2021年1月の道北暮らし自然観察日記

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もくじ

2021/01/01火

青空を映す雪原

新年早々、スノーシューで森に出かけて歩いてきました。1月1日だからといって、他の日と何の変わりもないし、同じ時間が続くだけです。特別な日なんてありはしない。別の今年の抱負も特にない。

方角によっては雲もありますが、この冬一番の青空が広がっていました。道北は12月まではよく雪が降りますが、1月や2月になると、真っ青に晴れて放射冷却で冷え込む日が多いです。

ちなみに、今年の積雪量を過去の記録と比べてみたところ、異常に少なかった去年の1.8倍くらいですが、平年の0.75倍くらいで推移していて少ないほうです。日本列島各地では異常な積雪に四苦八苦しているそうですが、やはり道北はほぼ外国なので相関性が低いですね。

真っ白な雪原に、澄み切ったスカイブルーの空が映り込むと、まるで湖のような青に染まります。空がとても高い。

頭上のトドマツの枝を見上げるとアカウロコタケかアカコウヤクタケのようなものがついていました。

まだたくさん残っているクロミサンザシの実。

トドマツの枝についていた謎の黄色いスポンジのようなもの。虫の卵? 

シラカバなのかダケカンバなのか…

わかっているようでわからないシラカバを観察。シラカバなんて樹皮を見れば一目瞭然なので、わざわざ冬芽を見て判別するまでもないと思っていたのですが…。

まず過去にも何度も書いているように、若木の場合は樹皮が白い皮をまとっていないので、サクラやハンノキとの区別が付きづらい。アイヌ語でカンバ(カリンパ)はサクラの樹皮のことですしね。

そんな時は冬芽を見るしかない。ヤマザクラは冬芽が鳥の足みたいに三つ又で出ていることが多い(頂性側芽)のに対し、シラカバはひとつずつ交互についているだけなので、枝ぶりを見ればだいたいわかります。冬芽ひとつひとつの形に注目してみると…

ヤマザクラのようなタケノコみたいな芽鱗がないことから、シラカバだと区別できます。あと、先日気づいたように、若い枝には白いつぶつぶが多いことも、この木はシラカバやダケカンバかもしれない、と当たりをつける重要な要素になると思う。

まだ白い皮のない若木でも、かなり成長したものであれば、普通にシラカバの実がなっていることもあるので、それを発見できれば間違いない。

一方、大人の木であれば、白い樹皮でシラカバだとすぐわかるのかというと、そうでもない。森の中で、頻繁に見かける、こんな樹皮の木があります。白い皮が剥けて、赤い部分が見えています。

(追記 : 最初は白い皮が剥けて、赤みを帯びた内部の幹が見えているのかと思っていましたが、別の機会によく観察したところ、赤い部分も含めて地衣類に覆われているようです)

地衣類にびっしり覆われていると、ただの赤みを帯びた樹皮の木になってしまい、樹皮だけでカンバ類だと判断するのがとても難しくなります。

ここまで来ると、マツの仲間かと勘違いするくらい、何の樹皮か謎。

しかし、頭上を見上げてみると、上のほうの幹は、白っぽい皮が剥がれていることが多く、シラカバらしさが残っているのがわかります。

こうした木は公園では見かけることがなく、そこそこ深い森の中に非常に多いので、当初はシラカバではなく、樹皮が赤みを帯びるダケカンバじゃないかと思っていました。でも、シラカバとダケカンバのどちらで画像検索しても、このような樹皮は見つかりません。

それで念のため、もう少し詳しく観察してみることにしました。はるか高くにある枝を20倍望遠レンズで撮ってみると、逆光でシルエットのみですが、実がついているのがわかります。

一見すると、丸みを帯びたカラマツやハンノキの実のような形にも見えます。しかしおそらく、さっき載せたシラカバの実のように、もともと細長い実だったのが、風で崩れて種が飛ぶうちに短くなって、丸みを帯びているよう見えるだけでしょう。

気になるのは、この写真の実は下向きに垂れ下がっているという点です。シラカバの実は垂れ下がるのに対し、ダケカンバの実は上向きにつくという特徴があります。ということはこれはシラカバなのでしょうか。それとも冬になるとダケカンバでも垂れ下がるのか?

ダケカンバを学名で画像検索してみたところ、冬ごろには実が垂れ下がるらしいことがわかりました。冬に実のつき方で、シラカバかダケカンバかを判別するのは難しそうです。

最初の想定どおり、樹皮の赤みからしてダケカンバなのかも、ということくらいしか言えませんね。これほどよく見る身近な木なのに、いまだに自信をもって名前を言えないことがもどかしいです。

(追記 : 別の機会に、明らかに樹皮からダケカンバだとわかる木の実を観察したところ、確かに垂れ下がらずに斜め上を向くものが多いことがわかりました。上の写真の木はダケカンバではなく、地衣類に覆われたシラカバかウダイカンバだったのではと思います)

【気になったニュース】

ゼンマイ形のアンモナイト、北海道で発見 9000万年前、新種化石―深田地質研:時事ドットコム

中川町で異常巻きアンモナイトの新種が発見されたとニュースになっていました。あそこの深い森を散歩しながら化石を発掘なんてできたらロマンですね。もろにヒグマの棲息圏内の秘境だと思いますが。

2021/01/02土

「海辺」読書メモ(8)

今日は連日の疲れが出ていたので、公園をぐるりと歩くだけでした。すばらしい景色と爽やかな涼気を満喫できましたが、特に写真はありません。

「海辺」の読書メモは、今回から第四章 サンゴ礁。事実上の最後の章に入ります。

■「実体においても、目的においても、海岸は単に、陸と海とが不安定な平衡状態にあるだけではない。いまも、実際に変化が進行しつつあり、その変化は生物の生命現象の過程でもたらされたものであることを雄弁に物語っているのである」。(p257)

フロリダのサンゴ礁では、「白い水」が生じる。死んだサンゴや巻き貝やゴカイの棲管のような石灰質や、石灰岩から浸出した炭酸カルシウムが沈殿したものだという。(p261-262)

直前に読んだ「植物が現れ、気候を変えた」でも学んだことだが、海岸にしても砂浜の砂の一粒にしても、もともとそこにあったわけではなく、地球と生物の果てしない年月の活動によって創り出されたもので、今も毎日入れ替わっていることを思うと圧倒される。

でも自分の体の細胞だってそうで、毎日同じに見えるけれど、毎日創り出されて入れ替わっているのだ。人体は限られた月日だけ現れて消えていくが、永遠に思える海岸もいつか朽ちて消えていき、別の場所に新しい海岸が生まれることになる。

■サンゴの生態。サンゴはポリプという「信じられないほど簡単な外見をした小さな生物」からなっている。

イソギンチャクと同じような形で同じ刺胞動物だが、貝の殻と同様に石灰質を分泌して、体のまわりにカップを作ることができ、集団で住居を作り、サンゴが形成される。

人の背丈ほどもあるサンゴを形成する一つ一つの個虫は、たった3ミリくらいの長さしかないという。(p265-266)

■サンゴの共生関係。

サンゴの石灰質は普通は白いが、共生する植物の藻類に合わせて色を変える。サンゴは動物なので、動物と植物の共生であり、それぞれ酸素と二酸化炭素を利用しあえる。藻類の色素は、サンゴの繁殖過程にも影響を及ぼしているらしい。

ノウサンゴ(脳のような形のサンゴ)と共生するサンゴヤドリガニは、すっかり成長するとサンゴの中に閉じ込められてしまうらしい。

メスがサンゴに空洞を作り、そこを訪ねたオスと一緒に閉じ込められる、とのことで、カイロウドウケツを思い出す話だ。画像検索してみたら、とてもメルヘンな色合いの世界だった。(p267)

■ヤギの仲間のウミウチワ(調べると海藻のサイトばかり出てくるが、ヤギ目なので刺胞動物だ)の上で生活するカフスボタンガイ。別名を「フラミンゴの舌」というらしい。

ほんの一瞬だけ記述に登場する貝なので、読み飛ばしそうになったが、面白い名前なので調べてみたら、世にも美しい模様で驚いてしまった。次のページに挿絵もあった。(p268)

■ゴカイの仲間イソメの産卵。調べてみると、色のついたミミズだ。一年に一回だけ、決まった下弦(まれに上弦のこともある)の月の夜に産卵する。それまでずっと月光を徹底的に避けて生活しているが、その時だけは光の下に現れる。

産卵の時期が近づくと、後ろから3番目の体節の色が変化し(オスはピンク、メスは緑)、膨れ上がってくるが、産卵の月夜には、なんとそこから体が2つにちぎれてしまう。片方は暗闇に戻り、片方は海面に向かって泳ぎだし、何千もの群れをつくり、繁殖活動が行われるという。(このとき発光するヒカリゴカイというものもいる)

なんだろう、自分の内側に別の自分が誕生し、ついには2つの自己に分裂して独立するというホラーとも神秘ともいえるようなことをやってのける生き物がいるのだと思うと、常識なんてものにとらわれてきた自分の考えの狭さを実感する。(p270-272)

■久しぶりに名前が出てきたヒザラガイ。8枚の板を背負った小判のような形の太古の貝。ダンゴムシっぽくもある。他の貝と同じように岩を削って細かい藻類を食べ、太古の昔から「細々としたかすかな方法で、地質学的な変化まで起こしている」。(p275-276)

■イソアワモチ。小さな軟体動物で、巻き貝なのに殻を持っておらず、ウミウシの仲間。干潮のときに藻類を食べに出かける。行きは不規則な道を通るが、帰りはまっすぐ自分の家に帰ることができる。しかも家が浸水する30分ほど前に帰り始める。「いったい何がそうさせるのだろう?」

上空を光や影が通り過ぎるとすぐさま反応し、酸性の液を体長の12倍の高さの10-15cmまで散布することができる。(p277-278)

サンゴ礁の章に入って、突然出てくる生き物がカラフルになりました。いよいよ自分の知らない世界の出来事なので、ファンタジーやメルヘンと紙一重な雰囲気ですが、純粋に新しい世界を知れるのは嬉しい。いつか実物を見てみたいものですね。残り50ページ。

2021/01/03日

未踏破地区の森に挑戦

時間があったので、クマゲラの森よりさらに奥、今まで入ったことのない未踏破地区を探検してきました。昔は人が入っていた場所ですが、現在は道もなくなり、夏は背の高い草で覆われ、ヒグマの生息域なので、雪深い冬しか入ることができません。

しかも、クマゲラ地帯の奥というのは、かなり深い森なので、行って帰ってくるだけで2時間強かかってしまいました…。マイナス10℃の雪の森をひたすらスノーシューで歩き続けて、楽しかったけれど、本当に疲れた…。

午後からちょっと時間ができたので、13:30ごろ出発。日没まで、そこそこ余裕があったし、天候も粉雪がわずかにちらついているだけだったので、今日こそは探検してみようと決意を強めました。

森に着いてみると、案の定、一昨日にわたしが歩いた足跡以外に、誰かか歩いた形跡はありません。動物を除いて。かなり奥まで行く心づもりだったので、入り口付近では不要な寄り道はせず、体力を温存して奥へ進むことにしました。

今日は森の中ほど辺りで、すでに鳥の鳴き声が多く、ムクドリ?の群れのようなものも頭上を通り過ぎていきました。コゲラとおぼしき木をつつく音なども聞こえましたが、目的地はもっと奥なので立ち止まりません。

途中、上り坂に差し掛かったあたりで、息が切れて頭がクラクラし始めました。夏に山登りをしているとよく襲われる症状です。おそらく持病の体位性頻脈(POTS)の症状かと思います。なぜ真冬に起こったのかは不明。心拍を落ち着けるため、一歩歩いては息を整えるようにして、ゆっくり進みました。

かなりしんどかったので、引き返したほうがいいだろうか、とも迷いましたが、ゆっくり上り坂を進んで、緩やかな場所に出ると、次第に体調は回復しました。平たい場所でもかなり雪は深く、一歩一歩がきつく感じられましたが、体のリズムが整い、しんどさはなくなりました。

遠くからキツツキの採餌音のような音が聞こえ、もしかしたらクマゲラがいるのではないかと期待を強めました。倒木に道を塞がれている場所では、シカの足跡に導かれて、すり抜けることができました。動物のほうが道をよく知っています。

いよいよ今まで入ったことのない未踏破地域に到達。かつては道があったと思われる場所で、夏は背の高い植物に覆われていますが、この季節なら入ることができます。ときどき地面からオニグルミ、タラノキ、ノリウツギなどの幼木が突き出ていますが、歩くには問題ありません。

雪のない季節にこの先に足を踏み入れたことのある人を知っていますが、この奥は野生動物の足跡だらけで、獣臭が半端なかったのですぐ引き返した、とのことでした。

本当に足を踏み入れて大丈夫だろうか。立ち止まってしばし考えます。体力はまだある。道なりに歩けば、冬眠中のクマのねぐらを踏んでしまうようなことはない。もし変な足跡や匂いがしたら、すぐ引き返そう、時間も15時をめどに日暮れまでに帰ろう。

未踏破地域を歩き始めて、すぐに気づいたのは、見通しのよい木立ちのあちこちに、立派なツル性樹木が絡みついているということでした。普段歩いている森でも時々見かけますが、ここには比較にならないほど多く繁茂しています。

高い位置にあるのが多かったので、厳密な種類は確認できていませんが、地上につながっているツルの色からして、ヤマブドウ、サルナシ、マタタビの類の混生でしょう。あまりに多かったので、このあたりがヒグマの食料庫になっているとしても不思議ではない、と感じました。

どれも非常に野性味あふれる荒々しい風景。ほかにも大量にあったので、その都度感動して写真を撮っていましたが、きりがありません。

下の写真は非常に背の高い木で、スマホのパノラマモードで上から下まで撮りました。支えになっている一本の巨木とは別に、ツル性樹木の太い消防ホースのような幹が3本、地面に伸びているのがわかります。

いったいこれらのツルは、どうやって、巨木のてっぺんに絡みついたのでしょう? この巨木と、ツル性樹木の芽生えた時期がほぼ同じくらいで、共に成長を続けて、いつのまにかこんなに地上高くにそびえてしまったのでしょうか。

地面付近で観察できるツル性樹木の幹も撮ってみました。ごちゃごちゃしてわかりにくいですが、中央に映っているシラカバの幹のほかに、何本もの太いツルが見えます。樹木の年齢には詳しくないですが、サルナシやヤマブドウがこの太さになるには何十年もかかるのではないだろうか、と思いました。

エゾシカの角研ぎ痕だろうか?

周囲の奇怪な景色を見ながら、耳を注意深く澄まして、恐る恐る歩きます。もしも変な唸り声でも聞こえたら、すぐ引き返すつもりです。

すると次に目に入ったのは、奇妙な傷跡のついたシラカバ。こんな樹皮のえぐれ方は見たことがありません。

もしかするとヒグマの爪痕だったりする? 去年、トドマツの樹皮についたヒグマの爪痕は見たことがありますが、雰囲気は全然違います。縄張りを誇示するために木に体をこすりつけた時についた、引っかき傷のような爪痕でした。

今日見た傷跡は全く別物です。かなり高い位置までついているので、もしヒグマだとしたらこの木に登ったということになるでしょう。

この傷跡は、ハの字についているようにも見えます。ヒグマが裏側から抱きついて登ればこんな痕になる?そんなふうには見えません。なら、ほかにこんな傷跡がつく理由が何かあるでしょうか。

近くまで寄って接写。爪痕というには本数が足りません。去年撮ったヒグマの引っかき傷も、見返してみると爪痕は2本から4本ランダムですが、こんな樹皮のえぐれ方はしていません。去年のはトドマツでしたが、これはシラカバだからなのか、それとも…。

…と、悩んで調べているうちに、どうやら答えらしきものが見つかりました。おそらく、エゾシカの角研ぎ痕ではないでしょうか。

シカが角を研ぐなんて習性を持っていることは、まったく知りませんでしたが、画像検索してみると、かなり似通った痕跡の写真が見つかります。

そして、こんなに高い位置に傷跡がある理由も、2つほど考えました。まずシカが角研ぎをしてから何年か経過して、シラカバが成長して背が伸びた可能性。次に雪がかなり積もっている冬に角研ぎした可能性。しかしシカが角研ぎするのは繁殖期の秋なので、前者の可能性のほうが高そうです。

雪のない時期にここに入った人も、シカのフンが大量にあったと言っていたので、エゾシカだったら納得です。ヒグマもこの付近でフンを見るので、探せばヒグマの爪研ぎ痕もあるでしょうけれど。

しばらく歩いたところで、目印になりそうな大木の切り株を見つけました。倒木はなかったので、昔、人が入っていたときに切り倒したか撤去した木の名残りなのかもしれません。

この切り株が岐路になっていて、右に行くとさらに峰を登り、左に行くと下るように見えました。

とりあえず右側を進んで、雪道を登っていくと、頭上が非常に騒がしくなってきて、さまざまな鳥たちが群れをなしているのがわかりました。特にシマエナガが多いらしく、ジュルジュルと独特の声がかまびすしいほどでした。

これだけいるなら、写真も撮れるかと思ってスマホに望遠レンズを取り付けて構えましたが、遠すぎ、高すぎ、さらには逆光でうまく映らず、そのうちに群れは奥へ奥へと飛び去っていきました。

そして、ついに時間が15時になってしまったので、これ以上の探検はあきらめて引き返すことにしました。周囲には立派な樹木の混交林が広がっていて、観察するのは非常に楽しそうでしたが、どこか野生動物の気配が息づく不気味さもありました。あまり人間が長居する場所ではなさそうです。

帰りに、さっきの分岐路から下に降りるルートのほうも、少しだけ調査しましたが、倒木と積雪で塞がれていて、巨大な黒いヤドリギが垂れ下がっていました。スノーシューなので無理やり進めないこともないですが、来た道を引き返すべきだと思い、きびすを返しました。

ミズキの若木と3本目のツリバナ

道中では、興味深い樹木も色々見かけましたが、ゆっくり観察する体力的・精神的余裕はありませんでした。初めての場所で落ち着いてリラックスできるほど豪胆ではありません。

それでも、少しは樹木の観察もできました。まず、明らかにミズキだとわかる冬芽の若木。去年あちこちで観察したミズキの大きな赤い冬芽そのもので、間違えようがありません。

しかし、この樹木が気になったのは若木だったことです。先月から森の中で何度か見かけて、おそらくミズキではないか、と書いていた赤い冬芽の木がありましたが、ミズキらしくない小さな冬芽でした。

そのときは若木だから冬芽も小さいのか、と思っていましたが、今日見たミズキの若木はね別に冬芽が小さいなんてことはなく、普通に大きな冬芽でした。

幹の写真も撮ってきましたが、図鑑で調べたらミズキの若木の幹と完全に一致していました。他と間違えやすいようなよくある平滑な幹ではなく、妙に皮目が目立つシワシワの幹なので、この若木がミズキであるというのは間違いないでしょう。

ということは、先月何度か森の中で見かけていた、小さい赤い冬芽の樹木は別の木ということになのります。よくよく考えてみると、あの木は、若木でも成木でも冬芽のサイズはミズキの半分くらいしかありませんでした。

今のところあの冬芽に一番近いと感じるのはアズキナシでなので、過去の日記もそう修正しておきました。まだ間違っている可能性はありますが、おいおい分かるでしょう。

もう一つ発見したのはツリバナの木。近所で見つけた3本目のツリバナです。徒歩で1時間くらい雪の森を歩いているので、近所といっていいのか微妙なところですが。

樹木の写真も撮りましたが、人の背の高さくらいの低木で、背景と同化してしまっていたので実の写真だけ載せておきます。

行きは恐る恐る歩いて遠く感じられた道のりも、帰りは一度歩いた足跡をたどるだけだからか、そんなに遠くなく感じました。実際、衛星写真で今日歩いた範囲を見てみると、箱庭のような小さい範囲をウロウロしていただけです。

この森は、都市近郊の隔離された飛び地の森ではなく、さらに広大な密林と地続きになっている森なので、ヒグマやエゾシカが徘徊しているのも不思議ではありません。それでも、密林全体からすると端も端で、本物の秘境ではありません。わたしの足ではそんな奥まで行けません。

帰りは近く感じるとはいっても、雪の森を30分は歩かないと、出口にたどり着きませんでした。人間がいかにちっぽけか感じます。アップダウンを繰り返したので、少々持病の坐骨神経痛が現れ始めています。

やっと森から出るころには、日没の16時が近づいて、森の中は薄暗くなっていました。帰り道の時間や体力もしっかり計算できていて、余力を残しながらも、無理のない範囲でリソースをやりくりできました。計画どおり、慎重に探検できてよかった。

かなり疲れる道のりなので、そうそう頻繁には探検できませんが、冬のうちに、ヒグマが冬眠していて見通しもい1月と2月のあいだに、あと2,3回は、あの近辺を歩いてみたいな、と思いました。

2021/01/04月

「海辺」読書メモ(9)

■ヴァロニア。「シーボトル」(海の酒瓶)とも呼ばれる藻類。「とくに美しい藻類で、緑色のガラス球のような塊が束になっている」とある。日本語ではバロニアと検索すると画像が見れるが、これが植物なのかと驚くほど丸い宝玉のようだ。中の液は太陽光など外界の環境に合わせて組成が変わるという。

■ムカデガイ科ホソヘビガイの巻き貝。調べても日本語では画像が出ないが、おそらく近縁のオオヘビガイというのが日本近海にいるようだった。棲管をもつゴカイのような殻を作るが巻き貝。異常巻きアンモナイトに近いのかも。

異常巻きアンモナイトが環境への適応であるように、ホソヘビガイは「かれらの環境状態や、空いている生態学的地位にいかにすばやく適応するか」を物語っている。

通常の巻き貝は動き回ることでエサを探すが、ホソヘビガイが生きている潮間帯は潮が満ちるたびにエサが運ばれてくるので、一箇所でじっとしている生活のほうが効率がいい。ということで集団で絡み合って一緒に住む生活様式を身に着けたらしい。

「おそらくここまでユニークな適応をしたのは、軟体動物の巻貝の中でもこれだけだろう」とあるが、たぶん異常巻きアンモナイトも同じかも? 当時はニッポニテスは世界に知られていなかったのかもしれない。

フジツボ、スナホリガニ、ホソヘビガイなどは環境に合わせて独特の機能を身につけることによって適応するチャンスをつかんだ例だと・カーソンは書いている。人間の手が色々な用途に使えるように、動物の器官も、かなり融通が利くつくりなのだと感じさせる。(p280-282)

■カーソンが「ウニの楽園」を見つけた時の美しい詩的な描写。やはり経験談が書かれているときの描写力は非常にすばらしい。(p282)

■海のキノコのようなスナギンチャク。調べてみたら、目が覚めるような色合いだった。潮が満ちてくると初めて触手冠を出して動物であることが明らかになる。(p284)

■ロガーヘッドカイメン(loggerhead sponge)は海の中の黒い臼のような形をしている。海流が循環していて、時に数千もの生き物が住み着いている。鉄砲のような音でハサミを鳴らして水を噴射するテッポウエビは、広い海の中でロガーヘッドカイメンを見つけて住み着く。(288-289)

■アメフラシとの出会いのエピソード。「私の中のアメフラシは、神話に登場する最初の小さな妖精の一族のようだった」。英語では「シー・ヘア」(海の野うさぎ)と呼ばれているらしい。古代の書物では迷信的な伝承がたくさん書かれている生き物で人々から恐れられてきた。

日本のエピソードも出てくる。アメフラシは時に20mにもなる細長い卵を産むが、日本では「海そうめん」と呼ばれているのだという。画像検索してみたら、ラーメンの替え玉にしか見えない。(p290-293)

■ガンガゼ。鋭いトゲをもつウニの仲間。名前の由来は不明。このトゲは空洞になっていて、スズメバチに刺されるときのように毒液が注入されるという。

光を感じるセンサーが体中にあり、「周囲のものを感じとる能力が異常なほど鋭」く、手を近づけるだけですべてのトゲを向けてくる。(p204)

一方、フトザオウニ(Stereocidaris)は太くて短い針を持ち、感覚はとても鈍い。古生代から生きてきた棘皮動物の唯一の科に属している。画像を調べてみると、いかにもウニといった外見からは程遠く、たくさん突起の飛び出たタコノマクラのように見える。(p205)

■クモヒトデ。腕の中に脊椎(のようなもの)がつながって入っているので、バレリーナのような波打つ動きができる。

テヅルモヅルはクモヒトデの仲間で、レイチェル・カーソンはオキノテヅルモヅルを初めて見かけたときのことを記述している。それには「はかない美しさ」があり、採集することは神聖さを冒涜するかに思われたので、手を出さず眺めていたのだという。

オキノテヅルモヅルはその奇妙な姿から、怪物ゴルゴン(メデューサ)の名を与えられた属名(ゴルゴノセファリダエ)で呼ばれているという。海底で隣にいる個体と絡み合って網を作って小魚を取る習性らしく、日本語のクモヒトデから連想される蜘蛛の巣のようでもある。(p298-299)

植物好きとしては、オキノテヅルモヅルの姿は、カラスウリの花に非常によく似ていて、陸と海に、種を超えて似たような「花」が咲いていることに驚かされる。ヤギやウミシダが陸上の植物と似ていることも思い出される。かれらは植物に似ているが、海の動物なのだ。

今回はp300まで。いよいよ「海辺」も終盤まで読み進めることができた。次回の(10)で読み終われそうだ。とても大変な本だが、未知なる世界を旅し、案内してもらっているような感じなので、終わるとなると名残惜しい。しかしレイチェル・・カーソンの海の本は他にも2冊あるので、「海辺」が終わっても、しばらく退屈することはない。

2021/01/05火

スノーチューブで遊んだ

予定がいろいろあって、忙しくて森に探検に行けないので、近所の丘に出かけて、スノーチューブで滑って遊んできました。

2年前、ここに引っ越してきてすぐ、その冬にスノーチューブを買いました。昔、WiiのGO VACATIONというゲームでスノーチューブというものを知り、とても楽しそうで憧れていたからです。スキーやスノーボードより、よほど簡単そうでした。

その冬にも何度か遊びましたが、滑りながらぐるぐる回転するので、ただのそりよりスリルがあります。スキーのような自分の技能でコントロールできないぶん、遊園地の絶叫マシンのような怖さです。わたしは絶叫マシンは苦手ですが、スノーチューブくらいなら楽しめます。

滑り降りたあと、また坂を自力で登るのが苦行ですが、家の近所にちょうどいい傾斜の丘を見つけたので、気軽に楽しめるようになりました。

思わぬ落とし穴だったのは、家でスノーチューブに空気を入れてはいけない、ということでした。家の中で頑張ってパンパンにしたのに、丘に持って行ってみたらヨレヨレになっていました。

どこかに穴が開いていて空気が抜けてしまったのか、と焦りましたが、そうではありませんでした。家の中の気温は20℃、外はマイナス10℃で、30℃も差があるので、空気が収縮して体積が小さくなってしまったのです。

屋外で空気をパンパンに入れて、風除室や外の物置のような、暖かくならない場所で保管しておかないと、良い具合の空気を維持することができません。たぶん、スキー場などで貸し出される場合は、外で機械を使って一気に空気を入れているのかも。

丘で滑る場合、スキー場と違って整地されていないので、はじめは表面のフワフワした雪に埋もれてしまって、うまく滑れません。でも一度下までズルズルと滑って、フワフワの雪をラッセルすれば、そこに整地されたコースができます。

どこにでもあるような丘なのに、体感ではかなりのスピードが出て、遊園地のコースターのように、重力で内臓がふわっとなる感覚があります。

スキーは滑れないし、コロナ禍で怪我が怖くて練習もできない今、安心して楽しめるのがスノーチューブのいいところです。滑った先に溝とか林とかがないかどうかは要注意ですけれど。

その近くでたくさんドライフラワーになっていたキク科の花。オオハンゴンソウか、ハルジオン、ヒメジョオンのいずれかでしょうね。去年も見ましたし、どこにでもある外来種ですが、フィボナッチ数列を思い起こさせる精緻な螺旋構造はいつ見ても美しいです。

2021/01/06水

今日の冬芽。イチョウ、バイカウツギ、マユミ、チョウセンレンギョウ、プラタナス

今日も時間がなくて森に行けないので、近くの公園を散歩しただけ。地面は極上の圧雪で空は好天なのに、存分に楽しめず、とてももったいない。

イチョウの冬芽と幹。

幹は大きな網目っぽい凹凸。樹形はシラカバとかドロヤナギを思わせる、まっすぐな立ち姿。こんな公園に普通にある木が、恐竜時代以前から栄えていた種族の末裔であり、唯一生き残った種だと思うと、なんとも言えない複雑な気持ちになれる。

バイカウツギの冬芽と実。冬芽は葉痕に埋もれてしまっている。

乾燥して爆ぜた実。周囲の4枚の萼片が取れているものも。

なんだろう? 去年も観察したと思うのだけど、記憶にない。ミヤマイボタだろうか? だとしたら日記にも書いていないので、観察すらしていなくて見逃していた可能性が高い。マユミの冬芽にも似て見えるけれど、この場所でマユミを見た記憶はないから違う…と思う。(追記 : 普通マユミでした)

チョウセンレンギョウ?の冬芽。一応、対生の冬芽なのだが、2個セットの左右対称の冬芽というより、ごちゃごちゃとたくさん集まってついている。貝がひしめきあっているようなごちゃごちゃ感はスモモの冬芽も思い出させる。

モミジバスズカケノキ(プラタナス)の実と冬芽。ゴマ団子のようですね。

下の写真の上のほうの実は変形している? 虫こぶ化しているのだろうか。

冬芽はアーモンドみたいな芽を輪のような葉痕が囲んでいる。葉痕の形はウリノキと似ているかも。

去年も見たものばかりで、特に目新しい発見があるわけではないですが、毎年同じことを繰り返しているとしても楽しい。

もし自分の森や山を持っていて、そこに毎日通う生活ができれば、わたしはたとえ1000年だって、退屈せずに生きられると思います。今のこの世界と、なんとか延命しているだけの健康には飽き飽きさせられていますけれど。

2021/01/07木

森の奥探検2回目。シカと目が合い、カラスの大群に震えた

3日に出かけた森の奥のほうを、再度探検してきました。13:30まで用事があったので、その後やっと出発。

前回よりも時間の余裕が少し短いですが、日没も数分遅くなっているから問題ないか。せっかくならもっと時間に余裕のある日に行きたいですが、レンジャーの仕事に就いているわけでもないので、時間をやりくりして森に行く時間を見つけるしかないのです。

前回は細かい粉雪が降りしきっていましたが、今日は暈のかかった太陽が見えていて、そこそこ良い天気。予報だと降雪確率80%だったのに、当てにならないものです。

相変わらず誰も森に入るような物好きはいないようで、野生動物以外の足跡は、わたしのスノーシューの凹みが残っているだけでした。

面白いことに、わたしのスノーシューの足跡の凹みの中に、シカとかキツネの足跡がついていました。動物たちも、誰かが歩いて雪のかさが減っているところを歩くようです。そしてそこをさらにわたしが歩くと。こうして獣道が出来ていくのか。

今年は12月中旬までは、平年の80%くらいの雪が降っていて満足していたのですが、年末年始は全然雪が降らなくなってしまいました。森の中のササは見えたままだし、わたしの足跡は消えないし、このままでは去年の二の舞です。もう温暖化のせいでこんな冬ばかりなのか…。

本州のほうでは異常積雪で交通が麻痺している地方もあるそうですが、道北は反対に雪が年々減少していて、今後どうなるのか不安です。雪は農家の収穫に直結しますし、冬の道路の安全やレジャーの楽しさにも関係しています。

天気予報によれば、来週は最高気温がマイナス1℃と、非常に際どい日も続き、雪が溶けないか心配でなりません。

さて、時間もないことだから、前回同様、森の入り口のあたりは急いで通過。林の中の道なき道をショートカットして、森の奥へ急ぎます。冬は雪がしっかり降ってさえいれば、どんな場所でも入っていけるので、谷や穴や倒木に気をつけつつも、好きなルートを歩けます。

もしかすると、気温が冷え込むかと思ったので、いつもよりアウターを一枚余分に羽織っていましたが、カラマツ林に到着したあたりで、暑くなってきました。こんなこともあろうかと、リュックサックも背負ってきたので、アウターを脱いで収納しました。

でも、そのリュックサックを背負っていること自体が暑いし、ただの上着しか入っていないリュックが重い。いつもと違うことを試したのが裏目に出てしまいました。これでは奥地にたどりつく前に体力を消耗してしまう…。

しばし悩んだ末、どうせこの道を帰りも通るのだから、と思って、リュックサックをカラマツ林のど真ん中に置いていくことにしました。誰の足跡もないし、すでにけっこう森の奥だから、誰かが見つけて持っていったりはしないだろう。食べ物とかも入ってないしから、野生動物が寄ってくることもなかろうし。

…と、その時は思っていたのです。まさかそれがあんなことになってしまうとは…。

さて、そこからしばらく森の斜面を登る道が続きます。前回はここで頭がクラクラして、体位性頻脈を起こしましたが、今日は問題ありませんでした。心拍がかなり早くなっているのは気づきましたが、いつものことだし。

前回の自分の足跡を活用しながら森の雪道を登っていくと、向こうのほうでガサゴソっと音がしました。一瞬のことでした。黒光りする硬そうな毛皮の動物が飛び跳ねて、優雅に走り去っていきました。立派なエゾシカです!

距離は30mくらいあったでしょうか。こちらが気づくよりもずっと早く、かなり遠い距離の時点で、エゾシカはわたしの気配に気づいて距離を取ってくれました。これくらい離れていたら、わたしのほうも怖くないので、ありがたい距離感の持ち主です。

30m離れていたとはいえ、エゾシカは巨大。成熟したオスの剥製を近くで見たことがありますが、ヒグマとさして変わらないサイズです。もしエゾシカが向かってきて角で突かれたら、わたしごとき簡単に大怪我を負うか、死んでしまうでしょう。

ゆっくり斜面を歩いて、さっきエゾシカがいたあたりの地面を見に行ってみました。そこには紛れもないエゾシカの足跡が。

今さっき走り去っていったばかりですから、つきたてほやほやの新鮮な足跡です。これまでもニ列の線路みたいな足跡を見つけて、ひづめの形から、シカの足跡だとわかっていましたが、それが正しかったのだと、はっきり確認できました。

その足跡は、これからわたしが向かうことにしている森の奥地のほうへ、ジクザグに曲がりながら伸びていました。足跡は森の中の丘になっている部分を越えて、その向こう側へと続いているようでした。隆起しているので、近づかないと、向こう側は見えません。

もう近くにはいないだろう、と思ったので、その丘を登って、裏側がどうなっているのか見てみようと好奇心が湧いてきました。一応、周囲の状況をよく確認しながら慎重に登っていくと…。

丘の向こう側、下っていく森の斜面を見下ろすと、立ち並ぶ木々のはざまに、こちらを見ている黒い顔がありました。このときも距離にして30mくらい。立派な角のある雄鹿と目が合いました。さっきは後ろ姿しか見えなかったので、はじめて顔を合わせました。

とっさにスマホを取り出してカメラを向けましたが、同時にシカは逃げ出してしまって、お尻しか映りませんでした。しかも、後で写真を見たら、かろうじて映ってはいるものの、見た本人でなければわからないレベル。ただの木片にしか見えません。

エゾシカはさっきと同じように、30mくらいの距離でこちらに気づいて、カラマツやシラカバが立ち並ぶ森の斜面を、ジクザグに走って去っていったのでした…。同じ森に、同じ空間に、こんな大きな野生動物がいる。大自然に生きる命の力強さを肌身で実感できました。

エゾシカが走り去っていったのは、これからわたしが向かう森の奥地の方角でしたが、前回通ったのは違うルートでした。エゾシカの後を追うのも可哀想だし危険かもしれないので、前回と同じルートから回っていくことにしました。

森の入り口のほうでは、わたしの前回のスノーシューの足跡がしっかり残っていましたが、この奥地まで来ると、何も残っていませんでした。森の奥のほうではしっかり雪が降ったようです。

わたしの足跡は消えてしまっていましたが、その代わりにキツネやシカの足跡が交差していて、謎の巨大な穴が点々と連なっていました。ひとつひとつの穴は1mくらいの幅で、三角形の鋭角にごっそりとえぐれています。それが2mおきにボコ、ボコ、ボコ、と連なっています。

いったい何の足跡なのか。明らかにヒグマではないし、キツネやタヌキよりははるかに大きい、ということでエゾシカでしょう。馬の「三種の歩度」(常歩、速歩、駈歩)や襲歩と同様に、たぶん駆け足で走っていった場合には、こんな足跡になるんだろうな、と推測しました。

しばらく足跡を追跡していくと、いつものシカの足跡に変化していたので、その推理が裏付けられました。斜面になっているような場所を、勢いよく走って下るときには、2mおきに着地して、前足と後ろ足が同じ場所をえぐるので、鋭角の大きな穴が空くのかもしれません。

森の奥地は、相変わらず、非常識なくらいごちゃごちゃと絡まり合ったツル性樹木が見事でした。

わたしの知り合いは、このような木を見て、蜘蛛の巣のようで気持ち悪いと言っていました。何も知らないころのわたしもそう思ったかもしれませんが、今では違います。これがサルナシやマタタビやブドウの木だと知っているので、手つかずの野生ならではの力強さに感動します。

ツル性樹木が絡みついている大木に近づいて、おそらくサルナシと思われる薄茶色の幹をつかんでみました。地上20mくらいの高さまで絡みついて生い茂っているだけあって、とても太くて立派でした。

この森の奥地に佇んでいると、ずっとここにいたい、という衝動に駆られます。俗世から遠く離れた静かな森の中。雪に覆われた静寂の地。ひとつひとつの樹木の幹を調べて、冬芽を観察して、どんな植生なのか確かめたくなる。マイナス10℃でも、何時間も過ごせそうな気がする。

もっともっと探検したいし観察したい。でも時間と体力がそれを許さない。もう15時だから引き返さないといけないし、帰りの体力を計算しておかなければ、森で野垂れ死にしかねない。冬の森で死ねるならそれも本望だけど、今はその時ではない。

また近いうちに時間を見つけて来ることを誓って、帰路につくことにしました。冬のあいだしか来ることはできないけれど、冬はまだ2ヶ月ほどあるのだから、数回は来れるに違いない。

帰りは、方角がわかっていたので、違うルートで帰ることにしました。ちょうど、さっきエゾシカが下っていった斜面の下にいたので、そこを登っていけば、わたしがエゾシカと目を合わせた地点にたどり着くはずでした。

そのためには、エゾシカが駆け下りていった森の斜面を登らなければなりませんでしたが、スノーシューなら可能です。

立ち並ぶ木々の中を歩き始めると、周囲にトドマツのような樹皮の木々が立ち並んでいました。

でも、見上げてみるとトドマツではなく、シラカバの仲間のようでした。先日観察したのと同じです。ダケカンバではないか?と推測していた木です。

樹皮が赤くなく、灰色に見えるので、ウダイカンバなのかもしれませんが、確実に区別するポイントがまだわかりません。地衣類にびっしり覆われているため、本当の色が不明です。

すぐ近くに、シラカバらしき木(こちらがダケカンバの可能性もある?)もありました。樹皮は明らかに違っていて、真っ黒な木こぶのようなものがあちこちについていました。カバノアナタケ(チャーガ)でしょうか?

でも、画像検索で出てくるチャーガと違って、気持ち悪いブツブツした突起が密生しているので違うものかもしれません。(追記 :後で調べたらシラカバの木こぶ、白樺瘤のようです。サーミ人がこれを掘ってククサという木製カップを作っていたそうです)

すでに陽が傾いていて、森に差し込む夕日がとても美麗でした。巨大な倒木があちこちに横たわっていて夕日を背景に絵になりました。

倒れている木のひとつが、根をこちらに向けていました。近づいてみると、かなり巨大で、わたしの背丈くらいありました。これだけ巨大な根が地下に張り巡らされていることを思うと、木はそれ自体が巨大な生き物で、微生物の生態系を抱え持っているのだなぁと感じます。

途中、新しい足跡を見かけました。地面がごっそりえぐれている、さっき見たのと同じ足跡でした。もしかしたらさっきわたしと目を合わせた後に駆けていったエゾシカのものでしょうか。だとしたら、やっぱりシカが走るとこんな足跡になるのでしょう。

それにしても、今日はほとんど鳥がいませんでした。前回は雪模様だったのに、あれほど鳥が多かったことを思うと意外でした。それとも、荒天のほうが、避難所を求めて鳥が森の中に宿るのでしょうか。鳥の生態に詳しくないのでわかりません。

丘を登り、森の奥地からいつもの道に戻ってきたとき。

今まで聞いたこともないような騒がしいカラスの鳴き声が聞こえてきました。ギャーギャーと相当な数が集まって騒いでいるようです。この森でそんな場面に遭遇した試しがありません。カラスを見るとしても数羽程度です。

珍しいな、と思って歩いていくと、奇妙なことに気づきました。カラスの騒がしい声が聞こえるのは、わたしの進行方向の先です。つまり帰り道です。嫌な予感がします。

さらに進んでいくと、明らかにカラスの群れが、それも見たこともないような大群が、わたしの帰り道の上空で大騒ぎしています。そして、ちょうど声がしているあたり、そこは確か、わたしがリュックサックを置いた場所なのです。猛烈に嫌な予感がします。

ついにわたしのリュックサックが見えてくると、そこはカラスの大群の中心でした。恐怖を感じるほどの大群が、カラマツ林の上空で渦を巻いています。何十羽ものカラスが上空を旋回し、さらに何十羽もがカラマツ林の枝に止まっています。そして全員が大騒ぎして声を張り上げています。(下の写真では視野の一部しか映っていないので少なく見えますが…)

自動車でヒグマに遭遇したときより、はるかに恐ろしく感じました。こちらは生身、殺気立っている?100羽くらいのカラスが注視するなか、わたしはリュックサックを持って帰らなければならない。

カラスと話せればいいのですが、何を考えているのか、わたしのリュックサックを何と誤認したのかもわからない。そういえばカラスは嗅覚は非常に鈍く、視覚だけで判別するらしい。リュックサックは真っ黒なので、獲物か、あるいは仲間の死骸だと勘違いしているのでしょうか。

後で取りに来ることも考えましたが、幸いカラスの大群は、カラマツの高い枝より上で大騒ぎしているだけで、なぜかリュックサックの付近までは降りてきていませんでした。

リュックサックを取れば、カラスは獲物を「盗まれた」と感じるのでしょうか。わたしは手に持ったスキーストックで、リュックサックを引っかけて、そっと引っ張ってみました。

カラスは一段と興奮して声を張り上げ騒がしくなりました。わたしは緊張して心臓の鼓動が高鳴るのを感じました。

でも、カラスは、リュックサックを取りに降りてこようとはしませんでした。これなら大丈夫かもしれない。そう思ったので、カラマツより丈の低いカエデとシナノキの木が立ち並ぶほうへリュックサックを引っかけたまま逃げ込みました。

そして、木の枝の下にできるだけ姿を隠し、上着の前を開けてリュックサックを抱え込んでしまいこみました。妊婦さんのワンピースのように、リュックサックを覆い、見えなくしてしまいました。

そのまま、できるだけ木々が生い茂っている場所を素早く歩いて、森を抜けようとしました。今まで一度も歩いたことのない場所ですが、もう無我夢中です。カラスの大群は、わたしの真上を追いかけてきました。リュックサックを狙っているのは間違いありません。

わたしは決して立ち止まらず、雪の森の中を早足で歩きました。見上げなくても、騒がしい声から、カラスがついてきていることがわかります。しかし、リュックサックが見えなくなったのがよかったのか、次第に騒がしい声がしぼんできました。カラスは旋回をやめて木々の枝にずらりと並んで止まりました。

慣れない道を歩いたせいで、雪に足を取られて転んでしまいました。雪なので、まったく痛くありませんが、上着がはだけて、リュックサックが少し見えてしまいました。その瞬間、枝に止まっていたカラスが一斉に飛び出して、また騒ぎ始めました。

すぐにまたリュックサックを覆い隠して、できるだけ陰になっている場所を歩いて、森を抜けようと急ぎました。すると、上空を追いかけてくるカラスの数が少しずつ減り、森を出るころには、ほとんど声が聞こえなくなっていました。

もし、森の入り口までカラスがついてきたら、わたしを守ってくれる木々がなくなってしまうので、カラスが急降下してきて襲われるかもしれない、と恐れていましたが、最悪の事態は避けられたようです。

わたしは二度と森にリュックサックを持って入らないと決めました。また、他に人間が誰もいないからといって、荷物を適当に投げ出しておくのもやめておこうと思いました。

森の中に自分だけしかいない、誰も見ていない、と感じるのは人間の錯覚なのでしょう。森は動物たちの住みかであり、わたしたち人間が想像しているより、はるかにしっかりと、かれらは森の中を監視しています。鳥たちはもちろん、エゾシカもヒグマも、わたしの存在に気づいた上で、森を歩くのを許してくれているのでしょう。

怖い思いもしましたが、得がたい貴重な体験でした。アイヌ民族が、カラスやフクロウに意思を感じたのもわかる気がしました。森もそこに住む生き物たちも生きていて、わたしたちと同じ時間を、それぞれの意思をもって過ごしているのだと、教えられた経験でした。

※追記: 「クマにあったらどうするか」を読み直していて、興味深いエピソードを見つけました。

これはこの言葉が当てはまるかよくわからないけれど、私は『カラスの葬式』というのを見たことがあります。私は私なりの判断で、カラスがお葬式をしたんだなと思っているんです。

何かで死んだカラスを大勢で囲んでガーガーガーガーってそばに降りて来て、それが大勢のカラスがくり返しガーガーガーガーってやって。

…カラスというやつは、自分たちの仲間を容易に見捨てては行かないんです。…一羽撃って落ちてばたばたしていると次のカラス次のカラスと全部来て、なんとか仲間を助けようという仲間意識があるんです。(p162)

わたしが目撃したのはたぶんこれと同じものだったのではないかと思います。わたしのリュックサックは真っ黒だったので、別の動物の死骸や獲物はに見えず、むしろ仲間のカラスに見えたんじゃないでしょうか?

なぜか森の中のよく見える地面に黒いカラスが落ちているから、カラスの大群が心配して集まってきて、葬式とはいかないまでも、目が覚めないかと思ってガーガーガーガー鳴いていたんじゃないかと思います。

2021/01/08金

「海辺」読書メモ(10)終

■ナマコ。英語では「シー・キューカンバー」(海のキュウリ)と呼ばれる。陸地のミミズと同じように、砂や泥を耕している。深海の砂さえナマコの群れに撹拌されていて、地質学者泣かせになるという。

ナマコは外敵に襲われると、内臓を吐き出すという有名な防衛手段をとる。ある種のナマコは「現在までわかっている動物の毒の中でも最も強力な毒」を体内で作っていて、ナマコが内臓を吐き出すと同じ水槽の魚は死んでしまう。ナマコは生き延びて内臓も再生する。(p302-303)

■「チューリップボラ」や「フロリダソデボラ」という名前を読むと、一瞬、魚の出世魚のボラだろうか、と思うのだが、実は貝なのだ。「ボラ」とはホラ貝のことで、日本にも〇〇ボラと名のつく貝がたくさんある。(p305)

■ピンクガイ。大型の美しい巻貝で、昼間でも躊躇せず出歩くため、人間に乱獲されてしまった。

「ピンクガイ」で検索すると検索汚染されているので、「ピンクガイ 貝」などで調べる必要がある。しかしそうやって調べても、貝殻の画像ばかりで、生きている姿の写真がなかなかない。数少ない写真によると、サーモンピンクのなめくじみたいな生き物が貝殻を背負っている。

殻の中にゴミや小さな生き物が入ると、ピンクガイは不快感を示して、真珠貝と同じような物質を分泌して塗り込めてしまい、ピンクパールができる。しかし、テンジクダイだけは、なぜか殻の中で共同生活しているという。(p306-308)

■ヨウジウオ。「信じられないほど細長い、骨質で小枝のような生物でとても魚とは思えない」「形、色、動き方まで完全に海草に似ている」生き物。ストローのような口で小さな甲殻類を吸い込む。

メスは受精卵をオスの育児嚢に入れて、子どもたちはその中へ出たり入ったりしながら一人前になっていくという。テレビのドキュメンタリーとかで見たことがあるようなないような…。(p308-310)

つまるところ、ヨウジウオは竜の形ではなくなった直線のタツノオトシゴ。タツノオトシゴはヨウジウオ科タツノオトシゴ属なので、ヨウジウオのほうが基本種ともいえる。

タツノオトシゴは魚の鱗の代わりに鎧で覆われており、「かつて魚が重い鎧で外敵から守られていた時代に逆戻りしたようにも見える」。プテラスピスのような甲冑魚のことを言っているのだろうか。

タツノオトシゴはヨウジウオのようにまっすぐな形ではないが、その複雑な形もまた擬態に役立っている。ヨウジウオが根付いた海草の近くにいるように、タツノオトシゴは浮遊する海藻(海草ではない)の近くで暮らす。(p310)

■アオウミガメやアカウミガメは、海草の間を棲み家にしている「シー・ビスケット」と呼ばれるカシパンを食べるという。日本名、英名ともにお菓子だが、棘皮動物である。(「sea biscuits animal」で検索すると出てくるが、正式名称はClypeaster rosaceusで、日本名だとタコノマクラに相当するのだろうか。それともスカシカシパンなども含む一般的な名前なのだろうか)(p312)

■巨大な肉食巻貝イトマキボラ。なんと30cmから60cmもあるという。他の貝を外套膜で包み込んで食べてしまう。サンゴ礁の生き物も、昼間は隠れて息を潜めているが、夜になると活発に動き回る別の世界が広がる。(p313-314)

■トビウオの仲間のダツ(駄津)。名の由来について書いているサイトもあるが真偽不明。鳥のくちばしのような鋭い口を持っていて、英名はニードルフィッシュ。夜になると光に向かってジャンプし、船に乗っていても突き刺さることがあるので非常に危険だという。日本にも分布している。イクチオサウルスにも似ている。(p315)

■マングローブ。植物の中でも非常に遠くまで移動するものの一つ。何千キロも旅をして開拓地を広げていく。ヤシもそうだが、海流で広がるタイプのものは、地球全域に広がりうるのだろう。

マングローブはがっちりした根を張り巡らし、さまざまなかけらをせき止め、そこに生き物も集まってきて島が作られる。めったなことでは死なないほど強靭だが、かなり強いハリケーンで樹皮が剥がされ、塩分を含んだ風にさらされてしまうと立ち枯れてしまう。

泥の中には酸素が足りないので、気根によって不足分を補う。気根にはマングローブカキやマングローブタマキビがくっつき、それを食べるアライグマやカンムリボラやシオマネキが集まり、鳥たちも巣を作りにやってくる。(p316-326)

■「渚に満ちあふれる生命をじっと見つめていると、私たちの視野の背後にある普遍的な真理をつかむことが並大抵な業ではないことをひしひしと感じさせられる。

夜の海で大量のケイ藻が発するかすかな光は、何を伝えようとしているのだろうか? 無数のフジツボがついている岩は真っ白になっているが、小さな生命が波に洗われながら、そこに存在する必然性はどこにあるのだろうか? そして、透明な原形質の切れはしであるアミメコケムシのような微小な生物が無数に存在する意味は、いったい何なのだろうか? かれらは、岸辺の岩や海藻の間に一兆という数ですんでいるが、その理由はとうていうかがい知ることはできない。

これらの意味はいつまでも私たちにつきまとい、しかも私たちは決してそれをつかまえることはできないのだ。しかしながら、それを追究していく過程で、私たちは生命そのものの究極的な神秘に近づいていくだろう」(p330)

「海辺」最後の言葉。そしてこの言葉は確か、レイチェルが亡くなったときの弔辞で読まれるよう、生前指示された言葉だっただろうか。(うろ覚えなので調べないといけないが)

この本でレイチェルは、海辺のことなら何でも知っているかのような博識なガイドを披露してくれるが、それでも知らないこと、わからないことだらけだという実感がこもっている。ニュートンが述べた、自分は砂浜で貝殻を集めていた少年にすぎず、未知なる真理の大海原が広がっている、という言葉にも通ずる。

また、わたしが、森を歩いて200種くらいは見分けられるようになったにもかかわらず、知らないことが多すぎて圧倒されることとも同じだ。この世界には面白いこと、不思議なことがあふれているが、永遠の時間をかけても知り尽くせないほど深く創られているのだ。

 

以上で「海辺」をついに読み終わりました。1ヶ月に及ぶ長い読書でした。慣れない単語を調べながらだと、集中力がもつ分量は数ページだけのことが多く、楽しくも辛抱強さが求められました。

この本を読んでいて感じたのは、何度も書いているように、ファンタジーの世界を掘り進んでいるようだ、ということです。わたしにとって、海の世界はほとんど縁がなく、未知の異世界だったから。

しかし、そういえばと思い出すのは、レイチェル・カーソンもまた、子ども時代を海のない地方で過ごし、大量の本を読むことによってのみ、海への憧れを育てたということです。自分が同じことをしてみて初めて、彼女の情熱と忍耐力が相当のものだったのだと気づきました。しかも彼女が読んだ本は、彼女が書いた本ほどには、わかりやすくなかっただろうから。

しかし、実物を見るではなく、本で読んだ事柄が、想像力と憧れを掻き立てるというのはよくわかります。わたしもこの本を読んでいて、いつかはきっと、実物を見てみたい、もちろん水族館や動物園ではなく、本物の海辺で、と決意しました。今のわたしの関心事はおもに森に向けられていますが、いつかは海にも向けられるのでしょう。

思えば、わたしは海が大好きで、Wiiのころはずっとフォーエバーブルーを遊んでいました。沖縄に行ったときは病気だったにも関わらず、たっての希望でシュノーケリングも試しました。鼻や耳がよくないので、潜水の技能を習得することは難しいけれど、可能なら海の中を探検したいという願いが常にありました。

カーソンの「海辺」は、わたしが思い描いていた海の世界とは別に、陸と海のはざまという、まったく未知の世界があることを教えてくれました。(最後のほうでウミガメが出てきて初めて、フォーエバーブルーの風景が思い出された。わたしは海好きでありながら海辺とは無縁だった)。それによって海の風景はより奥深いものになり解像度が増しました。

また改めて感想を記事にまとめる過程で、読書メモを振り返って復習したいと思います。この次は「われらをめぐる海」を読む予定なので、まだまだレイチェル・カーソンの海のガイドを楽しめる日々が続きそうです。

2021/01/09土

ドライフルーツ化したサルナシ(コクワ)を発見

また森の奥地まで行ってきました。相変わらずの14時前出発ですが、3度目だから、かなり慣れたものです。出かけた時は曇りだったのに、どんどん空模様が悪化して雪が降り始め、今回も長く滞在することはかないませんでした。

昨日一日でそこそこ雪が降ったらしく、わたしの足跡はほぼ覆われていました。スノーシューで歩いても新雪がかなり沈み込むので、いつもよりも体力を消耗します。上り坂は休み休みゆっくり歩きました。

トドマツの葉に積もった雪が面白い形。葉っぱの形状に沿ってレースのような繊細で美しい形に整っていました。

白い骨のようにも見えて、美しさと薄ら怖さが同居しています。

森の入り口付近にとまっていた鳥。胸がオレンジ色で、たぶんミヤマカケスだと思いましたが、妙に静かでした。と思ったら、通り過ぎた後に、後ろから、ジャージャーとカケスらしい鳴き声が響いてきました。

地面に葉っぱや実ごと落ちていたシナノキの枝。雪の重みで折れたのでしょうか。

実の苞葉は残っているのに丸い実だけなくなっている…。誰かが食べてしまったのかもしれません。

3度目に訪れた森の奥の風景。何度も通ううちに、かなり道中にも慣れてきた感じがします。もっと探検したかったけれど、細かい雪がかなり降っていて、顔が冷たい。時間もあまり余裕がないので、空気を味わうだけで引き返してきました。

帰りに通った道で、赤いホオズキのような実がたくさんなって謎の木を発見。わたしの記憶の範囲ではこんな実をつける木がまったく思い当たらなかったので混乱しました。

でも、枝と冬芽を見ると、コクワ(サルナシ)だと気づきました。まさか緑色の実がこんな深紅に変色するなんて…。

冬芽の葉痕を観察すると確かにサルナシ。完全に芽が陥没していて見えない隠芽なのでマタタビではありません。ちなみに味は確かにサルナシのようでしたが、見た目に反して、ドライフルーツにはなっていませんでした。

このサルナシがあった場所は、秋でも少しササやぶに入るだけで到達できます。ヒグマのテリトリーからも少し離れているので、熊鈴は必須とはいえ、比較的安全かもしれません。

手が十分に届く低い位置に大量に残っていたので、高枝切りばさみなしで収穫できる、すばらしいスポット。ぜひ覚えておいて、来年の秋に採りに来たいと思いました。

あまりに山並みの淡い色合いが美しかったので撮った写真。

絵を描く時に、あんなに優しい柔らかな色を出すにはどうしたらいいのだろう?と考えました。ところが、わたしが感動した色は、かけらたりとも写真には写し取られていないのでした。本物を目で見ない限りはその美しさが伝わりません。

帰るころにはかなり日も落ちてしまい、トワイライトの空を背景に、ススキかヨモギのような草が影絵のようにそよいでいました。

「シュカブラ」という単語の謎

ところで、1年前に風で波状の模様がついた雪を見ました。森の中の風が吹き込むところにもよく形成されていますが、あいにく写真には撮っていません。

風で波型になった雪は、1年前はサスツルギと呼んでいました。これは読書で得た知識によるもので、険しい高山などの空撮写真で確認できます。一方、わたしが見たのはもっと小規模なものなので、サスツルギと呼んでよいのか疑問がありました。

たまたまネットで調べ物をしているとき、このような形状の雪は、「スカブラ」ないしは「シュカブラ」と呼ばれており、日本語では波状雪や雪紋と呼ばれることがわかりました。

日本語のほうはともかく、問題は「シュカブラ」で、ネット上の解説サイトではほぼノルウェー語のskavlaが由来とされています。しかし、Google翻訳でこれを入れてみても、該当するノルウェー語がなく、skavlanの間違いでは?と提案されます。skavlanはどうやら人名のようです。さらに“Norge skavla”で検索してもヒットしません。

表記揺れがあり、skovlaが語源だとするサイトもありますが、Google翻訳だとロシア語で「束縛」の意味だと表示されます。skovlaで画像検索すると、波状雪の画像は出ますが、日本語のサイトばかりです。skövlarというスウェーデン語もあるようですが「破壊する」などを意味するようです。

わたしの調査が甘いだけかもしれませんが、これはよくあるコピペによる誤情報の拡散例のひとつな気がしてきました。なんとなくいいな、と思える情報が、実は誤りなのにコピペで広がってしまい、さも事実であるかのような既成概念になってしまう現象で、ネット上にはごまんとあります。特にこうした由来などの情報には極めて多いです。

この場合も、波状雪を「シュカブラ」と呼んだらオシャレでかっこいい、ということで、急速に広まったのではないでしょうか。

言語は生き物とも言われます。世代とともに言語が変化し、新しい単語が創られてくのは良いことだと思います。しかし、誤った情報が事実のように広まってしまうことには危険があります。ネット上には、自分で確かめもせず、他の人の記述を鵜呑みにして拡散する人が少なくありません。

わたしも、自然観察を始めてから、手っ取り早くネットで検索して調べようと思うことが増えてしまいました。その結果、素人がコピペして広がったと思われる謎情報を信じてしまうことが何度かありました。(バイケイソウが100年以上生きて花を咲かせるとか、ノブドウの実の色は虫の寄生によるものだとか。前者はある程度正しいようだがソースがない)

オリヴァー・サックスは、何かを調べるときはできるだけ一次情報にあたるようにアドバイスしていました。わたしも、ネットに頼っていては、汚染された情報に惑わされることがわかったので、読書を再開しました。

読書でも、新書版のような読みやすいファストフードは摂取してはダメです。きちんとその道の専門家が学術的な情報を噛み砕いて書いている良質な本を選ばねばなりません。かなりボリュームがあって、一筋縄ではいかない本であるべきです。

実体験なきコピペだけの知識があふれるこの時代に、新しいことを知る、というのは本当に難しいことです。インターネットで調べたら何でもわかるようでいて、スカスカの誤った情報ばかりです。医療情報なんて特にそうだし、自然科学でさえこのありさま。

インターネットの登場によって、人々の暮らしや知的生活は本当に豊かになったのか、それとも益よりも問題のほうが増えたのか。昨今の信じがたいようなニュースを見るにつけ、後者に思えてなりません。たとえ情報が限られていても、自分の経験で知識を深めることができた時代のほうが、まだ正常だったのかもしれません。

個人個人が自分の経験から推測すれば、その知見の集合は事実に近づいていくが、個々の人が互いに情報を共有するようになると、どんどん歪みがひどくなる、という集合知の研究がそれを示しているともいえます。もはやインターネットは集合知ではないのです。

意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果 | WIRED.jp

2021/01/11月

厭世観と双極性障害2型を感じる

昨日は家の近くの丘をスノーチューブで滑っただけでしたが、今日はまた例の森の奥の地域を探検してきました。冬のあいだにあと数回行けたら…、とか言っていたのに、早くも4回目ですね。

やはり厭世観が抜けず、最近、自分が双極性障害2型に当てはまるのではないか、と思っています。ずっと低気力で、まれにやる気が出るという状態です。

双極性障害2型のような状態になるのは何の不思議もないことです。もともとトラウマ医学の杉山登志郎先生は、虐待児には双極性障害2型のようなムラッ気がとにかく頻出し、愛着障害の特徴のひとつだと思われると書いていました。大人の場合も解離性障害に双極2型が伴うことは珍しくありません。

今までのわたしもそのような傾向はありましたが、解離や慢性疲労のほうが強かったため、あまり双極2型は目立ちませんでした。でも、今では幾らかそれらが和らいだので、ベースにあった双極2型が認知しやすくなったのだと思います。

これを双極2型と呼ぶのは、なんだか現実から目を背けているレッテルみたいな気もします。そんな名前をつけると、薬でしか治療できない精神疾患みたいに感じられます。

実際のところは、この症状は、幼少期の不安定な愛着に伴うムラッ気であり、自分で覚醒状態をコントロールできないことから生じるものです。外発的にドーパミンが出るようにしてやれば、薬なんてなくても、うまく付き合っていくことができます。

わたしは、この症状をそんなに苦しいとは思っていません。厭世観なんて昔からだし、身体症状が軽くなったことのほうが喜ばしいです。おかげで毎日のように大自然の中を歩くことができます。

ほかのすべてが虚しく思えても、大自然を観察し探検しているときは生きている実感や喜びがあります。わたしにとってはそれが外発的なドーパミンの供給源になっています。この1年か2年で、かなり自然界について知れたのは、そのおかげです。

また森の奥に出かける。シカの角研ぎ跡もあった

今日は、珍しく13時ごろから外出する時間を取れたので、いつもより1時間も多く余裕がありました。それで、例の未踏破地帯だった場所の周囲を、さらに探検して地理をつかもうと決めて、森へ向かいました。

天候は、曇り空に多少の雪。森の中に入れば気にならない程度でした。

2日前のわたしの足跡はまだ残っていて、毎度のことながら、動物たちが通り道に利用していました。わたしが歩いた跡に、さらに小さな足跡がちょこちょこと駆けているのを見ると微笑ましくなります。おそらくキツネかタヌキでしょう。

今回は、森の奥の地帯でもわたしの足跡は残ったままで、入り口付近と同様、やはり動物たちに利用されていました。しばらくわたしの足跡に沿って歩き、それから道なき道を通ってどこかへ向かった様子が、分岐路になって残っていました。右がわたしの足跡。左に分岐しているのが動物(エゾシカ?)の足跡。

動物たちは、追跡して狩りをする手前、きっと足跡の主を判別できると思うのですが、わたしの足跡は何者だと思っているのでしょうか? スノーシューが大きすぎるし異質だから、単に自然の作用で作られた溝だと思って、気にも留めていないのでしょうか。

先日、シカの角研ぎ跡らしきものを見かけてから、これまでより、樹木についている傷に注目するようになりました。意識して眺めてみると、1本や2本、えぐれた線がついている樹皮はそんなに珍しくありません。凍裂ではないことはわかりますが、自然のできたものか、動物がつけたものなのかはわかりません。

その中で気になったのは、このトドマツの傷跡でした。何本もの傷が並行し、ときには交差していて、大量の樹脂が分泌されています。

ヒグマの爪痕ではありませんが、これもエゾシカの角研ぎ跡に似ている気がします。ネットで画像を調べてみると、前回撮ったようなまばらな傷跡より、このような一箇所にまとまった傷がついている例のほうが多いようです。(前回のは傷がついてから何年もかけて木が成長したのでしょう)

前回の角研ぎ跡は、シラカバだったからたまたま目についただけで、幹が茶色いトドマツや他の広葉樹の場合は、意識して探さないと見つけにくいようでした。でも気づき始めると、そんなに珍しいものではなく、あちこちの木にそれらしき跡が見つかりました。シカはたくさんいるので当然でしょう。

例の地帯に、いつものルートではなく、別の道から向かってみようと思い、雪が降ってから通っていない道を歩いてみました。雪はそこそこ深く、スノーシューがゆっくりとズシュッと沈み込んでいく感覚が最高に気持ちいいです。ふわふわの雪ではなく、程よく硬く、心地よい抵抗があります。

途中、こんなものも見つけました。森の中に忽然と現れた巨大雪見だいふく。その正体やいかに。

この1年何度も通っていた場所だから知っていますが、これは切り株です。ただの切り株なのに、そこに雪が積もるとこんな形になるのはとても不思議ですね。雪の性質を数学的に記述したシミュレーションなら、どうしてこんな形になるのかもわかるのでしょうか。

その奥は、今はもう人が立ち入っていない人工林で、初夏ごろに、山菜のタラノキやハリギリの芽を取らせてもらった場所です。写真だとわかりにくいですが、林内の雪から突き出ている棒のようなものがほとんどそうです。来年もたくさん採れそうです。

奥は倒木だらけの斜面になっていました。森の形からすれば、このまままっすぐ行けば、例の目的地に別ルートから到達できるはずです。どうにかして行けないかと周辺を歩き回ってみましたが、起伏が激しく、雪も深いため、無理やり進むのは現実的ではなさそうでした。

スノーシューを履いているので、冬の森でも道なき道を強引に歩くことは可能です。でも、思わぬところに大穴が埋まっているかもしれない。それに、ヒグマは山の斜面にねぐらを作るので、怪しげな凹凸のある人里離れた場所の斜面を歩くのは危険です。

仕方ないので、そこから道なき道を登って、いつもの道に合流。崩れやすい軽い雪なので、登る足場を踏み固めにくく、スノーシューでも斜面を登るには少々苦労しました。スキー用のストックを持ち歩いていてよかったです。

やっといつもの場所に到達。もう4回目なので、当初感じたような薄気味悪さもありません。野生動物のテリトリーなので、何か潜んでいないか、時々立ち止まっては周辺を警戒しながら歩きましたが、今日はゴジュウカラやキツツキといった鳥以外には生き物は見ませんでした。

ふと気になって立ち止まったツル性の樹木。細いツルですが、なんだかあまり見ない形状に思えたもので。

枝を観察してみると、妙にあちらこちらささくれだっていて、トゲがある種類なのかと勘違いするほどでした。もしかしたら、実がついていた果柄の痕跡でしょうか? 冬芽はあまりはっきりしておらず、ごちゃごちゃとくっつき合っているような形状。

枝の先端はこのような丸みを帯びた形になっていて、サルナシのような葉痕です。

根気強く探していると、もっとすっきりした見やすい冬芽がありました。陥没した芽が見えているため、これはサルナシではなくマタタビだったようです。別に珍しいツル性樹木などではなかったですね。でもマタタビといえど、こんなにごちゃごちゃした枝になることもあるのか、というのが新発見でした。

ヒグマも熊棚を作るが、どんな形状なのだろう?

目的地に到達したので、さっきの別ルートに反対側から行けないものか探ってみることにしました。マタタビやサルナシの巨大なツル性樹木が立ち並ぶ斜面を慎重にスノーシューで降りていきます。何が埋まっているかわからないので、一歩一歩気をつけて。

このサルナシと思われる木は、今まで見たなかで一番太いです。

1/7にも太いとか言ってツルをつかんでいる写真を載せましたが、比較にならないくらい、こちらのほうが太い。人間の太ももくらいのサイズがあると思います。

上を見上げると、とぐろを巻く大蛇のようにぐるぐると巻き付いて、はるか上方まで登っていました。もし雌株なら相当量の実がなりそうなので、ヒグマも頻繁にここに足を運んでいそうです。

サルナシも太ければ、ヤマブドウも太い。サルナシに比べて黒みが強く、より長い樹皮が剥がれていることで見分けがつくようになりました。(サルナシと思っているものはマタタビかミヤママタタビかもしれませんが)

ふと頭上を見上げたときのツル性樹木の様子。あまりにてっぺんに枝が固まりすぎているように見えるのですが、これが普通の姿なのでしょうか? それともこれが噂に聞く熊棚なのでしょか。ヒグマが登るには木が細すぎる気もするのですが果たして。

熊棚というとツキノワグマのものが有名です。ネット上の情報では、ヒグマが熊棚を作るという話は見かけません。しかし、Wikipediaには、学問的な本の出典つきで、ヒグマが熊棚を作るという情報が記されていました。

また、「クマにあったらどうするか」にも、ヒグマも熊棚を作ると、はっきり書かれていました。一番詳しい目撃者の談話なのだから間違いないでしょう。

ブドウでもコクワでも、自分が安定する幹まで行ってそこでがっちり木にまたがってツルを引っ張る。力はかなりあります。

だから枝も全部引き寄せて、コクワだと引き寄せているうちに熟している実はほとんど落ちるけど、彼らは落ちるということもよくわかっているんですよ。

グイグイ引っ張って蔓を全部落とすんですよ。そうすると秋深いコクワの実はみんな下へ落ちるからね。(p145)

この話からすると、ヒグマの場合の熊棚は、「蔓を全部落とす」のだから、さっきの写真のように、樹木のてっぺんにまとまっているようなものは違うのかもしれません。

むしろ、そういうことだとしたら、妙に引きずられたように湾曲しているコクワやヤマブドウのツルを見かけることもあるので、そちらが熊棚なのかもしれません。今日撮った写真では、これがそんな形状をしています。

これがヒグマの熊棚だ、と教えてくれる人がいればいいのですが、あいにくそんなことに詳しい知り合いがいません。だからといって、ヒグマが熊棚を作っている瞬間を目撃でもしたら腰を抜かしそうですし、真実にたどりつくのは楽ではありません。

新しいクマゲラの食痕も見つけた

ツル性樹木が大量に生えている斜面は、降りるのに苦労しました。かなり雪が深く、複雑な地形で崖のようになっているところもありました。まさかこんなところにヒグマは冬眠していないと思いたいですが、いないとは言い切れません。無謀なことをしたかもしれません。

やっと平坦なところに降りて、道のようなものがないか歩き回りましたが、少し平坦な場所が続いても、すぐに起伏が激しくなるありさまで、歩きやすいとはとてもいえません。別ルートを開拓するのはあきらめたほうがよさそうでした。

しかも、天候がかなり悪くなってきて、森の中まで細かい雪が吹雪き始め、顔に吹き付けるようになりました。森の中でも吹くということは、外ではかなり降っているということです。視界が開けたところで景色を眺めてみると、かなり白くなっていました。

すでに1時間半くらい雪の森を歩き続けていて時間も3時前。いつもなら引き返す頃合いです。まだ何故か体力には余力がありましたが、それは帰るためのぶん。かなり探検できたので、今日は撤収することにしました。

下ってきた道なき道を引き返す途中、巨大な穴がたくさん空いているカラマツを見つけました。反対側からやって来たときには気づかなかったものです。明らかにクマゲラの食痕でした。

クマゲラの食痕は、この森のあちこちですでに見かけていますが、この付近では初めてです。しかも、今まで見たものより、削られた部分の色が、かなり新しいのではないか?と思えました。周囲に木くずは落ちていませんでしたが、吹雪で埋まったのかもしれません。

穴は深々と開けられていて、手の平をまっすぐに突っ込むと、指全体はもちろん、親指の付け根くらいまで入るほどの奥行きがありました。クマゲラのくちばしがそれくらいの長さだということでしょうか。

クマゲラの食痕はよく見ますし、鳴き声やドラミングも聞いたことがあるのに、いまだ姿は見ていません。時間帯があまりよくないのかもしれませんが、今のわたしの体長では、朝にこんな場所まで歩いてくるのは不可能です。いつか運良く目撃できればいいのですが。(さっきの愛着障害由来の双極2型の特徴として朝がダメなのは杉山先生も書いている)

ついでに撮ったカラマツの枝の写真。珍しくもなんともないものですが、一度も冬季に写真を撮ったことがなかったので、この機会に撮っておきました。

カラマツの冬芽。レイチェル・カーソンの「海辺」を読んだ後では、まるでサンゴのポリプのような形だな、とも思います。ダーウィンが書いているとおり、サンゴも樹木も、合体生物という点では同じなのです。

帰り道、森から出るころには、景色は真っ白で、遠景はうっすらとし見えませんでした。しっかり装備を整えていたので、まったく寒くはありませんでしたが、油断は禁物。低体温症などにならないうちに、余力を残して帰りました。

森を出るとき、渓流から大きめの鳥が慌てて飛び立って羽ばたいていくのを見ました。この渓流では、よくカモの仲間が泳いでいて、いつもカメラを構える間もなく、逃げられてしまいます。

でも、今日見た鳥は、わたしの浅い鳥の知識の範囲では、シギの仲間のように見えました。冬場、こんなところにシギの仲間がいるのか? せめて写真に撮れていれば確認しようもあったのですが、バードウォッチングは本当に苦手です。

一時期いいカメラを買いたいと書いていましたが、今は金欠ですし、そもそもカメラの性能の問題ではありません。鳥に気づかれる前に、先に気づいてカメラを構えられるかどうかなのです。

今日の探検は2時間半ほどに及びました。そのあいだずっと、粉雪が降りしきる森の中をスノーシューで歩きまわって、斜面を登ったり降りたりしていたのですから、たいしたものです。しかも帰ってから、家の前の雪はねもしました。

この体力が、常にどんな場面でも発揮できれば、もう病気は治ったも同然なのですが、それができません。わたしの体力と気力が回復し、厭世観や双極2型のようなだるさから解放されるのは、こうして大自然の中を歩いているとき限定なのです。でも、解放される場所があるというだけでも、恵まれているに違いありません。

2021/01/12水

朱鞠内湖をスノーシューで歩いた

今日は比較的晴れた良い天気だったので、近所の巨大人造湖、朱鞠内湖まで出かけてみました。道北の湖は真冬になると凍りますが、朱鞠内湖は積雪量も多く、真っ青なよく晴れた日だと、日本のウユニ塩湖とも呼べるような風景になります。

初めて見たときは、こんな壮大すぎる景色が日本にあったのか、と感動しました。でも悲しいことに「きれいな景色」には慣れてしまうもので、今では冬に一、二回見に行けたらいいかな、と思うくらいです。ワカサギ釣りもしないですし。

たどり着くころには、天候は下り坂で薄い巻雲が出ていて、残念ながらスカイブルーの大空が映り込んだ極上の朱鞠内湖ではありませんでした。それでも水の上に広がるこれほどの大雪原を見られるのはここだけ。手前はワカサギ釣りのテントがたくさん。コロナ禍でも楽しめるレジャーですからね。

湖畔にある、日本最寒の地のモニュメントは先端が顔を出しているだけで、かなり埋もれていました。とはいえ、朱鞠内にしてはこの積雪だと少ないほうでしょう。ちょうどバックに太陽の後光を背負い、あたかも古代文明の遺跡のようです。

朱鞠内湖の雪原をスノーシューで歩いて岸から離れると、自分がいかにちっぽけかを思い知らされます。もし時間と体力が十分あれば、スノーシューで朱鞠内湖横断もしてみたい気がしますが、端から端まで6kmくらいあると思うので、白い砂漠で遭難しそうです。

四方八方見回しても、すべてが真っ白、そして地平線の山並みの上に大空が広がる。時間を忘れて立ち尽くしてしまいます。

でも、何もない景色なので、壮大ではあるけれど、単純で飽きやすい。すぐにわたしの目は、湖畔に広がる林の風景に目が行ってしまいます。あそこにはどんなに木が生えているのだろう、どんな植生なのだろう。普段行けないところに違いないから、探索したくなりました。

というわけで、水の上を横断して、湖畔の森の中へ。こんなことをやっているのはわたしだけです。自分で自覚したことがなかったけれど、どこでも木を見たくなるのはなぜなのか。樹木マニアなんだろうか。

最も岸沿いに生えていたのはこの木。

鋭く伸びた爪のような冬芽。赤銅色の爪のような光沢を放っています。これは多分ドロヤナギでしょうね。水辺に生えていることからしてもそれらしい。

そこから少し登ったところにあった、シラカバ?やトドマツの樹皮には、見事なほど地衣類が繁茂していました。日本でも最上級に空気がきれいな場所の証ではないでしょうか。

樹皮は一面、多様性のある種々の地衣類で覆われていて、さながら陸のサンゴ礁のようです。サンゴ礁が海底を隙間なく覆うように、地衣類が樹皮を隙間なく覆っていて、もともとの樹皮の模様がどんなものかわかりません。

色鮮やかなダイダイゴケ。

赤い模様がとても目立つカラクサゴケ?

樹皮から立ち上がったフサフサのカラタチゴケ?

これもカラタチゴケ? 地衣類の見分けはかなり適当なので、確証はありません。

一番驚いたのが、シラカバにびっしりついていた地衣類。カラタチゴケなのかヤマヒコノリなのかその他の何かなのかわかりませんが、ちょっと先端をちぎって嗅いでみても匂いはしなかったので、ツノマタゴケ(オークモス)ではないはず。

ミズナラにできる虫こぶ、ミズナラメウロコタマフシだと思いますが、なんかたくさんついてますね。どんぐりのハカマの部分が残っているのでしょうか。不思議な形だったので目に留まりました。地衣類がサンゴなら、こちらはイソギンチャクのよう。

去年、ここに来たときはオジロワシを見たので、今年もいるかなと探してみましたが、来ていないようでした。シロバラゴジュウカラは変わらずたくさんいました。

帰り道は山並みが夕日に照らされて桃色に染まっていました。肉眼で見ると息を呑むほど美しいですが、写真では感動のかけらしか伝わりません。

振り返ってみると、夕日がちょうど、山並みに沈むところでした。気温が低ければサンピラーになったかもしれませんが、残念ながらマイナス9℃くらいと暖かい。明日はなんと最高気温がプラスに転じてしまう予報です。今年の道北は暖かすぎます。

2021/01/13水

「海辺」の記事完成

さすがに連日の疲れが出て、朝の寝覚めはかなり悪く、パッとしない体調でした。家でやる用事もたくさんあったので、自然観察はお休みです。

夜になって調子が上向いてきたので、「海辺」の記事を完成させることができました。一ヶ月以上かかって、これでようやく本当の意味で読み終わったといえますね。次から「われらをめぐる海」を楽しみたいと思います。

身近なファンタジー異世界をガイドしてくれる本―レイチェル・カーソン「海辺」
レイチェル・カーソンの「海辺」を読んで、海の生き物に親しみが湧きました。この本でレイチェルは、科学と芸術を融合させて、海辺の生態系を美しく描写しています。海辺という過酷な環境に適応

自分の海辺の読書メモを読み返しながらまとめましたが、信じられないほど誤字だらけですね。個人的な日記だし、まあいいやと思って、結局直してないのですが。

2021/01/14木

「未来は予測不可能である」という話をまとめた

今日はホワイトアウトするほどの吹雪だったので、ずっと家にいました。連日外出できていないからか、体の節々が痛いです。

先日から何回か書いていた、行動経済学によると、未来は予測不可能である、という話を記事にまとめてみました。自分自身に対する戒めまた教訓として記事に残したかったので、書けて満足です。

将来は予測不可能である―情報に惑わされないために肝に銘じたい行動経済学の教訓
人々が先行きに不安を覚える世の中では、まことしやかに将来を予測する人々を、テレビやネットで頻繁に見かけるかもしれません。しかし、行動経済学の研究では、未来は予測不可能なものだとされ

なんかもう一つ書きたい記事があった気がするのだけど何だったっけ? すっかり失念しました。

【気になったニュース】
道北近隣の名寄市および下川町でコロナの感染者が確認されたようです。名寄では自衛隊で感染者が出たとの噂も聞きました。

今のところ、去年の旭川や北見枝幸のような大規模なクラスターに発展してはいないようですが、今後の検査結果によっては危険度が増すかもしれません。明らかに過疎地域にまでウイルスが伝播しています。

道北はかなり安全だと思っていましたが、そうも言えなくなってきましたね。これも未来は予測不能である、というのを考慮せずに予想したミスでした。引き続き外部との接触を控えて用心深く暮らしたいと思います。

2021/01/15金

一ヶ月ぶりに氷爆の森へ

昨日は一日中ホワイトアウトに近い雪と風で、気象庁のデータによると一日で30cmくらい積もったようです。道北としてはさほどでもないので、すぐに除雪されましたが、山々は装い新たに白い雪化粧をまとって、壮麗さを増していました。

天候はよくも悪くもなく曇り空。しかし雪は降っていないし風もないので、一ヶ月ぶりに氷爆の見れる森に出かけてみることにしました。

かなり降ったので、雪がふわふわして歩きにくいことを覚悟していましたが、まったくそんなことはありませんでした。引き締まった心地よい硬さの雪で、先月よりはるかに歩きやすく感じました。下のほうが圧雪になっているおかげでしょう。

先月この森に来たときは、謎の赤い小さな冬芽の木が目立ちました。当初はミズキかと思いましたが、後日森の奥地でミズキの若木を見たことで、違うことがわかりました。それで、おそらくアズキナシだろうと推測しましたが、もう一度見てみないことには確証がありません。

また、この近辺ではめったに見ないコシアブラの若木を見つけたのに、写真を撮らずにスルーするというミスを仕出かしていました。それで今回は、アズキナシとコシアブラの木を再確認することが目標でした。

一昨日は最高気温がプラスに転じるほど暖かく、明日もそうなる予報です。そのせいか、森の中を流れる渓流は、表面がところどころ凍っているだけで、真冬にしてはかなりの勢いと水量でした。足を滑らせて濡れないよう気をつけないといけません。

森の奥にある氷爆は今日もいい具合に凍っていました。多少、雪に埋もれて見えにくくはなっていましたが、クリスタルのように透き通る氷柱は実に見応えがありました。

人工的な音のない静けさの中で、自然のすばらしい造詣を眺めていると、時が経つのも忘れてしまいます。いつも思いますが、雪に覆われた森の中は、マイナス10℃くらいでも意外なほど暖かく、望むならずっとまったり佇んでいられるように感じられます。

さらに森の奥深くへと続く渓流は、先月撮った写真と比較すると、かなり雪深くなったことがわかります。

まるで番人のように立っていた枯れ木と、そこに生えていたサルノコシカケは、雪のフードを目深にかぶっています。渓流はほとんど見えませんが、力強く流れる音が雪の下から響きます。

この道をずっと行くとどんな景色が待っているのだろう、源流まで遡ると、どんな木々が生えているのだろう。ここに来るたびにそう思います。命が惜しくなければ探検も辞さないのですが、今はまだこの世界に未練があるのです。

帰り道で見かけた木は異様な形をしていました。先端が折れているシラカバのようですが、自然の摂理に反して、上から下に向かって股状に分岐しています。遠目に見れば、折れ曲がったまま癒着したかのようでした。

でも近くで見ると、癒着したような跡はありません。それど別の角度から離れて眺めるとわかりました。

人が映っていない写真なので、サイズ感が伝わりませんが、人の太ももほどの太さがあります。この巨大な枝(幹と言ってもよいかもしれない)は、上から降ってきて、別の木の股に挟まったのです。

秋ごろ、風の強い日に森に入ったとき、太い枝が頭をかすめて冷や汗をかいたことがありましたが、もしこんな槍のような枝が降ってきて刺さったら、大怪我は避けられないでしょう。風の強い日はもちろん、枝の上に雪が積もっている日も要注意かもしれません。

アズキナシと思われる木の冬芽や樹皮を観察

森の中では、先日見た赤い小さな冬芽の木がたくさん確認できました。この森にかなり多い樹種のようです。改めて冬芽を見てみましたか、ミズキには当てはまらないので、わたしが知っている範疇だと消去法でアズキナシらしいと感じます。

あれからアズキナシについての知識も少し増えたので、別の手がかりも確認できました。アズキナシは枝に白い点々があるのが特徴です。確かに冬芽のある枝には、そのような点々がついています。

また、周囲を観察しているうちに、成木だけではなく若木もあることに気づきました。どちらも同じ冬芽をしています。そして若木の皮目は、茶色い地に白いひし形が並んでいました。

白いひし形の皮目ができる樹種は、この付近だと、イヌエンジュ、ヤマナラシ、アズキナシの3つです。イヌエンジュは明らかに冬芽が違うので、ヤマナラシかアズキナシです。

ヤマナラシは別に珍しい木ではなく、よく見かけるのですが、若木の観察経験はありません。

しかし、図鑑によるとヤマナラシの若木の樹皮は白っぽいそうです。以前撮った成木の樹皮は、灰鼠色ベースに黒のひし形でした。

だから、樹皮が黒く、枝に斑点があるこの木はアズキナシの可能性が高いと考えました。林産試験場の資料の写真でも、アズキナシの樹皮は茶色の地にひし形の皮目だったので、よく似ています。

以前撮った写真では、ヤマナラシの枝には白い点々がなかったので、その有無でも区別がつくのかもしれません。しかしネットの写真によると、ヤマナラシの枝でも多少の点々があるように見えるので、自分で意識的にヤマナラシを観察してみないことにはわかりません。

その後、帰り際、森を抜けたところで、前回来たときも見た別の若木に目が止まりました。その時はヤマナラシだと判断した木でしたが…。

あ、アズキナシだ。と思いました。さっきの写真の樹皮とそっくりですね。

冬芽はやはり赤くて小さな形。ヤマナラシの冬芽も赤く、似た形状なので、これだけでは判別できません。

枝に白い点々はあります。

前回この木をヤマナラシだと判断したのは、樹形がまっすぐだったからです。

この背筋がピンと伸びたような樹形が、ヤマナラシの近縁である、ドロノキやポプラによく似ていると感じました。事実、この隣にドロノキの若木かあって、形がそっくりでした。

しかし今日考えたところによれば、この木はアズキナシのようです。アズキナシの若木の樹形が、こんな形になるとは意外でした。

そもそもアズキナシが近縁のナナカマドと見分けにくいというのならわかりますが、全然種が違うヤマナラシと見分けにくいなんて不思議です。また何か、大きな勘違いをしているのでしょうか。よくあることです。

赤いスミレモ?をまとったカンバ類。真っ白なシラカバは不自然

最近わたしを悩ませているもうひとつの木はシラカバです。シラカバなんて簡単に樹皮で分かると高を括っていましたが、改めて森の中でシラカバを見てみると千変万化。シラカバのイメージがゲシュタルト崩壊しています。

これはシラカバ…? 褐色がかっているように見えるので、これこそ典型的なダケカンバなのでしょうか。

上空を見上げると、高い場所の樹皮はカンバ類らしく白い包帯のように見えます。しかし低い場所の樹皮はまったく違う色です。

どこが白いのか分からないけれどシラカバ? ダケカンバ?

かろうじて見えるカンバ類らしい樹皮の部分をぺらりと剥がしてみると、内部は確かにシラカバの仲間だとわかります。これも褐色がかっているのでダケカンバでしょうか。

どうして表面が全然白くないのか、というと、地衣類でびっしり覆われているからです。表面の樺茶色の部分を20倍接写レンズで拡大してみると…、

地衣類らしきイボイボが見えます。何という名前の地衣類なのかはわかりませんが、チャシブゴケを拡大すると、よくこのようなイボイボがついています。

先日から何度か写真を載せている、赤いカンバ類。表面が煉瓦色になっていて、とてもシラカバやダケカンバとは思えませんが、これも上空を見上げてみれば、シラカバらしい白い包帯の樹皮をしています。

当初、この赤い部分は、表面の白い皮が剥けて、内部の幹が露出しているのだと思っていました。カンバ類は若木のころは樹皮がサクラのような茶色なので、白い包帯の下は茶色なのだと思いこんでいました。

しかし、そうだとしたら、どうして森の中にあるカンバ類ばかり皮が剥けて赤くなってしまい、公園のカンバ類は剥けずに白く輝いているのかわかりません。また、森の中のカンバ類でも、低い位置だけ赤くなっていて、上空のほうは白い包帯のままな理由もわかりません。

どうしてなのか。もしかすると、皮が剥けているわけではないのでは? この赤いのも、じつは地衣類なのでは? と思い当たりました。

今まで目で観察ばかりしていて、「触る」ということをしていませんでした。わたしは都会育ちだから、触る、嗅ぐ、味見する、といった自然観察が大の苦手で、意識して行なわない限り、そうした方法が頭に上らないのです。

さっき樹皮を剥がしていたのも、それを思い出したからでした。これまでは目で見るだけでしたが、手で触って、樹皮をめくってみることで、確かにカンバ類だと確認することができました。

そしてこの赤い部分も、手で触って確認することにしました。指で撫でてみると、それは剥き出しの幹ではなく、短毛のフェルトのような柔らかな触り心地でした。確かにこれは地衣類かコケだ!と確信しました。

20倍レンズで接写してみると、それが裏付けられました。赤く見えている部分は、樹皮が禿げているのではなく、何か微小な蘚苔類か藻類のようなものが生えているのが見えたのです。

あまりに細かいので、20倍に拡大しても、かろうじて何かが生えている、ということだけしかわかりません。これが何であるか知るには顕微鏡が必要なのでしょう。「red lichen」(赤い地衣類)で検索すると、それっぽいのも出てくるので、じっくり調べたら正体がわかるかもしれません。

(追記 : 少し調べてみたところ、地衣類やコケではなく、trentepohlialesという藻類が似ていると感じました。さらに調べてみると、この藻類は和名ではスミレモと呼ばれる緑藻類の仲間でした。スミレモは藻類でありながら水中ではなく大気中で生活する気生藻類で、地衣類と共生しています。とりあえず、スミレモの仲間の何か、としておきたいと思います)

公園のシラカバには見られず、森の中のカンバ類だけ真っ赤になる理由、また同じ木でも地上に近い部分だけ赤い理由も、これがコケや地衣類だとしたら説明がつきます。

この森のカンバ類は、どれも地衣類に覆われていますが、色は赤、灰色、樺茶色など様々です。遠目に見る限り、赤っぽいのはダケカンバで、灰色っぽいのはウダイカンバではないか、と感じるのですが、樹皮ではなく地衣類の色を見ているだけなのかもしれません。

それで、いかにも灰色っぽく見えるウダイカンバのような木に近づいてみました。表面は地衣類に覆われていますが、カンバ類らしい包帯のような樹皮も露出しています。

これも皮をめくってみたところ、こんな色でした。普通に褐色を帯びていて、ダケカンバなのかもしれない、と思わせられます。でも、褐色を帯びていれば、必ずダケカンバだといえるのか?

気になったので、帰りに家の近所に生えている、明らかにシラカバだと断定できる木も調べてみることにしました。空気がきれいな場所のはずですが、森の中のカンバ類に比べたら、地衣類の少ないこと!

めくってみた限り、シラカバでもやはり褐色は帯びているようです。

もうひとつ別のシラカバでも試してみましたが同様。

ただ、最初に皮をめくったダケカンバらしい木と比較すると、上のウダイカンバらしい木やこのシラカバの樹皮は、褐色というより肌色と表現したほうがよく、色みが薄いようにも思えました。

またダケカンバと思われる木は、樹皮をめくらなくても、表面が褐色を帯びているのに対し、ウダイカンバの表面は灰色、シラカバの表面は白というのが違いなのかもしれません。

しかし、今日見たダケカンバやウダイカンバらしき木を、確実に同定する方法は今はありません。じつは全部、地衣類に覆われたシラカバだった、という可能性は無きにしもあらず。夏場に葉の形を確認するでもしないと、区別がつきません。もっと経験を積まねばなりません。

でも一つわかったことがあります。多くの人がイメージする、真っ白な樹皮のシラカバなんて不自然なのです。

本当に空気がきれいな森の中に生えているカンバ類は、地衣類というおしゃれな衣装をまとっているのが普通で、樺色だったり煉瓦色だったりするのが自然の姿なのです。

地衣類とコケとキノコ

シラカバ?ダケカンバ?の幹についていた地衣類。海外の植物に詳しいブログで、シラカバの木に地衣類がついているのをめったに見ない、と書いてあったのですが、さっきの話も含めて相当多様な地衣類が付着しているようにみえます。気候による違いでしょうか。

モジゴケを拡大。どういう構造の地衣類なのか、まったく知らないので、この象形文字のような部分にはどんな役割があるのか気になります。

(追記 : この部分は地衣類の子実体(アポシテア)だそうです。地衣類の子実体には複数の形状があり、裸子器でも被子器でもないリレラというタイプにあたるそうです。子実体なので、時期によっては見られないこともあります)

他の木の幹についていて、これもモジゴケらしき地衣類。象形文字のような部分があまり発達していないと、チャシブゴケにも見えますね。

よく目を凝らしてみると、周辺部が毛羽立っていることに気づいたので、接写してみました。トロロコンブみたいな細かい繊維があるのがわかり、やっぱりこれも藻類の仲間なんだな、と納得しました。

どの木を見ても、一つとして同じ装いをしているものはない。凍った滝も美しかったけれど、それよりずっと樹木を観察しているほうが面白く、一つ一つの木の樹皮を見て回っているだけで、一日じゅう楽しめそうです。接写レンズで地衣類を観察していると、水中メガネでサンゴ礁を覗き込んでいるような気分になれます。

名前はわからないのですが。

先日見つけて気になっていた蜘蛛の巣のような地衣類。…ではなく調べたところコケの仲間らしきことがわかっていたもの。今日は、蜘蛛の巣のような部分だけでなく、本体とつながっている状態を見れたので、確かにコケらしいとわかりました。

本体の部分を拡大。何のコケだかかわかりませんが、よっぽど乾燥しているようですね。霧吹きで水をかけたら復活するのでしょうか。

そのコケから伸びている蜘蛛の巣状の部分の拡大。糸に通した数珠つなぎのビーズのような形です。これまた海の中の風景のよう。

別の木に、もっと青々したのがついていました。こちらは乾燥を免れているのか。でも、本体部分と、蜘蛛の巣のように伸びている部分とがあります。やはりコケはこの細い枝のような部分を伸ばして、版図を拡大してくようですね。

本体部分の拡大。ハイヒバゴケとかその近縁あたりのコケでしょうか。

蜘蛛の巣状部分の拡大。同じコケですが、紐状に伸びて疎になっているだけで見た目がこうも変わるものなのですね。

滝の近くでは、前回見かけたのと同じものと思われるキノコを再発見できました。極小ですが、色がとても目立つので、目に留まりやすいのでしょう。前より若干成長しているようにみえます。

前見たときは、キノコのアナモルフ(無性世代)ではないか、とGoogle Lens先生が言っていました。

確かにネットで見るとコブリマメザヤタケのアナモルフが似ている。コブリマメザヤタケはクロサイワイタケ科ですが、そういえば、クロサイワイタケっぽいキノコも近所で見たことがあります。

もっと小さい子どものようなものも近くに萌え出ていました。

ネット上のアナモルフの写真とは似ているといえども、少し違うようにも見えるので、さらに成長してみないとわかりません。

残念なことに、結局、前回見つけたはずの幻のコシアブラは見つからず、今回も写真に収めることができませんでした。(追記 : 後にただのハリギリだった可能性が浮上)

記憶を頼りに探してみましたが、何か覚え違いをしていたようです。木のサイズが頭の中で誇張されたのかもしれないし、同じ森の中の似たような場所と混同しているのかもしれません。次回行くときに再チャレンジします。

2021/01/16土

「われらをめぐる海」読書メモ(1)

昼間はずっと吹雪いていました。稚内では暴風雪だったとか。例年より雪が多いということはないのですが、ずっと天気が悪く、青空がめったに覗きません。星も夕焼けもサンピラーもほとんど見る機会がありません。

夜になってサイクリングに出かけましたが、5分くらいかけて上り坂を登ってから、15分くらい除雪の行き届いていないダートのような雪道を走ることになってしまい、非常に激しい運動になりました。つい一昨々日くらいもそうだったのに懲りないわたし。

マイナス10℃を下回っているのに汗だくになってしまい、帰ってきたときには太ももがぷるぷるしていて痙攣を起こさないか心配だったので、風除室でしばらく息を整え、すぐにシャワーを浴びました。

春になったらまた農作業が待っているので、冬の間も体を鍛えておかないといけません。といいながら、わたしの運動はスノーシューにしてもサイクリングにしても下半身ばかり鍛えていて、腕の力が全然つかないので、今年の農作業も苦労しそうです。

真面目にリングフィットをやればいいのだけど、外で運動するほうが楽しくて、帰ってきたらもう余力がない、の繰り返しです…。リングフィットやるとしてもマウンテンクライマーばかりやってるし。

さて、今日からは新しい本、レイチェル・カーソンの「われらをめぐる海」を読み始めます。「海辺」の一つ前の著書です。

第一章
■訳者あとがきにも書かれているが、この本は「海辺」とは違い、地球の歴史のような、より大きな科学を扱っているため、現代では学説が更新されている点も多々ある。

たとえば、当時、地球の年齢は25億年と見積もられていたことが覗い知れる。とはいえ、レイチェルは、誠実にもその見解が将来更新されうることを明記している。(p10)

■わたしたちの体の中を流れるナトリウム、カリウムなどを含んだ液体が、母なる海の名残りだとする考え方は面白い。その割合は海水とほとんど同じ割合だという。確かに最近、鼻うがいで生理食塩水を作っているので、実感がある。

棘皮動物のもつ水管系は、血液の代わりに海水を流すことで機能しているという話を思い出す。体内の水路システムを海水で満たす海綿動物もまた。(p22)

そしてレイチェルによれば、子宮の羊水に浮かんでいるさまは「小さな海岸」から陸に上がろうとしているかのようだという。(p23)

■「都会や町のような人工の世界のなかにいると、かれは自分の惑星の真実の姿や、人類という種族の存在がへんの一瞬間を占めたにすぎない、この惑星の長い歴史のなかの追憶の数々を、しばしば忘れてしまうものである。

これらの物事の感覚は、長い海上の旅のなかにあって、くる日もくる日も、波のうねりで揺れる地平線の遠ざかっている果てを見守っているとき、そしてまた夜間、星々が頭上を過ぎていって地球の自転をさとるとき、あるいてはまたこの水と空との世界にただ1人いて、かれが宇宙のなかにある地球の寂しさを感ずるとき、もっともひしひし心に迫るのである。

そしてそれかせ、かれは世界は水の世界であり、この惑星を支配するものは、マントのようにそれを覆う海洋だということ、さらに大陸は、めぐる海の表面のほんの一時の宿を借りている土地にすぎないという真理を、人は知るのである」。(p27)

訳文が古めかしいのが残念ではあるが、海の壮大さを伝えてくれるこの文章で、第一章は締めくくられている。人はどうしてここまで傲慢に尊大になってしまったのだろう、と感じる。

それはレイチェルが書くように、都市と人工物の間に引きこもって育った世代であるがゆえなのか。本物の大自然の中にただ1人で立ち尽くしたら、もろくも崩れてしまうような誇大な自己が、今の世界では幅を利かせている。人類は自分の妄想の中でだけ、この世界の王であるのに、それに気づかない大仰な振る舞いのせいで、今や自滅しようとしている。

第二章
■ノルウェーの民俗学者トール・ヘイエルダールの航海。1947年の夏、イカダ(コンチキ号)で太平洋を101日7000キロ漂流し、ポリネシア人の祖先が南アメリカから来たとする説を検証したという。

そのさなか、夜になるとイカの群れが水中から弾丸のように飛び出してくるなど、暗い夜ほど生き物の動きが活発になった。夜間だけしか表面にやってこない深海魚もいる。(p30-31)

■ダーウィンのビーグル号のエピソード。夜間にアザラシやペンギンの大群に囲まれて、その騒々しさに、何かの間違いで牛のいる陸地に近づいてしまったかと思ったという。(p34)

翻訳が古くて読みにくい。あまり良い訳ではないのかもしれない。「海辺」の翻訳者が、レイチェル・カーソンの感性を日本語に翻訳する技術がいかに秀でていたか、今更ながら思い知らされる。

■サルガッソー海。よく美しい画像で見かける透き通る海の名前を知った。海洋のなかで最も塩分が高いところ。アメリカ合衆国と同じくらいの広さがある。海洋以外も含めれば、紅海が最も塩辛いという。対して極地の海は最も塩分が少ない。

サルガッソー海はさまざまな海流に取り巻かれた海の孤島のようであり、独自の生態系が発達している。ホンダワラが大量の繁茂していて藻海とも呼ばれる。浮き袋を持っていて、付着根なしで浮遊していられる。それらは数十年、数百年と生きている。生き物たちは何千mもの深海に落ちないよう、ホンダワラにしがみついて巣をつくっている。(p35,41)

第三章
■海の四季。海流が冷やされて沈降することで、鉱物の循環が促進され、それが土壌の栄養と同じように、海の植物が芽吹く養分となる。「雪や氷におおわれた畑のなかの小麦の粒子が、春が来れば芽が出て成長するのに似ている」(p47-48)

■夏や秋の海の燐光。原生動物のヤコウチュウ、メガニクティファネスという小エビ、ゴニオラクスという渦鞭毛藻などが群れなして輝く。

渦鞭毛藻はシガテラ中毒を引き起こすので、インディアンたちは海が輝くようになると、イガイ漁を禁じていて、見張りを置いて警告することもしたという。

ダーウィンもビーグル号でブラジル沖へ航海していたとき、燐光で光る海を眺めた。「この熱で溶けつくしてしまいそうな物質の海は、ミルトンが天地混沌のなかで書いている描写を思いださずには、とうてい見ることができなかった」(p52-55)

■冬の海。ジョセフ・コンラッドはこう書いたという。「とほうもなく広い灰色の海面。波頭は風に流されて条をひき、もつれた白いまき毛のように波打ちかき乱された、おびただしい泡立ちは、風の吹きすさぶ海に、まるで光そのものよりも以前に創られたかのような、光沢がなくて鈍く、かすかな、古色蒼然たる姿を与えずにはおかない」。

流氷なき冬の太平洋もまさにそんな風景だったのを思い出す。ちなみに「古色蒼然」とは古めかしく趣のあるさまを意味するらしい。初めて知った。(p55-56)

■「しかし冬の海の灰色の荒涼のなかにさえ希望のシンボルがないわけではない。冬の陸地に、生命ないように見えるのは錯覚だということを、わたしたちは知っている。緑の影も形もないような、樹々のハダカの枝をよく見るといい。枝という枝には、すでに芽がびっしりとついている。それらは絶縁され、おおわれた層の下に隠れ、完全に保護されているが、やがては緑に膨らんで、すべて春の魔法となるのである」。(p56)

とても好きな一節。いま冬芽を観察している時期だから実感もある。冬の生き物は眠っているように見えて、機を待ち望んで力を蓄えているのであり、それが春の爆発的ともいえる力強い芽生えを生み出すのだ。

第四章
■深海の話。ソナーについての解説文も書いたことがあったレイチェルの本領発揮の項。ソナーがいかにして開発され、海底探査に使われるようになったかが書かれている。

深海は当初無生物とされていたが、底網や電線ケーブルの引き上げなどの機会に、生き物が存在することがわかった。そして1872年、海洋探査のチャレンジャー号が大量の深海生物を引き上げたことで、深海生物探査の機運が高まった。

第二次世界大戦前にソナーが開発され、戦中に三人の科学者がソナーで海中を調べたところ、昼夜で上下する謎の層を発見し、彼らの頭文字をとってECR層と名づけられた。その原因は、ブランクトン、魚、イカなどの群れと思われた。(p62-66)

…が、今なら正体が解明されているだろうと調べてみたが、日本語ではろくな資料がなく、2つくらいしか出てこない。その一つが「超音波散乱層の音響リモートセンシングに関する基礎的研究」という本で、PDFもあるのだが、高度に専門的すぎる。適当に読んだ限りでは、たぶん日周鉛直移動する動物プランクトンが正体だとされているのかな。

■マッコウクジラとダイオウイカの深海での戦い。この当時からわかっていたらしい。オットセイも深海の潜って食事しており、当時知られていなかった魚の骨が見つかってオットセイウオと呼ばれた。(p71-72)

■海の生き物の色と深度の関係。サバやニシンなどの表層魚やカツオノエボシは青や緑、少し深い場所のクシクラゲや魚類の幼生は水晶のように透明、太陽光線が尽きかける境目(300m)では銀色、赤、黒など。それより深くなると黒や暗紫になる。たとえばクラゲは表層のは青や透明だが、深海では赤や紫になる。(p76)

深海の生物の多くが発光機能を持っている、海を挟んで下方にも夜空があり、そこには無数の生きた星が住んでいる。そこまで深くなると植物は生きられない。(p77-78)

■深海にハイドロフォン(水中聴音器)を仕掛けると、猫のような鳴き声や金切り声、うめき声などが録音され、「舗道を引き裂く空気ドリルの音のような」声や「カエルのようなしわがれ声」はクローカー(スズキ目ニベ科)という魚の声だった。(p79-80)

「海辺」の本に出てきたテッポウエビのことかと思われる焚き火のようなパチパチという音も聞こえる。もちろんイルカなど哺乳類の声も。(p81)

■シーラカンス発見の物語。1938年12月に南アメリカの漁師たちがトロール網で奇妙な魚を引き上げ、博物館に寄贈されてラティメリアと名づけられた。3億年前の化石にも残っているのと同じ姿だった。1952年にはマダガスカル北西沖で第2のシーラカンスが見つかったが、異なる種類だった。

(※調べてみたら、1952年の個体は同一種だったらしい。その代わり、インドネシアで別種が発見されており、かなり古くに枝分かれしたと考えられている)

また3000万年前の古代サメに似ているラブカは日本とノルウェー近海で発見されている。(p83-85)

 

今回はここまで。翻訳が古い上に硬い文体で読みづらい。次々に固有名詞ばかり出てきて、イメージしづらいのも辛い。おおまかな地図くらいは調べるし、主要に生き物も画像検索するが、一瞬だけ出てくる知らない固有名詞すべてを調べる気にはなれない。

それでも、サルガッソー海のようなロマンあふれる場所の記述にはとてもわくわくする。幾多の海流に囲まれた未知の海域、船乗りたちの間で数々の伝説が語られる謎めいた場所。独自の生態系が構築されている未開拓のエリア。

今ではもうそんなことはないのかもしれないが、コナン・ドイルの「失われた世界」のような、そんな設定に弱い。近寄りがたい未知なる領域に挑む冒険譚に昔から憧れてきた。

ゲームをプレイしながら、そんな空想を膨らませたこともあった。フォーエバーブルーが好きなのは、そんなロマンが詰め込まれていたからだった。深海探査のステージはホラーチックでありながら神秘的でわくわくさせられた。

最近は、そんな空想をかきたててくれるゲームや本に全然出会わない。薄っぺらいものが多くなってしまった。濃厚な舞台設定や演出が作り込まれていないせいだと思う。現実でそんな冒険を楽しんでいるとはいえ、フィクションだからこそ輝く、未知の謎に挑む冒険譚のような作品を見つけたい。

2021/01/17日

凍結した湖を見に行く

今シーズン二度目の快晴。夕方以降はまた曇ってしまい星空は見れませんが、昼間は雲ひとつない青空だったので、久しぶりに岩尾内湖まで行ってみました。山間の湖なので、先日の朱鞠内湖とはまた違った味わいがあります。

湖畔に立っていた看板。「十分注意してください」であって「立入禁止」ではないのですね。絵も湖の上に立ってワカサギ釣りしてるし。このあたりの、危険はあるけど自己責任でどうぞ、というのが道北らしい。ヒグマのいる森に入るのと同じですね。

橋の上から見下ろすと、湖は見事に一面凍りついて、雪原になっていました。キツネやシカの足跡が湖を横断しています。スマホを落としたらどうしようと思って、握りしめる手に思わず力が入りました。

エゾシカの群れの足跡は、湖の周辺部にはたくさんついていましたが、中心部はほとんどありませんでした。シカの体重だと危険なのか、あるいは何もない吹きさらしの場所を長距離移動する理由がないだけなのか。

スノーシューを持ってきたので、斜面を下って、湖畔まで行ってみました。ヤナギ?の木が枝の付け根まで埋まっていて、かなりの量の雪が降り積もっていることが見て取れます。

湖の上を歩けなくもないのですが、どこまで安全なのかよくわからない。朱鞠内湖はどこまででも歩けたし、スノーモービルの重さにも耐えていたので、きっと十分歩けるでしょう。

でも、知識も経験もないから、無謀なことはやめておきました。なんとなく足元の氷がギシギシ鳴るような気がするし。湖畔から見晴るかすだけでも満足。

湖のそばに住んでいて、毎日通っていれば、どの程度までが安全なのか感覚をつかめるのかもしれませんが…。アイヌ時代は普通にソリで横断してたんでしょうね。

その後、以前歩いたことのある岩尾内川沿いをスノーシューで探検してみようか、と思っていたのですが、なんと先客がいました。誰かがスノーシューで入っていった跡があり、帰ってきた足跡はなかったので、きっとマニアックな釣り人でもいるのでしょう。

代わりに、近くの展望台へ。冬は除雪されていなくて、雪に埋まっていますが、スノーシューがあれば問題なく到達できます。建物の中まで雪が吹き込んでいて、階段や踊り場に積もっていました。吹きさらしの窓から見える景色は幻想的。

展望台の頂上からの景色。頂上も雪が堆積して手すりも埋まっていたので、端に行かないよう注意しました。落ちたら大怪我しかねない。そこからの景色は、手前のエゾマツと奥の整った山々に囲まれた湖が、まるで日本画のように風情がありました。

別の方角には、てっぺんの岩地に雪をいただいた立派な山が。スカイブルーを映した眼下の雪原だけ見れば、標高の高い冠雪した山をバックにした夏の湖に見まがいそうな風景です。富士山を見に行かなくても、わたしにはこの景色だけで十分に満足です。

帰り道で家の近くから眺めた夕日。晴れた空に沈むサンピラーを期待しましたが、巻雲が出てきてしまって、かないませんでした。でも、これはこれで芸術家の絵筆のタッチのようで味わい深い。

気温はマイナス11℃くらいでしょうか。標高の高い場所にいたせいか、その程度でもひどく冷え込んでいるように感じました。

こんないい天気の日は、森に入って探検してもよかったかも。やりたいことはたくさんあれど、冬は短く、晴れている日は少ない。残りの日にちも活動的に過ごして、できる限りのことを楽しみたいです。

ダケカンバの観察。実が垂れ下がらない特徴

湖周辺は標高が高いからか、ひと目でダケカンバだと判別できる、褐色を帯びた樹皮のシラカバ似の木が立ち並んでいました。森の中のものと比べて地衣類は少なめだったことからも、見分けるのが楽でした。

同様の環境でも、ヤマザクラはこんなに地衣類がついているのに、ダケカンバにはほとんどついていないのか謎。ニューハンプシャーのブログでシラカバに地衣類がついているのをめったに見ないと書いてあったのは、これと似たような環境だったからなのだろうか。

ダケカンバは樹皮がオレンジ色がかっていることで判別できますが、確実な違いの一つは、実の付き方。シラカバは実がちょうちんのように垂れ下がり、ダケカンバは斜め上に突き出します。湖畔のダケカンバはその様子がはっきり観察できました。

こちらがダケカンバの実と雄花。

次の写真は、そのすぐ横に生えていた別のカンバ類の実と雄花。樹皮の色も白から灰色がかっていたので、シラカバかウダイカンバでしょう。

湖畔の木は森の中ほど密生していないので、背丈があまり高くならず、実の観察も容易でした。森の中だと背が高すぎて、今使っている望遠レンズだとはっきり見えないことが多いです。

しかし、今まで森の中で見たダケカンバだと思っていたものは、実がもっと垂れ下がっていました。ダケカンバではなく、赤っぽい地衣類がついているだけのシラカバかウダイカンバだった可能性が高くなりました。

展望台から見下ろして気になった謎の木。黒っぽい実がついているように見えますが…。

降りて調べてみると、実はほとんど残っておらず、果柄が目立ちました。

冬芽が見当たらないと思ったら、とても地味で小さいことがわかりました。この地味さからするとズミかエゾノコリンゴでしょうか。名寄市内の殺虫剤のかかっているズミはまだまだ赤い実が大量についていましたが、自然のままのズミの実は大人気で在庫切れです。

帰りに家の近所で夕焼けを見た場所に生えていたエゾノバッコヤナギと思われるヤナギ。すでに冬芽からもこもこした花が見えているのがわかります。

2月にはヤナギの花が咲き始めますが、もう準備を始めているのですね。春の足音が遠くから響き始めたかのようです。

2021/01/18月

岩壁でデンダっぽいシダを見つけたが、ただのシシガシラかも

今朝はマイナス20℃まで冷え込んだので、今シーズン最初のアイスキャンドルを作ってみました。これから開口部を削らないとキャンドルを灯せませんが、いい感じに凍結してくれました。

マイナス20℃に下がる日は快晴で放射冷却が起こっていることが多いですが、あいにくの吹雪。しかし昼ごろから雪の勢いが収まってきたので、友だちと一緒に滝のある森を散策してきました。寒いからお互い顔を覆っているし、屋外でソーシャルディスタンスも保たれているので大丈夫でしょう。

友人は昨日スノーシューを買ったばかりなので、森の中を歩けるだろうか、と心配しましたが、雪が引き締まっていることもあり、全然問題ありませんでした。何より雪国出身の人は体幹が強靭だから、多少険しい道のりでもへっちゃらですね。

滝は数日前と同様にしっかり凍っていました。滝壺にも雪が積もっていて、回り込めば滝の目の前まで近づけそうと思ったので、ストックで足元の地面が薄氷でないか確認しつつ、川を渡ってみました。シカの足跡もあったし、水の上らしき場所でも意外と歩けるものです。

間近で撮った氷爆。

もちろん手で触れることもできます。表面の凹凸がまるで鍾乳洞の柱のような形です。どちらも自然の流体だから、同じ法則で固まるのかな。

雪の上を登っていけば、普段は決して行けないだろう滝の岩壁の上方にも到達できました。積もった雪の隙間から見えている岩の表面は複雑な模様と色合いで画家のキャンバスのよう。地質学に疎いので、これが何という石なのかはわかりません。表面には地衣類もついているようです。

その岩陰から、見慣れないシダ植物が生えているのを見つけて、思わず手で引っ張ってちぎり取ってしまいました。非常に小型で、全長20cmくらい。一回羽状複葉なので、これはもしかしてずっと探していて見つからなかったデンダの仲間ではないか、と頭をよぎります。

羽片の中心に線が入っているこちらが、おそらく表側か。

表側を拡大した様子。羽片の先は丸みを帯びていて、ふちは裏側に巻き込んでいます。

次の写真は裏側と思われるほうの拡大写真。羽片のふちがくるりと巻いているのがわかります。

もともと生えていた岩壁の様子。わたしがとっさにちぎってしまったせいで、先が切れています。ちぎったのは2本あるうちの左側だけです。枯れているとはいえ、早まったことをしました。

もっとじっくり観察したかったのですが、友人と一緒に来ていたので、余裕がほとんどありませんでした。せめて雪をよけて、付け根の様子を確認すべきだったと後で後悔。鱗片の有無もわかりません。

帰宅してからシダ図鑑で照合したところ、まずイワデンダやツルデンダではありません。それらのデンダはイノデ属に属していて、裂片に柄がある(裂片が軸にくっつく付け根が細くなっている)のが特徴。今日見たシダは裂片に柄がありません。

そうすると、これに似たシダは、ウラボシ科のオシャグジデンダかエゾデンダ、ということになります。ところが、それらのシダは冬緑性、つまり夏に枯れて、冬は枯れないようです。夏に枯れたものが着生したままという線もありますが…。

もしかすると、デンダではなく、ただのよくあるシシガシラかもしれません。シシガシラも一回羽状複葉なので形は似ています。通常、シシガシラはもっと葉が大きいイメージですが、これくらい小型の場合もあるのかもしれません。(ネットで調べてみたら、生える環境によっては小型になると書いてあった)

下のほうの羽片が、はっきりと短くなっている点もデンダよりシシガシラの特徴に近いか。

シシガシラなら付け根に鱗片が多いので、そこまで確認しておくべきでした。上の写真だと、軸にまばらに鱗片がついているようなも見えるので、やはりただのシシガシラの可能性が高い。

せっかく新しいシダを発見できたかと思って小躍りしたのに残念…。

でも、じっくり観察してみないことには結論を出せないので、近いうちに晴れている日を見計らって、また行ってみたいと思います。雪の下に、普段見かけない何かが埋まっているかもしれない。

友人はスノーシューをとても気に入ってくれたようです。これがあればどこでも歩けるから面白いと言っていました。地元の人なので、無茶はしないでしょうし、いい具合に楽しんでくれそうです。

2021/01/19火

ついにカメラ買いました。森で試し撮り

前からずっとカメラを買うべきか買わぬべきか悩んでいましたが、ついに買ってしまいました…。まだまだコロナの時期は続くだろうし、自然観察はずっと続けるだろうし。

一番の目的は野鳥の観察です。まともな望遠性能のカメラがないせいで、鳥がいても、どうせ撮れないだろう、と学習性無力感のようなものが働いてしまっていました。

スマホ+望遠レンズでもそこそこ撮れていましたが、最初に買った海外企業のレンズは性能は良かったのに破損が早く、二代目に買った国内企業のレンズは品質が悪く映り込みが激しいため、使いにくさを感じていました。やはりスマホで撮影は限界かなと。

それで、気になっていたニコンの超望遠デジカメの比較的安い価格のを買うことにしました。性能は光学ズーム60倍。スマホの望遠レンズは20倍だったので、これまでの3倍遠くまで撮れます。レンズの品質は最高級なので、映り方もきれいです。

欠点は500gと重いこと。WiiUゲームパッドと同じ重さなので、ギリギリ許容範囲かと思って買いました。絵心教室やってたときはずっと持って描いてたんだから大丈夫。

一番の問題点はマニュアルフォーカスがついていないこと。オートフォーカスだと撮りたいものにピントが合いません。同じ距離のものにピントを合わせてから撮るという代替手段はあるものの、かなり面倒です。接写は今までどおりスマホ+接写レンズのほうがいいかもしれません。

不満点は幾つかあるけれど、ほかに選択肢がなかった。何十万もする一眼レフなんて買えないし、いろいろな機能を使いこなすのが面倒すぎる。何よりわたしは野鳥だけを観察したいわけじゃなく、自然観察全般に使えるカメラがほしい。

今日一日使ってみたところ、現状ではベストの選択肢だったかな、と満足しました。手放しに良いとは言えないけど、欠点も妥協できる範囲内だと感じました。

試し撮りに出かけた森はいつものところ。試し撮りのはずが、森の奥深くへの探検も兼ねて、今まで通ったことのないルートをぐるりと回って、2時間かけて雪の森を端から端まで横断してきました。

最初に試し撮りしたのは冬芽。このカメラは超望遠ですが、できれば冬芽の接写もこれでやってしまいたかった。両方が一台のカメラでできるのが理想。最短焦点距離が1cmなので、できないことはないはず。

まずミズナラの冬芽を撮りましたが、ピンぼけで失敗。次に撮ったツルアジサイの冬芽はまずまずか。

マクロモードにしても接写ではピントが合わないため、後ろに手を添えることで無理やりピントを合わせました。しかし明るさのオート調整が今ひとつで若干白飛びしています。

いったん特定の距離にピントを合わせて撮影ボタンを半押しすれば、焦点距離を一時的に固定できます。しばらく進んだ先で、ノリウツギの冬芽をその方法で撮りましたが、微妙にピントがずれていました。カメラの液晶が小さすぎて、ピントが完全に合っているのか、かすかにボケているのかが判別できません。

スマホの場合、数十枚連写しまくることで1枚くらいピントが合っているのが撮れますが、デジカメは連写できないので難しい。

(追記 : と思ったら、鳥モードを使えば連写できるようです。またクローズアップモードという接写専用のモードもあった! 買う前の仕様書で読んだ記憶があるのに、説明書に載ってないから、上位機種限定なのかなと思っていました。このカメラは操作も説明書もシンプルでいいのですが、説明書に載っていない機能が多いので、使いながら覚えていくしかなさそう)

森の中で見つけた2つの動物の足跡。右はエゾユキウサギ。左はエゾクロテンとかエゾイタチでしょうか。足跡は見つかれど、姿はめったに見られない小動物たち。

天気はあまり良くなく、カメラの試し撮りという目的でもなければ外出しなかったかもしれません。多少吹雪いてようが、森に入ってしまえば穏やかで問題ありませんが…。

今月初頭まで未踏破だった地区に、またやってきました。もう5回目くらい? 6回目? なので慣れたものです。かなり距離があるのに体力的には十分に余裕があり、今まで通ったことのないルートで帰宅してみようと思いました。

(後で調べたら、このカメラには雪モードというのもありました。それで撮影したほうが、こんな景色はきれいに撮れるのかも)

その近くに垂れ下がっている、先日撮ったヤドリギも、新しいカメラで改めて撮ってみました。初回来たときは、ツル性植物だらけのおどろおどろしい地帯に、謎の黒い海藻のようなものが垂れ下がっていて、不気味さを感じたものでした。

ヤドリギくらい町なかにも普通にありますが、手で触れる高さにあるのは稀です。接写にもチャレンジ。焦点距離の調整に失敗して、少しピンぼけな一枚目。

2枚目は見事にピント合わせに成功していました。この黄色い部分はつぼみ? 花期は2-4月とされているので、もう少ししたら咲き始めるのかもしれません。でもヤドリギが咲くころにここまで来るのは、ヒグマが危険すぎて無理だろうな。

雪がかなり降ってきて、引き返そうか迷いましたが、今日こそは今まで通ったことのないルートを探検して帰るんだと決意して先へ進むことにしました。ずっと昔に森を抜ける道があったルートなので、ササが埋もれている冬であれば、なんとなく道らしきものが続いていました。

そこで見かけたクロミサンザシ。全国的には生きた化石的な珍しい樹木らしいですが、うちの近所の森には点々と自生しています。今日見つけた場所はもちろん始めて。夏の花が咲いている時期には絶対に見に来れないところだけど。

枝にピントをあわせるのは難しいので、かなり上手く撮れたほうです。しかし、肝心の先端の冬芽部分がわずかにボケてますね。いい写真を撮るって難しい。

その未踏破ルートの風景。ここも大量のツル性樹木が繁茂していて、ヒグマの食料庫ではないかと思わせます。

次の写真のツル性樹木は、写真だとわかりにくいですが、明らかに下から万力で引っ張られたかのような不自然な歪みが見られました。これこそ間違いなくヒグマの熊棚では?と思わずにはいられませんでした。

この近辺がヒグマの縄張りであることは、過去の目撃情報からしても、周辺の森に落ちているフンの形跡からしても間違いないので、コクワの木があれば間違いなく食料にしてるはず。

もともと道があった名残りなのか、頭上に木々は少なく、景色は開けています。にも関わらず、野生動物の足跡だらけでうすら怖いです。エゾシカの群れがついさっさ走ったのではないかと思われる真新しい足跡がありました。緊張が走ります。

雪が降りしきって冷たく感じましたが、もともと道があったらしき道はずっと続いていて、森の出口につながっていることがはっきりわかりました。確かその方角には渓流が流れているはず。森を出るにはそれを越えなければなりません。

細い川だから、たぶん雪が積もっている今なら歩いて渡れるだろうと考えて、先に進むことにしました。時刻はまだ15:00。どうしても道がないようなら、来た道を戻ることは可能でしょう。

しかし、雪がかなり降っている中、今さら引き返して、上り下りの激しい道を1時間も歩くのは面倒。できることなら道があってほしいと願うばかりです。

くっきり撮れたエゾコゲラとエゾシカ

少し時間を巻き戻して、森に入ってしばらく歩いたところのカラマツ林でのこと。頭上20mものこずえで、カラ類の群れの鳴き声が聞こえました。忙しく飛び回ってはカラマツの実を食べています。

超望遠カメラを試す時が来た! と思って、曇り空で逆光の樹冠を見上げて、カメラを構えてみました。

さすが60倍の超望遠。驚くべきことに、そんな高いところにいるカラ類のような小鳥でも、姿をとらえることができました。しかし動きが素早すぎて、シャッターチャンスに恵まれません。

それに、500gものカメラを頭上に向けて構えていると、首と腕が相当きついです。どうせカラ類だし、森の奥に行けば、キツツキとかシマエナガとかもいるかもしれない、と思ったので、次の機会を探すことにしました。

そこから、さらに歩くこと15分ほど。かなり傾斜の激しい斜面を登っていたとき、あちこちから、木をつつく音が響いてきました。音の大きさからして、中程度のキツツキではないか、と予想しました。

音のするほうを注意深く探すと、予想に反して、小柄なキツツキのエゾコゲラでした。白と黒のしましまで木の幹に同化しています。キツツキは動きがゆっくりだし、幹にとまっているので、カメラで撮りやすいはず、試しにカメラを向けてみると…、

こんなにきれいに撮れるの!? 

びっくりしました。そこそこ遠い距離にいるし、小さい鳥なのに、これほどはっきりと写るなんて…。散々迷った買い物だったけれど、これは買ってよかったのでは?

初めてコゲラの姿をまともに見ました。これまで撮った写真は、かろうじて写っているというだけで、背中の模様くらいしか判別できませんでした。こんな顔をしていて、こんなにモコモコした生き物だったとは…。

顕微鏡で観察された微生物もそうだけど、生き物は目に見えなければ、いないも同然です。姿を目で見ることができて初めて、「そこにいる」ことが意識されます。だから、望遠レンズであれ顕微鏡であれ、生き物の存在を認識するためのツールは、自然と親しむのに、すごく大事だと思います。

そうは思えど、カメラに数万円出す出費は厳しいから悩み続けていました。でも、こんな経験ができるのなら、将来の自分への投資として悪くなかったかもしれない。

それから、例の未踏破地帯を通り抜け、未知のルートを下り、森の出口へと向かいました。鳥の気配も時々ありましたが、雪がかなり降っていて冷たかったので、撮影することはできませんでした。このカメラの動作保証は一応0℃までなので、マイナス10℃の屋外で、雪に濡れさせてまで撮るのははばかられる。

それに、今まで来たことのない森の奥地で、動物たちの足跡がとても多く、明らかにヒグマが引きずり下ろしたようなツル性樹木まであるので、緊張していました。さっきも書いたとおり、真新しいシカの群れの足跡も残っていて、すぐそばに野生動物がいても不思議ではない雰囲気でした。

ようやく渓流の流れている地帯にまで下ると、ずっと昔に建てられたらしい小さな木製看板、そして渓流をわたるための朽ちかけた小さな橋が見えました。やはり昔は使われていた道のようでした。でも今は野生動物の王国です。

そのとき、前方10mほどの茂みでガサガサっと大きな音がして、思わず「わわっ!」と声を上げてしまいました。

姿を現したのは立派な角を持ったオスのエゾシカ! こちらの声にひるんで逃げる様子だったので、冷静にカメラを構えて写真を撮りました。

見事に写っている! エゾシカの体が沈み込んでいることから、雪の深さがわかるというもの。

面白かったのは、エゾシカって、雪が深いと両足跳びでイルカみたいにジャンプするのを繰り返して移動するんですね。それもかなり短距離をぐわんぐわんと、雪の大海原の表面に出ては沈むのを繰り返すかのように。

かなり非効率的に見えて、移動速度も遅い…。エゾシカも深い雪には苦労してるんだなぁ…と思わずにはいられませんでした。

だから普段は、わたしのスノーシューの足跡の上を歩いたりして、少しでも楽してるんだなぁ。今日は突然驚かせてしまったので深い雪の中に慌てて逃げていったようです。悪いことをしてしまった。

しっかりピントも合って写ったのは上の一枚だけでしたが、下の写真でもエゾシカだとわかりますね。下半分雪に埋まっていますが、エゾシカは近くで見ると本当に大きい…。

動画も撮ろうとしましたが、早くも電池切れのメッセージが。フル充電でもマイナス10℃の屋外だと2時間くらいしかもたないようです。外付けバッテリー必須か。

渓流をわたるための橋は老朽化してボロボロでしたが、普通に雪で流れが覆われていて、シカの足跡が川を渡っていました。おかげでわたしも安心して渓流を渡ることができました。森の中では持ちつ持たれつです。

そこからしばらく歩くと林道に出ました。歩いたことはない場所ながら、夏場に車で探検しにきた記憶があるので、地理感はあります。夏場は背丈の高い草で覆われた、いかにもヒグマが徘徊していそうな林道でしたが、今は分厚い雪で覆われています。

そこから林道の雪の上をひたすら歩くこと15分。かなり足腰が痛くなってきたところで、ようやく、馴染みある場所に出てくることができました。2時間かけて、初めて森を横断して一周してきたことになります。かなりの距離の探検でした。

世間では昨日、冬のK2をネパール人チームが踏破したというニュースが。そんな人類の限界に挑む冒険とは比べ物になりませんが、わたしの体力からすれば、これまで限界だと思っていたハードルを超えたかもしれません。

新しいカメラもかなり満足のいく写真が撮れたし、1月の後半も、自然観察が楽しみです。

2021/01/20水

さすがに昨日は歩きすぎたようで疲れました…。今日は近くの公園を散歩して、鳥や冬芽を撮ってみることにしました。しかしかなり吹雪いていて、カラス以外には鳥は一羽も見当たらず。クローズアップモードで冬芽を撮るだけになりました。

アズキナシの冬芽。あまりに小さすぎて、クローズアップモードでもピントがうまく合いませんでした。特に明るさの調整が難しく、影になってしまいます。背後に手を添えたらきれいに撮れました。

アズキナシの実も残っていました。小さな(小豆)ナシのように見えるでしょうか。わたしはサクランボにしか見えません。実の表面にナシのような白い皮目があるそうですが、そもそもナシをじっくり見たこともないし。

一方こちらはナナカマド。写真で見ると確かにそっくりですね。現物の大きさは2倍くらい違うのです、見分けは簡単。冬芽図鑑でなぜか似ていると書かれていたせいで、現物観察するまで見分けにくいものと思っていました。

大きさ以外にも葉痕の点々(維管束痕)が5つあるので区別はは容易です。写真にもきっちり映っています。

そしてナナカマドの実。個体差だと思いますが、こちらはすっかり枯れてしおれてしまっていました。

エゾマツについていた雨氷。というかつららか。

そしてエゾマツの冬芽。初めて写真に撮りました。常緑のマツは葉っぱで見分けがつくし、落葉のカラマツでさえ見分けは難しくないので、取り立てて冬芽を観察したことがありませんでした。

ニシキギの接写でもしっかりピントが合っていて嬉しい。よほど小さいものを拡大して撮ろうというのでもなければ十分ですね。

イタヤカエデの実。表面についている模様まではっきり見えます。写真を撮るのがかなり楽しくなりました。

夜に月が出ていたので月モードで撮ってみたらこんな写真が! 今どきのデジカメってすごい…。

撮れた嬉しさよりも、現実のすばらしい風景をこんなに簡単に切り取れてしまうあっけなさを感じます。これじゃ科学雑誌とかに載っている味気ない写真と同じだ。

美しい写真なんてネット上に無限に転がっているのだから、実際にそこを歩いて、本物の自然を見た、という経験がなければ、なんて無意味なのだろう…。本当は以前のように、自分なりのフィルターを通して絵を描けるのが一番いいんだろうな…。

冷えて頭が痛くなってきたので寝ます。

2021/01/21木

さまざまな冬芽の試し撮り

ひと晩寝たら頭痛は回復しました。最近はずっとこのパターンです。自律神経の耐性領域を超えて負荷がかかりすぎると脳幹のあたりの頭の付け根に頭痛が起こりますが、ゆっくり寝ると回復します。常に不安定な感じはあります。

今日もまた一日じゅう吹雪いていて、外出するのが難しい天気でした。用事も多いので、近所の公園で冬芽の試し撮りをするだけにとどめました。

すっかり埋もれてしまった橋。もし初見だったら何なのかまったくわかりません。むやみに近くを歩かないよう注意が必要。

玉ねぎのようなニワトコの冬芽。実物のサイズはビー玉くらい。これくらい大きければ、ピンとはしっかり合うようです。背景が雪のせいか、写真が暗くなる傾向がありましたが、撮る時に露出を調整すればいいことがわかりました。

オニグルミの冬芽。こちらも大きいのでピントが合いやすい。でも、ちょっとした手ブレでピンぼけてしまい、この一枚しかまともに撮れていませんでした。接写モードだと手ブレ補正が働きにくいのかもしれない。

ミズナラの冬芽。冬芽のうちではまだ大きいほうだと思いますが、ピントがなかなか合いません。ちょっとした手ブレでボケるので10枚以上撮りましたが、完璧な写真は撮れませんでした。大切な写真はスマホでも連写しておいたほうがいいかも。

シラカバの冬芽と雄花。こちらも手ブレに苦しめられて、満足のいく写真はこれだけでした。

ここまで撮ったところで、また吹雪いてきたので帰ることにしました。

わたしは子どものころからずっと、写真に興味はありませんでした。写真は現実を切り取っただけで味気なく、絵に勝るところは何もない、と思っていたからです。

今もその気持ちはあまり変わっていません。どれほどきれいな写真が撮れたとしても、写真そのものに価値があるとは思えません。

でも自分で写真を撮るようになって、そのために野山を歩き回ったり、自然を観察したりすることには大きな意味があると思えるようになりました。撮った写真には愛着はありませんが、それが思い起こさせてくれる経験はとても大切です。

だから、このブログでは、写真にウォーターマークは入れていません。自分の描いた絵が転載されるのは困りますが、写真はどこでどう使われようと別になんとも思いません。作品としての愛着はまったくありません。

でも、写真は、かけがえのない記憶と結びついています。写真入りの日記を見返すと、自然観察の経験と学んだ知識が思いだされます。写真は人に見せるためのものではなく、自分の記憶を呼び覚ますためのものだと思っています。この日記もそのためのものです。

【気になったニュース】
名寄市で自衛隊3人が感染したことが18日に発表されました。わたしは自衛隊の親族を持つ人から噂を聞いていましたが、そのとおりでしたね。他にも、今日の発表によると、名寄市内で1人感染者が出たようです。しばらく名寄市内には出かけていませんが、今後も火急の用事がない限り自粛するのが良さそうです。

2021/01/22金

冬芽観察&また雄ジカ2頭と出会った

なんか体調が今ひとつだったにも関わらず、また先日シカを見かけた森の奥まで行ってきました。朝は天気が晴れていて、森歩き日和だと思ったから。天気予報でも、その後曇りマークだったし。

しかし、山の天気は変わりやすい。晴れるどころかホワイトアウトに近い吹雪になってきて大変でした。森の中はさほどでもなかったのですが。

体調が今ひとつなので、消耗しないように、道中の坂道は非常にゆっくり登りました。体調の悪いときでも、歩いているうちに元気になってくるものですが、今日はこれまでより悪く、森の中にいるのに、かすかに解離しているような薄靄かかった感じでした。

しかし、森の深くまで来たところで、鳥の鳴き声が聞こえ始めて、コゲラやヒヨドリらしい気配がしました。森の木々が高すぎて、姿は発見できませんでしたが、鳥の声に意識を集中しているうちに元気になってきました。やはり、解離とは自分の内側に注意が向きすぎて、異変を感じてしまうことなのでしょうね。

そこからさらに森の奥深くへ。先日見つけたルートのおかげで、引き返さなくても、森を横断して帰ってこれることがわかっています。

鳥の姿は見当たりませんでしたが、さまざまな冬芽を撮りながら歩いてみました。まず筆のようなコブシの冬芽。クローズアップモードで撮影すると美しい! 意外にもコブシの葉痕に維管束痕はかなり多く、この写真だと7つ?以上ありますね。

ペーパーナイフのようなホオノキの冬芽。スマホだと後ろに手を添えないとピントが合わず、接写レンズをつけると全体が映らないという、あちらを立てればこちらが立たず的な問題が起こりますが、このカメラだと全体像を写せて嬉しい。

ホオノキの冬芽。大きな葉だからか、思ったより大量の維管束痕(20以上?)があることがわかります。葉があるときに見るとトチノキとそっくりなのに、冬芽や葉痕は全然違う。複葉のトチノキよりも、単葉のホオノキのほうが維管束痕が多い。

怪獣のようなタラノキの冬芽。葉痕の維管束痕(30以上?)も一列に並んでいて、いばらの冠のようです。タラノキの葉は飛び抜けて巨大な複葉なので、これほどの大きな葉痕と維管束痕で支えているんでしょうね。

ミズキの冬芽。これはどうやってもピントが合わず、手を添えるしかありませんでした。接写レンズで撮ったかのようにはっきり写っています。冬芽全体が茎に至るまで赤みが強く、つぼみのようにも見えます。

コクワ?マタタビ?のツル。冬芽から何か飛び出ています。もう来年の芽が出てきて成長しはじめているのでしょうか?

しかし、拡大してみると、冬芽の部分から新しいツルと冬芽が出て、枝分かれしているだけのようですね。去年より以前に芽吹いた枝分かれということか。この赤銅色の色合いと、隠芽らしい冬芽の形からすると、ミヤママタタビなのかな。

マツの木に絡みついていたカラハナソウの実。まだきれいなドライフラワーの形を残していますね。真冬の雪の森にあって、琥珀色に輝く柔らかな花のような形の実がとても目立ちます。

近くのハルニレの木の枝には、アカミノヤドリギがたわわに実ってぶら下がっていました。時期によっては、大勢の鳥たちが宿り場にしているのでしょう。この写真は遠くのヤドリギを鳥モードで撮りましたが、これなら花が咲いている時期にも近所で写せそうですね。

そしていよいよ、先日、熊棚のようなツル性樹木を大量の見た地帯にさしかかりました。前回と同じように真新しいシカの足跡が大量にありました。これはもしかして、またシカがいるのでは?と用心して、平地に降りる前に丘の上から観察してみました。

すると…、

いた! また立派な角を持った大きな雄ジカが! 写真を拡大してみます。

見ているうちにシカは2頭いることがわかりました。両方とも立派な角のある雄のシカでした。ここは冬でも渓流が流れているので、水飲み場にしているのかもしれませんね。

2頭とも、人の姿を目にすると、特に急いで逃げるでもなく、そそくさと向こうの山のほうに帰っていきました。「なんか変なやつ来たで、よくわからんけど近づかんとこ」みたいな感じでしょうか。いやエゾシカだし大阪弁じゃないか。

困ったことに鳥モードで撮ると、連写の直後に長い硬直時間が発生してしまい、絶好のシャッターチャンスを逃してしまいました。今度から普通のカメラモードか、動画で撮影したほうがよさそうです。

シカがかなり遠くの木陰まで行ってから、なんとか最大望遠で撮れた写真。できればもっと近くにいる時に撮りたかったな。

そこからの帰り道。先日は簡単に渓流越えできましたが、昨日の暖気のせいで雪が溶けたのか、渡れそうなところが減っていました。シカの足跡が雪を突き抜けて冷水にドボンしていた場所も。わたしが追い立ててしまったせいかも。

少し回り道すると、もっと賢いシカが通った堅雪の上の道があり、その足跡についていけば、濡れずに渓流を渡ることができました。

そこからは長い長い林道。前回もここを歩くのが大変だった。平坦な道なのに、なぜか足腰にきつく感じます。地面にはさまざまな足跡。大きいのは前回のわたしの足跡。そのほかにシカとキツネも歩いたのかな。

帰り道の樹木の陰で見つけた、まだ緑色のシダ植物。もしかして珍しい種類?と気になったので調べてみました。

羽片の先が巻いていて形が読み取りにくいですが、裂片の先は丸く、毛だらけですね。

かなり小型だけど、季節外れで小さめに育ったオシダでしょうか? 見分け方の知識をかなり忘れてしまっている。冬芽もそうでしたが数年間経験を積まないことには定着しそうにありません。

林道を歩いているときは、幸いにも曇り空でしたが、それからまた吹雪いてきて、家に帰るころにはホワイトアウトになりそうな場面もありました。

帰宅後、のどが痛くなってきて、どこかで風邪をひいたのかと気をもみました。コロナウイルスにかかりそうな場所には外出していないはずなので、慢性疲労症候群によくある、疲れたときに出る潜伏ウイルス(ヘルペスウイルスとか色々)の再活性化かもしれません。

夜寝るときにものどが痛かったので、過去のように寝ているあいだに悪化して、明日一日くらい熱を出して寝込むことになるかもしれない、と覚悟していました。

ところが、翌朝起きてみると、のどの痛みもなくなっていてすっきり。大事に至らなくてよかった。こちらに引っ越して以降、一度も疲れたときの発熱発作は起こっていませんが、今回も未遂ですんだようです。

でも、さすがに疲れているときに、時間があるからといって森を横断するようなことはやめておいたほうがいいですね。近場で野鳥観察するくらいにしておきましょう。

2021/01/23土

今シーズン初のオジロワシ見た!

ということで、昨日の教訓から、今日は家の近所で野鳥観察に努めました。

しかし、時間帯が悪いのか、全然鳥が見当たりません。おかしい…去年はカラ類やキツツキ、さらにはキレンジャクやウソやシメなどもよく見かけたのですが…。そういえばシマエナガもあまり見かけませんし。

単にわたしの活動時間帯が昼間にシフトしたせいで、鳥の活動時間帯とずれているだけでしょうか。それなら別にいいのですが、異常気象で餌が少なくて鳥が減っている可能性もある?

全然鳥の気配がない林のそばを歩くこと15分。時々、常緑のエゾマツの茂みにごく小さい鳥(ハシブトガラ?)が数羽いるのが見えますが、動きが早すぎるし、枝葉に邪魔されて撮ることはできません。

空を見上げても、飛んでいるのは数羽のカラスばかり…。と思ったら、かなり向こうのほうを旋回しているトビのような鳥が。以前、トビかと思ったらイヌワシらしかったこともあるので、とりあえず写真に撮ってみよう、とカメラを向けました。

肉眼では茶色いワシの仲間っっぽい、としか判別できない距離ですが、さすが60倍の超望遠カメラ。はっきり姿をとらえることができます。しかし、カメラのモニタでは細かい部分まで観察できないので、帰宅してから写真を確認してみることにしました。そうすると…、

なんとオジロワシでした! 翼にトビのような模様はなく、代わりにはっきりと白い尾翼が映っています! ここに引っ越して来てから毎年オジロワシを見てきましたが、今シーズンもようやく見れました!

二年前、初めてオジロワシを見たのは家から車で5分ほどの山のふもとでした。一羽だけでなく、複数羽が常緑マツの枝に止まっていました。だから、家の近所にオジロワシがいるだろうことはわかっていました。

でも去年は少し離れた場所でしかオジロワシを撮れませんでした。たぶん、普通に家の近所にもいたし、滑空していたのに、気づけなかっただけだと思います。遠くをトビのような鳥が飛んでいるのは頻繁に見ますが、種類までわからないからです。

今回、新しいカメラを買ったことで、やっぱりオジロワシがいるんだ、と気づけました。見えなければ存在しないのと同じ。姿は見ることができて初めて存在がわかる。いい買い物をしたと感じます。

そのあと、公園のそばにある林の中を歩きました。夏場は分厚い下草に覆われていて、入り込めない場所です。今はすっかり歩きやすくなって、こんなに広々とした林だったのか、と思いました。

いかにも鳥がたくさんいそうな雰囲気で、木々の背丈も森ほど高くなく、観察しやすそうな林です。なのに、やはり鳥の気配はほとんどありません。仕方なく冬芽の観察を楽しみました。

その話は後で書くとして、木々を観察しながら、ゆっくり歩き回っているうちに、ちょっとずつ鳥が集まってきました。カラ類が数羽、そして、シラカバの幹を叩く小さな音。どうやらキツツキがやってきたようです。

目を凝らして眺めると、いました。コゲラです。今年の冬は、アカゲラやヤマゲラをあまり見ない代わりに、なぜかコゲラを頻繁に見かけます。わたしの目が慣れて、発見できるようになっただけでしょうか。

頭上のかなり高い位置にいて、見上げていると首が痛い、カメラも手ブレがひどいし、いっそのこと雪上に寝転んでしまうことにしました。ふかふかの雪に横になると、疲れた体に心地いい。寝転んでカメラを構えるなんて、まるで本物のバードウォッチャーみたいだ。

そのまましばらくコゲラを眺め、動画も撮ってみましたスマホの望遠レンズとは段違いに鮮明に撮れて、すばらしかったです。画質がいいので、柔らかそうなコゲラの毛並みが手に取るようにわかります。

楽しく眺めていましたが、手が辛くなってきました。500gのカメラは日頃鍛えていない腕にこたえますね。同じ重さのWiiUが売れなかった理由の一つでもあるだろうし。にしても足腰に比べてわたしの腕は本当に軟弱です。

それからあちこちの冬芽を観察して帰路につきましたが、まだ時間はあるし、全然鳥を見れず諦めきれなかったので、川沿いのいかにも鳥がいそうなヤナギの木立ちを通って帰ることにしました。

小さな渓流は雪でかなり埋まっていて、ほとりにはウサギの足跡が見えます。もしかしたら足跡を追っていけばウサギも見られるかも、と考えましたが、途中で川を渡って、森の中へと消えていました。

冬にウサギを見るのはシカよりもずっと難しい。今まで見た2回はどちらも夜中の川のそばでした。

川のそばを歩いていると、甲高い声をあげるヒヨドリが2羽。比較的大きい鳥なので、望遠性能さえあれば撮りやすい。何の木か確認しませんでしたが、写真で冬芽を判別する限りはシナノキでしょうか?

ふさふさの冠と、つぶらな瞳がよく映っています。今年はあまり鳥を見ませんが、カラスとヒヨドリだけは、例年どおり、どこにでもいる印象です。

残念ながら、せっかく川沿いの道を歩いたにも関わらず、見ることのできた鳥はわずかこれだけ。すでに陽は傾いて、山の稜線に隠れて暗くなってしまい、瑠璃紺の空にうっすらと月が輝いていました。

今日の冬芽

歩きながら見つけた冬芽いろいろ。まず林の中に生えていたごく若い木の冬芽。目立たない小さすぎる冬芽なので、ズミだろうか、と考えました。

その付近にあった謎の冬芽。こちらは赤みがかっていて、先ほどのより大きい。先端は寝癖のついた髪の毛のようにバラけてボサボサしています。

拡大してみると、細かい薄い毛が密生しているようです。

少し成長して太くなった枝には、何年か分成長した短枝が伸びていました。

何の冬芽かまったくわからない。改めて写真で見ると、さっきの冬芽と同じ木のような雰囲気もあります。冬芽の色が違うだけで、形はよく似ているような…。

これまであまり真面目にズミの冬芽を観察しててこなかったので、「小さくて地味」以外の特徴を記憶していません。一度、はっきりズミだと区別できる木で、しっかり観察して特徴をとらえる必要がありそうです。

次は少し成長した低木の謎の冬芽。公園の植栽樹だと思われます。丸みを帯びた短い芽、半円形の葉痕。

先端の冬芽は、先が欠けているか開いているような形ですが、たぶん周辺の冬芽の形のほうが典型的なのでしょう。かなり丸みのあるコロコロした冬芽です。

樹皮を見ると、サクラっぽさがあります。そこそこ太い幹なのに低木状で、下のほうから枝が分岐しています。

ということはミネザクラとかチシマザクラでしょうか。これも観察経験が少ない種類なのでわかりません。

手持ちの図鑑やネットで画像検索した限りでは、ミネザクラやチシマザクラは、サクラの仲間の中では丸っこい冬芽であるように思えます。でも冬芽って、写真より実物を繰り返し観察しないと特徴を正確につかめないものです。

次も公園の植栽樹だと思われる謎の冬芽。確か去年も見つけて悩んだ覚えがあります。すぐにカエデの仲間だとわかりますが、イタヤカエデではなさそう。サトウカエデ?

カエデの仲間にしては珍しく灰色のタケノコっぽい冬芽で、かすかに毛が生えています。メグスリノキの冬芽とも似ますが、あれほど毛深くはありません。

樹皮はとても滑らかで、やはり縦割れが目立つイタヤカエデとは違います。

図鑑で調べてみると、やはりサトウカエデっぽいですね。樹皮の特徴も似ている。北アメリカ原産で、メープルシロップが取られる木。公園樹なので採取できませんが、調べてみたら普通にイタヤカエデでも糖度が低めでよければメープルシロップが採れるそうです。友人の山でなら採れるかも。

次は川沿いの道で見つけた虫こぶ?のできたオノエヤナギ?の枝。どんな虫があるのでしょうか。気になるけれど、虫は苦手なので、これ以上追究しません。

早くも咲きかけている冬芽もありました。思えばもう1月も終わりが近く、来月にはヤナギの花が咲き始めるのでしょうね。

2021/01/24日

久々によく晴れた日で冷え込んだ

今朝はよく晴れてマイナス25℃まで冷え込みましたが、午前中に用事があったので、散歩などは行けませんでした。今シーズンは冷え込む日が少ないので、もったいないことをしたものです。

昼からようやく散歩に出かけることができましたが、もう厳寒の日だけに現れる氷の芸術はどこにもありませんでした。その代わり、陽光を浴びて輝くコブシの冬芽を見つけることができしました。ヤナギの花にも似ていますね。

その近くで、カラマツの木を登るキツツキの影を目にしました。シルエットからヤマゲラではないか、と感じたものの、見事なほどの逆光で、色は識別できませんでした。あまりの逆光にカメラの焦点も合わず、もたついている間に太陽のほうへ飛び去ってしまいました。

もしヤマゲラだったとしたら、今季は初の出会いでした。去年は、冬の後半から春の雪解けのころに頻繁に目にしたので、今年もこれから見かけることが増えるかもしれません。

夕方には雲ひとつない大空に夕日が沈むダイナミックな瞬間を目撃できました。まるで生き物のように動いて山並みに沈んでいく太陽は、地球が丸いこと、壮大な宇宙のただ中に自分が住んでいることを思い起こさせてくれます。

2021/01/25月

やはりシカたちの水飲み場らしい

時間ができたし天気もよかったので、ふらりと森の奥まで歩いてしまいました。1回目は恐る恐る歩いた場所で、踏破するのも厳しかったのに、3回目ともなると慣れたものです。野生動物の生息地域なので、油断は禁物ですけれど。

森の入り口近くに落ちていた地衣類。剥がれ落ちた樹皮にそのまま着生していました。

木の幹についている地衣類をちぎるのは気が引けますが、これならいいか、と思って揉んでみましたが香りはせず。カラタチゴケとカラクサゴケあたりなのだろうか。地衣類の良い図鑑でもあればいいのですが。

その付近で、よく響くドラミングの音が聞こえました。音の大きさから一瞬クマゲラかと思い、カメラを構えて、音のするほうへ歩き出しました。しかしすぐ、単音のキョッという鳴き声が聞こえ、ドラミングの位置も高いことがわかりました。たぶんアカゲラです。

姿を探すには苦労しそうだったので、今回は森の奥へ向かうことを優先し、それ以上追うのはあきらめました。

天気は快晴。今年は晴れた日が少なく、森の奥に入るときも多少吹雪いている日ばかりだったので新鮮です。遠くの山々の空気遠近法がばっちり出ている色使いをまねてみたくなります。

カラマツ林の隙間から見た陽光。これも味わい深い。

森の奥に入ってから見つけた謎のツル植物。節々に葉っぱのついていた名残り?のようなものが見受けられます。

こんなものがついている。2枚のがくのようにも見えます。

それをちぎってみると、葉痕?のような節があらわになります。冬芽らしき部分がないので、樹木ではないのかな。珍しい植物ではないと思いますが、夏にこの奥地まで足を運ぶことはできないので、別のところで同じのを見つけない限り正体がわからないでしょう。

そのすぐ横に生えていて、さっきの写真にも写り込んでいるツルははっきり冬芽が観察できました。マタタビですね。

森の奥だと、こういった植物を撮るのも気を使います。我を忘れて無言で撮るのに没頭していたら、気配が消えてしまって、動物と鉢合わせてしまうかもしれない。周囲を警戒しながら、ほどほどに音を立てることにします。

森の奥で見かけたハルニレの木。いつぞやか別の場所の林道で見かけたハルニレと同じく、ひげのような2枚の葉がついています。いったいこれはなんだろう?

たぶん、苞葉か托葉だろうな、と思って調べてみたら、早落性の托葉だという説明が見つかりました。本来は、若葉の時期に目にするもののようです。それがなぜか、個体差によって、冬まで残ってしまうことがあるんでしょうね。

さらに奥に進み、いよいよシカの足跡が多くなってきました。毎日複数のシカが足繁く通っている場所のようです。斜面を下りながら、渓流のそばに今日もシカがあるかどうか探していたら、

向かいの山肌からキョン!と鳴く声が響き、見ると3頭のシカが連れ立って斜面を登っていました。ちょうど引き上げるところだったようですが、わたしの姿に気づいて、群れのリーダーが警戒を促したように聞こえました。

距離にして100mくらいはありそうですが、向こうもしっかりわたしの存在を認識している様子でした。わたしも望遠カメラなので、頑張って撮影してみました。

3頭のうち1頭は、遠目に見ても姿が小さく感じたので、メスなのだろうか、と思っていました。でも後で写真を見ると、小さな1本角があるので、去年生まれた1歳の子どもの雄ジカなのでしょう。若者がいたから、年長者が警戒を促す声をあげたのかも。

次の写真だけ、かろうじて3頭のシカがいることが映っていました。大人2頭が子どもを真ん中に挟んで移動していたようです。オートフォーカスのせいで手前の枝にピントがあってしまうのが残念。なんでマニュアルフォーカスついてないんだろう。

シカたちの姿は、かなり後まで見えていましたが、ほとんど森に隠れていたのでシャッターチャンスはありませんでした。

シカが帰っていくのを確認してから、渓流のそばに降りていきます。ほかにもシカがいるかもしれない、と一応警戒しましたが、わたしが物音を立てて声をあげても、気配はまったくありませんでした。

せっかくだから、シカたちが去った後の、この野生の水飲み場の様子を観察してみることにしました。

まず目についたのは、あちこちにある樹皮が剥がされた低木。シカが食べた跡のようです。周囲には縦横無尽に足跡がついていて、スノーシューが引っかかって歩きにくい。

一般に、エゾシカの食痕というと、大胆に樹皮が全部剥がれてしまっているような木のことをいうのだ、と思っていました。しかし、この一帯の食痕はどれもピーラーで野菜の皮を剥いたような細い食痕ばかりでした。若木だからでしょうか。

森の中で樹皮が剥がれている木を見ても、エゾシカの食痕だと断定してよいのかわからない時があります。その点、ここの木々に残っている痕跡は明らかにエゾシカがつけたもので間違いないでしょう。パーティーでも開いていたのか、というほど足跡がついていますし、姿も目撃しているのですから。

樹皮を食べられていた若木の種類を調べてみたところ、低い位置の冬芽の多くはすでに食べられてしまっていました。しかし、冬芽がまったくないわけではなかったので、樹種は簡単に判別できました。

まずヤマグワらしい冬芽。

ほかにもハルニレらしい冬芽の樹皮も食べられていました。非常に毛深い枝です。調べてみたら、ハルニレは有毛で、オヒョウニレはほぼ無毛という違いがあるらしい。今度から気をつけて観察したい。

エゾシカが樹皮を食べるのは、冬季の食糧難や、反芻動物としての胃内環境の適正化が目的だと考えられているそうです。

周囲の木々を見ても、若木がところどころピーラーでむかれたようになっているだけで、森の他の木々は全然問題ないので、食糧難ではなさそうに見えました。ここで水を飲むついでに、胃内環境を整えているのかもしれません。

3回来て、3回ともエゾシカに遭遇することからして、この場所は明らかにシカたちの水飲み場になっているようです。野生動物なんて、偶然遭遇する以外には見つからないものだと思っていましたが、いつもいる場所がある、というのは驚きです。

でも考えてみると、野生動物には縄張りがあり、決まったルートで餌場や水飲み場を行き来するルーティンがあると聞きますから、毎日同じ場所にいるのが普通なのでしょうね。人の目につかない場所でそうしているというだけで。

せっかくの静かな水飲み場なのに、短期間に3回も人間に出くわして、シカたちも困惑しているかもしれません。ここに通うのはしばらくやめにして、次回からは、別の森を探検してみようと思いました。

帰り道。夏は林道になっている場所ですが、今は野生動物のスクランブル交差点です。

道路脇には、ハンノキが大量に生えていました。ハンノキはタコの頭のような冬芽が特徴的なので、あまり葉痕に注目したことはありませんでしたが、ハルニレのような3つの点が顔のように見える形でした。

その近くに生えていた赤っぽい対生の冬芽。ハシドイに似ていますが、わたしの記憶だと、ハシドイはもっと小さく黄色い冬芽だったように思っていました。だから、別の木かもしれないと思いましたか…、

枝にはどことなくマムシグサの茎を思わせるような、ちょっと気持ち悪い独特の白い斑点があります。

次の写真のような立派な頂芽もありました。今までハシドイの冬芽を調べていて、頂芽を見つけたことはありませんでした。

若木の樹皮はこんな感じ。ハンノキやサクラの若木のように、横に点々と皮目が入っています。

最初は大きな赤みを帯びた冬芽や、見慣れない頂芽から、ハシドイではなく別の木だと判断しましたが、歩いているとその周囲にも同じ木がたくさんあることに気づきました。中には、ハシドイだと判別できる大きさのもあって、区別があいまいになってきました。

帰ってから調べてみたら、普通にハシドイだったようです。茎の斑点や樹皮の皮目も一致。芽の大きさや色には、多少の個体差があるのかもしれません。

大きな頂芽に関しては、図鑑では、近縁のムラサキハシドイ(ライラック)の冬芽に、そのような写真がありました。冬芽の色からして、今日見たのはライラックではないし、そもそも外来種のライラックが森の奥にあるとは思えませんが、ハシドイも近縁だから大きな頂芽が目立つ場合があるのでしょう。

道端に生えていたヤナギの冬芽。相変わらず、ヤナギの種類はわかりません。オノエヤナギか、そうでないとしたらエゾノキヌヤナギなど、あまりよく知らない種類かもしれない。

ピントが合っていませんが、冬芽のてっぺんに虫こぶがついていました。

樹皮はこんな感じ。後で樹皮図鑑と比較してみたい。

森の出口付近にあったキツネとネズミらしき足跡。

帰りに道路脇で、茶色っぽい毛皮のキツネを見かけましたが、すぐ人の気配を察知して、雪壁を飛び越えて消えてしまいました。こんがり狐色ではなく、ギンギツネほどではないまでも、少し色が濃いキツネでした。

ここ数日冷え込んだので、アイスキャンドルが増えてきました。そろそろ灯してみようかな。

2021/01/26火-01/27水

アイスキャンドル点灯

昨日、夜中にマイナス10℃を下回っている中、サイクリングに出かけたら、首の筋を違えてしまいました。同時に、ここしばらく出ていた微妙な体調不良が洪水のように押し寄せてきて、頭が痛いし足首も痛いし、色々ボロボロなので、今日は家でゆっくり寝ていました。貴重な冬がもったいないので毎日出歩いていましたが、無理をしすぎたかもしれません。

翌27日は、吹雪だったので、近所で様々な用事をすませるだけでした。また、家の中にいるときの体調不良の原因が、おそらく24時間換気の不調にあることが発覚しました。真冬にも関わらず、窓を開けて手動で換気するとかなり楽になります。

残念ながら24時間換気の修理にはかなり時間がかかるそうなので、しばらく体調不良は続きそうです。気密性のいい住宅も考えものですね。

作ったアイスキャンドルに点灯してみました。極寒の地に灯る温かな光に心癒されます。お湯で作ると透明度が高くなると聞いて試してみたら本当だった。水から作っていた例年より透明なキャンドルになりました。

調べてみたら、水中の気泡や不純物のせいで氷が濁るらしく、浄水を沸騰させる、ゆっくり凍らせるなどの方法で、より透明度の高い氷ができるとのことでした。

「われらをめぐる海」読書メモ(2)

第5章
■深海底についての章。「ごく近年まで、地理学者も海洋学者も、深海の底は広漠として、ほとんど平らな平原であるというふうに話すのがふつうであった」が、ソナー技術の進歩によって、陸地と同じほど複雑な山脈や谷があることが明らかになった。

1947年から調査を始めたスウェーデンのアルバトロス号による深海探索によって平坦な深海という概念は完全に覆された。海底の凹凸があまりにひどく、途方もないスケールの地形があることに人々は驚かされた(p96)

戦時中に太平洋を巡航した地質学者が、音響測深機のペンが、思ってもみない場所に切り立った山々があることを描き出して驚いたというエピソードもいい。(p101)

「これらの峡谷は海の暗黒の中に隠されている」(p93)

海底の谷や奇妙な地形ができた理由はこの本の時点ではまだわかっていない。今日では明らかになっているのだろうか。(p95,101)

わたしは、これまで未踏破の謎めいた領域に、あっと驚くような発見が眠っているというシチュエーションが好きだ。それも、何もないと思われていたところに、複雑で奇妙な何かが隠れているのがは発見されるというエピソードはロマンを掻き立てる。

ごく普通の今まで気にも留めていなかった足の下の地面を探査する方法が見つかったら、突然思いもよらぬ巨大構造物の形跡が見つかるとか。推理小説でも同じく、目の前に奇怪な手がかりが眠っていたことがわかる瞬間がぞくぞくする。灯台もと暗し要素もいい。

深海探査では、物語と違って異星人の町や古代文明のようなものが見つかったわけではないが、鯨骨生物群集や海底火山の生態系のような未知なる生き物の町が見つかっていることに、同じロマンを感じることができる。

レイチェルは、アトランティス伝説に言及しているが、それは北海のドッガ―堆のような、かつては陸地だったが沈下した場所の記憶が誇張されて伝わっているのではないかと書いている。真実は知る由もない。(p107-111)

■主な漁場である大陸棚は、世界のどこでも約72ファゾム、深くても300ファゾムまでで、深海へと落ち込んでいく。(p91)

1ファゾムは約1.9mなので、ファゾムをメートル変換したければ、とりあえず2倍して、より正確を期するなら元の数字の0.1倍分を引けばよい。

この本は翻訳が古く、文体もこなれておらず、フィート(0.3m)やマイル(1.6km)などがそのまま表記されていて、イメージが湧きにくい。訳者が翻訳者ではなく科学者なので仕方ないが、新版くらい出してほしい。

■海底には巨大な山脈が走っていて、その先端が地上に顔を出しているのが、大西洋の島々である、という見方をすると、島に対するイメージも変わってくる。(p103)

そして海底山脈は陸上の山脈の森林限界線と同じように植物の限界点があるが、地上とは逆向きに、つまり深海へ沈んでいくほうに向かって限界点があるのだ。(p104)

第6章
■深海に降り続ける堆積物、すなわちマリンスノーについての章。「何十億年にもわたって続いてきたところの、そして海と大陸があるかぎりいつまでもつづくであろう物質の漂移」。(p112)

先述のアルバトロス号が大西洋のただ中で計測したところによると、海底の堆積物は12000フィートも降り積もっていた。1フィートは0.3mなので、なんと3600mもの厚さだ。「多くの人たちが驚異のショックを感じざるをえなかった」のも当然だ。(p116)

しかし陸上の雪と同じく、海底の雪も均一に降り積もっているわけではなく、海嶺の尾根のようにまったく堆積物がない場所から、吹き溜まりになっているような場所まで色々あるらしい。(p118)

■深海のマリンスノーは、珪酸質の殻が多くを占めている。

「もっとも深海圏では、海水の巨大な圧力と二酸化炭素の含有量が多いことのために、石灰質の殻の大部分は、海底にとどいて海洋の偉大な薬品庫に還るはるか以前に溶けてしまう。

珪酸質のものは、ずっと溶けにくい。完全なままで深海底にとどく生物の遺骸のほとんどが、見たところ最もデリケートな造りの単細胞生物であることは海の奇妙なパラドクスの一つである。

放散虫類は、その千変万化の形といい、レースのような込み入った造作といい、わたしたちに雪片を連想させずにはおかない。…珪藻類は、放散虫類と同じように、珪酸質の包装―つまり小さな、いろいろな形の、細かく模様を刻んだ箱型の殻のなかに棲んでいる。(p120)

陸上に降り積もる雪と、海底に降り積もる雪が、材質も由来も形状も違うにもかかわらず、とても美しい幾何学模様であるのは詩的な一致だと感じる。

■「堆積物は、一種の地球叙事詩」であり、種類を調べることで過去の出来事を類推することができる。(p114)

たとえば、温暖な気候を好む生き物と、寒冷な気候を好む生き物の遺骸の層が交互に堆積していることから、過去の地球のダイナミックな氷河期の気候変動を知ることができる。(p122)

第7章
■島が誕生する様子についての章。自伝でこの本のハイライトとして引用されていたのを覚えている。

「島はつねに、人の心を魅惑する」。絶海の孤島は大陸とは異質のものであり、大噴火によって突然現れては儚く消えていく。(p125)

■年齢の若い島。南大西洋岸のアセンション島。若いとはいっても、1500年前にはすでに探検の記録がある。そのころには樹木はなかったが、樹木の化石は見つかったらしい。いネットで調べてみたら、今は植樹による熱帯雨林があるとのこと。(p177)

それほどの大きさではない島であれば、現代でも突然現れたり消えたりする。1830年ごろにシチリア島とアフリカの間に現れた島は急速に侵食され、今ではグラハム礁として知られている。(p128)

オーストラリア東方のファルコン島は、1913年に姿を消したが、その後近隣の噴火で再度盛り上がり、やがてまた姿を消した。(p129)

日本でもそういえば、先日道北の猿払村の沖にあった、エサンベ鼻北小島が消失したとのニュースがあったのが思いだされる。(もともと島と呼べるほどの大きさがあったのかは怪しいが)

2021/01/28木

まんまるエゾライチョウ発見!

エゾシカの水飲み場ばかりに通うのは悪いので、いつもと違う場所へ。雪が降るまでは頻繁に通っていた湿地帯の森の奥に行ってみました。

家のすぐそばなのに、冬は雪で道路が埋もれてアクセスが非常に悪くなり、かなり長距離をスノーシューで歩かないと入り口にたどり着きません。

入り口まで歩くだけで氷点下なのに汗ばむほど距離があり、半ば後悔しながら、やっと到着しました。秋にチョウセンゴミシの実を摘んだところには、しなびた実がまだ残っていました。鳥や動物たちは食べないんでしょうか。不思議です。

地面に落ちていた枝の先端にくっついていた、くす玉のように丸い地衣類。カラタチゴケでしょうか。

ふと目が止まったハリギリの冬芽。これまでは枝の先端の頂芽ばかり見ていましたが、短枝から出る冬芽はこんな形になるんですね。

ふと感じたのが、あれ?これは先日見たコシアブラではないかと思った冬芽に似ているぞ、ということ。

これはトゲがあるのでハリギリで間違いありませんが、もう少し成長してトゲがなくなったハリギリだったら、コシアブラと勘違いしそうです。先日コシアブラだと思った木も、実はただのハリギリでしかなかった疑惑が出てきました。

今日の目的は、夏場には危険を感じて探検できなかった、この森の奥地に足を運んでみることです。森の入り口までの道のりですでに疲れていましたが、幸か不幸か時間はたっぷりありました。足腰にはそこそこ自信があるので、この機会を無駄にしないためにも頑張って歩くことにしました。

森の中は、ササがすっかり埋もれてしまった影響で、非常に見通しがよくなり、夏場とはまったく違う場所のようです。意外なところに、かつて林道があった形跡を見つけることもできました。夏は草で覆われて、とても入り込めなかった場所。試しに奥へ行ってみましたが途中で行き止まりでした。

その林道への分岐点で、面白いものを見つけました。今日は比較的、鳥の鳴き声がするので、あたりを見回しながら歩いていたのですが、分岐点のところの大木のてっぺんで、何かが動いたような気がしました。

高さ20mはあろう木の上ですが、明らかに黒くて丸い何かがあります。

拡大してみます。

なんだろう? 逆光でよくわかりません。とても丸いので鳥の巣かもしれないと思いました。鳥の巣の上に何かの鳥が載っていて、頭を動かしているのが見えたのだろう、と。

ところが、60倍超望遠カメラで拡大してみると、

なんだこれは?

とても奇妙な何か…、この模様は鳥? そんなまさか、こんなに丸い鳥がいるはずが…と思っていたら、

まんまるの物体が動き始め、顔と尾羽が現れました! 呆然としてカメラで撮り続けていると、この丸々した鳥はしきりに樹上で木の芽をついばんでいました。はるか上空にいるためか、わたしを気にするそぶりはなく、飛び立つ様子もありません。

何の木かは調べ損ねたのですが、写真から類推するに、背の高い立派な対生の樹木のようです。ハシドイ? イタヤカエデ? それ以上はちょっとわかりません。(追記 : 後日観察したところ、キハダのようでした)

ほぼ真下から撮っていたので、ほとんど鳥のお腹ばかりしか映っていませんが、動画の中に一瞬、首を伸ばした瞬間が映っていたので切り出してみました。

頭のとさかのような冠羽、目元の白いライン、そして顎下の黒い模様が特徴でしょうか。

分岐点から林道を少し探索して帰ってきた後も、まだ同じ場所で冬芽をついばんでいました。もう一度別の角度から撮影を続けていると、よたよたと枝の上を歩いて樹冠の端に到達し、重たそうに羽ばたいて別の木に飛び移りました。

それでも体が重いのか、たいした飛翔距離はなく、すぐ近くのトドマツの枝にとまったところまでは目撃しましたが、じきに青々と茂った常緑の葉に隠れて姿が見えなくなってしまいました。

あまりに不思議な鳥との出会いでしたが、心当たりがありました。まんまるな姿が本州にいるライチョウにそっくりな気がしたので、もしかして図鑑で名前だけ見たことがあるエゾライチョウでは?

わたしはライチョウには少し思い出があるので、北海道でもライチョウが見れると知って、いつか見てみたいな、と印象に残っていたのです。

しかして、調べてみたら予想どおり、エゾライチョウでした。エゾライチョウは正確にはライチョウの亜種ではなく、同じキジ科の近縁種ではあるものの、属は異なっているようです。喉の下が黒いのはオスとのこと。

昔は北海道にありふれていた鳥でしたが、可哀想なことに、あまりに美味しいので乱獲され、すっかり数が減ってしまったそうです。確かにまるまると太っていて美味しそう…。でもこんなに可愛らしいのを食べるなんて。いくら美味でもわたしは嫌です。

今や希少種になってしまったエゾライチョウですが、わたしごときが目撃できるとは、道北にはそこそこ普通に棲息しているのでしょうか。日本に残された数少ない野生動物の生活圏。どうかハンターから逃れて平和に暮らしてほしいものです。

いろいろな痕跡。ヒグマが木登りした跡か

話を少し戻して、分岐点のあたりには、これぞウダイカンバに間違いない、と思える木がありました。シラカバほど白くはなく、樹皮は灰色がかっていて、間隔の狭い横線が走っています。どっしりとした力強い木でした。

頭上を見上げてみても、明らかにシラカバとは異なる雰囲気がありました。シラカバは白い包帯のイメージですが、ウダイカンバはもっと横に走る線が細かい気がします。

この冬はシラカバ、ダケカンバ、ウダイカンバの見分けを意識していますが、これくらい典型的なら判断に迷いません。その後も、歩いている途中に、はっきりウダイカンバだとわかる木が時々ありました。樹皮だけで区別していると、地衣類に覆われているときに困ってしまうのですが。

分岐点を越えて森の奥へ奥へ歩いていくと、トドマツの植樹林を基調とした混交林が広がっていました。

その付近で、さまざまな奇妙な痕跡がついたトドマツを目にしました。たとえばこれ。ただの偶然できた傷跡かもしれませんが、ヒグマの爪痕のような気もします。この森の他の場所にヒグマの爪痕があるのは知っているので、もしかしたらこれも?

この激しい傷跡はシカの角研ぎ跡でしょうね。ヒグマの爪痕よりよほど痛々しく、樹脂が流れ出ています。しかし針葉樹林は冬は食糧がないのか、林道沿いにはシカの足跡は見かけませんでした。

この傷跡は樹皮がめくれて、内部があらわになっています。これもシカの角の跡かもしれませんが、よくわかりませんでした。

こんな色々な痕跡がある中で、最も奇妙で恐ろしげだった跡は、この一本のトドマツに刻まれていました。遠くから見ると、ごくありふれたトドマツに思えますが…、

少し近づいてみると、何やら大量の傷跡がついていることに気づきました。この写真は下に雪が映っていることからわかるとおり、トドマツの幹の下のほうです。

次の写真は幹の上のほう。下のほうについていたのと全く同じような痕跡が、ずっと上のほうにも点々とついています。

近くに寄って樹皮の傷跡を拡大してみます。どれもだいたい4本ほどの引っかき傷がセットになっています。これはヒグマの爪痕の特徴です。

しかし、普通ヒグマの爪痕は、木に体の匂いをこすりつけるために、下方だけについているものだと思っていました。ところがこの木は、上方まで大量の爪痕がついているように見えます。これを説明するとしたら、ヒグマが木を登った跡として思えません。

わたしの手との比較。手袋を二重につけているため、実際よりも手が大きく見えてしまいますが、それよりもさらに大きい手の爪跡に思えます。こんな痕跡が自然につくとは思えないので、やはりヒグマでしょう。

しかし、謎なのは、ヒグマが何のためにこのトドマツに登ったのかということ。写真にも映っているように、このトドマツにはツルアジサイが絡みついています。遠目で見る限り、そのほかのコクワやマタタビのようなツル性樹木は絡みついていないようです。

たとえ登ったところで、特に実入りはないように思えます。どうせ登るなら、針葉樹林ではなく広葉樹林のほうが食糧も多そうですし。

しかし調べてみたら、まったく同じような事例について、森林管理局の記事に書かれていました。「ただ遊んでいただけか、木登りの練習か、隣の木に上の方から飛び移るために登っていたのだと思われます」とのこと。これもそうかもしれません。

(追記 : 改めて別の日に見に行ってみたところ、すぐ隣の木に、太いコクワのツルが巻き付いていることに気づきました。木のてっぺんを見ると、コクワの枝が生い茂っていたので、ヒグマはそれを狙って、隣の木に登ったに違いありません)

こうして冬の森を探検してみると、案外身近にヒグマがいることがはっきりわかります。事実、もう3回も姿を目撃しているし、フンや爪痕も何度も見ているし、すぐご近所さんのようです。

これからも森歩きを楽しみたいなら、出くわさないように細心の注意を払って、可能な対策はすべて講じておくべきことを思い知らされます。出会ってからでは遅いので、いかにヒグマにこちらの存在を伝えるか、そして縄張りに入ったりして刺激しないよう気をつけるか、ですね。

さて、森の奥の探索は、やがて別の林道と合流したところで引き返しました。なるほど、ここにつながっているのか、と頭の中で地理がアップデートされました。

まだ日が暮れるまで時間がありましたが、歩き疲れたし、夜も用事があったので、今日はここまで。今回も面白い発見がたくさんありました。

【気になったニュース】

「ウイルスが脳に リスク高まる」マウス実験で発表 | KHB東日本放送

慢性疲労症候群の一形態である感染後CFSもこれなんでしょうね。わたし自身の体調不良にも関係しているかもしれないし、専門機関が有力視している理論でもあります。

関係している可能性は十分あるものの、現時点でできることがない、という意味で、うちのブログでは感染後CFSはあまり取り上げてきませんでした。CFSに抗ウイルス薬を投与した研究でも有意な効果はなかったと聞きました。しかし、コロナ禍をきっかけに研究が進展するかもしれません。

2021/01/29金

越冬野菜を掘り出す。2回目

夏にお手伝いをしている農家の友人宅で、越冬野菜を掘り出してきました。雪の毛布は1mくらい積もっていて、掘り出すのはかなり重労働で、ふだん鍛えていない腕が筋肉痛になりました。

野菜はとても新鮮で、表面の傷んでいる部分を捨てれば、中の葉っぱを生でかじることもできました。糖分が凝縮されて、とても甘かったです。

2021/01/30土

森の中をさまよってアカゲラを見るなど

今日は昨日の疲れもあって、体調が思わしくなかったので、近所の森をぶらっと散歩してきました。家は24時間換気が不調なので、まだ外を歩いているほうが体調が回復するだろうと。

でも、家のすぐそばと言っても、一昨日も訪れた、冬季は長い林道を通らないと入り口にたどり着けない森なので、やっぱり足腰が疲れました。あの道さえなければアクセスのいい森なのですが。

天候はずっと悪く、吹雪にはならないまでも、しきりに細かい雪が降っていました。とぼとぼと歩きながら、死ぬときは病院じゃなくて雪の森がいいなぁ…とか考えていました。死にませんけど。

入り口まで林道を歩き続けるのが面倒だったので、途中で脇の森の中に入ってみました。おそらく道有林か、自治体の所有林のはず。すぐそばにあった色鮮やかなコケと地衣類のついた木(エゾマツ?)が立派でした。

森の中に入ると、毎回気になるものですが、鳥の巣らしき塊が枝に点在しています。

せっかく超望遠カメラを持っているので、ズームして撮ってみました。大量のしなやかな枝が編み込まれて作られているように見えます。枝がこれだけカーブするというのは、若枝だからなのか、それともニワトコなどの枝を選んでいるのか。

逆側からも撮影してみました。荒野のタンブルウィードみたいな丸い塊。中心に穴のようなものが空いているのが入り口なのでしょうか。今も使われていて、夜になると寝ぐらに帰ってくるのかな?

冬の森では、このような巣らしきものが、あちこちの枝に見えます。上に分厚く雪が積もっているのも多いので、これまでは使われているのかどうかも怪しいと思っていましたが、内部が空洞になっているのなら、冬でも使えそうです。

鳥にはまったく詳しくないので、森の中にこのような巣を作のはいったい誰なのか見当もつきません。鳥類図鑑を見ても、巣の形状までは載っていないことが多いです。いつか答えを知りたいものです。

森の中では、さまざまな鳥の声が聞こえましたが、小柄な小さい鳥は、ほとんど姿を発見できませんでした。鳴き声の区別も、まだほとんどつかないありさまです。

唯一カメラに収めることができたのは、よく響く音を打ち鳴らしていたアカゲラでした。音からすると、近隣に数羽がいるようでしたが、渓流や起伏があって自由に歩き回れない森なので、発見できたのは一羽だけでした。

背中には白いハの字、頭は赤くないので、エゾアカゲラのメスのようですね。今回も手前の枝にピントが合ってしまうことが多くて困りました。マニュアルフォーカスがほしい。まだ使い方に慣れていないだけなのか。

森の近場を一周しているときに見かけた面白い風景。白いお餅が積み重なっているかのような。

横から見ると、倒れかけた木に雪が積もっていることがわかります。どうしてこんな段々な形に積もるのだろう。おそらく、節や枝がある場所ごとに、雪がまとまってくっついているのでしょう。隣の倒木は均一に雪が積もっているだけに違いが際立ちます。

一昨日のように、ヒグマの爪痕があるような森の奥までは探検しませんでした。夏も歩いている近場をぐるりと一周するだけにしました。それでも、雪で覆われると、普段歩いている道がなんとなくしかわかりませんでした。ササが覆われているせいで景色がかなり違います。

ちょっとした散歩のつもりが、例の長い林道の往復のせいで、そこそこハードな森歩きになってしまいました。家に帰ってから、コンポストにごみを捨てに行くだけでも、疲れたなぁと思うほどには。それでも、疲れていても、森の中だとあれほど歩けるのは不思議です。

【気になったニュース】

「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間 – 登山 – Number Web – ナンバー

わたしは登山は趣味ではないし、この栗秋正寿という方も初めて知りましたが、なんとなく共感するところのある記事でした。

同じ大自然を探検するにしても、また1人で挑むにしても、無謀な方法をとる人もいれば、この方みたいに熟慮を重ねて慎重に判断する人もいる。冬だけでなく、自然の中を歩くなら、この慎重さを見習いたいです。

2021/01/31日

公園でガマの穂など見る

疲れが溜まっているので、公園に出かけるだけにしました。気温は温かいはずなのに、木々が少ないせいか、森に比べて公園は寒い。

湖のほとりのガマの穂。爆発して中の種が見えていたので接写してみました。蒲団の綿のように見えて、ひとつひとつちゃんとパラシュートの羽になっていて、小さな種がついてます。

そのそばにあったヤナギの枝。花芽と葉芽が大きさではっきり区別できます。ネコヤナギのような気もするけれど、違うような…。

遠くのほうの木に、あまり見た記憶のない実の果柄があって、木の種類が気になりました。遠くから見る限りでは、イヌエンジュのような黒くて丸い冬芽に見えましたが、実の付き方が明らかに違いました。

それで超望遠で拡大してみたら、

断定はできないものの、ウワミズザクラでしょうか? だとすれば実の果柄の形も似ていると思いました。

背の高い木ではありませんでしたが、超望遠のカメラなら、遠くからでも冬芽を観察できるんですね。森の中で大木の正体がわからない時にも役立つかもしれません。

野鳥観察もしようと思いましたが、ヒヨドリを一羽と、姿を捉えづらいカラ類のシルエットを見ただけでした。ほかに一羽、イヌワシのような巨大なワシが上空を飛んでいきましたが、カメラが間に合わず、正体はわかりませんでした…。ただのトビだったかも。

1月のまとめ

去年はインフルエンザにかかってしまった上、首をひどく寝違えてしまい、身動きとれなかった1月。しかし今年はどちらも予防が功を奏し、そこそこの体調を維持して短い冬を楽しめました。

冬にしか行けない森の奥地に入って、シカの水飲み場や角研ぎ跡、ヒグマの爪とぎ跡を発見したり、新しいカメラを買ってオジロワシやエゾライチョウを観察できたり、かなり充実していたと思います。「カラスの葬式」も体験できました。

しかし、わたしは昨日や一昨日を含め、過去の記憶を思い出せないので、悲しいかな、常に動いていないと損をした気持ちになってしまいます。こうして日記に記録し、振り返って初めて、充実した日々だったと認めることができます。

この冬も、時季を逃せばすぐ終わってしまうと感じて、少しでも楽しもうと焦りを感じてしまっていました。そのせいで過活動ぎみになってしまったことは否めません。体を休めるのも大事です。

とはいえ、家の24時間換気が故障しているせいで、かえって屋内にいると体調が悪くなる始末。去年とは違う意味で、今年も受難が続いています。時間は限られているのに、どうにもならない要因のせいで、思うように動けないのはもどかしいです。

室内での体調不良がひどいせいで、読書も全然進んでいません。時間ばかりただ過ぎるのを見つめて、何もできないと感じるのは辛いです。せめて、こうして記録をつけることで、何もできていないわけではない、と自分を納得させることができればいいのですが。

 

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2020年12月の道北暮らし自然観察日記
2020年12月の自然観察を中心とした記録
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投稿日2021.01.01