自然界と顔見知りになるとはどういうことか。「学者」にならないように気をつける

自然界と顔見知りになるとはどういうことだろうか。

道北に引っ越してきて、もっと自然を知りたい、親しみたい、という思いから、毎日のように自然観察スケッチを楽しんでいます。夏の風景写真のアルバムもまとめました。

道北の写真アルバム
道北に引っ越してから撮った美しい景色や動植物の写真をアルバムにまとめました。雄大な景色も多いですが、ほとんど家から自転車で行ける範囲や、車で数分の近くの森の風景です。 2019年

でも、自然と親しむうちに、わたしが目指しているのとは方向性が違う人たちも大勢いることに気づいてきました。

たとえば、自然をモノのように分類する学者、アウトドアやスポーツを楽しむだけの登山者やキャンパー、外来種を大量に持ち込んで原生の環境を破壊している園芸家たちなどです。

わたしは、自然を隣人や友達、家族のようにみなすネイティブアメリカンやアイヌのような文化の価値観に共感しています。

それは自然を科学的にとらえた場合でも正しいと思っています。科学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルが木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学 に書いているように、遺伝子的にも生態学的にも、わたしたちは動物や植物の親類だからです。

伝統的な信仰習俗と現代的な生態学の知見とは、ここではこうしてひとつに収斂していく。つまり、人はより大きなコミュニティに属しており、人間と人間以外の生命の境界は決して絶対的なものではなく、相互の目には見えない交歓が世界を活気づけるのだ、と。(p5)

わたしたち人間もまた生命共同体の一部分で、「彼ら」とともに関係性をなしている。したがって、人対自然という、西洋哲学の中核にある二元論は、生物学からみれば幻だ。(p14)

でも、自然に関わる人がみな自然界を家族や友のようにみなしているわけではありません。

大自然がすぐそばにあるのに、それが当たり前で普通のものだとみなしている人のなんと多いことか。動植物の名前は知っていても、その生き方には関心のない人がどれほどいることか。

そういった人たちは、自然と関わってはいても、その繊細な美しさは気に留めない。レイチェル・カーソンのいう「センスオブワンダー」(不思議さに目を見張る心、畏敬の気持ち)を持たない人たちなのです。

わたしはまだまだ自然と関わりはじめたばかりの駆け出しですが、そんな人たちのようには なりたくないと思いました。

だったら、どうやって自然を親しく知ることができるのか。これからの自分の方針とすべく、先駆者たちの提案をまとめてみることにしました。

名前を知ることは入り口にすぎない

自然界について知るには、まずそれぞれの名前を知る必要があります。樹木や植物を見て、ひとつひとつを見分けられるようになるのは、あらゆる関係の第一歩です。

けれども、バランスが必要です。レイチェル・カーソンがセンス・オブ・ワンダーで書いているように、名前を知るよりもっと大切なことがあります。

いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。

もし、名前を覚えることで終わりになってしまうのだとしたら、それはあまり意味のあることとは思えません。

生命の不思議さに打たれてハッとするような経験をしたことがなくても、それまでに見たことがある生きものの名前を書きだしたりっぱなリストをつくることはできます。(p47)

名前を知ることより、不思議さに驚くこと、畏怖を感じる経験をすること、そして親しい時間をともに過ごすことのほうが大事です。

前に書きましたが、わたしがこちらで知り合った ある年配の方は、子どものときからずっと、学校に行くときに、奇妙な鳥の鳴き声を聞いていました。そして、自分で「ツブヤキ鳥」と名づけて見守っていました。

わたしもこっちにきてすぐに、その鳥に気づきました。インターネットのおかげで、それがオオジシギという名前だとわかりました。

じゃあ、その年配の人とわたしは、どっちがその鳥についてよく知っていたのか。確かにわたしは正式名を知っているおかげで、ネットで検索すればたくさんの知識を得られます。

でもそれは、自分が肌で経験したわけでも、じかに観察したわけでもない、形だけの、表面だけの知識です。

きっと、本当の意味でその鳥についてよく知っているのは、何十年もその鳥を観察し、声に耳を傾けてきたその人のほうでしょう。愛着をこめて「ツブヤキ鳥」と呼んでいるくらいなのですから。

文化や言語が違えば名前は変わります。もとをたどれば、正式名称や学名だって、だれかが名づけた名前にすぎないわけです。

その「だれか」は名前のない生き物を見て、じっくり観察し、特徴を見定めて、自分なりの呼び名をつけました。

たとえば聖書ではアダム、ネイティブアメリカンの創世神話では最初の人ナナブジョがその役割を担いました。各文化には、同じように名前をつけた人がたくさんいるでしょう。

「名前がわからない」「図鑑やインターネットで調べなければ」。そう反射的に思ってしまうこと自体、いかにわたしたちが自然から遠ざかってしまって、学問中心の社会に生きているかを教えてくれます。

自然界と個人的な関係を結ぼうとするのではなく、我々の文化と言語ではそれが何と呼ばれているのかを気にしてしまう、ということだからです。

本来、名前は相手を見分けるための自分なりのラベルにすぎないので、わたしたちはアダムやナナブジョをまねてもいいわけです。自分で観察し、自分だけの名前をつけるというやり方で。

植物と叡智の守り人 の著者ロビン・ウォール・キマラーは植物学者なので、おおかたの生き物の名前は知っていますが、ときどき学者であることをやめて、自分で名前をつけるといいます。

そこで私は、おそらく「最初の人」がしたように、初めてのそれらを眺めながら歩く。

私は自分の科学者脳のスイッチを切って、ナナブジョと同じ態度でそれらに名前をつけようとする。

いったん学名をつけた生き物に対しては、それが何者なのかをそれほど知ろうとしなくなる人がいることに私は気付いている。

でも、新しく自分で作った名前で相手を呼ぶと、私はますます相手をよく見るようになる。名前が当たったかどうかを知りたいからだ。(p266)

正式名称を知るのはネットや図鑑を調べるときには役立ちます。でも自然のなかで、顔と顔を合わせて生き物たちとコミュニケーションするときには学名であろうがなかろうが関係ありません。

むしろ、自分で親しみをこめてつけた名前を呼ぶほうが、相手を知ろうと思えるかもしれません。

動物や植物の正式名称を知ろうとするのは、あくまで相手を「それ」つまり物として見ていない態度です。

言葉の通じない民族と出会ったとき、彼ら彼女ら一人ひとりの名前を知るために、文化人類学者に尋ねにいくようなものです。必要なのは、直接相手とコミュニケーションして、一対一の関係を築くことではないでしょうか。

偉そうに書いてはいますが、わたしは何かをじっくり観察して自分なりの名前をつけたことはまだありません。どうしても、正式名称を知りたい、という気持ちのほうが勝ってしまいます。

それでも、ひとつのことは覚えておこうと肝に銘じています。学名であれ、正式名称であれ、本当の意味で「正しい」名前などないのだということ。

ナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法 にも天体についてこう書いてあります。

たとえば名前を記憶したからといって、星がより美しく見えるわけではない。

星座はわたしたちの想像のなかにだけ存在するものなのだから、しきたりどおりの名前で呼ぼうが自分なりの名前をつけようがそれはまったく個人の好き好きだ。(p33)

天球図がしっかり頭に入ったら、自分なりの北極星の見つけ方を編みだすこともできる。星や星座の名前を知らないからといって遠慮することはない。

そもそも「正しい」名前などないのだ。

星の名や星座名はそう「呼び習わされてきた」というだけのことで、不都合なら無視して自分なりの名前をつけてやればいい。

北斗七星のことも、アメリカ人は「大きなひしゃく(Big Dipper)」というし、英国人は「鋤(Plough)」とみる。イヌイットには「トゥクトゥルジュイト(Tukturjuit)」、つまりカリブーだ。アステカの人々は北斗七星を戦闘神テスカトリポカになぞらえていた。(p153)

自然界のあらゆるものについて言えることですが、神さまがそう名づけたわけでも、相手がそう名乗って自己紹介しているわけでもありません。どこかの人間が勝手にそう呼んだにすぎません。

だったら、すべての人に自分なりの名前があってもいいはずなのです。その生き物との関係や経験という思い出に彩られた、その人だけの親しみある名前があっても。

物語を知るほうが大切

正式名称は、図鑑やネットで調べるときには役立ちます。だから、知っておくに越したことはありません。

でも、名前を知っているだけでは、ほとんど意味がありません。

たとえば、外国の友達がやってきて、地元の自然を案内してあげるとします。

あの鳥はオオジシギで、あの植物はオオウバユリで…と名前だけ解説したところで、何の意味があるでしょう。相手は意味のわからない単語を聞かされたとしか思わないでしょう。文化が違えば、名前の意味はほとんどなくなります。

でも、オオウバユリやオオジシギの見分け方、生態、そして人間との関わりの歴史などを親しく知っていたらどうでしょう。

その生き物のどこがおもしろいのか、何が特別なのか、人間にはどう役立つのか、実演を交えて解説できるのではないでしょうか。

その外国の友達は、聞いた名前は忘れてしまうかもしれません。しかし、それがどういう生き物なのかという説明と驚きは、きっと心に残るでしょう。

わたしたちは友達をだれかに紹介するとき、名前と学歴だけ伝える履歴書のような無味乾燥な紹介をするでしょうか。いいえ、その友達がいかに魅力的な人であるか、ストーリーを伝えるはずです。

自然と親しくなるというのも。そういうことだと思っています。知識だけ詰め込んだ頭でっかちの「学者」にならないよう注意する必要があります。

学名、属名、手足や花びらの数、形などを分類できれば、それで生き物を知ったといえるわけではありません。細部に注目しすぎるなら、地に足のついた現実からかけ離れてしまうだけです。

それぞれの生き物のちょっとした違いに詳しくなるのは面白いことです。でもマニアックな知識ばかり増えて、全体のつながりを見落としてしまいます

たとえば、コケや地衣類を観察していると、つい名前を知りたくなります。だけど、探検家トリスタン・グーリーはナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法 に、それは無理だと書いています。

世界には1万を超える種類の苔と1万5000種以上の地衣類があるので、すべての名前を覚えようなどと考えなくていい。

ただ、苔や地衣類の好みや習性や弱点などについて、おおよそ知っておくのは有意義だろう。(p75)

地元の自然の範囲くらいなら、なんとかなりそうなものですが、コケや地衣類やキノコを同定するのはかなり難しい。ネットで調べてもわからないことはザラですし、顕微鏡で観察しないと正確な種が分類できないものもあります。

地元でさえそれなのに、熱帯雨林などの生物多様性の宝庫に行こうものならどうなるか。

木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学 の中で科学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルが書いています。

だが種を同定することはもとより、個々の植物の来歴をすべてそらんじるのは、専門家たちですら手にあまる。

西洋の科学では記述されておらず、知られてもいない植物がそこらじゅうにあるのだ。

最近でも、生物観察基地の食堂への通路で新種が見つかったほどだ。この森は、生物学者の高慢の鼻をへし折る場所だ。(p29-30)

もうそこら中が、知らない生き物だらけなのです。熱帯雨林では日々小進化が起こっているので、科学者たちが発見するより早く新種が増えているかもしれません。

ハスケルは別の本、ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 で、そもそも教科書的な種の分類自体、人間の押しつけであって正しいとは限らないと書いています。

私たちがつける名前は自然に整然とした分類を押しつけるが、それは生命の複雑な系譜や生殖のための交流を反映していないかもしれない。

私たちは「別々の」種であると想像して名前をつけるが、自然界の境界はおうおうにしてもっと曖昧だということを、近代遺伝学は示している。(p71)

自然界はわたしたちが思っているよりもっと柔軟なのです。図鑑や論文ではきっちり境界線を引いて分類しているかもしれませんが、それは人が勝手に引いた線にすぎません。

でも、これでもまだましなほうです。動物や植物だったらまだ、根気強く調べれば、それなりには分類学上の違いを同定でき、種の名前をつけたり、見分けたりできるんですから。

「名前」を知ろうとする努力をもっともあざ笑うのは、見えない微生物たちです。それらは単に数が多いだけではなく、生物界をつくった微生物 で書かれているように種の区別をあいまいにする生き物だからです。

フックの時代に「アニマルキュール」と呼ばれた微細な生物のすべてに種名をつけて数え上げようというのは、かなり無駄な努力である。なぜそういえるのか。

…よく知られているように、「種」という科学用語は我々が動物の交配不能なものについていう場合だけ、明瞭な意味を持つのである。

…とくに細菌と古細菌については種の概念を当てはめること自体、ほとんど無意味だといえる。(p2-3)

細菌やアーキアは、人間や動物や植物と違って、別々の種と遺伝子を交換することができます。種と種を隔てる壁はなく、常に混じり合い、新種が誕生しつづけます。

おおまかな区別ぐらいはできても、細部の違いを見定めて、名前を知ろうとしていたらきりがありません。

幸い、身の回りの動物や植物はそこまで複雑ではないので、名前をつけて見分けることは、ある程度までは可能です。だから名前を覚える努力を否定するわけではありません。

けれども、それに勝って大切なのは、それぞれの生き物の生き方を知ること、ストーリーを知ることです。

そのためには、文字どおりの人間の友達のことを親しく知る場合と同じように、一緒に時間を過ごし、コミュニケーションし、よく観察するしかないのです。

ネイティブアメリカン出身のロビン・ウォール・キマラーは、大学で植物学を学んで教授になりました。

植物と叡智の守り人 によると、学者としての知識をたくわえ、分類できるようになりました。そのとき、植物のことはみなわかったと感じたそうです。

科学的な考え方の重要性を疑ったことはほとんどない。

科学という道を選んだことで私は、区別すること、知覚したことと物理的な現実を切り離すこと、複雑なものをその一番小さい構成要素まで細分化すること、一連のエビデンスと論理を大事にすること、二つのものの違いを識別すること、正確であることの喜びを味わうことを学んだ。

…教授になったばかりの頃、自分はとうとう植物を理解したと感じたことを覚えている。(p64)

でもやがて、自分は思い上がっていたことを知りました。大切なのは学問的な知識ではなく、生き物たちに寄りそうストーリーだと気づいたときのことを思い出してこう書いています。

科学という道を歩むために、私は祖先から伝わる知識の道を踏み外していた。でもこの世界は、あなたの歩みを導く術を持っている。

ある日突然、私はネイティブアメリカンの先輩たちが植物に関する伝統的な知識を語る、こぢんまりとした集まりに招かれた。この日のことを私は決して忘れない。

大学の植物学の講義など一日たりともとったことのないナバホ族の女性が何時間も話し続け、私はその一言ひとひとに聞き入った。

一つひとつ名前を挙げながら、その人は自分の谷に住む植物のことを語った。

それらがどこに生息し、いつ花を咲かせ、どんな植物のそばが好きでどんな関係を持っているのか。どんな動物がその植物を食べ、それを寝床に敷き、それはどんな薬になるのか。

その植物にまつわる物語やその創世神話、どうやってその名前が付いたのか、その植物は私たちに何を語ろうとしているのか。

彼女が語ったことは美しかった。(p65)

わたしはまだ、自然観察をはじめたばかりの駆け出しです。何もわかっていない初歩の初歩です。それでも、自分の目指すべき道が、学者たちの難解な世界ではなく、こちらにあることだけははっきりとわかります。

キマラーは、「自分の理解がいかに薄っぺらなものであるか」に気づきました。それは「科学、という知識のありようが、その疑問を解くには偏狭すぎるから」でした。

科学は、あらゆる感覚のうち、理性と認知に特化した学問です。全身の感覚を使って、生き物の歌を聞き、香りに酔いしれ、同じ時を過ごし、友情を育むことは、科学には含まれていません。そんな感性は邪魔なものだとみなされます。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめにも書いてあるとおり、物事を細分化、専門化してばらばらに切り刻んでしまう科学には、もう美しさの占める場所はありません。

いまや偉大なる博覧強記の時代は去り、学問の最前線をひたすら推し進めるべく、年を追うごとに専門分化の必要性はいや増している。

…専門領域が細かくなるあまり、全体像の美しさかにわたしたちの意識が離れてしまうところまで来ているように思われる。(p383)

でも、ナバホ族の女性は違いました。「彼女が語ったことは美しかった」。なぜなら、「彼女の知識はもっとずっと深く広く、人間が持っているあらゆる方法を使った理解」だったからです。
(p66)

わたしは、自然観察を始めてから、図鑑を調べたり、ネットで植物を検索したりすることが増えました。

でも図鑑はもちろん、ネット上に多いのは、細かく分類して写真を載せるだけのマニアックなページばかりです。どうせ学者やオタクが書いているんだろう、と思わせるような、難解な言葉づかいの、おもしろみもない説明の数々。

その植物が生きている世界、他の生き物とのつながり、隣人としての魅力は何も伝わってきません。ただのモノであり、解剖学的な研究対象であり、素材であり、知識でしかありません。商品カタログと同じです。

「その植物にまつわる物語」や「その植物は私たちに何を語ろうとしているのか」を芸術的に語り聞かせてくれるようなサイトはめったにありません。書いている人にそれだけの能力や、自然界との絆がないからでしょう。

わたしにしても、やはりまだその能力はありません。もっと生き物のつながりを理解して、五感すべてをつかった芸術的なエッセイや絵に仕立て上げたいと思います。でもそのための感性も経験もありません。絆は一朝一夕でなりたつものではないからです。

足しげく自然界の生き物のもとに通い、全身で感じ、経験し、身を浸し、スケッチしたり触ったりしながら、観察を繰り返すしかありません。

芸術と科学を融合させたメンターに学ぶ

それに加えて、すでにそんな生き方をしている人たちの書いた秀逸なサイエンスエッセイを定期的に読む必要があると思っています。

ネイティブアメリカンやアイヌの時代と違って、今のわたしには、自然界との橋渡しをしてくれるメンター、いわば紹介や仲介をしてくれる人がいないからです。

だれかが手引きし、方法を教えてくれなければ、どうして言語のまったく違う生き物と親しくなれるでしょうか。

外国に引っ越すとき、身ひとつでいきなり飛び込む人はそう多くないでしょう。誰かしら、現地に知り合いがいてこそです。

でも、わたしは、自然ガイドの人たち、園芸家たち、地元の人たちは、そんなふうに自然界との橋渡しをしてくれないと感じました。

まず、地元の自然ガイドの人たちと話して思ったのは、そうしたメンターになるような人の本を読まないと、どうしても底が浅くなってしまうということです。

自然ガイドの人たちは、自分や身近な仲間と、自然観察する経験は積んでいると思います。でも、それだけだと、思考パターンが限られてしまい、深みが出ないのです。

だって身近には、ネイティブアメリカンみたいな知恵のある人はいないんですから。自分で観察するのはとても大事ですが、それだけではただの一風変わった自然愛好家になるだけです。

園芸家たちもそうです。一見すると、土や植物に常に触れている、自然好きな人に見えます。でも本当は自然のことなどぜんぜん考えていない人が大半です。

人工肥料で肥やし、殺虫剤や除草剤をまき、何より繁殖力の強い外来種を大量に持ち込むことで、地元の植生を破壊しています。

自然観察していると、そうした園芸家の庭から漂いでて定着した外来種をよく見かけます。

そうした園芸は、植物版の動物園や水族館みたいなもので、自分のエゴのために世界各地の生き物を集めているにすぎません。自己満足なコレクターです。

コケの自然誌にも、自分の庭を飾るために山から何千年もかけて形成されたコケを切り出して環境破壊している富豪の話が出てきました。

園芸家たちは、世界中の華やかな花を集めますが、地元の固有種の素朴な美しさは何も知らないことが多いものです。本当の自然より自分が作った庭を愛しているからです。

ずっと地元にもともと住んでいる人たちは、多くの点で優れた先人です。自然と付き合っていく、数々の知恵を持っています。

でも地元の人たちがみな、自然界を愛し、大切にしているかというと、ぜんぜんそんなことはありません。

大半は、自分たちが持っているもののすばらしさなど、全然意識していません。平気でゴミを投げ捨てたり、森を荒らしたりする人もいます。

自然の近くに住んでいたら、自然を愛するようになるわけでないことは歴史が証明しています。人類はもともと自然とともに暮らしていたはずですが、その人類が今では自然をこんなにめちゃくちゃにしてしまったのですから。

それに、いくら自然に近いところに住んでいるといっても、現代の日本人である以上、ライフスタイルは自然から遠く離れてしまっています。

日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ に書いてあるように、人は裕福になればなるほど、自然のことなどどうでもよくなります。自然の知識などなくても生きていくのに不自由しないから。

収入と自然環境の知識は反比例するという研究もある。

英国からインドネシアにいたるまで実証されたことには、貧しければ貧しいほど、自分の周囲の植物や動物の名前や利用方法をよく知っているのだという。

ライターのジュールズ・ブリティの言葉を借りれば、「最も貧しい者が知り、最も富める者は忘れる」(p241)

現代の日本の生活水準は高いので、ガマを編んでござを作る必要はないし、痛み止めにイタドリやオオバコを使う必要もない。星を見て方角を見つける必要もなければ、雲を見て天気を占う必要もない。

こうして、自然に対する関心は失われていき、あらゆる人が自然ではなく、テレビやスマホを凝視するようになったのが現代社会なのです。それは雄大な自然が残る地域でも例外ではありません。

地元の人に、「ここは自然があってすばらしい」という感想を伝えると、たいてい、「そんなこと意識したこともない」という感想が返ってきます。レイチェル・カーソンがセンス・オブ・ワンダーで嘆いていたとおりです。

そこに住む人々は頭上の美しさを気にもとめません。見ようと思えばほとんど毎晩見ることができるために、おそらくは一度も見ることがないのです。(p31)

五体満足な人が、手足のある当たり前の生活に感謝したり感動したりしないのと同じです。失ってはじめて、不自由になってはじめて、ありがたみに気づくのです。

だから、ある意味では、ずっと地元に住んでいる人たちより、大都会の真っただ中から来たわたしのほうが、自然の大切さをよく知っています。わたしは自然が失われた世界を誰よりも知っているのだから。

本当に自然に親しみたいなら、ただ自然愛好家なだけでも、園芸をするのでも、自然の近くに住んでいるだけでも足りません。どの人たちも、メンターとして見習うには不足している気がしました。

ちゃんと自然のことをじっくり考え、科学的視点も交えて、魅力的に解説してくれる人がいてこそ、理解を深めていけます。身の回りにはそんな人はめったにいないので、すばらしい本を読むのが最善です。

わたしが自分のメンターになると思ったのは、まず、レイチェル・カーソンがいます。

そして、植物学者ロビン・ウォール・キマラーのコケの自然誌 や、植物と叡智の守り人

探検家トリスタン・グーリーのナチュラル・ナビゲーション: 道具を使わずに旅をする方法 や、日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ や、失われた、自然を読む力

生態学者デヴィッド・ジョージ・ハスケルのミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球 や、木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学 といった本です。

この人たちは、それぞれが本で自己紹介しているとおり、科学者でありながら芸術家を自負する人たちです。自然界を科学の眼で見つめながら、芸術的感性をもって描き出しています。

本物の自然を観察して描く。そうやってポターとダ・ヴィンチは芸術家また博物学者になった
ピーター・ラビットの作家ビアトリクス・ポターは、本物の自然をじっくり観察して描くことで、博物学者になった。

わたしもそうありたい、と思います。この人たちの本を読むうちに、芸術と科学を融合させながら、自然界と親しくなるにはどうすればいいか。知性のみならず、五感のすべてをかけて自然と親しくなるとはどういうことなのか。少しずつ理解が深まってきました。ほんの入り口を見つけただけですけれど。

自分だけの経験をする(ソマティックなエクスペリエンス)

キマラーが書いていたように、科学はもちろん必要です。彼女は先住民の感性をとても大事にしていますが、それでも「科学的な考え方の重要性を疑ったことはほとんど」ありません。科学がなければ、わからない発見はたくさんあります。

でも科学だけでは足りません。理性だけに頼る科学のみならず、そこに芸術的な感性が加わってこそ、わたしたちの世界はより豊かになります。植物と叡智の守り人にこう書いてありました。

ネイティブアメリカンである学者、グレッグ・カジェトは、先住民族の考え方によれば、私たちが何かを「わかった」と言えるためには、私たちという存在の四つの側面ー知性、肉体、感情、そして魂のすべてで、それを理解することが必要なのだと書いている。

科学者としての教育を受け始めたとき、私はすぐに、科学はそのうちの一つ、またはせいぜい二つしか大事にしないのだということを痛感した。

知性と肉体である。植物についての何もかもを学びたかった若いときの私は、そのことに疑問を抱かなかった。

でも人間は、その四つのすべてがあってこそ美しい生き方ができるのだ。(p69)

わたしの場合でいえば、もともと寝たきりみたいな生活を送っていたこともあって、本やインターネットで学んだ知識がすべてでした。わたしの知識は、経験に裏打ちされた理解ではありませんでした。

身体を使った実体験の不足そのものが、わたしの病気が治らない根源でもありました。だからわたしは、ソマティック・エクスペリンエンシング、訳せばすなわち「身体で経験すること」を意味するセラピーを受けました。

そのとき初めて、知性や認知を一旦停止して、ただありのままの感覚や感情に耳を傾けるというトレーニングをしました。

その経験は、道北に引っ越してきてからも役だっています。この魅力あふれる自然界を、理性や認知から見るだけでなく、感情や魂をも揺さぶる不思議な国、センス・オブ・ワンダーに満ちた畏怖をかきたてる世界として経験する助けになっているからです。

わたしはまだ、自然界とコミュニケーションする言語を、カタコトで話せるにすぎません。いや、カタコトにも及んでいないでしょう。いくつかの単語を断片的に話せるレベルにすぎません。

それでも、五感のすべてをオープンにして、自然界と言葉を交わす必要があることを知っています。自然界を隣人や友人と見なす大切さを知っている。

自然をただのモノとして分類し観察する学者や、アウトドアが趣味で山や川を行き巡る人たちは、それすら知りません。

だから、わたしはまだまだ未熟であっても、行くべき道はわかっています。知性のみで自然界を知ろうとする科学の道ではなく、肉体と感情と魂を共連れに旅する道です。

そのためにはバランスをとる必要があります。名前を知ることや科学的知識を知ることを楽しみつつも、それだけに偏ってしまわないよう。

それぞれの生き物を取り巻くストーリー、また自然界にまつわる物語を知り、メンターたちの思考や考察の方法に倣い、何より、自然界の中で、生き物たちと同じ時間を共に過ごすことによって。

同じ時間を共に過ごすことで見えてくるもの

この10ヶ月間、わたしはほとんど毎日、身近な自然の中を、自転車で走り回ってきました。極寒の雪の季節はスノーシューで森の中を歩き、夏はウェーダーで川を、ヤッケとゲイターをつけて森を歩いてきました。

だから、わたしは、まだ一年に満たないとはいえ、身の回りの自然界のどこにどの植物がいて、季節ごとにどう変化していくかを、ある程度、見知ってきました。

町中のどこにイヌエンジュ、ヤマグワ、オニグルミ、ネコヤナギ、ハリギリなどの木があるかを知っています。どこにニリンソウ、ナニワズ、エゾカンゾウなどの花が咲くかを知っています。

こうして言葉に羅列すると味気ないですし、読者に何も伝わりません。

でもわたしは、それらの植物を見た場所や、周囲の森の景色、花が咲いていたときの気温や雰囲気を思い出せます。図鑑的な知識ではなく、一緒に時間を過ごしたという経験によって、それらを知っているからです。

だから、その場に行けば思い出せますし、年中枯れずに残る植物なら、花が咲く季節でなくても見分けることができます。

一年近くを過ごしてみて思うのは、植物と「顔見知りになる」とはつまり、そういうことではないかと。

花が咲いている華やかな季節に見分けることはもちろん、そうでない季節にも、その存在がわかるということ。花を落として実をつけたり、実がはじけて枯れたりしても、それが誰かわかる。そうしてはじめて顔見知り程度になったといえる。

一瞬の出会いだけではダメです。開花情報を聞いて植物園に行ったり、観光地の一面の花の絨毯を見に行ったりしても、決して顔見知りにはなれません。

だってそうでしょう。ディズニーランドに遊びに行ってキャストと話したからといって顔見知りだとはいえません。

そうではなく、その植物たち、その生き物たちと同じ土地に住み、同じように季節の変化を経験し、毎日のように顔を合わせること、同じ時間の流れを共に生きることによってのみ、顔見知りになれのではないでしょうか。

それでもまだ、近所の顔見知りの人レベルにすぎません。親しい友人になるには、あるいは恋人や家族になるためには、もっと長い月日にわたる親しい付き合いが必要でしょう。

羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季 によると、イギリス湖水地方で暮らしてきたある人にとって、湖水地方の自然とのつながりは、熟年の夫婦関係のようなものでした。

私の祖父は夕焼けのような「美しいもの」を好んだ。しかし、それを描写するときにはたいてい説明的な言葉を使い、抽象的かつ感傷的な言葉を避けた。

彼は周囲の景観をたしかな情熱を持って愛したが、祖父と自然との関係は、旅行先での束の間の恋というよりも、長期にわたるタフな結婚生活という感じだった。

天候や季節に関係なく、祖父の仕事は常にその土地と結びついたものだった。

たとえばちょっとした春の夕焼けも、祖父には大きな意味を持つものだった。これまで六ヶ月のあいだ、風、雪、雨に耐えてきたのだから、「美しい」の一言で言い表せる景色ではなかった。(p107)

その関係は、長年にわたる、確かな経験に裏打ちされたものでした。過度に美化することも、盲目的になることもなく、互いのことを深く理解した信頼関係が土台でした。

一方で、湖水地方にあこがれて旅行にやってくる人たちは、旅先での束の間の恋のようなものでした。そこに深みのある関係はありません。

横殴りの雨のなか、あるいは雪の降る冬のあいだ、観光客はひとりも来ない。だとすれば、彼らの“湖水地方愛”は好天の季節限定なのだろうか?

この土地とファーマーの関係は、どんな状況でもこの地に留まるという条件のもとに成り立っている。

言ってみれば、若いころに出会った美人の女の子への感情と、何年もの結婚生活を経たあとの妻への感情の違いに似ているかもしれない。(p128)

わたしも去年、はじめてここにやってきたときはそうでした。わたしは旅行でここに来て、一目惚れしました。景色の美しさではなく、一緒にいることの心地よさにです。

まだ1年目の交際期間中?ですが、それでも、日に日に絆が深まってきていると感じます。雨の日も雪の日も一緒に過ごした歳月は、たとえ何気ないものであっても無駄ではないのです。

都会の大学に通いながら、たまに自然の中に研究調査しにくる学者とか、ふだん都会で働きながら、たまの休みにレジャーでやってくる人たちとは、次元が違います。

たまにやってくる人たちは、そこで自然とともに生活しているわけではないので、いつまで経っても、本当の絆を育めないでしょう。

うちの父親は、家族を顧みない人で、めったに家に帰ってきませんでした。ときどき遊んでくれましたが、今のわたしは彼を父や家族とみなしていません。

たまに自然の中に来るだけの人が持てる関係などその程度です。一緒に住もうとせずに、遠く離れながら家族のような絆を育てようなどというのは虫のいい話です。そんなのは絶対成功しません。

今日、ニュースで厳しく自然保護された北アルプスの五色ヶ原の写真を見ました。確かに美しいなぁ、行ってみたいなぁとは思います。

でも、本当に自然に親しみたいなら、遠くの秘境に足を運ぶより、まだ自然が残っているところに住むほうがよっぽど近道だと思います。

家を出て、すぐそこ、目の前に大自然があることが重要なのです。そうじゃないとめんどくさくなって足を運ばないだろうから。足を運ばなければ、四季の移り変わりも、日々の変化もわからないだろうから。

だから、わたしは、ずっとここにいることを選びました。毎日、自然の中をただ散歩し、ただサイクリングし、ただ一緒にいる心地を味わうことにしました。そんな何気ない日々の積み重ねが、確かな絆を育てることを信じて。

この記事で書いてきたのは、わたしが今すでに実践できていることではなく、これからの方針です。今はまだ未熟なわたしが、これから自然界とどう付き合っていけばいいか、自分に言い聞かせるための記事です。

果たして、どれほど真剣に取り組めるでしょうか。昔の人たちは自然について知らねば生きていけないからこそ知恵と知識を身に着けました。現代日本人はその必要に駆られなくなったので、自然を知ろうとしなくなりました。

わたしはどうだろうか。動植物の生態を詳しく知らないと生きていけない生活ではありません。

でも、ここ北海道の果てまでこないと寝たきりになってしまうような体調でした。わたしには、自然を知ろうとする強い動機づけと理由があります。

今はまだ、先がはっきり見えているわけではないけれど。

この積み重ねによって、いつか、わたしが今読んでいる本の著者たちのような、自然界との親しい関係を築ければいいと思うのです。

名前を知るだけの関係でも、学者のような頭でっかちな関係でもなく、確かな経験に裏打ちされた、友のような関係を。

追記 : 牧野富太郎博士が全部書いていた

近所の図書館に、牧野富太郎植物記〈1〉野の花 があったので、借りてきました。植物について調べていたら、この人の名前が何度も出てくるもので。

そして、まず何気なく序文を読んでみたら…

わたしの言いたかったことを、そっくりそのまま、牧野富太郎博士が書いてくださっていました! まったく今まで接点のなかった人なのに、こんなに同じ感性で、同じことを表現していた人がいたなんて! 全文ここに引用したいくらいです。

・自然に親しむとは、植物や動物の友だちになるということ。
・関係はまず名前を知ることから始まる。「なんどもこの友にあいにいって」関係を深めていくことが大切。
・知識を深めるには実際に野山に出向くことが必要。それでも、いくら知っても知り尽くせることはない。
・人間はもっと大自然に対して謙虚にならなければならない。科学に思い上がっていれば身を滅ぼすだろう。

などなど。

もちろん、博士はわたしなどより、もっと真剣に植物観察に取り組んでいて、人生90年で50万もの標本を採取したのだとか。わたしは今のところ、標本を作るつもりはないので、そこは全然違います。

わたしはあくまで、植物学者になるよりも、芸術家や作家でいたいと思っているので、目指すところは異なります。だけど、博士の感性には共感することしきりでした。

わたしも、この言葉のようになれたら、どんなにかいいでしょう。わたしがこの記事で書きたかったのは、まさにこの言葉に集約されるのです。

人生をゆたかに、心楽しく暮らすには、大自然を友とする人でなければなりません。

散歩をしていても、道ばたに咲いている草や、林のなかにしげっている木が、みな自分の知り合いだったら、どんなに心楽しいことでしょう。(p7)

投稿日2019.08.28