境界性パーソナリティ障害は、相手にべったりと依存するものの不安定な人間関係や、極端な気分変動、自傷行為や度重なる自殺企図などの自己破壊的行動を特徴とする。(p229)
これは、トラウマ研究の専門家、ヴァン・デア・コーク博士の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法
にある境界性パーソナリティ障害(BPD:Borderline Personality Disorder)の説明です。
この世界にはさまざまな色があふれています。色とりどりの風景は、わたしたちを魅了してやみません。
ところが、もし微妙な色の違いを見わけられないとすればどうでしょうか。もし白と黒の二種類しかわからないとしたら。さまざまな美しいものに気づけないだけでなく、生きていくことそのものが窮屈に、不自由に思えるでしょう。
比喩的な意味で、そのような状態に陥ってしまう病気、つまり物事を白か黒でしか判断できないために、いつも生きづらさを感じ、両極端に振り回されてしまう状態、それが境界性パーソナリティ障害です。
このエントリでは境界性パーソナリティ障害の人の気持ちがわかる本 (こころライブラリー イラスト版)や、そのほかの幾つかの本にもとづき、BPDの特徴や、本人や周りの人ができる対処法をまとめてみたいと思います。
もくじ
これはどんな本?
境界性パーソナリティ障害の人の気持ちがわかる本 (こころライブラリー イラスト版)はさまざまな病気をイラスト入りで分かりやすく図説している講談社こころライブラリー イラスト版の一冊です。
著者の三田精神療法研究所所長、牛島定信さんは、何冊かBPDの本を書かれた方のようです。近刊はパーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)です。
また、新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害 (こころのクスリBOOKS)はパーソナリティ障害の専門家、帝京大学医学部附属病院の林直樹先生の著書の2017年改訂版で、やはりイラスト入りでわかりやすい体裁が特徴です。
わたしは昔、それと知らずにボーダーラインの人と知り合ったことがあります。気持ちが不安定ですが、とても魅力的な人でした。後に本人がボーダーのようだと話してくれて、いろいろな不思議な言動に納得がいきました。
わたし自身、学生時代には、境界性パーソナリティ障害とはいかないまでも、一時的にそれに似た傾向を示していた記憶があります。
非侵襲的脳機能計測を用いた意欲の脳内機序と学習効率に関するコホート研究のp24によると慢性疲労で不登校になる子どもは、各パーソナリティのうち、「境界性」の得点が高く「自己愛性」が低いということがわかっています。おそらくわたしもそうだったのでしょう。
最近、友田明美先生の資料を読んでいて、再びBPDのことを目にしました。BPDは当人にとっても、周りの人にとっても、ひときわ辛く対処しがたい問題だと思います。この病気について少しでも知っておこうと思って本書を手に取りました。
境界性パーソナリティ障害(BPD)とは?
境界性パーソナリティ障害の「境界性」とは、もともと統合失調症と不安神経症の境目にあり、どちらとも診断できない、という意味で名づけられたそうです。今ではそのような意味はもっていません。
それでも、BPDの人には、多くの場合、共通する特徴がみられます。どのような点があるのでしょうか。
すべて白か黒
■心の底では親にかまってほしいのに、こんな自分にした親は大嫌い
空腹で泣いているとき授乳してくれる母親、ちょっと用事があってそうしてくれない母親。どちらも同じ母親のはずですが、赤ちゃんには“よい母親”と“悪い母親”は別の人のように思えます。これをメラニー・クラインは部分的対象関係と呼んだそうです。(p40)
大人になると、人間には良い面も悪い面もあり、良いところも悪いところもその人の一部なのだ、と納得できるようになります。
ところがボーダーラインの人は赤ちゃんと同じように、両極端で考えてしまうところがあります。白か黒かでしか判断できず、グレーゾーンがないのです。
知り合ったばかりの人を運命の人や親友だと思いこんで極端に褒め生やすこと(理想化)、ちょっとしたことで幻滅してしまい手のひらを返して徹底的にけなしてしまうこと(脱価値化)は、境界性パーソナリティの人の人間関係の大きな特徴です。
ときおり、嘘をついて周りをかき乱すと非難されますが、嘘をついているつもりはありません。物事の一部分しか見られないために、認知がずれているだけなのです。受け入れてほしいという思いから、相手によって言動を使い分けてしまうこともあります。(p65)
見捨てられる不安
■自分はいつもあらゆるところで失敗ばかりしていて嫌でしょうがない
BPDの人は普通の人以上に感情が揺れ動きますが、さまざまな行動の根底にあるのは、「わたしを見捨てないで」という悲痛な叫びだと言われています。(p10)
大切な存在に見捨てられることを避けようとする「なりふりかまわない努力 」( frantic efforts )は境界性パーソナリティ障害の中核ともいえる特徴です。
見捨てられることを極度に恐れ、見捨てられそうな兆候に敏感なので、ささいなことに過剰に反応し、必死になってしまうのです。
寂しがり屋の子ども
■すぐに、今すぐ満たしてほしい
幼い子どもが母親に頼るように、24時間ずっと一緒にいて、どんなことも聞き入れてほしいと願います。
それが満たされないと、自分を見捨てようとしているのかもしれない、という思いが沸き上がってきて、冷静さを失ってしまいます。(p14,42)
とても傷つきやすく不安定
■ささいなことだと言われるけれど、突然怒ってしまって自分でも制御できない
BPDの人は普段は気さくで落ち着いています。しかし、ちょっとした言葉に深く傷つけられて、衝動的に怒りを爆発させてしまいます。感情のコントロールがうまくいきません。
それでも、嵐のような感情が去ると、後悔して申し訳なく感じます。感情もまた両極端なのです。(p16-19,35)
気分の変動が激しいために、双極性障害のような躁の時期と、うつの時期とを行き来する人もいます。軽くハイな時期には交友関係を広げてみんなと親しくなるもの、うつになると全てが虚しくなり態度を豹変させてしまいます。
衝動的にリストカット
■お母さんに気持ちを否定されて、辛くなって切ってしまった
BPDはリストカットをはじめ、過食や大量服薬、万引きなどの破壊的な衝動を伴うことがあります。
決して、よくいわれるように注目されたい、親をあやつりたいと考えているとは限らないと書かれています。パニックになって衝動的に自傷してしまい、自分でもなぜだかわかりません。(p72)
ただ、不安が膨らんでいっぱいいっぱいになったとき、破壊的な衝動に身を委ねると、一時的に心が開放されるのです。(p20-23)
後で述べるように、こうした特徴は、解離性障害とも関係しているので、見極めが大切です。
自分が空っぽ
■自分なんて生きている価値がない
自我同一性(アイデンティティ)の確立に悩み、自分には個性がないと苦しみます。無理をして周りに合わせ、表面は穏やかに取り繕っていますが、心のなかではうつろで、自分が人形のように感じます。(p30)
良い自分は仮面を被って演じているにすぎず、本当の自分は悪い自分でどうしようもない。みんなわたしを見捨てるに違いないと極端に考えます。(p31)
いつも全力投球
■あなたがいちばん。あなたに見捨てられると生きていけない
信じ裏切られる対象は常にひとりです。だれかに夢中になると、その人以外は見えません。ひとりの相手に信頼を全力投球して、過度の期待を寄せてしまいます。(p39)
すぐに恋愛感情を抱いてしまったり、会ったばかりの医者を理想化してしまったりします。(p80)
ときどき記憶が無い
■あとでメールの履歴を見て驚いてしまう
衝動的な行動をしてしまった記憶がないことがあるそうです。苦しみやストレスが大きくなりすぎて、現実から心を切り離す「解離」が部分的に生じてしまっているのです。(p50)
生きていても仕方がない
■いつも何かが足りない、すべてむなしい
死ぬことを目的に計画する自殺企図、衝動的に自分を傷つけてしまう自傷行為、害になるとわかっていてもやめられない自己破壊行為に至ってしまいます。悲しいことにBPDの人の5-10%は自殺に至ってしまうそうです。
新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害 (こころのクスリBOOKS)によると、たとえば、睡眠薬の過量服薬で亡くなったマリリンモンローや、度重なる自殺未遂の末に亡くなった太宰治は境界性パーソナリティ障害の傾向が強かったと言われています。(p46)
さまざまな調査によれば、境界性パーソナリティ障害の人は一般人口の1-2%、つまり100人に1人か2人くらいの割合でいるようですが、とりわけ精神科で治療を受けている人の10%、自殺未遂をする人に至っては50%近くが境界性パーソナリティ障害だと言われています。(p16)
BPDの脳画像研究
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳 によると、トラウマ研究の専門家マーチン・タイチャーは、かつて、境界性パーソナリティ障害の患者の症状は、単なる心理的なものではなく、脳の問題ではないか、と考えるようになりました。
筆者の所属するマクリーン病院の研究チームの主任であるTeicher(タイチャー)は1980年代初期、境界性人格障害の患者を診るうちに、彼らが子ども時代にさまざまな虐待を受けたことで、大脳辺縁系の発達がうまくいかなかったのではないかという仮設を思いついた。
つまり、子ども時代の虐待のせいで、扁桃体が過剰に興奮するようになったりも、大量のストレスホルミン(具体的には副腎皮質ステロイドホルミン)にさらされることによって、海馬の発達がダメージを受けるのではないだろうかと考えた。(p53)
扁桃体は脳の警報アラームとしての役割を持っていて、扁桃体が警報を出すと、人は我を忘れて、「闘争か逃走か」という二者択一の行動を衝動的にとります。また海馬は長期記憶や、計画的な行動と関係しています。
つまり、もし境界性パーソナリティ障害の患者で、扁桃体の過剰興奮や、海馬の萎縮が起こっているとすれば、彼女たちがみせる白か黒かしか選べない衝動的な行動の説明がつく、とタイチャーは考えました。
しかしてその後、脳画像研究が発展して、タイチャーの予想どおりであったことが、報告され始めました。
ドイツにあるギレド病院のDriessen(ドリーゼン)らは、21名の境界性パーソナリティ障害女性患者を対象にMRIを検討し、海馬が16%、扁桃体が8%も容積減少していることを報告した。
またドイツのフライブルグ大学のRusch(ラシュ)も20名の境界性パーソナリティ障害女性患者の検討により左の扁桃体の容積が減少していることを報告した。
扁桃体は、恐怖の対象に対して攻撃するか逃避するかの二者選択から反応して脳内の主要な領域に緊急信号を送る。(p40)
境界性パーソナリティ障害では、脳の警戒アラームをつかさどる扁桃体のサイズが小さく、過度に敏感であること、また記憶に関わる海馬が小さいことがわかったのです。
海馬が小さいことはPTSD患者でもよく報告される点であり、トラウマ反応と関係しています。境界性パーソナリティ障害は、過去の傷つき体験に対する一種のPTSDだとみなすことができます。
このほかにも、境界性パーソナリティ障害では、脳の血流異常になど、さまざまな変化が報告されるようになりました。
境界性パーソナリティ障害の症状は、単なる気持ちの持ちようではなく、子ども時代の逆境体験によって、脳の発達に影響が及んだ結果であることがわかったのです。
BPDになる原因―幼少期の愛着障害
では、境界性パーソナリティ障害の人たちが経験した、子ども時代の逆境体験とは、具体的にいって、どういうものなのでしょうか。
トラウマ研究の専門家、ヴァン・デア・コーク博士の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、BPDは幼少期のトラウマと切っても切れないつながりがあるとされています。
これらの患者たちには、家出したり逃れたりする選択肢がなかった。頼れる人もいなければ、身を隠す場所もなかった。
それでも彼らはどうにかして恐怖と絶望を処理せざるをえなかった。彼らはおそらく、翌日も学校に行き、万事順調というふりをしようとしたのだろう。
境界性パーソナリティ障害者たちの問題(解離や、助けてもらえそうな人ならば誰にでもすがること)はおそらく、圧倒的な情動と逃れようのない残虐行為に対処する手立てとして始まったのであろうことに、ハーマンと私は気づいた。
…のちに私たちが「アメリカ精神医学ジャーナル」誌で報告したように、ケンブリッジ病院で境界性パーソナリティ障害の一方の診断を受けた患者の81パーセントが、過去に深刻な児童虐待とネグレクトの一方あるいは両方を受けたことを報告し、その大半で、虐待は七歳未満で始まっていた。(p232)
幼少期に辛い経験をした人たちは、しばしば愛着障害と呼ばれる傾向を示します。愛着障害とは、親との間に適切な絆(愛着)を育めなかったことで、心身にさまざまな影響が出ることを言います。
たとえば、次のような養育環境は、境界性パーソナリティ障害の症状につながる愛着の問題を引き起こしやすいでしょう。
■支配的な親
過剰に子どもに構う親のもとで育てられたり、溺愛されたりすると、子どもは見捨てられ不安に敏感な「不安型」(両価型)の愛着と呼ばれる状態になります。
父親が自己愛性パーソナリティ障害など、横柄で自分勝手な家庭に育った子どもが境界性パーソナリティ障害になる場合もあります。
■不安定な親
子どもが親を求めたときの反応が両極端であり、あるときは理由なく受け入れられたり、あるときは理由なくけなされたりいる環境で育つと、親との愛着が混乱し、「混乱型」(無秩序型)の愛着と呼ばれる状態になります。
子どもを気まぐれに虐待したり、養育を放棄したりするような親は、こうした不安定な親の最たるものだといえます。
■死別などの喪失体験
たとえ親が愛情深い人だったとしても、死別や離婚など何らかの理由で突然親がいなくなってしまうと、子どもは深刻な喪失を経験します。愛情が失われることに過度に敏感になり、見捨てられ不安が強くなります。
のちにうつ病を発症した作家ウィリアム・スタイロンは、見える暗闇―狂気についての回想 の中で、次のように書いています。
わたしの病的な状況はごく幼いころから進行していた、といまは信じている。父から受けついだものだ。
…しかしいっそう重要な要因は13歳のとき母が死んだことだと納得している。
この心の乱れと幼い悲しみ、思春期中かそれ以前に親の、とくに母親の死亡や失踪に遭遇したことは、ほとんど回復不可能な情緒的大混乱をつくりだすときもあるような傷として、鬱病の文献にくりかえし現れる。(p123)
■不認証環境
BPDの権威であるマーシャ・リネハンによると、親が子どものあるがままを受け入れず、よい成績をとった時や、親の理想と一致した時にだけ褒められる環境(「不認証環境」という)で育つと、特にBPDになりやすいそうです。
こうした親の養育態度は、虐待するような家庭だけではなく、世間一般には、良い家庭とみなされているような環境で生じる場合も少なくありません。
ササッとわかる「境界性パーソナリティ障害」 (図解 大安心シリーズ)によると、境界性パーソナリティ障害(BPD)の人の75%が「不安型」、89%が「混乱型」の愛着スタイルを示しました。
愛着スタイルには、このほかに「回避型」と「安定型」があります。「安定型」の子どもは健康的に精神状態を持ち、「回避型」は後述するように境界性パーソナリティ障害とは真逆の特徴を持つ、解離性障害と関係しているようです。(p38-39)
子どもの側の生まれつきの遺伝的特質
しかし一概に親の側の問題かというと、そうではなく、愛着が乱れやすい、子どもの側のリスク遺伝子というものもあります。
近年、境界性パーソナリティ障害はADHDと関係が深いことが知られています。
ササッとわかる「境界性パーソナリティ障害」 (図解 大安心シリーズ)によると、BPDの1/3程度が子どものころADHDだった可能性があり、特に1割は大人になってもADHDの特徴を持ったままだといいます。(p40)
ADHDに関係するドーパミンの遺伝的変異は、感受性の高さと関係していて、その変異を持つ子どもは親の養育態度に過敏になり、ささいなことでも傷つきやすく、愛着が混乱しやすい傾向があるようです。
また、すでに見たように境界性パーソナリティ障害では、扁桃体と海馬のサイズが減少していますが、ADHDの子どもたちもまたその部位の発達が遅れて、同年代の子どもたちよりサイズがわずかに小さいことがわかっています。
扁桃体や海馬のサイズが小さいことは、PTSDを抱えるリスク要因だとされています。境界性パーソナリティ障害は、もう過ぎ去った子ども時代の辛い養育体験を思い出させるトリガーに対して、脳が過剰に反応してしまう一種のPTSDです。
素因としてADHDが関係している場合には、難治性の境界性パーソナリティ障害がADHDの治療で改善することもあるそうです。
他方、不安定な愛着を抱える子どもがADHDによく似た行動傾向を示すことも知られているので、単純にADHDのせいで境界性パーソナリティ障害になりやすくなるという因果関係では捉えられません。
素因としてADHD傾向があればトラウマ経験の影響が強くなりやすいのと同時に、子ども時代にトラウマを経験するとADHDのような振る舞いを見せるようになる、という逆の因果関係も絡んでいるはずです。
愛着に問題があるとしても、必ずしも親の育て方を非難できるわけではありません。「親の育て方のせいだ」と決めつけてしまうのは簡単ですが、子育てを完ぺきにできる親など、誰ひとりいません。
いわゆる毒親と呼ばれるようなひどい親だったとしても、親自身が幼少期からのトラウマのせいで普通の子育てができなくなっていた可能性が高いでしょう。何世代も前から連綿と続くトラウマの連鎖が現れているのかもしれません。
また本人の生き方に原因を求めるのも、苦しみを上乗せすることになりかねません。確かに、悲痛な過去がトラウマになっていることもあります。それでも、大切なのは、どうしてそうなったかではなく、どうすれば克服できるか、ではないでしょうか。(p74)
例えで考えてみましょう。落石事故で道路が塞がれて、前へ進めません。そのようなとき、「どうして」落石が起きたのか考えるのが先でしょうか。それとも、「どうすれば」岩を取り除けるか考えるのが先でしょうか。
境界性パーソナリティ障害の治療にも同じことがいえます。まずは目の前の問題に対処して健全な生活を取り戻し、後で落ち着いてから原因を確かめ、再発防止に努めるとよいでしょう。
解離性障害との違い
さきほどから、何度か出てきている言葉に「解離」というものがあります。BPDの人が、現実感が薄れたり、パニックになったときに記憶が飛んだりするのは、意識や記憶を切り離す、この「解離」という脳の働きが関係しているからです。
しかし、BPDで見られるのは軽度の解離であり、症状の本質をなしているわけではありません。
解離がもっと深刻になる病気は、解離性障害と呼ばれています。解離性障害の患者もリストカットなどの自傷行為をすることがあるので、解離性障害の当事者が境界性パーソナリティ障害だと間違われることも多いようです。
しかし、境界性パーソナリティ障害は、不満や怒りを露わにして、親や周囲の人を変えようとするのに対し、解離性障害の人は、不満をすべて抱え込み、自分を変容させる(心を解離させる)ことで対処しようとするなど、正反対の部分があります。
同じリストカットにしても、BPDと解離性障害では、自傷に至る理由が違っている可能性があります。
こうした違いは、今しがた少し見たように、愛着障害のタイプの違いに基づいているようです。愛着のタイプが「不安型」の人は境界性パーソナリティ障害になりやすく、「回避型」の人は解離性障害になりやすいと言われています。
しかし、この2つは決して無関係の別のものではなく、すでに見た通り、混乱した家庭で育った人の場合、「不安型」と「回避型」の両方の特徴を併せ持つ「混乱型」(無秩序型)と呼ばれる愛着のタイプを抱えることがあります。
その場合は、境界性パーソナリティ障害と解離性障害の両方の症状が入り混じって生じるかもしれません。
どうやって対処するの?
境界性パーソナリティ障害は、当人自身も、周りの家族も、その両極端な言動に振り回されがちです。
周りの人は、「見捨てないで!」と言われると心が揺さぶられますが、当人のためにも、周りの人のためにも、支える人が巻き込まれないことが大切です。
なんとかしてあげようとして関わっても、要求がエスカレートしていって共倒れになってしまうからです。(p60)
周りがやってはいけないこと
見守る、遠慮する:
そのままにしておくと要求がエスカレートしていきます。
親身に聞く:
BPDの人は依存心が強く、親切な人を理想化しやすいため、親身に話を聞きすぎると、助けてくれる人だと期待させてしまいます。そして100%自分に尽くしてくれないと幻滅して手のひらを返してしまいます。
批判する、見下す:
BPDの人は傷つきやすいので、批判して突っぱねると、見捨てられるという不安を増幅させてしまいます。(p66)
周りがすると良いこと
はっきりと基準を定める:
ここまではできるが、それ以上はできないという限界をはっきり伝え、線引きします。見捨てるという意味ではない、という点も保証します。(p67)
冷静に対処する:
たとえばリストカットに遭遇しても、慌てず騒がず、優しく必要な手当をしてあげます。腫れ物に触るようにオロオロとするのではなく、いつも普通に接するようにします。(p72)
巻き込まれて一緒に不安定になってしまうのではなく、岩のようにどっかり構えて安定しているなら、BPDの人の心を安定させる重しになれます。
どのように不安を感じたのか話し合う:
衝動的な行動(幼児化した瞬間)に着目するのではなく、そこに至ったきっかけ(大人になりきれなかった葛藤)について話し合います。何が不安で困っていたのか、現実的な問題を明らかにします。(p89)
期待や理想の押し付けをやめる:
BPDの原因のひとつは、意識してそうしたわけではないとしても、子どもに親の理想や価値観、期待を押しつけてしまったことにあります。
そうした条件付きの愛を捨てて、あるがままを受け入れる無条件の愛を注ぐ必要があります。
これはBPDの治療に効果的な弁証法的行動療法(DBT : Dialectical Behavior Therapy)における「認証戦略」に相当します。
視覚化して説明する:
白か黒かでしか判断できないとき、言葉で納得させようとするのではなく、問題を絵や図などに書いて、視覚化して説明すると理解しやすいようです。(p41)
家族に境界性パーソナリティ障害の人がいる場合、家族会のサポートを活用するのも役立つかもしれません。
BPD(ボーダーラインパーソナリティ障害)ファミリーサポートサービス「BPD家族会」
自分がするとよいこと
境界性パーソナリティ障害は、単なる心の問題ではなく、脳の機能異常が関係しています。
しかし、近年の研究によると、脳には粘土のように変化していく可塑性(かそせい)が備わっていて、さまざまな働きかけによって、脳の働きを改善していくことが可能です。
たとえば、2008年に行われた慢性疲労症候群の患者を対象にした研究では、前頭前皮質の脳萎縮が、認知行動療法によって回復したとされています。
ですから、境界性パーソナリティ障害の場合も、徐々にではあれ、脳の傾向を変えていくことは可能です。
少しずつ視野を広げる―認知行動療法(CBT):
自分の気持ちを客観的に分析するために、まず自分は極端な考え方をするタイプだと意識するようにします。今の考えがどのように両極端になっているか、書きだして理解します。
他者に原因や解決を求めていた部分に着目します。本当に相手がそんなにわるいのか、謝ってもらえば解決になるのか、などと自問します。
相手の事情について想像力を働かせます。たとえ自分の要求通りに動いてくれなかったとしても、自分には知らない事情があったのではないかと考えてみます。
他者を責めたり、他者に頼ったりしないで問題を解決する方法を探ります。どうしてほしいか、ではなく、どうすればいいか、という見方に切り替えてみます。
このステップを繰り返すうちに、やがて視野が広がってくると書かれています。具体的には、認知行動療法の7カラム法など、手軽にできる方法を活用するのがよいのかもしれません。
ありのままを受け入れる―弁証法的行動療法(DBT)とマインドフルネス:
境界性パーソナリティ障害は、通常の精神療法では治療が難しいことが知られてきました。そのため、境界性パーソナリティ障害を専門とする特別な治療法が幾つか考案されています。
そのうちの一つがアメリカの心理学者マーシャ・リネハンによって開発された弁証法的行動療法(DBT:Dialwctical Behavior Therapy)です。
新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害 (こころのクスリBOOKS)によると、リネハンはもともと、自殺願望のある女性の治療をしていて、その多くが生育環境の中で自分の感情との付き合い方を学んでこなかったことに気づきました。(p70-73)
そこで、弁証法、つまり対立する考え方を交互に挙げて真実に迫っていくというギリシャの思考法を取り入れて、自分の感情を正しく認識できるよう助けることを目的とした弁証法的行動療法を開発しました。
弁証法的行動療法では、ある考えを修正しなければならないものとして扱う認知行動療法とは異なり、さまざまな矛盾する考えや物の見方を、どれもありのままに受け入れ、その先にあるものを考えるよう促します。
自分の感情や考えを、正しいとか間違っているといった批判をせずにありのままに受け入れる、マイルドフルネスという心の状態を目指すトレーニングになります。
ありのままの状態を受け入れる訓練を詰むことで、自分や他人への過剰な期待を減らし、白か黒か、つまり100点か0点かの二極思考ではなく、ときには50点でも満足できる柔軟さを身につけられるでしょう。
人の気持ちを読み取る力を鍛える―メンタライゼーション療法(MBT)
イギリスのアンソニー・ベイトマンとピーター・フォナギーによって開発されたメンタライゼーション療法(MBT)もまた境界性パーソナリティ障害の治療のために開発された技法です。
境界性パーソナリティ障害の人は、相手の心を理解する「心の理論」が苦手なために、人の何気ない言葉に過剰に反応して、理想化してしまったり幻滅してしまったりします。
メンタライゼーション療法では、集団で行なうセラピーやミーティングなどを通して、相手の気持ちを想像する力を訓練し、コミュニケーションの行き違いをなくしていけるよう学んでいきます。
メンタライゼーション療法について詳しくは、メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服などが参考になります。
国内では、弁証法的行動療法やメンタライゼーション療法を取り入れているところはまだわずかです。しかし、それらの治療法を実践して経験を積んでいる医療機関を探して受診するなら、適切な対応をしてもらいやすいでしょう。
これらの治療法以外にも、大元の原因である愛着障害を克服するためのアドバイスを調べてみるのも役立ちます。
たとえば、愛着障害の専門家の岡田尊司先生と、境界性パーソナリティ障害を克服された咲セリさんの対談形式の本、絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書) についてまとめた、こちらの記事のアドバイスも参考になると思います。
そのほか、BPDの傷つきやすさは欠点ではなく、コントロールする方法を訓練すれば、感受性の強さとして活かしていくこともできます。
新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害 (こころのクスリBOOKS)によると、イギリスのダイアナ王妃は、自伝やテレビのインタビューの中で、新婚当初、リストカットなどの自傷行為や摂食障害に陥ったことを明かしています。(p13)
ダイアナ王妃は、子ども時代、機能不全家庭で育ち、結婚前から情緒不安定で、境界性パーソナリティ障害の傾向があったそうです。
しかし摂食障害の専門医にかかり、王妃としての務めを果たすなかで、自分の感受性の強さや傷つきやすさを、弱い立場にある人への思いやりとして活かしていくようになり、チャリティ活動を通して自分の居場所を見つけたそうです。
新版 よくわかる境界性パーソナリティ障害 (こころのクスリBOOKS)によると、境界性パーソナリティ障害は決して治らない病気ではありません。
時間とともに悪化していく他の精神疾患とは異なり、10代から20代で最も強い症状が現れるものの、30代なかば以降、安定していく傾向があるそうです。(p48)
人生経験を積むとともに、自分の感受性の強さと折り合いをつけ、周りの人の言動に振り回されずに対処するスキルが徐々に身についていくのでしょう。
境界性パーソナリティ障害の人の傷つきやすさは、うまくコントロールできれば才能にもなる、という点については、「拒絶感受性」に関するこちらの記事でも扱っています。
障害ではなく「英雄のように行動している」という見方
この記事では、おもに主流の精神医学の一般的な考え方に沿って、境界性パーソナリティ「障害」という病名を用い、これを「病気」として解説してきました。
しかし、境界性パーソナリティ障害は、果たして「障害」また「病気」と呼べるものなのかは、疑問をさしはさむ余地が大いにあります。
トラウマ医学にも造詣の深い神経科学者スティーヴン・ポージェスは ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」の中で、次のように書いています。
例えをあげましょう。飛行機で旅行するとします。空港でセキュリティチェックを受ける際、運輸保安局員に質問されます。
境界性パーソナリティ障碍を持つ人の神経系は、まるで自分自身のための運輸保安局員がいるかのように、一人一人を厳しくチェックします。(p145)
境界性パーソナリティ障碍を持つ人の病歴には、多くの場合非常につらい出来事が数多く記録されています。
早期トラウマ体験と境界性パーソナリティ障碍の診断の間には連続性が見られます。
おそらく、トラウマと虐待体験が神経系を刺激し、「誰も飛行機に乗り込んではいけない」という運輸保安職員のようになっているのでしょう。(p148-149)
すでに説明したように、BPDを抱える人は、幼少期にトラウマや喪失などを経験していることが少なくありません。そのため、BPDを持つ人の神経系は、テロ対策の保安局員のように過敏になってしまっています。
一般的な精神医学では、境界性パーソナリティ障害とは、そうした過去の辛い体験のせいで、脳に「障害」や「病気」を負ってしまった結果だ、とみなされるかもしれませんが、ポージェスの見方は対照的です。
これは適応的な反応で、このおかげで彼らは生き延びることができたのです。
境界性パーソナリティ障碍を持つ人は、今改めてこうした反応性は適応的防衛反応だったのだと理解する必要があります。
そして、とにかく生き残ったということに誇りを持ち、自分に腹を立てたり、失望したりすることなしに、自分が抱えている制約について理解できるのです。(p149)
ポージェスは、BPDの症状は、「適応的な反応」であり、「このおかげで彼らは生き延びることができた」のだと説明しています。(トラウマ症状が病気ではなく「適応」であることは別の記事で詳しく解説しています)
BPDの人は、あたかも自分の身体のためのテロ対策の保安局員を雇っているかのように、ささいな刺激にも過敏に反応します。
運輸保安職員が飛行機内にテロリストが一人もいないことを保証するのと同様に、境界性パーソナリティ障碍を持つ人の神経系は、誰一人として信用しないのです。
…ほとんどの人が反応しないような環境中の「合図」に対しても、境界性パーソナリティ障碍を持つ人は、防衛反応が誘発されます。(p146-147)
このような過敏さは欠点のようにみなされがちですが、それはあくまで、普通の日常社会においてです。
BPDの人たちが育った環境、すなわち、テロが頻発する紛争地域のような、普通の日常からはかけ離れたトラウマ的な子ども時代においては、おそらく、そうしなければ生き残れなかったでしょう。
戦場を生き抜いてきた兵士は、わずかな物音にも過敏に反応するくせが身についているかもしれません。それと同様に、BPDの「症状」は、普通以上に辛い環境をサバイバルしてきたことで脳と身体に刻まれたくせなのです。
残念ながら、非日常の戦場で身についた脳や身体のくせは、日常の社会生活では不適応を起こしてしまいます。それゆえに、戦場への適応が、日常では「病気」や「障害」とみなされてしまいます。
同じように、境界性パーソナリティ障害の人たちは、かつて戦場のような子ども時代を生き延びるために、自分専用のテロ対策の保安局員を雇ったようなものです。危険か安全かを厳しくチェックする態度は命を守るために必須のものでした。
しかし、いざ社会に出て、ごく平和の環境で育った普通の人たちの中に入ると、不適応な過剰反応だとみなされるようになってしまいます。
行動病理学的に不適応であると解釈されたある行動は、ある環境においては適応的だったかもしれないのです。それが別の文脈においては、不適応であり病的だったと解釈されるのです。
例えば、トラウマ・サヴァイヴァーたちは、解離していたり、シャットダウンしていたりします。
こうした反応は、トラウマ的な出来事の最中には適応的でした。しかし、社会的な文脈では、不適応であると見なされます。(p252)
しかし、兵士が戦場を生き残れたのはその過敏な反応ゆえだったのと同じように、BPDの人たちが子ども時代を生き抜いてこれたのも、厳しい保安局員が常に過敏に安全をチェックしてくれていたおかげであったといえます。
ゆえにポージェスは、「こうした反応性は適応的防衛反応」なので、「とにかく生き残ったということに誇りを持」つように勧めています。BPDの当事者は自尊心が弱いので、このような考え方はひときわ大切です。
ポージェスは、自分自身の極端な反応が「病気」や「障害」ではなく、困難な幼少期をサバイバルするために身についた防衛のための反応である、ということを理解するだけでも、BPDの人たちの反応が変わっていく、と述べています。
これらの特徴をセラピストと境界性パーソナリティ障碍を持つ人に知らせたら、それだけでクライアントの反応が変わっていくことがあります。
「なぜ自分がこういう行動をとってしまうのか」が理解できると、トップダウンの制御によって一定の変化がもたらされることがあります。
…私は、トラウマを扱うセラピストのグループに話をすることがよくあります。そのときいつも話すことは、トラウマを受けたとき、身体は意味があって特定の反応を示すのだということ、そして身体は英雄のように行動しているのだと理解してもらいます。
身体は私たちを助けています。身体が言うことを聞かないわけではないのです。身体はなんとか私たちが生き延びることができるように助けているのです。(p146-147)
ですから、たとえ精神医学ではBPDは「病気」また「障害」として扱われているとしても、「身体は意味があって特定の反応を示すのだということ、そして身体は英雄のように行動しているのだ」という視点を忘れないでください。
BPDの「症状」はすべて、かつてはあなたの身を守るための適応戦略でした。それらの「症状」のおかげで、あなたは困難な子ども時代を、傷だらけになりながらも、なんとか生き延びてくることができました。
戦場のような子ども時代とは打って変わって、日常の社会に出てきた今、それらの戦略は不適応を起こしてしまい、自分でも制御できない「症状」となってあなたを苦しめているかもしれません。
しかし、あなたは障害者ではなく、かつて戦場のような困難な子ども時代を生き抜いてこれた英雄なのです。そうであれば、再びこの新しい日常にも、もう一度適応しなおすことは間違いなく可能です。
私はセラピストたちに、身体がなんとか生き残れるように働いてくれたことはすばらしいことなのだとクライアントに話すように勧めています。
クライアントは生き残ることが大事だったと理解する必要があります。クライアントは世にも恐ろしい体験を耐え抜いたのです。ですから、自分自身を勇者として扱う必要があるのです。
…あるクライアントは、こんなふうに言いました。
「これを理解できたとき、私自身についてのナラティブが変わりました。もう自分の身体が社交的に反応できないことを貶めるのはやめました。自分の身体が自分のためにしてくれたことを理解したことで気分がよくなり、急にあらゆるものが好転し始めました」。(p148)
もちろん、BPDの認知や反応の仕方を変えるのは、道なき道を歩むことになぞらえられるほど、苦労する過程かも知れません。
今通っているじめじめした道は、とても通りやすい道です。それに対して、これから通ろうとしている場所は、確かに景色はよいものの、雑草が生い茂っていて、とても歩けるような道ではありません。
それでも何度か繰り返し辛抱強く通り続けると、しだいに草が踏み固められて歩きやすくなります。何度も何度も通るうちに、やがてそこが道になります。ふと振り返ると、今まで通っていた歩きやすい道はもう雑草でふさがれてしまっています。
BPDは、決して簡単に克服できるようなものではないと思います。それでも、白か黒だけしかなかった子ども時代の戦場をついに後にして、美しい色とりどりの平和な景色を楽しめるようになるとすれば、新しい生き方を目指すことには大きな価値があるといえるのではないでしょうか。