レビー小体病になっても創作し続けたマーヴィン・ピーク、そして現代の芸術家たち


最近、ちょっと体調が悪くて弱気になっていましたが、ふと、前に読んだ本芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察にあった、この印象深いことばを思い出しました。

ここで、脳に障害が生じた芸術家の誰にも認められるもう1つのパターンは、損傷後の創造性の保持である。

…大多数の芸術家は彼らが選んだジャンルの領域内で発展し革新を続けるのである。

…右半球損傷も左半球損傷も芸術家の創造性を妨げることはないと思われる。(p267)

前に書いたように、芸術家と呼ばれる人たちは、たとえ難病になったり、脳に損傷を負ったりしても、最後まで創作活動をあきらめないことがほとんどです。それができるのは、芸術家の創作能力というのは、脳のどこか一部だけを使っているのではなく、脳の全体を活用しているからだと考えられています。脳の右側であれ左側であれ、たとえどこか一部の機能が失われても、創作能力は保たれ続けます。

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上の記事でも書いたように、病気になっても創作を続けた芸術家のエピソードはたくさんあるのですが、たまたま、いま、難病患者の恋愛・結婚・出産・子育て: 若年性パーキンソン病を生きる患者と家族の物語という本を読んでいて、「レビー小体病」の作家たちのエピソードについてまとめたいなと思いました。

レビー小体病?  なんだか聞き慣れないかもしれませんが、有名なパーキンソン病や、レビー小体型認知症という病気は、このレビー小体病の一種です。最近、こうした病気の原因が、脳のレビー小体という物質の変性にあることがわかって、レビー小体病というくくりで呼ばれるようになってきたそうです。

パーキンソン病やレビー小体型認知症というと年配の人の病気のイメージがありますが、若い人でも、極端な場合は10代や20代でも発症する人がいます。わたしも10代のころからずっと体調不良と闘っているので、いろいろ共感しながらこの本を読んでいたのですが、芸術や創作をあきらめていない人たちの話が出てきて励まされました。

レビー小体病になった作家マーヴィン・ピーク

まずは、タイトルにも入れた、イギリスの作家マーヴィン・ピークの話から。

レビー小体型認知症(DLB)という病気は、当事者や介助者たちの啓発活動もあって、ひとむかし前より、名前がちょくちょく聞かれるようになってきました。実際は決して珍しい病気なんかじゃなくて、たぶん身の回りの高齢者のなかに、けっこういるんだと思います。三大認知症のなかで、アルツハイマーに次いで多い認知症だからです。

有名人の中に、この病気の人がいるということも、ときどき報道されるようになってきています。

たとえば、数年前に亡くなった俳優のロビン・ウィリアムズさん(ゲーム好きには、娘さんのゼルダ・ウィリアムズさんでおなじみ)が亡くなったとき、奥さんの口からDLBを患っていたことが明かされました。もっと最近だと、あのジョン・レノンの妻で世界的アーティストでもあるオノ・ヨーコさんがこの病気だと報じられました

だけど、イギリスの作家マーヴィン・ピーク(Mervyn Peake)がDLBだったということは、インターネットで調べた限り、日本ではまったく知られてないようです。いえ、わたしもこの芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察で読むまでまったく知らなかったので、これって記事にしとくべきじゃない?と思ったわけです。

マーヴィン・ローレンス・ピークは、1911年生まれの非常に多彩な作家です。父親が医師また伝道師だった関係で中国で生まれ、その後イギリスに帰国しました。20歳ごろはじめて個展を開くなど、若い頃から芸術的な才能が豊かで、小説、詩、絵、演劇など、多分野を股にかけ、マルチに活躍しました。このマルチさはサルバドール・ダリを思い出させますね。

作風は暗くおどろおどろしいようなところがあって、Googleで絵を検索してみたら、かなりホラーでした。さまざまな挿絵を描いただけでなく、第二次世界大戦のベルゲン・ベルゼン強制収容所の生存者たちを描いた絵でも知られています。そこはあのアンネ・フランクが亡くなった場所です。

▼マーヴィン・ピークの絵 (クリックで画像検索)

幻視からアイデアを得た

この本によると、マーヴィン・ピークは、40歳ごろから、病気の症状に悩まされることになりました。インターネットの日本語の情報を見ても、彼の病名は書かれていないんですが、どうやら、パーキンソン病とレビー小体型認知症、つまりレビー小体病が主体で、そこに、アルツハイマー型認知症も合併している状態だったみたいです。

1950年代初めから1956年にかけて、彼はパーキンソン病の兆候と進行性の認知障害を呈するようになった。

ちょうど45歳になったときに振戦が両手にみられるようになり、それがやがて両足にも及び、またかがんだ姿勢をとるようになり、パーキンソン病患者特有の顔面の表情も認められるようになったが、同時に幻視も出現した。

…Sahlas(2003)は、Peakが呈した徴候を、アルツハイマー病の変形にあたる神経変性症、レヴィ小体を伴う認知症と診断した。(p54)

ここに書かれている振戦、つまり手足のふるえは、言わずもがなパーキンソン病の特徴ですが、幻視や認知障害というのは、レビー小体型認知症の特徴です。手足が震えたりこわばったりすることを思えば、創作は簡単ではないはずですが、彼はそんな状態でも、創作への集中力を保つことができました。

そうした状態にもかかわらず、Peakは1時間もの長い間、多数の挿絵を描くことに集中することができ、その後突然描くのをやめて、椅子に静かに座っている状態に戻った。

これほどさまざまな脳の神経障害を抱えていると、日常生活でできなくなった活動は多かったはずですが、彼は57歳で亡くなるまで、創作意欲を保って芸術家として活躍したそうです。最初に書いたように、芸術の創造性は、脳のどこか一部ではなく、脳全体にネットワークとして偏在しているので、何かが欠けてもそれを補う能力が発達して、創作を最後まで続けることができたのでしょう。

この本によると、彼はレビー小体病で見える幻視を、創作のアイデアとして活用したりもしたそうです。転んでもただでは起きないというか、病気になってさえあきらめず進化しつづけるさまが感じられます。

レビー小体病の幻視は、そこにないものが見えますが、すでに見えているものを脳が勝手に補ったり歪めたりしてしまうことも生じるようです。これは、前に書いたパレイドリアと呼ばれる現象です。

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上の記事で書いたように、芸術家はパレイドリアをよくアイデア出しに活用します。なんとも言えない雲の形や、単なるインクの染みから さまざまな形を連想すると、斬新なアイデアが生まれやすいものです。

この本にも、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが、パレイドリアを活用して絵の手直しをした逸話が載っていました。

ある晩、ブラックのアトリエに行ったピカソは、ブラックが描いた煙草入れやパイプなどを集めた絵を見てこう言ったそうです。

「かわいそうな友人よ、この絵はひどすぎる。私には君のカンバスにリスがいるように見える」。

びっくりしたブラックは、「そんなことはあり得ない」と言いますが、ピカソに促されて少し離れた位置から自分の絵を改めて見てみると、なるほど、自分の描いた絵がリスに見えてきました。

その後、ブラックは来る日も来る日もリスと格闘を続け、その絵からリスを取り除き、キュビズムの名画に仕立て上げたそうです。

このエピソードについて、この本にはこう書かれていました。

意図的に描かれているパターンの組み合わせから、意図的に描いたのではない新しい形が見えてくることがある。(p162)

パレイドリアの視覚連想が働きやすい人は、ふだん見ているごく当たり前のものや、何の意味もない形から、まったく違う何かを連想しやすいでしょう。そして、レビー小体型認知症の人は、このパレイドリアが起こりやすいことが知られています。

わたしがよく書いている持論ですが、画家や作家というのは、独創的なアイデアや世界観を一から組み立てているわけではなく、自分の特異な体験世界にヒントを得て、それを味付けすることによって作品に仕立て上げていると思っています。

もしかすると、画像検索で出てきたマーヴィン・ピークのホラーな絵の中には、パレイドリアの視覚的な連想から着想を得たものもあったのかもしれませんね。

最後まで書き続けた「ゴーメンガースト」

そんなマーヴィン・ピークの、生涯最後の時期の創作として最も有名なのは、タイタス・グローン―ゴーメンガースト三部作 1 (創元推理文庫 (534‐1))です。

この小説は「三部作」とはなってはいますが、もともと彼はもっと続きを書くつもりだったのに、志半ばに亡くなってしまったため三部作になってしまいました。このことからも、彼が死ぬ間際まで創作意欲を失わなかったことがわかります。

彼の遺作ともなった「ゴーメンガースト」とはどんな物語なのか。詳しく書いてくれているページがあったので、そちらを紹介しておきます。

究極の幻想文学。読書人必読の書〈ゴーメンガースト〉三部作復活!2014年6月刊行[2014年5月]|今月の本の話題|Webミステリーズ!

概要を読むだけでも、ひと言では到底表現仕切れない、独特の世界観がひしひしと伝わってきます。好きな人はひたすら好きになるし、苦手な人はまったく受け付けない、それくらいアクの強い物語ですね。どうやらBBCで映像化もされたとか。

レビー小体病のさまざまな症状を抱えながら、このあまりに奇妙な、それでいてリアルな幻想世界の物語を書き続けた彼は、いったいどんな気持ちで創作していたのでしょうか。

わたしの空想世界も、明るい部分だけでなく、わりとおどろおどろしい部分もあって、それをときどき空花物語シリーズのような、少し不気味さを含んだファンタジーとして描いていますが、もしかするとちょっと似ているのかもしれない…と興味を惹かれました。

どうでもいいですが、わたしは学生時代にエドガー・アラン・ポーとかディクスン・カーの推理小説を読みすぎたせいで、推理小説とは、いかにおどろおどろしい舞台を作るか、そしていかにそれを理路整然と論理的に収束させるかかが大事だと思っています。だから「ゴーメンガースト」の、千を越える部屋がある迷路のような巨大な閉ざされた城という舞台設定は けっこうそそられます。

残念ながら、マーヴィン・ピークの生きた時代には、まだレビー小体型認知症は発見されておらず、パーキンソン病の効果的な治療法もなかったので、彼は57歳で亡くなってしまいました。さすがに衰弱するにつれて創作の質も落ちていったそうですが、それでも、次のように総括されています。

それでもしかし、脳に損傷が生じた芸術家たちは、発症後も芸術パターンの一貫性を保ち、技能や美的表現、創造性、才能、芸術創造への動機づけなどを持ち続けている。(p55)

視覚芸術は、健常な視空間知覚と視空間認知を必要としているが、これらの機能を喪失したり低下した場合でも、優れた技能による美的で独創的な作品を創作することができなくなるわけではないと思われる。(p56)

マーヴィン・ピークは、確かに、脳の神経変性に冒されても、創作を続けました。創作意欲を保っただけでなく、新境地も開拓し、「ゴーメンガースト」のような誰にも真似できない渾身の作品をさえ書き続けました。

最後まで創作しつづけた彼の生きざまは、身体上の困難にもめげず創作を続けている今日の作家たちにとって、励みになる生きた手本です。

パーキンソン病になっても創作し続ける作家たち

この本には、マーヴィン・ピーク以外にも、レビー小体病、とくにパーキンソン病のもとで創作を続けた芸術家たちのエピソードが出てきます。たとえば、1999年のこんな報告があります。

Lakke(1999)は、パーキンソン病にかかった職業芸術家26例(女性8例、男性18例)を対象に、発病前と発病後の作品を分析した結果を報告している。

…彼らは発病後も芸術活動を通し生計をたてるか、生涯を通じて芸術活動を続けていた。

雑誌「プレイボーイ」に漫画を連載していた一人の患者は、発症後も作品のウィットを失わず、芸術的感覚に変化を認められなかった。

一方、他の患者たちには、振戦による(特殊な効果をもたらすための)ハッチングの方向の変化、垂直方向の維持の困難による構図全体の傾き、描かれた個々の対象のわずかな傾き、カンバス上の一個の強調による非対称性(半側無視の場合ほどではない)など、技術上の変化が認められた。

…Lakkeの観察によれば、重要な点は患者たちの作品には芸術上の成長と進歩がみられ、パーキンソン病の進行にもかかわらず、芸術家として発展し続けたことである。(p46)

この26名の芸術家たちは、パーキンソン病を患ったことで、確かにさまざまな困難を抱えました。手の震えなどから、絵のハッチングや傾き、対称性の維持が難しくなりました。

けれども創作をやめず、生涯を通じて芸術活動を続けました。それだけでなく、パーキンソン病になってからも、その作品は発展しつづけ、芸術家として成長していくことができたのです。

なかには、面白い例として、パーキンソン病になったことで、それまで考えもしなかった芸術の才能が開花した、という話もありました。

才能は、ある個人に特殊な神経学的事象の存在が明らかになるまでは眠ったままであることもある。

発病後に芸術的表現が出現した一人の神経学的症例は、パーキンソン病の患者で、40歳でパーキンソン病が進行し始めたと同時に、人生で初めて質の高い詩を結果として描き始めたのである。(p257)

この人は、ちょうどマーヴィン・ピークと同じくらいの年齢でパーキンソン病になりました。40歳ごろというのは、比較的若年発症といえるかもしれません。しかし、パーキンソン病になって、薬物療法を始めたあと、一ヶ月も経たないうちに、人生で初めての詩を書きました。そしてめきめきと頭角を現しはじめました。治療薬で脳の神経伝達物質が変化したことがきっかけになったようですが、薬が変わっても続いたらしく、あくまでもともとあった隠れた才能が開花したのだろうとされています。

同じ年には10編の詩を書き、その後も詩集を出版するなどして、権威ある詩の賞を受賞さえしている。

パーキンソン病の進行と投薬の水準の変化にもかかわらず、長い年月の間、彼は詩を書き続けた。(p258)

もちろん、パーキンソン病をきっかけに芸術的才能が開花したからといって、病気を美化するわけではありません。でも、人生に大きな激震があるというのは、必ずしも悪いことばかりをもたらすわけではありません。今までの常識が崩れ去ってしまうからこそ、新しい可能性が生まれることだってありえます。

若年発症のパーキンソン病の当事者として最も有名なマイケル・J・フォックスは、病気になった経験を回想した本に「ラッキーマン」というタイトルを冠しました。彼は病気の経験を通して一回りも二回りも成長し、今でもユニークな俳優として活躍しつづけています。

そういえば前に書きましたが、83歳でシャルル・ボネ症候群という幻視が見えるようになったことがきっかけで、詩人として詩集を出すまでになった女性もいましたね。

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今回、この記事を書くきっかけになった難病患者の恋愛・結婚・出産・子育て: 若年性パーキンソン病を生きる患者と家族の物語という本にも、やはり若くしてパーキンソン病になってもあきらめず芸術活動を続けている人たちの話が出てきます。

冒頭に載せられているマンガでは、まだ10代の学生時代に、若年性のパーキンソン病を発症してしまった女性の体験談が描かれています。手が震えはじめ、何もないところでつまずくようになり、やがて大好きなトロンボーンがうまく演奏できないほどになってしまいます。

できないことが増えていく現実に打ちのめされ、ひどく落ち込んでいるとき、音大の先生がこんな言葉をかけてくれたそうです。

右手がだめなら左手がある。左手用の楽器をと作ればいい。(p14,171)

その言葉をきっかけに、「できなくなったことを嘆くよりも、まだできることがある喜びを感じて生きる」ことを目指し始めます。

そして、地道に音楽活動を続け、テレビ取材をきっかけに大学から右手用トロンボーンを寄贈してもらうことができ、コンサートにも出演し、30代になった今も、演奏を楽しみ続けているそうです。

また、40代なかばでパーキンソン病になった方のエピソードも載せられていました。この方は、病気になってから、奥さんと音楽ユニット「げんきなこ」を結成し、ライブ活動を開始して、作詞・作曲・編曲に携わるようになったそうです。

今、わたしにとって、音楽をつくることは生きることそのものです。

命を削る、というと大げさなように聞こえるかもしれませんが、実際、それでいいと思いながら、わたしは音楽を作っています。(p43)

この方は、音楽作りとの出会いによってパーキンソン病の中でも自分らしく生きていく喜びを見つけました。さっき出てきた、パーキンソン病をきっかに詩人になった人をほうふつとさせますね。たとえ難病になっても、芸術をあきらめる必要はなく、むしろ創作活動を通して生きる喜びを感じることさえできるのです。

それでもみんな芸術をあきらめなかった

この記事では、おもにレビー小体病と呼ばれるような難病を患っても、創作しつづけた古今東西の作家たちのエピソードをみてきました。前に書いたように、レビー小体病にかぎらず、病気や障害に直面しても創作をあきらめず、それどころかさらなる感性を磨いていった作家たちの例は、枚挙にいとまがありません。

わたしも、先日書いたように、10代のころからこのかた、体調的にはかなり制限がありますが、創作の世界でなら、自由に飛び回ることができます。創作はわたしにとって、日々を生き抜くための手段になっています。

今回調べたさまざまなエピソードは、どんな予期しない身体上の困難に見舞われても、創作を楽しむことはできる、という励みを与えてくれます。生きた実例がこんなにもたくさんあるのですから、わたしにだってできる、そう思えました。

彼らはみんな、芸術をあきらめませんでした。いえ、そもそもあきらめる必要などあるのでしょうか。脳科学によれば、人が人であるかぎり、死ぬまで創造性は失われないのです。芸術を愛する人にとって、創作をあきらめる必要があるのは、ただひとつ、この世を後にして眠りにつくときだけです。その日までは、たとえどんな困難に見舞われようとも、創作をあきらめる必要なんて、これっぽっちもないのです。

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