鳥を観察すると脳の疲れが癒やされるという研究。道北の鳥たちも紹介

なたは最近、鳥を見たり、鳥の声を聞いたりしましたか? その時、どんな気分になりましたか?

興味深いことに、学術誌「scientific reports」に載せられた研究によると、鳥を観察すると脳の疲れが癒やされるそうです。

鳥を見たときにあなたの脳で起こること、野鳥の効能とは | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト

わたしは都会に住んでいる頃、鳥にまったく興味がありませんでした。分かるのは、ハトとカラスとスズメくらいなものでした。都内でも公園に行けば野鳥観察ができると聞きましたが、行こうとさえ思いませんでした。

けれども、道北に引っ越してからは、身の回りのあらゆる自然に興味を持ちました。樹木であれ、草花であれ、生き物であれ、目に入るものすべての名前を知りたいという欲求に突き動かされました。

鳥もおのずと目に入るため、人生で初めて、鳥についても調べることになりました。やがて、鳥ほど観察しやすい身近な野生動物はない、という事実に気づきました。

シカ、ウサギ、クマ、カエル、サンショウウオなどは、よほど自然豊かな所でないと目にする機会がありません。でも、鳥は、都会に住んでいても、見ようと思えばいくらでも観察できる貴重な野生の生き物です。

それで、今回紹介するニュースに、ぜひ都会に住んでいる人も興味をもってほしいと思います。かつてのわたしのように無関心でいるのではなく、積極的に身近な鳥を観察するなら、どんな良い効果を経験できるでしょうか。

なぜ鳥を観察するとリラックスできるのか

ニュースによると、この研究では、1000人以上を対象に、スマホアプリを使って主観的な感覚のデータが収集されました。

集まったデータを分析すると、鳥のいる環境に身を置いていた人たちは、その瞬間、気分がリラックスしていることが明らかになりました。

収集したデータを元に統計的分析を行ったところ、鳥がその場にいるときには幸福感の明確な向上が見られた。

それは樹木や川といったその他の要因を排除した場合でも変わらなかった。

メンタルヘルスにおけるこうした効果は、うつ病を公表している人と、そうした診断のない人の両方において確認された。

興味深いのは、うつ病を患っている人でさえ、鳥のいる環境にいる時は、幸福感を感じていたという事実です。

過去の記事で書いているように、うつ病は今日、単なるメンタルヘルスの「精神的な」問題ではなく、脳の炎症や全身疾患とみなされています。気の持ちようで気分が明るくなるような病気ではありません。

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にもかかわらず、少しでも感情が明るくなるのだとしたら、わたしたちの脳や体そのものに働きかける力があるのでしょう。

鳥を観察したり、自然と親しんだりすることは、他のさまざまな病気を抱えている人にとっても、気分の落ち込みや慢性的な疲労の改善に役立つ可能性があります。やってみる価値はあります。

記事によると、それを説明する2つの理論が引き合いに出されています。どちらも、このブログの過去記事で紹介したおなじみの仮説で、別個の説明というより、互いに補完しあっています。

まずひとつ目は、わたしたち人類は、人間である以前に動物の一種であるということです。

果てしなく長い期間にわたって、動物はこの地球の自然界の中で暮らし、そこで生きるよう適応してきました。一方、人類が自然界を離れて、都市という環境で暮らすようになったのは、ごく最近のことです。

人工的な都市環境は、動物である人間にとっては、ひどく異質な環境であり、絶え間ないストレスを強いている可能性があります。

ひとつ目は、ホモ・サピエンスは自然の中で進化してきたため、都市環境は絶え間ないストレスを生み出すというものだ。

「自然の中では、そのストレスから回復することができます。なぜなら、われわれはそのように進化してきたからです」。

ひとつ目の仮説について、ジェイムズ氏はそう説明する。「人間が自然を好むのは、自然の中こそがわれわれのいるべき場所だからです」

思えば、わたしが都市部を離れて、道北に引っ越すことに決めたのも、こうした研究について知ったからでした。詳しくは以下に記事に書きましたが、その研究が正しかったことを日々実感しています。

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しかし、さきほどの統計によると、「樹木や川といったその他の要因を排除した場合でも」鳥を観察することで、気分がリラックスすることがわかっています。

つまり、必ずしも自然豊かな場所でなければならない、というわけではないようです。そこで、ふたつ目の説明を考える必要があります。

ふたつ目の仮説は、「注意回復理論」と呼ばれるものだ。

ひとつ目の仮説と同じく、こちらの説においても、日々の生活における絶え間ない緊張(ストレスのかかる通勤通学や、頻繁なZoomの使用など)は、極度の集中を必要とすると想定する。

ところが、自然には無意識に注意が向くおかげで、その集中が解き放たれる。木の枝から枝へ飛び移る鳥を見ている間、われわれが、いわば目を開けたまま瞑想状態に入ることを可能にしてくれる。

注意回復理論によると、人工的なものに注意を向けている時は、脳が過負荷になります。一方、自然界のものに注意を向けている時は、脳の負担が軽くなります。

スティーブン・カプランとレイチェル・カプラン夫妻による注意回復理論(ART: Attention Restoration Theory)については、以下の記事で詳しく書いています。

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この理論の重要なポイントは、自然界のものに注意を向けている時は、脳の前頭前野の処理機能の負担が軽くなって、リラックスできるということです。

冒頭で書いたように、鳥は都市部でも身近に見ることができる野生の生き物です。たとえ森がなく、川もない人工的な環境でも、鳥に注意を向ければ、自然界の一端に触れることができます。

もちろん、注意回復理論からすれば、豊かな自然に囲まれた環境がベストなのは間違いありません。どこに注意を向けても脳に負担がかかりすぎないからです。

わたしの経験からすると、森の中を歩いていれば、目に入るあらゆるものが脳を休めてリラックスさせてくれます。鳥だけでなく、植物やキノコを観察している時でも、瞑想状態、つまり「マインドフルネス」を経験することができます。

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けれども、すべての人が自然豊かな場所に住めるわけではありません。もろもろの事情から、都市部を離れることができない人たちもいます。

そうした人たちこそ、鳥に注意を向けると良いかもしれません。たとえ樹木やキノコを観察できなくても、都会でたくましく生きる野生の鳥たちの仕草に注意を向けていれば、脳が休まり、リラックスできるひとときを実感できます。

ストレスの多い時代の処方箋

記事には、ほかにも興味深い研究が引用されていました。

近年のコロナ禍のロックダウンは、世界中の大勢の人たちにストレスをもたらしました。しかし、自然の中で過ごす時間をとった人たちは、ストレスが軽減されたことが、統計的に明らかになっているそうです。

1984年に学術誌「Science」に最初に発表されたある研究によると、手術後の回復期にある入院患者が、自然が見える窓のある部屋に入っていた場合、鎮痛剤の数が少なく済み、また回復までの期間も短くなったという。

新型コロナのロックダウン期間中の過ごし方を調べた別の研究からは、自然の中で過ごす時間をとった人は、うつ、不安、ストレスを報告する割合が低かったことがわかっている。

わたしは、幸運にも、新型コロナウイルスが流行する1年ほど前に、都市部から、荒々しい自然が残る場所に引っ越していました。そして、コロナウイルスが猛威を振るっているあいだ、ひたすら森を探検していました。

そのおかげで、わたしはコロナ禍のストレスとは、ほぼ無縁でした。ここ数年間、とても充実した自然観察を楽しみ、知識ゼロの状態から、山菜もキノコもすっかり詳しくなれました。

コロナウイルスの流行によって、多くの人はライフスタイルの変更を余儀なくされました。わたしはより頻繁に森に出かけるようになり、山菜を採ったり、キノコ狩りをしたりして、自然観察に勤しみ

記事によると、自然を楽しむことを、副作用のない優れた処方箋とみなす医師もいるそうです。

ロンドンでの臨床診療においてミケリ氏は、早期の介入療法に力を入れており、若者を診ることも多いという。

氏は患者に、ひとつの解決策として、散歩に出かけて街なかにある木々や植物、周囲を飛び交う鳥たちを眺めるよう勧めている。

「この方法には副作用がありません」と氏は言う。「失うものは何もない治療法なのです」

正直な気持ちを言えば、もし10年前に慢性疲労症候群でひどく苦しんでいるわたしが、医者から「散歩して自然と親しむといいですよ」などと言われたら、心底腹が立っただろうと思います。

わたしの初期の主治医は、自然に触れ合うようにとは言いませんでしたが、診察のたびに、家のまわりをウォーキングしたり、早寝早起きを心がけたりするよう、ねちねちと言う人でした。

結局その医者にかかるのはやめました。辛い病気の症状を、真剣に受け止められていない感じがしたからです。

あたかも生活習慣が悪いせいで病気になっているとか、規則正しい生活を心がける努力や意欲が足りないとか言われているように感じられて心外でした。

運動したり睡眠を整えたりできたら健康によいのは当たり前です。でも、それができないから困っているのです。そんなごく当たり前のことで回復するなら、病院になど行きません。

もし当時、「散歩に出かけて街なかにある木々や植物、周囲を飛び交う鳥たちを眺める」ように、と言われたとしても、わたしは真剣に受け止めなかったと思います。

わたしがそうしようと思ったのは、自分で病気について調べているさなか、たまたま自然の効果についての信頼できる学術的研究に出会ったからです。十分な根拠があったので、真剣に取り組む気になれました。

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ですから、もしわたしと同じように感じる人がいれば、、もっと詳しい研究を調べてみてほしいと思います。

しっかりした研究に目を通せば、「自然が健康にいい」というのは、単に「気分転換したらリラックスできる」という薄っぺらい話ではないということが、わかるはずです。

自然が脳や神経系に及ぼす影響を知れば、わたしがしたように、大きな犠牲を払ってでも、自然の中で過ごすことを選ぶだけの価値がある、と思うようになるかもしれません。

それが無理だとしても、身近な鳥を観察することは、病院で処方される薬と遜色ない、脳神経科学的な「処方箋」なのだ、とみなせるようになるかもしれません。

都会でも鳥の観察を楽しめる

バードウォッチングのいいところは、どこに住んでいても実践できることです。

今回のナショナルジオグラフィックの記事でも、「野生動物による効果を調べるにあたり、彼らは、農村部でも都市部でも見られるという理由から、鳥に焦点を当てることにした」と書かれていました。

意外に思えるかもしれませんが、鳥を観察するには、都会のほうが適している点もあります。

自然が豊かすぎる場所では、鳥は野山にまばらに分散して、うっそうと茂る森に隠れてしまい、見つけにくくなります。森や川では、ヒグマなど野生動物の危険もあります。

今回の記事でも、たとえ鳥のいる環境でも、観察者が「近隣地域について安全ではないと感じている場合には、幸福感の向上にはつながらなかった」とありました。

一方、都会では、自然が少ないぶん、多くの鳥が公園や河川敷に集まりやすく、生い茂った木々に阻まれることなく観察できます。たいていの場合、身の危険を感じることもなく双眼鏡を構えられるでしょう。

東京23区に住んでいる鳥好きの友人は、家の近所の川沿いや公園でも、ツバメ、コサギ、エナガ、カワセミなど、さまざまな鳥の観察を楽しんでいるそうです。

鳥に関心がなかったわたしは、都市部にはハトとスズメとカラスしかいないと思っていましたが、それは間違いでした。

都会で暮らしていても、探す気さえあれば、さまざまな鳥が見つかります。思い切ってバードウォッチングを初めてみれば、楽しい出会いが待っているかもしれません。

とはいえ、野鳥観察を楽しみたいなら、少しだけ下準備も必要です。

野生の鳥は、人の近くまでやってくることは稀なので、普通に散歩しているだけでは、なかなか近くで見ることができません。身近にさまざまな鳥がいるのに、無関心な人が多いのは、小さすぎて見えていないからです。

おすすめは、手頃な価格の双眼鏡を手に入れることです。ネットで売っているスマホに取り付ける望遠レンズもいいかもしれません。わたしも最初はそれを使っていました。

そのような「見るための道具」を使ってみると、今まで黒い小さな影にしか見えていなかった野鳥の姿が、初めて見えるようになります。細かい仕草や表情までは見えないかもしれませんが、体色や模様から名前が特定できるようになります。

もし望遠レンズ付きスマホを仕えば、写真を撮ってGoogle Lensで調べると、かなりの精度で名前がわかります。名前がわかれば、愛着が湧いて、もっと観察したい、もっと探したいと思うようになります。

より細部まで、よりくっきりと観察したい、と思うようになれば、少し値段が高めの専門的な道具に買い替えるのがいいでしょう。

でも、最初から高価な道具は必要ありません、ほんの手頃な価格の「見る道具」さえあれば、野鳥観察の楽しい世界に足を踏み入れることができます。鳥を観察することがいかに心身をリラックスさせるか、その入り口を体験できるでしょう。

道北で出会った色々な鳥たち

この機会に、わたしが道北に引っ越してから出会った鳥たちを紹介したいと思います。雄大な自然の中を自由気ままに、意気揚々と飛んでいる鳥たちを見ると、心底リラックスした気持ちになれます。

ここで紹介する鳥たちは、今この記事を読んでいる皆さんの住んでいる場所では見られないかもしれません。でもそれは、単に分布域が異なっているからにすぎません。

皆さんの住んでいる場所にも、その地域ごとのユニークな鳥たちが必ずいます。わたしが見たことのない鳥たちです。どこに住んでいても、鳥を探そうという気持ちさえさえあれば、貴重な出会いが必ずあるものです。

オオハクチョウ/コハクチョウ

道北では、年に二度、春と秋にハクチョウが渡りの途中に立ち寄ります。どれほど鳥に関心のない人でも気づくほどよく目立つので、地域の人たちとの季節の話題にも上りやすいです。

V字編隊を組んで力強く飛び、湖で優雅に泳ぐ姿が印象的ですが、一番好きなのは畑で食事をしているところです。

家の近所の畑で食事するハクチョウたちは、あの華麗な印象からは想像もつかないほど、ユーモラスです。アオアオと大合唱しながら、一心不乱に泥の中にくちばしを突っ込んだり、尾脂腺の油を塗ったり、丸まって眠ったりします。

とても美味しそうに、楽しそうに食事をしている様子は見ていて飽きません。無心になっていつまでも見ていたいと感じる面白い生き物です。

イスカ

渡りの途中で一瞬だけ立ち寄る鳥はハクチョウ以外にも色々います。そのうち、初めて見た時に驚いたのがイスカでした。

初春に公園のヨーロッパアカマツ林を歩いていた時のこと、頭上からポリポリと何かを食べる音が聞こえてきました。リスかと思って見上げたら、カラフルな鳥たちが松ぼっくりをむさぼっています。

調べてみるとイスカという鳥で、オスは赤色、メスは黄色。

最大の特徴は、くちばしの先が特殊なペンチのようにねじれていて、松ぼっくりをこじ開けるのに特化していることです。名前も古語の「いすかし」(ねじれている)に由来しています。

観察していると、そのくちばしを駆使して、器用に松の実を取り出す職人技に驚かされました。洗練された器用な匠の技は、思わず見とれてしまいます。

キレンジャク

イスカと同じく、渡りの途中に一時的に立ち寄る旅鳥のひとつ、キレンジャク。スズメより一回り大きいくらいの、どちらかというと小さめの鳥でなので、双眼鏡などの道具がなければ、この鳥のユニークさに気づけません。

遠くから見ている限りでは普通の鳥なのに、拡大して顔を見てみるとびっくり。とても濃い顔で、まるでサングラスをかけて頭を逆立てたヤンキーのよう。でも体はまるまるとしていて、どことなく可愛らしさもあります。

そんな鳥が木々の枝や電線にずらりと並んで、群れでたむろしているので、インパクトは抜群。毎年春になると、いつキレンジャクが現れるだろうと楽しみに待っています。

ヒレンジャクというちょっとした色違いバージョンの親戚がいて、尾の先端が「黄」か「緋」かなど、少しずつ配色が異なります。

でも、ヒレンジャクはおもに西日本に飛来するらしく、わたしはおそらく見たことがありません。大量に群れている場合、両方が混ざっていることもあるそうですが、もし数匹混じっていても気づくのは至難の業です。

アオサギ

毎年春になると、さまざまな夏鳥が本州から渡ってきますが、そのうち最大のものがアオサギです。

空を気持ちよさそうに飛んでいるところをよく見かける大型の鳥ですが、当初は名前を知らず、翼竜みたいだと感じていました。

川や田んぼで魚を狙って、じっと立ち尽くしている姿もよく見ますが、かなり遠くにいても、人の気配を敏感に察知して逃げてしまいます。

とりわけ感動したのは、近所の森で、思いがけずアオサギのコロニーを発見した時でした。

早春、雪解けが始まった頃、めったに誰も歩かない小道の奥のシラカバ・ミズナラ林。アオサギが周辺をたくさん飛んでいることに気づいて、木々の樹冠をよく見てみると、群れでコロニーを作っているのを発見しました。

それまで、鳥の巣自体ほとんど見たことがありませんでした。そびえたつ木々のてっぺんに町を作り上げている翼竜のようなアオサギたちを見上げて、まるで恐竜時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。

敏感なアオサギたちは、人の気配に気づくと、ギャッギャッと鳴き始めて、すぐ飛び立って、警戒するように上空をぐるぐると舞い始めました。

それからは、子育て中に刺激すると可哀想なので、遠巻きに観察していましたが、人の営みとは異なる場所で、動物たちもそれぞれの町を作って暮らしを営んでいることを肌で感じ、深遠な気持ちになれました。

ツツドリ

鳴き声が特徴的な鳥は色々いますが、ツツドリほど不思議な声はそうありません。「ポポ…ポポ…」という、やや電子音じみた鳴き声で、引っ越してきてすぐの頃は、工事車両がバックする音かと思ったくらいです。

春がくると、その特徴的な鳴き声をあちこちで耳にしますが、姿は全然見つけることができません。ネットで調べると、カッコウにそっくりな大型の鳥なのに、カッコウ共々、声はすれど姿は見えず。

やっと目撃できたのは、3年目ににってから、うっそうとした森を歩いている時でした。すぐ頭上からツツドリの声がして、もしやと思って見上げると、初めて鳴いている姿を発見できました。

ヒグマが現れる場所なので、立ち止まって静かにしているのは危険なのですが、この時ばかりは観察せずにはいられませんでした。全身を楽器に見立てて笛を吹くかのように、体を膨らませて鳴いている姿は迫力がありました。

その後も、川沿いで見かけたことがありますが、しっかり目視できる機会は、ひと春に一度あるかどうかです。

アカゲラ/オオアカゲラ

アカゲラなどのキツツキは一年中見られる鳥ですが、おもに木々が葉を落としている晩秋から初春にかけて、よく見かけます。

公園や森の中を歩いていると、わかりやすい「キョッ、キョッ」という声で鳴き、木の幹をつついたりドラミングしたりしていることも多く、体もそこそこ大きいので、最も見つけやすい野生の鳥の一つです。

市街地では普通のアカゲラが多いですが、森の中にいくと、より珍しいとされるオオアカゲラをよく見かけます。ドラミング音も大きいので存在感があります。

美しい羽模様、木々をつつくリズミカルで飽きない仕草など、いつ見つけても、何度発見しても、その魅力は色褪せません。

ヤマゲラ

鳥に興味を持ち始めたころ、図鑑で見かけて一目惚れし、ぜひ見たいと思った鳥がキツツキの仲間のヤマゲラでした。北海道限定の鳥ですが、本州にもよく似たアオゲラがいます。

特に心を惹かれたのはその羽色で、ずんだ餅のような美味しそうな黄緑色をしています。メジロも見たことのないわたしにとっては、自然界にこんなに鮮やかな緑色系統の鳥がいるんだ、というのが新鮮でした。

初めは珍しい鳥なのかと思っていましたが、バードウォッチングに慣れてくるとアカゲラの次に見かける機会が多いキツツキになりました。

「キョキョキョキョキョ…↘」と音程が下がっていく、どことなく寂しげな鳴き声を覚えたら、街なかでも普通に見つけることができるようになりました。

期待どおりの鮮やかな ずんだ餅色で、その日の空色や光の当たり方で微妙に色合いが変わるので、何度見ても味わい深いです。すぐ身近で見られる鳥ながら、発見するたびに嬉しくて、カメラを構えてしまいます。

クマゲラ

ヤマゲラがすぐに見つかった一方、ずっと幻の存在だった憧れのキツツキが、天然記念物かつ絶滅危惧種のクマゲラです。アイヌは「丸木舟を彫る鳥」と呼び、その荒々しい食痕はよく見かけるのですが、姿は目撃できないままでした。

ところが、マイナス20℃の朝、サンピラーが見れるかも、と思って雪山に行っていた時についに遭遇できました。木をナタで叩くような巨大な音がして、もしやと思い探し回ること数十分、ついにその姿をとらえることに成功しました。

温かい格好をしているとはいえ、極限の寒さとの闘いでしたが、たくましく木を彫る黒い大きなクマゲラを見ることができた喜びは、何物にも代えがたいものでした。

耳をつんざくケーン!という迫力ある叫び声、飛び立つ時のピロロロロという鈴のような鳴き声、そして、なぜか白目の部分がある漫画チックな顔は、一度見たら忘れられません。

その後、家の近所の森でも何度も見かけましたが、そのうちいなくなってしまい、定着はしなかったようです。絶滅危惧種で数が減っているので、出会う機会は少なく、姿を見た今でも幻の鳥のままです。

ゴジュウカラ

冬になると、木々が葉っぱを落とし、可愛い小鳥たちの姿がよく見えるようになります。

公園でも森でもよく見かけるのは、カラ類と呼ばれる種類の小鳥たちです。有名なシジュウカラのほか、コガラ、ハシブトガラ、ヒガラ、ヤマガラなどが混成の群れとして飛び回っています。

どの鳥も、スズメより小さいので、肉眼では白黒の点々が飛んでいるかのようで、存在しかわかりません。しかし、双眼鏡や望遠レンズを使ってじっくり見ると、それぞれの可愛らしい姿に息を呑むこと間違いなしです。

カラ類の中で、わたしが特に好きなのはゴジュウカラです。この鳥はなんと木の幹を縦横無尽に走り回れるという稀有な特技を持っています。あたかも重力に逆らうかのように下向きにも走れるのは、キツツキにもできない高度な技です。

鳥にしては珍しく、首がないずんぐりむっくりした姿をしていることもあり、幹を這うように走り回る姿は、さしずめハムスターのようです。

ロマンスグレーの背中がよく目立つので、慣れてくると目視でも区別でき、小さいカラ類の中では、最も親しみ深い鳥です。

シマエナガ

もはやあまりに有名になりすぎた鳥、シマエナガ。言わずと知れた白いふわふわの顔とつぶらな瞳は、「雪の妖精」の二つ名でおなじみです。

これほど有名なのに、実物を見たことのある人はめったにいません。北海道だけに生息していることも理由のひとつですが、地元の人たちでさえ、テレビでしか見たことがないと口々に言います。

かといって珍しい鳥なのかというと、そんなことはありません。冬になると頻繁に見かけます。

けれども、他のさまざまな鳥と同じ問題を抱えているせいで、存在に気づかれていません。つまり、とても小さいので、見るための道具を何も持っていなければ、すぐそばにいても発見してもらえないのです。

シマエナガの重さは、なんと10円玉2枚ぶん、大きさは尾が長いものの、本体部分はスズメよりも小型です。よって、双眼鏡や望遠レンズなしでは、白っぽい点が飛んでいるようにしか見えません。

でも、「ジュリリ、ジュリリ」という鳴き声がとても特徴的なので、慣れれば公園でもよく発見できます。特にカラマツ林で食事をしていることが多いです。

人気があるだけあって、顔も仕草も本当に可愛らしい鳥です。特に、体重が軽すぎて、カラマツの枝や松ぼっくりに弾むようにぶら下がる様子は、比較できる鳥がいないほど魅惑的です。

有名なのに、実物を見ることのできる人が少ないのはとても残念です。でもシマエナガに限らず、じかに自然に触れて観察しようという人にしか味わえない宝物りのような感動が、自然界にはたくさん秘められているものなのです。

キバシリ

真冬に森の中を歩いていると、まるで忍者のように擬態した小鳥に出くわすことがあります。

その名をキバシリといい、樹皮にそっくりな背中でカモフラージュして、木を上へ上へと登っていきます。そのうち、木の葉がはらりと散るように落下して他の木に飛び移り、初めてそこに鳥がいたことがわかります。

とても地味な鳥で、写真や動画ではうまく感動が伝わらないのですが、わたしは毎年、この鳥を見つけられるのを楽しみにしています。

自分の足で深々と雪に覆われた森を歩き、地衣類をまとった樹皮をじっと眺め、忍者のような鳥がかすかに動いた気配をとらえ、その姿を望遠カメラでとらえるという、その一連の流れでしか味わえない喜びがあります。

バードウォッチングが、ただネットで鳥の写真を探したり、花鳥園で展示されている鳥を眺めたりするのと根本的に異なるのは、こうしたストーリーがあるからだと思います。

どの鳥との出会いにも、自分だけの物語があります。全身の感覚を使って、野山を歩き回り、かすかな音に耳を澄ませ、目を凝らして観察するからこそ、生きている実感が湧き上がり、脳機能が刺激されるのでしょう。

エゾライチョウ

冬の森で出会うのを楽しみにしている別の鳥は、エゾライチョウです。夏でも奥山に出かければ、林道などで見かけますが、冬場に見かけた時のユーモラスさにはかないません。

寒い冬には、多くの鳥が羽毛を膨らませて丸々とした姿を見せてくれますが、丸さで競い合えば、エゾライチョウはぶっちぎりです。

初めて見た時は、枝の上に、まるでラグビーボールのような大きな塊を見つけ、いったいなんだろうと不思議に思いました。しばらく観察しているとラグビーボールがのっそりと動き出し、首が伸びてきて、何かをついばみ始めました。

昔はもっとたくさんいた身近な鳥だったそうですが、肉が美味しいため、狩猟されて減ってしまったようです。こんなに可愛らしいユーモラスな鳥なのに、食べてしまうなんてもったいない限りです。

今も狩猟鳥なので、数がもっと減らないか心配ですが、できることなら、来る年も来る年も、このまんまるな姿を平和に楽しみたいものです。

オジロワシ/オオワシ

野鳥の中でもひときわ迫力があるのはワシの仲間たちです。夏場でも、グライダーのように悠々と滑空するトビや、その白バージョンのようなノスリを見かけますが、さらに魅力的なのは、冬に渡ってくる大型のワシたちです。

オジロワシは、羽を広げると2mにもなります。飛んでいる姿はトビに似ていますが、名前のとおり尾が白いので、肉眼でも簡単に見分けられます。

海沿いにはオジロワシがたくさん飛来し、冬に漁港に行くと必ず姿を見ることができます。わたしが住んでいる内陸部でも、数は少ないながら現れるので、その雄姿を見つけるのは冬の楽しみの一つです。

空を気持ちよさそうに飛んでいる姿もかっこいいですが、木に止まって色とりどりの羽を休めている姿も気品があります。

オジロワシよりさらに巨大なオオワシは、もっと生息数が少なく、見かける機会はめったにありません。

運良く見つけた時は、さながらあらゆる鳥の王者ともいえる風格と、鋭い眼光に心が揺さぶられ、畏敬の念を感じたほどでした。

オジロワシと同じく白い尾を持っていますが、肩の部分も白いことで区別できます。翼を広げて飛んでいても、木に止まっていても、すぐにオオワシだとわかります。

オジロワシもオオワシも、クマゲラやフクロウ類と同じく絶滅危惧種で、これから先もずっと見られるのかどうか分かりません。大空を悠々と舞う巨大な鳥がいなくなったら、どんなにか寂しい気持ちになるでしょう。

ほかにも、コゲラ、ウソ、ツグミ、シメ、ベニヒワ、マヒワ、アカハラ、マミチャジナイ、ニュウナイスズメ、ヒバリ、アオジ、オオヨシキリ、モズ、ベニマシコ、ノゴマなど、鳥を観察した思い出を挙げるときりがありません。

わたしはバードウォッチング初心者で、特に意識して鳥を探しているつもりはありません。たまに朝から版まで三脚のカメラを構えている本格的なバードウォッチャーを見かけますが、とても真似できません。

わたしの自然観察は、あくまでも樹木、草花、キノコがメインです。じっと動かず鳥を待つより、自分で歩きまわって植物やキノコを探すほうが好きです。だから、鳥は片手間に見る程度にしか観察していません。

それなのに、これほどたくさんの種類を見かけるのは、そもそもの鳥の種類が豊富だからです。身近に生息している哺乳類はほんの数種類にすぎませんが、鳥は数十種類かそれ以上の数が、日本全土で見られます。

他の生き物に比べて、鳥たちの種類のなんと多いことか。確かにバードウォッチングは自然と親しむのにもってこいです。

「鳥を観察する」という小さなことから

鳥を観察すると心が安らぐ、ということは、何も新しい研究成果ではありません。昔の人たちもよく知っていました。

たとえば、2000年前に書かれた新約聖書には、「心配するのをやめ、鳥をよく観察するように」といった趣旨のアドバイスがあります。

昔の人たちは、鳥や花など、自然界のものをじっくり観察することで、不安が和らぎ、心が穏やかになるということを経験から知っていました。現代科学は、それを再発見し、根拠があることを明らかにしました。

しかし、都会での生活に慣れた人間は、自分たちが動物の一種であることを忘れがちです。スーパーでなんでも買えるので、自分たちの生活が、自然界に、この地球に依存していることさえ忘れてしまうかもしれません。

でも、実際には、豊かな自然なくしては、わたしたちの生活は成り立ちませんし、健康だってそうです。

今回のナショナルジオグラフィックのニュースに書かれていたとおり、『都会に住む人の方が精神疾患、特に現実と幻覚や妄想との区別がつかなくなる「精神症(サイコーシス)」が多いように思われ』、「都市環境は絶え間ないストレスを生み出す」ことが明らかになりつつあります。

現代社会がストレスのはびこる世の中になったことは、我々ホモ・サピエンスが人工的な都会に生息する生き物になったことと無関係ではありません。

ストレスを緩和し、健康への有害な影響を食い止めるには、もともとヒトという動物がどのような環境で生きてきたのかを思い出し、その環境を大切にする必要があります。

そのために、まずは「鳥を観察する」という小さなことから初めてみるのはいかがでしょうか。

どこに住んでいても姿を見せてくれる鳥たちを観察し、名前を知るようにすれば、きっと昔ながらの知恵のとおり、心配や不安やストレスが和らぐことでしょう。