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2020/04/01水
庭にユキドケユリが咲き始めた
朝起きると、庭に透き通るような青い星型の花が咲いていました。このあたりでは一般にユキドケユリと呼ばれている花です。
ユキドケユリの名のとおり、雪解けと春の到来を告げる美しい花。
学名チオノドクサは、一見すると日本語のような名前ですが、チオノ・ドクサで区切ります。草ではないんですね。意味は「チオノ」が「雪」、ドクサは「栄光、輝き」。世界のどこでも同じ風物詩なんですね。
その近くには、クロッカスと思われるつぼみも芽吹いていました。つぼみの根もとが地面に埋もれていて、葉に白い線が入っていることから、ユキドケユリと区別できます。近々咲きそうですね。
雪解けは例年なら喜ばしいことなのですが、今年はやはり、早すぎるのが大変気がかりです。去年は4月14日ごろからユキドケユリが咲いて、ハクチョウの飛来もそのころ。2週間早い。
動植物は、わたしたち人間よりもはるかに鋭敏な感覚で季節の変化を測定していて、異変をいち早く感じ取ります。
おそらく道北は、猛暑も台風もほとんど影響がないので、それほど災害は心配していませんが、30℃くらいでもへばってしまうので、単純に夏が来るのが気が重いです…。
しかし、もしコロナウイルスの経済活動自粛のため、グローバル・ディミングが弱まって温暖化が加速するとしたら、これまでの常識は通用しないので、油断は禁物ですね。
昨年も雄武町で森林火災が発生しましたが、雪の少なさのせいで農業用水が渇水したり、逆に突発的な豪雨で河川が氾濫したりする危険もありますから、夏から台風シーズンが怖いことに変わりないでしょう。
アオサギのコロニーを発見してしまった!
次の話題はビッグニュース! なんとアオサギのコロニーがあるのを発見してしまいました!
今まで行ったことがない林ですが、何気なく立ち寄ってみると、動物がグワッグワッと鳴く妙な声がしました。
はじめ、キツネでもいるのかと思いましたが、どう聞いてもキツネの声ではない。しかしクマでもないから安全だろう、と入っていく。
ミズナラのドングリと、シカのフンだらけの道。フンを踏まずに歩きたいところですが、あまりに多くて諦めます。あとで入口にあった溶け残りの雪で靴を洗おう…。
林に入っていくと、さらに響くグワッグワッという声。近くでアヒルでも飼育しているのか? と怪訝に思い見回すが、近くに気配は感じられない。
やがて、声は頭上から降り注いでくることに気づいて木立ちを見上げてみました。すると、そこには、
ミズナラ?と思しき木のてっぺんに、鳥の巣がたくさん! よく目を凝らして見てみると、何か巨大な鳥がたくさん留まってる!
圧巻でした。我を忘れてぽかーんと見上げていると、下界と隔絶された生活空間が頭上に広がっていました。たくさんのアオサギが飛び立ったり、降りてきたり、忙しく活動しています。
RPGで人里離れた新しい町に到着したときの気分。町に到着すると、まず町の様子のダイジェストみたいなムービーが流れる演出がよくありますが、まさにそれ。ここはアオサギたちの町(コロニー)だ。
その数たるや、数えられるだけで10羽はいました。巣を留守にしている鳥もいるでしょうから、もっと大勢で生活しているのかも。ひっきりなしにアオサギが帰ってきては出ていきます。
グライダーのように滑空して巣に降り立つ姿のかっこいいことと言ったら! ほぼピンぼけしないでその姿が撮れました。
あまりに見事すぎて、ここは野鳥園の生態展示エリアなのかと錯覚するほど。自然の中に、こんな近くでアオサギたちの生活を観察できる空間がたちどころに現れるなんて信じられない思いでした。
地上から眺めていて、距離にして数十メートルはあるでしょうか。それでも、アオサギが翼を広げて羽ばたくと迫力いっぱいです。さすが日本最大のサギ。翼長2mくらいありそう。
そんな大きな動物が、あの高い木の上の小さな巣で生活しているなんて。よく枝が折れないな、と思いましたが、あとで調べたところでは、あんなに大きいのに、体重はたった1~2kgほどしかないらしい。
木の上で羽を広げる迫力は、さながら翼竜のよう。
道北に引っ越してきてすぐのころ、車の窓から一羽だけ飛んでいるアオサギをよく見かけて、そのシルエットから、プテラノドンという愛称で呼んでいました。
シルエットが翼竜っぽいと言われる鳥の代表格はグンカンドリですが、このあたりにはいません。だからアオサギが一番似ていると思う。
姿だけでなく、巨大なのに体重が軽い、というところもプテラノドンなどの翼竜にそっくりです。
アオサギの面白いところは、あのオルニトミムスみたいに長っちょろい首を折りたたんで収納できるところです。後で写真を整理しているとき、別の鳥かと思ったほどの変わりよう。
この首を折りたたんで滑空している姿が、ランフォリンクスみたいな翼竜っぽさをかきたてるのかなぁ。首をちょっと曲げてZ字型にしているところがプテラノドンの頭の形状に似ているのだろうか。
どうしてわたしがアオサギを見るたびにプテラノドンを連想するのか謎です。
きっと、白亜紀に迷い込んで、頭上にプテラノドンのコロニーを発見したときの感動は、アオサギのコロニーを発見したときの感動に似ているでしょう。次の瞬間、怖くなって青ざめそうですが。
アオサギは日本の留鳥ですが、冬は温かい南部に移動し、春から夏にかけて北海道に帰ってくるそうです。子育ては4から5月ごろ。ということは、今年はそれを観察できるかも?
しかもアオサギは、毎年コロニーを再利用するとのことなので、きっと林が破壊されなければ、毎年来てくれるでしょう。ここはぜひ開発せず残しておいてほしいな。
2020/04/02木
木の上を身軽に歩くアオサギ
今日も自転車で昨日のアオサギのコロニーに行ってみました。
林に近づくと声は聞こえますが、ほとんど動かないため、目立ちません。
しかしまだ雪の残っている林の中に入っていくと、そこそこ近づいたところで急に警戒しはじめ、こちらが動くのに反応して飛び立って、上空を旋回し、また巣に戻るという動きを繰り返します。
あまり驚かすのは悪いので、遠くから望遠レンズで観察するだけにしましたが、ずっと見ていても飽きない光景です。
写真は木の枝の上を身軽に歩くアオサギ。大きさに反して体重がすごく軽いことがわかりますね。
動画も撮ったので載せておきます。手ブレがひどくて、補正もできてないから、自己満足のメモ用動画でしかないけれど、続けていればそのうち上達していくでしょう。絵と同じで。
アオサギのほかにも、小鳥たちの声があちこちから聞こえますが、残念ながら、今のわたしでは何の声なのか全然わかりません。いつかもっと詳しくなれるのでしょうか…。
林を立ち去るとき、ギャッっというけたたましい声が響いて、あれっアオサギってこんな声だったっけ? まるでキツネのような…と思った瞬間、目の前の道路にキツネが飛び出して走り去っていきました。声の聞き分けはできないこともないようです。
白いトビのような鳥はノスリ?チュウヒ?
全然話は変わりますが、先月3/25に上空を旋回するトビを撮ったとき、写真には撮れなかったんですが、羽が白いトビのような鳥を目撃しました。
ハイタカとかそういうまだ見ぬ猛禽類ではないか、と思って、ぜひとも写真に収めたかったけれど、カメラを構えたころには時すでに遅く、二度と上空に戻ってきれくれませんでした…。だから仕方なくトビを撮ることにしたという経緯。
帰ってから調べたら、ハイタカはもっと小さな30cmくらいの鳥だとわかり、正体不明に。いったい何の鳥だったのだろう、本当は茶色かったのを見間違えたのか?と思っていたところ、今日になって正体が判明。
あれはきっとノスリです。トビよりも一回り小さいものの、かなり大きめのサイズ。翼の裏側が銀色、北海道の留鳥、トビに次いで多い。そんなに珍しくない猛禽類。
特に珍しくないといっても、わたしにとっては初認識。これからは見分けられるはず。こうして一つ一つ名前を知っていくのが楽しいです。
…と思っていたら、さらに調べていると、あれはチュウヒだったかもしれない。チュウヒのほうがシルエットがトビに似ている気がする。まだまだわからないことだらけ。
2020/04/03金
庭に咲いたクロッカスと、オダマキ?の虹色の新芽
朝起きると、この前までつぼみだった庭のクロッカスが咲いていました。わたしが植えたわけではなく、前の居住者が植えていたものですが、フクジュソウやユキドケユリと一緒に春を知らせてくれています。
クロッカスやサフランは、もともとかなり気候条件の厳しい、地中海沿岸などの乾燥地帯や高山に咲く花のようです。球根で乾季を乗り切り、雨が降ると一斉に咲く、ということなのかな。だとしたら、厳しい道北の冬にもうってつけの植物ですね。
庭には、ほかに謎の赤っぽい葉が丸まって生え出てきていました。写真だけ載せると、サニーレタスや、多肉植物のエケベリアみたいですが、たぶん何かの新芽です。オダマキかな?
これは20倍レンズで撮影しているので、実物はもっと小さく、指の先ほどしかありません。こんな小さなものでも、こうやって拡大してみると、虹色のロゼット状でえも言われぬ美しさ。
オダマキなのか、別の植物なのか、知識の浅いわたしにはまだわかりませんが、もう少し大きくなってきたら判別できるでしょう。春の地面は不思議な芽でいっぱい。
黄金に輝くネコヤナギの花と、バッコヤナギ?のつぼみ
夕方、近くの川辺を散歩していると、花がたくさんついたヤナギの枝が、夕日を浴びて、黄金色に輝いているのを見つけ、息を呑みました。まるで金細工のように硬そうな光沢です。
近づいてよく見てみると、ただ夕日を浴びていたから金色だったわけではありませんでした。ネコヤナギの雄花が満開になっていて、その花粉の色が金色に光り輝いていました。
あのもふもふした白いネコのしっぽが、こんな色になるなんて、思わずもふもふしたくて触ってしまったら、手が花粉まみれで黄色くなりました。
ネコヤナギの花は、白いネコのしっぽ状のつぼみのほうが、人気が高いと言われます。
確かに花が咲き切った姿は…、なんというかその、毛虫っぽいけばけばしさを感じないでもありません。ヤナギの花だと知っているから手を伸ばせますが、知らなかったら気持ち悪いかも。
雄花を拡大して写真を撮ってみると、これもどこか昆虫チックですね。集合体恐怖症の人は、ゾワゾワくるかもしれない。可愛いネコは、派手な毛虫にメタモルフォーゼしてしまいました。
その近くにあった別のヤナギは、まだ冬芽がたくさんついていました。これから白いもふもふした つぼみが現れるところ。
ネコヤナギと比べてみると、冬芽の先がまっすぐとんがっていて(ネコヤナギは先が反り返る)、もふもふしたつぼみは丸い球状に近いように見えました。これはこれで可愛い。
ヤナギは種類が多すぎて見分けるのが困難ですが、これはエゾノバッコヤナギだろうか? エゾノバッコヤナギは山地のヤナギですが、この木は川沿いではなく堤防の上に立っていました。あまり自信がないので、今後もっと詳しくなれるといいな。
ヤノウエノアカゴケの蒴と、イヌエンジュの実
春の風物詩といえば、雪解けした地面が、一斉にヤノウエノアカゴケで覆われて虹色に色づくことです。都会にも多いコケで珍しいものではないですが、一面が覆い尽くされると壮観です。
コケの観察もまた難しく、拡大鏡が必須なのですが、今年は20倍接写レンズがあるから、去年よりは観察できるかもしれません。足もとで色づいていたコケを撮ってみると、
まるで燃えるような金色に輝いています。さすがキンシゴケ科。金色の糸みたい。
屋根の上に生えやすく、この赤い蒴(さく)がよく目立つことから、ヤノウエノアカゴケの名前があるそうです。コケやシダの生態については全然理解してないので勉強しなきゃ。
足元のコケを撮っていると、イヌエンジュの実が割れて、中から豆が出てきているのを見かけました。冬じゅうずっと実をぶらさげていたイヌエンジュですが、やっと種まきシーズンでしょうか。
ずっと雪の中に閉ざされて時間が止まっていた生き物たちの世界が、ぐんぐんと猛スピードで動き初めているのを感じます。そのエネルギーに圧倒されそうですが、マイペースで楽しんでいきたいです。
アルバム更新
写真を整理して冬のアルバムが完成しました。更新は終了です。
新たに春のアルバムを作ったので、これからの写真はそちらに登録していきます。
2020/04/04土
フキノトウの雄花、そして鮮やかな夕焼け
道路脇に咲いているフキノトウが、すっかり花開いてきました。こうなると、食べてもあまりおいしくありませんが、じっくり拡大してみれば、フキノトウの花もまた精巧で美しい。
それぞれの花を接写レンズで拡大して見ると、このような作りになっていました。フキノトウは雌雄異株ですが、これは雄株ですね。
雄株は、ひとつの頭花に、星型の小さな花(雄型小花)がたくさん集まっていることが特徴で、星型の花の真ん中にあるのが花粉です。
雌株は、近くに見当たらなかったので、今回は写真に撮っていません。フキノトウは地下茎で増えるので、雄株の周りには雄株しかないことが多いらしい。
意外なことに、雌株にも星型の雄型小花がありますが、雄株とは逆に、頭花の中心にちょっとだけ星型の花があり、周りは雌しべのついて雌型小花で囲まれているようです。
つまり、星型の花がどこにあるかで、雄株と雌株を区別できます。山菜摘みではどちらも食べれるし、そもそも花が咲いていないつぼみのころがおいしいので、あまり関係のない話ですが。
今日は夕焼けも、とても鮮やかできれいでした。
ところで、ここ数日、やたらとハイテンションで、調子が良さげだったんですが、月齢を見てみたら、もうすぐ満月でした。毎月、上限の月から満月へと向かう直前がやはり調子が良いサイクルがある気がする。
だとしたら、あと数日経ったら、ローテーションの下り坂になるでしょう。こちらに引っ越してきてからずっと続いている体調のゆらぎは、概月リズムと関係があると睨んでいます。
月の移動は海の潮汐にも影響するくらいですから、とりわけ体液の移動など、相当大きな変化を生体に及ぼしているはずですが、潮汐リズムや概月リズムが人体に及ぼす影響についてはまだあまり解明されていません。
2020/04/05日
すばらしい夕焼け
いよいよ緊急事態宣言が出そうなので、行動が制限される遠方の友人のために、参考資料や励みになる話などのデータベースを整備していました。疲れたけどやってよかった。
そのあと散歩に出たら、キタコブシが来週にでも咲きそうな雰囲気。今日も道北は夕焼けが最高です。
2020/04/06月
オオハクチョウの大合唱
通りかかった畑で、ハクチョウの大群が宴会中でした。コロナ騒動のヒトは今なら絶対開催できないような、集団で歌って食べての大宴会。すぐ近くまで行っても逃げないのでものすごい迫力。
よくよく見てみると、クチバシの模様が、数日前に見たコハクチョウとは違う!
黒と黄の境い目が鋭角に切れ込んでいるので、これはオオハクチョウです。オオハクチョウもやっぱり道北に来てたんだ!
遠目にはそんなに体が大きいとも思えなかったし、この前のコハクチョウに比べて首が長いとも感じなかったんですが、クチバシの模様が動かぬ証拠。
近くにいると、ぐちゃぐちゃ、もしゃもしゃと土の中に首をつっこんで食べる音が響く。しかしそれよりも何よりも、ファウファウという鳴き声の大合唱。
いったいそんな大声出して、みんなで何を歌ってるんだろう? 食べながら歌ってるから、「この畑はうまいうまい」っていう叫び声なんだろうか…。畑によっては、少人数で無言のままむしゃむしゃしてることもあるので不思議です。
2020/04/07火
彩雲をまとったスーパームーン
今日は大切な日でしたが、すばらしい満月が見れました。くもり時々雨の天気の中、雲の切れ間に、彩雲をまとった朧月が現れました。
すぐにまた分厚い雲に包まれて閉ざされていまいましたが、一瞬でも煌々と輝く満月を見れて嬉しかったです。先月はスノーシューで見に行こうと思ったのにまったく見えない曇天でしたから。
いつものごとく、スマホで撮っていますが、スマホで月を撮るのは難しい。特に、肉眼では造作なく見える、ウサギとかカニと言われるあの模様を撮るのは至難の業。
でも、野鳥観察のときに使っている望遠レンズを使って撮ってみると、かろうじて映すことができました。
接写レンズや望遠レンズ色々入って2000円はお得でしたね。記憶に残る特別な日を、写真で思い出に残すことができました。
ところで、最近はニュースを見ていないので内容は詳しく知りませんが、今日、東京や大阪などでは緊急事態宣言が出たようです。
地元の自治体のニュースは端末に入るのでチェックしていますが、「自粛ムードのため運動不足になりがちなので、三密を避けて外で運動しましょう」とアドバイスされていました。
さすが人口密度最低ランクの道北! 施設に人が5人くらいいたり、脇道で自動車を2、3台見かけるだけで「今日はなんか混んでるな…」となるのがここ道北。
大都市で外出自粛令が出ても、自治体みずから外での運動を勧めてくれるとはありがたい。これまでどおり毎日出歩いて、大自然を楽しませてもらいます。
コロナウイルスについてのメモPart3.2
特に新しい話題はないので、過去の1.0、2.0、3.0などの回を参照。
■予想どおりになった
2月や3月の段階から言っていた通りになりました。炭鉱のカナリア的なHSPとか、数値データで分析するのが得意なアスペルガーの人たちは、初期から危険だ危険だと言ってたのに、世間は無視していて、今頃騒いでいるように見えます。
北海道で緊急事態宣言が出たころ、東京の友人に、「これは危険だから気をつけて」とメールしたら、「都会より原野のほうが危険じゃないの?」とか「から騒ぎだと思っている」と言われて辟易したのを覚えています。
2月の時点でも米国の免疫学者アンソニー・ファウチが警鐘を鳴らしていたし、3月の初頭にはデータに基づいてビル・ゲイツが警告を発していたというのに。
統計や数字を読んで計算するほうが正しい答えにたどり着く。メディアのニュースなんて見るだけ無駄、といういい例でしたね。
初期のころに、北海道は早く緊急事態宣言を出したので、かえって安全になるかもしれない、と書きましたが、その点も今のところは当たってますね。道民も気が緩んでいるので今後はわかりませんが…。
■国連による全世界ロックダウンという予想
初期から書いているように、今回の事態では、国連が終息の鍵を握っていると考えています。
なぜなら、ワクチンの開発までは1~2年かかると言われていますが、国際社会がそこまで持つとは思えない。だいたいワクチンがその時期にできるという保証もないし、どれくらい効果があるかもわからない。
合理的な解決策はひとつ。全世界同時ロックダウンです。国連の権限を強化して、国際社会に一斉に活動停止を呼びかけ、1ヶ月ほどロックダウンすれば、人類対ウイルスの戦争に勝てます。
各国の経済被害が大きくなり、世界のすべての国がリスクに直面すれば、この最も合理的な解決策を支持するようになるはずです。
国連はずっと、より大規模な国際協力を呼びかけているし、このままだと食糧不足なども起こってジリ貧になるとの予想を立てています。
中国のように、先に終息したと見える国も、他の国からの逆流や、自国民の気の緩みから再燃しそうなので、本当に根絶するには全世界同時に経済活動停止するしかないでしょう。
国連事務総長「強力な国際協力必要」途上国の感染拡大に危機感 | NHKニュース
新型コロナに続き「世界的食料危機」の恐れ、国連とWTOが警告 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
米仏、国連安保理常任国による首脳会議開催へ電話協議 – ロイターニュース – 国際:朝日新聞デジタル
でも、国連加盟国すべてが利害関係を抜きにして協力するには、よほど世界全体が追い詰められないといけないので、もう少し先になるとは予想しています。早くて夏ごろだろうか。
全世界同時ロックダウンをすれば、新規患者はいなくなり、平和と安全の勝利宣言が出るでしょう。もしその後に、どこかの宗教の会合などで感染爆発して再燃するようにことがあったら、また大混乱しそうではありますが。
■日本はどこまで悪化するか
これについては全くわかりませんが、前に書いたように、日本は欧州に比べて初動が遅れていただけで、軽いわけではない、というのが私の意見です。
3月のPart3.1でそのことを書きましたが、4月になってから、岩田健太郎先生が似た意見をブログで書いていました。
おそらく、いま死亡者数が少ないのは、まだ重症者が少なく、高度な医療機器で延命治療できているからにすぎず、医療のキャパをオーバーしてきたら、途端に死者が跳ね上がって、少なくとも韓国レベルにはなるでしょう。
わたしも油断せずに道北の人口過疎地にこもって、いつもどおり自然観察を楽しみながら、遠目に大都市の経過を見守りたいと思います。わたしの予想ほど悪くならないことを祈っています。
というか、なんか最近ものすごく忙しいんですよね…。オンラインミーティング何度もホストしたり、資料やアーカイブを用意したり。人の役に立てるのはいいことなので頑張りたいですが。
【気になったニュース】(4/9追加)
新型コロナウイルスの猛威を予見? 15年前にオンラインゲームで起きた「パンデミック事件」の教訓|WIRED.jp
この記事ものすごく興味深いですね。今回のウイルスと似た性質を持つ疫病が、オンラインの仮想世界で広がる、という予期せぬ「実験」が行われていたと。
机上のモデルと違い、実在するプレイヤーたちが巻き込まれた現実の事件だったので、行動経済学の良いモデルケースになったのだそう。今回のコロナで起きている世界中の人々の不合理な行動も予見されている。
このモデルケースが現実にも当てはまるのであれば、気が緩んだ中国や北海道では、これから第二波が来ることは避けられないでしょう。
また、最終的な解決方法は隔離や社会距離戦略ではなく、何らかの「リセット」(たとえば従来の国際社会の構造の刷新)などしかありえないことになります。
2020/04/08水
フキノトウでふき味噌
天気が良かったので、近くの森まで出かけて、フキノトウをたくさん採ってきました。
町中ではすでに最盛期を迎えて花が開いてしまっているフキノトウですが、森の中ではこれからです。まだ苞葉に包まれた、花が咲く前のフキノトウのつぼみがたくさん顔を出していました。
そのフキノトウを、汚れた部分を取り除いて洗って、少しアク抜きして、細かく刻んで、油で炒めて、味噌・みりん・砂糖を加えて混ぜる。ふき味噌の出来上がり。
完成直後は、フキの香りが強すぎるような気もしましたが、冷蔵庫で一晩置くと、いい具合に馴染んで、おいしくなっていました。最高のご飯のお供です。
ところで、森の中を歩いていたら、謎のトゲだらけのツル植物を見かけました。後で調べてみましたが、もしかするとラズベリーのエゾイチゴかな? もっと冬芽をちゃんと調べておけばよかった。
2020/04/09木
ツクシが現れたのに冬に逆戻り
丘の南側の斜面にツクシが出てきていました。ぽかぽか温かい春の日差しが続いたからでしょう。
何気ないツクシ、どこにでも生え出てくるツクシですが、これまたアップで見ると、美しいつくりをしています。色のグラデーションも虹色でした。
開いていないツクシなら、摘んできて食べることもできますが、そんなに好きじゃないので、見て楽しむだけにします。本命の山菜は4月中旬くらいにでてきそうなエゾエンゴサクやエゾノリュウキンカです。
ツクシが顔を出して、いかにも春という雰囲気でしたが、天候が変わって、あられ混じりの雪が降り始めました。キタコブシの花芽も、
すっかり大きくなってきたフキノトウの花にも、氷の粒が降り積もりました。雪をまとったフキノトウもみずみずしい姿でいいですね。
4月だから、さすがに、これ以上は積もらないだろう、と思っていましたが、夕方ふと外に出ると、こんなに真っ白になっていました。
冬、というほど積もってはいませんが、春のおもかげはすっかり消え去ってしまい、秋の終わりのような景色になっています。聞くところによると、このあたりでは、ゴールデンウィーク頃に大雪が降ったこともあるそうなので、よくあることみたいです。
春の雪らしく、地面を覆うほどどっさり積もってはいません。草の絨毯が、まだらに白く化粧しています。
まるで、デザイン素材のテクスチャみたいな白と黒のコントラスト! これが自然の風景だとはびっくりです。
もう年末まで、雪を踏みしめる感触を味わえないかと思っていたので、雪の上を歩けてとても嬉しかった! 春の雪融けもいいけれど、やっぱりわたしが好きなのは、雪景色とその感触なのだなぁと思い返しました。
この雪はまたすぐ溶けてしまうでしょうが、気持ちを爽やかにしてもらったので、明日からの生活も頑張りたいと思います。
2020/04/10土
冬ですね
今朝起きたら真っ白でした。風景だけ見るとすっかり冬ですね。
でも白かったのは朝だけで、昼ごろにはもう元通りの春の風景に戻っていました。
気温が暖かいと、雪ってこんなに一瞬で溶けちゃうんですね。道北のあのパウダースノー豪雪は、真冬のマイナス十数℃の気温に支えられているというわけです。
夕方、すっかり雪が溶けてしまったいつもの春の並木道をサイクリング。近くの木から突然、キョッキョッキョッキョとヤマゲラの鳴き声が聞こえてびっくりしました。
見上げると、ヤマゲラだけでなく、キレンジャクの群れも。まだ北海道にご滞在中のようでした。
相変わらずのまるまるとしたボディ。どうしてこんなに丸いのか。
わたしが近づいても、ほとんど動じることなく、群れで集まってまったりしていました。
2020/04/11土
エゾエンゴサク咲き始める
昨日降った雪も溶け、また春の景色になりました。そろそろエゾエンゴサクが出ているのでは?と思い立って、去年はじめてこの花を見た公園までサイクリングしてみました。
すると、
咲いていました! エゾエンゴサク。たった一輪だけ。その公園じゅう歩きまわってみましたが、ほかには見つかりませんでした。茎がかなり寝ていたので、雪が降る前にはもう咲いていたのかもしれません。一人だけ早く起きちゃったんですね。
接写レンズで拡大して撮ってみる。
なんとなくマメ科らしい風貌ですが、ケシ科キケマン属です。キケマンとかムラサキケマンとかいうケマン系の仲間ですが、珍しく毒がないので、山菜として食べることができます。
この仲間のケマンという花にしても、これのエンゴサクという名前にしても、全然馴染みがなさすぎて、難解に聞こえます。
ケマンとは仏堂の飾りで、エンゴサクとは漢方薬の名前(胡の国から伝来した細長い根の意味)らしく、説明してもやはり難解です。イメージがわかなさすぎて、自分で別の名前をつけたくなります。
エゾエンゴサクは、カタクリなどと並んで、スプリング・エフェメラル(春の儚いもの)、つまり、早春に出てくる春を告げる花の代表格なので、もっと可憐な名前があっても良さそうなものですが。
ところで、去年はじめてエゾエンゴサクを見たのは、4月末ごろでした。去年よりも早く開花に気づいたというのもありそうですが、今年の季節の推移は、2週間くらい早いような気がします。
エゾノリュウキンカ、ナニワズ、イチゲもそろそろ
エゾエンゴサクが出てきたということは、他の花も色々出てきたに違いない、ということで、森の中まで散歩に行ってみました。
この森には、去年はエゾエンゴサクやニリンソウが咲き乱れて山菜として摘み放題でしたが、まだそれらは咲いていません。フキノトウを見ても、森の中は町内より2週間くらい遅いです。
今日、町内をサイクリングしているとき、通りかかった家の庭にナニワズの黄色い花がもう咲いているのを見ました。一方、森の中で見つけたナニワズは、まだ葉っぱだけで、花が咲く気配もありませんでした。
「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」と詠えるのはもう少し先のようです。知らなかったんですが、植物のナニワズも、大阪の浪速区も、この歌から来ていると言われているんですね。大阪にナニワズは咲きませんが。
雪融け水で細い沢が流れていて、そのほとりに、二輪ほど、白い花が咲きかけていました。もしかするとイチゲの花かな?
白い花って写真に撮るのが難しい。もっと露出を絞らないといけなかったかな。葉っぱがまだたたまれていますが…イチゲの葉ってどんなのだっけ?
沢を下っていった湿地帯には、すでにエゾノリュウキンカがたくさん育っていました。通称ヤチブキと呼ばれ、おひたしなどで食べるとおいしい山菜です。
中には、もうつぼみがはっきり見えるものも。
黄色い花が咲く前のつぼみ状態が一番おいしいので、この写真のものあたりは、そろそろ食べごろかもしれません。でも、森の入り口付近は他の人も見たいだろうから、もう少し奥で探してみようかな。
まだまだ雪が降って真っ白になったりもする道北ですが、植物の成長を見るに、着々と季節が移り変わっているのを実感します。
ところで、このキノコはいったい何でしょうか…。今日森の中にとてもたくさん出ていたのですが…まだまだ知らないものだらけです。
2020/04/12日
エゾノリュウキンカが咲いていた
昨日歩いた森より、もう少し奥のほうまで行ってみると、エゾノリュウキンカがすでに咲いていました。
さんさんと輝く太陽のようなきらびやかな金色の花。まだちらほらとしか咲いていないけれど、一斉に咲き始めると目立つので、車で走っていて道路脇の渓流に見つけることもあります。
森の少し奥の渓流のエゾノリュウキンカは、まだ小さめだったので、もうちょっと大きくなって増えてから山菜摘みに来ようかな。
去年食べた山菜の中では、エゾノリュウキンカのつぼみ、エゾエンゴサク、ニリンソウあたりがマイルドな味わいでおいしかったので、今年も狙い目です。
ギョウジャニンニク、オオハナウドなども芽吹く
その近くにはギョウジャニンニクもすでに芽吹いていました。足元の色々な新芽を踏み潰さないよう、遠くのコケむした岩に足を置きながら撮影したので、何枚葉かは不明。
フキノトウ、ニリンソウ、エゾエンゴサクなどは幾らでも採っても大丈夫なほど生えるけれど、ギョウジャニンニクは、取りやすい場所の群落はそう多くないので気を使います。
山の奥のほうに行けばもっとたくさんあるけど、クマの縄張りだし…。身近な場所で、なおかつ他の住人が取りに来ないor知らない群生地というのを確保しないと取りづらい。
足元にふとたくさん、毛深い芽が出てきているのに気づく。しゃがみこんで観察したら、茎を包んでいる袋状の葉柄からエゾニュウを連想。ということは、エゾニュウ、アマニュウ、エゾノヨロイグサ、オオハナウドあたりのどれかだろう。
家に帰ってから、簡単に調べてみた感じでは、オオハナウドかな。茎も葉の裏も毛で覆われていて、葉は裂けて複葉になっているのではなくつながっている、という点が一致していました。
オオハナウドの芽も山菜として食べれるようでしたが、「美味しい」という報告は見当たらず、癖がある、苦い、花はウドよりきれい、といった、奥歯に物が挟まったような表現ばかり。たぶんあまり美味しくないんでしょう(笑)
アイヌの子供たちがドッピと呼んでおやつにしたという情報もありましたが、当時のおやつと今のおやつは概念がきっと違うんだろうな。
別の場所にあったこの芽は何でしょうね。複葉に見えるからエゾニュウとかウド? でもあまりそういうのが生えてなかった気がする場所だから全然違うかな。
色々な芽があちこちに生えてきていますが、さて、この芽はいったい何の植物だろう…と感じるものが多い。山菜はたいてい新芽を摘むことが多いので、しっかり覚えたいところですが難しい。
昨日見かけたアズマイチゲ、ナニワズ
昨日のアズマイチゲと思われるつぼみ。改めて見回してみると、渓流沿いにちらほら出ています。
露光をしぼって、慎重にピントを合わせて撮ると、白飛びせずに映ってくれました。
アズマイチゲの花は別に珍しくもなく、これから幾らでも群生しますが、わずかしか顔を出していない咲き始めの今はとてもレアな感じがします。くるくる巻いた葉の折りたたみが可愛い。
その近くにある、昨日撮ったナニワズ。ナニワズは森の中に点々と生えるそうですが、今のところ、野生のものは去年見つけたこの個体しか知りません。
まだ花は咲いていませんが、葉っぱをめくってみると、ちゃんとつぼみがたくさんついていました。
拡大してみると、うっすら黄色い花びらの色が透けて見えるような気もします。咲くのはもう少し後になるでしょうか。
エルタテハとエゾサンショウウオの卵
森の入り口付近の木に、タテハチョウの仲間が止まっていました。たぶんエルタテハ?なのかな。
そういえば去年同じころ(調べてみたら4/29)にヒオドシチョウらしきチョウを見た記憶があります。
ヒオドシチョウとエルタテハはほとんど同じ模様ですが、羽を閉じたときに小さく白い「L」の文字があるのがエルタテハらしい。羽の表面のほうは、青っぽいフリルがあるのがヒオドシチョウらしいが難解。
もしかして間違えていたかな、と去年の写真を見直しましたが…。よくわからない。エルタテハだったのかも。虫はまだまったく何も知らないレベルなので、区別できません。
そういえば、去年このチョウを見つけたときには…と思って、近くの池に芽をやると、やっぱり去年と同じように、もうエゾサンショウウオの卵が見られました。
人間社会は、激動の最中ですが、自然界は、淡々と同じサイクルを繰り返しているのですね。気候変動も起こっているので、例年よりサイクルが2週間ほど早い感じはしますが、人間社会よりよっぽど安定しています。
混乱する世界に疲れたときは、自然界を観察して、その変わらぬサイクルを実感するのがいいでしょう。何も拠り所のない揺れ動く世の中にあって、ここには悠久の時を経てなお変わらない生命のリフレインが息づいているのですから。
2020/04/13月
トキシラズ(ヒナギク)が咲き始める
庭にトキシラズが咲き始めていました。
北海道に来るまで知らなかった花なのですが…、というより、去年までは花に興味なんてほとんどなかったから、花全般を知らなかっただけですが、地元の人に「トキシラズ」と呼ぶんだと教えてもらった花です。
なかなか風流でかっこいい名前ですが、なぜトキシラズなのかと言うと、春から秋まで、季節感もなくずっと咲いている花だかららしい。調べてみると、正式な名前はヒナギクでした。
北海道開拓のときに持ち込まれた外来種だそうですが、今では、北海道じゅうに広がって、市街地や公園で春を告げる花として定着しています。
雪融けとともにに一輪二輪と咲き始める様子はとても心が和みます。やがて他の外来種と共に公園や市街地を埋め尽くす時期になるとありがたみが薄れてしまうのですが。
2020/04/14火
森の中のリスのエビフライ
まだ雪がそこそこ残っている森の中を散歩していると、雪が溶けて地面があらわになった場所に、たくさんエビフライが落ちていました。
通称リスのエビフライ、これはカラマツの松ぼっくりを食べた跡ですね。秋ごろに食べたのが、そのまま雪に埋もれていたのでしょうか。たくさん食べかすが落ちていました。
残念ながら、エゾリスはこれまで車で走っているときに道路を横切ったものくらいしか見ていません。エゾモモンガも、すぐ近くにいると聞いていますが、夜行性なので観察する機会にめぐまれず。
でもこうした痕跡を見つけると、同じ時を同じ場所で生きているんだな、と存在を確認できて嬉しくなります。もうわたしの自然観察レベルがアップしたら、いつか出会うことができるかな。
雪融けした地面からは色々なものが出てきて楽しい。市街地近辺だとゴミが出てきて醜いですが、森の中ではもっと美しいものがたくさん顔を出します。たとえばこの地衣類。名前がよくわかりませんが、ツノマタゴケでしょうか? だとしたら日本には北海道にしか分布していないらしいので珍しい地衣類です。(※類似した形のヤマヒコノリの可能性のほうが高いかもしれません)
このあたりの森にはありふれたものですが、いつ見てもこの造形の繊細な美しさにハッとします。森のサンゴのような形と淡い色合い。何度見つけてもついつい写真に撮ってしまいます。
まだ森の中は冬と春の境目くらいの情景で、木々の冬芽はつぼみ状態のまま。でもきっと、内部では時が動き出しているのでしょう。
冬に来たときよりも鳥たちが忙しく飛び回っていて、ヒガラやアカゲラを見かけました。ほかにも確認できる声が数種類はいたけれど、今のわたしには名前がわからないのがもどかしい。まだ学ぶべきことはいくらであります。
森を抜けた先、冬にスノーシューで歩いた雪原は、日当たりも良いので、ほぼ雪融けしていました。あの一面真っ白の世界が、こんな暖かい色合いに変わるなんて。着実に春は進んでいます。
フキとエゾノリュウキンカで山菜料理
まだ冬と春の境目にある森の中では、ちょうど、フキノトウが顔を出し始めたころでした。平地より、数週間遅れているようですね。ちょうど今が食べごろ。
今年、フキノトウをたくさん採って食べてみてわかりましたが、フキノトウは、雪の中からこうして顔を出した直後で、まったく先が開いていないくらいが一番美味しいですね。
つぼみ状に花を覆っている葉は苞葉ですが、一番外の赤みを帯びた苞葉が残っているくらいが最高に美味しい。先が開きかけていても食べれますが、ちょっとパサパサする。
平地では雪融けが早いせいか、地上部に顔を出すと同時に開いてしまうフキノトウが多く、やっぱり美味しいフキノトウは山に採りにこないとダメなんだなと学びました。
今日、まだ雪が残っている山で採れたフキノトウは今季最高レベルだと思う。
そして、その近くの渓流沿いに生えていたエゾノリュウキンカも、そろそろ食べれそうなものが増えていたので、少しだけつぼみを摘み取ってきました。
それをお麩丼に入れて食べてみましたが…
食感はとても美味しかった。だけど肝心の山菜の味が、調味料に負けてしまって、他の野菜と変わらなくなってしまったかな。せっかくの山菜なんだから、山菜を主役にした料理にしたほうが良かったですね。食べ方も手探りです。
2020/04/15水
ドイツトウヒのエビフライたくさん
昨日見つけたリスのエビフライは、カラマツの松ぼっくりだったので、小さすぎて、あまりエビフライらしくありませんでした。
やっぱり大きくて細長い松ぼっくりのほうがそれらしく見える、ということで、ドイツトウヒの根もとを探してみたら…
こんなエビフライがてんこ盛り! 秋ごろにリスたちの盛大なディナーが開かれていたみたいです。食べ残しのものもあって、端から順にお行儀よく食べる様子がイメージできますね。
エビフライになろうとも、松ぼっくりは松ぼっくり。リスたちが食べ残したしっぽの方の角度から見てみると、マツらしい薔薇のような価値の面影が残っています。エビではありません。
リスたちの姿は見えませんでしたが、実はそばにいても気づかないだけで、いつかもっと目が慣れたら、発見できるようになるのかな。
たとえばヤマゲラは、すっかり存在を覚えたので、頻繁に見かけるようになりました。鳴き声や姿が、私の頭にインプットされたんですね。今日もシラカバの枯れ木に留まって、どこか寂しげな声で鳴いているところを見つけました。
上の写真だと逆光ですが、このあと地面に降りてくれて、ヤマゲラらしい、ずんだ餅カラーの背中を楽しませてくれました。頭は赤かったのでオスかな。写真がピンぼけだったのが残念。
そして、すばらしい夕焼け。一瞬だけ、半熟とろとろのゆで卵のような色合いに輝き、遠くの山稜へ沈んでいきました。
2020/04/16木
体調が悪い…やはり月齢か
実は二日前くらいから、体調に陰りが見え始めて、オンラインミーティングのときに元気がなかったり、山歩きで息切れしたりしていたのですが…
今日になって明確に体調が悪い。頭がずっしり重いし、朝から寝たり起きたり。いつものサイクルですね。
一ヶ月ぶりに月齢カレンダーを確認してみたら、やっぱりちょうど下弦の月を過ぎたところ。月齢を知らなかったころからの日記とも一致しているので、ノセボ効果ではなさそう。
都会にいたころは家の外なんて出ないので、月齢なんてまったく知りませんでしたが、ここに引っ越してきて毎晩散歩するようになってから、体調が月の満ち欠け周期と連動していることがわかってきました。
満月のころが一番体調がよく、精神的にもハイになっていて、下弦の月から新月に向かうころが一番体調が悪くなるようです。
元々そうだったのに気づいていないだけだったのか?
昔は年がら年中体調が悪かったから、周期が判別しにくかった。Non-24のリズムなど見ても、周期は一定ではなく不安定だったような気がする。それが今では月齢に同調してきた?
同居している女性は月経周期が同調することが知られているけれど、似たようなことが起こっている? 自然の中で暮らすうちに同調していったのか?
立派なギョウジャニンニクを見つける
そういう体調の悪いときは、家で寝ていたい気持ちが強いけれど、無理にでもサイクリングに行ったほうが楽になる、というここ一年の経験則があるので森まで出かけてみました。
すると、森の入り口付近の渓流に、こんな立派なギョウジャニンニクが!
これは3枚葉で、今年結実するはずだから採りませんでしたが、今年のギョウジャニンニクがもうこんなに大きく育っているとは意外でした。
もう少し奥まで行けば群生地がいくつかあるので、週末くらいに出かけて、2枚葉を探してみようと思います。
その渓流のそばには、先日見つけた初アズマイチゲもありましたが、すっかりしおれてしまい、元気がなさそうでした。あまりに早く花を咲かせたものだから、霜にやられたのかも。急いては事を仕損じるということでしょうか。
帰りに、自転車でスピードに乗りながら、夕日を浴びた松林を流し見ていたとき、何羽かの小鳥が自転車に並走して飛んでいるシルエットが見えました。
そのとき、一瞬体がスッと軽くなったような爽やかな気分を感じました。ああ、今とても気持ちが楽で、心地いい。そう思いました。
やっぱり無理してでも出かけてよかった。周期的な体調の悪化は生きている限り仕方のないことだけど、自然には体を楽にしてくれる何かが組み込まれている。また必ず良い周期もめぐってくる。
変に肩に力を入れたり、構えたりせず、自然のリズムにそって、身を任せるようにして生きていればいいんだ、そう思えました。
2020/04/17金
ミズバショウが咲き始めた
いつものごとく、メインの車通りの多い国道ではなく、めったに他の車がいない山越えの裏道を走っていたら、道端の渓流沿いに、ミズバショウが咲き始めているのを見つけました。
少し谷になっている場所でしたが、雪融けしていたので、降りていって近くで観察することができました。
ミズバショウって、地面から巨大な尖った芽がぬっと突き出て、それがめくれるというか開いていって、花が現れるんですね。咲き始めをじっくり見たことなんてなかったから面白い。
まだ咲き始めの咲き始めという感じで、まったく展開していないものも多かったですが、中にはちらほらと苞が開いて、ミズバショウらしい花の形が見えているものも現れていました。
これがまたデカい。遠くから見ると小さく見えますが、近くで見ると手のひらよりはるかに大きい花です。
同じサトイモ科である、黒いミズバショウことザゼンソウもそろそろ咲きだしているころでしょうか。去年は5月に松山湿原の山道で見たので、平地であれば、そろそろ咲いていてもおかしくないですね。
ナナカマドの虹色の新芽とベニヒワ
ナナカマドの真っ赤なトウガラシのような冬芽がゆるんで、新しい葉が萌え出てきました。新芽は緑色ではなく虹色です。ハイビスカスの花のつぼみみたい
近くのヤチダモに群れていた鳥。たぶんベニヒワの雌? なんだか雪の中で群れていたときと随分印象が変わって、スズメの群れかと思いました。
智恵文沼でバイケイソウやエゾエンゴサク
道中立ち寄った、名寄の智恵文沼。天塩川の蛇行の名残の三日月湖だと思われます。
雪が溶けてからの自然界の変化は驚くほど早くて、週ごとに、日に日に様相が変化しています。あれほど大勢いたハクチョウもすっかり姿を消して旅立ってしまいました。
代わりに、カモの仲間が点々といましたが、車を降りて歩いていくと、すぐに気配を察知されて飛び立たれてしまいました。ほかにカワウのようなシルエットもいたけれど夕日の逆光で撮れず。
岸辺には、バイケイソウと思われるこんもりした葉っぱや、エゾエンゴサク、エゾノリュウキンカなどが生え出ていました。
バイケイソウは有毒で知られているので、ギョウジャニンニクなどと間違わないよう注意が必要ですね。
わたしも一瞬、遠くから見たときに、ギョウジャニンニク? いやこんな普通の場所にギョウジャニンニクがあるわけない、じゃあ似てると言われるバイケイソウか、と考えました。
近くで見れば、根もとの色で容易に区別できそうなものですが、根もとが赤く変色したコバイケイソウもあるそうなので、ちゃんと赤いハカマをはいているか確認しないといけません。
赤いハカマをはいていたとしても、スズランの可能性があるので、葉っぱの形を確かめることも重要。何より大事なポイントは、ギョウジャニンニクならニンニク臭がすることですね。嗅覚が大切。
エゾエンゴサクのほうも、かなり増えてきていました。紫色や、ピンク色、そしてヒマラヤの青いケシを思わせる澄んだ空色のものも。こう見えてエゾエンゴサクはケシ科です。
だけど、数は多くても、どうもしなびていたり、変色していたりするものが多く、山菜摘みには向いていないように見えました。やっぱり山や森に咲き乱れているもののほうが質が良さそうです。
そうそう、自分で撮った写真ではないですが、名寄の友達から、カタクリの花が咲いていた、という写真ももらいました。
わたしはまだ未見で、どこに咲いているかも知らないので、今年はなんとしても、家の近くで群生地を見つけたいと思っています。
冬のあいだ、何ヶ月も時間が止まっていたのが嘘のように全速力です。ついていくのがやっとですが、できるだけ季節のしるしを見つけて楽しみたいですね。
【気になったニュース】
新型コロナで奇妙な夢や悪夢を見る人が増加、理由と対処法は | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
なんか新型コロナのストレスで悪夢を見る人が増えているというニュースがありましたが、わたしはここ最近、かつてないほど平穏でつまらない夢ばかり見ています。かつて明晰夢やリアルな夢ばかり見まくっていたのが嘘のようです。
記事にもあるとおり、「ストレス源に「近い」ほど悪夢が増える」ということからすると、かつてのわたしが置かれていた状況は、このコロナウイルスの世の中よりよっぽど深刻だったということです。
最近のわたしが見る夢は、トラウマ的な悪夢でも、解離が反映されたリアルな夢でもなく、どうでもいい日常的でありふれた夢ばかりになりました。
平和で安心できる反面、特に記録したいような内容もなく、以前に比べて、夜、夢、空想の価値が下落してしまいました。
2020/04/18土
オオジシギ飛来!
朝からボロボロでぐったりしています。昨日頑張ったこともあるだろうけど、やっぱりもうすぐ新月だからかなー…。毎月周期的に訪れる、体調が底をつく日ですね今日は。
日中外出する元気すらもないので、日が暮れてからサイクリングすることに。
夕方になって、やっと庭に出歩く元気が出て、散歩していたら、隅っこにヒマラヤユキノシタ(ベルゲニア)のピンクのつぼみが現れていました。そろそろ咲くころなのかな。
ヒマラヤユキノシタは私が植えたわけじゃなくて、前の住人が植えた園芸植物のひとつ。園芸種は地域の生態系と無関係なのが多すぎて関心がわきませんが、せめて庭の植物くらい愛でようと思います。
そして日が暮れた後に、再度家のまわりを歩いていたら、どこからかチューイチューイという聞き覚えのある鳴き声が。これはまさかオオジシギか? でもまだ4月だし早くないか?
と思ったそのとき、あの雷ダイブの音がズババババと響き渡りました。そうか、もうオオジシギ来てるんだ。
オオジシギは何度か過去記事でも触れているように、わたしにとって、かなり印象深い鳥。
子供時代にお風呂に入っているとき、あの雷ダイブの音が外から響いてきて超常現象かと怖くなり、二年前に北海道で再会して、すぐに名前を覚えることになった。
夏には頻繁に見かける鳥なので、去年も写真に撮れましたが、今年は望遠レンズでもう少しアップで撮ってやろう。体調はまだしばらく低空だと思いますが、明日からの楽しみが増えました。
2020/04/19日
今年初のギョウジャニンニク摘み
1日寝たら、そこそこ回復したので、今日はかねてから予定していた山菜摘みに、裏の山へ出かけました。慢性疲労症候群でずっと寝込んでいたころと違い、こうして休めば回復してくれるのがありがたいです。
家の近くの森では、ここ数日の陽気でアズマイチゲが一斉に咲き出していました。この前撮った早く咲きすぎて しなびていた花と違って、どれも元気です。
花びらの重なりと、キンポウゲ科らしい中心の雄しべと雌しべの模様が美しいですね。キンポウゲ科だから花びらじゃなくてガクだったかな。
ナニワズは、つぼみがかなり黄色く色づいてきました。咲くまでもう一息といった感じ。
野生のナニワズはこの個体しか見かけていないと以前書きましたが、今日、別のナニワズもめでたく発見できました。まだ小さくて、花が咲くかどうかは未知数ですが、葉っぱでナニワズだとわかりました。
エゾノリュウキンカは、たくさん葉を茂らせていて、もう満開に咲き誇っているものすらあります。
渓流の近くや、雪解け水でぬかるんだ場所に、所狭しと萌え出ていたので、そろそろ山菜としても旬の時期です。山菜ナイフを使って、葉っぱやつぼみを、ところどころ拝借させてもらいました。
山菜の図鑑などを見ると、保護したい植物として扱われていて、それにのっとって採りすぎないよう気をつけてはいます。
少なくとも、誰かが採取した切り口などがあれば、採るのは控えます。ネイティブ・アメリカンみたいに、葉っぱをくくって目印にしておけば、他の人はそこでは取らない、というような暗黙の了解が現代人にはないですからね。
といっても、ここ道北では人口がとても少ないので、たとえわたしが毎日山に来ておかずに摘んでいこうが、まったく問題なさそうなほど力強く生い茂っています。
そして、今回のもう一つのお目当てであるギョウジャニンニク。どこにでもあるエゾノリュウキンカと違い、ギョウジャニンニクはさすがに目につくところにはめったに生えていない。
もともとそんなに繁殖力の強くない植物で、道央のほうでは乱獲されて見つかりにくくなっているという話も聞きます。
道北では、少し探せば見つかることは見つかりますが、ヒグマと出会わずに採集できる場所は貴重なので、見つけても大きな2枚葉のものだけを採るよう気をつけています。
去年教えてもらった林道沿いの群生地と、先日の日記にも書いた森の中の群生地の2ヶ所は知っていましたが、その二つは他の人も採るだろうから、心もとなく思っていました。
それで今日は、誰も知らなさそうな群生地を探してみたところ、笹やぶの下のほうに、エゾノリュウキンカがたくさん遠目に見える沢を発見。侵入しにくい場所にありますが、林道と林道の間なので、そうそうヒグマも出ないはず。
沢まで降りていって、コケむした岩を飛び石にしてエゾノリュウキンカの群生地まで渡ったところ、ギョウジャニンニクもたくさん生えているのを発見しました。大きな2枚葉もそこそこ多く、誰も取りに来ていない場所だと確信。
ぬかるみだからか、隣に写ってるジャゴケや苔むした岩も立派。いかにも森の中という素敵な景色。
かつてはアイヌ民族も、ギョウジャニンニクの群生地を発見したら、「キト・ウシ」と名づけて、大切な採集ポイントにしていました。
今でもその名残があちこちの地域にあり、うちの近所にもキトウシと呼ばれていた山があります。
今日わたしが発見したのとは比べ物にならないくらい豊富にギョウジャニンニクが生えていたのだと思いますが、今では山奥すぎて個人で行くには怖いです。
だから、できるだけ家の近所の浅い森でギョウジャニンニクを見つけたい。今日発見したポイントは、ミニ・キトウシとして大切にしましょう。
まだまだ小さな芽も多く、葉がほとんど出ていない、ハカマだけの状態のギョウジャニンニクの赤ちゃんもあったので、もう少ししてから取りに来れば、また採集できそうです。
ちなみに、ギョウジャニンニクは、バイケイソウ、スズラン、イヌサフランなどの毒草と外見が似ているので注意が必要です。
まずバイケイソウはおとといの日記に載せた写真のように、遠くから見たら似ていますが、近くで見れば、赤いハカマがなかったり、葉がこんもりしていたり、割合に区別しやすいです。
イヌサフランは、野生の森の中に生えているものではないので、間違うのは自分の畑でギョウジャニンニクを育てている人。畑産のギョウジャニンニクって香りも味もいまいちなので、そこまでして食べる理由がよくわかりません。
問題はスズランで、赤いハカマがあり、時期によっては葉の雰囲気もよく似ているので危ない。
最大の区別点は、ニンニク臭がするのはギョウジャニンニクだけだということ。だから、採集する前に匂いを確認し、家で料理する前に再度、一本一本匂いを嗅いでみると間違いありません。
匂いが薄れていても、ハカマの部分をむいてみれば、ギョウジャニンニクであれば強烈なニンニク臭がします。シラカバ花粉症で鼻詰まり状態のわたしでも匂うんだから間違いない。
雪の下に埋まっていたマムシグサ
エゾノリュウキンカとギョウジャニンニクを今夜食べるぶんだけ摘んで、気分よく引き返した帰り道。
ぬかるみを避けて今まで通ってなかった笹やぶを突っ切っていくと、足元に赤い実の塊が落ちていて思わずぎょっとしました。
この毒々しいものはいったい何だ?としゃがみこんで見てみたら、たぶんマムシグサ(エゾテンナンショウ)の実だと気づきました。冬に雪の下で冷凍保存されていたんですね。
やっぱり見た目通り毒々しいものだった。警戒して触らずにおいて正解でした。シュウ酸カルシウムの塊だから、下手に触るだけでもかぶれるかもしれない。
こういうびっくりするようなものも落ちていますが、やっぱり森を探検するのは楽しい。ヒグマとマダニと有毒植物などに気をつけて、これからのシーズン楽しみたいです。
2020/04/20月
ホオジロかな?
サイクリングしている途中で、澄んだ鳴き声のホオジロらしき鳥がシラカバの木にいました。
鳥はたくさん見かけるけどすぐに逃げられたり、逆光だったり、遠すぎたりして、写真がなかなか撮れません。
シマエナガとアカゲラも至近距離で見ましたが、スマホ取り出す間に逃げてしまいました。でも、今までにないほど近くでシマエナガの白いもふもふした正面姿を見れたので目に焼き付けておきます。
ホオジロは北海道では夏鳥のようですが、夏鳥もちらほらやって来るようになりました。野草のエゾエンゴサクもかなり見かけるようになってきて、春らしさを実感します。
これはシャク? セリ科がわからない
サイクリングの道端で、ニンジンの葉のような新芽がたくさん出てきているのを発見しました。
これはもしかすると山菜のシャク? セリ科は似た植物が多く、毒草との見分けに自信がないので採れません。
シャクっていうのは、ノニンジンとかヤマニンジンとも呼ばれるらしいですが…
それってノラニンジンとはまた別なの? ノラニンジン(Queen Anne’s lace)だったら去年あちこちで見かけたんだけど…。
たまに見かけた中心部の赤紫の小さな花がない個体がシャクだったのか? オオバセンキュウとかオオハナウドとかの見分けもつかないんだけど…。
小さい < シャク、ノラニンジン < オオバセンキュウ、オオハナウド < エゾノエロイグサ、アマニュウ < エゾニュウ < 大きい
というイメージ。ここにハマボウフウとか、似てるセリ科がまだたくさんあるんだから、もう全然わからない。
細かい所を見れば違いは明らかなのだろうが、そんなマニアックな資料がめったに見つからない。
山菜のシャクを採るときって、図鑑とかだとフクジュソウ、ムラサキケマン、ドクゼリなどとの見分けしか書いてないけれど、ドクゼリ以外のセリ科との区別はしなくていいのだろうか…。
ところで、サイクリングしていたら、道端にバイケイソウの群生地を見つけました。せっかくだから写真に撮っておこうと思って降りたら、なんとギョウジャニンニクらしき葉も。
確かに山の近くで、めったに人が通りかからない場所ではあるんですが、こんな道路際にギョウジャニンニクってあるものなのか…?
本物なのかどうか疑心暗鬼。でも明らかにバイケイソウではないし、スズランがこんな所にあるはずもないし。
そんなに数は多くなかったし、道端すぎるから採取は控えようと思いますが、目ざとく探せば、あちこちにあるものなんですね。
それにしても、ギョウジャニンニクとバイケイソウは見間違えやすいと言われますが、こうして並んでいると全然違います。それでも山菜と毒草が混成しているとドキッとしますね。
人は「現在」を生きるものという話
唐突だけど、最近よく感じている話を。
わたしはずっと過去の記憶にとらわれて生きてきた。同時に、過去の自分を失うのを恐れてもいた。
慢性疲労症候群時代の辛い経験でさえ、それを味わったのは自分の糧であり、かけがえのない経験だと思っていた。自分の書いたブログ記事、小説や考察、絵の作品などは、どれもかけがえのないもので、それら生きた証が失われたり消えたりすることを恐れていた。今でもそれらに対する執着は強い。
それらすべて、今までの記録や記憶、また生きてきた証となる作品の数々があってこそ、自分がここに存在している意味があると思っていた。価値のない自分に価値を与えるものは、自分で作り上げてきた作品のみであると。
だけど、自然界の中で生きていると、はっきり言って、そんなことはどうでもいいとさえ思えてしまうのだ。「今この瞬間が心地いい」「今この瞬間が楽しい」。
それは今までわたしが知らなかった感覚。でも、ここ最近はそれを感じることができる。これがいわゆるフロー体験や、マインドフルネスと呼ばれているものである。わたしは今やマインドフルな日常を味わうことができる。
そして、マインドフルな瞬間を味わっていると、過去の記憶や記録や作品など、別にあってもなくても良いものだと思えてしまうのだ。恐ろしいことに。
でも、人間とはそういうものなんじゃないだろうか。人間にとって最も重要なことは、「今」が快か不快か。それだけだと思う。いや、人間だけでなく、すべての動物にとっても。
たとえば、「今」が心地よく楽しいものであれば、過去がどれだけ恐ろしく苦しいものだったとしても、何一つ気にならないだろう。
逆に「今」が苦しいものだったら、過去に味わった楽しみや喜びの記憶など、なんの意味ももたない。過去の栄光や実績など、うつ状態の人にとって何の慰めにもならないように。
悲しいことに、人はどうしても、「今この瞬間」にあるものしか感じられないのだ。わたしが一年前に気づいて書いたように、どんな苦しい経験をしても、喉元過ぎれば熱さを忘れるのはそのためだ。
2種類の自己認識「記憶する自己」と「体験する自己」があるという議論は、ダニエル・カーネマンの著書でも読んだが、わたしにとっては、「体験する自己」のほうが圧倒的に重要な気がする。
「わたしにとっては」と前置きしたのは、不思議なことにカーネマン自身は逆であるかのように書いていたからだ。わたしの体験とフロー理論やトラウマ医学の知識からすれば、明らかに「体験する自己」のほうが重要だと思うのだが。
いずれにしても、人は立ち止まって過去を振り返るときには「記憶の自己」の自己認識で感じている。だが、さっき書いたように、たとえ過去が幸せでも、現在が悲惨なら何の意味ももたない。
人は (少なくともわたしは)、過去がどうであれ、今この瞬間が心地よければ命を喜ぶし、逆に病気などのせいで今この瞬間が苦痛に満ちていれば、人生を呪うだろう。それくらい幸福感とは単純なものに思える。
過去のわたしは、常に人生を呪っていたので、せめて、自分の創作物や記録にでもすがらなければ、生きている意味などないと考えていた。だから、記録や記憶や作品の存在が大切だった。
しかし、最近のわたしは、体調もそこそこ良く、自然界を味わっている瞬間がたいへん幸せなので、過去の記録や作品の価値にすがる必要を全然感じないのだ。
結局、人間というのは、今この瞬間に、どう感じているかが大事なのだと思う。
今この瞬間に大好きな料理をお腹いっぱい食べれたら幸せだし、大好きな創作や自然観察に没頭できていれば幸せだし、愛する人と楽しい時間を過ごしているなら幸せだ。ミハイ・チクセントミハイのフロー理論の言うとおりなのだ。
過去のトラウマにとらわれている人は、辛い手続き記憶が永久に「今」として再生されているため、時間が止まったままだが、ひとたび時間が動き出せば、別の「今」を感じられるようになる。それが自分の人生を取り戻すということだ。
そして、自分の人生を取り戻してしまえば、あとは全身の感覚を使って、心地よい「今」を満喫すればよい。
もちろん、やがて年をとって体が不自由になったり、病気になったり、不慮の災害や事故で「今」が苦しくなったら、やはり過去にかかわらず、生きていることがしんどくなるだろう。そのときにはまた、解離したり、記録や記憶にすがりつくことも必要になるだろう。
結局のところ、人は、今この瞬間に自分が快を感じているか、不快を感じているかに、どうしようもなく振り回されてしまうだけなのだ。喜ばしいことに、そして悲しいことに、動物とはそういうものであるから。
人は「今」に振り回される単純なものだと書いてはいるが、わたしの考え方は古代のエピクロス主義のように、今この時が楽しければよい、という刹那的な考え方ではない。
なぜなら、将来の「今」のために投資することが必要だと考えているから。わたし自身がやってきたように、知識を学ぶことで、自分の感覚を観察することで、環境を選ぶことで、生き方や生きる環境は変えられる。
わたしにとって、これまで積み重ねてきた膨大な考察や記録は無駄ではなかった。それらの上に今この瞬間が成り立っているからだ。
人は「今」に振り回されるからこそ、将来の「今」を変えるために、努力することに価値がある。
マインドフルな日常を感じるとき、積み重ねた考察や記録や作品なんかどうでもよくなってしまうのは、それらに価値がなかった、という意味ではなく、それらは役目を終えた、ということだ。
マインドフルな日常にたどりついた今、もうそれらは必要ないかもしれない。でも、それらは過去に大役を果たして、将来を変える手がかりになった。大いに努力した価値があったはずだ。
マインドフルな日常を感じるのに、過去の記録や記憶にすがる必要はないけれど、それら過去の記録や記憶は大切なものとして、どこかに取り分けておくべきだと思う。
まとめ
・人は今この瞬間に振り回される生き物。
・幸せかどうかは、過去の記録や記憶ではなく、今が心地よいかで決まる。
・今この瞬間をより良いものにするため努力する価値はある
2020/04/21火
雨の日の黄色い夕暮れ
今日は一日中、雨が降ったり止んだり。やらなきゃいけないデスクワークがたくさんあるから、頑張ってこなしました。こんな時期でも、忙しく取り組めることがあるのは良いことです。
夕方ごろ散歩に出かけたら、外の景色が黄金色とも黄緑色ともつかぬ不思議な色合いに輝いていて、びっくりしました。朝でもなく、夕暮れでもなく、見たことのない世界のよう。
あたりを見回してみると、ざぁざぁと雨が降っているのに、地平線のかなたのほうでは夕日が晴れ間にのぞいていて、明るい日差しが差し込んでいました。
ふだんの夕日はオレンジ色なのに、今日の夕日は雨雲の下に反射して、草原を金色に染めていました。なんて不思議な夕焼けなのだろう。
スマホで撮りたいと思って、あわてて家の中に取りに戻ったら、出てきたときには、もう夕日が雲に隠れてしまい、普通の雨降りの景色に戻ってしまった。自然界の不思議はいつも一瞬です。
雨の中、公園を散歩していたら、キタコブシの花芽の先が二つに割れていました。毛皮のような托葉がめくれて、花本体が現れかけている状態のようです。明日か明後日には花のつぼみが現れそうに思えます。春はどんどん走り出しています。
2020/04/22水
春を告げるナニワズ開花
今日の道北の空模様は、細かい雪とあられ、そして所によっては吹雪。でも天気がとても変わりやすく、ときどき晴れ間がのぞくこともあったので、近くの森に出かけてみました。
森の中は、ここ数日で様子が一変。一帯に早春の草が生え出て、地面が覆われていました。どこを歩いても葉っぱを踏み潰してしまいそうで、足の踏み場がありません。
アズマイチゲやエゾエンゴサクの花も数が増えてきて、もうすぐ一面に咲き誇るでしょう。生えている葉っぱの中にはニリンソウらしき切れ込みの入った葉も多く、近々花を咲かせるはずです。
ニリンソウは花が咲いたら山菜摘みで採ることができますが、葉だけの時点ではトリカブトとの区別がつきません。
そして、先日からずっと観察していたナニワズが、ついに花を咲かせてくれました。なぜか上から見ても分からない葉っぱの裏に花をつけている控えめなナニワズでしたが、かがみこんで撮影したら、しっかり写真に撮れました。
ナニワズは面白いことに、夏に落葉して赤い実をつけることが知られています。去年はまったく気づかなかったから、これは実をつけない個体かもしれません。雌花じゃないもしれないし、まだ小さいし。
町内に、もっと大きなナニワズを庭に植えているお宅があるのを発見したので、赤い実がなる様子は、そちらでチラッと見せてもらおうかな。
もし山の中で、真夏に赤い実をたくさんつけているのに葉っぱがない不思議な木があったら、それがナニワズだということも、頭の片隅に入れておきたいと思います。
エゾニュウやオオウバユリの芽
あちこちの地面から、いかにも美味しそうで山菜として食べれそうな芽がたくさん出ています。山菜のコシアブラやタラノメの形に似ているからそう感じるのだろうか。
でも、この芽はたぶん、エゾニュウじゃないかと思います。たったひと夏で、3mに迫る巨大な「木」のように成長するエゾニュウも、最初はこんな芽出しなのですね。
山菜として食べれるウドの芽にも似ていますが、ウドならもっと毛深い。オオハナウドにも似ていますが、それなら葉っぱが羽状に分かれていない。似てる植物が多いので確証はありませんが、たぶんエゾニュウ。
エゾニュウも食べようと思えば食べれるようですが、アイヌいわくシウキナ(苦い草)だし、若い茎きらいしか食べるところがないようなので、よほど食糧不足にならなければ手を出すことはなさそうです。
一方こちらは、アイヌの主食だったオオウバユリです。そばに昨年の花茎があったので、間違いなくオオウバユリの葉っぱでしょう。
アイヌは、春と秋にこのオオウバユリの根っこを掘り出して臼でつぶし、デンプンを採って、冬場の食糧として保存しました。
もしコロナウイルスのせいで、国連が警告しているように世界同時食糧不足が来たら、問題は夏場より冬場の食糧でしょうから、オオウバユリの食べ方を覚えたほうがいいのかも。
ほかに気になったのはこの葉っぱ。まるでミウラ折りのような緻密なシワシワが目を引きます。そして先が7つほどに分かれた掌状という、とても特徴的な形をしている。
これも調べてもよくわからなかったので、確証はないですが、わたしが知ってる中で候補として近そうなのはオニシモツケでしょうか。あの巨大すぎる葉っぱも、小さいころはこんなにかわいいのかもしれません。
森の中には、ほかにも不思議なものがいっぱい。あちらこちらに赤いビール瓶の王冠みたいなキノコが生えていました。
少し調べてみた感じでは、ベニチャワンタケの仲間、ということでいいのかな? キノコは種類も生態も複雑すぎて、今のわたしの手には負えません。
わからないと言えば、この芽はいったい何でしょうね。確かツリバナとかマユミがあった場所だったと思うんですが。
確かに半円の形をした葉痕はマユミとかツリバナっぽいですね。ツリバナだとしたらもっと尖ってると思ので、これはマユミでしょうか。もう春だから、芽が成長して丸みを帯びたのかな?
自然界は刻一刻と姿を変えるから、ただ写真で覚えればいいわけじゃなく、ずっと観察し続ける必要がありますね。
2020/04/23木
雪空にオオジシギ
道北は引き続き雪模様。一部の道路では除雪車まで出動したそうです。この地域では自動車はゴールデンウィーク明けまで夏タイヤに変えないのが無難ですね…。
雪がちらつく中、近くの公園を散歩していると、空からオオジシギの鳴き声が聞こえてきました。見上げるとはるか上空を飛び回り、ディスプレイフライトを繰り返しています。
18日の夜にはすでに鳴き声とダイブ音を聞いていましたが、昼間に姿を確認したのは今年初です。
何度もディスプレイフライトするのを動画撮影していると、近所の小学生に話しかけられたので、解説してあげました。3人の子のうち1人がかなり興味を持ってくれた上、かなり博識。将来有望です。
普段誰もいないことが多いのに、コロナのせいか子供たちがよく公園で遊んでいます。もっと話してあげたいけど、今の時期は気を使ってしまうな。
しばらく観察していると、ディスプレイフライトを繰り返して疲れたのか、スキー場の照明灯に降りてきました。
これは撮影チャンス! ということで、今季初、オオジシギの姿を写真に撮れました。(ディスプレイフライトも動画で撮ったけど、高空すぎて豆粒みたいなので載せないでおきます)
オオジシギというと、「ズビャーク、ズビャーク」という鳴き声だとよく書かれているのですが、ホトトギスのホーホケキョなどと違って、あまりしっくりきません。
わたしが聞く感じでは、「チュ、チュー、チュイー、チュ、チュチュイー、チュイーチュイーチュイー、バボボボボボボ(風切音)」という感じでしょうか。鳥の鳴き声って文字起こしが難しいですよね。
まだ一羽しか飛んでいませんが、これからどんどん増えてくることでしょう。夏の道北を彩る印象的な音のひとつです。
2020/04/24金
ニワトコやミズキの芽が出てきた
町内にあるニワトコの木の芽が、いつの間にか展開していました。冬の間、何度も膨らんだ芽を観察していたので、それがこんなふうに開けるなんて感慨深い。
冬芽のうろこ状の芽鱗が、一枚一枚ピスタチオの殻のように開いて、中から複雑に折りたたまれた葉っぱや花芽が出てきています。折り紙名人もびっくりな超絶技巧です。
ニワトコの花は白いですが、花芽は紅色なんですね。
ニワトコの芽や花芽は、少量なら山菜として食べてもよく、カリフラワーみたいで美味しいとききます。食べ過ぎるとお腹を壊すらしいので、折を見て一つか二つ程度味見してみたい。
公園内のエゾエンゴサクも、もうこんなに咲き誇っていました。
これは公園に咲いているものなので、目で見てパステルカラーを楽もうと思いますが、森の中でも咲き出したら、少し摘んできて天ぷらにでもしようかな。
ここのところ日常が忙しくて、週に一度山菜摘みができるかどうかなのですが、植物たちの成長は著しく、油断していると好機を逃してしまいそうです。
公園内では、ミズキと思われる木の新芽も芽吹いていました。一見、何の芽かわかりませんでしたが、残った冬芽の部分から、ミズキかな?と推測。帰ってからネットで調べてみたら多分当たり。
新芽の萌黄色と、冬芽の朱色のコントラストが美しいですね。止まっていた時間が動き出して、新たな命が芽生えていく力強さを感じます。
市内の林にアオサギのコロニー発見!
名寄市内を車で走っているとき、ふと空をアオサギが滑空しているのが見えました。
道路脇に停車して観察していると、近くの木のてっぺんに降り立ちました。
よく目を凝らしてみると、なんとすぐそばに、こんな町中の公園の林に、アオサギのコロニーがあるじゃないですか。
道北でもそこそこ車通りの多い名寄市の中心付近。お世辞にも環境が良いとはいえず、わたしなら絶対住みたくないような場所です。道路脇も、ゴミが投げ捨てられていたりして景観が悪いし。
でも、この前見つけたコロニーも、市街地の近くでしたから、意外とアオサギはにぎやかな場所を好むのかもしれません。車の騒音なんてまったく気にしていない様子。
撮った写真をよくよく見ると、巣の中にも、アオサギの顔が見えます。もしかすると抱卵しているメスでしょうか。今はアオサギの繁殖シーズンなので、そろそろヒナも生まれるのかな?
アオサギの巣はどこもかなり高い位置にあるので、ヒナの写真を撮るのは非常に難しそうですが、警戒されない程度にまた見に行ってみようと思いました。
(追記 : 名寄市のアオサギのコロニーは有名らしく、写真集も発売されているとのこと。もともともっと大きなコロニーがあったものの、オジロワシに攻撃されて今回見たもの含め2ヶ所に分散したらしい)
マガモの夫婦とアトリの群れ
その近くを散歩していると、小さな川をマガモの夫婦が泳いでいるのを見かけました。この時期のマガモは、夫婦で連れ立って睦まじくしていることが多いそうですね。
小さなカモ類は近づくとすぐ気配を察知して羽ばたいて逃げてしまいますが、マガモは比較的近くから撮れました。でもさらに接近すると飛び立って遠ざかってしまいましたけれど。
写真に映った青い羽の部分は次列風切羽の「翼鏡」と呼ばれる部分なのだそうです。カモ類はみんなおしゃれなアクセントカラーをつけています。
公園内で見かけた初めて見る鳥。頭は黒いけれど、胸のあたりがオレンジ色。いったい何者かと調べたらアトリでした。
アトリというと、ウソとかシメについて調べたとき、「スズメ目アトリ科」と書かれていて、名前だけは聞いたことがありました。これがそのアトリなんですね。
語源は「集まる鳥」だともされていますが、年によっては群れでたくさん飛来するらしい。昔は焼き鳥にされていたなんて話も。珍しい鳥ではないようなので、今まできっと見ていても認識していなかったんでしょうね。
写真に映っている頭の黒いアトリはオスで、夏羽に生え変わったところのようです。長い冬が終わって、これからは春そして夏なのだと実感させられます。
2020/04/25土
キバナノアマナが咲いていた
せっかく山を散策したいと思っていたのに、ずっと雨がしとしと降っていて、断念せざるを得ず。仕方なく、近所の道を走っていたら、ふと足元に見慣れない黄色い花を見つけました。
どうせ道端だしクロッカスかな、と思いましたが、じっくり見てみると違う。ユリ科だとはわかるけれど、たぶん見たことがない気がする。
そこそこ山奥なので、園芸種ではなさそう。ということはもしかすると、記憶の隅にあるあの在来種だろうか。
図鑑を見ていて、早春の北海道の花で、確か今まで見たことのない黄色い花があったのを思い出しました。いつか見てみたいと思っていたあの花の名前はなんだっけ? 確か「黄」で始まる名前だったような。
名前を思い出せないので、じっくり写真だけは撮りました。ピンぼけしないように注意深く。これで後でGoogle Lens先生が教えてくれるはず!
帰って調べてみたら、「キバナノアマナ」でした! そうだ、確かにこの花だった。ずっと見てみたいと思っていた花。雨の日だったけれど、思いがけず嬉しい出会いがあるものです。
キバナノアマナは、本州では珍しいようですが、北海道では身近な春を告げる花の一つらしい。公園とか田んぼの縁とかにも咲いているようですが、認識したことがなかったです。一度見れば、次からは咲いてたらすぐ気づけるはず。
キバナノアマナ(甘菜)という名前の通り、葉っぱやつぼみは食べることも可能。アイヌ民族も汁の実として食べていたらしいです。
わたしが見つけたキバナノアマナは少ししか生えてなくて、花も一輪だけだったので、食べるには忍びない。またたくさん見つけることがあったら摘んでこようかなと思います。
近くにあった、ハンノキの若木と思われる木では、冬芽が割れて、新芽がちょこっと見えていました。
大人のハンノキは、もうすでに盛大に花を咲かせて花粉を飛ばしまくっているので、意外な感じもしますが、そういえば葉っぱはまだ出てませんでしたね。
木々が葉を出し始めるのは、霜が降りにくくなってからなので、これからのシーズンです。
わたしの「白壁の緑の扉 」は消えてしまった
今が新月周辺だからか、たまたま月齢に今の周期が一致しているだけなのかはわかりませんが、これまでも経験している体調の底にいます。
それでももちろん、昔の慢性疲労症候群のときに比べたらずっとましなので、ここ数日の日記にあるように、自然観察などを楽しむことはできています。
過去の体調が、永久に牢獄にいる重病のようなものであるとすれば、今の体調は、ちょっと不安定で虚弱な普通の人くらいのレベルです。よほど自由でましなのだけど、しんどいのはしんどい。
この一年半の記録からすれば、満月の時期に向かうにつれ、必ず復調はしてくるリズムが確認されているので、特に心配はしていません。
でも、素直な気持ちを書くとすれば、この時期は後ろ向きになったり、気力が萎えたり、生きているのが嫌になったりするものなのです。
具体的に言うと、自分の殻に引きこもりたい、誰一人寄せつけたくない、過去の解離していたころの内的世界に戻りたい。そう感じます。いやもう、戻れるものなら、あのころの空想世界の住人に戻りたい。
だけど、なぜかできない。解離という能力は、20代後半から30代にかけて衰えていくという説を昔ブログで書いたことがありますが、あれは事実だったのでしょうか。少なくともわたしにおいては、願っていないにもかかわらず、そうなっている気がする。
もしわたしに前に二つの道が開かれていて、完全に内的世界にこもれる解離状態と、外的世界に出ていくマインドフルな状態、どちらかになれるから選べ、と言われたら、わたしは前者を選びたい。
だけど、内的世界に戻りたくても、不完全な解離しかできなくなってきて、それが著しい体調不良を生み出していました。
わたしのトラウマ医学の理解では、不完全な解離とはPTSDのことですが、PTSDの症状ほど辛いものはありません。完全に解離できて感覚が麻痺してしまえば楽ですが、部分的に解離しているだけだと、大いに苦しむことになってしまう。
完全に解離していた10代のころのような精神状態に戻れないのであれば、先に進むしかない。退路を絶たれてしまったので、内的な空想にこもるのをあきらめ、外的世界へ踏み出さざるを得なかった。
わたしの本心は、解離していたころが大好きだし、あのころの創作能力もすばらしいものでした。自分の内側の世界に永遠にこもれるのであれば、それは悪くなかった。でもなぜかそうできなくなってしまった。
確かに、自然観察していたり、サイクリングしたり、山や森を歩いたり、今の現実世界に地に足をつけた生活も楽しい。そうやっている最中は、マインドフルな精神状態になるので、人生をいとう気持ちは締め出されます。悩みがふっとんでしまう。
きっとわたしはこれからも、そうした生活を続けていくのでしょうし、地に足をつけて、今を生きていくことを選ぶのでしょう。
でも新月の時期である今だけは過去を振り返りたい。わたしの失った過去を悼ませてほしい。
わたしには巨大な空想世界があり、そこがわたしの唯一の居場所だったことを懐かしみたい。今でもそこに戻りたい、ずっとそこに住みたいと願っているのに、なぜか帰る方法が見つからないだけなのだ。
そうだ。わたしの「白壁の緑の扉 」はどこかへ消えてしまった。確かにそこにあったはずなのに、もはや扉をくぐって魔法の国に訪れることがかなわなくなってしまった。
それが大人になるということ、老いるということなのだろうか。わたしがあれほど長い時を過ごした国はどうなってしまったのだろう。雲のように崩れて、跡形もなく消えてしまうのだろうか。
わたしは、数年前の自分が一番選びたくなかった道を歩まざるを得なくなっている。心の中の楽園を追放され、知らなかった場所へ出ていくという道を。
現実を生きることが自然のことわりだと知りながらも、かたくなに拒んでいた。勇気を出して踏み出した現実の世界は、そう悪いところではなかった。驚きと不思議に満ちている。
だけど、わたしは決して忘れることができない。子供のころ過ごした夢の世界を。ずっと一緒にいてくれた人々、歩き回った城下町、胸ときめかせた思い出を。
いつかまたあの世界に、魂の故郷に戻れる日が来るのだろうか、もしそのような日があるとすれば、ウェルズの「白壁の緑の扉」の物語のとおり、わたしが人生の終わりにもう一度眠りにつく時ではないのか、と思ってしまうのです。
相変わらず、生きることへの執着はそんなになく、もしも明日命が終わると言われたら、特に未練もなく受け入れそうです。願わくばできるだけ苦しい思いをしなくてすむこと、すなわち解離が十分に働いてくれることだけが望みですね。
2020/04/26日
キズイセンが咲き始めた
連日の雨。この地方は一年の半分は雨模様なのでこんな時期もあります。でもそのおかげで、真冬には美しい雪景色を楽しめるのだから、悪くありません。
傘をさして公園を散歩していたら、なんでもない斜面にスイセンが咲いているのを見つけました。八重咲きのキズイセンでしょうか。中世ヨーロッパ貴族の服のような立派なフリル。
園芸種だと思いますが、丘の斜面にぽつんと生えていたので、誰かが植えたとも思えません。風で飛ばされてきたのか虫が運んできたのか。
スイセンは別名「雪中花」とも呼ばれるそうですが、さすがに北海道では真冬には咲いていません。道北では今も雪が残っていますが、雪の中で咲くより、雪解け後に咲くイメージ。
確か去年は、あちこちの庭先でラッパスイセンが咲いていたように記憶しています。どれも外来種ですが、今や北海道の春を彩る花のひとつです。
そういえば、スイセンは折り紙で再現するのが楽しい花です。昔折り紙にハマっていた時期がありますが、中心のラッパ状の部分を含めて一枚で折るテクニックに感心した覚えがあります。当時は実物の花なんてほとんど見たこともなかったけれど。
2020/04/27月
カタクリ、ニリンソウ、ヒメイチゲの季節
友人が自分の山にカタクリがたくさん咲いていると教えてくれたので、案内してもらいました。行ってみたら、本当に山でした。自分の山を持っているなんて羨ましい…。
山についてみると、ふもとからすでにカタクリが咲き乱れていました。カタクリの花をじかに見たのはこれが初めて。赤紫色の妖精の翼を広げたような可憐な姿に思わず見惚れました。
近年はカタクリの花は都市近郊には少なくなっていると言われますが、この山では大群落をなしていました。
カタクリの花は発芽から10年近く、早春にコツコツと養分を蓄えた末にようやく開花し、その後、数十年、毎年花を咲かせ続けるようです。ライフサイクルの長さが人間と似ています。
もしかしたら、ここに咲いているカタクリの中には、わたしよりも年上の花がたくさんあるのかもしれません。
付近には、そのほかにもエゾエンゴサクがちらほらと咲いていて、よく見ると、ニリンソウやヒメイチゲも咲き始めていました。一年ぶりに再会する懐かしい花ばかり。
人の手がほとんど入っていない山なので、もちろん野生動物もいます。シカのフンがところどころにあり、ヒグマも出る可能性がありますが、複数人で音も立てているので大丈夫でしょう。
折り紙のようなオオカメノキの葉、そしてエンレイソウも
獣道と思われる笹薮の薄い場所をたどって奥に進み、険しい斜面を木の幹や根をたよりに細い谷に降りていく。その斜面にはオオカメノキがたくさん。
冬のころに冬芽を何度も観察したオオカメノキですが、あの可愛らしい山吹色の冬芽は、こんなふうに展開していくのでした。
折り紙のツルのように、両側から巻いて閉じてあったんですね。これもまた折りたたみの美に感動します。
ときどき足を滑らせながらも、なんとか険しい斜面を降りていくと、雪解け水の沢が流れていました。長靴を履いてぬかるみを歩いていると、ギョウジャニンニクの群生地が。
あちらの斜面にもこちらの斜面にも、今まで見たことがないほど大量に生えていて、これこそ「キト・ウシ」だと感心しました。やっぱり人が入らない山奥にはまだまだあるものなんですね。
険しい山の斜面には、ぽつりぽつりと赤花のエンレイソウも咲いていました。今季初のエンレイソウです。山奥で咲いているくらいだから、道路脇などでも、もう咲いているでしょうね。
エンレイソウは、3弁の花びら、3枚のがく、3枚の葉という、トライアングル型の珍しい形をした花。特に写真のような赤茶色の花は、一見すると植物園で見かける珍しいランのような趣さえあります。
一度見たら忘れない形、花が終わって実の時期になっても見分けやすい、というシンプル・イズ・ベストを体現したような花で、とても気に入っています。
エンレイソウも発芽から10年以上後に花を咲かせる植物。カタクリしかり、ギョウジャニンニクしかり、成長サイクルの遅い植物が多い。
だから発芽してすぐ種を作れるインスタント植物みたいな外来種に席巻されてしまうんですね。わたしはスローライフを送る在来種のほうが幾星霜もの積み重ねが感じられて好きだけど。
少し開けた池のそばには、エゾノリュウキンカやミズバショウも満開。
去年もそうでしたがミズバショウの苞の巨大さには驚かされます。赤いミズバショウことザゼンソウも探してみましたが、見当たらなかったです。
友人が快く許可してくれたので、エゾエンゴサク、カタクリ、そしてギョウジャニンニクをいくらか山菜摘みさせてもらいました。
かなりの量が採れたので近所の友人にも分けてあげることに。今の時期、一緒に室内で交流したり食事したりはできませんが、山の恵みを分かち合うことはできますからね。
2020/04/28火
エゾイチゴの芽吹き、そして山菜料理
冬に頂上までスノーシューで登った近所の裏山を散歩。
まだ雪融け直後の様相で、クマイザサも生い茂っておらず、北欧の森を歩き回っているような雰囲気。見通しがよく安心です。
おそらくエゾイチゴと思われるラズベリーのトゲトゲした茎があちこちに生えていました。ベリー摘みできれば、それこそ北欧っぽいのだけど、実るころには密林と化していますからね。
エゾイチゴと思われる茎の新芽。注意深く撮影したつもりがピンぼけになってしまって残念。やっぱりスマホに接写レンズで撮るのは難しい。
帰り道は、渓流沿いに繁茂しまくっているエゾノリュウキンカとエゾエンゴサクをたくさん摘みました。
とりわけエゾノリュウキンカは、スーパーで売っている野菜と変わらない感覚で料理に使えるほど癖がなく、あっさりしていて美味しいので、毎日お世話になっています。
今日のはエゾノリュウキンカとエゾエンゴサクの油炒め。どんな料理でも合う。
「半分以上採ってはいけない」がネイティブ・アメリカンの教えですが、これらの山菜はかなりの量が自生しているから毎日食べても大丈夫。
都市近郊だとそうはいかないでしょうが、人口の少ない道北ならではの恵みです。採るのに気を使うギョウジャニンニクでさえ、群生地も見に行ってみても全然採られた形跡がないし。
ロビン・キマラーの本で、ガマの群生地に行くのはスーパーマーケットに行くようなものだ、と書いてありましたが本当にそう。買い物袋に今日の食材を採って帰ってきます。
本来、産業革命前の人間の採集生活ってこんなのだったんだろうな。人口が多すぎず、密集しすぎず、自然の恵みで十分に毎日の食事をまかなえる。
わたしは当時の人たちほどの知識がないから、簡単に調理できる種類だけしか手がまわりませんが、アイヌ民族ならオオウバユリをせっせと掘ってデンプンを作っていたんだろう。
これから食糧危機が来ると繰り返し国連が警告していますし、もっと野草の使い方を学んで、自然と共生するライフスタイルを身に着けておきたいです。
今後やりたいこと(山菜編)
・ニワトコの芽をひとつかふたつくらい味見する
・キバナノアマナの群落を発見できたら味見
・ボウナ(ヨブスマソウ)が出たら見分けて採取したい
・アイコ(イラクサ)の葉も見分けて採取したい
・ウド、タラノキ、ハリギリの芽を採る
・ニワトコが咲いたらエルダーフラワーシロップを作る
・マユミの芽が出たらマユミご飯を炊き込んでみる
ところでこんなブログを見つけました。道民の方じゃないので、違う部分もたくさんありますが。かなり参考になりそうかも。
でもどこの情報を見ても、植物やキノコの見分けは専門用語が多くて難しい。わたしは細部に注目するのが苦手な人だから、いったいどこまでやれるやら。
地図にない謎のエリア探索
自動車で地元の森林公園に向かっていたとき、子どもたちが狭い道路をツーリングしていたので、今まで走ったことのない迂回路へ入ってみました。
そしたら、カーナビに載っていない謎の道が延々と続いている。ちゃんと舗装されていてただの林道じゃないし、すぐ脇を澄み切った渓流が流れていて山菜だらけだし、何このすばらしい場所。
ところどころ植林されていたり、林道の入り口があったりするので、林業関係者は通っていそうですが、目立ったゴミも落ちておらず、とても気持ちいい場所。
帰ってから調べてみたら、国土地理院の地図にはちゃんと道が載っていました。標高400m超えの高地を通って山をぐるりと一周して抜ける謎の道があるっぽい。
これは今度ぜひ走ってみたいけど、圏外だし、クマが出そうだし、慎重に行ったほうが良さそうですね。うちの自治体にはこういった道が複数あるので今の時期に探検してみるのもいいかも。
夜にサイクリングしていたら、池のある方角から、カエルっぽい鳴き声が。もうエゾアカガエルが出てきてるんでしょうか。
頭上にはしきりにオオジシギの鳴き声とダイブする音がとどろきます。真っ暗な夜で、雨もぱらついているのに、ディスプレイフライトするってことは、よほど夜目が効くのか。
誰もいない自然の中の道とか、真夜中のサイクリングが本当に落ち着きます。遭難や事故に気をつけながら楽しみたいと思います。
コロナウイルスについてのメモPart3.3
■抑制しやすい国とそうでない国の格差
ほとんどニュースを見ていないので、ざっくりと書きます。日本の状況が思ったより悪くなっておらず、わたしの予想が外れたことを、とても嬉しく思っています。北海道では第二波で増えていますが、東京や大阪はピーク越えしたように見えますね。
世界全体からすれば悪いニュースばかりですが、日本国内に限れば、比較的抑制しやすい国々の側にいるようで、心配していたほど悪くはならなさそうです。
少なくとも日本や他の幾つかの国の場合には、三密を回避して、個人個人が自粛を頑張れば、思ったよりもダイレクトに成果が出るようです。いったん爆発的に増加しても、自粛や社会距離戦略を頑張れば数週間後には目に見えて減少する。
しかし、これはアジア・オセアニアあたりの国に当てはまるもので、アメリカやヨーロッパではもっと過酷。
いったん増加しかけても社会距離戦略で抑制できる国と、増加しはじめると手がつけられなくなってロックダウンしかなくなる国があり、何が違いを分けているのか、相変わらずよくわかりません。
これがどのように終息していくかは全然見通せなくなってきましたが、前から注目していたロシア発の常任理事国5カ国会議はそろそろ実現しそうですね。予想していた全世界同時ロックダウンは、国ごとの被害格差が大きいから、さすがになさそうか。
どの国であっても、延々と指数関数的に感染者と死者が増加するわけではなく、適切な対策を講じれば抑制できることは明らかになったので、人々が用心深くなれば被害は減少しそうです。
わたしが住んでいるような人口密度の低い場所は、たとえ一時的に感染者が増えたとしても、すぐ人々が警戒してライフスタイルを変えるので、ひどい状況にはならないでしょう。
問題は非衛生的な人口密集地や貧困街など、対策しようにもできない場所。日本はそうした場所が少ないですが災害時の避難施設が危険かも。今後もしばらくは爆発的な感染があちこちで起こる予感がします。
さらに世界的に見れば、国連が警告しているように、大規模な食糧不足や暴力の増加、そして気候変動の災害が追い打ちをかけてくるでしょうから気が重いです。やはり次の大きな動きがあるとしたら7月くらいかな…。
2020/04/29木
コブシの花はまだ咲かず
先日、冬芽の托葉(芽鱗?)がとれてきて、キタコブシの花がそろそろ明日明後日にも咲きそうだと書きましたが、咲きませんでした(笑)。あれからまた寒くなったこともありますが、自然の動きというのは読みにくいですね。
いつの間にか花が咲いてシーズンがあっという間に過ぎてしまうこともあれば、今か今かと見守っていても、全然咲かないこともある。さすがに次に暖かい日が来たら開花しそうに見えますが…また予測が外れるかな(笑)
けれどもコブシの花が咲いてしまったら、一気に怒涛のごとく花のシーズンが押し寄せてきて、サクラやハシドイ、他の山野草が次々と咲きだして自然観察がものすごく忙しくなりそう。嵐の前の静けさです…。
2020/04/30木
4月のまとめ
■世間は自粛だが自然観察は忙しい
予想どおり世の中は大混乱に陥ったこの4月。わたしはニュースへの関心がなくなったので、正確な現状を把握していません。しばらく目立った進展はなさそうだし。わたしが住んでいる近辺はまだ感染者は出ていません。
世の中は自粛ムードですが、わたしは毎日忙しいです。次から次に花や山菜のシーズンがやってくるので、毎日のように森や川に出かけて探検しないといけません。この辺は外出しても人に会わないので三密は関係ありません。
プランターで咲かせる花と違って、山野草の観察は、自分で探さないと見つからない。しかも期を逃すと来年まで見られないので、時間やタイミングとの勝負です。
すでに去年見れなかったキバナノアマナやカタクリを見れました。今まで知りもしなかった鳥も幾つか認識できた。今年はまだまだ探したい季節の動植物がいっぱい。家でじっとしてる場合じゃありません。
それ以外にも、オンライン会議とか、(食糧危機に備える?)菜園づくりとか、次から次に予定が入ってきて、今までで一番忙しいかも。絵などの創作活動の新作はまた少し先延ばしになりそう。
■体調について
相変わらず良くなったの悪くなったりの変動があり、概月リズムと同期しているのではないかと思われる体調。
ずっと悪いままではないので、体調にリズム変動があることは全然構わないですが、新月のころは気が重いですね。今は上り調子。
手首の怪我のほうは、かなりよくなってきました。治り初めてから気づいたんですが、どうも手首の2ヶ所を負傷していたようです。舟状骨あたりと、三角骨あたり。
偽関節とかになったらどうしようと思っていましたが、手に体重をかけても、50%くらいなら耐えられるようになりました。山の斜面や川床を歩くとき、手に体重をかけられないと不便なので、回復してきてよかったです。
慣れないスキーで転んだせいとはいえ、もっと慎重にならねばなりません。骨折は怖い。やっと50%くらいなので、やっぱり全快までは半年近くかかるかなという感じです。
続きは以下のリンクから。
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