空想の友だち、つまり、学術的な言葉によるとイマジナリーコンパニオン、またより一般的にはイマジナリーフレンドと呼ばれる存在は、多くの子どもに見られる、ありふれた現象です。
しかし時には、青年期や大人になってからも存在し、単なる空想の「友だち」以上の役割を持っている場合があります。
このブログで、過去に、「親友」「恋人」としてのイマジナリーフレンドを取り上げたところ、そのようなキーワードで訪問してくださった方や、感想を書いてくださった方がいました。
ある人たちにとって、イマジナリーコンパニオンは、コンパニオン(仲間)というより、その語句の持つ別の意味、すなわちコンパニオン(伴侶)に近い存在とみなされています。
そんなことを口にすると、しばしば「エア彼氏」「エア友」「脳内彼氏」といった単なる空想と誤解され、揶揄されるかもしれません。
しかし実際には、医学・心理学的な意味でのイマジナリーコンパニオンは、単なる空想の域を超えた、もっと奥深い存在です。
どうして、心の中にしか存在しないはずの「空想の友だち」が、親友や恋人となったりするのでしょうか。
この記事では、解離についての専門家の本などにもとづき、ラルフ・アリソンが提唱する救済者人格、「内的自己救済者」(ISH)[イッシュと発音する]をヒントにして、その存在の謎を解き明かしていきたいと思います。
もくじ
救済者人格とは何か?
イマジナリーコンパニオン、イマジナリーフレンドが、親友・恋人となる背景には、その存在が、自分にとって、必要不可欠な助けや支えを与えてくれる、という点が関係します。
困難に陥ったときに手を差し伸べてくれ、一度ならず励ましや、アドバイス、慰めをもたらしてくれるからこそ、強い絆が形成されるのです。
このような、助け、支えになる別人格としてのイマジナリーフレンドについては、以前の記事で詳細に扱いました。
要点を簡単にまとめると、イマジナリーフレンドは、自分に足りないものを補う「補償」という防衛機制が働いて形成される場合があり、当人とはまったく違う性質によって苦手なところをカバーする傾向がある、ということでした。
これは、解離性同一性障害(DID)の別人格や、サードマン現象にもしばしば見られる特徴であり、そのようなも別人格の最たるものとして、「内的自己救済者」(ISH)という現象があることも紹介しました。
「内的自己救済者」(ISH)とは何でしょうか。
内的自己救済者(ISH)とは?
内的自己救済者(ISH;Inner Self Helper)とは、1974年に精神科医ラルフ・アリソンが提唱した概念で、当人が危機に陥ったときに出現する救済者人格であるとされています。
ISHの定義や論争について詳しくはWikipediaの「内的自己救済者」にまとめられています。
アリソンはかなり詳細な点までISHを定義し、空想の友だちとの関連などについても、さまざまに主張しているようです。
アリソンの本の邦訳、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からを読んでみると、ISHは人間の持つ「良心」であり、本来だれにでも備わっている意識されないものですが、多重人格ではひとつの人格として振る舞うことがあるとされています。
アリソンによると、ISHは他の交代人格よりもワンランク上の高度な存在であり、他の交代人格が知らないような情報さえ把握していて、ときには治療者にさえアドバイスを与えると言われています。(p153)
アリソンが定義するようなISHが本当に存在するのかどうかについては、専門家の間でも意見がわかれているようです。たいていの場合、ISHほどの特別な人格は存在しなくても、献身的で助けになろうとする援助者人格や保護者人格は存在することが多いと言われています。
しかしすべての多重人格者に見られるとまではいえないものの、確かにISHのような救済者人格に遭遇することがあると述べる専門家もいます。
解離性障害に詳しい柴山雅俊先生は、臨床の場で出会う救済者人格について、ISHとの関連も含めて解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中でこう述べています。
生存者人格は犠牲者人格から身を離し、状況を俯瞰する視点から眺める。
アリソン Alloson,R.B.のいう内的自己救済者(ISH;Inner Self Helper)は癒やす神の力と愛を伝える媒介者であり、患者の過去と将来を知り、冷静沈着で理性的である。
主人格がお手上げ状態に陥った時、物事をテキパキと処理する有能な人格として出現する。(p143)
解離性同一性障害(DID)に現われる交代人格は、大きく分けて2つに分類されます。一つは、「生存者人格」、もうひとつは「犠牲者人格」です。
たいていの場合、ひどいトラウマとなる出来事を経験すると、その人のメインの主人格は大きな傷を負い、「犠牲者人格」として、トラウマ記憶を一手に引き受けます。
その代わりに、自分一部を無傷のまま切り離して、別人格として生き延びさせます。これが「生存者人格」です。
「生存者人格」は、トラウマ記憶から守られているので、冷静で理性的、客観的かつ有能な場合が多いようです。
トラウマ記憶が重い場合、「犠牲者人格」は内側に引きこもってしまい、「生存者人格」が日常の物事に対応していることもあります。
この「生存者人格」は必ず救済者となるわけではなく、色々な別の問題を抱えていたり、逆に「犠牲者人格」を見下したりすることもあるようです
しかし、一部の特殊な場合においては、ISHや救済者人格のような存在として「癒やす神の力と愛を伝える媒介者」になると言われています。
フィレンツィの守護天使オルファ
そのようなISHの代表的な例として知られているのは、 フィレンツィ(Ferenczi.S)が報告した守護天使オルファです。
フィレンツィのいう守護天使オルファもまた同様の存在である。
このような存在が出現することは臨床ではそれほど多いとは言えないが、いざというときには治療者に対して的確な助言や指示を与えてくれる。
このような救済者的役割には身代わりとしての要素はなく、守護者(guardian)としての機能が見られる。(p143)
もちろんこれは文字通りの守護天使というわけではなく、あたかも守護天使のような働きをする別人格のことです。
フィレンツィによると、幼少時に性的外傷を受けたエリザベス・サヴァーンという女性に現れたオルファという別人格は、守護天使(guardian angel)のような役割を果たしていたそうです。彼は次のように書いています。
自己分裂self-splittingの過程における驚くべき、しかし一般的に妥当するように思える事実は、耐えられない対象関係の自己愛的なものへの突然の変異である。
すべての神に見捨てられた人間は、現実をすっかりすり抜け、地上の重力に妨げられずしたいことは何でも達成できる別世界を自ら創造する。
愛されてこず、傷めつけられさえしてきたため、彼は自身から一片を切り離し、その部分が、頼りになり情愛のあるたいていは母のような世話人の形で、人格の苦しめられた残部を憐れみ、それを世話し、それのために決断してくれる。(p230)
この女性の場合、トラウマ記憶を受けた主人格から切り離されて誕生した別人格は、「頼りになり情愛のある母」のような、慈愛に富む人格でした。
それは、愛されてこず、傷めつけられた主人格に対して、文字通りの母親のような無条件の愛を注ぎ、優しく包み込み、感情面での世話をし、ときには決断さえしてくれる、まさに救済者ともいえる人格だったのです。
ラルフ・アリソン自身は「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からにおいて、ISHは感情を持たず、理性的で、コンピューターのように情報を伝えると述べています。
しかし同時に、ISHには人を憎む能力がないのに対し、ただ愛だけを感じ表現するとされています。これこそが常に主人格の助けになろうとする無条件の、無限の愛なのでしょう。(p157)
それで、救済者人格、内的自己救済者(ISH)とは、単に理性的で有能なだけでなく、天使や母親のような無限の愛を注いでくれる存在であるといえます。
なおここでは、おもに無条件の愛を注ぐ存在として「母親のような」とは述べていますが、アリソンによると、ISHにはジェンダーはなく、自らを男性とも女性とも表現するとされているので、「母親」というよりは「親」一般とするほうがよいかもしれません。(p157)
見守り世話をする母親
この守護天使オルファのようなISHの具体的として、岡野憲一郎先生も、続解離性障害という本の中で、臨床で出会った一症例を引き合いに出しています。
患者の中にある人格たちは、お互いにさまざまな関わり合いを持っている。それぞれが独自の感受性をもち、異なった思考パターンを有するようである。
…ある30過ぎの女性の患者Aさんがいる。キャリアウーマンでもあるAさんは同時に素直すぎて世間知らずのところがあった。
…Aさんにはいくつかの交代人格があったが、特に子どもの女性の人格Bちゃんは、そんなAさんにいつもハラハラさせられていた。
…AさんとBちゃんはまるで、未経験でうぶな若い女性と、事情がよほどわかっている小さい賢者の妹なのである。
ちなみにこのBちゃんは、米国の解離研究の大家ラルフ・アリソン Ralph Allison(1980)がいうところの「ISH(内部の自己救済者)」という概念を思い起こさせる。アリソンによれば、ISHは理性的で、患者の生活しの全体を知り、治療や回復について、適切な意見を述べる存在であるという。(p4-5)
主人格であるAさんは、うぶで頼りなく世間知らずな女性です。
しかし彼女にはいつしか、Bちゃんという子ども人格が存在していて、Bちゃんは頭脳明晰な賢い妹なのです。いつもおろおろしておぼつかないAさんを背後から助け、適切なアドバイスを送り、なんとか毎日を乗りきれるよう甲斐甲斐しく世話し、見守っているのでした。
Bちゃんは聡明なだけでなく、Aさんにハラハラしながらも、絶対に見捨てることなく支え続けています。年齢的には子どもの人格とはいえ、これはもはや「母親」そのものであるといえるのではないでしょうか。
足元がおぼつかない子どもを見守り導くかのようにして、ISHは導きと保護を与え、その心の拠り所となるのです。
サードマン現象
こうした守り導く助言者は、サードマン現象とも共通しています。
サードマン現象は、遭難事故など、生命の危機に陥ったときに、見えない第三者人格が現れ、冷静に励まし、導き、諦めないよう助けてくれるものとして知られています。
以前の記事で取り上げたように、神経学者マクドナルド・クリッチレーは、サードマン現象はイマジナリーフレンドと近縁の現象であると考えました。
非日常の危機的状況で出現する一時的な救済者人格がサードマン現象であるとすれば、日常生活における危機的状況で出現する継続的な救済者人格がイマジナリーフレンドなのではないか、ということです。
どちらの存在も、当人を守り、導くという役割が共通していて、危機が去ると消えていく傾向があります。これもまた、古今東西で「守護天使」の伝承の元となっている可能性があります。
それで、これらの情報を総合すると、トラウマ体験や危機的状況に陥った人には、あたかも母親のような無条件の愛や導き、保護を特徴とする救済者人格が現われる場合があり、それがISHや守護天使オルファ、サードマン現象として知られているようです。
そして、そのような別人格がイマジナリーフレンドとして存在している場合、親友や恋人のような強い絆を結ぶようになると考えられます。
実際、ラルフ・アリソンは、、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、イマジナリーフレンドにISHが宿る例があることを述べています。
バブスは、子どもがよくやるように想像上の遊び友だち〈想像人格〉(イマジナリー・プレイメイト)を作りだし、たまたまそこに〈ISH〉がはまり込んだのだ。
しかしこの“遊び友だち”は、バブスとは違った性格を発達させてだんだん現実味を帯びていった。(p137)
このバブスという多重人格の患者の場合、子どものころに誕生したイマジナリーフレンドのタミーにISHが宿り、その後の人生において、そして多重人格からの回復においてバブスを支え続けたそうです。
それはどこから現れるのか
それにしても、こうした内的自己救済者(ISH)のような愛情深い別人格は果たしてどこから現われるのでしょうか。
これはたいへん不思議な問いです。
さきほどの守護天使オルファの例を考えると、その不思議さがよくわかります。ISHが現われる場合、当人は、親から愛情を注がれなかった不幸な環境で育っている場合も少なくありません。いわば本当の親の愛とはどんなものかを知らないのです。
それなのに、その人から分割された別人格としてのISHは、母親のような無条件の愛を注ぐ慈愛に満ちた人格なのです。
これはまるで、建てるための木材が存在しないのに、保護となる温かな家が作られるようなものです。いったい何が起こっているのでしょうか。
どうやって無条件の愛を学ぶのか
ある人は、人間にはもともと無条件の愛を示す能力が備わっているという性善説を唱えるでしょう。
もともと無条件の愛とは何かが心の奥底にプログラムされているから、たとえそのような愛を親から示されなかったとしても、自分で自分を愛せるようになるのだと。
実際、ラルフ・アリソンも、ISHを一種の超越的存在のようにとらえています。ISHは神への信仰を持ち、生まれ変わりを信じ、感情がなく理性的で、生まれたときから存在する意識体だとされています。(p157)
この考えは魅力的です。しかしたとえ、わたしたちに無条件の愛を示す「能力」がもともと備わっているのだとしても、その「方法」は学ばなければならないのではないでしょうか。
わたしたちの多くが、別の言語を話すのに必要な能力を持ってはいても、実際に話せるようになるには、話し方を学ばなければならないのと同様です。
愛着の研究によると、 言語も愛着も、子どものころに適切な方法を学ばないと正しいルールを理解するのが難しくなると言われています。いずれにしても、学んだことのない親の愛を、独りでに発揮できるようになるという考えは無理があるように感じます。
はじめは相談者から?
では、ISHのような救済者人格は、どこかの段階で、主人格さえ知らない親の愛を学ぶのでしょうか。
続解離性障害には、解離性同一性障害(DID)の人格の形成過程について、2通りの例が書かれています。
ひとつは、トラウマ体験にショックを受け、主人格が傷ついて内に引きこもらざるを得なくなったため、別人格が急いで表面に作られるという衝撃的な経緯です。
もうひとつは、もっと外傷が不明瞭な場合です。
そしてもうひとつは外傷がより不明確な場合である。
こちらは親との関係で常に自分が理解されず、あるいは無視されていると感じ続けるといった状況をひとつの典型とする。
その場合患者はその深刻な孤独感を体験した際に、自分の心に生まれた新たな人格との対話によりその苦しみを軽減するという経路が考えられる。(p80)
こちらは、おそらくイマジナリーフレンドのような存在から始まり、次第に交代人格として固定していくケースと考えられます。
もちろん、イマジナリーフレンドのうち、交代人格にまで発展するのはわずかだと考えられますが、以前の記事で取り上げたとおり、助け手・補い手・相談者のように役割をもって存在しているイマジナリーフレンドは多いのです。
そうであれば、そうした対話や主人格の悩みを聞く経験を通して、別人格が、徐々に親友や恋人のような良き助言者、支え手として成長していく可能性はあるかもしれません。
先ほど、アリソンの本で紹介してあった、イマジナリーフレンドにISHが宿ったバブスの例を引用しましたが、そこには「この“遊び友だち”は、バブスとは違った性格を発達させてだんだん現実味を帯びていった」と書かれてありました。
親として友として成長していく
たとえ親から適切な愛情の示し方を学ばなかったとしても、だれかを支えたり世話したりする経験を通して、安定した愛情を示す方法を学んでいくという例は、確かに存在するようです。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) という本では、愛着の傷を克服する方法として、「役割と責任を持つ」ことが挙げられています。
役割をもつこと、仕事をもつこと、親となって子どもを持つことは、その意味で、どれも愛着障害を乗り越えていくきっかけとなり得るのである。(p295)
愛着障害を克服していく過程でしばしば観察される現象の一つに、自分が親代わりとなって後輩や若い人たちを育てる役割を担うということがある。(p300)
子どものころ愛されなかった人が、自分も悪い親となって子どもを虐待してしまう例もありますが、逆に親になって子どもを育てることで円熟し、愛し方愛され方を学んでいく場合もあるのです。
救済者人格もまた、そのような親に似た仕方で、徐々に円熟して、やがて無条件の愛を示す母親のような人格として完成されるのかもしれません。
それは、この本の中で、「自分で自分の親になる」と表現されているケースに含まれるかもしれません。
親の保護や導きも期待できず、親代わりの存在も身近にいないという場合、愛着障害を克服するための究極の方法は、「自分が自分の親になる」ということである。
…あの人たちを親と思うのはやめよう。その代わりに、自分が自分の親となるのだ。自分が親として自分にどうアドバイスするかを考え、「自分の中の親」と相談しながら生きていこうー。
…「自分が自分の親になる」という考えは、愛着の苦しみを知らない人には突飛なものに思えるだろう。
しかし、親に認められないことで苦しんできた人、安全基地を持たないことには心に訴えるものがあるはずだ。(p299)
ここで論じられているのは、ある程度意識的に、自分で自分の親となることですが、それが無意識のうちに生じることもありえるのではないでしょうか。
別人格だからこそ学べるバランスの取れた愛
「役割と責任を持つ」という点でいえば、救済者人格は、生まれながらに、手のかかる子どものような犠牲者人格を支え、慰め、世話する使命を負っています。
はじめは相談できる友人のような存在かもしれませんが、犠牲者人格を見守り、支え、どんなときも見捨てないで励ます経験を繰り返すうち、まるで本物の母親のような無条件の愛を学ぶのかもしれません。
あくまでメインの人格ではなく、別人格として支えるという立場もまた、当人の意志を尊重し、主体性を奪わない、という意味で、バランスの取れた親として成長しやすい土壌となっている可能性があります。
別人格として後ろからできることには限りがあるため、溺愛したり過保護になったりすることはありえませんし、かといって運命共同体のような立ち位置にいるので、見捨てたり見放したりすることもありえません。
さきほどのAさんとBちゃんで言うと、はじめは、Bちゃんは本当に子どもの別人格でしかなかったのかもしれません。しかし、Aさんを背後から支え見守る経験を繰り返すうちに、ISHのような救済者人格として円熟していった可能性があります。
ISHがもともと存在する良心そのものだというアリソンの説の場合でも、本来一体であるはずの理性と感情が分離したとき、理性の担い手としてISHが人格を帯びるようになります。
感情から分離され、理性の担い手となったその人格は、バランスのとれた愛情を学びやすい立場にいると考えられます。
もちろんこうした考えは推論に過ぎません。しかし、ひとつ確かなのは、メイン人格だけでなく、別人格もまた一人の人間だということです。そうであれば別人格もまた、さまざまな経験を通して、成長していくことができます。
そして、イマジナリーフレンドのように、当人を助け支える使命を生まれつき負っている別人格は、その使命にしたがって成長し、 使命をまっとうする存在として円熟することも十分考えられるのではないでしょうか。
恋人としての異性人格
しかしながら、内的自己救済者は、ここまで見てきたように、男性または女性といった区別はあまりなく、親や保護者のような役割を果たします。
明らかに異性としてみなされ、恋人としての役割を果たすイマジナリーフレンドについて説明するには、ユングの心理学を参考にする必要があるかもしれません。
カール・ユングは、わたしたちはだれしも影、また対になるような人格部分を心の中に有していると考えました。
ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)によると、ユングはまず、心の中に存在する抑圧してきた影のような対称的な人格部分を「シャドウ」(影)と呼びました。
第六章で、ユング派の心理学者が言うところの「個性化のプロセス」、つまり人生における「自分の道」に進むこと、「内なる声」に耳を傾けることについて説明した。
このプロセスには、自分の中で近寄らないようにし、軽蔑し、無視し、否定していた「側面」、あるいは「声」に耳を傾けるということも含まれる。
そういった「側面」や「声」をユング派の人は「シャドウ(影)」と呼ぶ。シャドウと向き合うことは人が真の成熟をとげるために欠くべからざるものである。(p239)
ユングが述べる「シャドウ」(影)とは、心の中に無意識に抑圧してきた、良い意味でも悪い意味でも当人とは対称的な性質を持つ自己のことです。
たとえば、屈強で力強い人に、繊細で気弱なシャドウがあることもありますし、純真で優しい人に傲慢で高圧的なシャドウが抑圧されていることもあります。批判的で攻撃的な人が、愛情に満ちたシャドウから目を背け、そうした側面を否定しつづけていることもあります。
ユングはさらに、人は気質的な面における対称的な自己だけでなく、性別においても対称的な自己を持っているとして、それを「アニマ」また「アニムス」と呼びました。
ユング派の心理学者がよく言うことだが、私たちはみんな、自分の奥底へと導いてくれる「助け人」を心の中に持っている。
私たちは、たいていこの「内なる助け人」に気づいておらず、誰かに投影している。
この「助け人」が現実の世界に存在していてほしいと願う気持ちがあるからだ。彼らは内的に存在しているのだが、それはなかなか理解しにくい考えである。
ユング派の伝統的な考え方によると、男性にとっての「内なる助け人」は、たいてい女性的に魂、「アニマ」と呼ばれるもので、女性にとっては、男性的なスピリチュアル・ガイド、「アニムス」と呼ばれるものだという。
私たちが恋に落ちる時、実はこの内なる「アニマ」や「アニムス」に恋をしているのだ。(p219)
恋人としてのイマジナリーフレンドが、本来は他人に投影されて気づかないこの「内なる助け人」、すなわち「アニマ」や「アニムス」そのものである、とみなすのは非常にしっくりくる解釈であるように思えます。
「内なる助け人」とは、おそらくは内的自己救済者(ISH)と同じものであり、そこに異性的な性質を持つ「シャドウ」(影)が合わさると、「アニマ」や「アニムス」として意識されるのかもしれません。
本来、心の中の自己はひとつのものと認識されていて、ほとんどの人は自分の内なる自己に気づきません。
しかし解離傾向が強く、内なる自己が分かたれている人は、内なる異性人格としての「アニマ」や「アニムス」に気づき、イマジナリーフレンドとして認識することがあるのでしょう。
そして解離性同一性障害など、さらに解離傾向が強い人の場合は、「アニマ」や「アニムス」をはじめとする内なる人格がさらに細分化されていて、異性人格から切り離された純粋な理性的な人格として、内的自己救済者(ISH)というエッセンスが存在しているのかもしれません。
寒色の光には暖色の影ができる
最後に 、ユングが述べる「シャドウ」という概念に関係した、ひとつの興味深い話を紹介しましょう。
色の理論で、暖色と寒色という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
暖色とは、温かい色みを持つ色のことで、黄色、オレンジ色、赤色などの系統です。寒色とは、冷たい色みを持つ色のことで、水色、青色、紫色などの系統です。
画家のクロード・モネは、色々な物に当たる光と影の表現を観察していて、あるときとても興味深い現象に気づきました。
それは、暖色の光には寒色の影が、寒色の光には暖色の影ができるということです。
たとえば、クロード・モネの積みわらの絵を見ると、暖かい光の影が冷たい色になっていることがわかると思います。
これは色彩や光を理解する上で、とても興味深い現象ですが、人間の場合でも、そのようなところがあるのかもしれません。
冷たい光のもとで凍えながら育った人の影の中に、その人を補い支える、温かい暖色の存在が佇んでいるとしたら?
それがこの記事で取り上げた内的自己救済者(ISH)や守護天使オルファのようなものなのかもしれません。
苦労することもなく幸せな人生を送ってきた人が、人への思いやりや感情移入という点では、嘆かわしいほど冷たい影を落としている場合があります。
しかしそれとは反対に、苦痛に満ちた子ども時代を送ってきた人の中には、温かな思いやりを成長させる人もいます。
もちろん、それは影の中に存在する色みなので、当人でさえ、気づいていない場合もあります。
幸せに育ってきた人たちは、自分には何か欠けているとは考えもしないかもしれませんし、不幸な生い立ちの人もまた、自分の内に温かな可能性があるということにまったく気づいていないかもしれません。
しかしもしその影の中の温かな色みが言葉をもって語りだしたとしたら…?
それこそが、生まれながらの良心としてのISHであり、親友・恋人としてのイマジナリーフレンドなのではないでしょうか。
親友・恋人としてのイマジナリーフレンド
柴山雅俊先生は、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)の中で内的自己救済者(ISH)についてこう述べています。
患者の全体と経過をどこかでじっと眼差している存在、それは内的な自己救済者(inner self helper)と呼ばれるが、そのような眼差す者を媒介にして回復していくことはたしかに多い。
…その「私を眼差すしっかりとした存在」というイメージを膨らませていくことが治療的に意義のあることであると感じている。(p215)
これは解離性障害の治療についての記述ですが、どんな人においても、内的自己救済者のような温かい影の存在に気づき、その支えを受け入れ、勇気を持って現実に対処できるとしたら、それは大いに望ましいことなのではないか、と思います。
この本によれば、当人が主体性を持って行動し、ISHが背後から見守る助言者としてとどまることができれば、それは理想的な状態だとされています。(p233)
この記事で扱った、「内的自己救済者」(ISH)や「アニマ」「アニムス」のような性質を反映する内なる助け人が、「イマジナリーフレンドは親友・恋人」と述べる人たちすべてに当てはまるかどうか、わたしにはわかりません。
しかし、その存在の由来について考え、それが単なる空想ではなく、れっきとした成長するひとつの人格であり、救済者なのだと知るなら、新たな見方ができるかもしれません。
解離性同一性障害の治療論によると、交代人格の役割をよく知り、感謝の言葉を伝えるのはとても大切だと言われています。
親友・恋人としてのイマジナリーフレンドに対しても、こうした考察をきっかけに、改めて感謝を伝えるなら、その深い絆がよりいっそう強固なものとなるのではないでしょうか。
▼イマジナリーフレンドについて
このブログでのイマジナリーフレンドに関する記事はカテゴリ空想の友だち研究 にまとめられています。