去年12月に女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)というタイトルの本が出たと知って、すごく気になったので、早速入手して読んでいました。イラスト版なので、ほとんど絵ばかりで、すごく読みやすい本です。挿し絵の女の子がまた表情豊かでみんなかわいい(笑)
「女性のADHD」というタイトルですが、内容は男女問わず存在するのび太型タイプのADHDに焦点を当てた話で、まさにわたしのことを言っている本なのですが…。
(※男性はジャイアン型、女性はのび太型のADHDが多いと言われています。もちろん、ジャイアン型の女性ものび太型の男性もいます)
なんだか、今までのややこしい人生の謎が色々すっきりして、すっと霧が晴れたような気がします。
今まで、ADHDとわかっていても、いわゆるわんぱくでやんちゃなタイプではないので、自分はちょっと例外的なのかなーと思っていたんですね。でも、この本を読んでみて、ああ…のび太型タイプのADHDとしては、けっこう典型的な人生を送ってきたんだな、とよくわかりました。
この本では、最初から最後まで、Aさんという女性のエピソードを軸に、のび太型ADHDの特徴が説明されています。そのAさんは、子どものころからお絵描きが趣味で、最終的にデザイン関係の仕事を目指す、というところで話が終わるので、親近感を感じます。
同じように子どものころからお絵描き好きで、のび太型ADHDとして生きてきたわたしの人生には、Aさんと似ているところがたくさんありました。たぶん、わたしだけでなく、お絵描き好きの、のび太型ADHDの人はけっこういると思うので、思い当たるフシがある人はぜひ読んでみるといいと思います。
Aさんの話をちょっと追いながら、自分の謎が解けた部分を幾つか書いていきたいと思います。
超うっかり者だけど趣味は全速力
まずAさんの生い立ちはこんな物語から。
Aさんは子どもの頃からケアレスミスをすることが多く、家族や友達に「うっかりしている」と言われていました。
テストの解答を1問ずつずらして書いてしまい、0点をとったこともあります。
ただ趣味的なことには集中でき、すぐれた結果を出していました。
そのため、勉強や家事の手伝いなど、他のことで多少ミスがあっても、本人も家族もさほど気にしていませんでした。(p10)
これを読んで開いた口がふさがりませんでしたよ(笑) わたし自身はテストで一問ずつずらして書いたことはありませんが…
じつはわたしの母がやりまくったことだそうです。ほぼ全問正解しているのに、解答欄を間違えたせいで0点になったのだと。それも一度や二度ではなく…。
この本を母に見せると、一瞬固まってお互い目を合わせて沈黙しました。時間が止まった。
その後、他のエピソードも読んでもらいましたが、当てはまりすぎて笑うしかないといった感じでした。
母は、前に普通のADHDの本を見せたときは、違う気がする、と言っていたんですね。わたしも自分に半分くらいしか当てはまらないと思いました。
わたしはADHDといっても一般の本の特徴はあまり当てはまらない。わんぱくだったり、暴力的だったり、やんちゃだったりはしなかったからです。普通の本は、ADHDというとじっと座っていられないとか、手に負えない問題児とか書かれていますが、わたしはいい子でした。
ところがこの本を見たら、なんと、のび太型タイプのADHDはやんちゃな男の子とは全然特徴が違うとのこと。いやー、以前からのび太型に多動性や衝動性が少ないことは知っていましたが、詳しい説明を読んでみて、あまりに自分に似ていて笑うしかなかったです。
ちなみに母のように解答欄をずらして0点を取ったことはないわたしですが、テストではあまりにケアレスミスが多く、失点の半分は問題文の読み間違いや誤字脱字などというありさま。結局、テストでは超速で解答して、残り時間をひたすら見直しに費やしていました。
今でもわたしの文章は1記事に数か所は誤字があって当たり前です。というか自分の書いた記事を読みなおすたびに新たな誤字が見つかるので無限に誤字があるんじゃないですかね(笑)
忘れ物とかうっかりとかはあまりに多すぎて、もう思い出すのも嫌です。どんなに頑張っても毎日何か忘れるので、何度友だちに借りたり、先生に見つからないようカモフラージュしたりしたことか。見つからないように気配を消すのです(笑)
そんなうっかり者なのに、趣味は全力なんですよねー。さっきの文章のところに、趣味でお絵描きしているAさんの挿し絵が添えられているんですが、得意げな顔がすごく可愛い(笑) わたしも、深夜に寝られないからお絵描きしたりしてたなー。さらには受験勉強そっちのけで、小説書いたり、漢字検定とか色彩検定に夢中でしたよ。
やりたいことが多すぎて時間がない
続くAさんのエピソードはこんな感じ。
Aさんはよくも悪くも元気いっぱいな子どもでした。
絵画など趣味が多く、おしゃべりで活動的で、彼女の予定はいつも埋まっていました。
人の都合を考えず、マイペースで家族や友達と口論になることもありました。(p11)
ああああ…。まさにわたしのことを言われている。
わたしのことをある程度知っている人ならみんな承知ずみだと思いますが、わたしはすごく多趣味で、活動的すぎて、常に時間が足りなくて困っています。もし時間が余っている方がいれば高値で買い取ります(笑)
「絵画など趣味が多く」という表現。Aさんも趣味は絵画だけではないんですねー(笑) わたしの趣味を数えたら20個は軽く超えるので、自分でもどうしたらいいかわかりません。絵は描きたいけど、小説も書きたいし、本も読みたいし、ゲームもしたいし、水族館や遊園地に遊びにいきたいし、楽器も弾きたいし、ブログも書きたいし…、意外かもしれませんが、昔は詩吟をやっていたり、創作折り紙やってたり…、あと趣味でノルディックウォーキングもやってますよ。
「おしゃべりで活動的」というのも、わたしは給食中にべらべらしゃべりまくって、食べないまま休み時間が終わったりして何度怒られたことか。今もこうして、文章の形でしゃべりまくってますし。
「人の都合を考えずマイペース」。もう中学高校の友だちには、黙って頭を下げるしかありません。友だちなのにネタにしまくって、約束すっぽかして、振り回しまくってごめんなさい。温かく見守ってくれて本当にありがとう。いや、けっこう呆れられてたのも知ってますけどね(笑)
この本によると、のび太型ADHDの人は、一般のADHDのわんぱくな男の子のような落ち着きのなさなど、身体面での多動性は少ないのだとか。でも「思考の多動性」が目立つとか。この表現、目からうろこでした。「思考の多動性」。まさにわたしのことじゃないか。
ADHDという概念さえ知らなかったときに、わたしが自分について書いた自己紹介の中に、「異常にやりたいことが思いつく」とか「一つやりたいことをやっている間に2つも3つも新しいことが湧いてきて収拾がつかない」とか「どんどん新しいことをひらめいて、同時にどんどん忘れていく」とか書かれているんですよね。そうか、これが思考の多動性というやつだったのか。納得がいきました。
ちなみにこういう連想が連想を呼ぶ「芋づる思考」(勝手に命名)は、ADHDに多い特徴で、アスペルガー症候群の人たちはそうではないとのこと。まあわたしはアスペルガー症候群の人とはあまり似てないのを自覚しています。あの人たちのように地道なことはできない。(p75)
自分はダメ人間だと思い込む
続くエピソードはこんな感じ。
Aさん本人は、自分の落ち着きのなさを性格だと思っていました。
しかし子どもの頃はそれでもよかったのですが、高校、大学へと進学すると、徐々にまわりの人とのトラブルが深刻になってきました。
大学の同級生にさけられ、アルバイト先では失敗続き。Aさんは自分がどこかおかしいような気がしてきました。
そしてある日、インターネットを見ていて、自分がADHDに当てはまりそうだと気づいたのです。(p11)
うん。わたしも性格だと思っていました。というか、けっこう長いこと、自分が人と違うとさえ思っていなかった。
むしろ、自分はなんにもできないダメ人間だと思っていました。
この本によると、のび太型ADHDの人は、子どものときにADHDだと診断されにくいので、山ほどのミスや失敗はぜんぶ自分のせいだと思って、自尊心を失って大人になりやすいんだそうです。
わたしも数々の人間関係の失敗や、段取り良く家事ができないこと、スケジュール管理が壊滅的、普通の仕事に就けないことなど、もう自分はダメ人間でどうしようもないのだと数年前まで思っていました。
でも、ブログなどを書くようになって、ちょっと大人になって、客観的にまわりを見るようになると、なんかおかしいなと。ほかの人って学校行きながら20個も趣味を持ったりしてないようですし、「趣味がない」とか「毎日暇だ」と言う人も少なくない。んんんん?と思って調べているうちに、最初はもしやアスペルガー?と思ったのですが、なんかあまり似てなくて、そのうちADHDが怪しいと思い始めました。
特に怪しいと思ったのは、どこかのブログで、テスト前の過集中でトップクラスの成績を取るADHDの人の話を読んだとき。わたしも普段趣味に遊び呆けてて、テスト一週間前から詰め込んで学年トップとか取ってた人なので、おや?と思いました。それまでは恥ずかしながら、ADHDって勉強ができない落ちこぼれの子のことだと思いこんでいたもので。
ただ、ネット上の情報を調べても、最初に書いたようにやんちゃな男の子の情報ばかりなので、自分とは違うような…という気も拭えなかったんですね。
でもAさんみたいに、気にはなったので、色々調べて、ADHDではないかと医師に診てもらうことに。
元気いっぱいなのに疲れやすい
さて、Aさんの物語は子どものころの回想に入ります。
ケガの他にも、体調不良にもよくなりました。
はりきりすぎているのか、疲れがたまりやすく、授業中に眠ってしまうこともありました。
親はAさんを心配して、小児科や内科に連れて行きました。
しかしどの病院に行っても異常なし。
「疲れているから休みましょう」などと言われ、原因がわからないまま帰宅するのでした。(p30-31)
Aさんは先ほど、「元気いっぱい」な子どもだったと書かれていました。それなのに「疲れやすい」とはどういうこと?矛盾してる?と思いそうですが、これがまた、わたしにはよくわかります。
わたしも学生のころ体調不良で不登校になりましたが、Aさんの状況と似ていました。わたしは見てのとおりエネルギッシュですが、同時にすごく疲れやすいのです。でも疲れていても、やりたいことが次々降ってくるので、たくさんやりまくるのです。なんて矛盾した人間なんだ…。
薬が効きすぎて戸惑う
そんなAさんは、ADHDの専門医を受診して、正式にADHDと診断。そして薬の治療も始まりました。しかし…
しかしなにもかもよくなったわけではありません。
薬が作用している時間とそうでない時間の違いに戸惑ったり、生活が変わったことで疲れやすくなったりと、新たな悩みも生まれました。(p66)
たぶんADHDでない人には、この文章の意味がまったくわからないでしょうが…薬が効きすぎて戸惑うのです。
この本の説明によると、女性のADHDが男性と違う最大の点は、薬で治療したあとに戸惑うということだそうです。(p21) なんでも薬の「服薬後に効果が出すぎて戸惑う人が多い」とか。(p53)
これは女性の特徴というより、たぶんのび太型の人の特徴なんでしょうが、わたしの場合もそうでした。
薬が効くんならいいじゃない?と言われそうですが、効くとかいうレベルではなくて、人が変わるとか、人格が交代するというレベルなんですよね。薬が切れると部屋が足の踏み場もないほど散らかっていくのに、薬を飲むと、勝手にいつの間にか片付いているという。薬を飲まない日は自制心のかけらもないのに、飲んでいる日はきっちりした社会人に変身するのです。ドラえもんのひみつ道具かいな?
あまりに効いて唖然としたので、多動性があるとかないとかはもうどうでもよくなって、ADHDの診断で間違いないということになりました。
今までの苦労はなんだったの?とか、たった一粒の薬で人間が変わるとか、こんな薬飲み続けて大丈夫なの?と思ったりして戸惑いまくったのですが、次第に慣れてきて、オンオフのある暮らしを受け入れるようになりました。一日のうちに性格がころころ変わるのも、色んな人生を経験できていいじゃない、と(笑)
仕事はオンのときでないとできないし、ゲームはオフのときでないと楽しめないという(笑)
「自分らしさ」を目指して
そんなAさんのストーリーは、紆余曲折を経て、最後はこんな感じに結ばれます。
「自分にできることなんてなにもない」と人生をはかなんだ時期もありましたが、いまは絵を描くことへの興味をいかして、デザインなどの仕事をしたいという夢を持っています。
Aさんの生活にはポジティブな変化がいろいろと起こりましたが、ミスや問題が完全になくなったわけではありません。いまでも忘れ物は多く、なくし物もします。
ただAさん本人もまわりの人も、それをネガティブなことだと思っていません。おっちょこちょいだと笑って済ませられるくらいに、生活全体が落ち着いてきたのです。(p98)
わたしも、一時期は、自分のことを世の中で指折りのダメ人間で、どうしようもないと思っていましたが、今はおおむねAさんと同じ心境です。絵を描くことを仕事に活かすつもりは今のところありませんが、これからも もの書きとして、また絵描きとして表現を続けていきたい。
気づいた大きな点は、薬を飲んでも、わたしはわたしだったということです。最初は人格が変わったみたいで自分も家族も唖然としましたが、不注意なところ、衝動的なところ、多動なところは薬を飲んでも変わっていないんですね。
ミスはするけど、すぐ気づいて挽回できるようになった。無鉄砲な衝動性ではなく、積極的な行動に変化した、意味のない多動ではなく、活動的でエネルギッシュになった、という感じでしょうか。
ADHDの悪いところが軽減されて、良いところは才能として活かせるようになってきた感じです。この本にこんな記述がありました。
不注意:気が散りやすいことは、視野の広さや感受性の強さともいえる
多動性:落ち着きのなさは、行動力や自主性の強さともいえる
衝動性:気持ちをおさえられないことは情熱の強さ、瞬発力ともいえる (p23)
これを読んで改めて考えると、わたしは随分、この性格のお世話になってきたなぁ…と思うのです。
不注意のせいでケアレスミスを連発して苦しんできたけれど、同時に、博識ともいえる幅広い知識を得ているし、さまざまな芸術や小説に親しむ感受性の強さは、わたしの昔からの強みです。
多動性、特に思考の多動性のせいで、常に追い立てられて混乱ぎみですが、その分、創作意欲がものすごくて、文章や絵という作品をたくさん生み出してきました。
衝動性のせいで余計なことを言ってだれかを傷つけたり恥をかいたりしたことは数知れませんが、おかげで、さまざまなことにチャレンジしています。絵心教室をぜんぶ一気にやれたりするのは衝動性の賜物ですよ(笑)
よくよく吟味してみると、今までのわたしの創作力とか、お絵描き人生は、ぜんぶ、ADHDで苦労していたことの裏返しだったんだなぁと気づきました。
詩人ジョン・ミルトンが言ってましたね。「すべての雲には銀の裏地がついている」。雨が振ってどんよりしているように見える雲も、裏側から見れば、太陽が銀色に照らしているんだよと。
自分はダメな人間で、いっぱい損してきたと打ちひしがれたこともあったけど、悪いことが多かったぶん、他の人は決して味わえない嬉しいこともたくさん経験してきたのだなぁと思いました。
結局わたしは「ふつうの人」とは違うし、「ふつう」にはなれない。みんなと同じようにやったら、ダメ人間でしかない。王道は行けない。でも、自分らしくあって、自分の不注意、多動性、衝動性の良いところをフルに活かしていけば、だれも知らない自分だけの道、すてきな色とりどりの花が咲く道を歩いていける。そんなふうに思いました。
そんなわけで、この本、女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)は、わたしにとって、長年の疑問が解けて、自分を理解する助けになった、かけがえのない一冊でした。わたしの母が実はわたしと同じような人だということもわかりました(笑) 母を数倍に濃縮したらわたしになるっぽい(笑)
わたしだけ特殊な人間だったわけではなく、この本に書かれていたAさんと同じような境遇だったということは、多分、わたしと同じようなのび太型の絵描きさんは世の中にけっこういるんだろうなーと思います。
もちろん、一人ひとり症状は千差万別だとは思います。医学的治療が必要な人もいれば、そこまで深刻でなく、うまく付き合っていける程度の人もいます。一人ひとり事情は違うにしても、今回書いたわたしの話が、似たようなお絵描き人生を送ってきた人にとって、ちょっとでも参考になれば嬉しいなーと思っています。
それにしても…使っているペンタブのペンを、一日に10回くらい見失って、立ち上がって服をはたいたりして探すのはどうにかなりませんかね…(笑)
▽ADHDの絵描きさんについて
ADHDの絵描きさん全般に関することは、以前に書いたこちらの記事をどうぞ。
▽感受性の強いHSPについて
その後、わたしの感受性の強さはHSPと呼ばれる生まれつきの性質だと知りました。