北の大地の自動車学校奮闘記(1)入校編

まさか自動車学校にもう一度行くことになるなんて! 人生って思わぬ方向に進むものです。

わたしが最初に自動車学校に行ったのは。10年ちょっと前、病気になって学校に行けなくなった時期でした。

最初のころ、周りの人たちは、わたしの病気がただの感情的疲労のようなものだと誤解していました。わたしもまた、非常に混乱していて、自分の身体に何が起こっているのかわかりませんでした。

それで、「気分転換に自動車学校に通うことを目標にしてみたら?」という周りからの良かれと思っての提案に、言われるままに従いました。気分転換でもなんでも、体調がよくなるんだったらやってみようと感じました。

今から思えばとんでもないことでした。わたしは相当な重病でしたが、だれもそんなことわかっていなかった。わたしは自動車学校に行ったその日にぶっ倒れ、結局それから一回も行けず、振り込んだ授業費用は返金されました。

それからわたしは、ほとんど寝たきりに近い生活を送り、もう二度と運転免許なんて取ることはないと思っていました。わたしはすっかり難病患者としての人生を歩み始めていました。

わたしと同時くらいの年齢にこの病気になって、そのまま20年も30年も無活動状況にある人たちのことを知っています。わたしもそうなるはずでしたし、現にそうなっていました。

ところが、わたしは諦めきれなかったので、たくさん文献を調べ、主治医と二人三脚で闘病し、この冬には環境の重要性を認識して、北海道の最果てまで引っ越すことさえしました。その結果、薬なしでも、そこそこ動けるレベルまで復調しました。

わたしが引っ越した場所は車がなければ自由に移動できないところでした。では自動車免許を取れるのか?

率直に言うと、わたしは自動車が好きではない。環境汚染や野生動物の生息域の破壊、騒音などの原因だし、危ないし、自動車がない世界になればそのほうがいいと思っています。

でも、わたしが引っ越してきたところでは、自動車免許をとるのは一種の通過儀礼であり、自立した大人になるための儀式みたいなところもあるから、免許を持っていないと一人前とは言えず、スタートラインにも立っていないことになる。

道具は使いようだとも思う。運転してみたこともない者が偉そうなことを言うのもおかしい。ということで、ここで生きていきたいなら、やっぱり免許は取っておくべきだと考えました。

過去のわたしは自動車学校に行けなかった。でも十数年ぶりに復調してきていたわたしは、無謀にも、やれるかもしれないと考えました。こうして、昨年11月14日の寒空の下、まさかの自動車学校への再挑戦が始まりました。

今回から全四回にわたる記事は、その奮闘の体験記です。

劣悪な自動車学校

自動車学校に申し込んだのは、引っ越してきてからわずか二週間後でした。まだ新しい土地にも慣れていないのに。

わたしは、自分では、かなり体調がいいから行ける!と思っていました。自分の基準が一般的ではないことには気づいていませんでした。この前まで寝たきりで死にかけていた人が動けるようになった!といっても普通の人のレベルではない、ということに。

それに、田舎の自動車学校の問題点も考えに入れていませんでした。競合相手がいない中、なあなあで運営されている学校がどれほどひどい環境か、考えてもみませんでした。

でも、あらかじめそれを知っていたら免許を取るのをためらっていたでしょうから、知らなくてよかったともいえます。

この数ヶ月間、引っ越した町はどんどん好きになったのに対し、自動車学校のある都市は今でもイメージが悪い。さすがに名前は出さないでおきますが。

思えば、最初に電話したときから変だった。個人経営のタバコ屋か?と思うような適当極まりない電話応対で、話しながら電話口で大声で咳き込んだり、同じことを何度も聞いたりで、先行き不安になりました。それでも、後戻りすることはできない。

入校当日の朝は、学校の方が迎えに来てくれるとのことでした。てっきりバスのようなものかと思っていたら、教習官の一人が出勤するときに自家用車に乗せてくれるというだけだった。しかもタバコくさい。

教習所に着いて中に入ってみると、それに輪をかけて異臭が漂っている。どうもタバコの匂いを上書きして消すための芳香剤のようなものが充満しているようでした。

受付の女性に手続きをしてもらいますが、まったく不愛想で、あいさつをしても返事さえない。教官たちもみんなそう。とんでもないところに来たな、と感じました。

引っ越す前に読んだ、ここの町の大学に引っ越してきた教授の日記では、都会の大学と違って、生徒がフレンドリーに挨拶してくれる気持ちいいところだと褒めてあったんだけどな…。

自動車学校があるこの都市の名誉のために言っておくと、ほかの施設は普通にいいところばかりです。最初に自動車学校に行ったせいでイメージが悪くなりましたが、その後いろいろなところに行くうちに、別の町全体がダメなわけではないという当たり前のことに気づきました。

この自動車学校の場合は、都会みたいに競合がなく、しかも自動車が必須の地域だから適当にやっていても運営できるので、サービス向上の意識や危機感がないんでしょう。

そんな職場の雰囲気が、割れ窓理論的に伝染して、職員全体のモラル低下を起こしているんだろうな、と考えました。そういうブラックな職場って田舎の町だけじゃなく、都会とかでも普通にありますよね。

適性試験とかいう茶番

入校手続きを終えると、教室に連れていかれ、適性試験なるものを受けさせられます。

これは、用紙に書かれた記号をどれだけ早く見分けられるかといったテストや、性格についての問診票によって、運転にどれだけ向いているかを判別しようという、ひどくばかげたもの。

後々、第2段階の学科のときに、この適性試験の結果に基づいて運転のときにどんなことを気をつけるべきか教えられるんですが、心理学の観点からすれば、バカバカしすぎて血液型占いとかネット上の心理テストレベルだと感じます。

心理学の研究によると、人間の性格は一貫したものじゃなくて、場面ごとに変わります。わたしたちは誰でも、その場その場で異なる自分を無意識のうちに使い分けている。

職場では規則に厳格な上司が、家では孫に激甘なおじいちゃんになるかもしれない。ハンドルを握ると性格が変わる人がいる、というのも昔から聞きますよね。

心理学者ウォルター・ミシェルのマシュマロ・テスト:成功する子・しない子にもこう書かれている。

西洋では、人の特質や本質を考えるとき、自制や、欲求充足を先延ばしにする能力は個人の一貫した特徴であり、さまざまな場面や状況で行動に反映されるというのが、昔から前提になっていた。

だから、有名な指導者や芸能人、社会の柱石の人生の隠れた一面が暴かれ、判断と自制のとんでもない誤りと思える行状が明らかになるたびに、マスメディアは大きな衝撃と驚きを示すのだ。

…それを理解するために、さまざまなときに、さまざまな状況で、彼の言葉だけでなく行動も注意深く眺めてみる。誠実さや正直さ、攻撃性、社交性といった特性はそれぞれ、一貫した表われ方をする。

だがそれは、特定の種類の状況下にだけ当てはまる一貫性だ。

ヘンリーは職場ではいつも誠実だが、家庭ではそうではない、リズは親しい友人といるときには温かく愛想が良いが、大きなパーティではそうではない、あの知事は州の予算を扱っているときには信頼できるが、魅力的なアシスタントに囲まれているときにはそうではないといった具合だ。

したがって私たちは、人が将来しそうなことを理解したり予想したりしたければ、その人がどういう状況で誠実だったり、愛想が良かったりするか、あるいはそうではないかを見てみる必要がある。(p112)

人は状況ごとに性質が変わる。だから、もし運転のときのその人の性格を知りたければ、運転のときに観察するしかない。

路上に出て運転する技能教習のときに見られた性格であれば、確かにある程度、運転の適性と関連性はありそう。だけど、ペーパーテストや問診票で判断しようとするのは意味がない。かえっていらぬ先入観を与えてしまうだけ。

わたしの場合、適性試験ではやたらといい結果が出たんですが、運転はぜんぜんうまくないし、見落としが怖いので、まったく当たっていませんでした。最初からこんな前時代的なことをさせられてげんなり。

この適性試験を担当した教官は、骨董品みたいに頭の固い、古い漫画に出てきそうな教頭先生みたいな人で、すぐに怒鳴ったり皮肉を言ったりする。

これからこんな人たちに教えられるのか、と思うと先行き不安でした。のちのち学校に通ううちにこの人の評価は最底辺まで下がることになるんですが。

そのあとは、写真を撮ったり、視力検査したりして、教習原簿というのを作る。要するに授業の進行度のハンコとかを押しておくものですね。このシステムが最初のうちはよくわからず、名簿?原簿?とか混乱してました。

教習所って、「教習原簿」とか「効果測定」とか、あまり一般的でない変な用語が多いんですよね。自動車用語も「軌道敷内」とか謎なのが多い。

しかも十分に説明がないまま使われるから、聞いていて「?」ってなってしまう。自分たちの社会の常識が外部と違っていることに気づいていない悪い例だよなーと反面教師にしたい気分。

次はシミュレーター室に連れていかれてハンドルを握っての練習。といっても、動作と画面がまったく同期していないのでおもちゃみたいなもの。

画面で指示されることに合わせて手元の機器を操作しますが、マニュアル車だったので思ったより複雑。

だれかが運転するのを横から見ているだけなら、簡単そうに見えるのに、自分でやるとなると本当に難しい。ついていくのがやっとなので、画面と機器が連動してなくて、自分の動作がダイレクトに反映されなくてかえって助かったかも。

この授業の担当教官はユーモアのある清潔感のあるおじさんで、好印象でした。「こちらに引っ越してきてどう?」といったフレンドリーな世間話もしてくれて、「夜にピンポン鳴ってもドア開けちゃいけちゃいけないよ、熊かもしれないから」なんて冗談も。おかげで操作は散々でしたが緊張せずこなせました。

教え方も柔軟で、「この画面ではハンドルの上や下を握って回してるけど、それだと方向がわからなくなるから、いつもハンドルの横を持ってまわすといいよ」と教えてくれました。鍋のフタで手の動きを練習すると、失敗したらフタを落とすからわかりやすいとか。

この教官は、しっかり整ったスーツにマスクといういでたちで、いつもにこやかに挨拶してくれて、この自動車学校の中では、最後まで唯一の良心でした。

この人に教えてもらいたかったけど、そううまくはいかず。わたしを担当する教官はこの日は出張で不在で、対面できませんでした。

授業でトラウマが刺激される

その後、少し待ち時間があったものの、別の学科も取っておこうと思い、もう少しとどまることに。

しかし、あまりに臭いので、自動車学校の建物内にはとどまっていられない。そういえば、さっきのまともそうな先生もマスクをしていたなと思い、急遽近くのコンビニまで15分くらい歩いてマスクを買いに行きました。

コンビニのマスクなんて初めて買いましたが、PM2.5対応とか書いてある一番強力そうなのを選んでおきました。5枚入りで数百円とやたら高額だけど背に腹はかえられない。

ちょうど友達とスカイプする予定があったので、コンビニの前の椅子に座って昼食をとりながら少し屋外で話しました。北海道の広々とした、とても気持ちのいい空の下でした。自動車学校は先行き不安だけど、この気持ちいい空があればなんとかなると思えました。

この時点ではまだまだ、わたしは楽観視していました。今は11月上旬なので、頑張れば今年じゅうに取れるんじゃないかとも。わたしはまだ何も知らなかった。

お昼に少し休んでから、また15分くらい歩いて自動車学校へ戻る。こんどはマスクを装備して、です。それでも臭かったけど、さっきよりはかなりまし。なんとか耐えれる。

それでも少し待ち時間があったので、少し歩いて、山あいのほうに行ってみました。教習所は街はずれにあるので、少し歩けば、田舎の山野のような風景が広がっていました。

その頃はまだ雪も降っておらず、青々とした草原と、遮るものがない大空が広がっていました。秋のほのかに暖かい日差しを受けながら、その景色を眺めていると、しばし時間から解放されたような気分になれました。

でも、いつまでもそうしているわけにはいきません。授業の時間に合わせて自動車学校に戻ります。最初は軽い気持ちで入校した自動車学校。しかし環境は悪く、待ち時間も長く、こんな生活をあとどれだけ続けることになるのだろう、と気が重くなりました。

学科の授業に参加してみると、時期外れなので、生徒が自分含め数人しかいない…。

のは、まあ別によかったんですが、それより問題は授業で1時間座っているのがかなり苦痛だったこと。

もともとわたしは、体調不良で学校に行けなくなりました。北海道に引っ越してきて、大自然の中にいるときは元気になれますが、室内環境、とりわけここみたいな劣悪な環境では元の慢性疲労状態になってしまう。

特に、わたしの体調不良は、学校の教室を連想させる環境や姿勢に、強力に条件付けされていると思われる。

三池先生の学校を捨ててみよう!に書かれているとおり、地下鉄サリン事件の被害者が、地下鉄に乗ろうとすると途端に症状が悪化する条件付け反応が起こるのといっしょ。

不登校状態とは生命の脳の疲労困憊を伴う、中枢神経の機能低下であることを述べた。これは持続時間はさまざまであるが、生命の危機を経験したことに等しい。

地下鉄サリン事件における人々の反応を思い出していただきたいのであるが、彼らのなかには、いまだ地下鉄に乗ることができない人があるといわれている。

理性では二度とサリン事件などあるはずもないと感じている。しかし防衛本能が地下鉄に乗ることを抑止するのである。

不登校状態でも、生命力の低下を経験するので同じ反応がおこってしまうと考えられる。

肉体的な疲労は回復し精神的にも元気を取り戻したように感じていても、いざ学校に戻ろうとすると体が反応してしまうのである。これをPTSD(心的外傷後ストレス障害)という。(p67)

教室で座っていると、頭がぼーっとして、くらくらして、自律神経異常が出てきて、授業に集中するどころではない。意識が飛ばないようつなぎとめているだけで精一杯。

ここまで体調が悪化するというのは予想外。第一段階は学科10時間、技能12時間(マニュアルの場合は+3時間)なので、授業の予定表を見ると、週に五日、毎日、朝夕通えば、第1段階の学科は二週間以内に終わるはずでした

こんな劣悪な環境に長居したくないから、早く、できるだけ早く終わらせようと考えていました。でも本当にそれが可能なのだろうか…。楽観視していた先行きが一転、現実を突きつけられた初日の自動車学校でした。

初めての運転

次の日、初日の疲労も取れないなか、朝早く起きて、また自動車学校へ。

やっぱり自動車学校の教官が出勤するときにマイカーで送ってもらいますが、車内は臭い。

しかも教官の出勤時間に合わせて送ってもらっているせいで、学校に着いてから授業が始まるまで1時間もある。異様に芳香剤臭い建物内にはとどまれないため、ちょっと寒いけれど、屋外で時間をつぶす。なんだかこんな毎日をやっていける気がしない。

やっと教習の時間が来て、この日は、まず担当教官と対面することに。優しい人ならいいな…と思っていたんですがさて。

バッと見の第一印象は、マリオの作曲家の方みたいな顔だなーと。 どんな印象やねん!

なら性格も、前にコンサートのときに見たその方みたいに、朴訥で実直、控えめな方ならいいなーと思ったんですが、そんなことはなかった。

まず、やっぱり挨拶しない。なんでここの職員は挨拶しても返事せず、ちょっと会釈するくらいなのか。

職場環境のせいなんでしょうね。わたしは最後までずっと声に出して挨拶するようにしてましたが、いつもこんな対応をされていると気分は本当によくない。

初回の技能教習が始まると、昨日シミュレーターでさんざんだったマニュアル車を実車で乗ることに。たぶん乗ったことある人にとっては常識なんでしょうが、エンジンかけて動き出すのも ひと苦労なのがマニュアル車。自動車なんてアクセル踏めば動くと浅はかに考えていたのでショックでした。

そもそもなんでマニュアル車にしたのかというと、単に周りからマニュアルがいいよ、と勧められたからでした。マニュアルとオートマがどう違うのかさえ調べてなかった!下調べくらいしろよ、という話ですよね。

これってさっき書いた心理検査が役に立たない一例です。わたしは普段、石橋を叩いて渡る慎重な傾向があると言われやすい。ある場面では確かにそうなのだけど、別の場面ではこれほど無謀で準備不足なんです。

人は一貫した性格ではなく、場面ごとに別のアカウントを使い分けるような傾向、つまり、経済学者リチャード・セイラーが言う「メンタルアカウンティング」の傾向がある、というのは、こういうことです。

そんな安直な気持ちからマニュアル車を選んでしまったわたし。あまりに操作が複雑で、途中で頭が真っ白になってしまい、無意識のうちに教習所内の信号を無視して、あらぬ方向にハンドルを切ってしまうというミスをしでかす。

すると、最初のうちは、丁寧な喋り方だった教官が豹変して、急にキレられて驚く。そりゃとんでもないミスをやったのは自分だけど、初めて自動車乗った人にその言い草か? 何より、この教官はそういう人だったんだなというショックが大きかった。

とりあえず初回の教習は、ひたすら半クラッチに苦労したことしか記憶にないまま終了。

最後に、「エンストが少なくて、初回にしては良い方だ」と褒めてくれましたが、わたしは内心これは無理だ、と感じていました。

あとで調べてみたら、わたしだけじゃなく、マニュアル車がこんなに大変なのは普通のことみたいです。路上に出てからエンストを起こす人だって多い。みんな最初は四苦八苦して、徐々に慣れていくものだと。

確かに体で覚える手続き記憶ってそういうものなのでわたしもいずれ慣れるでしょう。

でもわたしが問題視したのは、途中で頭が真っ白になって、思考が飛んだこと。これは過緊張で限界を超えたときに起こる持病の解離なので、負担が大きすぎることを示している。下手すると過去のトラウマの再体験になって悪化する可能性も。

二日連続で自動車学校を体験しましたが、1日目の学科の想定外の負担、2日目の技能の過剰な負担について考えたとき、当初の予定を調整する必要があることに気づきました。

このままでは体がもたないと思ったので、3日連続行くのはやめて、次の日は休んで、今後の方針を練り直すことに。

「ゆっくり進むほうが早く目的地につく」ことを思い出す

わたしは最初、こんな自動車学校に通い続けるなんて環境は嫌だから、たとえ無理をしてでも、できるだけ早く、すべてを終わらせたい、と考えました。考えうる最短で授業を取って、こんな劣悪な場所とは早々におさらばしたいと。

しかし、帰宅後、自然の中をサイクリングしながら心を落ち着け、どうするのが正しいか、じっくり考え直しました。

わたしはここ数年、トラウマ医療の専門知識を学んできました。わたしみたいなトラウマ持ちの人が、トラウマを想起させるような危険な場面にどう対処すればいいのか、どうすればトラウマを悪化させることなく回復していけるのか。

そこで学んだ知識はいずれも、直感には反する内容でした。科学的に正確な事実というものは、往々にして、直感が指し示す方向とは異なるものです。

この自動車学校みたいな劣悪な環境で免許を取る場合、嫌なことはすぐに終わらせたいから、無理をしてでも最短を目指す、というのがわたしの直感による方針。でも科学的根拠を考慮した場合、それは破綻することがわかっていました。

この嫌な環境を我慢して、無理にでも早い結果を目指す、というのは、トラウマ治療でいう曝露療法とまったく同じ危険性をはらんでいます。

自分の処理能力や耐性領域を超える負荷をかけると、再トラウマの危険が生じ、最初よりも深刻な解離状態に追い込まれかねません。この方針は途中で破綻するか、たとえ免許が取れても、体調がひどく悪化する可能性が高いものでした。

ではどうすればいいか。専門家の教えどおり「ゆっくり進んだほうが早く目的地に着く」ということ。トラウマと身体にはこうある。

一部のクライエントは、…そこに早く到達しなければならないと強く信じている可能性があります。

しかし、もしクライエントが思い出した素材を統合する能力を欠いていれば、クライエントは急速に不安定になってしまいます。

そうではなく、クライエントは「ゆっくり進めば、早く目的地にたどり着く」というアプローチに専心するように奨励されます。(p338)

はからずもこれは自動車学校で学ぶこととも同じですよね。スピードを出して急いで目的地に向かうのは危険なので、安全運転で堅実に目的地を目指そうということ。

無理をして、自分の耐性領域を超える負担を抱え込むのではなく、スケジュールを綿密に管理し、常に無理のないレベルを保ち続ければ、たとえ時間はかかるとしても、再トラウマ被害を受けることなく、体調が悪化することもなく、目的を達成できるはずです。

そのために、わたしが考えた方針は以下の6つ。

(1)環境の負担を減らす
トラウマ反応とは環境に対する条件づけ反応なので、自動車学校=危険な場所という条件づけが形成されないようにすることが大切。

あまりに自動車学校の芳香剤やタバコの匂いがきついので、高額になるとしても、ちゃんとしたマスクを常備する。

自動車学校には授業が始まる直前に着くようにし、授業後も速やかにその場を去る。(つまり教官のマイカーで一緒に出勤したりしない)

一日にたくさんの授業を受けられないのはもったいなく感じるが、その場にとどまりつづけて、身体が限界を超えてしまい、自動車学校が危険な場所として条件づけされてしまうと、そもそも敷居をまたぐだけでトラウマ反応が起きるようになってしまうかもしれない。

長い目で見れば、ちょっとずつでも無理のない範囲で小刻みにこなしたほうが、着実に前進して、後々楽になると思う。

この決定のために、自動車学校は結局、5ヶ月近く通い続けることになってしまいましたたが、これが正しかったことは、この記事を書いている時点において、卒業を間近に見据えるところまでやってこれた、という事実が証明しています。

(2)薬物療法を活用する
主治医からは、引っ越し前にそれまで使っていた薬を数カ月分もらっていましたが、こちらに引っ越してからは体調がましだったため、薬をまったく使わずにやっていました。

薬と縁を切れた生活はとても気に入っていましたが、かといって、必要なときにまで薬を使わないのは本末転倒。ここが使いどころだと判断。

もらっていた薬は、覚醒度を高めて思考の回転を上げるタイプの薬と、自律神経の交感神経系の活動を抑制して覚醒度を下げるタイプの降圧薬の二種類。

普通なら覚醒度を上げるほうが勉強には向いていると考えがちだけど、今回の授業や教習で起こった解離症状は、交感神経系が上がりすぎたことで限界になってシャットダウンしてしまう現象なので、交感神経を上げるのは逆効果。

自動車学校の教室などの環境が、明らかにわたしの過去のトラウマの条件付け反応を引き起こしているので、過敏性を下げて条件付けが誘発されにくくするほうが望ましい。

よって、交感神経を抑制し、覚醒度を下げる降圧薬のほうを選ぶことにしました。交感神経を抑制したら眠くなってしまうのでは?とい懸念がありますが、ストレスのかかる環境ではそうならないことを、引っ越し前に半年ほど実験して確認済みでした。

かえって、交感神経系の反応を抑制したほうが眠くならずにすみます。ここも、直感的には意外かもしれないけれど、トラウマ医学をしっかり学ぶと理解できるようになる。

要するに、薬なしで授業を受けると、過剰な刺激にさらされて、交感神経系が上がりすぎ、シャットダウンしてしまうと低覚醒状態に反転して眠くなる。これが初日のわたしの症状。

しかし、薬で交感神経系を抑制すれば、刺激を受けても交感神経系が上がりすぎてシャットダウンしてしまうようなことがなく、むしろほどよく耐性領域にとどまれるのでかえって眠くならずにすみます。

また交感神経系を抑制することで、神経の過敏性を低下させることができるので、前述のような劣悪な環境において、トラウマ的な条件づけが形成されるのを防ぐことができます。

たとえば芳香剤が充満しているような環境の不快感や、教習官に怒られたときに交感神経系が過剰に興奮してショック状態になるのを防ぐので、新たなトラウマ条件付けが形成されることも防止できる。これも引っ越し前に実践して確認済み。

この選択は非常にうまく機能し、薬を適切に使うようになってから、授業がギリギリ耐えられるように、つまり自律神経の興奮が耐性領域内におさまるようになり、意識が真っ白になってしまうようなことはなくなりました。

(3)楽しい条件づけを作る
トラウマ的な条件づけの形成を防ぐとともに、真逆の楽しい条件づけを作ることも大事。

ただ単に自動車学校に行くだけだと、自動車学校に行く=ストレスの多い危険な体験という条件づけが形成されてしまい、自動車学校に行こうとするだけで体調が悪化するようになる可能性が出てくる。

それを防ぐために、自動車学校に行くときは、ついでに観光を楽しむなどの楽しいイベントをセットにしてしまうことで、負の条件づけが形成されにくくする。

これは毎回そうできたわけではなかったけれど、かなり遠出して観光を楽しめたときもあった。

自動車学校のために外出するから、真冬でもわざわざ外出して観光を楽しみに行く口実ができる、ということもあり、負の経験を正の経験で置き換えることに成功していたと思います。

(4)サイクリングによって自律神経をなだめる
トラウマ経験直後にどっと疲れてしまってそのまま睡眠をとると、記憶が定着されてしまい、トラウマ反応の条件づけが形成されてしまうことがわかっている。

それで、帰宅後、自然の中をゆったりとサイクリングして自律神経系の興奮をリセットすることによって、自律神経に過度な負担がかかったまま寝ないようにする。

実際、帰宅後すぐは疲れ果てていることが多かったが、そのまま寝ずにサイクリングしてくると、気分がリフレッシュされて疲労が取れることが多かった。

自動車学校に通っていた時期は、真冬をはさんでいたので、外気温が氷点下-10℃以下という日も少なくなかったですが、冬道のサイクリングに備えて準備していたおかげで、冬じゅうずっと、とても楽しいサイクリングで、美しい景色を堪能できました。

かえって自動車学校のストレスがあったからこそ、真冬でもサイクリングを楽しむ意欲が続いたともいえ、嫌な体験を楽しい体験で上書きして条件づけするのに役立ったと思います。

(5)マニュアル車コースをオートマ車コースに変更
マニュアル車を選んだのは周りに言われてなんとなく、だったので、今度こそ自分でしっかり調べて決めました。

マニュアル免許があれは、作業用の車を運転する仕事につけたりするかもしれませんが、わたしは頭脳労働しかできない人なので、マニュアル車にメリットなしと考えました。

だいたい今やマニュアル車は時代に逆行してますしね。それよりも負担を減らして持続可能な方針を選ぶ方がいい。

埋没費用のコスト(サンクコスト)を考えると、変更は早ければ早いほど良い。意地を張って無理を重ねるより、身体の直感にしたがって、より無理がないと思えるほうを選んだほうがいい。

最初の教習で引き足早く、すぐさま方針転換できたのはよかったと思います。

学校での未完了のトラウマを清算する機会

これらの新しく考えた方針は、すべてわたしのこの1年の学習の知識を動員した集大成ともいえるものでした。

もともとのわたしは、身体が悲鳴を上げていてもそれを無視して、無理やり根性で頑張ろうとする性格だった。嫌いなことは無理をしてでも早く終わらせてしまえ、と。

しかしトラウマの研究をたくさん調べたことで、もっと注意深く、身体に負担の少ない計画を組めるようになった。

引っ越してきて最初の冬に、自動車学校という試練を迎えたことは、単なる後付け解釈にすぎませんが、わたしにとっては意味のあることなんだと思えました。

こちらに引っ越してきて、わたしが一番学ばねばならないのは、自動車の運転でも冬場の生活でもなく、「自分の限界を見極めて平衡をとること」でした。それをまず学ばねば、他のことは何もうまくいかないでしょう。

この自動車学校の試練は、わたしが過去1年、トラウマ関連の書籍から、またセラピールーム内での訓練から学んできたことの「実践編」なのだ、と考えるようにしました。

過去に学んだ局所的な知識や知恵の数々を、実生活のなかで実践する機会なのだと。

同時にこれは、過去のトラウマを清算する機会でもありました。10年前、わたしは学校に行けなくなることで社会から脱落した。わたしにとって、「学校」とは未完了のトラウマ経験の最たるものである。

この10年間、わたしはもう二度とそれをやり直すことができないと考えていた。ずっと逃げているだけだった。

でも、今、少しかたちは違えど、再び「学校」をやり直すことができる。10年前には持っていなかった、トラウマ関連の知識や、平衡を保ち限界を超えないためのさまざまなテクニックを手にして。

だから、これは、過去に未完了のままに終わっていたトラウマを、今になって乗り越えて完了させるためのチャンスなのです。

これを首尾よく乗り越えることができれば、わたしの中で経験が書き換えられ、大いに自信を深めるに違いない、そう考えました。

第一回目の体験記はここまで、今後、余裕を見て、(2)仮免検定編、(3)路上教習編、(4)卒業検定編を書ければと思っています。続きはこちら。

北の大地の自動車学校奮闘記(2)仮免検定編
北海道に引っ越して自動車学校で免許を取る奮闘記の第二回
投稿日2019.03.12