自然のまえには
敬虔でないわけにはいかない。宇宙はわれわれの考えるよりも
いつも不思議だ。われわれの考えうる以上に不思議なのだ。
―生物学者J・B・S・ホールデン
このブログで何度か書いているように、わたしはチャールズ・ダーウィンに、とても親近感を抱いています。
ダーウィンは、わたしよりずっと昔に、慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)とおぼしき症状と闘った人でした。彼の記述は、わたしが体調を改善するための重要な手がかりになりました。
わたしがダーウィンに親近感を覚える別の理由は、彼が自然を愛した人だということです。わたしはまだ自然界に親しみ始めて日が浅いですが、彼の観察眼や感性に少しでも近づきたいと感じます。
大自然の中に身を置いていると、感受性の鋭い人なら、誰しも必ず疑問に思うことがあるでしょう。
このすばらしく緻密で、言葉を忘れるほどに美しい自然界のあらゆる生き物たちは、どのようにして誕生したのだろうか、という疑問です。
ダーウィンは言わずもがな、それを深く考えた人でした。
当時のキリスト教の世界観では、あらゆる生き物は明確な神慮のうちに創造されたことになっていました。しかし、ダーウィンは徹底した自然観察から、別の観点を導き出しました。
ダーウィンはよく、古い宗教的な考えを除き去った科学者とみなされます。「神」という概念抜きで、自然界を説明した先駆者であると。
しかし、ダーウィンの著作を読んでみると、彼は決して無神論者ではありませんでした。
かえって、誰よりも真剣に、神について、あるいはこの世界の第一原因について考えた人のように思えるのです。
もくじ
自然界を観察して気づくこと
大自然に囲まれて暮らしていると、ときに畏怖を覚えます。
壮大な星空を見上げるとき、網膜を染め上げる紅葉に我を忘れるとき、森の中で職人のガラス細工のような造形の植物を見つけたとき。
人知をはるかに超えた、言い尽くし得ぬ何かをふと感じ取るものです。海洋生物学者レイチェル・カーソンが、センス・オブ・ワンダーで書いているように。
人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。
…わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。
地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。(p50)
とはいっても、畏怖の念を感じることそのものは、自然界の背後に、人知を超えた何かが存在する証拠ではありません。
前に書いたように、畏怖の念という現象には、生物学的な基盤があると思われます。
神経系を圧倒する何かに出会ったとき、過剰なエネルギーを放出するために身震いを起こし、興奮しすぎた神経系をリセットしているのかもしれません。
解離という脳科学的な現象について調べていると、世の中で霊的現象と思われているものには、ほとんど必ず脳科学的な基盤があることに気づきます。
たとえば、「神のお告げ」や「神からの幻」と呼ばれているものは、側頭葉てんかんや、偏頭痛に伴う幻覚とみなせます。
以前の記事で書いたように、脳神経科学者オリヴァー・サックスは、中世の神秘主義者ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの幻が偏頭痛の前駆症状だったことを証明しました。
また、「守護天使」と考えられているものは、極限状況下のサードマンやイマジナリーコンパニオンと呼ばれる、一種の人格の解離現象です。
それらに特徴的な、「背後に誰かいる」という感覚は脳を電気的に刺激することで誘発できることがわかっています。
「憑依」や「トランス」と呼ばれる体験は、一種の人格交代だとみなせます。
トラウマ当事者の解離性同一性障害や、生まれつき解離傾向の強い人にみられるものであり、オカルトではありません。
「臨死体験」や「走馬灯」といった現象も、死の間際に苦痛が増し加わったとき、脳が自己防衛のために感覚遮断した結果として、生じる幻覚です。
これらすべては、今日に至るまで、霊的、オカルト的現象とみなされがちですが、脳科学を少しでも研究すれば、れっきとした生物学的な現象だとわかります。
わたしは、こうした現象のメカニズムを知っているので、安易に、また感情的に、スピリチュアルな領域に傾倒しようとはまったく思いません。それは言葉巧みなまやかしにすぎません。
しかし、自然界を観察していると、そのあまりにすばらしい仕組みや関係性に驚嘆させられることがよくあります。
そのようなとき、わたしはあのチャールズ・ダーウィンと同じように、感嘆の思いに満たされて、人知の及ばざるもののについて、理性的に思索せずにはいられないのです。
ダーウィンは聖書に深い敬意を持っていた
チャールズ・ダーウィンは、当時のキリスト教の価値観に真っ向から対立する、進化論という概念を提唱した人として知られています。
しかし、意外なことに、彼はもともとキリスト教の聖典である聖書に深い敬意を持っていたようです。ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫)で次のように回顧しているからです。
ビーグル号に乗船中、私は全く正統派だった。
私は、道徳上のある問題にかんし反論不能の権威として聖書を引用したことで、数人の士官(かれら自身も正統派であったのに)に思う存分笑われたことをおぼえている。(p102)
ビーグル号に乗って世界を探検していたころのダーウィンは、「全く正統派」でした。
ただ単に宗教を信じていたわけではなく、聖書を絶対の権威とみなすほど敬虔な人でした。
確かに 新訳 ビーグル号航海記 下 を読んでみると、自分はクリスチャンの一派であると自己紹介するくだりがあります。(p31)
南米で何百メートルもの厚みをもって空を包み込むバッタの大群を見たときには、思わず「しかしてその翅音、あまたの軍馬押したてて戦場へおもむく凱旋車のそれのごとくであった」という聖書の節を引用しました。(p152)
タヒチやニュージーランドの人々と出会ったときには「福音書の完璧な高水準の」道徳律による教育の益について語り、「まことに宣教師の訓練とは、魔法使いの杖である」とさえ述べています。(p305,324)
ニュージーランドの思い出として、「思いだすと光りかがやいて見える場所といえば、ただ一つ。それはキリスト教徒の住民がいた、あのワイマテである」と書きました。(p332)
オリヴァー・サックスが著書、意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源 で触れているように、ダーウィンはそのころ、創造主を信じていました。
22歳でビーグル号に乗り込み、地の果てへと向かった。
パタゴニアに行き、アルゼンチンの大草原に行き(カウボーイから投げ縄の使い方を教わって自分の馬で試して成功し)、
南アメリカに行って巨大な絶滅動物の骨を集め、オーストラリアに行ったときはまだ宗教を信じていて、
カンガルーを初めて見て(「ふたりの異なる創造主が仕事をしたのにちがいない」と)仰天した。(p11)
サックスは別の本、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)の脚注でも、このエピソードを紹介しています。
ダーウィンはオーストラリアへの旅についてこう書いている。
「私は日当りの良い岸辺に寝そべって、この土地で見た不思議な動物と他の土地の動物を比べてみた」
このとき、ダーウィンは有袋類が胎盤哺乳類の対極にあると考えたのである。
なぜならこの地の動物は彼が親しんできた動物とあまりにもかけ離れていたからだ。
『自分の想像力を超えたものを信じない人ならこう言うだろう。「二人の創造主が別々に仕事に励んだのに決まっている」と』。
そして、ダーウィンは巨大なアリジゴクとその円錐形の落とし穴に注目する。
その底からは砂が跳ね上げられ、斜面に起きる小さな雪崩に巻き込まれた蛾が落とし穴に落ちる仕掛けになっている。
それはヨーロッパにいるアリジゴクの落とし穴とまったく同じものだった。
「もしも二人の創造主が別々に種を創造したとしたら、これほどまでに楽しく単純で芸術的な、しかもまったく同じ仕組みを作るだろうか。
そうは考えられない。したがってこの世界は確実に一人の創造主の手によって創られたのだ」。(p267)
ダーウィンは著書、新訳 ビーグル号航海記 下の結びでも、地球一周の旅を振り返って、こう述べていました。
わたしの心に深い印象を残した風景のなかで、崇高さをもっとも感じさせたのが、人間の手がはいっていない原生林だった。
生命力にあふれかえったブラジルの森はまさしくそれだったし、死と腐敗が覆いつくしたフエゴ島の森も、そうだった。
両方とも、自然という神が創りたもうた多様な生産物にあふれかえる神殿だったーだれも、その隔絶した人外秘境のイメージに、心を動かさないではいられないのだ。(p464)
これらの言葉には、若かりし頃のダーウィンの深い信仰心が現れています。
彼は自然を注意深く観察し、その造形の意味を考えました。自然界の造りが「これほどまでに楽しく単純で芸術的な」のは、ただ一人の偉大な創造主がいることを示す証拠だとみなしました。
わたしは、身の回りの壮大な自然を観察するとき、ダーウィンがそう感じた理由がわかります。
わたしは作家として、自然界の見事な造りに感動せずにはいられません。どれほど才能のある芸術家でも、その美しさのほんのひとかけらをさえ再現することはできません。
日本の植物学の先駆けとなった博物学者、牧野富太郎は、牧野富太郎植物記〈1〉野の花 でこんなことを書いています。
きっとビーグル号で世界をめぐっていたころのダーウィンなら共感したことでしょう。
聖書にも「ソロモンの栄華も、野のユリの花一つの美しさにおよばない」と書かれています。
つまり人間が、どんなに美しく着かざってみても、とうてい野の花一つのよそおいにもおよばないということです。
人間の知恵は文明をきずいてきましたが、決して完全なものではありません。
しかし、自然は完全なものをつくりだしています。
ユリの花一つにしろ、スミレの花一つにしろ、とうてい人間がつくりだすことのできないすばらしい造物主の傑作なのです。(p8)
ダーウィンにとっても、牧野富太郎にとっても、自然界の造形や仕組みは、「造物主の傑作」でした。
自然保護活動家の先駆けであり、国立公園の父とも言われる、ジョン・ミューアもまた、同じように考えていました。
日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ によると、ミューアは機械装置の発明家として成功しましたが、一時的な失明により人生を考え直し、人間の発明より神の発明に惹かれるようになりました。
見ず知らずの人間に、アメリカを横断して植物採集するなどという男らしからぬ行為
―「いつの時代であっても、花を摘むなど一人前の男のすることとは思えません」―
に耽る意義を問われたとき、聖書の教えを叩きこまれてきたミューアはここぞとばかり、旧約聖書と新約聖書の両方から例を引き、礼儀正しく言い返したのだ。
異端審問官よろしく自分を問いただした相手に対し、最高の賢人であるソロモンが植物を研究していたこと、
そしてキリストが、野の花がどうして育っているか、考えてみるがいいと使徒たちに告げたこと(マタイによる福音書6・28)を思い出させ、きわめつけは、
「さてそれでは、わたしはどちらのご忠告に従うのがいいのでしょうか。あなたの? それともイエス・キリストの?」と弁士顔負けに言い負かしたのだった。(p345)
ダーウィンもまた、誰かから「自然観察など一人前の男のすることではない」と批判されたなら、ミューアと同じように言い返したことでしょう
ビーグル号で航海していたころのダーウィンは、「道徳上のある問題にかんし反論不能の権威として聖書を引用した」ほどの正統派だったのですから。
彼はさらに、ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫)の中で、聖書の絶対的な正しさが学問的に確証されることを夢見ていたとも回想しています。
しかし私にとって、自分の信仰を放棄するのはとても不本意のことであった。―私は、確かにそうであったと思う。
なぜなら私は、ポンペイその他の地で著名なローマ人たちのあいだにとりかわされた古い手紙や写本が発見されて、
福音書に書かれているすべてのことをまったく見事に確証するといった夢物語を、何度も何度もつくりあげたことを、よく記憶しているからである。(p102-103)
若かりし日のダーウィンの望みは、福音書に書かれているすべてのことが「まったく見事に確証」されることでした。
イエス・キリストの生涯から、数々の奇跡、そしてその崇高な死に至るまでが、疑いようのない歴史的事実として実証されることを夢見ていたのです。
これら記述から描き出されるのは、非常に敬虔な信徒としてのダーウィンの在りし日の姿です。
彼は今や世界中にいるような、口先だけのキリスト教徒ではありませんでした。ダーウィンにとって聖書は事実であり、生き方でもありました。
でも、いま引用した文中で述べていたように、彼はやがて考え方を変えました。
「自分の信仰を放棄するのはとても不本意のことであった」。
キリスト教の正統派であり、聖書を何よりも重んじ、自然界の造形を創造主の証拠とみなしていた彼が、「信仰を放棄」したのです。
彼にそこまでの変節を促したのは何だったのでしょうか。これから考えるとおり、ダーウィンは誰よりも神について真剣に考えていたからこそ、考えを変えることをいとわなかったのです。
理性と証拠に導かれて思索する
ダーウィンは、自分が信仰を放棄した理由を、ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫)の中でいくつか挙げています。
ダーウィンは聖書をとても重んじていました。だからこそ、聖書をただお守りのように扱っている名ばかりのキリスト教徒のようではなく、内容も自分で読み込みました。
彼を悩ませたのは、聖書の記述の中には、にわかには信じがたい歴史が含まれていることでした。
ダーウィンにとって、聖書は神話やおとぎ話の寄せ集めであってはなりませんでした。史実や科学と矛盾のないものであるべきでした。
彼はおそらくこう考えたのでしょう。聖書の教えが真実であるなら、また聖書が全能の神による著書であるなら、内容もまた正確であるはずだ。
ダーウィンは、自分が育ってきた英国国教会の教えをじっくり検討した結果、それを真実として受け入れることは不可能だと思うようになりました。
私は徐々に神の啓示としてのキリスト教を信じなくなった。
多くのまやかしの宗教が野火のように地球上の大きな部分に広がったという事実は、私にとってかなり重大であった。
新約聖書の道徳性は美しいけれども、その完全さは部分的には、いまわれわれが隠喩や寓言にあたえている解釈しだいだということは否定しがたいのである。(p103)
この言葉からも、ダーウィンは絶対的な真理としての「完全さ」を求めていたことがわかります。
教会の教えは、彼の理性にかなうものではありませんでした。野火のように地球全土に広まっていった「まやかしの宗教」のひとつにすぎないと思えたのです。
受け入れがたく感じた教会の教えのうちのひとつは地獄の火の教理だったようです。悪人は永遠に地獄で焼かれるという教えです。
不信心の人たちは永遠に罰せられることになり、それには私の父、兄、ほとんど全部の最良の友人たちが含まれるようになるからである。
そんなものは、いまいましい教理だ。(p104)
聖書では、神は慈悲ある全能者と描写されています。その一方、教会の地獄の火の教理は、残酷で「いまいましい」ものに思えました。
このダーウィンの不快感は、とても生々しい語調でした。ダーウィンの死後、彼の妻は夫の自伝が出版されるにあたり、この一節を取り除いてほしいと注釈をつけたほどです。(p114)
けれども、ダーウィンの感じた不快感はもっともではないでしょうか。未来永劫にわたり、焼けつく苦しみにさいなまれるという概念ほど、残酷なものはありません。
けれども、凶悪犯罪の被害者は、血も涙もない犯人は地獄に落ちてほしいと思うものではありませんか? 地獄のような処罰はあってしかるべきなのでは?
でも、神経科学を調べてみたら、そうした犯罪者自身が、残虐な虐待の被害者である場合が少なくないことがわかります。
恐ろしい虐待を受けた生い立ちゆえに冷酷な犯罪者になってしまった人が、さらに永遠に苦痛を味わうべきでしょうか。世の中の問題の根は、個人に全責任を帰せるほど単純ではないのです。
ダーウィンが地獄の火に異議を唱えていたことは、彼がとても感受性豊かで、人の苦しみに敏感だったことを示唆しています。
だからこそ、別の点にも悩みました。この世界には、なぜこれほどおびただしい苦痛がありふれているのか、という疑問です。
ダーウィンは全能の神という概念を忠実に信じていました。だからこそ、現実世界に苦しみが蔓延しているという矛盾に心をかき乱されました。
世界に多くの苦痛があることは、慈悲の全能の神という教理に反する。
世界に多くの苦痛があるということは、だれでも認める。
…全世界を創造することができた、神のように力と知識に満ちた存在は、われわれの限られた知力に対しては、全知全能であるわけだが、
その神の慈悲が無限でないと仮定することはわれわれの理解に反する。(p107-108)
ダーウィンの理性的な考えからすれば、もし神が全能で、しかも慈悲深い存在であるならば、この世界にこれほど苦しみが満ちあふれているはずはないと思えたのです。
ある人たちは、苦しみが存在するのは、より高い徳を積み、モラルを向上させる鍛錬のためだ、と説いたようです。
いわゆる「苦しみが存在するのは、成長を促すための神からの試練だ」というよくある論議です。
けれどもそんな理由付けはダーウィンを納得させるものではありませんでした。わたしもこの考え方にはまったく同意できない、とずっと昔に書きました。
ダーウィンが、世界中の苦しみについて考えるようになったのはは、おそらくビーグル号での世界旅行がきっかけでしょう。旅のさなか、彼は各地で虐待されている人々を目にしました。
彼は航海記で何度も、白人による原住民の虐殺や奴隷制を目の当たりにして、悲痛な気持ちを吐露しています。
新訳 ビーグル号航海記 上においては「インディオの虐殺場面を英語で書くことに耐えられず、ラテン語の古典を引用し」ました。(p205)
新訳 ビーグル号航海記 下では「胸がむかつくような残虐行為については、ここに書き記すことさえ気が向かない」と述べています。(p457)
文字通り、筆舌に尽くしがたい光景を目にしたり、聞き及んだりしたことが想像できます。
しかも、ダーウィンを悩ませたのは、それらの残虐行為が、キリスト教徒を自称するクリスチャンたちによって行われている、ということでした。
この戦争は残虐すぎて、長くつづくはずがない。
キリスト教徒はインディオを皆殺しにし、インディオもキリスト教徒に対して同じことをする。
インディオたちがスペインの征服者たちに討ち亡ぼされる過程を振り返ると、わたしは気分が悪くなる。(上巻p198)
この民族はここらあたりでは絶滅してしまっているからだった。
クリスチャンであり奴隷でもあるという一石二鳥の成果を狙った、カトリック的な欲望のせいで、絶滅したのである。(下巻p68)
だいいち、妻とか幼児だとかー自然が奴隷にさえも自分の持ち物だと大声で主張させるほどの、
そうした愛しい人たちが、わが身から引きはがされ、いちばん良い値をつけた客に野獣さながら売り渡されていく情景を、
あなた自身も、切実な心配ごととして思い描いてみてほしい!
しかもこのような行為が、隣人をわが身のように愛すると自称し、
神を信じ、神のご意思が地上にあまねく実現するよう祈っている人びとのあいだでおこなわれ、しかも弁護されているのだ!
…わたしの血は煮えたぎり、心がふるえる。(下巻p458)
ダーウィンは聖書の高度な道徳律を愛していました。それがある程度、実践されているタヒチやニュージーランドの伝道団と教えられた人々に好感を抱きました。
しかし、それ以上に、キリスト教徒であると称する人々による残虐行為の数々に心を痛めました。怒りでわなわなと震えました。
また、ダーウィンがこの世界に満ちあふれている苦しみに悩んだのは、自身が慢性疲労症候群で苦しんだこと、および子どもを亡くしたことと無関係ではないでしょう。
ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球で生物学者D・G・ハスケルがこう書いています。
だがダーウィンには、数々の苦しみがのしかかっていた―彼の体は常に病を抱え、一番かわいがっていた娘が幼くして死んだことで彼の心は傷ついていたのだ。
不幸な時代が続くうち、世界に満ちる苦痛は彼を、曖昧な理神論者から懐疑的な不可知論者へと変えていった。(p183)
ダーウィンは自伝でも繰り返し家族への深い愛情を明らかにしています。自分や家族の身に、度重なる苦しみが降りかかるたびに「なぜ?」と考えたことでしょう。
どうして人間を含め、地球上の生物すべては苦しまねばならないのか。納得のいく答えは教会からは得られませんでした。
教会はむしろ、虐殺や奴隷制のような残虐行為を容認し、弁護さえしていたからです。
ダーウィンは宗教ではなく自然界に答えを求め、唯一、自然選択だけが、論理的な答えだと感じられました。
自然界に深く感情移入した感受性
ダーウィンはさらに、人間だけでなく、動物たちの苦しみにも感情移入する人でした。
たとえば、新訳 ビーグル号航海記 上では、牛が闘牛士によって屠殺される牧場に立ち寄ったとき「わたしが知るかぎり、これほど烈しい苦悶をあらわす叫びは聞いたことがない。…どの光景もこわくて正視できなかった」と書いています。(p253)
また、動物が疲れ切っても労働に酷使されている様子を見たときには「南アメリカ諸国には動物がたくさんいるため、人道性と利己心とかうまく結びついていない」と嘆きました。(p289)
中でも、動物に感情移入するダーウィンを生涯悩ませた、とびきりの難問がありました。
脳のなかの天使によると、彼はキリスト教徒である植物学者エイサ・グレイに宛てた手紙にこう書いたそうです。
私は、ほかの人たちのように明白には、またそう願うべきほどには、神の設計や慈悲がいたるところにあるという証拠を見ることができません。
私には、世界にあまりに多くの不幸があるように思えます。
慈悲深い全能の神が、生きているイモムシの体内で彼らを養うというはっきりとした意図をもって、故意にヒメバチ[寄生バチ]を創造されたとはとても思えないのです。
あるいは、ネズミをもてあそぶべくネコを創造されたとは……。(p409)
これはダーウィンにとって、若いころからの悩みだったようです。新訳 ビーグル号航海記 上でもこう書いているからです。
ウは魚をとると、またこれをにがし、なんと八回も繰り返したのだ。…ちょうど猫がネズミをおもちゃにするようなものだ。
敬愛する大自然がここまで意識的に残酷になれるものかという究極の実例だろう。(p368)
ダーウィンは、自然界に見られる、食物連鎖などの捕食関係そのものを残酷だとみなしていたわけではないようです。
ダーウィン自身、狩りに参加したり、標本として採取したりして、動物や虫を殺したからです。
しかし、ただ命を奪うのではなく、長い時間をかけて苦しめたり、生殺しにしたりという、命をもてあそぶ行為は残酷に感じられました。
ミクロの森: 1m2の原生林が語る生命・進化・地球にも、そのときのダーウィンの気持ちが書かれています。
彼は自然界に見られる苦痛を、自分に身に降りかかった苦痛や、奴隷制などの残虐行為と重ね合わせていたようです。
ヒメバチ類の昆虫は彼が心の中に抱えた苦しみを象徴し、その存在は、自然界のあらゆるところに記されているとビクトリア時代の人々が考えた、神の摂理をあざ笑うものだったのである。(p184)
イモムシに卵を植え付け、幼虫がイモムシを内部から食い荒らすようにする、という寄生バチの生態は、ひどく残酷に感じられました。この点でダーウィンに同意する人は少なくないでしょう。
感受性豊かなダーウィンにとって、自然界を観察する中でしばしば見られるそうした習性は、慈悲の神という教理に反すると感じられました。
とはいえ、ダーウィンは、動物や虫に過度に感情移入しすぎていたと批判する人たちもいます。
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法にも書かれているように、「今日多くの科学者が、ダーウィンは動物を擬人化していると非難」しています。(p124)
痛みと苦しみを分けることは肝要です。動物は「痛み」を感じますが、それは単に危険のアラームとしての役割にすぎないかもしれません。痛みがなければ動物は危険を避けられません。
他方、意識ある人間は「痛み」から「苦しみ」を覚えます。では、ヒト以外の生き物は、どの程度「苦しみ」を自覚するのでしょうか。今も論争が続いていて、確かなことはわかっていません。
わたし個人の意見としては、ダーウィンは、人間以外の生き物に感情移入しすぎて、不必要に苦しみを抱え込んでいたように見受けられます。
ダーウィンの時代にはわかっていませんでしたが、わたしたちの身体の中でさえ、マクロファージが他の細菌を捕食したり、細菌同士が化学兵器で争ったりしています。
こうした生物学的メカニズムを擬人化して「残酷」ととらえるべきだとは、わたしには思えません。かえって、よくできた巧妙かつ精緻なシステムだと思えます。
ヒメバチのような、おそらくは「苦しみ」を感じない生物の営みもまた、それに類する、高度なプログラムやシステムと捉えたほうが良いように思います。
たとえば、生き物関連のニュースでは、さまざまな生物の共食いや、生まれると同時に母親を食い尽くす虫、アリをゾンビ化させる冬虫夏草などが、おぞましく描写されるものです。
けれども、それらの生物自身に、親子や肉親といった概念があるかといえば、まったく存在していないでしょう。脳の愛着システムが存在していないからです。
おぞましい描写は、あくまで人間視点の勝手な擬人化にすぎません。
野性の知能: 裸の脳から、身体・環境とのつながりへという本でも忠告されていますが、脳や身体の仕組みが異なる生物を擬人化してしまうのは、ほとんど意味のないことです。
擬人化のスタンスをとると、科学的に解明すべき疑問も、たいていは自分に都合のよい答えを見つけるだけでよしとしてしまう。
…動物を見る時にも人間に似た属性の有無を探し、自分のこだわりを動物に当てはめて、人間の基準で動物を品定めする。
こうした人間中心のものの見方が擬人化傾向と相俟って、動物を人間の観点から解釈せずにはいられなくなる。(p13)
動物と人間は脳の構造から身体のつくりまでが異なるのですから、過度に感情移入しても的外れなだけです。
相手が虫や細菌ならなおさらです。極端なことをいえば、たとえば生物界には性別が720種もあるブロブのような生き物も存在しているのに、人間の倫理観が当てはまるとは到底思えません。
けれども、ダーウィンの時代にはそうした生物界の奥深い知識は限られていました。生物の仕組みをプログラムやシステムとみなす概念もありませんでした。
感受性豊かな人だったダーウィンは、自分が目にしたあらゆる生物に対してミラーニューロンをフルに働かせ、すべてを擬人化し、想像上の苦しみを抱え込んでしまったようです。
感受性の強い人は、仲間の人間だけでなく、動物や虫、さらには無生物にまで感情移入してその苦しみや痛みを想像してしまうことがあります。
わたしは、自分がそういったタイプなので、ダーウィンの気持ちがわかります。彼がストレスを抱え込みすぎて慢性疲労症候群になってしまったのも、さもありなん、と思えます。
しかし、ミラーニューロンシステムが再現する相手の苦痛は、あくまでも想像です。相手が無生物ならば、完全な幻想です。
どこまでが現実に相手が感じている苦しみで、どこからが自分の空想なのか、線引きをしなければなりません。
それでもダーウィンは無神論者ではなかった
このような幾つもの理由にもとづく思索の結果、ダーウィンは、不本意であると述べながらも、自分がずっと抱いてきた「信仰を放棄」しました。
けれども、ダーウィンについて調べていて興味深いと思ったのは、その先にある彼の考えでした。
ダーウィンは信仰を放棄しましたが、すっかり無神論者になったわけでもありませんでした。
脳のなかの天使によると、ダーウィンは、エイサ・グレイに先の寄生バチについての書簡を送ったとき、こうも書いていたそうです。
その一方で、このすばらしい宇宙を、とくに人間の本性を、すべて荒々しい力の結果とみなし、そう結論づけて満足することもできません。(p409)
この一言から、ダーウィンの揺れ動く葛藤が読み取れます。
彼が目にしてきた この世界の苦しみは、慈悲ある全能者の存在を否定しているように思えました。一方で、設計者なしにこれほどの自然界が存在するようになったとも思えませんでした。
ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫)によると、彼は迷信や直感に基づくような、感情的な信仰を一蹴しています。
彼は理性的に考える人でしたから、いっときの感情で都合よく神を信じたりしませんでした。
言ってみれば、宝くじに当たったり、合格祈願が成就したりしたからといって、「神さまありがとう!」と浅はかに言うような人ではなかったということです。
けれども、「理性」に結びついた信仰は別だと書いています。
ダーウィンは、理性的に考えた結果、論理的な帰結として、神の存在を否定できない、と思うことがありました。
神の存在への信念のもう一つの源泉は、感情にではなく理性に結びついたものだが、それは、もっとずっと重みをもつもののように、私は印象づけられている。
これは、遠い過去やはるかな未来までも見る能力をもつ人間を含めて、
この広大で不思議な宇宙を盲目的な偶然や必然の結果として考えるのが極度に困難である。むしろ不可能であるということからの結論である。
このように考えたときには、人間とある程度似た知性的な心をもった第一原因に目を向けることを余儀なくされるように感じる。
この場合、私は有神論者と呼ばれてもよい。(p110-111)
ダーウィンは、自然をじっくり観察する人でした。
自然界に存在する、巧妙かつ精緻な構造や、調和の取れたバランスといった驚くべき要素を、理性的に考慮しました。
その結果、「盲目的な偶然や必然の結果として考えるのが極度に困難…むしろ不可能」だと結論しました。
この宇宙や人間はいかにして存在するようになったかを考えようとするとき、「人間とある程度似た知性的な心をもった第一原因に目を向けることを余儀なくされる」ように感じました。
ダーウィンが亡くなって以降、赤方偏移や、宇宙背景放射の観測などの証拠に基づき、宇宙に始まりがあったことが明らかになりました。
また分子生物学などの進歩により、生命システムに見られる、言語を絶するまでの複雑さも明らかにされています。
科学は「第一原因」について解き明かすどころか、よりいっそう謎が深まってきたといえるでしょう。
わたしとしては、ここ最近解明されつつある、自然界のあまりに複雑なネットワークの共生関係に畏怖を感じます。
それぞれの生き物は、独立して存在しているわけでなく、互いに巧妙な入れ子構造の互恵関係を作り上げ、見事に歯車が噛み合って、ひとつの生態系というシステムを動かしています。
たとえば、わたしたちの人体が、自己の細胞のみならず、100兆個を超えるウイルス、細菌、菌類、原生生物などで成り立っている生態系であるなどと、ダーウィンの時代の誰が想像しえたでしょうか。
しかも、それらは見事に調和して、人体を構成しています。無数の個性的な細菌のうち、ひとつのキーストーン種が失われただけでも、思いも寄らない場所に影響が及んでしまうことは、20世紀に増加してきた慢性病から明らかです。
地球そのものも同様です。数え尽くせない生物や無生物が、生態系に関与しています。
人類が環境を破壊すると、バタフライ効果的に、世界の別の場所に予測困難な影響が及びます。科学者たちはその全体像を解明できていません。
わたしは作家として、絵を描くときに難しいのは、細部の描写より、全体のバランスだということをよく知っています。
だから、「神は細部に宿る」という使い古された表現よりも、この地球や人体のダイナミックなバランスのほうに驚嘆します。
昨今の優れた人工知能は、膨大なデータを駆使して、自動的に絵を仕上げます。細部においては、あたかも画家が描いたような見事な絵を描き上げることもあります。
しかし全体にわたって調和のとれた、本当の意味での名作を描くには、ボトムアップ的な細部の寄せ集めでは不可能です。トップダウン的な作家の脳がまとめ上げる必要があります。
何よりも、たとえ人工知能が優れた芸術を描けたとして、それをプログラミングした作者がいるのです。自然界という芸術の場合もそうではないでしょうか。
植物学者D・ビアリングによる、植物が出現し、気候を変えたは、かのオリヴァー・サックスが「ダーウィンの著作を読むときにも似た、深く、静かな読書の愉しみを、この本は私に与えてくれた」と評した本ですが、次のようなコメントが書かれています。
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宇宙物理学者たちが宇宙の謎を解こうとした際に驚いたのは、物理法則や、自然が粒子量や力の強度などに与える値に、生物が敏感に反応している例がきわめて多いことだった。
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宇宙物理学者のフレッド・ホイル[1915-2001]は、彼が「恐ろしい数のアクシデント」と呼ぶところのものに強い感銘を受けた。
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彼によると、宇宙はまるで「仕組まれた」ようにみえる―物理法則は生命が現れるよう、事細かにチューニングしているようにみえる―というのである。(p257)
D・ビアリングは、現在人間を含む多くの生物の命を支えているイネ科の植物の登場についても、同じような感想を抱くと書いています。
植物学者D・G・ハスケルによる、木々は歌う-植物・微生物・人の関係性で解く森の生態学に引用されているように、神という概念を受け入れるか否かはともかく、自然界に簡潔で見事な法則性が見られることは、多くの科学者が認めるところです。
ポール・ディラックは量子力学の創設者であり有神論とも神秘主義とも無縁だが、「美しい方程式を得る」ことが、有益な洞察に至る方法だと語っている。
彼によると物理学においては、多くの場合、実験結果と厳格に一致するかどうかより数学的な美のほうが確かな標識になるという。
天才物理学者のリチャード・ファインマンは、わたしたちが物理学の未知の領域について予測できるのは、
「自然には簡潔さがあり、したがって大いに美しい」からであり、
その簡潔さは数学という、世界の「もっとも深遠な美」を探す学問によって明らかにされるのだと書いている。
…したがって数学は、深い関係から生まれた美的感覚を道しるべに、人知を超えた真実に近づこうとする先例だといえる。(p201)
このような、科学や数学の考察の果てにある「人知を超えた真実」なるものを、ダーウィンが「人間とある程度似た知性的な心をもった第一原因」だと考えたのは自然ななりゆきでしょう。
この世界の諸法則が「仕組まれている」、すなわち高度にプログラミングされているのであれば、その背後にはプログラマーがいるとみなすのは理にかなっているように思えます。
もっとも科学者のすべてがこれに同意するわけではありません。
科学者たちは、第一原因や生命の誕生について、ありとあらゆる説明を唱えてきました。
数え切れない回数の試行を繰り返せば、無限にある多元宇宙の中に、見事に整った宇宙がひとつ現れ、そこに我々が現れて観測しているにすぎない、というストーリーをまことしやかに述べる人もいます。
科学者たちに共通しているのは、何らかの説明がどうしても必要だ、という認識だけです。
ダーウィンもきっと、当時手に入った証拠をよく吟味して、理性的な考え続けたことでしょう。
しかし、聡明なダーウィンは、自分が知っている知識がすべてでないことをよくわきまえていました。人間の思考力には限界があり、思い至らない領域があることも認めていました。
ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫)によると、彼はやがて、第一原因に関する真実は、人間の知性の範囲では知り得ないのではないか、という不可知論へと傾いていきました。
人間の心は最下等の動物がもっていたずっと低度の心から発達してきたものだと私は完全に信じているが、
そのような人間の心を、それがこのように偉大な結論をひきだせるものだと、信用してよいのであろうか。
…あらゆる事物のはじめという神秘は、われわれには解きえない。私個人としては不可知論者にとどまらざるをえない。(p111)
脳のなかの天使で引用されているところによると、ダーウィンは1862年4月21日のイラストレイテッド・ロンドンニュース紙の書簡で、次のように書いたそうです。
創造という問題は深すぎて、人知の及ばないものだと感じています。
犬がニュートンの精神を推論するのと同じようなものかもしれません。
自分に何ができると願い、信じるかは各人にまかせようではありませんか。(p409)
このダーウィンの言葉には、科学者としての慎重さと謙虚さが感じられます。自分を含めた当時の最先端の学者たちを「犬」に例えて、おのが限界を認めているからです。
このダーウィンの考え方を理解するために、かりにわたしたちの世界が、あたかも見事に構築されたマインクラフトの世界のようなものだと仮定してみましょう。
もしマインクラフトの内側の世界の住人に自我が芽生えたら、きっとこう考えることでしょう。
この仮想世界の外側には、マインクラフトの世界を創り上げた何者か、つまりプログラマーやプレイヤーがいるのだろうか。まったく異なる別の世界が広がっているのだろうか。
興味深い疑問ですが、マインクラフトの内側の世界にいる人たちは、自分たちの努力では、この答えを解き明かすことはできないでしょう。
それは不可能です。なぜなら、マインクラフトの内部の仮想世界と、外部の現実世界は、それぞれ、まったく異なる法則、まったく異なる概念によって成り立っているからです。
自分が今まさに縛られている物理法則を超越した世界について、あるいは脳という制限ある有機的なハードウェアの性能を超えた概念については、イメージすることさえかないません。
わたしたちの思考力や行動の範囲は、自分が生きている世界の物理法則の限界によって常に制限されているのです。
どれほど賢い天才科学者でも、この地球に生きる、肉体をもつ動物の一人にすぎません。思考においても行動においても、有機体からなる肉体の限界を超越することはできません。
脳のなかの天使の筆者である脳科学者ヴィラヤヌル・ラマチャンドランは、自分の限界を認めた先のダーウィンの言葉についてこうコメントしています。
ダーウィンの言葉は、彼がしばしばそのように描かれる筋金入りの無神論者に想定されるようなたぐいのものではまったくない。
…私たちは人間として、謙虚に受け入れなくてはならない
―たとえ私たちが、脳や、それがつくりだす宇宙をどれほど深く理解しようとも、究極の起源という問題はつねに私たちに残されるであろうことを。(p409-410)
ラマチャンドランが述べるように、ダーウィンは「筋金入りの無神論者」ではありませんでした。
「筋金入りの無神論者」は謙虚とはいえません。自分には解き明かしえないことなどないと、自らの知性を誇っているも同然だからです。
ダーウィンは、もっと慎み深い態度をとりました。自分の肉体と思考の限界を認め、「究極の起源という問題」をあえて残すことに決めたのです。
ダーウィンは真実の探求者だった
こうして、ダーウィンの信念について概観してみると、彼は常に、理性と証拠に導かれて真実を探し求めたことがわかります。
理性的な考察によって誤りが証明されれば、時の支配的な世論に楯突くこともいといませんでした。ダーウィン自伝 (ちくま学芸文庫) にこう書いているとおりです。
私が判断できるかぎりでは、私は他人のあとを盲目的についていくには向いていない。
私はどんな仮説でも、たとえそれがとても気にいったものでも(しかも私はどんな問題についても仮説を作らずにはいられないのである)、
事実がそれに反するということが証明されればすぐにそれを放棄するために、いつでも変わらず自分の心を自由にしておくようにつとめてきた。(p175)
ダーウィンはいつも反対意見に対して心を開いていました。自分が信じたいことを信じるのではなく、証拠が指し示すことを信じました。
どれほど愛着のある考えでも、それが事実ではないと納得すれば、考え方を180度変えることをためらいませんでした。
自分が生まれ育った英国国教会の教理に愛着を持っていましたが、自分で調べ、観察した事実と異なることがわかるや、不本意でも信仰を放棄しました。
ダーウィンは理性に基づく真実の探求者だったので、疑問や矛盾を抱えながら、中途半端に信じ続けるという選択肢は考えられなかったのです。
ダーウィンの信念は、何世紀も前の偉大な科学者、ガリレオ・ガリレイをほうふつとさせます。
ガリレオもまたダーウィンと同じく、科学の名のもとに宗教に敵対した人物とみなされることがあります。
確かにガリレオは、迷信にまみれた教会の教理には真っ向から反対しました。しかし同時に、神や聖書に深い敬意を払っていたことも知られています。
神は数学者か?―ー数学の不可思議な歴史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫〈数理を愉しむ〉シリーズ)に書かれているように、ガリレオは、「数学を神の母語と見なし」ていました。
また「コペルニクスの理論と聖書の内容には(表面的な点を除けば)食い違いがないと訴え」「力学的な釣り合いや数学を用いて科学を研究すれば、神の心を理解できるとまで主張」しました。(p119-124)
ガリレオもダーウィンも、教会の伝統的な教理に立ち向かったのは、筋金入りの無神論者だったからではなく、理性に基づく真実の探求者だったがゆえでした。
そのほかにアイザック・ニュートン、ジョゼフ・プリーストリー、ヨハネス・ケプラー、マイケル・ファラデーなどの名だたる科学者もまた、独特な信仰心ゆえに当時の主流宗教の教理を退けたことが知られています。
仮に、論理的な反論が教会から提出されれば、彼らは喜んで検討したことでしょう。
もしダーウィンやガリレオを説得したければ、筋道立てて聖書を擁護し、歴史とも科学とも矛盾していないことを証明し、この世界に苦しみが存在する もっともな理由を示せばよかったのです。
彼らは進んで耳を傾けたことでしょう。そして、もし考えを改めるに十分な証拠があると思われたなら、自説を撤回することさえいとわなかったでしょう。
彼らはいつでも、自分の信じたいことを信じるのではなく、証拠に導かれて、考えを調整できる柔軟さを持っていたからです。
有名な哲学者のアントニー・フリューは、現にそうしたのではなかったでしょうか。
しかし、歴史が明らかにしているように、教会は理性的な考え方をかたくなに拒みました。納得できるような論じ方をして教理を擁護することもできませんでした。
教会はただ、怒りやねたみから暴力と弾圧に身を任せました。ダーウィンが愛したような新約聖書の美しい道徳律は実践されていませんでした。
その姿勢は、かつての十字軍や異端審問、ダーウィンが目にした先住民の虐殺や奴隷制、地獄の火の教理の恐怖による統制、さらには、近年の世界大戦や民族浄化への加担や、聖職者による性的虐待の数々に至るまで変わっていません。
絶対的な真実を求めていたダーウィンやガリレオが今生きていたならこう言ったことでしょう。
もし教会に真理があり、全能の神の加護を受けているのだとしたら、戦争で兵士を祝福し、おぞましい暴力と苦しみを助長したりしただろうか。
慈悲ある神が教会を用いているのであれば、司祭や牧師が無力な子どもたちを性的に虐待するようなことを許されるはずがあろうか。
ダーウィンはきっと、キリスト教徒が残酷な奴隷制を擁護しているときに感じたと同じように、「わたしの血は煮えたぎり、心がふるえる」と叫んだことでしょう。わたし自身まったく同じ気分です。
理性によって真実を探求したガリレオやダーウィンが、教会を見限って信仰を放棄したのは、まったく当然のことだったのです。
彼らは、自分で自然界を調べ、理性的に証拠を吟味しました。そして、伝統的な妄信やまやかしとは別のところに、真実を探し続けました。
何度も過去に引用しているものですが、ダーウィンが人間の由来(下) (講談社学術文庫)の最後に添えた次の言葉から、真実の探求者としての彼の素顔が垣間見えます。
間違って認識された事実はしばしば長く持ちこたえるので、科学の進歩に大きな害を及ぼす。
しかし、間違った考えは、それが何らかの証拠に支えられていたとしても、それほどの害は及ぼさない。
なぜなら、誰もがその間違いを証明することに健全な喜びを感じるからであり、
それがなされたときには、誤りへと続く道が一つ閉ざされると同時に、真実への道が開かれるからである。(p470)
ダーウィンがこの言葉を自著の最後に据えたことは、心血を注いだ自らの理論が正しいかどうかよりも、真実が明らかにされることのほうが大事だと考えていたことを物語っています。
わたしは、ダーウィンやガリレオの探求の歩みには、到底及ぶべくもありませんが、その真摯な姿勢に共感と敬意を覚えます。
わたしたちは、自分の限界に対して謙虚でありつつも、たゆまぬ真実の探求者であるべきです。この世界はそうするに値するほど奥深く、色褪せぬものなのですから。
補足 : レイチェル・カーソンとの類似点
この記事で考えたチャールズ・ダーウィンの信念は、部分的にはレイチェル・カーソンの信念と似通っているように思えます。
二人とも自然を愛し、自然観察から大いに喜びを得た人でした。
新訳 ビーグル号航海記 上とポール・ブルックスの伝記レイチェル・カーソン を比較してみると、二人の自然の楽しみ方はとても似ています。
ダーウィンが「平原に仰向けになり、はるかな高みを飛びまわるコンドルを眺め」たように(p147)、カーソンは「あおむけになって、頭上の鳥を見るのは楽しいものです」と書いています。(p88)
一般に、西洋には虫の音を愛でる文化がないと言われますが、ダーウィンは「さまざまなセミとコオロギが、アマガエルに合わせて、かん高い声を果てることなく絞りあげる」のに「じっと聞きいったもの」でした。(p68)
カーソンも「この大自然のオーケストラ」を「妖精の鈴振り」と名づけて聞き入りました。(p85-86)
ダーウィンは、 新訳 ビーグル号航海記 下 によると、「大空を屋根とし地面を食卓とする野外生活の楽しさ」について書いています。(p466)
カーソンも、レイチェル・カーソン―沈黙の春をこえて (愛と平和に生きた人びと)によると、「頭上にひろがるはてしない空の下で、赤あかと燃えるキャンプファイヤーのそばにすわっているときほど幸せなことはありません」と述べています。 (p29)
ダーウィンの ビーグル号航海記と、カーソンの自然科学の本を読むと、似たおもむきが感じられます。二人とも、自然界を自分の感覚を頼りに探索し、驚くほど博識な知識をからめて生き生きと描写しています。
カーソンは、ダーウィンの著作をよく読んでいたらしく、たとえばわれらをめぐる海 (ハヤカワ文庫 NF (5)) では、ダーウィンの ビーグル号航海記などからの引用があります。(p54,133)
二人とも、ただ自然を楽しむだけでなく、じっくり観察し、分析し、絵画的に描写し、ときには生物学的に解剖するという、作家と科学者を両立した人でした。
しかしそれ以上に、伝記レイチェル・カーソン によれば、ダーウィンとカーソンには大きな類似点があります。
それは、衝撃的な著作を送り出して、当時の支配的な世論に真っ向から戦いを挑んだことです。
1962年6月16日、『沈黙の春』が「ニューヨーカー」に連載されはじめると、それは忽ち全国的なセンセーションをまきおこした。
…それよりちょうど1世紀前、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』をめぐって、古典的な論議がたたかわされたが、それ以来、この本以上に激しい非難を浴びせられたものは他になかったように思われる。
攻撃はこの本によって利益が害われることを恐れた人びとによって行われた。
ダーウィンの研究は、既成の教会の確たる勢力に対する挑戦であった。
それに比べると、『沈黙の春』は、はじめ化学工業やその関連産業(食品加工業のような)など、社会の比較的小さい(しかしたいへん金持ちな)部分を怒らせた。
そして中央政府のなかでは、巨大な力を持つ農務省が感情を害した。(p289)
ダーウィンの「種の起源」とカーソンの「沈黙の春」は、歴史を変えた本、この21世紀に至るまで絶大な影響力を及ぼしてきた本といって差し支えないでしょう。
原著を読んだことのある人はそう多くないかもしれませんが、それらの本で提唱された新たな思想、すなわち進化論と環境保護は、いまだ時代のトレンドです。
ダーウィンが慢性疲労症候群に、カーソンがガンに若くして冒されたのは、二人が時の権力に立ち向かって、想像を絶するまでのストレスにさらされたことも関係していたのかもしれません。
二人はまた、敏感な感受性ゆえに、自然界のあらゆる生き物に感情移入し、多くの苦痛を取り込んでしまったところもよく似ています
本文で書いたように、ダーウィンは自然界にあふれる苦痛に心を乱されましたし、カーソンは化学薬品による汚染についての研究に残らず目を通しては、生き物たちの苦しみに心を痛めていたからです。
そのカーソンの宗教観はどのようなものだったのでしょうか。
彼女は明らかに最先端の知識を持つ聡明な科学者でしたし、自然界に苦しみが満ちているという問題についても、誰より詳しく知っていました。
それでも、「自然界について学べば学ぶほど、彼女のなかで『驚異に対する感覚』が大きくなって」いきました。(p21)
若かりしダーウィンが、新訳 ビーグル号航海記 下で原生林を「自然という神が創りたもうた多様な生産物にあふれかえる神殿」と呼んだように (p464)、
カーソンも伝記レイチェル・カーソン に引用されているように、太平洋の島々を「創造主の美しく奇抜な作品に満たされた自然の博物館」と呼びました。(p155) (われらをめぐる海 (ハヤカワ文庫 NF (5)) のp147からの引用)
ダーウィンと同じく、既存のキリスト教会の伝統的な教理には迎合しませんでしたが、自然界の背後に、人知を超えた存在がいるという信念は抱いていました。
自然界に対する彼女の態度は、まさに信仰あつい人のそれであった。
年老いた正統派キリスト教徒(訳注 基本主義キリスト教徒ともいわれ、進化論を全く認めない。)から、
彼女が『われらをめぐる海』のなかで神と聖書を無視したとして非難を受けたとき、彼女は労をいとわず丁寧に返事をしたためた。
「進化論は、地球上の生物の進化を説明するために、これまで発表された論文のなかで、最も論理的なものであると、私が受けとめているのは事実です。
しかし、私に関する限り、進化論に対する信念と、創造主としての神への信仰との間に、まったく矛盾を感じません。
私は、進化論を信じておりますけれども、私はそれを、神が地上に生物を造り、現在もなお造り続けるための手段であると信じているに過ぎないのです。
しかも、その手段は非常に素晴らしく組み立てられているので、それを詳しく学べば、
創造主とその創造過程に対する尊敬と畏敬を増し加えこそすれ、決して減退させることはないと確信しております。」(p22-23)
カーソンの信念は、ダーウィンよりかは有神論に傾いたものだったようです。しかし共通しているのは、自然界の背後に何かしらの知性や第一原因が存在しなければならない、という考えでしょう。
ダーウィンが、理性的な考察の結果として、「第一原因に目を向けることを余儀なくされる」と書いたように、カーソンも、自然界について調べれば調べるほど、「ある種の哲学」に至ることは避けられないと考えていました。
私の生涯の大部分(と彼女は言った)は、私たちの周囲のこの地球の美と神秘にかかわって来ました。
そればかりでなく、地球上に存在する生命よりも大きな神秘に対してかかわりを持ったのです。
誰も、深く思索することなしには、しばしば答えることさえ出来ない厳しい質問をみずから発することなしには、
そしてある種の哲学に到達することなしには、そのような問題に長期間没頭することは出来ません。(p318)
このように書いてはいるものの、カーソンが、生涯のある時点で神秘主義者や宗教家に転じたわけではありません、彼女は最期まで第一線の科学者でした。
このカーソンの言葉は、ダーウィンが新訳 ビーグル号航海記 下 で書いている次の言葉とニュアンスがよく似ています。
どのように形成されたにせよ、地球の地殻にあって人間が到達し得たいちばん古い層にこれがあることを、われわれは知っている。
どんな問題につけても、人知の限界にあるものは、空想の領域にごく接近するせいで、さらに大きな関心を誘う。(p69-70)
カーソンもダーウィンも、科学者として地球と自然を研究しつづけた結果、「人知の限界」の境界に近づいてしまい、そこから先は哲学や空想と肉薄している、と考えたのです。
不本意ながら伝統的キリスト教の信仰を放棄したダーウィンと同じく、カーソンも、現実の証拠に基づいて、それまでの宗教的な信念を変えざるをえなくなることがありました。
レイチェル・カーソン―沈黙の春をこえて (愛と平和に生きた人びと)によると、それは原子爆弾による恐ろしい大量殺戮のニュースだったといいます。
レイチェルはこれまでずっと、ひとつの確信をもっていました。すべての生物の生命をあつめた流れは、神がさししめしたとおりに永遠に流れつづけるという確信でした。
そして、その流れのひとしずくにしかすぎない人間には、流れをさまたげるような力などないと考えてきました。
けれども、原子爆弾の投下と原子力時代の到来は、レイチェルの深い信念が通用しなくなったことを感じさせました。人間は、地球の運命を左右するほどの力をもってしまったのです。
「わたしは、自分の確信がくずれさるのをみとめるのをこばんで、心をとざしてしまいました。」とレイチェルはのちに語っています。(p65-66)
しかしながら、もちろん彼女は、これを乗り越えました。崩壊したかつての信念の先にあるシナリオ、つまり人間による地球の破壊という将来を変えるために闘うことにしたのです。
カーソンは、自分の信念よりも、証拠を重視する人でした。現実をしっかり認めて、考え方を柔軟に変化させ、真実を追い求め続けました。
伝記レイチェル・カーソンによると、彼女が1955年に書いた「海辺」には、自分の死後の弔いの場で朗読されることを願っていたとされる文章があります。(p323)
そこには、真実を追究した科学者としてのカーソンの姿勢がよく描写されています。以下は海辺 (平凡社ライブラリー) からの引用です。
渚に満ちあふれる生命をじっと見つめていると、私たちの視野の背後にある普遍的な真理をつかむことが、並大抵な業ではないことをひしひしと感じさせられる。
夜の海で、大量のケイ藻が発するかすかな光は、何を伝えようとしているのだろうか?
無数のフジツボが付いている岩は真っ白になっているが、小さな生命が波に洗われながら、そこに存在する必然性はどこにあるのだろうか?
そして、透明な原形質の切れはしであるアミメコケムシのような微小な生物が無数に存在する意味は、いったい何なのだろうか?
かれらは、岸辺の岩や海藻の間に一兆という数ですんでいるが、その理由はとうていうかがい知ることはできない。
これらの意味は、いつまでも私たちにつきまとい、しかも私たちは決してそれをつかまえることはできないのだ。
それを追究して行く過程で、私たちは生命そのものの究極的な神秘に近づいていくだろう。(p330)
わたしも、自然界を探検したり、観察したりするたびに、同じ思いを抱きます。ダーウィンやカーソンほどの知識も観察眼もありませんが、思うところは同じです。
この記事ではおもにダーウィンの信念を考えましたが、同じような信念と熱意に動かされた人物は、歴史上いつの時代もいただろうことがわかります。
ダーウィンとカーソンはともに、自分の限界を謙虚に認めていました。自分の考えや論説がすべて正しいとは思っていませんでした。
その上でなお、自然界の裏に隠された真実に迫りたいと切に願っていた探求者でした。
同じような信念は、ケプラーやファラデーなど、他の多くの科学者も抱いていました。
飽くことなく真実を探求する心に導かれ、証拠と理性に基づいて考え、真実を明らかにするためなら権力に楯突くこともいとわぬ人々によって、この世界の謎が明らかにされてきたのです。