あの日わたしは魔法の国に迷い込んだ―空想世界の風景を描く理由

最近、とても不思議に思っていたことがありました。

どうして、ほとんどの絵描きさんは、背景のない絵を描くのだろう? という疑問です。

わたしは、子どものころから、ほとんどすべての絵を背景ありきで描いてきました。このサイトに載せている絵でも、背景のない絵は…そんなのあったっけ? というくらい珍しいと思います。(どこかに背景のない古い絵が数枚あるはずですが)

それに対して身の回りの絵描きさんの多くが、背景のないキャラクターだけの絵を描きます。背景は描いていたとしても、キャラクターが大きくメインに描かれてていて、それを引き立てるために背景を添える絵が多いようです。

わたしの絵は逆に、年々背景がメインになってきて、最近の絵は背景の壮大さを出すために、人物が米粒大になっていることもあります。絵の構成という観点で見ると、風景を引き立てるために人物がいる、と言ってもいいかもしれません。

けれども、決して人物が大事でないわけではなく、あくまでセットなのです、キャラクターだけの絵でも、風景画でもだめなのです。わたしの絵は絶対に人物と風景がセットです。壮大な景色の中を冒険している絵がわたしの持ち味です。色んな絵描きさんを見てきましたが、こうした絵の描き方をする人はそんなに見かけません。

どうして、わたしは必ず風景と人物をセットで描くようになったのでしょう? 他の人と比べていいとか悪いとか言いたいのではなく、どうしてそんな違いが出るのだろう、ということが気になります。

悩んでも答えは出ませんでしたが、調べていて、たぶんこういうことかな、と思う資料が見つかりました。この記事では、それをもとにして、小学校以来のわたしの空想世界との関わりを思い返してみたいと思います。

子どもの空想世界についての研究

わたしが背景ありきの絵を描くのはなぜか。まず考えたのは、たぶん人より空想世界が身近だからだろう、ということでした。以前の記事で書いたように、長年の心理学的な空想傾向があるので、キャラクター単独ではなく、空想世界の風景を描かずにはいられないのではないかと。

それで、空想世界についての本をサーチしてみたら、つい一週間ほど前に、幼児期における空想世界に対する認識の発達 という本が出ていたことを知りました。定価を見るとちょっと買えそうもない専門書なのですが、調べてみると論文集ということで、兵庫教育大学のサイトから自由に閲覧できるようになっていました。

この本は、子どもの空想能力の発達を調べた論文がたくさん収録されています。論文なので ちょっと難しい書き方もされていますが、実験結果の要約や考察の部分を読んでいけば、それほど苦労しないと思います。

この本によると、かつて心理学の世界では、空想というのは現実逃避のようなネガティブなイメージを持たれていて、あまり積極的に研究されてこなかった歴史があるようです。

初期の研究においては、空想は何よりも代理満足を与えるものであり、気晴らし、現実逃避など外的世界からの避難所と見なされてきた。

このように空想には不健康で否定的なイメージが先行し、知的論考の主題として取り上げられることは少なかった。(p22)

ところが、近年では、空想は異なる可能性を思い描く力を育み、問題を乗り越えていく助けになる、というポジティブな見方がされるようになっています。

Gopnik(2009)は、過去、現在、未来からなる現実世界は1つしかないが、我々はその現実世界を生きる一方で、想像する力によって、今ここにある世界とは異なる過去、現在、未来からなる様々な可能世界を思い描くことができると述べている。

想像力は乳幼児期にごっこ遊びや空想に耽ることによって育まれ、それは大人になってからも保たれ、世界の別の可能性を思い描き、現実を変革する力になると指摘している。

さらに、 経験が豊かであれば想像も豊かになり、想像が豊かであれば経験も豊かになる。 (p24-25)

子どもは、自分の思いどおりにならない現実に直面したとき、現実逃避するためではなく、別の可能性を思い描いて、それを引き寄せるために空想している、そう考えられるようになってきました。

空想とは、「もし」(if)の世界を思い描くことです。何か問題に直面したとき、「もし」の可能性をより多く、より具体的に思い描ければ、その未来を引き寄せるために、いま何をすればいいか、という解決策も見つかりやすくなります。

そのようなわけで、この論文集では、空想が子どもの成長に寄与していることを示す、さまざまなエピソードや実験結果が引用されていて、読んでいるとわくわくしてきます。

子どもは、だいたい3歳前後くらいから空想をめぐらすようになり、空想の友だちを持ったり、絵本やアニメのキャラクターを現実に存在するかのように想像したり、友だちやきょうだいと ごっこ遊びを始めたりするようになるそうです。

けれども、今回考えたいのは、小学校時代の空想能力です。わたしが魔法の国に迷い込んだのはその時期だからです。

小学生が創る空想世界

子どもはだれでも、空想を思い巡らし、友だちとごっこ遊びをしたり、ヒーローやアイドルになりきったりするものです。それでもどれだけ空想に没頭するかには個人差があり、成長とともにあまり空想しなくなる子もいれば、より空想を豊かに膨らませていく子もいます。

その分かれ目となるのが、小学校に上がるころかもしれません。クラスの中で、常にみんなとおしゃべりして校庭で遊び回る活発な子もいれば、わりと一人でいるのを好み、読書が好きで物思いにふける夢見がちな子もいます。そうした個性の違いがはっきりしてくるのが小学校高学年ごろでしょう。

わたしはというと、小学校2、3年くらいまでは、特に何も考えずみんなとはしゃいでいましたが、高学年になってくると、図書室に通うようになり、シャーロック・ホームズや少年探偵団の全巻を読んでいました。友だちはそれなりにいましたし、誘い合わせてポケモンをしたりもしていましたが、どちらかというと、落ち着いた雰囲気を好むようになっていたと思います。

幼児の空想に比べると、小学校以降の空想は、まだあまり研究されていない分野らしいのですが、この本には貴重な論文が収録されていました。論文の最初には、こんな研究が引用されています。

例えば、 Seiffge-Krenke(1993)は、12~17歳の青年のうち約3分の1が日記を書く習慣を持っており、そのうち約半数の日記において空想の友達の出現が認められたことを報告している。

また、 Silvey & Mackeith(1988)は、調査に協力した57名の成人や子どものうち74%が、 7歳から12歳の間に「準宇宙」と呼ばれる空想の王国や世界をきょうだいや友達同士で作り出した経験を持つことを報告している。(p225)

この調査結果では、日記を書くこと、空想の友だちとやり取りすること、空想の王国や世界(準宇宙 : パラコズムとも呼ばれる)を生き生きと思い描くことなどが挙げられています。

この説明に何か思い当たる節がある人は、そんなに長くない論文なので、ぜひ読んでみてほしいと思います。きっと、読んでいるうちに幼いころの自分の姿が思い出されると思います。

わたしも、自分の小学校時代を回想して思い当たることが多いので、ここからはこれらをひとつひとつ順に考えてみたいと思います。

日記という専属のカウンセリングルーム

まず、日記を書くこと。

どうして空想の豊かな子どもと、日記を書く習慣が関わっているのだろう?と不思議に思うかもしれません。説明を読んでみると、この時期の子どもが日記を書き始める動機は、空想をふくらませる動機とよく似ているそうです。

Seiffge-Krenke(1993)は、 青年期における日記の記載の 70%は自分と他人との関係が主題であり、 日記を書き始めた動機も人間関係について話せる信頼できる友人がいないことが挙げられていたことを報告している。

児童後期から青年期にかけて、 友達関係を築く相手に対してそれまで以上に親密さを求めるようになる中で、 空想の友達はいわば必然として子どもの前に現れるものと考えられる(p234)

小学校高学年以降の子が日記を書き始める動機は、人間関係の悩みからくると書かれています。大人が日記をはじめるのは、備忘録としての役割が大きいと思いますが、思春期の子どもにとっては日記は自分だけのカウンセリング・ルームです。

そして、カウンセリング・ルームには必然的にカウンセラーがいるわけで、たいていは空想の友だちがカウンセラーの役目を務めます。たぶん、一番有名なのは、あの「アンネの日記」でしょう。ユダヤ系のドイツ人少女アンネ・フランクは、日記のなかでキティーという空想の友だちに悩みを打ち明けていました。

「親愛なるキティーへ」──アンネの日記帳が果たした重要な役目とは 〈NHK出版〉|dot.ドット 朝日新聞出版

『アンネの日記』はほぼ毎回、「親愛なるキティーへ」という一文から綴られる。

キティーとはアンネが生み出した架空の友人であるが、エッセイ『アンネ・フランクの記憶』などを著した作家の小川洋子(おがわ・ようこ)氏は、このキティーが重要な役目を担っていると指摘する。

… 「キティーはいつも辛抱(しんぼう)づよいので、このなかでなら、わたしの言い分を最後まで聞いてもらえる」と、アンネは記しています。

反論も否定もせず、ただ黙って話に耳を傾けてくれる友人。そう考えるとキティーはアンネにとって、カウンセラーのような存在だったのかもしれません。

わたしの場合も、これとよく似ていました。

前にもどこかで書きましたが、わたしが覚えている最初の空想の友だちとの出会いは、小学校3年生ごろでした。夜、ベッドで寝ているとき、暗闇の中に、同じくらいの年のポニーテールの女の子が現れました。どういう経緯があったかは覚えていませんが、毎晩毎晩、電気を消してからもあれこれと会話し続けるようになり、当時それを不思議だとはまったく思っていませんでした。

彼女の名は「ゆりな」と言い、中学生くらいになると、話し相手ではなくなる代わりに、わたしの小説の登場人物の一人になりました。それ以降、立派に成長して、わたしの小説の主人公、瑠香の相棒の由梨菜として活躍してくれています。

こういう目に見えない友だちは、この本の論文によれば、意図して他人のふりをする なりきりごっことは違って、無意識のうちに現れ、本物の友だちのように交流できるのが普通です。

空想の友達は、 Svendsen(1934)によると、 次のように定義される。

「それは目に見えない存在であり、ある一定の期間、少なくとも数か月の間、名前を付けられ、他者との会話の中で言及されたり、遊ばれたりする。

子どもにとっては現実的であるが、明白な客観的基礎は持たない。

それは事物の擬人化や、子ども自身が別の人物になりきるような想像遊びとは異なる種類のものである」(p56)

空想の友だちは、ごっこ遊びとは違って、本当の他人のように振る舞うので、欧米では霊のしわざではないかと怖がる親もいるそうですが、れっきとしたごく普通の子どもの発達にともなう現象なので、心配いりません。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)によると、こういった経験は、社会性が高く、周りの人のことを人一倍気にしてしまうタイプの子には珍しくないそうです。

マージョリー・テイラーによれば、空想の友だちのいる子といない子で賢さは変わりません。

ただ、空想の友だちのいる子はそうでない子より心の理論が発達している傾向はあります。空想の友だちのいる子はいない子よりも他人の思考、感情、行動の予測が上手です。

また、これは通説とあべこべなのですが、人なつっこい子のほうが、内気で孤独な子より空想の友だちを持ちやすいそうです。

大人から見るとちょっと異様な空想の友だちは、子どもにすればごくふつうのもので、本物の友だちがいない子や病んだ心の妄想ではないどころか、むしろ社会性の現れなのでしょう。

空想の友だちのいる子は周囲の人たちのことを人一倍気にするので、「いない人」のことまで考えてしまうのかもしれません。(p88)

他人の気持ちを想像する力に秀でた子が、現実にコミュニケーションできる架空の人物を無意識のうちに創り上げてしまうのが空想の友だちなのです。

そういえば、と思い出したのは、わたしが子どものころに流行った「魔法陣グルグル」というマンガ。今ちょうど再アニメ化されているみたいですが、その外伝エピソードの中に、主人公の女の子ククリが、知らず知らずのうちに空想の友だち“イルクちゃん”を創り出してしまい、それとは気づかずに毎晩二人で遊んでいた、という話がありました。わたしの思い出も、ちょっとそれと似ているなーと今になって氣づきました。

今回の論文で、現役の小学生を対象にして行われた調査によると、わたしみたいな経験をする子はそれなりにいるようで、10から12歳の小学生 334人のうち、6歳以降に空想の友達を持って、調査の時点でもなお存在している子どもは21人だったそうです。だいたい6%くらいでしょうか。(p229)

わたしの場合、空想の友だちはその後 数人に増え、架空の家族のようになりました。その家族とのやり取りを日記に書くようになったので、日記は長らく専属のカウンセリング・ルームになりました。いちばん悩みが深かった不登校になる直前は、寝る前に一時間くらい会話した内容を日記にも記録していたので、それで睡眠が削られていたようなところもありました。

一人でどこかに出かけるときも、空想の友だちがついてきていたので、寂しく感じることはありませんでした。以来、わたしは寂しさや孤独を感じたことがなく、一人暮らししていた時期も、まったくホームシックになりませんでした。いつも文字通りの意味で、だれかがそばにいるようなはっきりとした感覚があります。

信頼できる話し相手を創り出す

わたしの場合もそうでしたが、この時期、つまり小学校高学年ごろの思春期に現れる空想の友だちは、「信頼できる相談相手」のような存在になることがとても多いそうです。

幼児期の空想の友達の特徴が、多くの場合、遊び相手や世話をする相手であるのに対して、児童期以降の空想の友達は、自由記述において相手との親密な関係性や信頼関係への言及が主になされるなど、子どもにとって相談に乗ってくれたり話を聞いてくれたりする信頼できる存在であった。

このことは、 児童後期から青年期において子ども(特に女子)は友達関係に親密さや1対1での語り合い、 情緒的関係をより求めるようになるという先行研究の結果とも一致する。(p234)

さっき見たように、空想の友だちをもつ子は、友だちのいない孤独な子どもではなく、かえって社会性が高く、コミュニケーションの上手な子が多いようです。

わたしも、友だちはかなり多いほうだったと思います。クラスの中心になって注目を浴びるタイプではありませんでしたが、あまり日の当たらない子たちのまとめ役をやっていました。要するに気配り上手だったんでしょう。おかげで、わたしが不登校になった後、当時の友だちから、自分は友だちが多いほうじゃないから君がいなくなって苦労した、みたいなことを言われました。

友だちが多くて、コミュニケーションが得意なのに、「人間関係について話せる信頼できる友人がいない」せいで日記を書き始めるというのはなんだか矛盾しているように思われそうですが、実際にそんな性格の人はよくわかると思います。

気配り上手な子は、家庭でも、学校でも、両親やきょうだいや友だちの板挟みになって苦労しやすく、気持ちを顧みてもらえないことが多いからです。いちばん気配り上手ということは、言い換えれば、自分のことを同じくらい気遣ってくれる人がまわりに誰もいないからこそ、いちばんなのです。

結局、いちばん気配り上手な子が、だれかから気遣ってもらうためには、自分で一人二役をするしかなくなります。自分と同じくらい気配り上手なもう一人のわたしを創り出して、専属カウンセラーをやってもらうということです。一人二役をするといっても、自分でそうしようと思って空想の相談相手を創り出すわけではなく、わたしみたいに「いつの間にか気づいたらいた」子が多いと思います。

わたしが思うに、こうした気配り上手で板挟みになりやすい子は、人いちばい感受性の強いHSPの子に多いと思います。HSPの子は、人の気持ちを読み取るのが得意で、想像力にも秀でています。人の気持ちを想像する能力と、空想をふくらませる力は本質的に同じです。

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いま読んだなかで、「児童後期から青年期において子ども(特に女子)は友達関係に親密さや1対1での語り合い、 情緒的関係をより求めるようになる」と書かれていましたが、これはHSPの提唱者であるエレイン・アーロン先生が、敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。の中で書いていたことを思い起こさせます。

三人以上の会話では、HSPは取り残されがちだが、非HSPのパートナーは「浅はかな」おしゃべりをつづける。

たとえば、話題が背中の痛みについてだったので、あなたはそれについて自分が知っていることはなにかを考えている。

しかしその間に、話題はダイエットに移ってしまう。そこであなたは栄養について考えはじめるが、話題はいつのまにかレストラン、旅行、外交、政治へと移ってしまう。

…黙っているあなたは、恥ずかしがりだとか無関心だと思われる。しかも、みんなはあなたが気にしていないのだろうと思う。(p181)

四人いるなら、ふたりずつ話ができるようにしてもらおう。HSPであるあなたは、1対1のほうが話がしやすいのだから。(p184)

アーロン先生がよく書いているのは、HSPの人は、1対1の深い話し合いは非常に得意なのに、人数が多いコミュニケーションは苦手だということです。

わたしの経験から言うと、これは空気を読む能力が高いからだと思います。

他の人の気持ちに合わせるというのは、ラジオの電波に周波数を合わせるようなものなので、合わせるべき周波数がたくさんあると混乱してしまいます。一度にどれかひとつの周波数にしか合わせられないからです。

相手が一人なら、持ち前の気配り上手が生きるのですが、場にいる人数が増えれば増えるほど、空気は複雑になります。だれに合わせればいいか考え出すとキャパシティがオーバーしてきて、結局だれとも十分に同調できないまま、浅い会話で終わってしまいます

HSPの子どもは、小学校くらいでも、1対1の深い話し合いを求めているので、多人数が一緒になってわいわいがやがやしがちな学校ではニーズが満たされず、友だちがいるのに精神的には一人ぼっちに感じてしまうのだと思います。

親とか親友が そのニーズに答えてくれればいいのですが、一人でまわりの人たちの調停役にまわることのほうがはるかに多いので、そううまくいかないことも多いでしょう。

わたしの場合、その当時は、きょうだいが病死したり、家庭が混乱したり、どこにも居場所がない日常が続いていて、まるで透明になってしまったような気分でした。そんなころ、いつの間にか、自分のそばにいるもう一人の友だちが現れ、やがて架空の家族が増えていったのでした。

このあたり、経験談をもうちょっと書くといいのかもしれませんが、日記に書くような私的な内容ばかりになってしまうので、心の中にとどめておきます。死後とはいえ、専属カウンセラーとの日記を世界に公開されてしまったアンネ・フランクが気の毒でなりません…。

空想宇宙(パラコズム)という居場所

空想の相談相手を創り出した子どもは、もう一歩進んで、人物のみならず世界をも創り出すことがよくあります。それが、最初に引用した文献に出ていた『「準宇宙」と呼ばれる空想の王国や世界』です。

ここで「準宇宙」と訳されているのは、前に取り上げたパラコズム(paracosm)のことです。

空想のファンタジー世界(パラコズム)の創作に必要な2つの要素
ファンタジーの世界を創作するには知識と共感力が必要

そのとき参考にした哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)には、こう説明されていました。

成長につれてスケールの大きな空想をふくらませる子もいます。

それが「パラコ」、独自の言語、地理、歴史をもった空想世界です。

小説『嵐が丘』で知られるブロンテ姉妹も、子どものときいくつも空想宇宙をもっていたそうです。(p78)

パラコズム(準宇宙)が独特なのは、別世界また異世界だということです。単にちょっと「私に弟がいたらいいのにな」とか「オーストラリアに生まれたかったな」という憧れではなく、そうした願いが実現した空想の世界そのものを作ってしまいます。ドラえもんの「もしもボックス」のようなもの、といえばわかりやすいでしょうか。

空想の友だちを創り出すような子が、空想の別世界までも創ってしまうというのは、ある意味必然的な流れのようです。

空想の友だちから空想世界へ空想がふくらむ時期は、子どもたちが実社会の因果関係を学ぶ時期でもあります。

人の心の働きを知った子は、大勢の心の複雑な相互作用に興味を引かれるようになります。

…空想の友だちが反事実による心の探求だったように、空想世界は、反事実による人間社会の探求に役立っています。(p89)

もともと人の心に強い関心を持っていて、「いない人」のことまで考えてしまうような子は、やがて人と人の心が織りなす社会にも興味をもちます。空想の友だちを何人も創り出した次に、それら空想の人物たちが生きる世界を創るのは当然の成り行きです。

けれども、ただ興味本位から空想世界を創り上げてしまうのかというと、必ずしもそうではなく、やっぱり、「必要は発明の母」なようです。つまり、思春期にさしかかって親密な相談相手がほしい子が空想の友だちを生み出すように、空想世界を生み出す子も、それなりの必要があって世界を生み出すのです。

空想の友だちが、現実にいない「信頼できる存在」を創り出すためのものなら、空想世界は、何のために創るものでしょうか。それはきっと、現実に存在しない「安心できる居場所」を創り出す手段ではないでしょうか。

少なくとも、わたしの場合はそうでした。さっき書いたとおり、わたしには難病のきょうだいがいました。難病の子どもを持つ家庭ではよくあることなのですが、家族が難病のきょうだいのほうにかかりっきりになってしまうので、残された健常なきょうだいのほうがひとりぼっちになり、顧みられなくなってしまうことがあります。こういう経験をした子のことを「きょうだい児」といいます。うちの家庭の場合、それだけでなく、まあ、色々とあったので、まるで東西冷戦のような子ども時代でした。

そんな状況だったので、必然的に学校とか家庭ではなく、空想世界に居場所を求めるようになったのでしょう。自分で空想世界を創った記憶はまったくなく、気がつくと、空想世界の住人になっていました。

わたしはもともと、過去の記憶がほとんどないのですが、小学校時代は特に顕著で、覚えていることといえば、空想世界の中の出来事ばかりです。最近、小学校時代の友人と話す機会があったのですが、その人のほうがほたしの何倍、いや誇張ではなく何十倍も当時のわたしの学校生活について覚えていて、自分の記憶のあやふやさに薄ら怖くなったものです。

とはいえ、わたしの大好きなオリヴァー・サックスの自伝タングステンおじさん:化学と過ごした私の少年時代 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)にこんなことが書かれていて、わたしだけじゃないんだ、と妙に納得しました。

そこで過ごした時期の記憶は、不思議なことにわずかしかない。

どうやら抑圧で封じ込められるか忘れるかしてしまったようで、最近、私をよく知り、ブレイフィールドにいた時期について詳しく知っている人に話したところ、相手はびっくりして私の口からセント・ローレンスのことなど初めて聞いたと言った。

じっさい、私が覚えていることといえば、その地にいて即興でこしらえた嘘かジョークか空想・妄想のたぐい―どう呼ぶべきかわからないが―ばかりだ。(p48)

オリヴァー・サックスは子ども時代、戦争のために両親から引き離され、地方で辛い学校生活を送りました。そのころ、だれも自分を気にかけてくれない、だれも自分のことを知らないという孤独感に包まれていて、空想世界にだけ居場所を見いだしていたそうです。当時の日常生活の記憶はほとんどなく、ただ空想世界での物語だけを覚えているといいます。

そのほか、生い立ちについても作り話をした。別の生い立ちを想像して話したのだ。

私はロシア生まれだと偽り(当時ロシアはイギリスの同盟国だったし、私は母方の祖父がそこに出身だったことも知っていた)、そり遊びをしたとか、毛皮をまとっていたとか、夜にそりで走っていてオオカミの群れに追いかけられたとか、手の込んだ長い話ほこしらえては語った。みんなにどう受け止められたかは記憶にないが、私はいつもそんな話をしていた。

またあるときは、何かの理由で幼いころ両親に捨てられ、雌オオカミに拾われてオオカミの群れのなかで育ったと話した。私はキプリングの『ジャングル・ブック』を読んでほとんど暗記してしまっていたので、その話をたっぷり拝借して自分の「思い出」をでっち上げた。

私を囲む9歳の少年たちは、あっけにとられた顔で、黒ヒョウのバギーラや、森の掟を教えてくれたおじいさんクマのバルー、一緒に川で泳いだヘビのカー、ジャングルの王で1000歳にもなるハーティの話を聞いていた。(p49)

わたしも思い返すと、友だちにあれこれと作り話をしていたようなかすかな記憶があります。二重三重の世界で生活していたので、どれが現実の経験だったか、どれが空想世界の出来事だったか、今記憶をたどっても区別がつきません。わたしにとっては、どちらの世界も「ほんもの」だったし、ともすれば空想世界のほうが現実世界よりも「ほんもの」らしく感じてさえいました。今でもそう思っています。

サックスと同じように、わたしはいつも別の生い立ちを想像していました。わたしの生まれ故郷はとある山あいの王国で、すてきな城下町があり、個性豊かなきょうだいや仲間が大勢いて、現実の親戚や学校の友だちなんかより、よっぽど大切に感じていました。単なる「信頼できる相談相手」のような存在ばかりでなく、すべて現実の人間関係と変わらないほどリアルでした。優秀なきょうだいと比較されてコンプレックスを感じたり、特定の仲のいい家族や幼なじみと冒険に出かけたりもしました。だからこそ、そこでの思い出はあまりにも鮮明に覚えています。

現実と地続きになっている異世界

当時のわたしが、現実から逃避して空想世界に引きこもっていたのかというと、そうではないと思います。なぜなら、わたしにとって、空想世界はいつでも現実と地続きだったからです。現実世界と空想世界はつながっていました。

H・G・ウェルズの小説の「塀についたドア」では、主人公はある日、塀に見慣れない緑のドアがあるのに気づき、そこかは別世界を見つけます。C・S・ルイスの「ナルニア国物語」では、主人公のペベンジー4きょうだいは、自宅のクローゼットをくぐって異世界へと迷い込みます。J・K・ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズでは、ロンドンのキングス・クロス駅の9と3/4番線から、ホグワーツ行きの特急が出ています。異世界とはいつだって、現実と地続きになっているものです。

わたしの場合、異世界へと続くドアや特急のような凝った仕掛けはありませんでしたが、現実世界も空想世界も自由に、無意識のうちに行き来していました。

今回の論文で紹介されていた本のなかに、エルマーになった子どもたち―仲間と挑め、心躍る世界に (ひとなる保育ライブ)というものがありました。これは、児童文学ではなく、1984年、三重県の津市立橋南保育所の5歳の子どもたちが経験したノンフィクションの物語です。

ルース・ガネットの有名な児童文学「エルマーのぼうけん」を読み聞かせてもらった子どもたちは、物語の世界にのめりこみ、ごく普通の遠足が、ファンタジーな冒険へと様変わりします。エルマーさながらに冒険の準備をして、山で大きなヘビの穴を見つけ、ガサガサする茂みの音に驚いて、竜探しに熱中していきます。子どもたちにとって、空想の物語世界は、現実と地続きになっていて、ごく普通の山道も、ファンタジーの険しい伝説の山に変わってしまうのです。

これと似たような話は、ボクらはへなそうる探険隊―自然の中で夢を育む北上の子どもたち (ひとなる保育ライブ)イメージの世界をつくる子どもたち―空想の友達バニラと保育園児の1年間でも読むことができます。どちらも、子どもたちにとっては、空想の世界や人物が、現実の存在と同じようにリアルに感じられることを物語る実話です。

想像力豊かな子どもにとって、現実と空想が地続きであることは珍しくないので、今回の論文のなかで、こんな言葉が引用されていました。

Vyse(1997)は、「想像力が人一倍豊かな人は、 別なところに現実があると思い、 普通では考えられない因果関係を信じる可能性がある」と述べており 本節の調査結果はそれを裏付けるものであると言えよう。

想像することでリアルな空想の友達を作り出すことに成功した彼らは、 想像が作り出す驚異の世界をより信じ、 そうした驚異の世界が身近な現実世界においても起こり得るのではないかと考えるに至るのかもしれない。(p235)

小学校時代のわたしも、「別なところに現実がある」と思っていました。それは「空想」ではなく「現実」でした。本物と変わらない空想の友だちがいたので、その一歩先に進んで、本物と変わらない空想の世界へと案内されるままに迷い込んでいきました。さながら、たまたま見かけた白うさぎを追いかけるうちに不思議の国に迷い込んでしまったアリスのように。

では、空想に没頭しやすい子は、現実と空想を混同してしまうのかというと、そういうわけではなく、かえって逆の能力を身につけていくそうです。

例えば、 Singer & Singer( 1981)は、 想像高群の子どもは想像低群の子どもよりもテレビ番組の中の現実と虚構をより高水準で区別したことを見出している 。

また、Sharon & Woolley(2004)は、 空想高群の子どもは空想低群の子どもよりも多種多様な存在を現実的か空想的かで判断することに長けていたと報告している。

こうした結果について、 Woolley & Cornelius(2013)は、「数多くの空想に従事する子どもは、 現実とは何か、 非現実とは何かについてより洗練した感覚を持つ可能性が考えられる」と述べている。

空想に親しむということは、ある意味、空想の専門家、空想の味を見分けるソムリエになるようなものだと思います。空想世界と現実世界の細かな違いを見分ける感性が成長していくので、いずれ空想世界をテーマに小説を描いたりできるようになります。

さっきの言葉にあったように、「別なところに現実がある」、つまり、どちらも現実ではあるのだけど、別のもう一つの現実として区別する、多次元的な感覚になっていきます。こちらの世界にはこちらの世界のルールがあり、あちらの世界にはあちらの世界のルールがある、と区別して考えるようになっていくので、両方の世界を自由に行き来できるとしても、混同することはありません。ハリーにしてもルーシーにしても、向こう側の生活とこちら側の生活をごちゃまぜにしたりしませんよね。

そして創作へ

こうして空想の人物や異世界を持った子どもは、しぜんと創作活動に向かうようです。やっぱり頭の中に別世界があるだけでは満足できず、物語にしたいとか、絵に描きたいと思うのは当たり前だと思います。

この種の子どもは元来想像活動に取り組むことを好み、 日々そうした活動に従事する傾向にある。

そして、 自ら想像した内容を文章やお話、絵に表したりすることを好んでいる。(p235)

空想の友だちや空想世界を持っている小学生を対象にしたアンケートでは、そんな子たちは次のような活動を好むことがわかったそうです。

■誰かになりきる遊び
■自分自身に語りかける自己内対話
■睡眠前の空想
■物語を作ること
■文章を書くこと
■絵を描くこと
■ 一人で過ごすこと

これらは全部、小学校以降わたしがずっと続けていて、生活の一部になっていることばかりです。

その逆に、あまり好まない活動があることもわかりました。

■マンガはあまり読まない
■テレビはあまり見ない
■テレビゲームやテレビアニメはそこそこ平均的に楽しむ

この、あまりマンガを読まない理由については

それは自分で想像世界を作り出して楽しむことで満足しているためかもしれない。(p235)

と書かれていました。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)にも同じように、あまりテレビを見ない理由について、

またテレビをよく見る子は空想の友だちをもちにくく、本をよく読む子も同じでした。

他人の空想世界に浸っていると自分の空想世界をつくりにくいのかもしれません。(p77)

と書かれていました。

わたしの場合、どうだっただろう?と思い返してみましたが、ゲームやアニメ、マンガは人並みに楽しんでいたと思います。でも、子どものころはともかく、大人になるにつれ、アニメやマンガには興味がなくなり、今では家にテレビもありません。物語もたまに読む程度。その理由はここに書かれているとおり、自分の空想世界で満足してしまったからです。

人が創った虚構をわざわざ読んだり見たりするより、自分がずっと住んできた空想世界にいるほうが楽しいし、テレビやアニメを見ている時間なんてなくなります。

毎週のアニメを楽しみにしなくても、毎晩寝る前になると、勝手に空想世界の物語が進行して、予想もつかない展開になっていくので、子どものときからずっと寝る時間が楽しみです。夢の中で奇妙なストーリーに続くこともしばしば。

わたしがこれまで出会ってきた空想世界の人物はもう100人は超えているだろうし、それぞれの物語を書いたり描いたりしようとすれば、一生使っても全然足りません。はじめは自分の空想世界の出来事をすべて書き残したいと日記をつけていましたが、あまりに膨大になるので、あきらめざるをえなくなりました。

中には、本当に一生かけて果てしない空想世界のストーリーを書く人もいるもので、たぶん、作者が一生かけても完結しなかった「グイン・サーガ」あたりは、ストーリーを考えて創作したものというより、勝手に進行していく持続的空想の記録だったんじゃないかな、と思っています。

芸術が得意な人の持続的空想―独自の世界観とオリジナリティの源
国語や美術が得意な人は子ども時代から空想傾向を持っている

だから空想世界の風景を描くんだ

ここまで、子どもの空想世界の発達について色々と調べ、自分の子ども時代を重ね合わせてきました。

長くなりましたが、ここで最初の疑問に立ち返りたいと思います。

どうして、わたしの絵は、子どものころから空想世界の風景と人物がセットなのだろう、どうして他の絵描きさんのほとんどは、背景がなかったり、キャラクターメインで描いたりするのだろう、という疑問です。

結論をいえば、そもそも絵を描いている動機、そして、子ども時代の経験もまったく違うのでしょう。

わたしは、20代になるまで、自分の子ども時代の経験はごく普通のものだと思っていました。だれでも自分なりの空想世界を持っているものだと。目に見えない友だちについては、学生時代に自分の経験は特殊ではないだろうかと気づきましたが、この記事で引用したような資料を見つけるまで、それが何なのかわかっていませんでした。

どうも人とは違うみたいだと調べ初めてから、わたしみたいな体験をした人はそんなに多くなさそうだ、と氣づきました。さっき引用した小学生を対象にしたリアルタイムの調査でも、空想の友だちがいるのは数パーセントにすぎなかったし、空想の友だちだけでなく空想世界も持っている子となると、さらに少数だったのではないかと思います。

たぶん、普通の子が絵を描きたいと思うようになる動機は、「好きなキャラクターを描きたい」がいちばん多いのではないでしょうか。だから、背景がなく、キャラクターメインの絵が多いのではないかと思います。

わたしは昔から愛着のあるキャラクターというのがいなくて、版権キャラのイラストを描くときも、ただお手本があって描きやすいから、という理由で描いていました。マンガやアニメのキャラクターのファンになったことはなく、あくまで、一人のキャラクターとして魅力を感じるかどうかというくらいです。

わたしが絵に描きたいのは、いつだって、自分の空想の仲間たちと、彼らが生きる空想世界の風景なのです。空想世界の住人たちはみなごく普通の友だちなので、キャラクターだけ切り取った絵を描きたいとは思いません。それよりも、そこでの思い出を切り取った絵を描きたいと思います。だから風景があって、人物がそこにいます。

わたしの空想はあまり視覚的イメージは鮮明ではなくて、ほとんど空想世界の住人たちとの会話という聴覚的イメージから成り立っているので、なおさら絵にすることで具現化したいという気持ちが強いです。言ってみれば、一緒に冒険した空想世界の写真を撮って残したい、そんな気持ちで絵を描いています。他人に見てもらうとか評価されるとかはどうでもよくて、ただ記録として残したいだけなので、積極的に絵を宣伝したりはしません。だれかに絵を見てもらいたいという気持ちは年々希薄になってきています。

そういえば、わたしとはちょっと違いますが、永遠に子ども時代の風景を描き続けている画家もいましたね。

「芸術とは夢を見るようなもの」―記憶の画家は終わらない子ども時代を描き続ける
記憶の画家フランコ・マニャーニを通して考える夢を描くということ

そこはいつか帰るところ

わたしが魔法の国に迷い込んだのは小学校高学年ごろでしたが、今でも当時の感覚があまり変わったようには思いません。ウェルズの「塀についたドア」の主人公は、大人になって忙しくなり、やがてドアの中に入れなくなりましたが、わたしはあまりそんなふうに感じていません。

子どものころ、裏路地や建物と建物の隙間を探検するのが大好きでした。だれも入っていかないような隙間、隠された通路、自分だけの秘密の場所。「エルマーになった子どもたち」みたいに、異世界を冒険している気持ちになりました。

不思議なことに大人になっても、その感覚は変わっていなくて、気がつくとどこまでも探検してしまいます。友だちと旅館に泊まりに行ったとき、裏口から続く寂れた山道にときめいて、無理を言って一緒に登ってもらいました。普通の山道のはずが、古の森を探検しているかのようにわくわくしました。

自転車で公園を通りかかって、今まで行ったことのない脇道を見つけるとどうしても行ってみたくなります。初めて行く建物は、未知のダンジョンみたいに思えて、隅々まで探検したくなります。先日大きな病院に行ったとき、待ち時間にあちこち探検してまわりました。

中学校のころ中国に旅行に行ったとき、一人で見知らぬ街をどこまでも探検しようとして怒られました。20代になってモンゴルに行ったときも、高熱を出した翌日に巨大な亀岩に登ったり、ウランバートルを一望できる展望台への階段を喜々として登ったりしました。

子どものときからずっと、わたしの頭の中ではごく普通の世界が、ファンタジーと地続きになっているようです。どこまでも行ってしまえるくらい好奇心が強いですが、帰りの分の体力を計算して自制するくらいには大人になりました。

先日、小学生時代の作品を大量発掘しましたが、当時かいていた詩や絵を見たとき、あれっ、今とあまり変わらないな…と思いました。子どものときの想像力に驚くとか、逆に子どものころより成長したな、という感覚はいっさいなくて、今とまったく感性が同じように思えました。

どうやら、わたしは、子どものときのまま時間が止まっていて、いまだ魔法の国の中にいるかのようでした。相変わらず一人でいても孤独感がないですし、寝る前には空想世界の物語が展開するし、街中で不思議な風景がふと見えたりします。いつも空想と現実が混じり合っているような、すぐに行き来できるような感覚があります。

今回読んだ本によると、子どもの空想の友だちや空想世界は、すべて、理由があって存在しているとのことでした。

一般的に、児童期は想像や空想が沈潜する時期と言われているが、そのように密やかではあれど、子どもは空想の友達を持ち続けていた。

児童期に作り出される空想の友達は、もはや幼児期のように単なる遊び相手ではなく、信頼できる相談相手であり、よき理解者であった。彼らは児童期なりの仕方で想像や空想を必要としているのである。

…空想世界は幼児期も児童期も、彼らにとっての意味や役割は変われども、絶えず必要なものとして存在しているのである。(p263-264)

空想の友だちや空想世界は、年齢によって「意味や役割は変われども、絶えず必要なものとして存在して」います。何かしらの必要に応じて現れ、必要でなくなったときには自然に消えていくものです。

空想世界がふつう大人になったら消えていくのは、想像力がなくなるからではなく、必要とされなくなるからなのでしょう。一人で自立した大人になり、社会の人間関係によって支えられるようになれば、空想の助けは要らなくなります。

だとすると、わたしの場合、まだ空想がリアルなまま存在しているのは、大半の人と違って、大人になってもそれを切実に必要としているからだと思います。

わたしは体調不良で不登校になって以来、下手すれば両手で数えるほどいろいろな病気を抱えています。すでにきょうだいのうち二人が病死していますし、家庭環境もひどいものでしたから、何にもならないほうがおかしいと思います。

でも、身体的にはズタボロなのに、精神的にはおそらく健康な人たちよりも安定しています。落ち込んだり悩んだりすることがほとんどないですし、過去のことを思い出してくよくよしたりもしません。なぜか過去の記憶がどんどん消えていって思い出せないので悩みようがないのですが。

リアルのわたしをよく知っている人や主治医は、わたしの体調が相当悪いのを知っていますが、なぜか毎日、それなりに幸せで満足いく生活を送っていてニコニコしているので、初対面の人にはよく元気な人だと誤解されます。親しい人相手にも病気の話はほとんどしなくて、何年来の付き合いの友人ですらわたしが何の病気なのかほとんど知らないはずです。

こういう部分も、最近まで普通のことだと思っていたのですが、同じ病気の人のブログとか患者会とかを見て、みんなあまりに悲壮感が漂っていて、絶望して、病気のことで頭がいっぱいになっているのでびっくりしました。病気に人生を乗っ取られているかのごとくでした。

なんでわたしはそうなっていないのだろう、と考えたときに、やっと気づいたのは、子ども時代から空想世界が二重三重の防壁になって、わたしを守ってくれていたのだということでした。どんなに現実が辛くても、わたしにはいつも居場所があるし、すべて理解してくれる仲間がいるし、何より空想世界を旅してまわって、それを絵や文章にかいているときは痛みも苦しみもすべてどこかに行ってしまいます。

世の中の大半の人たちは、この空想防壁を持っていないので、難病や他の大きな問題に直面したとき逃げ場がなく追い詰められてしまうのでしょう。わたしは現実世界で追い詰められても、背後に超巨大な空想世界という居場所があるので、心に余裕があります。冒険と創作に忙しいので、病気の不平不満を言ったり患者会の活動をしたりすることに何の関心もありません。

そういえば、10代で不登校になったあと、20歳前に、もしかすると空想の友だちや空想世界を持っていることが体調不良の原因なのでは?と憶測して、無理やり空想をやめようとしたことがありました。すると、精神的な安定が木っ端微塵にくずれ、これまでの生涯で唯一、ひどいうつと混乱状態になりました。結局、空想世界に戻ってくると、安定性がもどりました。どうやら空想は問題の原因ではなく、かえって問題から保護する緩衝役をしているようだと徐々に気づくようになりました。やがて、20代になってから、真剣に悩んだ末、一生、この空想世界と付き合っていくことを選ぼうと決意しました。

20代はじめの比較的元気な時期、一時的に空想世界が薄れかけたことがありました。思えばあのころは、かろうじて普通の社会的な交流に手が届きかけていた時期でした。しかし、その後、体力が減少するにつれ、子どものときの感覚に戻ってきました。今では、日に日に空想世界が身近になって、子ども帰りしているように感じています。

起き上がれないほど体調の悪い日や、先日のように高熱を出したときなどは、さすがの悩まないわたしも、先行きに不安を感じます。このままいつか動けなくなっていって、身体の自由を奪われていくのではないかと。

だけど、今回の本で空想世界の役割について知ったとき、なんだかとても安心しました。

高熱を出したときの記事に書きましたが、高熱で死にかけると、いつもその後、なんとも言えない安心感に包まれて、何十時間も夢の世界を旅する心地よさに包まれます。苦しみを耐えたご褒美のように思っていたのですが、この記事を書いていて、やっと意味がわかりました。

わたしの空想世界は、現実世界で苦しくなって、居場所がなくなればなくなるほど、わたしを包み込んで、生き生きとリアルになっていくのです。

最初にみたとおり、近年、「空想」はネガティブな逃避ではなく、自分ではどうしようもない問題に直面したときに、それを乗り越え、心を守るためのポジティブな働きをすると考えられるようになってきています。そしてどうやら、この種の空想能力は、自分で意図して働かせるものではなく、サーモスタットのように勝手に状況に合わせて機能してくれるようです。

この空想能力の強さには、なぜか個人差があるようですが、この記事で見たようなタイプの子どもは、比較的このサーモスタットが強く、人生で危機に直面したとき、想像力が独りでに働いて、不足しているものを補ってくれます。

豪雪地帯で生まれ育った子は、足腰が強くなり、その強靭な身体は一生役立ちます。同様に、子どものころ他の人には考えられない孤独や居場所のなさと向き合った人は、生き延びるために空想能力が人並み外れて発達し、それがその後の人生でも一生役立つのではないかと思います。

おそらくこれには臨界期があり、大人になってから身につくものではないでしょう。雪国で育たなかった人が大人になってから豪雪地帯に移り住んだら、過酷な体力仕事で身体を壊すだけです。大人になってから強いストレスに直面した人もまた、精神的に追い詰められて逃げ場がなくなるだけです。子どものころにハシカにかかったら免疫ができますが、大人になってからかかったら死にかけるのもそうです。成長著しい子ども時代に困難を経験した人は、代償的にレジリエンス(精神的弾力性)を身につけることができます。

わたしの過去を振り返ると、(ほとんど記憶になく、きっと先ほどのサックスの話と同じく抑圧されているのだと思いますが)、あまり普通の家庭の子どもが経験しないような大変なことばかりでした。でも、今思えば、そのおかげで創作能力が発達したのでしょう。

子どものころ、孤独をいやすために、また居場所のなさを補うために、想像力が独りでに働いて空想の友だちと別世界を創り出し、今でさえ病気のことで悩んだり気落ちしたりしないよう強力な防壁を展開してくれているのであれば、わたしがこれから直面する苦しみもやっぱり想像力が緩和してくれるに違いありません。そう考えるとほっとします。

わたしはただ、これまでどおり、空想世界の冒険を楽しんでいればいいのです。そこはわたしの子どものころからの居場所、生まれ故郷であり、苦しくなったらそこへ帰ることができるのですから。

投稿日2017.11.25