2020年3月の道北暮らし自然観察日記

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もくじ

2020/03/01日

自生してる植物が全部載ってる調査報告書

うちの自治体の学術的な植生調査の報告書が図書館にあったので借りてきました。40年以上昔のものですが、そんなに変わってないと思います。

この報告書には、域内で発見された植物がずらりと徹底的にリストアップされていて、非常に役立ちそうです。いわばうちの町の植物の究極攻略本。

一般の図鑑は網羅範囲が広すぎて、どの植物が地元に分布しているかわかりにくいという弱点があります。

「北海道の樹木」といった本でも、道東、道南、道北で植生は変わるので、いまいち候補をしぼりきれません。

たとえば、そういう本には、北海道にはサワグルミも、テウチグルミも、オニグルミも分布しているとありますが、実際にはオニグルミ以外は道南のみです。

北海道でどんぐりをつける木には、ミズナラとカシワがあると言われていますが、この報告書によると、うちの域内にはミズナラしかないようです。

また、冬芽を観察していてツノハシバミっぽい木を見つけたとき、この近所にツノハシバミなんてあるのかなぁと思っていたら、報告書によれば確かにあるとのことでした。

そんな感じで、地域に自生している植物をリストアップしてくれているので、調べるときに候補をしぼりこむのが楽になります。

もっと言えば、このリストの植物をぜんぶ見分けられるようになれば、うちの近所では怖いものなしに。

ただ、学問的な調査報告書なので、その数や膨大。イネ科だけで38種類もあって、げっそりします。イネ科はただでさえわけわかんないのに。

一方で、かなりしぼりこめる科も多いので、うまく使えば、自然観察がかなりはかどりそう。サトイモ科ってミズバショウとザゼンソウとマムシグサしかないのか! とか。

こんな資料借りるのってわたしくらいかと思ったら、前に借りた人の貸し出し票がはさまってたりするので、物好きはいるものです。

植生調査だけでなく、動物の調査報告書も借りてきましたから、野鳥観察にも役立つはず。

やること多くなってきたなぁ、いったいわたしはどこへ向かおうとしてるんだろ。謎すぎる。

思い出のミズキをさがして

今日も北海道では外出自粛令が出ているので、人がいない公園の奥をスノーシューで歩きました。

昨日みたいに山に行くのも考えたけど、公園の奥地でもめったに誰も居やしないので。普段とやってることが変わらないな。

この公園はやたらと広いので、いまだに歩いたことのない場所もあります。キツネやウサギくらいなら普通にいるし、夏はうっそうとしていて歩きにくいので、今が一番探検しやすい季節。

去年の夏頃、ここで白い花が咲いている木を見かけて、ハシドイか、サクラか、それとも他の何かまったくわからない中、ミズキだとわかって嬉しかった記憶がありました。

当時はGoogle Lensもなく、図鑑も持っていなくて、いったいどうやって判別したのかは覚えてません。自然観察日記もまだ始めていないころでした。

そもそも「ミズキ」という木があることすら知らなかった。「ハナミズキ」は前住んでた大都市の街路樹で知っていたけど。

そんなだから、本当にミズキだったの?とあのころの自分を疑っていました。だって、この冬、これだけ冬芽を観察しているのに、一度しかミズキを見かけてないくらいだし。

だから今日、はるばる公園の奥まで歩いて、一年前のスポットまでたどりつけたので、ミズキかどうか確かめてみました。今ならミズキの冬芽を知っているので判別できる。

すると、記憶の場所にあった木は…

おおー確かにミズキだ! 間違いない!

サクラほど引き締まった形ではなく、クロミサンザシほど崩れた形でもない、つばきの花を思わせるような紅の冬芽。

幹は下の写真みたいな感じで、これもけっこうユニークに思う。縦線の皮目が目立つ。でも樹皮だけで見分ける自信はないな。

こうして見事再会できたあのときのミズキ。でもなんでめったにミズキを見かけないんだろう。もっとあちこちにあっても不思議じゃないだろうに。

植生報告書によると、うちの近所には、ミズキの仲間は、ほかにゴゼンタチバナとウリノキがあるそうです。

ゴゼンタチバナは去年、松山湿原などで見かけましたが、ウリノキはどこにあるんだろう? 調べてみたらフニーバオバブみたいな花! これはぜひ見てみたいな。

ニシキギ発見!

公園をさらに散歩していたら、見慣れない低木を発見。しかし近づいてよく見てみると、枝に翼が目立つ。だけどコブニレではない。

ということはこれって…

ニシキギじゃないですか!

それっぽい実もついてるし間違いない。あとで調べたら冬芽も一致してました。

みやびやかな名前に惹かれ、ずっと実物を見てみたかったけど、全然見つからなかったニシキギ。同じ仲間のマユミやツリバナは見かけるのに。

そういえば、秋にここで真っ赤に紅葉している小さな木を見かけた気がする。あれがニシキギだったのか。

枝に翼があるのがニシキギ、ないのがコマユミ。花びらが4枚なのがニシキギ、5枚なのがツリバナ。

ツリバナの木の場所はわかってるので、そっちも一度冬芽を写真に撮っておきたいな。

カツラの実とエゾノウワミズザクラ?とサトウカエデ?の冬芽

公園内に見つけたカツラの若木。冬芽を見ると、まるでヤナギみたいに互生に並んでいたので首をひねったが、別の枝などを見ると、明らかにカツラだった。

カツラの冬芽って左右対称の対生だと思っていたけど、ヤチダモみたいにずれることがあるのね。

たくさん実がついていることからもカツラだと判断できる。カツラの実は遠目には巻いた葉っぱのような形。

次の写真の冬芽は、いったいなんだろう。サクラの仲間じゃないかな、と見立てたのだけど。樹皮もあわせて載せておく。

冬芽はサクラの仲間らしく先端に集まっている。たけのこのような模様が入って、黒と白のボーダーになっているところはクワの冬芽にも似ている。

植生調査報告書によれば、うちの近所にあるサクラは、ミネザクラ、チシマザクラ、エゾヤマザクラ、シウリザクラ、ミヤマザクラ、そしてエゾノウワミズザクラ。

冬芽図鑑と照らし合わせてみると、どうもエゾノウワミズザクラが一番近い。ずっと探していたエゾノウワミズザクラ。ついに公園で発見? だとしたらすごく嬉しいのだけど。

(※追記 : 春になってからわかったことだが、この公園には無印ウワミズザクラがたくさん植えられていた。しかしこの写真は、冬芽が出た段階で成長が止まってしまっているエゾヤマザクラの枝だった)

最後のこれも、今のレベルではわかりません。黄色まなった葉っぱが残っていて、形からしてカエデの仲間なのは確かだと思う。

だけど、こんな色と形の冬芽のカエデを知らない。先日、川のそばで見つけたのと似ているようにも思うけれど。

カエデ類の冬芽を網羅したすごいサイトを見つけたのだけど、どれが似てるだろう? というかカエデってこんなにたくさんあるの?

植生報告書によれば、うちの近所に自生しているのは、ハウチワカエデ、エゾイタヤ、アカイタヤ、ミネカエデ、オガラバナの5種類。

でもどれも違う気がする。公園内なので、園芸種かもしれない。だとしたら、メープルシロップで有名なサトウカエデやクロカエデあたりが近いだろうか。

対生の冬芽で、なんだかわからないものを見つけたら、かなりの確率でカエデと思ったほうがいいのかもしれない。難しい。

すばやいハシブトガラ

その近くのイタヤカエデと思われる木に群れなしてとまっていた小鳥。

動きがくるくると回転して目まぐるしく、肉眼では識別不能。望遠レンズで動画を撮って、かろうじてピントのあった瞬間を切り出しました。

模様からして、ネクタイがないのでシジュウカラではない。目のところに横線が入ってないのでゴジュウカラでもない。色からしてヤマガラでもない。

ということで消去法でハシブトガラかな、と推測。帰って調べてみると、大当たりでした。よし、少ない知識ながらちょっとは見分けがつくようになってきた。

ハシブトガラは国内では北海道限定の種で、本州にもいるコガラとそっくりなようです。この粗い写真ではどちらか区別はできなさそう。

「植物が出現し、気候を変えた」を5章まで読破

植物が出現し、気候を変えた が面白すぎる。さすが故オリヴァー・サックスのおすすめ本なだけある。

分厚い本で、内容も専門的なのに、なぜか読みやすい。訳者の腕前がすばらしいのだろうか。最近、目が弱ってて読書がおっくうなわたしでもスラスラ読めている。

ぜんぶで8章仕立て。それぞれの章が植物の化石などの研究をもとに、古代地球の謎をひもとく推理小説風になっている。ざっくり言うと

1.古代の植物はなんと葉がなく茎で光合成していた
2.ペルム紀に突如現れた巨大植物と巨大昆虫
3.ペルム紀末の大量絶滅はオゾンホールのせい?
4.温暖化による大量絶滅は恐竜時代に起こっていた?
5.昔の南極は暖かくて落葉樹だらけだった

という話まで読んだ。あと残り3章。さくさく読めすぎる。

出てくる話がどれもこれもおもしろすぎる。たとえばペルム紀の話だと、15mのトクサと40mのヒカゲノカズラからなる森を巨大トンボが飛び回り、巨大ムカデが這い回ってたとか。

こういう常軌を逸した地球環境が過去に存在していた、ということが化石の記録などから明らかになり、なぜそうなったのかが説明されていく過程がぐいぐい引き込まれる。

著者のストーリーテーリングのおかげでもあろうから、全部を事実として受け止めるのはよくないと思うが、ノンフィクション推理小説としてよくできている。

ニールス・ボーアのこの言葉がかっこいいし、本書の本質をついている。

君の説は狂気の沙汰だというのが、皆の一致した意見だ。いま皆のあいだで意見が分かれているのは、君の説が真実の可能性があるほど、十分に常軌を逸したものかどうかだ。(p83)

本書の内容の中には、現代の人類が、過去の大量絶滅のときと似た現象を再現している、というような話もあるから、単に過去を解き明かす面白い読み物以上の意味があると思う。

読書していて、こんなに楽しいと思ったのは久しぶり。惜しむらくは、こういった面白い内容かつ良い翻訳の本と出会える機会がめったにないことかもしれない。

ウサギとカメはどちらが速いか

植物が出現し、気候を変えた を読んでいて面白い説明を見つけたので引用。

一年をトータルで考えれば、落葉ウサギと常緑ガメの競争は引き分けなのだ。

落葉樹は、すべての成長を短い夏に賭ける。常緑樹は、もっとのんきに二酸化炭素を吸いつづけながら、日照と気温が許すかぎりゆっくりだが着実に成長をつづける。

結局、炭素の貯め込み方のパターンは異なるが、最終的には一年でだいたい同じ程度の生産量を達成し、引き分けることになるのである。(p187)

わたしは自分が昔からウサギタイプだと自覚しているので、ウサギとカメの話を読むたびに複雑な気持ちになっていました。自分はどうやってもコツコツ継続するタイプにはなれないと思って。

ブログや自然観察日記それ自体は継続してますが、やってることはブレまくりです。観察して描くとかいう話はどうなったのかとか、いつになったら次の記事を書くのかとか。気が向かないと無理です。

でも以前、天才たちの日課を調べて、偉人の中にはウサギ系の人もカメ系の人もいて、それぞれ自分に合ったライフスタイルを貫くことで生産性を確保していた、という結論を導き出しました。

有名な画家18人の絵を描く習慣から学べるクリエイティブな毎日の秘訣
歴史上の18人の画家たちから絵を描く習慣について学べること

つまり、ウサギかカメかは生まれつき決まっているのでそれぞれが自分の長所を活かすことが大事です。ウサギがカメのようになろうとする必要はないし、それはかえって有害です。

そして、今回、そのことを裏づける証拠が自然界にみられることを知ったわけです。自然界に多様性がみられ、常緑樹と落葉樹が共存していることは、人間の性質にも多様性がある証拠です。

だから、これからもわたしはウサギでいいんだし、変に気負うことなく、気が向くままに創作しようと思います。

2020/03/02月

コロナウイルスについてのメモpart1.0

コロナ問題で北海道が注目されていますが、現時点でのわたしの印象やら何やらをまとめておきます。

世間で喧々諤々な、各界の専門家も素人も入り乱れての持論主張祭りには参戦する気は毛頭ないので、表の記事に書いたりはせず、この日記に覚え書きとして記すのみにします。

それぞれの考えに自信があるわけではまったくなく、来月にでもなれば、まったく見当外れだったことがわかるかもしれない。ただ自分の思っていたことを記録しておきたい、という意図です。

■北海道では感染拡大しているか
今のところなんともいえません。一見多いように見えますが、北海道自体、人口が多く、都道府県ランキングでは8位、東京の4割近くはいます。

感染者数もまだ、一番多い北海道でさえ100人に達しておらず、現段階での検出数は誤差の可能性がぬぐえません。

これほどデータが少ない段階で判断すると、いわゆる「少数の法則」に陥って、誤った結論に至りかねないと思います。

韓国、イラン、イタリアのように、北海道で一日に数百人と感染者が確認されれば、感染拡大していると結論づけられますが、今のところそうは見えません。

むしろ、それら他国の例からすれば、ある日突然、大阪や東京で数百人の感染者が現れるケースも十分に考えられると思います。

個人的には、わずか数十人感染者が多いだけで、早々と緊急事態宣言に踏み切って、住民の危機意識をかきたて、旅行者を減らした北海道のほうが、もしかしたら安全かも、と考えています。

ただこれは確率の問題だと思うので、どこでいきなりエピデミックが起こってもおかしくないでしょう。

■北海道は寒い地域だから感染拡大したのか
これについてはかなり懐疑的です。理由としては、北海道と似た気候条件である北欧やロシアで感染拡大していないこと。

一方、イタリア、イラン、韓国など、感染拡大している場所の現在の気候は、北海道よりずっと東京に近いように感じたことです。

換気の悪い室内で人が集まることで感染拡大するから北海道で多い、といった論調も見かけましたが、他の都道府県も冬の状況は似たりよったりでしょう。

上に書いたように、現時点ではデータが少なすぎると思います。

気温や湿度はほとんど関係なく、ただ単に運悪くスーパースプレッダーが発生した地域で拡大している博打のような可能性もあるのではないかと。

■東京で感染拡大していないのはなぜか
はっきり言ってまったくわかりません。上の換気の話題と関連して、満員電車は各駅で換気するから意外と大丈夫だ、という意見も見かけますが真偽不明です。

たとえ満員電車では感染者がでなくても、パチンコ屋やオフィスなどでは集団感染しそうなものです。会話したり食事したりしなければ大丈夫ということなのでしょうか。

検査数がしぼられていて隠蔽されている、という陰謀論については、あまり正しくない気がします。もし本当に感染者が多ければ、必然的に重症者、死者も増えるので、気づかれないはずがないでしょう。

検査数が少なく、潜在的な患者が大勢見逃されているのは事実だと思いますが、重症者、死者がほとんど出ていない以上、それほど感染拡大していないように見えます。

この場合の可能性としては幾つか考えられます。

1.感染拡大がスローで、まだ表面化していない
潜伏期間が長いなどの理由から、感染拡大が予想よりも遅めで、まだ表面化していない説。

先月の終わりに書いたように、当初のわたしの予想では2月頭くらいには全世界に広がっているのでは?と思っていたので、伝播が意外と遅い可能性はあります。

参考になるデータとしては、武漢で最初に肺炎が報告されたのは12/8、エピデミック化したのは1/23ごろ。つまり、感染爆発まで、少なくとも一ヶ月半以上の間隔があります。その間、患者数は少数の状態が続きました。

単純比較はできませんが、日本の最初の患者の報告は1/16、そこに1ヶ月半強を足せば3月前半ということになります。この伝播ペースなら、3月中にいきなり日本のどこかがエピデミックになる可能性もありえそうです。

2.スーパースプレッダーが現れなければ大丈夫?
今まで感染拡大したところは全部、運悪くスーパースプレッダーが現れてしまって確変状態になった説。いつ起こるかわからない地震みたいなもので、それが起こると突然状況が悪化するのかもしれません。

武漢、韓国、イタリア、イランなどの増加曲線を見てみると、数日前までは1ケタ2ケタだったのが、いきなりとんでもない集団感染を起こしています。

しかし、いずれも感染の震源地のような場所が国内に1ヶ所あるだけに思えます。国内の各地で同時にエピデミックが始まるわけではありません。

ということは、感染者がいる地域は頻繁に宝くじを引いているようなもので、運悪くロシアンルーレットに当たった場所が突然エピデミック化しているのかも。

3.本当に大したことない
気候条件や社会文化的構造、民族としての体質など、何らかの未知の要素がレジリエンスとなって感染拡大を防いでいて、一部地域以外ではそれほど拡大せずに終わる可能性。

今のところ謎が多いウイルスなので、現時点の手持ちの情報だけではわからない要素がたくさんありそうです。

■インフルエンザや他の病気のほうが深刻?
よく見かける「インフルエンザのほうが死者がはるかに多くて危険」論。

それを言い出したら、テロよりも交通事故のほうがよほど危険だとか、虐待や環境保護の問題のほうがもっと深刻で騒ぐべきこと、というような話にもなってしまう。

今回のウイルスはそれほど危険ではない、という主張は統計の数値としては事実。でも、行動経済学的には完全に間違っているというのは先月も書いたとおり。

かつて経済学では、数字上のデータのみで社会をとらえようとしたけれど、うまくいかなかった。人間はデータに基づいて論理的に行動するわけではないから。

そのため人間の反応の不合理な部分も考慮に入れる学問である、行動経済学が誕生した。

行動経済学では、人間はデータに基づいて判断する「エコン」(経済学で想定されている合理的な人間)ではなく、さまざまなバイアスやヒューリスティックによって直感的に判断してしまう「ヒューマン」だとみなす。

人間はデータではなく感情で動いているし、社会もそう。それは不合理なことではなく、人間とはそういう存在なのだ、とみなすべき。

自律神経のポリヴェーガル理論からしても、人間の身体は、恐怖を神経レベルで感じ反応するようにできている。つまり恐怖は行動を変える。

だから、ある問題が起こったとき、データ上の議論をしても意味がなく、その問題が人々に及ぼす恐怖の程度も含めて、リスクを評価する必要がある。

もしテロやウイルスが人々の恐怖をあおって萎縮させたりパニックさせたりするのであれば、それを含めてのリスクとしてとらえるべき。

「コロナウイルスの死者はインフルエンザよりはるかに少ないから安全」論を主張している人たちは、あたかも古い経済学を持ち出しているかのよう。

その論はエコン社会では当てはまるが、ヒューマン社会には通用しない。「テロで死ぬ確率は交通事故より低いので安心しましょう」なんて言って、安心する人がどこにいるだろうか。

あるいは誘拐されたりしてトラウマを負った人に「殺されたり大怪我させられたりしなくてよかったね」と言うようなものかも。

性犯罪が殺人より軽いと考えるような意見も同じ類いではないだろうか。恐怖が神経系に及ぼす影響を度外視したら、事実を正確に見ることはできない。

もしデータに基づいて考えるというのであれば、死者数などのデータだけでなく、この一連の事象がどれほど恐怖やパニックをつかさどる神経系に影響するか、といった要素も考慮に入れないと、正しい結論には至れないと思う。

そうした要素は、ただ単に今のところ計測できず、データ化されていないだけで、厳然として実在しているマスクデータのようなものなのだから。「知っているデータがすべて」で語るべきではない。

今のところの印象としては以上でしょうか。現段階では、さらに拡大するか、収束するかは不透明。

アメリカの専門家の中には、最終的に人類のほとんどが感染するくらいのパンデミックになるのでは?とする人もいるので、各地で散発的にエピデミックしながら延焼しそうな気はします。

先月末にも書いたように、わたしとしては、コロナウイルスそれ自体よりも、この騒動に隠れて別の深刻な問題が進展しているのではないかという可能性のほうを憂慮しています。

地球薄暮化が改善して温暖化が加速するのでは?

上に書いた、コロナ騒動に隠れて進展している別の問題には多種多様なものが含まれると思っていますが、そのうちのひとつがこれかもしれないという話。

植物が出現し、気候を変えた の第8章を読んでいて、はじめて「地球薄暮化」(Global dimming)なる現象を知りました。

これは2005年ごろセンセーションを巻き起こした概念で、産業排出物としてのエアロゾルなどが空を覆うことで、太陽光が減り、地球が寒冷化してきたという話。

実際に、全世界的に太陽光が減少していること、そのせいで(温暖化で気温が上がっているにもかかわらず)水の蒸発速度が遅くなっていること、昼夜の気温差が減っていることなどのデータから裏付けられているのだそう。

つまり、地球温暖化が起こっている裏で、エアロゾルが空を覆うことで、部分的に寒冷化も引き起こされており、おかげで温暖化の速度が緩やかになっていたのではないかといいます。

これが何を意味するかというと、もし無計画に温暖化対策や環境保護だけを叫んで地球の大気をきれいにしてしまったら、逆に温暖化が加速してしまう可能性があるということです。

というのは、空のエアロゾルはすぐにきれいになりますが、温室効果ガスは長い間大気中にとどまりつづけるから。エアロゾルによる寒冷化だけが取り除かれ、本来の補正値なしの温暖化が牙がむくかもしれない。

ホライゾンの番組が放送されてまもなく、世界的な学術誌サイエンスがこの件について最新の成果を発表した。そこにはいいニュースもあったが、悪いニュースもあった。

いいニュースは、私たちが吸っている空気は1990年以降どんどんきれいになっており、空も明るくなっているということだった。

しかし皮肉なことに、空気がきれいになればなるほど、私たちは温室効果ガスの増加によって起こる気候変化の影響を受けやすくなる。(p280-281)

あの9.11テロのとき、たった3日間、北米の産業が停止して空がきれいになっただけでも、薄暮化の改善が観測されたとされていますが、ということは…

中国で大気汚染レベルが低下、新型ウイルス流行による経済停滞も一因=NASA – BBCニュース

今回のコロナ騒動で、中国の大気汚染が改善されたこと、これは良いニュースのように報道されていますが、実はそうではないのでは?

中国のみならず、今後コロナの拡大と、それに伴う経済危機によって、大気汚染にかかわってきた国々の活動が同時に停滞することも予想されます。

そうすれば、空は明るくなる一方、温暖化の勢いが急激に増して、この夏は大変なことになる可能性があったりするのだろうか?

植物が出現し、気候を変えた は15年くらい前の本なので、もしかしたら情報が古くて、今は通用しないのかな、と思って「地球薄暮化」についちょっと調べてみたのですが、情報が少なくてよくわかりませんでした。

今から15年くらい前の当時に書かれた、地球薄暮化についてのわかりやすい解説記事はこれ。下に引用するたとえがすばらしく秀逸。

グローバル・ディミング〜温暖化は実際にはもっと強烈かもしれない(2006.03.10)|イーズ 未来共創フォーラム

言ってみれば、一つの部屋の中でストーブをどんどんたいている。

薪をどんどんくべているけれども、それほど室内の温度は上がっていない。

安心していたけれど、ふとクローゼットを開けてみたら、そこに強力なクーラーが働いていて、部屋の温度を一生懸命下げていた、ということがわかった。そのような状況ではないでしょうか?

一方で、英語のニュースを調べてみると、量は少ないものの、いまだ地球薄暮化の影響を指摘する記事はいくつか見られました。たとえば2017年のForbesの記事

How Can We Stop Global Dimming?

Once the generation and transportation industries stop pumping pollution and CO2 into the air, the dimming problem will go away pretty quickly, but the CO2 will linger for a couple of hundred years.

That means that sunlight which currently isn’t getting to the ground, being reflected as infrared and being absorbed by excess CO2 today, will be tomorrow.

That means that the temperature inhibitor of dimming will be removed and it will get potentially a degree or two warmer.

北米とヨーロッパでは薄暮化はすでに改善傾向が見られるのに対し、中国、インド、インドネシアなどでは悪化している。

もし産業がストップすると、薄暮化はすぐ改善されるが、CO2は数百年間残るので、気温が1~2℃上昇しうる、といった話。

また、英文のニュース検索でトップに出てきたのはこれ。先月の記事。

Joining the dots between climate change and air quality – Air Quality News

‘This “dimming” process then has the potential to mask some of the warming from increased emissions.’

‘Particulate emissions in the West are mostly lower than they were, but global CO2 levels have been steadily growing,’ explains Dr Porter.

‘Some areas have therefore seen an acceleration of warming, which may be partly because that protective and reflective cloud cover has lessened as particulate pollution has fallen.

‘So now that air quality has improved, the warming that has been ‘masked’ by the global dimming effect is then felt in parts of the world that are now ‘brighter’ due to less particulate pollution and less extensive cloud formation’.

大気汚染によるdimming(減光)つまり薄暮化は、温暖化の影響の一部を覆い隠しており、近年、空気がきれいになって明るくなった地域でmasked(マスクされた)状態にあった温暖化の加速が見られるという内容。

このあたりの情報がどれほど信ずるに足るものなのかはわかりませんが、それは気候科学の内容すべてに言えることでしょう。

先月の終わりに書いたように、人類の理解が浅すぎて、いまだ見落としている重要な要素がある可能性が常にあります。

人はみな「自分の見たものがすべて」(WYSIATI)に陥りやすく、手持ちの情報だけで最善策を考えがち。でもそれが予想だにしない結果をもたらしてきたのが人類の歴史。

たとえば、良かれと思って感染症撲滅のために抗生物質を開発して、急性疾患に対する勝利を収めたことが、のちのち自己免疫疾患などの慢性病を爆発的に増加させるばかりか、耐性菌の逆襲にも遭うなどと誰が予測しただろうか。

産業革命だって、核開発だって、自動車の普及だって、いつでも人間は、目先の問題の解決のために全力を注いで、その結果、まったく予想だにしない結果を刈り取って、かえって自分の首を締めてきたのではなかったか。

気候変動問題もまったく同じだと予想します。気候デモなどの活動が活発化し、環境保護が活発になればなるほど、何か思ってもみない副次的な問題が発生し、さらなる危機に追い込まれる予感がしてなりません。

それは地球薄暮化という緩衝材がとりのぞかれることによる温暖化のさらなる悪化かもしれないし、いまだ明らかになっていない未知の要素の表面化かもしれない。

この世の中の事象はあまりに複雑なので、1つの問題を科学で解決しようとしたら、別の2つの問題が現れることを繰り返すでしょう。

もっとも、別にもっと温暖化が加速しようが、二酸化炭素排出が増えようが、あるいは寒冷化しようが、地球にとっては大したことがないように思います。過去のペルム紀や白亜紀の気候はもっと極端だったようなので。

ただ、その極端な気候のもとで生きていたのは、それに応じて極端な適応を遂げた生物たち、いわば深海に適応した深海魚や、熱水噴出孔に適応したスケーリーフットみたいな生物たちでした。

もちろんそこに人類はいなかったわけで、おもに気候という環境によって生物の種が淘汰されてきた、しばしば大量絶滅によって大幅に選択されてきた、というのが地球の生物史の真理だと思います。

人為的な理由でこれほど環境を変えてしまっている現在でも、わたしたちヒトの生物種としての適応できる環境条件自体は変わっていません。これからも地球は生き続けますが、ホモサピエンスという種はそうではないかもしれません。

2020/03/03火

シロハラゴジュウカラとアカゲラ

今日は林のなかで野鳥観察。まず最初に見かけたのは、バードフィーダーに来ていたシロハラゴジュウカラ。

肉眼では動きが早くて判別できなくても、望遠レンズだとすぐわかります。

ゴジュウカラは、この首がないずんぐりむっくりした体型が好き。まるまるして可愛い。

林の中ではあちこちからドラミング音。頭上を見上げて、耳を澄まして、あちこちを見回す。

すると、せわしなく首を動かして枝を叩いている鳥を発見! とても遠かったけれど、望遠レンズのおかげで撮影できました。アカゲラです。

このあたりにいるのはてっきり「オオアカゲラ」かと思っていたんですが、地元の図鑑で「アカゲラ」もいることを知りました。

違いについて調べてみたら、アカゲラは背中に逆さ「八」の字の白い模様があり、胸が真っ白だと。写真に両方の特徴がはっきり映っているのでアカゲラでしょう。

アカゲラもオオアカゲラも頭頂部が赤いのがオスとのことです。写真の色を見る限り、画質が粗くてわかりにくいですが、たぶんメスですね。

いつもの通り、動画で撮ってピントが合ってるところだけ切り出したので、飛ぶ瞬間も写せました。羽の白黒の模様がおしゃれです。

オオアカゲラとアカゲラの違いを調べるためにググってみたら、他のブログの写真のきれいこときれいこと。せっかくスマホ+望遠レンズで撮れるようになったとはいえ、この粗さですから悲しくなりました。

でもわたしは写真目当てで自然観察しているわけじゃないし、身の丈に合っているレベルで継続するのがいいかな、と思っています。

写真はあくまで備忘録としてのもの。一番大切なのは、林の中でアカゲラの音に耳を澄ませ、首が痛くなりながらも、高い木の枝を見上げてアカゲラを見つけ、同じ時間と空間を共有したという得がたい経験なのですから。

ところで、林の中で雪の中からにょきにょきっと生えていた謎の苗木。…にしては妙に主張の強い巨大な冬芽がたくさん。

いったいなんでしょうか。私の手持ちの知識だと、ドロノキの冬芽に似ていますが、ドロノキってこんなに冬芽が密集してつくんだろうか。しかもこんな小さな若木でこの巨大さ?

この林では、ヤマナラシやその若木をたくさん見かけたので、近縁のドロノキがあろうが、何も不思議ではないのですが。

この冬かなり冬芽は覚えたような気がしていたけれど、いざ観察してみるとわからないものだらけで、自信がなくなります。

2020/03/04水

凍った岩尾内湖を一望する

去年の冬は土砂崩れで通行止めだった岩尾内湖の山道。今年は冬でも自由に通れるみたいだったので、冬の岩尾内湖を一度見たいと思って行ってきました。

この前の幌加内町の朱鞠内湖も、今回の士別市の岩尾内湖もどちらも道北を代表するダム湖です。人造ダム湖にしては、自然の景観が豊かで、とてもすがすがしいスポット。

道北の湖だから凍ってて当たり前なのだけど、初めて見たので圧倒されました。だだっ広い鏡みたいな朱鞠内湖もいいけれど、山に囲まれて上品な岩尾内湖もいいなあ。

岩尾内湖展望台などのスポットもあるのですが、冬は駐車場が除雪されておらず、道幅も狭かったので、ダム管理事務所のところに停めて散策することにしました。

スノーシューで湖まで降りることもできただろうけど、もうかなり暖かくなって雪解けしていた上、湖面がかなり下のほうなので、上から見下ろすだけにしました。

真っ白な湖にはたくさんの動物の足跡が。橋げたの根もとで氷が割れているのがおもしろい。こんな光景ってめったに見れない。

湖そのものは凍っていますが、写真でもわかるとおり、山の雪がほとんど溶けてしまっていて、道路もガタガタです。おそらく来週始めくらいには本格的に雪解けしてしまいそうです。

車に乗っていても暑くて窓を少し開けてたし、上着なしで散歩していても問題ない陽気。冬がもうすぐ終わりそうで複雑な気分。いや、先を憂えるより、今を楽しもう。

エゾノバッコヤナギ?の冬芽

駐車場の近辺に生えていたヤナギ。別に珍しいものではないんですが、ヤナギのこの赤銅色に鈍く輝くメタリックな冬芽が大好き。

種類は…なんでしょう? エゾノバッコヤナギらしく見えますが、確証はありません。駐車場周辺は山あいなので、川辺を好むオノエヤナギなどではなく、山地を好むバッコヤナギの可能性はありそうですが。

この写真のは花芽だと思いますが、そのふくよかな見た目からもわかるように、中身のもふもふな花も立派なのでしょう。

もしエゾノバッコヤナギなら、別名エゾノヤマネコヤナギと呼ばれるほど花が目立つ「ヤマネコ」なので、その点からしてもらしいかも。

このエゾノバッコヤナギ?はまだ咲いていませんでしたが、もっと下のほうの岩尾内川の川辺に生えているヤナギは、もうかなり咲いていました。望遠レンズで撮ってみたのがこれ。

こちらは川沿いだし、オノエヤナギなど、別の種類かもしれませんね。遠くだからわかりません。近くでもわかりませんが。

ヤナギの木に巻き付いていた立派なヤマブドウも写真に撮りました。昔の電話のコードみたいな光沢がある太い巻きひげが力強かったです。

そして初めてヤマブドウ?の冬芽も写真に撮ることができました。と思ったのですが…。

なんか形が違うような…。ヤマブドウの冬芽はもっと先がとがってると思うし、冬芽の反対側に巻きひげがついているんじゃないだろうか?

駐車場に車を停めて色々観察していたら、ダム管理所のおじさんが出てきて、「見学者かい?」と声をかけてくれたので、「いえ、初めて冬に来て湖がきれいだったので」と答えて、少し世間話しました。

おじさんは最近転属してきたそうですが、もう2回もクマを見たと臨場感たっぷりに話してくれました。2回ともなんと子連れのクマで、目と鼻の先にいた親グマと目が合ったこともあったとか。でも2回とも車に乗っていたので大丈夫だったと。

やっぱりこのあたりは普通にヒグマが出るんですね。秋に友だちと岩尾内川を遡上したりしたけど、やっぱ危なそうだな。ここだけでなく、うちの近所も同じでしょうけど。

帰り道で見かけた夕日の景色もとても美しかった。除雪された雪の粒が波打ち際の砂浜のようだ。

ここ数日、世間が騒がしいこともあって、努めて自然豊かな場所に足を運ぶようにしていますが、本当にリラックスできます。世の中が緊迫すればするほど、泰然自若に構える悠々とした大自然のありがたみを感じます。

2020/03/05木

日本列島の最果てすぎて…

北海道大荒れとの天気予報が流れていますが、道北は日本列島の最果てすぎて、ニュースが当てになりません。

北海道 見通し全くきかない猛吹雪や大雪のおそれ 警戒を | NHKニュース

北海道 備えは今日中 明日は大荒れ(日直予報士 2020年03月04日) – 日本気象協会 tenki.jp

「北日本」がとか、「北海道」がとかいうニュースは、全然当てはまらないことが多いです。

北海道地震!→道北だけ揺れてない
北海道に熱波!→道北はいつもどおり
北海道全域にコロナ!→道北はまだ出てない
記録的な雪不足!→道北はそこそこ降ってる
北海道大荒れ!→道北だけ荒れてない
道北で森林火災!→ほとんど報道されない

道北は半分外国みたいなものみたいですね。私は「北海道在住」ではなく「道北在住」だと思ってます。

2020/03/06金

膝丈まで積もった雪山を探検

昨日、道北と北海道は違う、なんて話を書きましたが、一日遅れで雪がどっさり積もりました。

特に天気が荒れた様子はなかったけど、一晩中しんしんと降り積もって、50cmくらいこんもりと。

塵も積もれば山となる的な、いかにも道北らしい降り方。もしかしたら今シーズン一番積もったかもしれません。

だけど今積もっても来週のプラス気温で一瞬で溶けちゃうんだよなぁ。今頃降られても遅すぎる。

でもせっかく降ったことだし、スノーシューかついで、裏の山まで出かけて、山道を登ってみることにしました。

…が、予想以上に積もってて、ひざくらいまで埋まる。幸い、道北の雪らしく、さらっさらのパウダースノーなので、重さはほとんどなく、そのまますり足するだけでラッセルできます。

まるでプールの中を歩いているような抵抗は感じるけれど、これだったら山登りもできるかな、という少々無謀な考えのもと、森に侵入することにしました。

ここの森は、雪のない時期は散策道になっていて、そこそこ複雑な分岐があります。冬の森を探検したかったので、一周してしまおうと、ずんずん森の中へ。急な上り坂で息切れするものの、脚力のスタミナには自信があります。

カラマツの木が立ち並ぶ静かな森を、あちこちの植物や樹木を観察しながら、奥へ奥へと。道中撮った、素敵な冬芽の写真を見てください。どれもなんて芸術的なんだろ。

イタヤカエデ、タラノキ、ニワトコ、ヤチダモ、オニグルミかな?

樹皮を覆っている地衣類も色鮮やかなテキスタイル。名前もわからないおしゃれな地衣類をじっくり見るのが楽しい。接写レンズのおかげで写真も撮れるようになりました。

シカの角のような地衣類と、サンゴの花のようなふわふわの地衣類。北欧の雑貨のデザインにありそう。

マツの葉に積もったキラキラした雪の結晶とこぼれそうな氷の粒。

森の中で野鳥観察もできたら、と思って望遠レンズも持ってきていましたが、全然発見できませんでした。

見通しのいい公園と違って、森で野鳥観察するのは難しい。たまに声がしても、樹冠に隠れて姿は見えず。

道は雪で完全に埋もれていましたが、木が生えてなくて平らなので、かろうじてこれが道だろうとわかります。登ったり下ったりを繰り返すうちに、さしものわたしも疲れてきました。

息切れしてくると、植物観察の余裕もなくなってきて、見たことのない冬芽のついて茎が地面から生えていたのに、ついめんどくさくなって写真を撮らずスルーしてしまいました。

帰ってから図鑑を見ているうちに、あれはたぶんホザキシモツケだったのだ、と気づいて少し後悔。珍しいものじゃないだろうけど、はじめて見つけたんだから写真くらい撮ればよかった。

途中で、雪がちらついてきたので、引き返そうかと内心迷いましたが、森を一周できる機会はめったにないので、よりによってこんな雪が積もっている中なのに、さらに進むことにしました。

ところが、奥までたどりつくと、夏にあったはずの道がない。

来た道を戻るのはかなり疲れそう。膝丈まで積もった雪道を上り下りするのは大変。

本来行きたかったルートの方角を見下ろすと、近所の自動車道が眼下に見えていたので、山の斜面の道なき道を降りれば、下山できることはわかりました。

悩んだ末、雪山の斜面を無理やり降りることに。冬だから、もともと道なんてあってないようなもの。氷瀑を見に行ったときも道なかったし。スノーシューだから問題ない。

木が生えてるところを伝って降りれば崩れたりもしないだろう、ということで、一歩一歩気をつけながら、急な斜面を無理やり下りました。これはこれで楽しい。

斜面を下っているうちに、もともと行こうとしていたルートを発見して、ホッとしました。雪に完全に埋もれてるけど、ここに確かに道がある。

自動車道に出るためには、さらに小さな川を越えたり、除雪された雪の巨大な山を乗り越えたりしましたが、無事に下山。

夏場に何度も歩いてよく知っている山だったし、日没まで時間に余裕もあったので、道がなくなっていても、落ち着いてルートを考えられたのがよかったです。

でもこの山、うちの近所の小さな山なのに、夏場も少し迷いかけて心細くなったことがあったし、自然を甘く見てはダメですね。慎重さを忘れないように探検を楽しもう。「好奇心は猫を殺す」。

コクワ(サルナシ)の冬芽とかツル植物

森の中を探検している途中で、頻繁に見かけたツル植物がありました。たくさん突起があってゴツゴツしている不思議な形。

あまりに頻繁に見るから、これは名前を知っておいたほうがいいな、と思い、写真に撮って、帰宅後調べてみました。

すると、なんとこれがコクワ(サルナシ)だった。キウイやマタタビの仲間で、ヒグマの大好物の。

前にマタタビがあったことを書きましたが、マタタビの冬芽は葉枕に半分陥没している半隠芽なのに対し、コクワの冬芽は完全に陥没している隠芽です。

夏場はマタタビとミヤママタタビとコクワは見分けるのが難しいですが、冬は冬芽を見れば簡単に区別できます。

それにしても、近所の森の中にこんなにたくさんコクワのツルがあったとは…。

前にアイヌの猟師の本を読んだとき、札幌周辺などではコクワが少なくなっていると書いてあったので、そこそこ珍しいものかと思っていました。さすが道北はいくらでもあるんだな。

そしてコクワがこんなにあるということは、それを好物に探し歩くクマも出るというわけで。岩尾内湖もそうだったけど、やっぱり家のすぐそばにもクマはたくさんいそうです。気をつけよう。

一方、こちらのツルは、今度こそヤマブドウか? 冬芽と巻きひげが対生しています。一昨日のツル植物はたぶん違う気がする。

この先がつんととがっているのが、ヤマブドウの冬芽の特徴じゃなかろうか。

そして、このコクワに巻き付いているツル植物は? 観察していると、ツル植物がツル植物に巻き付いている様子はよく見かけます。

これはなんだろう? アジサイかな? いや違うかな。

もっとツル植物に詳しくなりたいと思いました。ツル植物、シダ植物、コケなど、まだまだ少しも知らない分野が多すぎますね。

2020/03/07土

道路脇にエゾシカの群れ

山道を走っていたら、道路脇の斜面にシカの群れがいるのを発見! 思わず車を停めて写真を撮ることにしました。

人間がなんか変なことしてる、という目でこちらを見下ろしてきて、写真や動画を撮ってると目が合います。

写真だと全体が映っていませんが、少なくとも5匹いました。高い位置にいて安心しているのか、シカたちは逃げようともせず、雪解けして現れた草をもしゃもしゃとはんでいました。

家のすぐそばなのですが、去年はこのあたりでオジロワシの群れを見かけたし、夜中にシカやタヌキの群れに遭遇したのもここだし、動物たちが自由気ままに行動しているようです。

夏場はクマが出そうですが、冬のあいだは安心。山道に点在している駐車場付近で自然観察するのもいいかも。もう今年の冬は終わってしまいそうなので、来シーズンですね。

その近くの山あいの川辺では、ハシブトガラ?らしき鳥を見かけました。もっふもふでまるまるとしていて、とてもかわいらしい。

やはり鳥を見つけたいなら、森の中より川のそばのほうがいいのかな? 昨日、森の中を歩いたときはほとんど鳥を見つけられませんでしたが、今日はたくさんいるのがわかりました。

山道の橋から見下ろす谷は絶景です。とても日本とは思えない。

一面真っ白に見えるけれど、山々はもう雪化粧が溶けて、春の準備を始めています。足取り軽く、日に日に勢いをまして、春のエネルギーが押し寄せてくるのを感じます。

夜空に巨大な月暈(ハロ)が現れました!

夜になって、いつものサイクリングに行こうとして、ふと夜空を見上げたら、ほぼ満月状態の月(満月は月曜)のまわりに、今まで見たことのない巨大な月暈ができていました。

慌ててカメラを取りに家の中に戻って写真に撮りました。でもその後もずっと出てたから、慌てる必要はなかったみたい。月虹と違って月暈は寿命長いんですね。

ついこの間、朱鞠内湖で、太陽の巨大なハロ(日暈)を見たばかり。まさか月のハロも見れるなんて!

この巨大さを少しでも伝えたいと思い、比較対象になる建物や樹木を写真に含めようと苦心しました。

友だちにSNSで伝えたら、「外に出て月を見上げたけど輪っかなんて見えなくて、メガネを取りに戻って見上げてもやっぱり見えない。と思っていたら、あまりに大きい輪っかで目に入ってなかった! すごい!」とのことでした。

壮大すぎるスケール。比較するなら、星空の冬のダイヤモンドの並びのスケールに近いでしょうか。夜空いっぱいに広がる大迫力の月暈の神々しさに圧倒されました。

2020/03/08日

コロナウイルスについてのメモpart2.0

状況がかなり変化してきたので、コロナに関する印象を簡単にアップデートしておきます。

■現時点はまだ指数関数の始まり
ビル・ゲイツが、今回のコロナウイルスについて

How to respond to COVID-19 | Bill Gates

COVID-19 has started to behave a lot like the once-in-a-century pathogen we’ve been worried about.

I hope it’s not that bad, but we should assume that it will be until we know otherwise.”

と述べて話題になりましたが、第一次大戦のころのスペイン風邪に匹敵する災厄になる可能性が出てきたと思います。

わたしは、コロナが初期の予想より伝播ペースがずっと遅く、2月中にあまり拡大しなかったので、予想に反して簡単に収束しうるかも?と考えが揺らいでいたのですが、この1週間の様子を見てゲイツと同様の考えを持ちました。

伝播が遅いように見えたのは、指数関数的な始まりだったからです。言い換えれば、これはネズミ講だということ。ネズミが妊娠して出産するまでのサイクルが、わたしの予想より長かったというだけの話。

初期のころ、わたしはコロナはもっと急速に人から人へ伝播して人数を増やすと勘違いしていましたが、思いのほか、感染→潜伏→次の人に感染、のサイクルが長いようです。

だから、指数関数としては、初期のころはかなり緩やかに増加しますが、徐々に傾きが増して、気づいたころにはイタリアのように取り返しがつかなくなっていくのではないかと思います。

今はまだ、国際的に見れば、指数関数の始まりの時期にすぎず、ようやくちょっと勾配が上がってきたレベルなので、本当の大混乱はこれから、4月以降ではないかと予測します。

今回のコロナウイルス問題を考える場合、日本国内の発症確認の相次ぐニュースを見てもまったく意味がありません。

日本の地元の不確かなデータひとつひとつを見ても意味がなく、全世界の動向を数字で注視するのが一番です。役に立っている統計サイトのリンクを貼っておきます。(※後で追加したもの含む)

Coronavirus: Countries and regions impacted so far | The Straits Times
それぞれの国の状況が可視化されている。

Coronavirus tracked: the latest figures as the pandemic spreads | Free to read | Financial Times
各国の傾向のグラフを確認できる。(3/24追加)

Coronavirus Map: Tracking the Spread of the Outbreak – The New York Times
米国の各地の感染者数が地図でわかる。中国の感染者数および全世界の感染者数の推移についてのグラフがある。本日時点でのスクショ↓

NY_counties_coronavirus_cases
ニューヨーク州の各地域の状況のマップ。個人的に関心があるため。(3/24追加)

新型コロナウイルス 日本国内の最新感染状況マップ – NewsDigest
国内の感染者の反映が早い。推移のグラフもある。

新型コロナウイルス感染速報
読み込みが重くて癖があるが、情報量豊富。(3/24追加)

世界的な感染拡大の様子を図やグラフで確認すると、日に日に急速に拡大しているのがわかります。

特に上図からわかるとおり、今は指数関数的増加の初期です。先行例である中国の黄色い線と似た推移をたどるでしょうが、国際規模であり、中国のような封じ込めができない国が多いとしたら、恐るべき被害に拡大するかもしれません。

■今回のウイルスは恐怖をかきたてるテロと類似した特性
今回のウイルスは、データとしてみれば、致死率などは、そこまで高くありません。けれどもインフルエンザよりは危険で、100人いれば1-3人くらい死者が出ると言われています。重症者でいえば、もっと多いはずです。

ということは、これから拡大が進むにつれて、どんな人でも、知り合いや家族の中に、誰か1人くらい感染者や重症者が出てくることになります。今は他人事だと思っている人たちも、知り合いが入院したり死んだりすれば、パニックになるでしょう。

このウイルスはデータ上ではさほど脅威ではなく見えるかもしれませんが、「恐怖」を与える度合いを数値化すれば、最大レベルの特性を持っているのではないかと思います。

致死率がエボラほど高くない一方、無症状の人を通して、いつの間にかどこにでも感染するので、エボラを局地紛争に例えるとすれば、新型コロナは、世界のあらゆる地域で起こりうる無差別テロに似た特性を持っています。

人は戦争よりもテロにより大きな恐怖を感じることが行動経済学からわかっています。(昔書いた「利用可能性カスケード」についての記事参照)

このウイルスは、実際の致死率は高くなくても、世界中の人々の恐怖をかきたてるので、次々にパニックや社会混乱が引き起こされることが予想されます。すでに起こっている買い占めや差別はその氷山の一角です。

指数関数の傾きが増し、子ネズミが制御できないほど増えてくれば、世界的にパニックになり、報道がコロナ一色になって麻痺し、あちこちの都市や国境が封鎖され、経済が麻痺し、貧しい人に副次的なダメージが及ぶように思います。

以前書いたように、報道がコロナ一色になって麻痺している背後で、未解決の別の深刻な問題が複数進展し、同時多発的な混乱が引き起こされるかもしれません。

皮肉なことに、目下の別の大きな問題であるサバクトビバッタの大群もネズミ講で増えていくタイプであり、おそらく気候変動もポジティブフィードバック(森林火災のススや氷河の融解が、地表の熱反射率を変え、より事態が悪化するループに陥る、など)で悪化していくタイプです。

夏ごろには、コロナの拡大で混乱しているところへ、北半球で災害が増え、避難所などでまた感染が拡大する、といった悪循環は十分ありうることでしょう。

■夏に終息はしない
世界的な感染者数り変化をみると、あまりに暑いor寒い場所では流行しにくいように思えます。北欧では春が近づくにつれ、オーストラリアでは秋が近づくにつれ増加してきたようにも取れます。

いくつかの研究からすると、気温変化はある程度ウイルスの流行と関係しているのかもしれません。北半球の国々も夏が近づくにつれ、流行の勢いが鈍る可能性はあるでしょう。

しかし、WHOが夏に終息するというエビデンスはない、と述べていたように、たぶん季節変化では終わらないでしょう。

今のところ南半球であまり拡大していないように見えるのは、まず第一に検査体制が整っていないから、第二に南北格差により平均年齢が若く、重症化する高齢者がほとんどいないから、と説明できるかもしれません。

あまりにも高温多湿な本州の夏には感染が鈍る可能性はあるかもしれませんが、日中30℃以下、夜は10℃台の北海道では終息しないかと思います。

それに、いくら夏が暑くても、このウイルスは屋外で空気感染するわけではなく、屋内の濃厚接触で広がるので、かえってクーラーのきいた満員電車や他の屋内イベントなどで感染拡大するかもしれません。

いずれにしても、世界規模で見れば、夏に終息することはありえず、世界で起こっている混乱は日本にも波及するので、もし日本で封じ込めに成功しても混乱は続くでしょう。

特に、ヨーロッパとアメリカは、これからどんどん状況が悪化しそうなので、そのあおりは大きいと予想できます。

また、たとえ一度封じ込めによって終息したように見えたとしても、社会活動を再開したとたん、突然クラスター感染が起こるようなことが繰り返され、テロと同様の予期し得ない恐怖がずっと付きまとうでしょう。

わたしは基本的なスタンスとして防衛的悲観主義なので、悪い方向に予想を張るのが常ですが、今回に関しては、すでにデータとして見ても世界規模で混乱しています。

わたしの人生の中でも、リーマンショック、9.11同時多発テロ、3.11東日本大震災などでも生じなかった規模で世界が揺り動かされているので、初めて経験する事態になりそうです。

■皮肉な話と行動経済学のメリット
わたしは昔、大阪と東京に住んでいたことがあります。北海道で緊急事態宣言が出たとき、向こうの友人から「今回のウイルスは野生動物から感染したらしいから、都市より原野のほうが危ないんじゃないの?」といったことを言われました。

大自然を愛するわたしは、内心腹が立ったので、当時公表されていたデータを使って、北海道内でのウイルスの感染例は、ほぼ人口密度の分布と一致している、つまり都市部で感染していることを示しました。

また、北海道で感染例が増えているのは、人口数に対して、検査の総数が多く、たまたま検出できているにすぎないからであり、そらく東京や大阪のような人口密集した都市部のほうが危険である、と話しました。(これは必ずしも正確ではなかったが)

それから10日ほど経って、今の状況はどうなったか。北海道での感染拡大は、わずかな例外を除いて、やはり人口分布と一致しています。

感染拡大しているとはいえ、わたしが住んでいる近辺では、まだ一件も確認されていません。一番近い感染例でも自動車で2時間近くかかる場所にとどまっています。

一方、東京や大阪では着々と増加し、以前わたしが住んでいた市内、区内で、もうすでに感染が報告されています。住んでいた家の、わずか自転車で10分のような場所でもです。

今回のウイルスは、最終的には世界人口の7割が感染するとも言われているので、どこに住んでいようが遅かれ早かれ感染はするでしょう。

でも、仮にエピデミックになったとき、いつでも自由に出歩ける自然がこんなに豊富にある道北と、家からほとんど出歩けない軟禁状態になる都市部のどちらがマシかは言うまでもないことです。これから都市部は大混乱すると予想します。

こうしたやり取りから、今になって、行動経済学を学んでいてよかったな、と実感しています。データの読み方がわかりますし、陥りやすいバイアス、ヒューリスティックなどに気づけるからです。

たとえば、前回も書いた「少数の法則」。データが少ない時点で判断するのは危険。現時点では北海道が多いように見えても、たった二桁の数字では誤差かもしれない。

「基準率錯誤」。都道府県別の検査数のような基準率を考慮に入れずに、統計に出てきた数値だけを比較しても無意味。

「利用可能性ヒューリスティック」。報道でよく見聞きすることほど頻度が多いと錯覚してしまう。

「代表例ヒューリスティック」。人はステレオタイプに弱い。今回の例でいうと、寒い地方の密閉された地域が感染しやすいと錯覚してしまうなど。

「確証バイアス」。自分がもともと持っている意見の裏付けばかり集めようとする。

「平均への回帰」。たった数日感染者が多くなっただけで騒ぎ、数日感染者が減っただけで終息へ向かっていると判断する人たちがいる。実際にはグラフの短期間の上下に意味はなく、長期的には平均へと回帰する。

■「たいしたことない」という意見について
上でも書き尽くした感はありますが、現時点では指数関数の初期なので、データとしてはたいしたことなく見えても、今後はそうはいえません。もし人類の半数が感染して、そのうち0.5%が死んだとしても相当な災厄です。

また、前回のときに、人々の感じる恐怖も数値化すべきだと書きました。今回のウイルスが恐怖を引き起こす度合い、およびそれが社会や個人の健康に及ぼす影響も含めて被害を想定すべきです。

気候変動などの問題も、数十年前からさんざんリスクが指摘されていたのに、「たいしたことがない」論者のせいでここまで悪化して、毎年災害だらけになっているという事実もあります。

現在の社会は、危機を感じすぎてパニックになる「PTSD」的反応を示す人たちと、危機を否定・否認しすぎて斜に構える「解離」的反応を示す人たちによって分断されており、正常なバランスのとれた危機意識をもつ人が少ないのではないかと感じられます。

もともと人間のストレス反応がどちらかに偏るようになっている(だいたい2/3がパニックで、1/3が麻痺か?)ことがトラウマ研究からわかっていますから、この分断は生物学的理由によるものとみなすこともできます。

でも、過去の地球で大量絶滅が起きたことは化石の記録などから明白なので、人々がパニックになろうが否認しようが、何かが起きるときには起きるものです。意見の対立は無意味です。

農作物を食べ尽くすバッタの被害は、温暖化で今後ますます加速する|WIRED.jp

これが世界の終わりのときだとすれば、地球はわたしたちに生やさしい終わり方を与えてはくれないのだろう。

■これから起こりそうなこと
1.各地でのエピデミック→世界規模のパンデミック
2.おもに都市部を中心として、人々がパニックになる
3.物流や経済に深刻な影響
4.蝗害、気候変動など他の災害も合わせて混乱が増す
5.世界の大国や国連が、混乱を鎮めるために国際協調路線を発表する。(ロシアが計画している常任理事国5カ国会議がそれになるかも)
6.おそらくワクチン開発などでコロナの封じ込めには成功するが、他の諸々の問題が厄介なレベルに拡大しているかも。

2020/03/10火

マユミの冬芽

本日は気温がプラス8℃くらいまで上がった春の陽気。あちこちで雪解けが進んでいて、道路はジャブジャブです。

昨日は一日じゅう、地元のマップの絵を書いていました。ここに載せられない絵なのが残念。今日も朝から用事がたくさんあって、さっきまで疲れて昼寝していました。

コロナウイルスの非常事態になってから、かえって仕事や生活が忙しくなってきています。

そんな用事の合間に立ち寄った公園で、以前マユミを見た覚えがあったので探してみました。まだ乾燥した実が残っていました。

いつもの接写レンズを持って外出しようと用意したくせに、テーブルの上に置き忘れてしまうという痛恨のミス。だからレンズなしで撮った写真しかありません。

望遠レンズも忘れたので、たくさん鳥を見かけたのに写真に撮れなかった…。うっかりは治らないみたいです。悲しい。

というわけで、接写はできませんでしたが、マユミの冬芽を撮ってきました。

先月、山の中で見つけたイタヤカエデの冬芽を、マユミだと勘違いしてしまった話を書きましたが、こうして実物を見ると全然違いますね。

カエデの冬芽はもっと赤みを帯びていてツルツルしている。(イタヤカエデは種類が多いから黒っぽいのもあるみたいだけど) マユミの冬芽はもっとくすんだ小豆色でゴツゴツしている。

何より、一番見分けやすいポイントは葉痕の形。イタヤカエデはV字型の切れ目だけど、マユミの冬芽は半円形のくっきりした形で、ろうそくの燭台のようにせり出しています。ハシドイに似てるかな。

だいたい、マユミだったら、たぶん冬でも実が残っているはずですよね。前に間違って友だちに解説しちゃったのは残念だけど、こうやって経験から一つひとつ学んでいくもの。少しずつ知識をアップデートしていこう。

サバイバル脳は緊急時こそ役に立つ

わたしは、自分の脳が、平和な時代ではなく、異常事態のほうに適応したサバイバル脳だと思っていますが、非常時のほうがドーパミンが出て動きやすいような気がしています。

平和な時代においては、サバイバル脳の持ち主は適応不良を起こしてしまいますが、危機の時代においては強いと思います。

先月の日記で、「平和な日常をのうのうと生きてきた人たち」にどうしても怒りを覚えてしまう、という話を書きましたが、もうすぐ時代が逆転しそうです。

これからは、火のような試練をくぐりぬけてきた人たちが活きる時代。世の中は混乱しつつありますが、これくらい、これまでわたしが耐えてきたものと比べたらなんてことはない。

おそらくわたしは、どのような状況が来ようとも、比較的冷静でいられると思う。状況に過剰反応して振り回されることも、状況を過小評価して逃避することもなく、現実的に対処できるはず。

これまで自分がくぐりぬけてきたものを知っているから。のうのうと生きてきただけの人たちと違って、サバイバーとして多くのことを経験してきたから。どう対処すればいいかわかってる。

自然観察日記→道北暮らし日記帳に変更

この日記の名称を「自然観察日記」から「道北暮らし日記帳」に変更し、カテゴリ「道北の暮らし」に統合しました。

自然観察が目的で始めた日記でしたが、日々の雑記なども書くようになったので、もっと包括的な名称にしておこうと考えたためです。

これまで「道北の暮らし」カテゴリの記事に書いていたような内容も、ほぼ日記に全部書いてしまっているので、もう日記そのものをコンテンツの一部にしてしまうことにしました。

また、最近は、忙しくて新しい記事を書けておらず、日記=生存報告、みたいなところがあるので、わかりやすい場所に置いておいたほうがいいかな、と思い、メインアーカイブに表示させることにしました。

これからも、なかなか単独記事は更新する余裕がなく、日記が中心に更新になると思います。

2020/03/11水

あられが吹く小道にベニヒワ

気温はプラスだけど、朝からずっとあられ混じりの強風が吹いています。風が強いせいで体感温度は低く、無風のマイナス20℃のほうがマシかもしれない。

サイクリングしていると、車が走ってくるような音がして、思わずバックミラーを確認。でも後ろには何もいない。エンジン音のような地響きは、ニオイヒバの防風林が風を梳く音でした。

前に本で読んだ、悲しく嘆くようなポンデロサマツの音とは全然違うけれど、力強く吹雪を受け流すワイルドな響きです。

風下に向かって走っているときは楽ですが、風上を向くと、あられ混じりの強風が打ちつけてきます。痛いというほどではないけれど、顔につぶつぶが当たる感触が痛気持ちいい。

よく自転車で通る田んぼの間の小道は、すっかり雪融けして砂利道が見えてしまっていました。

道の両側に生えている並木のあいだを走っていると、どこからか小鳥の鳴き声が聞こえます。止まって見回してみると、枯れたイタドリの茎にスズメのような小鳥の群れがいました。

スズメにしては、顔から胸にかけての真っ赤な模様が目立ちます。この鳥はなんて名前だろう?と帰ってから調べたらベニヒワというそうです。赤いフェイスペインティングが目立つのはオスみたい。

あまりに風が強いので、イタドリの枝から、シラカバの枝に飛び移ったり、地面に降りたりとせわしない。風の波が押し寄せるたびにふわりと身を任せて居場所を変えているようにも見えます。

ベニヒワは冬鳥で、はるか北欧から渡ってくるのもいるそうです。わたしは北欧への憧れがあるから、もし話が通じるものなら、あっちの思い出話を聞きたかったところ。

シラカバの枝に止まっていましたが、カバノキ系の種子や、マツヨイグサの実を食べるのだとか。そういえば、この小道の両脇にもカラッカラになったマツヨイグサが残っていました。

もっとじっくり観察したかったけど、吹雪がひどくなってきたので、すぐに引き上げることにしました。雪融けしてきたからフキノトウも出てるかもしれないし、こんどじっくり探してみよう。

コロナウイルスについてのメモpart2.1

■流行に対する気候の影響
ちょっとだけアップデート。まだデータが少ないので、あくまでも暫定的な意見。

前回に「夏に終息はしない」とは書きましたが、ここ数日のノルウェー(429)やスウェーデン(355)の急激な増加を見ると、北海道での増加はやはり気温と関係していた可能性を排除できません。

オスロ大学教授が言っているように「暑い気候の地域よりも、寒い気候の地域のほうが、コロナウイルスは感染しやすい」可能性はあります。

ただし、北欧でもフィンランド(58)は周辺よりかは少なめですし、ロシア(20)も発表どおりなら少ないようです。北海道でも最も気温が低い道北では今のところほぼ流行っていません。

気温が低すぎることも流行を抑える要因なのでしょうか? シベリアの極低温ともなればウイルスは活動できないようです。しかしそこまで低くない地域においては、単に人口密度が低いだけかもしれません。

流行している場所は、一日の気温の推移が、最高20℃最低0℃くらいの幅のことが多いように見えます。

だとすれば、道北在住としては、これから春を迎え、気温が高くなってくると危険性が増すかもしれません。人口の多い名寄市あたりでの流行が危惧されます。

しかし、道北は夏は日中30℃まで上がるので、もし気温が低いほうが危険だとすれば、釧路など道東のほうが流行りやすいか。

一方で、世界を見れば、すでに100以上の国と地域で感染が確認されており、気温が最高35℃最低25℃のマレーシア(149)をはじめ、オーストラリア(107)、フィリピン(49)、インドネシア(34)あたりが、遅ればせながら直近数日では増加傾向が強くなっています。

日本でも(気温がそんなに高いわけではないが)愛知県(104)や大阪府(80)の増加傾向が強く、近々北海道を追い抜きそうな勢いなので、気候は多くの要因のひとつにすぎないとも思えます。

気温が最高20℃最低0℃くらいの地域で増加していたのは、ウイルスがそれくらいの気温で活性化するから、という理由もあるでしょうが、単にそのくらいの気温帯に経済活動が活発な都市が多く、人口の高齢者率が高かったから、という理由もありそうです。

結論としては、part2.0に書いたとおり、北半球では夏に勢いが弱まることは考えられるものの、国際的な見地からは終息することはないでしょう。

■社会の分断や偏見への懸念
個人的に気になっているのは宗教組織が関係するウイルス感染の拡大を機に、社会の分断が加速する危険性です。

韓国ではキリスト教団体の礼拝、イランではイスラム教モスクでの礼拝、ニューヨークではユダヤ教シナゴーグでの礼拝がクラスターになったと言われています。

WSJではメッカ巡礼で拡大するのではと懸念されていました。ローマ教皇が聖職者らにコロナ感染者に会いにいくよう勧めたという困ったニュースもあります。

今のところ、宗教組織は、ウイルス拡大に関与する数多くの要因のひとつにすぎず、ライブハウスやジムや他の集会と同レベルのリスクにすぎないように思えますが、各国で悪い意味で注目を集めている例が増えているのが気になります。

わたしがこれを心配するのは、宗教というものは、時として常識よりも信条を優先しうるからです。上記のローマ教皇の言葉などはその一例。アメリカは政治と癒着した宗教団体も多く、これから大統領選挙で白熱するので心配がつのります。

コロナウイルスによる人種差別が話題になっていましたが、今後宗教がらみの大きなエピデミックがあれば、新たな火種になってしまうかもしれません。

いろいろ予測を書いてはいるけれど、わたしの考えの要旨は、「コロナウイルスはおもに恐怖を引き起こすことで社会を混乱させる」ということで、part1.0から変わっていません。

このウイルスそのものに、人類社会を滅亡させるような力はまったくないので、その点は心配しなくていいでしょう。

しかし、ウイルスが引き起こす社会の混乱、偏見や分断、そして他の重要な危機の進展から目をそらさせること(これについては国連事務総長も危惧しているというニュースが出ていた)が深刻になるのではないか、という懸念を抱いています。

2020/03/12木

天塩川支流を小さな流氷が流れる

近くの川まで散歩。道路はすっかり雪解けしてきて、アスファルトがむき出し。そのせいで歩きにくい。ふわっふわの雪の上を歩ける真冬は足が痛くなかったのに。

雪解けといっても、河川敷や森はまだ白く覆われています。雪解け水のせいか川はいつもより流れが急な感じ。ごうごうと流れる。

ときどき川上から、大きな氷の塊が揺られて流れてくる。これも一応、流氷といえるのかな。オホーツク海の流氷も、もともとはアムール川の氷らしいから。

野鳥観察したかったけど、強風のせいか、ほとんど見かけない。たまに声はするものの、姿は見えない。じっくり探せば見つかるかもしれないけど、今日はあんまり調子がよくないから帰ることに。

満月の直後の時期に体調が悪くなりがち

風邪とかコロナとかじゃなくて、いつもの周期的な体調の悪化の時期に思えます。

引っ越してきてから1年半ずっと、良くなる時期と悪くなる時期を、生理周期的なリズムで繰り返している。昔はずっと悪いままだったから、それよりかずっといいのだけど。

日記によると、前回、調子があんまり良くないと言っていたのは、2/17ですね。やっぱり概月リズムと関係していて、満月から下限の月に移行する時期あたりがよくない気がする。

以前に書いたように、生体力動学的には、月の満ち欠けは植物の生育とも関係していて、潮汐リズムと同様、生体内の液体の運動にも影響を及ぼします。海の水が影響されるなら、人の身体などなおさら。詳しくないからそれ以上はわからないけど。

体調が悪い時期は、一週間くらい、以前の慢性疲労症候群っぽい症状が戻ってきて、睡眠の質が悪くなり、体が疲れて、あちこちが痛み、低エネルギー状態になります。昨日くらいから変なので、下限の月(16日)を過ぎるくらいまでは不調が続くのかな。

まあ今に始まったことでもないし、必ずまた上向くことは経験上わかっているので、絵を描くなりできることをして、焦らずゆったり過ごすことにしたいと思います。

とりあえず読み終わった植物が出現し、気候を変えた のまとめをしないとなぁ。非常に面白い良質な本だったけど、ブログ記事を投稿するかは不明。昔みたいなきちっとしたブログを書きたいモチベーションがないのです。個人用に読書メモ作るだけかも。

2020/03/13金

サイクリングに出かけたら元気になるパターン

ああー今日は調子悪い、朝からフラフラ。頭いたい。まったく集中できない。体を起こしているだけでしんどいー。もしかしてコロナだったらどうしよ。

ずーっとダラダラしてましたが、どうしてもやらなきゃならない用事があったので、夕方ごろにやっと外出。

そしたら、サイクリングしているあいだに元気になって、かなり吹雪いてたけど、お構いなしにあちこち走り回ってきました。いつものパターンすぎる。

外を走ってるのがあまりに気持ちいいものだから、用事を終わらせた後、ちょっと無計画に川のほうまで走る。途中の砂利道は吹雪のせいで雪に覆われていて自転車をこぐのが大変。

でも並木道なので、風がせき止められているのが救い。マツの防風林に吹き付ける風がゴォォォォとジェット機のような音をけたてる。

たどりついた川べりの様子。もっと下まで降りていけるかと思ったけど、ずぼっと足がふとももくらいまで沈んだのでやめました。スノーシュー持ってこればよかった。でも外出かけたらこんなに元気になるなんて思ってなかったんだ。

しばしの間、吹雪はやわらいで、静けさが訪れる。川の激流のフラクタルの音の重なりが心地よい。でも薄着で出てきたから、あまり立ち止まっていると冷えそう。

せっかくだから近くの植物も観察。

枯れたイタドリにイケマのつるが巻き付いている。イケマの実はカラの中にぎっしり詰まっていた種はなくなっていて、かわりに雪が詰まっている。

ヤナギの木を見上げて種類を見極めようとする。芽が丸みを帯びていて、大きさがまばらだから、これはエゾノバッコヤナギだろうか。

ふとみるとヤナギの木に何かのツルが巻き付いている。ツル植物はあまり詳しくないからな―と思いながらも、冬芽と巻きひげを見ると、これは見慣れた2回出て1回休むのパターン、つまりヤマブドウだ。よく見ればあのパリパリした太いツルも巻き付いていた。

近くにあった木は目立つ幹の模様。これはヤマナラシか、と思ったが、冬芽はドロヤナギだった。ヤマナラシとドロヤナギの区別がつかないなあ。幹の模様の黒が多ければヤマナラシの確率が上がるのか?

その近くにあった、乾燥したマツヨイグサの写真。今回はこれを撮るのがひとつの目的だった。

全然珍しいものではないのだけど、確実に生えているのがここしか思いつかなかったから。

この前、ベニヒワについて調べたとき、マツヨイグサの種を食べると書いてあって、あああの乾燥した謎の植物はマツヨイグサだったのか!と気づいたもので。

マツヨイグサにしても、前のオオハンゴンソウにしても、夏ごろはたくさん見かけてすぐに見分けがつくのに、冬に残骸になってしまうと何の骸だったのか謎めく。ウバザメだって死体になったらネッシー化したりするし、わからないものですね。

こうしていると無限に時間が経ってしまって、行き倒れの雪像になってしまいかねないので、あの走りにくい雪の砂利道をえっちらおっちら帰ることに。

途中から吹雪が真正面から吹き付けてきて、正面を見れない。顔を伏せて丸まりながら自転車をこぐ。車なんてめったに通らない場所でよかった。

家に帰ったときはクタクタだったけど、心地よい疲れでした。やっぱり体調悪いときは外に行くに限りますね。

2020/03/14土

怪我の巧妙でスキー上達してた

今日はいい天気。昨日の吹雪で10cmくらい積もったけどすぐ溶けそう。

昼過ぎごろ、雪原で寝転がって青空を見たり、鳥の観察を楽しんだり。ハリギリの幹を逆走するゴジュウカラの写真が撮れました。

この鳥はいったいなんだろう? 中くらいの大きさで黒っぽい。見た目はムクドリに近いか。鳴き声はクロジに似てるけどちょっと違う。

その後、一週間ぶりくらいで地元のスキー場へ。

一応、北海道は週末は外出自粛令ですが、ふだんからめったに人がいないスキー場なので問題ないでしょう。この冬10回くらい行ったけれど、クロカンコースに他の客がいた試しがない。

外出自粛や登校自粛で、都会の子どもたちが遊ぶ場所がなくて道路で遊んでいるとかいうニュースを聞くと悲しくなりますね。道北の子どもたちなんて家の外の雪山に登ってソリで滑ってますよ。ほんと都市部なんか子育てする環境じゃない。

わたしも都会育ちなので、スキーに挑戦したのは今シーズンが初めて。慣れない中、手首を怪我してしまってからは回数を減らしていたクロカンでしたが、久々に滑ってみると、かなり上達していました。

クラシカル走法はもちろん、スケーティングのほうも、スピードを出さなければ大丈夫。平地であれば問題なく滑れる。自由に滑れるようになってくるとちょっと楽しい。

手首を怪我したのは、初心者にも関わらず、ストックを使ってスピードを出しすぎて転んだせい。教訓を学んで、しばらくはストックなしでバランスをとる練習をしたのが良かった。

転んだときに手から落ちたのがまずかったので、安全に転ぶ練習もしてみました。バランスを崩したな、と思ったら、まず腰を落として、低い姿勢からゴロンと寝そべるように転ぶ。

実際に今日一度だけバランスを崩した時があり、とっさにこの方法がうまくできました。一回痛い目に遭ったおかげで、慎重になれた。

その手首のほうは、やっぱりまだ治っていません。ほぼ日常には支障はなく、力を入れたりすると痛むくらいですが、ずっとその状態が続いたまま。偽関節とかにならず、治ってくれるのを願うのみ。

スキー場が閉まるまであと数日。今回が最後かもしれないけれど、スキー一年目としては、簡単なスケーティングができるようになったから、まずまず合格点かな。

途中、怪我して嫌になった時期もあったけれど、おかげで安全に気をつけることを学べてよかった。来シーズンは坂の上り下りができるようになるといいな。

【気になったニュース】

生態系を再現するような農場を造る『ビッグ・リトル・ファーム 』 | 大場正明 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

以前に読んでとてもよかった地質学者デイビッド・モントゴメリーによる「土・牛・微生物 文明の衰退を食い止める土の話」の話が引用されている。今後、生態系を守り、回復させていく時期が来たとき、お手本となる取り組みかもしれない。

2020/03/15日

公園にいたハシブトガラ、ヒガラ、ベニヒワなど

今日も地元のとても広い公園をスノーシューで歩く。

すっかり堅雪になっていたけれど、靴のまま歩くと突然沈みこむ場所も多い。もうふわふわの雪ではないので、膝や腰に衝撃が強く、とても歩きにくい。

スノーシューを履くと、それが少しましかな、という程度。今シーズン使うのもそろそろ最後になりそう。

あちこちから鳥の声が聞こえ、シジュウカラ、シマエナガ、ハシブトガラ、ベニヒワを確認できた。我ながら、鳥を見分けられるようになる日が来るなんて思ってもみないことだった。

雪の妖精ことシマエナガの正面の写真はいつか撮ってみたいものだけど、小さい上の動きが速すぎて、スマホ&望遠レンズという装備では難しい。

シマエナガは、ジュリリ、ジュリリという鳴き声が特徴的なので、見つけることは簡単なんだけど、すぐ逃げるので、写真はおろか、動画に撮ることさえ難しい。

シジュウカラ、ゴジュウカラ、ハシブトガラあたりは、小さいけれど警戒心が薄いのか、かなり近づいても撮ることができる。今日はハシブトガラを間近で観察できた。シルエットはシマエナガに似ている。

これもきっと、ハシブトガラだ、と思って撮っていた鳥ですが、後から写真や動画を見返してみると、なんか違う。頭が逆立っているし、背中がロマンスグレーだし。

調べてみたらヒガラでした。まだ見ぬガラ族がいたとは…。見分けるのは大変ですね。でも近くでじっくり見れてよかった。

ヤナギ?の木に留まっていたベニヒワの群れも発見。この前一度観察しているから、スズメのような体に赤い胸、ということで、たぶんベニヒワだとすぐわかった。こちらもそんなに警戒心はない。

よく観察してみると、羽の半ばに白い線が入っているのも特徴だとわかる。後で調べてみると、これは、雨覆羽の先端にあたるらしい。簡単にいえば、羽の上半分は雨覆羽で、下半分が風切羽ということでいいのかな。

都会で育ってきたわたしは、花の名前もわからず、木の名前もわからず、鳥なんか興味もなかったのに、ここにきて、こんなに自然観察を楽しめるようになった。

こんなに面白いなんて考えてもみなかった。鳥や花に興味がない、という人は多いけど、それはきっと経験がないだけなんだと思う。

自分の足で歩いて探して見分けるのは、ロールプレイングゲームの探索と同じ楽しみがある。そしてもちろん、こちらのほうが楽しい。

念願のヤマゲラに出会えて嬉しい!!

公園の陥没する堅雪の上を歩いて膝がガクガクしてきたころ。遠くの森の中から、はっきりとしたドラミング音が聞こえてきた。

もう足が疲れていたのでどうしようかなーと迷ったが、気合を出して雪原を横断。しかし歩けど歩けど、ドラミング音はまだ遠くから響いてくる。思ったより遠い。

遠くから聞こえるドラミング音を追って、疲れ果てた足を引きずりながら、スノーシューで森の中に上っていった。雪がかなり溶けて枯れ葉の層が見えてきた斜面を踏み、たくさんの苗木をかきわけて進む。

すると、響き渡るサルのような鳴き声。近い。すぐそこにいる。スノーシューのガサガサという足音で警戒させないか心配だったけど、どこにいるかわからなかったので、もう少しだけ進む。

鳴き声をたよりに目を凝らすと、10mほど先にある朽ち木に、初めて見るキツツキがいた。アカゲラと違って、枯れ木と同じような色で、ほぼ同化していた。体が大きくなければ見つけられなかっただろう。

よく見ると、ずんだ餅カラー。ヤマゲラだ! 頭が赤いからオス。

道北にいる大型キツツキは、大きく分けてアカゲラ、ヤマゲラ、クマゲラの三種。そのうち、うぐいす色の背中をしたヤマゲラにぜひ出会いたかった。

だから、こんなに家の近くで出会えて、本当に嬉しかった。プレゼントみたいなすばらしい経験!

望遠レンズ付きスマホを構えて録画していても、ヤマゲラは、全然逃げるそぶりはなく、一心不乱に木をドラミングしたり、鳴き声を張り上げたりしている。

画質があまりよくないのが残念だけど、スマホだからしょうがない。

ヤマゲラは、北海道限定のキツツキ。

といっても、本州にもアオゲラというよく似たキツツキがいるので、別名シマアオゲラのほうがしっくり来るかも。ミヤマカケスや、シロハラゴジュウカラと同じく、本州にいるのとはちょっと違う類似種。

本州のアオゲラは赤い部分が多かったり、黒と白のアカゲラっぽい羽模様があるのに対し、北海道のヤマゲラはもっとシンプルなずんだ餅配色で、すっきりしている。この絶妙においしそうなうぐいす色が好き。

かれこれ20分は同じ場所でドラミングしていたのだと思うが、観察していたら、さすがに警戒したのか、どこかへ飛び去ってしまった。

ドラミングの音がこんなに遠くまではっきり響き渡り、その音を追っていけば本当にキツツキに出会えるなんて、すばらしい冒険だった。何年経っても今日のことは覚えているだろう。

そして、冬の終わりにギリギリこの体験ができてよかった。夏になってもキツツキはいるけれど、森の中が植物で覆われてしまうので、こんな簡単に登っていくことができない。まだ雪が残る冬だからこその冒険だった。

ヤマゲラの鳴き声とドラミングの動画も撮れたので載せておく。

改めてニシキギの冬芽。翼が好き。

帰り道、雪が降る中で、植栽として植えられたであろうニシキギを見つけた。

前に観察したときは撮れなかったズーム写真を、今回はちゃんと撮影。冬芽の写真と、

実の写真。実は今年の秋ごろに弾ける前の写真も撮りたいな。

一番好きなポイントは冬芽でも実でもなく、枝についているパリッパリの翼。

図鑑でニシキギを見たとき、今回撮った上の写真のような拡大写真だったので、こんな不思議な形の枝の植物があるのか!?と驚いたものだった。

実物を見てみると、わりと今までも軒先の鉢植えなどで見たことがありそうな感じで、単にじっくり観察していなかっただけだとわかった。

身近にある植物は、つまらない背景のように感じてスルーしがち。ちゃんと立ち止まって、ひとつひとつよく観察し、ズームして見れば、おもしろい発見があちこちに眠っているのだろう。

ところで翼といえば、ヌルデの木は、葉っぱのあいだの茎にこんな感じの翼がついているらしい。そちらもいつか見てみたい。写真で見る限り、これまた面白い形だなーって思う。

コロナウイルスについてのメモpart2.2

■北欧諸国で急増
北海道と同じくらいの人口数である北欧諸国で、ここのところ感染者が急増しています。

本日時点で、ノルウェー(人口537万、感染者1090、死者3)、スウェーデン(1012万、961、2)、フィンランド(551万、225、0)。一方、北海道は(528万、148、5)

北海道が明らかに、感染者数に対して死者の数が多すぎます。北欧では感染者1000人につき死者2-3人なので、死者が5人もいる北海道では、すでに感染者が2000人近くいる可能性があります。

しかしながら、今回のウイルスは、年齢層によって死亡率が大きく変わるという変数もあります。

北欧諸国はフィンランド、スウェーデンが高齢化率20%を超えていますが、日本は27%(北海道は31%)でダントツなので、高齢患者が多いゆえに死者が多くなっていることも考えられます。

とはいえ、仮に死亡率1%で計算しても、北海道には500人は感染者がいるはずなので、たとえ地元の自治体で報告がないとしても安心するのは禁物でしょう。

ただし現時点での死者数はどこも数人なので、誤差の範囲内かもしれず、少数の法則に陥りやすいことも考慮すべきです。

一方、各都道府県で肺炎などの死者がすべて検査されているかどうかはわかりませんが、愛知県は高齢化率24.9%で死者12人なので、明らかに危険な傾向を示しているように思えます。

他にも色んな変数があるはずなので、詳しい計算や比較はしませんが、環境が北海道と似ていそうな北欧諸国の動向は気になるところです。

いずれにせよ、このウイルスの最も大きなリスクは社会の恐怖心があおられることなので、落ち着いて生活できるよう、ストレスマネージメントに注力するのが一番です。

わたしの場合だと、毎日自然の多いところを散歩し、絵を描いたり本を読んだりという普段通りのことに、より重きを置くことで、不安にあおられないよう、バランスをとることができます。

【気になったニュース】

感染リスク低い・ストレス発散…キャンプ場や動物園が活況 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン

キャンプ場や動物園に行かなくても、家の目の前でいくらでも自然と触れ合える道北は勝ち組なのでは…? いや、これからどうなるかわからないのに不用意なフラグは立てないでおこう。

伊ローマでカトリック教会の一部が再開放、教皇の苦言受け 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

part2.1で書いたが、やっぱり宗教組織の愚行が目立つのが気になる。国際協調的な感染防止策が出されても、宗教組織が政府の指示に従わず衝突が起こるとかありそう。

韓国で起こったのは小さな新興宗教を中心にしたエピデミックだったが、同じことが主要宗教で起こる可能性は十分にあるわけで、そうなったら大変な火種になってしまう。

今回のウイルスは単に公衆衛生上の問題ではなく、国際関係、個人の価値観、経済、信条などにも影響しているので、二次的な対立や混乱が生じうる危険が常につきまとっている。

2020/03/16月

新しい絵とアルバムを更新しました

新しい絵「満月の雪原」を描いたのでギャラリーに載せました。2週間くらい前から少しずつ描いていましたが、途中、地元のマップづくりなどもしていたのでやっと完成にこぎつけました。

満月の雪原 The Snowfield under the Light of the Fullmoon
スノーシューで満月の雪原を歩く

冬の写真アルバムに、最近の日記に載せていた写真を追加しました。かなり大量だったので、順番の整理や選別など苦労しました。今シーズンの冬のアルバムも3月末で終わりです。

冬のアルバム(2019年11月中旬-2020年3月中旬)
2019-2020年の冬に撮った、道北の身近な自然の写真アルバムです。

春の星空を見上げて

今日はよく晴れていたので、夜にサイクリングしながら星空観察してきました。

見上げた夜空はすっかり春の姿。頭上では北斗七星としし座が背中合わせのランデブー。

オリオン座や冬の大三角は、西の空の地平線近くに沈んでいました。

真逆の方向、やや南よりの東の星空には、うしかい座や乙女座が見え、しし座と合わせて春の大三角をなしています。

冬の大三角と春の大三角がギリギリ同時に見えるのが、いかにも季節の変わり目の象徴といったところ。

乙女座のスピカの横にある小さな台形型の星の並びはなんだろう、と思ったら、からす座っていうんですね。また一つ覚えた。どこがからす座なのかまったくわからないけれど。

北斗七星のひしゃくの取っ手側を伸ばした先にある明るい星がうしかい座のアークトゥルスですが、うしかい座を越えた所にあるのがかんむり座、さらにその向こうにある台形がヘラクレス座という位置関係も覚えておきたい。

それにしても道が暗い。よくよく考えたら、ずっと圧雪だった道路の雪がすっかり溶けてからの、最初の夜道サイクリングでした。

まだ道路脇には雪が積もっていますが、真っ白だった路面はすっかり溶けてしまって、真っ黒なアスファルトの道路に衣替え。

道路の色が変わっただけで、夜道がすっかり暗くなり、ちょっぴり怖いです。

秋に走っていたときはこんなに暗かったんだなぁと思い出します。冬が終わろうとしていることを実感して後ろ髪を引かれる想い。

これからは野生動物と遭遇する可能性もある季節。クマもダニもいなくて、山にズカズカ入っていける冬は平和だったなぁとしんみりしました。

2020/03/17火

森の中でシマエナガ、ミヤマカケス、エゾアカゲラなど

今日は森の中を歩いて野鳥観察。堅雪になったので、スノーシューなしでも歩けます。たまに油断すると膝ぐらいまで陥没したり、陸地だと思って踏んだところが渓流だったりしますが。

すぐ近くをキツネが歩いているのを発見。音を立てないように動画を撮ってみましたが、あまりモフモフしてなくて、しっぽがみすぼらしい。苦労してるのねきっと。

すばやいシマエナガの群れが、トドマツ林を駆け巡る。かなり近くまで来たので、これなら今度こそ写真に撮れるかも!と思ってスマホを向けるも、動きが速すぎて望遠レンズではとらえにくい。

それでも、運良くほんの一瞬だけ動画に全身を写すことができました。シマエナガが映っていた時間はわずか2秒。素早く飛び去る直前の一瞬のたたずまいを切り抜き。野鳥観察は反射神経のスポーツだ。

シマエナガには毎日のように遭遇していますが、はっきりとシマエナガらしい写真を撮れたのはこれが初めてだから、すごく嬉しいです。スマホだから画質は粗いけど、この達成感は替えがたい。

その近くにハシブトガラやヤマガラもいました。シマエナガの近くにいると、あっシマエナガが留まってる!と思ってカメラを向けるんですが、妙にじっとカメラに収まってくれるので、撮ってるあいだにシマエナガじゃないことに気づきます(笑)

ふと向こうのほうの枝に、比較的大きな鳥の影を見つける。カメラを向けると、パッと羽を広げて頭上を滑空。あの色鮮やかな粋な羽の模様はミヤマカケスだ。

耳をすませば、カケス特有のジェージェー鳴く声も聞こえてくる。枝にとまったカケスのすぐそばには鳥の巣のような塊も見える。あれがカケスたちの家なのかな?

森の中のあちこちから、響いてくるキツツキの声。たまーに聞こえる機械のようなドラミング音。そして頭上から聞こえる、バリバリと何かを食べたりむしったりしているような音。

キツツキを探すときは、この何かをバリバリむしっている音の方向を探すのが一番いいことに気づきました。鳴き声は飛びながら鳴いていることもあるし、ドラミング音は意外と頻度が少ない。(おとといのヤマゲラはドラミングばかりしてたけど)

バリバリ音がする方向に目を凝らしてみると、木の枝からゴミくずみたいなかけらが降ってくる。よく見れば、エゾアカゲラが木の枝をつっついてちぎっては投げちぎっては捨てているのでした。

背中に逆八の字の白い模様があるので、オオアカゲラではなく、普通のエゾアカゲラだとわかります。頭が赤いからオスですね。

エゾアカゲラの模様はまるで虫みたいな派手さ。先日のヤマゲラの地味さとは真反対にも思える。なんでこんなに派手な配色なんだろう。わたしは好きだけど、配色的には毒々しさも感じる。

あちこちから木をほじくる音がするものだから、見回してみると、あっちの木にもアカゲラ、こっちの木にもアカゲラ。見える範囲だけでも3羽は同時にいました。このあたりはエゾアカゲラの縄張りなのかもしれない。

同じキツツキでも、こんなにアカゲラはいるのに、キバシリやコゲラやヤマゲラやクマゲラは見ませんでした。ほとんどまだ一度も確認したことはない。やっぱり町の近くすぎるのかな?

ここのところの野鳥観察のおかげで、やっと鳥を探せるように目が訓練され、チューニングされてきた感があります。できればキバシリやクマゲラも見てみたいけどいつになるかな。

あまり姿を現さないヒグマ、オオワシ、クマゲラなどを目にできれば、名実ともに道北の住人になったといえるかも。もちろん危ない目には遭わないよう気をつけながら、ですが。

2020/03/18水

羽ばたくスズメ、チョウセンレンギョウ?の冬芽

ちょっと町に用事があったので車でお出かけ。途中、道の駅に寄ったとき、植えられていた木に留まっている鳥を見つけたので写真に撮ってみました。

どこにでもいるスズメ。でもじっくり観察したことはないスズメ。こうしてズームして見ると、たかがスズメといえども赤茶色の毛並みが美しい。

そして

なんと飛び立つ瞬間が撮れました。かっこいい! 残念ながらクチバシの先は見切れてしまいましたが、風切羽のひとつひとつがはっきり映っている。

すぐ身近にこんな美しいものがたくさんあるのに、今まで、当たり前のものだと見過ごして、何にも気づけていなかったんだなぁ。

近くに植えられていた低木の冬芽。いったい何でしょうか。

赤い枝に対生のドリルみたいなゴツゴツした芽。せり出した葉痕。たぶんレンギョウの仲間で間違いないでしょう。とりあえず園芸用の外来種チョウセンレンギョウかなと思いましたが、細かい区別はどこを見ればいいのかわかりません。

やはり近くに植えられていたマツの実。ズームアップして撮るだけで、こんなに芸術的になります。パイナップルみたいですね。

せっかくだから、種類も調べたらよかったんだけど、葉っぱを触って確認するのを忘れてた。マツって園芸用の品種が多いからわかりにくいんだよね。

それから用事をすませて、夕方ごろ森の並木道を歩いたときの写真。特に珍しいものは見つからなかったけれど、夕日があたって光り輝くオオウバユリがありました。神々しい。

パックンフラワーとあだ名される冬のオオウバユリだけど、現実と虚構のはざまにいる生き物みたいで好きです。道端に見かけるたびに、そんな珍しいものでもないのに写真に撮ってしまう。

連日の暖かさのため、少しずつ雪のかさも減ってきました。もうじき地面が見えて、フキノトウが顔を出すでしょう。

冬は情報量が少なくて、冬芽や鳥を覚えやすかったけれど、春になったら植物たちの洪水が押し寄せてきます。少しでも覚えられたらいいんだけど、緊張に身構えてしまうますね(笑)

2020/03/19木

コロナ対策でZoomミーティング

今日は10℃を越えた道北。あちこちで雪解けして地面のしおれた草が見えてきました。出かけるとき上着がいらなくなって、フリースだけで外出していました。

地元ではコロナ対策で、Zoomを使ってのオンライン多人数ミーティングに移行することになり、その調整で忙しい一日でした。以前にセラピー関連で触ったことはあるけど、本格的に会議アプリとして使うは初めて。

ホストの回線が不安定で進行が滞っていましたが、できればホストは有線LANを引いてほしいかも。オンラインCO-OPゲームをやっていた時期に、ホストのネット環境の重要性はさんざん身にしみてるから。

でも、最初としては上出来だったんじゃないかな。参加した人たちも、直後は緊張していましたが、次第に慣れてきた様子で積極的に発言していました。

道北は今のところコロナ感染者は出ていませんが、いつ状況が悪化してもおかしくないので、この取り組みはよい判断だと思います。これからはさらにリモートワークやオンラインミーティングの流れが加速しそうですね。

今日は忙しくて、自然観察に出かけられなかったので、ちょっと疲れぎみ。明日は時間をとってリラックスに努めよう。

わたしに効いたのは単純な森林浴ではないと思う

前からずっともやもやしてるけど、最近また気にかかっていること。わたしがここまで体調が回復したのは自然の力だとは思うが、どうにも引っかかっていることがある。

前にもどこかに書いたと思うが、何年も前に化学物質過敏症の友人に自動車で関西圏の都市近郊の山に連れていってもらったとき、具合が悪くて、すぐに連れて帰ってもらった。

森の中に行ったのは覚えているが、気持ちよかったという思い出がまったくなく、かえって気持ち悪かったような記憶がある。

一方で、子どものころ若狭湾に行ったり、その近くの山に登ったりしたこと、病気を発症してからも、沖縄で真っ暗な場所を散歩したり、友だちと御殿場に行ってその裏山を散歩したりしたときは気分がとても良かったのを覚えている。

何が違ったのか、いまだに全然わからない。過去の記憶があいまいすぎて状況を比較できないというのもある。

自分の過去の点在する記憶を振り返ったとき、まだ自然の生体調節効果を知らなかった時期の経験の中で、「ああ、確かにあのとき自然の中を散策してとてもリラックスした。これは都市を歩いているときには感じたことのないものだった」と思える経験は多数思い当たる。

一方で、上記の経験のように、自然がまったく役に立たず、かえって不快に感じられたような経験も、そんなに多くはないが、いくつかはっきり思い当たるのだ。何が違っていたのだろうか。

理由としてひとつ思い当たるとしたら、自然セラピーの科学に書かれていたこの事例かもしれない。

自然環境がすべて同じように有益なものだというわけではなく、実のところ不安を惹起するような環境もありうる。

最近、自然環境のうちでも眺望が開けていて隠れるような場所があまりない環境が、少なくとも認知機能の維持には最もよいといえることが明らかになった。

隠れられる場所(何か怖いものが潜んでいるかもしれない)がたくさんあるような自然環境は心理的苦痛を招く可能性がある。(p159)

わたしがあのとき連れていってもらったのは、背の高い木が立ち並ぶ森の中の道路だった。起伏も激しく、見通しが悪かった。

道北に来てから、よく森を探検するけれど、夏の森は不安をかきたてる。いい意味で刺激的でもあるが、クマの危険などを絶えず意識しておかなければならず、神経を使う。

あのときは別にクマなど出ない場所だったが、人間の生き物としての本能に、「隠れられる場所(何か怖いものが潜んでいるかもしれない)がたくさんあるような自然環境」への恐れが組み込まれていて、それが不快感をかきたてていた可能性はありうる。

だが、子どものころに登った若狭湾の近くの名も知らぬ山は、もっと鬱蒼としていたように思うが、それでも気持ち良かった。てっぺんに寂れた神社があって、そのしめやかな美しい印象が記憶に残っている。

闘病していた最中「たまゆら」という広島の田舎を舞台にしたアニメが好きだったんだけれど、そのアニメの「夏鳥」という歌の詞に「古い神社の木漏れ日 やわらかい日差しが私に優しく問いかけた」という一節があり、自分の経験と重なって心地よい郷愁を感じた。

だから、別の可能性もあると思う。たくさん木が立ち並ぶ森だったからダメだったわけじゃないのかもしれない。

わたしが過去にリラックスした経験は、すべて、ただ自然を鑑賞したことではなく、自然の中を自分の足で歩き回ったり、サイクリングしたりしたことと関係しているように思える。

森林セラピーについての多くの研究結果で、都市を歩いたときのリラックス効果と、森林を歩いたときのリラックス効果が比較されているが、ただその場にとどまるだけでなく、歩いて体験することが必要なのかもしれない。

森林セラピーの研究は、全国各地に整えられた森林セラピーロードの散策によって測定されている。

つまり、自然の中に身をおくだけではドーパミンが出ず、ある程度、能動的に探索する必要があるのではないだろうか。もし鬱蒼とした森でも、自分で歩きまわって、危険なものがいないことを確かめられれば、不安は消えるように思う。

そういえば、化学物質過敏症の友人に連れて行ってもらった場所は、森の中を殺風景なアスファルトの道路が通っている山道だった。その場に車から降ろしてもらい、立ち止まって退屈な時間を過ごしただけだった。

もし連れていってもらったのが登山道で、しばらく歩いて山の中をめぐることができれば、印象は変わっていたのではないだろうか。

あるいは、スウェーデンの庭園セラピーでは、重症の精神疾患の人は、まず、何もせずひたすら自然の中で横になっているという。そのうち、感覚のマスク(解離)が解除されてきて、鳥のさえずりなどに気づけるようになるのだとか。

だから、もし立ち止まっているだけだったとしても、その場にハンモックが吊るしてあって、ゆったり横になって目を閉じれるような環境だったら、しばらくとどまるうちに森林の音などが聞こえるようになって、リラックスできたのかもしれない。

この共通点は何かというと、自分の足で歩いて感じる、あるいはその場にとどまってる感じれるようになるまで待つ、ということで、能動的であるにせよ受動的であるにせよ、感覚がオープンになって、自然環境を感じ取れるようになると効果が発揮されるということなのかもしれない。

さらに別の可能性も考えてみる。連れて行ってもらった場所は、森の中とはいっても、普通の道路だった。いったいどこに連れていってもらったのかすらわからないのだが、わたしにとっては「自然が足りない」状態だった可能性はぬぐえない。

今までリラックスした記憶がある場所は、どれも、かなり人里離れた森の中や海の近くで、他の人間が一人もおらず、都市の人工的な音がひとつも聞こえなかったような場所ばかりだ。一方、都市部の大きな公園でリラックスできた記憶はひとつもない。

あのとき連れていってもらった場所に、他の人間や車は見当たらなかったように思うが、そんなに遠くまで車で連れていってもらった記憶はないから、それなりに都市の近くだったのかもしれない。

それに、車での移動の最中に、さんざん都市部を通っているわけで、その移動の疲れもかなり大きかったと思う。森林の中を歩けなかったことも含め、全体的に自然の質と量が足りない経験だったのかもしれない。

というわけでまとめ。化学物質過敏症の友人に森に連れていってもらったときにリラックスできずかえって不快だった記憶の理由は、

1.いきなり見通しの悪い森の中に連れていかれて不安が引き起こされた
2.歩いたり体験したりできる環境ではなく感覚がオープンにならなかった
3.そもそも自然が足りない都市近郊だった

あたりが理由だったのではないか。だとすれば、自然セラピーの恩恵を得るには、この逆のことが必要であり、

1.見通しのいい比較的開けた自然
2.歩いたりゆっくり滞在したりして五感が刺激される
3.都市近郊で妥協せず自然がたっぷりある場所

といった条件が必要なのかもしれない。

フィンランドの冬と比較した道北のメリット

これを書いていて、ふと思い出したのは、フィンランドの自然と日本の自然の違いについて書かれていたこの記事。

「大自然」の違い 5分でわかるフィンランド | キートスショップ

フィンランドの森は、日本と違って、都市のすぐそばにあって利用しやすい、農業用地が少ない、原生林は平坦で丈の高い草がない。

と書いてあって、今回書いたような問題点がもともと存在しないことがわかる。

ここ道北でも、日本の森の例に漏れず、森には丈の高い草が生い茂り、そこそこ起伏もあり、入るには注意が必要なので、改めて北欧にあこがれを感じる。ラップランドいいなー。

ただし、道北には利点があって、冬のあいだは、問題点がほぼ解消されるのだ。冬はヒグマもダニもいないし、スノーシューさえあれば、山の中にどんどん入っていけるし、丈の高い草もなくて見通しがよくなる。

ああ、だから、わたしは道北の冬が好きなのかな。と思った。北欧にあこがれはあるけれど、北欧はそんなに雪が降らないので、この体験ができるのは道北の側のメリットだと思う。

ラップランドなど北部ではかなり雪も降るそうだけど、代わりに日が短くなってしまう。北欧諸国は北緯60度以北だからだ。

わたしは北欧へのあこがれがあるので、よく北欧に移住した日本人のブログなどを読むけれど、あまり冬が好きという話を見かけない。たぶんこの日の短さと関係があるのだろう。

一方、道北は北緯45度という低緯度で、マイナス20℃の豪雪地帯なので、冬でもそこそこ日が長く、自然を存分に楽しめる。オーロラは見えないがサンピラーやダイヤモンドダストは見れる。(一応、赤い低緯度オーロラなら見れるらしいがよくわからない)

やっぱり道北は冬が最高なのだ! そして今まさに冬が終わりを告げようとしていることに寂しい気持ちになりながら、あきらめの気持ちとともに、春の訪れを楽しもうと気持ちを切り替えるのだ…。

2020/03/20金

春の訪れ…だが温度差に疲れて寝てた

春分です。道北にも春が来ました。今日この日をもって、わたしは道北に春が来たと判断しました。昨日までは一応、冬という認識でした。

冬か春かって、体感でなんとなく判断できるじゃないですか。昨日まではまだ肌寒さがあって、雪の溶けている面積も少なくて冬っぽかったけど、今日はもうポカポカと暖かく、地面もこのとおり。

これはもう春ですよ。ちなみに丘の上に立っているのはキタコブシです。枝の斑点がユニーク。今はふわふわの花芽がたくさんついています。もうじき白い花を咲かせるでしょう。

春が来たのはいいのですが、朝から非常に体調が悪く、フラフラしていたので、あえて外に出かけて、寝転がって空を見上げていました。春の陽気が気持ちよくて、体があったまりました。

空の雲を眺めていると、低空の雲と高空の雲が反対方向に交差して流れていて、風向きって空の高さによって違うんだなぁと今さらながらに思いました。

それから夜になるにつれ、体調は回復。どうやら、いきなり暑くなったので、家の中にいると生ぬるくて具合が悪くなっていたようです。まだ夜はストーブが必要だけど、昼間は涼しくしたほうがいいかも。

冬が終わって春が来た道北。明日はフキノトウでも探しに行ってみましょうか。次の冬が待ち遠しいけど、他の季節も楽しまなきゃね。

描いたことすら覚えてない絵が多い

過去の自分の絵を見返してたら、描いたことさえ記憶から飛んでいる絵が多すぎる。一部の絵はポストカードにして、たまーに自家印刷しているけれど(売ったりしてるわけじゃなくて友だちにあげる用)、ポストカード化してない絵は、自分の中で存在がなかったことになってしまっている。

これと同じことは文章の記事でも起こっていて、自分のブログの過去記事で、めったに引用リンクを貼らないものは、書いた記憶が飛んでいることが多い。

いやもう、文章は仕方ない。どうせいろんな本から引用して書いたものだから、完全にオリジナルではない。むしろ完全にオリジナルの考察は愛着があるから記憶に残っているものだ。多分。

問題は絵のほうだ。絵はオリジナルばかりなんだから、もっと記憶にとどめていたい。存在が頭から消えてしまっていて、思い出すこともできないなんて残念すぎる。

作品があまりに多くなりすぎているというのもあると思う。これからだって、死ぬまで際限なく増えていくのだから、過去の自分の作品にもそれなりの敬意を払って再利用していかなればもったいなさすぎないか。

どうやって有効活用できるのか、どうすれば形にして残しておけるのか、真面目に考えたほうがいいかもしれない。

ワンコインのアルバムで画集を作るのもいいけど、前に試しにやってみたら、めんどくさい上に、ワンコインだと画質が悪すぎて失敗しちゃったんだよね。どうしたものか。

2020/03/21土

フクジュソウが咲いたが早すぎて不気味な春

一晩寝たら、昨日の体調不良は治りました! よかった。一体なんだったんだろう。あんなに一日中寝てたのは久しぶり。いきなり暖かくなりすぎて体がついていけなかったんだろうか。

今朝は快晴。庭に出てみると、畑の片隅にフクジュソウが咲いていました。去年に咲いていたのとまったく同じ場所。鮮やかな黄色い花びらが春の訪れを告げるスプリング・エフェメラル。

近くには謎の芽もたくさん。なんだっけ? チオノドクサ(ユキドケユリ)あたりだろうか?

なのだけど…

ちょっと早すぎやしないか?

写真アルバムを確認してみると、去年、庭にフクジュソウが咲いたのは、なんと4月14日でした。3週間以上早い! (発見が遅れただけでもう少し早く咲いてたかもしれないが)

去年の3月21日はというと、こんな風景です。去年も雪が少なめで暖かいと言われていた冬でしたが、3月の終わりごろまでまだ冬だったのです。

これはおかしい。

去年の災害増加のとき、もしかすると気候変動のティッピング・ポイントを越えたのではないか、と言われていました。異常気象のポイント・オブ・ノーリターン、引き返せない場所まで来たということ。

3月2日の日記に書いたように、コロナウイルスによる大気汚染の改善が、地球薄暮化という冷却効果を取り払って、かえって温暖化を悪化させている可能性もあります。

地球の環境システムは、基本的にはネガティブ・フィードバック、つまりちょっと悪化しても反発して回復するタイプのシステムですが、ある臨界点を越えると、ポジティブ・フィードバック、つまり悪化を増幅させる悪循環に切り替わるのではないかと言われていました。

ティッピング・ポイントを迎えたとか、ポイント・オブ・ノーリターンを越えたとかいうのは、つまりそういうこと。今までは何か保護的な抑止力が働いていたのに、もう限界を迎えて抑止力がなくなってしまったのではないかと。

南極で20℃超えを観測のニュースもそうですが、この冬の気候は極めて不気味です。道北の住人になって日が浅いわたしですが、地元の人も、こんな冬は生まれてこのかた一度もなかった、と警戒していました。

記録的な小雪、暖冬、そしてあまりに早い春の訪れ。南極で、いきなり、今までの最高気温より2℃も高い気温を記録した、という傾向からするに、飛躍的に気候変動が加速しているのではないかと感じます。

だとしたら、今年の夏は地獄になるでしょう。ただでさえ、一昨年、去年と、日本は夏に記録的な災害続きでしたが、今年はもっと多くの災害が起きるのではないでしょうか。

ここ道北でも、去年は雄武町で森林火災が起きていたので、他人事ではありません。オーストラリアやアラスカと比べると、湿気が多く森林火災の起きにくい土地柄ですが、今までの常識は当てになりません。

それよりもっと怖いのは本州のほうです。40℃超えを乱発したり、台風が次々に襲ってきたりするのではないか。もし避難所でコロナウイルスがはやったりしたら…。

夏の高温多湿ではコロナウイルスは流行らないという説があって、わたしもその可能性はあるな、とは思っていましたが、目下最高35℃で高温多湿のマレーシアで急激に増加しているので期待できなさそうです。

悲観論者であるわたしの予想にすぎませんが、今年はこれからどんどん状況が悪化していき、夏ごろに世界中でパニックになっているような気がします。

たぶん、国連がリーダーシップをとって、世界協調の流れを作り、全世界で一斉に2週間の外出自粛などを行うことでウイルスの封じ込めにやっと成功する形ではないでしょうか。

すでに国連が昨日、それらしい発言をしているので、最終的にはそのような形で、このコロナ騒動に決着がつくと予想しています。

国連事務総長「新型コロナウイルス流行で世界の景気後退ほぼ確実」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

グテレス事務総長は記者団とのテレビ会合で「世界主要国による協調的かつ決定的、革新的な政策行動が求められる時だ」と強調。「異例の事態にあり、通常のルールはもはや適用できない」と語った。

その上で「おそらく過去最悪となる世界的なリセッションはほぼ確実」と警鐘を鳴らした。

グテレス氏はさらに「世界は共通の敵に直面している。ウイルスとの戦いだ」とし、「この世界的に危機に対し、一丸となって緊急かつ協調した対応を講じるよう世界の首脳に促す」と述べた。

さらに悪化して全世界同時危機になったときに、国連が常任理事5カ国を中心に世界に団結に必要を訴え、世界中で一斉に対策の流れ。

3/8のコロナウイルスについてのメモ​part2.0に書いた、「これから起こりそうなこと」の予想が現実味を帯びてきましたね。

自転車を夏タイヤに交換。ムクドリを見かける

とまあ、悲観的なわたしですが、道北は平和です。コロナなぞどこ吹く風。わたしも自然散策しているときはまったりしています。ニュースで騒いでることなんて別の世界の話じゃないの?

昨日、暖かい春の陽気を感じ、広い範囲の雪解けを目にしたとき、「あっ、これはもう春だ」と感じたので、今日さっそく自転車のスパイクタイヤを通常タイヤに交換しました。

左手がまだスキー転倒の後遺症で力を入れると痛むので、ほぼ右手に頼っての力作業。タイヤはスムーズに交換できましたが、右手の筋がべらぼうに痛くなって、両手ともにしばらく使いものになりません。我ながら非力だなぁ。

あわよくば芽出し直後のフキノトウがないかと河川敷などを自転車で散策しましたが、目につく範囲では見つかりませんでした。

地域の情報では所によってはもう出ていると聞くので、探した場所が悪かったのかも。明日は別のポイントに行ってみよう。

途中で、町なかの電線に留まっているにぎやかな鳥の群れを発見。遠かったので、画質はよくありませんが、写真に撮れました。

初めて認識する鳥でしたが、たぶんムクドリじゃないかな、とわかりました。だって、ポケモンのムックルにそっくりなんだもん。

わたしたちの世代が、実物の動物や植物を見るより、ポケモンなどのキャラクターに接するほうが早い、という残念な例のひとつですね…。

でもそこから実物に入っていくのも仕方なかろう。あのレイチェル・カーソンだって、子どもの頃は本物の海を見たことがなく、本に出てくる海へ憧れて、やがて実物へ至ったのだから。

自転車で訪れた近くの川の様子はこんな感じ。

まだ河川敷には雪が残っているけれど、溶けて地面が見えている範囲も広い。何より空気感が春です。冬という感じがまったくしません。

写真だけ見ると、あれ?さっきの去年の写真とそんなに変わらないじゃん、という気もしますが…(笑)

去年より3週間も早い、とさっきは書きましたが、そこまでではないかも。春めくのが早いことは早いけど、一週間ちょっとくらいかな。どちらにしても気候変動の加速は確かですが。

2020/03/22日

今年の初フキノトウ! 春の苦味がおいしい

そろそろフキノトウが出てそうだったので、森や渓流沿いを探してみました。

森の中には、雪がまだしっかりと残っていて、シカの足跡。あちこち探してもフキノトウはありません。

雪解けのトドマツの森って、まだ下草が生い茂っていないから、どことなく北欧チックな雰囲気がありますね。もうクマさんが冬眠から目覚めているかもしれないから、熊鈴を鳴らしながら気をつけて歩く。

トドマツの根もとなど雪解けして腐葉土が見えているところはありましたが、フキノトウは見当たらず。

でも、こんなみずみずしい真っ赤な実があちこちに! いったい何でしょうか? 茎は枯れていたし、このツヤはマイヅルソウ? だとしたら雪の下で新鮮に冷凍保存されていたとでもいうのか?

それからしばらく川沿いを探してみる。よーく探してみると、ちょっとだけ顔を出していました!

見つけたフキノトウは少なかったですが、これからボコボコと際限なく生えてくるので、遠慮なく摘ませてもらいました。

つぼみが咲く前の、まだ雪に隠れているくらいのを摘むとおいしいと聞きました。地面からひょっこり顔を出している黄緑色のつぼみを、根もとからキュッとひねって採ります。

家に帰ったら、外がわの汚れた葉をむいて、根もとを切って、水にさらす。

フキノトウは汁の実、煮物、酢の物など何にでもできるらしいけど、山菜初心者なので、無難に揚げる。

春一番の山菜料理のできあがり! お味はほのかにほろ苦い。でもほかでは決して味わえない。山のミネラルと自然の活力が凝縮されているような奥行きのある味。

ぽかぽかと陽気がただよって、「あっ、春だ」と思ったら、すぐその日にフクジュソウが咲いて、フキノトウも顔を出す。植物たちはよく知っています。

そして、山菜を味わうと、もう春なんだ、と心底実感しますね! 冬が終わってしまうのは悲しいけれど、この味は春が来ないと楽しめない。

なんでだろう、前にも書いたけれど、山菜を食べると、生きている心地を実感する。普通の野菜やお菓子にはない感覚がある。とても不思議。これからは毎日散歩が楽しくなりそうです。

2020/03/23月

もふもふなネコヤナギのつぼみとキタキツネ

昨日書こうと思った内容だけど、今日もほとんど同じような経験をしたので。

昨日フキノトウを採りに行ったとき、ふわふわのネコヤナギのつぼみを見かけて写真に撮って、帰り道にキタキツネを見かけたので動画に撮って~とやりましたが、今日もまったく同じでした(笑)

昨日見かけたキツネと、今日見かけたキツネ。まったく同じポーズに見えるけど、違うキツネ。顔の毛とかしっぽが違う。

キツネはいつも、振り返ってこちらの出方を確認しながら去っていくので、似たような構図になりますね。この前見かけたしっぽのやつれたキツネより、もっとふかふかしてて可愛かった。

ずっと歩いているところを動画に撮ったりしましたが、MP4に変換するのが面倒なので、今回は上げないでおきます。最近ネット回線が重い。

そしてこの時期とても目に入るのが、あちこちでもふもふのつぼみをつけているネコヤナギ。

触ってみると、本当にネコみたいにふわっふわで気持ちよかったです。植物なのに、毛皮をまとうなんて面白い。ちょうどあられが降っていたので、氷の粒がキラキラして美しい。

ところで、これは「花」じゃなくて「つぼみ」だったんですね! 何も知らなさすぎて恥ずかしい。植物観察1年生なので当たり前のことがわかってません。

ヤナギの種類も、いったいこの目立つ花はなんだろう?と思ってわざわざ調べました。

冬芽の形はネコヤナギではなさそうに思えたんですが、道産木材データベース に、道北でまだ雪の積もっている時期に一番に咲くのはネコヤナギ、という記述があったので、たぶんネコヤナギなんでしょう。ほかのヤナギの花がどんなのかも全然わかっていない。

このネコヤナギの幹の根もとに、真っ赤な実が顔を出していました。ツル性だし、実の形からして、おそらくツルウメモドキでしょう。

昨日は雪解けした森の中でマイヅルソウらしき実を見つけてまさか冷凍保存?となりましたが、今日もツルウメモドキを見つけたので、やっぱり雪の下で冷凍保存されていたみたいですね。

実がなってから、もう何ヶ月も経っているのに、こんなにみずみずしい色をしているなんて、自然界はとても不思議です。

自転車であちこち見て回っていましたが、あられがひどくなってきて、急いで帰る。でもけっこう遠くまで出てきていたせいで家が遠い。

ちょっと自転車で行くだけだから、と思ってリュックサックも持ってきてなくて、摘んだフキノトウを入れた袋を強風であおられながら、そのうち頭も服も真っ白になって帰宅。まだまだ油断はできない道北の春です。

2020/03/24火

あられがポロポロ降る中、キレンジャクの群れ

朝からあられがポロポロ。まるで発泡スチロールの玉が降ってくるみたい。地面で飛び跳ねて転がる。顔に当たると痛くはなくて、砕けて溶けていく。

そのあられの中、家の裏を散歩していると、見慣れない鳥の群れが、駐車場でたむろしていた。近づくと群れで飛び立って、近くの木にとまる。望遠レンズで映してみると…

なんだろう?この鳥の群れはムクドリ? 後ろ姿だし遠いからよくわからない。逃げられないようそーっと近づいていく。

ふっくらまんまるなハトのような後ろ姿。おしゃれな羽の色。さらに近づいていくと、

頭にトサカが! いったいこの鳥は何者? 後でGoogle Lens先生に聞いてみることにして、さらに正体を探るべく近づく。しかしイチイの木に逃げてしまったので、そちらを改めて撮影しにいく。

ついに正面の姿を撮れた! 後ろ姿はハトのようだったけど、なんと、ヤンキーなお兄ちゃんみたいなイカしたお顔。暴走族がたむろしてるみたいだなまるで(笑)

でも姿に似合わず声は一級品。まるで鈴を降るようにシャラララララという心地よい声で話し合っています。コワモテの暴走族と見せかけて実は純情というやつか。

さらに近づくと、そこで飛び去ってしまいました。ほんのひとときの未知との邂逅。声が入っている動画も撮りました。

帰ってから調べてみたら、キレンジャク(黄連雀)という鳥でした。初めて聞いたけど、旭川市の鳥に指定されているらしく、道北ではよく見かける鳥なのかも。

同種のヒレンジャク(こちらは羽の先の部分が赤い)と共に日本全土に飛来するそうですが、年のよって飛来数は変動するらしい。家のそばで見られるなんて今年は当たり年なのかな。

決して珍しい鳥ではないようですが、見ようと思ってすぐ見れるほどメジャーな鳥でもないらしく、今日の出会いはとてもラッキーでした。

ちょっとハンノキ花粉症のせいか、朝から頭痛がしていた(たぶん先日の体調不良も花粉症が関係)し、あられが降っていたので、自宅近辺の散歩だけでしたが、こんな思いがけない出会いがあって、とても爽やかにされました。

コロナウイルスについてのメモPart3.0

世界の状況がかなり変化してきたので見解をアップデート。

まず、参考になるサイトについて。私は基本的にニュース記事ではなく、統計情報をもとに現状把握と予測をしていますが、以前参考にしているサイトが使いにくくなったので、以下のサイトに変えました。

■日本も他国の後追いパンデミックへ
この数週間の間に、ヨーロッパ、ついでアメリカでエピデミックを起こし、WHOもついにパンデミック宣言を出しました。

イタリアやスペインの惨状は、これまでの楽観論者の意見を打ち砕くほど強烈です。いっぽう日本ではまだそのような壊滅的状況になっておらず、先行き不透明で、楽観論と悲観論が対立したままです。

日本はこれまで、増加率がかなり抑えられている国でした。日本だけ検査数をしぼっているとか五輪のために隠しているという人もいましたが、わたしは実際に抑制していると思っていました。前に書いたように、死者数はごまかせないからです。

それに、日本と似た経過をたどっている国は、日本以外にもいくつかあり、アジアでは香港、シンガポール、タイ、台湾。北欧ではフィンランド、中東ではアラブ首長国連邦(UAE)などが、早期に感染者を出したものの、増加カーブを緩やかにできていた国です。

ところが、ここ一週間ほど、それらの国々で相次いで異変が起こり、かなり厳格な規制をしていたはずの香港やシンガポールで増加、タイでも3月前半のムエタイの影響で増加してきました。フィンランドも増加率が上がってきています。

これはすなわち、今まで、幾つかの要因(厳格な規制や、国民の文化的慣習、優れた衛生環境など)で増加を抑制できていた国でも、海外からの帰国者や、国内での緩やかな感染の拡大によって、抑え込めなくなってきていることを示唆しています。

最近の論調を見ていると、日本だけ増えていない理由が色々考察されていて、清潔な国だとか、人と触れ合わない気質だとか言われていましたが、そこまで日本人が特殊だとわたしには思えません。確証バイアスで都合のよい理由を探しているだけだと感じられます。

わたしの考えとしては、日本を含むこれらの国では、ウイルスを抑制できていたわけではなく、クラスター対策などが功を奏して、単に他国より指数関数の傾きがほんのわずかに緩やかだったため、実測では数週間の遅延が起きていたにすぎないのではないか、と考えてます。

■首都圏も水面下で拡大の兆候を察知している?
気になったのは、昨日になって、東京で大きな動きが3つあったことです。

(1)これまでオリンピックの断固開催を主張していた都知事がオリンピックの延期もありうる、と述べた。

(2)東京の封鎖もありうることをほのめかした

(3)東京でこれまでで最多の感染者(16)が確認された。さらに翌日の今日はそれを更新(17)し、北海道を抜いて日本国内最多になった。

東京では、これまで五輪のために感染者数を少なく見せていて、それが延期になったから路線を切り替えた、といった陰謀論もありますが、上記理由(死者数が増えれば感染規模はごまかせない)からそれには賛同しません。

そうではなく、知事が医療機関から情報を受け取っていて、このままでは諸外国のようになりうるのを覚悟したので、オリンピックの延期と都市封鎖をほのめかしたのでしょう。

それを示唆する理由は少なくとも2つあります。まず数日前に大阪・兵庫の知事に専門家会議から非公開文書が渡されていると明らかにされたこと。東京でも同じでしょう。

また、現場医師のレベルで「都内で診療していても、2週間前と比べると明らかに陽性患者の数が増えている」との報告があり、こうした意見が専門家会議でも周知されていると思われること。

行政は民衆が思っているほど愚かではなく、専門的な分析データや現場状況がいち早くやりとりされているので、今後 首都封鎖が避けられないだろうという見立てがあり、その衝撃を和らげるために都知事があらかじめ言及したと見るべきでしょう。

3/8のpart2.0に書いた、大混乱になるには4月に入ってから、という予測がおおむね当たりそうな気配です。

■首都がパンデミックになれば地方も同じ
東京の状況は首都だけの問題ではなく、おそらくすぐに地方にも波及してきます。

武漢では封鎖前に多くの人が脱出しましたし、イタリアでも北部から封鎖前に帰省した人によって全土に波及しましたし、アメリカでも今ニューヨークから同様の波が押し寄せています。

すでに東京がきな臭いと感じている人はいるでしょうから、封鎖の段階に入る前に、地方に帰省する人は少なくないでしょう。地方在住で油断していると、親族や顔見知りのルートを介して感染する可能性があります。

また首都で外出禁止令が出るようなら、他国を先例として、日本全土で同様の措置が取られる可能性が高く、ここ道北も含めて、自宅待機の憂き目に遭いそうです。

■おそらく国連主導で全世界が協調する流れに
今回のウイルス騒動を解決するには、個々の国が個別に対策をしていてもきりがありません。

あれほど厳格に対応していた中国、シンガポール、香港などは、海外からの帰国者で増加に転じています。日本で増加しているのもそれが一因でしょう。

どこかの国で封じ込めても、他の国で感染爆発していたら、いつまでも封じ込めに成功しません。

タイや、マレーシア、インドネシアの直近の増加を見る限り、おそらく気温変化による抑制効果はさほどないと思われますし、もしあったとしても、北半球と南半球で感染爆発を交互に繰り返すだけです。

今日の報道によれば、ウイルスは世界193の国と地域ですでに感染が確認されており、国連のサイトによると国連加盟国は193です。つまり、ほぼ国連全土の問題と化しています。(きちんと国と地域の名称まで確認していないので、国連全加盟国なのかは不明。だから「ほぼ」国連全土)

コロナウイルス感染者 世界193の国と地域で33万2930人 WHO | NHKニュース

解決する唯一の方法は、全世界で同時にロックダウンのような抜本的な対策を試みることであり、すでに国連がその目標に向けて動き出しているように見えます。

先日、コロナと関係ない日記で触れましたが、国連のグテレス事務総長が、3/19に「これは世界的なウイルスとの戦争だ」と述べ、「世界主要国による協調的かつ決定的、革新的な政策行動が求められる時だ」と主張しています。

国連事務総長「新型コロナウイルス流行で世界の景気後退ほぼ確実」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

世界で数百万人死亡も 国連総長、新型コロナで国際協調訴え 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

続く3/23には、世界の紛争地域に向けて、ウイルスとの戦争のために手を取り合い、紛争を停戦するようにと要請しています。

「紛争をやめて命守る闘いに」国連事務総長 団結求める | NHKニュース

国連総長「全世界で即時停戦を」 新型コロナ、シリアなどに拡大 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

通常の状況ではとても聞き入れられそうにない要請ですが、すでにリビアで、「国連の要請に応じて一時休戦を受け入れた」との報道がありました。

グテレス事務総長が明言しているように、人類vsウイルスの世界戦争である、という機運が高まっており、人間同士で争っている場合ではない、ということになれば、国際社会で協調してのウイルス撲滅が実現するでしょう。

part2.0で触れたように、ロシアが1月に常任理事国を集めて会議を開く計画を明らかにし、3月には西側諸国もそれに賛同していると報道されたので、これまで拒否権を行使しあってきた常任理事国が一致して行動を起こす可能性は高そうです。

(ただし、このロシア主導の会議は、ウイルス封じ込め後、安全になってから行われるのかも。現段階では中露と英米仏、またG20諸国に協力の意思がありそうだということが重要)

それが何月ごろになるかはまったく見通せないですが、国際社会の首脳陣が賢明であれば、被害をできるだけ少なく抑えるために今年前半には結束するでしょう。

全世界で同時に社会活動を停止してロックダウンすれば、このウイルスの封じ込めには成功するでしょうから、国連がうまく音頭をとれれば人類vsウイルスの戦争には勝てます。

そしてウイルス封じ込めに成功すれば、国際社会の平和と安全が達成されたというムードに向かっていくのではないかと思います。気候変動その他の問題を考えれば、あくまで一時的な勝利にすぎませんが。

2020/03/25水

昨日のフラグ回収が早い…

昨日、コロナpart3.0を書きましたが、残念ながら早速、予想どおりになってきましたね。いきなり東京、全国ともに、指数関数的な増加になってきました。やっぱりpart2.0に書いたとおり4月初頭ごろに混乱が始まりそうです。

しかし日本の状況よりもびっくりしたのは、インドです。まさか人口12億人の国が、感染者たった542人、死者11人で、三週間もの外出禁止令を出すとは思いませんでした。

インド全土が封鎖、13億人に21日間の外出禁止令 新型ウイルスの感染が急増 – BBCニュース

先手を打って厳格な対策を講じるという意味では、強力すぎる先例になるので、これから日本含め、他の国も協調して後追いしそうです。G20会議でも協調するよう求められるでしょう。

わたしが道北に引っ越した理由のひとつは、大都市では災害時に大混乱が起こると考えたからでしたが、まさかウイルス騒動とは思ってもみませんでした。

都会は生物としてのヒトにとって、いびつな環境なので、本来あるべき環境に戻るべきだ、というのが、わたしがたどりついた結論でしたが、生物学的に不自然な環境に住んでいるツケは、このようなときに払うことになります。

平素はうまくいっていて便利なようでも、それは複雑なインフラと社会構造に支えられて成り立っているもの。平時でさえストレスや余裕がない心を生み出しているのであれば、緊迫した状況下ではなおさら立ち行かなくなってしまう。

一方ここ道北では、食料が自給でき、飲み水の確保も問題なく(個人的にも川の水が飲める浄水器を持ってるし)、夏はクーラーいらずで、窓を開けたまま寝れるので、おそらくパンデミックにはかなり強いでしょう。冬も最悪、電気ガス石油が止まっても薪ストーブがあります。

唯一困るのは、全国に外出禁止令が出された場合。

この付近は、名寄など中核都市のスーパーを除き、普通に暮らしていて、他の人との間隔が、半径1mどころか半径10m以内になることもめったにない地域です。

都市で封鎖するのはわかりますが、こんな外出しても誰一人会わない地方に外出禁止令を一律で当てはめてほしくない。…とはいえ足並みを揃えることを求められるでしょうね。

インドのように国家元首レベルで外出禁止令が出されてしまったら、過疎地だからこそ、なおのこと目立ってしまうので、散歩にも出かけづらくなるかも。

いや、でも、たとえ外出禁止令が出ても、イタリアなどの事例を見るに、買い物は制限付き許可が出るので、隣人の目を気にして、まったく外に出られなくなるということはないのか。

都市部だと単に買い物目的だけの外出になるでしょうが、このあたりなら、人のいない山奥はいくらでもあるので、買い物ついでに山に行ってリラックスするのは十分できそう。

10kmサイクリングして旋回するトビを撮る

今朝も、やはりハンノキ花粉症のせいか、少し体調が悪め。夜あまりぐっすり寝られず寝不足ぎみでした。

今日は家でゆっくりしておこうかなーと思いましたが、フキノトウを食べたくなったので探しに出かける。そしたら、まだ昨日の雪が積もっていて、全然見当たらず、かなり山あいまでサイクリングしました。

山あいまで行くと、深い雪に覆われた、ぬかるんだ渓流の奥に、フキノトウがちらほら見えました。でも丈の低いブーツを履いてたせいでそこまで行けなかった。もっと道路脇に生えていると思ってたから。

ほんの2つほど摘んだだけで、足がぬかるむわ、雪がブーツに入ってくるわで退散しました。

かなり遠くまで来てしまっていて、帰りは疲れました。途中でちょっと休んで、上空を旋回していたトビを写真に撮ってみた。

いつも小さくしか映らないシマエナガなどに苦労させられているので、あんなに空高くを飛んでいるトビなんか豆粒になってしまうだろうと思っていたのに、意外にはっきり撮れてびっくり。

猛禽類はさすが、かなり体が大きいから、遠くを飛んでいてもはっきり映るんですね。来シーズン、オジロワシとかオオワシが飛んでいるところも撮れたらいいな。

帰り道、ハンノキの花がたわわに。これってもう花粉飛ばしてるんでしょうか。季節の変わり目だから調子が悪いのか、それとも花粉症か、はたまた別の理由かよくわからない。

でも、体調が悪いと言いながら、やっぱり外出すると元気になる傾向は健在で、なんと10kmもサイクリングしてしまいました。片道5km。そりゃ遠く感じるはずだ。

採ってきたなけなしのフキノトウはお味噌汁に入れていただきました。味は苦かったけど、香りがすばらしくよかった。

そういえば、コロナ感染の初期症状のひとつは、嗅覚がなくなることだと言われていましたが、鼻が詰まりがちで、匂いに鈍感なわたしでも酔いしれるほどの春の香り。今のところ全く大丈夫そうです。

2020/03/26木

またヤマゲラと出会えた!

昨日よりも体調がいい。朝からかなり動ける感じ。

概月リズムでの変動がそろそろ落ち着いてきたんだろうか。月齢を調べてみたらもう新月を越えている。やっぱり満月→新月の潮汐リズムが影響しているのか、それともたまたまか。

概月リズムが全く関係ないとは言わないまでも、それが全てではないと思う。相変わらず花粉症ぎみで鼻詰まりがひどいし、少し喉が腫れてるし、幾つか要因はありそう。

そんな今日は、体調が良いのをいいことに、外出の用事をすませて、今月のお仕事に一段落ついた。よく頑張った!

その途中で、今まで行ったことがなかった近所のダム湖に行ってみました。近所にはダム湖や貯水池が幾つかありますが、どれもそこそこ辺鄙なところにあるから、地元民でもめったに行かない場所です。

今回行ってみたダム湖も、Google Mapで近所の地形を調べているときに初めて発見した場所。近くの道路を通ったことはありましたが、森の中に隠れて見えないから、存在すら知らなかった。

今まで行ったこともないような狭い農道を通ってダム湖へ行ってみると、ちょっとした東屋のような建物と、散歩できるスペースがありました。

もちろん、誰も人はいない。職員くらいはいるだろうけど、管理所のほうに行かなければ会うこともないでしょう。

また穴場を発見してしまった。道北には一年間にきっと数十人も訪れないであろう寂れた公園や湖などの自然観察スポットがたくさんあります。

まだ地面が雪解け水でぬかるんでいましたが、ダム湖を眺めたり、木々を観察したり、鳥の声に耳を傾けたり、しばし静かなひとときを楽しみました。

たくさん鳥がいるので、目で追っていたら、シジュウカラ、ミヤマカケス、そして…、今、目の前を横切ったシルエットはヤマゲラでは??

ほんの一瞬、目の前を通り過ぎただけでしたが、確信に近いものがありました。飛び去った先のシラカバを見ると、幹をピョンピョンと飛び跳ねながら登っていくシルエットが。やっぱりキツツキに違いない。

足を止めて、息をひそめて耳を澄ませてみると、一瞬だけドラミングする音も聞こえた。やっぱりキツツキだ。たぶんヤマゲラだ。

ほんのこの間まで、いや今年1月まで、野生のキツツキなんて見たこともなく、ヤマゲラも先日1回見たきりなのに、もう見分けられる自分にびっくり。頭の中に探索像が形成されたということでしょう。

近づいていくとヤマゲラは別の木に飛び移りましたが、おかげで姿をはっきり目視できました。すかさずスマホを構えて動画を撮影。あのずんだ餅カラーは間違いなくヤマゲラです。

かなり高い場所にいますが、望遠レンズのおかげで写ります。さらに拡大してみると、

はっきり見えないけど、頭に赤い部分がないからメスですよね。この前のオスのヤマゲラは、しきりにドラミングして鳴いてたけれど、今回のヤマゲラは全然音を立てないので、やはりメスっぽい。ドラミングしたのは一回きりで動画にも撮れませんでした。

しばらく見上げていると、ヤマゲラは振り返って空を見上げ、

そのまま背面跳びのようにジャンプして羽ばたく。その瞬間を撮れた!

そしてほんのひと鳴き、もの寂しげな声を響かせながら、山のほうへ消えていきました。それに呼応するように、どこからか、別のヤマゲラの鳴き声も響きましたが、目視できませんでした。何羽かいたんですね。

まさかこんな短期間に二度目のヤマゲラを見れるとは。そんなに珍しい鳥ではないけれど、大好きな色の鳥だからとても嬉しかった!

今日発見したこの場所は、誰もいない野鳥観察スポットとして、いいところかも。知ってさえいればすぐ行ける場所だから、これからも立ち寄ってみようかな。

帰りは、こちらもまた知る人ぞ知る、誰も走っていない山の中の裏道から帰宅。途中に渓流で新鮮なフキノトウを見つけて、とてもおいしかった!

コロナ封鎖や外出規制が現実味を帯びてきたので、今後、人目につかない自然観察スポットや採集スポットはとても重要になりそうだから、今のうちにたくさん見つけておきたいです。

あっ、そういえば、今日で運転免許を取って1年、初心者マークを無事卒業となりました。山道や林道は慣れましたが、市街地は苦手、特に都市は自信が皆無なので、これからも気をつけて運転したいです。

2020/03/27金

また1月に頚椎捻挫した場所を寝違えてしまいました。前回ほどひどくなく、明日には軽快しそうですが、慢性化しています。

2月にスキーで転んだときの手の甲の骨折と思われる怪我のほうも、まだ症状が変化しない。日常生活には支障がない場所だからいいものの、手に体重をかけることができません。

というわけで今日はほとんど外出せず、昨日アップデートされたリングフィットのリズムゲームで筋トレしてました。

楽しいことは楽しいけど、外に行かないと気分も体調も悪くなるからあまり良くないなぁ…。リングコン押し込む動作が手首に少し響くし。

コロナウイルスについてのメモPart3.1

コロナ関連ではNHKでも報道され始めたBCG説が興味深いです。日本で今のところ大規模感染が起こっていない理由は、民族の行動様式や習慣に求めるより、生化学的理由に求めたほうが真実味があります。しかし、単純な反証がいくつか。

・阪神選手の例のように症状が軽くても陽性は出るはずだが、日本の検査総数に対する陽性率は当初からあまり高くない。つまり「国内ですでにウイルスは広まっているがBCGのおかげで症状が軽い」ではない。

・海外から帰国した日本人(当然BCGは接種済み)で陽性が多い。つまり「国内ではまだウイルスが広まっておらず、これから指数関数的に増加する時期」とみなすほうが正しそう。

行動経済学では因果関係やパターンの誤認に気をつけるように教えられますが、BCG説も、相関性のないもの同士に、たまたま相似を見出している可能性がぬぐえません。

わたしとしては、イタリアにはすでに11月ごろからウイルスが広まり始めていた、というニュースが気になっています。欧州は中国に次いで初動が早かったため、日本より先にパンデミックになったにすぎないのではないか。

今パンデミックに巻き込まれていない国は、本当に何らかの要因で守られているのか、それとも単に周回遅れなだけなのか、もう少し進展しなければわかりませんが、わたしは後者だと感じます。

森とか川に出かけないと、どうしてもニュースにばかり気が向いちゃってよくないですね。世界情勢を知るのは大事だけど、詳細を追いすぎるのは時間と労力の無駄だと思う。

2020/03/28土

キレンジャクと初めて見たツグミ

昨日家でゆっくりしててつまらなかったので、今日は三度もサイクリングに外出。

風が強くて天候が変わりやすく、晴れたかと思えば吹雪き始めたり不安定でした。でもやっぱり外はすがすがしくて気持ちいい!

公園で見かけた鳥。写真に撮っているときは、逆光ぎみで何の鳥かわかりませんでしたが、後で確かめてみたら、スモーキーメイクとツンツン頭。そして黄色い尾羽根。キレンジャクでした。

飛ぶ瞬間もこのようにしっかりと。

鳥はやっぱり羽ばたいて飛んでいく瞬間が一番かっこいいですね、羽の一枚一枚の質感に見惚れてしまいます。動画も撮りましたが、キレンジャクらしい鈴のような声が入っていました。でも観察してるときには気づけなかった…。

そのそばの地面をトコトコと歩いていた謎の鳥、遠くから見ると、背景の色にほとんど同化しています。配色はスズメやオオジシギなどに似ている。

白い凛々しい眉とエプロンが目立つこの鳥は、調べてみたらツグミでした。そうか…ツグミってよく聞くけど、こんな鳥なんだ…と初めて認識。またひとつ知識に経験が追いつきました。

ツグミという名は、非繁殖期にシベリアから越冬で日本にやってくるため、さえずらないことから来ているそうです。今日見たツグミも地面をトボトボ歩いているだけで、さえずることも飛ぶこともしませんでした。

(追記 : もう少し調べたら、日本に冬季渡って来るツグミはさえずりはしませんが、キョッキョッという地鳴きは普通に聞かれるようです。それで、冬季にさえずらないからツグミと名づけられたとする語源には無理があり、かえって夏場にいなくなるから口をつぐんでいるとされた説や、まったく別の語源とみる説もあるそうです)

レイチェル・カーソンの本で、モリツグミの美しいさえずりについての記述があったから、聞くのを楽しみにしていたんだけど、まず第一にモリツグミは日本にいないし、第二に日本のツグミは地鳴きしかしないと知ってがっかり。でもとても美しい鳥です。

プラタナスの実と、ボコボコ出てきたフキノトウ

その公園には、真冬にも冬芽を観察したプラタナスの実が。あのときはまだ望遠レンズを持っていなかったから、実を写真に撮れなかった。もう冬も終わってしまったけと1枚だけ記念に。

去年の真冬に、別の場所のプラタナスの実を撮った写真がありますが、あのころはまだプラタナスという木さえ知らず、調べ方もわからないので、詳しい友達にメールで訊いたものだった。

それが今では、身近な隣人たちである木の名前は、かなりの程度判別できる。プラタナス(モミジバスズカケノキ)なんて、あのユニークな三色に剥がれる樹皮とペンキャップのような冬芽のおかげで、一番見分けやすい部類です。

自然界について知りたいなら、まず樹木を覚え、それから鳥を覚えるのがいいと思う。わたしはまず草花から入ってしまって、あまりの複雑さに圧倒されてしまいました。

木と鳥なら、そんなに膨大ではなく、図鑑やGoogle Lensで特定しやすいので、最初に取り組むのに向いている。

そして木と鳥を覚えたら、身の回りの植物と生き物のかなりの部分をカバーできる。まず数が多い木と鳥を把握して全体像をつかみ、それから草花や虫といった細部に入っていくのが楽かな。海辺に住んでいる人だとまた違うだろうけど。

それからまた別のところにサイクリングに行ったら、道端にフキノトウがボコボコ生えだしていました。いよいよ春だ。

ここまで大きくなってしまうと、あまりおいしくないのかな? 町中ではなく、渓流沿いなどのきれいな場所で、つぼみ状態のものを選んで摘むようにしています。

道北の人は、フキノトウなんて、山菜の番付では十両や幕下レベルだと思っているので、誰も見向きもせず、毎日食べてもなくならないほどの量が放置されています。

道北の人たちは、フキノトウなんかより、タラノメやウドやギョウジャニンニクやタケノコを狙うのです。

人が少ないからどの山菜もたくさん食べれるけど、フキノトウは特に食べ放題。今年は天ぷらだけでなく、ふき味噌作りにもチャレンジしてごはんと一緒にいただきたいな。

2020/03/29日

ネコヤナギのつぼみが咲き始めた

夕方、ネコヤナギの花がちょうど手の高さくらいで見れるスポットに行ってみると、モフモフのつぼみが色づいて、花が咲き初めていました。

ヤナギの花ってこうやって咲くんですね。思えば去年、春に公園を自転車で散歩しているとき、モフモフした葉のようなものを見かけて、いったいこれは何だろう、若葉だろうか、と調べてみて、人生で初めてヤナギの花というものを知りました。それくらい自然に疎かったんです。

そして今年は、まだ雪が残っている3月の時期からネコヤナギの花に気づきましたが、ロマンスグレーのモフモフな花は、実はつぼみだということをやっと知りました。

そして今日、人生で初めて、ヤナギのつぼみが咲き始めるところを目にしたわけです。今まで何も知らず生きてきたから、一つ一つが貴重な経験だなぁ。

面白かったのは、ネコヤナギの花って、一斉に咲くわけじゃなくて、まず横方向に輪っか状の花を咲かせるんですね。イメージと全然違っていて、とても不思議でした。赤から黄色の暖色グラデーション華やかです。

ついでにフキノトウ採りに出かけて、渓流沿いで採集しているときに見つけた謎の虹色の芽。いったい何でしょうか?

軽くGoogle lensで類似画像調べてみたところでは、ヨシ(葦)なのかもしれない。確かのこのあたりは秋にヨシが生い茂ります。

冬じゅうずっと、冬芽図鑑とにらめっこしていましたが、季節変わって、これからは山菜図鑑にチェンジです。山菜図鑑とはすなわち、植物を芽生えで見分ける図鑑でもある。

何気なしに眺めていたところ、早速ひとつ発見がありました。たぶん日記には書いてないだろうけど、昨秋10月ごろ、冬の直前に農場脇などに謎の黄色い花の植物がたくさん生えていました。

ハンゴンソウでもオオハンゴンソウでもなく、葉はヒマワリに似ているが、ヒマワリほど大きな花ではない。

知らない植物の洪水に圧倒されて疲れていた時期なので、もういいや、と思って写真も撮らなかったんですが、頻繁に見かけるので、きっと有名な植物なんだろうと、心の片隅に残っていました。

それが、今日、山菜図鑑をパラパラしているうちに、思いがけずキクイモだとわかりました。

予想通り繁殖力の強い外来種でしたが、根っこの芋をポテトチップスやお茶にできるらしい。次の秋には引っこ抜いてみようかな。

こうしてひとつひとつ正体が判明して経験値が溜まっていくのを実感できるのが自然観察の醍醐味です。

帰り道でキツネを見かけましたが、雪原で二匹がじゃれあっていました。けっこう派手に叫んでいたからケンカだったのかもしれないけれど。

取っ組み合いが終わったら、すぐに二匹とも別々の方向へ歩いていきましたが、しばし雪の上で仰向けになって転げ回ってゴロンゴロンしていました。  ひんやりした雪が気持ちいいのかかゆいのか。

そして、不意にずっとカメラで撮られていることに気づいてビクッと飛び起き、どこかへ逃げていきました。せっかく楽しんでるところごめんね。

キツネがじゃれあっているところとか、ゴロゴロしているところを見たのは初めて! 貴重な日常のワンシーンという感じ。こうして見ると、やっぱりイヌの仲間なんだなーと思わされます。

ところで、これを書いているのは0時前なんですが、寝る前にちょっと外の空気を吸おうかなと、今、パジャマのまま外に出てみたら、満天の星空でした。寝てしまってはもったいない。今から着替えて、ちょっとばかりサイクリングしてきます。

有名な星は見分けられるようになってきた

というわけで、まだ冷え込む夜ですが、ひとっ走り行ってきました。よく晴れた日の中でも、ひときわくっきり星空が見えるすばらしい日でした。

ほぼ一年、サイクリングのついでに星空の観察を続けてきて、有名な星と星座は見分けられるようになりました。

立ち止まって最初に目に入った明るい星の名前を推理する遊びを、一人でよくやっています。星座の形や、他の星との位置関係を手がかりに、星の名前や方角を当てます。

有名な星や星座は大丈夫ですが、あまり明るくない星座はまだ判別しにくい。たとえば、りゅう座、うみへび座、やまねこ座、へび座、てんびん座など。たとえ道北でも市街地ではうっすらとしか見えません。

それらの星座は、天頂付近にある場合のみ判別できます。地平線近くだと光害に消されてしまって無理。

今の時期、このゲームをしていて難問なのは、こと座のベガ。夏や秋なら、すぐわかる星ですが、今は地平線付近に明るい星がぽつんとあるような見え方なので、一瞬あの星は何だ?と戸惑います。

まず北斗七星を見つけて、そこからうしかい座のアークトゥルスを見つけ、次いでその隣のかんむり座、ヘラクレス座とたどり、その先にさっきの明るい星があれば、ベガだと断定できる感じです。でもこの推理が面白い。

2020/03/30月

コハクチョウ飛来、オナガガモの大群

天塩川の三日月湖にハクチョウが飛来していると友だちに教えてもらったので見に行ってきました。すると、三日月湖だけでなく、あちこちの水田や畑にコハクチョウの群れ。

間近でハクチョウたちを見ることができます。

人の姿を見るとクワクワ鳴きながらゆっくりと逃げていきますが、そんなに警戒心はない。自動車のエンジン音も気にしない。同じ大型の鳥のアオサギがすぐ逃げるのと対照的です。

羽を広げて羽ばたく様子はとても雄大。近くで見ると、思ったより大きい。泥んこになって落ち穂などのエサを食べてますが、ちゃんと真っ白いハクチョウしてます。

それにしても、このハクチョウは、はたしてコハクチョウなのか、それともオオハクチョウなのか? どっちでしょう?

調べてみたら、クチバシの色の、黒い部分の比率が多いのがコハクチョウ、黄色い部分の比率が多いのがオオハクチョウらしい。

特に、クチバシを横から見たとき、黄色と黒色の境い目が、丸みのある縦線  ( になるのがコハクチョウ、鋭角 ∠ になるのがオオハクチョウらしいのですが…

これはみんなコハクチョウっぽいですね。ほかに、オオハクチョウのほうが大きい、首が長い、といった違いもあるそうなのですが、このハクチョウたちも十分首が長いし大きく見えるから参考になりませんでした。

コハクチョウとオオハクチョウは別々に飛来するというわけでもなく、混ざっていることもあるみたい。もしかしたらオオハクチョウもいたのでしょうか。どれくらいサイズが違うのか気になる。

平成25年度のハクチョウの飛来調査データを見つけましたが、道北では稚内と中頓別のクッチャロ湖?くらいでしか調査がされていないようなので参考にならない…。クッチャロ湖と思われる場所のデータからすると、コハクチョウが多く、オオハクチョウは少ないようですが。

天塩川沿いの三日月湖には、ハクチョウだけでなく、アオサギもいました。そして何より、狭い三日月湖を埋め尽くすほどのカモの群れがいてびっくりしました。種類はよくわかりませんが、とりあえずオナガガモだけはわかった。

この豆粒のような大群すべてがカモ。それが三日月湖を黒く埋め尽くしている。未だかつて、道北でこれほど人口密度の濃い空間を見たことがあっただろうか。ここだけ東京都心レベル。

近づいていくと、ぶわっといっせいに飛び立って、奥のほうに避難したので、さらに人口密度が上がっていました。ぎゅうぎゅう詰め。

ついこの間まで、天塩川を泳ぐ数匹のマガモを見て喜んでいたのはいったいなんだったんだろう、と思うほど。ハクチョウもクッチャロ湖に行けば、同じくらいぎゅうぎゅう詰めらしいですが、これだけいると壮観な反面、ありがたみが薄れる(笑)

その近くで、二羽のトビが優雅に飛翔していたのも見かけました。トビっとよくカップルで飛んでますよね。

トビはもうあちこちで見かけます。グライダーのように悠々と飛んでいて気持ちよさそう。鳥が多くなってきたことで、もう暖かくなってきたんだなぁと実感します。

それでも、季節の変化がすべて例年より1ヶ月近く早いのが気になる。やっぱりグローバル・ディミングが起こっているのか。今年の夏は本州を中心に、いまだかつてない規模の災害でひどいことになる予感がします。

2020/03/31火

近くの貯水池の氷が緩んできて、ハロも見れた

ここのところ、毎日、雲ひとつない晴天が続いています。夕方ごろになると、まるでプラネタリウムのドームのような、人工的な天蓋をさえ思わせる澄み切った空になります。昨晩も、春の大三角形がとてもきれいでした。

天気がいいので、近所の湖まで山道をサイクリング。湖といっても、人工的な農業貯水池として作られたものです。道北の湖はほとんどダムや貯水池じゃないかな?

道中の山道はアップダウンの起伏が激しいですが、ゆっくり走っていれば、それほど苦になりません。森林に囲まれて、車もめったに通らない道なので気持ちいい。

何年か前にヒグマのフンを見た人がいる、という噂のある道ですが、年配の女性がひとりでウォーキングしているのとすれ違う。挨拶すると、とても元気のいいお返事をいただく。昼間はきっと気にするほどでもないのでしょう。

道端に、フキノトウがたくさん顔を出していたので、まだ苞が開ききっていないつぼみ状のものを摘んでいきます。せっかくだから、この前食べたそうにしていたご近所さんにあげよう。

湖について自転車を停め、念のため熊鈴を鳴らしながら歩いて登っていくと、砂利道を澄んだ水がちょろちょろと流れ落ちていました。雪解け水です。

湖を一望できる場所まで登って見渡してみると、

まだ凍ってる!

表面の氷はかなり緩んでシャーベット状に見えますが、まだ溶けきっていませんでした。氷はかなり薄くなっていると思われるので、湖面を歩いたりはしません。動物たちの足跡もないようだし。

湖を一周してみようかと思って奥へ歩いてみましたが、意外と遠そうなのでやめました。人工的な貯水池といっても広い。クマももう出るかもしれないから、あまり探検しすぎないほうがいいでしょう。自転車の帰り道もけっこう長いし。

帰りにふと空を見上げると、薄曇りの巻層雲に太陽が覆われていました。ということはもしかして?

太陽の周囲を意識的に広角に見ててみると、巨大な輪っかがありました! 日暈(ハロ)です。

ハロはあまりに大きいので、空を見上げても気づかない人もいるんじゃないかと思います。巻層雲の日に現れやすいことを知っていて、意識して空全体を見るのでなければ。

それにしても巻層雲ということは、上空を空気が流れている証拠。これから天気が変わる前兆です。巻層雲が来ても雨になるとは限りませんが、このまま晴天が続くということはないでしょう。

ここ道北の天気は、年間の半分が雨や雪だと言われます。晴れの日は1/2だから貴重。これからもよく晴れた日にはサイクリングや天体観測を楽しみたいです。もちろん日焼け止めクリームを塗りつつ。

ネコヤナギの雄花と雌花

サイクリングの途中で、比較的低い位置に花が咲いているネコヤナギの木をいくつか見つけました。前回撮った写真のピントがちょっとぶれ気味だったたので、改めて写真を撮ってみることにしました。

まず、前回と同じ雄花。雄花は赤から黄色への暖色グラデーションがとてもきれい。もっと咲き切ると、けばけばしくなってしまうので、咲き始めのこの時期が一番華やかかも。

赤いのは雄しべを包んでいる葯(やく)で、それが破れて、中から黄色い花粉のついた雄しべが出てくるみたいですね。

一方、その近くには雌花の木もありました。ヤナギは雌雄異株なので、雄株と雌株は別です。派手な雄花に対して、雌花はちょっと地味。

まだ咲き始めの段階ですが、雌花は赤い葯がないので、黄色っぽい花を咲かせるだけのようです。オスのほうが派手だなんて、まるで鳥のようですね。もふもふな毛もあるし、植物にしてはなんとも不思議ないきものです。

帰り道にシラカバ林の中で、カバノアナタケ(チャーガ)かな?と思ったもの。でも色合いからすると、ただの木瘤のようにも見えます。ラップランドのサーミ人は、シラカバのこぶを彫り抜いて、ククサという木彫りのカップを作ったそうです。

3月の終わりに。まとめ

さて、今日で2020年3月も終わりです。

世の中では色々と大変なことがあった激動の3月でしたが、わたしはかなり充実した自然観察を楽しめて満足しています。

北海道では緊急事態宣言が出されるなど緊迫していましたが、そのおかげで、もっと自然の中で遊ぼう、自然観察してリラックスしようという気持ちになりました。禍福はあざなえる縄の如し。

この3月に感じたことのまとめを箇条書きで書いておきます。

■この冬、ようやく大自然を楽しめるくらいにレベルアップ
道北に引っ越してから思ったことのひとつは、大自然があるけれど、楽しむのは難しい、ということでした。

鬱蒼とした森、轟々と流れる川、雄大な大雪原、いくらでも大自然は目の前にあります。でも、それは簡単に入っていくことのできない大自然、観光地化されていない奥地であり秘境です。

うちの自治体の住民の要望を見ていると、「せっかく自然が多いのに、気軽に子どもが遊べるような場所がない」という声がありました。

これは確かにそのとおりで、森はジャングルみたいだし、ヒグマやマダニがいるし、川は急流だし、気軽に徒歩や自転車で散策できる自然じゃないんです。

遊歩道や柵が整備された、観光地化された景勝地をイメージしていると、全然行く場所がないと感じてしまう。ここはそんななまっちょろい自然ではなく、大自然だから。

わたしも最初はそれで困っていて、いったいどうやって自然を楽しめばいいのか悩んでいました。やがて、しっかり装備を整えて、森や川を歩くスキルを覚えて、レベルアップしなきゃいけないと気づきました。この一年間、経験値稼ぎを頑張りました。

そのおかげで、かなり行動範囲が広がりました。

・万が一の場合に備え、ヒグマから身を守る複数の予防策や対策も学んで実践するようになった。ヒグマが出そうな森とそうでない森を見分けられるようになった。どのあたりなら自由に出歩いていいか、地理的条件を把握できてきた。

・装備を整えた。全身を覆うヤッケやゲイターを身につけることで、マダニやイラクサから身を守れる。ウェダーに着替えれば川床も歩ける。冬はスノーシューを常備することで、森の中まで入っていける。これらを活用して山菜採りもできる。

・ポイントを覚えた。氷爆が見れる場所、雪原を歩ける場所、山菜が採れる場所、ピクニックや山登りを楽しめる場所、夕日が美しい場所、星空観察できる場所など。人里離れた場所も多いが、安全に出歩く方法を覚えた。

・動植物の知識を増やした。たいていの木の種類を冬芽や葉で見分けられるようになった。花の種類もある程度は覚えた。山菜も見分けて採れるようになった。望遠レンズで鳥の観察もできるようになった。有名な星と星座、位置関係を覚えた。

引っ越して1年半にしては頑張ったほうではないでしょうか? これでもし、遠方から友人が遊びにきても、かなり自然ツアーに案内できるでしょう。誰も遊びに来ないほど遠いのが難点ですけれど。

でも、まだまだレベル10くらいでしょうか。去年の記事で書いた、地元のちょっと詳しい程度のツアーガイドくらいの知識はもうすでに得られたと思います。

ネイチャーガイドできるアマチュア博物学者になりたい。
自然界をガイドできるよう、自然科学の博物学的知識を身に着けたい

だけど、本物のネイチャーガイドになるには、まだまだ少なくとも数年は頑張らないといけないでしょう。自然から学ぶ道のりは長く、決して学び尽くす日はこない、永遠に続くものなのだから。

■世界情勢と、これからの都会の大変さ
この3月、わたしが前々から予想していたとおり、世界中でコロナウイルスによる大混乱が広がりました。でも、わたしの想定よりはかなり遅かったですし、まだまだ底に達してないと思います。

何度か書いているように、コロナウイルスはこれから各国で相次いで感染爆発するでしょうし、気候変動や飢饉などの別の災害が同時に起こることで、被害が増すでしょう。

コロナ混乱の最中は、近年増加していた他の災害がお休みしてくれる、というそんな都合のいいことはないからです。

中国、インド、アメリカの経済活動が停滞し、地球薄暮化(グローバル・ディミング)が弱まることで、今年の夏は大変なことになるかもしれません。道北でも、すでに一ヶ月くらい春が早いです。

これから世界各国が追い詰められて、国連主導のもと各国が協調しないと乗り切れない段階まで至るのではないか、という以前の予想は変わっていません。まだまだ先は長い。長期戦です。

先日、大阪にいたときに仲良くしていた友人からメールが来て、コロナが怖くて家族がみんな病院に行けておらず、持病が悪化するなど険しい状況だということでした。

やっぱり都会は大変なんだな、と改めて思いました。前から懸念していたことではありますが、リアルな話を聞くと深刻さが伝わってきます。今はまだ、おそらくのところ、大混乱の始まりにすぎないのに。

わたしみたいなストレスに弱いタイプの人が、この状況下で、こんなにのびのびと自然観察を楽しんで毎日リラックスしていられるのは、ひとえに環境のおかげなのだと実感しています。

もちろん、自分では生活環境を選ぶことができないため、都会にとどまらざるを得ない人たちも多いのも確か。わたしの予想が外れて、少しでも早く混乱が収まればいいのですが…。

■SNSをやめてよかった
去年、SNSをやめましたが、今になって判断が正しかったと思っています。この数ヶ月、日記が軌道に乗って、楽しく継続できているからです。

SNSをやっているころは、日々の生活の中で何か経験しても、写真をつけてSNSに投稿したり、つぶやいたりするだけで終わっていました。フレンドさんから反応があるのは嬉しいけれど、自分の糧になっていない気がしていました。

わたしみたいなウェブサイトを運営している人間からすれば、SNSに投稿して終わりというのは、コンテンツ作りにつながらず、非常にもったいないことです。

せっかく日々の生活で何かを感じても、SNSのプラットフォームに投げ込むだけでは、とりとめのない断片になって流れ去ってしまうだけ。過去の投稿を検索したり参照したりすることは、ほぼできません。

一方で、こうやって、日々の経験を自分のウェブサイトにまとめていけば、自分の過去が一箇所に集積されていくので、過去の文章を検索したり、リンクしたりできるし、感想をアップデートして積み重ねていくこともできます。

誰かがわたしについて知りたいと思った場合でも、SNSだと断片的な情報しかわからず、過去の情報へのアクセスも劣悪ですが、このウェブサイトなら、わたしのこれまでの考察、絵、写真などの全てが一望できるわけです。

自分の経験という文章や画像を、SNSという、自由に編集できない他人のプラットフォームの管理下に置いてしまうことには大きなリスクがあります。自分の管理下に置いてはじめて、自由に扱うことができます。

もちろん、SNSをやりながら、同時にサイト運営もできればいいんでしょうが、両立は意外と難しい。SNSに投稿した断片的な文章や写真を、改めて自分のサイトにも投稿してまとめようというのは、はっきり言ってめんどくさい。

SNSとブログを両立している人がいても、徐々に楽なSNS投稿だけで済ませるようになってしまい、自分のサイトがスカスカになっていくことが多いと思います。

しかも、SNSの投稿は、他人の管理下にあるので、そのプラットフォームが終わればすべて消えるし、たとえエクスポートしたところで、断片的すぎてコンテンツにもできません。

わたしはTwitterをやめたときにデータをエクスポートしましたが、何千ものツイートを今更ブログにまとめ直す気なんて起きません。ただのゴミ同然のデータとして保管してあるだけです。

結局、SNSにかけた時間や労力も無駄になるだけなので、最初からSNSをやめて、しっかり毎日、自分のサイトにコンテンツを更新していくほうが、後々無駄がないと思いました。今それができているので、SNSをやめてよかったと実感しています。

それに加えて、このコロナ情勢におけるネット上の対立や混乱を横目で見ながら、かえってストレスの温床になりかねないSNSを早期にやめたのは大正解だったなと思っています。

■体調について
体調はそんなに悪くないですが、満月から新月に向かう時期は悪化しがちかもしれません。

ハンノキ科の花粉症のせいで鼻詰まりや目のかゆみが少し。

首の寝違えは慢性化していて、時々再発します。手首のヒビ(亀裂骨折?)は悪化はしていませんが、良くもなっていません。日常生活に支障がない程度なのが幸いです。

3月の日記はこれで終わり。一ヶ月の日記の分量としては最長だったんじゃないかな。書くことが多いのは良いことです。続きは以下のリンクから。

4月はこちら

2020年4月の道北暮らし自然観察日記
2020年4月の自然観察を中心とした日記帳

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投稿日2020.03.01