芸術的な感性が鋭いHSPの7つの特徴―繊細さを創作に活かすには?

HSPという言葉を知っていますか?

わたしはわりと最近になって知ったのですが、HSPとは、“High Sensitivity Person”、つまり「とても敏感な人」を意味する心理学のことばで、生まれながらに、敏感で繊細な感受性を持つ人のことを言うそうです。

この概念を作ったのは、エレイン・アーロンという心理学者で、1996年に出版されたThe Highly Sensitive Person: How to Thrive When the World Overwhelms You (邦題 : ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫))を通して、広く知られるようになりました。

ということはもう20年も前に発表された概念なわけですが、心理学や精神医学という世界は、いろんな派に分かれて、それぞれが独自に発展していっているので、なかなかわたしの興味の範囲では、これまで目に触れる機会がなかったみたいです。アーロン先生とHSPの概念は、かのカール・ユングの心理学の延長線上にあるようです。

わたしがHSPという概念について知って、興味を惹かれたのは、わたし自身の生まれつきの性質や、芸術的な領域と、深く関係している、ということがわかったからでした。アーロン先生は、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。の中でこんなことを書いています。

ほとんどすべてのHSPには芸術的な面があり、「表現すること」を好んだり、芸術を深く愛したりするようだ。

中には、自分の天職は芸術家だと思う人もいるだろうし、本当にそれで生計を立てる人もいるだろう。

著名な芸術家のパーソナリティに関する研究報告のほとんどが、彼らの人格の中心にあるのは「敏感さ」だとしている。(p199)

このサイトの記事でも、これまで、芸術的感性とは何なのか、クリエイティブな才能はどこからくるのか、といったことをあれこれと考察してきましたが、その核心にあるのは、「敏感さ」、つまりHSPの性質ではないのだろうか、と思い至りました。

どうして、生まれながらの「敏感さ」が、芸術的な感性と結びつくのか。なぜHSPの人は芸術にこよなく惹かれるのか。

この記事では、アーロン先生のいくつかの本から、HSPの人が、芸術に向いている理由を7つピックアップしてみました。

HSPの特徴と、よくある誤解

HSPがなぜ芸術に向いているのかを考える前に、まず、HSPってどんな人のことなの? という点をちゃんと知っておかないといけません。

アーロン先生の本には、どの本にも必ずHSPの自己チェックリストがついていますが、簡単にいうと、こんな特徴があれば、HSPです。

■人の気持ちを汲み取るのが得意で感情移入がこまやか
■だれかの悲しみや痛みや怒りにさらされると圧倒されてしまう
■刺激に敏感で人混みやまぶしい光や大きな音が苦手
■美しいものに感動して胸がいっぱいになりやすい
■まず考えてから行動する慎重な性格
■直感力が鋭く、人より早く答えに気づく

こうした特徴すべてをまとめて、中心にあるのが、感受性の強い繊細な神経だということになります。

こうした繊細な神経の持ち主は、カール・ユングによると、だいたい四人に一人くらいるのではないか、とされていて、アーロン先生らのアンケートでも、人口の15~20パーセントくらいの存在すると見込まれています。意外と多いんだなーと感じますね。

しかし、アーロン先生は、HSPの人は、さまざまなネガティブなイメージを持たれやすいと述べています。その中にはたとえば…

臆病・怖がり・シャイではない

HSPの人は、神経が敏感なので、怖がりだとか臆病だとか、勇気や大胆さに欠けている引っ込み思案な人、というイメージをもたれやすいようです。でも、アーロン先生によると、それは大きな誤解。HSPの人は生まれつき敏感な神経を持っていますが、決して臆病ではありません。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。の中に、こう書かれていました。

「シャイ」は、ある状況に対する反応でしかない。これはあくまで一時的な精神状態であり、あなたの生まれ持った資質ではないのだ。

「敏感さ」は遺伝するが、「シャイ」は遺伝しない。私はまったくシャイでないHSPにもたくさん会ったことがある。(p155)

臆病や怖がり、シャイというのは、生まれつきではなくて、後天的な性格だそうです。つまり、HSPだから、ではなく、何か怖い思いをしたり、トラウマを経験したりした人が、怖がりになってしまうということです。

神経質・心の弱さではない

HSPの人は、あまりじっくり考えないタイプの人たちから、「考え過ぎ」「気にしすぎ」とよく言われます。神経質すぎて扱いづらい人だ、と思われてしまいます。はては、ヒステリックだとか、うつ病など心の病を抱えやすい、といったネガティブなイメージを持たれることもあります。

しかし、これも研究によれば誤りだとわかっています。アーロン先生は、ひといちばい敏感な子のなかで、こんな研究を紹介していました。

私自身の研究でも、大きな問題のない小児期を送ったHSCが、不安や抑うつ状態、臆病な性格になる割合は、HSCでない子と差がないという結果になりました。

さらに、2つの研究により、よい幼少期を過ごした「鋭く反応する子ども(つまりHSC)」は、そうでない子どもより、病気やケガになりにくいという結果が出て、心も体も健康であることが示されています。(p62)

HSCとは、HSPの「P」Personの部分を「C」Childに換えた言葉で、生まれながらに繊細な子どものことを言いますが、そんな子どもは、決して神経質になりやすいわけでも、心の病になりやすいわけでもありませんでした。

どんな性格になるかは、やはり生まれ育った環境が大きく関係していて、良い環境に恵まれた場合は、繊細でない子どもよりも心身ともに健康になるとも言われています。

女々しいわけではない

HSPのような、繊細で感受性が強い、という性格は、多くの文化で女の子らしい性格とされがちです。男の子は勇敢で雄々しく、女の子はおしとやかで繊細に、といったステレオタイプがあるからです。

けれども、このサイトの以前の記事でも紹介したとおり、そうした固定観念は、男女のもともとの脳のつくりではなく、ジェンダー(文化的な性)に基づくものです。

本来、男性と女性の脳には言われているほどの違いはないので、育てられ方によっては、男の子が“女々しく”なったり、女の子が“雄々しく”なったりすることは十分にあります。上の記事で触れたマサイ族の男性、カージ族の女性は生きた実例、論より証拠の最たるものですね。

そんなわけで、アーロン先生も、HSPの男女についての本、敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。 の中で、「男性と女性とは、お互いに思っているほど異なってはいない」と述べて、特に「HSP女性とHSP男性は驚くほど似ている」と書いています。(p67,70)

内向的とは限らない

HSPとよくセットで語られるのは、内向性という概念です。内向性、外向性というのは、もともとカール・ユングが考えた分け方ですが、ユング自身、内向性と外向性ははっきり区別できるものではなく、同じ人間の中でも入れ替わりうると考えていました。

HSPは確かに、刺激に圧倒されやすいので、静かな場所や一人でいることを好み、じっくり考えるのが好きですが、HSP=内向型人間なのだ、と結論してしまうのは誤りです。

アーロン先生は、敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。 で、HSPの人の7割は内向的であるものの、残りの3割は外向的だという研究結果を載せています。

「社会的内向性」の定義にのっとってテストをしてみると、HSPの30パーセントは内向的ではなかった。外向的だったのだ。

それゆえ私はHSPの特徴は内向性ではなく敏感さであると定義している。そうすれば外向的なHSPも混乱しないですむだろう。(p47)

もともとHSPの人は、人の気持ちがよくわかるので、接客や介護のような、コミュニケーション力を生かしたサービス業につくことも多いと言われています。

HSPの人が内向的になりやすいとすれば、それはさっきのシャイな性格と同じく、後天的な環境によるものだと言われています。

興味深いことに、アーロン先生の夫の社会心理学者アートは、あの有名な「吊り橋効果」の研究に携わっていたそうです。(p147)

吊り橋効果というのは、吊り橋の上でプロポーズされると、本当は高所のせいでドキドキしているのに、相手を好きなせいでドキドキしていると無意識のうちに勘違いしてしまい、恋が実りやすい、というなんとも不思議な実験のことです。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。によると、HSPの人は、光や音などのささいな刺激に敏感なのでドキドキしやすいのですが、人の多い場所でドキドキすると、対人不安のせいで緊張していると勘違いしてしまい、引っ込み思案になる、ということが実験でわかっているそうです。(p158,224)

自己主張に乏しいお人好しではない

HSPの人はおとなしくて、自己主張に乏しい、と思われることもあります。確かに相手の気持ちに敏感なので、いい人になりすぎて、相手に合わせすぎることもあります。

でも、HSPの人は、相手の気持ちがわかるからこそ、時には積極的に自分からだれかを気にかけたり、フォローしたり、適切なアドバイスを与えたりして、はっきりと自己主張すべき時を見きわめることができます。

敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。 の中で、アーロン先生は、研究を通して、HSPらしさを持っていると感じた歴史上の人物を紹介しています。

私にとっての「真の」HSP男性は、アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントン、ロバート・F・ケネディ、映画監督のイングマール・ベルイマン、詩人のライナー・マリア・リルケ、心理学者のカール・ユングなどが手はじめに思い浮かぶ。

HSP女性では、神秘主義者のテレサ・デ・アビラ、アメリカ合衆国大統領夫人エレノア・ルーズベルト、詩人エミリー・ディキンソン、彫刻家カミーユ・クローデル、作家ジェーン・オースティンやブロンテ姉妹、考古学者マリア・ギンブタス(女神文化についての科学的調査をおこなった)などだ。(p91)

この面々を見ればよくわかりますが、決して自己主張に乏しい人たちでもなければ、お人好しな人たちでもありません。だいたい、この人たちが自己主張に乏しかったなら、今頃こんなところで名前が出るほど、歴史に名を残すことはなかったでしょう。

アーロン先生は、ひといちばい敏感な子の中で、HSPの人が向いている職業を挙げています。

昔から、敏感なタイプの人は、科学者やカウンセラー、宗教家、歴史家、弁護士、医師、看護師、教師、芸術家などの職に就いてきました。(p46)

これらの職業に共通するのは、まずじっくり考えること、そして、相手の気持ちをよく考えながら、適切な時と方法を選んではっきり自分の意見を表現できることです。アーロン先生は、HSPの繊細さや感受性の強さは、スポーツ選手やビジネスマンといった職業でもプラスになると述べています。

つまり、HSPとは、臆病で、引っ込み思案で、神経質で、女々しくて、内向的で、自己主張に乏しいお人好しな人ではない、ということです。環境のせいで、そうした性格のいずれかを身に着けてしまうこともありますが、繊細さや感受性の強さをうまく活かせば、適切な仕方を選んではっきり自己主張できる人たちなのです。このあたりの話について詳しくはこちらで。

前置きが長くなりましたが、HSPっていったいどんな人?ということは、おおまかにわかってもらえたのではないかと思います。

ここからは、そんな繊細で感受性の強いHSPの人たちが、なぜ芸術の分野で自分を活かせるのか、という本題に入っていきましょう。

1.空気感を読み取れる

HSPの人が芸術に向いている理由のひとつめは、まず何よりも、その繊細さ、つまり感性がこまやかなところです。

芸術というのは、形にならないものをうまく捉えて表現するセンスが求められます。美しさや悲しさ、懐かしさ、親しみやすさ。芸術家には、そんなとらえどころのない雰囲気を読み取って、作品という形にまとめて表現するスキルが必要です。

HSPの人は、そんなあいまいな空気を読み取って、肌で感じるのが得意です。アーロン先生は、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 でこんなふうに書いています。

たいていの人は、部屋に入ると、家具やそこにいる人に目がいく。せいぜいそれくらいしか気づかない。

ところが、HSPは一瞬にして、自分がそこにいたいかどうか、その場の雰囲気は自分に友好的か敵対的か、空気は新鮮でよどんでいるか、花を活けた人はどんな人柄かなどということまでを察してしまう。(p37)

HSPの人は、人の気持ちや、感情、その場の空気感、雰囲気、といった目に見えない印象を捉えるのに長けています。

これは、脳の共感システムが強いからなのだそうです。

ひといちばい敏感な子によると、2010年のビアンカ・アセヴェッド(B.Acevedo)の研究で、人が写っている写真を見たとき、HSPの人はそうでない人より、脳の島皮質と呼ばれる場所や、ミラーニューロンと呼ばれる神経が活発だったそうです。(p427,431)

これらの場所は、他の人に感情移入したり、共感したりするために使われる部分で、“神経Wi-Fi”にたとえられることもあります。Wi-Fiというのは、iPadやパソコンで使う無線の電波の受信機のことですね。アンテナマークが数本しっかり立っていれば、電波感度は良好だとわかります。

HSPの人は、人の気持ちや場の雰囲気を受信する“神経Wi-Fi”のアンテナの感度が鋭いので、普通の人以上に共感したり、空気を読んだりするのが上手なのです。

こうした見えない空気感をしっかり読み取れる敏感さは、芸術の創作にとってプラスに働きます。

視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書) という本に、わたしが好きな印象派の画家、クロード・モネの、こんな言葉が引用されていました。

わたしはかなわない望みを抱く。

ほかの画家は橋を、家を、小舟を描いてよしとする。それで完成だ。

わたしは橋や家や小舟を取り巻く空気、こうした物たちが存在する場所の空気の美しさを描きたい。だが、描くのはほぼ不可能に等しい。
―クロード・モネ(p150)

モネは、ただ見た風景を模写しようとしたのではなく、その場に漂う、言葉にならない、目にも見えない空気感を表現しようとしていたようです。「描くのはほぼ不可能に近い」なんて謙遜していますが、彼のすばらしい光の表現を見れば、まさしく空気感を写し取っていたことが感じられます。

別の本、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)には、モネのこんな言葉も載せられていました。

絵を描きにいくときには、木、家、野原、何であれ、目の前の対象を忘れる努力をする……ただ、そこに小さな青い塊、ここにはピンクの長方形、こっちには黄色の線があると考え、自分自身のナイーヴな感性で目の前の情景がつかめるまで、ただ見えるがままの精密な色と形を描く。(p286)

モネは、「ナイーヴな感性」を導きとして、情景の要素をつかみとろうと努力していました。

情景を一枚の写真のように模写するのではなく、その場に深く入り込んで空気感を味わい、感性のままに筆を動かしたモネは、まさに「ナイーヴな感性」を特色とするHSPの人が、なぜ芸術に向いているのかを物語る好例といえるでしょう。

モネがHSPだったかどうか、わたしは判断できる立場にいませんが、HSPとはつまり繊細な感受性のことだとアーロン先生は言っているので、自分が「ナイーヴな感性」を持っているというモネの言葉そのものが、HSPだと名乗っているようなものだと思います。少なくとも、わたしは、モネの作品群を見るとき、こまやかな感性をはっきりと感じます。

2.感覚が敏感で圧倒されやすい

HSPが芸術に向いている二つ目の理由は、感覚が敏感で圧倒されやすいことです。

圧倒されやすいなんて言うと、あまりいい感じがしないかもしれません。現に、HSPの人は、人混みや騒々しい音、まぶしい光、強い香料などが苦手です、うるさい場所にいると、圧倒されて混乱したり、イライラして落ち着かなくなってしまうこともあります。

ひといちばい敏感な子の中で、アーロン先生は、HSPの子ども、つまりHSCについて、こう書いています。

HSCはたくさんのことに気がつくので、気が散りやすい傾向にあります。

ただ通常は、受け取った情報を深く処理する性質のほうが気の散りやすさよりも強く、不安のない静かな場所では集中力を発揮することができます。(p57)

さっき考えたとおり、HSPの人はアンテナが鋭いので、たくさんのことに気がつきます。パソコンのWi-Fiは、電波の感度がよいほうがパフォーマンスはよくなりますが、人間の場合、さばける情報量には限りがあります。

HSPの人は、感覚が鋭いだけでなく、心の中でもあれこれと人いちばいよく考えているものなので、外から内から、刺激や悩みに圧倒されてしまうと、持ち前の集中力を発揮できなくなってしまうことがあります。

そんなとき、HSPの子どもは、「過敏すぎる」障害や病気を持っているのではないか、と誤解されることがあります。特に、精神科医のような、こころの異常を見つける専門家にかかると、あれこれ病名のレッテルを貼られてしまいがちです。けれども、それはHSPという特性を知らないことからくる誤ったレッテルです。

医学系の専門家は、敏感であることを病気ととらえる傾向があります。敏感すぎて、受け取った情報を選別したり統合したりできない障害だと考えているのです。

…しかし、私が定義している「敏感さ」とは、治療対象ではなく、ましてや治るものでもないと考えています。

HSCが「過剰に敏感だ」とか、「必要のない情報を受け取る」などという言葉を聞くと、それが本当に正しいのかどうか、さまざまな関連を発見して事件を解決していった、シャーロック・ホームズのような気分になります。(p61-62)

周囲にかき乱されて、不安になったり、落ち込んだりするとき、それが本当に病気なのか、それとも生まれつきの敏感さのゆえに影響されすぎているだけなのかを見極めるには、探偵のようにじっくり見極める目が求められます。HSPの人は、自分をじっくり分析できるので、ちょっと診察して適当に診断するだけの医者よりも、正しい答えを導き出せるでしょう。

HSPの人が医者から貼られてしまいがちなレッテルの一つは、気もそぞろで注意力散漫なADD、つまり注意欠陥障害です。

過剰な刺激を受けて錯乱状態になり、ADD(Attention D Disorder=注意欠陥障害)のような症状を見せる子もいます

(でも、そのような刺激を受けていない時の注意力は良好で、大切なことには集中することができます。(p42)

何を隠そう、わたしも前の記事で書いたように、このADD(注意欠陥障害)だと診断されました。言い換えると、のび太型ADHDというやつですね。

「のび太型ADHD」の本を読んで自分のお絵描き人生の謎が色々解けた話
わたしの創作力はADHDで苦労していたことの裏返しだった

もともと、自分はのび太型ADHDだから、物忘れが激しく、おっちょこちょいで、だけど感性がこまやかで、創造性があるのかな、と思っていたんですが、HSPについて知ってからは、それが感受性の強さから来ていることを知りました。

たぶんのび太型ADHDとHSPというのは同じコインの裏表なんだと思います。同じ子どもでも、心理学者は良いところも悪いところも含めた子どもの気質全体に注目するのでHSPだとみなします。しかし精神科医は、医学的な欠陥というネガティブさに注目しがちなので、ADDだと診断します。

アーロン先生は、HSPとADHDについて触れた続きで、こう書いていました。

前にも述べましたが、異質な行動の原因が敏感さにあるとは、人はなかなか考えないものです

(気質について研究している人々の間では、ADHDの多くは正常な範囲の特性であり、敏感性と同様、誤解されているのではないか、ということが大きな議論になっています。(p65)

ADHDというと、「障害」というイメージが強いですが、そんなにたいそうなものではなくて、感受性の強い敏感な子どもが、それと知らずに学校や家庭で過剰な刺激にさらされるせいで、注意がさまよったり、落ち着きがなくなったりしているのではないか、ということです。

つまり、土台としての敏感さに注目すればHSPとみなせるし、環境からの刺激のせいで落ち着きがなくなるという行動のほうに注目すればのび太型ADHDとみなせる、ということで、けっきょく同じ物をどの観点から見ているかの違いではないか、とわたしは思います。

その証拠に、2011年のデンマークのセシリー・リヒトの研究や、中国のチェンの研究では、HSPではADHDの場合と同じような遺伝子が、敏感さの原因になっているのがわかっているようです。(p436)

アーロン先生が書く、HSPの子どもはこんな子だよ、という描写は、わたしが以前の記事で書いた、のび太型ADHDの人の特徴とぴったり一致していますね。

HSCは、大抵はのびのびしていて、よく知っている人となら積極的に関われる普通の子どもです。人の話を聞くことや自分を表現することも、わけなくできます。

確かにストレスを受けると、動転して何もできなくなることはありますが、機嫌がよく、親しみやすく、好奇心旺盛で、自分に誇りを持っている子どもの姿を、あなたは見てきているはずです。(p68)

こうした感受性の強さ、刺激に敏感で、圧倒されやすいところが、なぜ芸術に向いているのかは、のび太型ADHDの記事でも書いたとおりです。ADHDの人はドーパミンにアンバランスが見られますが、HSPについて扱われている、 過敏で傷つきやすい人たち (幻冬舎新書) という本では、そうした特徴が感覚過敏やクリエイティブな能力をもたらしているのではないかと書かれていました。

たとえば、感覚過敏な人では、コミュニケーション能力や表現能力が高い傾向にあるということが知られています。感覚が過敏な人では、思考や情緒的な体験も豊かで、芸術的な才能や文学的な才能に結びつくこともしばしばです。

感覚過敏に苦しんだ人は、文化人には非常に多いと言えます。…感受性や表現能力とともに、クリエイティブな能力が高いことも、感覚過敏な人の特徴だと言えるでしょう。

これは、ドーパミン系の活動が活発なことと関係しているに違いありません。ドーパミン系の活動は、直感やインスピレーションの源でもあり、感覚過敏は、そうした大きなメリットを享受するための代償だとも言えるのです。(p106)

感覚に圧倒されやすいということは、美しさや楽しさ、色とりどりの感情を人いちばい強く感じ取りやすいということです。そうした感情こそ、芸術を料理するときに欠かせない旬の素材になります。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)によると、画家のアンドレ・マルシャンは、こんな言葉を残していました。

森のなかで、私は幾度も私が森を見ているのではないと感じた。樹が私を見つめ、私に語りかけているように感じた日もある……。

私は、と言えば、私はそこにいた。耳を傾けながら、画家は世界によって貫かるべきなので、世界を貫こうなどと望むべきではないと思う……。

私は内から浸され、すっぽり埋没されるのを待つのだ。おそらく私は、浮び上ろうとして描くわけなのだろう。
(M・メルロ=ポンディ『眼と精神』)(p52-53)

感覚に圧倒されやすいHSPの人は、これと同じような体験をよく味わいます。まわりの自然が、あたかも自分に語りかけてきているかのように感じられ、小鳥のさえずり、森のさざめき、せせらぎの音に包まれて、心が浸され、すっかり満たされます。

そうして心がいっぱいになれば、その材料を使って、自分なりの作品を作り上げることができけます。

マルシャンは「画家は世界によって貫かるべき」と述べますが、まわりの世界からの感覚刺激に圧倒される、つまり貫かれることは、芸術を創るための第一歩なのです。

要するに、おいしい料理を心の芯まで深く味わえるから、自分ですてきな創作料理を作りだすこともできる、ということです。

3.鮮明な夢を見る

三番目の特徴は、鮮明な夢を見る、ということです。敏感な感受性を持っているHSPの人は、どうやら寝ている間も、とても敏感なようです。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。の中で、アーロン先生は、HSPと夢のつながりについてこう述べています。

HSPは無意識と緊密な接触を持つので、生々しい夢や想像の世界、スピリチュアルな世界へと激しく引きずり込まれることが多い。

私たちは、こういう面とうまくつきあえるようになるまで、うまく花開くことはないと思う。(p271)

わたしと夢の話をしだすと、本が一冊書けそうなくらい、毎晩毎晩ひっきりなしに夢ばかり見ています。本を書くまでもなく、昔、このサイトでも、夢についての長い記事を書いたことがありましたね。

幻想的な夢をアイデアの源にしたアーティストたち―なぜ明晰夢やリアルな夢を見るのか
夢を創作に活用したクリエイターたちのエピソードと幻想的な夢のメカニズム

上の記事でまとめたとおり、古今東西、夢と芸術は切っても切れない関係にあって、夢の中にアイデアを求めた芸術家は数知れません。たとえばシャルル・ボードレールやエドガー・アラン・ポーの詩、サルバドール・ダリで有名なシュルレアリスムの絵画などは、夢の世界をそのまま切り取ったような幻想的な雰囲気が特徴です。

夢がアイデアの源になるのは、眠っている間は、脳の抑制システムのたがが外れて、起きている間は意識されない無意識の領域とつながることができるからです。

アーロン先生はこう書いています。

私の経験からすると、HSPは子供のころから無意識との距離が近いようだ。HSPにとって無意識の世界への扉は開きやすいものなのだろう。

そしてこの内面世界に魅了され、人がふつう考えるよりも内面世界が意識的かつ合理的なマインドに与える影響は大きいと気づく。自然にHSPは無意識を尊重するようになり、驚異と戦慄を覚えさえする。(p102)

無意識なんて言うと、なんだかスピリチュアルな感じがしますが、人間の意識に、本人すら気づいていない無意識の記憶があり、ふだんの行動に影響を及ぼしている、ということはちゃんと科学的に証明されています。

たとえばノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの研究では、受け取った情報が無意識のうちに、プライミング効果とか、ヒューリスティックとバイアスといった形で、わたしたちの知らないところで意思決定に影響を及ぼしていることがわかっています。

また、無意識の影響がはっきり観察される病気のなかに、盲視と呼ばれる現象があります。これは、目の機能には問題がなく、ちゃんと見えているはずなのに、視覚が意識と分断されてしまうせいで、意識上では見えないと思い込んでしまう状態です。

こうした様々な発見が示しているのは、無意識とは単なる哲学的な概念ではなく、わたしたちの脳に誰にでも備わっている普通の機能だということです。

わたしたちの脳は膨大な量の感覚を受け取り、膨大な量の記憶を貯蔵していますが、それらをいっぺんに意識することはできず、無意識という倉庫に保存しています。でも、それらの情報は、決してホコリをかぶっているわけではなくて、意識されないまでも、連想や推理のときの材料として、きちんと使われています。

それはちょうど、スープを作るとき、ブイヨンに何が入ってるのか細かなところまではわかりませんが、いろんなものが混ざっておいしい味を引き出しているのと似ています。

寝ている間の夢は、そのような起きている間ははっきりと意識できない無意識のスープストックに直接アクセスするものなので、新鮮な発見や着想が得られやすいのです。

HSPの人たちは、鮮明な夢を見すぎるあまり、ときどき生々しい夢を見てしまうこともあります。わたしはなぜか、今朝、仲良くしていたトリケラトプス(もしかしてとっとちゃん?)の機嫌を損ねてしまい、突然襲ってこられて、逃げ惑う夢を見ました。こうして書くとユーモラスですが、わたしの夢はひたすらリアルなので、あの巨体が迫ってくると、命の危機を感じて、サバイバルそのものです。

こんな夢以外にも、なぜか身近な人と本気でケンカするようなドロドロした夢を見ることもありますし、夜の街で迷って、家族とはぐれてしまい、やたらめったら寂しく心細い気持ちになる後味の悪い夢を見ることもあります。

そんなとき、アーロン先生は、 起きた直後、そのまま自分の見た夢の新しい結末を想像する「能動的想像」(Active Imagination)を試してみるよう提案しています。(p92)

提案されるまでもなく、わたしはよくウトウトしながら、いろいろ想像して、夢うつつのまま続きを思い巡らしたり、実際にそのまま眠って続きを見てしまったりすることがよくあるのですが、こうした夢と目ざめのはざまを旅することが、さまざまなアイデアを思いつくきっかけになっています。

4.アイデアをどんどん思いつく

HSPの人は、起きている間にもアイデアをどんどん思いついて、あっぷあっぷしてしまうことがあります。

普通の人は、アイデア出しに困るそうなのですが、わたしはアイデアというか、やりたいことに困ったことがなく、いつもやりたいことが多すぎておぼれそうになっています。

アーロン先生は、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。で、HSPの人の、まさにそういった特徴をはっきり書いています。

HSPが無理をしすぎてしまう別の理由に、彼らの持つ「直感力」がある。HSPの中にはこの直感力によって、次々と創造的なアイディアを思いつく人がいる。

こういう人は、そのアイディアすべてを表現しないと気が済まない。

だが、考えてもみてほしい。それは不可能なことだ。どれを優先するかを選ばなくてはいけない。

すべてのアイディアを表現しようとするのは傲慢であり、カラダへの虐待となる。(p166)

これは、わたしが感じていることそのもので、とにかくたくさん思いつくのです。物心ついたときから、アイデアを1つ消化するごとに3つくらい新しく思いつくので、到底追いつかず途方にくれてしまうのがわたしの頭です。

だいたい、わたしが体調を崩したのも、たくさんありすぎるアイデアを全部やろうとして、二股三股かけて多方面にいろいろと手を出したせいなので、アーロン先生が言っている「カラダへの虐待」そのものでした。

アイデアが湯水の如く湧き出るなんて言うと、羨ましい!と思われそうですが、これには但し書きがついていて、「どんなアイデアが出るかは選べませんのであしからず」というものです。

絵を描きたいから、すてきなアイデアがほしい!とお願いしたら、絵のアイデアが降ってくる、なんて便利なものではなく、いつ何が降ってくるかはわからないのです。

クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学 の中で、詩人のゲオルク・ファルディはこんなたとえを使っていますが、言い得て妙ですね。

詩人のゲオルク・ファルディは、しばしば真夜中に聞こえてくる「ゲオルク、書きはじめる時間だよ」という「声」が聞こえてくるまで、執筆を始めない。

彼は悲しそうにこう付け加える。「その声は私の連絡先を知っていますが、私は彼の連絡先を知りません」(p129)

この記事を書いている今、新しい絵が2ヶ月半書けていませんが、どういうわけか今は、絵ではなく文章のアイデアが降ってくる時期のようです。もしかすると、全然新作を描かないので、わたしが元気にしているか心配してくださっている方もいるかも?ですが、別のところでひたすら違うものを創作しているのでご安心を(笑) 創作していないと死んでしまう生き物なので、何も創っていないことはありえません。

アイデアはとめどなく湧きますが、何が出てくるか選べないHSPの人は、自分のやりたいことをやるというよりは、出てきたアイデアに沿って、できることをやる、というなんとも気まぐれで不安定な生き方になりがちです。

それをアーロン先生はささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。の中で、「焦点のなさ」と表現しています。

典型的なHSPは、心配性の完璧主義者であることが多い。とかく自分に対して厳しくなりやすいのだ。

また、ある種の「焦点のなさ」も克服すべき点だと思う。

創造性豊かで直感力にあふれるHSPは次々に何百ものアイディアを思いつく。

しかしなるべく早い時点で、いくつかに絞り込み、そのアイディアを実行するための決断を下すことを覚えなければならない。(p198)

まさにわたしは「焦点のなさ」に悩まされていて、あっち飛び、こっち飛びするので、器用貧乏に成り下がって、ひとつのことを掘り下げるのが難しい、という困ったことになっています。

HSPの人にとって、アイデアをどんどん思いつくのは、うまく使えば創造的な才能になりますが、あくまで、「焦点のなさ」をうまくしぼり込むテクニックを身につければ、という条件つきの才能だといえるでしょう。

こうしたどこからか降って湧いてくるアイデアは、詩人のゲオルク・ファルディが述べていたように、内なる別のだれかの声、として意識されることもあります。

「神さまが降りてくる」現象の正体―芸術は本当に「わたし」が作るのか
小説・マンガ・音楽などは脳のデフォルト・モード・ネットワークが創っていた

アーロン先生は、こんな不思議なことを書いています。

ユング派の心理学者がよく言うことだが、私たちはみんな、自分の奥底へと導いてくれる「助け人」を心の中に持っている。

私たちは、たいていこの「内なる助け人」に気づいておらず、誰かに投影している。この「助け人」が現実の世界に存在していてほしいと願う気持ちがあるからだ。

彼らは内的に存在しているのだが、それはなかなか理解しにくい考え方である。

ユング派の伝統的な考えかたによると、男性にとっての「内なる助け人」は、たいてい女性的な魂、「アニマ」と呼ばれるもので、女性にとっては、男性的なスピリチュアル・ガイド、「アニムス」と呼ばれるものだという。(p219)

「内なる助け人」なんて言い方だと、ちょっとオカルトチックかもしれませんが、心のなかに別のだれかがいる、というのはそんなに珍しい話ではなくて、たとえば子どもの空想の友だちとか、マンガでよく見る心の中で会話する天使と悪魔の葛藤とか、良心のささやきとか、さまざまな呼び名で広く知られているものです。

だれにでも、心の中に、自分とは別のだれかがいるように思える場面はあるはずですが、HSPの人は感受性の強さのおかげで、特にそれがはっきりしていて、内なる声のささやきにも目ざといのでしょう。

こうした内なるささやき声に敏感なために、HSPの人たちは、無意識からもたらされるアイデアに気づきやすく、普通の人よりもあれこれと思いつきやすいのだと思います。

5.空想世界が豊か

いろいろなことを際限なく思いつくHSPの人たちは、内面が豊かに潤うので、普通の人よりもはるかに大きな内的な空想世界を持っています。

これについては、ついこの間、別の記事で説明した「空想傾向」と関係しています。

「空想傾向」は、HSPの中でも、おそらく子ども時代に寂しい思いをした人に強く出るように思います。

アーロン先生は、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。で、こう書いています。

こういう子供は、おそらく想像上の人物、本の登場人物、自然などに慰めを見出し、支えにするのだろう。

普通の子供なら耐えられないような孤独にもHSPの子供は耐え、幸せを見出せる。

…たとえあなたがかなり複雑な家庭で育ったとしても、普通の子供なら巻き込まれて混乱するところを、HSPの特徴である直感力が、その混乱からあなたを守るということは起こりうる。

大人になってから子供のころの傷を癒す際にも、直感力はその過程を助けてくれるだろう。(p134)

HSPの子は、もともと想像力豊かですが、その生まれ持った想像力をフルに働かせないといけなくなるのが、孤独な環境です。

恵まれた子ども時代を過ごしたHSPの子に比べ、あまりかまってもらえなかったり、独りきりにされたり、何かしら辛い環境で育ったりしたHSPの子は、自分で自分の寂しさをまぎらわし、支え励ましてくれる人がいない辛い気持ちを癒やすために、感受性の強さを想像力として使うようになります。

そんな子ども時代を送り、人並み外れた空想世界を作り出した人の中には、ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターがいます。

彼女がHSPだったかどうかはわかりません。彼女の評伝であるビアトリクス・ポター (福音館の単行本)には、世間の人々と付き合うときは「口やかましく実際的で、ときには手ごわいほどの性格」だったとあります。(p94)

しかし、この性格は子ども時代の育てられ方と、その後の悲劇的な人生のせいで、後天的に作られたものかもしれません。もともとは「はずかしがり屋でうちとけなかった少女」だったからです。(p98)

彼女の生い立ちについて、生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)という本には、こんなエピソードが書かれていました。

ピーターラビットの作家ベアトリクス・ポターは、ピーターラビットなどの絵本作家や画家としてだけでなく、自分にふさわしい関心と活動により、素敵で充実した人生を送った女性であった。

…ビアトリクスの回避性の要因として、生得的に虚弱で過敏な体質も無視できないだろうが、養育環境も、彼女の回避性を強める方向に作用したに違いない。…その乳母とたった二人だけで、乳幼児期のほとんどを、四階の子ども部屋で過ごした。

しかも、下のきょうだいができたのが六歳のときで、そのため、幼年期は、ほとんど他の子どもと遊んだことも、顔を合わせたこともなかった。(p234-235)

ビアトリクス・ポターは、もともと「生得的に虚弱で過敏な体質」でした。少女のころにはリウマチにかかりました。

そんな敏感な子だったビアトリクス・ポターは、不幸なことに、隔離といってもいいほど過保護な環境で子ども時代を過ごすことになり、寂しさと孤独を味わいました。当時の中流階級の家庭ではそれが普通だったようです。

けれども、たとえ遊び相手がいなくても、本や絵をたよりに、自分だけの世界を作り上げてしまいます。またカムフィールドに引っ越した祖父の家や、スコットランド地方に遊びに行ったときに、動植物とふれあい、想像力を豊かにしたようです。

そうした孤立した環境で、ビアトリクスが最初に楽しみを見出したのは、絵本や読書にだった。

また、自然に親しむようになると、その美しさに感動し、スケッチや水彩画を熱心に描いた。植物や動物を描くことにも夢中になった。

十歳になる前から、絵を描くことに特別な才能を示している。友達の代わりとして、ペットや日記も、彼女にとってとりわけ大切なものだった。(p235)

子ども時代の孤独な環境を乗り越えるために培った想像力や、そこで手にしたユニークな空想世界が、その後の彼女の人生でどう役立ったかは、詳しく説明するまでもないでしょう。

ビアトリクス・ポターは、24歳のとき、新年用のカードや挿絵を作るようになり、さらには親友の勧めでピーター・ラビットを自費出版、評判が評判を呼んで、ついには世界的に知られる作家にまでなったのでした。

この本では、ビアトリクス・ポターの生涯について、こう感慨深くコメントされています。

母親との稀薄な関係に加えて、スパルタ式の乳母に厳しく管理され、四階の子ども部屋という狭い世界だけで貴重な幼年期を過ごさねばならなかったことは、悲劇的とも言えるほどである。しかも持病もあり、社交からは遠ざからざるを得なかった。

そんな中にあってさえも、信頼できる友人や異性と、深い関係を築くことができたのは、奇跡とも言えるほどだ。(p241)

ビアトリクス・ポターが息苦しい子ども時代を想像力をたよりに乗り越えていった姿は、アーロン先生が述べていた「普通の子供なら耐えられないような孤独にもHSPの子供は耐え、幸せを見出せる」という言葉をほうふつとさせます。

過去の記事でも書いたとおり、ひときわ想像力豊かで、独自に空想世界を築き上げている作家たちの中には、繊細な感受性を土台として、生き抜くためにたくましく積み重ねてきた長年の空想傾向を創作に活かしている人が決して少なくないはずです。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

6.批判に敏感で傷つきやすい

こうした繊細で豊かな感受性は、裏を返せば批判に敏感で傷つきやすい、ということでもあります。

芸術をたしなむ人の中には、モネが「ナイーヴな感性」と表現していたような、繊細であるがために傷つきやすくもあるガラス工芸品のような心を持っている人が大勢いるでしょう。

アーロン先生は、敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。 でこう書いています。

さらにHSPは批判に対してもより敏感である。いわれたことを深くとらえるので、自分の欠点とつなげてしまう。

トラウマについても同じで、より深くとらえがちなので、憂うつ感や不安感を覚えやすい。(p45)

残念ながら、HSPの人のなかには、批判や評価に傷つきすぎて、本当に絵を描くことが嫌になって投げ出してしまう人もいます。わたしの知り合いのHSPの子は、とてもユニークな絵を描きますが、学校の美術の授業で見たとおりに模写できないせいでこっぴどくけなされて、自信をすっかり失くし、美術が大嫌いになってしまいました。

でも、芸術的な感性というのは、そうした繊細で敏感なハートあってこそのものだとわたしは思っています。傷つきやすい心を持っていたら、この競争社会で成功なんてできない、もっとがめつくなれ!なんて言う無神経で鈍感な人もいますが、それは間違っています。

先ほどの生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)には、やはりHSPとしての繊細な感受性を持っていると思しき作家として、あの有名な村上春樹が紹介されています。

今や国民的作家というにとどまらず、ハルキムラカミとして世界中に多くのファンをもつ村上春樹だが、そのライフスタイルには、彼の作り出した主人公と同様、回避性の特徴がみられる。あまり人前に出たがらず、マスコミを避ける傾向もその一つだ。

…繊細な感性を備えたクリエーターは、自分の世界が壊れないように自分を守らなければならない。そのためには、現実の雑事などの余分な負担を避ける必要もある。

…それをあえて一言でいうならば、傷つくこと、言い換えれば自分の世界が壊されることを恐れるということではないだろうか。その臆病なまでの慎重さは、たとえば戦時中の日本であれば、物笑いの種になるように弱さでしかなかっただろう。

だが、それが半世紀余の時間の中で、多くの人が共感できる特性に、そして美学にさえなっている。(p82-84)

村上春樹は、繊細な感受性を活かして、作家として成功しました。彼を唯一無二の作家として成功させしめたのは、がめつさではなく、敏感さでした。

彼の場合、傷つきやすさに対処するにあたり、鈍感になろうとしたのではなく、どうすれば傷つくことを避けられるか、優れた発想力を使って、あれこれと試行錯誤したのでしょう。それが、彼のユニークなライフスタイルになりました。

もちろん、クリエイティブな分野には、HSPでない人たちも大勢います。批判に敏感でなく、貪欲に競争していく人たちもクリエイティブな才能を発揮することがあります。アーロン先生は、現代社会では、そうした人たちが決定権を持つ立場に就くことが多いせいで、HSPが創造的な仕事から追いやられているのではないかと述べていました。

しかし、感受性豊かでデリケートなHSPの人たちが、もし傷つくことを恐れるあまり、打たれ強い人たちと同じ生き方を身に着けようとすれば、敏感さと同時に芸術的感性まで失われることになるでしょう。マルシャンが述べていたとおり、芸術家の感性とは、世界によって貫かれる敏感さから生じるもので、それには批判に貫かれやすいことも含まれているからです。

ガラスアートが繊細で壊れやすいのは確かですが、だからといって、じゃあプラスチックで作ればいい、ということにはなりません。そんなことをしたら価値がなくなってしまいます。

敏感で傷つきやすいHSPの作家が、創造性をフルに活かしていくために必要なのは、敏感さを捨てて自分の創造性の価値を殺してしまうことではなく、ガラスアートのようなハートを守るため、アイデアをひねって、保護となる環境を作り出すことなのです。

このサイトの記事では、批判に敏感で傷つきやすい作家さんが、どうすれば、お絵描きを楽しんで上達していけるのか、ということを何度も繰り返し話題にしてきました。

いかに自分の繊細なハートを守るか、ということもまた、創造性にあふれた作家の腕の見せどころの一つです。

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7.好奇心旺盛な人も

最後の七番目として、HSPには、ちょっと複雑なタイプの人もいる、ということを紹介しておきます。

HSPの特徴とは、ここまで見てきたような、繊細で慎重でよく考える性格ですが、その対極に位置するのは、スリルを求め大胆で衝動的な人です。

敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。 によると、そんな性格の人は、HSPとは別のタイプ、HSSとして知られています。これはHigh Sensation Seeking、つまり刺激を探し求める人を意味しています。

マービン・ズッカーマンは、この特徴についての研究の第一人者であり、HSSという言葉をつくった人である。

彼によればHSSは「変化に富み、新奇で複雑かつ激しい感覚刺激や経験を求め」、さらに「こういった経験を得るために肉体的、社会的、法的、経済的なリスクを負うことを好む」という。(p54)

HSSの人は、HSPの正反対なので、HSPの人から見れば、騒々しくて、落ち着きがなくて、考えるより先に体が動く、ワイルドで、アグレッシヴな人に見えます。

HSPとのび太型ADHDが同じコインの表と裏だったように、HSSはジャイアン型ADHDと同じコインの表と裏なのだと思います。のび太とジャイアンは…まあ、タイプ的には全然違うキャラですよね。ときどき「心の友」になることもありますが。

でも、ADHDについて詳しい人なら、のび太型ADHDとジャイアン型ADHDははっきり別のものなのではなく、どちらも併せ持った人、つまり混合型のADHDがいる、ということを知っているでしょう。

HSPとHSSもこれと同じで、一見対極にあるかのようなHSPとHSSを両方持っていて、慎重だけど大胆で、繊細だけど衝動的という悩ましい人がいます。この人たちのことを、アーロン先生はHSP/HSSという名前で呼んでいます。

HSPの敏感さとHSSの衝動性の両方をもつため、神経の高ぶりの最適レベルの範囲が狭い。

つまりすぐに圧倒されるが、同時に飽きっぽい。新しい経験を求めるが、動揺したくないし、大きな危険は冒したくないのである。

あるHSP/HSSによると、「いつもブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような気がする」そうだ。(p57)

このちょっとした説明でも、ややこしくてめんどくさそうな性格が感じられるかもしれません。あたかも、自分の中に、のび太とジャイアンが同居しているようなものなので、あっちへ振り回され、こっちに振り回され、なかなか波乱万丈な生き方をしている人たちです。

アーロン先生は、このHSP/HSS(HNSとも呼ばれる)の人たちが陥ってしまう悪循環について、ひといちばい敏感な子の中でこう書いていました。

人一倍敏感(HSP)であり、かつ好奇心旺盛(HNS)の場合の問題点は、退屈しやすく新しい刺激を求める一方で、簡単に押しつぶされてしまうことです。

「適度な興奮」の範囲が極めて狭いのです。自分で立てた一日の計画、あるいは人生の計画の圧倒され、疲れて苦しくなり、倒れてしまうという破滅的なサイクルを繰り返します。

新しいことを求める気持ちを抑えられない状態が続くと、敏感であるがゆえに慢性的に疲れてしまいます。(p114)

もともと敏感で疲れやすいのに、好奇心から刺激のあるところに飛び込んでいってしまうので、頑張りすぎて疲れはてて倒れることの繰り返しに陥ってしまいます。

アーロン先生は、そんなややこしいHSP/HSSの人に、さっきの敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。の続きでこうアドバイスしています。

まずは、刺激過多になるだろうとわかっているときでさえ、あらゆる方向に手を出したがる自分の「神経症的」あるいは「自己破壊的」な傾向を責めないようにしよう。

たしかに、HSP/HSSは自己破壊的な行動をとる傾向にある。だが、過去に自己破壊的になったときのことを思い出し、HSP/HSS気質という観点から見直してみれば、まったく新しい解決の仕方が見えてくるだろう。(p62)

HSPはさまざまなアイデアを思いつきますが、そこにHSSが混じっている人は、衝動的に全方面に手を出しすぎてしまいます。その結果、生活が破綻して、収拾がつかなくなりがちです。

つまり、さっき書いたように、わたしのことですね(笑)

わたしも、アーロン先生の本を読んで、自分がアクセルとブレーキを両方踏んでいるようなややこしい性格だということに気づいて、HSP/HSSという観点から、自分を見つめ直すようにしてみました。

生まれつきの気質という、こればっかりは変えられないものなので、うまく付き合っていくしかありませんが、なんとか最適な行動範囲を見つけることができれば、HSP/HSSという気質は有利だと思っています。

HSPの人は慎重になりすぎてチャンスを逸することが多く、HSSの人は考えなしに行動しすぎて墓穴を掘りがちです。HSP/HSSの人は、下手をするとこの欠点が両方とも出て大変な目に遭いますが、うまく折り合いをつける生き方を学べば、お互いの欠点を相殺することもできます。HSPの豊富なアイデアをHSSの行動力で次々に形にしていける、というわけです。

ムーミン谷の空想世界をつむいだ想像力豊かな女性、トーベ・ヤンソンは、言うまでもなく繊細な感性を持っていましたが、単身 世界中を旅しに出かけたり、絵本作家だけでなく多岐にわたる仕事をマルチに掛け持ったりしていたことからすると、どうもHSP/HSSだったのかもしれません。

わたしは、まだまだバランスを取るのに四苦八苦していますが、せっかくの生まれつきの性格なので、じっくり向き合って、芸術的な才能として育てていきたいな、と思っているこの頃です。

HSPの芸術的才能を育てていく

こうしてHSPと芸術的感性について概観すると、HSPの感受性の強さにはメリットもデメリットもあることに気づきます。

アーロン先生は、敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。の中で、それをこんなたとえで描写しています。

このたとえはどうだろう? 

無意識とともに生きるHSPは、大きな川の岸や火山のふもと、海辺に住む人のようなものだ。

洪水が起こったり、火山が噴火したり、ハリケーンが沿岸を通り過ぎたりするとき、近くに住んでいるあなたは逃げる準備をしなければならない。

だが、災害は予期していたはずだし、そのあとで泥や灰が土地を肥やすことさえわかっていただろう。それは安全な地域に住んでいる人には味わえない至福だ。

海という無意識のたとえについていえば、海で漁をする人はたくさんの危険に遭うが、飢えることだけはない。(p109)

繊細で感受性が強く、無意識と距離が近いというのは、火山のふもとや海辺に住んでいるようなものです。ときには、考えなくてもいいことがあふれだし、しまいこんでいたはずの記憶や感情がにわかに噴き出て、圧倒されることもあります。それは海辺の洪水や火山の噴火にたとえられます。

でも、うまく付き合うことを学んでいけば、肥沃な土壌や豊かな食べ物、つまり内なる糧に恵まれ、自給自足の創作サイクルを確立でき、尽きることのない創造性を発揮していけるのです。HSPの人は、どれだけ創っても心が空っぽになることはありえませんし、アイデアが枯れ果てることもありません。

この本の中で、アーロン先生は、何度もHSPは「長所と短所のパッケージ」だと述べています。(p189,238)

HSPに限らず、どんな人の性質でも、良い面もあれば悪い面もあるものです。けれども、HSPの人はとりわけ、メリットとデメリットがはっきりしているように感じます。

わたし自身、悪い面が出れば、それこそADHDとしか良いようがないほど、そそっかしくておっちょこちょいになりますが、うまく噛み合えば、ほかの人には出せないユニークな個性を発揮できます。

自身もHSPだったユングは「敏感すぎることはしばしば人格を豊かにしてくれる」と述べたそうです。

この前の記事に書いたとおり、わたしは色がない透明であると同時に、どんな色も発揮できる虹色の個性を持ってます。

「色がない」わたしは自分が描く空想世界の中でだけ虹色でいられる
わたしは「色がない」から「虹色」の空想世界を描き続ける

HSPの人は感受性が強すぎて圧倒されやすいので、どんな色にでも染まる無色透明な危うさがありますが、裏を返せば、どんな環境にも適応できる可能性があるということです。

孤独な子ども時代を生き抜いたビアトリクス・ポターや、ナチズムの脅威の中で創作したトーベ・ヤンソンのように、辛い境遇をさえ、虹色に変えていく創造性を持っているのだと思います。

わたしは、自分が何者かよくわかっていないうちは、感受性の強さに振り回されっぱなしでしたが、のび太型ADHDとか、HSPについて知ったことで、少しずつ、自分が生まれ持った感受性の強さの価値に気づけるようになってきました。

生まれた時からポッケに入っていたHSPという小さな種。

心のなかの豊かな世界の真ん中に植えて、少しずつ、少しずつ成長してきたシンボルツリー。

芸術的才能という色とりどりの花を咲かせ、自分だけの作品という実をいっぱい結ぶまで、ぜひとも愛情込めて大切に育てていきたいものですね。

とびきり繊細で敏感で、その感受性の強さを創作に活かした児童文学作家エリナー・ファージョンのエピソードからHSPの人が学べることをまとめたので、こちらもよろしかったらどうぞ。

投稿日2017.03.22