いま小児慢性疲労症候群を振り返る―6年前に書いていた下書きとともに

とブログの編集画面を見ていたら、小児慢性疲労症候群についての記事の下書きがあるのを見つけました。

下書きを書いたのは2013年10月25日。今日は2019年6月24日なので、およそ6年前のわたしの文章です。

ずっと下書きのまま、お蔵入りしていた記事でした。当時のわたしとしては、何の希望もなく終わるような内容に、納得のいかないところがあったのでしょう。

それから6年が経過して、今のわたしは、完全に治ったわけではないものの、かなり改善して元気に暮らしています。

せっかく見つけたので、この下書きを、ブログに投稿しておこうと思いました。内容は当時書いたものそのままです。

6年前の自分に、「今はこんなに元気に、人生を楽しんでいるよ」というメッセージとして。あのとき納得がいかず、決してあきらめかったからこそ、今のわたしがあるからです。

未投稿のままだった下書き(2013/10/25)

———-以下2013年の下書き———-

わたしはいわゆる小児CFS、小児慢性疲労症候群・筋痛性脳脊髄炎(CCFS/ME)です。学生のころ、突然倒れて動けなくなり、そのまま、今に至っています。

CFSは存在がいくらか疑問視されてきた病気です。現在ではおおむね受け入れられているようですが、過去には身体表現性障害とか仮面うつ病とか言われてきました。でも、存在することは間違いありません。

小児CFSとは

小児CFSは、子ども(高校生18歳くらいまで)に発症したCFSをいうらしいです。大人のCFSと基本的に同じですが、ひどい睡眠障害をともなうことが多いです。わたしみたいに治らない人もいるけれど、比較的治る人も多いらしいです。

わたし自身も含めて、知っている小児CFSといえる人は、なんだかとてつもない苦労をしている時に発症した人が多いようです。

学校で死ぬほど勉強や部活が忙しくて、家庭環境が緊張していて、そのほかにもインフルエンザにかかったり、引っ越しのストレスがあったり、怪我をしたり…。

つまり、幾つもの要因が、これでもかと積み重なって、ある時、身体が壊れてしまい、そのまま戻らなくなってしまったというパターンです。研究している三池先生が名付けた「学校過労死」という言葉は言い得て妙です。

起立性調節障害とは違うの?

よく似ている病気として起立性調節障害が挙がるけれど、小児慢性疲労症候群と起立性調節障害は違うと思います。

小児CFSのうち、治りやすく、学校とも何とかつながっていられるような人は起立性調節障害かもしれません。

でも、わたしたちたちみたいに、トラックと正面衝突したかのように身体が破壊され、そのまま20歳になっても、30歳になっても、40歳になっても治らないような人もいます。それはどう考えても起立性調節障害という思春期限定の問題ではありません。

起立性調節障害は慢性疲労症候群のアラームという説は、確かにそうかもしれないと思います。もともと自律神経機能などが弱い人が、刻苦に刻苦を重ねたら、思春期を過ぎても治らない究極の異変を抱えてしまうのかもしれません。

うつ病とは違うの?

ではうつ病ではないのでしょうか。はっきりいうと、わたしにしても友達にしても全然うつっぽくないので、ありえないと思います。

仮面うつ病と言われたらどうしようもないけれど、そもそも仮面うつ病は、慢性疲労症候群を精神科に閉じ込めておくための方便じゃないでしょうか。

ただひたすら、微熱や砂のような重だるさ、はっきりしない思考が続く、霧の深い牢獄につながれているような病気です。

今のところ、慢性疲労症候群(CFS)とか、筋痛性脳脊髄炎(ME)という病名以外に、説明のしようがないです。

なんだかよくわからないけれど、青年期に、極度のストレス環境にさらされて運が悪いと、慢性疲労症候群という得体の知れぬ病気になってしまうらしい。

こればっかりは研究を待つしかありません。でも、死なない病気、かつ患者数の少ない病気は研究が進みません。患者数700万人とか言われる起立性調節障害だって、研究も治療法もろくに進んでいないというのに。

頭も働かない

慢性疲労症候群(CFS)になってからしばらく経つけれど、認知機能の問題が悪化しているように思います。

その問題をひとことで言い表すと「頭がまっしろになる」。

特に、朝起きることが続いたり、環境が変わるなどストレスにさらされたりして、無理がかさんだことから、悪化してしまったのではないかと思っています。

だれでも、ときどき「頭がまっしろになる」のを経験したことがあると思います。緊張したとき、人前でスピーチするとき、予期せず指名されたとき…などなど。

でも、わたしの場合、それがほぼいつも。これが認知機能の困った問題。

頭がまっしろになるのは、おもに二つの場面に分けられます。

まず1つ目は、集中しようとしたとき。集中して本を読もう、理解しよう、とすると、頭がまっしろになって何も考えられなくなります。

眼の焦点を合わせることさえ疲れてしまって、ボケーっとしてしまう。集中しようとすると、かえって思考がばらばらになってしまう。

2つ目は人と話すときです。頭がまっしろになって、言葉が出てこなくなるので、会話が続かない。

会話は、脳の機能をフル活用する作業だと言われるので、これも集中しようとすると、機能低下する例なのかもしれません。

おかげで、まるで、失語症にでもなったかのように、会話がさっぱりうまくいかないです。

でも、まっしろにならないときもあるのです。なぜかよくわからないけれど、集中できるときもあります。運が良ければ。

そんなときに難しいブログを書いたり、楽しいことに没頭したりしています。それがいつもできればいいのだが、そうならないのが歯がゆいです。

慢性疲労症候群は、単に疲労の病気ではなく、認知機能の障害も大きいです。なんとか付き合っていきたいけれど辛いです。

治療法は?

治療法は、はっきりいうと、今のところないのだと思います。高照度光療法は効果があるとか言われていますが、重症者は治らず、引きこもりや寝たきりになることは、本にも書かれていました。

慢性疲労症候群は原因不明の難病です。簡単に治るようなら、だれも苦労していないです。

抗うつ薬も抗精神病薬も漢方薬(煎じ薬も含む)も、断食療法も、鍼灸も、運動療法も、箱庭療法のようなカウンセリングもサプリメントもすべて試しました。決定打はありませんでした。

23年間植物状態と診断されていた男性、「ずっと意識があった」と告白。 | Narinari.comという、こんなニュースがありました。

昏睡直後に医者が話した状況説明や、時々「望みがない」と看護婦が手を握ったことも覚えているというホウベンさん。「私は忍耐強さを学び、今ようやく人と同じ場所にいる」(英放送局BBCより)と現在の心境を明かしている。

わたしはこの人ほど恐ろしいロックトイン的状況に置かれているわけではないけれど、同じような忍耐強さを学ぶ必要があるかもしれない。

いつか闇の中からの声なき声を知ってくれて、そこから出してもらえるかもしれないから、今はひたすら辛抱するしかない。そう思います。

———-以上2013年の下書き———-

6年後の今から、過去を振り返って

五里霧中のまっただなか、といった内容の記事ですが、6年後の今となっては、この記事に書いている疑問の答えは、すべてはっきり理解できるようになりました。

この当時は説明する語彙がありませんでしたが、今では「解離」「凍りつき」につてい学び、ポリヴェーガル理論について知ったことで、自分の症状のメカニズムについて理解が深まったからです。

当時の下書きでは、起立性調節障害やうつ病と異なっていることに注目していました。

今では、その理由は、それらが交感神経の過活動寄りの急性のストレス反応であるのに対し、慢性疲労症候群は副交感神経の一種(背側迷走神経)による慢性のストレス反応だからだと判明しています。

危機的なストレスのもとでは、まず急性の「闘うか逃げるか」のPTSD的なストレス反応が現れ、それが自律神経失調や気分障害の症状を引き起こします。

しかし、あまりにストレスが慢性的になったり、心身の限界を越えてしまったりすると、「凍りつき・擬死」の解離的なストレス反応に反転し、死んだような状態に陥ってしまいます。

まずPTSD的な過覚醒が起こり、それで対処できない場合にのみ、解離的な低覚醒の慢性疲労状態に発展します。

ということは、起立性調節障害の時点では危険を知らせるアラームである、という当時の見解は正しかったといえます。

だから君は慢性疲労に閉じ込められた―生きるエネルギーを枯渇させる解離そして不動状態
解離と慢性疲労は深く関係していて、不動系という生物学的メカニズムによって引き起こされているという点を、不登校や小児慢性疲労症候群の研究と比較しながら分析してみました。

頭が働かない症状については、ブレインフォグや、離人症についての理解が深まったことで理由がわかりました。

「頭が真っ白になる」というのは、限界を越えて、神経系のブレーカーが落ちたときによく起こる解離の症状のひとつです。思考の凍りつき状態とみることができます。

解離という反応は、極限まで追い詰められた人に起こる神経系のブレーカーであることからすれば、無理をしすぎたせいで悪化した、という見立てもおそらく正しかったでしょう。

頭が働くときと働かないときがある、というのは、その時々の体調に左右される、という理由がまずあるでしょう。しかし、より大きな原因は条件付け反応による違いだったのではないかと思います。

過去に危機的状況を経験していると、それを無意識に想起させる特定の場面や、特定の刺激がトリガーとなって、凍りつき症状を引き起こします。

しかし、そうした環境要因がない場面では、条件付けとしての凍りつきが誘発されないので、比較的思考も自由に働いたということでしょう。

下記記事で考察したスポーツ選手のイップスや、芸術家のスランプなどととてもよく似たタイプの、特定の状況と紐付けられた凍りつき反応だったということです。

とはいえ、何がトリガーなのかを見極めるのは非常に難しいので、不規則な悪化に見えてしまうのは仕方ありません。

「からだの記憶」の治療法―解離や慢性トラウマのための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる、「からだ」を土台とした生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

治療法はない、と書いていましたが、その後、凍りつき反応についての理解が深まったことで、身体に保存された記憶にアプローチする治療が役立つ、ということに気づきました。

今わたしがかなり元気に過ごせているのは、下記記事でまとめたような幾つかの対策を組み合わせて実践したおかげです。

もともと慢性疲労症候群と闘っていたはずが、途中から、トラウマの研究に向かったのは、いささか意外に思えるかもしれません。

しかし、小児慢性疲労症候群の研究の第一人者である三池輝久先生は、早くも1997年の著書、フクロウ症候群を克服する―不登校児の生体リズム障害 (健康ライブラリー)で、こう指摘していました。

当時はこのフクロウ型生活 [※不登校の昼夜逆転状態のこと]は心理的なものとして説明されていました。しかし私たちの医学生理学的な研究はこのフクロウ型生活がむしろ重大な原因ではないかという結論を導いたのです。

「地下鉄サリン事件」で生命の危機を経験した人たちに、地下鉄に乗ろうとするとからだが凍りついてしまい、どうしても乗ることができないなどの後遺症があることが知られ、話題になりました。

このような症状は心的外傷後ストレス障害(PTSD)、あるいは心的外傷後ストレス反応(PTSR)としてよばれています。

このようなPTSD状態がフクロウ症候群 [※小児慢性疲労症候群を指す当時の呼び名。昼夜逆転することから] を経験した人たちにもみられるのです。

たとえば、数ヶ月のブランクの末、やっとの思いで学校の門をくぐるときや教室のまえに立ったときからだに衝撃が走り、顔面は蒼白となりからだに硬直が起こって、凍りついてしまう反応がおこることがあります。

なぜフクロウ症候群を経験した人にPTSD反応があらわれるのでしょうか。私はまさしく彼らが生物として生命の危機を感じたと考えています。

自らの生命のエネルギーが半分以上消失したと感じるような生命力の低下状態は、まさしく生命の危機としてヒトの脳が記憶するのではないかと私は考えています。(p202-203)

1997年に書かれたとは思えないほど、的確すぎる指摘です!

小児慢性疲労症候群についての三池先生の過去の本を今読み返してみると、「こんなことまで当時からわかっていたのか」という発見がたくさんあります。

その当時足りなかったのは、生物学的な枠組みでした。PTSDという考えは確立されていても、「硬直」「凍りついてしまう反応」についての生物学的な概念はまだ存在していませんでした。

当時はまだ、過覚醒の自律神経反応は説明できても、低覚醒の自律神経反応はうまく説明できませんでした。

自律神経機能のより詳しい解剖学的研究が進み、凍りつきを引き起こしている背側迷走神経の役割をイリノイ大学のスティーヴン・ポージェスが特定したのは、近年になってからでした。

のちに知ったように、ベトナム戦争後にPTSDという概念の確立に関わったトラウマ専門医ベッセル・ヴァン・デア・コークも、ポリヴェーガル理論が登場するまで、凍りつき症状の意味とその治療法にたどりつけないでいたのです。

それでも三池先生が書いていた、「生物として生命の危機を感じた」「生命のエネルギーが半分以上消失したと感じるような生命力の低下状態」「生命の危機としてヒトの脳が記憶する」といった表現は、いずれも驚くほど的確です。

凍りつき/擬死とは、背側迷走神経によって引き起こされるエネルギーのシャットダウン状態であり、からだに記録された生命の危機の記憶である、という今日の理解と見事に一致しています。

PTSDについて触れながらも、それが「心理的なもの」ではなく「生物として」生じるメカニズムである、と指摘しているところも、時代を先取りしていました。

三池先生のこの本が書かれてから20年以上になりますが、今だにPTSDやトラウマを、精神心理的な病気と誤解している人が多いほどです。

心は脳だけでなく身体全体から作られる―神経学者ダマシオの自己意識の研究を読み解く
心は身体を土台として生まれるという神経学者アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説について、「意識と自己」という本から整理してまとめてみました。

その後、小児慢性疲労症候群の研究は、おもに睡眠との関係に向かうことになりますが、睡眠をしっかり確保することが、PTSDなどのトラウマ症状の発症を予防することも明らかになっています。

トラウマと睡眠というと、一見すると異なる方向性に思えますが、過去のいくつかの記事で指摘したように、同じ問題を異なる側面から扱っているだけです。

小児慢性疲労症候群の特徴は、不眠ではなく過眠であり、一日10時間以上もの睡眠になってしまう、と三池先生は繰り返し指摘していますが、それはつまり、脳が過覚醒ではなく低覚醒になっているということです。

うつ病やPTSDのような過覚醒を特色とする病気は従来の自律神経の理論でもかなりの程度説明ができました。

しかし、脳が慢性的に低覚醒になり、半分眠っているような状態になる小児慢性疲労症候群のような病気は、ポリヴェーガル理論なくして説明できませんでした。

過覚醒をもたらす交感神経系は従来からよく知られていましたが、低覚醒を引き起こす第三の神経である背側迷走神経系の役割は知られていなかったからです。

そのとき脳は自らを眠らせる―解離の謎を睡眠障害から解き明かす
解離とは慢性的な低覚醒状態であるというポリヴェーガル理論の考え方や、ナルコレプシーやADHDとの比較を手がかりにして、解離と睡眠のつながりを探ってみました。

小児慢性疲労症候群の研究のごく初期から、これほど正確な記述がなされていたのは、三池先生らの研究班が、不登校の子どもたちと真剣に向き合い、先入観にとらわれない真摯な研究を積み重ねた結果だと思います。

きっと、医学の教科書にそって杓子定規に考えるのではなく、患者となった子どもたちを教科書として、彼ら/彼女らの語ることから学び、医学の知識を柔軟に当てはめていった結果でしょう。

こうした研究は、わたしが自分の病気について調べ、自分なりの解決策を見いだしていく上で、闇夜の羅針盤のような導きを与えてくれました。

いま、わたしと同じように小児慢性疲労症候群になってしまっている人がいたら、とりあえず、三池先生の本は全部読んでみるようお勧めします。

近年は、睡眠障害に焦点をしぼった本を書かれていますが、個人的にはもっと広い視点から書かれた過去の本のアドバイスもかなり参考になりました。

子どものCFS研究の原点「学校過労死―不登校状態の子供の身体には何が起こっているか」
不登校は、「生き方の選択」「学校嫌い」「心の未熟さ」「能力の欠如」「根性が足りない」「親の育て方のせい」なのでしょうか。医学の進歩は、子どもや親に原因を求める伝統的な考え方について
昼夜逆転を伴う難治性の不登校「フクロウ症候群」の原因は何か―対処する7つのアドバイス
育ち盛りの子どもが不登校になると、望まざる夜型生活に陥り、極度の疲労を訴えることがあります。中には慢性疲労症候群の診断基準を満たす子どももいて、当初は「フクロウ症候群」と呼ばれてい

これら先立つ研究があったおかげで、自分の問題を解きほぐし、そこそこ回復するまでにこぎつけることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。

もちろん、一人ひとり状況は異なりますし、体調の度合いも違います。

わたしも自分なりに6年間考える必要がありました。三池先生の本を導きとしながらも、ほかの様々な文献にあたって自分で考え、当てはめる必要がありました。

だから、わたしがこうしてブログに書いてきた内容が、そのまま他の人に当てはまるとは思いません。それぞれが自分で解決策を探す必要があります。

それでも、かつて三池先生の本がわたしの考察のヒントになったように、わたしの考察もまた、後から続く別の人たちにとって、何らかの道しるべになれば幸いです。

6年前のわたしはすっかり絶望して、もうどうしようもないと思っていました。回復の見込みなどないと思っていました。統計データからしても、発症から5年以上経ったらもう治りにくい、と出ていましたから、自分はそれだと決めつけていました。

それでも、あきらめずに調べ続けた結果、未来は思わぬ方向に進みました。すっかり健康とはいきませんが、そこそこ元気に生活を楽しめるようになりました。未来はわからないものです。

もちろん、これからの将来もまたわからないわけで、もっと良くなってるかもしれないし、また悪化しているかもしれないし、別の問題を抱えているかもしれません。でもきっとまた自分なりの解決策を見つけるでしょう。

だから、同じように絶望して、もう将来の見込みなんて何もない、と思っている人たちがいれば、きっと良くなる可能性はあるよ、と伝えたいです。

今は信じられないかもしれませんが、6年前のわたしもそうだったのですから。