発達障害にアウトドア教育はどう役立つか―大自然を教師にしたビアトリクス・ポターに学ぶ

教室は、皆が椅子に座って、物事がどのようにあるべきかを学ぶ場所です。その教室に代わって、アウトドアで授業をすることには、どのような意義があるのでしょうか。

個人的見解ですが、最も大切な意義として、何かにつけてアウトドアのほうが簡単に学びやすいという理由からだと考えます。

子どもにとってはあらゆる感覚を学習に活用することができ、しかも具体例を示して、話題どうしの関係性を説明しやすいのです。(p xi)

ウェーデン工業連合から、2004年に最優秀テクノロジー教諭として表彰されたカリーナ・ブレイジ博士(Carina Brage)は、北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすという本に、そう書いていました。

わたしたちはみな、義務教育として学校に通うことが当たり前で、教室の中で、教科書を使って学ぶことがスタンダードだとみなす文化で生まれ育ちました。

そのため、「親も子どもも多くは、どの授業も教室の中で教科書を使って学習するものだと信じきって」います。

しかしブレイジは、教室から出てアウトドアで教育を受けることには、さまざまなメリットがあると書きました。

近年、こうした教育スタイルが、発達障害や学習障害とみなされてきた子どもたちに、役立つことが注目されています。

知的障害・発達障害の子どもにとって、アウトドアで活動し始めるとインドアでは見せなかったような新しい役割が生まれる。(p122)

そもそも、今の社会で「発達障害」や「学習障害」というレッテルを貼られてしまう子どもは、もしかすると都市生活や教室での授業といった特殊な環境になじめず、不適応を起こすというだけで「障害」扱いされているのかもしれません。

そのような子どもたちの個性は、大自然の中やアウトドアでの学習なら、「障害」ではなくなる可能性もあります。

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この記事では、有名なピーター・ラビットの絵本の作家、ビアトリクス・ポターの生涯を例に、アウトドア教育の価値について考えてみたいと思います。

ポターの生い立ちは、ともすれば現代社会では「発達障害」とみなされるかもしれない子どもが、大自然のただ中で学ぶことによって、どのように才能を開花させられるかを物語っているからです。

これはどんな本?

冒頭で引用した北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすは、自然豊かな北欧の国スウェーデンで、アウトドア教育を推進する、カリーナ・ブレイジ博士の実践的な事例を紹介した本です。

アウトドアで学習するといっても、テクノロジーを否定するわけではなく、かえって野外での経験がテクノロジーの理解を深める事例がたくさん出てきます。

ビアトリクス・ポターの生涯については、ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本)など複数の本を参考にしました。

大自然の中で学ぶことが、いかに創造性を育み、辛い境遇を乗り越える助けになるか、具体的に知る助けになります。

教室で座っているだけでは得られないもの

ただ教室で座っているのではなく、教科書を丸暗記するのでもなく、先生が書いた黒板を写すのでもなく、大自然のただ中で学ぶ。

そうした教育には、どんなメリットがあるのでしょうか。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方 によると、たとえばADHDの子ども向けの学校である、SOARアカデミーが主催するアウトドア型の教育には、こんなメリットがあります。

生徒たちは、その昔は戦場だった場所に実際に立っているときのほうが歴史に関心をもつし、オルドビス紀の地層ので野営をしているときのほうが地質学の授業を熱心に聴く。(p303)

確かに、教室でつまらない教科書とにらめっこし、先生の授業を聞くより、実際に体験して学んだほうが、より意欲がわき、集中できるのではないでしょうか。

冒頭で引用した文中で、ブレイジが指摘していたとおり、アウトドア型の教育の最大のメリットは「何かにつけてアウトドアのほうが簡単に学びやすい」ことです。

これは、現代の義務教育で「発達障害」や「学習障害」とみなされてしまう子どもたちにとっては特にそうです。

北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばす によると、アウトドア教育には、ほかにも、さまざまなメリットがみられます。

アウトドアに費やす活動と時間によって、教師と子どもの健康と幸福感(wellbeing)が改善されます。活動そのものが、アウトドア学習のごく自然な一部なのです。

アウトドア環境のおかげで、子どもも教師もいつもと違った一面が見られるでしょう。

アウトドアで継続的に活動すると、ストレスに関連した病気や、他の健康問題を減らすこともできます。

アウトドアで授業を行うと、その日の睡眠がとれるようになり、ストレスや病気を減らしてくれるでしょう。

アウトドア活動では、多くの子どもに様々な役割が与えられるので、口論や多動も減り、活動のエネルギーをアウトドアで生かせる機会にもなります。(p x)

以前の記事でも扱ったとおり、こうしたメリットは、数々の自然科学や環境心理学の実験によって、効果が裏づけられています。

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何より、わたしたちの体の生物学的なつくりが、人間は本来、アウトドアで学ぶべき生き物だということを証拠づけています。

現代社会では、人は自然からはるか遠く離れた場所にいます。

テクノロジーと産業が発展したおかげで、私たちはもはや生活基盤を自然に委ねなくなりましたが、実際には、常に自然とそこからもたらされる自然エネルギーに依存しているのです。

今日、子どもたちは昔よりも運動不足であることが知られています。その理由の一つとして、今日存在するデジタルなテクノロジーの影響が幼少期の子どもの世界にまで及んでいることがあげられます。

研究から、人々は動いたり実際に経験することを心地よく感じること、また、人の脳は体を動かすことで最も効率的に働き、ストレスホルモンであるコルチゾールを減らし、病気にもかかりにくくなる、ということがわかっています。(p vi)

私たちの体は活動するように作られています。石器時代から現在まで、私たちの体にはそれほど大きな違いはありません。(p x)

ずっと座ってデスクワークすることが健康にリスクをもたらすことを示す研究は無数にあります。

心身が成長する貴重な子ども時代に、毎日、何時間もじっと教室で座ったまま学ぶことが、本当に普通で健康的だといえるのか、少し考えてみれば、誰でもわかるでしょう。

一方で、体を動かして運動することが、心身の健康を促進することを示す研究もまた豊富です。わたしたちは、そもそも“動”物、つまり動くことを特色とする生き物です。

もしも、じっと座られされているだけの子ども時代の時間を、アウトドア活動に充て、大自然に囲まれた環境で、自分の体を動かしながら学べるのだとしたら、どれほどのメリットが得られるか考えてみてください。

大人になってから振り返ったとき、子ども時代は苦痛の多い学校生活の思い出ではなく、発見に満ちたアウトドアの思い出として心と身体の経験に刻まれているかもしれません。

とはいっても、こうした説明だけでは実感がわかないものです。アウトドア教育のメリットをいくら力説したところで、具体例がなくてはつかみどころがありません。

この本には、アルベルト・アインシュタインの、次のような示唆的な言葉が引用されていました。

手本は教える方法の一つではない。それは教える唯一の方法といってもよい。 (p21)

アウトドア教育の利点を語るうえでも、この言葉は的を射ています。いくら言葉で説明したところで、雲をつかむだけです。

では、自然界から存分に学ぶことのメリットについて、お手本を残してくれた人がだれかいるでしょうか。

わたしが知る限り、最もすばらしいお手本となる人物の一人は、冒頭でも触れた「ピーター・ラビット」の児童絵本作家であるヘレン・ビアトリクス・ポターです。

自然から学んだピーター・ラビットの作家

わたしたちは、ビアトリクス・ポターが生み出した有名なキャラクターと絵本をよく知っています。たとえ読んだことがなくてもピーター・ラビットの名前は聞いたことがあるはずです。

けれども、ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) の序文に書かれているように、それを描いた作者がどんな人だったのか知っている人はほとんどいないでしょう。

今では、一目で「あっ、ピーター・ラビットだ!」といえない日本人はほとんどいない、といってもいいほど有名になりました。

しかし、ピーター・ラビットとその仲間たちを生んだ非凡な女性作家が、じつはどんな人物だったのか、そのこと知っている人はどれだけいるでしょうか。

この本によると、今から100年前、1919年の「ブックマン」誌の書評では、ポターに対して、次のような惜しみない賛辞が送られていたそうです。

ミス・ポターはライバルを思いわずらう必要はない。彼女に匹敵する者はいないからだ。

『まちねずみジョニー』は、彼女ほどに完成された著者・画家としての名声を、また一段と高めることになった。(p196)

女性が社会的に名声を得ることなどほとんどない20世紀初頭の時代です。それにもかかわらず、まだ現役の作家でありながら、これほど高い評価を得たポターの才能はまさしく希有でした。

では、その希有な才能は、どうやって培われたのでしょうか。幼少期に美術の英才教育を受けたのでしょうか。

この問いの答えは、ある意味では「ノー」であり、別の意味では「イエス」です。

「ノー」といえるのは、彼女は学校に行っておらず、家庭教師から教えられたからです。家庭教師から絵の技術を学びはしましたが、ポターはあまり好意的な感想は抱いていませんでした。

私たちはずっと、特別にうまくいっていたわけではありませんが、彼女に感謝はしなければなりません。

彼女から自由画法、立体表現法、形態描写、遠近法、そして花の水彩画の描き方を、多少なりとも学んだのですから。

ペインティングは、画材に関することをのぞけば、教えにくいものです。

もし生徒と先生の、自然や芸術に対する見方がちがっていたら、生徒は先生のそれに同調するわけにはいきませんから。(p42)

しかしながら、「イエス」といえるのは、彼女には別の先生がいたからです。

ポターは人間の教師から英才教育を受けたわけではありませんでした。そのかわり、別の教師、自然界と動物たちから、存分に教えられました。

ポターはいったいどのようにして自然界から学んだのでしょうか。

ブレイジ博士は、北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすの中で、 アウトドア教育には、次のような6つの特色がみられると述べています。

最後に、カリーナ・ブレイジ博士からアウトドア教育に興味のある皆さんへのメッセージを紹介します。

「教室の中では気づくことのできないアウトドア教育の視点とは」

(1)火は昔からあるイノベーションの代表例。たき火に興味のなかった子どもが、雷が火事になることに興味を持つようになった。

(2)おとなしい子どもがアウトドアでは元気で活動的になる。

(3)大人は、アウトドアで活動することは遊ぶことであって、学ぶことではないという意識がある。この意識を変える必要がある。

(4)知的障害・発達障害の子どもにとって、アウトドアで活動し始めるとインドアでは見せなかったような新しい役割が生まれる。

(5)アウトドアでは、子どもたちが十分にエネルギーを発散させることができる。

(6)子どもがアウトドアでの活動に慣れるまでには、一回ではだめで、数回連れ出す必要がある。(p122)

この6つの特色は、自然界のもとで大いに学んだ、ビアトリクス・ポターの生涯にも当てはまります。

これから、ビアトリクス・ポターの生涯を追いながら、これら6つのポイントについても考えてみましょう。

不幸な生い立ち、そして病気と闘った子ども時代

ビアトリクス・ポターは、とても牧歌的で優しい絵本で知られた作家です。しかしその作風に似合わず、子ども時代ははっきり言って「不幸」でした

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)には、こう書かれています。

ポターは不幸せな少女時代をおくり、おはなしを作りつづけているあいだも、ずっと幸せとはいえなかった人ですが、作品からはそんなことは少しも感じられません。

ビアトリクス・ポターの生まれた時代は女の人が成功したり、独立したりすることが喜ばれない時代でした。

ポターは両親のいうがままに育った、はずかしがり屋で、友だちもいない少女でした。(p5)

ポターは「不幸せな少女時代」を送り、「ずっと幸せとはいえなかった人」でした。

ポターがどのような少女時代を送ったのかは、生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)の中で詳しく考察されています。

家は裕福で、生まれたのはロンドンの豪壮な邸だった。何人もの使用人がいて、執事がそれを取り仕切った。

…当時のイギリスの中流階級では普通のことだったが、ビアトリクスの世話は、母親ではなく、乳母の女性に一任された。

母親と顔を合わすのは、特別な行事や挨拶のときだけで、生活の場自体が、別々の階に分けられていた。母親がビアトリクスの様子を見に行くことも、ほとんどなかった。

…両親は、他の子どもと遊ぶとバイキンをもらったり、悪い影響を受けたりすると言って、交友をさせなかった。

今日の感覚からしても、かなり異常な環境で育てられたことになる。(p234-235)

ポターはずっと隔離されて育ったので、同じ年頃の友達を作ることができませんでした。遊び相手はといえば、6歳年下の弟バートラムくらい。つきあいを許されたのは、両親のまわりにいる大人たちだけです。

ビアトリクス・ポターの伝記を読むと、いずれの本でも、子ども時代から続く母親ヘレンとの確執が、長年にわたり彼女を苦しめたことが書かれています。

ポターは少女時代から日記を書いていましたが、せんさく好きな母親に読まれないように、わざわざ独自の暗号で書かれていたほどでした。暗号がようやく解読されたのは、ポターの死後になってからです。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)に書かれているところによると、その日記からは、「さびしげで、友だちを思いこがれるような少女の姿」が読み取れます。(p10)

母親は、ポターが大人になった後も彼女の才能に関心を示さず、二度にわたる結婚に強く反対しました。晩年のポターは心が通いあわない母親の世話を強いられ、「最後まで心からうちとけられませんでした」。(p10)

一方で、絵の才能もある父親ルバートとは、よい親子関係を築けました。

でも、ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本)の中で、従妹キャロラインが証言しているように、何もかも理解してもらえるとはいきませんでした。

彼女の父親は、彼女とその本をひじょうに誇りに思っておられましたが、あの時代の多くの父親と同様、自分の娘が独自の生き方をする権利をもっていることは、理解していませんでした。(p293)

ビアトリクス・ポターが生きた時代には、女性が社会で成功したり、名声を博したり、独立した生き方をしたりすることは、家族からさえも理解されませんでした。

この家庭内の居心地の悪さに加えて、ビアトリクス・ポターは、子どものころからずっと、頭痛や痛み、繰り返す風邪などの体調不良に苦しめられていました。

とりわけ二十歳ごろには、二度にわたってリウマチの深刻な症状が現れ、髪がほとんど抜けてしまったほどです。一番元気で、外見を気にするはずの年ごろに、病と闘わねばなりませんでした。

子ども時代、ビアトリクスはしばしば風邪と頭痛に悩まされていましたが、このころからリューマチ熱の初期と思われる深刻な症状があらわれ、彼女の外見に劇的な影響をおよぼしたのです。

「わずかに残っていた髪の毛を、ダグラス理髪店で短く切ってもらつた。病気になってから、髪の毛はほとんど抜け落ちてしまった。…今の私ほどきれいに髪の毛がなくなった人はめったに見られないだろう」(p63-64)

「熱はあまりなくて、リューマチがひどい。床のなかで寝返りをうつたびに、悲鳴をあげずにはいられない。

痛みがひっきりなしに前後に動く。両方の脚を上がったり下ったり。一時もひとところにじっとしていない」(p64)

彼女のこの長引く体調不良の原因はなんだったのでしょうか。

ビアトリクスによると、「母は肺がじょうぶで、リューマチもなく、視力も健全で、ほんとうに幸せ」でした。93歳になっても「すごい生命力の持ち主」で、老衰まで生き長らえました。(p242,246)

その娘だったビアトリクスが、子ども時代からずっと体調不良に悩まされたのは、単に生まれつきの遺伝によるものとは考えにくく思います。

おそらくは、先天的な体質よりも、かなりの程度、不幸な生い立ちによる後天的な影響が強かったのでしょう。

近年の研究では、わたしたちの体質は、おおよそ2歳ごろまでに、健全で多様な微生物群集(マイクロバイオータ)を獲得できるかにかかっています。

しかしビアトリクスのように、極度に過保護に、もっぱら家の中だけで育てられたとしたら、必要な微生物とのふれあいがなく、健康な免疫系が育たなかったかもしれません。

腸内細菌の絶滅が現代の慢性病をもたらした―「沈黙の春」から「抗生物質の冬」へ
2015年の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたマーティン・ブレイザー教授の「失われていく、我々の内なる細菌」から、抗生物質や帝王切開などによってもたらされている腸内細菌(

また、不幸な生い立ちによる慢性的なストレスも、体調不良をもたらした可能性が強く疑われます。

子ども時代に、逆境や家庭の確執を経験すると、リウマチなどの自己免疫疾患や、若年性の慢性疼痛(線維筋痛症)などの発症率が上がるという研究とも一致しています。

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん
もはやトラウマは心の病ではなく内臓の微生物群集(マイクロバイオーム)を取り巻く生態系の問題だというパラダイムシフト
エムラン・メイヤーの研究から、トラウマ医学におけるマイクロバイオーム(体内の微生物群集)の重要な役割について考察しました。

このような生い立ちだけを見れば、ビアトリクス・ポターには、子ども向けの牧歌的な絵本で成功するような背景はまったくありませんでした。

むしろ、体の弱さや、トラウマの影響で、人生を台無しにされ、だれにも注目されないまま、悲劇的な生涯を送ったとしてもおかしくなかったでしょう。

しかし、ポターには恵まれていた面がありました。ポター家は働かなくてもいいほど裕福でした。

それで、毎年夏には、一家そろって自然豊かな避暑地に旅行し、長期滞在しました。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)によると、毎年のその旅行のとき、ビアトリクスと弟バートラムは、ごみごみしたロンドンや、4階の子ども部屋には決して存在しない、解放感と喜びを味わいました。

毎年、北の地方へ避暑にいくたびに、ビアトリクスはいなかを心から愛するようになりました。

…ビアトリクスの「いなかでくらしたい」という思いは、年々つのっていきました。

人でごったがえし、建物がたくさんたっているロンドンとは、まったくちがう景色やにおいのする、いなかですごしているうちに、ビアトリクス・ポターの画家としての、あるいは作家としての能力が育っていったのです。(p14)

ビアトリクス・ポターが幸運だったのは、ただずっと狭苦しい子ども部屋で、同年代の子どもたちから隔離されて育てられたわけではなく、大自然とのふれあう機会を与えられたことでした。

ビアトリクスは、ふだんは内気ではにかみ屋の少女でした。両親とそりが合わなくても、反発することができず、ただ秘密の暗号日記の中でだけ本心を吐露することができました。

ところが、自然界のなかでは、ふだんの彼女からは想像もつかないほど大胆になり、心ゆくまで探検し、探求することができました。

大自然の中では、本当の自分でいられる、ということを発見したのです。

大自然―ビアトリクス・ポターの最大の教師

子どものころに大自然と触れ合う機会が与えられたことは、感受性鋭いビアトリクス・ポターにどんな影響を及ぼしたでしょうか。

あなたの子どもには自然が足りない には、子ども時代のビアトリクスと弟バートラムの、こんな意外すぎる一面について書かれています。

子供の本の最も有名な作家であるポターは、すさまじい収集能力を発揮している。

ポターの伝記作家であるマーガレット・レーンは、ビアトリクスと弟が「怖がることなく、親をびっくりさせるような実験をやってのけていた」と書いている。

二人は「数限りないカブトムシ、毒キノコ、鳥の死骸、ハリネズミ、カエル、芋虫、ヒメハヤ、蛇の抜け殻などをそっと家の中へ持ち込んできた。

死んだ動物に皮がついたままだったら、二人で剥ぎ、大急ぎで煮て骨を保存する。

一度など、いったいどこで手に入れたのか狐の死骸を持ち帰った。そして両親に知られることなく皮を剥ぎ、煮て、関節をつないで骨格を作った」

彼らは家の持ちこんだすべてのものについて絵を描き、色を塗り、それらの紙を綴じて、自然の本にした。(p99)

びっくりするような行動力です! 子どもが森のなかから様々な動植物を見つけてきて、死骸を煮込んで全身骨格を作ることまでしていたのです。

カリーナ・ブレイジのリストにあった、アウトドア教育の特徴の2番目の点を思い出します。

(2)おとなしい子どもがアウトドアでは元気で活動的になる。

この知見は、近年の研究によっても裏付けられています。

たとえば、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方によると、自然豊かな環境の中で遊ばせると、男女の活発さの差がほとんどなくなります。

都会の学校でよく見られるごく普通の校庭でも、男子は女子より活発に走りまわる。

ところがスウェーデンの研究によれば、自然の多い環境では男子と女子の運動量の差が縮まるという。

運動量の男女差を、自然が詰めると言ってもいい。(p315)

通常、男の子のほうが活発で活動的だと思われがちです。しかし、自然の中で遊ぶと、学校の教室ではおとなしかった女の子も活発に探検するようになるのです。

ふだん、家のなかでは徹底的に抑圧され、自分の気持ちを主張できなかったビアトリクスにとって、自然豊かな世界は、自己表現できる最高の舞台でした。

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) によると、ポターは、見つけた植物を持ち帰り、動物を飼育して観察しました。そしてそのすべてをスケッチし、絵の才能をぐんぐん伸ばしていきました。

ビアトリクスが周囲の自然の姿をおどろきと喜びをもって発見したのも、ダルガイズにおいてでした。

バートラムも成長すると、姉の探検に加わりました。二人は、臆病ですぐにおどろくノロジカのあとを追ったり、野の花たちを探しては、それらを観察し、なによりも絵に描きました。

ビアトリクスは、スケッチや水彩画を描くことに多くの時間を使いました。(p36)

ビアトリクスが絵を描くようになったのは、自然の中を探検するうちに、さまざまな動植物に興味を抱いたからでした。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)にその様子がこう描写されています。

絵をかくとき、ビアトリクスしいつもそのものを目の前にして写生しました。ビアトリクスは自分だけの動物園をもっていたのです。

ビアトリクスと弟のバートラムは、かぶと虫、毛虫、ねずみ、かえる、はりねずみ、とかげ、こうもり、そのほかどんな動物でも、手にはいるものはみんな集めていました。

つかまえた動物を、みつからないように子ども部屋へそっと運んで、長いあいだ観察し、動きやくらしぶりを記録しました。(p12-13)

ポターはいつも実物から学びました。ただ味気ない教科書や写真で見るのではなく、実際に五感を使って動植物と接したからこそ、幅広い興味と関心を持つことができたのです。

このことは、カリーナ・ブレイジが指摘していた一番目の点を思い起こさせます。

(1)火は昔からあるイノベーションの代表例。たき火に興味のなかった子どもが、雷が火事になることに興味を持つようになった。

子どもは、ただ写真や動画で見せられるよりも、実物を見て、全身の感覚で体験したときのほうが、より興味と関心を抱くものです。

ポターはまた、大自然を探検する中で、物語をつむぐ能力も発達させていきました。

自然界の探検と、物語の創作がいったいどう関係しているのか。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)の解説で、絵本作家のいわむらかずおさんがこんな意見を述べています。

ぼくにとって、野生の動物は、現実の世界から空想の世界へ入っていく入り口の役目をはたしてくれるものの一つです。

動物って、ふしぎな存在だと思いませんか? とくに、動物とじっと見つめ合ったときなど、とてもふしぎな気持ちになります。その目のむこうに、空想の世界の広がりを感じるのです。

相手が人間のことばでしゃべらないぶん、こちらの想像がどんどんふくらんでいきます。

野生動物に出会えるような場所も、何が出てくるかわからない、わくわくさせられるふしぎな空間です。そこからスッと空想の世界に入っていけるような気がします。(p114)

この考察を裏付けるかのように、自然界の中で遊ぶことが、子どもの想像力を豊かにしてくれるという研究もあります。

あなたの子どもには自然が足りない によると、自然豊かな環境で遊んだ子どもは、舗装された公園で遊んだ子どもより、空想的な遊びをしたそうです。

スウェーデン、オーストラリア、カナダ、そして米国で、緑の多い遊び場をもつ学校と人工的な遊び場のある学校の子供たちを調べたところ、子供たちは緑の遊び場でのほうがずっと創造的な遊びをすることがわかった。

これらの研究の一つでは、より自然が多い学校の校庭では、子供たちは男の子も女の子も平等なかたちで一緒に遊ぶことのできる、より空想的なごっこ遊びをした。(p96)

子どもたちは、アスファルトで舗装された人工的な公園よりも、大自然のなかで遊ぶときのほうが、空想をたくましく膨らませます。

ビアトリクス・ポターは、大自然と親しみ、その中を探検するうちに、ただロンドンの子供部屋にとどまっているだけでは得られなかっただろう創造性を身につけたことがわかります。

このころの稀有な体験、いわば、自然のさなかでの英才教育が、のちに世界的な絵本作家になるための下地となったのは言うまでもありません。

おもしろいことに、ポターが自然界から学んだのは、ただ想像力だけではありませんでした。

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) によると、彼女はダーウィンやファーブル、リンネのような、優れた観察眼をもった生態学者でもありました。

彼女の菌類と地衣類に対する興味は、いまや彼女にとって、追求すべききわめて重要なテーマとなっていました。彼女は自分の顕微鏡を使って胞子の研究をし、その培養までもしていました。

そして、標本をつぎつぎ線描画や水彩画に描いたり、細菌学者パスツールのペニシリン実験のすばらしさを日記に記録したりもしていました。(p91)

彼女が、いかに優れた生態学者であったかを示すエピソードがたくさんあります。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)によると、彼女の研究は本職の科学者からも注目されました。

彼女のキノコの挿絵は正確だったので、専門家の本の挿絵に採用されたほどでした。

頭の古い植物学者の意見より、彼女の観察のほうが正確だと判明したこともありました。

ある科学者は、彼女が苔について書いた論文を、代理で学会に発表しました。(p19-20)

正規の学校にいったことがなく、大学で学んだこともなかったにもかかわらず、ビアトリクス・ポターは専門家並みの知識と観察眼をもっていたのです。彼女の教師は自然界そのものでした。

もとより、ギリシャの哲学者アリストテレスからはじまり、チャールズ・ダーウィンのような科学者に至るまで、本来、人間が学ぶ教科書とは、紙の書物ではなく自然界だったはずなのです。

カリーナ・ブレイジが、アウトドア教育について述べていた三番目の点のとおりです。

(3)大人は、アウトドアで活動することは遊ぶことであって、学ぶことではないという意識がある。この意識を変える必要がある。

ピーターラビットの野帳(フィールドノート) によると、ビアトリクス・ポターは、徹底して本物を観察することを重視しました。

ビアトリクスはできる限り生の標本を描くことにこだわっていました。

後には「乾燥標本から理論を打ち立てる」押入れ博物学者(クローゼットナチュラリスト)を批判するようになりました(確かに乾燥標本から立体的な姿を思い描くことは難しいことです)。

自然そのものの美しさや調和に気づく画家はほとんどいない、とビアトリクスは厳しい目で見ていました。(p166)

家や教室にこもって、椅子に座って机の上で勉強しているだけでは意味がない、と考えていたことがよくわかります。

ちょうど、今読んでいた別の本、クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 (ちくま文庫)の中にもそんな話がありました。

「小学校の三年もろくにいけずに学校教育の恩恵にも浴していない」のに、著名な動物行動学者に勝るとも劣らない 正確な知識を身に着けたアイヌの猟師。

彼にその秘訣を訊いてみると、「私はクマは机の上にはいないといつも言うんです」と述べたそうです。机の上で学ぶだけが勉強ではなく、徹底したフィールドワークから貴重な知識が得られることの好例です。(p345)

ビアトリクス・ポターも、意欲的なフィールドワークで博学になりました。もし彼女が現代に生まれていたら、絵本作家ではなく、動物学者や植物学者になっていたかもしれません。

ピーターラビットの野帳(フィールドノート) によると、ポターのボタニカルアートを高く評価して、1967年の自著「道端と森のキノコ」の挿絵に採用したW.P.K.フィンドレイ博士は、こう考えていたそうです。

フィンドレイ博士によれば、ビアトリクス・ポターはプロの科学者、生物学者の心を持っており、もしもっと後の時代に生まれ、考古学を選択しなければ、生物学者になっていただろうといっています。

どちらの分野に進んでも素晴らしい実績を上げただろうといっているのですが、博士の説が正しかったことは本書を読んでいただければわかることでしょう。(p59)

しかし、残念なことに、ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)で指摘されているように、彼女が生きた時代は、女性が学問の世界で成功するのはほとんど不可能でした。

女性には発表の場もあたえられていないということもあって、ビアトリクスは生涯をきのこの研究にささげても、満足できないだろうと気づきました。

そして、今までの熱心な研究の成果を、次々にしまいこんでしまいました。(p20)

彼女はしかたなく、自分の関心を、生態学の研究から、絵本の創作へと方向転換することにしました。

それでも、その鋭い観察と知識は、ピーター・ラビットをはじめとする絵本の制作や、その後の自然保護活動にも存分に生かされました。

湖水地方で心と体を癒やされる

ビアトリクス・ポターは、その後も年を重ねるにつれ、自分の偉大な教師である自然界とのつながりを深めていきました。

子どものころは内気ではにかみ屋でした。しかし、ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)によれば、自然と関わるうちに、彼女は「今までとはちがった自分を発見しました」。(p56)

ビアトリクス・ポターがはじめて作家としてデビューし、ピーター・ラビットの本を自費出版したのは36歳のころでした。

それ以降のビアトリクスの活動を見てみると、かつて内気でシャイだったとは思えないほど、自分の意見をはっきり主張できる、行動力のある女性に成長していたことがわかります。

出版社と交渉するときは、子ども向けの本として最適な体裁の案を押し通し、妥協はしませんでした。未払いの賃金についてきびしく指摘したり、海賊版に対して断固たる処置を講じたりしています。

私生活でも、両親に反対されながらも結婚に踏み切りました。最初の恋愛は恋人の病死という悲劇に見舞われましたが、それを機に自然豊かな湖水地方に農場を購入し、両親から自立していきます。

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) をひもとくと、彼女は「私は七十になって、堂々と自己主張をはじめました」と書いています。

晩年の彼女は、「頑固」でありながら「気配りと理解のある地主」として敬われていました。(p202,258,292)

ビアトリクス・ポターは、大自然との関わりの中で、自分の新たな一面を発見し、自信を深めていきました。

そして、厳しい養育に抑圧された内気な少女から、自分らしく生きる自立した女性に変化しました。

彼女のこうした変化は、以前の記事で書いた、大自然とのふれあいが、PTSDや慢性的なトラウマ症状からの回復に役立つという内容と一致しています。

ポターは、トラウマ的な生い立ちゆえに、辛い子ども時代を送りましたが、自然との関わりによって、不幸な境遇を乗り越えたのです。

大自然から感じる「畏怖の念」を科学するー凍りついた人を生き返らせる逆PTSD効果
ポリヴェーガル理論など、近年の科学的研究に基づき、畏怖の念とは何か、どんな生物学的機能があるのか、大自然の中で味わう畏怖の念によってどのようにトラウマから回復できるかを考えました。

一方で、気がかりだった体調面も、30歳を過ぎたころから改善されていったようです。

二十歳のときより、三十歳の今のほうが若く感じる。精神も肉体もともに、よりしっかりと、より強くなってたようだ。(p90)

とりわけ、大自然のただ中の湖水地方に移り住んでからは、とても忙しく農業に携わり、多数の牧場を経営しました。そのころにはもう虚弱だった昔の面影はほとんどなくなっていました。

確かに、老齢の母親の世話をした時期など、ストレスが増し加わると、以前のように体調不良が再発したことが何度かありました。

それでも、彼女は晩年、77歳で亡くなる少し前にこう書いています。

少女のころにリューマチ熱を患ってから、私の心臓は、一度も正常だったためしはないのです―ですから、心臓のことはあまり気にしていません。

ロンドンにいたころはしょっちゅうで、今よりもっと悪かったんですから。(p288)

亡くなる直前でさえ、ロンドンにいたころのほうが悪かった、と書いているくらいですから、彼女の体調が、大自然の中でかなり改善されていたことがうかがえます。

ポターは、93まで長生きした母のように頑健ではなく、77歳で亡くなりました。それでも、子ども時代のあの虚弱体質を思えば、奇跡的です。

しかも、体調が悪いままずるずると生きていたわけではありませんでした。人生の後半の大部分においては、忙しい農作業に携われるほど体力がついていたからです。

ビアトリクス・ポターは、若いころの大都市ロンドンの生活についてはこう回想しています。

ロンドンでの若いころの私は、不満だらけで、体もまったく丈夫ではなかったので、あそこにあるものに、私はまったく未練がありませんでした (p231)

しかし、ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)によると、亡くなる直前には、自分を育み育ててくれた大自然への感謝の気持ちでいっぱいでした。

ビアトリクスはあるとき「神様、ものが見える目をあたえてくださって、ありがとうございます」と書いています。

「わたしは体が弱って床にふせっています。わたしの足はなえてしまって、もうむかしのようには歩けません。

でも今までに目にした滝や荒地にある、どんな小さな石でも花でも思い出すことができます。

どんな小さな沼でも、人と行きあった道でも、目をつぶればすぐそこに見えるのです。

わたしは、むかし歩いていたときに目にしたものを、また思い起こしては自分をなぐさめています」(p101-102)

ビアトリクス・ポターの人生は、あまり幸せとはいえない始まりでした。

しかし、自然界という教師に出会ってからは変わっていきました。

動植物を観察して想像力を培い、世界的な絵本作家として成功しました。

自分を縛っていた生みの母のもとから自立し、湖水地方という母なる大地のもとに居場所を見出し、結婚もしました。

やがて体調不良もそこそこ回復し、夢見ていた牧歌的な生活を営むようになり、幸せな暮らしを手に入れました。

大自然という教師から学び、アウトドア教育を味わったことは、まさしくポターの人生を変え、不世出の作家を生み出したのです。

ビアトリクス・ポターは発達障害だったか?

こんな人生を送ったビアトリクス・ポターですが、こうして概観しただけでわかるとおり、かなり珍しい個性の持ち主です。

大自然の中で育ったからといって、すべての子が菌類や地衣類の博士になったり、動物の死骸を似て骨格標本を作ったりするとは思えません。明らかにポターは独特でした。

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)に書かれているように、ポターは、現代の規準からするともちろんのこと、当時の規準でも「かなり変わった子ども」だったように思えます。

まわりに遊んでくれる人のいないビアトリクスは、小さいときから一人遊びをしなければなりませんでした。そこで、絵筆をとり、いろいろなものをスケッチするようになったのです。

おとなのように現実的な常識と、上手にえがく才能をもっていた少女は、かなり変わった子どもだったといえるでしょう。(p10)

ピーターラビットの野帳(フィールドノート) にも、彼女が独特な性格の人だったことが書かれていました。

ビアトリクス・ポターが自分の殻に閉じこもって生涯を過ごした人だということは、さまざまな資料から少しずつ明らかになってきました。

…物静かで秘密を好む性格のビアトリクスは、少女時代、自分で考え出した暗号で日記を書き、自らの心の奥深くのみを見つめて過ごしました。

後になっても個人的な出来事を周りの人に話したいと思うことはほとんどなく、いろいろな文献に紹介されているあのソーリーの物乞いとのいきさつ [※服装に無頓着だったポターが物乞いから同業者に間違われたというエピソード] からもわかるように、相手の誤解を正すこともしませんでした。(p27)

ポターのこの変わった個性は、今日の社会で「発達障害」と呼ばれている症候群の特徴をいくらか含んでいるように思えます。

では、ビアトリクス・ポターは発達障害だったのでしょうか。

結論からいうと、わたしは、彼女が発達障害だったとは、これっぽっちも思っていません。

でも、もし彼女が現代社会に生まれていれば、「発達障害」と診断されてしまう可能性が十分あったと思っています。

仮に彼女が、現代社会に生まれていれば、当然、義務教育で学校に入れられていたでしょう。

環境破壊が進み、まともな自然がまったく残されていない都市圏に育てば、生涯の教師となる大自然と出会うこともなかったでしょう。

そうすると、彼女は、家庭環境からくるストレスを発散するような場所がないまま、鬱屈とした子ども時代を送るようになったかもしれません。

カリーナ・ブレイジが挙げていたアウトドア教育のメリットの5番目は次のようなものでした。

(5)アウトドアでは、子どもたちが十分にエネルギーを発散させることができる

子どもは、学校の教室や、緊張した家庭では、自己表現を抑圧され、自由に動きたいという渦巻くエネルギーを抑え込み、自己抑制するように求められます。

そのような子どもは、もし、自然界の中でアウトドア活動するような機会を与えられたら、抑圧されていたエネルギーを発散し、存分に自己表現することができるでしょう。

ところが、そのような場が与えられないと、抑圧されているエネルギーはストレスとなって体にしまい込まれます。

先日の記事で書いたように、脳神経科医オリヴァー・サックスや、神経心理学者ピーター・ラヴィーンは、そのようにして「体に閉じ込められたエネルギー」が、偏頭痛や腹痛や発熱などの心身症の原因になっていると考えていました。

周期的にくり返す偏頭痛,高熱,腹痛などの謎を解く―手がかりは「凍りつき」の生物学的役割にあった
オリヴァー・サックスの片頭痛の研究から、凍りつきや解離が持つ生物学的な役割について考えました。

ビアトリクス・ポターが、子どものころから繰り返す発熱や疼痛に襲われていたのは、ストレスの多い大都市ロンドンの、抑圧的な家庭に育ったことで、行き場のないエネルギーが体に閉じ込められていたせいだとみなすことができます。

幸いにも、自然界との関わりによって、彼女は適切に自己表現し、エネルギーを発散できるようになり、体調はしだいに改善していきました。

しかしもしそのような機会が与えられなかったとすれば、彼女はいったいどうなっていたでしょう?

ビアトリクス・ポター―ピーターラビットはいたずらもの (愛と平和に生きた人びと)によると、彼女は、聡明にも、自分が学校に行かされなかったのは運がよかったのだと察していました。

さいわいなことに、わたしは学校へいかされませんでした。もし学校にやられていたら……わたしのもっていた独創性は、多少ゆがめられていたでしょう(p11)

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) を見るに、彼女は、自分が杓子定規な教育には向いていないことをよくわきまえていたのでしょう。

私の教育は7月9日をもって終わった。

私が教育からどんな道徳的価値や一般的知識を得たにせよ、ものごとを杓子定規に考えたりはしてこなかった。

何語であれ、棒暗記したものなど、ただの一行だって私はいえない。(p56)

しかし、もし学校生活を送っていたら、単に考え方が杓子定規になったり、独創性が多少ゆがめられるだけでは済まなかったかもしれません。

彼女のようにストレスに敏感な子どもは、学校ではより辛い経験を抱え込み、不登校や心身の不調に陥る可能性が高いからです。

大自然の中でエネルギーを発散される機会が与えられず、ただでさえ心身症が悪化しているところへ、学校の苦痛が加われば、社会に出る前に引きこもり状態になっていたかもしれません。

もちろん、歴史に、“たら” “れば”、はありません。彼女が異なる環境でどのように成長していたかはわかりません。

かえって学校に入れられていたほうが、友達もたくさんできて、あまり孤独でない子ども時代を送れたかもしれません。

彼女は才能豊かな女性でしたから、仮に現代の大都市に生まれ、自然界との関わりがないまま育っても、数学やデザインの世界で大成功していたかもしれません。

けれども、少なくとも、これまでのわたしの知識の範囲でいえば、そうした可能性はイメージしにくく思えます。

自然をこよなく愛する湖水地方出身のジェイムズ・リーバンクスは、ベストセラー 羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季 の中で、自分の学校生活についてこう切り捨てていました。

「学校生活は人生で最高の時間」などと言うが、そんなのは嘘っぱちだ。私は学校を離れるのが待ちきれなかった。学校に思い入れなどひとつもなかった。(p135)

この卑劣で破滅的でくだらない学校は、私の人生の五年間を持ち去った。自分が何者かということが学べたのでなければ、怒り狂っていたかもしれない。

…だからこそ、学校を去ったことは、私の人生で最高の出来事だった。その年の春と夏、私の心は高揚感でいっぱいだった。

学校を離れたその日、15歳の私は、二度とこんな牢獄に自分を閉じ込めるような真似はしないと誓った。これからは自分で決めた道を歩んでいくんだ、と。(p138)

リーバンクスと同じように、やはり湖水地方を愛したビアトリクス・ポターも同じ感性を持っていたのではないかと思えます。

彼女もまた、もし学校生活を送っていれば「人生の五年間を持ち去」られたと感じたかもしれません。のちにピーター・ラビットを生み出すための下地になるはずの、かけがえのない五年間をです。

とりわけ、彼女の不幸な生い立ちや、生来のストレスへの敏感さなどからすれば、もし自然界との関わりがなかったら、途中でストレスを抱え込みすぎて、不適応を起こしていたのではないかと思えてなりません。

そうなれば、彼女は医師やスクールカウンセラーから、「発達障害」や「学習障害」のレッテルを貼られてしまったかもしれません。

これは、カリーナ・ブレイジがアウトドア教育について述べていた、四番目の特徴に通じることでもあります。

(4)知的障害・発達障害の子どもにとって、アウトドアで活動し始めるとインドアでは見せなかったような新しい役割が生まれる。

現代社会の学校に不適応を起こし、「発達障害」や「学習障害」と診断された子どもは、アウトドア教育に連れ出すと、まったく別の一面を見せ、新しい才能を開花させるとブレイジは述べます。

これは、逆の観点からみれば、次のようにも言えます。

すなわち、こうした多様性をもつ独特な子どもは、自然から切り離された現代社会の学校教育のもとでは、不当にも発達障害や学習障害と診断されてしまうかもしれない、ということです。

詳しくは以前に書いたとおりです。

定型発達は本当に“ふつう”なのか―コケの生態学からふと考えた発達障害やHSPのこと
定型発達という概念の不自然さについて、コケの生態学について学んで考えたこと。

才能が開花するかどうかは環境と切り離せない

ビアトリクス・ポターが絵本作家として傑出した成功を収めるには、子どものころに大自然の中で学び、動植物を観察し、スケッチし、物語を紡ぎ出すという経験が不可欠でした。

そのような経験がなければ、ポターは、ただの「変な子」だったかもしれません。生い立ちのせいで人と関わる経験が少なかったので「コミュ障」だとみなされたかもしれません。

事実、ポターは大人になって農場主として信頼されるようになってからも、たびたびコミュニケーションが少し変だったことを思わせるエピソードを残しています。

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) によると、ビアトリクス・ポターの母親のメイドだったルイーザ・ロウズは、彼女をこう評しています。

ビアトリクス・ポターの本を読んで、あんな美しいものが書ける人だなんて、ほんとに思いませんよ。私たちは、彼女からそんなものをまったく想像できませんでしたもの。

彼女で思いおこすものといったら、着てたもんくらいですよ。ウェリントンブーツ(膝まである長靴)とぼろぼろの服と―それから羊、それくらいです。

…人づきあいには、まったく無頓着な人でした。関心をもってたのは、農場と家畜のことだけでしたよ。(p234)

この寸評は、母親との確執で非常にストレスがかかっていた当時のビアトリクスに対するものだった、ということを差し引いて読む必要はあります。

それでも、ビアトリクス・ポターの親族も、彼女には「相手がどう思うかまったく顧慮しない」ところがあり、「一方的な、見当違いの善意」を示すことがあると述べていました。(p252)

戦時中に配給食物で暮らしていた子どもの目の前で、貴重なチョコレートを動物たちにあげてしまうという、配慮に欠けた行動をとってしまったこともありました。(p283)

ビアトリクス・ポターの幼少期について考察した生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書) では、このような性格は、幼少期の辛い養育からくる回避性パーソナリティの特徴だとされていました。

子ども時代に厳しい養育をされたり、あまり愛情を注がれなかったりした人は、「回避性パーソナリティ障害」、つまり俗にいう引きこもり状態になりやすく、人付き合いが苦手で、ときに発達障害と誤解されることもあります。

内気で、引っ込み思案で、外に出ることさえ滅多になかったビアトリクスの回避性には、育った環境が大いに与っていたと言えるだろう。

母親との稀有な関係に加えて、スパルタ式の乳母に厳しく管理され、四階の子ども部屋という狭い世界だけで貴重な幼年期を過ごさねばならなかったことは、悲劇的とも言えるほどである。しかも持病もあり、社交から遠ざからざるを得なかった。(p240)

感受性が強すぎて一歩踏み出せない人たち「回避性パーソナリティ」を克服するには?
失敗したり、恥をかいたりすることへの恐れが強すぎて、人との関わりや新しい活動を避けてしまう。そんな悩ましい葛藤を抱える「回避性パーソナリティ」は決して心の弱さではなく、良くも悪くも

それでも、ポターの生涯全体を見れば、彼女が、コミュニケーション力に大きな欠陥を抱えていたわけでないことはあきらかです。友達を大切にし、まめに手紙をやりとりした人でした。

そんな中にあってさえも、信頼できる友人や異性と、不快関係を築くことができたのは、奇跡とも言えるほどだ。

それは、彼女がそうした関係を求めていたからこそ、手にすることができたとも言える。

慎重で不器用なこのタイプの人は、それほど多くの人と、次々親しくなるようなことはできないが、少数の人との関係を大切にして、じっくり関係を育んでいくことが多い。量よりも質なのである。(p240-241)

彼女はコミュニケーションが苦手だったどころか、巧みで上手だったことを示すエピソードもたくさんあります。

湖水地方の羊飼いであるジェイムズ・リーバンクスが書いた羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季では、彼女がいかに湖水地方の文化に馴染み、地元の人々と良い関係を築いたかが書かれています。

湖水地方にゆかりのある作家のなかで、私はビアトリクス・ポターをもっとも敬愛している。(この地域のファーマーのあいだでは、「ヒーリス夫人」として知られていた)。

彼女は、湖水地方の羊飼いに最大限の敬意を払った作家であり、…彼女自身、羊飼いと交渉して羊の群れを買った経験があった。(p336)

ヒーリス夫人ことビアトリクス・ポターは、地元出身の羊飼いと意見が衝突することもありましたが、辛抱強く敬意をこめて共に働きました。

ビアトリクス・ポターとしては、その時点でトム・ストーリーを解雇することもできたはずだ。

ところが、彼女はストーリーと一緒に働くことを選び、彼の知識や信念に敬意を払い、多くのことを学んだ。

その後、ふたりは長い時間をかけて群れを変身させ、多くの品評会で賞を獲得するほどの羊を何匹も育て上げた。(p338)

もともと引っ込み思案だったポターが、このような協調性を発揮できるようになったのは、自然豊かな環境のなかで、他の人たちと協力して生活してきた経験のおかげだったのかもしれません

北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすによれば、アウトドア教育の利点のひとつは、コミュニケーション能力が向上することです。

子どもたちは、自分で考える機会が多い生活の中で、他者とコミュニケーションする力、目標を達成する粘り強さや仲間と強力し合うこと、自分の情動をコントロールすることなど、非認知的な能力を実体験から学んでいます。(p130)

ポターがもし現代社会に生まれ育っていたら、そうした能力を培う機会がありませんでした。引きこもりになったり、発達障害と診断されたりする可能性は十分にあったといえます。

ベアトリクス・ポターが、自信にみちあふれた稀有な作家になるか、それとも社会から引きこもったまま、生きづらさを抱えた一生を送るかを分けたのは、大自然という教師と出会えるかどうかにかかっていたのではないでしょうか。

創造性の研究をしている心理学者ミハイ・チクセントミハイは、創造性と環境や時代背景は切っても切れない関係にあると述べていました。

歴史上、どれほど稀有な業績を残した偉人でも、ただ当人が持って生まれた先天的な才能だけで成功した人は一人もいません。

才能があってもそれを開花させる環境に恵まれていないなら、平凡な人生を送ることもあります。(歴史上の偉人に女性が少ないのはまさにそのせいです)

逆に環境に恵まれているおかげで、持って生まれた能力以上の才能を発揮できることもあります。

ビアトリクス・ポターの絵本作家としての才能は、単なる個人の天才的な素質では語れません。

大自然という最高の教師から存分に学べた、という恵まれた環境を抜きにして、このたぐいまれな絵本作家の才能を語ることはできないのです。

「発達障害」の子どもが本当の自分を見つけるために

ビアトリクス・ポターの生涯は、現代社会のわたしたちに、次のような疑問を投げかけます。

わたしたちの社会で、今日、増加する一途をたどる「発達障害」の子どもや大人たちは、本当に障害を抱えているのだろうか。

もしかすると、彼ら、また彼女らは、自分の能力を伸ばすのにふさわしい環境を与えられず、抑圧された自己表現を解放する場を与えられなかったもう一人の「ビアトリクス・ポター」なのではないだろうか。

先に見たように、ビアトリクス・ポターは大自然と出会うことによって、「今までとはちがった自分を発見しました」

北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばすの解説部分によると、自然界の中で活動することから得られるメリットのひとつは自己肯定感自己効力感です。

幼児期にはまず、自分の好きな遊びに熱中し自分を感じて考える経験をたくさん積み重ねたり、自分のありのままを受け入れてもらう心地よさを味わうことによって「自分が好き」という自己肯定感や、自分は誰かの役に立つことができるといった「自己効力感」を育んでいくことが必要ではないでしょうか。(p125)

ポターはまさにそうでした。普段の生活では抑圧され内気でしたが、自然界の中でならありのままの自分を出せました。

そこで養った感じる力や、豊富な体験に基づく知識は、彼女がのちに作家を目指すときの自信のよりどころになりました。

しかし、今日のわたしたちが住んでいる、もはや自然界との関わりが失われた狭い世界では、本当の自分に出会う機会がなくなってしまいました。

最近の記事で書いたように、現代社会で発達障害や学習障害とみなされている子どもの大部分は、自然豊かだったころの地球環境に適応した神経系をもっているように思われます。

その子たちは、決して「障害者」ではありません。しかし、現代社会のいびつな環境のもとでは不適応を起こすので、あたかも障害をもつ問題児であるかのように見えてしまうだけなのです。

そのような子どもたちが、もし日常のなかで繰り返し大自然と親しむ機会があれば、どんな影響を受けるでしょうか。

ポターがそうだったように、自分は都会ではやっていけない。でも、この自然のただ中では能力を活かせる、ということに気づくかもしれません。

それはつまり、現代社会ではただ劣等感だけを募らせるような子どもが、大自然の中では自己肯定感や自己効力感を育んでいける、ということです。

それは、その子の人生の明暗を分けるほどのものです。劣等感だけを感じている人が成功することはありません。しかし自信の持てる分野が少しでもあれば、一歩踏み出す勇気が得られます。

カリーナ・ブレイジがアウトドア教育について述べていた六番目の点は次のようなものでした。

(6)子どもがアウトドアでの活動に慣れるまでには、一回ではだめで、数回連れ出す必要がある

何度も大自然と関わりをもち、アウトドアで活動を重ねると、思いがけず、自分にはこうした生き方が向いているのだと気づく機会が訪れるかもしれません。

人は、アウトドアで活動するとき、普段とは異なる役割を果たそうとするものです。

子どもたちも、このプログラムを通して、普段とは異なる側面を見せてくれます。

学校教育の場面で課題を抱えた子どもが、アウトドアではリーダーシップをとり、学校とはまったく違った側面を見せることがあります。(p103)

たとえ教室の中では不適応を起こす子どもでも、自分には別の可能性があり、異なる環境でなら能力を発揮できる、という自信を育んでいけるかもしれません。

ビアトリクス・ポターは大都会の裕福なお金持ちの家庭に育ったので、自分が農場を経営する羊飼いになるなんて思ってもみなかったに違いありません。湖水地方に引っ越したのも、ストレスから逃れたい一心でした。

ところが、ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) によれば、みんなが普通の生活だと思っていたロンドンから抜け出し、湖水地方に引っ越してみてはじめて、思いがけず自分が農業に向いていることに気づきました

ヒルトップ農場は、ビアトリクスにとってただ一つのにげ場で、ゆっくりと悲しみをいやすことのできる場所でした。

ここには、今までとはまったくちがう生活がありました。そして、ビアトリクスは自分が農業にむいていることを発見したのです。(p58)

基本的に、ある環境に向いていないということは、別の何かの環境には向いているということです。

ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」 の中で神経科学者スティーブン・ポージェスが述べるとおり「行動病理学的に不適応であると解釈されたある行動は、ある環境においては適応的だったかもしれない」からです。(p252)

だから、もし今、ふだん過ごしている都会や学校や職場の環境に不適応を起こし、ちょうどロンドンで過ごしていたころのビアトリクス・ポターのように居心地の悪さを感じているなら。

自分は発達障害だとか、適応障害があるとか、コミュ障だとか決めつける前に、この世界には、もっと違う環境があるということを思い出してほしいと思います。

あなたは、世界中、どんな環境に行っても、本当に不適応を起こすのでしょうか。本当にそれを試してみたことがありますか。

まったく違う環境、できれば人間本来の、つまり何千年もの歴史にわたって人類が過ごしてきたような環境に身を置いてみたことがありますか。

あなたの「不適応」や「発達障害」は、あたかも魚が陸上で暮らしているようなものだということはないでしょうか。

本当は泳ぐのに必要な水という環境がないから生きづらいのに、自分が障害を抱えているせいでうまくいかないと考えるとしたら、とても残念なことです。

ビアトリクス・ポターは、自然界での経験を通して、農場が自分に向いていることを発見しました。でもみんながそうだというわけではないでしょう。

自然界に親しむとは、必ずしも農業や肉体労働に携わったり、テクノロジーを捨てて原始時代のような生活を目指したりする、という意味ではありません。

自然界から学べることは、農耕や狩猟採集の社会でしか役に立たないわけでもありません。

たとえば、北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばす には、アウトドア教育を通して、スマートフォンなどの現代テクノロジーをより深く理解できる事例なども収められています。

そもそも、どんなテクノロジーも、この自然界の法則に基づいて機能しているものだからです。現代のテクノロジーは、もとをたどれば自然界の観察と研究から発明されました。

現代の教育では、体験抜きの知識を教えようとします。でももともとそれらを考えた人は、「文字や数、知識が先にあるのではなく、心が動く体験が先にあっ」たのではないでしょうか。(p129)

多くの子どもにとって、現代テクノロジーは仕組みのわからない“魔法の箱”です。しかし自然の中でじかに物理法則を体験し、仕組みを説明してもらえると「子どもたちは現物に触れなければ、物事を説明できないことがわかります」(p6)

この本の後半の国内事例の解説のところでは、それが「自己準拠効果」という言葉で説明されていました。

アウトドア教育のエクササイズを行う前に、次のような心がけが必要です。

(1)日常の不思議現象とテクノロジーを関連づけること
(2)一緒に楽しみながら、ときには一緒に笑いながら実践することで、生涯続くような高い意欲を育むこと

…自分に関連づけて物事を理解すると記憶が向上することは、「自己準拠効果」として知られています。(p120)

カリーナ・ブレイジはリンショーピング大学で最優秀テクノロジー賞を受賞しましたが、その大学はアウトドア教育に力を入れ、同時にスウェーデンでトップの学生就職率を達成したことで知られています。(p ii)

芸術に携わるにしても、数学やデザインを専攻するにしても、コンピューターテクノロジーの分野に進むにしても、あらゆる分野の下地になるような豊かな経験をもたらし、自分の幅を広げてくれるのが自然という教師です。

大自然のまっただ中で体験してみる

大自然を体験するといっても、またアウトドアで学ぶといっても、自分にはとてもできないと感じる人も少なくありません。

でも本当にできないか、向いていないかどうかは、やってみなければ判断できません。

現代っ子は、アウトドア活動に慣れていないので、警戒心が薄れるまで、数回はかかるかもしれません。

以前の記事で書いた「自然に対する愛着障害」のような状態にあり、自然と関わることに恐れや不安を抱えがちです。

だからこそ、カリーナ・ブレイジが言っていたように、「子どもがアウトドアでの活動に慣れるまでには、一回ではだめで、数回連れ出す必要が」あります。

しかし、現代社会では、「数回」どころか、ただの一回たりとも、そんな大自然と触れ合った経験がない子どもばかりです。

ここでいう大自然とは、近所の公園とか、都会の真ん中のちょっとした緑地とか、はては動物園や植物園のことではありません。

ただの見て回る観光地のような作り物の自然のことではありません。ましてやネット上に無数にある絶景の写真や、VRで体験する擬似的な自然でもありません。

そうではなく、ポターが避暑地で経験したような本物の自然のことです。

生き物としての力を取り戻す50の自然体験 ―身近な野あそびから森で生きる方法まで (Make: Japan Books) で書かれているように、現代社会のわたしたちとは、自然とは観光地や庭園のように、外から眺めるものだと勘違いしがちです。

でもそれでは自然界を体験することにはなりません。

都市で生活していると自然はどうしても鑑賞するものとして向こう側のものになっていしまう。

自然のなかにあるものを食べ、道具を作り、そこで寝る。そういう多様な関係性のもとに自然と向き合うことで、きっと野生の感覚と思考を開くことができる。

人は癒しを求めて自然に触れる。しかし、本来は自分も自然の一部なのだ。

自分もまた自然の一部をなす生き物であるという意識は、儚い人間の世界よりも雄大でプリミティブな世界に属しているという感覚に、心に力を与える。

「生き物としての力」とは、こうした意識の元に、鋭い感性や感覚をもち、困難を軽やかに超えていく力なのだ。(p13)

外からお客さんのように自然界を眺めるのではなく、そのただ中に身を置いて、五感を通じて全身で体験するとき、はじめてわたしたちはポターと同じ体験ができます。

ポターは、隅から隅まで森を自分の足で探検し、木々や湖の匂いを感じ、野生動物を観察し、木の実やキノコや地衣類に触れることによって、本物の自然を教師としました。

自然から学ぶ方法について説明する本の中には、雄大な自然でなくても、都会にあるちょっとした自然からでも学べると書いてあるものもあります。

確かにちょっとした自然からでも学べる点はたくさんあるでしょう。でも、わたしは自分の経験からいって、こうした意見には、あまり同意できません。

ビアトリクス・ポターが、ロンドンの公園のちょっとした自然に目ざとくあるだけで体調がよくなり、創造性が培われ、ピーター・ラビットを描けるようになったとは思えません。

以前の記事で、自然界がトラウマや自律神経機能に与える影響について書きましたが、心身を本当に変化させるには、畏敬の念をかきたてるような本物の自然でなければなりませんでした。

感受性が強いあなたに自然が必要な5つの科学的根拠―都市や学校の過剰なストレスを癒やすには?
わたしたちがごく当たり前だと感じている都市生活が、脳に慢性的な負荷をかけているといえる5つの理由を紹介し、大自然との触れ合いがストレスを癒やし、トラウマを回復させる理由を考察しまし
大自然から感じる「畏怖の念」を科学するー凍りついた人を生き返らせる逆PTSD効果
ポリヴェーガル理論など、近年の科学的研究に基づき、畏怖の念とは何か、どんな生物学的機能があるのか、大自然の中で味わう畏怖の念によってどのようにトラウマから回復できるかを考えました。

自然界がわたしたちの心身の健康にもたらす影響は、単なる心理的な思い込みではなく、れっきとした生物学的な影響です。

健康にいい食べ物をほんの少しだけ食べれば、あとはジャンクフードを食べていてもいいでしょうか。大都市の中で、ちょっとした自然を楽しめばいいというのはそれと同じです。

ビアトリクス・ポター 描き、語り、田園をいつくしんだ人(福音館の単行本) に書かれているように、彼女が変化できたのは、本当の雄大な自然を全身で体験して、心を動かされたからでした。

まがりくねった小道を湖岸まで下ると、湖の前方にセント・ハーバード島が、そしてそのむこうにウォラ岳が見え、北の方角には、荒涼とヒースのおおうスキドー山が天にそそり立ち、その対岸のハイ・シート岳の麓では、ロード―滝がごうごうと流れおちています。

ビアトリクスはスコットランドでも、レイ・カースルでも、そういう風景は見たことがありませんでした。

このスケールの大きい雄大な眺めは、おなじ湖水地方でも、それまでなじんできたこぢんまりとした自然とは、いちじるしく対照的だったのです。

このイングランドの片田舎との絆は、ロンドンに帰ってからも決して弱まることなく、終生彼女と結びつくことになりました。(p66)

今回参考にした、北欧スウェーデン発 科学する心を育てるアウトドア活動事例集:五感を通して創造性を伸ばす には、自然界から遠く離れすぎた現代のわたしたちでも、どうすれば少しずつ自然と親しめるか、いろいろな提案が書かれています。

しかしながら、この本は、授業に使うだけあって、個人では実践しづらい提案が多いです。大部分は文章ベースなので、どのようにやってみるのかイメージしづらいようにも感じました。

その点、最後に少し引用した、生き物としての力を取り戻す50の自然体験 ―身近な野あそびから森で生きる方法まで (Make: Japan Books)は、全編カラーで書かれていて、内容もシンプルでとりくみやすいので、よりおすすめです。

ビアトリクス・ポターがしたように、自然界を教師として、教室では学べない教育を受けるために、楽しく実践できるアドバイスがたくさん書かれています。

いま発達障害や学習障害と診断されている子どもが、こうしたアドバイスを参考に、自然のただ中で五感をフル活用する経験を繰り返してみれば、きっと、今までとは違った自分を発見できるでしょう。

それは、そうした子どもたちが、ビアトリクス・ポターのような絵や物語の才能を開花させられる、という意味でしょうか。

いいえ、ビアトリクス・ポターの例は、多様な個性を持つ子どもが、どんなふうに変わっていけるかを物語る、ひとつの例にすぎません。

子どもの個性はみな違います。ただ教室に座って学ぶことを求める学校では、多様性のある子どもを一つの型に押し込めてしまい、型にはまらない子どもは落伍していきます。

しかし、人がもともと暮らし、多くを学んできた自然という教師のもとでは、それぞれが自分の意外な一面を見つけることができます。

自然界が無限の多様性を特色としているように、そこで発見できる自分もまた無限の多様性に満ちているのです。