会議中、彼の弁護士に脇に呼ばれ、冗談まじりに(だと思うが)“スティーブ・ジョブズ・ローラーコースター”に乗るんですね、と言われたのがこのころだ。そしてその通りになった。なんと波乱万丈だったことか。(p379)
これは、ピクサーの前身だった会社がスティーブ・ジョブズに買い取られたときのできごとをエド・キャットムルが振り返った言葉です。
スティーブと関わった人は、彼のあふれる情熱に振り回されることになりました。それはまるでジェットコースターのようなものでした。
スティーブ・ジョブズ。稀代のクリエイターで、アップル・コンピューターのCEOを努め、iPodやiPhoneといったユニークな製品によって、文字通り世界を変えたとされています。
惜しくも56歳の若さで亡くなってしまいましたが、彼の発想力、クリエイティビティ、エネルギッシュさは、今なお多くのクリエイターにとって憧れです。
最近、ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法 という本を読んでいたのですが、わたしの知らなかったスティーブ・ジョブズについて色々と書かれていました。
絵に直接関係するものではないですが、一人の創造的なクリエイターの人生を振り返ることで得られる教訓があると思ったので、気になったところを5つまとめてみました。
もくじ
友が見た素顔のスティーブ・ジョブズ
ピクサー・アニメーション・スタジオの共同創業者、エド・キャットムル。
それが、今回紹介する本、ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法 の著者です。
ピクサーは、スティーブ・ジョブズと大きな縁があった会社として知られています。もともとはルーカス・フィルムという名前でしたが、うまく事業が立ちゆかなくなくなり、そのまま消え失せるも同然かと思われました。
しかし、スティーブ・ジョブズに出会い、CG技術の価値と先見性を見ぬいた彼の援助を受けて、ピクサー・アニメーション・スタジオとして、「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」などの名作を送り出しました。
そして、ジョブズの判断でディズニーに売却され、エド・キャットムルはピクサーとディズニーのアニメーション事業を統括することになりました。それ以降、ディズニーの名作アニメを世に送り出し続けています。
そのような経緯があったので、ピクサーはジョブズに大きな恩義がありますし、ジョブズはピクサーに大きな期待を寄せていました。そしてピクサーはジョブズから多くのことを学び、ジョブズ自身もピクサーとの関わりから大きな成長を遂げたと言われています。
冒頭で紹介したスティーブ・ジョブズ・ローラーコースターに乗った人は大勢いますが、最も長い時間乗っていたのは自分をおいてほかにいないと、エドは述べています。そして、その上で、はっきりこう言います。
最近「天才」という言葉が乱用されるが、スティーブに関して言えば、正当だと思う。(p380)
しかし同時に、最も長くスティーブ・ジョブズをそばで見てきた人間として、世の中にあふれているジョブズ評には異議があるそうです。
私はスティーブと26年間一緒に仕事をした。いろいろな人がいろいろな風に彼のことを書いているが、どの描写も私の知っている彼とは似ても似つかない。
皆がこぞって彼の極端な一面や、難しい否定的な正確ばかりを取り上げていることに苛立ちを募らせてきた。(p379-380)
それで、この本では、今までのジョブズ像とは異なる、素顔のスティーブについて率直に書かれています。ここでは5つの項目にまとめました。
1.ジョブズは思いやりを学んだ
スティーブと出会って間もないころ、エドは、サン・マイクロシステムズの創業者ビル・ジョイとスティーブ・ジョブズの会話に出くわしました。
エドはそのときの様子を「タイタンの戦い」と表現しています。二人とも一歩も譲らないやりとりの後、ビルはエドに「まったくもって傲慢な男ですね」と言いました。それからしばらくして、スティーブもエドのところに来て言いました。「まったくもって傲慢な男でしたね」(p71)
一般にスティーブ・ジョブズは傲慢で他人の気持ちを考えない完璧主義者と言われることがあります。確かに初期のころはそうした印象もあったとエドは認めています。
彼の人生のその時期には、人の立場に身を置いてみることがとにかくできず、ユーモアのセンスも皆無だった。(p85)
若き日のスティーブ・ジョブズは、相手に凡庸さや準備不足を感じると、容赦なく糾弾しました。彼と会うときにはもう自分は死んだと思え、と言われていたほどです。
しかし注意深く観察していたエドは、それは不器用なスティーブなりの人との接し方であることを理解するようになりました。スティーブの糾弾に対して果敢に反論した人は一目置かれました。
それが人の考え方やそれを押し通す覚悟があるかどうかを見極める彼なりのやり方だった。(p76)
とエドは分析しています。激しくこきおろすときも、実際には、相手の奮起を促して、アイデアのクオリティを上げたいと考えていることもしばしばでした。
Mr・インクレディブルを創ったブラッド・バードは、スティーブに低予算アニメみたいだと言われてカチンと来ましたが、その言葉をバネにして作品の質を上げ、後に、スティーブは作品の粗探しばかりする「批評家」ではなく、質を高めることを願う「究極の擁護者」だったと気づきました。(p387)
やがて、スティーブはエドやピクサーのクリエイターとの関わりを経て変わっていきました。ピクサーがアニメーションスタジオとして軌道に乗った後のスティーブについて、エドはこう振り返っています。
コメントや指摘をするときには決まって前置きがあった。「自分は映画づくりに関しては素人だから、まったく無視してもらっても構わないが…」と言ってから、驚くべき効率のよさで問題を正確に診断しはじめるのだった。(p394)
スティーブは自分の能力の限界を認めることを学びましたし、他の人の気持ちに配慮する点でも、思いやりを示す点でも円熟しました。
スティーブが亡くなったとき、ピクサーのクリエイターたちは、スティーブが自分たちの後押しをしてくれたことに感謝したといいます。
アンドリュー・スタントンは、スティーブのことを「クリエイティブ・ファイヤーウォール」と呼んだ。スティーブがいてくれたおかげで、ピクサーの人々は「放し飼いのニワトリのようだった」と言って笑いを誘った。「スティーブは、私たちの創造性の安全を守るために何でもしてくれました」(p400)
ジョブズは、若いころは高圧的でしたが、次第に人の意見やアイデアに耳を傾けることを学びました。特に、自分には無いものを持っている人たちからの意見を尊重しました。「人の立場に身をおいてみる」ことを学ぶなら、他の人の共感を得る作品を創る助けになります。
2.ジョブズは自ら進んで変化した
人への配慮の点でもそうですが、エドが見たスティーブのすばらしいところは、自ら進んで変化し、進歩する意欲を持っていたことだといいます。
方向転換を意志の弱さの表れ、自分を見失ったと認めるのと同じだと考える人は多い。私にはそれが信じられない。
個人的に、自分の考えを改められない人は危険だと思う。スティーブ・ジョブズは、新事実が明るみになるたびにコロコロ変わることで有名だったが、彼のことを弱い人間だと言う人を見たことがない。(p208)
スティーブ・ジョブズは、一般には、持論に固執し、融通の利かない頭の固い人のように描かれがちです。しかし友の見たスティーブは、むしろ、道理にかなった考え方をしていて、状況に応じて、自分の意見を変えることを恐れませんでした。
もちろん、それは嵐に翻弄される船のように、あちらこちらへと流されたという意味ではありません。そうではなくデータを分析したり、他の人の意見に耳を傾けたりした結果、適切な舵取りをして、航路を修正できた、という意味です。
彼がいかに変化したか、エドはこう回想します。
全体像をつかむのは本当に難しい。私はスティーブと四半世紀以上(ほかの誰よりも長いと思う)一緒に仕事をし、雑誌や新聞に見る「容赦ない完璧主義者」という描写や、彼自身が認めた評伝とさえ一致しない彼の人生の軌跡を見た。
容赦のないスティーブ―無作法で才能あふれるが感情面に鈍い男という最初の印象―は、その後の人生の最後の20年間で別人に生まれ変わった。(p392)
そして、そのように変わった秘訣について、単に年齢が進んだことで落ち着きを得た、というようなものではないと説明します。
年齢とともに円熟したのだと言う人もいるが、私はその見方は事実を十分に表わしていないと思う。それではあまりに受け身であり、失っているだけのように聞こえる。スティーブの変化は能動的なものだった。人と積極的に関わることをやめなかった。ただそのやり方を変えただけだった。(p395)
スティーブは、常により良いやり方を模索していて、人との関わり方や、行動の仕方など、自分の振る舞いをさえ改善し、いつも変化しようとする意欲を失わなかったのです。
変化を恐れない、ということは、言い換えれば、失敗を恐れず、色々なことに挑戦するということでもあります。失敗を恐れる人は、今自分が持っている資産や立場、環境を失うことを恐れて、現状維持を決め込み、変化することができません。
エドはこう述べます。「失敗は必ずしも悪いことではない。むしろ、まったく悪いことではない。新しいことをするときに必要な成り行きである」(p406)
3.ジョブズは他の人のアイデアを認めた
ジョブズというと、とても押しが強く、持論やアイデアを暴力的なまでに押し通す情熱ある人と見られがちです。しかし彼はその点でも、線路に沿ってしか走れない電車のような融通の利かなさを示していたわけではありません。エドはこう述べます。
スティーブは、効果のないものを手放すことに関して驚くほどの才覚に恵まれていた。けれども、人と言い争った後、相手が正しいと納得したら、その瞬間に考えを改めた。自分が一度すばらしいと思ったからといって、その考えに固執する人ではなかった。(p388)
頭の固い頑固な人ではなく、むしろすぐに自分の考えを修正できる、フットワークのいい人でした。そのようなスティーブの姿勢は、自分のやり方を後の世代に押し付けようとしなかったことにも表れています。
スティーブ・ジョブズはこのときのことを肝に銘じてアップルの社員に繰り返し話し、自分は社員に絶対に「スティーブならどうするか」とは考えてほしくない、と言っていた。ウォルト、スティーブ、ピクサーの人々の中で、それまでうまくいっていたことにしがみついているだけで創造的な成功を果たした人は一人もいない。(p224)
スティーブは、ひとりひとりのアイデアの独創性を認められる人でした。
確かに若いころは、あらゆることを自分がやったほうがうまくいく、という驕った考え方をしていて、エドにピクサーの社長を譲れ、と言ったことさえありました。しかし、やがて、一人ひとりの能力を認め、多種多様なアイデアを尊重できる人に変わっていったのだそうです。(p69)
ピクサーが長編映画を創りたいと述べたとき、スティーブはこう反応したと書かれています。
彼は、初のコンピュータ・アニメーションによる長編映画をつくるという我々の決意を尊重した。仕事のやり方について指図しなかったし、自分の望みを押しつけることもなかった。
我々がどうやって目標を達成したらよいかわからなかったときでさえ、我々の熱意を認め、評価した。(p382)
スティーブ・ジョブズは、人のアイデアを尊重できる人であり、特にピクサーにとっては、一番の理解者、最強の庇護者だったのです。
わたしたち一人ひとりはどんなに賢い人でも、全体を見渡す視点を持つことができません。建物の中にいる人は、その外観を見ることができませんし、外にいる人は内装を見ることはできません。
それぞれ違う立場にいる人が、それぞれの視点から得たアイデアを交換することで、創造性は飛躍します。だからこそ、自分のアイデアこそが最善だと考えるのではなく、他の人のアイデアにも耳を傾けることが大事です。
エドは皮肉っぽく「他の視点を遮断したいなら、自分が正しいと確信することほど効果的なことはない」と述べています。(p404)
4.ジョブズは人の心をつかむストーリーテラー
スティーブ・ジョブズは、人の心をつかむスピーチがうまいことで知られていました。「ポケットに1000曲を」というキャッチフレーズに魅了された人は多いはずです。
そのような人の心をつかむ能力は、一般に考えられているジョブズ像とは違い、スティーブが人の心の動きに敏感で、感情をよく理解できる人だったことを示しています。
彼はピクサーのアニメーションについても、それが人々の心をどうつかむのか、強い関心を払っていました。
ピクサーでは、スティーブは人が練った物語に参加できた。それが人間関係への理解を深めることに役立ったように思う。
彼はピンとくるか、信ぴょう性が感じられるかなど、作品が引き起こす感情に自分の論理的思考を当てはめてみて、何か解放されているようなところがあり、観る人の深い共感を得ていることがピクサーの成功をもたらしていると理解した。(p390)
スティーブは論理的な人でしたし、同時に感情的な人でもありました。コンピューターのように理詰めで動くわけではなく、かといって熱意にまかせて直情径行するタイプでもなかったようです。
彼は、感情で物事を判断してはいけないとわかっていた。だが同時に、創造性が直線的に生まれないことや、芸術とビジネスは違うこと、金儲けの論理を押しつけることは、ピクサーが他と一線を画しているものを妨げる危険があることも理解していた。
この等式の両側、つまり理屈と感情のどちらも重視しており、そのバランスの維持の仕方が彼を理解するカギだった。(p383)
スティーブは論理的に考えることと、感情に訴えることとのバランスをとれる人でした。それゆえに、論理性が求められる経営者としても、感情をつかむことが大切なクリエイターとしても成功できたのでしょう。
スティーブ・ジョブズには、実はこんな夢があったそうです。
ピート・ドクターはスティーブから、生まれ変わったらピクサーの映画監督になりたいと言われたことがあったという。もしそうなったら、まちがいなく指折りの監督になると思う。(p390)
人の心をつかむ優れたストーリーテーラーであったスティーブ・ジョブズが、どんな映画を作るのか、ぜひ見てみたかったものです。
人を動かす大きな要素はストーリーです。エドは「物語がきちんとさえしていれば、視覚的に洗練されているかどうかなど気にならない」と言いました。(p64)
物語を語れる人とはすなわち、他の人の感情に敏感である人です。創作するときにも、どのような物語を込めたいのか、この作品を通して、どのような感動を伝えたいのか、ということを意識しつつ、見る人の気持ちを考えるなら、心に残る作品を創る点で進歩できるでしょう。
5.ジョブズはコミュニケーションを大切にした
ジョブズの一般的なイメージだと、彼はまともにコミュニケーションできず、我が強くて人とうまくやっていけなかったかのように思われていることもあります。
しかしピクサーの本社棟の設計を担当したとき、スティーブは、まったく違う一面を見せました。
「会社の一番の資産は社員」だとよく言われるが、ほとんどの経営者は口先だけだ。わかっていても姿勢を改めないし、経営判断に生かさない。しかしスティーブは違った。
その考え方を本社ビルの設計の軸に置いた。建物のあらゆることが、人々が混ざり合い、出会い、話をすることを促し、協力し合う力を高め、映画づくりを支援するよう考慮されていた。(p386)
スティーブの設計したピクサーの本社ビルは、独りよがりで住みにくいものではありませんでした。むしろ、スタッフが、互いに意見を交わし、より親しくなれるよう、コミュニケーションしやすさを重視した、開放的かつ、人々の動線が交わりやすいデザインでした。
そのため、ピクサーのスタッフは敬意を込めて、それをジョブズの映画作品と呼びました。
四年間の構想と建設を経て2000年秋に完成したとき、ピクサーのスタッフ―映画一本制作するのにだいたい四年かける―がこの建物を「スティーブ・ムービー」(スティーブの映画作品)と呼んだのもうなずける。(p387)
スティーブは、クリエイティビティというのは個人プレーではなく、多くのスタッフが互いに交流し、コミュニケーションすることによって生まれるものだと考えていたのです。
彼は若いころにはワンマンだったかもしれませんが、さまざまな人と関わり、他のクリエイターの優れた仕事を見るにつけ、互いから学ぶことによって生じる相乗効果を、とても重要視するようになりました。ほかの誰よりも彼自身が、他の人から多くのことを学んでいたからです。
クリエイティブな仕事というと、つい部屋に閉じこもって自分の世界に入っているようなクリエイターを想像しがちです。確かにそんな時間も必要なのでしょうが、そのとき発揮される創造力を支えているのは、日常生活における他の人との関わりです。
自分の世界を創るのは大事。でも自分の殻に閉じこもらない。人との関わりのないところに創造性は生まれない。そのことをよく銘記して、バランスをとっていきたいと思います。
冒険心を忘れないすべてのクリエイターへ
わたしは、スティーブ・ジョブズについて詳しいわけではなく、Appleやピクサー映画の熱狂的なファンというわけでもありません。
もちろん、iPadなどのApple製品は使っていますし、トイ・ストーリーなどのピクサー映画も見てきましたが、それを作った人たちについては、ときどきネット上の記事やメイキング映像で見るくらいで、あまり詳しい知識はありませんでした。
今回読んだこの本は、わたしにとって、新しいスティーブ・ジョブズ、新しいピクサーを見せてくれるものでした。わたしが断片的な情報から思い描いていたジョブズではなく、一人の人間としての素顔のジョブズが描かれていました。
不器用ながらも、エネルギッシュで、常に変化していこうという意欲にあふれた素顔のジョブズは、とても魅力的な人だと感じました。もちろん、人は一人ひとり違うので、だれもがジョブズを目指す必要はありません。けれども、わたしも、ジョブズのような精力的な態度や、柔軟性、挑戦する意欲をもって行動していきたいと感じました。
この本は、フォーブズ誌によると、「これまで書かれた中で最高のビジネス書かもしれない」と紹介され、ベストセラーになったそうです。わたしはビジネス書とは思わず、クリエイティブな人たちについて読みたかったので、この本を手にとったわけですが、読んでいてわくわくする冒険がつまった創造性あふれる一冊でした。