できましたが、その時点で38.8℃もありました。

次の日、もう一度病院に行ったところ、こんどは陽性反応が出て、インフルエンザ確定。タミフルかイナビル処方と言われて、おもしろそうなイナビルのほうを選択。

帰宅後、再度熱は上がりましたが、イナビルの前評判通り次の日の朝には熱は下がっていました。

以前から、持病の発熱発作のために、40℃熱を出すことはよくありましたが、インフルエンザとはかなり症状が違いました。

発熱発作はウイルスや細菌は無関係なので、のどが痛くなることはありませんが、インフルエンザでは、軽くのどが炎症しました。処置が早かったおかげか、重症化はしませんでした。

また発熱発作は一晩で熱が引きますが、インフルエンザではイナビルが効くまで足掛け3日ほど熱が出ていました。

発熱発作では熱が引いたときになんとも言えない心地よさが押し寄せますが、インフルエンザでは特にそんな変化はありませんでした。

インフルエンザを経験したことで、つくづく今まで常態化していた発熱発作は、普通の人があまり経験しない特殊なものだったんだなぁ、と思い知らされました。

これを書いている1月になっても、まだ体調があまりよくなく、インフルエンザの余波が感じられるのは残念ですが、無理せずゆっくり過ごしたいと思います。

2019年の自然観察日記はここまで。

2020年1月はこちら。

2020年1月の道北暮らし自然観察日記
2020年1月の自然観察日記

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投稿日2019.12.02