1月はこちら。
3月はこちら。
もくじ
2020/02/01月
シラカバとダケカンバとウダイカンバの林
外出の帰りに、天気が良かったので朱鞠内湖までドライブして寄ってみました。
暖冬で雪不足といっても、さすが朱鞠内湖近辺は、積雪がものすごい。左右に貫禄の雪壁がそびえている。例年の半分ほどなのに圧がすごい。
気象庁の積雪ランキングで、不動の王者である青森の酸ヶ湯の後ろを追って2位争いしているだけのことはある。
車の運転が嫌いなわたしでも、朱鞠内湖近辺の雪道は楽しいです。まず走ってる車をめったに見かけないし、道路脇の山肌の木々も美しいし。
シラカバに混じって、赤みを帯びたダケカンバや、黒っぽい重厚なウダイカンバが競うように立ち並び、雪の重みで曲がりくねった幹を伸ばしているさまは壮観です。
地元の人でも、カバノキ系を区別してなくて、みんなシラカバだと思っている人もいましたが、慣れればなんとなく違いがわかるようになってきます。
この前、氷爆を見に行ったときは、道路沿いは真っ白な肌のシラカバばかりだったのに、スノーシューで森に入っていくにつれて、赤みを帯びた玉ねぎの皮みたいな色のダケカンバが増えてきました。
スノーシューで歩きながら、一緒に行った友だちに、「これはダケカンバ、あれはウダイカンバでシラカバとは違うんだ」と話したんですが、ピンとこない様子。
だけど帰りに道路沿いまで出てきたところで、「ほら、ここにシラカバがあるけど、さっきの木々とは色が違うでしょ」と言うと「おお、たしかに!」と驚いていました。
思っているより真白いのがシラカバ。でも比較してみないと、なんとなく脳内で色が補正されてしまって、シラカバってこんな色だったかなぁ、とあやふやになってしまうものです。
朱鞠内湖の近くには、道路沿いでもダケカンバやウダイカンバがたくさん茂っていましたが、湖畔にもあったので、ウダイカンバの幹の写真を撮ってみました。
樹皮に横向きのすじが入って薄く剥がれているのはシラカバと同じですが、シラカバより明らかに黒っぽいです。もし夏だったら、葉っぱの形でも区別できるはずです。
ウダイカンバの「ウダイ」というのは、「鵜松明」と書くそうです。樹皮が湿っていてもよく燃えるので、鵜飼いのときの松明に利用した、ということらしい。
「カンバ」のほうは、アイヌ語由来で、桜皮を意味する「カリンパ」から来ているそうです。
この前の自然観察日記でも触れましたが、シラカバの系統って、若木のころはサクラによく似ているんですよね。
その〇〇カンバの中でも、ウダイカンバは、別名マカバ、つまり真のカバと呼ばれることもあり、立派な材質で知られているそう。
確かにウダイカンバはどっしりした大木が多く、幹が黒光りしていることもあって、頑強そうなイメージです。かっこいい。
朱鞠内湖にかかる壮大なハロ(日暈)
朱鞠内湖畔キャンプ場の入り口では、おなじみの日本最寒の地のモニュメントが、こんもり積もった雪の合間から顔をのぞかせていました。
マイナス41.2℃の数字が刻まれているのですが、冬は大量の雪にすっかり埋もれてしまっているので、数字を確認できるのは夏場だけ。
去年9月に撮った写真と比較してみましょう。ほとんど同じ場所、同じアングルで撮ったことが樹木の様子からわかると思います。
冬場はてっぺんだけしか見えてませんね!
だけど去年来た時は、最上部の突起しか見えないほど雪に深く埋もれていました。今年はこれでもかなり雪不足です。
気象庁のサイトによると、過去もっとも積もったときだと3mくらいの積雪量だったらしいので、モニュメント全体が埋まることもあったのでしょう。
今日はかなり暖かく、日中はマイナス5℃から10℃くらいだったかと思います。おかげで、かなり軽装でも、朱鞠内湖を散歩できました。湖の上はちょっと風が寒かったけど。
そんな朱鞠内湖のすばらしさは、なんといっても見渡す限り一面の凍りついた湖面!
去年来たときも書きましたが、湖全体がスケートリンクのように凍っているなんて、自分の目で見ても信じられない思いです。
凍った湖の上を歩くと、深々と積もった雪の下に、凍りついた地面があることがわかります。これが湖の表面で、この足の下には魚たちが泳いでいるなんて! 一種のファンタジーじゃないですか。
今日の朱鞠内湖は、ワカサギ釣りのテントがたくさん。広々と凍った湖にカラフルなテントが立ち並ぶ景色は、日本とは思えない。ロシアや北欧みたいな異国情緒。
凍った湖面の上は、自由にどこまでも歩いていくことができます。だけど、奥に行けばいくほど積雪が深くなっているので、徒歩で横断したかったらスノーシューは必須でしょう。
徒歩にこだわらなかったら、スノーモービルのほうがずっと楽ですね。昔の人たちはソリで湖をわたってショートカットしていたんだろうな。
満月の夜とか散歩してみたいかも…と思いつつ、真冬のマイナス30℃にもなる朱鞠内湖、それも風をさえぎる樹木も何もないような大氷原を歩くなんて恐ろしすぎます。本気で遭難しうる。
凍った湖面に積もった雪を眺めていると、こんな模様があちこちにできていました。
きっと風に吹かれてできた模様でしょう。夏に湖面を波立たせる風が、冬には雪のさざなみ模様を作るのだろう。風吹きすさぶ湖の上は、体感温度がかなり低く、肌寒いです。
そして、今日、朱鞠内湖に来て何よりすばらしかったのは、ハロ(日暈)が見れたこと!
この立派な日暈の迫力といったら! 凍った湖の大氷原にかかる巨大な太陽の環! あまりに大きすぎて、環の全容を1枚の写真に収めるのに失敗したことが残念だけど、壮大さは伝わるでしょうか。
ハロに向かって歩く人の後ろ姿も撮ってみた。大きさの対比から迫力が感じられるのでは? 逆光でシルエットになっているのがオシャレに見える。
現実の風景でありながら、映画の神々しいシーンのようでもある。
肉眼で見ると眩しすぎて写真で切り取った印象とはまた違うんですが、自分がいかにちっぽけかを実感できる得難い経験でした。
帰ってからネットで調べてみたら、今日は、札幌や旭川でもハロが観測されていたそうですね。わたしの撮った写真とよく似てる。
札幌や旭川など北海道でハロ 明日2日(日)は雪雲が広がる – ウェザーニュース
でも同じハロでも、原始の氷原を思わせる朱鞠内湖の開けたパノラマの舞台でそれを見れたのは幸運でした。毎日毎日、こんな思いがけない出来事があるから、道北での暮らしは楽しいです。
2020/02/02日
森の中で鳥の気配に耳を澄ます
昨晩はマイナス14℃の中をサイクリング。とても走りやすい圧雪状態だったから、たくさん走りたかったけど、昼間に朱鞠内湖まで行った疲れか、いつもより寒く感じたので短時間で引き上げました。
そして今朝はマイナス21℃くらいまで冷え込みました。寝る前にセットしておいた水張りバケツの水が凍って、見事なアイスキャンドルの出来上がり。
まだ真ん中の穴のところをへつってないので完成じゃないけど、今年のアイスキャンドル第一号です。毎日ひとつずつ増産して、庭に飾って楽しもうかな。
さて今日は、お出かけのついでにまた野鳥観察。
今回はヤマガラとシジュウカラが現れました。まったく鳥の見分けがつかない初心者だけど、この二種類くらいはわかるように…なったかな?
おなかがオレンジ色なのがヤマガラ。鮮やかな色のおかげで、スズメ類の中ではわかりやすい!
おなかが白く、頭が黒く、背中がうぐいす色っぽいのがシジュウカラ。ほかにゴジュウカラとかハシブトガラがいますね。
こうやって眺めていると動きが愛らしい。鳥好きの友だちの気持ちがやっと少しわかってきました。でもやっぱり家で飼うより野生のを観察するほうが好きだな。
オオアカゲラ?っぽいキツツキがドラミングしているところも動画撮影できました。…が、あまりに遠すぎて、最大までズームインしてもなんだかわからないレベルなのが悲しい…。
なんとなーく配色からオオアカゲラ認定したんですが、肉眼でもカメラでも遠すぎてわからない。
もっと良いカメラを買うべきかどうか…。最近ずっと同じこと言ってますね。だけど買うとしたら、何ヶ月も後になりそう。
けれども、スノーシューで冬の森の中を歩き、立ち止まって耳を澄ませて、鳥の鳴き声にフォーカスするのはとても心地よい。
あちこちから立体的に音が聞こえ、さまざまな気配が入れ代わり立ち代わり感じられるので、今まで使っていなかった感覚が目覚めるような気分になる。
木立の向こうから、ドラミングする音が聞こえてきたり、トドマツを駆け上がるキバシリが葉のすきまに ちらりと見えたりするとわくわくします。
あの冬芽はクロミサンザシだったのか
スノーシューで森の中を散歩しながら、鳥の鳴き声に耳を澄ますとともに、冬芽の観察も。
今回の一番の収穫は、なんといってもこれ!
このちょっと形の崩れた…なんと表現したらいいのか、シナモンロールみたいな感じの冬芽。
この変な形の冬芽は、先月、山の中歩いているときに見つけた、黒い実がなっていた名前のわからない木と同じ!
あのときは結局わからなくて、エゾヤマザクラに似てるかなぁ…という自信なき結論に達しただけでした。バラ科なのは確かだろう、というところまでは行ったんだけど。
でも今日、じっくり観察してみたら、下の方の細い若枝に、トゲトゲがあるのを発見。その瞬間気づいた。これはサンザシだ!
うちの町の林業標本とか図鑑とかを見て、サンザシの可能性は考えてはいたんです。このあたりでは、サンチンと呼ばれて親しまれている木らしいので。
特にクロミサンザシ(あるいはエゾサンザシ)は、その名の通り実が黒い。あの日山で見たのはサンザシかも、って。
だけど、撮ってきた写真は、どれも枝にトゲがなかった。図鑑にはサンザシにはトゲがあるって書いてあったので、これはトゲがないから違うか、って却下してしまった。
でも、今日気づいたのは、大きく成長したサンザシは、太い枝にはトゲはなくて、若枝だけトゲトゲしているようだ、ということ。
考えてみればトゲは若木のころに身を守るためのものだから、成木になったら、ほとんどトゲがないのが当たり前なのかも。同じくトゲが特徴のハリギリとかハリエンジュも大きくなるとトゲがなくなっていくし。
だから、あの黒い実はきっと、サンザシだったんだな、と解決しました。サンザシ(サンチン)は有名だから、山にたくさん生えていてもおかしくない。
こうして、保留にしてた疑問がひとつまたひとつと解決して、世界が広がっていくのって本当に楽しい。自分の目で見、足で歩いて知るのってすばらしい。
ニワトコ、ノリウツギ、ミヤママタタビ?、ミズキ、ツノハシバミ?の冬芽
そのほかの冬芽の観察もいろいろしました。まず面白かったのはこれ。たぶんハリエンジュだと思うんですが、枝にツルがからまってますよね。
まるでWHOのマークのモチーフになっているアスクレピオスの杖とかモーゼの銅のヘビみたいだ。
あまりよく観察しないで、冬芽が似ているから、ハリエンジュが自分自身にからみついてるのかなと思った。マメ科だから、ハリエンジュも若い枝はツル性なのかなって。
でも、帰ってから調べてみると、そんな話は見かけないので、何か別のツル性植物かな。巻き方向(Z巻き)も手がかりになるだろうか。
(追記 : 色からしてクロヅルかと思いましたが、クロヅルは道北にはありません。茎が赤みを帯びていて、冬芽がコクワみたいな形なので、ミヤママタタビかもしれません)
次は、この前もたくさん見つけた、エゾニワトコの冬芽、花芽も含まれているのか、とにかく大きくてわかりやすい。
対生で丸い冬芽はハシドイ(ライラック)とも似ているけれど、葉痕部分の形が違うと思う。ハシドイは冬芽の根本の葉痕部分がもっとせり出している気がする。
近くにあったこれもニワトコ? でも色が違うのだけど…どうだろう? ネットで調べると緑のも赤のもあるように思えるが…。
たぶんこれもニワトコで合っているとは思うけれど、もしかすると、ニワトコと同じレンプクソウ科の別の植物かもしれない。ミヤマガマズミとか。
次の写真はおそらく、これもまた先日山で見つけたノリウツギだと思う。他の冬芽とはまったく違う、動物にかじられたのかと見まがうようなツンツンした形がおもしろい。
もっと上のほうに、カリカリに乾燥してドライフラワー化したアジサイみたいな花が一輪だけ残っていて、アジサイ科であることを裏付けてくれた。
道端の植物の名前をこうして推量できるようになって、複数の証拠から確かにそうだとわかったときは嬉しい。知り合いが増えて彩り豊かになったような気分になる。
次に見つけたこれは、たぶんミズキ。紅色のつぼみのような美しい冬芽。半円形の葉痕が目立つ。
春に葉を出すころに水をよく吸い上げ、切ると水が滴ることからミズキと呼ばれたのだという。
最後にもうひとつ。これも先月、山の近くで見かけて、結局名前がわからずじまいだった冬芽に似ている。確かそのときは、マタタビのつるが絡みついていたんだっけ?
とても鮮やかなルージュを引いたようなピンク色の冬芽。芽鱗もまた、唇のように先が2つに分かれている。
こんなに目立つ色、わかりやすい形なのに、なんの冬芽かわからない。だけど、今回調べてみたところでは、ツノハシバミが近いのかもしれない?
だけど、このあたりにツノハシバミなんてあるのかな。ハシバミだったら、カバノキ属なので、シラカバやハンノキみたいな雄花がついているはずだけど、あったっけ?
それとも、たまに見かける赤みが強いシナノキの冬芽の可能性もあるか? 画像検索した限りではそうかもしれない。
答えを出すにはまだ観察が足りない感じ。さっきのサンチンみたいに、そのうちはっきりするはず。この逡巡の思考過程も楽しみのひとつです。
もしかしてミズナラメウロコタマフシ!?とマメホコリ?
おもしろかったのはこれ。かなりの低木で、冬芽の目立つ小さな低木というか若木だったのだけど…。
このイガイガしたのはなんだ? 普通に考えれば、ドングリのはかまだと思うのだけど…。
だとしたら、これはミズナラ? 道北でブナ科といえばミズナラかカシワだけど、カシワはこんなはかまじゃないので。
確かにミズナラの冬芽は先のほうに密集してつくし、タケノコ型だし、らしくはあるんだけど、こんな黒ずんだ色だったっけ? もっと黄銅色だったような…。ちょっと成長したらこんな色になるのか?
ミズナラかどうかの確証はないものの、家に帰って調べてみたら、おもしろいことを知りました。
なんとこのはかまだと思っていたのは、ミズナラメウロコタマバチの虫こぶ、ミズナラメウロコタマ「フシ」だったらしい! ものすごい名前だ…。
ミズナラの冬芽に寄生して虫こぶをつくる虫らしく、だとすれば、写真のような場所にイガイガがついていた理由がよくわかります。
まさか冬芽に間借りして生活している生き物がいるなんて…。こんなところでも命は営まれているんだなぁと驚きました。世界は不思議で満ちている。
さらにそのミズナラと思しき若い木には、オレンジ色の点々がたくさん。これって粘菌だけど、マメホコリかな?
マメホコリがいるってことは、このミズナラの若木はもう死んでいるということなのだろうか。だからミズナラらしくない黒ずんだ冬芽になっちゃっているということかな。
若くして冬を越せずに死んでしまったのなら、この木にとってはかわいそうなことだけど、それがハチの子のアパートになったり、粘菌の食べ物になったりして、森は生きてるんだなぁと感じます。
今日はスノーシューで歩いてたくさん発見があって楽しかった! 真冬なので、そんなに外にずっとはいられないけど、敏感に観察して、たくさん気づくことができたと思います。この感性を大切にしたいな。
2020/02/03月
悩み多き雪道散策
今日は写真なし。だったらたまには絵を描けば…と自分でも思うのですが、もっと気軽に絵を描ける環境を模索中。
Painter立ち上げてがっつり描くのはハードルが高いし、夏にやっていた新絵心教室というのも3DSが操作性悪くてめんどくさい。Switchで絵心教室出たらもう少し描きやすくなるかなぁ…。
今日は体調も今ひとつ悪く、朝起きるとどっと疲れが出て二度寝。昨日もそういえばかなり疲れてたし、連日動きすぎのようです。もと慢性疲労症候群だということを忘れちゃならぬと自戒。
それでも、外に出かける用事はあったので、はらはらと粉雪が舞う町中を何キロか歩きました。自転車でもよかったんだけど、なんか疲れているときは歩きたい気分。歩きながら考えて、ぼーっとして、気分転換する。
道中に立ち並ぶ街路樹を見上げて、ああ、この木はきっとヤチダモだ、ナナカマドだ、ヤマモミジだ、などと推理するのが楽しい。
下から見上げるだけで、冬芽の形、対生か互生か、実はついているか、などはなんとなくわかるので、乏しい知識ながら、地元の種類なら当てずっぽうができる。少しは進歩しているといいのだけど。
2020/02/04火
雪に埋もれた氷爆
また森の中を歩いて、久々に近くの滝を見にいきました。
ここ一週間ほど、それなりに雪が降ったので、森の中はかなり分厚い雪に覆われていました。スキー用ストックを突き刺してみると、腰くらいの深さはあります。スノーシューなしでは歩けません。
そのスノーシューも、一歩一歩が重く、しっかり足を上げないと進むことができません。腿上げ運動です。
雪はとても細かいサラサラとした粉雪で、スノーシューなしではきっと流砂のように沈みこんでしまいます。水分がほとんど含まれていないので、スノーシューの底にダマになってくっついてしまうこともありません。
この冬はじめて、道北の雪らしい雪の上をスノーシューで歩けたかも、この砂漠の砂のような雪、底なし流砂のようにずぶずぶっと沈んでしまうような雪こそ、道北のパウダースノーです。
先月来たときはいともたやすく登れた山肌も、砂のような雪で深々と覆われているので滑る滑る。あきらめて帰ろうかと思ったほど。何度も滑って腰まで埋もれながら、根性だけで登りました。
山肌を降りるときは、一歩一歩しっかりカカトに力を入れて踏みしめれば、雪を固めて圧雪状態の階段を作ることができます。帰り道は自分が作った階段を登ればいい。
だけど、先に山肌を登るときは、そうした階段があるわけでもなく、どこまでもめりこんでしまうような雪の斜面に悪戦苦闘しました。足腰は鍛えているつもりだけど、かなり厳しい道のりだった。
やっと到着した滝は、すっかり雪に覆われてしまっていて、ほとんど氷爆は見えませんでした。そんなに大きな滝じゃないから、これくらい降ると埋もれちゃうんですね。
これはこれで迫力がありますが、誰かを連れてくるときには、がっかりされてしまうかも。雪が少ない今シーズンでこれだから、普段は12月末から1月上旬くらいに来たほうが良さそうですね。覚えておこう。
ドロノキの冬芽だろうか?
道すがら、いつものように自然観察もしてみる。鳥の鳴き声も聞こえたけれど、今のレベルでは何か見当もつかないので、さしあたってはいつもの植物観察を。
まず森の入り口付近で見かけた、このとても目立つ冬芽。毎回、これはなんだろうと思いながら通り過ぎているんだけど。
冬芽の形だけ図鑑で調べたかぎりでは、候補は「ドロノキ」「アカシデ」「サワシバ」あたりか。
アカシデとサワシバ(サワシデ)はどんな木なのか全然知らない。どちらもカバノキ科の仲間の「シデ」らしい。シデとは横綱に垂れ下がってるようなしめなわのこと。花が似ているのだとか。
アカシデは少なくとも道南までしか分布してないらしいから違う。サワシバの分布は不明だけど、芽鱗が多いみたいだから、この写真のとは違うっぽいかな。
可能性が高いのはドロノキか。川のそばだったから可能性はありそう。ドロノキならポプラっぽいまっすぐな樹形が特徴だけど、この木がそうだったかはわからない。違ったような気もするけれど、ちゃんと観察したわけではないから。
図鑑の写真で冬芽を見ると、大きさや別の角度がわからないので、どうしても形や色が似ているかどうかだけで判断してしまう。実物を見てみると、これらは全然違う冬芽なのかもしれないのに。
ほかに候補があるとしたらシウリザクラ。なのだけど、手持ちの冬芽図鑑にこれは載ってないというね…(苦笑)
道北ではかなり一般的な桜で、町の資料館に標本も飾ってあった。ネットで検索して出てくる数少ない冬芽の写真を見る限りは似ている気がする。
シウリザクラは、春になると、春紅葉といって、芽吹いた葉が紫外線対策で赤く染まるらしい。これがドロノキなのか他の木なのかは今のところよくわからなかったけど、その時期になれば、見分けがつくようになるでしょう。
エゾイタヤ、オオカメノキ、シナノキの冬芽
森の中で何度も見かけて、なんだろう?と首を傾げた冬芽。そのたびに写真を撮ったけれど、あとで見返すと同じものだった。
あずき色の小さな冬芽だけど、対生だから、そんなに候補は多くないはず。しかも、芽鱗が折り紙で作った兜のような面白い形に組み合わさっている。
調べてみたところ、おそらくマユミの冬芽じゃないかな、と思った。確かにマユミはこのあたりの森でよく見かけるから、ありうるとは思う。
(※あとで調べ直したら、マユミではなく、たぶんエゾイタヤだった。マユミはもっと葉痕が目立つし、色も灰色がかっている)
それにしても、図鑑で見て驚いたのが、マユミの仲間のニシキギ科の冬芽のバリエーション。マユミとツリバナは、実は似ているんだけど、冬芽が違いすぎる。ツリバナの冬芽は、さっきのドロノキ?の冬芽みたいな細いドリル状。
たとえばイヌエンジュとハリエンジュみたいに、近縁でも冬芽がまったく違う木は多いんだけど、新しく知るたびに驚く。生き物の形というのは、なんと変化に富むものなのだろう。
次はお気に入りのオオカメノキ。ここを訪れるたびに、毎回写真を撮っていると思う。とても見分けやすい特徴的な冬芽で、橙色の裸芽が雪の白を背景に、とてもよく目立つ。
葉痕もはっきりくっきりしていて、数ある冬芽のなかでもトップクラスの見分けやすさを誇る。初心者に親しみやすい冬の森のアイドルといっても過言ではない。いや、今思いつきで書いただけだけど。
裸芽だから、芽鱗がついておらず、葉のしわしわがかわいい。展開していくところをぜひ見てみたいけれど、寝起きのクマに出くわさないか心配ではある。
そして、次は、なにげに初めて写真を撮ったケヤマハンノキの冬芽。通常は高い位置に枝がある木なので、近くで見れない。今回はたまたま若木を見つけたので。
ソーナンスの頭みたいな楕円形の冬芽。いや、たとえがわかりにくいな。ラグビーボールみたいな、と言ったほうが一般的か。
芽鱗は2枚か3枚ほどなので、見る角度によっては、コーヒー豆みたいに割れている。珍しい形なので、冬芽の中では見分けやすいほうだと思う。もしかしたら似てるのが他にあるのかもしれないが今はまだ知らない。
近くに落ちていたケヤマハンノキの実。松ぼっくりに似ている。松かさ状のひだの中に詰まっている翼果はもう飛び去ったあとかな。
枯れ木を覆うニクハリタケ?
そのほかに見かけた不思議なものは、この黄土色の貼り付いた菌類。いったい何者だろうか。
今までの浅い経験からいくと、なんとかコウヤクタケとか、なんとかハリタケ、なんとかウロコタケみたいな名前がついていそう。
でも同定できなかったので、Google Lens先生にお願いしたところ、Steccherinum ochraceumだと教えてくれた。読めない!
検索してみると和名はニクハリタケらしい。肉つまり肌色の貼られているキノコという解釈でいいのかな。
面白かったのは、以前見たコウヤクタケみたいに表面がパリパリしているわけでもなく、ウロコタケみたいに丸い模様がつらなっているわけでもなく、ヒダ状の毛皮みたいな模様がついていたこと。
こういった表面をしているのは、調べてみた感じでは、シワタケと呼ばれるタイプの菌類の可能性もあるようだけど、今のレベルではわかりません。
でも、シワタケにしてもハリタケにしても、そのまんまなネーミングだなぁと思わずにいられない。第一印象で適当に名前つけちゃったような。これだったら、自分でもっとよく観察して、自分なりの愛称をつけたほうがましかも。
レイチェル・カーソンも言っていたように、名前を知るよりもっと大事なのは、この生き物の関係性に思いをはせることかもしれない。
この場合、すでに枯死して杭のように立ち尽くしている樹木の表面に、ニクハリタケ?がとりついていた。普段はひっそりと目につかず、森の生き物が死んだときにだけ看取りにやってくる菌類。
森の清掃人ともいえる、こうした目立たない生き物が生命を分解し、新たな生命の素材へと作り変えているからこそ、森はいつだって生命をつなぎ続けているのだと思うと感慨深い。
こうして、今回もたくさん発見があって楽しかった雪の森の散歩。だけど、雪が深くてそこそこハードだったので、明日は筋肉痛に悩まされるかもしれません…。
2020/02/05水
マイナス20℃でカメラを取り出す人たち
今日はかなり冷え込みました。ピキーンと空気が張りつめ、厳粛さに包まれる空間。道北の人たちは、これを「寒いね」を超える状態「しばれるね」と呼び合います。
最低気温はマイナス20℃超え。朝、車に乗ろうとしたら、フロントガラスに窓霜の芸術が。誰かがデザインしたおしゃれな切子ガラスにしか見えない。だけど100%天然物です。
運転するには溶かさないといけないからもったいなかったけれど、案外、レトロな切子ガラスの紋様を最初に思いついた人って、ガラスにびっしりついた霜から連想したんじゃなかろうか。
さて、しばれた日とはいっても、昼間はわりかし暖かくて、フードもかぶる必要がないほど。でも、夜になると、さすがに冷え込んできた。
そんなしばれた夜には家でじっとしていられない。ぜひともサイクリングしなくては!
だって張りつめた空気は炭酸飲料みたいにスカッとしておいしい。ちょうど、ほてった体でキンキンの湖に飛び込むフィンランドのサウナみたいなもの。やみつきになる気持ちよさ。
しばれた夜は、路面も安定して走りやすい。ナトリウム灯の明かりにギラギラと鈍く輝く圧雪路を独り占めして全速力で駆け抜ける。こんなぜいたくができるのは極寒の道北の冬だけ!
去年引っ越してきたときは、マイナス20℃なんてとんでもない寒さだと思ってたし、事実、一度20.4℃でサイクリングしたときは、心臓がバクバクしていた覚えがある。寒さというよりアドレナリンで。
なのに、今年はぜんぜん寒いと感じない。いや、寒いことには寒いけど、まだいけるって感じる。たぶん服装を工夫して極寒使用のインナーを着てるおかげですけどね。
本当の地元の人たちは、ウソかマコトか、子どものころ、マイナス30℃の朝でも半ズボンで学校に行ってたとか言いますし。さしものわたしも、マイナス30℃や40℃は自信がないなぁ…。
けれども、スマホの天気予報に入れているオイミャコンとかアンカレッジの現在気温を見たら、マイナス40℃とかマイナス50℃とか出てて、人間ってすごいなぁ…と思わせられます。
さて、めったに車も走っていないマイナス20℃の道路を、気持ちよさを噛み締めて滑走していると、町の気温計が見えてきた。浮かび上がる20.0の数字。
せっかくだから、と止まって写真を撮ろうとしたら、ちょうど向こうから歩いてきたおじさんがいて、わたしと同時に立ち止まって、どこからか一眼レフカメラを取り出して気温計に向ける。
知らない人なのに、思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。
「珍しく20℃なってますね」と一言二言会話したけど、なんか照れくさくなって、すぐ自転車を漕いで立ち去ってしまった。
そういえば、去年マイナス21.4℃のときも、ここで写真を撮ったけれど、そのときも歩行者の女性が、わたしの後にスマホで写真撮ってたのを思い出しました。
みんな考えることは同じなんだなぁ。道北に住んでて自慢できるのは最低気温くらいしかないからなのかもしれないが…。
そのあとも、極寒の夜なのに、何人か歩行者に出くわしました。ウォーキングしている人もいてびっくりした。
向こうもきっと、極寒の夜に防寒着とゴーグルつけてサイクリングしてる謎の人物と出くわして驚いたでしょう。ユニークな人がいっぱいいる不思議な町です。
ヤマナラシの樹皮と冬芽を見分ける
家の近所に、ふと今まで気にしたことのない不思議な模様の木々があることに気づきました。
遠目でみると、下の方はひび割れたゴツゴツの樹皮なのに、上のほうはすべすべとしたカバノキのような樹皮に見えました。背の高い樹木って、下と上で幹の感じが変化することがよくあります。
近づいてよく観察してみると、黒い菱形の模様がたくさん並んでいることがわかりました。菱形の模様というと、イヌエンジュの幹なんかもそうですが、こんな白黒パターンは初めて見ました。
背の高い木にしては、とても珍しいことに、すぐ手の届く高さに枝があったので、冬芽も写真に撮ってみました、最近の写真の中では、かなりうまくピントが合った会心の写真。
いったいなんの木だろう? 枝の色や形はバラ科っぽい?
最初に思ったのが、ナナカマドみたいな冬芽だなぁということ。だけど、ナナカマドは葉痕の維管束痕が5つなので違う。
ナナカマドととてもよく似ていて、葉痕の維管束痕が3つのアズキナシの可能性も考えてみました。まあ似てはいるのだけど、ちょっと形が違うような。
アズキナシの樹皮も、この写真みたいに菱形の模様が並びますが、アズキナシは黒地に白い模様なのに対し、この木は白地に黒い模様で色が反転している。(例によって樹皮は樹齢によって見た目が大きく変わるので参考程度でしかないが)
何より、この木を見上げたときに、実がついていた跡が見当たりませんでした。ナナカマドやアズキナシは、冬でも実がついていたり、実が落ちた跡が残っていたりするので。
でもこの木にはそんな痕跡がない。代わりにあったのは…
なんだか巨大な丸っこい花芽のようなものと、そこから出てきたと思われるモフモフのファーみたいな何か。いったいなんでしょうか。
図鑑で調べてみますが、わからない。というのも、最初、ナナカマドかアズキナシに似ていると思ったせいで、バラ科ばかり調べてたから。サクラの仲間かな、とあれこれ調べては空振り。
仕方なく、今回も偉大なるGoogle Lens先生に尋ねてみることに、樹皮がかなり特徴的に思えたので、その写真で調べてみると、類似画像のところにまったく同じ樹皮の写真が出てきた!
その画像元のページをたどってみると、「ヤマナラシ」という木だとわかりました。名前は聞いたことがあったけど、まさかこれがヤマナラシだったなんて。
ヤマナラシとは、昨日の日記で話に上ったドロノキと同じ仲間の木。もっとわかりやすくいうと、ヤマナラシもドロノキもポプラの仲間です。国産ポプラともいえる。
別の表記で書くと、ヤマナラシ=ハコヤナギ、ドロノキ=ドロヤナギ、ポプラ=セイヨウハコヤナギで、どれもヤナギの一種でもある。
いずれもポプラと同じように、幹が一本まっすぐに高く伸びる樹形をしているのが特徴。確かにこの木もそんないでたちだった。
冬芽図鑑を調べてみたら、確かにヤマナラシの冬芽や葉痕にぴったり。しかも、あの謎だった白いモフモフのことも解説されていました。
3月から4月ごろ、葉が出てくる前に咲く、ヤナギの花序だそうです。言われてみれば、ヤナギの花はモフモフでしたね。でも2月の極寒期に芽吹いているのは気が早いように感じますけど。
ドロノキやヤマナラシは、全然珍しい木ではなく、山の近くにいけば、あちこちに群生しているようです。図鑑の写真とにらめっこしてみれば、確かに見たことある樹皮にも思う。
ご多分に漏れず、若木と老木では樹皮の感じもかなり違うので、樹皮だけで見分けるのは難しそうですが、きっと、今までも何度も目に入っている木なんでしょうね。
気づいていない、知らない、わからないだけで、わたしたちのまわりにはさまざまな生き物がいる。それをこうして、ひとつひとつ見分け、知り合いになっていくのはいつだって嬉しいものです。
2020/02/06木
ついに今シーズンも朱鞠内で-30℃が
昨日の夜はかなりしばれましたが、ついに今シーズンもマイナス30℃がきました。
北海道で今季初の−30℃以下を観測 今季最強の寒気で強烈な冷え込み – ウェザーニュース
うちの近所の朱鞠内湖と、旭川の江丹別。ともに過去にはマイナス40℃の記録ホルダーのあたりだから、30は序の口でしょうけれどね。
わたしも一度は30℃でサイクリングしてみたいけど、たいてい30に届くのは深夜か明け方なので、チャンスがあっても25℃くらいかな。今週末あたりが狙い目になりそう。
ちなみに、この前書いたように、わたしはスマホの気温アプリに海外の極寒地の情報もいくつか入れています。オーロラが見えるところに憧れがあるので。
その中だと、サハ共和国のオイミャコンがダントツで寒く、マイナス50℃もよくあります。カナダのイエローナイフやアラスカのフェアバンクスはうちより10℃寒いくらいか。
アラスカのアンカレッジやノルウェーのスバールバル諸島は、案外いい勝負で、こちらのほうが寒いこともよくあります。ここの寒さが大丈夫なら移住もできるかも?
とはいえ、それらの地方はオーロラが見える=緯度が高くて白夜や極夜になる、という場所なので、夜はともかく昼間が嫌いなわたしには辛そうです。道北の夏でも昼が長くて嫌なのに(笑)
道北は気温のわりに緯度は低い(ヨーロッパだとフランスやイタリアあたり)ので、緑色のカーテン状のオーロラは見えません。
赤い低緯度オーロラならたまに見えるそうですが、夕焼けとか都市の明かり(霧の夜などはナトリウム灯が空に反射する)と区別しづらく、出ても気づいてないかもしれません…。
2020/02/07金
ハルニレの冬芽の表情
やってしまいました。あまり気が進まないのにスキーに出かけて、転んで手をついてしまって、手首を負傷。
位置的に中手骨か舟状骨を骨折してないか心配です。痛みの感じからすると骨折ではなく、この前の頚椎捻挫に似ているように思うのですが…。少なくともタイピングはできます。
ここのところ、ウクレレ練習のマイブームが再燃して、G♭みたいな難解なコードも押さえて弾き語りできるようになっていたというのに、この負傷のせいでしばらく弾けなさそう…。
北海道に住んでいるならスキーくらいできるようにならないと、と無理していましたが、こんなリスクもつきものだし、やめておこうかなぁ。
サイクリングとかスノーシューのほうが、わたしにとってははるかに安全だし、つまらないゲレンデではなく、どこでも好きなところにいって自然観察できるほうが楽しい。
それはそうと、用事で町中を歩いているときに、中心街に立っている大木に目を留めました。いつも見ている木だけど、何の種類か気にしたことはありませんでした。
ついこの前まで、わたしは樹木や植物の名前なんて全然興味がない人間でした。だけど、今のわたしなら、冬芽で見分けられるのでは?と近づいて観察してみる。
幸いにも、ひこばえがたくさん伸びていたので巨木とはいえ、手の届くところに冬芽がありました。その形を観察してみると…
なんだっけこれは。最近は見ていないけど、冬のはじめごろに観察した記憶があるような。タケノコ型だけど、偽輪生してないからミズナラではないし。町の真ん中にある大木といえばハルニレか?
そう推理して帰宅してから調べてみたら、予想通りでした。葉痕の形がくっきりしていて、ドワーフの顔みたいで覚えやすいですね。
冬のはじめごろに観察したハルニレの冬芽はもっともっと小さかったような記憶があるのですが、これは大木だから大きいのか。あるいはわたしが小さな冬芽を見慣れてしまったのか。
いずれにしても、地域に自生している樹木は、かなりの種類を冬芽で見分けれられるようになってきました。樹形や樹皮では判別できなくても、冬芽を見れば誰なのかわかるのが楽しいです。
今回はハルニレだったけど、森の中だったらオヒョウニレかもしれない、と候補をしぼりこんでいけますね。
都会で見かける植物や樹木は園芸種ばかりですが、ここでは地域に根付いた自生種が大半を占めます。
脈絡のない園芸種と違って、周囲の環境や生態系を頭に入れて推理できるので、新しい知識を学ぶのが楽しいですし、知るにつれてどんどんこの地域の生態系に対する愛着が深まります。
この冬は、インフルエンザ、頚椎捻挫、そして今また手首を痛めるなど災難続き。でも、まったく冬芽について知らない状態から観察を積み重ねてこられたことが嬉しいです。
2020/02/08土
雲ひとつない夕焼け
手首の捻挫は、一晩おくと、昨日より動かせるようになりました。まだ力を入れると痛みますが、指や手首の可動域は問題なさそうです。
転んだときに変な手の付き方をして、どこか骨折してるんじゃないかと不安でしたが、1週間程度で治りそうでよかったです。治るまで3週間かかった首よりは軽症の模様…。
でもやっぱりスキーは怖い。子どものときから滑っているならともかく、雪国2年目で調子に乗るもんじゃないですね…。もともと運動神経がいいわけでもないし。
今日はこの冬いちばんの冷え込み予報で、夜中にはマイナス28℃くらいまで下がる見込みです。それはつまり、空がよく晴れて、放射冷却が起きているという意味。
だから、夕暮れごろ空を見上げると、雲ひとつない冬晴れでした。まだ日が沈んでいないのに、マイナス15℃ほどまで下がっていたくらい。
これはサンピラーが見れるかもしれない!と期待して近くの山の上まで急いで出かけましたが、残念ながら、タッチの差で太陽が沈んでしまいました。遅かった。
それでも、雲ひとつない空を茜色に染め上げる夕日の残光が輝いていました。
手前の除雪で積み上げられた砕けた雪と、奥の自然に積もった真っさらな雪のコントラスト。波打ち際に砕ける波と穏やかな大洋のよう。
冬場ですから、太陽が沈むのは南寄りの西です。だから、上の写真は、ほぼ真西の方角を撮ったものになります。
道北にはそれほど高い山がないので、はるか遠くまで見渡せて、空の広大さを堪能できます。
太陽が沈んでいく山地をズームして撮ってみると、こんな虹色のグラデーションの写真も撮れました。脳で色が補正されるのか、手前の木々が緑っぽく感じられます。
よーく見ると、雲はちょっとだけありましたね(笑) でも、そのわずかな雲が、山々の上にただよって、また淡い水彩画のような情緒をもたらしてくれています。
さあ、これから今夜は、さらに放射冷却が起こって、マイナス28℃まで冷え込む予想。今年も温暖化で30℃には届きそうにないのは残念ですが、おそらく今シーズンの最低気温になるでしょう。
わたしが今までサイクリングしたことのある最低気温は21℃くらい。今日はその記録を更新できるかも。28℃まで下がるのは真夜中ですが、日付が変わる前でも25℃くらいはいくようです。
今年はこれまで、一番 厚い防寒着を着なくてもやってこれたけど、今日こそは万全の装備で挑むとしましょう。
思うほど下がらないマイナス22℃
というわけで、23時半ごろ、重装備してサイクリングに出かけましたが、残念ながら、マイナス22℃しかありませんでした。
それでもわたしがサイクリングに出かけた気温としては最低気温を1℃弱更新してはいますけどね。万全の装備を整えただけに肩透かし気味です。
マイナス22℃の夜ともなると、出歩いている人影はなく、たまに自動車が通りかかるくらい。自動車のドライバーにどう思われていることやら。
これから朝方にかけてさらに数度ほど冷え込む見込みですが、おそらく25℃くらいで打ち止めでしょう。わたしは明日用事があるので夜ふかしもできないし。
雪不足といっても、町中のバス停が埋まるくらいには降っているこの冬。排雪や除雪の回数が今シーズンはかなり少なくすんでいるようです。業者さんは仕事がなくて大変ですが…。
このわずかな雪も、来週には溶けそうな見込み。季節外れの暖かさで、日中プラス気温になる日が、4日くらい連続しそうな天気予報でした。
わたしの大好きな冬が終わりに近づいていることに寂しさを隠せません。去年もそうでしたが、春前は憂鬱です。春は春で楽しいことがある、と気分を切り替えていくつもりですが、やっぱり憂鬱です。
と言いつつ25℃サイクリングしてきた!
という話で終わらせてしまうのはあまりにもったいないし、憂鬱な結末なので、寝る前にもう一回だけサイクリングしてきました!
ついさっきとは明らかに違う寒さ。重装備の弱点をついてくる。上半身は極寒地対応のダウン、下半身はスキーウェアを着ているが、顔と手は装備が甘かった。
顔面は、ゴーグル型メガネやバイク用のマスクでガードしているけれど、それでも隙間風が痛い。手は、手袋を二重にしているけれどかじかむ。極寒地用ではなく、間に合わせの装備だから仕方ない。
それでも、だてに重装備しているわけではなく、自転車で走ること10分、気温計までは問題なく、たどりつけました。この寒さは今まで最低じゃないかと期待をもって確認してみると…
マイナス25℃! ついに次のステージに一歩上がった気分!
しかし、先程より3℃寒いだけで、こうも体力を削られるのか…。ちなみに、サイクリングしてるのはこんな道。
寒いと言ってもほぼ無風なので、自転車を降りてじっと立っていたり、歩いたりするのは、まったく問題ありません。それなら30℃になっても大丈夫だと思う。
しかしいざ自転車に乗って漕ぎ始めると寒い。風が体感温度をガリガリ削ってくる。マスクで鼻を覆ってはいるけれど呼吸すると冷たい。冷えすぎたかき氷を食べたときのよう。高山にいるわけでもないのに、息が切れてくる。
さしものわたしも、自転車で走るのは、これくらいの気温が限界じゃないだろうか、と感じました。マイナス30℃で出歩くとしたら、自転車じゃなくて徒歩が無難かもしれない。
しかしながら、身体が温まってくると、まだ行ける?という気にもなります。かじかんでいた手も、しばらく走っていると暖かくなってきますし。
何より、今日はまだ手の負傷が治っていない中でした。手に力が入らないから、服の袖口などをきつく縛れなかった。自転車の運転も片手は添えているだけだった。
だから、万全の体調で、さらに重装備を工夫できれば、もう少し寒くてもいけるような伸びしろも感じました。いったいわたしは何と戦っているんだろう。
にしても、いい経験ができました。今年の冬はマイナス25℃のサイクリングができた!
これは実地で身体感覚を通して体験してみない限り、理解できない領域なのです。この経験は、きっと代えがたい冬の思い出として残り続けるでしょう。
2020/02/09日
はじめてマイナス30℃超えた日のシャボン玉
天気予報を信じて、30℃には届かないと油断してた!
昨晩夜ふかし気味でマイナス25℃サイクリングをしたあと、珍しくぐっすり満ち足りて寝ることができ、起きたのは8時ごろ。
気温を見てびっくりしました。マイナス30℃超えただと…??
朝方に急激に冷え込み、早朝にマイナス30℃を超えて、道北のあちこちで今季最低気温を記録したそうです。最低記録は旭川の江丹別でした。
北海道で-36.0 ℃ 国内では19年ぶりの冷え込み – ウェザーニュース
あとになって地元の人たちと世間話したとき、この土地の寒さを誇りとしている住民たちなので「江丹別“なんか”に負けた!」と悔しがっていました。
でも旭川は公式記録でマイナス41℃を記録してるところだからなぁ。致し方なし。しかしまさかこの温暖化してるご時世に36℃行くとは思ってなかった…。
わたしが起きたときにはもうすっかり寒さも緩んでマイナス22℃くらい。その気温で寒さが「緩んだ」と表現するのは何かおかしい気もしますが、事実なのでしょうがない。
しばれた朝の恒例ともいえる、氷の精が描く我が家の窓霜アートは見事な出来栄えでした。
じつは昨晩、マイナス20℃以下まで冷え込んだとき、家の庭でシャボン玉をふくらませました。
「凍るシャボン玉」を先日試したときは失敗しましたが、今回は地面すれすれで吹くなど工夫。見事に丸い形のまま、雪の上で時間を止めることに成功しました。
それが翌朝になってみると…
マイナス30℃もの冷え込みを経て、時の流れが止まったシャボンたちは、凍てついて霜に覆われていました。ナルニアの白い魔女はきっとこうやって魔法をかけたに違いない。
手で触れると、シャーベットのようにはかなくもろく、一夜限りの魔法はとけて、崩れ去ってしまうのでした。
残念ながら、今回は、マイナス30℃をリアルタイムで経験することはかないませんでした。でも、わたしが引っ越しきてから初めて、マイナス30℃を超えた記念日であることは確かです。
リギダマツの樹霜と、川霧をかきわけるカモの群れ
午前中、あたりを散歩して自然観察していると、わたしが大好きな例の三葉マツがまたしても樹霜で凍りづけになっているのに気づきました。
ミツバマツ、つまり葉が3本のマツは日本の自生種には存在せず、外国産のリギダマツ、テーダマツ、スラッシュマツ、ダイオウマツのいずれかと思われますが、寒冷地対応ということで、たぶんリギダマツじゃないかな、と踏んでいるマツです。
(追記 : 別の機会に観察して、三葉ではなく五葉のチョウセンゴヨウだとわかりました)
わたしが自然観察をしてきて、陥りがちな失敗は、ただ目で観察するだけで満足してしまう、ということです。意識して思い出さないと、他の感覚を使うのを忘れてしまいます。
耳で音を聞く、というのはたまに無意識でもできますが、手で触れる、匂いをかぐ、というには大の苦手です。このときも、「そうだ、せっかくだから触ってみよう」と思いついたおかげで、すばらしい体験ができました。
フローズンアイスのように凍りついたマツの葉っぱに、そっと手を触れてみると、表面についた霜は、砂のようにさらさらと落ち、風に吹かれてキラキラ飛び去っていきました。
水分を含んでねっとりすることも、重くべとつくこともなく、ダイヤモンドダストのごとく大気に溶けていきます。
霜が落ちた葉は、まるで最初から霜など一度もかぶらなかったかのように、力強く、つややかな緑に輝いていました。
もうひとつ驚いたのは、すぐそばを流れる天塩川から、温泉のような湯気が立ち上っていたことです。どこからか工業排水が流れ込んでいると言われても信じてしまいそうなほどの湯気。
だけど、澄み切った清純な天塩川に、そんな人工の熱の気配は感じられません。答えはただ一つ、大気があまりに寒すぎて、川の水が「相対的に」温泉のように暖かいということでしょう。
あとで知ったところによると、この現象は「川霧」と呼ばれているそう。ちょうど今日のニュースで、川の水温が気温より高くなると発生すると解説されていました。
マイナス20℃を越えるような極寒では、川の水さえも、温泉のように暖かいといえるのか。これまで、マイナス20℃で外出していたのは夜ばかりだったから川霧に気づかなかった。
川の水が相対的な意味で暖かい、ということを裏づけるかのように、この極寒の朝に、カモの群れが泳いでいました。種類はマガモ? 今のわたしではわかりません。
カモたちは、湯気がたちのぼる天塩川を、川の流れのおもむくまま流されるアヒルのおもちゃのように、慣性に逆らわずに泳いでいきました。
カモたちにとっては、この極寒の大気よりは、水の中のほうがきっと暖かくて快適なのでしょう。わたしは、いくら湯気が立ち上っているからといって、水に手を触れる勇気はありませんでしたが。
見渡す限りの流氷は壮観すぎた!
午後は、いきなり友人から電話があって、「いい天気だから流氷を見に行こう!」と誘われました。昨日接岸がニュースになったばかりの紋別のまっさらな流氷です。
わたしはてっきり、去年の経験から、ガリンコ号に乗りにいくのかと思っていたら、全然違いました。あんなのは観光客の行くところ。地元の人はもっといいスポットを知っているのだった。
オホーツク海に出て、沙留、そして紋別の海岸沿いにつくと、我が目を疑わんばかりの、海を埋め尽くす荘厳な氷のカーペットが!
流氷って! こんなに! すごいものだったのか!? その大迫力、水平線を埋め尽くす広大さに圧倒されました。ここは日本なのか、それとも北極海なのか?
去年、曇天の下、マグロがキンキンに引き締まってそうな寒々しいオホーツクの海を眺め、わずかばかりの氷を砕いた、あのガリンコ号はいったい何だったのか? 去年の感想記事を撤回しようかと思ったほどです。
ガリンコ号で有名な紋別港に行けば、確かに砕氷船には乗れますが、自然のままの海岸に接岸した、本物の流氷は見れないんだなぁと思いました。
わたしが見に行ったのは観光地化された流氷で、今回目にすることができたのは、本物の流氷だったのだ。
大勢の観光客にもみくちゃにされながら(そしてコロナウイルスの危機にさらされながら)、騒音けたてる砕氷船の上から眺める流氷も、それはそれで味があるのかもしれない。
だけどわたしは絶対こっちのほうがいいと思う。
自然のままの浜辺に降り、雪の隙間にちらりと見える黒い砂浜を踏みしめて歩き、波打ち際まで迫ってきた巨大な氷の塊に手で触れて、自分が北極海に立っているかのように実感できる体験のほうが。
氷を砕く機械やスクリューの騒音にかき消されることもなく、遠い海から氷を運んでくる波の音にただ耳を傾け、鳥たちの歌声を探しながら、どこまでも続く砂浜を歩いて深呼吸するほうが。
やっぱり観光客と地元の人は違う。
わたしは一昨年、観光客としてたった一週間ほど道北を訪れたとき、自然が美しいとあまり思えなかった。ただ体調がよくなるから引っ越してきたにすぎなかった。
だけど、去年一年間、日々身近な自然に親しんだとき、なんて美しいのだろう、なんて愛しいのだろうという思いを深めていった。ひとときの旅行先の愛ではなく、共に暮らす家族のような愛を育んだ果てに。
旅行に来るだけでは決して見えないその土地の良さがある。大自然には、そこに住んで苦楽を共にすることを決意した人にしか見せない素顔がある。
波打ち際の流氷は、寄せては返す波に揺られて、持ち上がったり、落ち着いたりを繰り返していた。まるで海が呼吸しているみたいだと思った。自然は生きているのだ。人と同じように。
港を歩いていたとき、近くのお店の店員さんが、スマホで凍った海の写真を撮っていた。
話を聞いてみると、海が凍っているのはいつものことだけれど、このような模様になるのは珍しいのだそう。どうしてこんな力強い模様を描いてひび割れていくのだろう。
自然は毎日姿を変えるからこそ美しい。決して飽きることなく、来る日も来る日も発見と出会いがある。生きているってそういうことなのだと思う。
2020/02/10月
友だちと満月を眺めてアイスキャンドルを灯す
裏山の松林にスノーシューで登って、友だちと満月を見に行きました。本当の満月は昨日だけど、友だちの仕事の休みが今日しかなかったもので。
それなのに、昼間はあいにくの曇り空で雪もちらつく。これじゃ月は見えないかな、とがっかりしていたら、奇跡的に少しの時間だけ晴れてくれました。
興奮してスノーシューでドタバタ走り回ったせいで、地面が穴ぼこだらけの写真に(笑)。せっかくの真っ白な雪原だったのに…。
だけど、ふわっふわの雪をスノーシューで踏んだり、寝転がったりするのは最高に気持ちいいので、どうしても走り回りたくなってしまうのです。
満月は雲をまとっておぼろ月に。月暈が虹色に輝いていました。ほとんど明かりのない夜なのに、月明かりで雪がキラキラして遠くまでよく見えました。
一時的に完全に晴れて、まばゆいばかりの天空の鏡のようでしたが、すぐに曇ってきて、帰るころには分厚い雲に閉ざされてしまいました。一番いいときに眺めることができて、運がよかったです。
ここに引っ越してきてから、月や星空が身近になって、天体の運行の理解が深まりました。
たとえば、月の出は一日に50分ずつ遅れて、約30日で一周すること。もしかしたら学校でも習ったのかもしれないけれど、机上の知識なんて実感がないから、すぐ忘れ去ってしまうものです。
でもこっちでは毎日、月を目にするから、「ああ、あれが明日は50分遅れるのか」って思う。
昨日、流氷を見に行った帰り、18時ごろに満月が山の上の低い位置に見えていたので、「これが50分ずれるということは、明日、月を見に行く時間は19時以降がいいな」と計算していました。
また、星をよく見に行くようになったので、月明かりがある日は星が見えないことを学びました。新月か三日月のころなら満天の星空になるので、日々の月齢を意識するようになりました。
今日も、空を見上げながら、どの星が何座だと解説したり、天体の位置から方角を見極めて、町の位置などを教えることができました。これぞナチュラル・ナビゲーション。
でも林の中では、一瞬ちょっと迷いそうになって不安になりかけた場面も。わたし発案で見に行ったのに、ガイド役が迷ったら危なかった。怖い怖い。
家の近くを案内していただけだけど、森の中は普通に雪深いし、気温もマイナス10℃くらいはあるので、最悪の場合、家のそばで遭難しかねない。
先に進むのをやめて、自分の足跡をたどって引き返したほうがいいのでは?という気持ちが頭をよぎりました。
でも、落ち着いて自分の足跡を見て、どちらの方角から登ってきたか把握し、月の位置から方角を把握して、頭の中で地図を組み立てなおすことで解決しました。
自然を甘く見てはいけない。油断するとすぐ道に迷ったり、アクシデントが起こったりするから、常に注意深さを忘れないように、あたりをよく観察して歩かなければ。
結果的に、今回のスノーシューてせのお月見は、友だちもとても楽しんでくれて、大成功でした。何度も歩いて、もっとわたしも経験値を積みたいです。
ところで今日は、先週から毎日ひとつずつバケツで作っていたアイスキャンドルに火を灯してみました。明日あたりから季節外れの暖かさで溶けてしまいそうだったので。
家の庭に飾ったアイスキャンドル。暖かい光がとても心地よい。友だちにも見てもらえて、作った甲斐がありました。来週また寒くなったらもう一度くらいは作れるかな。
そうそう、手の捻挫は、ウクレレ弾けるくらいまで改善しました。まだ人差し指でセーハするコードを押さえると痛いけれど、明日か明後日には完治しそうです。
転んだときは手にものすごい衝撃を感じてジーンとしたので呆然となりましたが、思ったより軽くてホッとしました。1月の謎の頚椎捻挫に比べると治りがかなり早かったです。
これを機に怪我を防ぐ装備を整えて、あらかじめ対策しておきたいなと思いました。
2020/02/11火
名残惜しくスノーシューで公園を歩く
明日から数日間の気温がプラスです。なんてことなの。
真冬の一番気温が下がるはずの極寒期に、気温が一日中いや数日間にわたってほぼプラスになる予報です。日中は7℃くらいまで上がるとさえ。
ひどい異常気象! ただでさえ平年より少ない雪なのに、この数日でほとんど溶けてしまうでしょう! 溶けたらアスファルトやコンクリートがむき出しになり、殺風景がよみがえります。
サイクリングやスノーシューを楽しめなくなるし、圧雪が溶けてアイスバーンで滑りやすくなるし、最悪です。地球がおかしくなっていくのを見ているとため息が出ます。
でも悲観的になってもしかたない。今日で今年の冬はもう終わってしまいそうだったので、スノーシューをかついで自転車に乗って、大きな公園まで散歩にいきました。
去年の冬、スノーシューでこの公園を歩いてとても楽しかったので、今年も満喫したかったんです。それなのに、こんなに早く、冬の終わりが到来してしまうなんて。現実は無常です。
公園の入り口には、ハシドイやハリエンジュなどの木が立ち並ぶ、とても急な階段があります。ふもとに自転車を止めてスノーシューで登りましたが、階段が埋まっているのでただの急斜面でした。
雪が深いから足が重い。滑らないよう、一歩進むごとにつま先に力を入れて地面を踏み固めて登る。頂上にたどりつくころには息が切れて汗をかいていました。
公園には、誰も足を踏み入れた形跡がなく、均一にデコレーションしたクリームのような雪に、あたり一面覆われて、ただ動物や風の足跡だけが残されていました。
自分だけが足を踏み入れることを許された特別な遺跡を探検しているかのよう。こんなに楽しいなら、もっと頻繁に来るんだった。異常気象で雪が溶けてしまう前に…。
少し吹雪きはじめて肌寒く感じましたが、めったにないチャンスなので、あちこち探検して、自然観察して、写真も撮りました。
この冬じゅう冬芽の観察を頑張ってきたおかげで、身近な木々であれば、かなりの確率で種類を判別できるようになりました。
たとえばエゾヤマザクラの冬芽。ひと目見たときは、枝先に芽が集まっていることからミズナラではないかと安易に考えましたが、芽の色がもっと赤っぽいし、樹皮がどう見てもサクラだったので、エゾヤマザクラだと気づきました。
ミズナラもエゾヤマザクラも、芽が枝の先のほうに集まって、鳥の足のような形になるのが特徴です。
例年通りなら、咲くのは5月のゴールデンウィークのころでしょうか。温暖化しているから、もう少し早まる可能性もありますが。
この公園にたくさん生えているイヌエンジュの木は、いまだに豆をたくさんつけたままでした。
同じような形の実をつけるハリエンジュやヤチダモは個体によって実がついているのも落ちているのもあります。ここのイヌエンジュも、たまたま実を落とすのが遅かったものなのでしょうか。
イヌエンジュの冬芽を見てみると、芽鱗が2枚の丸いかわいらしい形で、確かにシナノキやオオバボダイジュと似ています。
しかも、先日書いたように、もふもふとした白い毛が生えている枝もあれば、まったく生えていない枝もあります。上の写真はうぶ毛がありますが、下の写真はありません。
つまり、有毛のオオバボダイジュとも無毛のシナノキとも区別しにくい。
豆ができるほどの大きな木であれば、実を観察すれば区別は容易ですが、地面からちょこんと生えている子どもの木だとわかりにくいですね。
今、話題に出たヤチダモの実もたくさん残っている木がありました。すっかり全部実が落ちて、ひげ(果軸)しか残っていない木もあって不思議です。
と思って調べてみたら、どうも、毎年実がついているわけではないみたい。数年前に実を落とした果軸だけがひげになって残っている場合もあるようです。
だとしたら、ひげだけしか残っていないヤチダモは、必ずしも早々と実を落とした木とは限らず、今年は実を結んでいない木だという可能性もあるのかもしれませんね。
ほかに見かけて面白かったのは、ズミの木。サクランボみたいな実がまだ幾つか残っていて、黒ずんでしわしわになっています。鳥たちの食べ残しでしょうか。
バラ科の木々は種類が多くて区別しづらいのが大変。この木も、上の写真の、枝の先のほうについている芽に見覚えがなく、これは何だろうと頭を悩ませました。
でも、枝に沿ってついている側芽のほうは、図鑑に載ってる写真そっくりで、ズミだとわかりました。確か冬の初めごろに観察して写真を撮ったことがありましたね。
ナナカマドやサクラなど他のバラ科に比べると、とても小さくて目立たない控えめな冬芽です。リンゴ属だから、リンゴの木の冬芽に似ているのかな? 見たことがないけれど。
ほかに見かけたのは、青々とした立派なマツ。葉っぱの数が5枚セットだったので、たぶんキタゴヨウでしょう。同じ葉が5枚のチョウセンゴヨウやストローブマツほど葉が長くはなさそうだから。
もっと歩き回ってあたりを観察したかったけど、吹雪いて寒くなってきたし、日が落ちて暗くなってきたので、仕方なく家路につきました。
今年の冬は結局、そこそこ積もってスノーシューが楽しかったのは、ここ2週間くらいだけでした。スキーなんかに浮気せず、もっと遊んでおけばよかった。
これから、いったん暖かくなった後も、また寒さが戻ってくる予報ですが、そんなに雪は積もらないだろうし、積もってもまたすぐ溶けてしまうでしょう。残念なことに。
2020/02/12水
やっぱり雪は溶けてきた
今日から季節外れの暖気で、3日連続で、気温がプラス推移する憂鬱な日々です。路面もすっかり溶けてガタガタになってしまって、サイクリングはもう不可能です。
終わった。今年の冬はもう終わってしまったのだ…。異常気象によって。かりにまた寒くなったとしても、圧雪になるほど雪が降るのは期待できないでしょう。
そんな今日は午前中、スキーの講習会に行っていました。あまり行きたくなかったけど、誘われてOKしちゃったので仕方ない。
この講習会があるのに、先週の土曜日に手首をグキッとやってしまって、もうこれは出席できないかなと思ってました。
でも幸いにも軽症で、今日はストック持って力を入れられるまでに回復していました。まだ腕立て伏せとかはできませんが、全治一週間というところでしたね。
でも、それ以外にも、首や肩が痛かったり、もともと腰が弱かったり、あちこちガタガタなので、スキーはあまりやりたくない。スノーシューで歩くほうがわたしには向いてそうです。
スキーの講習会では、そこそこの距離を歩いた後に、斜面を滑り降りることに。コーチの人が、「転んでも雪で痛くないから、転ぶのもまた一興ですよ」みたいに安心させてましたが、前を滑る人がバッタバッタと転ぶ転ぶ。
慎重なわたしは一番最後に滑りはじめ、両足踏ん張ってブレーキかけまくりながら、低速で降りたのでした。横から「もっとスピード出してもいいですよ」なんてアドバイスされたけど怖すぎる。怪我が。
そのおかげで、今日は一度も転ぶことなく、それなりに快適に滑って乗り切れました。
転ぶのも上達には必要だろうけど、せめてプロテクターとか買って装備を万全にしてからにしよう。10年も慢性疲労症候群やって寝たきりだったこの身体の脆弱さを忘れてはいけない。
帰り道で撮った天塩川。表面に張っていた氷は溶けていて、澄んだ流れの底に川床がくっきり見えています。まだ雪はもちろん残っていますが、気温プラスの日がこれからまだ2日も続く。
なんか4月みたいな空気感ですね。大気が生暖かいし、川は青いし、川岸の木の枝が心なしか赤みを帯びているように見える。ヤナギの芽のせいだろうか。冬にあるまじき色の多さ。
このまま冬が終わりそうなのがひどく憂鬱ですし、サイクリングもスノーシューも楽しめなさそうなのが辛いですが、久々に家にこもって絵でも描こうかな…。
2020/02/14金
氷爆の絵
というわけで、予告どおり、絵を描きました。
外は雪が溶けて、地面がぐちゃぐちゃです。南極は今日20℃超えという異常気象なので、南極よりは寒いですが…。
近くの公園を歩きに行きましたが、残っている雪も固いところと柔らかいところが混在していて、油断すると足を捻挫しそうなので、早々に引き上げてきました。
明日からまた一週間ほどは寒くなるようですが、春の足音が迫っています。
2020/02/16日
ハリギリ、シナノキ、ドロノキの冬芽
先週暖かい日が連続したせいで、道路がいったん溶けてまた凍ってツルッツル。自転車に乗っていればスパイクタイヤのおかげで安定するけど、歩こうとすると危ない。
ここ数日、仕事とか友だちの観光案内とか忙しかったのだけど、やっとちょっと暇を見つけて自然観察。散歩がてら、冬芽の観察で木を識別してみる。
遠くから見たら、枝が少なかった木。太い枝はあるけれど、細かい枝がなく、目立つ樹形。近づいて低い枝の冬芽を見て驚いた。
これは…!? 一瞬ヤチダモかと思ったけど、すぐトゲがあることに気づく。てことはこれはハリギリか! わかったときの嬉しみ。
樹皮を見てみたら、斜めに螺旋状に溝が刻まれていて、秋に覚えたハリギリの樹皮そのものでした。点と点がつながっていく。
ハリギリはこのあたりに幾らでもある木だけど、今まで幼木の冬芽しか見たことがなかった。ハリギリの幼木はまるで地面に刺さっている賢者の杖みたいでかっこいい。
成木の場合は、その賢者の杖が、そのまま枝先にくっついてるんですね。冬芽って小さいのが多いから、こんな大きな親指みたいな芽が突き出てる木は面白い。
次に見かけたこれは…
シナノキかな? 写真だと色が赤っぽいけれど、じかに見ると黄みがかっていました。シナノキの冬芽は「クリームパン」みたいだと覚えるらしく、なんとなくそれっぽい。
芽鱗も2枚だし、イヌエンジュとはちょっと形が違うし、オオバボダイジュみたいに毛も生えていないから、シナノキでいいかな。樹皮もなんとなくそれっぽかった。
次のこの冬芽。第一印象はナナカマド? と思って、次にシウリザクラか? と思って、樹皮を見たら、ぜんぜんサクラではなかった。なんかデジャヴ。
前にも、こんなことがあったなーって思い出しました。これはハコヤナギ科のヤマナラシかドロノキだ。幹をみると、すっと一本まっすぐ立っているのもそれらしい。
ドロノキとヤマナラシのどちらなのかがわからなかったんですが、この樹皮はどっちかというとドロノキのほう?
ヤマナラシは前見たときはもっと菱形の模様がいっぱいだった気がする。それにヤマナラシの冬芽はもう少し丸みを帯びていたかな。
こうして気づいてみると、ヤマナラシやドロノキって、あちらこちらにたくさん生えているのがわかるようになってきました。よく見かける薄茶色の滑らかな樹皮の木はこれだったのか。
樹木観察して、手持ちの知識で推理して識別するのって楽しいですね。
オオアカゲラのオス
野鳥観察しているときに、バードフィーダーのそばに止まってくれたオオアカゲラのオス。前回見たのはメスでしたが、今回は頭のてっぺんが赤いので間違いなくオスです。
アカゲラの可能性もありますが、アカゲラだったら、頭頂部の赤い部分が後頭部だけのはず。
大きな鳥がやってきた時は、はて何だろう?、と思いましたが、背中を向けて白黒チェックのまだら模様が見えたとき、思わず、オオアカゲラだ!と声を出してしまいました。珍しい鳥ではないけど嬉しい。
飛び立つところまで動画に撮ったので、上の写真はその切り抜き。翼の模様に見とれてうっとりしてしまいます。
2020/02/17月
やはりCFSは治ってないから自然がないと生きられない
今日は体調が悪かった。いや、今日だけでなく、ここ数日間、どうもぱっとしない体調が続いています。だるくて眠くて、目が疲れて熱っぽい。
東京に住んでいたら、もしかしてコロナにかかったかも?と疑ったかもしれないそんな体調。十中八九、慢性疲労症候群が原因なのですが。
ほかにも、相変わらず首の筋をよく違えたり、腰が痛かったり、先日怪我した手首が治りきっていなかったり、ちょっと無理するとあちこちガタガタです。
道北に引っ越してきて1年と数ヶ月。かつてよりたくさん動けるようになり、体力もついたように見えるから、時々、自分はもう慢性疲労症候群じゃない、病気は治ったのだ、と言いたくなります。
でもそれは違う。あくまで状況限定の治癒です。自然の中にいるときだけ症状がほとんど消えて、自然から離れると元に戻ってしまう。それはこの一年間変わっていません。
長い間寝たきり引きこもりが続いていたので、身体も弱く、すぐ怪我をしたり痛めたりします。自分の虚弱さを意識しておかないといけません。
ここ数日も、仕事だったり運転したりが忙しく、ほとんど自然と触れ合う時間が取れませんでした。
一応、車で町に外出はしているし、家でリングフィットで運動している。疲れたから無理に出かけず、家でゆっくりしてもいいか。そんな生活をしていたら、この体調です。
そのまま今夜も寝ようとしましたが、あまりに身体がだるくて、疲れているのに寝れません。このまま悶々としていても仕方ないので、思い切ってサイクリングに出かけました。
時間は23時。気温はマイナス5℃。昼間に積もった道路の雪は除雪されていましたが、あちこち凍結してツルツルです。スパイク付き自転車に乗っていれば問題ないですが、足を地につけるとツルンといきます。
町中へ行くのではなく、森のそばのコースを30分ほど走りました。途中、雪が吹き溜まりになっているところがあって、全身でバランスをとりながら乗り進みました。
帰ってくるころにはすっかり気分がよくなってリフレッシュしていました。一年前に引っ越してきたときから何度も実感しているとおりでした。
疲れてしんどい時こそ、自然の中で運動すると元気になる。少なくとも30分くらい自然の中にいると疲れが回復してくる。
これには科学的な裏付けがあることもブログにまとめました。都市や家の中で運動しても自律神経はリラックスしないが、自然の中で運動すれば生体機能が調節されると研究は示しています。
なのに、それを時々忘れてしまう。いや、覚えてはいるけれど、知識を行動に移すのが億劫になってしまいます。
本当に疲れているとき、だるいときに、ベッドで寝たいという誘惑を押しのけて、服を着替えてサイクリングに出かけるには、それなりに意志力が求められるからです。
でも、行動しだいで結果はまったく変わります。疲れているときにベッドに倒れ込むと、高ぶった神経のせいで寝られず悶々としますが、一度自然の中で運動してリラックスすれば、気持ちよく寝られます。
だから、自分をよく律して、習慣を守らないといけません。わたしの慢性疲労症候群は治ったわけではない。自律神経の乱れが治癒したわけではない。
わたしは今でも解離しやすい性質のままであり、それはとりもなおさず、良くも悪くも環境に振り回されやすいという意味である。
あくまで自然の力を借りねば、自律神経を安定させる生体調節効果の恩恵は受けられないのだと、言い聞かせる必要があります。
いつでも自然を満喫したいときに、家から一歩出るだけで願いがかなうこの環境のありがたみを忘れないように。
服を着替えて外に出かけることくらい、都会に住んでいたころに比べれば、はるかに恵まれているのですから。
2020/02/19水
氷爆を見にいくとヤナギの花が咲き始めていた
今日は久しぶりにまた近くの氷爆を見に、スノーシューで森の中まで。気温はマイナス2℃くらいでとても暖かい。でもマイナスなので、氷が溶けるほどではない。
この暖かさのせいか、川べりでは、もうネコヤナギの花が咲きかけていました。白い綿毛みたいな花が冬芽から顔をのぞかせています。
このヤナギの種類というか正式名称はなんだろう? ヤナギの仲間は種類が多く、まだほとんど調べていないので、種類ごとの違いが全然わかっていません。
道中の森の中は、ふだんはほとんど人の手が入ってなさそうなのに、今回は営林署が入ったようで、細い木が間伐されていた。伐られている木は冬芽からしてエゾイタヤの若木ばかりのようだった。
無節操に伐採しているわけではなさそうなので、特に悪い印象はなかったけれど、伐られた木が転がっている風景は少し興ざめに思えた。
川の水の上に氷が張って、雪が積もって対岸まで渡れるようになっている箇所がいくつかあり、滝壺のあたりも固まった雪の上を歩いてそばまで近づくことができた。
滝は前回ほどではないけれど、かなり雪をかぶっている。氷がかなり分厚くなっているのか、透き通った色ではなく、水色に濁った氷が全体を覆っている。
すぐ手前まで近づいて耳を澄ますと、分厚い氷の裏側を川がちょろちょろと流れている音がした。
凍った滝を手で触ってみると、鍾乳洞のような有機的な形に固まった曲面のさわり心地にうっとりしてしまう。アントニ・ガウディはこんな質感を再現したかったのだろうか。
オオカメノキの花芽、シマエナガと遭遇
いつも観察しているオオカメノキの若木が近くにあるはずなので探してみる。幸い、これらの若木は伐られていなかった。滝のそばの斜面にあるからわざわざ間伐もいないだろう。
いつもは寒いからあまり長居できないが、今日は暖かかったので、いつまでも自然観察できそうだった。それで、いくつかオオカメノキを見て回っていると、冬芽にまぎれている花芽を発見できた。
オオカメノキというと、山吹色の裸芽も美しいのだけど、この写真のように、裸芽2枚に包まれた丸い花芽がよく図鑑などに載せられている。
これまでは裸芽の部分だけしか写真に撮ったことがなかったので、花芽ごと写真に撮れて嬉しかった。
オオカメノキ(ムシカリ)は、名前がおもしろい、冬芽がユニーク、花はアジサイみたい、葉は亀の甲羅みたい、と何かと話題に事欠かないアイドル的存在だと思う。
もうひとつ、滝壺の近くの岩場に巻き付いていた謎のツル植物?が気になったので写真を撮っておいた。
なんだろう、これは。通常なら対生の芽があるところに、ふさふさした何かがくっついている。何なのか見当もつかないし、どうやって調べたらいいのかもわからない。
なんとなく、イラクサっぽさを感じたのだけど、冬のイラクサってこんなのだったっけ? ネットで調べても冬のイラクサの写真なんてないし、夏にイラクサを観察したところで見てこないことにはわからない。
シマエナガと遭遇
帰りに森のなかで、まさかの雪の妖精シマエナガと遭遇。
何羽かで群れて飛んでいる小さな鳥を見かけて、最初はシルエットと身体の黒い模様から、ハシブトガラではないかと推測。だけど遠くて動きも早かったので模様がはっきり見えない。
しかし、ハシブトガラにしては妙に尾羽根が長いし、黒くて目立つ。
頭上を飛んでいったときにすれ違いざまに顔を確認したら、顔は真っ白、尾羽根は黒で、シマエナガだとわかった。
シマエナガは北海道やサハリンの固有種。「雪の妖精」と呼ばれて有名なのは知っていたが、遭遇できたのは今回がはじめてだった。嬉しい。
動画も撮ったけど、あまりに対象が小さく、わたしの声なども入ってしまっていたので、掲載しないでおきます。
撮った動画の鳴き声をあとでネットと照合してみたら、やっぱりシマエナガで合っていた。チーチーというさえずりと共に、ジュリリリという特徴的な声も記録されていました。
ネット上では、雪の妖精と呼ばれ、マスコットキャラ化しているシマエナガですが、雪の積もった森の木々のあいだを華麗に飛び回るさまは見事でした。
やっぱり写真や動画で見るのと、実物と出会うのとでは違いますね。可愛い生き物という以上の、感動があります。
たとえばネットでシマエナガのコラ画像が流行ったという記事を見かけましたが、実物をじかに見た経験のある人って、わざわざあんなのを作ろうとするものなんでしょうか?
本物が自然の中で飛び回る様子を見れば、容姿だけでなく、動きや立ち居振る舞いにも魅力を感じるでしょうし、雪の森を背景にしてこそ映えることにも気づくのではないかと思います。
一方、2次元の画像や映像でしかシマエナガを見たことがない人たちは、3次元の空間で本物と接した人と違って、ただのキャラクターのような認識になってしまうのかも。
今やインターネットで2次元の情報はいくらでも手に入るようになりましたが、そのせいで、本物の3次元の経験がない人が増えすぎて、実体験抜きで作られ加工された幻想が独り歩きしているように思えてなりません。
2020/02/22土
流氷の絵
先週からコツコツと描いていた流氷接岸の絵がやっと完成。簡単そうに見えて、思いのほか複雑な風景で、描きこんだり、全体の調和をとったりするのに時間がかかりました。
それにしても、今見返しても、東京暮らしをしてた2016年から2018年前半ごろの自分の絵の質がおかしいですね。神ってるというか限界突破してるというか。あれらの絵を「空想」だけで描いていたというのは自分でも信じがたいレベル。
たとえば、「いつか帰るところ」とか、本当にもう身体のあちこちに異常が出てて、重病を疑って検査にも通っていたころで、BDFFの「不死の国」を聞きながら、遺作になるかもしれないと崖っぷちの気持ちで描いた覚えがあるし。
あの時期は、文章の執筆も、とんでもない量と内容を書いていたし、いったいどうやって生きてたんだろう。いい意味ではなく、解離のせいで人間であることを捨てていた結果なのだろうなと。
もしあのままの生産性を続けることができていれば、天才になれていたかもしれないが、実際にはオーバークロック状態の産物だったので、すぐに身体がもたなくなってしまった。
いや、だとすると、モーツァルトとか芥川龍之介とか、薄命の天才はそういう状態だったのかなぁとも思ったり。人間として限界突破して創作を続けた結果、生きていられる状態じゃなくなってしまったのかもしれない。
わたしもあのまま行けばそうなっていたかもしれないから、たとえ創作のペースや質が落ちたにせよ、ただの凡人になったにせよ、楽しんでマイペースで取り組めるようになった今のほうが幸せなのでしょう。
ヤマモミジやイチョウの冬芽
今日はまた気温が高くなって、雪がかなり溶けてしまいました。せっかく昨晩ようやく、いい圧雪に戻ってきていたのに…。もうやっぱり冬は終わりなんだなと感じます。
スノーシューで近所を散歩してみましたが、溶けた水が雪に染み込んで、雪が固く重くなっていました。スノーシューの爪の隙間に、ダマになってくっついてしまう。
ほぼ0℃の気温で暖かく、散歩するにはちょうどよかったかもしれません。樹木の冬芽や、動物の足跡をたくさん観察できました。
冬芽の中で面白かったのは、ヤマモミジとイタヤカエデを両方観察できたこと。ヤマモミジは以前に写真を載せたので、今回はイタヤカエデを。
まるでイヌの足のようなユニークな形。ヤマモミジのほうはシカやヒツジのひづめみたいなので、同じ足跡つながりでも随分違います。
どちらも以前は同じ「モミジの仲間」としか思っていませんでしたが、冬芽で見分けられると楽しい。
イタヤカエデの木には、たくさんのヒゲが。
果実を落としたあとのズミなどに似ていますが、これはカエデの種が落ちた跡ですね。よく見ると幾つか種も残っていて、カエデだと確認できました。
続いて、たぶん初めて観察したのが、このイチョウの冬芽。独特なつぶれたような形に、よく目立つ橙色の芽。
前に頭を悩ませたカラマツの冬芽に近いと感じましたが、枝ぶりや色は明らかにカラマツではない。
帰って調べてみるとイチョウでした。
イチョウは野生には生えている木ではないけれど、街路樹や公園樹としては頻繁に植えられています。今日観察したのも公園に植えられた苗木だったので、納得でした。
歩いている途中で、ふと、「ジュリリリ」と聞き覚えのある声がしたので、見回してみると、カラマツ林に、シマエナガの群れが止まっておしゃべりしていました。
こんな身近にシマエナガがいたのか。きったこれまでも何度も遭遇しているのだろうけど、声を知らなかったから、気づけなかったのでしょう。
レイチェル・カーソンが、モリツグミについて書いていた話を思い出す。本当は家の庭で鳴いていても、その鳴き声を知らなければ、存在に気づくことはできないのだと。
2020/02/23日
コロナが増える北海道だが…?
連日、感染報告が増えて、ついに道北の旭川まで進出してきたコロナウイルス。ここからは県2つぶんくらい遠いイメージですが、心配なことに変わりはない。
都道府県別に見ても、北海道は急なペースで感染例が増えているように思えます。重篤者は気の毒だけど、個人的にはかえって良いことなのかもしれないという気もします。
感染者が増えているのは日本列島どこも変わりないでしょうが、おそらく検出率に大きな差があると踏んでいます。
たとえば、人口総数、密度からしても、絶対に大阪や東京のほうが感染者はずっと多いはず。しかし、いろいろな理由から北海道に比べて、検査や報告が滞っている可能性がある。
だとしたら、北海道は早めに症例が多く報告されて、危機意識があおられ、外出や集会自粛、観光客の減少などが他県より速やかに進展するかもしれない。
北海道はそもそもの人口密度が低いので、初動早めで危機意識があおられて対策されるようになれば、以降はあまり拡大しにくいはず。
希望的観測かもしれませんが、東京23区の人口密度が15000人/平方kmなのに対し、道北は10人/平方kmだったりするので、どう考えてもこっちのほうがマシでしょう。
今は物流を通してどこにでも感染が広がる可能性はあるので、心配は心配ですが、アルコール消毒スプレーも用意したし、細心の注意を払って生き延びたいです。
いつかは感染するのは仕方ないにしても、できるだけ感染を遅らせることができれば、重症化した場合のワクチンや治療薬などが整備されているでしょうから。
それはそうと、北海道は低気圧で大荒れとの天気予報ですが、道北はほとんど雪が降らず、風もそれほど強くありません。いつもどおりです。
まだ一面 雪で覆われているものの、例年の1/3くらいでしょうか。気温がプラスの日が続けば、すぐにでも溶けてしまいそう。
今シーズンは結局、雪不足のまま終わりそうです。今年1月は、世界レベルで異常な暖冬だったというニュースもありましたし、今年も世界各地で災害が続発しそうです。
解離の当事者としての心境の変化のメモ
自然観察とはあまり関係のないけれど、他に書く場所もないのでここにメモしておく。
昨日もちょっと触れたけれど、16年から18年なかばくらいまでの特に解離がひどい時期に、大量の考察記事をアップした。一連の記事はすべて、あの時期の自分にしか書けない踏み込んだ内容だった。
今まさに熾烈な症状がある当事者にしか書けない考察、いわば、外部から隔絶されている専制国家に潜入して、内側から書いた迫真のルポのようなものだったと思っている。
その後、死の淵をさまよったあげく、もう限界かというところで、長年の調査が実り、こうしてある程度まで体調を改善させることができた。
久しく感じられなかった「幸せ」という感情を、今ではそこそこ味わうことができる。
いまだに悪夢を見たり、金縛りに遭ったり、フラッシュバック的な症状が出るときもある。でもそんなとき、
「今はもう、自分はあの状況にいないんだ。もうあれは過去のことなんだ。今はこうして心地よい大自然に囲まれて生きているんだ。一歩家から出れば、大雪原や森の息吹を味わえるんだ」。
はたとそう感じて、心の底からホッとする経験を何度もしている。なんだか、強制収容所体験のサバイバーみたいだ。でも脳科学的には起こっていることが同じなので当然か。
一生解離と付き合っていくだろう、死ぬまで運命を共にするだろうと思っていたのに、思わぬ展開でここまで回復して、不思議な気持ちがする。
しかし、解離とはそもそもそういう役割を果たす防衛機制でもある。危機的状況をかろうじて、首の皮一枚でもつながって、安心な状況が来るまで生き延びさせるための。
こうしてわたしは、健康な人たちの生きる普通の世界に戻ってきたのだが、ときどきやりきれない気持ちになって、怒りがふつふつと湧いてくることがある。
たとえば、何の病気も苦しみも味わうことがなく、のうのうと生きてきた健康な同年代の若者としゃべるとき。向こうは何も悪くないのだけど、やるせない思いがする。
世の中にはあなたなんかが決して知らないような地獄のような場所がある。牢獄にとらわれるかのように、刻一刻と拷問に遭うかのようにして、狂気に至る寸前で生き延びている人たちがいる。
本当に人生についてじっくり考え、あらゆる知恵と力を尽くしているのはそういうサバイバーたちなのだ。それなのに、どうして、このような能天気で何も考えない人たちが幸せでいるんだろう。
そんなとき、自分がひどく孤独に感じられる。恐ろしい現実を見てきたのは自分だけなのに、だれもそのことを知らずに生きているのだと。
強制収容所体験を生き延びた生存者たちも似たようなことを感じるのかもしれない。ましてや歴史を修正して、そんな事実はなかったなどと言う人たちが増えている現代ではなおのこと。
自分の目で見てきた恐ろしい体験を証明できるのは、自分の記憶だけなのだ、自分の記憶が風化すれば、あのすべては「なかったこと」になってしまうのだ。そう思うときの心細さといったら。
わたしの場合、その記憶が風化しないように、たくさんの記事を書いてきた、という側面がある。わたしが書いたたくさんの記事は、わたしが苦しんできた壮絶な日々を証ししている。
だけど、そんなわたしの記事もまた、インターネットの砂漠に埋もれていって、やがては忘れ去られようとしている。少なくとも、今、わたしの身の回りにいる人は、わたしがそんな記事を書いてきたことなど知りもしない。
わたしはこれまで、苦しんできた体験は決して無駄にはならないと自分に言い聞かせてきた。10代のころから、青春と呼ばれる時期すべてを失って闘い続けてきたのだから、意味があるのでなければやってられない。
だけど、世の中には、そんな体験などまったくなしに、幸せに生きている人々が大勢いる。苦しみを耐え抜いてきたわたしに、その人たちより何か勝っているところがあるのだろうか。
どちらかというと、ただ時間を無駄にしてしまっただけに思えてならない。同い年なのに、わたしには何の思い出も学歴も身につけた技術もない。ずっと牢獄にいたのだから。
わたしに残っているものはといえば、苦しんできたおぼろげな記憶しかない。もともと解離によって記憶があやふやなので、すぐ指のすきまからこぼれ落ちてしまいそう。
しかも、この大自然の中で安心して暮らしていると、その記憶すべてが砂のように削り取られ、傷が癒やされていくのが感じられてしまう。それはとても素晴らしいことなのだけど、わたしが苦闘した年月が消えていくように思える。
わたしの苦しんだ記憶と傷跡が消えれば、もうわたしは、あれほど苦しんだ解離の体験を思い出せなくなってしまう。そうすると、わたしはただの「普通の人」になってしまう。
しかも、同年代の人々と比べ、最も大事な時期の経験も思い出もすべて欠落した「普通の人」に。あれほどの体験を生き延びてきたのはまったく無駄だったのだろうか。
今のわたしは、生活の中で、脳科学や心理学、解離やトラウマについて考えることがめったにない。もう自分には、数年前のような深い考察をすることもできないと思う。あれは症状のただ中だからこそできるものだった。
今のわたしは、そうした文献にふれることをあえて避けている。自分が過去に書いた文章を読み直すこともない。またあの状態に引きずりこまれるのではないかという恐れがあるから。
でも、わたしのアイデンティティは、わたしが生きてきた記録は、その日々の中にあったのだ。帰還兵たちが、恐ろしい戦争の話をしているときだけ生き生きと輝くように。
きっとわたしは解離について調べ、解離について語っているときが一番燃えていた。
今のわたしが生きる喜びを感じないというわけではない。大自然の中でグラウンディングする喜びは何ものにも代えがたい。その点でわたしは帰還兵たちよりはるかに恵まれている。
だけど、ふと自分が、人類の海のなかでは、一人ぼっちのサバイバーなのだということを思い出したとき、底しれぬ恐怖に襲われる。
そう感じるのはたいてい、誰か他の人と話しているときだ。今書いたように、平和な世界でのうのうと暮らしてきた人たちとの間に、埋めきれないギャップを感じたとき。
わたしのアイデンティティはあの日々の中にある。目の前にいる人たちとわたしを異ならせているのは、あのサバイバーとしての日々それだけなのだ。
それなのに、自分は癒やされ回復することによって、大切なものを失っていっているのではないか。あの日々の記憶が風化した自分にどんな価値があるというのか。
しかし一方で、大自然の中で1人でいるときには、そんな恐怖や孤独はまったく感じない。自然はわたしの心よりもはるかに大きなたなごころで、そんな感情をすべて包み込んでくれるように思える。
どこまでも真っ白な冬の雪原を1人で歩くとき、うっそうとした密林で植物を観察するとき、広い青空の下をサイクリングするとき、わたしはただ満たされて、今ここにいるのを感じる。
どんな悩みも、不安も、ちっぽけで取るに足りないものに思えてくる。わたしはたとえどんな姿になっても、ここにいていいんだ、と感じる。自分が変わっていくことへの恐れもなくなる。
ちょうど親が子どもに注ぐ無条件の愛のようなものを全身で感じる。もしもわたしがあの辛い日々をすべて忘れ、何の取り柄もない「普通の人」になってしまったとしても、大自然は、わたしがここにいることを認めてくれる。
このように書くと、わたしがひどく孤独な暮らしをしているかのよう。実際には、どちらかというと、引っ越してきてからできた友だちは多いし、うまくやっていると思う。
別に友人たちのことを嫌っているわけではない。心の表層では普通にやりとりできる。だけど、身体に染み付いた手続き記憶のほうが、恐怖や孤独を再演してしまうのだろう。
だから、どうしても苦しみを知らずに生きている人たちに批判的になってしまい、心の底からつながっているという感覚を得られず、疎外感を感じてしまうのだろう。
表面的には親しくなれても、決してわかりあうことなどできないと感じる。わたしが体験してきたこと全ては、どうやっても言葉で説明できないもの、体験した人でないと理解できないものだから。
こっちに引っ越してきてすぐ、これまで闘病してきた症状について尋ねられたことがあった。わたしは一瞬話そうとしたけれど、すぐにあきらめて、「生きていながら死んだような状態でした」とだけ言った。
もし伝えようとすれば、わたしのブログの文字数のとおり、1000万語以上を尽くさなければ説明できないから。そしてそれを詳しく聞きたい人など誰もいないのだから。
いや、そもそもわかりあうなどというのは幻想なのだ。人と人の心がつながることなどできやしない。かりに同じ病気を経験した人がいたとしても同じ経験などありはしない。
いまだに、人に対しては絶対的な不信感があるのだと思う。他人を信じることはできない、という強固な信念がある。
けれども、この世界で生きていく以上、人と関わることは避けられない。だから、わたしはこの2つの感情のはざまで振り子のように揺れ動いている。
他人と親しくなろうとするたびに言いしれぬ孤独に襲われること。そして、大自然の中でリラックスするたびに安心感に満たされること。相変わらずわたしの体調に波があるのはそのせいか。
だけど、だからといって、過去に戻るつもりはない。あのときが良かった、とは思ってはいない。
解離の考察をしていたときが生き生きしていたからといって、その状態に戻れば、体調が破綻するのは目に見えている。それに、医学の分野にはもうできるだけ関わりたくない。
過去(解離しながら生きていた日々)を手放すことはできないとしても、わたしは未来(今ここに生きている日々)へと進まなければならない。
たぶん、そうする方法が、また絵を描くことなのではないだろうか。
自然観察というマインドフルネス(今ここに生きる)をやりつつ、絵を描くことによって解離という過去の遺産を有効に昇華すれば、過去の体験を無駄にせず生きれるのではないか?
空想も交えて絵を描くというのは、あれだけの体調不良を忍んできたわたしにしかできないことなのだから、絵を描き続けていれば苦しんだ経験が無駄になることはない。
今ここに生きて自然を味わい、そこに空想を交えて絵を描けるようになったとき、はじめて、過去を手放すことなく、未来へと進んでいけるのかもしれない。
そうだ、そうしよう。こうやって書き出してみることで、少し気持ちが整理されてきた。
ここからは次の日の追記。
気持ちを書き出したからか、あるいは自然観察を楽しんだからか、だいぶ気持ちがもとに戻りました。
たまに揺り戻しぎみに過去に戻るけれど、普段はわりと楽しく生活しているので大丈夫です。
心の奥底で葛藤や不信感があるのは事実ですが、自然界とのふれあいで、かなり癒やされてもいます。
波が寄せて返すように、季節がめぐるように、いったん去ったものが周期的に押し寄せてきますが、それも含めて回復過程だと思っています。きっとなんとかなるでしょう。
2020/02/24月
スマホ用接写レンズで雪の結晶を撮った
最近、写真をよく撮るので、もう少し装備を整えようと思って、スマホ用のレンズセットを買いました。2000円ちょいのお手頃価格で、接写レンズや望遠レンズなど色々入っているやつ。
おりしも、今朝、うちの多肉ハオルチアが開花していたので、試し撮り。
これはいい。こんなに近くに焦点が合ってくれるなんて! もっと早く買っておけば、花とか冬芽とかの観察がずいぶん楽になっただろうに。
それにしても、うちのハオルチア。わたしと一緒にはるばる1000km以上引っ越してきた植物なのですが、いまだに粘り強く頑張ってくれています。
しかし、世話が下手なのか、毎年何度か死にかけるので、ヒヤヒヤ。今年はたくさん花を咲かせそうだけど、大丈夫なのか。死ぬ前の狂い咲きじゃないのかと心配です。
そして、これまた都合よく、結晶が目視できるほど粒の大きな雪がちらつきはじめたので、雪の結晶を撮ってみることに。
今までは、10倍ルーペとスマホで頑張っていましたが、シャッターを押すにも苦労していました。(音声認識にすればよかったのかもしれないが)
今回は、念願の接写レンズを装着して撮影。どうしてもピンボケはするので、バースト撮影で大量に撮って、あとで選別します。
気温が高くて、すぐに溶けてしまうため、撮影には苦労しました。
本当は、黒い色画用紙の上に、透明なシャーレのような容器をかぶせて撮るといいらしいけれど、用意していないので、自分の黒い服の袖に落ちてきた結晶を撮りました。
どうでしょうか。背景が服の繊維なことを除けば、かなりいい写真が撮れたのでは?
接写レンズがあれば、ただのツララもこのとおり。
こんな写真が撮れるなんて、これからの自然観察がいっそう楽しみになりそうです。
接写レンズで冬芽を撮るのが楽しすぎる
というわけで、早速、雪もやんだことだし、スノーシューかついで自転車で冬芽観察に行ってきました! 川の岸辺に降りてヤナギを中心に樹木を観察してまわりました。
なんでもっと早く接写レンズ買わなかったんだろう、と思うくらい楽しかったです。気温が0℃くらいと暖かいこともあり、いつまでも散策したい気分でしたが、スマホの電池切れで帰ってきました。
撮った写真は以下のとおり。
まず接写レンズで幻想的に浮かび上がる、ヒツジのひづめのような、ヤマモミジの冬芽。レンズをつけただけでこんなに美しい写真になるとは。
続いて、おとといも撮ったイタヤカエデの冬芽。森の中でもおなじみの形。最近、マユミの冬芽と混同していたことに気づいて、過去日記を訂正しておきました。形は似てるけどマユミは半円形の葉痕がもっと目立つ。
エゾヤマザクラの冬芽。あちこちで見かける見慣れたドリル型の冬芽ですが、接写レンズでくっきり撮影してみると、なかなか気品が漂うたたずまい。
こちらもおなじみミズナラの冬芽。エゾヤマザクラとミズナラはどちらも冬芽が枝先に集まる傾向があり、鳥の足に似ています。
でもミズナラの冬芽はエゾヤマザクラより色が橙色っぽいし、樹皮もごつごつしているので判断できる。ミズナラは枯凋性のため枯れ葉やドングリのはかまが枝に残っていることも多いし。
次は有名なサルの顔。オニグルミ。わたしはアルパカの顔だと思っているんですが。なんかぶつ森のアールパーカーズの2人に似てません?
接写レンズのおかげで、ユニークな顔がドアップです。オニグルミの木は枝が非常に少ないので遠くからでもひと目で見分けがつきます。
次も北海道ではおなじみの、あちこちで見かけるナナカマドの、唐辛子みたいな冬芽。
接写レンズの倍率が20倍とかなり高いので、オニグルミやナナカマドの冬芽は少し周辺がボケて全体像が入り切りません。10倍のレンズもあったほうがいいかもしれない。
そういえばねエゾヤマザクラっぽい木に、謎のツル植物が絡みついていて、冬芽らしきものもなく、いったい何だろうか、と思って調べました。
よくよくみると、実がなっていた痕跡があり…
かなり小さいのでわかりにくかったのですが、殻の数が3枚な気がしました。だとすればもしやツルウメモドキ?
同じニシキギ科のマユミやツリバナは対生で、冬芽がはっきり目立ちますが、ツルウメモドキは互生で、冬芽は半ば埋もれているような感じで見えにくい。
今回撮った写真は枝が互生になっているし、たぶん実がついている枝の根本にある出っ張りが冬芽だとすれば、ツルウメモドキで間違いなさそうです。
でもツルウメモドキの実ってもっと目立つ色合いなんですよね。オレンジ色の殻と真っ赤な実という。これはすっかり脱色していますが、枯れるとこうなってしまうのか、それとも何か別の種類なのか…。
いろいろなヤナギの冬芽も
ここからはお目当ての川岸のヤナギの仲間たち。ヤナギの仲間はやたらと種類が多いので、まだ全然見分けがつきません。
一番多いと言われるのはオノエヤナギ。親指のような冬芽が互い違いに規則正しく並んでいて、いかにもヤナギというイメージ。
川岸でヤナギを見かけて、何の種類かわからないときは、とりあえずオノエヤナギだと思っておけばいいほど多いらしい。
でも、今日歩いた川岸には、明らかにオノエヤナギじゃないやつもたくさん。これなんかは冬芽の形が全然違う。ぼうしの先っぽがツンととがってる。
図鑑によると、エゾヤナギが一番近いかな? と思ったが接写レンズで拡大してみると、妙に毛深い。
手持ちの図鑑だと、冬芽の毛深さまではよくわからない。形やふさふさ感はネコヤナギも似ている? ヤナギは種類が多すぎてよくわからない。
次のヤナギは冬芽が黃緑っぽい色をしていて、ぼうしの中からふさふさの花が顔をのぞかせていました。
これもまた、名前がよくわからない。シロヤナギとかの可能性もあるのか? 見分けるポイントがどこなのか今のところ不明。もっと勉強しないと。
同じヤナギはヤナギでも、ハコヤナギの系列にあたるのが、ドロノキ(ドロヤナギ)やヤマナラシやポプラ(セイヨウハコヤナギ)。たぶん次の写真はドロヤナギだと思う。
ドロヤナギを見分けるポイントは、シラカバじゃないのに幹が白っぽいこと。幹が一本すくっと直立していること、そしてこの鋭い筆のような硬そうな芽。
全然使いみちがないやわい材質だからドロ呼ばわりされたけれど、網走刑務所の囚人がマッチの芯材に使えるのを発見したというようなエピソードがアイヌと植物の本に書いてあった。
最後に、なんなのかわからなかったのが、同じ川のそばに生えていたこの若木。樹皮の皮目がやたらと個性的。
まるで危険動物の体皮みたいなデンジャラスな模様の皮目になっていて、ちょっと気持ち悪いくらい。
もしかして…と思いあたったのは、前にドロヤナギを見分けるときに候補に出てきて存在を知ったシデの仲間では?ということ。川の近くだからサワシバか?
しかし、シデの仲間というのは、シラカバと同じカバノキ科で、シラカバ、ダケカンバ、ウダイカンバあたりとも冬芽が似てるんですよね。
シラカバの系統は、子どものときはサクラみたいな枝をしていて、この木もそれに当てはまるし。幹の皮がめくれてきているから、大人のシラカバになる直前の思春期のシラカバだったりして。
そこそこ木の種類の見分けがつくようになってきたと思っていたけれど、まだまだわからないことだらけです。でも、接写レンズのおかげで、また自然観察が楽しくなりました。
メモ
2020/02/25火
イチョウ、ハシドイ、ケヤマハンノキの冬芽など
今日はよく晴れて、放射冷却によって、気温も久々に朝晩マイナス15℃以下まで下がりました。
昨日は暖かくで雨が降っていたからか、木々から樹霜ならぬ雨氷がぶら下がっていました。樹霜が木についた霜なのに対し、雨氷とは木が氷で覆われていることをいいます。
写真撮るのが楽しすぎてあちこち歩きに出かけました。まずは、近所の公園。春に在来種のエゾエンゴサク、秋に園芸種のネグンドカエデなどを観察した公園で、いろいろな種類があって面白いです。
まずは、オーソドックスなイチョウの冬芽。数日前、別の公園で若木のイチョウの冬芽を見つけましたが、今回はすぐに見分けられました。接写レンズで写真もくっきり。
イチョウの冬芽は、他の木と比べてあまり冬芽っぽい形ではなく、押しボタンみたいなでっぱり。年中通して、イチョウは見分けやすいですね。
次はハシドイの冬芽。これもよく見かけます。こんなにアップで撮るのは初めて。かっこいい
半円形の葉痕が大きくて、芽の根本がせり出しているのが特徴的。
次はケヤマハンノキ?の冬芽(雌花)と実。木にかかっている名札にケヤマハンノキと書いてあったんですが、合ってるのかな? ただのハンノキとかではない?
ケヤマハンノキの冬芽(雌花)ってもっと色が濃いコーヒー豆みたいなのだった気がするけど、もしかすると芽鱗が落ちた後の裸の冬芽ってことなのかな?
枝についている冬芽(雄花)も確かにケヤマハンノキっぽい。といっても、ケヤマハンノキとヤマハンノキとハンノキの違いは何なのか全然知らないのでなんとも言えないです。
同じカバノキ科のシラカバにもこんな冬芽(雄花)がついてますね。色はケヤマハンノキのほうがずっと色黒だけど。
ネグンドカエデ、レンギョウ、バイカウツギ?の冬芽
公園には、秋ごろヤチダモと間違えかけたネグンドカエデ、別名トネリコバノカエデもあるので、その冬芽と実も写真に。
なかなかおもしろいデザインの冬芽をしています。側芽がもふもふの白い産毛で覆われていてマンゴスチンの実のようだ。頂芽のほうは、真っ赤なクチバシのようなカバーに覆われている。
実もまだ枝にたくさん残っていました。遠くから見て、ヤチダモの実と間違えかけたやつ。
拡大してみると、ヤチダモの実とは全然形が違いますね。実の表面の流れるような模様の質感が、デッサンの筆跡みたいでかっこいい。
同じ公園にあった、小さな低木の謎の対生の冬芽。今まで見たことがない。オレンジ色のドリルみたいな鋭い芽がたくさん並んでついている。
図鑑で調べたところ、レンギョウの冬芽ではないか、と感じました。日本全国の公園などに植えられているとのこと。
たぶん有名な花なのだけど、いかんせん植物に興味を持ち出したのがごく最近だから知らない。春先に葉より早く黄色い花がたくさん咲くらしいので楽しみです。
その近くにあった低木は、これも初めて見る対生の冬芽。一見するとハシドイに似ているけれど、なんと芽が葉痕の部分?に陥没して埋まってしまっている。
その低木の枝に先についていた、実がドライフラワー化したようなもの。四枚のカラで覆われた丸い形。
これはいったいなんなのか。また図鑑で調べて見ると、バイカウツギの可能性が浮上。
これもまた園芸用の外来種で、梅のような花(ばいか)が咲く、アジサイの仲間。ネットで画像検索してみると、四枚の花びらの白い花で、実も四枚のがく?に取り囲まれている。
が、どうも実の形がかなり違う気がする。この系統の仲間だとは思うのだけど…。
公園や町中で見かける園芸植物は、数が多すぎて、地域とのつながりも薄いので、あまり好きではないのだけど、これくらいの量なら観察するのも調べるのも楽しい。
プラタナス、スモモ、ポプラの冬芽
やはり公園の中にあったスモモの冬芽。名札がかけてあるから、同定する必要はなかった。丸みを帯びたとても小さい冬芽が枝の先に群れて集まっている。赤ちゃんの手みたいだ。
次は、プラタナス(モミジバスズカケノキ)の冬芽。図鑑で見かけて、そのうち実物を観察したいと思っていた。
アーモンドやペンキャップみたいな長細い楕円形の冬芽の周りをぐるっと一周、葉痕が囲んでいるのが特徴的。なんでこんな不思議な葉痕なんだろう。
プラタナスはまだら模様の樹皮がユニークだし、葉っぱや実もユニークなので、わざわざ冬芽を観察しなくてもすぐに見分けられるのだけど、冬芽もまたユニークなのだった。
こんな形の古いお菓子があったような気がするのだけど、思い出せない。
そして、ポプラ(セイヨウハコヤナギ)の冬芽。
これで、身近にあるハコヤナギの仲間、ヤマナラシ、ドロノキ、ポプラをコンプリート。
ドロノキとポプラは芽が似ているが、樹皮が全然違う。ヤマナラシは芽が少し丸みを帯びている。どれも幹が一本すくっと直立しているところは同じ、という見分け方でいいかな。
この3つの中で、もともと植物にほとんど興味のないわたしが知っていたのはポプラだった。外来種だけ知っていて、在来種を全然知らないなんて!
でもライラックは聞いたことがあっても、ハシドイは知らなかったので、同じような現象はけっこう多いかもしれない。どうしてなのか。
カツラの冬芽、コブニレの枝など
公園の中にあった別の木の冬芽、これも対生だが、カニのハサミのような赤い芽が向かい合って突き出ている。
なんだろう、これと似ているのはヤマモミジの仲間。だとすればこれもモミジやカエデだろうか、と思っていたところ、名札を見かけた。
なんとカツラだった。いや、カツラがヤマモミジの冬芽と似ていることは知っていた。ニッパーみたいな形だと読んだ覚えがある。でも実物を見たことがなかったから、わからなかった。
たとえば二枚目の写真みたいに、ぐいっと左右に開くことを知らなかった。カニのハサミのような形と覚えておこう。
カツラはこの道北に多い代表的な在来種の木々の中で、この冬に観察しそこねていたわずかな種類のひとつ。だから発見できてすごく嬉しかった。
あと見ていないのはエゾノウワミズザクラとアズキナシくらいか。山の中にいったらいくらでも生えてそうなんだけどなぁ。
次の写真は近くにあったハルニレ。芽からハルニレだとすぐわかったけど、枝がゴツゴツしておもしろかったので。
こういう翼が目立つハルニレはコブニレと呼ばれる品種なのだと、前に図鑑で読んだのを思い出した。パリパリしてそうな質感がおもしろい。
次の写真は、河原のそばで見かけた謎の冬芽。対生の冬芽は候補が少ないからすぐわかりそうなものなのだけど、調べてもわからない。
…謎の冬芽だと思ったけど、形からして、もしかするとイタヤカエデなのか?
てっきりイタヤカエデの冬芽ってもっと赤いと思っていたのだけど、こんな黒いのもあるということ?
いや、というよりも、今までイタヤカエデと思っていたのはアカイタヤとかで、これはエゾイタヤだったりするのだろうか。
イタヤカエデの変種ごとの冬芽がわからない。イタヤカエデはヤナギと同じく、かなり変種が多いようなので、ざっくり知っているだけじゃなくて、もっと詳しく調べたほうがいいのかも。
電線に留まるシメ、カラスやイタチ?の足跡
電線に留まっていたシメ。スマホ用望遠レンズのおかげで撮影できました。太めの黄色っぽいくちばしと、目の周りとあごの黒い縁取りからわかります。
シーと鳴くからシメと言われるけれど、まだ鳴き声がよくわからない。チチチっとクリックするような声だったかも。
道端にカラスらしき足跡。尾を引いた跡もある。足を交互に出して歩いているのでハシボソガラスか。ハシブトガラスは両足跳びらしいから。
何かの足跡が交差している。大きなほうはキツネだろうか。
小さいほうの足跡は、両足跳びで、走っていって、毛が地面にこすれていたように見える。テンほど大きくないのでイタチかネズミかな。
オオハンゴンソウのドライフラワーの見事な造形
川べりにたくさんドライフラワー化していた草。接写レンズで撮ってみたら、見事な造形にびっくりした。フィボナッチ数列でできる螺旋模様が美しすぎる。
枯れた草本だったので、可能性があるのはキク科の花の中心部かな?
このあたりにたくさん生えていたものといえば、ハルジオンやヒメジョオン。でもそれらの花は中心部が平たい。これはもっと中心部が盛り上がるエキナセアみたいな花ではないだろうか。
そこで思い出しました。ああ、たぶんオオハンゴンソウかな? 北海道のキク科の花で外来種であちこちを席巻していて、頻繁に見かけるものといえば、ルドベキアの仲間のオオハンゴンソウをおいてほかにない。
「オオハンゴンソウ ドライフラワー」で調べたら、まったく同じような画像が見つかりました。手持ちの知識で推理して当たったときはすごく嬉しい。
ごく身近なありふれたものでも、こんなに細部まで作り込まれているなんて、なかなか気づけません。いかに、普段見ているようで何も見ていないか。五感を研ぎ澄ませて、じっくり観察する大切さを学べます。
いろいろなヤナギのふわふわの花が咲きかけ
昨日と同じ河原に行ってみると、ヤナギの花がたくさんすでに咲きかけていました。帽子のような芽鱗の下から、もふもふの「ねこやなぎ」が顔をのぞかせています。
ヤナギの花をネコに例えるなんて、昔の人も猫好きだったんですね。筆とかでもよさそうなのに、ネコのしっぽなところが。
この写真のヤナギは、どちらも昨日も書いたオノエヤナギでしょう。ヤナギのモフモフな花はすべて通称「ねこやなぎ」と呼ばれているようですが、品種としてのネコヤナギは別です。
たぶん、昨日の写真で、何のヤナギだろう?と書いていたこれが、品種としてのネコヤナギなのかな。
品種としてのネコヤナギを調べてみたら、先のとがった赤い帽子と、中から現れるかなり大きめの赤みがかったモフモフが特徴的で、今日観察したのと同じっぽく見えます。
本当はきっと河原には、もっとたくさんの種類のヤナギがあるのでしょうが、今のところわたしには見分けがつきません。
河原だけでなく、山や野を好むヤナギもあるらしく、エゾノバッコヤナギとかがそうでしょうか。ヤナギ、サクラ、イタヤカエデはどれも種類が多くて観察するのが難しい。
2020/02/26水
朱鞠内湖でオジロワシを見つけた
とても天気がよかったので、近くの朱鞠内湖までドライブしてきました。車の運転は大嫌いなわたしですが、山道は他の車がほぼいないので好きです。
特に朱鞠内湖周辺は、もしかすると、イギリスの湖水地方やスコットランドはこんな感じなのかなーと思わせる異国情緒があります。たぶん湖と山並みがそう思わせるのでしょう。
今年は非常に雪が少なく、朱鞠内湖らしい雪の壁もありませんが、湖はしっかりすべて凍っていて壮観です。
手前のほうではワカサギ釣りを楽しむ人たちのテントがちらほらとあります。雪が深くないのでもっと先の足跡がない場所までスノーシューなしで歩いていけました。
見渡す限り、見事に真っ白な息を呑む景色。これがすべて湖の上で、足の下を魚が泳いでいるのですから、ファンタジーです。
気温はかなり暖かく、風もほとんどないので、上着も着ないで湖の上を散歩できました。自動車でドライブしているときは、暑すぎて窓を少し開けて走っていたくらい。
朱鞠内湖のほとりのマツの木々の上に、オジロワシが滑空して留まるのを見かけたので、スマホ用望遠レンズで撮ってみました。
マツのこずえに留まって悠然と人間たちを見下ろしている二羽。たまたま飛んでいてるところを見かけたのでそこにいるのがわかりましたが、もし最初からとまっていたら見つけられなかったでしょう。
それくらい存在感を消して、まるでオブジェのように微動だにせず、高いところから下界を見下ろしています。ワカサギ釣りにいそしむ人間を見て何を思っているやら。
せっかく望遠レンズがあるのだから、飛び立つところを動画で撮れないかと狙っていたのですが、ワシたちは首を少しまわすくらいで、飛び立つ気配はありませんでした。
オジロワシたちを写していると、朱鞠内湖のワカサギ釣りのスタッフさん?らしき女性に話しかけられました。
「釣りですか?」と言われたので、オジロワシを見ていると話すと、いつもいるワシたちらしい。夕方になると飛んで降りてきたりもするそうです。ミズナラの枝を縦横無尽に走るゴジュウカラ
朱鞠内湖の駐車場付近の大木の下にいると、近くからカリカリという変な音が聞こえてきました。何かが歩きまわって、むしゃむしゃと食べているような。
あたりを見回して、音の主を探してみると、木の枝の上で、一羽の小鳥が縦横無尽に駆け回っていました。まるで重力などないかのように、枝の上から下へまわりこみ、くるくると枝先へ歩いていきます。
これほどまでに幹や枝を縦横無尽に走れるということは、その名前からして、それらしい、キバシリだろうか。さっきのは木を削っている音? 肉眼では種類を判別できませんでした。
でも、望遠レンズで写してみるとわかりました。目元に入る黒い横線。ゴジュウカラです。知っている鳥でよかった(笑)
望遠レンズを構えたまま動画に撮ってみると、動きがとてもかわいい。うまく表現できませんが、首がネコのような動き方をします。まるまるしているからか、鳥というより哺乳類みたい。
望遠レンズで動画を撮ると手振れがあまりにひどいので、何かしらの手ブレ補正アプリが必要そうです。良さげなのを探してみないと。
でも、動画から静止画を切り出すぶんには問題ない。写真では撮れない瞬間も、動画なら撮ることができる。ゴジュウカラが枝から飛び立つ瞬間も見事に。
にしても、ゴジュウカラはいったい何をむしゃむしゃしてたのでしょう? この木は冬芽からしてミズナラかと思うんですが、樹皮の割れ目に虫でもいたのかな。
後で調べてみたら、最初に候補に挙げたキバシリは、幹に垂直にとまることができても、下向きに降りてくることはできないらしい。重力をものともしない動きをみせるゴジュウカラすごい。
そして、冬の食性は、種子をメインに食べて、それを樹皮のすきまに埋めておいたりするそうですね。上でカリカリやってたのはそれかな。
望遠レンズを買ったことで、バードウォッチングがいきなり楽しくなってしまいました。これはマイブームになる予感。
星空観察に現れたエゾタヌキの群れ
とてもよく晴れた日だったので、夜は友だちを誘って近くの山まで星空観察へ。いつも行っているところですが、毎回、何かしらの動物に出会うので注意しながら運転。
すると今回はなんと、エゾタヌキの子ども?が三匹、道をよこぎっていくのに遭遇しました。キツネやシカは前にもいたけど、タヌキは初めてだ!
まず車のライトに目が輝いて、何かいることに気づいたので、スピードを落とす。すると、まるまるとしたコロコロなタヌキが三匹、駆け足で真っ暗な道路をわたっていました。
慌てたのか、よたよたとけつまずきながら走っていくように見えました。三兄弟なのだろうか。かわいらしいタヌキに、友だちも大喜びでした。
一瞬だったので、写真には撮れませんでしたが、ドライブレコーダーには一応映ってはいました。肉眼で見るのとは違って、かなり小さいですが、よたよた走っている可愛い姿が動画に記録されていました。
ここにも貼りたかったけど、ドライブレコーダーの動画には位置情報とかが表示されてしまうのでやめときます。静止画を切り抜くにしても小さすぎてなんだかわからないし。
やっぱり、人間の目はすごいですね。目で見るとあれだけ可愛かったのに、記録したものを見ても、全然わからない。じかに見たわたしと友人たちは、そんな動画でも興奮がよみがえるので、いい思い出になりましたが。
(追記 : Google Photoがアップデートされて、動画も切り抜き編集できるようになったので、位置情報などを切り取った動画を載せておきます。)
いつもの星空観察スポットにつくと、友だちが枕とシートをもってきていたので、みんなで真っ暗な駐車場に寝転がりました。外灯なんてどこにもなく、雪明かりだけ。
よく晴れていたので、放射冷却が起こり、気温はマイナス13℃だったのに、さすが地元の友人たち。何も苦にせず、寝転がって流れ星を探していました。
わたしも装備のおかげで、もうこれくらいの気温なら一時間以上外にいても大丈夫なくらい慣れました。
車のそばに立ったり寝転がったりしている我々を露光撮影してみた写真(笑)
雪明かりのせいか、あるいは時間が早くて近くの都市の照明が多かったせいか、いつもより星の数は少なめでした。それでも星座はすべて見えるレベルで、オリオン座や北斗七星が燦然と輝いていました。
なんだかとても平和な感じ。世界がコロナウイルスで混乱しつつあり、北海道でも明日から休校指示、という現状を忘れさせてもらえるひとときでした。
こんな時勢だからこそ、自然の中を歩いたり、観察したりする楽しみを十分味わって、心安らぐ時間を大切にしていきたいです。
2020/02/27木
公園のノリウツギ、ニオイヒバ、キタコブシなど
本州の友だちとスカイプで話しながら近所の公園を散歩。外の風景を見せてあげたいし、外にいるほうがわたしが元気だし、ということで、屋外で通話するのが恒例です。
家の近くの公園の丘。すごい雪原に見えるけれど、スノーシューなしで歩き回れるほど雪が少ない。写真には映ってないけれど、南側の斜面には、地面が見えてしまっているところもありました。
毎回、ふわふわの雪に寝転がって話していましたが、今日の雪はもう固くなっていて、そんなに寝心地はよくありませんでした。
公園を歩き回りながら、植物観察。
まずは宇宙人? それとも虫の触覚? そんなふうにも見えるノリウツギの冬芽。
ノリウツギはアジサイの仲間なので、ツルアジサイなどと同じく、花がドライフラワーになっていました。葉脈の一本一本まで美しいですね。
アジサイの花に見える部分は萼なので、正確には下の写真のほうが花や実に当たる部分かな。食べ物をほしそうにくちばしを突き出す鳥のひなの顔みたくも見える。
次は、たぶんレンゲツツジあたりだと思われる実と冬芽。去年の早い段階で、レンゲツツジかなぁと書いて以来、ちゃんと調べていないので合っているのかわかりません…。
クロベの木の一種、ニオイヒバの実。北海道ではヒノキ科で植えられている木は、ほとんどがこのニオイヒバかと思います。実はまるでバラの木工細工みたい。
次のは、キタコブシの葉芽と花芽。ふっわふわの筆のようです。葉芽が小筆で、花芽が大筆といったところ。ヤナギと違って、まだ開花する気配はありません。
近くの公園の見慣れた植物でも、接写レンズを使うと世界が変わりますね。このほかにもヤマグワの芽とかニオイヒバの葉とか、ついたくさん撮影してしまいました。どれも美しい造形でうっとりします。
2020/02/28金
窓霜とミズナラメウロコタマフシを接写
今朝はかなり冷え込んだので、また窓霜ができていました。起きたときにはすでに溶けかけていて、あまり豪華さはありませんでしたが、窓霜を接写レンズで撮ったのはこれが初めて。
そのあと、外出したとき、家のすぐ近くのミズナラ並木で、あのミズナラメウロコタマフシを発見しました。しばらく前にも観察した、ミズナラの芽を改造して作られたハチの幼虫の家。
今回は見事、接写レンズでの撮影に成功。ミズナラの芽のうちのひとつが、巨大な松かさのように変形していることがわかります。中には居住者のハチの子がいるはず。
ミズナラの芽に寄生している虫こぶのひとつ、というと印象がよくないですが、人間だって地球に寄生して住んでいるわけだし、動物や鳥も自然の材料でねぐらを造るし、特別悪いものだとは思えません。
どちらかといえば、小さなハチの幼虫が、ミズナラの芽をこんな立派な家に改造してしまうことに驚異を感じます。人間だってこんな見事なリフォームはできないでしょう。
町なかにいたヒヨドリとヤマガラ
町を歩いているときに、少し大きめの灰色の鳥が木に留まっているのを発見。民家の庭先という感じではなかったので、早速望遠レンズを取り出して、撮影してみました。
動画で撮って切り抜いたので、飛び立つ瞬間もばっちり! あとで調べてみると、ヒヨドリでした。頭についているティアラのような冠羽が立派です。
ヒーヨヒヨヒヨと鳴くそうですが、まだ鳴き声を聞き分けられるには至りません。
こちらは近くのヤチダモにいたヤマガラ。後ろ姿だけだとシジュウカラかなと思いましたが、うなじのオレンジ色と、目の上の黒い部分が額で途切れているのとで、ヤマガラだとわかりました。
気温が暖かいこともあって、鳥の写真を撮り始めたら、ずっと外をウロウロしそうなくらい楽しいです。望遠レンズひとつ買っただけでこんなに変わるとは。何事も挑戦してみないとわかりません。
ついに北海道に緊急事態宣言
今日18時ごろ、北海道全域に緊急事態宣言が出されました。期間は3/19までで、まずは明日明後日の外出自粛を促すとのことです。
もちろん気をつけるに越したことはないですが、おそらく以前に書いたように、北海道が他の都府県に比べて、格別リスクが大きいわけではないと考えています。
まず、北海道で感染者数がこれほど多いのは、人口に対する検査数の比率が高いからだと思います。
他方、本日付の東京新聞によれば、なんと東京都はあれほどの人口を抱えながら、一日にたった120件しか検査できないらしく、大阪府はもっと少ないので、スクリーニングに失敗している疑いがありそうです。
気温が低いといった北海道の気象条件のせいでウイルスが拡散している可能性が指摘されていますが、現在ウイルスが増えている韓国の大邱市やイタリアのロンバルディア州の気温は北海道より東京に近いです。
湿度など他の気象条件が影響している可能性もありますが、北海道では沿岸部でも内陸部でも感染が見られるので、あまり関係がないように思えます。むしろ、国際ニュースを見る限り、このウイルスは地球上どこでも人のいるところでは広がっています。
こうした点から、おそらく東京や大阪では、北海道以上に潜在的な感染者がいるにもかかわらず、的確に検査できている北海道のほうが対策としては先行しているのではないか、と思っています。
北海道全域の感染者数の動向としては、NHKが本日付で発表している感染者マップは、北海道の人口密度マップとほとんど同じ分布を示しています。
人口密度が高い地域から低い地域に広がる傾向があることからして、人が少ない道北地方は最後の砦になりそうです。
道北の中でも、名寄市は人口密度が高めなので感染者が早く出そうですが、うちの町は、道内でも、また日本全国で見ても、比較的安全なほうに属すると考えています。
むろん、この分析が正しかろうが、不用意な行動によって自分が感染してしまえば同じなわけで、体調管理には気を配りたいと思います。
星空観察して春の星座を覚える
夕方ごろは、裏山のカラマツ林をスノーシューで散歩。
背の高いカラマツ林を下から見上げると、巻き付いたツルアジサイと織りなす幾何学模様がおもしろい。まるで熱帯雨林のセイボの森にいるかのよう。
夜は緊急事態宣言が出た後でしたが、家の近所をサイクリング。どうせ誰も人がいないし、車がたまーに通るくらいなので、ウイルス感染なんて関係のない外出です。
ちょっと寒いな、と思って気温計を見たら、マイナス15.3℃。もうわたしはマイナス15℃くらいは「ちょっと寒い」レベルになってしまったようだ。20℃超えないと寒いと思わないのかも。
昨日に引き続き星空がとてもきれいで、真っ暗な道で立ち止まって、しばらくのあいだ星空をゆっくり眺めていました。
そういえば最近は、誰かと一緒に星空を見に行くことが多くて、1人で眺めたのは久しぶりだなーと。星空観察だけでなく、自然観察って1人で眺めるときでないと、新しいことを勉強できないものです。
冬の空をじっくり眺めて調べたことが久しくなかったので、たくさん新しい星座に気づきました。
まず、南の星空で、オリオン座の左側の冬の大三角を見つけて、その端にある星、こいぬ座のプロキオンを見つける。
そのさらに左のほうへ目をやると、「?」マークを左右反転したような明るい星の並びがある。それが獅子の大鎌といって、しし座の目印になるらしい。
その周辺の星は、言われてみれば、ライオンが伏せている姿に見える。星座の中では、イメージしやすいたぐい。一番明るい星がレグルス。しっぽがデネボラ。
しし座のしっぽ(デネボラ)の先のほうに、明るい星がひとつ。それは乙女座のスピカ。台形みたいに並んでいる星が乙女座のスカートの部分…なのか? よくわからない。ペガスス座みたいなものか。
一方で、北の星空に北斗七星を見つける。北斗七星のひしゃくのすくう側(ドゥベ)を伸ばせば北極星にたどり着くのだが、今回はひしゃくの取っ手側(アルカイド)を伸ばすと見慣れない明るい星。
これはアークトゥルスといってうしかい座の星。そういえば、うしかい座は、去年の夏に一度観察して覚えた記憶がある。やっと季節が一巡りした!
個人的には、うしかい座の星は、星図とは違った並びに見える。ちょうど地図の「三角点」の記号のように、正三角形の3つの星の中心に1つの星がある。
その正三角形の頂点のうち、一番明るい星がアークトゥルス。
これはすぐ隣のかんむり座のアルフェッカを巻き込んでイメージしているせい。でも形的に、こっちのほうが絶対覚えやすい。
これらの星座のうち、しし座のデネボラ、乙女座のスピカ、うしかい座のアークトゥルスを結ぶと、春の大三角になるらしい。そうか、もう春なんだ。
星座が一巡りして季節の変化を感じる。これで夜空の星座は、代表的なものは見分けがつくようになったと思う。
これからはもっと細かいのを覚えていきたいな。そのためには、星空観察して目立たない星も見える暗いところで星空観測しないと。
「植物が出現し、気候を変えた」を読み始める
植物が出現し、気候を変えた を読もうとしているところ。すごく時間がかかりそうだが、面白そう。
この本には、わたしが尊敬するオリヴァー・サックスが2007年に書評を寄せていて、こう書いている。
過去5億年の地球の歴史を周到に論じながら、ぐいぐいと読ませる。ビアリングの語る物語は10年前なら語り得なかっただろう。
というのも、ここには古生物学、気候科学、遺伝学と分子生物学、化学といった幅広い分野の最新の知見がみごとに統合されているからだ。
ダーウィンの著作を読むときにも似た、深く、静かな読書の愉しみを、この本は私に与えてくれた。
つまるところ博物学者による、博物学者のための本とでもいえばいいのだろうか。冒頭部分にサックスが尊敬したダーウィンについての、こんな秀逸な一文があるのも嬉しくなる。
史上最高のナチュラリスト、チャールズ・ダーウィン[1809-82]は、その魅力に心奪われた。リチャード・ドーキンスは、それをほとんど無視した。
どうもこの世の中は、植物に魅了される人とそうでない人の二つに分けることができそうだ。(p2)
言うまでもなくわたしは、ダーウィンの側にいる人間、いや正確にいえば、ごく最近ドーキンス側からダーウィン側に引っ越してきた人間であり、今なら、この本を興味深く読めそうだ。
【気になったニュース】
植物と気候といえばこんな記事が。気候変動についての予測モデルのほとんどは、おそらくリスクを過小評価しすぎているおそれがありそう。これから予測をはるかに超えて災害が起こるかもしれない。
オーストラリアの森林火災は、もはや人間やコンピューターが予測可能な範囲を超えていた|WIRED.jp
行動経済学者ダニエル・カーネマンのファスト&スローで読んだ、計画がいつも遅れる理由を思い出します。
人は計画を立てるとき、その時点でのパフォーマンスを参考にしてしまい、予想外の出来事の影響を度外視するのです。
たとえば個人レベルであれば、今この調子のまま仕事をすれば1年で完遂できると計画します。ところが病気になったり、子どもが生まれたり、親の介護が必要になったりという予想外の事態が何かしら必ず起こるので、計画は必ず遅れます。
同様に、人間の気候変動モデルも、現状の悪化サイクルが続いた場合にどうなるか、という計算をします。
すると、実際には、今回の新型ウイルス騒動や、国家間紛争、またいまだ知られていない気候変動ファクターなどの予想外の要素が積み重なって、期日に間に合わなくなります。
現状がまさにそれです。ただでさえ人類は地球の保護にギリギリ時間があるかどうかという瀬戸際でしたが、もうとっくに期限をオーバーしてしまったと思います。現在の体制は最終電車に乗り遅れたので、もはや取り返しがつかないでしょう。
2020/02/29土
カラマツの薔薇とシマエナガ
外出自粛令が出ている北海道ですが、近所の山にまたスノーシューで登っていました。
外出自粛令の目的は対人接触を避けることです。この山に登ろうが、行き帰り誰一人顔を合わせることのないので別に問題ないでしょう。
気温はマイナス5℃くらいでしょうか。手袋をはめていると暑くなってくるくらいで、ゆっくり自然観察を楽しむのにちょうどいい環境です。
カラマツ林を歩いていると、実がたくさん残っている枝が雪の中から突き出ているのを見かけて、引っこ抜いてみました。
一昨日のクロベもそうでしたが、松かさが、まるでバラの花のようで素敵です。色合いもドライフラワーになったみたい。
このまま印刷してメッセージカードにするのもいいかも、と思うほどオシャレですね。カラマツ林の中で耳を澄ますと、どこからか小鳥の鳴き声が響いてきます。声の主を探してみると、はるか頭上、カラマツの頂を飛び回っている群れが。高さ10mを越えようかというカラマツ林のてっぺん。とても肉眼では何の鳥か判別できません。でも声はどこかで聞いた声。たぶんシマエナガの群れです。そこでスマホ用望遠レンズを取り出して一生懸命探してみました。レンズに映っていたその姿は…
確かにシマエナガ! よく知られている正面から見た「雪の妖精」の姿ではありませんが、黒くて長い尾、背中のV字型の模様から、シマエナガだとわかります。
ぶらさがって逆さ向きになったりしながら、せわしなくカラマツの枝を這い回り、カリカリやっていました。冬芽を食べているのか、虫を探しているのかどっちでしょう?
これまで何度かシマエナガは見かけていますが、写真に残せたのは初めてです。はっきりくっきりとはいきませんが、あんなに高い場所も撮れるなんて、さすが望遠レンズ。
シウリザクラとオオバボダイジュの冬芽
かなり山を登ったところで、あまり見たことのない冬芽がついた木を発見。一見するとドロノキにも見えますが…
これ、もしかするとシウリザクラじゃないですか?
2/4の日記で、川のそばに生えていた木がドロノキか、シウリザクラかと悩んでいましたが、あちらは葉痕の形がドロノキだと思えました。ドロノキの葉痕はハンドスピナーを押しつぶしたみたいな形。
それに対して、こっちの葉痕は半円形。しかも写真を見てわかるように、紅色にほのかに色づいていて、とても可愛らしい色づかい。今まで見た冬芽の中でも一番好きな色使いかも。
手持ちの図鑑にシウリザクラの冬芽が載っていないのだけど、ネット上の幾つかの写真を参考にする限り、特徴は一致しているように思えます。
ということはこれは探し求めていたシウリザクラでは? シウリザクラが近所にあることは郷土資料から知っていましたが、今まで見かけませんでした。
資料によると、川沿いや谷間などに多いとされていて、この場所と条件が違うのは気になりますが…。
この「シウリザクラ」という名前はアイヌ語の「シウニ」(苦い木)から来ているそう。そして、去年の秋頃に話題にしていたニガキも同じ語源だそうです。
参考資料によると、「アイヌは植物名に限らず、その物の特徴をとらえて名前をつけることが多く、同じような特徴を持つ物は共通の名前がつく場合がある」とのこと。
確かにアイヌは実用性で名前をつける民族。情緒や芸術性が入り込む余地はありません。あちこちに似た地名が多いのも地理的状況から名付けたせいなのでしょう。
去年のわたしは、たくさん咲くサクラの種類もわからず、かろうじてミズキの花と違うのがわかる程度でした。今年こそは、エゾヤマザクラ、エゾノウワミズザクラ、シウリザクラの花をそれぞれ見分けたいです。
(追記 : 春になってから同じ場所に行ってみたが、あたりにはシラカバの若木があるばかりで、シウリザクラは発見できませんでした。シラカバの冬芽と間違えたわけではないと思いますが、花が見当たらない以上、シウリザクラでもなかったのだろうと思います)
そしてもう一つ、近くにあった、オオバボダイジュの冬芽。イヌエンジュやシナノキに似た形だけど、毛深さや色合いで判別できます。
山を歩いていると、わりとあちこちでオオバボダイジュの芽は見かける気がします。
葉も幹も実も、仲間のシナノキとそっくりなので、冬以外は区別しにくいかも。冬芽は本当に便利です。
マイヅルソウの実と…何の芽?
帰り道、秋にマイヅルソウの実をたくさん見かけた場所を通りかかると、溶けてきた雪の下から、真っ赤な実がのぞいていました。
すっかりしおれているけれど、実の付き方に見覚えがあるので、たぶんマイヅルソウだと思いました。
二枚目の写真は、一見すると、やはり秋にこの近くで見たツルリンドウではないか、とも思えます。でも茎からするとやっぱりマイヅルソウでしょう。
まわりの枯れた部分は、ツルリンドウの花ではなく、別の何かの葉っぱが覆いかぶさったものじゃないかな。
真っ白な雪を背景に燦然ときらめく赤い宝石。もう秋ごろのようなみずみずしさはないけれど、きらめきは健在で息を呑むような美しさでした。
最後に、これも帰りに森の中で見かけた木の芽ですが…何なのかまったくわからない。
丸っこい冬芽、左右対称の側芽、そして目立つV字型の葉痕と、かなりユニークな冬芽なのに、今のところ、いったい何者なのか見当もつきません。
でも後から調べた感じでは、これもやっぱりカエデ? 謎の対生冬芽はまずカエデを疑えの法則? それともミヤマガマズミとか?
ハルニレとクワの冬芽は似ている
覚え書きまでに。この前、公園でとある若木を見つけたとき、何の木か訊かれて「たぶんヤマグワかハルニレ」と答えました。
「クワとハルニレなんて全然違うじゃない?」と言われて、自分でも内心そうだよなーと思ったんですが、少なくとも冬芽レベルでは似ているような感じがありました。
帰宅後調べてみたら、やっぱり似ていると思います。
・どちらも枝が互生で、ジグザグの形状になる。
・どちらも冬芽が黒っぽいタケノコ型
・どちらも葉痕が楕円形で大きく目立つ
違いはというと、葉痕にある維管束痕の数で見分けるのがいいかも。ヤマグワは維管束痕が多すぎて刺繍模様のようになっていますが、ハルニレは3つだけ点々としています。
成木だったら樹形で区別がつきますし、別の季節なら間違えようもないかもしれませんが、冬に若木を見つけた場合だけは、まぎらわしく感じました。
2月の終わりに
今月もこれで終わり。かなり充実した2月だったのではないかと感じます。
・体調について
冬が終わりに近づいているのは寂しいけれど、身近な樹木はだいたい冬芽で判別できるようになったし、絵も2枚描けたし、野鳥観察も少し足を突っ込めたし、満足度の高いひと月でした。
一方、スキーで手首を怪我してしまったことにいまだ不安があります。強い症状は10日くらいで消えたのですが、今でも力を入れる方向によっては痛みます。
おそらく憂慮していたとおり、舟状骨あたりにヒビが入っているのではないかと思います。
ネットで調べる限り、あまり予後のよくない骨折らしく、後遺症が残らないか心配です。再生に失敗して偽関節になってしまう可能性があるとか。
幸いというか、症状は強くはなく、日常の動作の範囲ではほぼ問題ありません。ウクレレでセーハコードを押さえると少し痛む、手で体重を支えようとするとかなり痛む、という様相です。
偽関節になる場合は、一度症状が改善した後に再悪化してしまうらしく、手術が必要になるようです。
とはいえ、現状で病院に行っても固定くらいしか対処できないでしょうし、そもそもコロナ禍の中で病院に行くのははばかられます。
痛みと支障の程度からして、骨折ではなくヒビのレベルだと思われるので、さらに数ヶ月くらい様子を見たほうがいいのかな、と思いました。
この怪我以降、スキーは極力しないようにしていて、今まで通りサイクリングとスノーシューを楽しんでいます。自然観察との兼ね合いからしても、こちらのほうが自分に向いているでしょう。
・世界情勢について
世界情勢のほうは、1月に引き続いて、おもにコロナ関連での混乱が見られます。
しかし、わたしの予想では、すでに2月はじめには、今くらいの状況になっているのではと考えていたので、情勢悪化はスローペースに思えます。思ったほど大変なことになってない。
まあわたしは防衛的悲観主義なので、常に最も悪い方向へ予測を張る傾向があります。
今後、収束に向かうか混迷へ向かうかは見当がつきません。わたしの周囲でもいわゆる「騒ぎすぎ」論を支持する人もそこそこいるので、彼らが正しい可能性もあります。
けれども、ひとつ言えるのは、致死率などのデータから騒ぎすぎだと主張し、自分は“論理的”だと自負している人たちは行動経済学を学んだほうがいいということ。
人間社会は不合理な反応が当たり前なので、その反応も含めてウイルスの影響を考えるべきです。
ひとことで言えば、ウイルスより人間の反応のほうが怖いし、社会を揺るがすかもしれないということ。
本当の意味で論理的なのは、単にデータという狭い数字の世界だけを見て結論を出す人ではなく、不合理な人間の反応をも考慮に入れて、多岐にわたる影響を算出できる人だと思います。
それに加え、わたしが懸念するのは、人々の注意がウイルスに向くあまり、気候変動や、それにともなう火災や蝗害による飢饉、また各地の紛争などの進展が覆い隠されているのではないかということ。
昨日の話題ともかぶりますが、ひとつの問題にかかりきりになっているうちに、別のヤカンが沸騰したり、鍋が焦げ付いたりするようなことが、来月以降出てくるのではないか。
ただでさえ、人類は最近、キャパシティがオーバーするレベルの問題を常にかかえているのに、そこへこのような突発的なイレギュラーが重なると、パンクしてしまう危険があると思います。
3月に入って、これからさらに混乱が増し加わる可能性があるので、自己防衛が必要かなと感じています。
まず、状況が緊迫しているので、ニュースを見ないわけにはいかないが、必要以上に情報を仕入れないということ。ここのところ、ニュースに影響されてか少し情緒不安定な気がするから。
また、絵を描いたり、ウクレレを練習したり、自然観察したりする、という日常のリラックスして楽しめることに、もっと時間と労力を傾けること。今月は絵を再開できたので、来月も新作を描きたいです。
3月はこちら。