この記事は自動車免許を取得するまでの全四回シリーズの最終回。前回は、卒業検定直前までのことを書きました。
今回は、自動車学校の卒業検定、そして最後の筆記試験のために旭川運転免許試験場まで行ってきた話を書きます。4ヶ月にわたる北の大地の自動車学校奮闘記もこれで終わりです。
卒業検定の日
卒業検定の週は、どうも喉が痛くて、風邪を引いたかな?という感じでした。
ストレスのせいで免疫が弱って風邪を引いたのか(精神神経免疫学の有名な研究にあるようにストレス下にあるとウイルス感染の率が高まる)、それとも別の何かなのかは知りませんが、喉が痛いだけで、熱などはなかったので、いつもどおりにしていました。
ただ、ストレスがたまりすぎていたので、毎日1時間以上自転車でサイクリングしていて、試験前の2週間ほどは一週間のサイクリング距離が50キロから60キロにもなっていました。
よっぽどストレスかかっていたんでしょうが、でもストレス解消のためにこうやって外で遊べるのがいいところ。このために引っ越してきたと言っても過言ではない。都会だと、ストレスに潰されそうになっても行き場がなかった。
でもここだと、自由に自然の中を散策できる。わたしがここまで自動車学校のストレスを乗り越えてこれたのは、雪道サイクリングと、スノーシューで、大自然を満喫できたおかげでした。それがなかったら、絶対に耐えられなかったし、それがあるから挑戦しようという気にもなった。
試験の前日は、近くの自然豊かな大きな公園まで自転車で走っていき、春になって固まってきた雪の上を歩いて丘まで上り、一人でゆっくり散策していました。
なんでこんなところまで来たんだろう、本当にここでやって行けるんだろうか、試験に落ちたらどれほどショックだろう、とも思いました。雪がちらつく北海道の森の中で、なんだか自分が不意にひとりぼっちになったような感覚に襲われました。でも、もうやるしかないんだ、とも感じました。泣いても笑っても明日はテストなんだ。
そのあと、近くの温泉でリラックスしようかとも思いましたが、自分の身体の感覚に耳を傾けてみたところ、なんだかあまりよくない気がしたのでやめました。前回の見極めの前日は同じようにやってみて、温泉に行くことがリラックスになると思ったので行きましたが、今回はあのときと違うような気がしました。
そのかわりに、またもう一度、夜の町にサイクリングで繰り出しました。この日は久しぶりに雪が降っていましたが、0℃前後という暖かさだったため、雨のように湿気を含んだ細かい雪で、服が真っ白になり、少し町内を走っただけで帰ってきました。
夜になって寝ようとしましたが寝れなかったので、みたびサイクリングに出かけました。このときは気温はマイナス5℃くらい、すっかり雪はやんでいましたが、霧が立ち込めていて、幻想的な雰囲気で、ちょっと楽しくなり、写真を撮りながら1時間くらいまた走っていました。月がとてもきれいでした。
無理に寝ようとしても寝れないのは経験上わかっていたので、ゆっくり心ゆくまでサイクリングして、午前1時ごろに帰ってきてようやく寝ました。4時頃目が覚め、しばらくしてまた断続的に寝て、朝8時ごろ起きました。
試験は朝9時半から。なかなか思うように寝られませんでしたが、そこそこ頭ははっきりしていて、比較的落ち着いていました。
自動車学校への道中は、この時期にしては珍しいほど樹氷がきれいでした。ゆっくりと鑑賞するほどの心の余裕があったわけではありませんが、美しい景色とはいつ見ても心踊るものです。
本当は、わたしは冬道でずっとやってきたから、最後の検定のときも道路が雪で真っ白だったらいいなと思っていたんですが、そうはならず、しっかり地面は見えていました。第一回目に書いたように、地面の停止線とか見えないほうが有利だと感じたのに残念。
それでも、前日に久々にそこそこ雪が降ってくれたおかげで、全体的にいろんなものが白っぽくなってごちゃごちゃした色が見えなくなっていたのはよかったです。視覚情報が減ったほうが集中できるはず。
自動車学校に30分ほど早く着きましたが、あの臭い芳香剤だらけのロビーで待ちたくなかったので、時間つぶしに、あの懐かしの場所のほうに行ってゆっくりしました。自動車学校に初めて来た日、やっぱり時間つぶしがてら散策した、あの近くの山の中の踏切の向こう。
思えば4ヶ月前は11月、まだ雪が降っておらず、山々の木々も紅葉が美しかったのを思い出しました。今はすっかり真っ白になってしまって、まったく別の場所のようです。それでも初日に不安なわたしの心を癒やしてくれたのと同じ雄大な大空と森林の風景がそこに広がっていました。
4ヶ月前、最初に来た場所に、今、最後に訪れている。物語の始まりと終わりにふさわしいひとときです。現実は物語のように辻褄が合うとは限らないけれど、今日で終わりにしたい、そう思いました。
意を決して自動車学校に向かうわたし。室内は臭いのでマスクをつけますが、なんとこれも不思議な偶然で、自動車学校用に買ったマスクが最後の一枚でした。東京から引っ越してくるときに餞別でもらったお金で買った対自動車学校用のPM2.5対応のマスク。特に数えて買ったわけじゃないのに、まさか今日が最後の一枚になるとは。
自動車学校に着くと、9時半に教室で待っているよう指示されます。仮免のときと同じく、もう腹をくくって開き直るしかない。誰が試験官なのかわかりませんが、もうどうにでもなれ。
教室で待っていると、やはり検定待ちらしい生徒が何人か座っていました。この人たちと一緒に受けるんだろうか、と思っているところにやってきたのは…
なんと最初の教官!?
思わず挨拶しましたが、その教官はわたしに軽く頭を下げただけで、座っていた別の二人だけを招集。
そこへもうひとり、あのヤクザみたいなコワモテの教官が来た! そして、わたしだけその教官のグループだと告げられる。またこの人かー!! 仮免検定がデジャビュ。
教官は前と同じくそっけない口調で、「君は俺が担当するけど、1人だけだから、別のやつを誰か乗せるわ。行き先は◯コースで縦列ね。用意して下で待ってて」とのこと。なんと検定は自分1人だけのチームだった…。いいのか悪いのか。
この教官は、見た目はコワモテで言葉づかいも荒いけど、仮免のときもこの人で受かったわけだし、アドバイスもしてくれたので、悪い印象は持っていませんでした。しかも目印がちょっとあいまいで、少し不安がある方向転換ではなく、絶対失敗しようのない縦列。これは悪くないかも。
いよいよ試験の開始。後ろには、コワモテ教官の生徒らしい男子学生が乗せられていました。たまたま自動車学校で授業待ちしてたせいで、自分の授業でもなく、出席回数にカウントされるわけでもないのに同乗させられるとは可哀想に…。
前回の仮免のとき、「緊張してる」と言うと、「みんなそうだから」と言ってくれたのを覚えていました。それで、いざ運転が始まると、それほど緊張していなかったけれど、とりあえず緊張してるふりをしていました。一生懸命やってる感が出たほうがいいかなと打算的になって(笑)
今回の検定のコースはわたしの得意なところではなく、ほとんど印象にも残っていないルートでしたが、教官の案内を慎重に聞いて、先に先にうまく操作できたと思います。苦手だった合図を出す前の左右の確認も、車道外側線を越えての左寄せもできた。信号で停まるタイミングを逸することもなかった。
途中、制限速度50キロのところを40キロで走っていて、「もうちょっと速く走って」と言われましたが、それ以外は特になかった。
停車と駐車してからの帰り道は、いつもの教官が危険予測ディスカッションのときにアドバイスしてくれた左右の見通しが悪い交差点だったので、ちゃんと徐行して通過。あれはこのときのための伏線だったのだ!
そこからは、自動車学校への道を一直線で帰るだけ。信号に引っかかることもないような道だったので楽だった。
最後、自動車学校の前の道で、前方を歩行者が車道に出て歩いていたので、いつもの教官の教えどおり後ろから対向車が過ぎるまで、ゆっくり付いて行っていましたが、そのスキを見て後ろの車が追い越してくるアクシデントが。
「なんで早く歩行者抜かさないの、ビビってちゃいけないよ」と注意されましたが、いつもどおり対向車が行ったあとに、追い越して帰りました。ここは教官によって指導方針が違うところだから難しい…。でもたぶん、こういう場面は採点には関係する要素ではない…はず。
自動車学校に入ってからは、縦列駐車。さすがに緊張はしていましたが、頭で考えたりせず、これまで身体が覚えてきたことを信頼すればいい。いつもどおり、目印に従って操作するだけなので、まったく問題なく成功。
発着点に帰還すると、今日の運転について、「ちゃんとスピード出すところでは出さないと、後ろの車に迷惑がかかって危ないよ。スピードを出さないのが安全運転じゃないからね」と前回同様、辛口コメントをいただきましたが、言われているのはまっとうなことなので素直に受け答えして気になりませんでした。
そういえば、友人が昔免許を取ったとき、卒業検定でちゃんと左右もミラーも確認したのに、教官が何か書き込むのが見え、検定終了時のコメントでそれを指摘されたので、「いや、ちゃんと見ていた」と訴えるとものすごく逆ギレされた、という経験談を話してくれていました。わたしの場合はそんなことも特になかったからよかった。
最後は、「じゃあロビーで待ってて」とだけ言われ放り出される。ようやく終わってホッとしましたが、まだ正式に合格発表されたわけではなく、不安は不安でした。
もし不合格なら、途中で検定中止になる(たとえば一時停止無視ならその場で終了)というようなことを誰かブログで読んだので、最後まで完遂できた以上、合格だとは思いました。でもその知らせを聞くまでは安心できない。悶々としたまま、1時間以上待ちぼうけをくらいました。
どうやらこの長時間の待ちぼうけは、わたしの班だけ1人で検定だったことによるらしい。他の班が帰ってくるまで、延々と待たされたのでした。
事前に他の方のブログを読んで情報収集していたとき、複数でする場合、一回自分の番が終わっても、自動車学校に戻ってきてからまた交代しないといけないので、1時間ずっとプレッシャーがかかるのが嫌だなぁと思っていました。
しかし、わたしの場合、1人で検定を受けたから、他の人との交代というのがなく、近場のコースをまわって、そのまま自動車学校に帰ってきて縦列までやりました。1人だけだったのでいつもの教習と変わらない感覚でやれたのがとてもよかった。前回書いたような、交代の際はドアをきちんと閉めるといった場面もなかったですし。
30分くらい待っていると、他の班の教官や生徒が続々と帰ってきて、それからさらに30分くらい待ったところで、ようやく名前が呼ばれ、「はい、今日、普通免許の検定受けた人はみんな合格だよ」と告げられる。来たときに見かけた別の班の2人の学生も合格していました。
その2人と一緒に別の教室に向かい、担当教官から、自動車学校のアンケートや、安全運転を宣言する署名と捺印などをさせられる。
このときの担当教官は、これまで接点のないかなり年配の教官でしたが、これもまた人の良さそうな好感の持てる人でした。
…あれ? なんでここの自動車学校、今ごろになって、わたしと接点がまったくない、良さげな教官がいろいろ見つかるんだろう。もしかして、が思っていたより教職員ってたくさんいるのに、この4ヶ月間、貧乏くじばかり引いていたんだろうか。
この教官もなぜか、わたしに頻繁に世間話を振ってきて、「なんで北海道に来たの?」とか「仕事はどんなふうにしてるの?」とか聞いてくる。やっぱりあれか、わざわざ北海道のこんな奥地まで来て免許取る人なんて珍しすぎるから目立つのか…ほかは高校生ばかりだもんね。
最後に教官から卒業の話ということで、事故の怖さについてのレクチャー。人身事故を起こしたとき、すぐに警察が身柄を拘束するけれど、それはそのままだと自殺する人が多いからという恐ろしい話も。
確かに事実なんでしょうが、こういうのを思うとやっぱり運転なんかしたくないな…。できることなら自動車に乗らなくていい世界に住みたい。それから、無事故無違反のゴールデンSDカードのメリットについても話されたり。
最後に、卒業おめでとうの袋が配られて、中には初心者マークが入っていました。この段階になって、ああ、ようやく自分は卒業検定に受かったんだ、ついに今日、この自動車学校ともお別れなのだ…! という喜びの実感が湧いてきました。もちろん名残惜しさはありません。
しかもこの初心者マーク、吸盤がダメで、取り付けてもすぐ落ちる粗悪品だったのですが…。吸盤式のは吸い付かないですぐに落下するし、マグネット式のは走ってるうちにどこかで落下して紛失するしで、クレーム入れたいレベルの欠陥品でした。ひどい。
もちろん、ここで終わりではない。まだ免許を取るには、筆記試験を受けに行かなくてはいけない。ここの地域の試験は予約制で、4月までもう空きがないと聞いていましたが、3月26日の8:00に予約が取れました。これに一発で受かれば、3月中に免許を取れることになります。
こうしてついに、一番の難関と目された技能の試験が終わり、本当にホッとしました。それからはつかの間の解放感を味わい、温泉でゆっくりしたりして、疲れを癒やす…はずだった。
学科試験のポイントまとめ
でもその解放感は、つかの間の幻に過ぎなかった。試験前から体調をちょっと崩していて喉が痛かったのですが、続く一週間はずっと、鼻づまりがひどくなったり、頭痛が来たりして低調。
まず喉に来て、それから鼻づまり、頭痛と上ってくるのは、昔からわたしがよくかかる風邪?か体調不良の特徴でした。今回はそれほど重くなかったとはいえ、ずっと気分が晴れない。
昔の学校生活を思い出させるような悪夢を見て、汗びっしょりで起きて、気分転換に真夜中の町にサイクリングに出たりすることもあったのでトラウマ性反応だったのかもしれない。
やっぱり、まだ全部終わっておらず、本免学科試験が残っている、ということがずっと頭の片隅を占領して、ストレスの源になっているようでした。これを終わらせなければストレスからは解放されない。
しかも、ストレスを上乗せするかのように、友人たちが、絶対大丈夫だと思っていた学科試験に落ちた経験談を話してくれる。なんでも、問題集をひたすらやっていて教科書をおろそかにしていたら、試験に落ちてしまった苦い経験があるのだとか。
こと自動車学校に限っては、まわりから聞くのは試験に落ちた話とか教官に怒られた話ばっかりで、ロクな話がありません。普通なら、「大丈夫大丈夫、そんなの受かるよ」と言ってくれそうなものなのに、周りからどんどん落ちた体験談などが出てくるものだから、まったく安心できない。
でも相変わらず、わたしは勉強が嫌いで、結局、卒業検定から本免学科試験まで10日間あったのに、前々日になるまで勉強する気になりませんでした。だって何度も書いているけれど、こんなつまらない知識を覚えるために何日も勉強するなんてバカげている。頭のメモリーは有限なのだから、ほかのことに使いたい。
それに、試験前の一週間、特に体調が思わしくなかったのも勉強する気になれない一因でした。試験の前々日には、微熱が出て37℃台まで上がっていたり。まあ原因はストレスなんですが。
ようやく2日前から重い腰を上げて、少し勉強してみましたが、何回か模擬試験をやってみて、全部合格ラインでした。あとはアドバイスされたとおり、教科書を読んでおくことに。
確かにネット上の問題をやっていると、配布された自動車学校の問題集にはない知識が問われる設問がけっこうあるので、教科書を勉強するのは大事だと前々から思っていて、重要そうなポイントに目星をつけていました。
せっかく勉強したので、ここにわたしが注意したポイントや、覚えるべきポイントを列挙しておきます。
■標識と標示の知識
標識と標示の文章的な定義について。かなりわかりにくいけど、そこそこよく出るので、自分で図に分類するなどして定義を覚えておくべき。
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- 標識には「本標識」と「補助標識」の二種類ある。(補助標識が「副標識」などと書かれてあるひっかけに注意)
- 本標識はさらに、「規制標識」、「指示標識」、「案内標識」、「警戒標識」の4つに分けられる。それぞれの内容を問う文が出ることがあるが、「規制標識」が「禁止」や「指定」する標識であることに注意。似ていてややこしいが、「指示標識」は「指示」、「警戒標識」は「注意」についてのもの。
- 標示はさらに二種類あって、「規制標示」と「指示標示」に分けられる。つまり、標識と違って、「案内」と「警戒」はない。
■わかりにくい標識イラスト
標識のイラストの意味を答える問題。
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- 定番だけど、「一方通行」と「左折可」の区別はよく出る。青抜きに白か、白抜きに青かの違い
- 「通行止め」と「駐車(停車)禁止」の区別。背景が白か青かの違い。
- 「進入禁止」と「通行止め」はなんとなく言葉のイメージは似ているけど違う
- 「優先道路」、「安全地帯」などマークもよく出るので記号を覚える
- 「追い越しのためのはみ出し禁止」の標識は、下に「追い越し禁止」の補助標識がなければ、はみ出さない限り追い越しはしてもよい。(これは道幅6メートル以上の道路なのではみ出さずに追い越しできる、という意味で、その場合中央線が白の実線になっているはず)
- 「学校、幼稚園、保育所などあり」の警戒標識。これが「通学路」の意味である、みたいな引っかけ問題があった。通学路の標識はなく、この標識の下に補助標識で「通学路」と書いてある場合のみ通学路を意味する。
- 「Y字道路交差点」の警戒標識。これが「道路の分岐」を表しているという引っかけがあったが、一見同じ意味のようでも違う。(分岐を示しているのは、よくある案内標識のほうか)
- 「車両通行止め」は自転車も軽車両なので含まれる
- 各種通行止めの標識。たとえば自動車のマークの通行止めには二輪は含まれないとか、「大型貨物自動車等通行止め」は、イラストのマークでは貨物だけだが、大型特殊自動車も含まれるとか、バイクのマークの場合は原付も含まれるとか。
- 「警笛鳴らせ」の区間でも、ずっと鳴らさなければならないわけではなく、見通しの悪い場所だけ。
- 警戒標識の用語を暗記。「屈折」「屈曲」「背向屈折」「背向屈曲」「つづら折り」
■わかりにくい標示イラスト
地面に書かれた標示のほうでわかりにくいもの
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- 「前方優先道路」「横断歩道又は自転車横断帯あり」はよく出るのでそのまま覚える。
- 「停止禁止部分」の白線の斜線の囲い。これは進入してはいけない部分を示している、みたいな引っかけ問題があった。正確には進入してもいいが停車はできない場所。
- 三種類の「路側帯」の区別。白い実線一本だけ、実線と点線の二本、実線二本のそれぞれの意味の違いを丸暗記。
- 「けん引自動車の自動車専用道路第一通行帯通行指定区間」というややこしい名前の標示。自動車専用道路にはそういうものがあるんだ、と覚えておく。この説明の「自動車専用道路」が「高速自動車国道」になっているようなひっかけがあった。
■数字系
とにかく数字を丸暗記しておくしかない問題。
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- 左折、右折、転回の合図は30m手前。ロータリーの場合は前の分岐を越えたところ。後退の合図は後退するとき。
- 車線変更の合図は3秒前。
- 時速60キロの停止距離は44m
時速100キロの停止距離は112m - ぶつかった時の衝撃は時速60kmなら14mの高さから落ちるのと同じ
- 乗車定員は12歳以下の子どもは3人を2人として計算
- チャイルドシートをつけるのは6歳未満(つまり5歳まで)の幼児
- 道路の道幅が6m以上あれば、中央線が白の実線なのではみ出さずに追い越しする
- 交差点や横断歩道の手前から30mは追い越し・追い抜き禁止。(「手前から30m」であって「前後30m」ではないことに注意)
- 駐車するときは左側に0.75m空ける
- 駐車するときは右側に3.5mの余地が必要。ただしすぐ動かせる荷物の積み下ろしと救護のときは例外
- 路面電車の横に1.5m隙間があれば人がいなければ通過できる
- 道路の端の0.5mは路肩で通行禁止
- けん引の速度は、
トレーラーなど・・・ 80km
トラックなど(けん引される側の重量の3倍以上)・・・40km
普通の車など ・・・30km
125cc以下のバイクなど・・・ 25km - 高速自動車国道は最高100km最低50km。ただし大型貨物、大型特殊、トレーラーなどは最高80km。バイクは大きさに関わらず100kmであることに注意
- 750kg以下か故障車ならけん引免許がいらない
- 故障車のけん引の時は5m以内のロープで30cm四方の白い布
- 制限外の積載の場合は出発地の警察署長の許可を得た上で30m四方の赤い布
- 積載のときは、自動車の場合は左右はみ出し禁止、後ろだけ車体の長さの1/10はみ出し可
- バイクや原付きは後ろには30cm、左右に15cmずつ(つまり合わせて30cm)はみ出し可
- 積載の高さは、トラックは3.8m、660cc以下自動車は2.5m、バイクや小型特殊自動車は2.0m。全部地上からの高さ。
- 重さは原付30kg、バイク60kg、小型特殊自動車500kgまで。
- 車庫は本拠地から2km以内の道路以外の場所。
- 人の視界は片目160°、両目200°、色を認識できるのは35°
- 自動車免許の更新は優良運転者は5年、70歳のときだけ4年、それ以降は3年
- 駐停車禁止場所の余地
ほとんど周囲5m、踏切、バス停、安全地帯の3つだけ10m - 駐車禁止場所の余地
火災報知器は1m、車庫は3m、工事現場、消防関係は5m、いずれも駐車だけ禁止。停車はOK。 - 同じ場所に駐車できるのは昼間12時間、夜間8時間
- 5分以内の積み下ろしは停車。ただし客待ちは駐車になる
- 前照灯や尾灯などをつけなければならないのは50m先が見えないとき。高速道路は200m先。(走行中も駐停車中も含む。停止表示板置いているときは除く)
- 普通自動車の定義は総重量3500未満、積載量2000未満、定員10人以下。区別が非常にややこしいが、普通と中型あたりを覚えておけば、他の種別はその前後の数値だと推測できる
- 二輪の免許を取ると、1年で2人乗りできる。高速道路の場合は3年かつ20歳以上。
- 仮免許で横に乗せるのは第一種免許が3年以上か、第二種免許を持っている人
■徐行、一時停止系
第一段階で学ぶ徐行、一時停止をする場所、追い越し禁止場所などは、引っかけ問題でよく見るので、復習しておくといい。
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- 緊急自動車が近づいてきた場合、交差点の近くでなければ、左に寄るだけでよく、徐行や一時停止は不要
- 優先道路を走っているときは見通しの悪い交差点でも徐行や一時停止は不要
- 通園バスのそばを通るときは徐行するが一時停止は不要
- 優先道路に入るときも徐行するが一時停止は不要
- 上り坂の頂上付近と急な下り坂は徐行場所だが、ただの上り坂は徐行しなくていい。
- これは追い越し禁止も同様で、上り坂の頂上付近と急な下り坂は追い越し禁止だが、ただの上り坂はOK
- 目の不自由な人などがいたら徐行も一時停止もする
■免許制度系
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- たいていどの免許を取っても、原付と小型特殊は運転できる
- 例外は、それらを単独で取ったときのみ。原付免許を取ったら原付だけ、小型特殊免許を取ったら小型特殊自動車しか運転できない
■二輪系
二輪の特性はわかりにくいので、問題集で見かけたら、チェックして暗記しておく。
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- 正しい座り方である「ニーグリップ」の特徴を覚える。
- 普段は前輪後輪ブレーキを同時にかけるが、濡れて滑りやすい場合は後輪を強くかけるなど。(イメージすればわかるが、滑りやすいときに前輪ブレーキを強くかけると車体が横向きになって滑る)。
- ブレーキは、前輪、後輪、エンジンブレーキの三種類
- ブレーキレバーで前輪、ペダルで後輪。(手のほうが前、足が後ろとイメージ)
- カーブを曲がるときはハンドルを切らずクラッチも切らない。(両方とも「切らない」で覚える)
■その他いろいろ
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- バックするときはシートベルトつけなくていい
- 妊娠中は、シートベルトを着けるが例外もある。(妊娠中はつけなくていいは×)
- 山道ですれ違うときはガケ側が一時停止(お互いに道路の中央を通れるようにするため)
- 坂道は下りが一時停止して上りに道を譲るが、退避場所があるときはそうではないので、「必ず下りが譲る」というわけではない
- クリープ現象、蒸発現象、フェード現象、ペーパロック現象、ハイドロプレーニング現象などを区別して暗記
- 前回も書いたけど、原付で二段階右折するときも方向変えるまでは右ウィンカーつける。
- 雪道では後輪が滑ったほうにハンドルを切る。(頭の中でイメージしたらわかるはず)
だいたいこんなものでしょうか。ほかにも問題集をやってて間違えた問題、引っかけ問題などはあったけれど、問題集やった上で、ここらへんを丸暗記しておけば、問題ないはず。
ある程度問題集をこなした後に教科書を見返せば、今までまったく読み飛ばしていたあたりの意味がわかるようになっているので、どこを覚えればいいのか、ポイントがわかると思います。
特に数字系を覚えておけば、点数がぐっと上がる。こんなのが実際の運転で役立つとは思えないけど!
本免学科試験の日
気が進まず、まったくやる気が出ないものの、なんとかやる気を絞り出して勉強した試験二日前。
続く試験の前日は、旭川に移動してホテルに泊まることになりました。というのもテストが朝の8時なのに、うちから旭川まで行こうとすると何時間もかかるから。こういうところは、田舎は不便です。
試験会場である旭川運転免許試験場は旭川駅の隣駅なのですが、汽車は本数が少ないので、8時に着くのは困難。しかも駅から歩かなければならないらしい。
事前に調べてもよくわからず、ホテルからタクシーを使わなければ行けないかと思っていましたが、バスターミナルで聞いてみたところ、路線バスが出ていることがわかり、それを利用することにしました。
ホテルに到着した日は、ちょっと微熱があってしんどいこともあり、あまりうろうろと観光する余裕もなく、ホテルで大浴場に行ったりしてゆっくりしていました。
ちょっと外出して、バス停の場所の下見に行ったり、セコマのホットシェフでおにぎりを買ってきたくらい。夜の雪の旭川駅はとてもオシャレ感があった。
その夜はやっぱり予想どおりなかなか寝られないので、開き直って大浴場でゆっくりして、3時頃にやっと寝付きました。そして時計のアラームで朝6時に起きて、また目覚ましがてら大浴場に。でも、さすがにほとんど寝ていないので、まったくすっきりしない。
でも試験会場に行かなければならないので、7時にチェックアウトして、7時15分ごろのバスに乗ります。バス停を降りたらすぐに運転免許試験場で、8時には十分間に合いました。
大都市である旭川の郊外ながら自然豊かで景色のいいところで、こんな日でもなかったら近くを散策したかったのにな、と思いました。
試験場に入ると、自動車学校経由で予約した人はすぐに会場に行くように書かれていて、大きな教室に100人くらいが座れるようになっていました。あらかじめ、自分の名前と席の割り振りが書かれた紙が張り出されている。
それぞれの名前の下にどこの自動車学校かも書かれていて、なんだか各地の代表選抜みたいな雰囲気(笑) 前後に座るのは同じ自動車学校の人たちらしい。
8時からすぐに試験が始まるのかと思いきや、まずは運転できない持病がないかのアンケートに回答させられ、署名する。わたしはいろいろ病気はあるけど、意識消失のてんかんとか睡眠発作とかはないんだよね。ナルコレプシーの検査も受けたけどシロだったし。
それから視力検査をして、免許証用の写真を撮りに行き、試験開始の9時15分まで教室で待つことに。
旭川運転免許試験場の設備は、最新式とは言わないまでも、清潔感があり、試験官の人たちも、とても丁寧で礼儀正しく、今まで通っていたあの劣悪な自動車教習所は何だったのか…と思いました。こういうまともなところに行きたかったけど、まあ田舎に引っ越してきた代償か。それに都会は都会で運転が大変だろうし。
せっかく8時にすぐ試験が始まるかと思って降圧薬を飲んで来たのに、1時間以上待たされて、試験前から疲れる。全身が痛いし、なんだか熱っぽいし、体調が非常に悪い。
周りの人たちは、試験前に頑張って最後の追い込みで勉強していましたが、わたしはあまりそういう気分にもなれず、教科書の大事そうな場所をちら見していたくらいでした。
そして、ようやく、ついに試験の時間になり、問題と回答用紙が配布されます。問題はかなりの種類のパターンがあるようで、カンニング防止のためか列ごとに交互に別の問題用紙が配布されました。
ついに始まった本免学科試験、いきなり最初のほうで、前回書いたように、効果測定で間違えた問題や、答えを迷った問題が出てきたので、ちょっとびっくりしましたが、冷静にじっくりひとつひとつ解いていきます。時間はかなり余分にあるので、急ぐ必要はない。
ひとつ良かったのは、「休憩は2時間ごとに取るべきだ」というような設問があって、すぐに◯だと見抜けたこと。何も知らなければ、2という数字を疑ってかかってしまいそうですが、前日に教科書を読んでいるときに、この文章を見かけていたので、すぐに正しいとわかりました。やっぱり教科書は読んでおくものだ。
そうやって解いていくと、いくつか気をつける問題があったくらいで、あとは答えを迷うような問題すらありませんでした。イラスト問題も簡単で、すんなりと最後まで終わりました。拍子抜けするほど簡単な気がする。
半分くらい時間が余ったので、ゆっくりと見直しを始めますが、もう体調不良がピークに達していて、座っているのもしんどいし、頭が痛いし、身体の節々も痛む。時間は潤沢なので、もうカタツムリのようなペースで、目を半分閉じて、回答を見返していきました。ついでに回答のマークを濃く塗っておく。
そして、ちょうど最後の問題まで見返したところで、試験時間が終了。じっくり検討したものの、特に間違っていそうなところはありませんでした。
仮免のときも思ったけれど、効果測定や問題集より本番のほうが易しい内容に調整されているんでしょうか。引っかけらしい引っかけや、想定外の知識を問うような設問は見当たりませんでした。
これから採点が始まり、結果発表はお昼をまわってから、12時過ぎになるということ。だいたい1時間半後です。それまでのあいだ、収入印紙を買ってきて、お昼ご飯を食べるなど自由時間を過ごしてくださいとのこと。
そして過去を完了させる
試験が終わると、周りの受験生たちが、友達と試験の感想について話していて、「見たことない問題がたくさんあった」とか、「習ってないことが出てきた」とか言い合っていました。
難しかった問題についてああだこうだと言いあっていたけれど、ことごとく間違えていたのがなんとも言えない(笑)。たとえば、高速では普通二輪車は80kmになるとか、大型二輪免許では小型特殊は運転できない、というのを自信満々に言い張っている子がいたり。
なんかこの感覚、デジャビュというか、懐かしいな、とふと思いました。中学校か高校時代の教室に帰ってきたような感じ。あのころもわたしはいつも孤高にテストと向き合っていて、終わったあとに、周りの同級生たちが、あれが難しかったこれが難しかったというのを聞いている側だった。
そしてその都度わたしは、自分にとってはまったく難しくなかった問題を周りが難しかったと言っているのを聞いて、それならきっと自分の点数はいいはずだな、とホッとしていたものだった。つまり、このような雰囲気は、わたしにとっては合格通知に等しいものでした。これは勝ったな、と確信しました。
この時点で家族や友人に、「たぶん受かった」と連絡を入れようかと思ったほど。でもまあ、自信過剰になって、実は落ちていたら恥ずかしいので結果を待つことにしましたが。
待っている間は、じっと固まって体力を温存していましたが、やっぱり非常にしんどかった。ここ最近にないほど体調が悪く、まるで高熱を出しているときほどに体中痛い。もしかすると、こうして学生時代のような環境に置かれたことで、当時の体調までもがフラッシュバックしていたのでしょうか。
初回に書いたように、わたしにとって、この自動車学校は過去に一度挑戦して、体調不良のせいで断念したことのリベンジであり、病気になって学校に行けなくなってしまった自分が、再び同じような環境に飛び込んで、未完了の過去を清算するという意味合いがありました。
今まさにわたしは、過去、テストに全身全霊をかけていたころと同じような状況ら置かれていました。あのころほどに頭は回らないけれど、テストの結果を待っている今の状況は、中学高校時代にそっくり。あのころも、全力を尽くしてうまく行ったという自信のもと、結果がわかる瞬間を不安と楽しみが入り混じった心地で待っていたのです。
苦しくももどかしい1時間半のあいだ、自分が何をしていたか、よく覚えていません。ただじっと待っていたか、それとも、日記でもつけていたのか。ただ気づいたら、時間は過ぎ去って、結果発表のアナウンスが流れました。
結果発表は、1階のロビーのモニタに受験番号で映し出されるとのこと。こんな経験も、高校受験以来のことでした。あのとき、わたしは一緒に受験した二人とともに会場に行って、遠くから結果をちらりと一瞥して自分の番号を見つけ、順当な結果だとホッとしたものでした。
今回もわたしは、少し緊張しましたが、十分な手応えを得ていたので、結果発表の瞬間、周りの受験生たちの中には入らず、遠くから横目で見ていました。
そして、番号が出た瞬間、すぐに自分の数字を見つけ、階段を上がって教室に戻りました。嬉しいことは嬉しかったものの、順当な結果だと確認しただけで感慨はありませんでした。
教室に戻ると、あまりに早く、一番乗りで戻ってきたので、試験官が「結果を見てきたんですか?」とびっくりしていました。今回座る席は先程とは変わっており、受験番号順になっているとのことで、わたしは自分の顔写真が置かれた席に着きました。それから、続々と他の合格者も集まってきました。
どのくらいの割合の人が合格したのかはわかりませんが、合格率は72%くらいらしいので、だいたいそれくらいの人数だったと思います。かなり大勢でしたが、後ろのほうは空いていました。
みんなが席に着くと、免許証ができるまでのあいだ、初心運転者期間制度の説明があり、続いて、交通事故の恐ろしさについてのビデオが流されました。
こういうのしかり、反戦教育や環境問題対策しかり、なんで現代社会って、人にルールを守らせるために、利他的な心を促進する代わりに、恐怖感を強めようとするんでしょうね。恐ろしい映像を見せるより、良いことをした場合の結果を見せるほうがやる気を起こさせるとは考えないのだろうか。
わたしはというと、刺激が強すぎるのは嫌いだし、あまりに体調が悪くて目を開けていられなかったので、目を閉じたまま、ビデオの内容を聞き流していました。
それらが終わると、いよいよ、完成した免許証が配られます。試験の点数を聞きたい人は、免許証をもらうときに聞けば教えてくれるとのこと。
わたしとしては、それが一番気になっていました。試験が終わったときに、受かったことはほぼ確信していました。しかし何点だったのか。わたしの直感ではひとつも迷った答えはなかったはずですが。
免許証をもらった人が試験の点数なんて気にするんだろうか、と思いましたが、順番に呼ばれる合格者たちの中に、けっこう点数を聞いている人がいました。わたしは前のほうの席だったのでほとんど聞こえていましたが、だいたい数問は間違えている感じ。
やがて自分の番が来ましたが、前の受験生が100点でした。わたしも聞いてみたら100とのこと。免許証をもらったことより、自分がひとつも間違っていなかったことに安心しました。
自動車免許の本免学科試験は、7割以上も合格するんですから、全然難しい試験ではない。それくらいのテストに、もしギリギリで受かるようなら、わたしは自分が衰えたことにがっかりしたかもしれない。でも、少なくとも、ある程度は、学生時代と同じような結果を得られて満足でした。
わたしは確かに病気になって学校に行けなくなった。でもそれまではトップの成績を取っていた人。学校に行けなくなった過去を今ここで清算するのであれば、ここは過去に見合う終わり方をしなければならなかった。
だからわたしは、免許を取れたことはもちろん嬉しかったとはいえ、久方ぶりにちょっとはまじめに勉強したことがちゃんと結果に現れたことが嬉しかったです。確かにわたしは過去をやり直し、やりきったのだ、そう思えました。
かつてわたしは、学校に行けなくなって自信を完全に喪失した。もう二度と学校を完了することはできないのだと思っていた。でも、今になって、10年越しに、4ヶ月間も頑張り続けて、苦手な実技も練習してひとつの技能を身に着け、こうして完了させることができた。この経験は、失われたわたしの自信をいくばくか取り戻させてくれました。
この4ヶ月を振り返って
帰宅するころには、あれほど悪かった体調不良が和らぎ、いつものレベルにまでは回復していました。あの炎に焼かれるような苦痛はなんだったんでしょう。単に風邪を引いたせいだったのか、それとも、10年前の過去の身体的フラッシュバックだったのか。
その日は帰宅後ゆっくり寝て、次の日からは、さっそく取りたての免許で運転し始めました。
まだまだ初心者で危なっかしいですが、まず町中を運転し、それから、自分の運転で自動車学校にまで行ってみました。免許証を取ったら、一度自動車学校に報告しに行かなければならないことになっていたからです。
自動車学校では、担当教官はおらず、ただ免許証のコピーを取られただけ。30秒くらいで終わって出てきました。こうして、わたしは最後の自動車学校を後にしました。感慨も名残惜しさも何もありませんでした。もうわたしにとって、ここは完了した過去の場所なんですから。
それにしても、この自動車学校は最後までツッコミどころ満載でした。自動車学校からもらった本免試験についての案内は、いつものごとく、他のプリントのわら半紙の裏に刷られていましたが、その内容がひどかった。
必要な持ち物の中に、ハンコとHB以上の鉛筆と消しゴム、と書いてあったんですが、試験場に行ってみると、鉛筆と消しゴムは会場で備えつけられているばかりか、貸し出されたもの以外は使用禁止で、代わりに必要なのはボールペンでした。
たまたまわたしは普段からボールペンを持ち歩いていたから良かったものの、最後の最後まで、この自動車学校は茶番をかましてくれました。
でも、今となっては、もう全部終わった話です。この4ヶ月、自動車学校に通っているあいだは、このひどい劣悪な環境に苦しめられ、到底笑って話すことなどできなかった。
でも今は、それらすべては過去になり、完了したから、ただの笑い話のネタ、ブログ記事のネタです。こうして笑って話せる日が来たことが本当に嬉しい。
わたしの自動車学校奮闘記は、4ヶ月もの時間がかかったとはいえ、結果的に、効果測定も学校試験も技能試験も、全部一度も落ちることなく終わることができました。
散々落ちる落ちると聞かされていたので、この結果にはホッとしています。ついでに、今まで試験と名のつくものに落ちたことがない記録も伸びた(笑)
もちろん、これをやり終えることができたのは、自分ひとりの力ではなく、周りの人たちの助けあってのものです。それでも、今のわたしでも、しっかりペース配分して自己コントロールすれば、こうして学校に通って卒業することもできるのだ、というのはいい経験になりました。
免許を取ったと言っても、最後にはっきり言いますが、自動車は嫌いです。できることなら、こんなものは文明からなくなってしまえばいいと思っています。
春の雪解けがやってきて、周りのみんなはいい季節だと言うけけど、わたしは雪で覆われた道路のほうが好き。地面のアスファルトが見えると気が滅入るからです。わたしは舗装されてない自然のままの道が好きです。
自動車に乗る人たちは「冬は道を除雪しないといけないから嫌だ」「雪道は運転が危険だから冬は嫌い」とか言うけど、それはクルマ社会に生きる自分勝手な人間のエゴです。
自動車がない時代のアイヌの本とか読むと、「冬はカンジキで道なき道を行けるからショートカットできる」「ソリで移動が楽」といったことが書いてありました。昔はそんなに除雪なんか必要なく、人間は自然と共生していました。
ところがクルマ社会になったせいで、除雪が大変になり、雪道も危険になった。特に自転車や歩行者にとって雪道の車ほど嫌なものはない。
資料館で、有名な昭和38年の「豪雪とのたたかい」という記録映画を見ましたが、自動車や汽車を走らせるために、大変な除雪が必要になったことがわかります。科学で自然を征服するという野蛮な発想のために、自然界は共生するものではなく戦うものになってしまった。
今は、クルマ中心社会なので、さまざまな事情から、こんな自然環境に悪い凶器を運転しなければならない。だけど、いつの日か、もっと自然と調和し、共生できる移動手段が普及すればいいと思っています。
わたしの体調のほうは、こちらに引っ越してきて、自動車学校を完了できるほどにはよくなりました。それでもまだ一般人と比べたらかなり悪いままです。
自動車の運転も、長時間、長距離は無理でしょう。当分は、近場のこまごまとしたところを運転するくらいにとどめるつもりです。
体調不良に対しては、またこれから新たなアプローチを講じていかなければならないと思っています。
現在のところある程度体調がましなのは、明らかに自然豊かな環境のおかげです。根本的にはよくなっていない。
だから、それ以外の改善のアプローチ、たとえば食事療法を通じたマイクロバイオームの改善なども試みていかねばなりません。自動車学校がなくなってストレスが減った今なら、また取り組めるでしょう。
自動車学校が終わったからといって、ゴールにたどり着いたわけではなく、むしろどちらかというと、やっとスタート地点に立ったといえます。ここ北の大地では自動車学校で免許を取ることが一種の通過儀礼、大人になって独り立ちする第一歩のようなものだからです。
これからは、自分の責任で安全運転を意識していかなければなりません。その重さを意識しつつ、これからも気をつけて運転していきたいと思います。
こうしてわたしの自動車学校は11月14日に始まり、3月26日に終わりました。
約4ヶ月にわたる奮闘の末に手にした免許証と、いくばくかの自信が、今後の人生に役立つことを願って、この全四回の自動車学校奮闘記を締めくくりたいと思います。
追記 : その後、左足ブレーキを習得した話
この追記部分は、免許をとってほぼ1年後に書いています。じつは、免許取得してすぐ数週間後くらいに、左足ブレーキを習得して、その状態で1年近く運転してきました。
ちまたでは賛否両論の左足ブレーキですが、どうしてそんなことをしたのか書いておこうと思います。
事の起こりは自動車学校で仮免許を取得し、教官をとなりに乗せて市街地を走っていたころのことです。冬の雪かき作業のために片側交互通行になっている場所があり、道のど真ん中で止まる必要がありました。
経験の浅いわたしはイレギュラーなことにあわててしまい、ブレーキを踏んだつもりが、アクセルを踏むという、あの恐ろしいことを一瞬だけやってしまいました。
幸い、そのときは教官がすぐブレーキを踏んでくれましたし、わたしもうまく対処できました。教官は、わたしが踏み間違えたとは思っていなくて、単に止まる場面をわからず慌てただけだと思っていたようです。特に大事にはなりませんでした。
しかしその一ヶ月後、つまり免許を取って数週間後、広い畑地の農道をのびのび走っているとき、空き地を使ってUターンする場面がありました。
そのとき、一度空き地に入った後、バックしながら方向転換するつもりでしたが、またもやアクセルとブレーキを踏み間違えて、空き地の奥に突っ込みかけました。幸いこのときも、周りには何も危ないものはありませんでした。
しかし三度目、駐車場で同じように方向転換しようとしたとき、やはり踏み間違えてしまいました。このときも広い場所だったので特に危険には至りませんでしたが、三度も間違えたことにショックを受けました。
今直さなければ、今後も絶対繰り返す、そして、これまでは大事にはならなかったけど、すぐそばに人がいたり車が停まっていたりすれば、間違いなく事故を起こす、そう感じました。
それで、ネットでアクセルとブレーキの踏み間違えの対策について検索したところ、2種類の方法が見つかりました。
まずひとつ目は、「靴を脱いで運転し、足の裏の感触でアクセルとブレーキを区別する」という方法。うちの近所はめったに車が通らず安全なので、試しに靴下1枚で運転してみましたが、これはとっさの場面では役に立たないと思いました。慌てているときに感触なんて気づきませんよね。
ふたつめは「左足ブレーキ」のすすめ。左足ブレーキは、ネットと上ではかなり肯定派と否定派の議論が激しく、両方の意見に目を通しました。
肯定派としては、右足でアクセル、左足でブレーキを踏むので、絶対に踏み間違えることがなくなる。
否定派としては、アクセルとブレーキを同時に踏む可能性があり危険、(年配者などは)長年の右足ブレーキを矯正できない、左足でクラッチ操作するMT車に乗れなくなる、といったところ。
わたしは免許取ってすぐだから矯正しやすく、ATしか乗るつもりはないので、問題があるとすれば、アクセルとブレーキを同時に踏んでしまうことでしょう。
でも、その点については、左足ブレーキの実践的動画を見たことで、不安が解消されました。
わたしが身につけた左足ブレーキは、「アクセルとブレーキの踏み間違いを防ぐために左足ブレーキを使ってはいけないの!?左足ブレーキのメリットとデメリットを徹底検証 – YouTube 」という動画の方法に従っています。
他の車がめったに通らない近所の道で、数日間練習したら、意外にもすぐに身についてしまい、運転が非常に楽になりました。今までは常にこわごわと運転していたのが、緊張しながらも気持ちに余裕ができたかのようでした。
左足ブレーキを身に着けて気づいたのは、この方法のほうが、わたしに向いていて、とても自然に感じられるということでした。今まですごく変な無理のある身体の使い方をしていたような気分です。そもそも左足をまったく使わない運転なんて、身体がゆがんでしまいそう。
教習所でもこれを教えたらいいのに、と思うんですが、MT車も教えなければならない上、あれほど旧態依然の体質がこびりついた業界では無理でしょうね。
とはいえ、世間的には肩身の狭い左足ブレーキ。習得してすぐにここに書いたら、何も知らない初心者がバカなことを書いている、と思われかねないので、とりあえず一年間実践してから書くことにしました。
この一年実践してみて、ここまで運転できたのは、間違いなく、早期に左足ブレーキに矯正して、肩の重荷が取り除かれたからだと思っています。
この一年で運転した距離は1万キロを越えますが(北海道は広いんです)、左足ブレーキを身に着けてからは、一度も踏み間違えなどの危険はありませんでした。
わたしの場合は、家の近所がめったに車の通らない道路だったおかげで、免許取得後でも自由に左足ブレーキに矯正できましたが、誰でもそういうわけにはいかないと思います。
都会に住んでいたら、左足ブレーキを練習しようにも、できる場所がなく、慣れないうちに一般道で練習したら事故るかもしれません。
だけど、もし練習できる場所があり、AT車しか運転せず、アクセルとブレーキの踏み間違えが不安な人がいれば、早期に運転の仕方を矯正するのもひとつの選択肢かな、と思います。
本当はわたしは運転嫌いだから、自動車に代わるもっと安全な移動手段が発明されて運転しないで済むのが一番なんですけどね(笑)