絵の細部にこだわりすぎて全体のバランスが見えなくなる「順応」の4つの対処法

ナスカの地上絵のような巨大な絵を地面に描く様子を想像してみてください。何kmにもまたがる大作を、足元の地面だけを見てバランスよく描き上げるのは可能でしょうか。

きっと、鳥のように、もっと高い位置から、絵の全体を概観できたらいいのに! と感じることでしょう。もし、絵の一部しか見ることができず、全体を見渡せないとすれば、なかなか思うような調和のとれた作品は創れないものです。

不思議なことに、ナスカの地上絵どころか、眼の前のたかだか30cmくらいのキャンバスに向かい合っている人でさえ、これと同様の問題に直面することがあります。

絵を描いているうちに、細部が気になり出して、細部の修正ばかり繰り返して、全体のバランスを見ることができなくなってしまうのです。細部をいくら修正しても、全体が歪んでいたならほとんど意味をなさないのですが、なぜか細かいところばかりが気になって修正を繰り返し、無駄に時間を浪費してしまいます。

このような問題は、心理学における「順応」(馴化)という現象が関係しています。「順応」とは何でしょうか。「順応」は絵を描く人にどんな影響を及ぼすでしょうか。「順応」に陥らずに絵の全体を意識するにはどうすればいいのでしょうか。

【じっくり絵心教室】花と陶器

「順応」―わたしたちの身近な問題

「順応」とは、もともと心理学の用語であり、絵や芸術に関係する言葉ではありません。ですから、「順応」について理解するためには、いったん絵から離れて、わたしたちの普段の生活に目を向ける必要があります。

作りこみすぎるとゲシュタルト崩壊する

顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 – 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ) という本によると、わたしたちは「順応」という現象を、日常生活で毎日のように経験しています。

しかし一方で、見方が集中しすぎると、歪んでいく。それは認知科学でいうところの「順応」という現象である。

この本では、「順応」がどのような現象なのか、よく理解できるよう、次のようなおもしろい実験が紹介されています。

たとえばウェブ上で、こんなデモンストレーションがある。ハリウッドスターの顔を次々見せるのである。美男美女が並んでいるはずのハリウッドスター、にもかかわらず、見続けると基準は狂う。すると、美男美女のはずの顔が、ありえないおかしな顔として見えてしまう。

鼻が異常に長く見えたり、異常に小さな目に見えたり、とにかく普通の顔には見えないほどバランスが崩れて見える。

…ぼんやり眺めれば美しい顔でも、あまりに集中して見ると、平均からのずれが気にかかる。(p180)

ハリウッドスターたちは、一般に、とても美しい整った顔立ちだと思われています。非の打ち所などないバランスの取れた顔といってもいいでしょう。ところが、そうしたかっこいい、美しい顔立ちでさえ、じっと見続けると、バランスが崩れて見えてくるのです。

これは、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」です。ゲシュタルト崩壊とは、全体のまとまりが崩壊して、部分だけに注目してしまうようになることをいいます。

同じものを見続けてあまりに集中すると「順応」し、一つのまとまりとしてではなく、部分的なものの寄せ集めに見えてしまう「ゲシュタルト崩壊」が起こり、結果として細部が気になって仕方がない状態になるのです。

これは、何も実験の中だけで起こる現象ではありません。次のような日常的な例が挙げられています。

順応の効果は、数十秒でも起きる。化粧で鏡の中の顔を見ている時間でもじゅうぶんだ。化粧をしているうちに、自分の顔に順応してしまって、見方が麻痺する可能性もありそうだ。

…ハリウッドスターのデモンストレーションのように、本当はそんなにおかしくないのに、気にしている当人にだけ、ありえないほどおかしく見えてしまう可能性もある。(p181)

このような「順応」の結果として、実際に自分の顔にコンプレックスを持っている人もいます。ほくろやしみ、鼻の形などが気になって仕方がありません。しかし実際には、周りの人たちは、そんなことを少しも気にしていないものです。

本人は、自分の顔をじっくり見つめ過ぎたことで「順応」が生じて、特定の部分だけが異常に思える「ゲシュタルト崩壊」に陥っているわけですが、周りの人は、特にその人の顔をしげしげと見つめたこともなく、細部など気にせず、全体の印象だけを見ているのです。

これが行き過ぎて病気の域に陥ると、マイケル・ジャクソンのように整形を繰り返したり、摂食障害の人のようにどれほど痩せていても納得できなくなったりします。本人は気になって仕方がないのでしょうが、周りの人は、なぜそんなに気になるのかがわかりません。

このように、刺激に慣れてしまって「部分だけに注目しすぎた結果、全体のバランスがわからなくなる」のが「順応」という現象による認知の歪みなのです。(p181)

絵の創作における「順応」

ここで日常生活の例として取り上げたのは顔の認知でしたが、「順応」と「ゲシュタルト崩壊」はもっとさまざまな場面で起こります。

たとえば、甘いものを食べたあと、別の砂糖菓子を食べても甘く感じないのは「順応」によって認知が麻痺しているからです。普段書き慣れていた漢字をふとよく見たら、こんな形だったっけと不安になるのも「ゲシュタルト崩壊」の一例です。

「順応」は、集中して、同じものをしげしげと見続けた場合に生じる現象ですから、創作活動、とりわけ絵を描くときに頻繁に生じます。鏡の前に座って化粧をするわずか数分、数十分の間に「順応」が起こるのであれば、ましてやキャンバスの前に数時間以上向き合う画家、作家、イラストレーターの場合はなおさら「順応」に陥りやすいでしょう。

順応して認知がゆがむと、細部のちょっとした形、線のブレ、はみ出し、人物の姿勢、顔の輪郭、手の形など、本当に細かいところばかりが気になって、修正に次ぐ修正を繰り返すことになります。そうなってしまうと、整形を繰り返したマイケル・ジャクソンと同じです。どう手直ししても満足できず、ひたすら時間ばかり浪費してしまうのです。

しかし、すでに考えた「順応」の例と同じように、その細部が気になっているのは、おそらく絵を描いている本人だけでしょう。家族や友だちに、ためしに細部の修正前と修正後とを見せてみたら、どんな反応がかえってくるでしょうか。

細部の変更点に気づかないばかりか、どちらの絵を見ても、まったく絵の評価が変わらないことさえあるでしょう。

絵を描いている本人は「ゲシュタルト崩壊」が生じて細部が気になっているのでしょうが、見る人のほうは細部ではなく全体に注目するので、細部が少し変わったところで、絵の印象も評価も感想も変わらないことが多いのです。

細部にこだわりすぎるアスペルガー症候群

ところで、細部にこだわりすぎて全体を見られなくなる傾向は、人それぞれ個人差があります。絵を描くような、長時間の細かい作業をする人は、細部に注目する状態になりやすいとはいえ、日常生活でも頻繁に細部に注目してしまったり、度を超えて細かい点に集中してしまったりするとしたら、それは自閉症の傾向が関係していると思われます。

自閉症の人は程度が軽いものから重いものまでさまざまですが、程度が軽く社会生活を送れるレベルのものは、一般にアスペルガー症候群高機能自閉症と呼ばれます。(最新の診断基準では自閉スペクトラム症に統一されています)

アスペルガー傾向を持つ人たちは、空気が読めない、コミュニケーションが苦手、特定のことに過集中して没頭する、人の顔を見分けるのが苦手、など、さまざまな特徴を持っています。しかしそれらは、おおよそのところで、「全体ではなく細部に注目してしまう」という傾向が関係していると考えられています。

先ほどから引用している顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 – 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ) によると、自閉症の子どもは、生まれたばかりのころから、人の顔の細部を見る傾向が知られています。たいていの子どもがぼんやりとした輪郭だけを見ているころから、顔の細部に集中しているのです。すると当然、顔の全体を見ていないので、人の顔を見分けたり覚えたりするのが苦手になります。(p149)

また、「空気が読めない」というコミュニケーション障害もまた、全体ではなく部分に注目する傾向と密接な関係があります。自閉症やアスペルガー症候群の人は、映画の登場人物の場面ごとの感情を尋ねると、しっかり理解できていることが確かめられています。しかしストーリーの「流れ」としての感情は理解できませんでした。(p164)

「空気が読めない」とは、場の雰囲気や流れ、という「全体」を認識できず、その場その場という「断片」に注目しているために生じている問題であると考えられます。そのため、だれかが笑いながら口にした皮肉を真に受けてしまったり、慣用表現を字句通りに受け止めてしまったりするのです。

実際に、アスペルガー症候群の人たちの「全体」ではなく「細部」に注目し、過集中してしまう傾向は、その人たちが描く絵の特徴としても現れてくるといわれています。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

「順応」から抜け出すテクニック

もちろん、絵を描く人たちの多くは、アスペルガー傾向のあるなしにかかわらず、「細部にこだわりすぎて全体が見えなくなる」問題に対処しなければなりません。絵を描くという行為は、細部に集中するようわたしたちを促す性質があるからです。

そのような「順応」から抜け出し、細部ではなく全体を見るには、どうすればいいのでしょうか。4つのテクニックを挙げましょう。

1.鏡で反転させる

絵を描く人たちが、「順応」に対処するため、古くから用いてきた手段の一つは、鏡などを使って、描いている絵を反転させてみることです。薄い紙に描いているなら、裏返しにして透かしてみることもできます。パソコンソフトで描いているなら、左右反転機能を使うのもいいでしょう。

絵を反転させてみると、必ず絵の印象がガラリと変わります。今まで気になっていた部分がまったく問題ないということがわかるととともに、本当に歪んでいる部分がはっきりとわかります。これはすべて「順応」がリセットされるからにほかなりません。

わたしもこの方法は誰かに教えてもらうでもなく、中学生くらいのころに絵を描いていて自分で発見して驚きました。それからは、いつも使うようになって、やがて多くの絵描きさんが愛用しているテクニックだと知りました。

「順応」は同じものを長時間集中して見続けるだめに感覚が麻痺する現象ですが、反転させれば違うものになるので、「順応」から抜け出すことができるのです。

2.時間を置く

反転させるのと同じほど古典的なテクニックに、時間を置く、というものがあります。あまりにひとつのものにじっくり集中していると、認知が歪んできますが、いったんその場を離れて気持ちを切り換えれば、たいていは認知がリセットされるものです。

制作に行き詰まってしまって、細かいところばかりが気になるようになったら、一度休憩をはさむか、あるいはいったん寝てしまって、次の日に続きをやるといいかもしれません。

ただし時間を置いても絵そのものが変わるわけではないため、細部にこだわる傾向の強い人の場合は、認知が十分リセットされないこともあるでしょう。その場合は他の方法と併用するのが賢明です。

「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86という本によると、印象派の画家たちが認知を切り替えるために使っていた面白いテクニックについて、こう書かれています。

ドガやモネといった印象派の画家は、眩い陽光の中で濃い色彩を使って、朝から晩まで遮二無二描くことも稀ではなかった。

彼らは5分間休憩の間、彼らが黒い鏡と呼んだ黒曜石製の鏡を見つめる習慣を身に着けた。

こうすることで目を休息させ、意識を落ち着かせた。意識的に作品のことを考えるのをやめても、心という装置はすぐに動作を止めないということに気づいたのだ。

黒曜石を見つめて休んだ後は、やる気を取り戻し、新鮮な気分で制作に励んだ。目は休憩前より冴え、指の感触はより繊細に感じられた。(p165)

3.縮小する

細部にこだわりすぎることが問題なのであれば、細部を見えなくすればいいのではないでしょうか。次の方法は、まさにそのような対処法です。

最初に述べたナスカの地上絵の例えで、鳥のように上空から全体を見れたら良いのに、と書きましたが、絵を描くときにそれと同じ方法を試すことができます。つまり、キャンバスという「地上」から遠く離れた場所に離れて絵を眺めてみるのです。

絵を遠くから見れば、細部は見えないので、必然的に全体を意識することになります。もしパソコンのソフトで描いているなら、ズーム機能でサムネイルくらいの大きさまで縮小してみるといいでしょう。あるいは、スマホなどのカメラで撮影して、スマホの小さな画面で絵の全体を見てみるのもいいでしょう。

こうしてサムネイル状に縮小してみると、絵の全体のバランスがはっきりします。きっと今まで気になっていた部分よりも、別の問題があることに気づいたり、配色を変えたくなったりするでしょう。

絵を見てくれる人は全体の印象を最初に見て絵を評価するはずですから、絵を縮小して全体視したときに見つかる問題点こそが、真に重要な部分だといえます。

4.全体から描き始めて細部は最後に描く

最後に挙げる点は、古くからさまざまな画家が用いてきた描画テクニックです。わたしが最近、絵心教室で改めて教えてもらった点でもあります。

絵を描くときに、細部から描き始めると、早い段階で細部に集中し、認知が歪んでしまいます。

そこで、絵の全体をおおまかに描くことから始め、全体のバランスを見ながら少しずつ整えていって、最後に細部を描き込みます。そうすると、細部に集中する時間が短くてすむため、比較的認知の歪みが起こりにくくなります。細部を描き込むころには、すでに全体のバランスがとれているはずです。

WVW69inC4Go5Q0la1U

WVW69inC46w0phCKBx

バランスのとれた絵を描くために

このように、「順応」の影響を意識して、それを解除するための対策を取り入れて絵を描くなら、何が変わるでしょうか。

まず、絵のバランスがよくなります。「順応」の状態で気になっている細部は、たいてい絵の全体の印象にほとんど影響を及ぼさない枝葉末節です。細かい点は修正したのに、実は絵の大事な部分が大きく歪んでいた、という問題はよくあるものです。反転や縮小といったテクニックを用いれば、木を見て森を見ず、という失敗を未然に防ぎ、全体のバランスのとれた絵を描き上げることができます。

次に、絵を描く時間が節約できます。「順応」に陥って、細部にこだわったている人は、絵のささいな部分の修正に、膨大な時間をかけがちです。どこが変わったのかもわからないような点に時間をかけすぎて、苦労したのに、本当の問題点はそのまま、という本末転倒な結果になるかもしれません。しかし「順応」を解除して全体を見るなら、本当に意味のある修正だけにしぼることが可能です。

最後に、「順応」を意識して解除することは、わたしたちの日常生活全般において、認知のゆがみに気づくよいトレーニングになります。

「順応」による慣れは、わたしたちの生活のさまざまな部分で生じています。身近な家族のありがたみが薄れ、当たり前のことのように思うようになったりするのも、やはり「順応」による認知の鈍麻なのです。

また、すでに述べたように、細部に集中して全体が見れなくなる傾向も、人によっては、絵を描くときだけでなく、自分の顔のコンプレックスや、空気が読めないコミュニケーション障害など、他のさまざまな部分に影響をもたらしていることがあります。

絵を描くときに「順応」による認知の歪みに気づけるようになれば、日常生活に他の部分での認知のゆがみにも敏感になれるかもしれません。重箱の隅をつつくような小さな不満ではなく、全体としての恵まれていることを認識できるようになれば、もっと大きな視野で、自分の日常を捉えられるようになるかもしれません。

「順応」による認知のゆがみ、そして見方を変えることによって「順応」から抜け出すテクニックは、バランスのとれた絵を描くことを含め、わたしたちの生活と深く関係している身近な現象なのです。

投稿日2015.12.09