フィンセント・ファン・ゴッホの名画「星月夜」は、じつは今のわたしたちが見ることのできない本物の星空を見て描かれた絵なのかもしれない。
本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのか、そんなロマンティックで想像が膨らむ研究が書かれていました。
先月の記事では、この本にもとづいて、電灯がなかった産業革命以前の夜の暗さは、現代とはとは全然違っていて、それが昔の人たちの想像力をかきたてていた、という話を書きました。
フィンセント・ファン・ゴッホは、そんな夜空がまだ見れた時代に生きた画家でした。彼は「星月夜」に代表される、星空の絵をたくさん残していますが、どれも色とりどりで幻想的な夜空です。
ゴッホの絵の独特の色使いは、現代の批評家からは、色覚異常などの視覚障害が影響していたのではないか、と言われてきました。
ところが、この本を読んでいると、まったく別の解釈ができることを知りました。ゴッホが見ていた時代の夜空は、電灯による光害がなかったため、今よりも、もっと色とりどりで、ゴッホは見たままの印象を絵にしていただけだったのではないか、というのです。
ゴッホの独特な絵はゴッホの特殊な認知機能の産物なのか。それとも、産業革命前に見ることができ、今やわたしたちの身のまわりから失われてしまった本物の夜空の美しさを教えてくれる歴史の生き証人なのか。調べてみると、おそらく、その両方が絡み合っていたのではないかと思えます。
今回の記事では、ゴッホの魅力的な星空の絵に隠された秘密を探ってみたいと思います。
▽ゴッホの絵 (クリックで画像検索)
狂気の画家ではなく正気の人だった
本題に入る前に、まずはゴッホ自身が抱えていたと思われる様々な症状とその原因を整理しておきましょう。
ゴッホは、独特な絵の色合いとタッチ、衝撃的な耳切り事件や、若くして自殺を企てたエピソードなどから、狂気の画家と呼ばれることがあります。これまでゴッホを研究してきた批評家は大勢いますが、ゴッホが何かしらの問題を抱えていたことは確かです。
たとえば、書きたがる脳 言語と創造性の科学 とで医師であり脳科学者でもあるアリス・フラハティは側頭葉の不安定さが爆発的な創作意欲を引き起こす例としてゴッホに触れていました。
そのいい例がフィンセント・ファン・ゴッホだ。ゴッホは確かに側頭葉てんかんか躁うつ病、あるいはその両方を患っていたらしい。
ただゴッホの病歴の研究は病跡学の暴走の一例で、研究者たちにつけられた病名は百を超える(その診断のほとんどはてんかんか躁病の間接的な原因であるが)。
わたしとしては、当人による発作の記録や家族の既往歴から見て、てんかんだったことはかなり確実だと考える。それに躁うつ病の症状も多そうだが、激しい気分の揺れは側頭葉てんかんにも見られる。
ゴッホは左耳を切り落とした直後にてんかんと診断された。診断した医師は少し前にやはり耳を切り落としたてんかん患者を診ていて、その印象が強かったらしい。しかしこれは偶然ではない。ゴッホももう一人の患者も、てんかんに起因する幻聴に脅かされる側の耳を切り落としたのだ。(p102-103)
後世の研究者たちがゴッホに下してきた死語診断の病名は非常に多彩で百種類を超えるとあります。ひとつだけ確かなのは、ゴッホが何かしらの心身の問題を抱えていた、ということです。
さらに続きを読むと、ゴッホが、てんかんや躁うつ傾向のほかにも、多種多様な混乱した症状を抱えていたことが示唆されています。
ゴッホにはハイパーグラフィアのほかにも、側頭葉の変化に伴うゲシュウィンド症候群にあてはまる徴候があった。
彼には暴力的な傾向があり、気分の揺れが激しかった。また度が過ぎるほど宗教的でもあったー彼は一時牧師として働いていたが、興味深いことに「熱狂的すぎる」として解雇されている。
それにセクシュアリティも穏やかでなかったー娼婦と暮らし、ゴーガンとも性的関係があったかもしれないとされている。
また「過包摂」(かほうせつ)と呼ばれる、関係のない事がらを次々と連想してしまう傾向もあったーゴーガンは回想録のなかで、ゴッホと話していると会話を切り上げるのがきわめて難しかったと述べている。(p104)
ゴッホの私生活はたしかに、相当混乱していたようです。
ここで出てきた「ゲシュウィンド症候群」というのは、アメリカの神経学者ノーマン・ゲシュヴィンドが提唱した概念で、ロシアの文豪ドストエフスキーのような、側頭葉てんかんや、激しい気分の浮き沈み、極端な宗教的感情、そして爆発的な創作意欲を発揮する人たちのことを指します。
以前に紹介した記憶の画家フランコ・マニャーニも、ゲシュウィンド症候群ではないかと言われていました。
ゴッホも確かにゲシュウィンド症候群らしき特徴を多数抱えていました。あまりに創作意欲が強すぎて、自分の意志に反して突き動かされるように創作し続けてしまうという苦悩や、聖書の教えを軸通りに受け止めて、持ち物すべてを手放して苦行に励んだ極端なキリスト教の実践などは、ゲシュウィンド症候群そのものと言っていいでしょう。
しかし、ゴッホがどうしてゲシュウィンド症候群を発症したのか、というと謎のままです。それに、彼の孤独や、セクシュアリティの混乱、コミュニケーションの難しさなどは、ゲシュウィンド症候群だけで説明するのは困難です。
おそらく、ゴッホは、生まれつき何かしらの神経発達の偏りを抱えていたのでしょう。アスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性という本の中で、自閉症の研究者であるマイケル・フィッツジェラルドは、ゴッホはアスペルガー症候群だったのではないか、と推測していました。
アスペルガー症候群の人は、特に生育環境の中で苦労した人ほど、コミュニケーションが難しく、人と親密な関係を築きにくく、アイデンティティの混乱を抱えやすくなります。自閉症の人たちはてんかんを抱える割合が高いことも知られていますから、ゴッホの生きづらさのかなりの部分を説明できるように思います。
個人的に、ゴッホがアスペルガー症候群だったとする説はそれなりに信憑性があると思っていますが、それだけで彼の奇妙な症状すべてを説明できるわけではありません。大半のアスペルガー症候群の人たちは、ある程度 社会に適応していきますし、ゴッホほど多種多様な症状を抱えることはまれです。
もともとアスペルガー症候群の素因があったとしても、さらに何かが上乗せされたとみるべきでしょう。まず、ゴッホは、家庭環境からくる育ちの問題から、慢性的な気分の不安定さを抱えていたようです。
しかし、それ以外にも、芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察には、アブサン中毒が問題を引き起こしていたのではないか、とする研究が載せられていました。
第一に彼はアブサン(今日では毒性化合物の1つとして知られるα-ツジョンを含むアルコール飲料)中毒であった。アブサンの多飲は、神経学的障害や精神病、幻覚、てんかん発作を起こす。
こうした症状はvan Goghだけではなく、当時アブサンを常飲していた他の人たちにもみられたものである。フランスの画家Toulouse-Lautrecもアブサン中毒で、1809年には短期間ではあるが、精神病院に収容されている。
動物実験の結果も、ツジョンの多量投与がてんかん発作を引き起こすことを明らかにしている。(p86)
現代でも生きづらさからお酒に逃げてアルコール中毒になってしまう人はよくいますが、ゴッホもまた当時広く飲まれていたアルコール飲料であるアブサンの中毒になっていたようです。そのせいで、てんかん発作が引き起こされ、精神病院に入院したり、耳を切り落とす引き金となる幻聴が聞こえたり、自殺を図ったりしたのではないかとされています。
ゴッホはまた、食べ物でないもの、例えば絵の具や灯油を飲食してしまう異食症や摂食障害にも陥っていたようです。これも自閉症の人に時々見られるそうです。
それに加えて、てんかん発作の治療のために服用していた薬が、さらなる神経異常を引き起こしていた可能性があるようです。
第四に、van Goghはてんかん治療のためにジギタリスを飲用し、胃や腸の不快感を和らげるためらサントニンを飲んでいた。ジギタリスとサントニンは、多量の摂取すると、外界がすべて黄色に染まったように見える黄視症を起こすことが知られている。(p86)
つまりこれまで述べてきたvan Goghの特異な病状も、彼の作品や色の選択(青い虹、白い虹、青い空、赤い壁、緑の葉、1886年以前の初期の作品の暗い色など)のすべてを説明するものではないが、彼の芸術の特徴を理解するための背景を提供しているとみることができる。(p87)
ゴッホの絵は独特の色使いを特色としているので、ゴッホが色覚異常だったという説はかなり有名ですが、この本の説明が正しければ、ゴッホの色覚異常は先天性のものというより、薬の副作用だったのかもしれません。
ゴッホは一見、多種多様な奇妙で混乱した症状を抱えていたかに思えますが、たぶん、もともとは単にアスペルガー症候群だっただけなのではないでしょうか。
しかし周囲から浮いてしまう生きづらさのせいで家庭にも社会にも居場所がなく、アルコール中毒になってしまい、その二次障害でてんかん発作がひどくなってゲシュウィンド症候群のような気分の極端な浮き沈みを抱え、さらにその治療のための薬の副作用で色覚異常を抱え、それらが独特な作風や入院、自殺企図へと連鎖していったのではないか、とみなせます。
そうだとすれば、ゴッホは決して狂気の画家などではなかったことになります。生まれつき人と関わるのがひどく苦手なせいで、アルコールに走ったり、精神科の薬の副作用に悩まされたりして、次第にもつれにもつれた泥沼にはまっていく人は、わたしたちの身のまわりにもいるのではないでしょうか。ともすれば、わたしたち自身もそうなりうるのではないでしょうか。
ゴッホは、確かに芸術の才能をもっていましたが、決して気が狂っていたわけでも奇抜だったわけでもなく、現代のわたしたちも抱えるような生きづらさの悩みに翻弄された、ちょっと変わった普通の人だったのではないか、と思えます。
そりようなわけで、この本では、ゴッホが重大な精神病を抱えた狂気の画家だった、というような通説は否定されています。
もし彼が心に重大な病を持った人物であったとしたら、芸術作品に対して注意を維持し、同じペースで熟慮しながら描き続け、独創性と創造性を表現し続けることはできなかったであろう。
どの時期に描かれた絵をみても、奥行きの表現に変化はなく、描かれた顔も変形しておらず、物品にも形のくずれがなく、比率や尺度も維持されており、形もそれとわかるように描かれ、絵の具も一貫した注意深い筆使いで処理され、構図全体のバランスもよくとれている。(p87)
もしも、ゴッホが本当に狂気を抱えていたのだとしたら、入院中も一貫したペースで美しい絵を描き続けられたはずはないだろう、というのが、この本の著者の主張です。ゴッホは狂気ではなく、正気だったからこそ、気配りの行き届いた作品を描き続けられたのでしょう。
自分が抱える問題の深刻さをしっかり認識できていたからこそ、てんかん発作や幻聴などに振り回される日常に耐えられなくなってしまったのかもしれません。(彼は自殺で衝動的に命を断ったとされていますが、本当に自殺だったのかどうかは諸説あるようです)
ゴッホの作品は独特な色使いやタッチで描かれているため、常人と一線を画する悲劇の天才だったように語られることがあります。しかしこうした考察からすれば、彼は現代のわたしたちとそれほどかけ離れていたわけではなく、ただ数奇な運命に翻弄されてしまっただけなのかもしれません。
ゴッホの時代の夜空は今とは違っていた
ここまで脳科学や医学の専門家たちによるゴッホの考察を概観しましたが、ゴッホがわたしたちと同じように悩み葛藤した正気の人だったとすれば、彼のユニークな作品を違った視点で見ることができるようになります。ここからがこの記事の本題です。
ゴッホの作品として特に有名なのは「星月夜」を始めとする夜空の風景画です。とても幻想的で色鮮やかな夜空で、浮世離れした作風なので、狂気と天才は紙一重の象徴とされることもあります。しかし、もし彼が気の触れかかった狂気の画家でなかったのなら、この星月夜もまた、天才にしか思いつかないような発想で描かれた絵ではない、ということになります。
確かにゴッホはすばらしい芸術的センスを持っていましたが、それだけで「星月夜」のようなユニークな絵がどこからともなく生み出されたわけではありません。ゴッホが優れたセンスを持つ料理人だったとしても、何か具体的な素材なくしては、優れた絵は生まれないはずです。
これまでその「素材」がどこから来たかがわからなかったので、狂気や天才のなせるわざとみなされてしまっていましたが、今回読んだ 本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのかでは、もっと現実的な仮説が立てられていました。ゴッホの絵の「素材」とは、ゴッホの時代には見ることができて、今のわたしたちには見ることのできない色鮮やかな本物の夜空だというのです。
だが僕自身は、この絵が語る物語がとても好きだ。小さな暗い町、家々の窓から漏れる山吹色のがスランプの明かり、それを覆う巨大な渦巻きと波打つ藍色の空。
ここに描かれているのは、夜が森や海に追いやられる前の世界、穏やかな町が街灯なしで眠りについていた頃の世界だ。人々はこの絵、とりわけ空の部分に、たんなる精神異常者の妄想という短絡的なイメージを抱きすぎるような気がする。
MoMAで「ゴッホと夜の色彩展」を企画したヨアキム・ピサロの言い草ではないが、この画家を「精力に満ちた狼男」と見ているのだ。
たしかにゴッホは問題を抱えていた。けれど、『星月夜』が浮世離れして見えるのは、ひとつには、これがもはや存在しない時代、夜空がずっとこの絵に近い状態だった時代の作品だからだろう。(p51)
この本の著者の仮説は、この記事で考えてきた専門家たちの意見と一致しています。ゴッホは、俗に思われているような「精力的な狼男」のような狂気の画家ではなく、わたしたちの身のまわりに普通にいるようなアスペルガー症候群の男性だったはずです。てんかん発作の爆発的な創作意欲や幻聴に悩まされ、色覚異常で視界が黄色っぽくなっていましたが、それはアブサン中毒や治療薬で起こった二次症状にすぎませんでした。
ゴッホは確かに多種多様な症状に悩まされてはいましたが、決して狂人ではなかったので、彼の絵が「精神異常者の妄想」だったはずはありません。
ゴッホの描いた様々な絵を見てみると、タッチや色は独特でも、風景や静物をしっかり描写した絵がほとんどです。奇妙に思える配色も、視界が黄色がかっていたとすれば、見えるとおり忠実に描いた証拠ともいえます。
とすれば、夜空の絵もまた、妄想で描いたのではなく、ただ自分に見えた風景をもとに再現したのではないでしょうか。ゴッホが生きていた時代は「夜空がずっとこの絵に近い状態だった」のです。
わたしたちは本物の夜空を見たことがない
さすがにそれは言い過ぎで突飛過ぎる仮説だ、と思いますか? わたしはこの本を読む前なら間違いなくそう感じたはずです。いくら当時の空が暗かったとしても、ゴッホの絵みたいな星空が見えたら、ファンタジーの世界じゃないか。そう思ったでしょう。
けれども、わたしがこの本で知ったのは、わたしもあなたも、現代人のほとんどが、生涯にわたって一度も、まともな夜空を見たことがないという衝撃的な事実でした。
わたしたちはだれでも、都市の明かりで、夜空の星が見えなくなっていることは知っています。でも、その光害がどれほど深刻かわかっていません。
1688年、太陽王と呼ばれたルイ14世は、24000本のロウソクでベルサイユの庭園を照らし出し、権力を誇示したそうです。それに対して、今では たった白熱電球一個だけでロウソク100本ぶんの明るさがあるそうです。わたしたちが家庭で普段使っている明かりだけで、ルイ14世の一世一代のライトアップには匹敵するほどの明るさがあります。
ラスベガスのカジノホテルを照らす光のビームともなれば、なんとロウソク400億本分以上の明るさだといいます。わたしたちはそんな桁違いに明るさに慣れきって、それが当たり前だと思い込んでいる世代です。(p29)
でも、たとえ都市では光害のせいで星が見えないとしても、田舎や山奥にいけば星が見るじゃないか、その夜空はきれいだけど、ゴッホの絵とは似ても似つかないよ。
わたしはそう思っていましたが、とんでもない勘違いをしていました。田舎に行けば星空が見えるというのは間違いです。田舎の空でさえ、深刻な光害の影響を受けているからです。
アメリカ合衆国の国土は広大で、人里離れた田舎や国立公園もたくさんあります。でも、厳密に光度を計測してみると、その中で本物の夜空を見ることができる場所はたった3ヶ所しかなかったとか。(p319)
産業革命以前の社会、まだ街路灯どころかガス灯さえない時代は、そんな夜空がどこででも見られました。ガス灯が普及しはじめたゴッホの時代も、まだ郊外に行けばそんな星空が見られたはずです。しかし今では、探せど探せど簡単には見つからなくなってしまっています。
綺麗な夜空の写真くらい、インターネットで検索すれば、簡単に見つかるのでは、なんてレベルの話ではありません。アメリカ合衆国で本物の夜空を探し続け、何度も味わってきた国立公園局ナイトスカイチームのダン・デュリスコーは、この本の中でこう言い捨てていました。
コンピューターで見たってクソの役にも立たない。そんなのまったく血の通わない無味乾燥な経験だ。(p322)
本物の夜空がどれほど美しいかは、経験してみなければ想像すらつかないといいます。国立公園の夜空のポスターを手掛けてきた芸術家のタイラー・ノードグレンは、こう言っていました。
誰もが街なかで育っているから、ほかに考えようがないんだ。本来ならば無数の星が見えるはずだとか、天頂から地平線まで星で埋め尽くされるべきだなんて、もはや誰の頭にも浮かばない。
人々は地元で見慣れたオレンジ色の光を見て、空ってこんなもんだろうと思うのさ。(p336)
ゴッホの見た色とりどりの夜空
わたしたちは、一度も見たことのない夜空がどんなものなのか、もう想像さえできません。けれども、地球上にはまだごくわずかに本物の夜空を見に行ける場所が残されています。そこでの夜空がどんなふうに見えるのか、この本ではこう表現されていました。
星が色とりどりに見えるなんてありえない。そんなのはウィリー・ウォンやルイス・キャロル、もしくはフィンセント・ファン・ゴッホの世界だという先入観もあるだろう。
しかし、立体的な美しさをくっきりたたえた星空を十分に暗い場所で、十分な時間見つめていれば、誰しも赤、緑、黄、オレンジ、青の光が瞬くのがわかるはずだ。
それだけじゃない。このオランダ人画家のように、「星を見上げると、いつも夢を見ている心地になる」かもしれない。(p52-53)
なんと、本物の星空を見上げると、夜空が色とりどりに見えるばかりか、立体的にさえ見える、とあります。本当なのでしょうか?
絵を描いている人なら知っている通り、暖色系の色は近くに浮き出て見えるので進出色と呼ばれています。逆に、寒色系の色は逆に遠くに見えるため後退色と呼ばれます。
星は年齢によって色が変わるので、夜空が十分に暗く、星の明かりをはっきり見分けられるなら、夜空は色とりどりに見えます。しかも、満点の星空なので、空一面が、さまざまな色で埋め尽くされます。
古代の人たちが、どの文化でも夜空に星座を見つけてきたのは、夜空が色とりどりだったからでしょう。もし星の色がほとんど区別がつかないなら、夜空に特定の図形を見つけることは不可能です。でも、星が色とりどりであれば、進出色と後退色によって立体的に見えるので、特定の星同士が結びついて浮き出ているように見えます。すると、どの地域から見ても、どの文化でも、同じ星の集まりが見えている場所では似たような星座が見つかることになります。
ゴッホの時代にも、そんな色とりどりで立体的な夜空が見えたのでしょうか。この本によると、ゴッホは1888年の手紙の中で、南仏の海岸から見える星空について、こう書いていたそうです。
深い青の空には強いコバルト色の基本的な青よりももっと深い青の雲が飛散っていた、それからもっと明るい蒼白い天の川のようなものも。
青を背景にして星が明るく煌き、緑がかり、黄色に、白く、かすかに紅く、われわれの故郷やーパリよりも一層、宝石のように輝いていたーまるで猫眼石、エメラルド、瑠璃、ルビー、サファイアのようだった。(p52)
この星空の表現は、精神病の狂人による妄想でしょうか。わたしにはまったくそうは思えません。頭上に広がる美しい夜空を、芸術家らしい審美眼で味わい、的確に表現している正気の人間の感想だと思います。
ゴッホはまた、「夜は昼よりもたくさんの色であふれている」とも書いたとか。これも一見すると、ただの詩的な表現に思えますが、そうではないはずです。すべてが明るく見える昼間と違い、本物の夜空は漆黒のスクリーンのような働きをするので、星々が放つ色のコントラストが際立って、より色鮮やかに見えるはずだからです。(p23)
しかし、本当に当時の人はみなそんな美しい夜空を見ていたのでしょうか。ただゴッホだけが、アブサン中毒の幻覚にあてられて、ありえない夜空を見ていたのではないでしょうか。
いいえ。現代でもごく限られた地域ではゴッホが見たような星空を見ることができます。イギリス海峡に浮かぶサーク島は、国際ダークスカイ協会から本物の夜空が見えるというお墨付きをもらっている場所のひとつですが、そこに住むアニー・ダッシンガーは、こう語りました。
この島で見る星は本当にすごいの。…ある晩、ゴッホの『夜のカフェテラス』そっくりな星空を見たわ。星はなぜか、私がちょっと飲んでたからかもしれないけど、みんなとても大きくて燃えているようだった。私はめまいがして、家の壁に必死にしがみついた。
…一番いいのは、星がとてもきれいな夜に野原へ行って、ごろんと仰向けになって空を見ること。最初は300か400くらいの星しか見えなくても、そのうちだんだんよく見えるようになって、しまいには空全体が星に埋め尽くされてしまう(p244)
光害にまったく汚染されていない本物の夜空が見える地域に行けば、今でも、ゴッホが見たような夜空を経験できるのです。アニーがほろ酔いだったように、ゴッホが見た星空の印象も、アブサン飲料による誇張がいくぶん入っていたかもしれませんが、それでも彼が見ていたのは「精神異常者の妄想」ではなく本物の夜空でした。
一度はゴッホの夜空を見てみたい
ゴッホが描いた色とりどりの鮮やかな夜空は、妄想でも空想でもなく、じつは当時ごく当たり前のように見えていた本物の夜空だったのではないか、という仮説がもっともらしいのは、ゴッホの絵が生前ほとんど売れず、死後に大ブレイクした理由を説明しているところでしょう。
ゴッホは19世紀の終わり、つまり、産業革命でガス灯や電灯が設置され、光害が一般的になる直前の、境目といえる時代に生きていました。
それ以前の人たちにとっては、色とりどりの夜空はごく当たり前だったので、ゴッホの絵はさして独創的でもなく、わざわざ買いたいと思うほどの作品でもありませんでした。ちょっと郊外にいけば、ゴッホが描いたような星空が見れるからです。
しかし、ゴッホの死後、街路灯が普及したころになると、本物の夜空をほとんど見たことのない人が増え始めます。本物の星空が珍しくなるとともに、ゴッホの星空は独創的だとみなされはじめ、徐々に評価が高まります。
19世紀の終わりに、ゴッホは南仏の田舎で古い時代の夜を描いた。20世紀の初めに、バッラは都会で現代に通じる夜を描いた。
やがて、バッラが描写したような電灯は欧米諸国に広がり、おそらくそれと同時に、ゴッホの作品の人気も加速したー実生活で星降る夜の眺めを失った僕たちにとって、ゴッホの目を通して見た夜、彼が知り尽くし、愛情を注ぎ、ガス灯の光のもとで感じた夜は、ますます幻想的なものになっていったからである。(p54)
ゴッホの描いた星月夜が、これほど高く評価されるようになったのは、ゴッホの見た夜空が、今はもうほぼ存在していないからなのかもしれません。現代人が一度も見たことのない夜空だからこそ、ことさら幻想的に思えるのかもしれません。
ゴッホは特に日本で人気のある画家のひとりですが、日本が光害大国でどこもかしこも電灯の明かりで汚染されていることと無関係ではないのかもしれません。
この本でも引用されていますが、早くも1933年に、谷川俊太郎は「陰翳礼讃」の中で、「近頃のわれわれは電燈に麻痺して、照明の過剰から起る不便ということに対しては案外無感覚になっているらしい」と書きました。(p377)
谷川俊太郎はまだ、本物の夜空の片鱗を記憶している世代の人だったので、自分たちが明かるすぎる光害に麻痺しかけていることに気づくことができました。しかし、それから1世紀近くが経った現代のわたしたちは、もう数世代にわたって、本物の夜空を見たことがありません。
わたしたちの曾祖父母あたりになれば、本物の夜空を見たことのある人もわずかにいるかもしれません。しかしすでに電灯が普及しはじめてから生まれ育った人は、生涯に一度も本物の夜空を見たことがないので、ゴッホが描いたような夜空がこの世界に存在していることを想像さえできません。
この本によると、このような現象は心理学者ピーター・カーンによって環境性・世代間健忘と呼ばれているそうです。
心理学者のピーター・カーンは、この現象を「環境性・世代間健忘」と呼ぶ。
「問題は、問題があるということに気づかないこと」。なぜならそれ以上よいものを誰も知らないからだ。(p327)
僕たちは(そしてどんな世代でも)、両親や祖父母が知っていた自然の美や豊かさの多くがすでに見られないなど、判断のための基準が変化していても、自分が受け継いだ世界を正常だとみなすものである。(p366)
わたしたちは、自分が生まれてこのかた見てきた夜空が「正常」だと思い込んでいます。満天の星空、という言葉は知っていても、田舎やプラネタリウムで見れるくらいの程度のものだと思い込んでいます。もう何世代も本物の星空を見ていないので、自分たちが何を失ったかも知りません。問題があるということに気づけません。
自分が経験してきたものを「正常」とみなして判断しているので、ゴッホが描いたような色とりどりで立体的な星空は、精神異常者の妄想、よくてファンタジーの産物だと考えてしまいます。本当は、ゴッホのほうがいたってまともで、わたしたちの側が異常な世界に生きているにもかかわらず。
わたしは、この本を読んで、本物の星空を見てきた人たちのさまざまな経験談を読んで、一度は本物を見たい、と切に思うようになりました。わたしはこれまでたくさん星空の絵を描いてきましたし、ゴッホの「星月夜」には憧れを抱いてきました。でもそれは、あくまで、ファンタジーやメルヘンの表現としてでした。それが現実に存在するとは考えてもみませんでした。
本物の星空を見たいならどうすればいいのか。一番いいのは、この本で紹介されているような場所に旅行してみることでしょう。アメリカ合衆国のデスバレー国立公園とか、モロッコの山奥、カナリア諸島、ブラックロック砂漠などなど。でも、どれも簡単に行けるような場所ではありません。たとえ行けたとしても、本物の星空が見れるかどうかは天候に左右されます。
本物の夜空が見られる場所を探すには、専門団体の力を借りる必要があります。その中でも特に有名なのは、国際ダークスカイ協会(IDA)によるダークスカイパーク(星空保護区)認定の取り組みです。この取り組みは、やすやすと行くことのできない奥地ではなく、旅行に行けるような場所のうち、地域ぐるみで星空の保護活動に取り組んでいる場所を星空保護区として認定しています。夜空の暗さが測定され、一定の規準を満たしており、周辺の照明も光害に徹底的に配慮されていることが必要です。
日本ではまだ星空保護区に認定された場所はひとつもありませんが、沖縄の八重山諸島の石垣西表国立公園が日本初の認定へ向けて申請手続きを進めているそうです。
プレスリリース: 日本初の「星空保護区」認定へ向け、申請手続きが完了 | 国際ダークスカイ協会 東京支部 (IDA東京)
まだ3年以内に屋外照明の3分の2以上を改修する必要があるらしく、本認定には至っていませんが、すでに、星空保護区となる予定の場所を舞台にしたツアーが実施されているとのこと。
星空保護区候補エリアプレミアムツアー | TOUR MENU
さすがに、モロッコ山中のような秘境の奥地で見れる星空にはかなわないでしょうが、比較的手軽に行ける場所として、第一候補になるのは間違いありません。
この記事で考えたように、ゴッホがわたしたちと同じような悩みや葛藤と闘った正気の人であったとしても、ゴッホが平凡な画家だった、というわけではありません。
ゴッホと同時代の画家たち、それ以前の世代の画家たちは彼のような絵を描かなかったのですから、ゴッホの夜空の絵はゴッホにしか描けなかった特別なものであるのは間違いありません。
産業革命以前の人たちにとっては、色とりどりの夜は当たり前のものでした。しかしゴッホは絵を描き始める前からずっと「生涯続いた夜への愛情」を抱いていたようです。(p399)
おそらく、人との関わりの難しさや生きづらさに悩まされたゴッホにとって、夜の星空は生涯変わらぬ心の支えだったのでしょう。夜空をこよなく愛したゴッホだからこそ、本物にしかない美しさを表現できたのだと思います。
ゴッホの星月夜の絵は、単なる模写ではありません。チャールズ・A・ホイットニーによると、ゴッホはサン・レミの病室で「一ヶ月ほどかけて寄せ集めたイメージから、彼独自の空を組み立てた」ようです。(p399)
星月夜は、どこからともなく生み出された狂人の妄想ではなく、現実の経験にもとづいていました。ゴッホは、それまでに見た本物の星空の記憶という「素材」を、彼独自の味付けで料理し、こよなく愛した本物の夜の魅力を描き出すことに成功したのです。
ゴッホが人生をかけて愛しつづけ、生涯の最後まで表現しようと試みた夜空、ゴッホの時代にはまだ存在し、今はほとんど誰も見たことのない本物の夜空。わたしもぜひ、それをひと目見てみたいものです。