あなたも知らず知らずのうちに恩恵を受けているかもしれません。それは深みのある赤色や琥珀色をしています。最高級の家具に使われることもあれば、家の建材や、船、桟橋、電柱、柵、さらには薬の材料にもなります。この用途の広い有用なものとは何でしょうか。それはユーカリの木です。
長年、病気に対処しながら生活していると、ふと健康で何の問題もないような人たちが羨ましくなることがあるかもしれません。自分は多くの時間を無駄にしてきた、と感じることがあるでしょうか。そのようなとき、ユーカリについて考えてみるなら新しい視点を得ることができます。
ユーカリ―乾燥地に育つ優れた木材
ユーカリと一口に言っても、その種類はさまざまです。たとえば、オーストラリアのユーカリプツス・レグナンスは、もっとも背の高い被子植物で、高さは90mを超えます。他方、マリー・レッドガムは、5mほどしかない潅木で、乾燥地に育ちます。今日ご紹介したいのは、この後者のほうの、乾燥地に生きるユーカリです。
ユーカリが、非常に優れた木材に育つのはなぜでしょうか。それは乾燥地に育つことと密接に関係しています。乾燥地というと条件が悪そうに思えるかもしれません。ところがユーカリは、根に大量の水分を蓄え、日照りでひび割れた土壌にさえ育つことで知られています。
乾燥地に生きるユーカリは、200年もの歳月をかけて、優れた材質の木として育ちます。この話を聞いたある日本人は、ユーカリを日本で植林したそうです。どうなったでしょうか。雨の多い日本では成長が早く、かえって質の悪いパルプにしかならなかったとのことでした。ユーカリは、長い時間をかけて干ばつに耐え、過酷な土壌で熟成するからこそ、優れた建材になるのです。
病気という過酷な環境で
わたしたちについても、ユーカリと同じように考えてみることができるでしょうか。難病を抱えて生きる人たちは、日夜過酷な環境に耐えています。いつ終わるともしれぬ苦痛を辛抱しているうちに、何年、何十年と経過してしまったかもしれません。しかし、それは無意味な日々ではありません。
植物の世界では、短期間に多く収穫できる畑の作物は、言うまでもなく重宝されます。しかし長い年月をかけて熟成するユーカリのような木材も、やはり重宝されます。
わたしたちの社会でも、健康で短時間のうちに多く活動できる人たちには、それに適した役割があるでしょう。その一方で、長年病苦を忍ばねばならなかった人たちにも、やはり経験を活かせる機会があると思います。
もちろん、苦しく辛いことは無いに越したことはありません。ですから、わたしは、病気になってよかった、とは決して思いません。
しかし、病気になってしまった以上、そこから何かを得るのは大切ではないでしょうか。病気という普通にはありえない過酷な環境と向き合い、自分の根を強固に張り巡らすなら、忍耐する能力や自制心、他の人を思いやる心を育むことができるでしょう。長い時間をかけて培った、そのような強さは、どこにおいても重宝されるはずです。それらは、恵まれた環境に生きる人たちにとっては、望んでもなお身につけることができない貴重な才覚なのです。
ユーカリのように生きる
冒頭に書いたように、長年病気を患っていると、自尊心を失ってしまいがちです。自分は多くの時間を無駄にしてきた、この年になっても何もできていない、と感じてしまうことがあるかもしれません。身近な人や医者から、心ない言葉をかけられたために、そう思うこともあるでしょう。
しかし忘れないでください。ユーカリも、常に価値を認められてきたわけではありません。19世紀、ヨーロッパから入植者がやってきたとき、ユーカリは開発の妨げになると考えられて、およそ30万平方kmにわたって根こぎにされました。しかし、中にはユーカリの価値を認める人もいたのです。そのおかげでユーカリは現在の評価を得るようになりました。
わたしは、長年病気と闘っている大勢の人たちから励みと力を受けてきました。そして、病気の人たちの語る経験が、ときには健康な人たちを動かし、心を燃え立たせる様子も見てきました。
ですから、自尊心が保てないときがあるとしても、また、あなたの価値を軽視する人がいるとしても、心を強く保ってください。病苦を耐え忍ぶあなたには確かに価値があり、あなたを高く評価してくれる人がきっといるはずです。そして、知らず知らずのうちに、あなたから恩恵を受けている人もいることでしょう。干ばつのもとで成長してきたユーカリが優れた木材であるように、苦難のもとで懸命に生きてきたあなたも、有用な存在なのです。