ご自分が不安定型愛着を抱えているかもしれないし、恋人や配偶者や子どもや同僚がそうかもしれない。
カップルのどちらかが不安定型愛着を抱える確率は何と50パーセントを超えるのだ! さらに三人の人がいて、そのうち一人でも不安定型愛着を抱えている可能性は、七割にも達する!
不安定型愛着がどういうものかを知らずに世渡りすることは、片目を眼帯で覆って車を運転するようなものだと言えるだろう。 (p49)
不安定型愛着? 聞きなれない言葉です。しかもそれが身近に大勢いるというのです。自分がそうかもしれないとも書かれています。これは血液型占いのような根拠に乏しい話なのでしょうか。
不安定型愛着とは愛着障害にまつわる用語のようです。最近わたしが読んだ本、いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳にも愛着障害についてのコラムがありました。遠い世界の話かと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。
その本では、虐待やネグレクトは愛着障害をもたらし、脳の発達に破壊的な影響を及ぼすという研究が紹介されていました。
では虐待やネグレクトほど過酷でないものの親の育て方や幼いころの養育環境によって、子どもが一生、影響を受けるということがありうるのでしょうか。
少し興味があったので、わたしの先生が、分かりやすかったと紹介してくれた本、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)を読んでみることにしました。
これはどんな本?
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)は、遺伝子と同じほど人生に影響を及ぼしているとみられる愛着の問題について、バラク・オバマやビル・クリントン、夏目漱石、太宰治といった有名例を交えて、文学的に説明された書籍です。
お父さん、お母さんとの、子どものころの結びつき。それを愛着といいます。従来、愛着の傷、すなわち愛着障害は、悲惨な家庭に育った子どもだけにみられる心の傷と考えられてきました。
ところが、最近では、わたしたちすべてに多かれ少なかれ影響を及ぼしていることがわかってきたといいます。明確な境界線はないことから、著者は愛着スペクトラム(=連続性)障害という名前を提唱しています。
人にばかり気を遣ってしまう、素の自分を出すのが苦手で内気、拒否されたり傷ついたりすることに敏感、つい意地を張ってしまう…。こうした性格の背後には、子供のころの愛着の問題があるかもしれないのです。
愛着障害とは何か?
もっと子育てを効率よくしよう。かつてイスラエルの集団農場キブツで、そんな実験が行われました。複数の親が分担して子育てをすれば、時間の節約になり、子どもも自立するはずだ、と考えたのです。
ところが、成長した子どもたちは、周囲に無関心で、無気力になり、対人コミュニケーションがうまくできませんでした。親という特別な存在の結びつきがなかったため愛着障害を抱えてしまったのです。(p23)
愛着理論の生みの親、ジョン・ボウルビィによると、愛着の絆で結ばれた相手を求める純粋さを愛着行動といいます。メアリーエインスワースは愛着がもたらす安心を、安全基地と呼びました。(p26,32)
この2つがしっかりしていれば、わたしたちはどんな試練にも耐えられます。安心感があるので、安全基地から外の世界に出て、いろいろなことにチャレンジします。ショックを受けても、愛着行動により安全基地に戻り、心の安らぎを得ます。
たとえば、有名な「夜と霧」の作者ヴィクトール・E・フランクルは、アウシュビッツ収容所において、愛する人(安全基地)のことを回想して(愛着行動)、心の平衡を保てました。(p35)
しかし不幸にして、幼いころに親を失ったり(死別)、親が愛情を注いでくれなかったり(虐待、ネグレクト)すると、愛着が損なわれ、反応性愛着障害と呼ばれる病的状態になります。(p29,46)
反応性愛着障害については、友田明美先生や、杉山登志郎先生の研究が有名です。このブログでも取り上げているのでご覧ください。
そこまでひどくなくても、幼少期の愛着パターンは大人になると愛着スタイルに発展し、七、八割の人で生涯影響を及ぼすと言われています。
たとえば、以下のような特徴は、子どものころの満たされない気持ちからくる愛着障害かもしれません。(p45)
■ 自尊心に乏しく、モノやお金に依存する。性的な問題も抱えやすい
■ 自分を過度に高く評価し、特別な人間だとみなそうとする
■ 人を信頼しにくく心から愛せない
■ 人前で違う自分を演じる
■ ほどよい距離が取れない
■ 傷つきやすく、ネガティブ。ストレスにもろい。負の感情にとらわれる
■ 過去の傷にとらわれ、過剰反応する
■ 悪い点にとらわれて、良い点が見えなくなる
■ 心や性格より、家柄や容姿、学歴に関心を示す
■ 意地っ張りでこだわりやすい
■ 不器用で場当たり的。計画性がない
■ 発達障害と診断されることもある
■ 小さい子どもとどう接していいかわからない、子どもが苦手
■ 感情を感じにくくなる失感情症、空腹など体の声が聞けない失体感症
■ 特にひどい場合は境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害になる
不安定型の愛着スタイルは3タイプあり、依存したり人とべったりした関係になりやすい場合を不安型、人とつながったり、失敗したりするのを過度に恐れる場合を回避型、どちらも強く、人に頼りたいけれど頼れない悩ましい状態を恐れ・回避型あるいは未解決型と呼ぶそうです。
こうした不安定な愛着スタイルは、幼いころの養育環境が原因で身につくものですが、これは必ずしも、親を悪者にすることを正当化するものではありません。
子育てを完全にできる親は一人もいません。ほとんどの親はみな一生懸命に子どもを育てていますが、不慮の死や、他の兄弟との兼ね合いによって不幸にも、ある子どもが満たされない思いをしてしまうことがあります。
例えば、別の記事で紹介したように、脳神経学者オリヴァー・サックスは、愛情深い両親のもとに生まれましたが、戦争の疎開体験によって幼少期に親から引き離され愛着が不安定になりました。
同様のことは、幼いころに病気や手術、そのほかのやむない理由によって、親子の関わりが妨げられた人にも生じ得るでしょう。
たとえ虐待やネグレクトをするようなひどい親であったとしても、そもそもその親自身が、子ども時代に親から愛されず、愛着障害を抱えていたのかもしれません。
そうすると、だれが悪いのか、という論争は、いわばニワトリが先かタマゴが先か、といった答えのでない問題につながります。
「不安定な愛着スタイル」という苦しみや、「愛着障害」という病的状態が存在するからといって、単純に親が悪いと非難するわけにはいかないのです。
原因はもっと根深いところにあるからこそ、愛着からくる問題は、これほどまでに厄介で、人類史全体を通して、あらゆる人種、文化、国家において息づいてきたといえます。
愛着障害の有名人たち
愛着障害は、何も悪い面だけが際立っているわけではありません。不安や悲しみを原動力にして創造力を発揮したり、安全基地がないために大きな賭けに出て成功したりした有名人は大勢います。
この本には以下のような有名人の例が出てきます。ほとんどが事後診断であり、勝手に愛着障害だと決めつけるわけにはいきませんが、生い立ちが波瀾万丈の人生に関わっていたというのは確からしいと思います。
ジャン=ジャック・ルソー:幼いころに母を失い、父に溺愛され、度の過ぎたいたずらなどの問題行動が目立った。(p61,173,260)
夏目漱石:歓迎されざる子として生まれ里子に出された先で裏表のある親に溺愛され、押し付けがましい愛情にさらされた。斜に構えた性格で、心から人を信じられなかった。(p65,126,283,300)
川端康成:幼いころに父母を失い、ずっと虚弱体質だった。年下の女性を愛するロリータ・コンプレックスであり、女性自身ではなく、体の各部分に美意識を感じた。 (p57,130,274)
太宰治:母に、乳母に見捨てられ、愛着障害から境界性パーソナリティ障害、失感情症に発展し、「生まれて、すみません」と書いた。(p75,156)
ビル・クリントン:祖父母に育てられ、自らアダルトチルドレンと告白している。人の顔色に敏感で、相手にうまく合わせて、自分を演じ、嘘をつくようになった。(p43,90,290)
アーネスト・ヘミングウェイ:気の強いわがままな母に、女の子の格好をさせられたりと人形のように育てられた。依存症やうつを抱え、自殺した。(p94,116,132,143,149)
ほかにも中原中也(p99)、ミヒャエル・エンデ(o88)、スティーブ・ジョブズ(p147,291)、バラク・オバマ(p41)、ヘルマン・ヘッセ(p138)、エリク・H・エリクソン(p150,250,288)、ジャン・ジュネ(p161,272)、谷崎潤一郎(p175)、チャールズ・チャップリン(p178)、釈迦やムハンマド(p180)、高橋是清(p181)、マーガレット・ミッチェル(p255)などが登場します。
これらの人たちは、いくら書いても描いても挑んでも癒されない愛着の傷があったからこそ、果てしなく成功へと進み続けて、安住の地を見いださなかったのです。
「創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害を持たないものが、偉大な創造を行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう」と著者は述べています。(p74,182)
愛着障害と心身症
愛着障害の症状の中で述べたように、愛着障害はさまざまな病気と関わっている可能性があります。
たとえば、境界性パーソナリティ障害や解離性障害は、不安定な愛着スタイルと密接に関わっていることがわかっています。
この本には書かれていませんが、慢性疲労や慢性疼痛のような、ストレス性の難治疾患も例外ではないと思います。
本書では、どんな病気でも治療が難しいケースにこそ、愛着障害がかかわっており、心理療法や認知行動療法が効かず、治療者との関係もこじれやすいと書かれています。(p242)
症状となって表れた段階を「疾患」として捉えるのが、現在の診断体系であるが…ドミノ倒しの最初の段階に関わっているのが、愛着障害であり、最後の段階が、さまざまな「疾患」なのである。
…愛着障害の人は、しばしば神経過敏で、自律神経系のトラブルにも見舞われやすい。(p122)
慢性的な疲労においても、三浦一樹先生は、「家族や周囲、職場の人間関係の破綻にともなう重大な心的/身体的トラウマが底辺にあると、発症しやすくさらには治りにくい要因となっている」と述べています。
また村上正人先生は、患者について、「感情の認知や的確な表現が失われている失感情症、疲労や空腹などを十分に認知できず、体の声を聞くことができない失体感症を抱えていることが多い」としています。
本書では太宰治が空腹を認知できなかったことが触れられています。(p156)
後の補足部分で追記していますが、愛着障害が様々な身体的問題を招くのは、愛着という現象が心の問題ではなく、生物学的なメカニズムを有しているからです。厳密に言えば、愛着障害は脳の発達そのものを変化させうるものです。
失体感症(アレキシソミア)とは、不安型の愛着スタイルに伴いやすい、身体的ストレスを感情的苦痛として感じてしまう現象です。情動脳が理性脳を圧倒しているせいで、空腹や疲れといった身体的なストレスに気づけず、むなしい、死にたい、といった感情的苦痛として認知されます。
反対に、失感情症(アレキシサイミア)とは、回避型の愛着スタイルに伴いやすい、感情的ストレスを身体症状として感じてしまう現象です。理性脳が情動脳を抑圧しているせいで、悲しい、辛い、寂しいといった感情的苦痛が麻痺して、代わりに身体症状として認知されます。
村上正人先生が書いておられるこちらの記事では、この二つのタイプが、どのようにさまざまな心身の不調につながりやすいかが、とてもわかりやすく解説されていました。
心身がラクになる、「考え方のクセ」の直し方|女性|NIKKEI STYLE
「自律神経を乱しやすい人のストレスの受け止め方は、大きく2タイプに分かれます。
ストレスを大きく膨らませる神経症タイプと、ストレスを無視して頑張りすぎる過剰適応タイプ。
2タイプを併せ持つ人もいます」と話すのは、山王病院心療内科部長の村上正人さん。
愛着スタイルという言葉は記事中に出てきませんが、こころの問題や疲労感を感じやすい神経症タイプが不安型愛着スタイル、体のさまざまな不調を感じやすい過剰適応タイプが回避型愛着スタイルに相当します。2タイプを併せ持つ人が恐れ・回避型です。
ですから、難治性の心身の症状には、愛着スタイルの問題が根底に関わっているケースが少なくなさそうです。
その場合には、病気を治そうとするだけでなく、心身双方のアプローチから治療していくことも必要でしょう。
上記の村上正人先生の記事には、考えかたの癖を修正するアドバイスが多数書かれていますし、今回紹介している 愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)にも、不安定な愛着を克服していくための方法が幾つか書かれています。
■未解決の傷を癒やす
■親との関わりで幼いころの不足を取り戻す
■遊んだり、表現したりする子どもらしいことを楽しむ
■傷ついた体験を語り尽くす
■親と、また過去と和解する
■やるべき役割を担い、周囲との関係を築く
■自分で自分の親になる
■人を育てる
詳しくは本書をご覧ください。
自分の愛着スタイルを調べる
ここまでのところで、わたしも愛着障害に違いない! と思う人がいるかもしれません。しかし誰にでも該当するあいまいな記述を、自分に当てはまると思い込む心理学の現象「バーナム効果」には注意が必要です。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)の巻末の愛着スタイル診断テストをやってみると意外な結果に驚くかもしれません。
わたしはというと、自分はかなり不安型だろうと思いながら、テストしてみたところ、意外にも、「愛着回避が強いが、ある程度適応力があるタイプ」でした。
わたしがなぜ回避傾向が強いのかは定かではありませんが、やはり、幼いころの環境に原因があるのでしょう。
こうしたテストで自分の愛着スタイルに気づくと、いかに幼少時の環境が今に至るまで根深い影響を及ぼしているかに気づき、沈鬱な気持ちになるかもしれません。
しかし愛着障害があっても、むしろそれを創造への原動力と変えることができる。愛着障害を克服し、より深みの増した人生を送ることができる、本書はそう励ましてくれていると思います。
著者は最後にこう書いています。
愛着障害を克服した人は、特有のオーラや輝きを放っている。その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。
そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。(p303)
補足 : 愛着障害の生物学的な理由
この記事を書いた当初、最初に愛着障害について学んだころは、愛着障害を「心理的な」また「精神医学的な」ものだと考えがちでした。
国内では、この概念はおもに心理学や精神医学の文脈で取り上げられ、あくまで傷ついた心の病理であるかのように扱われているからです。
しかし、後により深くさまざまな本を調べていくうちに、愛着障害を、「心の傷つき」のようにとらえる見方は、科学的に正しくない、と考えるようになりました。
すでに書いたとおり、愛着パターンを決めるのは、だいたい生後三年ごろまでの養育環境です。
なぜ、その時期の出来事が、「第二の遺伝子」とも言えるほど、わたしたちの人生に影響を及ぼすのでしょうか。単に、子どものころに言われたりされたりしたことが、心理的に刷り込まれるだけなのでしょうか。
この記事で取り上げたような精神医学的な観点からの愛着障害の本には、このあたりの詳しい説明は書かれていないことが多いものです。
しかし、神経可塑性を研究している精神科医ノーマン・ドイジによる脳は奇跡を起こす の第9章「記憶の“亡霊”と決別する」には、愛着が及ぼす問題についての詳しい生物学的な説明があります。
愛着パターンが決まるのが、生後半年から1年半、長く見ても3年ほどであるのは、その時期の脳の発達と関係しています。
ヒトの場合、二歳までは右半球のほうが大きい。左半球はそれから急激な成長をはじめるが、三歳頃までは右半球が脳を支配している。
二歳二ヶ月の幼児は、複雑な「右脳に支配された」感情的な生き物であるが、左脳の機能がまだじゅうぶん発達していないので、自分の経験したことを話すことができない。(p267)
わたしたちの脳は、生まれてすぐは、右脳が発達していき、左脳は生後2年ごろになってようやく成長しはじめます。3歳くらいまでは、だれもが右半球が優位な状態にあります。
脳の右脳と左脳の違いについては、聞いたことのある人も多いかもしれませんが、右脳は無意識的な感覚の処理をしていて、左脳は言語などの意識的な意味の処理が得意です。
わたしたちの記憶には大まかにわけると、無意識的な「潜在記憶」(手続き記憶)と意識的な「顕在記憶」の二種類があります。
わたしたちが意識して思い出し、言葉に言い表せるのは左脳が関係する「顕在記憶」のほうです。この記憶は、思い出したり、言葉に出したりするたびにころころ変化します。認知症になれば失われていきます。
一方、右脳が関係する「潜在記憶」(手続き記憶)は、たとえば自転車の乗り方のように、言葉にはできない身体に染み付いた感覚的なものです。こちらは自分では気づけない代わりに、失われることもほとんどありません。
生後3年ほどの子どもは、右脳が優位なので、あらゆる物事を、無意識の感覚的な記憶の中にたくわえていきます。潜在記憶は、自分で気づけず、言葉にできませんが、身体にしみついているので、無意識のうちに行動に反映されます。
生まれてから三年以内にトラウマを経験した場合、そのトラウマの顕在記憶は、あったとしてもごくわずかだと思われる(Lは、四歳までの記憶はひとつもないと話していた)。
しかし、これらのトラウマについての手続き記憶/潜在記憶は存在していて、トラウマと似たような状況に置かれたときに噴出したり、誘発されたりする。
…感情的なかかわりにまつわる潜在記憶は、転移あるいは人生のさまざまな場面において、しばしば繰り返される。(p270-271)
つまり、生後わずか3年ほどの養育者による扱いは、記憶としては覚えていなくても、右脳に、そして身体に記録されていて、自分でも意識しないうちに、自転車の乗り方のような思考や行動のクセとして、再現また再演され続けてしまうということです。
たとえば、マシュマロ・テスト:成功する子・しない子 には、幼少期の不安定な愛着と関連する次のような研究について載せられていました。
深刻な虐待や、施設での冷淡な教育などの、極端に不利な体験をすると、赤ん坊は脳の可塑性のせいで(最初の1年のあいだはとりわけ)、主要な神経系に対する損傷に非常に弱い。
意外にも、非身体的ではあるものの繰り返し起こる親の対立のような、もっとずっと穏やかな環境ストレス要因でさえ、重大な害を及ぼすことがある。
ある研究で、生後半年から1年の赤ん坊が眠っているあいだにfMRIで脳をスキャンした。就寝中にとても腹立たしげな言葉を耳にすると、たえず対立している親と暮らしている赤ん坊は、それほど対立が見られない家庭の子どもと比べて、情動とストレスを調整する脳の領域が盛んに活性化した。
こうした研究結果から、発育にとって決定的な時期には、社会的環境に由来する比較的穏やかなストレス要因でさえ、ホットシステムに認識されることが窺われる。
赤ん坊が発育するにあたり、初期の情動的体験は脳の構造に深くとどめられ、その後の人生の展開に重大な影響をもたらしうることは明らかだ。(p66)
このような経験をした赤ん坊は、将来的に愛着障害の特徴を示す可能性が高いはずです。
では、この赤ん坊は、自分が生後わずか1年ほどの時期に聞いた親同士の罵り合いを「覚えて」いるでしょうか。
意識的な記憶の上では、まず覚えていません。つまり、この記憶は顕在記憶としては保存されていません。
しかし、潜在記憶(手続き気温)としてのレベルでは記憶しています。成長して大人になってからも、罵るような声にひどく過敏になったり、感情をコントロールしにくくなったりというパターンを示します。これが愛着障害です。
この潜在的に身体に保存された記憶の中には、単なる考え方だけでなく、脳のニューロンの発火のパターンや、オキシトシンなどのホルモン分泌のパターン、身体のストレスに対する反応パターンなども含まれていて、心身全体に影響をもたらします。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 によると、その中でも特に重要なのは、覚醒水準のコントロール能力です。
愛着とは、かんたんに言えば、親の世話を通して覚醒水準を自分でコントロールする能力を、子どもの身体に手続き記憶として教え込むということです。
主要な養育者、通常母親は、子どもの覚醒状態が高すぎるときには子どもを穏やかにし、低すぎるときには刺激することによって調整します。
このようにしてその乳幼児が最適の状態にとどまることができるように助けるのです。(p58)
愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(ohysical tendencies)の中にもあらわれます。
手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)
母親が子どもを抱いて、覚醒水準をコントロールしてくれたことは、わたしたちの身体に手続き記憶として保存されます。そのおかげで、ストレスに対処して感情をコントロールしたりするための自己コントロール能力や対人関係パターンが身につきます。
しかしその最初の身体的な教育が不十分ないしは不適当だと、自分の覚醒水準をうまく適切にコントロールするのが難しいまま成長してしまい、いつも過覚醒ぎみ(不安型)、いつも低覚醒ぎみ(回避型)、まったくコントロールできず振り回される(無秩序型)といったことになってしまうというわけです。
これが、生後3年ほどまでの養育によって決まった愛着パターンが、大人になってからの対人関係のパターンや、健康状態などに、知らず知らずのうちに影響を与えてしまう生物学的な理由だと考えられます。
しかし、言葉では説明できない自転車の乗り方のような手続き記憶も、無意識のクセがあることに気づいて、意識してやり方を変えようとすれば、次第に修正していくことができます。
不安定な愛着の影響も、優秀な医者やカウンセラーのサポートを受けたり、こうした本を読んだりして、自分の問題に気づき、意識的して対処するようになれば、徐々にであれ、変えていくことは可能です。
精神分析は、患者が、無意識の潜在記憶や行動を言葉にし、コンテクスト(文脈)にはめる手助けをする。
それによって患者はその記憶を深く理解することができる。その過程で、(患者にとっては初めての試みのこともあるが)潜在記憶を意識的な顕在記憶にする。
すると、トラウマ的な記憶を「再現する」必要も「再演する」必要もなくなるのである。(p271)
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 という本にも、こう書かれていました。
幼少期の愛着パターンによって、私たちが一生にわたって人間関係を図示することになる、心の中の地図が作り出される。(p202)
私たちは養育者と接するうちに、何が安全で何が危険か、誰が便りになり、誰が失望をもたらすか、欲求を満たしてもらうには何をする必要があるかを学ぶ。
その情報は、脳の回路網の基盤に組み込まれ、私たちが自分や周りの世界をどう考えるかの雛型を形成する。
こうした心の中の地図は、時間が経過しても驚くほど変化がない。
とはいえ、私たちの地図は経験によって改変できないということではない。深い愛情に満ちた人間関係は、実際に私たちを一変させうる。(p214)
幼少期に愛着が著しく不安定になったとしても、それ以降の人生の出来事を通して、徐々に愛情に満ちた関係を通して変化し、愛着が安定していくとき、それは「獲得型の愛着」と呼ばれます。
愛着障害は、心の傷つきではなく、自転車の乗り方のようにして幼少期に学習された身体的反応のパターンである、と見方に立てば、それを改善するための方法もイメージしやすくなるでしょう。
心というとらえどころのない何かの傷つきを癒やす、という概念は抽象的であいまいですが、自分の身体に染み付いた反応パターンを上書き修正していくことは、アスリートなどが日夜努力していることそのものだからです。
付録:愛着障害についての他の記事
以下は、愛着障害の各タイプごとの詳しい記事へのリンクです。
■不安型(とらわれ型)愛着スタイルの記事
強い不安感や頑張りすぎ、全般性不安障害や境界性パーソナリティ障害と関係している「不安型」の愛着障害について詳しくはこちら。
■回避型愛着スタイルの記事
引きこもりや解離症状と関係している「回避型」の愛着障害について詳しくはこちら。
■混乱型(恐れ・回避型)愛着スタイルの記事
不安型、回避型の両方の性質を合わせ持っていて、不登校や対人過敏、重症の場合は境界性パーソナリティ障害や解離性障害の双方に発展しやすい「混乱型」の愛着障害についてはこちら。
■発達障害や人格障害とのかかわり
愛着障害と、発達障害や人格障害の違いについてはこちら。
■愛着障害の生物学的理由
愛着障害が「心の傷」ではなく身体的・生物学的問題であること。
■創造性とのかかわり
愛着障害と芸術的創造性の関係についてはこちら。
■実験・エピソード集
愛着障害に関する動物実験や歴史上のエピソードはこちら。