「芸術とは夢を見るようなもの」―記憶の画家は終わらない子ども時代を描き続ける

「幻想、思い出、それがいちばん美しい」

それから彼は「芸術とは夢を見るようなものです」としみじみとつぶやいた。(p267-268)

これは、脳神経科医オリヴァー・サックスの著書火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF) の中で紹介されている「記憶の画家」フランコ・マニャーニが語った言葉です。

フランコ・マニャーニは、イタリアのトスカーナ地方にあるポンティトという牧歌的な村の風景を描きつづける作風で知られています。牧歌的な風景を描く、というと、プロ・アマチュア問わず、絵の題材として よくあることのように思えますが、フランコの絵は一味も二味も違っています。

それは、彼が描く村は、ナチス侵攻で滅びた、今はなき村の姿であること。しかも、もはや現実には存在しないにもかかわらず、正確な記憶によって、あたかも目の前に現存する風景であるかのように、細部までリアルに描き出しているということです。

いったいフランコは、どのような方法で、存在しないはずの風景を生き生きと描いているのでしょうか。なぜ彼はポンティトの村を、飽くことなく愚直なまでに描き続けるのでしょうか。

フランコ・マニャーニの物語は、やはり現実には存在しない空想世界である、「ゆめまな物語」や「空花物語」といったテーマの絵を描き続けているわたしにとっても、どことなく似かよったところがあり、共感を誘うものでした。

「記憶の画家」フランコ・マニャーニとは

オリヴァー・サックスの著書火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)は、さまざまな不思議な脳の変化に直面し、最初は戸惑いながらも、やがて障害ではなく才能として生かすようになった7人の人物について、医師また作家であるサックスの視点から観察し分析したエッセイ集です。

フランコ・マニャーニは、その7人のうち5番目に、「夢の風景」という章で詳しく紹介されています。

▽フランコ・マニャーニの絵 (Google画像検索へのリンク)

Dali

フランコは1934年、イタリアのトスカーナ地方にあるポンティトという村で生まれました。12歳まで、近代化の時の流れから切り離された、その牧歌的な小さな村で成長します。

ところが、第2次世界大戦が勃発し、ナチスが攻め込んできて村は壊滅。フランコら住民たちののどかな日常は打ち砕かれ、彼らは村の外へと追い立てられて散り散りになりました。

その後フランコは、都会に出て、さまざまな場所を渡り歩きます。やがて31歳で故郷イタリアを捨ててアメリカに渡り、その地で、名前のわからない奇妙な病気にかかって高熱にうなされました。

そのとき、不思議なことが起こります。

はっきりしているのは、重態に陥ったとき、脳が興奮と熱に冒されたためか、来る夜も来る夜も異常に鮮明な夢を見つづけたことだった。

彼は、毎晩ポンティトの夢を見た。家族の夢でもなく、なにかをしている夢でも、なにかの出来事の夢でもなく、通りや家々、建物の石組み、あるいは石そのものの夢である。

頭ではとても覚えていられないほどの細部にいたるまでまざまざと、昔のポンティトがよみがえってきた。

…目覚めても、はっきり目が覚めている感じがしなかった。頭のなかでは、まだ夢が継続し、布団や天井、病室の壁にありありと像が浮かび、あるいは目の前に精密な模型が置かれているように立体的に見えていた。(p232)

あまりにも鮮明な、今はなき故郷ポンティトの幻。

夢の中だけでなく、目覚めているときでさえ、目の前に映し出される、その不思議な幻に心を奪われたフランコは、それは自分へのメッセージだと解釈します。

現実にはすでに失われた故郷、今はなきあの平和な子ども時代のポンティト。その幻を、今、紙に写し取って、記録として残しておくように。

「わたしを描きなさい。わたしに実態を与えなさい」(p232)

そう命じられているように感じたフランコは、今まで一度も絵筆を持ったこともデッサンをしたこともないのに、幻を模写するというあまりにも常識はずれなやり方で絵を描き始めたのです。

そうして自分で描き上げたあまりに真に迫る情感こもった絵を眺めて、どうしてこんなことができるのか、フランコは自分でも不思議に思ったといいます。

フランコの描くポンティトの絵は評判を呼び、もう長い間 故郷に戻っていないにもかかわらず、現存するポンティトの村の建物と、ほとんど変わらない、驚異的な正確さと臨場感を伴っていることが確かめられます。

フランコが30年後に思い出して描くポンティトが写真のように正確で、細かなところまで顕微鏡的な精密さで再現されていたことはまさに驚異だった。(p246)

彼はいつしか、二度と戻らない幼き日のポンティトに取り憑かれた「記憶の画家」として知られるようになります。

子どものころのありのままの記憶

いったいなぜ、フランコ・マニャーニはこれほど特殊な異能を獲得したのでしょうか。彼が経験した、謎の熱病は、いったいどんな変化を彼の脳にもたらしたのでしょうか。

ヒントとなるひとつの情報は、サックスが分析している、フランコの絵の特徴です。フランコの絵は、とても正確でしたが、現存するポンティトの風景と、少し違いが認められました。

だが、その相違は衝撃的だった。ポンティトは絵から想像するよりもずっと小さかった。通りは狭く、家々はちぐはぐで、教会の塔は低くずんぐりしていた。

これにはいろいろと理由があるだろう。ひとつは、フランコが子供の目で見たポンティトを描いていることだ。子供にとってはすべてが高く広く見える。

子供の視点が忠実に再現されているのに気づいたわたしは、何らかの脳の仕組みによって、フランコは子供のときに経験したとおりのポンティトを再体験できるというか、そうせずにはいられないのではないかと考えた。(p247)

どうやら、フランコ・マニャーニは、子どものころに、子どもの自分の視点で見た、ありのままの風景を記憶していたようです。

事実、彼は子供のころから、見たものを写真のように記憶する能力を持っていたといいます。いわゆる映像記憶です。それは遺伝的な傾向でした。(p229)

そして、熱病に冒された際、何かがきっかけとなって、そのようなありのままの記憶が目の前にリアルに再生されるようになりました。

サックスは、アメリカの神経学者ノーマン・ゲシュヴィンドの研究を参考にして、そのきっかけとは側頭葉てんかんだったのではないかと推測しています。(p237)

以前の記事でも取り上げましたが、側頭葉てんかんの発作は、夢幻状態や使命感をもたらすことがあり、それをきっかけに、芸術的才能に目覚める人たちがいるのです。

たとえば、有名なロシアの作家ドストエフスキーも、てんかん発作を頼りに創作したことが知られています。

そのようなわけで、側頭葉てんかんと、それに伴う芸術的才能の開花や神秘的体験は、「ノーマン・ゲシュヴィンド症候群」ないしは「ドストエフスキー症候群」と呼び習わされているそうです。(p238)

とはいえ、このフランコ・マニャーニの生来の写真のような記憶能力は、側頭葉てんかんとは別のもの、おそらく生まれつきの自閉的傾向もまた関わっていたのではないか、と思わせるものです。

以前の記事で書いたように、自閉症傾向を持つ人たちの中には、映像記憶が鋭く、写真のようなリアルな絵を描く画家たちがいます。

そして、そのような見たままを正確に描き出す能力は。記憶が加工されにくいことによる、ということも書きました。記憶を解釈して料理する創造性と引き換えに、彼らは正確な元のままの確実な記憶を持っています。

記憶力の良すぎる人が芸術家になれないのはなぜか―忘れっぽさと感性の意外な関係
完璧な記憶力の持ち主が芸術的な感性を持っていなかった理由

フランコ・マニャーニのポンティトの絵が、建物や風景だけに終始していて、人の姿が出てこない作風であることも(p252)、彼は人よりも物に興味を抱く自閉傾向を持っているのではないか、と感じさせます。

またサックスは、フランコが過去を思い出すとき、写真のようなイメージだけでなく、そのときの経験したこと全体が、誰がいつ何を言ったかというストーリーとして蘇る、という点も指摘しています。(p235)

このような、当時の状況を音や匂いや感触に至るまですべてありのままに再生して、しかも自分がその中にのめり込んで我を忘れてしまう現象は、自閉症特有のフラッシュバック、「タイムスリップ現象」として知られています。自閉症の人たちはてんかん発作を起こしやすい、とも言われます。

フランコ・マニャーニの目の前に浮かぶポンティトの情景は、もともと自閉的な傾向があったために、ありのままの形で保存されていた映像記憶が、側頭葉てんかんをきっかけに、ノスタルジーを伴うタイムスリップ現象として繰り返し再生されるようになったものなのかもしれません。

どんな芸術家の心にも「夢の風景」がある

けれども、彼が自閉的な傾向を持っていたとしても、あるいは側頭葉てんかんをきっかけに異才が開花したのだとしても、情熱を込めてポンティトを描き続けるその姿は、紛れもなく一人の偉大な芸術家です。

 生きていく絵という本が述べるとおり、『「病気」が絵を描くわけではない』ということであり、たとえ何かの脳の違いがきっかけになったのだとしても、絵を描くのはその人が本質的に芸術家だからです。(p72)

そして、彼を駆り立てる芸術家な熱意は、やはり同じように描きたいものをひたすら描き続ける人たちにとっても、身近で、共感できるものではないかと思います。サックスは火星の人類学者の中で、ブラウン神父シリーズで有名な推理小説作家G・K・チェスタトンの言葉を引き合いに出して、こう述べています。

「どんな芸術家の心の奥にも、建築物のパターン、タイプといったものがある」とG・K・チェスタトンが書いている。

「それは彼がつくりあげたい、あるいは歩き回りたいと思う夢の風景のようなものだ。

不思議な花や生き物がいる彼だけの秘密の星だ」

アメリカの詩人オーデンの夢の風景は石灰岩と鉛鉱だった。フランコにとっては、昔と変わらない古くてうねうねと曲がりくねったトスカーナの風景である。(p263-264)

どんな芸術家の心の奥にも、自分がつくりあげたい、歩き回りたいと思っている夢の風景がある。

なんてすてきな言葉でしょう。わたしも自分の描いてきた絵を振り返って同じように感じます。芸術家と名乗れるほどの絵は描いていませんが、それでも、わたしもまた自分の歩き回りたい夢の風景を、飽くことなくずっと描き続けているからです。

わたしはフランコ・マニャーニのような正確無比の映像記憶もなければ、目の前に幻が浮かぶようなこともありません。似ていることと言えば、ときどきとても鮮明で美しい夢を見ることくらいでしょうか。残念ながら、フランコのように毎晩見るようなことはありませんが。

夢の中で見る鮮やかすぎる色―現実にはありえないカラーの神経科学
夢の中で見る現実にはないほど鮮やかな色の考察

それでも、自分が歩き回りたい幻のポンティトを来る日も来る日も描き続けるフランコと、自分が創り上げたい夢の風景を何年もずっと描いてきたわたしとには、同じようなノスタルジーが漂っている気がするのです。

フランコが、子どものころ歩きまわったポンティトの町並みをノスタルジックに思い焦がれて描き続けることと、わたしが子どものころから親しんできた空想世界の風景を今でも求め続けていることは、どこか似た響きを感じます。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

サックスは、フランコの絵が醸し出す独特のノスタルジーをこう表現しています。

ここには皮肉なバラドックスがある。フランコはいつもポンティトのことを考え、幻を目にし、描き、限りなく求めつづけてきた。だが、どうしてもそこへ戻る気にはなれなかった。

しかし、ノスタルジーの核心にあるものは、まさにこうしたパラドックスである。ノスタルジーというのは、決して実現しない幻想、満たされないからこそ持ち続ける夢だからである。

しかも、こうした幻想はただの夢想や思いつきではない。ある種の間接的な満足、芸術としての完成を要求する力を持っている。(p244)

本当に皮肉なパラドックス。

でもよくわかるパラドックス。

わたしも、夢の風景を描かずにいられないのは、やっぱりそれが夢だとわかっているからです。

わたしの描く「ゆめまな物語」の世界観にしろ、「空花物語」の世界観にしろ、それが現実にはない、わたしの頭の中だけにしか存在しない夢の風景だとよくわかっている。

だからこそ、もしわたしが描かなければ、幻のまま消えてしまって、本当にただの夢でしかなくなってしまうのだ、ということをいつもひしひしと思っています。わたしが手を離せば、このイメージは、虚空のかなたへと飛び去ってしまう。わたしが描かなければ、存在しなくなってしまう。

それがわかっているから、その切迫感に追いすがられるからこそ、何度も何度も、うまずたゆまず、空想世界の絵を描き続けるのです。

それはきっと、フランコ・マニャーニが感じている気持ち、自分の手で描かなければ、あの懐かしきポンティトが失われてしまう、という切ない思いと同質のものではないかと思います

現実に存在しないからこそ描き続ける。満たされないからこそ、描いても描いてもまだ描き続ける。幻想だとわかっているからこそ、絵を描き上げたとき、少しでも本物になった気がする束の間の達成感。

こうした気持ちは、現実に存在する何かを模写している画家には無縁のものかもしれません。自分の心の中の、自分の目にしか見えない夢の風景に心をとらわれた人だけが感じる、決して満たされない故郷へのノスタルジー。

フランコ・マニャーニが、アメリカにいながらにして、心は幼き日のポンティトへとタイムスリップするように、わたしも絵を描くときは、いつの間にか、自分の夢の風景の中へと心を飛ばして、魂の故郷へと里帰りしているのです。

「芸術とは夢を見るようなもの」

そんなフランコ・マニャーニも、ある時ついに、現実の故郷を再び訪ねる決心をしました。自分の記憶の中の幻のポンティト、時が止まったポンティトではなく、ナチスによって破壊され、その後復興を目指すも半ば寂れたままになっている現実のポンティトの土を踏むことにしたのです。

それはある意味で、夢から醒める決意を意味していました。彼は、理想の風景が織りなす幻という、子どものころの幸せなポンティトの中から出て、現実そのままのポンティトの姿と向き合うことにしたのです。

そうして、現実のポンティトへと24年ぶりに里帰りした彼がしみじみと語ったのが、冒頭に引用した、この印象深い言葉でした。

「この靴で、わたしは24年ぶりに、かつての約束の地を踏んだ」

約束の地は、足を踏み入れたためにいくらか輝きを失った。

「帰らなければよかったと思うこともあります」と彼は靴を眺めながら言った。

「幻想、思い出、それがいちばん美しい」

それから彼は「芸術とは夢を見るようなものです」としみじみとつぶやいた。(p267-268)

「芸術とは夢を見るようなもの」。

彼は現実のポンティトを見たことで、自分の描くポンティトが、もはや現実には存在しない夢の世界だとはっきり気づきました。

現実のポンティトには、たしかに絵とほとんど一致する懐かしい風景が残されている場所もありました。でもそれは彼の記憶に残されている子どもの視点から見た広くて大きなポンティトではないし、何より実際のポンティトは、ナチス侵攻と復興を経て、かなり様変わりしていました。

自分が描いてきた幻のポンティトが、現実のポンティトとは別のもの、もう存在しないものだと知って、フランコはがっかりしたでしょうか。

最初はがっかりしました。記憶のポンティトと現実のポンティトのイメージが重なって混乱した時期もあったようです。

けれども、やがてフランコは、よりいっそうの情熱をこめて、幻のポンティトをさらに精力的に描くようになりました。

フランコはまだ二十年、三十年かけてもしきれない仕事があると思っている。1979年代以来描いてきた何千枚もの絵は、彼が描きたい現実のほんの一部を伝えているにすぎない(p260-271)

もともとフランコは、自分にしか見えない幻の風景を現実のものとして写し取ることを自分の使命だと感じていました。現実の故郷に帰って、その幻の風景がもはや存在していないことを噛み締めたことで、その使命感はさらに強くなったのでしょう。

もし記憶の中の風景が、現実のポンティトにそのまま残されていたなら、彼は描くのをやめてしまったかもしれません。わざわざ絵を描いて、夢のポンティトを現実に写し取らなくても、そこにあるのですから。彼は筆を置いて、現実のポンティトの中に住み、満ち足りて余生を送ることに決めたでしょう。

でも、実際には、夢の風景は、どこにもなかった。ノスタルジックに追い求めていた風景は、現実の海をわたったところにではなく、さらに遠いところ、記憶の海のかなたにしかないことを、彼ははっきりと思い知ったのです。現実と向き合ったことは、彼のノスタルジーをさらに強化し、もはやない記憶の風景への憧れや切望をさらに増し加えたのでしょう。

終わらない子ども時代を生き続ける

わたしは、そんなフランコ・マニャーニの姿を思い浮かべるとき、やっぱりどこか響き合うものを感じます。

わたしが描いている「ゆめまな物語」にしても「空花物語」にしても、それは、フランコが追い求めてやまない風景と同じもの、子どものころのわたしの世界、凍てついた時のゆりかごの中の世界だからです。

わたしが描く絵の風景は、いつだって子ども視点の世界です。子どものころ、世界はもっと輝いていた、という人は大勢います。子どもにとっては、見るもの聞くものがすべて新しく、この世界は不思議と冒険で満ちているように感じられます。

子どものころの脳は、前頭前野の抑制システムがまだ未発達なので、見るものと聞くものが混ざり合ったりする共感覚や、目に見えない空想の友だちや、フランコが見たような巨人の世界のごとくそそりたつローアングルの風景など、さまざまな不思議なことを経験するのです。

あなたも共感覚者?―詩人・小説家・芸術家の3人に1人がもつ創造性の源
文字や数字に色がついて見えたりする共感覚と創造性

わたしが描く絵もまた、そうした子どものころの世界をそのまま写し取った記憶です。子どもの目から見る色とりどりの世界、不思議と冒険に満ちた世界、鮮やかでどこまでも続いている世界。いつまでも心ゆくまで楽しめる、無限の時の中の世界。

フランコの絵の風景が、時の流れの静止した世界だったように、わたしの描く絵もまた、四季の移り変わりなどはあっても、時間が進むことがありません。登場人物はいつまでも子どものまま。永遠の幸せな子ども時代を過ごしています。

おそらくこれは、記憶の中で時が止まっているだけではないのでしょう。フランコと同じく、自分自身がいまだに夢の風景の中に住んでいる、あたかも現実に生きているようでありながら、本当は、永遠の子ども時代の世界の中で暮らし続けているということなのでしょう。

そうすると、決して夢の風景を描いているわけではないのです。

確かにそれは、他の人たちから見れば、幻の中の夢の風景、ありもしないものを求めるノスタルジーなのかもしれない。でも、フランコにとって、そしてわたしにとって、その風景は現実のものなのです。

フランコ・マニャーニは、他の多くの芸術家と同じく、今 自分がいる現実の世界を描いているのであり、わたしもまた、子どものころから今に至るまで自分が住み続けている現実の世界の風景をずっとずっと、愛し思い焦がれて描きつづけているのです。

では、フランコやわたしは、いつまで子ども時代の風景に囲まれて生き続けるのでしょうか。いつかは夢は醒めるものなのでしょうか。それとも、永遠に心は子ども時代にとらわれたまま、肉体だけが時の流れに朽ち果てていくのでしょうか。

それはわかりません。

けれども、永劫の子ども時代の風景の中で暮らし続けている間は、その風景を絵に描きたいという情熱は決して揺らがないでしょう。フランコが一生をかけても描ききれないと考えているのと同様、わたしもまたいつまでも、見えない現実の世界に目に見える形を与えたいという衝動に突き動かされ続けるのかもしれません。

フランコが述べるように、「芸術とは夢を見るようなもの」です。夢は、眠っている間には夢だと気づかないものです。夢は眠っている人にとっては現実そのものであり、夢の中で感じる喜びも悲しみも、切なさも本物です。

だからこそ、いまだ醒めない夢の中にいるわたしは、そのあふれ出る感情をとどめられませんし、自分が歩き回りたい夢の風景を、いえ、自分が今まさに歩き回っている美しい現実の景色を描かずにはいられません。

心の何処かでは、いつかこの現実が失われるかもしれないと知っている。これが夢だとどこかでしっかり気づいている。でも、いつまでもこの場所に住んでいたい。夢と現実のはざまに取り残されたような、そんな言い知れぬ心のせめぎあい、夢から醒めそうで醒めないときのあの切なさこそが、フランコ・マニャーニを「記憶の画家」へと変貌させ、わたしをもまた絵を描くよう駆り立てているものなのかもしれません。

投稿日2016.10.10