つい自分と人を比べて落ち込んでしまう人に読んでほしい「色鉛筆の話」

■自分と他人を比べて落ち込むことが多い
■絵が上手い人と比べて自分は下手だと感じてしまう
■競争社会でだれかに勝つために頑張ることに疲れた

あなたはこのような気持ちになったことがありますか? 

わたしたちの世の中は、他の人と競い合うことが美徳とされているので、わたしたちは常に他の人と自分を比べるよう仕向けられます。

他の人と切磋琢磨することは、健全な環境で行われたなら、とても有意義です。自分の今のレベルや成績が数値化されたり、ランクづけされたりすることも、確かにある面では自分を客観視できて役立ちます。

しかし、自分の欠点や至らない点に圧倒されて、落ち込んだり、だれかを妬んだりする原因にもなります。

そうした辛い気持ちになってしまったときに、ぜひ思い出してほしい話があります。今回は、絵を描く人にとっては馴染み深い画材である色鉛筆から学べる、ちょっと役立つ話をご紹介したいと思います。

一色だけで楽しい絵は描けない

わたしは、自分とだれかを比べてしまいそうになるとき、色鉛筆のことをよく思い出します。

あなたは色鉛筆で絵を描くことがありますか? 子どものころにはきっと誰もが、色鉛筆を使って絵を描いたことがあると思います。

もし色鉛筆セットが手もとにあるなら、机の上に、広げてご覧になってみてください。

すべてが鮮やかな色や明るい色ばかりではないでしょう。中には地味な色やくすんだ色、冷たく感じる色もあるはずです。

では、これから何か絵を描いてみるとしましょう。そのとき、あなたは、どの色鉛筆を選びますか?

鮮やかだからといって、赤や黄色だけで、絵を描こうと思うでしょうか?

確かに赤や黄色は発色がきれいで目立ちます。でも、それらだけで絵を描くのは困難です。

赤だけで、森の景色をどうやって描けるでしょう。黄色だけで、木漏れ日や湖をどう描けばいいのでしょう。

わたしたち一人一人は、それぞれ一本一本の色鉛筆のようです。人種も個性も能力もさまざまです。おのおの別々の色を持っています。

でも、目立つ個性を持っている人だけでは、魅力的な社会という絵は描けません。さまざまな色を持つ人が協力して、調和よくキャンバスを彩ってはじめて、多様な文化がつくられるのです。

くすんだ色も重宝される

でも、色鉛筆のなかには、よく使われる色と、めったに使われない色があるのではないでしょうか?

確かにそうです。色鉛筆セットを持っている人なら、子どものころ、減りが早くてすぐ短くなる色と、なかなか使わず長いままの色があったのを覚えているかもしれません。

確かに、ある色は他の色より人気があり、活躍する機会が多くあります。それは人間の社会でも同じです。

でも、あまり目立たない色が役に立たないのかというと、そうではないのです。

以前、NHKの趣味悠々で、色鉛筆画家の野村重存さんがこんなことをおっしゃっていました。

うろ覚えなので、正確な表現ではないのですが、くすんだ灰色のような、目立たない色ほど、影の色合いを描くときに重宝するという話でした。

わたしもステッドラーのカラト水彩色鉛筆で絵を描いていた時期がありますが、Warm glay、Warm sepiaといったくすんだ深みのある色は、他に代用が利かず、とても便利でした。

カラト アクェレル水彩色鉛筆セット カラーチャート はてなブックマーク - カラト アクェレル水彩色鉛筆セット カラーチャート

同じように、わたしたちの中には、あまり目立たない「くすんだ」個性とも言える人たちがいます。

その人たちは、表立って注目されることは少ないかもしれませんが、目立つ個性を持つ人たちにはできない、かけがえのない働きをすることができます。

よく使われる人、活躍する人だけが重要なのではなく、目立たない役割を果たす人もまた、同じように重宝されるのです。

目立つ人も、そうでない人も、それぞれの役割を見つけることができれば、互いに協力しあって、深みのある文化を創造できるでしょう。それらの人たちに優劣はありません。

あなたは32色セット? 500色セット?

わたしたちが人と比べてしまう理由の一つに、狭い視野で物事を見ている、という可能性があります。

たとえば、お店に行って、5種類のコーヒー豆が売られていたら? きっと産地や価格などを比べて悩んでしまうかもしれません。

では50種類なら? こだわりのある人なら、がんばって比較して悩むかもしれませんね。

では500種類なら? もうとても比べることなどできません。

このように選択肢が多くなるほど、まわりと比べるのをやめてしまう傾向は、心理学で「選択肢過多」と呼ばれます。

わたしたちがだれかと自分を比べてしまうとしたら、それは、狭い視野―もしかすると、12色セットや、36色セットの色鉛筆として周りを見回しているのかもしれません。

でも、色の種類は実際にはもっと多いのです。

あなたはフェリシモの500本セットの色鉛筆を見たことがありますか?

FELISSIMO 500色の色えんぴつ|フェリシモ はてなブックマーク - FELISSIMO 500色の色えんぴつ|フェリシモ

ちょっと公式サイトをのぞくだけでも、あまりにも多くの色があって、どれが一番、とか、他の色と比べて別の色が劣っているとか、考えなくなりますね。

でも、500色なんて、まだ序の口です。見分けられる色の数については諸説ありますが、ある推定では、人が見分けられる色は約100万色と言われています。

しかし、ごく一部の女性に見られる4色型色覚の人は、1億色を知覚できるともされます。(わたしは四色型ではないのですが。

人の色覚にこだわらなければ、色の種類はさらに複雑です。数学的な意味でいえば、色はスペクトラムなので、事実上、無限に色合いが存在するともいえます。

わたしたちも、たとえ地球人口が70-80億人だとしても、それぞれみな、持っている個性の色は異なるのです。

そのような多種多様な色の中に身を置いて、自分がフェリシモの500色の色鉛筆の中の一本になったところを思い描いてみるなら、他の人と比べることが、いかに小さな世界での話であるかが、少しわかるかもしれません。

ちなみにわたしも子どものころ、フェリシモの色鉛筆を買ってもらってました(笑)

▽フェリシモ 500色の色えんぴつテレビCM

白と黒の世界に住みたいですか?

わたしたちが他の人と比べて落ち込む原因のもう一つは、この世の中に広く浸透している、物事を二極化して評価する傾向かもしれません。

子どもは生まれたとき、ひとりひとり価値があるとみなされます。お父さんとお母さんにとっては、みなかけがえのない「たった一人のわたしたちの子ども」です。

でも、学校に入ると、大勢の子どもの一人にすぎなくなります。学校では、成績が良い子か、成績が悪い子として区別されます。

テストの点数は、その子のほんの一面を表しているにすぎないのに、丸かバツかで点数がはじき出され、その子全体の評価であるかのように通知票に反映されます。

頭がいいか悪いか、絵がうまいか下手か、運動ができるかできないか。

いつの間にかわたしたちは、他の人と比べて、自分を白か黒かで判断するようになってしまいます。そして他の人のことも白黒決めつけるようになります。

その影響は大人になってもそうです。仕事ができるかできないか、ある人種か別の人種か、同じ信仰を持っているかどうか、同じ政党の支持者かどうか…。自分と同じ色だけを認め、そうでない色を認めないなら対抗意識が生じます。

物事を白か黒かの二極でわけようとする圧力は、どこの社会にも見られます。敵か味方か、という二択のほうが、だれにとってもわかりやすいからです。

でも考えてみてください。あなたの色鉛筆セットに、白と黒の二種類の色鉛筆しか入っていなかったら?

500本セットなのに、250色が黒で、250色が白だったら?

そんな色鉛筆セットで楽しく絵を描くことなどできるでしょうか。

もちろん、白と黒だけで描く絵もたまには必要です。マンガだって水墨画だって木炭画だって貴重な文化の一つです。でもそれらにしても、まったく白と黒だけというわけでもありません。

いつも二色だけなら、息がつまりそうになってしまいます。世の中がすべて、白一色の病院や黒一色の刑務所みたいなところだったらどうでしょう? そんなところに住みたいでしょうか。

たとえ白と黒で分けることが楽に思えるとしても、わたしたちは、楽しく居心地よい環境を作るには多様性を認める必要があります。

単純に答えが出せず、バッサリ分けることができない社会こそ、豊かで味わいのある色とりどりの文化の基盤となるのです。

自然界にはひとつとして同じ色はない

そのような色とりどりの世界、多様性に満ちた世界こそ、本来、人間に適した環境だということは、自然界をよく観察すれば明らかです。

自然界には、ひとつとして同じものは存在しません。

たとえば雪の結晶はひとつひとつ形が違いますし、シマウマの模様も、よく観察すれば、みんな違います。

興味深いことに、自然界には、単なる黒や白はごくまれにしか存在しません。

一見、「黒」に見えるとしても、実際には色みが混じっています。

絵を描く人ならわかると思いますが、風景画を描くとき、黒い影だと思っても、原色の黒を塗ってみると、黒すぎることが多いのです。人物の髪の毛を描くときもそうですね。

実際には、少し緑みが混ざっていたり、青みが含まれたりします。

こうした色みのある黒は、クロマティックブラック(Chromatic black)というのだと、絵心教室のビンス先生に教えてもらいました

新絵心教室のビンス先生の絵の具レッスンでは、自然界には完全な黒はないので、パレットに黒の絵の具は用意されていないのです。黒を作るなら、茶色や群青色を混色して作ります。

同様に、白もまた、自然界の白は真っ白ではない場合が少なくありません。ホッキョクグマの毛も、寒い日に積もる雪も、色みのある白で描くほうが味わいが出てよりリアルです。

このように、白か黒か、という二極化は自然界にはまったく見られません。わたしたちは多様な色を含む世界で生きるように設計されているといえます。

自分の絵を「上手い」「下手」という白か黒かで判断しそうになったときは、世の中には、もっと色とりどりの多様性があるということを思い出してください。

多様性を意識して、それぞれが自尊心を抱くことができてはじめて、互いに切磋琢磨することは、質の高い友情と向上心をもたらしてくれます。

色鉛筆を手もとに置いて

このように、色鉛筆をちょっと眺めるだけで、いろいろと面白い教訓が得られます。

この話は、わたしが2008年ごろに思いついたものですが、ときどきふと思い出します。

自分とだれかを比べてしまったとき、多様性についてだれかに気づかせてもらったとき、落ち込んでいる人を励ますとき、そして机の上の色鉛筆セットをぼーっと眺めているとき。

わたしたちは、みな違っています。それぞれ個性や才能が違っていてあたり前です。そして、それぞれ持っている色が違うからこそ、互いに協力しあって、美しい絵を描き上げることができます。

目立つ人もそうでない人も、それぞれの役割があり、貴重な存在であることに変わりはありません。何よりわたしたちの生きる地球はそのようにして多様な色からなりたってできているのです。

こんど、自分と誰かを比べて落ち込んでしまったときには、ぜひ色鉛筆のことを思い出してみてください。きっと心の中がカラフルになり、少し気持ちが楽になるかもしれません。

▽人と比べることについて
こちらの記事でも同じような話題について書いています。

絵を描くことを楽しみたいなら「上手い」という褒め言葉を捨てよう
絵を「上手い」と褒めると、絵が嫌いになる人が現れるという話

▽フェリシモ 500色の色えんぴつコンセプトムービー

投稿日2015.10.29