こうした症状は「解離性障害」として知られています。有名な記憶喪失(解離性健忘)や、多重人格(解離性同一性障害)も、この「解離性障害」と呼ばれる病気の一つです。
解離性障害はしばしば子ども虐待や性犯罪のようなおぞましい事件の被害者が発症する極めて異常な病気だと説明されることがあります。確かに悲惨なトラウマ経験の結果、解離性障害になる人もいます。
しかし、実際には、解離性障害の原因はもっとさまざまであり、目立ったトラウマ体験がない、ごく普通と思える家庭の子どもが発症することもあります。またADHDやアスペルガー症候群といった発達障害が関係していることもあります。
解離はまた、精神的な症状だと思われがちですが、多種多様な身体症状を伴うからだの病理と捉えられるようになってきています。
さらに、意外に思えるかもしれませんが、解離性障害は決して異常な病気ではなく、たとえさまざまな解離症状があっても、病気とはみなされず、ごく普通に暮らしている場合もあります。
頻繁な離人感や、空想の友だち現象、さらには複数の人格が自分のうちに存在するという強い解離症状があっても、それをうまくコントロールして社会に適応している「マイノリティ」な人たちもいるのです。
この記事ではこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害という本やその他の資料から、解離性障害の原因や実態をもっとよく知るのに役立つ11のポイントをまとめてみました。
▼追記
この記事の内容は旧来の精神医学に基づくものですが、近年、神経学者スティーヴン・ポージェスのポリヴェーガル理論に基づき、解離を生物学的現象として理解する研究が増えています。
わたし自身、そうした視点を取り入れて初めて、解離について、よりいっそう理解できました。それらの、より新しい視点は、以下の記事のほうにまとめているので、合わせてご覧になるようお勧めします。
もくじ
これはどんな本?
今回おもに参考にしたこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害は、解離性障害の専門家たちが、解離をさまざまな観点から網羅的に説明した共著です。
第一部は、「解離性障害Q&A」と題して、総勢30人以上もの専門家が、解離性障害をめぐるよくある50の疑問に、1問につき1ページずつ割いて詳しく答えています。
第二部は、有名な医師たちによる座談会からはじまり、専門的な論文が幾つか掲載されています。
基本的には一般向けではなく専門家の本ですが、特に「解離性障害Q&A」の部分は少し知識のある人なら、役立つ情報が多いのではないかと思います。
解離性障害について知っておきたい11の特徴
これから解離性障害の原因や実態を理解するのに役立つ11の話題を考えますが、もちろん、解離性障害の原因は人それぞれです。
複数の要因が複雑に絡み合っていることもしばしばですし、途中でも触れますが、素人判断による診断や治療はたいへん危険です。
このブログを含め、ネット上の情報は、あくまで参考程度にとどめて、治療においては専門家の指導を仰ぐようになさってください。
1.虐待ばかりが原因とは限らない
解離性障害や解離性同一性障害(DID)というと、とかく身体的・性的虐待を受けた子どもが発症するなどの凄惨なイメージがつきまといます。
確かにそうした残酷な子ども時代を過ごしたために解離性障害を発症する人は少なくありません。
しかし、柴山雅俊先生は、虐待より目立たない慢性的なストレスが解離性障害につながるケースがあることを語っています。
私自身は、家族の内や外における居場所のなさがもう少し焦点を当てられてもいいようにに思う。
両親の不和、家族成員間の対立、葛藤のため、つねに自分がその緩衝役を強いられ、いわば身代り、犠牲者としての役割を強いられてきた症例。
転校を繰り返し、そのためイジメの対象となった症例。
多くの症例が「安心していられる居場所」をこの世に得ることができずに、過度の緊張を強いられていたと訴える。(p112)
柴山先生が重視するのは、虐待などの壮絶な体験よりも、むしろ「安心していられる居場所」の欠如です。
虐待などの深刻な外傷を受けた場合でも、解離性障害の引き金となるのは、虐待そのものではなく、その苦痛や恥を一人で抱え込まなくてはならない状況です。
深刻な虐待を受けても、愛情深い家族や友人が支え、安心できる居場所となって保護し包み込んでくれるなら、徐々にであれ傷を癒やすことができ、解離性障害のような深刻な問題を発症せずにすむかもしれません。
一方で、外からは、それほど悪くは見えない家庭で育ったとしても、両親の不和や家庭内の緊張などのせいで「安心していられる居場所」がどこにもなく、常に板挟みになって自分を犠牲にしてきたような子どもは、深刻な解離性障害を発症するかもしれません。
解離性障害とは、子どものころに、ひとりではとても抱えきれないようなストレスを抱え、まわりのだれも、家族や友人も助けになってくれないような状況で、たったひとりで生き延びなければならなかったときに生じる防衛反応なのです。
どこにも逃げ場がない、安心できる居場所がない、という状況は、「逃避不能ショック」と呼ばれたり、「公開羞恥刑」(公衆の面前で恥をかかされる刑罰)に例えられたりします。
近年では、解離性障害のおおもとの解離傾向を形作るのは、幼いころの養育環境による「愛着トラウマ」であると考えられています。 解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこうあります。
すなわち解離性障害とは、それが基本的にはいわゆる「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを常に念頭に置くべきなのである。(p15)
この愛着トラウマの影響については、後ほど6番目の項目で詳しく考えます。
2.本当に女性に多いのか
一般に、解離性障害は、女性のほうが男性より何倍も発症しやすいと言われています。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害によると、たとえば、アメリカやヨーロッパでは患者の8割以上が女性で、アラブやインドでも6割が女性だったという報告があるそうです。(p26)
日本の柴山先生の統計でも、53人中44人、つまり83%が女性でした。(p139)
解離性障害の患者の圧倒的多数が女性であるのはなぜでしょうか。以下のようなさまざまな説があります。
性的虐待などの被害のターゲットになりやすいのは女性です。また女性は社会的に抑圧され、自己表現の機会が与えられないことが多いと考えられます。(p26)
■脳の構造の違い
男女の脳の構造の違いやホルモンバランスの違いが関係している可能性もあります。
■養育者と同性である
近年、解離性障害の原因として、幼少期の養育からくる愛着障害が注目されています。もしかすると、乳幼児の養育が一般に母親によって行われているため、同性である女児が影響を受けやすいのかもしれません(p104)
■症状の性差
解離性障害は男性と女性で症状の出方が異なり、男性患者が見過ごされている可能性があります。
このうち、ここで注目したいのは最後の症状の性差です。
パトナムやクラフトといった解離性障害の専門家たちは、女性のDIDと男性のDIDを比較したところ、女性は攻撃性を自分に向けるのに対し、男性は外に向けるのではないかと述べているそうです。(p89)
この本でもちらっと触れられていますが、日本でも2007年、相撲取りの横綱朝青龍が暴行事件を起こしたときに、当初、解離性障害との診断名が発表されたのを覚えている人もいるかもしれません。(p17)
朝青龍が本当に解離性障害だったのかどうかは定かではありませんが、実際に男性の解離性障害や解離性同一性障害(DID)の患者の一部は、暴力犯罪などに関わってしまい、病院ではなく、少年院や刑務所にいるのかもしれないと言われています。
男性多重人格者の73%、女性患者の27%に殺人を含む暴力犯罪を認めたという報告もある。(p89)
概して解離性障害は若年女性に多いとする報告が多いが、一方で、Putnamは、男性の解離性障害の患者の多くは、精神保健サービスにかかることなく、非行や触法行為のため警察や刑務所などで扱われているのではないかという指摘をしている。(p139)
男が暴力をふるうのはなぜか―そのメカニズムと予防の著者ジェームズ・ギリガンは、長年凶悪犯罪や暴力について調べてきましたが、刑務所にいる異常犯罪者たちと接するうちに、彼らのほとんどが、幼少期の深刻なトラウマのせいで、感情が切り離されていて、自分の身体がすでに死んでいるように感じる深刻な離人症状などを抱えていることに気づきました。
近年、脳のさまざまな疾患において、症状の現れ方に性差(ジェンダー・ディファレンス)があることが注目されています。
もちろん、解離性障害の男性が、すべて攻撃的だったり犯罪に関わったりするわけではありませんが、全体の傾向としての症状の違いはあるのかもしれません。
おそらく解離傾向の強い男性は、解離性障害や解離性同一性障害ではなく、強迫性パーソナリティ障害(批判的な完璧主義者)、自己愛性パーソナリティ障害(尊大で支配的な人)、反社会性パーソナリティ障害(倫理を逸脱した犯罪者)、統合失調質(スキゾイド)パーソナリティ障害(極端に孤独を好む人)などと診断される率が高いのではないかと思われます。
これらの疾患は、人間味のある感情がほぼ完全に解離されている、冷徹で批判的な性格を特色としています。
なぜ解離傾向の強い男性が、こうした解離性障害以外の各種パーソナリティ障害になりやすいのか、という点については、以下の記事で考察しています。
3.大人になってから発症すると症状が違う
解離性障害の患者は、一般に子どものころから、強い解離傾向を持っていると言われています。
外傷体験やストレスによって解離性障害を発症する前から、強い空想傾向を持っていたり、交代人格や空想の友人による幻聴など、独特な体験を有していたりすることがあります。
トラウマ研究の専門家ヴァン・デア・コーク先生の身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、解離は幼少期にのみ学習されるものだと書かれています。
ライオンズ=ルースの研究から、解離は幼少期に学習されることが明らかになった。のちの虐待やその他のトラウマでは、若年成人に見られる解離の症状は説明がつかなかったのだ。
虐待やトラウマは、他の多くの問題のおもな原因だったが、慢性的な解離や自分に対する攻撃性の原因ではなかった。
根底にある重要な問題は、これらの患者が、どうしたら安全に感じられるかを知らなかったことだ。(p201)
解離の根底にある問題は虐待やトラウマ経験ではなく、「どうしたら安全に感じられるか」を知らないこと、すなわち柴山先生が述べていたように、幼少期からの「安心していられる居場所」の欠如にあることがわかります。
またトラウマ反応として解離傾向は、それ以降の子ども時代の体験によって強化されます。
トラウマ障害は、子どものころからの素地がある場合と、大人になってから初めて外傷体験に遭遇した場合とでは、症状の現れ方が異なります。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 には、大人になってから初めてトラウマを経験した女性と、子ども時代から長期間性的虐待を受けてきた女性の、それぞれの成人後のトラウマ反応の違いが対比されています。
侵入者が彼女に近づき、胸にナイフを突きつけたとき、ドロシーは闘うために体を動かしました。彼女は自己防衛のために腕を振りあげて、男の腕を横に叩きつけたのです。
…ドロシーは、これまでにトラウマを受けたことがないので、この出来事に際して、行動選択の判断のときに、タイプ1凍りつき防衛以外の固まる防衛を用いませんでした。
一方、ペトラは、子ども時代に長期間、兄からの性的虐待を体験していました。幼少期の虐待における唯一の防衛は、低覚醒をともなう服従だけでした。
彼女は身体に「何も」感じないと報告しました。虐待の最中にはいかなる感情反応もなく、記憶もほとんどありませんでした。
長年ペトラはそれに続く厳しい状況の中で、本能的に同じ服従的防衛に頼っていました。(p140-141)
大人になってから初めて危険に出くわした場合、大人は闘ったり逃げたりすることができます。ドロシーはそのように反応し、侵入者を撃退しました。これは生物学的には「逃走」や「闘争」として知られている反応です。
しかし子どものころに過酷な環境に置かれると、服従し、ただひたすら我慢するしかありません。ペトラは子ども時代の慢性的なトラウマから、意識を飛ばしてやり過ごす解離を学習し、その後もずっとそれに頼り続けていました。こちらは「凍りつき」や「麻痺」と呼ばれる反応です。
心と身体をつなぐトラウマ・セラピー が述べるとおり、子ども時代に慢性的なトラウマを体験した人は、その後の人生でも容易に解離し、無意識のうちにストレスに対して「凍りつき」や「麻痺」のような解離的な反応で対処するようになります。
幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身に着けます。
彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。
習慣的に解離しない人でも、覚醒したり、不快なトラウマのイメージや感覚を持ちそうになると解離します。(p160)
他方、大人になってから初めてトラウマを経験した人は、解離ではなく別の反応をもって対処します。岡野憲一郎先生はこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害でこう述べていました。
成人になってから初めて深刻な外傷体験を負った際にみられる解離症状は、やや異なった現れ方をします。
それらは一過性に現れ、また限定された内容が繰り返される傾向にあります。
…明確な人格の形成にまで至るような多彩で創造性に富んだ内容は備えていません。(p40)
もともと解離傾向があったわけではなく、成人になってから初めて深刻なトラウマを経験した場合は「闘争」や「逃走」で反応するので、PTSDなどの激しいフラッシュバックや身体症状として現れ、はっきりした人格交代などの解離症状は少ないそうです。
それで、DIDのような解離性障害は、あくまで子どものころから強い解離傾向という素因を持っていて、しかも幼少期に強いストレスを経験した人にみられるものだとされています。
DIDはあくまでも本来高い解離傾向をその素地として持っている人が、幼少時の外傷やストレスをきっかけとして発展させるものと考えられます。
ちょうど言語の獲得には臨界期があるように、解離の能力や病理の発現にも一定の年齢の制限が存在するようです。(p40)
以前に読んだ本では、別人格が誕生するのは、幼少期のころに限られている、という説明もありました。
思春期以降にはじめて交代人格の存在が明らかになる場合でも、交代人格は実際には幼いころに生まれて深く潜行していて、成長したあとに初めて自覚されたにすぎないとも言われています。
なぜ幼児期にトラウマ経験がなく、大人になってからトラウマ体験に遭遇した場合には、解離性障害というよりもPTSDのような症状に発展しやすいのでしょうか。
この本の中で、国立精神・神経センターの金吉晴先生は、外傷体験を受けたとき、完全に解離することで対処した場合は解離性障害になるのに対し、不完全な解離が起きた場合にPTSDになるのではないか、という考察を述べています。
子供のころにトラウマを経験した人は、成人後にトラウマ経験に直面したときでも、すぐに服従して意識を飛ばしてしまいます。
他方、そうでない人は闘ったり逃げたりしようと我を忘れて奮闘し、ときにそれが功を奏しますが、不幸にも抵抗が失敗してしまったとき、未完了の闘争・逃走反応がPTSDとして残りつづけてしまうのです。(p119)
生来の強い解離傾向がない人でも、恐ろしい状況に直面すると生物的メカニズムとして解離が生じますが、その効果が不十分なためにPTSDのような別の症状へ発展してしまうのかもしれません。
近年の研究によると、解離傾向とPTSD傾向は、脳科学的には正反対の反応であるとされています。
Hypothalamic-Pituitary-Adrenal Axis Function in Dissociative Disorders, PTSD, and Healthy Volunteers
4.ADHDと解離性障害の複雑な関係
解離性障害は、子どものころからの解離しやすさや、幼少期のストレス体験のみならず、注意欠如・多動症(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)といった脳の発達障害とも深い関連があるようです。
犯罪者や非行少年の原因を説明した有名な説にDBD(破壊行動障害)マーチというものがあります。
ADHDの子どもは手がかかるために、そして親もまたADHDの衝動性を持っていることが多いために、不適切な養育や不適応を生じやすく、結果として慢性的な解離が生じ、非行や反社会的行動へと発展していく場合があると言われています。(p92)
話をややこしくしているのは、ADHDによる不注意などの症状と、虐待などの結果生じる解離による症状(後で説明する愛着障害)はとてもよく似ていて見分けにくいことです。
このこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはこう書かれていました。
解離により適切な注意集中ができなかったり、一度得た情報が状態の切り替えによって健忘されたりすれば注意欠陥と判断され、まさにADHDの症状と見分けがつかない。(p102)
つまりADHDのせいで虐待されて解離症状が生じる場合もあれば、虐待されて解離症状が生じた結果ADHDのようになる場合もあるということです。
子どものPTSD 診断と治療には、特に不注意優勢型のADHDと解離との関連性が、このように書かれていました。
ADHDとトラウマ障害の近似点は、脳科学的な研究からもうかがえる。
HartやTomodaの研究では、被虐待児における脳容量や活動異常の部位が、ADHDで報告されている部位とほぼ同領域であることを報告している。
…心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)
このように、ADHDと解離症状は非常によく似ていますが、ADHDの場合はもともとの脳の傾向であるのに対し、トラウマによる解離症状は後天的に身につけた防衛反応であり、治療の方法も異なるとされています。
とはいえ、すでに述べたDBDマーチのように、もともとADHDの素因を持っている子どもが不適切な養育を受けて解離性障害になる場合も少なくなく、場合によっては、ADHDと解離は区別できないほど複雑に絡み合っているといえます。
?5.アスペルガー症候群は原因がなくても解離しやすい
解離性障害は、虐待などのトラウマ体験によって発症することが多いとされていますが、特に目立った原因がない場合、高機能広汎性発達障害やアスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)が関係している可能性もあります。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはこう書かれています。
一般的に、解離性障害は虐待の既往との深い関連があるものと理解されていますが、高機能広汎性発達障害における解離性障害の場合、必ずしもそうではなく、ここに独自の特徴が反映されているものと考えられます。(p21)
高機能広汎性発達障害、つまり現在の呼び名では自閉スペクトラム症(ASD)においては、虐待などのトラウマ経験がなくても解離性障害を発症するという独自の特徴があり、それにはASD特有の解離しやすさが関係しているようです。
ASDと解離の関係性の一つは、ファンタジーへの没頭しやすさです。
高度なファンタジー世界への没頭は解離状態との識別が困難な自己意識の不連続を引き起こすため、もともとファンタジーに没頭しやすい高機能広汎性発達障害の場合は、解離へと滑りやすい基盤を持っているというものです。(p21)
ASDの人は、自分の世界に深く没頭しやすいという、解離性障害になりやすい子どもの空想傾向と似た特徴を持っています。
またそもそもASDの人は自ら進んで解離を用いることで、日常生活で生じる苦痛に対処している可能性もあります。
更に、高機能広汎性発達障害においては、むしろこのような意識状態の変容自体が、脅威的な外界の中で適応をするための発達の過程とみる必要性があるのではないかと杉山らは指摘しています。(p21)
ASDの人は、もともと解離しやすい脳の傾向を持つだけでなく、 強い孤独感や疎外感、感覚過敏などによる苦痛を経験しやすいので、目立ったトラウマ体験がなくても、知らず知らずのうちに解離によって感覚を麻痺させて対処しているのかもしれません。
6.無秩序型の愛着パターンは解離性障害になりやすい
ADHDや自閉スペクトラム症は、生まれつきの脳の傾向からくる発達障害ですが、近年、ごく幼い時期(生後半年から1歳半ごろ)の養育環境が関係する愛着障害(アタッチメント障害)もまた解離性障害のリスクになるとして注目されています。
パトナムも最近では、従来思われていたよりも、愛着の障害によりDIDが引き起こされると指摘しています。(p48)
子どもの愛着パターンは、幼少時の親との関係から、一般に4つに分類されます。
A型(回避型)…親の関心が不足している家庭の子どもに多い。対人回避が強い。
B型(安定型)…安定した家庭の子どもに多い。安定した人間関係。
C型(抵抗型)…親が過干渉する家庭の子どもに多い。対人依存が強い。
D型(無秩序型)…虐待する親や精神的に不安定な親の家庭の子どもに多い。対人回避と依存が両方あらわれる矛盾した行動をとる。
このうち、特に解離性障害になりすいのはD型(無秩序型)だと言われています。
1991年にはBarach,P.M.M.がはじめて解離性同一性障害とD-アタッチメントの関連を示唆し、2003年にLyons-Ruth,K.によって、D-アタッチメント・タイプの幼児はのちに解離性障害になるリスクが高いと指摘された。(p78)
D型の子どもは、本来安心させてくれるはずの親の行動が予測不能な環境で育ったため、他人に対する強い恐れがあり、他人を信頼することも拒絶することもできない混乱した振る舞いを見せます。
D型のアタッチメントパターンとは近接と回避という本来ならば両立しない行動が同時的に、また継時的にみられたり、また、フリーズしたり、初めて出会う人にむしろ親しげな態度をとることなどが特徴である。(p98)
D型とは、言い換えれば、A型とC型の重ねあわせですが、A型は解離傾向と、C型はPTSD傾向と関係しています。
つまり、DIDとは、解離傾向とPTSD傾向の重ねあわせであり、D型の人はまさにそうした特徴を持っており、解離性障害、ひいては解離性同一性障害(DID)に発展しやすいのでしょう。
すでに見たライオンズ=ルースの研究の研究によって示された生後数年間に学習される解離傾向とは、D型アタッチメントのことです。
解離の舞台―症状構造と治療 によると、成人してからのトラウマ経験によって解離症状が現れる場合でも、その原因は、幼いころの無秩序型愛着のせいで抱え持っていた潜在的な解離傾向にあると言われています。
カールソンほか(Carlson et al.2009)によれば、早期幼児期において無秩序型愛着が見られてもその後の生活が標準的であれば、解離傾向は高くはなるがサブクリニカルな水準にとどまり、ストレス状態において解離的行動が表面化する潜在的素質を抱えることになる。
その後の生活において重度あるいは慢性的な外傷が見られ、かつそれに対する情緒的な援助がなければ、病的解離として発症する危険性は高くなる。(p139)
遺伝的なリスクとしては、HSPとも呼ばれる生まれつき敏感な子どもは、不適切な養育を経験したとき解離が強くなりやすいようです。
しかし、HSPの研究では、敏感さそのものは悪いものではなく、安定した養育を受けたときは才能につながり、不安定な養育を受けたときにだけ、強い解離傾向に発展するようです。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害によれば、近年の研究では、病的な解離の背景に明確な遺伝的な要因は見つからなかったとされています。(p27,83)
つまり、遺伝的な発達障害の子や、生まれつき敏感な子は、強い解離を経験するリスクを抱えているかもしれませんが、やはり病的な解離性障害の最も大きな原因は、「安心できる居場所」の欠如といった環境のほうにあるといえます。
生まれつき他と異なる子どもは、その一般的でない特性ゆえに、そのような望ましくない環境に遭遇しやすいので、結果的に解離につながる場合があるともいえるでしょう。
7.強い解離現象があっても「障害」とは限らない
ここまでのところで、虐待以外のさまざまな要因が解離性障害の発症と関係していることを考えました。
それは裏を返せば、深刻なトラウマを経験していなくても、日常生活でさまざまな解離現象を経験し、それとうまく付き合っている人もいるということです。
解離症状が強いからといって、必ずしも、解離性障害という「障害」として、治療の対象になるわけではありません。
空想や白昼夢は内容によっては、解離性障害や解離と関連がある一方で、内容によっては、適応促進的に働く機能とみなされている、というのが現状といえます。
要するに、空想にふけることや白昼夢をみることは、解離という現象の一種ということはできますが、それのみで解離性障害とはなりません。(p16)
解離性障害になりやすい子どもにみられる強い空想傾向や、自閉スペクトラム症の子どものファンタジーへの没頭などは、解離症状の一種ではあるものの、日常に支障をきたしていない限りは治療を必要とするものではありません。
たとえ交代人格のような極度の解離症状がみられる場合でも、「障害」とみなすか否かは、生活に大きな支障が及んでいるかどうかに左右されます。
極端な例をあげれば、たとえば交代人格をもっていたとしても、その人の社会的、内的な生活の調和がとれていて、ある程度安定した生活が営めるのであれば、通常ではない(そのような体験化の様式がマイノリティである)という理由だけでそれを障害と見なすことはできないでしょう。(p9)
解離という現象自体は病的なものではなく、多かれ少なかれ、すべての人の脳に備わっている防衛機制の一つです。ほとんどの人は知らず知らずのうちに弱い解離を用いて首尾よく日々のストレスに対処しています。
解離傾向の強さを決めるのは、感覚過敏などの遺伝要因と、愛着トラウマなどの環境要因の重ねあわせだと思われます。
たまたま解離が強く働く脳を持っていて、独特な現象が生じるとしても、それらとうまく付き合って日常生活を送れるのであれば、治療の対象にはなりません。
解離性障害や解離性同一性障害(DID)を病気として治療する場合でも、目標とするのは解離症状のコントロールであって、治療が成功した場合でも解離しやすさそのものは残るといわれています。
8.正常な解離としての空想の友だち現象
解離性同一性障害(DID)の交代人格と類似しているために、解離性障害に関係する書籍の多くで取り上げられている現象の一つに、空想の友だち現象(イマジナリーコンパニオン:IC)というものがあります。
イマジナリーコンパニオンは、目に見えない空想の友だちがありありとした存在感をもって感じられ、一緒に遊んだり会話したりすることもできる不思議な現象です。
この本でも、幾つかの箇所で、解離症状とイマジナリーコンパニオンの関連性について説明されています。子どもの解離性障害に詳しい白川美也子先生はこう書いていました。
想像上の友人現象(imaginary companionship)は、正常児の20%から60%にみられるが、解離性障害の子どもには42-84%と多い。
正常児のもつ想像上の友人は、2歳から4歳までに現れ、通常8歳くらいまでに消失する。
養護施設の子どもたちの想像上の友人は(1)支援者、(2)パワフルな保護者、(3)家族成因などの役割をもっていることがあり、さらに被虐待の子どものそれは、「神」、「悪魔」などの名前をもっていることがある。
このように、子どもの示す解離現象には、想像機能が非常に大きな役割を果たしている。(p97)
この説明からわかるように、イマジナリーコンパニオンは、幼少期の子どもの一部にみられる、ごく正常な解離現象です。
しかし解離傾向が強い解離性障害の子どもには、より頻繁にイマジナリーコンパニオンがみられます。
普通の子どものイマジナリーコンパニオンは単なる遊び相手にすぎないことが多いようですが、複雑な環境で育った子どもの場合は支援者や保護者、家族といった役割を持ち、さらに虐待児の場合は超越的存在のイメージを持っていることがあるとされています。
イマジナリーコンパニオンは、DIDの交代人格と似ているように思えますが、交代人格とは違い、一般的に、明らかな引き金がなくても現れ、記憶の分断がなく、人格交代して意識を乗っ取ることはないと言われています。(p240)
そしてたいていの場合、成長とともに消えてしまいます。
イマジナリーコンパニオンのうち、特に青年期以降も残るようなものは、病的ではないかと疑われることもありますが、先ほども考えた通り、強い解離症状があるとしても、それ自体は必ずしも障害ではありません。
空想上の友達との内的対話、ある場面で極端に「人が変わる」こと、頻繁な離人感や既視感(デジャヴュ)、都合が悪いことは急に「聞こえなくなる」ことなどは、上述の例ほど適応性は明確でないかもしれませんが必ずしも不適応的、病的とも言えません。
極端に苦痛に満ちた境遇にある人たちにとっては、空想にのめり込むことがむしろ適応的かもしれませんし、環境に適応するために著しい健忘や麻痺を伴う体験化の傾向を発達させたのかもしれないという視点は重要です。(p9)
解離症状の背景には、確かに解離しやすい素地や、ストレス環境があるのかもしれません。しかし、環境に適応するために役立っている場合は、病気ではありません。
確かに一般的とはいえず、社会的にみると「マイノリティ」ではあるでしょう。しかし少数派であることは、決して「障害」ではありません。
ちなみに、解離性障害の研究の大家であるラルフ・アリソンの本「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からによると、多重人格者にみられる人格のうち、空想の友だちが発展したものは「想像人格」(イマジナリープレイメイト)と呼ばれ、交代人格とは区別されています。
交代人格が自己の分離による「断片」なのに対し、想像人格は、想像力によって作り出される「膨張」であり、たいていは善良で友好的だと説明されています。(p71,137,254,付録の解説p10)
イマジナリーコンパニオンと解離性障害の関連性について、詳しくはこちらの記事で考察しています。
?9.治療には専門家の見極めが必要
解離性障害は、さまざまな原因が複雑に絡みあい、多彩な症状をみせる複雑な病気です。
そのため、このブログの情報も含め、ネット上の知識などで素人診断を下したり、見よう見まねで治療を試みたりするのは危険です。
まず、一見解離性障害のように思えても実は他の病気であったり、その逆に別の病気と診断されていても実は解離性障害としての治療が必要だったりする場合があります。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはたとえば、統合失調症との違い(p18,24,48)や、境界性パーソナリティ障害との違い(p20,23,48)が書かれていました。これらの病気との違いはこのブログでも過去に扱いました。
また他の病気と同様に、自助グループや家族会、ネット上のコミュニティなどが助けになる場合もありますが、解離性障害の特有の不安定さのため、よりストレスを抱え込んだり、再外傷体験につながったりするなど、安全性の危うさが指摘されています。(p49)
さらに、医師選びにおいても慎重さが求められます。たとえば一般にトラウマ処理に用いられる治療法であるEMDRでは、解離の専門家が慎重に行わないと、健忘障壁が一気に低くなることで封印されていた記憶が拡散するなどの危険もあるそうです。(p42,43)
治療を進めることで、隠れていた人格が目覚め、一時的に悪化したように見えることもしばしばで、治療には専門家による安全のサポートが必要です。(p45,47)
解離性障害は、自分の手には負えず、触れることさえ危険な記憶を隔離している防衛反応ともいえるので、いわば危険物の取り扱いに熟達した信頼できる専門家を探して受診し、信頼関係を深めた万全の体制で治療を始めることが大切です。
10.身体症状に注目した治療も必要
解離性障害では、慢性疲労をはじめ、さまざまな身体的な不定愁訴が生じます。近年、解離はこころの病理ではなく、生物学的なメカニズムに基づくからだの病理だと考える専門家たちが増えています。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際 によれば解離の専門家のひとり、ヴァン・デア・ハートは、解離とは単なる心理的な問題ではなく、身体と不可分のものだと考えています。
これらの解離症状は心理的、または精神表現的(phychoform)であり、同時に、感覚運動的または身体表現的(somatoform)になることで、さらに複雑化します。
精神表現性の症状は心的機能の解離であり、圧倒的感情、集中困難、健忘、記憶の混乱、信念体系の変化として表出してきます。
身体表現性の解離症状は、身体感覚、運動、および五感について、感覚のゆがみ、生理的覚醒の不調、身体感覚的断片としてのトラウマの再体験として表出します。
Van der Hart らは、精神表現的および身体表現的症状は同じコインの裏表としてとらえるべきであると指摘しています。
「(なぜなら)それらはともに、心(psyche)と体(soma)という不可分の統合体の根底でおこっている解離過程のあらわれだからです」(文献419のp.35)。
身体表現的症状および精神表現的症状の複雑な場合は、トラウマによる心身両面への影響を直接に扱うアプローチを必要としています。(p5)
解離やトラウマは精神科の領域だと思われがちですが、心の問題だけを扱っていても解離は解決しません。
同じ本に書かれているとおり、神経学者アントニ・ダマシオらの研究は、人の心とは得体のしれない霊や魂のようなものではなく、身体を土台として生じているものだということを明らかにしました。
DamasioやFrijdaは、情動は身体と分離不可能なものだと強調しました。
「情動とは……身体の重大事です。すなわち、心臓、胃、腸にとっても、また、身体動作や情動に対しても重要なのです。
情動は肉体でできており、肉体に焼き印をつけます。同時にまた、情動は脳と血管によってつくられています」(文献128のp.5)(p15)
解離におけるさまざまな混乱した精神症状は、身体の生理機能の混乱を土台として生じ、心と身体が互いに影響を及ぼしあっています。
解離やPTSDといったトラウマ障害は、心の傷ではなく、トラウマを受けた時点での身体の生理的反応が手続き記憶として保存され、再現され続けているものだと考えられるようになってきています。
それゆえ、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア のまえがきを担当しているカナダの精神科医ガボール・マテはこう書いています。
「ほとんどの人は」とラヴィーンが指摘するように、「トラウマを〈精神的な〉問題、さらには〈脳の病気〉だと考えている。しかし、トラウマはからだの中にも生じる何かなのである」。
実際に、トラウマが最初に、真っ先にからだに生じることをピーターは示している。トラウマに関連している精神状態は重要ではあるけれども、二次的なものである。からだから始まり、こころが後に続くのだ、と彼は言う。
したがって、知性や情動さえも関与させる「対話による療法」では十分に深いところまで到達しないのである。(p xii)
トラウマをはじめ、解離の病理は「からだから始まり、こころが後に続く」とされています。
だからこそ、心だけを扱うような「対話による療法」、つまり単なるカウンセリングや認知行動療法のような従来の心理療法は、解離の治療には効果が薄いと言われています。
必要なのは心と身体を同時に扱う治療法であり、たとえばソマティック・エクスペリエンス、センサリーモーターサイコセラピーなどが注目されています。
11.治療の目標は解離症状のコントロール
解離性障害の専門家のもとで、万全の体制で治療を始めたなら、すでに書いた通り、目ざすべきゴールは、解離傾向そのものを治療することではなく、解離傾向をコントロールして安定化させることです。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害によれば、人格が複数に分かれているような解離性同一性障害(DID)の場合でも、必ずしも人格を統合し、ひとつにする必要があるわけではありません。
解離性同一性障害は、1人の心の中に2つ以上の異なる人格が存在している状態です。かつてはそのこと自体が病的とされ、1つの人格に統合するということが最終的な治療の目標になると、当然のように考えられてきました。
そのため、好ましくない人格を消したり、似たような人格を融合させていくような方法がとられたこともありましたが、そういった治療は必ずしもいい結果を生みませんでした。(p33)
交代人格は、それぞれ必要があって生まれたものなので、無理に統合すると、かえってストレスにもろくなる危険が生じるかもしれません。
あるDIDの患者は、症状が回復するとともに、状況に応じてどの人格を表に出すかコントロールできるようになり、困ったときに別の人格がアドバイスしてくれるようになったといいます。
自分の意志に反して解離しそうになったときは、地に素足をつけるグラウンディングなどの技法によって解離を抑制するスキルも身につけました(p28)
何度も考えてきたとおり、解離性障害になる人の解離傾向は幼いころからのものですし、解離症状があっても、日常生活に大きな支障がないなら「障害」ではありません。
解離性障害の人が持つ強い解離傾向は、こまやかな感受性や芸術的な才能として役立つことも多いそうです。
治療の目標は、強い解離傾向を消し去ることではなく、それをコントロールして、「障害」ではなく「個性」や「強み」に変えることだといえるでしょう。
解離性障害の理解を深めるために
今回紹介したこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害は、専門的な本ではあるものの、比較的わかりやすく、気づきも多い一冊でした。
今までこれほど大勢の専門家が解離について語っている本を読んだことがなかったので、さまざまな専門家に意見に触れることができて、とても新鮮でした。
これから解離性障害について知りたい人には、とてもわかりやすく書かれた解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)やわかりやすい「解離性障害」入門
のほうをお勧めしますが、解離についての本をすでに何冊か読んでいて、さらに詳しい点が気になる人はこの本を読んでみるといいかもしれません。
解離性障害は、いまだ研究途上の病気であり、患者や家族も、いったい何が起こっているのか、どう対処すればよいのか、どの病院に行けばよいのか、といった悩みを抱えがちです。
そんなとき、多くの患者を診て回復へと導いてきた解離性障害の専門家による本を読んでみるなら、あたかも地図を参照するかのように、自分の居場所がわかり、向かうべき方向もおぼろげながら見えてくるものと思います。
冒頭で書いたように、近年、解離についての理解は、生物学的・神経学的視点を取り入れて、目まぐるしく変化しつつあります。この記事で考えたような旧来の精神医学的視点にとどまらず、ぜひそれら新しい視点を取り入れた以下の記事も参考にしてください。