あなたが最近幸せな気持ちになったのはいつですか?
この問いかけにすぐ答えられる人もいれば、考えこんでしまう人もおられるでしょう。中には、「わたしは毎日がいっぱいいっぱいで、幸せな気持ちなんか、ここしばらく感じたことさえない」、とおっしゃる方もいるかも知れません。
深刻な病気や問題を抱えていると、幸せや喜びは、縁がないものなのでしょうか。最近読んだブログは、その点で考えさせられるものでした。化学物質過敏症の深刻さをつづった映画「奇跡のリンゴ」に登場する早苗さんのその後について触れられています。
画「いのちの林檎」 早苗さんの近況 – 伊藤とし子のひとりごと
いのちの林檎―化学物質過敏症の深刻さを伝える映画
化学物質過敏症、というと皆さんはどんな印象をお持ちですか? 香水や排気ガスに反応して息苦しくなるんだろう、と思われる方もいれば、シックハウス症候群を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。それらは確かに化学物質過敏症の一部です。
しかし、それら一部の化学物質のみに反応するのは、初期、あるいは軽度の化学物質過敏症に過ぎません。ある場合には、あらゆる化学物質、非常に少量の化学物質に反応するようになり、とても普通の暮らしができなくなるほどに悪化します。この状態を多種類化学物質過敏症(MCS)といいます。
わたしのある友人は、東京に住めなくなり、沖縄に引っ越しました。それでも症状が思わしくなく、フィリピンへ行き、今は東ティモールでボランティア活動をしています。症状が悪化するので、日本には帰ってこれません。
くだんの映画「いのちの林檎」も、この多種類化学物質過敏症の深刻さを伝えています。患者の早苗さんは、匂いを感じるより前に身体が反応し、発作に見舞われます。普通の家に住めず、放浪の末、山奥の掘っ立て小屋で生活します。
そのうちあらゆる食べ物に反応するようになり、水さえも飲めなくなります。お母さんは必死になって娘が食べれるものを探し、4日ぶりにようやく見つけたのが、無農薬で栽培されていた「奇跡のリンゴ」だったのです。
「今日一日、生きれたことを感謝すればいい」
さて、上記のブログでは、この深刻な病気を抱えて暮らしている早苗さんの近況について触れられていました。載せられている早苗さんとお母さんの言葉には重みがあり、心を打たれます。
早苗さんのお母さんはこう述べています。
早く治ればいいと思うことを止めて、今日一日、生きれたことを感謝すればいい、と思うことにしたら、気が楽になった
早苗さんは、呼吸困難や昏睡、硬直には変わらず悩まされているそうですが、食べられるものは増えてきたそうです。そして、毎日ひとつ、小さな幸せをみつけて暮らしてるそうです。少しでも生活が楽しくなるよう工夫し、家族みんなで、日々の暮らしに感謝して暮らしているとのことです。
365の幸せを数える
毎日小さな幸せを探す。これは、実はわたしも実践しています。みなさんは「3 good things」という取り組みをご存じでしょうか。以下のエントリなどで紹介され有名になったので、お聞きになったことがある方も多いでしょう。
「2倍売る営業になれる」 夜の“three good things”とは : プレジデント(プレジデント社)
ごく簡単に説明すると、毎日3つの良かったことを探し、ノートに書き留めるようにするだけで、うつ症状が改善される、というものです。できごとそのものではなく、できごとに対する認知の仕方が感情に影響する、という最新の研究結果に基づいています。
慢性疲労症候群(CFS)の治療にも効果があるとされる認知療法の応用です。わたしも、随分前から実践していて、毎晩、日記のマインドマップに書き込んでいます。
この「3 good things」を実践していると気づくことがあります。どんなつらい状況でも、丹念に探せば、喜べることは必ず見つかる、ということです。深刻な化学物質過敏症に苦しむ早苗さんのような方でも、毎日幸せを見つけておられることを考えると、なおさらそう思います。
幸せを感じるかどうかは、環境というどうにもならないことに左右されるのではなく、わたしたち自身が幸せを探そうとするかどうかにかかっているのです。
考えてみてください。もし一日3つとは言わないまでも、1つ良かったことを探すなら、一年で365もの良いことを、あなたの宝石箱に集めることができるのです。
日常の中にある小さな幸せ
ウィル・デュラント、という人をご存じでしょうか。ピューリッツァー賞を受賞したアメリカの高名な作家です。彼について、マクリーンズ誌にこんなエピソードが載りました。
ウィル・デュラントは幸せを見出そうとして多くのことを行いました。ある時、知識を探し求めることにかまけましたが、見出したのは幻滅でした。各地へ旅行してみましたが、疲れ果てただけでした。お金儲けに熱中してみましたが、そこにあったのは仲違いと不安でした。そして作家として執筆に励んだものの、やはり疲労に他には何もなく、幸福は見つけられませんでした。
そんな折、デュラントは,ある婦人が赤ちゃんを抱いて,だれかを待っているのを見かけます。すると、一人の紳士が列車から降りて来て,その婦人に優しく口づけし,起こさないよう気をつけながら、赤ちゃんにも、そっと口づけしました。その家族は車に乗って畑を横切って去って行きました。
後に残されたデュラントは、ぼう然としていました。自分がひたすら探し求めて見つけられなかった幸せをそこに感じたのです。
後日、デュラントはこう記しています。
「生活のごく普通の働きすべてには,何らかの喜びがある」。
脇目もふらず一心にひた走るのは立派なことです。しかし、ときには立ち止まって、道端に咲く慎ましやかな花を愛でるのも悪くありません。芝生のベッドに足を投げ出して、澄み切った空に思いを馳せるのもよいでしょう。
わたしは、大きな結果を求めすぎて、焦ってしまうことがたびたびあります。いくたび自分に言い聞かせても忘れてしまうので、こうしてときどき軌道修正するようにしています。
生活のごく普通の働きの中には、何らかの幸せがあります。それは病気を患うわたしたちの場合でも例外はありません。走り続けてようやく目に入る幸せもあれば、立ち止まって初めて目に留まる幸せもあるのです。
ひとつひとつの幸せを育てる
わたしは不登校になって、非常に多くのものを失いました。不公平だ! と感じ、やりきれない気持ちになったことは数えきれません。
しかし、歳月を重ね、自分を見つめなおすうちに、病気を抱えていても、小さな幸せを見つけ、育てられるようになりました。たとえば、ちょっとした励ましの言葉に嬉しく感じたとき、その幸せを大切に育てました。
すると、その言葉をかけてくれた人との友情が芽生え、今では心やすらぐ木陰のようなかけがえのない友を得ています。多くのものを失ったわたしは、多くの感謝すべき理由を持つようになりました。
もちろん、病気は辛いものです。残念ながら、どれほど努力しても、癒せない病気もあります。さんさんと照りつける日差しを変えることができないのと同じです。
しかし、わたしたちの考え方は変えることができます。一日ひとつの幸せを見つけようとする努力は、はじめはささいに思えるかもしれません。しかしその小さな種が、幾月幾年を経て、辛い日照りからあなたを覆ってくれる大樹に成長することもあるのです。
ですから、わたしは、わたしと同じように病に苦しむ人たちに勧めたいと思います。日々、身の回りのできごとに注意深くあって、小さな幸せを探してください。見つけた幸せに感謝し、それを大切にしてください。辛くてたまらないときには、ノートにつけた幸せリストを見返してください。そうすれば、苦難のもとでも、早苗さんとお母さんのように、喜びを保てるに違いありません。