夢がカラーかモノクロか。そんな話題をときどき聞きます。
昔の人たちは夢が白黒だったとか、実はカラーの夢を見ているけれど覚えていないとか、色々と言われていますが、近年はフルカラーの夢を見る人が少なくないようです。
しかしそんなモノクロかカラーかという話を通り越して、明晰夢やリアルな夢の中で、現実にはありえないような鮮やかな色を見てしまう。それが、今回、取り上げる話題です。
そんな経験をする人がどのくらいの割合いるのかはまったく不明ですが、みなさんはいかがでしょうか?
この絵は、わたしが夢の中で見た、現実にはありえないような色を描きたいと思って昨日描いたものです。
昨日の記事の中でもその点は簡単に説明しましたが、せっかくだから、この話題をもう少しちゃんと整理して残しておきたいなぁと思って、記事を書くことにしました。
「色」の考察と思えば、このサイトにふさわしいものですし、以前取り上げた共感覚などの話題とも関係しているらしいので、まとめる価値がありそうです。
「真の藍色」を見たオリヴァー・サックス
まず最初に紹介するのは、昨日の記事でも引用した神経科学者のオリヴァー・サックス先生のエピソードです。
サックス先生は、不思議で奇妙な神経疾患の患者たちが体験する世界の描写に定評があり「レナードの朝」などは特に有名です。しかし、ときどきご自身のぶっ飛んだ体験談も絡めてこられるので油断なりません。昨年亡くなられたのが返す返すに残念でなりません。
見てしまう人びと:幻覚の脳科学には、サックス先生が若いころに、当時まだ合法だったLSDなどの幻覚剤やアンフェタミンなどの覚醒剤を試して中毒になっていた話が書かれています。
私はずっと前から「真の」藍色を見たいと思っていて、薬物を使えばそれができるかもしれないと考えた。
そこで1964年のある晴れた土曜日、私はぶっ飛ぶために、(一般的な覚醒剤の)アンフェタミン、(幻覚作用を強める)LSD、そして(少し譫妄状態を加える)少量の大麻をベースにした薬をつくった。
これを服用して20分後、白い壁に向かって叫んだ。
「いま藍色が見たい―いますぐ!」 (p133)
もちろん、だれもこれを真似してはいけませんが、とても興味深い話ではあります。
サックス先生は、「真の藍色」とやらに異常な関心を持っていて、それを見るために特別な薬を調合したのです。
どうしてこの調合で「真の」藍色が見られるという結論に至ったのかは定かではありませんが、 メスカリンやLSDは神経伝達物質セロトニン、コカインやアンフェタミンは神経伝達物質ドーパミンに関係すると言われています。(p148)
確かにこの配合だと、現実にはありえない色の幻覚が見え、さらにその色が相当鮮やかに感じる可能性がありそうだ、という点は後ほど説明します。
さて、その後どうなったかは、サックス先生がこう記述しておられます。
すると巨大な絵筆から投げつけられたかのように、純粋な藍色をした、巨大な洋ナシ形の震える染みが現われた。
輝く崇高なそれは私を歓喜で満たした。それは天国の色であり、私が思うに、中世イタリアの偉大な芸術家ジョットが生涯をかけて出そうとしたが出せなかった色だ。
天国の色は地上では見ることができないから実現できなかったのだろう。
しかしかつて存在したのだと私は思った。それは古生代の海の色、かつての海の色だ。(p133)
相当やばい感想に聞こえますが、これがそのときの正直な気持ちだったのでしょう。そのとき見た藍色は、天国の色のような、この世のものとは思えないほど崇高な色だと感じられたのです。
昨日の記事で詳しく書いたとおり、わたしはこのときのサックス先生の気持ちが非常によくわかります。
わたしは薬物はやっていませんが、ときたま夢の中で見る、この世のものとは思えない鮮やかで恍惚とする色は、まさにサックス先生が詩的に描写したような色彩です。
ドーパミンは色の鮮やかさと関係している
サックス先生が現実にはありえないような色を見た理由には、色々な要素が関係しているでしょう。
一つ目に考えてみたいのは、ドーパミンバランスによる色の感受性の変化です。
わたしたちは、普段みんな同じ色を見ていると思いこんでいますが、実際には、人それぞれ、頭の中のドーパミンバランスによって、見ている色の彩度が異なります。
ちょっと難しいですが、芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察にはこう説明されています。
ドーパミンが網膜に存在しているのはヒトに限ったことではなく、すべての哺乳類と脊椎動物の多くでも認められており、錐体の色に対する感受性を調節しているとみられている(Shuwairi, Cronin-Golomb, McCarley,& O’Donnell.2002).
たとえば…コカイン使用中止期間中の青に対する感受性の低下は、ドーパミンが特定の色に感受性を示す錐体を調節していることを示している(Roy,Roy,Williams,Weinberger.& smelson 1997).(p81)
この説明によると、ドーパミンは眼の細胞の色の感受性を調節していて、たとえばコカインなどを飲んでドーパミンを劇的に増やせば、青色の感受性が高まるそうです。
麻薬中毒者でなくとも、たとえば統合失調症やパーキンソン病のために、頭の中のドーパミンバランスが極端な状態にある人は、色覚が普通の人とはちょっと違うのだそうです。
逆に、世界が色あせて見える場合も、ドーパミン受容体の密度などが関係しているという研究もありました。
世界が色褪せて見えるのは脳のせい―離人感・現実感消失症の病態解明への第一歩― | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構
ちなみにわたしはADHDのせいでドーパミンバランスが普通の人とは違うので、やはり色覚がちょっと異なっている可能性があります。
もちろん、ドーパミンは普通の人の脳内でも一定量は変動しますから、わたしたちはだれでも、そのときの状態によって色の印象がちょっとずつ変わっているはずです。
このドーパミンと色覚の話は、こちらの記事でもわかりやすく解説してありました。
気持ちが沈んでいると視界も曇る。悲しみは色の認識に影響することが判明(米研究) : カラパイア
記事によると、ドーパミンが増えると、青色と黄色の感受性が高まり、赤色と緑色は特に影響がないとされています。
先ほどの研究では、ドーパミンは眼の錐体の感受性と関わっているとのことでしたから、サックス先生が見た幻覚のような場合にもドーパミンが関わっているのかどうかはわかりません。
しかしドーパミンは情動とも関係するので、アンフェタミンによるドーパミン過多のせいで「真の藍色」に感動した可能性は十分にあります。
「火星の色」を見る共感覚者
もう一つ考えてみたいのは共感覚です。LSDなどの幻覚剤は、単に幻覚が見えるだけでなく、共感覚が生じるとも言われます。
共感覚は、本来関係ない複数の感覚が同時に生じるもので、たとえば数字に色がついて見えたり、音で形が見えたり、数字が空間に配置されているように感じたり、色々なパターンがあります。
共感覚の原因はよくわかっていませんが、赤ちゃんのときはみんな共感覚で、大人になるにつれ、抑制されて生じなくなるという説もあります。その抑制がたまたま外れているのが共感覚者です。
共感覚者には特殊な脳の回路があるわけではなく、抑制信号が欠けているだけなので、普通の人でもLSDなどを使うと、抑制が外れて共感覚が生じると言われています。そのあたりは以前に書いた記事を参照のこと。
ところで、この 色の共感覚について、幻肢の治療法の発見などで知られる神経科学者V.S.ラマチャンドラン先生の脳のなかの天使には、興味深い話が書かれています。
スパイクは赤緑色覚異常だった。彼が外界で体験する色はほとんどの私たちよりはるかに少ない。
しかし奇妙なのは、実世界ではけっして見えない色がしばしば数字について見えることだった。
彼はそうした色を、チャーミングかつ適切に「火星の色」と呼び、「異様」で、まるっきり「非現実的」に見える色なのだと言った。それが見えるのは数字を見ているときだけだった。(p168)
ここに記述されているスパイクという男性は、色覚異常でありながら共感覚という珍しい特徴を持っています。
彼は生まれたときから色覚異常なので、あまり多くの色が見えません。ところが、色を感じる脳のV4は正常です。
すると、特定の色の受容体がないために目からV4に到達しない色があったとしても、数字を見たときの共感覚によって別ルートからV4が刺激されることがあります。そうすると今まで見たことのない色が見えるという不思議な体験が生じます。
さらに、こうした経験は、色覚異常のない共感覚者でも生じるそうです。
ここで指摘しておきたいのだが、色覚異常のない共感覚者も、「火星の色」を見る可能性がある。
共感覚者のなかに、アルファベット文字の色が、「たがいに重なりあった」複数の色からなっているので、標準的な色の分類にぴったりあてはまらないと表現する人たちがいる。(p168)
目から光が入る通常のルートでV4が色を感じる場合とは違って、共感覚のルートでV4を刺激されると、光の成分とは無関係に色を感じます。すると、光が生じさせる七色には含まれない色が見えます
ラマチャンドラン先生はこう問いかけています。
虹のなかにない色、別次元の色を体験するのはどのような感じなのだろうか?
自分が模写することのできない何かを感じるのがどれほどもどかしいか、想像してみよう。
あなたは、青を見るのがどんな感じかを、生まれつき目の見えない人に説明できるだろうか?(p169)
この「別次元の色」「自分が模写することのできない何か」という表現は、まさにわたしが感じているものです。夢の中で見たあの色は、どうあがいても絵に表現できません。どうやって説明すればいいのかもわかりません。
わたしたちは色というのは、光の三原色RGB(レッド・グリーン・ブルー)の数値で表される絶対的なものだと考えがちですが、実際には、もっと相対的です。
色は光の成分だけでなく、わたしたちの色を認識する受容体である眼や、その情報を処理する脳のV4など様々な要素が関係して見えているものです。
そのため、同じRGB値の色を見ているつもりでも、その人の眼、脳、ドーパミンバランスなどの状態によって、一人ひとり微妙に違う色を見ているはずです。
これは色に限りませんが、相対性理論が示す通り、この世界には絶対的なものはなく、わたしたちの感覚は個人の印象に大きく左右されるものなのです。
現実にはありえない色の夢
ここで最初の話に戻りましょう。わたしが時たま見る、現実にはありえないような色の夢の話です。
ここまで考えてきた「真の藍色」や「火星の色」の体験談は、起きているときに特殊な状況で見えたものでしたが、実は、こうした体験が最も生じやすいのは夢の中なのです。
わたしたちが夢を見るのは、おもにレム睡眠の最中ですが、<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) によると、レム睡眠中は、感情をつかさどる大脳辺縁系が強く活動しています。そのため、大げさな感動が生じます。(p199)
睡眠中の色覚とドーパミンが関わっているのかどうかはわかりませんが、鮮明さが伴う夢とドーパミンレベルが関わっているという研究もあります。
また夢の中では、脳を抑制している前頭前野の活動が低下するので、現実にはありえないような共感覚が生じることもあります。感覚の統合がうまくなされず、日常ではありえないようなことを経験します。(p102)
その結果、どんな夢を見ることになるか。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書) にはこんな話が書かれています。
私などは夢の記憶は曖昧で訳が分からないことが多いのだが、解離の人たちは、視覚はいうまでもなく、聴覚、触覚など五感のすべてが、こうして覚醒しているときと何ら変わりがないという。
先の今日子は、「夢は現実よりもその画素が多い。あまりに鮮やかで綺麗で印象的。それに対して現実はあまりにぼんやりとしている。夢の方がずっと現実的なのです」と述べている。(p61)
そう、この「夢は現実よりもその画素が多い。あまりに鮮やかで綺麗で印象的」という表現。これこそが、わたしが言葉にならないほど鮮やかな夢を見たときの感想そのものです。
この本は一応、解離性障害の患者さんについての本なので、おそらくは、こうした夢はだれもが見るものではなくて、解離傾向の強い人に多いと思われます。
とはいえ、解離傾向が強いからといって、すぐに病気につながるわけではなく、健康な人の中にも解離傾向の強い人は大勢いて、創造性として活用していることも多いのです。
ちなみにわたしがリアルな夢や、鮮やかな色の夢を見るのは、起きる直前のうとうととまどろんでいるときのことが多いです。半分夢の中にいて半分起きているといえばいいのでしょうか。
先ほどの<眠り>をめぐるミステリー―睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書) によると、リアルな夢は、半分目が覚めて、大脳皮質が活動しているときに生じやすいといわれています。(p129)
そんな状況で見る夢は、自由自在にコントロールできて空を飛べたり、全身に五感を感じてものすごく爽快だったりします。例えて言えば、USJのハリポタのライドをもっとリアルにしたようなものです(笑)
そんなときにまれに見る、「あまりに鮮やかで綺麗で印象的」な夢は、本当に特別です。
いつか夢で見た虹色の夕焼けや、海の中に沈んだ透き通るクリスタルの宮殿の輝きは、すごく美しかったけれど、とても絵にはできません。言葉で言い表すことも難しくてやきもきします。
そんな夢をもっと頻繁に見れたらいいのですが、なかなか夢と覚醒のはざまの状態になる機会は少ないので、まれにしかないのが残念です。明晰夢のトレーニングをする人などは、そういう夢を毎日見たいんでしょうね(笑)
わたしが描く絵は、色合いが鮮やかで特徴的だという人もいますが、そんなときは、多分、ドーパミンバランスや、夢の中で見るありえないほど鮮やかな色のせいだと思っていただければ間違いないのではないかなーと感じました。
▽夢をインスピレーションに役立てた芸術家たち
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