希望を胸に Hold the Hope

闇垂れ込める暗い日々
世界を覆う黒い雲
生き物たちは死に絶えて
地はひび割れて水枯れる

明るい朝の光さえ
とおの昔に失われ
来る日も来る日も暗がりで
手探りながら生きるとも

決して消えないこの炎
明日を照らして燃え盛る
むらくも貫き天高く
かがり火となり世を照らせ

どんな闇でも暗夜でも
導き登る旗印
それは希望という名の火
心の奥の絶えざる火

久しぶりにイメージが降ってきた

たいへん久しぶりになりましたが、新作を描くことができました。写真の模写ではなく、空想のイメージによる絵としては、実に1年以上ぶりの絵となります。

最近は、自然観察を中心に楽しんでいて、めっきり絵が描けなくなりました。

当初は、絵が描けないことに悩んで、せめて模写でもいいから、どうにかして絵を描けないかと考えていました。しかし、2/17の日記に書いたように、無理して絵を描こうとする必要はない、という結論に至りました。

わたしにとって、絵を描くことは大切なアイデンティティでした。しかし、わたしはこれまで、その時々の環境に合わせて、性格も趣向も次々と変化してきました。今の環境でわたしが没頭できるのは、絵を描くことではなく自然観察なんだ、と気づきました。

しかし、不思議なことに、そうやって絵を描くことへの執着から解き放たれたと思ったら、こうしてアイデアが降ってきてしまうのです。

本当のところを言えば、描きたい絵のアイデアは常にあります。でも、今という大切な時間を犠牲にしてまで形にしたいと思えるような、価値あるアイデアはめったにありません。

今回突如降ってきたアイデアはそういうものでした。これは描きたい、形にしたい、描かなければならない、と久しぶりに思えました。

毎年、遠方の友人などに年始の挨拶としてポストカードを送っていましたが、今年は何も描けず、送るものがありませんでした。けれども、やっと絵を描けたので、遅ればせながら手紙を送れそうです。

製作後記

・もともと考えていた構図について
この絵は本来は、友人たちに年末年始の手紙で送るために描くつもりでした。ですから、構想自体は昨年からぼんやりと頭にありました。しかし、どうしても描きたい気持ちになれませんでした。

もともと考えていた構図は、嵐の中、手前に子どもたちが立って明るい希望の光が指す方角を見上げて決意を抱いているような場面でした。子どもたちが立っているのは嵐のただ中で、希望は将来を照らす光だったのです。

しかし、さる3/8(日)の午前に、突然まったく違う構図が降ってきました。全体像は似ていますが、主旨はまったく違います。

新しい構図では、子どもたちがいるのは嵐のただ中ではなく、希望の光のただ中であり、希望は将来ではなく、今この瞬間を照らす光になりました。ある意味、以前とは正反対の場面になりました。

単純に見えて、この変化はとても大きなモチベーションにつながりました。イラストの伝えたいメッセージが明確になるだけでなく、子どもたちの表情もしっかり描けるからです。初期の構図は迫力はありましたが、顔の表情が見えませんでした。

しかし、ラフスケッチを描いてみると、以前にも似た構図を描いたように思え、代わり映えのなさが感じられました。例えば、以前の以下の絵の構図と似ているなと漠然と感じます。忘れているだけで他にもありそうです。

春のおとずれ Spring Has Sprung
長い冬の終わりに色が芽生えた

それで、思い切って、斜めから光が差し込んでいる構図のラフスケッチも描いてみました。以前から多用する斜めの構図ですが、今回の絵には直感的にはどうしても合わなさそうに思えたので、ダメ元で試してみただけでした。

しかし、驚いたことに、ラフスケッチの段階で、元の構図より印象がはるかによかったので、こちらで制作することに決めました。とりあえず描いてみないことにはわからないものです。

・塗り方について
これまでは基本的に、「ゆめまな物語」シリーズを水彩ツール、「空花物語」シリーズを油彩ツールで描いてきましたが、もはや一年に一度しか描かないのに贅沢は言っていられません。今回の絵では両方のツールを駆使しています。

まず、最初に描いたのは、背景の闇の中の荒廃した世界のほうです。昨今の環境破壊、疫病、災害、腐敗する人類社会などを表す要素を盛り込みました。

こちらは雰囲気的には、明るい「ゆめまな物語」ではなく、影のある「空花物語」の世界観に近いので、油彩ツールなどを使って、厚塗りで仕上げました。重厚感のある背景にはよく向いています。

この後もっと暗くして、暗い紺色に統一することで、明るい希望の光と並べた時に、補色による対比が際立つように修正していきました。

一方、その希望の光の部分は、「ゆめまな物語」らしい明るく柔らかいタッチにしたかったので、水彩ツールを使って描きました。

こうして、構図の中の対照的な部分を、色相、タッチ共に別々の方法で描くことにより、一枚の絵として合成して見たときに、劇的なコントラストが生じるように狙っています。

・鳥たちについて
上の制作過程の図では、鳥たちがすべてエゾライチョウになっています。しかし、描き上げた後、色合いが見づらかったので、修正することになりました。

完成版では、地面にいるのはエゾライチョウの親子、手に乗っているのはシマエナガ、そして空中を飛んでいるのはコガラとなっています。

以前は想像やネット上の資料に頼って、名もなき鳥ばかり描いていましたが、今では自分がちゃんと観察して、実際に知っている鳥を描けるようになったのが感無量です。

また、草原に散っている花はエゾエンゴサクのつもりですが、あまり主張が強くならないよう、何の花が判別できない程度の模様にとどめています。

・その他苦労した点など
非常に苦労したのは、子どもたちの表情です。斜めから見た顔の目鼻立ちが、何度修正してもしっくりこなくて、何時間も格闘しました。

昔、絵を描き始めたころも、目がうまく描けず、修正地獄に陥ったことがよくありましたが、近年では久しぶりでした。さすがにブランクが空くと、どう描いていたのか忘れてしまうのかもしれません。

しばらく悩んだ末に、「しっくりこない時は微細な修正を繰り返すのではなく、いちから描き直したほうがいい」という大原則を思い出し、顔を消して描き直してみたら、うまくいきました。

何かがバランスが悪いと感じられるときは、頭で考えて修正を繰り返すと袋小路にはまりこみます。思い切って消してしまって、感覚を頼りに描いてみたほうが、うまく仕上がります。

ところで、久しぶりにネコのファンタスを描いているとき、「ああ、ファンタス、生きてたのか!」という妙な気持ちになりました。キャラクターは作者が描いてこそ生き続けられるということでしょうか。一年ご無沙汰していましたが、再会できて嬉しかったです。

久々の大作になりましたが、幸いだったのは、Painterが安定していたことです。

去年絵を描いていたとき、Painterの動作が不安定で、すぐ重くなったり、ショートカットキーが効かなくなったり、勝手にエラーで終了したりしてイライラしました。絵を描くのが億劫になった一因でした。

もうPCのスペックが足りないのだろう、と諦めていましたが、今回の制作では、一度も不安定になりませんでした。この一年のあいだに何が変わったのか? Windowsのシステムが更新されたおかげ? 不思議です。

今回の絵では、水彩・油彩を両方使っている上、レイヤーも30枚くらい重ねて作業していたので、内部的には相当負荷がかかっていたと思われますが、とても快適に描けて楽しかったです。

これで気を良くして、また絵を描けるようになれば良いのかもしれませんが、たぶんそうはならないと思います。新作を描くとすれば、また来年になるでしょう。

自然観察に忙しいし、新しい絵を描いたところで見せる相手もいません。友だちにあげるカードとしては年始に一枚と、大量にある過去絵で十分です。

もし仮にわたしが重病にでも罹って、家や病院から出られなくなったら、また絵のペースは上がると思います。しかしそうでなければ、また来年、新しい絵を描く必要に駆られた時に新作を描く、ということになりそうです。

投稿日2021.03.10