「助け手」「理解者」「パートナー」としてのイマジナリーフレンド―なぜ同じ脳から支え合う別人格が生まれるのか

https://yumemana.com/labs/if-asperger/私は驚きのあまり、言った。「ちょっと待って、クモ恐怖は打ち勝つのが難しいんだよ! 彼らはどうやって君を勇気づけたの」。

エミリーは私に、イマジナリー・フレンド・アプローチについて話してくれた。私はそんなアプローチを一度も聞いたことがなかった。(p89)

れは、ナラティヴ・セラピーの冒険という本にある10歳の少女エミリーと彼女のセラピストのやりとりです。

彼女の説明によると、空想の友だち(イマジナリーフレンド)のジョンが、反-恐怖アプローチというものを思いついて、訓練してくれたといいます。

ジョンは片手にお菓子、もう片手にクモを隠して、エミリーに手を差し出すよう言いました。どちらにクモが入っているのかはわかりません。そうしたことを繰り返すうちにエミリーのクモ恐怖症は克服されたのです。

なんだかとても不思議な話です。ジョンはただの「空想の友だち」ではなかったのでしょうか。

実際には、このような例はとても多くあります。イマジナリーフレンド解離性同一性障害の別人格が、思ってもみない方法で窮地を救い、解決してくれたというのです。緊急時には別人格に対処してもらうことを決め込んでいる人もいます。

どうして、同じひとつの頭から創りだされた別人格にそんなことができるのでしょうか。どうして同じ脳から生まれた別人格が、自分とは異なる性格を持っていたり、補い合うパートナーとなったりするのでしょうか。

自分では対処できない問題に直面したとき、「助け手」「理解者」「パートナー」といった役割を果たす別人格の存在と、それを可能にする不思議な脳の働きについて調べてみました。

イマジナリーフレンドは「良き理解者」「良き話し相手」

別人格というと、まず解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格のことを思い浮かべる人は多いと思います。しかし、ここではまず、イマジナリーフレンドという形態の別人格から話を進めましょう。

解離性同一性障害が、本人の意識をのっとる別人格なのに対し、イマジナリーフレンドは、本人と会話し、コミュニケーションできる別人格であり、DIDに比べて「補い手」「理解者」「助け手」といったポジティブな役割を果たすことが多いようです。

解離性同一性障害とイマジナリーフレンドは、一般には別の現象と考えられますが、大人の場合、イマジナリーフレンドが解離性同一性障害に発展するケースも報告されていて、まったく無関係とはいえません。

イマジナリーフレンド(IF) 実在する特別な存在をめぐる4つの考察
成人・大人のイマジナリーフレンド・イマジナリーコンパニオン(Imaginary Friend/Imaginary Companion:空想の友だち/想像上の仲間)に関する詳しい考察

イマジナリーフレンドの多くは、保持者の「良き理解者」です。これは、年齢によって違うということもなく、どの年代のイマジナリーフレンドにも共通する特徴といえるでしょう。

たとえば、アンネの日記 (文春文庫)は、毎回、「親愛なるキティーへ」という一文からはじまります。キティーはアンネが生み出した空想の友だちですが、アンネはだれにも言えないようなことを空想の友だちに打ち明けることで安らぎを得ていました。

作家の小川洋子さんは、キティーはアンネにとって、カウンセラーのような存在だったことを述べています。

また、いけちゃんとぼくでは、イマジナリーフレンドの「いけちゃん」が、物心ついたときからいつもそばにいて支えてくれる様子が描かれています。

大人になっても残るイマジナリーフレンドを考察した、青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からという資料にもこうあります。

どの存在も,披調査者の「常に自分の味方」 「必ず側にいて寄り添ってくれる存在」 「自分の行動の支持者」といった言糞に表されるように,共感,理解,慰めなどの感情をもたらし,元気づけたり,落ち着かせたりする働きを担うと考えられる。

このように「想像上の仲間」は想像の中でのことだという前提の下で,それを所持する人それぞれに個別で特有の関わりをもたらし,生きる世界を陰ながら支える存在であることがうかがわれる

空想の友だち、イマジナリーフレンドは、「良き理解者」「良き話し相手」として、保持者を支える存在であることがうかがえます。

しかしイマジナリーフレンドの特異な点は、その性格や特質にあります。

単に、「良き理解者」や「良き話し相手」なのであれば、自分と瓜二つの存在、双子のような運命共同体としてイメージしてもいいはずです。

ところが、多くの場合、イマジナリーフレンドは、保持者とまったく別の人格を持つ者として生まれるのです。どういうことでしょうか。

足りないものを補う「補償」

イマジナリーフレンドを持つ子供は、自分と同年齢の同姓の空想の友だちを創ると言われています。また、イマジナリーフレンドと自分の性格はよく似ていると、言う人もいます。しかし、すべてがそうなのではありません。

イマジナリーフレンドが、自分とまったく同じような存在として意識されることはまれです。自分の分身、双子、同じ性別、同じ性格、鏡に写った自分…そんなイメージとはかけ離れた存在であることがよくあります。

イマジナリーフレンドが異性だったり、はるかに年上だったり、自分とはまったく違う性格だったりすることがあるのです。

このブログで過去にたびたび取り上げている例ですが、ぼくには数字が風景に見える (講談社文庫)によると、ダニエル・タメットが子どものときに出会ったイマジナリーフレンドは、アンという名の身長180cmもあるおばあちゃんでした。彼女はタメットに哲学的で深遠な話をしました。

アスペルガーは想像上の友だちイマジナリーフレンド(IF)を持ちやすい?
アスペルガー症候群の人は想像上の友だち(イマジナリーフレンド)ほ持ちやすい。「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)」に基づいて、その

また冒頭に引用したナラティヴ・セラピーの冒険によると、10歳の少女エミリーのイマジナリーフレンドは15歳のジョンと16歳のリサでした。年上であるだけでなく性別もばらばらです。

「変にできる子」の想像上の友だち―イマジナリーフレンド(IF)は人生の助けになってくれる
「変にできる子」は問題を克服するためイマジナリーフレンドを活用している。「ナラティヴ・セラピーの冒険」という本からそんなエピソードを紹介したいと思います。

なぜこのような、自分とはまったく違う存在が生み出されるのでしょうか。

情動的補償説

おさなごころを科学する: 進化する幼児観という本によると、イマジナリーフレンドを持つ理由として、定説になっているのは、「情動的補償説」だそうです。これは、子どもが寂しいときに寂しさを紛らわすためにイマジナリーフレンドを作るというものです。(p262)

「補償」(Compensation)とは、心に備わる自己防衛機制の一つで、コンプレックス(劣等感)を他の方向で補うことを指します。ハンデを補うために別の方向で努力し、才能の開花につながることもあります。

たとえば、心の不安定な人が、その弱さを克服しようと努力し、有能なカウンセラーになったりします。有名な心理学者エリク・エリクソンは、幼年期の差別や抑圧に対する補償として、精神分析学の道に進んで成功したのかもしれません。

イマジナリーフレンドを持つ人の場合も、寂しさや苦悩に対する「補償」として、イマジナリーフレンドを生み出し、自分の感情や問題に建設的に対処していると言われています。

ImaginaryCompanionの実態と発達的規定因を探るにはこうあります。

またICの機能的側面に着目すると,子どもは実際の遊び友達が存在せず,一人でいる時にICと関わりをもっている点や,寂しい時あるいは恐いという感情を喚起させる状況でICを出現させるという点を考慮すると,ICは人間関係を補償する機能を果たしていると考えられる.

イマジナリーフレンドは社交的な子どもが寂しさを感じたときに創り出すことが多く、一種のセルフストレスコーピングだという意見もあります。

Imaginary Companionの実態とその発達臨床的意義にもこうあります。

…I.C.は一貫したパーソナリティを持っているので創造主の「人形」になることはないが,創造主のニーズに合わせて発現・消失するので「都合の良い理想的な存在」になる。今回の調査で身近で気軽なI.C.が多く見られたのは,気さくで遠慮しなくても良い慣れ親しめる存在が「都合の良い理想的な存在」として求められる事が多いからだと推察できる

…また,足りないものを空想で補い充足感を得ている点から,防衛規制における「補償」の働きも持っていると考えられる。

しかしこの説には反論もあり、幼児期の空想の友達とその周辺現象に関する調査研究(2)という資料にはこう書かれています。

かねてから発達心理学や精神分析学の分野では、空想の友達は子どもが孤独を感じたとき、その寂しさを紛らわし、補うために創作されるとする保障仮説が唱えられている。

ここの場合、空想の友達は子どもが欲する遊び相手とのきずなを補償し、充足させる役目を果たす。

…しかし、この結果は慎重に扱われる必要がある。なぜなら、前報の富田・山崎(20032)ではこれを支持する結果が得られておらず、またいくつかの先行研究においても関連性が見出されていないからだ。

すべてのイマジナリーフレンドを、寂しさを紛らわせる情動補償説で説明するのは不可能だといえるでしょう。

外部の人格の「取り込み」(introjection)

情動補償説によるイマジナリーフレンドは、寂しさを補う存在としての役割を強調していました。しかし、本質的な意味においては、「補償」とは、自分の欠けたところを補おうとする働きでした。

イマジナリーフレンドを持つようになる人も、このような補償のきっかけとなる劣等感(コンプレックス)を心の底に抱いている場合があるかもしれません。

そのような場合、その人が出会うイマジナリーフレンドは、単なる孤独を癒してくれる「良き理解者」「良き話し相手」ではなく、その人の足りないところを補う理想像としての人格を持つことがあります。

ファンタジーと現実 (認識と文化)によると、ある2歳3ヶ月の女の子は読んでいた絵本に描かれていた金髪の女の子を「かようびちゃん」と呼び、自分のイマジナリーフレンドにしました。その背景にあった感情を親である津守氏はこう推測しています。

「かようびちゃん」は…大きくなったらそうなりたいと望んでいる自己の理想像であり、また自分が交わりたいと思っている友だちの像である。(p134)

多くの人がイマジナリーフレンドを持つきっかけとして、寂しさを紛らわす「情動補償」のほかに、アニメやマンガや本のキャラクターに憧れて、その存在と会話するようになった、というのがよくあります。

このようにして、他の人やキャラクターなど、外部にある人格を自分の一部として取り込んでしまう防衛機制は「取り込み」と呼ばれています。

もちろん、何かのキャラクターに頼ることなく、自分で考えだした理想像をイマジナリーフレンドにする人もいます。

しかしその場合も、すでにどこかで接したさまざまな人格の一部を無意識のうちに取り込んで、イマジナリーフレンドを形成しているのかもしれません。

何かのキャラクターにあこがれ、それが自分の「理想像」になったとき、そのキャラクターを自分の欠点を補う存在として取り込み、イマジナリーフレンドにしてしまうのです。

ちなみにイマジナリーフレンドを持つ人は解離性障害の人と類似点が多いことが知られていますが、続解離性障害によると、解離性障害では、何かの問題が生じたとき、投影(projection)ではなく取り入れ(introjection)によって対処することが多いと言われています。

理想像の実体化

イマジナリーフレンドとして取り入れた理想像は、その人の足りない部分を補う存在になることがあります。

すでに取り上げた青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からにはこうあります。

自らの理想を叶えてくれる相手,自分には足りない強さを補ってくれる相手,弱い自分を励ましてくれる相手,それぞれの「想像上の仲間」は, 「私」には欠けていると感じられる側面を「私」に代わって担っているように思われる。

「私」として自立するには不足している側面が「想像上の仲間」として生み出され,その二者問の関係を経験することで, 「私」自身を守り,育み,外界へと繋いでいく過程が作り出されるのではないだろうか。

イマジナリーフレンドと、その保持者の性格は正反対であることがよくあります。たとえば、落ち込みやすく感情が不安定な人のイマジナリーフレンドは、安定的でしっかり者だったりします。

近視眼的で、衝動的な人には、思慮深くて慎重なイマジナリーフレンドがつくこともあります。

根暗で消極的な人のイマジナリーフレンドが、快活で積極的だったりします。

イマジナリーフレンドは、人によっては「守護天使」のようなものだと説明する人もいますが、なるほど欠けているところをピンポイントで補って、支え守ってくれる存在だということを言いたいのでしょう。

また、能力上の欠点だけでなく、愛着や感情的欠落を補ってくれるイマジナリーフレンドもいます。

たとえば愛情と欲求を満たしてくれる、恋人としての異性のイマジナリーフレンドを持つ人がいます。

虐待された子は愛情深いイマジナリーフレンドを持って、セルフコーピングすることがあります。

このような愛着欲求の満足は、性的欲求の対象であるとは限りません。すでに述べたダニエル・タメットは男性の同性愛者ですが、イマジナリーフレンドは年配の女性であり、恋人的存在ではありませんでした。しかしその存在は彼を慰め、癒やしました。

このように、アニメやマンガのキャラクターや、自分の空想の中に存在する、あこがれの理想像が、自分の劣等感を「補償」するイマジナリーフレンドとして実体化することがあるのです。

このような広い意味での「補償」が、自分とは正反対の人格や、能力、性別を持ち、欠点を補って支えてくれるイマジナリーフレンドを生み出す原動力になっているといえるでしょう。

脳の限界を超える別人格の働き

さて、ここまでで話が終わるのであれば、イマジナリーフレンドはあくまで、寂しさを紛らわせたり、理想像を実体化したりした良質な空想にすぎないことになります。

それだけでも十分に脳の不思議な機能だとは思えますが、実際にはイマジナリーフレンドの不思議さはもっと複雑です。

次のような例を考えてみてください。

■勉強を教えてくれる
ここにいないと言わないで ―イマジナリーフレンドと生きるための存在証明―の著者は、自分のイマジナリーフレンドが、試験の時に忘れていた単語や数式の解き方を教えてくれると述べています。

■恐怖症を克服させてくれる
ナラティヴ・セラピーの冒険によると、すでに取り上げた10歳の少女エミリーは、クモ恐怖症を克服するアプローチを、自分のイマジナリーフレンドが教えてくれたと述べています。

■アドバイスをくれる
稀で特異な精神症候群ないし状態像にて出てくる22歳の女性は、イマジナリーフレンドがくれるアドバイスによって生活の難題を乗り越えていました。イマジナリーフレンドは「こうすれば怒られないよ」といった身の処し方を教えてくれるのです。

■ヒントをくれる
パーセプション 天才教授の推理ノートというドラマの主人公、大学教授のダニエル・ピアースは、イマジナリーフレンドの言葉にヒントを得て、難事件を解決します。

最後のはフィクションですが、共通点がお分かりいただけると思います。イマジナリーフレンドの中には、当人が知らないこと、気づかないことを教えて、問題の解決を助けてくれるものがいるのです。

もしイマジナリーフレンドが単なる個人の空想であるなら、どうして当人が知らないことまで教えてくれるのでしょうか。非常に奇妙です。

すでに述べたように、イマジナリーフレンドは、当人とはまったく別の人格を持っていることがよくあります。どうして同じ一つの頭で考えているはずなのに、まったく違う思考パターンが両立するのでしょうか。

発達障害なのに発達障害じゃない?

この問題をさらに複雑にするのが、ある人たちのイマジナリーフレンドは生まれつきの脳の限界を超えているように思えることです。

たとえば、生まれつきの脳の発達障害にはADHDやアスペルガーといったものがあります。そのような脳の特性は、一生変化しないと言われていて、努力でどうにかなるものではありません。

ところが、ADHDの人のイマジナリーフレンドがADHDの思考パターンではなかったり、アスペルガーの人のイマジナリーフレンドが社交性に富んでいたりするのです。

解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本には、交代人格の中には、「自閉的人格」や「特殊な才能や技術を持った人格」、そして後で説明しますが「内的自己救済者」など、実にさまざまなタイプが見られると書かれています。(p72)

たとえば、自閉症だったわたしへ (新潮文庫)の著者ドナ・ウィリアムズは、(どちらかというと解離性同一性障害ですが) ウィリーとキャロルという2人の別人格を持っていて、人格交代しながら社会生活を送っていました。

ドナ・ウィリアムズは自閉症スペクトラム(ASD)なので、当然人とのコミュニケーションなどうまくいかないのですが、ウィリーとキャロルは違いました。

ウィリーは怖いもの知らずで博学なしっかり者でした。キャロルはどんな人にでも好かれるタイプの女の子でした。ウィリーもキャロルもやはりASDの一面だと言う人もいるでしょうが、通常のASDの脳の用い方とは異なっているようにも思えます。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)という本では、イマジナリーフレンドは、作家の創るキャラクターの延長線上の存在とされています。そうであれば、一人の人の脳からさまざまな性格の人格が出てきても、それほど不思議なことではないでしょう。

小説家の約5割はイマジナリーフレンドを覚えている―文学的創造性と空想世界のつながり
フィクションやファンタジーをを創作する小説家や劇作家の創造性には、子どものころの空想の友だち体験、イマジナリーフレンドが関わっている、という点を「哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノ

しかしそれでも、疑問は残ります。たとえば愛着障害の人が愛着障害でない別人格を持つことがあるのはどうしてなのでしょうか。もしそんな人格を創造できるのなら、いっそドナ・ウィリアムズのように、人格交代して生活すれば万事うまく行くのでしょうか。

有能なお助け人格―内的自己救済者とサードマン

さらに謎を深めるのが、内的自己救済者(ISH)サードマン現象といった存在です。これらの存在は、当人が危機に陥ったときに現れて、危機から脱出する手助けをしてくれる有能なお助け人格で、イマジナリーフレンドと近縁の現象と言われています。

内的自己救済者については、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論によると、こう書かれています。

アリソン Allison.R.Bのいう内的自己救済者(ISH:Inner Self Helper)は癒やす神の力と愛を伝える媒介者であり、患者の過去と将来を知り、冷静沈着で理性的である。

主人格がお手上げ状態に陥った時、物事をテキパキと処理する有能な人格として出現する。(p143)

これは解離性同一性障害(多重人格)だけの経験ではなく、ごく普通の人が窮地に陥ったときに経験することもあるようです。

またイマジナリーフレンドを持っている人の中には、自分の手に負えない問題が生じたとき、有能な人格に交代して処理してもらう、という人もいます。パニックになりそうな時に勝手に人格交代してくれると言う人もいます。

サードマン現象については、奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」にはイギリス人兵士トニー・ストリーザがパキスタンのカラコルム山脈のハラモシュ山に登り、遭難した時の経験がこう綴られています。

そのときほかの何か、「抽象的な存在」が自分を助けていることに気づいた。自分は井戸の奥深くにはまり込み、上にいる誰か―ストリーザによれば「何らかの存在」―が、脱出するためにがんばれと励まし続けているような気がした。

その〈存在〉は、時には励ますだけでなく、ストリーザを「暗い穴から引き出すように」引っぱり上げてくれた。

その感覚は、それから数時間断続的に続いた。のちに彼はこのときの感覚を、別の登山家、ウィルフリッド・ノイスに説明している。

「この誰かまたは何かと協力するためには、自分の役割を果たさなければならない。自分が登れば助けてもらえる」。ストリーザが無事に雪窪から脱出するまで、その〈存在〉は消えなかった。(p142)

この場合、本人の意識が人格交代したわけではありませんが、はっきりとした別の有能な助け手の存在が感じられ、生還へと導いてくれました。このような経験は、登山者の1/3が経験するそうです。(p135)

初めてサードマンとイマジナリーフレンドを結びつけたのは、サードマン現象の第一人者神経学者マクドナルド・クリッチレーだと言われています。その後、サードマンとイマジナリーフレンドとの関連性は多くの研究者によって、繰り返し指摘されています(p154)

このように、イマジナリーフレンドのようなお助け人格は、ときに脳の限界を超えるかのような特異な働きを見せることがあります。何が生じているのでしょうか。

脳の使っているネットワークが異なる

イマジナリーフレンド、解離性同一性障害の多重人格、サードマン、ISHなどについて、まだわかっていることはほとんどありません。

しかし解離性障害を専門とする精神科医、岡野憲一郎は、脳から見える心―臨床心理に生かす脳科学という本の中で、解離性同一性障害の患者の脳について、人格交代が生じているからといって、脳の別の領域を使っているわけではない、という研究を紹介しています。

むしろ一つの人格を構成する脳のネットワークというものは非常に複雑に入り組んでいて、脳の全体を網羅しています。

それで、別人格を持つ人の場合、人格ごとに、そのネットワークに含まれる神経細胞の位置は微妙にずれていて、違う配線を使っているのではないか、と推測しています。

AとBを微妙にずらして描いているのは、両者が共通した配線を持っていないということを表現している。

すなわち同じ音楽を聴き、同じ動作を行うにしても、AとBは異なった神経回路を用いることになる。

解離性同一性障害では、非常に多くの場合、AとBという二つの交代人格は、まったく異なる感情表現をし、まったく異なる話し方をし、まったく異なる筆跡を示す。

人間として生活するうえでまったく異なる二つのセットのネットワークを有しているかのようだ。(p74)

わたしたちには、それぞれ使いなれた脳の神経細胞のネットワークというものがあり、それがメインの人格を構成しています。それは子供のころからのさまざまな体験や思考によって育まれてきたものです。

その人格には、ADHDや自閉症スペクトラムや愛着障害といった脳の発達の偏りも影響しているでしょう。それらの障害により、普段使う脳のネットワークの傾向が限定されているはずです。

ところが、別人格を持つ人の場合、その使い慣れたネットワークとは全く別の脳内ネットワークを持っていることがあります。

特に解離性同一性障害において、それは顕著です。すでに紹介したドナ・ウィリアムズの主人格ドナは引きこもりがちな自閉症スペクトラム(ASD)でしたが、別人格のウィリーとキャロルは、主人格とはまったく別の脳の使い方をしているようでした。

昔から存在していることも

どうしてこのような別のネットワーク、つまり使い慣れた神経回路からくるメイン人格とは別のネットワークを持つ神経回路が生じるのでしょうか。岡野憲一郎先生は続けてこう述べます。

なぜ解離性同一性障害においてAとBという異なる配線のセットが成立したかは難しい問題であるが、ある特殊な状況で、Aが一つの体験を持つことができなくなった際に、Bが成立し(あるいは何らかの形ですでに成立していて)、そちらの方にスイッチが切り替わるという事態が起きた、としか表現できないであろう。(p74)

イマジナリーフレンドを持つようになる人の場合、「補償」をきっかけに、不完全ながら、Bのネットワークが構築されはじめ、別人のように考えたり、ときどき人格交代したりできるようになるのかもしれません。

さらに注目に値するのは、「あるいは何らかの形ですでに成立していて」という部分です。

解離性同一性障害では、ある時点で突然、すでに構築された別の人格に切り替わり、多重人格を発症することがあります。その人格は急いでその場で構築されたものというより、すでに予備の人格としてストックしてあったかのようです。

内的自己救済者(ISH)にしてもそうです。危機的状況に備えて、あらかじめコツコツと作っていたわけではありません。前もって、幼いときから、別の人格のネットワークが存在しているのかもしれません。

岡野憲一郎先生による別著続解離性障害には、催眠術でだれでも人格交代させるというパフォーマンスを例に挙げて、そもそもみんな実は多重人格なのだか表面に出ていないだけなのでは?と疑問を持ったこともあると述べています。

岡野先生は現実的な結論として、催眠感受性の高い人たちの中に潜在的なDIDがいるのではないか、という結論に着地していますが、それはやはり、別人格が存在しているものの表面に出てきていないケースはあるということを示しています。(p128)

いずれにしても、脳は、メインの人格を構成する神経ネットワークのほかに、別の人格を構成する神経ネットワークを創り出すことがあり、これが、当人とまったく性格の違うイマジナリーフレンドや多重人格に寄与しているのではないか、と考えられます。

本人が普段使っているネットワークと違う神経回路を利用するわけですから、普段の当人の能力をはるかに超えたようなことができたり、苦手なことをいともたやすく処理して、窮地を救ったりするのかもしれません。

着眼点も好みも違うので、当人が気づかないようなことを指摘したり、アドバイスしたり、忘れていたようなことを教えたりすることもできるのかもしれません。

孤独と喪失に対処する最終手段

本来、人間は、他の人との相互作用の中で、助けあうようプログラムされた存在です。社会から孤立するようにはできておらず、孤立した人は、さまざまな疾患の罹患率が高くなり、幸福度も低くなることがわかっています。

それなのに、なぜ、ある人たちは、自分の中に別人格を作り上げて、他者との相互作用ではなく、自分の内なる関係から、支えや励ましを得ようとするのでしょうか。

はっきりとしたことはわかりませんが、これは孤独や喪失に対する脳の防衛手段なのではないか、とみる向きもあります。

奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」では、イマジナリーフレンドやサードマンなどの現象には、共通して「喪失効果」というものが見られると書かれています。(p158)

まわりにだれも味方がいない、家族が死んで独りぼっち、雪山でたった一人はぐれた…。そんなときに空想の他者という別人格が現れることが多いのです。

脳は絶望的状況で空想の他者を創り出す―サードマン,イマジナリーフレンド,愛する故人との対話
絶望的状況でサードマンに導かれ奇跡の生還を遂げる人、孤独な環境でイマジナリーフレンドと出会い勇気を得る子ども、亡くなった愛する故人と想像上の対話をして慰めを得る家族…。これらの現象

解離性同一性障害の多重人格はどうでしょうか。この場合も、だれも助けてくれる人がいない、という切羽詰まった状況が関係しています。

たとえば虐待される子供のように、親さえも敵対し、圧倒されるような問題に自分一人で対処しなければならないようなとき解離性同一性障害が発症するからです。

もはや一人ではどうにもできない、しかし、ほかにだれも助けてくれる人がいない。そんな絶望的状況に陥ったとき、脳は、新たなネットワークを起動させて、助けてくれる別人格を自力で立ち上げるのだと思われます。

解離性同一性障害の別人格は破壊的だったり、主人格を悩ませたりする場合も多いですが、柴山雅俊先生などの医師は、それが「守護天使」や「身代わり天使」のような役割を果たしていると言っています。

それらは主人格が耐え切れないような怒りの感情を一手に引き受けてモンスター化していたり、圧倒されるようなトラウマ記憶を抱え込んで封印したりしているのであって、害を及ぼすように見えても、実は主人格を守るために存在しているのだ、というのです。

別人格という不思議な脳の現象

すでに述べたように、人間は、他者との関わりの中で生きるようプログラムされています。そして、それゆえに、だれも味方がいなくなったときに、自分で助けになる他者を作ってしまうのです。

これが、「助け手」「理解者」「パートナ」となりうる別人格が生じる理由に関する、最終的な説明といえるでしょう。

このようにして生み出された人格とどう付き合っていくかは、人それぞれです。

その人格に深く感謝して、一生涯生活を共にする人もいれば、危機が過ぎたあと、その人格が消え行くのを見守る人もいます。何が正しいのかはだれにもわかりません。

ただこうして調べてみて分かったのは、イマジナリーフレンドにしても、解離性同一性障害にしても、サードマンにしても、「助け手」「理解者」「パートナ」たる別人格が生まれるのは、決して偶然ではなく、そうなるべくして生み出されたものだということです。

彼らは、その人を危機から救い出し、支え、強めるために生まれてきたのです。

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